May 2007 Archives


Danielle Darrieux: Intégrale 1931-1951
Danielle Darrieux: Integrale 1931-1951
Dans Mon Coeur par Danielle Darrieux

Danielle Darrieux
1917年にボルドーで生まれたフランス女優で歌手のダニエル・ダリューはパリのConservatory(音楽学院)でクラシックのセロを学んでいた時、あまりの美しさゆえに14歳で映画に抜擢され1931年のLe Bal(ル・バル)でデビューしたそうです。 それ以降、毎年1~2本の作品に出演してきました。 あどけない乙女から百戦練磨の妖艶な貴婦人まで演じたダニエル・ダリューの最盛期は1950年代と言われますが、2002年にも「8 femmes(8人の女たち)」といった話題作に出演しています。 2007年には90歳を迎えるダニエル・ダリューはフランスで最もご長寿の現役女優です。 美貌と美声に恵まれ、尚かつ長命とこれ以上望めないほど素晴らしい人生を送っているようで私は常に羨望の眼差しを向けています。 上品とか気品といった形容詞がぴったりの絶世の美女「ダニエル・ダリュー」は貴婦人を演じたら天下一品です。 おまけに声がとても可愛いらしく、ことにグレタガルボ風のメイクをしていない時は「美女」というよりも愛くるしい(キュート)と言うべきか、キョトンとした丸い目とおちょぼ口がとてもチャーミングなのです。

1931年 Le Bal(ル・バル)
ウィーン出身のドイツ映画監督であるWilhelm Thiele(ヴィルヘルム・ティーレ)の「ル・バル(舞踏会)」は 突然金持ちになった食料品屋夫婦が娘そっちのけの生活を送り、それを恨んだ娘は両親が催す予定の「ル・バル/舞踏会」をぶち壊した結果、両親(夫婦)の危機状態を救ったというストーリーです。 「ル・バル」の音楽は後に1931年のDer Kongress tanzt(Der Kongreß tanzt - 會議は踊る又は会議は踊る)や1940年のThe Shop Around The Corner(桃色(ピンク)の店)などを担当した、ドイツ出身のユダヤ人である作曲家のWerner Richard Heymann(ウェルナー・リヒャルト・ハイマン )です。 現在は「ル・バル」のビデオも情報も見つかりませんが、兎にも角にもダニエル・ダリューのデビュー作品だそうです。

1934年 Mauvaise Graine(悪い種子)
画像はAmazon.comにある「Mauvaise Graine」のDVDですがこちらはフランス語英語字幕の輸入版VHSです。
Mauvaise Graine (Sub B&W)
Mauvaise Graine - Danielle Darrieuxフランス映画「悪い種子」の英語のタイトルは"Bad Blood"といい、William March(ウイリアム・マーチ)の小説をMervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)監督が映画化した1956年のサスペンス映画の「The Bad Seed(悪い種子)」とは全く別の映画で、悪い子には違いありませんがダニエル・ダリューが窃盗団の姉御役で主演した1930年代のパリを舞台にした元祖ヌーヴェルヴァーグです。 パパの戒めを受けたプレイボーイの金持ち坊ちゃんがこともあろうに車泥棒の一味に加わってしまい、おまけにそのスペイン人の泥棒姉御と恋に堕ちてしまうという話です。
「悪い種子」はBilly Wilder(ビリー・ワイルダー)が脚本にも関わっています。 車上からカメラでパリの町並みを映した野外撮影だそうですから当時としてはかなり斬新な映像だったでしょう。 オーストリア出身のユダヤ人であるビリー・ワイルダーはドイツで記者をしていましたが、ナチスの脅威によりベルリンからパリに逃げて来ました。 映画活動を控えていましたがこの「Mauvaise Graine(悪い種子)」が映画監督デビューへの良いきっかけとなったそうです。 しかしこの作品の後にすぐ渡米(パリからハリウッドへ)してアルコール依存症をテーマにした1945年の恐ろしい映画「The Lost Weekend(失われた週末)」ではアカデミー監督賞を受賞するに至り、1959年の娯楽映画「Some Like It Hot(お熱いのがお好き)」など多くの笑いとペーソスを交えたアメリカ映画の監督として有名になりました。
※日本で入手出来るMauvaise Graine(悪い種子)のVHSはMauvaise Graine (VHS)

1936年 Club de femmes(禁男の家)
Club de femmes VHS
Club de femmes VHS←ダニエル・ダリューと従姉妹に女装したボーイフレンド
作家のJacques Deval(ジャック・ドゥヴァル)が唯一の監督した「禁男の家」に出演しています。 2002年のFrançois Ozon(フランソワ・オゾン)監督の「8 femmes(8人の女)」 の登場人物が全て女性だったように、この映画は女性だけが出演する始めての映画で、当時としては珍しくレズや女装を扱っています。 男子禁制の女子寮には厳格な寮長の監視下に150人もの身寄りの無いうら若き乙女たちが生活しています。 ダニエル・ダリューが演じる娘はボーイフレンドを女装させて従姉妹と偽り寮に連れ込みます。 彼氏が変な歩き方をするので寮長にバレてしまうのですが、男手の無い女子寮での一大事に活躍したので免除になるというおまけ付きです。 守ってあげるべき操などないとんだ乙女たちの館でしたというお話。(ビリー・ワイルダー監督のお熱いのがお好きで女装したバンドマンたちの歩き方を参照)
「禁男の家」にはJean Cocteau(ジャン・コクトー)が監督した1946年の「La Belle et la Bête(美女と野獣)」で可憐な末娘のベルを演じたJosette Day(ジョゼット・デイ )が同性に好かれるタイピスト役で出演しています。

"Club de femmes"は1956年にRalph Habib(ラルフ・アビブ)という監督がリメイクしていますが、邦題は「乙女の館」で50年代の売れっ子新進女優のDany Carrel(ダニー・カレル)やNicole Courcel(ニコール・クールセル)やAgnès Laurent(アグネス・ローラン)などフランス若手女優陣が出演しています。 ボーイフレンド役はJean-Louis Trintignant(ジャン=ルイ・トランティニャン)だそうです。 ニコール・クールセルは1949年のLa Marie du port(港のマリィ)でJean Gabin(ジャン・ギャバン)を相手に娼婦を演じた官能的女優です。
色っぽい一方無邪気なキャラクターを持ち合わせたダニー・カレルは母親がベトナム人(仏領インドシナ)なので異国風のまなざし(ちょっとつり目)と素敵な頬で当時のフランス映画では人気がありました。 デビューはHenri Decoin(アンリ・ドコアン)監督の1953年のDortoir des grandes(上級生の寝室)という白黒映画で、Fantomas se dechaine(ファントム)コンビのJean Marais(ジャン・マレー)とLouis de Funès(ルイ・ド・フュネス)や、フランソワーズ・アルヌールと死刑台のエレベーターのJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)が出演したミステリーです。 ダニー・カレルは「乙女の館」の後、1957年にRene Clair(ルネ・クレール)が監督したPorte des Lilas(リラの門)や1958年にMagali Noël(マガリ・ノエル)やRaf Vallone(ラフ・ヴァローネ)とCharles Brabant(シャルル・ブラバン)監督のLe Piège(鍵穴)に出演しましたが、その後はFrançois Truffaut(フランソワ・トリュフォー)やJean Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)といったヌーヴェルバーグの監督には注目されず終いで、主に欧州で軽いコメディやB級ホラー映画に出演していました。
1967年の「リラの門」ではGeorges Brassens(ジョルジュ・ブラッサンス)がAu bois de mon coeur(ぼくの心の森で)などのシャンソンを歌っています。

1935年 Mayerling(うたかたの戀)
Mayerling VHS
darrieux_mayerling.jpg現在も人気の「うたかたの戀(又はうたかたの恋)」はAnatole Litvak(アナトール・リトヴァク)が監督しました。 映画化のもとになった原作は皇太子の恋物語(マイヤーリンク事件)を実際に近い形でスイス出身のフランス人ジャーナリストだったClaude Anet(クロード・アネ)が書いた小説です。 ボリシェヴィキ革命中にロシアに滞在していたというクロード・アネは1957年の ビリー・ワイルダー監督のお洒落なロマンスコメディ「Love In The Afternoon(昼下りの情事)」の原作者としても有名です。 歴史的にはヨーロッパでの第一次世界大戦勃発の引き金となったオーストリア皇太子暗殺のサラエボ事件は1914年に起こりましたが、マイヤーリンク事件をもとにしたメロドラマの「うたかたの戀」は17歳のダニエル・ダリューが演じた民間のお嬢さんとCharles Boyer(シャルル・ボワイエ)が演じたオーストリア皇太子との叶わぬ恋の末の心中を描いた悲恋物語なので涙なしには観られないそうです。
アナトール・リトヴァク監督は日本では1961年にFrançoise Sagan(サガン)の小説「Aimez-vous Brahms?(ブラームスはお好き)」の映画化で「Goodbye Again(さよならをもう一度)」が有名です。 
映画音楽はワルツ王と呼ばれたウィーンの音楽家であるJohann Strauß(ヨハン・シュトラウス2世)のG'schichten aus dem Wienerwald(ウィーンの森の物語)や白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形というの3大バレエ楽曲の作曲家として知られるPyotr Ilyich Tchaikovsky(チャイコフスキー)のThe Nutcracker(くるみ割り人形)が使用されています。
※上記の画像はは輸入版VHSですが、国内版のMayerling(うたかたの戀)のDVDはうたかたの戀 DVD

1938年 Retour A L'Aube(暁に帰る)
当時ダニエル・ダリューの第三番目の夫君だったHenri Decoin(アンリ・ドコアン)が監督したダニエル・ダリュー賛美の映画ですが、当時としては前衛的なフィルム・ノワールです。 汽車の旅に憧れたハンガリア人のヒロイン"Anita(アニタ)"は半ば衝動的にハンガリーの田舎の駅長と結婚しますが満ち足りてはいませんでした。 そんな折、親戚の遺産を相続するために憧れの都会「ブダペスト」への汽車の一人旅を決行します。 遺産を手にして変身したアニタですが同郷のプレイボーイとの恋の冒険を退けたものの、ハンサムな宝石泥棒に利用される危ない一件がありました。 結局、貞淑なヒロインは暁には心配する夫君の腕の中に帰ったのでした。
※アンリ・ドコアンは「暁に帰る」に続いて同年にダニエル・ダリューが身寄りの無い悪徳の学生を演じたAbus de confiance(背信)を監督した他、1935年のLe Domino vert、1936年にMademoiselle Ma Mère、1952年のLa Vérité sur Bébé Donge、1955年にL'Affaire Des Poisonsなどを監督しているそうですが、フランスでは「暁に帰る」と「背信」のビデオは見つかりません。
「暁に帰る」についての情報は皆無で写真も見つかりませんが、私が最もダニエル・ダリューに惹かれたのが「Retour à l'aube(暁に帰る)」の主題歌として歌われたDans Mon Coeur(我が心に)なのです。 このテーマ曲はPaul Misraki(ポール・ミスラキ)の作曲で歌詞はAndré Hornezですがダニエル・ダリューの歌声といったら筆舌に尽くし難いほど美しいのです。 Dans Mon Coeurを収録した手持ちのカセットテープを一斉処分したことを今ごろ後悔しています。 1950年代にフランス映画音楽で活躍したトルコ出身のポール・ミスラキといえば1956年にBrigitte Bardot(ブリジッド・バルドー)が主演した「En effeuillant la marguerite(裸で御免なさい)」や1959年にFrancoise Arnoul(フランソワーズ・アルヌール)が主演した「Le Chemin des écoliers(学生たちの道)」の他にもはJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)の「À double tour(二重の鍵)」や「Le Doulos(いぬ)」などたくさんの映画音楽を手掛けています。
Retour à l'aube(暁に帰る)の映画ポスターが観られるRetour à l'aube Poster - DVD Classic.com
ダニエル・ダリューが歌う「Retour A L'aube(暁に帰る)」テーマ曲の"Retour à l'aube(暁に帰る)"はこのページトップのCD「Danielle Darrieux/Integrale 1931-1951」に収録されています。
試聴はDanielle Darrieux: Intégrale 1931-1951 - Amazon.com
Danielle Darrieux - Retour A L'aube (1938) - YouTube

1938年 The Rage of Paris(巴里の評判娘)
The Rage of Paris VHS
The Rage of Paris by Danielle Darrieuxダニエル・ダリューがお金持ちと結婚しようとする貧乏なパリ娘を演じたHenry Koster(ヘンリー・コスター)監督のコメディです。 ベルリン出身の監督でオーストリアやドイツで映画を監督していたヘンリー・コスターの作品というと、「巴里の評判娘」の前年の1937年に監督した「One Hundred Men and a Girl(オーケストラの少女)が有名ですが、1965年にブリジット・バルドー が客演したジェームズ・スチュワート主演の「Dear Brigitte(ボクいかれたヨ!)」なんていう作品もあります。
仕事がなくて家賃も滞納しているパリ娘が女友達のアイデアと助けを得て、パリのお嬢様という触れ込みで結婚相手を探します。
お目当ては豪華ホテルに滞在する百万長者! ところがひょんなことから身元を知られてしまったDouglas Fairbanks Jr.(ダグラス・フェアバンクス・Jr)が演じる百万長者の友人に邪魔をされてしまいます。 傷心のダニエル・ダリューはフランスに帰国しますが、その船上に乗って来たのがなんとあの邪魔男だったのです。 道理で邪魔するハズだわね。

1952年 L'affaire Ciceron(シセロの恋)
5 Fingers VHS
L'affaire Ciceron with Danielle Darrieux英語のタイトルは5 Fingers又はFive Fingers(五本の指)といいますが、ダニエル・ダリューが伯爵夫人役で出演したハリウッド製スパイ映画です。 実際にあった事件を書いたL.C. Moyzisch(L・C・モイズイッシュ)の原作をJoseph L. Mankiewicz(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)監督が映画化しました。 1947年にCarol Reed(キャロル・リード)監督の「Odd Man Out(邪魔者は殺せ)」に出演したJames Mason(ジェームズ・メイソン)がリオでの豪華生活を夢みるトルコの英国大使館執事のUlysses Diello(ディエロ)に扮し一攫千金を企む売国奴となりますが、ドイツに財産を没収され一文無しになったポーランドの伯爵夫人にディエロが手にするはずの金を横取りされてしまいます。
スパイには恋は禁物! 恋は盲目!
☆L'affaire Ciceron(五本の指)の映画ポスターが見られるL'affaire Cicéron - Art et Essai.org
ジェームズ・メイソンは1962年にStanley Kubrick(スタンリー・キューブリック)監督の「Lolita(ロリータ)」の教授役や、「Mandingo(マンディンゴ)」などに出演しています。 フライシャー監督の1954年の「20000 Leagues Under the Sea(海底二万哩)」ではメイソンがニモ船長で出演しています。
※Richard Fleischer(リチャード・フライシャー)監督がアメリカの奴隷牧場を扱った1975年の映画「Mandingo(マンディンゴ)」の音楽はIsadra(裸足のイサドラ)のMaurice Jarre(モーリス・ジャール)ですが映画ではHi Tide Harris(ハイ・タイド・ハリス)作曲のテーマ曲"Born in This Time"をMuddy Waters(マディ・ウォーターズ)が歌っているそうです。 ついでに奴隷牧場なるものについて記述すると、これは実際にアメリカの南部にあったらしく、奴隷を買うより白人男の種付けで新種奴隷を量産する方が安上がりもしくはミルクチョコレート色の肌をした混血奴隷はより儲かるという恐ろしいシステムだそうです。 1971年のイタリアのGualtiero Jacopetti(グァルティエロ・ヤコペッティ)監督のAddio zio Tom(Uncle Tom/残酷大陸)にもドキュメンタリーもどきに描かれていました。
「五本の指」の音楽はBernard Herrmann(バーナード・ハーマン)です。 日本ではOrson Welles(オーソン・ウェルズ)の1941年のCitizen Kane(市民ケーン)や1944年のJane Eyre(ジェーン・エア)、1947年のThe Ghost and Mrs. Muir(Aventures de Mme. Muir/幽霊と未亡人)、そしてAlfred Hitchcock(アルフレッド・ヒッチコック)監督の1958年のVertigo(めまい)や2003年のQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)監督Kill Bill Vol.1(キル・ビル1)のTwisted Nerveなどの怖い音楽で知られています。
video「Five Fingers(五本の指)」のトレーラーが観られるL'affaire Cicéron Bande-Annonce - Comme Au Cinéma
※1989年リリースノ国内版のVHSは五本の指
☆映画の英語タイトルの「五本の指」とは"①渇望、②強欲、③激情、④欲望、⑤罪悪"を意味するそうですが一般的には泥棒のことだとか。 Cicéron(Cicero)とはスパイのコードネームだそうです。
※史実としては、第二次世界大戦中にナチスに秘密文書を手渡したスパイのElyesa Bazna(エリザ・バズナ)はアンカラに赴任した英国大使の従者だったそうです。 英国の諜報機関はエリザ・バズナは英語が分からないオバカ扱いして気がつきませんでしたので、金に目が眩んだバズナはドイツの雇われ諜報員として活動していました。 その時与えられたコードネームがCicero(キケロ)だったのです。 後の1962年に「 I was Cicero(わが名はキケロ)」という本を出版しました。

1953年 Earrings of Madame De...(たそがれの女心)
The Earrings of Madame de... VHS
The Earrings of Madame de...- Danielle Darrieux「うたかたの戀」で共演したシャルル・ボワイエとダニエル・ダリューが夫婦役を演じる「たそがれの女心」にはVittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)がダリュー奥様に取り入る紳士の一人として出演しています。 「たそがれの女心」は、1948年にJoan Fontaine(ジョーン・フォンテイン)とLouis Jourdan(ルイ・ジュールダン)が出演した「Letter From an Unknown Woman(忘れじの面影)」を監督したMax Ophuls(マックス・オフュルス)の代表作品となっています。 ちなみにルイ・ジュールダンはAlida Valli(アリダ・ヴァリ)とグレゴリー・ペックが出演した1947年の「The Paradine Case(パラダイン夫人の恋)」や1955年のGrace Kelly(グレイス・ケリー)最後の主演映画の「The Swan(白鳥)」などたくさんの映画に出演したフランスの二枚目俳優です。
ただ単にMadame(夫人)としてだけで登場するダニエル・ダリューは合意の上での結婚とはいえ愛無き生活に拘束された欲求不満から若い取り巻き連中と遊ぶために借金までこしらえてしまいます。 紳士の典型のようなご主人に甘やかされて放蕩三昧の挙句に夫君から贈られたイヤリングを手放す羽目に陥ちいる貴族の奥様です。 「あ~、これも駄目。 あ~、これを手放したら死んじゃうわ。」とダニエル・ダリューが質草を選ぶ場面がとても可愛いです。 結局旦那様に買って貰ったイアリングにしたのですが・・・

日本で入手出来るMadame de...(たそがれの女心)の2001年版DVD
Earrings of Madame De... - Danielle Darrieuxたそがれの女心
2003年版DVDはたそがれの女心


1954年 Le Rouge et Le Noir(赤と黒)
The Red and The Black (Le Rouge Et Le Noir) (VHS)
Le Rouge et Le Noirその他の出演映画としては、ダニエル・ダリューが37歳の1954年に、ため息の出るようなハンサムなGerard Philipe(ジェラール・フィリップ)やイタリア女優のAntonella Lualdi(アントネラ・ルアルディ)と共演しました。
「La Chartreuse de Parme(パルムの僧院)」でも有名なフランスの作家のStendhal(スタンダール)が書いた1830年の原作をClaude Autant-Lara(クロード・オータン=ララ)監督が映画化した「Le Rouge et Le Noir(赤と黒)」があります。
国内版のDVDは赤と黒 DVD
デビュー間もない男と女のAnouk Aimée(アヌーク・エーメ)も顔を見せているJulien Duvivier(ジュリアン・デュヴィヴィエ)監督の1957年の「Pot-Bouille(奥様ご用心)」でもダニエル・ダリューと共演したジェラール・フィリップは惜しくも1959年の「Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)」を最後に亡くなっています。 クロード・オータン=ララ監督は1947年にMicheline Presle(ミシュリーヌ・プレール)が貴婦人役で主演した「Le Diable au Corps(肉体の悪魔)」や1958年にブリジッド・バルドーが主演した「En cas de malheur(可愛い悪魔)」など私の好きな恋愛映画を監督しています。

この後は1955年の「L'Amant de Lady Chatterley(チャタレイ夫人の恋人)」、1962年の「Le diable et les dix commandements(フランス式十戒)」と次々と出演しています。
"Quand tu est parti" par Danielle Darrieux avec des photos - YouTube
「Les Parapluies de Cherbourg(シェルブールの雨傘)」に続きJacques Demy(ジャック・ドゥミ)が監督した南仏の港街を舞台にした1966年のミュージカル映画「Les Demoiselles de Rochefort(ロシュフォールの恋人たち)」ではMaurice Dorléac(モーリス・ドルレアック)の娘であるFrancoise Dorléac(フランソワーズ・ドルレアック)とCatherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーヴ)が演じた姉妹の母親役をダニエル・ダリューが演じています。(この3年後に25歳のフランソワーズ・ドルレアックは自動車事故で急逝) 他の出演者にはAn American In Paris(巴里のアメリカ人)のGene Kelly(ジーン・ケリー)、West Side Story(ウエスト・サイド物語)では紫のシャツでブレイクしたGeorge Chakiris(ジョージ・チャキリス)、ドヌーヴの恋人役には美青年のJacques Perrin(ジャック・ペラン)、そしてMichel Piccoli(ミシェル・ピッコリ)と豪華キャストです。 「ロシュフォールの恋人たち」の音楽は「シェルブールの雨傘」と同じくMichel Legrand(ミシェル・ルグラン)です。
video「ロシュフォールの恋人たち」のトレーラーが観られるLes Demoiselles de Rochefort - Comme Au Cinéma

ダニエル・ダリューはこの後もさらにさらに映画に出演し、2002年にはFrançois Ozon(フランソワ・オゾン)監督の「8 femmes(8人の女)」に出演して相変わらず美しい声でGeorges Brassens(ジョルジュ・ブラッサンス)の"Il n'y a pas d'amour heureux(幸せな愛はない)"を歌っているのですから驚きです。
2003年にはJosée Dayan(ジョゼ・ダヤン)監督の仏TVドラマ「Les Liaisons Dangereuses」ではダニエル・ダリューはロズモンド婦人を、カトリーヌ・ドヌーヴがメルトイユ侯爵夫人を演じたそうです。

☆Club de femmes(禁男の家)やRetour A L'Aube(暁に帰る)などのダニエル・ダリュー主演の映画ポスターが見られるダニエル・ダリューのサイトはDanielle Darrieux - Films De France.com(左にある出演作品のリストをクリックすると各映画のポスター画像が見られます。)


ダニエル・ダリューのシャンソン
ダニエル・ダリューは女優であると共にシャンソン歌手としても有名で、Dans Mon Coeur以外にもいくつかの映画で歌いサントラに収録されているそうです。 1942年にはLe premier rendez-vous、「La chanson d'amour 1958 - 1962」などに収録されていたGarde Moi la Derniere Danse(ラストダンスは私に)などのヒット曲があります。
☆ページトップのCD画像はダニエル・ダリューの2枚組のアルバム"Danielle Darrieux: Integrale 1931-1951"です。 ダニエル・ダリューが歌う映画「Retour A L'Aube(暁に帰る)」で歌われた私の大好きなテーマ曲"Dans Mon Coeur"が収録されています。
Danielle Darrieux - Premier rendez-vous (1941)- YouTube
Danielle Darrieux - Tango dans La Fausse Maîtresse (1942) - YouTube

Dans Mon Coeurの他22曲が収録されたダニエル・ダリューのCD
Les +Toiles De La Chanson
Les +Toiles De La Chanson by Danielle Darrieux
試聴はフランスのLes Etoiles de la chanson - Amazon.fr

Petite FleurやSuzy Wongなどレアな曲を収録した各20曲入り2枚組CD
Le Meilleur De...
Le Meilleur De... by Danielle Darrieux
試聴はLe Meilleur De... - Amazon.fr

Disque D'OrはフランスのDisque D'Or - Amazon.frだけにあるCDですが試聴はありません。



Fe-fe, fi-fi, fo-fo, fum...
コースターズは1950年代に活躍したDoo Wop(ドゥ・ワップ)やR & Bのヴォーカル・グループでコミカルなパーフォーマンスで人気となりました。 海外のジャンル分けではユーモラスなコーラスが多いのでR & Bコミックバンドともされています。 ちなみにグループ名のThe Coastersは遊園地のジェットコースターのことではなく、音楽活動の場としていたウエスト・コー-スト(ロスアンジェルス)から付けられたそうです。
1960年に入った頃、私が初めてコースターズの曲を聴いたのはYakety Yak(ヤキティ・ヤック)とCharlie Brown(怪漢チャーリー・ブラウン)です。


ATLANTIC ATL 1028
The Coasters
クリックで画像拡大可

私が1960年代に購入したEP盤のATLANTIC ATL - 1028 「怪漢チャーリー・ブラウン」は黄色地にガンマンの漫画が描いてあり、B面は「Three Cool Cats(スリー・クール・キャッツ)」で両方ともロックンロール史上最も重要なソングライター・コンビのLeiber-Stoller(リーバーとストーラー)コンビ作の曲です。 リーバー&ストーラーはコースターズの他にElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)にはHound DogやJailhouse Rockなど、Ben E. King(ベン・E・キング)にはStand By Me、The Drifters(ドリフターズ)には1956年にRuby Baby(ルビー・ベィビー)の他Save The Last Dance For Me(ラスト・ダンスは私に)、On Broadway、Up On The Roofなどたくさんの曲を書いています。
Bee, bee ba, ba, bo, bo, bo! (ビービー!バーバー!ブーブーブー!)と喧しくもあり面白くもありましたが子供番組用の曲だと知ればなるほど!と納得がいきます。
Yakety Yak - The Coasters - YouTube(music & lyrics)
The Coasters - Charlie Brown (1959) - YouTube(music only)
The Coasters - Three Cool Cats (1959) - YouTube

A tribute to Billy Guy - The Coasters
私が好きなインターネットラジオのWFMUのコースターズのトリビュート1時間番組をReal Playerで聴きながら記事をご覧下さい。
ListenPlaylists and Archives for Downtown Soulville with Mr. Fine Wine from 2002のページでリストの一番上にあるDecember 27, 2002: A tribute to the brilliant singer and comedian Billy Guy--who passed away in November--featuring lesser-known Coasters records that he sang lead on; rare solo 45s.の右のListenをクリック(分からなければこの→Listen
wfmuラジオでは天才的バリトン(テナー)歌手のBilly Guy(ビリー・ガイ)が66歳で亡くなった2002年の11月の以下月後にコースターズ特集番組を放送しました。 いつものプレイリストページが見当たらないので曲目についてはDJの説明を聴いて下さい。 最初の曲は番組のテーマ曲ですが、次のDJのバックはShoppin' for clothesのイントロ部分です。 冒頭ではなく、最初に紹介されるコースターズの曲が1960年のStewballで、次も1960年のWake me, shake me、The Isley Brothers(アイズレー・ブラザーズ)の1961年のヒット曲をコースターズがカバーした1962年のTeach Me How to Shimmyなど約1時間の番組が聴けます。

♪ The Coasters sings Must Be Dreamin & Lady Like

The Robins
コースターズはロスアンジェルスでThe Robins(ロビンズ)という名で1949年からレコード吹き込みを開始し1955年秋まで同じメンバーで活動していました。 1954年のRiot in cell block # 9に続き、Smokey Joe's Cafeが1955年に全米79位となりましたがSmokey Joe's Cafeを作曲したロスアンジェルスのユダヤ人コンビのLeiber-Stoller(リーバーとストーラー)が書いた愉快な物語的な曲は1953年頃から始まったらしいです。 ヒット曲が出て乗ってきたところが、リードヴォーカルの独立によりロビンズは分裂してしまいました。 ニューヨークのアポロ劇場にも出演したThe Robins(ロビンス)は元祖監獄ロックの「Riot In Cell Block #9(第九監房の叛乱)」、「Smokey Joe's Cafe(スモキー・ジョーのカフェ)」といったナンバーをヒット・チャートに載せています。
※英語ですがThe Robins時代のメンバーやページ下のほうでJerry Leiber and Mike Stoller(リーバーとストーラー)コンビの写真が見られるJust Like A Fool" by The Robins Potos - The Vocal Group Harmony Web Site
※日本でも"青いバスに乗せられて 揺られ揺られて行く先は その名も高き練馬区の 東京少年鑑別所・・・"とまるで青少年犯罪謳歌のような「ネリカンブルース(練馬鑑別所)」が流行った頃、私が購入したRiot In Cell Block Number Nine(第九号監房の暴動)はコースターズではなく、1958年にロカビリー・ウーマンのWanda Jackson(ワンダ・ジャクソン)が吹き込んだカバーバージョンですが邦題が「刑務所ロック」となっており、Capitolレコードの赤いLPの「Right Or Wrong 」(アメリカでは1961年にリリースされたCapitol ST-1596)に収録されていました。
Jerry Leiber & Mike Stollerの作ったRiot In Cell Block No. 9(Cell Block #9)は1962年にJohnny Cash(ジョニー・キャッシュ)が歌い、1983年の映画「The Blues Brothers(ブルース・ブラザース)」で使用されています。

新生!コースターズ!
参加したばかりのCarl GardnerとBobby Nunnがメンバーを補充して4人ヴォーカルグループのThe Coasters(コースターズ)を結成、R & Bのトップテンに入ったリーバー&ストーラーのコンビの書いた物語的な1956年のDown In Mexicoが最初のシングルデビューでした。 当時The Clovers、The Isley Brothers、The Drifters、The Orioles、The Cadillacs、The Flamingosなど数多くの黒人ヴォーカルグループがいました。 その中でコースターズはコミック路線で特徴を出したのが功を奏してか一番人気のグループとなりました。 その当時のコースターズのメンバーはテナーがCarl Gardner(カール・ガードナー)、バリトンがBilly Guy(ビリー・ガイ)、バスがBobby Nunn(ボビー・ナン)、セカンドテナーがLeon Hughes(レオン・ヒュース)でギター伴奏がAdolph Jacobs(アドルフ・ヤコブ)となっています。
※英語ですがころころ変わったコースターズのメンバーについての参照と写真も見られる「コースターズ」のウエブサイトはTHE COASTERS - Membersエ Mini Bioエs
Listen上記のサイトでClick on label for audio on "If Teardrops Were Kisses"をクリックするとThe Robins時代のカール・ガードナーの1954年の初録音がReal Playerで聴けます。 又Carl Gardner singing "Moonglow"をクリックするとテナーのカール・ガードナーが歌う映画「ピクニック」のテーマ曲のカバーがWindows Media Playerでwavが聴けますがファイルが大きいです。
The Coasters(コースターズ)としては1956年の「Down in the Mexco(ダウン・イン・メキシコ)、1957年にトップテン入りした両面ヒット「Young Blood(ハイティーン気質)」と「Searchin'(あの娘を探して)」の後が振るわずコースターズとリーバー&ストーラーのコンビはAtlanticレコードのあるニューヨークへ行きました。 その時期にメンバーチェンジがありましたが最初のレコーディングが1958年でKing Curtisのサックスをフィーチャーした「Yakety yak(ヤキティ・ヤク)」でした。 親にガミガミ言われている子供の生活を描いた歌詞が十代に大受けして1958年のコースター初のナンバーワン・ヒットに輝きました。 この年にロビンズでリリースしたRiot in Cell Block #9も録音しています。
翌年の1959年にはクラスのいじめられっ子を歌った「Charlie Brown(怪漢チャーリー・ブラウン)」が全米2位に、西部劇風Along Came Jones」に続いて「Poison Ivy(毒ある蔦)」が全米7位にという快挙でした。 1960年にはラテンナンバーをカバーしたBesame mucho(ベサメ・ムーチョ )もありますが、バックのキング・カーティスのサックスとホーンとパーカッションが異色なShoppin' for Clothesは1960年の全米83位でした。
コースターズの曲は殆どプロデュースも手掛けたMike Stoller(マイク・ストーラー)作曲とJerry Leiber(ジェリー・ライバー)作詞でしたのでその後も何度かメンバーチェンジがありましたがコースターズのカラーは変わらなかったようです。 1963年にライバー&ストーラーのコンビがAtlanticを去ってからはヒットにも恵まれず、1959年にJerry LeiberとMike Stollerが書いたThe Cloversのヒット曲のLove Potion No. 9(恋の特効薬)を1971年にカバーしてチャート入りした時はオリジナルメンバーではカール・ガードナーが残っていただけだったそうです。 Love Potion No. 9をThe Cloversが歌いましたが、こちらもコースターズが1964年のThe Searchersの次に1971年にカバーしています。 この時期以降は旧メンバーによる元祖コースターズが入り乱れ、競い合うことになり本家争いの裁判沙汰まであったようでした。 よって一般に「コースターズ」というと1956年から1961年の録音が主に取り上げられているようです。
1957年のダブルヒットだったYoung BloodとSearchin'が一押しとも言われますが、ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでは「Yakety Yak」がやはりダントツで、次にLove Potion No 9やCharlie Brownの時もあります。 現在の最新チャートだとロバート・ロドリゲスとタランティーノ監督の映画「Death Proof」のサントラのせいか愉快な"Down in Mexico"が一番となっています。
1967年になってライバー&ストーラーのコンビは以前にニューオリンズのソウル歌手に書いたお古の曲"Down Home Girl"を引っ張り出して、ニューオリンズの奇人天才ピアニストであるJames Booker(ジェイムズ・ブッカー)をフィーチャーして再びコースターズに歌わせところオリジナルより素晴らしくてヒットしたのだそうです。(コースターズの"Down Home Girl"はベスト盤の「Down Home」や「20 Greatest Hits」に収録)
☆コースターズの曲目のデータがすごい!Pelican Studio - 50's to 60's Vocal Groupes(日本語)

The Cloversの"Nip Sip"が聴けるLivinBlues - The Clovers(サイトの一番下にあるMP3タイトルをクリック、ファイルは大きいのでダウンロードに時間がかかり、ブラウザがFirefoxでは聴けるがなぜかGoogle Chromeでは聴けない。)
The Coasters - Young Blood (1957)

The Coasters with King Curtis
コースターズのレコーディングで特筆すべきはソウル・テナーのKing Curtis(キング・カーティス)の参加でしょう。 代表曲のSoul Twistがヒットする前はBuddy Holly(バディ・ホリー)とも共演したキング・カーティスが豪快なテナーサックスで1958年5月にコースターズのレコーディングに参加したYakety Yak(ヤクティ・ヤク)は全米No.1に輝きました。

Jerry Leiber & Mike Stoller(ジェリー・ライバーとマイク・ストーラー・コンビ)はまだ黒人差別の激しかった当時のアメリカで人種の壁を越えた音楽的活動を実践していたのです。 つまりBig Mama Thornton(ビッグ・ママ・ソーントン)がオリジナルの1953年の"Hound Dog(ハウンドドッグ)"もこのコンビの作ですが、白人バンドに黒人プレーヤーが在籍することが議論を呼ぶような時期に白人作曲家&作詞家コンビが黒人ミュージシャンに曲を提供していたのです。 リーバー&ストーラーのコンビの書いたコミカルな歌と踊りとコントが笑えるステージ・パーフォマーとして活躍したコースターズは子供向けだけではなく、もちろん大人が楽しめる曲もたくさん歌いました。
私の大好きなコミカルなパーフォーマーといえばスイング時代のCab Calloway and his Orchestra(キャブ・キャロウェイ楽団)でインテリ・ジャズシンガーのCab Calloway(キャブ・キャロウェイ)が率いるバンドは1930年代と1940年代には一番人気だったそうです。
戦後日本のコミカルなジャズバンドというと後のクレイジーキャッツのトロンボーン奏者の谷 啓が在籍していたドラマーのフランキー堺が率いるシティ・スリッカーズがありました。 60年代ごろのコミックバンドなら元ジャズバンドのHajime Hana & The Crazy Cats(ハナ肇とクレージーキャッツ)、そしてDrifters(ドリフターズ)が浮かびます。 もし私がジミー時田とカントリープレーボーイズと混同していなければですが、ジャズ喫茶で時々桜井輝夫とドリフターズのステージを見ました。 軽いジョークも飛ばしたウエスタン歌手の桜井輝夫が歌うNorth Wind(北風)やYour Cheating' Heart(偽りの心)などのカントリー・ナンバーがお目当てだったのです。 ウエスタンバンドの桜井輝夫のドリフターズが小野やすしに続きいかりや長介や加藤茶の参加によりだんだんコミックバンドとなってゆきました。
その後、新メンバーのドリフがテレビで「ババンガバンバンバン!宿題やったか?歯みがけよ!」と歌っていたのは案外コースターズの「ヤキティ・ヤク」をパロディっていたのかも知れません。 ネ!

Why's everybody always pickin' on me!
どうしてみんないつも僕をいびるのさ!
Fe-fe, fi-fi, fo-fo, fum, I smell smoke in the auditorium, Charlie Brown, Charlie Brown ...と歌われるCharlie Brownの歌詞はCharlie Brown Lyrics - OldieLyrics
Yakety Yak...Don't Talk Back!
ママに口答えしちゃダメ!でないともうロックンロール聴けないよ!
Take out the papers and the trash...と歌われるYakety Yakの歌詞はYakety Yak Lyrics - OldieLyrics(Along Came Jones、Searchin'、Young Bloodの歌詞もあり)
You can get your kicks in Mexico!
メキシコいいとこありまっせ! グルービーヴィーなテナーサックスの伴奏でThere's a crazy little place that I know...と歌われる私の好きな"Down in Mexico"の歌詞はLYRICS DOWNLOAD
その他のコースターズの歌詞はThe Coasters - Lyrics - LyricsTime.com

Teach me how to shimmy - huh huh! Teach me how to shimmy - woh oh!
恋敵に彼氏を取られちゃうからセクシーなシミーダンスの踊り方教えて! Mama you taught me how to do the bop...と歌われるTeach Me How to Shimmyの歌詞はコースターズとアイズレー・ブラザーズのクリップも聴けるフランス語のサイトLes chansons des Calamités - Teach Me How to Shimmy
※Shimmy(シミー)とはアフリカ(ナイジェリア)が起源の肩や腰をブルブル、プルプルと交互に激しく揺するダンスで黒人奴隷によってアメリカに広まりましたが1919年のブロ-ドウェイのセックスパロディショーで悩殺女優のMae West(メイ・ウエスト)が紹介したらしいです。 後の1920年代の英国でPaul Whiteman(ポール・ホワイトマン)によってFoxtrotとして紹介されたそうです。
両手を左右に交互に出してちょっかいを出すようなしぐさで腰を振るシミーは黒人のダンスというだけではなく、1920年代のローリング20の頃ににChemise(シミーズ)みたいな服を着たフラッパー達が踊ったとか、ジプシーダンスで衣裳に縫い付けられたコインを鳴らすために身体を揺すって踊ったとか、セクシーに胸や腰を揺する中東のベリーダンス(Woooow! Shimmy! Shimmy!)の動きもそう呼ぶらしいです。
StewballとはSkewball(ぶち毛馬)ともいわれ、古くは19世紀から英国又はアイルランドの子供向けの歌の中に出てくる架空の勝ち馬(競争馬)から取ったらしいですが、I need the money...と歌われる歌詞は見つかりません。 1950年代には色々なStewballがリリースされたそうですが、1930年代から活動していた反体制の始祖的米フォークシンガーのWoody Guthrie(ウディー・ガスリー)がアルバムThe Asch Recordings, Vol. 1-4の中で英国バージョンとアメリカバージョンを吹き込んでいます。 試聴Disc: 4の21番の黒人の掛け合いが入ったアメリカバージョンの方がコースターズの曲と同じようです。

コースターズの代表曲を収録したアルバム
☆ページトップのCD画像はコースターズの人気アルバムYakety Yak: The Platinum Collectionで、私の好きなYakety Yakはもとより、Charlie BrownやThree Cool Catsをはじめ、ロビンズ時代のRiot in Cell Block #9やSearchin'、コースターズのShoppin' for ClothesやLittle Egypt、そして1953年のThe Cloversの曲を60年になってカバーしたこれも私の好きなLovey Doveyなどを収録したアルバムです。 Lovey DoveyはKing Curtis(キング・カーティス)の作曲でアトランティック・レコードの創始者であったAhmet Ertegun(アーメット・アーティガン)との共作だそうです。(試聴はYakety Yak: The Platinum Collection - Amazon.com
※このアルバム「Yakety Yak: The Platinum Collection」のカバー画像のメンバーが分かる方がいらっしゃったらぜひ教えて下さい。 Carl Gardner (Tenor)?Bobby Nunn (Bas)? Billy Guy (Bariton)?Leon Hughes (Tenor)?、のいづれか? (左から誰々、といった具合にお願いします。)

Poison Ivy、What About Us、That Is Rock & Rollの他、上記のアルバム同様に全米38位のI'm a Hog for You Baby(僕は君の子豚ちゃん)などのコミカルソングも収録したコースターズの全盛期の曲を集めています。
The Very Best of the CoastersThe Very Best of the Coasters
全曲試聴はThe Very Best of the Coasters - Amazon.com

Shoppin' for Clothes以外はJerry LeiberとMike Stollerコンビのコースターズのメジャー・シングルを集めたアルバムです。
The Ultimate CoastersThe Ultimate Coasters
全曲試聴はThe Ultimate Coasters - Amazon.com

これさえ聴けば鬼に金棒、コースターズ!レアなBesame muchoやZing Went The Strings Of My Heartなども収録した集大成アルバム
50 Coastin' Classics: Anthology by The Coasters50 Coastin' Classics: Anthology
試聴50 Coastin' Classics: Anthology - Amazon.com

Rhino - Rhino Hi-Five: The Coasters
RhinoのCDは日本ではあまり情報がありませがRhino - Rhino Hi-Fiveでアルバム「」試聴出来ます。 曲目はYakety Yak、Searchin'、Charlie Brown、Poison Ivy、Young Bloodです。 Rhino - Rhino Hi-Five: The Coasters [Vol. 2] ではロビンズ時代のAlong Came Jones、Smokey Joe's Cafe、Riot In Cell Block No. 9、Framed、Down In Mexicoなどが試聴出来ます。

1995年から200年というロングラン記録を持つブロードウェイミュージカル「スモーキー・ジョーズ・カフェ」は1995年度のグラミー賞を受賞したそうです。 Leiber-Stoller(リーバー=ストーラー)コンビの数多くの曲で構成され、ヒット曲がメドレーで歌われたそうですが、それらを収録したライヴ版のサントラVHSはSmokey Joe's Cafe (Clam)だそうです。(Smokey Joe's Cafe DVD

映画のサウンドトラックで使用されたコースターズの曲
Yakety Yak
Atlantic時代のコースターズのYakety YakはRob Reiner(ロブ・ライナー)監督の1986年のStand by Me(スタンド・バイ・ミー)やSteven Spielberg(スティーヴン・スピルバーグ)監督の1989年のAlways(オールウェイズ)など1980年代の映画でよく使用されました。

Riot in Cell Block #9
John Waters(ジョン・ウォーターズ)監督のコメディで1972年のPink Flamingos(ピンク・フラミンゴ)のサントラではコースターズのRiot in Cell Block #9がSurfin' BirdやHow Much Is That Doggie In the Window、The Girl Can't Help Itなどと共に収録されています。

Poison Ivy
2003年のKeith Gordon(キース・ゴードン)監督のミステリー・コメディ「The Singing Detective(歌う大捜査線)」では主演のRobert Downey,Jr.(ロバート・ダウニー・ジュニア)が1959年のPoison Ivy(毒ある蔦)を歌っていますが、「歌う大捜査線」のサウンドトラックに収録されています。
映画の詳細はブログ内の記事のThe Singing Detective(歌う大捜査線)

Shopping for Clothes
2007年の超ビッグママの"ノービット"をエディ・マーフィが演じる日本未公開映画「Norbit(マッド・ファット・ワイフ)」のサウンドトラック「Norbit」にはコースターズの1960年の"Shopping for Clothes"が収録されています。 2006年のThe Shaggy Dog( シャギー・ドッグ)に続きBrian Robbins(ブライアン・ロビンス)が監督したコメディ映画「マッド・ファット・ワイフ」ではEddie Murphy(エディ・マーフィ)が特殊メイクでニ役を演じます。  エディ・マーフィの1998年のHoly Man(ホーリーマン)はホロリとさせられましたがNorbit(マッドファットワイフ)はゲラゲラ!
コースターズの1960年の"Shopping for Clothes"が収録されている2007年2発売の「マッド・ファット・ワイフ」のサントラ「Norbit」の6番で試聴出来ます。
♪ "Shopping for Clothes"が聞けるwfmuラジオのプレイリストはBob Brainen's playlist May 15, 2010("Coasters Shopping for Clothes"欄の最後尾Pop‑upをクリック)

Down in Mexico
Robert Rodriguez(ロバート・ロドリゲス)監督が脚本も手掛けたSFホラー映画の「Grindhouse(グラインドハウス)」は5人の監督陣がそれぞれ一話づつ担当していますが、その一部のデス・プルーフをQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)監督も担当しています。 アメリカでは1007年4月に公開されていますが日本では2007年8月公開の映画「グラインドハウス」のタイトルのGrindhouseとはB級映画の2本立て上映館を意味します。
美女の片脚機関銃が異様で怖い!「グラインドハウス」のサントラ画像はGrindhouse: Planet Terror (Soundtrack - Amazon.co.jp)
コースターズの1956年のヒット曲のDown in Mexicoや、Pacific Gas & Electric(パシフック・ガス&エレクトリック)のStaggolee death proofなどがサウンドトラックで使用されているのはタランティーノ監督が担当したDeath Proof Soundtrack - Amazon.co.jp
The Coasters - Down in Mexico in DEATH PROOF - YouTube

☆50's ロックンロールについてはAudio-Visual Trivia内の50年代と60年代のオールディーズとロックンロール



Harry James, You Made Me Love You!
ハリー・ジェームスはスイング音楽が全盛の時期には一世を風靡したトランペット奏者で、華麗なトランペット奏法は曲目によっては聴けばすぐに分かるほど独特の哀愁を帯びた音色を持っていました。
私が学生時代に誕生日祝いとして母からプレゼントされたレコードの一枚にハリー・ジェームスの赤いドーナッツ盤"Capitol 7P-26"がありました。 Ciribiribin(チリビリビン)、Trumpet Blues(トランペット・ブルース)、Sleepy Lagoon(スリーピー・ラグーン)が収録されていて、録音時期は不明ですが推定するとおそらく1950年頃から1952年以前と思われます。 なぜならレコードの説明書きには、この盤のハリー・ジェームス楽団にはWillie Smith(ウイリー・スミス)が迎えられ、Duke Ellington(デューク・エリントン)楽団の演奏で有名なCaravan(キャラバン)を作曲したトロンボーン奏者のJuan Tizol(ファン・ティゾール)などが参加しているとあるからです。 ハリー・ジェームス楽団を盛り上げたウイリー・スミスは1930年代の3大アルトサックス奏者の一人と呼ばれるほどだったのに冷遇されていたということですが、1940年代後期にLionel Hampton(ライオネルハンプトン)楽団で演奏したStardust(スターダスト)は秀逸です。 スウィングが衰退し出した1950年代初期のデューク・エリントン楽団でJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)他主要演奏者3名が抜けた後にファン・ティゾールが戻り、ハリー・ジェームス楽団での仲間だったウイリー・スミスを引っ張ったそうです。
Duke Ellington Caravan with Juan Tizol on trombone 1952 - YouTube

1939年にハリー・ジェームスのトランペットでフランク・シナトラが歌った「チリビリビン」はイタリアのAlberto Pestalozza(アルベルト・ペスタロッツァ)が1898年に作曲したワルツ曲だそうですが、1880年のFuniculì funiculà(フニクリ・フニクラ)同様、イタリアで登山電車の宣伝用に作られた曲だとも聞きました。 恋を歌った「チリビリビン」は1943年に大ヒットしてハリー・ジェームスのテーマ曲ともなりました。 イタリア語の「Ciribiribin(チリビリビン)」とは何かというとそれ自体には特に意味はなさそうです。
「トランペット・ブルース」はデキシー・トランペッターのDonald Lindley(ドナルド・リンドレイ)の曲をハリー・ジェームスとバンドの編曲者だったJack Matthias(ジャック・マッティアス)による"Dodgers' Fan Dance"コンビの共同編曲だそうです。 トランペット・ブルースというだけあってハリー・ジェームスを含め6人ものトランペットセクションが聴けます。 "Sleepy Lagoon(スリーピー・ラグーン)"は英国のEric Coates(エリック・コーツ)が1930年に作曲し、作詞はJack Lawrence(ジャック・ローレンス)だそうです。 Sleepy Lagoonの歌詞はSleepy Lagoon Lyrics - Rhapsody Online
いづれにせよ、Art Blakey(アート・ブレイキー)の"Moanin'(モーニン)"を買ったばかりの当時の私にはちと退屈な曲でしたが大人になってから好きになりました。
※このハリー・ジェームスのスリーピー・ラグーンが大ヒットしていた1942年にロスアンジェルスで起こったメキシコ系の若者たちが関係した殺人事件はThe Sleepy Lagoon Murderと名づけられたそうです。(詳細はAudio-Visual Triviaのブラック・ダリア Black Dahlia

Harry James and His Orchestra
ハリー・ジェームスの母親は曲馬団(サーカス)で花形ブランコ乗りだったそうですが、父親はトランペッターでサーカス楽団のバンドリーダーだったことからハリーは幼少から音楽に携わっていたそうです。 サーカスバンド出身といえば私の好きなトランペッターのRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)がいました。
ハリー・ジェームスが20歳の時、1936年末ですが、当時トップクラスの人気バンド"ベニー・グッドマン楽団"のリーダーのBenny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)に招かれてエネルギッシュにトランペットを吹きまくりました。 ベニー・グッドマンはハリー・ジェームスと同じくユダヤ人のクラリネット奏者で、人種を超えて多くの若きミュージシャンたちを後援していました。 そのベニー・グッドマンの助力を得てハリー・ジェームスは1939年に自分のバンド"Music Makers"を結成することになります。 ホテルのボールルーム(ダンスホール)などでスイングを演奏しましたが、これが大受けしてダンスホールの客だけでなく十代の若者たちも押しかけてくるほどの大人気となります。 黒人たちにはブルースやR & Bがありましたが白人ティーンズにとってはロックンロールが台頭するまではスイングバンドの歌手たちがアイドルでした。 そうです、The Golden Age of Radio(ラジオデイズ)です! テレビがまだ一般に普及していない1920年代後期から1950年代には人々は家庭で音楽やドラマのラジオ番組を聞いて楽しんでいたのです。 特にスイングなどのラジオショーはダンスホールに行かれない人々が楽しんでいたようです。
ハリー・ジェームス楽団は1930年代の後期には人気ナンバーワンのスイングバンドになりましたがバンドの運営困難に陥り、路線を変更することになります。 ストリングスを導入し1942年の1942年の"Cherry"のようにもっとメロディックで甘くて感傷的な音楽を演奏し始めたのです。

The Swinging Years
はりきりボーイのトランペッター「ハリー・ジェームス」は黄金のスイングジャズ時代にスイング王と呼ばれたBenny Goodman(ベニー・グッドマン)やCount Basie(カウント・ベイシー)をはじめ、Glenn Miller(グレン・ミラー)、Jimmy & Tommy Dorsey(ジミー&トミー・ドーシー)、Stan Kenton(スタン・ケントン)、Artie Shaw(アーティ・ショー)、Duke Ellington(デューク・エリントン)、Cab Calloway(キャブ・キャロウェイ)、Woody Herman(ウッディ・ハーマン又はウッディ・ハーマン)、Lucky Millinder(ラッキー・ミリンダー)、Larry Clinton(ラリー・クリントン)、1930年代後期のTeddy Wilson(テディ・ウィルソン)、そしてCharlie Barnet(チャーリー・バーネット)やRay Anthony(レイ・アンソニー)やBob Crosby(ボブ・クロスビー)といったビッグバンドの面々と肩を並べて1930年代後半から1970年代まで活躍しました。
ジャズトランペッターのConte Candoli(コンテ・カンドリ)は初期に影響を受けたトランペッターとしてトランペット王と呼ばれたRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)やDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)などに加えハリー・ジェームスもあげています。
Big Band Music Leader Biographies & Links
※英語ですがハリー・ジェームスの写真が見られるHarry James and His Big Band

Harry James and His Music Makers - Concerto for Trumpet 1942 - YouTube
Flight of the Bumblebee 1943 - YouTube
Two O'Clock Jump in Best Foot Forward 1943 - YouTube
Green Onions - Harry James with Buddy Rich 1965 - YouTube
Cubana Chant by Harry James & his New Swingin' Band with Buddy Rich on drums in Japan 1964 - YouTube

"The Complete Harry James In Japan: 1964"は日米のAmazonにはありませんが日本で発売されたレーザーディスクからDVDに変換してアメリカでリリースされたという情報はJazz Legends Site - The Complete Harry James In Japan: 1964(Don't Be That Way、Cherokee、Take the A Train、Two O'Clock Jumpなどを収録)

Helen Forrest and Dick Haymes
ハリー・ジェームスはスイングジャズの人気トランペッターというだけだなくバンドリーダーとしても新人の発掘にも力を発揮しました。 ハリー・ジェームス楽団の専属歌手というと初期1937から1938年にはHelen Humes(1913-1981/ヘレン・ヒュームズ)が、1945年にはKitty Kallen(1922-/キティ・カレン)が、そして1951年頃にはLes Brown and His Band Renown(レス・ブラウン楽団)の専属歌手だったDoris Day(ドリス・デイ)がハリー・ジェームス楽団と吹き込みしていますが、なんといっても1943年に"I've Heard That Song Before(1945年)"を歌ったHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)は大好きです。
Kitty Kallen with Harry James & His Orchestra - I'm Beginning to See The Light - Rádio UOL

ハリー・ジェームスはレストランでウエイターをしながらラジオショーで歌っていたFrank Sinatra(フランク・シナトラ)をスカウトして専属歌に雇い入れたもののバンドの経営困難が災いしてシナトラはすぐにTommy Dorsey(トミー・ドーシー)に移籍してしまいました。 ハリー・ジェームスが1941年に"Music Makers"で初のトップテン入りした後の1942年にはフランク・シナトラの後釜として入団したDick Haymes(ディック・ヘイムズ)の歌う"Lament to Love"で2度目のトップテン入りを果たしています。 "Music Makers"のヒットの後、ハリー・ジェームス楽団は"Harry James and His Music Makers"とも呼ばれるようになったそうです。
私は甘い歌声のディック・ヘイムズの曲では同じく1941年の"I'll Get By(As Long as I Have You)"も好きです。

You Made Me Love You
James V. Monacoが作曲した"You Made Me Love You(恋のとりこに)"はJoseph McCarthy(ジョセフ・マッカーシー)の歌詞で1913年にAl Jolson(アル・ジョルソン)が吹き込んだ曲ですが、1937年のRoy Del Ruth監督のミュージカル映画"Broadway Melody of 1938"でJudy Garland(ジュディー・ガーランド)が"Dear Mr. Gable: You Made Me Love You"として歌いました。 そのジュディー・ガーランドのセンチメンタルなねばっこい歌唱法が気に入ったハリー・ジェームスは1941年にArtie Shaw(アーティ・ショー)などで多くのビッグバンドのアレンジを手掛けたJeff Hest(ジェフ・ヘスト)の編曲でもっと甘くてねばっこい"You Made Me Love You"を演奏したところミリオンセラーとなり、今日でも永遠の名曲となっています。
You Made Me Love You by Al Jolson - YouTube
Judy Garland 'You made me love you'1962 - YouTube
"You Made Me Love You" - Helen Forrest with Harry James - YouTube
☆"You Made Me Love You"の歌詞とmidiが聴けるAt Home with The Duchess - You Made Me Love You
黒人風に顔を黒くしたメイクで有名な白人エンターテイナーのアル・ジョルソンが歌った"You Made Me Love You"を感傷的に演奏してトップ5に輝いたのが1941年の秋のことで、これによりハリー・ジェームスはスターの座を不動のものにしたのでした。 アル・ジョルソンは1920年のミュージカルの"Sindbad(シンドバッド)"で歌った1919年のGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュイン)作曲のSwanee(スワニー)がよく知られているブロードウェイの歌手です。
その後ヘレン・フォレストのヴォーカルで"I Don't Want to Walk Without You"や"Manhattan Serenade"そしてTommy Dorsey(トミー・ドーシー)も演奏した"Sleepy Lagoon(1942年)"など立て続けにヒットを飛ばしました。
1945年には"I'm Beginning to See the Light"がナンバーワンとなった他、 "I Don't Care Who Knows It"、 "If I Loved You"、"I'll Buy That Dream"、"It's Been a Long, Long Time"、"Waitin' for the Train to Come In."、 "If I Loved You"がBuddy DiVito(バディ・デヴィート)やKitty Kallen(キティ・カレン)のボーカルでトップ入りしました。
ハリー・ジェームスは戦後のビッグバンドが衰退した時期にストリングスを引っ込めジャズ志向に路線を変更し、1947年のSeptember Songのような曲を演奏してCount Basie(カウント・ベイシー)を目指しましたが、商業路線を取ったハリー・ジェームスには成就しなかったようです。(稀にカウント・ベイシーと聴き違えそうな演奏もあり)
ハリー・ジェームスは1964年に来日していますが、ハリー・ジェームスの楽団「Music Makers」は1963年頃にはDisneyland(ディズニーランド)の専属となっていたそうです。 ハリー・ジェームス1983年の演奏を最後に亡くなりました。
The Harry James Orchestra - James Bond Theme - (60's Super Hits) - Rádio UOL

ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでのハリー・ジェームスの曲目ではもちろん一番人気は"You Made Me Love You"! その次に"Two O'Clock Jump" に、"I'm Beginning To See The Light"、"I've Heard That Song Before"と続き、私が誕生日に母にプレゼントされた"Ciribiribin"や"Sleepy Lagoon"、そしてNikolai Rimsky-Korsakov(リムスキー・コルサコフ)作曲のクラシックをアレンジした"Flight of the Bumblebee"(くまん蜂の飛行又は熊蜂の飛行)も人気リストに入っています。 Urbie Green(アービー・グリーン)やJ.J. Johnson(J.J.ジョンソン)のトロンボーン演奏でも有名な「くまん蜂の飛行」はKill Bill Vol.1(キルビル1)で使用されたAl Hirt(アル・ハート)のGreen Hornet(グリーン・ホーネットのテーマ)が有名になりました。

ハリー・ジェームスの試聴
Listen"You Made Me Love You"の他にも曲がたくさん試聴出来るHarry James - Allmusic.com(スピーカーアイコンをクリック)
ハリー・ジェームスの曲が色々聴けるHarry James - Jazz On Line.com(Harry Jamesと検索窓に入力してSubmitボタンをクリック、You Made Me Love Youと検索窓に入力すればハリージェームスやジュディガーランドなどが聴けます。曲名をクリック!)

ハリー・ジェームスが出演した映画
1942年にBetty Grable(ベティ・グレイブル)が主演したIrving Cummings(アーヴィング・カミングス)監督のミュージカル映画「Springtime in the Rockies」にハリー・ジェームスは自身の役でHarry James and His Music Makersと共に出演し、"A Poem Set to Music"という曲を演奏したり、1942年のヘレン・フォレストのバックで"I Had the Craziest Dream"のセンチな演奏を聴かせたそうです。
Harry James with Helen Forrest - I Had the Craziest Dream - YouTube
※A Poem Set to Musicが収録されているアルバムは1942-1943 Broadcasts with Helen Forrest(試聴は1942-1943 Broadcasts with Helen Forrest - Amazon.com
映画のレトロな手書きポスターが見られるCartel de: 1942 - Secretaria brasileña - Springtime in the Rockies
この映画出演が縁かどうか分かりませんがハリー・ジェームスは翌年の1943年に当時大人気のピンナップ・ガール(グラビアモデル)でもあったベティ・グレイブルと再婚したのでした。 このカップルは当時のセンセーションだったそうです。 ハンサムなハリー・ジェームスは生涯に3度も結婚していて、最初の妻は1935年に結婚した歌手のLouise Tobinで子供が二人できました。 ハリーは離婚して女優のベティ・グレイブルと再婚し二人の間にも子供があり20年も婚姻関係が続いたそうですが、ルイーズの方も1967年にクラリネット奏者として有名なPeanuts Hucko(ピーナツ・ハッコー)と再婚してハッコーのバンドで歌っていました。
結婚したペティ・グレイブルが1953年の映画"How To Marry A Millionaire(百万長者と結婚する方法)"の中でハリー・ジェームスとの結婚を匂わせるセリフがありました。 ラジオから流れてきたハリー・ジェームスの「You'll Never Know( 知らないでしょう)」の曲名を当てたのです。

1943年にTim Whelan(ティム・フェーラン)監督の"Swing Fever"という豪華キャストのミュージカル映画があり、女性ヴォーカリストとしてMarilyn Maxwell(マリリン・マクスウェル)やLena Horne(リナ・ホーン)、ビッグバンドのKay Kyser(ケイ・カイザー)、Tommy Dorsey(トミー・ドーシー)、Harry James(ハリー・ジェイムス)などに加えてクレジットなしでAva Gardner(エヴァ・ガードナー)が出演している他、1959年の映画"Imitation of Life(悲しみは空の彼方に)"のタイトル曲の作者であるSammy Fain(サミー・フェイン)が音楽に携わっているそうです

白人ジャズトランペッターのBix Beiderbecke(ビックス・バイダーベック)の伝記をもとに、1950年にMichael Curtiz(マイケル・カーティス)が監督したYoung Man with a Horn(情熱の狂想曲)という映画がありました。 映画ではThe Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)でデビューしてTown Without Pity(非情の町)などに出演したKirk Douglas(カーク・ダグラス )がバイダーベック役でトランペッターを演奏しましたが実際はハリー・ジェームスの吹き替えだったそうです。 その映画には俳優養成所で一緒だったLauren Bacall(ローレン・バコール)や映画界に入ったばかりのDoris Day(ドリス・デイ)も出演しています。 ドリス・デイはハリー・ジェームス楽団をバックに"The Very Thought Of You"などを歌いました。
Doris Day with Harry James - I Only Have Eyes for You (Young Man With a Golden Horn) 1951 - YouTube
「Young Man with a Horn」のサウンドトラックが大ヒットしたので1951年にはハリー・ジェームス楽団とドリス・デイのコンビで"Would I Love You"を吹き込みチャート入りしています。
※ちなみに伝記の主人公であるビックス・バイダーベックは1920年代にえもいわれぬ美しい音色のトランペット演奏で人気でしたがアルコール依存症のためか若くして亡くなりました。 ビックス・バイダーベックの音楽は1924-1930: Young Man With a Golden Hornで試聴出来ます。
Singin The Blues - Bix Beiderbecke - YouTube
「情熱の狂想曲」のマイケル・カーティス監督はその前の1945年のMildred Pierce(ミルドレッド・ピアース)、その後の1954年にはWhite Christmas(ホワイト・クリスマス)など数え切れないほどの名作を監督しています。

ハリー・ジェームスは1955年の映画「The Benny Goodman Story」にも自身の役で出演しました。
The Benny Goodman Story DVDベニイ・グッドマン物語 (DVD)
「Benny Goodman Story」のVHSもあり。

ハリー・ジェームスのアルバム
☆ページトップのCD画像はLast.fmで人気ナンバーワンのロマンティックな曲"You Made Me Love You"をはじめ、The MoleやFlight of the Bumblebee(くまん蜂の飛行)など、又ハリー・ジェームスのソロ演奏も含んだ2001年リリースのスイング・アルバムの"I've Heard That Song Before: The Hits of Harry James"ですが、アルバムタイトル曲となっている"I've Heard That Song Before"は"Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!"と同じくJule Styne(ジュール・スタイン)の作曲で作詞がSammy Cahn(サミー・カーン)です。
ハリー・ジェームスの1955年の"The Mole"という曲は私が長年ファンだったChuck Cecil(チャック・セシル)氏がDJを務めたラジオ番組でThe Swingin' Yearsのテーマ曲として使用されていました。 10数年ほど前までは日本ではFEN(極東放送今はAFN)で聴けたのですが現在はインターネットラジオのKJAZZ(Podcast)で土曜と日曜に聴けます。 "The Mole"の試聴はディスク:2の2番ですが、この曲を聴くと大好きなスイング音楽のラジオ番組が始まるのでわくわくしました。
Harry James Orchestra - The Mole - iLike.com

Harry James & his Orchestraの1955年のレコード"Harry James in Hi-Fi"はレアなTaboo(タブー)が収録されているLive Broadcasts in Hi-Fi1945 Live in Hi-Fi at Culver Cityがあります。
Live Broadcasts in Hi-Fiの試聴はLive Broadcasts in Hi-Fi - Amazon.com

1950年代後半のハリー・ジェームスが演奏する甘くセンチメンタルなトランペットが魅力の"Cherry"や"Willow Weep For Me"、タイトル曲のTrumpet BluesやCiribiribinなどの他全部で16曲を収録した人気アルバムで、ドラムはBuddy Rich(バディ・リッチ)、アルトサックスはWillie Smith(ウイリー・スミス)でHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)のヴォーカルです。
Trumpet Blues: The Best Of Harry JamesTrumpet Blues: The Best of Harry James

映画「百万長者と結婚する方法」の記事でも紹介したオリジナルが1939年の録音というアルバムで、You Made Me Love Youはもちろん、I Had the Craziest Dream、Music Makers、Sleepy LagoonやHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)やDick Haymes(ディック・ヘイムズ)のヴォーカル、そして奥様のベティ・グレーブルが歌う"I Can't Begin To Tell You"まで収録しています。
Best of the Big BandsThe Best of the Big Bands

レアなハリー・ジェームスの"Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)"の他ロマンティックな曲を収録したアルバムです。
Big Band LegendsBig Band Legends
試聴はBig Band Legends - Amazon.com

I'll Get Byが収録されているHarry JamesとBenny Goodman楽団時代のDick Haymesのアルバム
The Complete Columbia Recordings with Dick HaymesThe Complete Columbia Recordings
全曲試聴はComplete Columbia Recordings - Amazon.com

オリジナルは1954年のハリー・ジェームスとドリス・デイの人気アルバムであり、映画「Young Man with a Horn(情熱の狂想曲)」のサウンドトラックでもあります。
Young Man with a Horn - Harry James and Doris DayYoung Man with a Horn


人気の「ハリー・ジェームス伝記」 Peter J. Levinson著の英語ペーパーバック(ハードカバー版もあり)
Trumpet Blues: The Life of Harry James - BookTrumpet Blues: The Life of Harry James
(中身が見られます)

Back Beat Boogie
映画「The Aviator(アビエイター)」のサウンドトラックにも使用されたHarry James & His Orchestra(ハリー・ジェームス・オーケストラ)が演奏するレアな"バック・ビート・ブギ"が収録されているアルバムはヴィンテージ価格の「Back Beat Boogie」や"I've Heard That Song Before"など21曲を収録した輸入ベスト盤の「Razzle Dazzle」、そして「The Aviator」のサウンドトラックに収録されています。
試聴はBack Beat Boogie (The Aviator Soundtrack) - Amazon.com

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