October 2005 Archives


ミシシッピ・デルタ出身の"サニー・ボーイ・ウィリアムソン"又は"サニー・ボーイ・ウィリアムスンII"は別名Alex 'Rice' Miller(アレックス・ライス・ミラー)といい、シカゴブルース界では最も独特でアコースティックな(エレキ化されなかった)Blues Harp(ハーモニカ)奏者です。 サニー・ボーイが30歳代の前半には伝説のブルースマンと呼ばれるRobert Johnson(ロバート・ジョンソン)と演奏したことでも知られています。
Rice Miller(ライス・ミラー)が主張するSonny Boy後継者の由来が分からないように、出生年も記事により1894年、1899年、1897年、1905年、1908年、1909年、1910年又は1912年とまちまちです。 が、死亡年は一様に1965年で一致しています。 死後はライス・ミラーがもうしゃべらないから。

根っから放浪のブルースマン
ライス・ミラーはLittle Boy Blueという名前で小さい頃からミシシッピやアーカンソー、デルタ地帯のプランテーション辺りの街角やジューク・ジョイント(南部の黒人版ホンキートンク酒場)で歌っていた流れ者のブルースマン(チャイルド)でした。 ギターがつくこともありましたが、時には指パッチン以外には何の伴奏も無い時もあったそうです。 ライス・ミラーは彼の声に合った荒っぽいながらも繊細なハーモニカの奏法を生み出しました。 ライス・ミラーの歌とハーモニカがまるで一つの楽器のように聞こえます。

1941年にHelena(アーカンソー州のヘレナ)で開局したデルタ放送のKFFAラジオにスタジオ・ライブの職を得てそれまでの放浪の旅を終えます。 ラジオで最初のブルース音楽番組として、スポンサーになった地元のKing Biscuit Flour(キング・ビスケット製粉会社)の名を付けて15分放送「King Biscuit Time」を毎日昼飯時に流しました。 当時はブルースがラジオで放送されることは多くなかったので、ライス・ミラーの歌とハーモニカのブルースはデルタで人気番組となりました。 なんたってライス・ミラーのイメージをプリントしたパッケージのSonny Boy Corn Meal(上から5番目)が販売されたくらいですから。
1973年に始まった毎週一回アメリカでいくつかのラジオ局で放送されたロックンロール番組である"King Biscuit Flower Hour"は「「King Biscuit Time」がプロデュースしていて、その番組名はブルース・ラジオの「「King Biscuit Time」に由来します。

子供の頃にラジオ番組「King Biscuit Time」でライス・ミラーのハーモニカ演奏を聴いていたのが、後に世界でも有名なハーモニカ奏者の一人となったJames Cotton(ジェームス・コットン)だそうです。 ジェームス・コットンはラジオから流れてくるライス・ミラーの曲を聴くそばからコピーしていったそうです。 9歳で既に街角でのハーモニカを演奏していたジェームス・コットンは、ライス・ミラーの元へ叔父に連れられて行き、その天分を認められライス・ミラーに師事、その後ジェームス・コットンは15歳でメンフィスのクラブなどで演奏していましたが、1953年にはMuddy Waters(マッディ・ウォーターズ)のバンドに参加します。 そして1987年にはグラミー賞を獲得するほどになりました。

キングビスケット時代のレコードにはRice Miller(ライス・ミラー)としてクレジットされています。 ところが、この時期のある時ライス・ミラーは、よほどSonny Boy Williamson(サニー・ボーイ・ウィリアムソン)という名が気に入ったのか、ハーモニカの先輩ともいえるオリジナルであるJohn Lee "Sonny Boy" Williamsonの後継者をかたったのです。 手っ取り早く言えば、John Lee Williamsonの名前を勝手に頂戴してしまったらしいのです。 とはいうものの本家の名を騙ったサニー・ボーイ・ウィリアムソンのほうが元祖Sonny Boy Williamsonよりもはるかに知名度がありますね。 紛らわしい名前についてはこういった経緯がありました。

デルタでのバンド「Sonny Boy Williamson and his King Biscuit Entertainers」の人気にもかかわらず、ライス・ミラーがレコーディング出来たのはオリジナル・サニー・ボーイ・ウィリアムソンの死後の1948年(又は1951年説)になってからだそうです。 もしくは最初の吹き込みは1947年だったという説もあるそうです。 ミシシッピのTrumpet Records(トランペット・レコード)でサニー・ボーイの最初のヒットとなった"Eyesight To the Blind"をリリースしました。 その他I Cross My HeartやPontiac Bluesなどを続いてリリースしましたのが評判になりました。 1951年(又は1955年)にはシカゴのChess Recordsに移り、Don't Start Me to Talkin'をリリースしてR & B界に売り出し、マッディ・ウォーターズやハウリン・ウルフに並ぶブルース歌手となります。 ラジオ番組時代にパートナーだったギタリストのRobert Jr. Lockwoodと再び組んで「Help Me」、「Keep It To Yourself」、「Your Funeral and My Trial」、「Bring It On Home」(唯一サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの作ではないという説あり)などのヒットを生み出します。
Howling Wolf(ハウリン・ウルフ)の"Crying at Daybreak"が聴けるwfmuラジオのGive The Drummer Some(Howling Wolfで検索、Listen: RealAudioをクリック)
Junior Parkerの"Tax Man"が聴けるwfmuラジオの$mall Change

その頃のにヨーロッパでのブルース熱に乗って、1963年サニー・ボーイ・ウィリアムソンII もマッディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ, Lightnin' Hopkins(ライトニン・ホプキンス)等と共にThe American Negro Blues Festival(アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル)のメンバーとして欧州ツアーに出かけて当地で大ブレークしました。 1965年の最後といえるイギリス・ツアーのキャンパス公演ではバックアップ・バンドのメンバーとして若き日のEric Claptonとそのイギリス・バンドThe Yardbirdsがいて、The YardbirdsとThe Animalsとはレコーディングもしたそうです。 これからっていう時だったのにね。 ちなみにこの60年代にはドイツなど主に欧州で活動していたカリブ出身のジャズ・ピアニストのMichel Sardaby(ミッシェル・サダビー)と共演しているそうです。

ウイスキーをガブ飲みして放浪の旅を続けたという伝説のロバート・ジョンソンと似通ったところのあるサニー・ボーイ・ウィリアムソンII です。 しかし、ロバート・ジョンソンが行く先々で女と関わり、挙句の果てには或る女の夫から恨みをかって毒殺されたという恐ろしい話とは違って、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII にはそんな女の影は見えません。 なぜなら、1940年代に最初の妻だったハウリン・ウルフの妹と別れてMattie Gordonと結婚して以来死、生涯を共にしたそうですから。 この結婚生活が放浪のブルースマンとしては音係以外での唯一長い関係といえるそうです。 サニー・ボーイ・ウィリアムソンII は毒殺こそはされませんでしたが、血ヘドを吐くまでハーモニカを吹き、歌い続けて、とうとう心臓麻痺(又は老衰)で亡くなりました。 死因として酒の飲みすぎは大いに疑われます。 1948年にサニー・ボーイ・ウィリアムソンII のブルース番組King Biscuit Timeにゲストで出演した品行方正なBBキングは今現在でも元気で大活躍しているのに。


そのサニー・ボーイ・ウィリアムソンII ゆかりの地ヘレナで今も放送されている歴史的な番組The King Biscuit Timeのラジオ局King Biscuit Flower Hour(KZMT-FM)のサイトにはサニー・ボーイ・ウィリアムソンII 他ブルース・ハープ奏者達の情報が満載で、音声クリップも聴けます。
ヘレナではブルース博物館があり、毎秋ラジオKing Biscuit Blues Festival(キング・ビスケット・ブルース・フェスティバル)が開催され40年代当時のブルースを再現します。 キング・ビスケット・タイムの参考はKing Biscuit - Livinblues.com(英文)
Chris Thomas King(クリス・トーマス・キング)が出演し、他のオールドカントリー&ブルースの歌も使用されたCoen(コーエン)兄弟の2000年の映画「O Brother, Where Art Thou?(オー・ブラザー!)」で鎖をつけたまま逃亡した囚人たちが隠れた農家のラジオから流れてきたのは"ビスケット・アワー"だったかも。


せくすぃー・ブルースマン!
本当に彼の曲は全部イイですねぇ♪ 彼の人生そのものを歌ったユーモラスで、かつ皮肉たっぷりな・・・ある意味でダーティなブルースの数々、情熱的だがシンプルなハーモニカ演奏、これらの素晴らしい曲作りの完璧さ、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII は私の好きなブルースマンの一人です。 女性黒人歌手のアーサー・キット同様、ビブラートの効いたサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の独特な声は大変セクシーです。 写真やビデオでサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の顔を観た後でも、ウン、やっぱり、セクシーです。

多くのヒット曲のなかでも"Help Me"は評価が高く、10年も経った1962年のBooker T. Jones(ブッカー・T・ジョーンズ)のヒット曲"Green Onions"のベースに影響を与えていますね。 ともかく!彼のハーモニカを吹き、間髪を入れずヴォーカルに入り又吹くことを繰り返す曲芸のような奏法には感嘆するばかりです。 リズムを取るため、又はビートを強調するための独創的な息づかい、雌鳥がコッコッと鳴くようなChugging奏法が実にユニークです。
☆Sonny Boy Williamson [2]のHelp Meなどの歌詞はLyrics - harptab.com(このサイトに元祖Sonny Boy Williamson Iの歌詞もあり)

videoハーモニカと歌を交互に操るサニー・ボーイ・ウィリアムソンII を観るともう感激で泣けそう!
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のビデオが観られるデンマークの個人サイトはSonny Boy Williamson - The JazzPage(Single Videosをクリック、10番目のSonny Boy Williamson 1963をクリックすると"Goin' Back Home"のビデオが観られます。 ヨーロッパツアー・デンマーク訪問の時のスタジオ・コンサートだそうです。) 画面は小さいですが、どう?観られました? セクシーでしょう? セクシーとちゃう? 下記のリンクではちっちゃなハモニカをまるでビッグバンドなみに演奏するサニー・ボーイ・ウィリアムソンに合わせてマディ・ウォーターズが曰く付きの" Got My Mojo Working"を歌っていますがベースはサニー・ボーイ・ウィリアムソンの"Bring It On Home"やマディ・ウォーターズの"Hoochie Coochie Man"などを書いたマルチタレントのブルースマンとして名高いWillie Dixon(ウィリー・ディクソン)です。
Sonny Boy Williamson & Muddy Waters - Got My Mojo Working - YouTube
Sonny Boy Williamson II - YouTube

もっと大きな画面のReelin' In The Years Video Clips(上段の左から4番目がサニー・ボーイ・ウィリアムソンII のBye Bye Bird 、一番左がブルース・ギタリストBuddy Guyで、その下がMuddy Waters、Howlin' Wolfは4段目の一番左、そして最下段左がマッディ・ウォーターズとサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の掛け合いでMojo workin')


☆ページトップのCD画像はサニー・ボーイ・ウィリアムソンのアルバム「Keep It to Ourselves」2001年盤です。
より人気のある1990年盤はKeep It to Ourselvesですが試聴がないので2001年盤の方で聴いて下さい。

サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のアルバム
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のベスト3!
The Essential Sonny Boy WilliamsonEssential Sonny Boy Williamson

Listenサニー・ボーイ・ウィリアムソンII やBBキングが聴けるブルースラジオMIDNIGHT FLYER のプレイリストのMIDNIGHT FLYER Archive(メニューのAudio Archivesをクリック)
サニー・ボーイ 2はMIDNIGHT FLYER #219やMIDNIGHT FLYER #109など殆どのリストに入っています。
☆Midnight Flyerの詳細はHot'n Cool内のブルースのラジオ Midnight Flyer

オリジナルは初期のトランペット・レコード時代1951年録音の人気アルバムです。 若いですね。
King Biscuit TimeKing Biscuit Time
試聴は5番のEyesight to the Blindが初ヒット曲、次が7番のI Cross My Heart、14番のMr. Downchildと15番のPontiac Blues、17番はブルース・ラジオでのライブ録音、最期の18番のロバート・ジョンソンの曲Dust My Broomだけは1965年の録音でElmore Jamesと演奏。

"Bye Bye Bird"、"Help Me"、"Bring It On Home"など有名なチェス・レコード時代の1950年代初期~最期の1965年録音までを収録していて、Muddy Watersもフィーチャー・バンドとして参加しています。
His BestHis Best
Sonny Boy Williamson - Don't Start Me to Talkin' - Grooveshark.com


The Chess Story
The Chess Storyシリーズはアーティスト色々でいくつもリリースされていますが英国輸入盤でセットなので高価です。
The Chess StoryThe Chess Story 1957(5枚組みCD)!
「The Chess Story 1965 (5枚組みCD)」や「The Chess Story 1947」もありますが、「The Chess Story: 1947-1975」の15枚組みに至っては3万円以上もします!

Down & Out Blues
オリジナルのリリースがサニー・ボーイ・ウィリアムソンが60歳の1959年という12曲入りのファースト・アルバムにはギターがMuddy WatersとRobert Jr. Lockwood、ピアノにOtis Spannが参加しています。 1955~58年の録音を集めたアルバムなのでRice MillerとSonny Boy Williamson [II] の名で吹き込んでいるDown and Out Bluesは全曲試聴出来ます。 試聴が出来る国内盤は「ダウン・アンド・アウト・ブルース+7」(ASIN: B00005MMKB)
♪ Sonny Boy Williamson ft Hubert Sumlin on guitar (1964) - I'm Trying to Make London My Home

なんとサニー・ボーイ・ウィリアムソンが1963年にThe Animals(アニマルス)と共演したLPレコード「Animals & Sonny Boy Williamson」の"Newcastle On Tyne, December 1963"がリリースされていたそうです。 現在ヴィンテージ価格となり入手困難になったCDはThe Animals with Sonny Boy Williamson

ListenJimmy Witherspoon( ジミー・ウィザースプーン)も歌っているSonny Boy Williamsonの"Help Me"をリトル・ウォルターと並ぶ後のハーモニカ奏者Junior Wells(ジュニア・ウェルズ)がオルガンのJohnny "Fingers" Iguana(ジョニー・イグアナ)との1997年ライブ演奏もエネルギッシュで迫力があります。 Buddy Guy's Legendはシカゴを代表するブルースマン「バディ・ガイ」がオーナーのブルース・クラブだそうです。(Buddy Guy Legend'sで検索)
ジュニア・ウェルズの写真が見られるBob Koester remembers Junior Wells

ブルースのサイトLivingBlues.comの現在のトップページの画像はSonny Boy Corn Mealのサニー・ボーイ・ウィリアムソンII なんですよ! そしてサニー・ボーイ・ウィリアムソンII について書かれているページ(サイトの一番下にあるMP3タイトルをクリック、ファイルは大きいのでダウンロードに時間がかかり、ブラウザがFirefoxでは聴けるがGoogle Chromeでは聴けない。)
☆LivingBlues.comについてはHot'n Cool内のブルースが聴けるジュークボックス LivingBlues.com


1962~1966年にドイツで行われたブルース・フェスティバルのモノクロ映像でリージョン・フ!リーのDVDです。
American Folk Blues FestivalAmerican Folk Blues Festival 1962-1966 Vol.1
オーティス・ラッシュが"I Can't Quit You Baby"を演奏、サニー・ボーイ・ウィリアムソンが"Nine Below Zero"をブルースハープで演奏する他マディ・ウォーターズのGot My Mojo Workingにも参加、ボーナストラックには珍しいアール・フッカーの1969年のライヴ映像「Walking the Floor Over You/Off the Hook」が収録されている他ブルースマンやBig Mama Thornton(ビッグ・ママ・ソーントン)などの女性ブルース歌手も多数出演しています。
Vol.2とVol.3もあります。
※ブルースの曲名の他にバンド名でも使用されている"Nine Below Zero"とは気温のことで氷点下9度を意味するようですが何か特別なスラングでもあるのでしょうか。


デルタからシカゴへ、ブルースの移り変わり

英文ですがサニー・ボーイ・ウィリアムソンとブルースハープについてはAleck Ford "Rice" Miller (1899-1965) - bluesharp.ca

ハーモニカ奏法について知りたくなった方はハーモニカ通り ハーモニカを吹いてみよう
私も昔、宮田のハーモニカを買いました。 サニー・ボーイ・ウィリアムソンじゃなくて、南部の人種差別をテーマにした「墓にツバをかけろ」という1959年の映画のテーマ曲に影響されたのです。
私はこの教本を持っていないけれど、もしブルースハープを始めたくなったらCD付き はじめよう! ブルースハープ 定番フレーズでマスターするブルースハープ入門講座でも買ってみるかも。(本当に吹けるようになるのか。。。)


Nouvelle Vague: Louis Malle's Ascenseur pour l'echafaud
Elevator to the Gallows (VHS) Ascenseur pour l'echafaud (DVD)
Elevator to the Gallows VHS Ascenseur pour l'echafaud DVD
J'taime ... J'taime ... J'taime ...
Jeanne Moreau as Florence Carala in Ascenseur pour l'échafaud

死刑台のエレベーター(1957年)
「死刑台のエレベーター」の撮影当時は若干25歳だったフランスの新進監督のルイ・マルの長編劇映画の監督デビュー作品であり、代表作品でもあるサスペンス映画です。 映画で使用された主人公所有の最新型オープンカーだとか、日めくり時計や小型カメラなどのハイテクな小道具が羨望の的となりました。

原作は新人推理作家(1925年~1962年)のNoel Calef(Noe"l Calef/ノエル・カレフ)の推理小説Ascenseur pour l'échafaudです。 30代にして亡くなった当時の新進作家、ハンサムなRoger Nimier(ロジェ・ニミエ)とルイ・マル監督とが共同で脚色しました。 大人の情事とパリの無軌道な若者とが引き起こした二つの殺人事件が同時進行する新しいタイプのスリラー映画で、Nouvelle Vague(ヌーヴェル・ヴァーグ)の先駆けとかFilm noir(フィルム・ノワール)とかいわれます。 ちなみに1950年代のヌーヴェル・ヴァーグの旗手と呼ばれるジャン・リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」が1959年の作品でした。 そして当時のフランスでのアメリカ映画への傾倒を表すように、1946年のハリウッドのフィルム・ノワール「郵便配達は二度ベルを鳴らす」や、電話で愛人に夫の殺害を唆したり、殺人の後にドアが開かないなどはMarilyn Monroe (マリリン・モンロー)主演の「Niagara(ナイアガラ)」に多大なる影響を受けてるいるようです。
※Film noir(フィルム・ノワール)とはフランス語で"黒い映画"という意味ですが、1940年代後期から1950年代のハリウッド映画の中でも犯罪ものを指します。 1930年代のアメリカの恐慌時代に始まった道徳的には如何わしくてセクシーな刺激を強調したハードボイルド映画に端を発しているそうです。


Generique
J'taime ... J'taime ... J'taime ... カララ夫人、夜のパリの街を探索
冒頭のシーンは、電話で恋人のジュリアンに犯行の決行を促すフロレンスのアップで始まります。 まるで夕立の雷鳴が不安を暗示するかのよう、パリのカフェからシャッターの下りた会社へそしてジュリアンの行き付けのバーと、ジュリアンの失敗を知るよしもなく約束の時間に現れない彼の姿を求め不安に駆られたカララ夫人が夜の都会を歩き廻リます。 ハイヒールを履いたカララ夫人の歩き方はなにげに1953年の「ナイアガラ」でのモンロー・ウオークを思い起こします。 マイルス・デイビスのミュート・トランペットがカララ夫人の不安と焦燥感を煽りたてるように流れ、白黒の画面がより効果的な光と影を映し出す美しい夜のパリの街。 美しいフロレンスがハイヒールでジュリアンを求めて歩き廻る夜のパリ。 Nuit Florence Sur Les Champs-Elysees
Roger Vadim(ロジェ・ヴァディム)監督の「危険な関係」やMichelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)監督の「夜」などの多数の名作で知られるファムファタルの代名詞、Jeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)が美貌の人妻Florence(フロランス・カララ社長夫人)を演じます。 男だったらこんな魅力的な女性のためならどんな馬鹿げたことでもやってのけるでしょう。
日本では1960年の「Plein Soleil(太陽がいっぱい)」で有名になったMaurice Ronet(モーリス・ロネ)が土地開発会社(武器デーラー?)に勤める技師Julien(ジュリアン)を演じます。 勤め先の社長婦人と恋仲になり、二人で社長殺害を計画し危険な方法で実行に移します。 自殺に見せかけて社長を撃った後、ジュリアンは見た。 窓の外に不吉を象徴する黒猫を。
ジュリアンが元パラシュート降下部隊上がりという設定で、ロープがキーとなるビルのベランダづたいに忍び込んで自殺に見せかける殺人やエレベーターのロープ脱出を遂行します。 なぜ浮気の為に夫を殺害するのか分からないという方がおられますが、自殺に見せかけて莫大な財産を手に入れ、二人で豪華な生活を楽しむつもりだったのでしょう。 つまり、動機は「欲望(愛欲と札束)」ですね。(貧乏だと二人の愛の巣は営めません)
その他、ギャング映画の大御所Lino Ventura(リノ・ヴァンチュラ)が刑事に扮するほか、Yori Bertinがジュリアンの勤務するビルの花屋の女店員であるヴェロニクを演じ、そのボーイフレンドは「禁じられた遊び」のミシェル少年を演じたGeorges Poujouly(ジョルジュ・プージュリー)、そして1958年にBonjour Tristesse(悲しみよこんにちは)にDenise役で出演するドイツ女優のElga Andersen(エルガ・アンデルセン)が若者に殺されたモーテルのドイツ人旅行者の婦人(Madame Bencker)役で出演しています。 1971年のLe Mans(栄光のル・マン)でのSteve McQueen( スティーヴ・マックィーン)の恋人役が印象的だったエルガ・アンデルセンは60年代にドキュメンタリーも制作したアメリカの富豪と結婚しましたが1994年に95歳で亡くなりました。 Gary Cooper(ゲイリー・クーパー)にも気に入られたというほどセクシーだったエルガ・アンデルセンの写真が見られるElga Andersen Photos - FILM.TV.IT
そして当時売れっ子のJean-Claude Brialy(ジャン・クロード・ブリアリ)がモーテルでチェスをしている客としてカメオ出演しています。(後ろ姿はルイマル監督) ジャン・クロード・ブリアリがモーテル殺人事件での刑事の取調べにも応じる場面もあります。 ジャン・クロード・ブリアリは1959年のLes Cousins (いとこ同志)が有名で、実に多くのフランス映画に顔を出していますが重要な脇役が多く、日本で公開されたかろうじて主演級映画というと1962年のLa Chambre Ardente(火刑の部屋)やMonica Vitti(モニカ・ヴィッティ)と共演した1963年のChâteau En Suède(スエーデンの城)くらいでしょうか。


Julien is trapped in the elevator, while Florence waits for him on a café terrace.
Julien dans L'echafaud
Maurice Ronet as Julien in Ascenseur pour L'echafaud

ジュリアン、ドジを踏む Julien Dans l'Ascenseur
『あ〜、やっと終わった・・・フォ〜!』と犯行のあった部屋の窓を見上げるジュリアン。
そして窓からぶら下がっているロープを見つけ愕然とするジュリアン! (なぜまだ明るい土曜日の退社時間に犯行に及んだのか疑問ですが、カララ社長の帰宅前を狙ったからか)
カララ婦人の夫である社長を殺害した後の歯がゆいほどのうっかりミス、それに伴うジュリアンのエレベータからの脱出劇。 所持していたハイカラなガスライターの明かりを頼りに手持ちの折りたたみナイフでエレベーターのネジを一本づつ外す気が遠くなるような作業。 その後のロープを伝った危険な脱出。
Maurice Ronet as Julien in Ascenseur pour L'echafaud - YouTube
これとは違って超人的なエレベーター脱出シーンがダイ・ハード1でありました。
冒頭のカララ婦人の憔悴してジュリアンを探し廻るシーンと、この緊迫したエレベータ脱出との二つのシーンにより、観客はこの主人公の二人に充分に魅せられてしまいます。 感情移入しきった観客は、この恋人達の完全犯罪の成就を期待し、犯罪者に加担・・・つまり共犯者と成り下がります。 よってこの二つの殺人事件を絡ませた映画のなかで、一つの大人の情事を遂行するための殺人には肩入れし、もう一つのパリの無軌道な若者の突発的な殺人には怒りを覚えるのです。 「なんてことをするんだ! ジュリアンとフロレンスに警察の疑いが向けられてしまうではないか!」と。 なんてこった!

証拠隠滅を忘れるという重大な過失を思い出し、慌ててキーを挿したままの車を残してビルに戻るジュリアン。 エレベーターに閉じ込められてしまい悪戦苦闘を強いられている間に、お洒落な彼のConvertible(オープンカー)を見つけて乗り回すパリのチンピラ・カップル。 この若者達は挙句の果てにはモーテルで殺人を犯してしまう。 おまけにカフェにいたカララ婦人が運転席を確認出来ないまま助手席の花屋のヴェロニクだけを目撃したから大変!話がややこしくなってしまう。 ギロチンの刃を首先3寸で逃れ、翌朝やっとエレベーターから脱出したものの、この若者達のせいで別のドイツ人夫婦殺人容疑で警察に追われる身となるジュリアン。 しかし、こっちのアリバイを立証すれば社長殺しが露見してしまう。 さあ、どうすればいいのか。

若気の至りとはいえ犯してしまった殺人に恐れを覚え、戸棚にあった催眠薬のPhenobarbitone(フェノバルビトン)で自殺を試みるも未遂に終わった花屋のヴェロニクと男友達のルイのもとに事情を飲み込んだカララ夫人が訪れる。 「生きててもらわわないと困るのよ!」
ベロニクが思い出した写真屋の受け取り。 ジュリアンの車にあったカメラで花屋の娘と二人で記念写真を撮ってそのフィルムをモーテルの写真屋に預けたんだった! 「あれをなんとかしないと殺人の証拠になってしまう・・・」とモーテルに駆けつけるルイ。 ジュリアンの濡れ衣を晴らそうとその後を追うカララ婦人。 写真屋に張り込んでいる刑事。 現像された写真にはドイツ人旅行者夫婦と若者が写っている。 ジュリアンの濡れ衣は晴れた!

映画の全編通してハードボイルドだったカララ婦人とジュリアンの二人がラストシーンでやっと幸せそうな笑顔をみせます。 刑事やカララ婦人が見守るなか、モーテルの暗室の現像液の中から二人のツーショットがジワジワと浮かび上がるのです。 その写真を驚愕の思いで、そしてある意味で恍惚感とで、指先でジュリアンとの写真に触れるカララ婦人。 ジュリアン、やっと逢えたのね。 オープニングと同じくカララ婦人のアップ。 Oh lala...やり場のない虚脱感! Oh mon dieu ! 一段とむせび泣くマイルスのトランペット・・・ FIN ・・・鳥肌もののエンディング。
Chez le Photographe du Motel

video「死刑台のエレベーター」のトレーラーが観られるELEVATOR TO THE GALLOWS Trailer - RialtO picture(ページ中ほど右のトレーラーはHi Res(large)でご覧下さい。)

死刑台のエレベーターはフランス語の原題が「Ascenseur pour L'echafaud」で、英語のタイトルは「Elevator To The Gallows」又は「Lift to the Scaffold」で共に「絞首台への昇降機」となります。 Gallowsとは首吊り用の木枠のことですが、絞首刑の時の床が丁度エレベーターのように四角く抜けるものもあるようです。 しかし日本語の「死刑台のエレベーター」をGoogleのウエブ翻訳にかけると「Elevator of capital punishment stand」となりました。(ギャッ!)
Elevator to the Gallows Trailer - YouTube

死刑台のエレベーターのポスターが見られるAscenseur pour L'echafaud Posters - atthemovies.co.uk
写真がいっぱいの「死刑台のエレベーター」の参考はAscenseur pour L'echafaud Photos - nef-louismalle.comAscenseur pour L'echafaud - frenchfilms.topcities.com
「死刑台のエレベーター」の写真が見られるイタリアのAscensore per il patibolo Photos - FILM.TV.IT
ジャンヌ・モローとモーリス・ロネのツーショット写真が見られるJeanne Moreau and Maurice Ronet Photos - allocine.frJeanne Moreau and Maurice Ronet Photos - 20six.fr

ギャング役で有名なリノ・ヴァンチュラ情報満載のLino Ventura Photos - linoventura.deで右のリノ・ヴァンチュラ画像をクリックすると年代別出演映画リストがあり、各記事では貴重な映画の画像も観られます。 但しドイツ語なので読めません。

メルセデスベンツ300SL
無軌道なパリの若者カップルがジュリアンの車の次に目を付けたのはドイツ人の旅行者夫婦が乗っていたMercedes Benz 300 SL(メルセデスベンツの300SL 1954年-1957年)は伝説のスポーツカーと呼ばれる300SLのボディにGP用にチューンナップされたW196エンジン搭載の2シータバージョン、1950年代半ばにはグランプリシーンを席巻した車種でドアが左右に上に上げるGull-wing doors(ベンツ・ガルウィング式ドア)です。 特大写真が見られる1954-1957 Mercedes-Benz 300SL Gullwing Coupe Photos

Le Feu Follet
「死刑台のエレベーター」の6年後、ルイ・マルが監督してジャンヌ・モローとモーリス・ロネが共演した映画では、フランスのヴィシー政権下にファシスト作家であったPierre Eugène Drieu La Rochelle (ピエール・ドリュー・ラ・ロシェル)が1931年に書いた短篇小説のLe Feu Follet(ゆらめく炎)を映画化した1963年のLe Feu Follet(鬼火)があります。 モーリス・ロネは自ら人生に終止符を打つアルコール依存症のアランを演じ、ジャンヌ・モローは麻薬耽溺のエヴァの役です。 ヌーベルバーグ映画ではあっても少なくともロマンス映画ではありません。 英語のタイトルは"The Fire Within"というそうで、美しくも物悲しく愁いを帯びたピアノの旋律はErik Satie(エリック・サティ)が1888年に作曲した3曲のうちの"Gymnopédies 1(Gnossiennes No 1、ジムノペディ)"です。
モーリス・ロネが放蕩息子を演じた「太陽がいっぱい」のトレーラーはPlein Soleil - Comme Au Cinéma
Le Feu Follet (dinner scene)- YouTube
Le Feu Follet (at the cafe)- YouTube
Le Feu Follet - YouTube

☆作品での音楽が印象的なルイ・マルですがモダンジャズを使った映画はこの処女作「死刑台のエレベーター」の他は、1971年の「Le Souffle Au Coeur(Murmur of Heart/好奇心)」でCharlie Parker(チャーリー・パーカー)、シドニー・ベシェディジー・ガレスピーなどのジャズメンを起用しました。 詳細はアルバムの「Music in the Movies of Louis Malle」(ASIN: B000027OH5)

死刑台のエレベーターのサウンドトラック
Miles Davis - Ascenseur pour L'echafaud
「死刑台のエレベーター」といえばMiles Davis(マイルス・デイヴィス)のトランペット!
アメリカの音楽「ジャズ」を最初に映画に使ったのはなんと!フランスです。 「死刑台のエレベーター」より先に封切られた1956年のロジェ・バデム監督の「Sait-on jamais(大運河)」でもMJQ(the Modern Jazz Quartet)のモダンジャズが使われましたが、そちらは単にアメリカの音源テープを編集したに過ぎませんでしたし、日本での封切りも「死刑台のエレベーター」の方が一足早かったのです。
マイルス・デイヴィスの写真はMiles Davis Photos - Castalie
MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の写真はMJQ Portraits In Jazz
「大運河」の写真が見られるModern Jazz Quartet Photos - Chess in the cinema
パリのスタジオで真夜中にラッシュ・プリントを見ながらアドリブを加えたという伝説的な演奏、この画期的な方法もまさに音楽のヌーヴェルヴァーグ! とても即興とはは思えないような全編を通した十曲の素晴らしいモダーン・ジャズ・・・「メイン・タイトル」、「エレベーターの中のジュリアン」、「夜警の巡回」そして「モテルの写真屋」などの曲がストーリーに沿ってシーンを盛り上げます。
1956年に今までのクインテット(五重奏団)を解散しフランス公演中だったマイルス・デイヴィスは、この映画のためにテナーサックス奏者のBarney Wilen(バルネ・ウイラン)率いるオクテット(八重奏団)から4名を選んで自分のクインテットを編成しパリのスタジオで録音しました。
メンバーはトランペットのマイルス・デイヴィス、テナーサックスのバルネウイラン、ドラムのKenny Clarke(ケニー・クラークは元オリジナルMJQ)、ピアノのRene Urtreger(ルネ・ウルトルジェ)、ベースのPierre Michelot(ピエール・ミシュロ)
バルネ・ウイランのレコードや写真が見られるBarney Wilen story

Ascenseur pour L'echafaud Soundtrack
EPIC NS-6
Ascenseur pour L'echafaud Soundtrack左の画像は私が当時購入した45回転EPシングル盤のEPIC NS-6「死刑台のエレベーター」のサントラです。 パリでのビバップ時代のマイルスが一番好きな私が所有する2枚の「死刑台のエレベーター」のサントラはMiles Davis et son Quintete(マイルス・デヴィス五重奏団)の演奏ですが、二つとも絶盤です。(クリックで画像拡大可)
EPIC NS-6 「死刑台のエレベーター」
A面 Generique(ジェネリーク、テーマ、又は絶望のブルース)
B面 Florence Sur Les Champs-Elysees(シャンゼリゼ・ブルース)
※ "Generique(ジェネリーク)"とは映画の冒頭にクレジットが流れる場面でのBGMを指しますがたいていの場合はその映画のテーマ曲となっているようです。(日本語で知られているジェネリック医薬品だと特許が切れた医薬品を他の製薬会社が製造或は供給する後発医薬品だとか。)

Ascenseur pour L'echafaud Soundtrack
Fontana 45pm STEREO SFON-3008
Ascenseur pour L'echafaud OST左の画像も私が当時購入したステレオ盤の45回転EPシングル盤のシネ・ジャズ・スーブニール -1- 「死刑台のエレベーター」のサウンド・トラック盤です。 画像は若いカップルのルイ役のGeorges Poujoulyとヴェロニカ役のYori Bertinです。
(クリックで画像拡大可)
「死刑台のエレベーター」 〜シネ・ジャズ・スーブニール(1)のA面はGenerique(ジェネリーク、テーマ、又は絶望のブルース)、L'assassinnat de Carala(カララの殺人)、Sur L'autoroute(ドライブウェイのスリル)
B面 Diner Au Motel(モーテルのディナー)これはトランペット、ベースとドラムのトリオ演奏、Chez le Photographe du Motel(モーテルの写真屋) ジャズ評論家の油井正一氏が解説すしています。
※上記どうように国内盤で当時はサントラの全10曲を収録した「Ascenseur pour L'echafaud」の25センチ(10インチ)LPのEPIC NLP-3101もリリースされています。


マイルス・デヴィスの曲を聴くとあの場面が甦るサウンドトラック
Miles Davis-Ascenseur Pour L脱chafaudAscenseur Pour L'Echafaud (Lift To The Scaffold): Original Soundtrack
国内盤は2008年リリース盤で2800円ですが「死刑台のエレベーター」のタイトル名で販売されています。
限定盤だった2005年にリリースされた「死刑台のエレベーター」[完全版]での曲目リスト全10曲
Generique(ジェネリーク、又はテーマ)
L'assassinnat de Carala(カララの殺人)
Sur L'autoroute(ドライヴウェイのスリル)
Julien Dans l'Ascenseur(エレベーターの中のジュリアン) ベースがドキドキ感を煽る曲
Florence Sur Les Champs-Elysees(シャンゼリゼを歩むフロランス)
Diner au Motel(モーテルのディナー)
Evasion de Julien(ジュリアンの脱出)
Visite du Vigile(夜警の見回り)
Bar du Petit Bac(プティバックの酒場にて)
Chez le Photographe du Motel(モーテルの写真屋)


画像は1999年発売の「死刑台のエレベーター」のDVDですが、現在は入手困難になっているのでリンクは2009年発売のHDニューマスター版になっています。
Ascenseur pour L'echafaud DVD死刑台のエレベーター【HDニューマスター版】
ページトップの画像は1998年にリリースされた「Elevator to the Gallows」の輸入版VHS(英語字幕版)で、右は2006年発売「死刑台のエレベーター」字幕版のDVDです。(ジャンヌ・モローがカバー画像のDVDは既にヴィンテージ価格ですが欲しい!)

☆Audio-Visual Trivia 内の記事で死刑台のエレベーターのサウンドトラックのトランペット演奏者のマイルス・デイヴィス


ジャンヌ・モローが歌うシャンソン
Jeanne Moreau chante très belles chansons
2007年のアヴィニョン演劇祭でSamy Frey(サミー・フレイ)とドイツの戯曲化であるHeiner Müller(ハイナー・ミュラー)の1981年の二人芝居「Quartett(カルテット)」で公爵夫人のパートを朗読したJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)ですが、 1962年のFrancois Truffaut(フランソワ・トリュフォー)監督の映画「Jules et Jim(突然炎のごとく)」の中でジャンヌ・モローがギターを弾きながらがBoris Bassiak(ボリス・バシアク)作詞作曲のLe Tourbillon(つむじ風)などのシャンソンを歌っています。

Jeanne Moreau CDJeanne Moreau CD
試聴はJeanne Moreau CD - Amazon.com

ジャンヌ・モローの24曲入りアルバム「Le tourbillon」(ASIN: B0000084EB)からLes VoyagesやJuste un Fil de Soieなど12曲を収録した1999年リリースの輸入盤です。
Jeanne Chante JeanneJeanne Chante Jeanne
試聴はJeanne Chante Jeanne - Amazon.com


Audio-Visual Trivia内の音楽に特徴があるルイ・マル監督映画
ズビグニエフ・プレイスネルの音楽でダメージ
ジャンゴ・ラインハルトのギターでルシアンの青春

Audio-Visual Trivia内のジャンヌ.モロー関連記
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の(1961年)
ロジェ・バデム監督の危険な関係(1960年)
Francois Truffaut(フランソワ・トリュフォー)




Candle Kim Novak in Bell, Book and Candle  Candle
Kim Novak as Gillian in Bell, Book and Candle
媚薬(1958年)


英国出身の劇作家John William Van Druten(ジョン・ヴァン・ドルーテン)が舞台監督を勤めた軽妙なブロードウエイ喜劇「Bell, Book and Candle」のために書いた3幕のコメディの脚本がこの映画「媚薬」の原作です。 Rex Harrison(レックス・ハリソン)とLilli Palmer(リリー・パルマー)夫妻が主役を演じて1950年~1951年に上演されました。 ジョン・ヴァン・ドルーテンの初版は1933年にロンドンでしたが、1944年にアメリカに渡って、1950年に「媚薬」を書いています。 ジョン・ヴァン・ドルーテンの作品には他には、The Voice of the Turtle (1943年著)、 1943年に映画化された旧友(Old Acquaintance)(1940年著)、1948年に映画化されたママの想い出(I Remember Mama )(1944年著)などがあります。 ドルーテンの写真が見られるJohn William Van Druten Information
このジョン・ヴァン・ドルーテンのコメディを当時Kim Novak(キム・ノヴァク)と内密の関係に有ったRichard Quine(リチャード・クワイン)監督が映画化したものです。 キムノヴァクと「めまい」で共演したJames Stewart(ジェームズ・スチュワート)はリチャード・クワイン監督の作品に出演するのは気が進まなかったそうですが、そこはクワイン監督の恋人のキム・ノヴァクが説得しました。
☆リチャード・クワイン監督の若かりし頃の写真はYoung Richard Quine - ClassicMovieKids.comと最盛期はPrime Richard Quine - CineStills.com

「媚薬」はハリウッド映画として最もお洒落なロマンティックコメディのひとつだといわれています。 1950年代のクリスマス・シーズンのニューヨークを舞台に、豪華でロマンティックな恋のてくだが繰り広げられ、プラチナ・ブロンドが美しい神秘的なキム・ノヴァクとニューヨークの風景に魅せられる大人のファンタジーです。 キム・ノヴァクが演じる魔女が恋をするお相手はなんとジェームズ・スチュワートが演じる人間だったから大変なことになります。 特筆すべきはJames Wong Howe(ジェームズ・ウォン・ハウ)の撮影技術によるニューヨークの街の素晴らしい雰囲気のある描写です。

生真面目な出版業者のシェパード氏をジェームズ・スチュワート(ジミー・スチュワート)が演じます。 人間界のクリスマスに憧れる、キャピキャピの現代魔女のGillian(ジリアン又はギリアン)を演じるキム・ノバクは普段からも殆ど表情に変化が無くスローモーで声が低いから魔女にはピッタリ! おまけにこんなコミカルなジェームズ・スチュワートも珍しいです。 インテリ女優のJanice Rule(ジャニス・ルール)が編集者「シェパード氏」の婚約者Merle(マール)を演じます。 マールがシェパード氏と一緒に行ったナイトクラブZodiac(ゾディアック=12宮星占)でジリアンと鉢合わせして分かったことには、なんと二人は大学時代の憎きライバル同士だったのです。
1955年にPicnic(ピクニック)でキム・ノヴァクが演じたMadge(マッジ)はジャニス・ルールの1953年のブロードウェイのコメディ"Picnick"でのMadge Owensがモデルだそうです。 ジャニス・ルールは次作の「地下街の住人」(1960年)にビート族のダンサー役で出演しますがキム・ノヴァクに似たメイクで登場します。 1970年代にハリウッド映画に対抗して生まれたアメリカのニューシネマでは、Dennis Hopper(デニス・ホッパー)、Martin Scorsese(マーティン・スコセッシ)、Francis Ford Coppola(フランシス・フォード・コッポラ)、Peter Bogdanovich(ピーター・ボグダノヴィッチ)などと共に評判が高いFrank Perry(フランク・ペリー)が監督した1968年のThe Swimmer(泳ぐひと)でも主人公の元カノを好演していますが、1977年のRobert Altman(ロバート・アルトマン)監督の3 Women(三人の女)に出演した頃から精神分析医に転向しましたが脳出血で2003年に亡くなりました。

場所はニューヨークのGreenwich(グリニッチ)、当時はビート族の発祥地とされビートニクが地下のクラブなどを溜まり場にしていました。 そして同じくニューヨークに住む魔界の連中もしかり、それがナイトクラブ「ゾディアック」!
ジリアンの美術骨董店(アフリカン・ブードゥー魔術用品)のある建物の2階に入居してきた新参者のシェパード氏は、至極穏やかな生活を送っていました。 そう、キム・ノヴァクが演じる階下の魔術品店の女主人のジリアンに出逢うまでは。 その事件は電話の故障が取り持つ「縁」、それも別の階に住むジルの叔母さまQueenieのしわざで。 その魅力的なジルは、なんと!グリニッチのビートニクな魔女だったのです。 ジルは人間界に住むために叔母さまや弟にも魔法を禁じています。 シェパード氏は怪しげなシャム猫を飼っている"裸足"のジルにビックリ仰天!、戸惑ってなにかとジルを避けようとしますが、シェパード氏とかってのライバルのマールが結婚だなんて聞いてしまってはジルは我慢できません。 闘争心ムラムラ! 女の魅力全開! 最初は悪戯心からだったチョッカイなのに、ジルはシェパード氏に本当に惚れしてしまいます。  絶対魔法を使わないって決心していたジルですが、廻りの人々に魔法をかけてなんとかこの堅物の出版屋の気持ちを自分の方に向けようとします。 ペットのシャム猫の魔力も借りて。 ジルは惚れさせる魔法が得意なのですが、実はその魔法は一方的であって、ジルのほうが惚れてはいけないのです。 魔女は惚れるとその魔力を失ってしまうのです。 それに魔女は涙は出ないんですって! 魔女にとって泣くことは死ぬことなのです。

Kim Novak and Pyewacketシェパード氏が婚約したことを聞いたジルは必死の思いでシェパード氏の結婚式の前夜に禁断の魔法をかけてしまいます。 これでやっとシェパード氏はジルのもの! ジルは念願の人間界のクリスマス休暇の2週間をジルの魔法にかかって婚約を解消してしまったシェパード氏と幸せに過ごすことになります。
そんなこんなの間に、ジルの弟"ニッキ"がひと儲けをたくらみ「魔女の暴露本」の出版をシェパード氏に持ちかけたErnie Kovacs(アーニー・コヴァックス)が演じるアカプルコのアルコール依存症の魔女研究家と関わってしまいます。 その本が出版されればジルが魔女だってことがばれてしまう! 魔法でトリコにしたことに気が咎めていたジルはシェパード氏に事実を告白してしまうのです。 驚いたシェパード氏は急いで霊媒を呼び寄せて魔法を解いてもらいます。 あ----あ!
ところが、あ! 傷心のジルの目に真珠のような涙が・・・ってことは? それには魔女の叔母さまがやっとのことで間に合いました! でも、残念ながらジルのあの魔女的なキャピキャピ魅力は既に失っていました。 エキゾチックなブードゥー骨董品は忽然として消え去り、後には海辺のお土産屋にあるような野暮ったい貝殻細工が残されて。 そしてジルはといえば、オーソドックスな服装に身を包み・・・あれぇ!ハイヒールを履いていますよ! はっぴいえんど この終わり方は殿方好みですが、女性には納得できません。 平凡なシェパード氏には平凡な奥様がお似合いでしょうが。 とんでる女より家庭的な女性像を求めるのは昔からの理想でしたが今では通用しませんよ。 ねえ?
☆写真が見られる「Bell, Book and Candle」の参考はBell, Book and Candle - MovieDiva.com(英語)
「媚薬」の写真集はイタリアのUna strega in paradiso - FILM.TV.ITKin Novak and Janice Rule in "Bell, Book and Candle"- Operagloves.com
videoトレーラーはBell, Book and Candle Trailer - Videodetective
Bell, Book and Candle Trailer - Turner Classic Movies(画像右のtrailerをクリック)

当時はビートニクが流行っていましたから、グリニッチといいアフリカ民芸品を扱う美術骨董屋といい、おまけに魔女までビート風なんです。
  映画の中で皆がたむろするナイトクラブの「ゾディアック」というのはニューヨーク中の魔界の連中の地下の巣窟です。 1954年の日本未公開の映画「Phffft!」で共演したJack Lemmon(ジャック・レモン)が演じるジルのチャメな弟Nickyもこのクラブの専属バンドでボンゴを演奏しています。 原始的な楽器のボンゴっていうのは当時はヒップだったのです。 1959年の唇によだれでもセルジュ・ゲンズブールがボンゴの響きの入ったテーマ曲を歌っています。  そういえば同じ頃のTVシリーズ「ドビーの青春」のメイナードもボンゴを叩きましたね。
それから、気が付きましたか? 1959年のEdouard Molinaro(エドゥアール・モリナロ)監督の「Des Femmes Disparaissent(殺られる)」で殺し屋を演じたPhilippe Clay(フィリップ・クレー)がクラブ"Zodiac"でビートニク・パフォーマンスを演じてましたね。 クラブでのジャズ・セッションや、喫茶店で詩の朗読に代表される50年代に始まったアメリカ 文学のカウンターカルチャーとなっていました。 が、日本人には殆ど理解不可能です。 いや、私にはと言うべきでしょう。 ビートニクの雰囲気だけは憧れましたが本質は分からないままです。
☆ビートニク・パフォーマンスの写真が見られるBEATNIK FLIX
グリニッチヴィレッジの写真はGreenwich Village

Prrrrr...Pyewacket
☆英語の原題「Bell, Book and Candle」は「ベルと本とローソク」という意味で、魔女が魔法を使うときの始めと終わりの儀式にベルと本とローソクを小道具として使うところからきています。 予告編でも冒頭のシーンで見られましたね。 映画のなかではコヴァックスが演じた怪しげな魔術評論家がブツブツつぶやいている呪文の言葉です。
※1960年のキム・ノバクの映画「逢うときはいつも他人」にも出演したコヴァックスですが、テレビ界ではアーニー・コバックスというと50年代のアメリカの顔的存在のコメディアンで、クリエイティブで因習打破主義的ユーモアリストとして有名ですね。

ジルのペットであるシャム猫の名はPyewacket(パイワケット又はピューワケット)といいます。 イングランドでは猫は魔女に仕える妖怪(使い魔)の一つとして知られています。 1966年にイギリス・エセックスの魔女狩り将軍(異端審問官)Matthew Hopkins(マシュー・ホプキンス)がそう言ったんだそうです。 そして、この映画の後、「パイワケット」は猫につける名として人気になりました。 マシュー・ホプキンスについて書かれた魔女狩り将軍

キム・ノバクが下界に下りてきた魔女を演じるこの映画「媚薬」は、その後60年代のTVシリーズ奥様は魔女の元となったといわれますが、1942年のRene Clair(ルネクレール)監督でVeronica Lake(ヴェロニカ・レイク)が魔女を演じた「I Married a Witch(奥様は魔女)」の方が先輩です。 魔女が人間と結婚しますが、こちらは明らかに箒に乗って遊ぶ子供達の図で幕を下ろしています。 TV版「奥様は魔女」の元になった映画について書かれたA Prelude to Bewitched(英語)

「媚薬」で主演したジミー・スチュワートとキム・ノバクの二人はヒッチコックの「めまい」で共演したすぐ後に再び共演することになります。 これもジルの魔法?
Kim Novak: The Great Goddesses of The Screen
ラヴェンダー・ブルーが好きな色だという孤独でミステリアスな女優"キム・ノバク"は"本物"の金髪で本名がMarilyn Pauline Novakではありましたが、作りあげられたハリウッドのセックス・シンボルとして第二のMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)になることは固辞し続けました。 とはいえコロンビア映画でポストRita Hayworth(リタ・ヘイワース)として売り込みに成功した最後の華やかなりしハリウッド・スターには違いありませんでした。 1954年にリチャード・クワインが監督としてメジャーデビューしたスリラー映画の「Pushover(殺人者はバッヂをつけていた)」でFred MacMurray(フレッド・マクマレイ)が演じた警官を犯罪に巻き込む悪女を演じ一夜にして話題となったキム・ノヴァクでした。 孤独を好むキム・ノヴァクは監督のリチャード・クワインをはじめ、Frank Sinatra(フランク・シナトラ)、Cary Grant(ケイリー・グラント)、Sammy Davis Jr.(サミー・デヴィス・ジュニア), そして1949年に短期間ながらリタ・へイワースの3番目の夫になったこともある恋愛王子のPrince Aly Khan(アリ・カーン)まで浮名を流しました。 しかし誰もキムを満足させられなかったのか結婚には至りませんでした。
1955年にWilliam Holden(ウィリアム・ホールデン)と共演の「Picnic(ピクニック)や、往年の美男子Tyrone Power(タイロン・パワー)と共演した1056年のThe Eddy Duchin Story(愛情物語)、フランク・シナトラと共演してお熱いところを見せた「黄金の腕」と1957年のPal Joey(夜の豹 ASIN: B003U13KAI)そして、その後のVertigo(1958年)(めまい)と総計25本以上の映画に出演したキム・ノバクは1956年から3年間ボックスオフィス・ナンバーワン・スターとなっています。 この映画を撮った時も全盛期でしたね。 しかし1962年にギャラをめぐってストライキを起こしコロンビア映画を去るはめになりました。 ファンにとっては大変残念ですが、「自分自身に戻る」と言って富も名声も捨て、ハリウッドを去ったのでした。 現在は獣医のご主人とオレゴンの牧場暮らしをしているそうです。 2003年に金熊賞のThe Eastman (Kodak) Archives Awardを受けにベルリン国際映画祭に出席したキム・ノバクのプラチナブロンドは健在でまだまだ美しいですね。(本来は灰色がかったブロンドなんだとか。) この賞は過去にグレタ・ガルボGreen Mansions(緑の館)などのAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)、そして共演者のジェームズ・スチュワートも受賞しています。

☆ちなみにかの有名なロックの王者エルビス・プレスリーの一番好きな"女優"はキム・ノヴァクだったそうです。
Bell, Book and Candle DVD
Candle DVD/ Bell, Book and Candle Candle
J. Stewart as Mr. Shepherd, Pyewacket and K. Novak as Gillian

媚薬のヴィンテージ価格の1994年海外版VHS画像をご覧下さい。
Bell Book and CandleBell Book & Candle
「ピクニック」、「媚薬」、「逢う時はいつも他人」の名画3作を収録した人気のDVDボックスセットです。
kimDvd.jpgキム・ノヴァク DVD トリプルパック

ジルが魔法をかける時に口ずさむあの曲が頭から離れなくなった? う〜ん、貴方もジルの魔法にかかったかも♪

この映画は1955年、キムノバク主演の映画「ピクニック」がらみで、ジェームズ・ウォン・ハウの撮影Daniel Taradash(ダニエル・タラダッシュ)の脚色、出演者、そして音楽が同じメンバーです。
Bell Book and Candle Original Soundtrack
「媚薬」のサウンドトラックの音楽はベテランのGeorge Duning(ジョージ・ダニング)の作曲です。 ジョージ・ダニングはピクニックのテーマ曲の"Moonglow"や同じくキム・ノヴァクの映画でThe "Eddy Duchin Story(愛情物語)"でアカデミーにノミネートされました。 「愛情物語」で30年代から40年代にかけて人気があったピアニストのEddy Duchin(エディ・デューチン)を演じたTyrone Power(タイロン・パワー)の吹き替えをしたピアニストの"Carmen Cavallaro(カーメン・キャヴァレロ)"のピアノ演奏で有名になった「The Eddy Duchin Story(愛情物語)」では映画のラストシーンのフレデリック・ショパンのノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2をアレンジした"To Love Again"はPeterとEddy Duchin(デューチン夫妻)です。 ジョージ・ダニングはこの他にもTVシリーズのStar Trekのサントラなども手掛けました。 ジョージ・ダニングはIt Happened to Jane(ハッピー・ロブスター)、The World of Suzie Wong(スージー・ウォン)の世界、逢う時はいつも他人(Strangers When We Meet)、The Notorious Landlady(悪名高き女)などのリチャード・クワイン監督のラヴコメ作品の音楽を担当しています。
※ちなみにピアノ曲ならEddy Duchin(エディ・デューチン)のショパンのNocturne In E Flat(ノクターン変ホ長調)はアルバム「Ignacy Jan Paderewski 」に収録されています。

トランペット奏者のPete Candoli(ペイテ・カンドリ)とConte Candoli(コンテ・カンドリ)の率いるThe Brothers Candoli(カンドリ・ブラザース)楽団はサウンドトラックに収録されていますが、映画のなかではナイトクラブ「ゾディアック」でのシーンにも出演しています。 ナイトクラブのシーンではジャック・レモンが演じるニッキーがボンゴを演奏していましたが、ニッキが姉のジルのためにカンドリ兄弟に"Stormy Weather"をリクエストしてシェパード氏のフィアンセにいやがらせをします。
このサウンドトラックは2005年6月にCD化されました
Bell Book and CandleBell, Book and Candle
♪試聴はBell, Book and Candle Soundtrack - ScreenArchives.com(Main Title、Pyewacket/Queenie/Gil、ファンキーなボンゴの"Send Me Nicky"、Stormy Weather Polka、The Spell/Shep Hooked、Shep Shook、Where's Pyewacket?/Naughty Cat/Gil's Tears、Only Human and End Titleなど全15曲)
Send Me Nickyが聴けるSCORE, BABY! ARCHIVE - B(Nickyで検索)

Audio-Visual Trivia内の「媚薬」に関連した記事はコンテ・カンドリ

私が観た60年代リチャード・クワイン監督の映画
1960年の「スージー・ウォンの世界」
1963年の「パリで一緒に」
1964年の「女房の殺し方教えます」
1964年の「求婚専科」

Audio-Visual Trivia内で「媚薬」の出演者に関連した記事
街角 桃色の店(ジェームズ・スチュワートが出演)
地上最大のショウ(ジェームズ・スチュワートが出演)
素晴らしき哉、人生!(ジェームズ・スチュワートが出演)
ヒッチコックのめまい(キム・ノヴァクとジェームズ・スチュワートが出演)
黄金の腕(キム・ノヴァクとシナトラが共演)
お熱いのがお好き(ジャック・レモンが出演)

Audio-Visual Trivia内のビートニクに関連した記事
ドビーの青春
唇によだれ
地下街の住人
サンセット77
夢のカリフォルニア

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元祖ゴット・マイ・モジョ・ワーキング!
50年代の女性ジャンプ・ブルース歌手のアン・コールは正真正銘の偉大なるソウル・シンガーですが、日本では殆ど知られていません。 父や従姉妹共にゴルペル・シンガーという環境のもとに、アン・コールはゴスペルで鍛えた歌唱力と迫力のあるR&Bシンガーとして活躍しました。 1953年~1954年は従姉妹とのグループでレコードを出しましたが、1954年にはソロとなり、50年代にはBaton (ベイトン)最初のレコーディングの"Are You Satisfied"、二番目の"In The Chapel"、そして"Each Day"などをリリースしてゴスペル調のブルース&バラード・シンガーとして有名になりました。

戦前からの映画俳優でブロードウエイの芝居に出演したそうですが、その前身はオペラ歌手だったというPreston Foster(プレストン・フォスター)が作詞及び作曲した"Got My Mojo Working(ガット・マイ・モジョ・ワーキング)"をデモテープで覚えたアン・コールは1956年になってジャンプブルース・スタイルでステージで歌ったのだそうです。 翌年にその曲をHoward Biggs(ハワード・ビッグズ楽団)の伴奏でレコーディングした初のソウル・シンガーで、Cash Box Magazineにて、その年の「最も有望なR & B女性シンガー」に選ばれました。

その後も1962年までに7インチEPシングル計16枚、およそ32曲と多くのレコードを出しましたが、ビルボード入りしたのは1962年の"Don't Stop the Wedding"だけでした。 とはいえどもR & B部門で21位、ポップス部門では99位でした。 この曲かもしくは"Have Fun"がR & B曲としては最後です。 嗄れ声で艶ぼくろがチャーミングな黒人美人歌手は残念なことに当時は先に行き過ぎていました。 1954年から1959年の録音でギターがWild Jimmy Spruill(ワイルド・ジミー・スプルーイル)、コーラスはSuburbansですがテナーサックス奏者は不明。 ロックンロールが急上昇中の1957年9月のヒットチャートでトップ40入りしたWhen I See YouではFats Domino(ファッツ・ドミノ)と掛け合いで歌っています。 ☆SuburbansのメンバーはAnn Coleをメインに、リードテナーがCortez Franklin、テナーがAndy WilliamsとLucky(ニックネームのみ)、バリトンがChris KilerそしてバスがSylvester Bradfordという構成です。

当時のアン・コールのステージを見ていたのが有名なブルースマンのMuddy Waters(マディ・ウォーターズ)でした。 アン・コールは一ヶ月間マディ・ウォーターズ・バンドの米南部公演に同行していたのでした。 その時にマネージャーから「リリースしていない曲はステージで歌わないように。」という忠告があったにもかかわらず、"Got My Mojo Working(ガット・マイ・モジョ・ワーキング)"を歌ってしまったのです。 その曲ががえらく気に入ったマディ・ウォーターズは、1957年にマディ・ウォーターズ流ブルースにアレンジしてCHESS(チェス)で録音してしまいました。 よって時期同じくして同じ曲が同じ週にリリースされたわけです。 当時チャートではアン・コールが3位でマディ・ウォーターズが7位だったにも関わらずマディ・ウォーターズの定番曲としてずっと歌い続けられたため、"Got My Mo-jo Working(ガット・マイ・モジョ・ワーキング)"といえばマディ・ウォーターズの代表曲と云われるようになったのです。 オリジナルであるアン・コールの歌詞とマディ・ウォーターズの歌詞がちょっと違うのだそうですが、それはマディ・ウォーターズが覚えきれなかったからだなんて、ホント? うそ!
※マディ・ウォーターズのGot My Mojo Workingの歌詞はGot My Mojo Working Lyrics - harptab.com

もっともこの曲はマッディに限らずデルタ・ブルースのBBキング(後にアーバン)や同時期のシカゴ・ブルースのMagic Sam(マジック・サム)、反骨のソウル歌手Nina Simone(ニーナ・シモン)、ロックンローラーのChuck Berry(チャック・ベリー)やCarl Perkins(カール・パーキンス)、1970年にはElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)やConway Twitty(コンウェイ・トゥイッティ)、そしてジャズ・オルガンのJimmy Smith(ジミー・スミス)も演奏した人気の曲目となっています。 誰が歌っても良い曲ですね。 うっ!Michael Moore(マイケル・ムーア)監督のドキュメンタリー「Bowling for Columbine(ボウリング・フォー・コロンバイン)」の突撃インタビューに出演したMarilyn Manson(マリリン・マンソン)も歌っています。 マンソンにとってある意味で良かったか悪かったかは不明ですが、この映像で悪の象徴のようなヘビメタ・アーティストがかなり知的であることを証明しました。
※Buddy Guy(バディ・ガイ)やマディ・ウォーターズなどシカゴブルースの歌手の情報が見られるChicago Blues
Jimmy Smith - Got My Mojo Workin' - YouTube
Elvis Presley / P. Foster - Got my Mojo Working / Keep Your Hands Off of It (LIVE) - Grooveshark.com

☆一説にはアン・コールのEasy Easy Babyがマディ・ウォーターズのガット・マイ・モジョ・ワーキングの元歌とされていることがあるそうですが、Easy Easy BabyはMagic SamのEasy Babyになっているのだとか。(良く分かりません)

Got My Mojo Working written by Preston Foster and sang by Ann Cole
I got my black cat bone, all pure and dry
I got a four-leaf clover, all hangin' high
Got my hoodoo ashes all around your bead
Got my black snake roots underneath your head
I got my mojo workin', but it just won't work on you
I want to love you so, till I don't know what to do
I got a gypsy woman givin' me advice
I got some red hot tips I got to keep on ice
I got a rabbit foot, I know it's workin' right
I got a strand of hair I'm keepin' day and night
意味としては「アタシは茹で上げた黒猫の骨や四葉のクロバーを持ってるの
お呪いをかけてもアンタにはちっとも効かない ブードゥ魔術の灰をアンタの数珠に、升麻の根を枕の下に入れたり
お呪いをしてもアンタには効きそうにもない
どうしていいのか分かんなくなるほど愛したいの
助言してくれるジプシー女を知ってる
(ホットな秘訣を、氷で冷やしとかなきゃ)←Help!ここは不明
幸運のウサギの足も、よく効くって知ってる
ひと房の髪の毛だって持ってる」・・・とかなんとかいうようです。(足だの灰だのは全部魔術で逃げた恋人とのよりを戻すためのお呪いアイテムです。)

ListenAnn Cole with the SuburbansのGot My Mojo Workin'のクリップが聴けるAnn Cole with the Suburbans - Got My Mojo Workin' - Daremusic.com(左のアン・コールの画像をクリック)
又はAnn Cole - Baton Records--1960s music: DoowopでAnn Cole with the SuburbansのGot My Mojo Workin'とEasy Easy Baby、Ann Cole & The Dave McRae Orchestraの"Are You Satisfied"のクリップが聴けます。

アン・コールのシングル盤やコンピレーションのリストはAnn Cole's Singles and Albums - Koti.mbnet

Ann Cole's Got My Mojo Working
Jump, Jive and SwingJump, Jive & Swing
B.B. KingのGot My Mojo Working
試聴はB B King Got My Mojo Working - Amazon.com(5番)

ヴィンテージ!アン・コールのGot My Mojo WorkingとEasy Easy Baby入りコンピレーション・アルバム
Got My Mojo Working


オリジナルよりお先に有名になったマディ・ウォーターズのアルバム「Got My Mojo Working」
muddy.jpgGot My Mojo Working(Muddy Waters)
"Got My Mojo Working"の歌詞はGot My Mojo Working Lyrics - postman.pe.kr(タイトルをクリックしてもマディ・ウォーターズのGot My Mojo Workingはもう聴けません。)


Blues Masters, Vol. 5: Jump Blues Classics
ANN COLE / Got My Mojo Workingが収録されているブルースシリーズのCDは「Various Artists - Blues Masters, Vols. 1-5」の"Vol. 5"です。
このCDはアン・コール以外にJimmy Witherspoon( ジミー・ウィザースプーン)、T-Bone Walker、Percy Mayfield、Earl Hooker、'Big Mama' Thorntonなどなどと素晴らしいコンピレーションです。
「The Living the Blues Collection(1957-1959 Blues Classics )」でも試聴できます。

☆UK輸入版のANN COLE / Got My Mojo Working(Krazy Kat LP KK 782 © 1984)について詳しく書かれているサイトは'50s R & B 33rpm(オリジナルのタイトルやアンサーソングについて)


1962~1966年にドイツで行われたブルース・フェスティバルのモノクロ映像でリージョン・フ!リーのビデオです。
American Folk Blues FestivalAmerican Folk Blues Festival 1962-1966 Vol.1
オーティス・ラッシュがI Can't Quit You Babyを演奏、マディ・ウォーターズの"Got My Mojo Working"ではサニー・ボーイ・ウィリアムソンがハープを演奏、ボーナストラックには珍しいアール・フッカーの1969年のライヴ映像「Walking the Floor Over You/Off the Hook」が収録されている他ブルースマンやBig Mama Thorntonなどの女性ブルース歌手も多数出演しています。
Vol.2とVol.3もあります。

50年代の懐かしい曲を集めたThe Roulette Storyという3枚組みCDにAnn ColeのDon't Stop The Weddingも収録されています。


Audio-Visual Trivia内のジャンプブルース関連記事
ワイノニー・ハリス
T・ボーン・ウォーカー
イリノイ・ジャケー

1973年の「MOJO」訴訟について後ほどと思っていたのですが、もうネット上にその裁判記録情報がなくなってしまいました。(保存したURLが無効に。。。)
"Got My Mojo Working"の作曲家であるプレストン・フォスターはニューヨークの音楽家で1957年頃はRed Fosterともいったとか。
裁判記録は、"Got My Mojo Working"が自作であると主張したマディ・ウォーターズ(本名McKinley Morganfield)とレコード会社は訴えられて云々。
果たしてMOJOに著作権はあるか?といったような内容も含まれていたようでした。 確か「MOJOという言葉そのものには著作権は無い。」ということも書かれていたと記憶しています。 結局、裁判では訴えは退けられ"Got My Mojo Working"の作者は"Preston Foster"であると認定されたそうです。

☆英語なので後で読んでみようと思う参考記事はThe Baton Laber - daremusic.com

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