April 2007 Archives


Jacqueline Sassard
Jacqueline Sassard è nata a nice in marzo 1940

私が初めてジャクリーヌ・ササールを映画で見た時、スラリとした長い手足、そして大きな目と黒にも見える栗色の長い髪の美貌は他のフランス女優にはないとても新鮮な印象を受けました。 髪、サラサラ! ジャクリーヌ・ササールは上品で清純なお嬢様の役柄が多いのですが、その中にもちょっと我がままで意地悪そうな目つきがこれまた魅力です。 ジャクリーヌ・ササールは目で演技します!

ジャクリーヌ・ササールが出演した映画はイタリア映画が多かったせいか私はてっきりササールはイタリア女優だと思い込んでいましたが実は南仏のニース出身のフランス女優だそうです。 アフレコが多いせいかフランス女優のジャクリーヌ・ササールのセリフまわしや声はちょっと低めの声という以外は殆ど記憶にありません。
1957年にイタリア映画の「芽ばえ」でデビューした後、次々と映画出演した売れっ子女優でしたが70年を待たずして銀幕から消え去りました。 どうやら大富豪と結婚したらしいですがその後何の関連情報も見つかりません。
ファントム・シリーズなどで女優生活が長いMylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)は別として、ジャクリーヌ・ササールをはじめFrancoise Arnoul(フランソワーズ・アルヌール)やPascale Petit(パスカル・プティ)などの1950年代から1960年代以前に活躍したフランス女優たちは日本では私と同世代には人気ですが海外ではあまり話題にされていないようです。 ことにジャクリーヌ・ササールに関しては誕生生年月日と出身地以外には殆ど情報がなく、今や本国のフランスでさえもビデオがLes Biches(牝鹿又は女鹿)とAccident(できごと)だけという寂しい状況です。 丁度ジャクリーヌ・ササールの黄金期に映画を観た私としては1950年代と1960年代の懐かしい名作がDVDになるのが待ち遠しいです。
☆美しいジャクリーヌ・ササールの写真集が見られるJacqueline Sassard Photos - elisabettacatalano.it(→をクリックして次へ)

Valerio Zurlini
1957年のGuendalina(芽ばえ)の原案を書いたヴァレリオ・ズルリーニがジャクリーヌ・ササールを見出したのだそうですが、「芽ばえ」を監督したのはアルベルト・ラトゥアーダです。 1959年にEstate Violenta(激しい季節)で監督デビューしたヴァレリオ・ズルリーニは美青年のJacques Perrin(ジャック・ペラン)を起用して次作の「La ragazza con la valigia(鞄を持った女)や「Cronaca familiare(家族日誌)」を監督しています。
「家族日誌」の写真はCronaca familiare Photos - Comme Au Cinéma
「激しい季節」と「鞄を持った女」、そしてアンナ・カリーナやMarie Laforet photos(マリー・ラフォレ)が出演した1965年の「Le Soldatesse(国境は燃えている)」の音楽は「刑事」のアモレミオでお馴染みのMario Nascimbene(マリオ・ナシンベーネ)の作曲です。 「国境は燃えている」のサントラはItaliano brava gente / Le soldatesse (Soundtracks)(La soldatesse - Italiani brava genteの試聴は見つかりません。)


Jacqueline Sassard
ジャクリーヌ・ササールの出演映画

1957年 Guendalina(芽ばえ)
Alberto Lattuada(アルベルト・ラトゥアーダ)が監督した青春映画で、Sylva Koscina(シルヴァ・コシナ又はシルバ・コシナ)とRaf Vallone(ラフ・ヴァローネ)がグェンダリーナの裕福なれど不仲な両親役で出演しています。 ジャクリーヌ・ササールお嬢様は両親とバカンスで訪れた避暑地で地元の青年と恋仲になります。 両親と帰ることになったグェンダリーナと青年の別れのシーンが胸を打つ・・・っていうかこれで終わるの?
シルヴァ・コシナは1956年にピエトロジェルミのネオリアリズモ映画「Il Ferroviere(鉄道員)」で鉄道機関士の身持ちの悪い娘"Giulia Marcocci(ジュリア)"を演じ日本でメジャー映画デビューしました。 シルヴァ・コシナはユーゴスラヴィア出身の女優ですが70年代までイタリア映画を中心に活躍しました。
一方、ラフ・ヴァローネは新人として1948年に腋毛で驚かせたSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)と共演した「Riso Amaro(にがい米)」がデビューで、1950年にGina Lollobrigida(ジーナ・ロロブリジーダ)と「Cuori senza frontiere(白い國境線)」で共演していますが、一時はBrigitte Bardot(ブリジット・バルドー)と恋仲になるほどいい男でしたが10年後の「芽ばえ」ではもうパパ役を演じています。
「芽ばえ」の写真が見られるGuendalina Photos - FILM.TV.IT
「芽ばえ」の映画ポスターが見られるGuendalina - Polish Movie Poster

Piero Piccioni
「芽ばえ」の音楽は翌年の「三月生まれ」でも音楽を担当したイタリアの作曲家のPiero Piccioni(ピエロ・ピッチオーニ)です。 ピエロ・ピッチオーニは1959年のMylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)やElsa Martinelli(エルザ・マルティネリ)が出演した「La Notte brava(狂った夜)」や「Dolci Inganni(十七歳よさようなら)」などたくさんのイタリア映画の音楽を担当しました。

1957年 Nata di marzo(三月生れ)
イタリアではこの「三月生れ」と「芽生え」は同じ年の制作で「三月生れ」の方が先になっています。 実際に3月生まれのジャクリーヌ・ササールが演じるAntonio Pietrangeli(アントニオ・ピエトランジェリ)監督のイタリア映画です。 三月といえば不思議の国のアリスのセリフに出てくる「3月うさぎは"気違いうさぎ"」というのがありましたが、三月生まれは気まぐれといわれているそうです。 ちなみに日本では春先の心身が不安定なことを"木の芽時"といいます。
一人っ子で気まぐれ屋の大学生"フランチェスカ"を我がままを地でいったようなジャクリーヌ・ササールが演じています。 通学途中に知り合った一回り年上の男と電撃結婚しますが、相変わらずの奔放さで夫をてんてこ舞いさせるというラブコメです。 じゃじゃ馬ならしに手を焼いた夫におん出されて初めて気がつく寂しさと真実の愛。 人生に嘘はつきものですが決定的な嘘は身を滅ぼすもとです。 「三月生れ」で中年の建築技師のSandro(サンドロ)を演じたのはMichelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)監督の1960年の「L'Avventura(情事)」で建築家のサンドロを演じたGabriele Ferzetti(ガブリエレ・フェルゼッティ)です。 「三月生れ」のジャクリーヌ・ササールはSan Sebastián International Film Festival(サン・セバスチャン国際映画祭)でベスト・アクトレスに選ばれたそうです。
音楽は「芽ばえ」と同じくピエロ・ピッチオーニです。
「三月生れ(Nata Di Marzo)」の写真が見られるNata Di Marzo Photos - FILM.TV.IT

Dolci Inganni
「芽ばえ」を監督したアルベルト・ラトゥアーダはこの後、1960年に"第二のジャクリーヌ・ササール"と呼ばれたCatherine Spaak(カトリーヌ・スパーク)が映画デビューした「Dolci Inganni(十七歳よさようなら)」という青春映画も監督しています。

1958年 Tutti Innamorati(みんなが恋してる)
「芽ばえ」と「三月生まれ」の間に埋もれたジャクリーヌ・ササール主演したティーンエイジャーと子持ち男とのイタリア式ロマコメです。 Giuseppe Orlandini(ジュゼッペ・オルランディーニ)監督の長編映画デビュー作品で、フェデリコ・フェリーニ監督の「La Dolce vita(甘い生活)」で脚光を浴びる前の新進俳優時代のMarcello Mastroianni(マルチェロ・マストロヤンニ)と共演です。

1958年 Faibles Femmes(お嬢さん、お手やわらかに!)
イタリア語のタイトルは"Le Donne sono deboli"ですが、ジャクリーヌ・ササールはここでやっとMichel Boisrond(ミシェル・ボワロン)監督のフランス映画に"おフランス三人娘"として出演しました。 ジャクリーヌ・ササールはミレーヌ・ドモンジョやパスカル・プティと3人で調子の良いプレイボーイをやっつけるロマコメです。 売り出し中の新人のAlain Delon(アラン・ドロン)がコンニャロメというほどモテモテのプレイボーイを演じました。 この他にはアンリ・ヴィダルやジャン=ポール・ベルモンドが出演してフランスの若手総動員といった映画でした。
ミシェル・ボワロンのデビューは1967年に脚本も手掛けたブリジット・バルドー主演の「殿方ご免遊ばせ」ですが、翌年も同じくベベが主演した「この神聖なお転婆娘」を監督した後の作品がこの「お嬢さん、お手やわらかに!」です。 ミシェル・ボワロンは商業ベースに乗ったヒット娯楽作品の連作でヌーヴェルヴァーグなんてなんのそのという監督です。
「お嬢さん、お手やわらかに!」の音楽はPaul Misraki(ポール・ミスラキ)ですが、1959年に英語歌詞のテーマ曲"It's Really Love"を歌ったのはアメリカのポップス歌手のPaul Anka(ポール・アンカ)でした。
Paul Anka - It's Really Love (Faibles Femmes) - YouTube
お洒落で愉快な「お嬢さん、お手やわらかに!」の写真が見られるFaibles Femmes - FILM.TV.IT
Faibles Femmes PHOTOS I - YouTube
映画ポスターと情報はFaibles Femmes Poster - DvdToile
モテモテ男のアランドロンが嬉しい悲鳴をあげているポスターが見られるFaibles Femmes Poster - FAN de CINEMA
「naotowa794」さんのブログ「プラトニックカンパニーフィルム」で大変貴重な日本公開当時の「お嬢さん、お手やわらかに!」の映画パンフレット画像の他にもミレーヌ・ドモンジョなどたくさんの映画パンフが見られるお嬢さん、お手やわらかに! プラトニックカンパニーフィルム

1959年 Estate violenta(激しい季節)
イタリア映画ですからイタリア語のタイトルですがフランス語では"Un Ete Violent"というValerio Zurlini(ヴァレリオ・ズルリーニ)が監督した私の大好きな映画で悲劇の夏の日の激しい恋を描いています。 イタリア映画史上でも稀にみる最も激しい恋物語の一つとされています。 ジャクリーヌ・ササールは子持ちの年増女に恋するカルロを慕う少女のロサーナを演じました。
ジャクリーヌ・ササールのデビュー作となった1957年の「芽ばえ」の原案を書いたヴァレリオ・ズルリーニ監督は1954年の「Les Jeunes filles de San Frediano(サンフレディアーノの娘たち)」でデビューし、1961年のLa ragazza con la valigia(鞄を持った女)もそのテーマ曲と共に代表作となっています。
ジャクリーヌ・ササールがとっくりと観られる「激しい季節」の予告編はUn Ete Violent Trailer - Comme Au Cinéma
☆禁断の恋に苦悶する映画「激しい季節」についてはAudio-Visual Trivia内のEstate Violenta

The Valerio Zurlini Box Set DVD
The Valerio Zurlini Box Set: The Early Masterpieces (1961)
アメリカでで2006年にリリースされたヴァレリオ・ズルリーニ監督の「激しい季節」と「鞄を持った女」とのボックスセットはイタリア語に英語字幕版のRegion 1でアメリカとカナダ向けDVDです。
日本のAmazon.co.jpで入手可能なヴァレリオ・ズルリーニの作品はVHSで「Girl With a Suitcase(鞄を持った女)」と、DVDでは1972年にアラン・ドロンが主演した"La prima notte di quiete(高校教師)"の日本語字幕版の「高校教師」しか見当たりません。 ※日本でも"Estate Violenta(激しい季節)"のDVDがリリースされることを切望します。

1959年 Il Magistrato(女は選ぶ権利がある)
1950年い「白い國境線」を監督したLuigi Zampa(ルイジ・ザンパ)のイタリア映画で、Claudia Cardinale(クラウディア・カルディナーレ)がデビュー作の「Un Maledetto Imbroglio(刑事)」に続いて出演しています。  この不条理劇的ホームドラマはイタリアの都会"ジェノヴァ"のとある家庭を舞台にジャクリーヌ・ササールが演じる十代の娘が妻子ある男のものとなったことを知った父親が自殺を図るという悲観的な家庭を描いています。 メロドラマか社会派ドラマか。
音楽はイタリア映画で多くの音楽を担当しているRenzo Rossellini(レンツォ・ロッセリーニ)です。

1961年 Mariti a congresso
1955年から70年代まで10本ほど監督したLuigi Filippo D'Amico(ルイジ・フィリッポ・ダミーコ)のイタリアンコメディですが情報がなく、ジャクリーヌ・ササールがどんな役なのかも不明です。 1957年に「Bonjour Tristesse(悲しみよこんにちは)」にミレーヌ・ドモンジョが演じたエルサを好きなPablo(パブロ)役で出演したWalter Chiari(ワルテル・キアーリ)が主演しています。
そのワルテル・キアーリとジャクリーヌ・ササールが共演したが誰も知らないであろう1961年のイタリア映画「Mariti a congresso」"の写真が見られるMariti a congresso Photos - FILM.TV.IT

1962年 Arrivano i Titani(Les Titans)(タイタンの逆襲)
Duccio Tessari(ドゥッチオ・テッサリ)が監督としてデビューした伊仏合作の歴史的アクション映画だそうで、イタリア語のタイトルはThe Titaniums arriveです。 ギリシャ神話から題材を取り、古代ギリシアを舞台にジュピターやタイタンなどが登場します。 ジャクリーヌ・ササールは暴君に幽閉されるAntiope(アンティオーペ姫)を演じ、Antonella Lualdi(アントネラ・ルアルディ)が嫉妬に狂い婚約者を殺害するHermione(ヘルミオネ)役で出演しました。 後にマカロニウエスタンで名を馳せたGiuliano Gemma(ジュリアーノ・ジェンマ)が当時新人で出演している他、異色キャストとしてSerge Nubret(サージ・ヌブレット)が出演しています。 サージ・ヌブレットはカリブ海のGuadeloupe(グアドループ)出身のボディビルダー・チャンピオンでこの「タイタンの逆襲」後に20本以上の映画に出演したそうです。
幽閉されたアンティオーペ姫を演じたジャクリーヌササールの水攻め画像が見られるArrivano i Titani Photos - Soggoエs VidCap Page
「タイタンの逆襲」の音楽はイタリア映画音楽の巨匠の一人のCarlo Rustichelli(カルロ・ルスティケリ)です。 カルロ・ルスティケリは「白い國境線」をはじめ、「鉄道員」や「刑事」のような哀愁たっぷりのサウンドトラックを約半世紀に渡り手掛けました。
1959年の「Cartagine In Fiamme(カルタゴ)」以降、何本かの歴史アクションの脚本を手がけたドゥッチオ・テッサリイタリアはこの「タイタンの逆襲」の後にはClint Eastwood(クリント・イーストウッド)が主演した1964年の「Per un pugno di dollari(荒野の用心棒)」の脚本を手掛けています。 ドゥッチオ・テッサリイタリアが監督し、ジュリアーノ・ジェンマが主演した「Il Ritorno di Ringo(続・荒野の1ドル銀貨)」も大ヒットでした。 この2作とも音楽はエンニオ・モリコーネです。(「Un dollaro bucato(荒野の1ドル銀貨)」の方はジャンニ・フェリオです。)
「続・荒野の1ドル銀貨」のトレーラーはIl Ritorno di Ringo - Comme Au Cinéma

1967年 Accident(できごと)
1972年に「The Assassination of Trotsky(暗殺者のメロディ)」の原作者で脚本も担当したNicholas Mosley(ニコラス・モスレー)の原作をイギリスの脚本家であるHarold Pinter(ハロルド・ピンター)の脚本によりJoseph Losey(ジョセフ・ロージー)監督が映画化したイギリス映画です。
「暗殺者のメロディ」のトレーラーはThe Assassination of Trotsky - Comme Au Cinéma
さて、「できごと」のストーリーはDirk Bogarde(ダーク・ボガード)が演じるオクスフォード大学の教授がジャクリーヌ・ササールが演じる若い留学生に言い寄るという不謹慎な話です。 教授は念願の女学生との関係を持っったものの、妻子ある家庭は破壊できないと世間体を気にして交際をエスカレートさせられぬ苦悩を描いた作品です。 清純そうなジャクリーヌ・ササールは実はプレイガールだった!
※1955年にブリジット・バルドー主演の「Doctor at Sea(私のお医者さま)」や1957年にA Tale of Two Cities(二都物語)や1973年に衝撃的な「The Night Porter(愛の嵐)」に出演したロンドン紳士のダーク・ボガードが出演します。
イギリス俳優のMichael York(マイケルヨーク)はこの「できごと」でデビューした後、なんと1967年にシェイクスピア喜劇の映画化である「La Bisbetica Domata(The Taming of the Shrew/じゃじゃ馬ならし)」でElizabeth Taylor(エリザベス・テイラー)とRichard Burton(リチャード・バートン)と共演したのです。 そしてなんと「オースティン・パワーズ」シリーズにも英国情報局局長のBasil Exposition(バジル・エクスポジション)役で出演してしまいます。
ジャクリーヌ・ササールが教授を誘惑する「できごと」のトレーラーはAccident Trailer - Comme Au Cinéma


日本で入手可能な「できごと」のDVD
Accident with Jacqueline Sassardできごと
Amazon.comでも「Accident」のDVDとVHSが入手可能です。

1968年 Les Biches(牝鹿)
ヌーヴェルヴァーグも終わりの頃のClaude Chabrol(クロード・シャブロル)監督の伊仏合作映画です。 Stéphane Audran(ステファーヌ・オードラン)が両刀使いの資産家"Frédérique"を演じ、そのお相手になるのがパリの宿無しストリートアーティストのジャクリーヌ・ササールが演じるWhy(ワイ)です。 文無しなのに高慢ちきなササールと女主人の豪奢な生活、そしてサントロペの別荘でパーティに現れたのがハンサムなJean-Louis Trintignant(ジャン=ルイ・トランティニャン)はこのレズカップルに気に入られてしまいます。 二者選択ならあなたはどっち? 金持ちか若い女か。 フレディリックに言い寄られ、金に目の眩んだトランティニャンはフレデリクと結婚してしまいます。 すると三角関係が崩れ、そこには嫉妬が生まれます。 金と色恋と権力と欲望がいっぱい! 純粋という名の残虐さを見せるジャクリーヌ・ササールがしたことは・・・! ちょっぴり"太陽がいっぱい"!

クロード・シャブロル監督はJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)が出演した1959年の「A Double Tour(二重の鍵)」を監督や「A Bout de Souffle(勝手にしやがれ)」を監修している他、「赤と青のブルース」の脚本を手掛けるなど半世紀近くも映画制作に携わっています。

ステファーヌ・オードランは1960年にMarie Laforet(マリー・ラフォレ)主演の「赤と青のブルース」や1986年のValerie Kaprisky(ヴァレリー・カプリスキー)主演の日本未公開映画「LA GITANE(彼女はジタン)」など出演本数は多いのですが日本では余り有名ではありません。 有名といえば1972年にOscarでBest Foreign Film賞を獲得したLuis Bunuel(ルイス・ブニュエル)監督の「Le Charme discret de la bourgeoisie(ブルジョワジーの秘かな愉しみ)」が挙げられます。 ステファーヌ・オードランは外交官が晩餐に招かれた家の夫人のAlice役を演じています。
ステファーヌ・オードランが一般的に知られているのは1987年のBabette's Feast(バベットの晩餐会)でしょう。 私は劇場で見たのですが宝くじで当たった1万フランで支度したバベットの垂涎の豪華料理に夢中になりました。 ですが"美味しいのだ"と言われても鶉(うずら)の脳ミソはすすれません! それまで鳥篭でチーチー鳴いていたウズラの頭を噛んでチュッとすするんです。供されたシェリー酒のなかにアモンティラドがありましたが、Edgar Allan Poe(エドガー・アラン・ポー)の小説「The Cask of Amontillado(アモンティラードの樽)」でお馴染みな銘柄です。
もてる男の代表格ともいえるジャン=ルイ・トランティニャンは1959年の「激しい季節」や「Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)」に出演した後、 1966年の「Un homme et une femme(男と女)」で世界的に有名になり半世紀近くの間に50本以上の映画に出演しました。
1956年には「Et Dieu Crea La Femme(素直な悪女)」で共演したブリジット・バルドーと恋仲になるもすぐに別れ、「牝鹿」で共演したステファーヌ・オードランと結婚していますが、惚れやすいのかふられやすいのか、これまた離婚したそうです。

国内で入手出来る「Les Biches」のVHSビデオ
Les Biches with Jacqueline SassardLes Biches
ビデオカバー画像はステファーヌ・オードランとジャクリーヌ・ササールです。
Amazon.comにも「Les Biches」のDVDとVHSがあります。

☆今現在は、日本のウィキペディア (Wikipedia) に 「Audio-Visual Trivia」内のこの"ジャクリーヌ・ササール"の記事の何かが引用されたそうで有難くもリンクが貼られています。


Great Balls of Fire! (DVD) Great Balls of Fire (VHS)
Great Balls of Fire - DVD Great Balls of Fire! VHS
Dennis Quaid as Jerry Lee Lewis and Winona Ryder as Myra

Dennis Quaid in Great Balls of Fire!
50本以上のテレビ番組や映画に出演してきたデニス・クエイドは俳優だけではなく、なんと"Dennis Quaid & the Sharks"というロックバンドのリード・ヴォーカルでギターをかき鳴らすロッカーなのです! そのデニスは1989年にフィフティーズの奇人ロックンローラーのJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)の伝記映画「Great Balls of Fire!(グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー)」に主演しました。 この時、デニス・クエイドは35歳でした。 映画の「火の玉ロック」はスキャンダラスな人生を送ったといわれる実在のロックンローラー「ジェリー・リー・ルイス」の伝記をJim McBride(ジム・マクブライト)が監督した映画です。 原作はなんとジェリー・リー・ルイスの幼な妻だったMyra Gale Lewis(マイラ)の自伝でしたが、映画では1950年代末期のスキャンダラルについては殆ど描写されていません。 映画の中での歌はジェリー・リー・ルイス本人が映画のために特別に録音したものです。 しかしデニス・クエイドは形態模写にとどまらず、なんとジェリー・リー・ルイス直伝のピアノを披露しているのです。 映画のタイトルとなった「Great Balls of Fire」の意味は"でかい火の玉"?"すっげ、まじかよ!"? "すごいやり手"? 古くからある英語のスラングでは"Fireball"と同じに極めてやり手で情熱的な力強い人のことだそうです。
※ジム・マクブライトは「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー」の前には日本で唯一公開された作品の「Breathless(ブレスレス)」を1983年にリチャード・ギア主演で監督した他、1986年に今作同様にデニス・クエイド主演で「Big Easy(ビッグ・イージー)」を監督しています。
video「火の玉ロック」のトレーラーはGreat Balls of Fire! Trailer - VideoDetective
ちなみに映画公開当時の映画ポスターはインディゴ地の地味な画像ですが有名なデザイナーのBill Gold(ビル・ゴールド)が手掛けた作品でデニス・クエイドがマイクに向かっている画像でした。

噂では結婚した当時はまだサンタクロースの存在を信じているほど幼かったというジェリー・リー・ルイスの妻のマイラを演じているのが「Mermaids(恋する人魚たち)」で長女役を演じたWinona Ryder(ウィノナ・ライダー)です。(発育が良くてとても13歳には見えない。)
「火の玉ロック!」の写真が見られるGreat Balls of Fire Photos - FILM.TV.IT
Great Balls of Fire! Trailer - YouTube
Great Balls Of Fire - Dennis Quaid with Jerry Lee Lewis - Youtube

Great Balls of Fire! DVD & VHS
☆ページトップの画像は2009年に発売されたDVDと国内で入手出来る輸入版VHSです。
2003年発売の国内版字幕DVD「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー DVD」や1998年発売のVHS「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー VHS」は現在入手困難となりました。

Breathlessものはついでですがアルバムの「The Essential Sun Collection」などに収録されているジェリー・リー・ルイスの"Breathless"をロカビリー・ウーマンのWanda Jackson(ワンダ・ジャクソン)がカバーしています。

Great Balls of Fire! Soundtrack
1987年にリリースされた今でも人気の「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー」のサウンドトラックはジェリー・リー・ルイスのヒット曲オンパレードです。
Great Balls of Fire! by Jerry Lee LewisGreat Balls Of Fire: Original Motion Picture Soundtrack - Newly Recorded Performances By Jerry Lee Lewis
※CDカバー画像はジェリー・リー・ルイスを演じたデニス・クエイドですが、別に中古で1997年リリースの輸入盤「Great Balls of Fire [Best of] [Soundtrack]」あり。

Dennis Quaid & the Sharks
ロスアンジェルスのクラブでロックとカントリーを演奏しているDennis Quaid and the Sharksのレパートリーにはもちろんデニス・クエイドが主演した映画「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー」でジェリー・リー・ルイス直伝の"火の玉ロック"も入っているそうです。(現在はオフィシャルサイトは消滅。)
Dennis Quaid & The Sharks - YouTube


Jerry Lee Lewis aka "The Killer"
ジェリー・リー・ルイスの1975年のヒット曲"Boogie Woogie Country Man"で「Boogie woogie man from tennessee, My name is J - L - L, I'm from hell and I'm well and I'm damn sure well tonight(テネシーからやって来たブギウギマン)」と歌っていますが、ルイジアナ出身の歌手でピアニストのジェリー・リー・ルイスはカントリーにBoogie-Woogie(ブギウギ)や黒人のR & Bをミックスしたロックンロールのパイオニアです。 ルイジアナで育ち幼い頃から兄弟と組んでピアノを弾いていたのに悪魔に魂を売ってゴスペルを捨て去ったジェリー・リー・ルイスはメンフィスのSun Records(サン・レコード)のスタジオ・ミュージシャンとなりました。 そこでCarl Perkins(カール・パーキンス)の吹き込みのバックを担当したそうですが、ジョニー・キャッシュエルヴィス・プレスリーと同じくサン・レコードから1957年にGreat Balls of Fire(火の玉ロック)でデビューしました。 R & B(黒人音楽)に傾倒していたジェリー・リー・ルイスの"Great Balls of Fire"はRock & Roll(ロックンロール)という言葉がそのまんまそうであるようにR & B特有のあからさまなセックス関連スラングを含みます。
ジェリー・リー・ルイスは1958年の映画「High School Confidential(ハイスクール・コンフィデンシャル)」で観られるようにピアノを破壊したり燃やしたりとド派手なダイナミック・パーフォーマンスでファンを熱狂させたロックンローラーです。
1957年の"Whole Lotta Shakin' Goin' On(ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイング・ オン)"や1958年の"High School Confidential(ハイスクール・コンフィデンシャル)"など沢山のRock-A-Billy(ロカビリー)のヒット曲を放ったロックンロールの野生児として知られているジェリー・リー・ルイスのピアノや歌のテクニックは後のElton John(エルトン・ジョン)やBilly Joel(ビリー・ジョエル)に受け継がれているとか。
Jerry Lee Lewis - Great Balls of Fire - Rádio UOL

Kissin' Cousin, Cradle Robber, Baby Snatcher, and Baby Bride
ジェリー・リー・ルイスは私生活では23歳にして3度目の結婚をしましたが、新妻が2世代離れている13歳の"従妹(いとこ)"だったことが1958年のイギリスでのツアー中に公となってしまいすぐに公演はキャンセルされてしまったそうです。 その当時、結婚相手の年齢や姻戚関係は時代と地域を考えるとありがちな事だったのでジェリー・リー・ルイスは気にしていなかったのですが、問題は前妻との離婚成立前だった点でしょうか。 どちらもグローバル的には通用しなかったようです。
☆ポップアップ広告が出ますが、12歳の幼いマイヤとジェリー・リー・ルイスの1957年の結婚前の写真が見られるJLL Online: Myra Lewis-Williams Interview
2度目の状況と同じくとマイヤの場合も離婚成立以前に婚姻しているというジェリー・リー・ルイスの隠された私生活はアメリカ本国でもスキャンダルとなり、せっかくエルヴィス・プレスリーと比べられるほど人気の絶頂にあったロックスターとしてのキャリアは音楽シーンからみごとに姿を消しました。 ですが、1954年に「ROCK'N' ROLL!!!」と叫んでロックンロールの名付け親名となったクリーブランドのラジオDJだったAllan Freed (アラン・フリード)が唯一人のサポーターとなり事件後もジェリー・リー・ルイスの曲を流し続けていたそうです。
ジェリー・リー・ルイスは1961年にRay Charles(レイ・チャールス)の"What'd I Say"をカバー曲を発表しましたが1963年にサンレコードとの契約は切れました。 そうこうしている間にイギリスのロックやフォークミュージックが台頭し、ロックンロールは急激に廃っていきました。
スキャンダルにも関わらずジェリー・リー・ルイスのキャリアは終わりませんでした。 ジェリー・リー・ルイスは1960年代後期にカントリーミュージックに鞍替えして再びヒットチャートに乗るようになったのです。 1972年には1958年のBig Bopperのヒット曲のChantilly Laceのカバーでチャートのナンバーワンに輝きました。
しかしもともと酒癖が悪かったジェリー・リー・ルイスは1970年にマイヤと離婚し、息子が溺死した後はさらにひどくなり麻薬中毒にもなっています。 一時は相当おかしくなったようでライバルだったエルヴィス・プレスリーの家に銃を持って出向いたりしたそうですが、そのエルヴィス・プレスリーも早くに亡くなり結局ジェリー・リー・ルイスがサン・レコード時代の生き残っている唯一人となりました。
その後も拳銃暴発事故やら何やらで撃沈状態のジェリー・リー・ルイスが再び聴衆の面前に躍り出たのがデニス・クエイドがジェリー・リー・ルイスを演じた彼の伝記映画「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー」だったのです!


Jerry Lee Lewis - Great Balls of Fire - YouTube
Whole Lotta Shakin' Going On 1957 Youtube
Jerry Lee Lewis - I'll Follow Him on Jerry Lee Lewis Show 1971 - YouTube
"Your Cheatin' Heart" with Keith Richards & Mick Fleetwood 1983 - YouTube

"STAR CLUB HAMBURG"


1958年 High School Confidential(性愛の曲り角)
邦題がなんだかエロ映画みたいですが、ジェリー・リー・ルイスが出演している理由なき反抗世代を描いた青春映画なのです。 1955年のBlackboard Jungle(暴力教室)や1956年にFrank Tashlin(フランク・タシュリン)が監督したお洒落な「The Girl Can't Help It(女はそれを我慢できない)」ではエディ・コクランなどたくさんのロカビリー歌手が出演したようにロックンロールを取り入れてブロンドグラマー女優を配した50年代の50年代のエンターテイメント映画です。 ラス・タンブリンは転校して来た人気者の高校生を演じ、転校生が麻薬に手を染めて手に負えないワルになっていくというフィフティーズのスラングがいっぱいのハイスクール映画です。 当時の映画の定番ともいえる必須アイテムの金髪グラマーは当時Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)後継者を狙っていたMamie Van Doren(マミー・ヴァン・ドーレン)で、なんと麻薬王に近づく不良青年を誘惑する叔母役で出演しています。 映画の中ではまるでお祭りの山車のように、あるいは宣伝カーのように、あるいは現代版パイドパイパー(ハーメルンの笛吹き男)のように大音量でロックを演奏する車が高校生たちを引き連れて走ります。 トラックに乗って髪を振り乱し、立ったり座ったりと派手なパーフォーマンスでピアノを弾きながら歌うのは本物のジェリー・リー・ルイスです。
「性愛の曲り角」でジャックナイフを振り回す不良高校生を演じたRuss Tamblyn(ラス・タンブリン)は、ナタリー・ウッドと共演した1961年の「West Side Story(ウエスト・サイド物語)」では町のチンピラに昇格し日本でも名が知られるようになりました。
High School Confidential - YouTube

ジェリー・リー・ルイスのパーフォーマンスが観られるHigh School Confidential(性愛の曲り角)の英語版VHS
High School ConfidentialHigh School Confidential
High School ConfidentialのサウンドトラックはHigh School Confidential

1990年 Dick Tracy(ディック・トレイシー)
ジェリー・リー・ルイスの曲がサントラに使用された映画です。 アメリカの漫画家であるChester Gould(チェスター・グールド)が1931年から1977年にかけて1930年代の都会を舞台に描いたアメリカンコミックを映画化したサスペンス映画で探偵のディック・トレイシーを演じたWarren Beatty(ウォーレン・ベイティ )が監督しています。 Madonna(マドンナ)、Al Pacino(アル・パチーノ)が大都会の大ボス、Dustin Hoffman(ダスティン・ホフマン)など出演者が豪華です。 映画ではラジオから流れてきたジェリー・リー・ルイスの"It Was the Whiskey Talking, Not Me"の2バージョンは1990年にリリースされた下記のCD画像のDick TracyのOST(オリジナル・サウンドトラック)には収録されていましたが現在は入手不可。
Dick Tracy SoundtrackDick Tracy

Listen♪ ジェリー・リー・ルイスの"It Was the Whiskey Talking"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMusic to Spazz By with Dave the Spazz(monkey alert... MONKEY ALERT!!をクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)を52:00/3:08:03に移動)
ジェリー・リー・ルイスの"Wild One"と"Ubangi Stomp"が聴けるJerry Lee Lewis - LivinBlues(ページ一番下の MP3)


Live at the Star Club, Hamburg 1964   Country Songs for City Folk/Memphis Beat
Live at the Star Club, Hamburg by Jerry Lee LewisCountry Songs for City Folk/Memphis Beat
Last Man Standing   ジェリー・リー・ルイス・ベスト
Last Man StandingGolden Rock Hits of Jerry Lee Lewis
Home Away from HomeやSweet Georgia Brownが収録されている70年代のジェリー・リー・ルイスのカントリーとゴスペルのアルバムはMercury Smashes...And Rockin' Sessions
全曲試聴はMercury Smashes...And Rockin' Sessions - Amazon.com

Audio-Visual Trivia内のデニス・クエイドの関連記事
Shame on You
2006年のアメリカン・ドリームズ
2004年のイン・グッド・カンパニー
1998年のファミリー・ゲーム(ひとりっ娘)
1987年のビッグ・イージー



Je Vous Salue Marie & Le Livre De Marie
演劇一家に生まれ子供の頃から舞台に立っていたジュリエット・ビノシュは1983年にPascal Kané(パスカル・カネ)監督が脚本も担当した"Liberty Bell"という作品で映画デビューしたそうですが情報が見つかりません。 おまけにこの映画は日本未公開だったので、日本では1984年のJean-Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)が監督した「Le Livre de Marie - Je vous salue, Marie(ゴダールのマリア)」がデビューとなりました。 マリアがヒロインとして登場する2冊の本から成る「ゴダールのマリア」ではジュリエット・ビノシュは学生のJuliette(ジュリエット)として登場します。 聖書のマリアの処女懐胎に題材を得て登場人物の名もマリアとヨセフとし、ある女学生が天使のお告げにより妊娠してしまう騒動を描いています。 フランス語のタイトルは聖書の中で天使が言った言葉「称えられよ、マリア」から採った言葉だそうで、「マリア、君に乾杯!」 "A votre sante !"ではなく"Welcome"の意味だとか。 ちなみに"je vous salue marie pleine de grâce"は賛美歌「アヴェマリア」の最初の句です。
さて、あなたならどうします? 身に覚えがないのに恋人が突然身篭ったら。
この作品以降ゴダールが発掘した女優"ジュリエット・ビノシュ"は一作ごとに飛躍を重ねて行き、現在も益々活躍している国際女優であります。
ジュリエット・ビノシュの日本デビュー作品となったゴダールのマリアの写真が見られるJe vous salue, Marie Photos - FILM.TV.IT
Je vous salue Marie - YouTube
Godard - notes à propos du film 'Je vous salue, Marie - YouTube

☆ジュリエット・ビノシュの各出演映画別の写真が見られるJuliette Binoche, "un rêve français" Photos - Fabinoche.free.fr(上のメニューのサムネールをクリック)

1986年 Mauvais sang(汚れた血)
若者に評判だった疾走するジュリエット・ビノシュのSF風ロマンスでLeos Carax(レオス・カラックス)が監督し、Michel Piccoli(ミシェル・ピッコリ )が出演した。 愛無き情交を行う者を殺すウイルスに襲われたパリの人々、ワクチンを造れば助かるとカップルがこれに立ち向い、人々を救うジュリエット・ビノシュは走る!走る! 共演者はフランス版"Kevin Bacon(ケヴィン・ベーコン)"のような顔立ちのDenis Lavant(ドニ・ラヴァン)です。 ジュリエット・ビノシュと同じくゴダールに見出され1985年にDetective(ゴダールの探偵)に出演した美人女優のJulie Delpy(ジュリー・デルピー)が出演しています。 美貌のフランス女優のジュリー・デルピーは1995年にEthan Hawke(イーサン・ホーク)との電話のシーンが印象的だった「Before Sunrise(恋人までの距離)」で共演しています。
Mauvais Sang Trailer 1986 - YouTube
The Night is Young Trailer 1986 - YouTube

Mauvais sang VHS
上記の画像は2001年発売の「汚れた血」のフランス語版VHS「Mauvais Sang (Sub)」ですが、日本語字幕版VHSの「汚れた血」もあります。

1988年 The Unbearable Lightness of Being(存在の耐えられない軽さ)
チェコ出身の有名作家であるMilan Kundera(ミラン クンデラ)の同名小説をもとにPhilip Kaufman(フィリップ・カウフマン)が監督したジュリエット・ビノシュのアメリカ映画デビュー作品です。 1968年のチェコスロバキアにおけるプラハの春を背景に、ソ連の軍事介入によりチェコを脱出したカップルの物語です。 バチェラー生活を楽しむ外科医のもとに押しかけるウエートレスをジュリエット・ビノシュが演じ医師の妻との三角関係が始まります。 そして自分の存在の軽さが耐えられなくなります。
フィリップ・カウフマンは1981年のRaiders of the Lost Ark(失われた聖櫃)や1983年のThe Right Stuff(ライトスタッフ)などのSFや冒険ものでよく知られた監督です。
「存在の耐えられない軽さ(L'insostenibile leggerezza dell'essere)」の写真が見られるThe Unbearable Lightness of Being Photos - FILM.TV.IT
The Unbearable Lightness of Being Trailer - YouTube

「存在の耐えられない軽さ」の日本語字幕版DVD
The Unbearable Lightness of Being DVD存在の耐えられない軽さ スペシャル・エディション
原語版の「存在の耐えられない軽さ」のDVDもあります。
※上記のDVD画像はLena Olin(レナ・オリン)でこの映画では三角関係の画家を演じました。 夫君はスウェーデン出身のLasse Hallstrom(ラッセ・ハルストレム)監督ですからChocolat(ショコラ)はもちろん、2005年のCASANOVA(カサノバ)にも出演しています。

1991年 Les Amants du Pont-Neuf(ポンヌフの恋人)
ジュリエット・ビノシュを好んで起用する"Leos Carax(レオス・カラックス)"が「汚れた血」に続いて監督した愛かエゴかが問題になる作品です。 ジュリエット・ビノシュが失恋と不治の眼病で絶望的な画学生を演じると同時に映画の中での作品やポスターのデザインを手掛けたそうです。 単に美しいラブロマンスではなく、なんの希望もなく捨て身だからこそ純粋になれたのに突如希望の光が差し込んだ時の恋人たちの心の変化を描いています。  レオス・カラックス監督の1983年の「Boy Meets Girl (ボーイ・ミーツ・ガール)」、「汚れた血」に続き本作ではDenis Lavant(ドニ・ラヴァン)が恋人の孤独なストリート・パーフォマーを演じています。
※ちなみにPont Neufとはフランス語で"新橋"の意味ですがパリに現存する最古の短いアーチ型石橋でセーヌ川にかかっています。
「ポンヌフの恋人」の写真が見られるGli amanti del Pont-Neuf Photos - FILM.TV.IT
「ポンヌフの恋人」のトレーラーはLes Amants du Pont-Neuf Trailer 1991- YouTube
Les Amants du Pont Neuf Teaser - YouTube

ページトップの画像はジュリエット・ビノシュが海辺で戯れて全裸で走るあのシーンも話題の「ポンヌフの恋人」のアメリカのAmazon.comにある「The Lovers on the Bridge」のDVDです。(フランス語のタイトルはLes Amants du Pont-Neufですが英語のタイトルはThe Lovers on the Bridgeだそうです。)
下記は日本で入手できるフランス語と日本語字幕版のDVDです。
The Lovers on the Bridge with Juliette Binocheポンヌフの恋人〈無修正版〉
2006年発売の「ポンヌフの恋人」もあります。
※サウンドトラックはリリースされていないようですがエンディングで流れたテーマ曲の"Les amants"の作曲はギタリストの"Fred Chichin(フレッド・シシャン)"の作曲でパートナーのCatherine Ringer(カトリーヌ・ランジェ)とLes Rita Mitsouko(レ・リタ・ミツコ)というデュオを組んでいたフランス80年代の人気のミュージシャンです。(残念なことにフレッド・シシャンは2007年11月に53歳で亡くなりました。) 「ポンヌフの恋人」~恋人(レ・リタ・ミツコ) が収録されている映画音楽集はCINEMA SOLOISTで、他にはマイケル・ナイマンのピアノ・レッスン、エリック・セラのグラン・ブルー、ズビグニエフ・プレイスネルのトリコロール/白の愛とズビグニエフ・プレイスネルのトリコロール/赤の愛、ガブリエル・ヤレドの愛人/ラマンなどです。

1992年 Louis Malle's Fatale(ダメージ)
ジュリエット・ビノシュがファムファタルを演じるLouis Malle(ルイ・マル)監督の「Damage(ダメージ)」についてはAudio-Visual Trivia内のLouis Malle's Fatale(ダメージ)を参照。
貴方がもし妻だったら、夫が息子の嫁と関係を持っていたことを知ったらどうしますか。 貴方がもし青年だったら、花嫁が自分の父親と関係を持っている現場を目撃したらどうしますか。
※ちなみに運命の女という"Femme Fatale(ファムファタル)"はファム・ファタールと表記されることがあり、日本では妖婦(類稀なき美貌で男を惑わす女)と呼ばれ、淫婦(淫らな女や売春婦)と呼ばれるヴァンプとは一線をかくするものです。 では、毒婦は? セックスアピールで男を騙し悪事を働く女だそうです。

Juliette Binoche on Blue: The First Part of Kieslowski's Trilogy
1993年 Trois Couleurs: Bleu(トリコロール/青の愛)
Trois couleurs: Bleu
Juliette Binoche - Bleu  DVD今は亡きポーランドのKrzysztof Kieslowski(クシシュトフ・キエシロフスキー)監督が脚本も手掛けたこの作品は第50回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞、女優賞などを受賞しています。 「トリコロール/青の愛」の後、1994年にTrois Couleurs : Blanc(トリコロール/白の愛)と、Krzysztof Kieślowski(クシシュトフ・キェシロフスキ)監督の「Trois couleurs: Rouge(トリコロール/赤の愛)の三部作になっていますが、そのうち一番人気の高い"BLEU(青の愛)"にジュリエット・ビノシュが作曲家の夫を失った妻の役で出演しています。 トリコロールは"自由、平等、博愛"を表すフランスの国旗の色をテーマにした愛の物語です。
人気のズビグニエフ・プレイスネルの音楽25曲を収録したサウンドトラックはBleu: Bande Originale Du Filmで試聴出来ますが国内盤は「トリコロール/青の愛」です。
Juliette Binoche - "Bleu" - YouTube

1995年 Le Hussard Sur le Toit(プロヴァンスの恋)
フランスの作家「Jean Giono(ジャン・ジオノ)」の小説「Le hussard sur le toit(屋根の上の軽騎兵)」をJean-Paul Rappeneau(ジャン=ポール・ラブノー)監督が映画化しました。
詳細はブログ内の過去記事の「Le Hussard Sur le Toit(プロヴァンスの恋)」を参照。
※他にもジャン・ジオノの原作を映画化した日本では有名な映画にはPascale Audret(パスカル・オードレ)が可愛いオルタンスを演じた「河は呼んでいる」があります。

日本語字幕版の「プロヴァンスの恋」のDVD
Le Hussard Sur le Toitプロヴァンスの恋
字幕版 VHSの「プロバンスの恋」もあります。

1996年 The English Patient(イングリッシュ・ペイシェント)
ジュリエット・ビノシュが出演した映画で特筆すべきはアメリカ映画「The English Patient(イングリッシュ・ペイシェント)」でしょう。 セイロン出身のカナダ人作家であるMichael Ondaatje(マイケル・オンダーチェ)のポエティックな同名小説「イギリス人の患者」の原作をもとにAnthony Minghella(アンソニー・ミンゲラ )が監督および脚本も手掛け、最優秀監督賞を受賞したアンソニー・ミンゲラ監督と共にビノシュはアカデミーの助演女優賞を受賞しています。
全身火傷で記憶喪失の男は「イギリス人の患者」以外は何も分からない。 この戦争に翻弄された男は記憶の糸を手繰り、看護婦に不思議な愛の世界を語った。 ジュリエット・ビノシュがカナダ人の看護婦を演じます。
The English Patient Trailer - YouTube
「イングリッシュ・ペイシェント(Il paziente inglese)」の写真が見られるThe English Patient Photos - FILM.TV.IT

2006年発売の「イングリッシュ・ペイシェント」DVD
The English Patient with Juliette Binocheイングリッシュ・ペイシェント
言語版DVDの「The English Patient」もあります。

1996年リリースの「イングリッシュ・ペイシェント」のトサウンドトラックはThe English Patient: Original Soundtrack Recordingで試聴出来ます。
※イングリッシュ・ペイシェントの音楽はアカデミーの音楽賞を受賞したGabriel Yared(ガブリエル・ヤーレ又はヤレド)です。ガブリエル・ヤーレはその後、同じくミンゲラ監督の1999年の「The Talented Mr. Ripley( リプリー)」の音楽に続いて2003年には「Sylvia(シルヴィア)」と「Cold Mountain(コールド マウンテン)」など、そして2004年にはBrad Pitt(ブラッド・ピット)が主演した「Troy(トロイ) 」や「Shall we Dance?(シャル・ウィ・ダンス?)」と数々の名画の音楽を担当しています。 映画音楽活動の初期にガブリエル・ヤーレはJean-Jacques Beineix(ジャン=ジャック・べネックス)が監督した1986年の異色映画で「37 2 le Matin(ベティ・ブルー)」の音楽も担当しています。 1988年のLe Grand Bleu(グレート・ブルー)、1994年のLéon(レオン)、1997年のThe Fifth Element(フィフス・エレメント)などのLuc Besson(リュック・ベッソン)が監督したNikita(ニキータ)に出演したJean-Hugues Anglade(ジャン=ユーグ・アングラード)が主演だそうです。 ちなみに私が観たジャン=ジャック・べネックス監督の作品は素晴らしい1981年の日本デビュー作「Diva(ディーバ)」でした。 この映画は必見!

1999年 Les Enfants du siècle(年下のひと)
1830年代のパリを舞台にDiane Kurys(ディアーヌ・キュリス)が監督した文芸ドラマです。 主人公のフランスの女流作家のGeorge Sand(ジョルジュ・サンド)をジュリエット・ビノシュが演じ、年下の恋人の詩人のAlfred de Musset(アルフレッド・ド・ミュッセ)にはBenoît Magimel(ブノワ・マジメル)です。 1849年のLa petite Fadette(愛の妖精)などの代表作で知られるジョルジュ・サンドは恋多き女性でもあり、音楽家のフランツ・リストやフレデリック・ショパンとも浮名を流したとそうです。
「年下のひと」のトレーラーが観られるLes Enfants Du Siecle Trailer - Vergin Media
DVDは「年下のひと 特別版」です。

2000年 Chocolat(ショコラ)
ジュリエット・ビノシュもJohnny Depp(ジョニー・デップ)も望んで出演したというイギリス映画で、同じくジョニー・デップが主演した1993年の「What's Eating Gilbert Grape(ギルバート・グレイプ)」を監督したスウェーデンの「Lasse Hallstrom(ラッセ・ハルストレム)」の作品です。 ミステリアスなジュリエット・ビノシュが風のように現れ、風のように去る「ショコラ」は「Babette's Feast(バベットの晩餐会)」と同じように偏見に凝り固まった村人の心をとろかし、観ている方が涎(よだれ)が垂れる映画です。
チェロキー・インディアンの血をひくジョニー・デップはビートニク好きでケラワックの詩を愛読していますが、ジプシーもポエティックですね。
「ショコラ」のトレーラーが観られるChocolat Trailer - VideoDetective
Juliette Binoche and Johnny Depp in Chocolat - YouTube
☆Oasis recordsでギター曲のレコードをリリースしているというジプシー役のジョニー・デップがギターを演奏していましたが、サントラでは私の好きなジプシーギタリストのDjango Reinhardt(ジャンゴ・ラインハルト)が演奏する"Minor Swing"や黒人ブルース歌手のRobert Johnson(ロバート・ジョンソン)の"They're Red Hot"、そしてDuke Ellington(デューク・エリントン)作曲の"Caravan"などが使用されています。 映画「ショコラ」のオフィシャルサイト Le Chocolat Official Site - Bacfilms.com(イントロが終わると表示される左のメニューでBande Annonceをクリック、右でプレーヤーを選んでトレーラーが観られます。)
ラッセ・ハルストレム監督の1999年の「The Cider House Rules(サイダーハウス・ルール)」でも音楽を担当しているRachel Portman(レイチェル・ポートマン)作曲、David Snell(デヴィッド・スネル)指揮音楽の「ショコラ」のサウンドトラックはChocolat: Music from the Miramax Motion Picture (2001 Film)です。

2001年発売の「ショコラ」DVD
Chocolat with Juliette Binocheショコラ DTS特別版
「ショコラ」の廉価版DVDは「ショコラ (廉価2500円版)」があります。

ジュリエット・ビノシュが出演した2005年の作品にはドイツの監督Michael Haneke(ミヒャエル・ハネケ)のサスペンス映画のCaché(隠された記憶)、Richard Gere(リチャード・ギア)と共演したBee Season(綴り字のシーズン)や日本未公開ですがAbel Ferrara監督のMaryがあります。
Mary (2005) - YouTube

ジュリエット・ビノシュの最近の映画
「マレ地区」編では2003年の「Les Égarés(かげろう)」で衝撃的な新進俳優だったGaspard Ulliel(ギャスパー・ウリエル)も出演するオムニバスで、2006年のパリの街をテーマにした「Paris, je t'aime(パリ、ジュテーム)」では「ヴィクトワール広場」編に登場します。 ※「パリ、ジュテーム」のTuileries(チュイルリー)を担当したJoel Coen(ジョエル・コーエン)と弟のEthan Coen(イーサン・コーエン)両監督は2007年には究極のバイオレンス映画「No Country for Old Men(ノーカントリー)」を監督します。 同じく「パリ、ジュテーム」の"Faubourg Saint-Denis"編を監督したTom Tykwer(トム・ティクヴァ)は1998年に「Lola rennt(ラン・ローラ・ラン)」を監督していてサントラも評判でしたが「パリ、ジュテーム」のサントラにもトム・ティクヴァ監督が関わっています。 癒し系ポップスロックのLeslie Feist(レスリー・フィースト)が歌う"We're All in the Dance"などを収録しているサントラはParis Je T'Aime OST(全曲試聴はParis Je T'Aime [Soundtrack] - Amazon.com
その後はミステリー映画の「Quelques jours en septembre」の前に、「イングリッシュ・ペイシェント」のアンソニー・ミンゲラが監督する"偽りの愛の破壊と真実の愛"を追究するドラマ「Breaking and Entering(こわれゆく世界の中で)」にミンゲラ監督のお気に入り俳優であるJude Law(ジュード・ロウ)と共演します。
「こわれゆく世界の中で」のオフィシャルサイトBreaking and Entering - Movies.co.jpで映画情報と予告編が観られます。 果たして永遠の問題とされる真実の愛の答えは見つかるでしょうか。
そして2007年に予定されているのが「Le Voyage du ballon rouge(ホウ・シャオシェンの レッド・バルーン)」、コメディ界のSteve Carell(スティーブ・カレル)と共演する「Dan in Real Life」です。 そして「Désengagement」が続きますが、2007年4月の初旬にはイスラエルの監督Amos Gitai(アモス・ギタイ)が脚本も書いたという"Disengagement("撤退"  意味は婚約解消)"の撮影が終了するそうです。 "Désengagement(撤退)"は2005年のイスラエル軍のガザ地区から撤退した劇的な史実を描いている映画です。
※イスラエルのパレスチナ占領地からの撤退は1967年の第3次中東戦争以来初めてのことでした。 ちなみにDisengagement Plan(撤退計画)とはイスラエルによるガザ地区からの軍の全面撤退と全ユダヤ人入植者退去、ヨルダン川西岸の小規模入植地の解体を目指したものだとか。 この映画はヨーロッパ以外ではアメリカなどの映画祭で上映されただけなのでDVDは見当たりません。
この後ジュリエット・ビノシュの出演映画はLa fille de MonacoのFabrice Luchini(ファブリス・ルキーニ)も出演する2008年の「Paris(PARIS(パリ))」と「顔のない眼」でクリスティーナを演じたÉdith Scob(エディット・スコブ)も出演する「L'heure d'été(夏時間の庭)」が続きます。 ジュリエット・ビノシュはヒッパリダコで世界的に超売れっ子の女優ですが、2007年の作品でフランス語のタイトルは"Le Voyage du ballon rouge"という、Flight of the Red Balloon(ホウ・シャオシェンの レッド・バルーン)が2008年の7月に日本でも公開されます。 この作品は邦題にあるように「悲情城市」の監督として有名な台湾のHou Hsiao-Hsing(侯孝賢 ホウ・シャオシェン)が脚本も手がけたフランス映画で、1956年のフランスのファンジー短編映画で少年の後を子犬のように赤い風船が追いかける「Le Ballon rouge(赤い風船)」にインスピレーションを得たそうです。 おとなしい少年と中国人の子守が空想の世界を共にするというアジアン・テイスト色のドラマだそうです。 ビノシュは少年の多忙な母親役です。


Lo Esencial Perez Prado
Lo Esencial - Dámaso Pérez Prado
El Rey del Mambo: Dámaso Pérez Prado (1916 - 1989)

¿Quien inventó esa cosa loca?
マンボはキューバ生まれのマンボの王様「Dámaso Pérez Prado(ペレス・プラード)」の発明です?
キューバのインテリ家庭に育ったらしいペレス・プラードは幼少からクラシックのピアノを学んでいましたが1940年代にハヴァナのクラブのピアノ弾きになりました。(ピアニストだから作曲もOK)
Fireworks(花火)という曲ではドラミングが花火の打ち上げのように鳴り響くように、マンボはペレス・プラードが水や風や花火などの自然のサウンドを取り入れてルンバに似たアフリカ色の濃いマンボのリズムを創り出したのだとか。(この説には色々と異論があるようです。)
でも、この説には何の間違いもありません。 ペレス・プラードは世界中にマンボのリズムを広めました!

Dámaso Pérez Prado(ペレス・プラード)には同じく音楽活動をしていたPantaleon Perez Pradoという弟がいて1960年代頃はもっぱらヨーロッパで公演していたそうですが、1950年代には"マンボの王様"というタイトルの使用については裁判沙汰にもなったとか。
Pantaleón Pérez Prado Discography
※昔は""ペレス・プラド"と呼んでいた記憶があります。

Pérez Prado & Benny Moré
ペレス・プラードが生み出したマンボは当時のキューバでは流行りませんでしたが、メキシコへ渡って自分のバンドを結成して成功し、「Glenn Miller of Mexico(メキシコのグレン・ミラー)」と呼ばれてメキシコ映画にもたくさん出演しました。 後の大ヒットに繋がった1949年のメキシコでの初レコーディング当時、Qué Rico El Mambo(エル・マンボ又はマンボ・ジャンボ)やMambo No. 5(マンボ・ナンバー5)などをプラードの楽団で歌っていたのはペレスプラドがメキシコで出会ったのがBenny Moré(ベニー・モレ)だそうです。 El Barbaro Del Ritmo(リズムの野生児)という別名を付けられたベニー・モレはアメリカ市場を狙ったプラードと別れて本国のキューバに帰って、キューバの国民的歌手といわれるようになりました。
※キューバでは1990年代終わり頃からサルサの神様のようなベニー・モレの名を冠したFiesta de Benny More(ベニーモレ)音楽祭というのが開催されているそうです。
Benny Moré aka El Barbaro Del Ritmo - Ya Son Las Doce (Guaracha - mambo)- YouTube

Perez Prado & Stan Kenton a la mambo
1952年のこと、当時アメリカで人気のビッグバンドのバンドリーダーの一人「Stan Kenton(スタン・ケントン)」の大ファンだったペレス・プラードはマンボをアメリカのスウィングに近づけようと成功を目指して渡米し、スタン・ケントン楽団に曲を持ち込んだところ、スタン・ケントンの方がマンボ狂になってしまったそうでTaboo (Tabu)などマンボの曲をたくさん演奏しています。 ペレス・プラドもキャバレーTropicanaの専属バンドであるTropicana Orchestraのリーダー「Armando Romeu Gonzalez(アルマンド・ロメウ・ゴンザレス)」作曲によるというMambo a la Kenton(ケントン風マンボ)という曲を演奏しています。
Damaso Perez Prado - Mambo A La Kenton - YouTube
※アルマンド・ロメウは自ら点字を学んで数年前に亡くなったキューバン・ジャズの盲目のピアニストであるFrank Emilio Flynn(フランク・エミリオ・フリン)が楽譜を読めるように支援したミュージシャンだそうです。 プラードのマンボは最初アメリカではニューヨークのプエルトリコ人向けラジオで流されそれからロスアンジェルスの白人が聴くようになって1950年には大流行となったのです。 英語が全く話せないペレスプラードでしたがボデイランゲージを交え、スペイン語で書かれていても楽譜は世界共通語!と雇った白人ミュージシャン達にプラード手書きの楽譜で演奏することを強いたので読むには照明が暗かったこともあり笑えるようなな間違いもあったとか。
Perez Prado & Xavier Cugat
あちこちツアーして1954年には当時はラテンの王様だった憧れのXavier Cugat(ザヴィア・クガート)楽団のいるStarlight Roof of the Waldorf-Astoria Hotelに到達しました。 ミラーボールが煌く広間に真っ赤やロイヤルブルーの上着に金色のトリミング&ピンクのタイ! Rrrr--- ラッテン・グルーヴ!

Perez Prado - Mambo No. 5 - Rádio UOL
Damaso Perez Prado - Patricia - YouTube

Cereza Rosa
シャンソンのGuaglione(ガリオーネ)など何でもマンボにしてしまうペレス・プラードですが、渡米した1955年にアメリカでチャートインしたのは英語タイトルが"Cherry Pink And Apple Blossom White/Cerri Pink And Apple Blossom White"というCereza Rosa(セレサ・ローサ)でした。 シャンソンの作曲家であるLouiguy(ルイギ又はLouis Gugliemi/ルイ・ガリェーミ)とJacques Larue(ジャック・ラリュ)作詞の"Cerisier Rose et Pommier Blanc(バラ色の桜んぼと白いリンゴの花 )"はAndré Claveau(アンドレ・クラボー)の1950年のヒット曲ですがこの曲をちょっと扇情的なマンボにアレンジしています。 この曲は1955年のJane Russell(ジェーン・ラッセル)主演の映画「Underwater!(海底の黄金)」のテーマ曲として使用されました。
その後も1958年に「Patricia(パトリシア)」がチャートインしましたが60年代にはロックンロールの波に押されてペレス・プラードはキューバに帰ってしまいました。
ListenCherry Pink and Apple Blossom Whiteが聴けるpatchy's the Satin Smoothies Jukeboxesのjuke#1(左のジュークボックスをクリックして別窓の上から8番目)
Perez Prado - Jazz On Line.com(検索窓にCherry Pink And Apple Blossom White又はPerez Pradoと入力、タイトルをクリック)

どの曲を選ぼうと、ペレス・プラードの音楽は椅子に座って聴くなんてことは出来ません! 身体が独りでに動き出しマンボのステップを踏んでしまいます。

La Llorona Loca
ペレス・プラードが50年代にメキシコで出演した映画は10本以上ありますが、1951年の「Del Can-Can al Mambo(カンカンからマンボまで)」では、メキシコの名テノール歌手のPedro Vargas(ペドロ・ バルガス)と共に主役級で出演し、Que Rico Mambo、Mambo en SaxやMambo Baklanなど5~6曲を演奏しています。 その19世紀のカンカンと20世紀のマンボを類推しているコメディの中で、実際にはTony Camargoが歌っているコロンビアの歌「La Llorona Loca(ラ・ジョローナ・ロカ=狂った泣き女)」はペレス・プラードが口パクをしていたり、ピアノを弾いたりします。 日本では人気のあったTrio Los Panchos(トリオ・ロス・パンチョス)も出演しています。
Orquesta de Perez Prado, "La Llorona"- YouTube

Mambomania!
1950年代にはそれまでのルンバに代わってニューヨーク中の誰もがマンボを踊るようになり、ヒスパニックには容易なダンスも白人エリートにはリズムが取りにくく、当時有名なダンサーのKatherine Dunham(キャサリン・ダンハム、Katerine Duncanではない)のダンス学校に習いに行ったそうで、そこが一種の上流階級の社交場になったそうです。 キャサリン・ダンハムの舞踏団には若きアーサー・キットが参加して欧州ツアーに同行しています。

Mambo with Silvana Mangano
ペレス・プラードは出演していませんが、Robert Rossen(ロバート・ロッセン)が監督し、Carlo Ponti(カルロ・ポンティ)が制作に携わったセミ・ミュージカル映画の"Mambo(マンボ)"はイタリアグラマーのSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)が主演しました。 映画「Anna(アンナ)」の方でシルヴァーナ・マンガーノが歌った主題歌はマンボではなくてBaiao(バイヨン)でした。 1955年のミュージック・ライフ誌におけるSPレコード部門で3位だったのが1951年の「アンナ」の主題歌の"El Negro Zumbon"で前年には第1位で、作曲はイタリアのArmando Trovajoli(アルマンド・トロヴァヨーリ)が別名のRoman Vatro(ロマン・ヴァトロ)として作曲したそうで、ロマン・ヴァトロはGiordano Franco(フランコ・ジオルダーノ)と組んでソフィア・ローレンが歌った"Mambo Bacan"も作っています。 その時ペレス・プラード楽団のマンボNo.5が1位でセレソ・ローサが2位だったそうです。
※バイヨン(バイオーン)とはオリジンはポルトガルでブラジル北東部のサンバに近い軽快なダンスリズムです。
映画「マンボ」その当時の日本にしては早い公開で1955年に上映されていますがこの映画「マンボ」をリアルタイムでご覧になった方はおられるでしょうか。 ちなみに音楽は1954年に名作と呼ばれるFederico Fellini(フェデリコ・フェリーニ)監督の「La Strada(道)」でも音楽を担当したNino Rota(ニーノ・ロータ))も関わったそうです。

Mambo Et cetera
アメリカでは早々と廃ったかにみえたマンボでしたが、日本では昭和20年代後半からボチボチ聴かれ、昭和31年(1956年)に来日したペレスプラド楽団がきっかけとなり、この年に刊行された石原慎太郎の「太陽の季節」に触発されたアロハシャツ姿の太陽族の流行とも相まってパッチ風のマンボズボンを穿いてグラサン姿のマンボ族なる若者たちが出現しました。(当時1950年代には破廉恥と呼ばれました。)
天下の美空ひばりでさえ1952年(昭和27年)に"Omatsuri Mambo(お祭りマンボ)"を歌い、1953年にはトニー谷がソロバンを振りながら"アイブラユー!"と"さいざんすマンボ"を歌ったほどでその人気は60年代位まで続きました。
アメリカでもスイングバンドのStan Kenton(スタン・ケントン)やBilly Mays(ビリー・メイ)やビバップのDizzy Gillespie(ガレスピー)なども好んで演奏し、Sonny Stitt(ソニー・スティット)までも"Blue Manbo"と"Cool Mambo"を、そしてなんとMisty(ミスティ)のErroll Garner(エロール・ガーナー)が演奏した"Mambo Garner"なんていうのもありました。 演奏だけでなく、1954年に大ヒットしたヴォーン・モンローの"They Were Doin' Mambo"を始め、Rosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)の"Mambo Italiano"やPerry Como(ペリー・コモ)の"Papa Loves Mambo"などジャズやポップスの歌手たちもこぞってマンボを歌ったのでした。
☆1960年の東京国際劇場に於ける実況録音LP盤(日本VICTOR LIVING STEREO SHP-5069)とRCA Camden盤について書かれたブログ「忘却とは忘れ去ることなりき・・・」内のPrado in Japan, 1960
※私はこの浅草の国際劇場で1960年以前にSKD(松竹歌劇団)東京踊りは観に行きましたがプラードの公演を観ていないのが悔しいです。 下記のコメント欄にもプラードの国際劇場公演盤について書かれています。

The Original Mambo Kings
Armand Assante(アーマンド・アサンテ)とAntonio Banderas(アントニオ・バンデラス)が共演した1992年のアメリカ映画「The Mambo Kings(マンボ・キングス/わが心のマリア)」では、キューバからニューヨークに出て来たマンボ兄弟の葛藤を描いたミュージカルです。
※アーマンド・アサンテはデミ・ムーア主演の「素顔のままで」にも出演しています。
「マンボ・キングス」で使用されたプラードの曲を集めた1992年リリースのアルバム「The Original Mambo King」はプラードの曲を他の演奏者で収録したものです。
※映画ではBeny More(ベニー・モレ)の"Como Fue"や、"Mambo Diablo"がお得意のラテンの大御所Tito Puente(ティト・プエンテ)"も自身の役で出演し"Cuban Pete"などを演奏しましたが、 アントニオ・バンデラスも歌ったLOS Lobos(ロス・ロボス)の"Beautiful Maria Of My Soul"という曲が印象的でした。
The Crew Cuts(クルー・カッツ)のSh-Boom(シュブーン)は収録されていませんが、OST(サウンドトラック)「The Mambo Kings」にはアントニオ・バンデラスの"Beautiful Maria of My Soul (Bella Maria de Mi Alma)"をはじめ、Celia Cruz(セリア・クルース)が歌った"Melao De Cana"、ティト・プエンテの"Cuban Pet"や"Ran Kan Kan"など16曲が収録されています。

Perez Prado - Plays Mucho Mambo for Dancing
ペレス・プラードのLPデビューはヴィクターで1951年に録音したLP盤の「Mucho Mambo」で、アメリカでのシングル・ヒットになった"Que Rice El Mambo"から1年後のことだったそうです。 収録曲目はBabarabatiri、Pachito e Ché、Oh Caballo、プラードの定番曲となるMambo No. 8とMambo No. 5、そしてお決まりのトランペット・ソロが鳴り響くPianoloの全6曲です。(BabarabatiriとPachito e Ché以外は全てプラードの作曲だとか。)

Jazz a la Mambo!
1993年リリースのアルバムThe Original Mambo Kings: An Introduction to Afro-CubopはAfro-Cuban Suiteに代表されるCubop(キュウバンとビバップ)と呼ばれるラテンジャズが一時流行ましたがDizzy GillespieのためにChico O'Farrillにより編曲された有名なManteca Suite他、ラテンの王様でマラカスのMachito(マチート)の曲が収録されています。 トランペットがQuincy Jones(クインシー・ジョーンズ)、テナーがHank Mobley(ハンク・モブレー)など、ドラムがBuddy Rich(バディ・リッチ)、トロンボーンがJ.J. Johnson、アルトがCharlie Parker(チャーリー・パーカー)などなど豪華メンバーです。 パーカーと共演したMachito & his Orch(マチート楽団)のヴァーヴ録音にはMachito - Afro-Cuban JazzシリーズのLP「Afro-Cuban Jazz Suite: Mambo」のI(Pt. 1)やII(Pt. 2)などがあります。
マチート楽団やチャーリー・パーカーなどが演奏するラテンナンバーの試聴はOriginal Mambo Kings - Amazon.com

スタン・ケントンがマンボ好きでShorty Rogers(ショーティ・ロジャーズ)もご同様に自身が編曲したWuayacañanga SuiteをメインにDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)作曲のラテンジャズの名曲で、スペイン語ではLard(ラード)又はGrease(グリース)という意味の"Manteca"をテーマにアフロ・キューバン音楽のアルバム「Manteca」を1958年にリリースしています。ビッグバンドのリーダーとしてのショーティ・ロジャーズは主にflügelhorn(フリューゲルホーン)を演奏し、ドラムがShelly Manne(シェリー・マン)で、Carlos VidalやModesto Duranなどのラテン・パーカション奏者をフィーチャーしています。
Manteca: Afro-Cuban Influence(試聴はManteca Afro-Cuban Influence - Amazon.com

☆El Mambo(エル・マンボ)をはじめ人気の曲が満載のこのペレス・プラードのアルバムで貴方はマンボ通!
The Best of Pérez Prado: The Original Mambo No. 5The Best of Pérez Prado: The Original Mambo No. 5
Mambo a la KentonやMarilyn Monroe Mamboの他、ディズニーのトリビュートでHeigh-Ho(のThe Dwarfs' Marching Song白雪姫と七人のこびと)などが収録されています。
私の好きなFireworks(花火)という曲はなぜか滅多に見つかりませんが「Prez」や「The Greatest Hits」に収録されています。
☆試聴はPérez Prado - Prez - Amazon.com


Pérez Prado Plays Taboo...Don't Do!
ペレス・プラードのマンボの曲で私が好きなのは沢山ありますが、特にエキゾチックな演奏のタブー(タブウ)は格別です。

タブーの他にペレス・プラード定番のMambo No. 5(マンボ5番)やMambo No. 8(マンボ・ナンバー8)をはじめ、La Macarena(斗牛士のマンボ又は闘牛士のマンボ)、Cerezo Rosa(セレソローサ)、そしてBesame Mucho(ベサメ・ムーチョ)、Quizas, Quizas, Quizas(キサスキサス)、Quien Sera(キエンセラ)やHistoria de un Amor(ある恋の物語)などPerez Prado Orchestra(ペレス・プラード・オーケストラ)演奏のラテン・スタンダードが収録されています。
The Best of Mambo - Perez PradoThe Best of Mambo
試聴はThe Best of Mambo - Amazon.com
Mambo Jambo
「Mambo Jambo」は試聴なしですが、試聴できる国内盤「ベスト・オブ・ペレス・プラード」ではタブーの他、日本でもヒットしたお馴染みの曲が収録されたベスト・オブ・ペレス・プラード
Mambo Jambo! ちんぷんかんぷん!

Big Hits By Prado
1960年にRCAからリリースされたペレス・プラード人気LP盤はCD化されていないようです。
※2001年の2枚組み輸入盤「Lo Mejor de lo Mejor」には定番のマンボ曲の他にSkokiaanやAnna (El Negro Zumbon)など全40曲が収録されています。

Mambo Ni Hablar
2004年の映画"Shall We Dance?(シャル・ウィ・ダンス?)"で使用されたということですが、中々見つからないペレス・プラードの"Mambo Ni Hablar(マンボ 問答無用)"!
Perez Prado [Best of] - Mambo Ni HablarPerez Prado
"Ni Hablar"はQue Rico el Mambo、Patricia、Corazon de Melon、Mambo No. 5、Cerezo Rosaなども収録されているアルバムはHall Of Fame: Historia Musical
他にはヴィクターエンターテイメントの「PEREZ PRADO DELUXE 1. MAMBO SUCCESS(ペレス・プラード全集 (1) これぞマンボ!)」4枚組セットのタブーはあまりお勧めのバージョンではないのですが、このアルバムには他には何処にも見つからない珍しい"Huapango De Perez Prado(ペレス・プラードのウアパンゴ)"が収録されています。(ウアパンゴとはペレス・プラードが大成功を収めたメキシコの伝統民謡です。)

ページトップの画像は定番曲の他に"Caballo Negro(黒馬マンボ)"などを収録して2005年に発売されたアルバムの「Lo Esencial Perez Prado」ですが日本のAmazon.co.jpには試聴が無いにもかかわらず売れ筋らしいです。
Mambo No. 5、Mambo en Sax、Que Rico el Mambo、Mambo No. 8、Mambo a la Kentonなどの定番が収録されています。
☆全試聴はLo Esencial Perez Prado - Amazon.com

Our Man in Latin America - Perez Prado
1963年(もしくは1967年)にRCA Victorからリリースした"Our Man In "シリーズのLP盤レコード「The Best of...」ではキューバの代表的なソンや、哀愁を帯びたプエルトリコのボレロやメキシコやチリのカンシオンなどを当時流行のチャチャチャやツイストやボサノバなどにアレンジし、Bongosonという新しいリズムを紹介しています。 ボサノヴァにアレンジしたCanto Siboney、ルンバにアレンジしたEl Manisero(The Peanut Vendor)、BongosonにアレンジしたEstrellita Del SurやGuadalajaraなど12曲を収録しています。 このLPがCD化されたかどうかは不明です。

ペレス・プラード楽団 の映像が観られる世界で唯一のVHSビデオはペレス・プラード楽団/奇蹟の映像コレクション(1) マンボの王様~ペレス・プラード・ショウには聴いたこともない「工業学校生のマンボ」、「大学マンボ」、 「マンボ黒馬」の他にインタビューやペレス・プラードの葬儀の映像が収録されているそうです。


Audio-Visual Trivia内のペレス・プラードに関連した記事
Mambo a la Kentonのスタン・ケントンについてはジューン・クリスティ
ラリー・クリントンについてはラリー・クリントンとビー・ウェイン
ペレス・プラードのMambo Ni Hablarについてはシャル・ウィ・ダンス?

☆ペレス・プラードのTaboo(タブー)についてはAudio-Visual Trivia内のTaboo
☆チェ・ゲバラの葬儀で流れたペレス・プラードの組曲(Theme Of Two Worlds)についてはVoodoo Suite & Exotic Suite of the Americas


Perez Prado - Caballo Negro (Rumbas & Congas) - Perez Prado/Xavier Cugat/Lecuona - Rádio UOL

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