September 2007 Archives



Charlie Feathers and Rock-A-Billy
1954年頃から始まったロカビリーのパイオニアと呼ばれるミシシッピ出身のチャーリー・フェザースはブルース、カントリー&ウエスタン、ブルーグラスなどを取り入れて個性溢れる独特なロカビリーサウンドを築き上げました。 1950年代にエルヴィスと同じメンフィスのサン・レコードなどで多くのRockabilly(ロカビリー)のヒット曲を吹き込みましたが、 "Don't Let Me Cross Over"など数曲のカバー以外は全部チャーリー・フェザースの自作だそうですから驚きます。 Rockabilly(ロカビリー)は"Rockabilly Blues"などを歌ったカントリー歌手のJohnny Cash(ジョニー・キャッシュ)やJohnny Horton(ジョニー・ホートン)などのC & W(カントリー&ウエスタン)歌手たちが最初だとか言われますがジョニー・キャッシュと同じアウトロー・カントリーでもWillie Nelson(ウィリー・ネルソン)はロカビリーは歌っていませんでした。 "Rock Around The Clock"のヒットで有名なカントリー畑出身のBill Haley and the Comets(ビル・ヘイリー&コメッツ)が白人音楽のHillbilly(カントリーのヒルビリー)と南部黒人音楽のR&Bを合わせ、さらにブルースも加味した新しい音楽を生み出したとか、1954年にエルヴィスがサンレーベルで吹き込んだ"That's All Right Mama"から始まったとかとも言われています。 又、エルビスのヒットに触発されたチャーリー・フェザースがカントリーからロカビリーに鞍替えしたとも言われます。 ロッカビリーがもてはやされたのは一時期で10年もありませんでしたがジャンルとして定着し、その後のロックのルーツとなりました。 よってミリオン・セラーになった私の好きな"Cow Cow Boogie"(1942年)が大ヒットしたElla Mae Morse(エラ・メイ・モーズ)のようにR & Bチャートにも入ったロックンロール歌手はいても黒人のロカビリー歌手はいないそうです。(Larry Williams(ラリー・ウィリアムズ)はどうか?)  もちろん、黒人のカントリー&ウエスタン歌手も聞いたことがありません。

Charlie Feathers and Hiccup-style
カントリー&ウエスタンから始まったロカビリーの最大の特徴であるヒカップはヒャックリです。 じゃなくて、"しゃっくり"です!
ロカビリーの特徴はジャカジャカかき鳴らすアコースティックギター(ウエスタン)やエレキとバシバシひっぱたくスラップベース(コントラバス)やドラムのR & B特有のバックビート、そしてカーボーイの上げるような奇声や嬌声を発したりヒカップを入れた強烈な歌です。 ヒカップとは、ファルセット(高音、裏声)などもそうですがR & Bや古いカントリー&ウエスタンのスタッカート風の唱法で、Jimmy Rogers(ジミー・ロジャーズ)やHank Williams(ハンク・ウィリアムス)がお得意だったごくごく短いヨーデルのようなものらしく、言葉の語尾をしゃくり上げる歌い方です。
顔だけ見ると平凡で優しそうに見えるチャーリー・フェザースですが歌いだすとエキセントリックという形容がぴったりで、1956年に発表した"One Hand Loose"に代表されるヒカップ入りの歌はすごいんです。 低音が素晴らしい上に、奇異とも取れる極上のヒカップ唱法を用いていてすぐそれと聞き分けられるのです。 チャーリー・フェザースはヒカップのみならず、泣き節,、押し殺したようなゲップ音やモグモグ言うmambling(マンブリング)などを併用して大変ユニーク! ロカビリー時代に大流行したエコーもガンガンでまるで宇宙人の会話みたい。
私は初めてチャーリー・フェザースの歌を聴いた時には後ろに誰か他の人がいてヒカップを入れているとばかり思っていましたが、歌と楽器を器用に操るSonny Boy Williamson II(サニー・ボーイ・ウィリアムソン)の交互に操るブルースハープと歌でもビックリしたように、ヒカップを入れて歌うチャーリー・フェザースのビデオを観たときにはビックリ!ヒャックリ!しました。 ヒック!
ロカビリーはギターもベースもチャカジャカチャカジャカ、80年代のネオ・ロカビリーバンド「Stray Cats(ストレイ・キャッツ)」のLee Rocker(リー・ロッカー)が教えるスラップーベース奏法
Lee Rocker - Slap Bass Lesson - YouTube
Pete Turland - Rockabilly Slap Bass Lesson - YouTube

50's Rockabillians
カントリー出身では元祖ロカビリーの一人であるLonesome TrainのJohhny Burnette(ジョニー・バーネット)を筆頭に、"Whole Lotta Shakin Goin On"などのJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)や "Be Bop a Lula"のGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)やMama's Little BabyのJunior Thompson(ジュニア・トンプソン)など多くのロカビリアンたちがチャーリー・フェザースみたいな唱法で歌っています。 C&W出身ではないですが、日本で知られているアーティストでロカビリーを演奏したのはEddie Cochran(エディ・コクラン)、Peggy SueのBuddy Holly(バディ・ホリー)、Blue Suede Shoesを作曲したCarl Perkins(カール・パーキンス)や、ファルセットが特徴のOoby DoobyのRoy Orbison(ロイ・オービソン)などたくさんいます。 日本で有名でないロカビリアンといえばカントリー出身のMac Curtis(マック・カーティス)なんかもいます。 Elvis Presley(エルビス・プレスリー)もBaby Let's Play Houseなどにマンブリングと同様にヒカップを取り入れていました。 カントリー出身のロカビリー・ウーマンのWanda Jackson(ワンダ・ジャクソン)やBrenda Lee(ブレンダ・リー)、ポップスのConnie Francis(コニーフランシス)が歌った1958年のヒット曲の"Stupid Cupid(間抜けなキューピッド)"もしゃくりあげています。 他のロカビリアンというと1957年のレコーディングにジェリー・リー・ルイスがピアノを担当したというBilly Lee Riley(ビリー・リー・ライリー)やDale Hawkins(デイル・ホーキンス)、世代がちょっと後になりますが、ロカビリアンというよりギター演奏が素晴らしいロッケンローラーで低音のLink Wray(リンク・レイ)や、ビリー・リー・ライリーの"Red Hot"をカバーしたロカビリー・リバイバルのRobert Gordon(ロバート・ゴードン)やカナダ系のJack Scott(ジャック・スコット)なども入るでしょうか。 ギター演奏ならトワンギーで一斉を風靡したDuane Eddy(デュアン・エディ)がいます。

Memphis Recording Service
30歳にして突如音楽を志したというチャーリー・フェザースはまずSam Phillipps(サム・フィリップス)が経営していたMemphis Recording Service(メンフィス・レコーディング・サーヴィス)に入社して歌手になる機会を窺いました。 メンフィス・レコーディング・サーヴィスはレコード会社ではなく、誰でもがいくばくか支払うとレコードを吹き込めるメンフィスの録音所のことで、後にSun Studio(サン・スタジオ)となった所ですが、1962年にはサム・フィリップスはサン・レーベルを設立しました。 1950年代の初めにエルビスがヴィニール盤に自分でギター伴奏した曲を録音したそうで、後にママへのプレゼントだったという説が広まりました。 器用なチャーリー・フェザースは録音しにやって来る歌手たちのアレンジを手伝ったり、スチールギターやピアノの手ほどきから代役まで務めるなど何でもやりましたが、その中にスプーンの演奏があります。 スプーンとはまさに匙ですが、2本の匙を人差し指の両側に挟んでカスタネットのように音を出す伴奏のことでオールドタイムのカントリーなどで使用されたそうです。 そんなこんなしているうちにチャーリー・フェザースのカントリーの腕を見込んだフィリプス・レコードが初シングル「Peepin' Eyes」をリリースしました。 聴きなれた古いカントリーソングもチャーリー・フェザースの手にかかればまるで別物、完全にチャーリー・フェザースの歌になってしまうのです。 ところが、カントリーだけでなくエルヴィスみたいにロックもやりたかったチャーリー・フェザースは2枚目のシングルはメンフィスのサン・レコードで吹き込みましたが、次はMeteor Records(メテオレコード)で両面ロカビリーのTongue-Tied JillとGet With Itを吹き込んだのです。 そしてその次のキングレコードでチャーリー・フェザースの本格的な伝説的ロカビリー時代が到来します。 1956年のヒット曲としては、"One Hand Loose"、"Bottle to the Baby"、"Everybody's Lovin' My Baby(Everybody Is Loving My Baby)"、そしてあの"I Can't Hardly Stand It"など他数曲をリリースして、全てがロカビリーのスタンダードとなりました。 1957年に"Nobody's Woman"、"Too Much Alike"、"When You Come Around"、"When You Decid"などを吹き込み、1958年に今なお人気の"Jungle Fever"や"When You Decide"を録音し、1959年には"Dinky John"や"South of Chicago"といったように50年代だけでもかなりの数になります。
チャーリー・フェザースのカントリー初シングルの"Peepin' Eyes"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMusic to Spazz By with Dave the Spazz On WFMU February 13, 2003(rock it on out! RealAudioをクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)をに2:31:51に移動)
Charlie Feathers - The Man In Love - YouTube
チャーリー・フェザースが最初にメテオで吹き込んだ冒頭にコメントも入っているヒカップ入りの"Tongue-Tied Jill"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMusic to Spazz By with Dave the Spazz On WFMU August 5, 2004(get it! RealAudioをクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)をに47:20に移動)

謎の男: 天才チャーリー・フェザース
どうしてチャーリー・フェザースが音楽界で大成功したのかが私には不思議なのです。 まず音楽一家に生まれたわけではなく、ストリートミュージシャンとして日銭を稼いだ経験もなし、ましてや音楽学校にも行っていません。 工場勤めで身体をこわして入院中にラジオから流れてきた音楽を聴いて「歌手になる!」と思ったそうです。 そして仕事場を録音所に変えたといえ、そこで楽器の演奏から編曲、果ては"作曲"とそのマルチタレントぶりはまさに怪しき人物、いや天才です。 録音所時代にカントリー歌手としてのタレントを認められて、類稀なき向上心を持ったチャーリー・フェザースがあの手この手で音楽業界を突き進んで行った成果でしょうが、饒舌で多少大風呂敷の気味があるチャーリー・フェザースがそのことに関してどこかで語っているのでしょうか。

1970年代にロカビリーブームがヨーロッパでリバイバルした時はMac Curtis(マック・カーティス)と共に公演したチャーリー・フェザースが最初の神格化された存命のロカビリースターとなったそうです。 このロカビリーブーム再来のお陰で、なんたって数ドルの古い45回転シングルが何百ドルもするようになったのですからえらいことです。 ちなみに私の手持ちのEP盤ロカビリーレコードが日本円で1万5千円の価値がついているのを見つけたことがあります。 日本よりアメリカでのオールディズ&ロカビリーファンが根強いようです。 皆さん、IT時代になってCD化されレコードはもう生産されていませんが実は優れものだったのですよ。 アナログレコード盤はCDよりも劣化しないそうですが、ピシピシとノイズは聞こえるでしょうね。
ちなみに日本でもジーン・ヴィンセントやワンダ・ジャクソンの来日で1950年代に旋風を巻き起こした日劇のウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー熱狂シーンにはチャーリー・フェザースは登場しません。(同じ世代として私は当時ジャズ喫茶通いはしましたが日劇には一度も行ったことがありませんのでこういったニュースをテレビで見て唖然とした記憶があります。 なんじゃ~、ごりゃ~! もっともジャズ喫茶でも興奮のあまり気絶して失禁状態で運びされれた女の子がいました。)

Quentin Tarantino's Kill Bill
2003年にQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)が監督した映画「Kill Bill Vol.1(キル・ビル1)とKill Bill Vol.2(キルビル2)」ではチャーリー・フェザースのThat Certain FemaleとCan't Hardly Stand Itがそれぞれ使用されました。  「キルビル1」で使用された"That Certain Female"はリバイバル時期の1974年の録音ということなので驚きますが、この頃のチャーリー・フェザースの歌と50年代のものと聞き比べるとやはり歳の功で凄みが増しています。  「キルビル」が若い世代に人気だったことが影響しているようで、ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmではThat Certain Femaleがだんとつ第1位で次はもちろんCan't Hardly Stand Itです。
キルビルのサウンドトラックに収録されている"Can't Hardly Stand It"は歌詞がExplicit(露骨)になっていますが、英語が分からないのでどう違うのかも分かりません。 端正な顔立ちでジェスチャーも殆どなく歌うチャーリー・フェザースの歌詞の中にヒップホップでもあるまいに"Explicit"があるなんて! そうです、チャーリー・フェザースの歌は時にはロマンティックに、時には可笑しく、そして時にはブードゥー呪いのGot My Mojo Workingのような歌詞のDefrost Your Heartにみられるように邪悪なムードも醸し出すのです。 BooDoo!

チャーリー・フェザースのオフィシャルサイトはThe Official Charlie Feathers Homepage(ホームページのENTERでサイトに入るとすぐ左下のプレーヤーで"One Hand Loose"がループで流れますがオフに出来ます。)
チャーリー・フェザースの歌詞がたくさん見られるトップページのメニューからLYRICSをクリックするか、こちらCharlie Feathers LYRICS
チャーリー・フェザースの詳しいディスコグラフィーが書かれたCHARLIE FEATHERS DISCOGRAPHY

videoCharlie Feathers & Family
過激なロカビリーからしっとりとしたカントリーまで聴かせてくれるチャーリー・フェザースの何曲かは他のアーティストにカバーされました。 特にカントリーソングのI Forgot To Remember To Forgetは何人かのC & W歌手やチャーリー・フェザースと共同で曲作りをしたエルビス・プレスリーの初ナンバーワンヒットとなっています。

Listenチャーリー・フェザースを聴こう!
The Hound - August 12, 1989 Charlie Feathers Tribute(分からなかったらこちらのCharlie Feathers Tribute
コンサート会場で「トークはもういいから早く歌っちくりぃ!」とファンが思うほど長い長いチャーリー・フェザースのコメントもちょっと収録されて(いや、ちょん切られた)、"Jungle Fever"、"She Set Me Free"、"Can't Hardly Stand It"、"One Hand Loose"、Johnny Burnette(ジョニー・バーネット)のデビュー曲だった"Tear It Up"が聴けます。("Charlie Feathers Tribute"をクリックすると3.6MBのMPEG(MP3)ファイルがダウンロードされ、私のPC設定ではiTunesですが他のPCではQuickTimeで開きました。)
チャーリー・フェザースの"Stutterin' Cindy"が流れるMySpace.com / Rockabilly / Country / Charlie Feathers(プレーヤーのリストをクリックすると"One Hand Loose"、"Cant Hardly Stand It"、"That Certain Female"が聴けます。)

チャーリー・フェザースのアルバム"Get with It: The Essential Recordings"に収録されている"You Believe Everybody But Me"や"Tip Top Daddy"に収録されている"That Lonesome Feeling"、又"Rock-A-Billy: Rare & Unissued Recordings"に収録されている"I've Been Deceived"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for The Radio Thrift Shop with Laura Cantrell - February 7, 2004(Listen to this show: RealAudioをクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)を1:13:40に移動)
※Jungle FeverはLIVINBLUES Mp3 jOokBoXでも聴けます。(右上のJungle Feverをクリックですが、mp3なのでファイルが大きダウンロードに時間がかかり、ブラウザがFirefoxでは聴けるがGoogle Chromeでは聴けない。)

☆ロカビリーについて書かれたサイトです。(英語)
Mac Curtis Discography

ロカビリー映画といえばチャーリー・フェザースみたいにJohnny Depp(ジョニー・デップ)がヒカップを交えて歌った1990年の「Cry-Baby(クライ・ベイビー)」があります。(但し"Cry Baby"内での歌はロカビリー&カントリー・シンガーのJames Intveld(ジェームス・インヴェルド)の吹き替え) 監督は1988年のHairspray(ヘアスプレー)の後のでJohn Waters(ジョン・ウォーターズ)で、晩年のTroy Donahue(トロイ・ドナヒュー)も不良の父親役で出演しています。

チャーリー・フェザースのアルバム
☆ページトップのCD画像は1998年リリースの人気アルバムでRock-A-Billy: Rare & Unissued Recordingsです。 1954年から1973年までの録音を収録していて、I've Been Deceived、One Hand Loose、Frankie And Johnny、Corinne, Corinna、キルビルのI Can't Hardly Stand Itなどを収録。
全曲試聴はRock-A-Billy - Rare & Unissued Recordings 1954-1973 - Amazon.com

Get With It: Essential Recordings (1954-1969 )
アルバムタイトル曲のGet With Itや初シングルのPeepin' EyesyやEverybody's Lovin' My BabyやDefrost Your Heartなど全42曲が収録されたお勧めの2枚組CDで、Sun、Meteor、Kingなどチャーリー・フェザースのほとんどの録音を網羅しています。
feathers_get.jpgGet with It: The Essential Recordings (1954-1969)
試聴はGet With It: Essential Recordings (1954-1969) [2-CD SET] - Amazon.com

Uh Huh Honey
オリジナルは1956年という人気のアルバムタイトル曲Uh Huh Honey、Tear It Up、That Certain Femaleなどを含む全28曲を収録した1993年リリースのヒカップ満載のお勧めCD
Uh Huh Honey by Charlie FeathersUh Huh Honey

Tip Top Daddy
チャーリー・フェザースのサンレコード時代後期の録音を集めたロカビリーファン向けのアルバムで、That Lonesome Feeling も収録されています。
Tip Top Daddy by Charlie FeathersTip Top Daddy
全曲試聴はTip Top Daddy - Amazon.com

His Complete King Recordings CD Charlie Feathers
取り合えずキング時代のチャーリー・フェザースを聴いてみるなら、Too Much Alikeのようにバラード風もありますがOne Hand Looseを含むロカビリーの8曲を収録したアルバム
His Complete King Recordings by Charlie Feathers
全曲試聴はHis Complete King Recordings - Amazon.com

That Rockabilly Cat!
1979年リリースのLP盤「That Rock-A-Billy Cat!」の試聴は見つかりません。
That Rock-A-Billy Cat! by Charlie FeathersThat Rockabilly Cat!

チャーリー・フェザースのロカビリー曲がサウンドトラックに使用された映画
"That Certain Female"が使用されたKill Bill Vol.1(キルビル1)
"Can't Hardly Stand It"が使用されたKill Bill Vol.2(キル・ビル2)

Rockabilly Hall of Fame
Rockabilly Radio


Francois Truffaut at Work (Hardcover)
François Truffaut at Work (Hardcover) by Carole Le Berre
Francois Truffaut (1932 - 1984)

Nouvelle Vague: François Truffaut
私が初めてフランソワ・トリュフォーを知ったのは有名なヌーヴェル・ヴァーグ映画の「A Bout de Souffle(勝手にしやがれ)」(1959年)の原案を映画評論仲間のJean-Luc Godard(ジャン・リュック・ゴダール)に譲ったことからです。 当時売れっ子のCharles Aznavour(シャルル・アズナヴール)が「勝手にしやがれ」への出演を断ったおかげでその役は私の好きなJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)にまわってきたのでした。 「勝手にしやがれ」の件も含めて、フランソワ・トリュフォーというと1950年代のフランス映画「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」の代表の一人であると言われていますが、私としては「Shoot the Piano Player(ピアニストを撃て)」、「Jules et Jim(突然炎のごとく)」、「La Sirène du Mississippi(暗くなるまでこの恋を)」などのフランスのクラシックでミステリアスなロマンス映画を思い浮かべるのです。 Roger Vadim(ロジェ・ヴァディム)やLouis Malle(ルイ・マル)なども加えて、右岸派のゴダールやトリュフォーと、1968年にJacqueline Sassard(ジャクリーヌ・ササール)が主演した「女鹿」を監督したClaude Chabrol(クロード・シャブロル)などに対して、1956年のドキュメンタリー「Nuit et Brouillard(夜と霧)」のAlain Resnais(アラン・レネ)や「Les Parapluies de Cherbourg(シェルブールの雨傘)」のJacques Demy(ジャック・ドゥミ)などの左岸グループの映像作家たちの50年代から60年代にかけての作品をヌーヴェル・ヴァーグというそうで、スリのRobert Bresson(ロベール・ブレッソン)が1956年の「Un condamné à mort s'est échappé ou Le vent souffle où il veut(抵抗)」の前に監督した1944年の"Au Bois de Boulogne"ならぬ「Les Dames du bois de Boulogne(ブローニュの森の貴婦人)」で台詞を手掛けたJean Cocteau(ジャン・コクトー)なども関与しているらしいです。 フランソワ・トリュフォーは敬愛するロベール・ブレッソンの1956年の「Un condamné à mort s'est échappé ou Le vent souffle où il veut(抵抗/レジスタンス-死刑囚の手記より)」では助手を務めたことがあるとか。
※その昔、私はトリュフォー監督のことを「トリフォー」、ヴァディム監督は「バデム」と呼んでいました。 もちろん、ヌーヴェル・ヴァーグはヌーベル・バーグです。

1959年 Les Quatre cents coups(大人は判ってくれない)
高貴なるヌーヴェルヴァーグの阿婆擦れ女ともいわれた「Bernadette Lafont(ベルナデット・ラフォン)」がデビューしたフランソワ・トリュフォーの1958年の短編映画「Les Mistons(あこがれ)」を撮った後、ヌーヴェルバーグ・デビューした長編映画はカンヌ映画祭で監督賞を獲得した「Les Quatre cents coups(大人は判ってくれない)」で、日本ではヌーヴェル・ヴァーグの傑作中の傑作と売り込まれました。 クロード・シャブロル監督の1957年の「Le Beau Serge(美しきセルジュ)」に続いて、当時婚姻関係にあったGérard Blain(ジェラール・ブラン)とベルナデット・ラフォンが共演した「あこがれ」はベルナデット・ラフォンが性に目覚めだした村の少年たちの憧れとなる女性を演じている短編作品ですが、フランソワ・トリュフォーの少年期の体験を描いているといわれます。 いい女とひでえ女を描くのがお得意のトリュフォー監督1972年のコメディ「Une belle fille comme moi(私のように美しい娘)」にも出演しているし、トリュフォー監督が憧れた女はベルナデット・ラフォン?
「大人は判ってくれない」の英語のタイトルは「The 400 Blows」といいますが、その意味は"400回の殴打"となります。 フランス語では"faire quatre cents coups"として"乱痴気騒ぎをする、乱れた生活を送る、無分別な行為をくり返す"というころから"自由奔放に生きる"という意味もあるらしいです。 その通りに主人公の映画好きな少年"Antoine Doinel(アントワーヌ・ドワネル)"は未婚の母から望まれずに生まれた不幸な境遇で、悪いことをしたとして何かと大人達から殴られるのですが、アントワーヌにとってはどれも不当な仕打ちなのです。 タイプライターを盗んで少年院に入れられますが、脱走したアントワーヌが走りに走り通して海までたどり着くシーンが感動的です。 海はアントワーヌにとって、いやトリュフォーにとって行き止まりではなく大河ドラマの始まりなのでしょうか。 フランソワ・トリュフォー自身少年院に入った経験があるのでそれを下敷きにしているそうです。 私は「大人は判ってくれない」の出演者の中ではJean-Claude Brialy(ジャン=クロード・ブリアリ)以外は知りませんでしたが、主演した当時12歳だったJean-Pierre Leaud(ジャン=ピエール・レオ)は「大人は判ってくれない」のアントワーヌ役でデビューし、トリュフォー監督の子飼いのような俳優としてその後20年近くもトリュフォー映画で活躍したそうです。 1960年の「ピアニストを撃て」同様にMarcel Moussy(マルセル・ムーシー又はマルセール・ムーシー)が脚色しています。 50年代から70年代までテレビ映画の監督や脚本家としてのマルセル・ムーシーは1960年にMarie Laforet(マリー・ラフォレ)が主演したSaint Tropez Blues(赤と青のブルース)を監督したとして日本では有名です。
※「大人は判ってくれない」の一連の作品として「L'Amour A 20 Ans(二十歳の恋)」、1968年の「Baisers volés(夜霧の恋人たち)」、1970年のDomicile conjugal(家庭)、1978年の「L'Amour en fuite(逃げ去る恋)」など合計で5本あり、アントワーヌ少年はどんどん大人になってゆき、お洒落なフランスのファッションやメイクが移り変わります。 大人になったアントワーヌは1963年のJean Eustache(ジャン・ユスターシュ)監督の「Les Mauvaises Fréquentations(わるい仲間)」の後、1973年にに「La Maman et la Putain(ママと娼婦)」にも出演し、ベルナデット・ラフォンと共演するのです。 「ママと娼婦」も監督及び脚本がジャン・ユスターシュですが、ヌーヴェルヴァーグのトリュフォーやゴダールに賞賛されたものの自動車事故の後遺症から1981年に自殺してしまいました。
「逃げ去る恋」のトレーラーはL'Amour en fuiteTrailer - Comme Au Cinéma
Trailer - Les quatre cents coups - YouTube
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L'Amour en fuite(逃げ去る恋)のDVDカバー画像が見られるフランスの L'Amour en fuite - Jean-Pierre Léaud - Amazon.fr

ベルナデット・ラフォンのデビュー作の「あこがれ」と「大人は判ってくれない」の2本入りDVD
Les Mistons et Les Quatre cents coups par François Truffautあこがれ・大人は判ってくれない〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選1〕
「大人は判ってくれない/あこがれ」の字幕版VHSもあります。
DVDカバー画像が見られるフランスのLes 400 coups - Amazon.fr

1962年 L'Amour à 20 ans(L'Amour a vingt ans/Love at Twenty/二十歳の恋)
ポーランドのAndrzej Wajda(アンジェイ・ワイダ)監督やShintarô Ishihara(石原慎太郎)など世界五ヵ国の監督が参加したという世界五ヵ国の未熟な恋を描いたオムニバス短編映画の「二十歳の恋」でフランソワ・トリュフォーが担当しの第一話の"パリ編"は前作「大人は判ってくれない」の続編だそうです。 フランソワ・トリュフォーが監督した「大人は判ってくれない」の続編「Antoine et Colette(アントワーヌとコレット)」にはもちろん「大人は判ってくれない」のジャン=ピエール・レオが主演し、相手役は「二十歳の恋」がデビューの絶世の美女「Marie-france Pisier(マリー・フランス・ピジェ)」で、後作の1968年の「夜霧の恋人たち」でも共演しま した。 トリュフォー監督のパリ編での音楽はGeorges Delerue(ジョルジュ・ドルリュー)です。 フランス映画音楽の巨匠の一人であるジョルジュ・ドルリューはPascale Petit(パスカル・プティ)が主演した1959年の「Une Fille pour L'ete(ひと夏の情)」とか、ジャン・ポール・ベルモンドの1960年の「墓場なき野郎ども」や1963年の「リオの男」などでも音楽を担当しています。
※「二十歳の恋」の第二話のイタリア編に私の好きなイタリア女優のEleonora Rossi Drago(エレオノラ・ロッシ・ドラゴ)が出演したそうですが、この短編映画については全く知りませんでした。
字幕版VHS「アントワーヌとコレット(二十歳の恋)/あこがれ」は日本でも入手できます。
DVDカバー画像が見られるフランスのTwo Short Films By Francois Truffaut: Les Mistons/Antoine & Colette -Amazon.fr

1960年 Tirez sur le pianiste(ピアニストを撃て)
フランスのサスペンス映画がお好きな方にお勧めの「ピアニストを撃て」はフランソワ・トリュフォーが監督及び脚本を手掛けたヌーヴェルヴァーグ、というよりフィルムノワール的な長編作品です。 前作の自伝的な「大人は判ってくれない」とは違って、ピアニストの演奏、物質主義への教訓、ギャングのママの死のシーンのようなトリュフォー監督のユーモアセンスを盛り込んだ娯楽性に富んだ作品です。 ピアニストと入魂の気の良い娼婦のClarisse(クラリス)をAngélique(アンジェリク)シリーズで名高いグラマー女優のMichèle Mercier(ミシェル・メルシエ)が演じています。 フランソワ・トリュフォー監督個人に興味の無い向きには特にお勧めの映画です。 原作はジャン・ポール・ベルモンドが主演した1971年の「Le Casse(華麗なる大泥棒)」のDavid Goodis(デヴィッド・グーディス)ですが、「大人は判ってくれない」と同様にマルセル・ムーシーが脚色をしています。 主役の中年の孤独なカフェのピアノ弾き"チャーリー"の役はジャン・リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」を蹴って出演したCharles Aznavour(シャルル・アズナヴール)でした。 ピアニストの孤独の理由は回想シーンで明らかになります。 音楽家としての名声を得る夢を失くしたピアニストが場末のカフェに身を沈めていたが、ある日突然の人生の転換を経験することになる。 ピアニストの弟たちが裏切ったギャングの人質となった末の弟を取り戻しに山荘に乗り込んだが、又しても愛する女を失う結果となる不条理劇です。 今日の出来事は明日の一部となるのです!
メランコリーを表現する達人のシャンソン歌手でもあるCharles Aznavour(シャルル・アズナヴール)が出演したシリアスな映画は数多くありますが、1959年にかってのBrigitte Bardot(B.B.)の恋人だったJacques Charrier(ジャック・シャリエ)とAnouk Aimée(アヌーク・エーメ)が出演したLes Dagueurs(今晩おひま?)なんていう軽いコメディなどもあります。 俳優としてのアズナブールは日本では1963年の「Cherchez l'idole(アイドルを探せ)」やVirna Lisi(ヴィルナ・リージ)と共演した1970年の「Un Beau Monstre(雨のエトランゼ)」などの娯楽作品で広く一般に知られていますが、Atom Egoyan(アトム・エゴヤン)が監督した2002年の「Ararat(アララトの聖母)は衝撃の史実を描いた後期の傑作も話題になりました。

「ピアニストを撃て」のDVD
Tirez sur le pianiste par François Truffautピアニストを撃て〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選5〕
Amazon.comには「Shoot the Piano Player」や「Shoot the Piano Player - Criterion Collection」があります。
DVDカバー画像が見られるフランスのTirez sur le pianiste - Charles Aznavour - Amazon.fr

1961年 Jules et Jim(突然炎のごとく)
ヌーヴェルヴァーグよいうよりもフランスの恋愛映画がお好きな方にお勧めの「突然炎のごとく」は、その道の第一人者と言われるフランソワ・トリュフォーが脚本を書き監督しました。 原作はパリの芸術家たちと親交が深く女性遍歴の激しかったHenri-Pierre Roché(アンリ・ピエール・ロシェ)の自伝的小説で、他の2作もトリュフォーによって映画化されています。 主役のCatherine(カトリーヌ)をJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)、Jules(ジュール)にはトリュフォー監督の「Fahrenheit 451(華氏451)」にも出演したOskar Werner(オスカー・ウェルナー)、Jim(ジム)をHenri Serr(アンリ・セール)が演じています。 ジャン・リュック・ゴダール監督の1961年のFemme est une femme(女は女である)で主演のジャン・ポール・ベルモンドがジャンヌ・モローに、当時同時進行していた『トリュフォー監督の"突然炎のごと"の方はどう?』というセリフがあり、「勝手にしやがれ」に始まったトリュフォーとゴダールの交友関係を示しています。 作家の朗読の形をとった「突然炎のごとく」の内容は狐にでもつままれたかと思うような三角関係で、二人の男を手玉に取っている魔性の女なのか、二人の男に惑わされている無邪気な女なのか。 たぶらかされながらも友情の絆に結ばれた二人の男たちはもしかしておホモだちかと疑ってしまったほどですが、ジャンヌ・モローが演じるファムファタルのカトリーヌによる摩訶不思議な恋愛論を聞かされているようでもありました。 カトリーヌは結婚相手としてジュールを選んだのに、突如自覚した真実の恋、自分を裏切ったジムを巻き添えに"恋の道行き"ならぬ"ニコニコ心中"、それによりようやく心の安住を感じた真面目人間のジュール。 やっぱりNouvelle Vague(ヌーベルヴァーグ)だ!
ゴダール監督の「勝手にしやがれ」をはじめ、トリュフォー映画では「Tirez sur le pianiste(ピアニストを撃て)」や「L'Amour A 20 Ans(二十歳の恋)」や「La Peau Douce(柔らかい肌)」の撮影を担当したRaoul Coutard(ラウール・クタール)が突飛とも見えるいくつものショットや自然の美しさを捕えて素晴らしい映像を見せています。
主演したジャンヌ・モローはシャンソン歌手としても有名ですが、「突然炎のごとく」の中でもAlbert(アルベール)役でカメオ出演したBoris Bassiak(ボリス・バシアク)の作詞作曲の"Le Tourbillon(つむじ風)"をボリス・バシアクのギターに合わせて歌っています。 音楽は「ひと夏の情事」や「墓場なき野郎ども」などの音楽を担当したジョルジュ・ドルリューでサウンドトラックには"つむじ風"も収録されています。

ジャンヌ・モローの歌う"つむじ風"のシーンが素敵な「突然炎のごとく」のDVD
Jules et Jim par François Truffaut突然炎のごとく
「突然炎のごとく」の字幕版VHSもあります。
Amazon.comでは「Jules and Jim」と「Jules and Jim - Criterion Collection」があります。
DVDカバー画像が見られるフランスのJules et Jim - Édition Collector [Inclus le livre] - Jeanne Moreau - Amazon.fr

Le Tourbillon CDLe Tourbillon
国内盤の「つむじかぜ」もあります。
Elle avait des bagues à chaque doigt...と歌われる"Le tourbillon de la vie"の歌詞はLe tourbillon de la vie - Paroles2Chansons.com
♪ Jeanne Moreau - Le Tourbillon

Jeanne Moreau dans les films de Francois Truffaut
ジャンヌ・モローは1961年のJules et Jim(突然炎のごとく)の他にもフランソワ・トリュフォーが脚本を書いたJean-Louis Richard(ジャン=ルイ・リシャール)監督の1964年のMata Hari, agent H21(マタ・ハリ)に出演しています。 1931年にGreta Garbo(グレタ・ガルボ)が演じた女スパイを演じマタハリの恋のお相手となるフランスの将校のフランソワ・ラサール大尉はJean Louis Trintignant(ジャン・ルイ・トランティニャン)です。 ジャン=ルイ・リシャール監督は1963年の「柔らかい肌」や1974年の「Emmanuelle(エマニエル夫人)」の脚本を書いています。 ジャンヌ・モローの「マタハリ」の音楽はGeorges Delerue(ジョルジュ・ドルリュー)です。 「マタハリ」の映画ポスターはMata Hari - IMDbで見られます。

1968年 La Mariée était en noir(黒衣の花嫁)
ジャンヌ・モローは1968年にフランソワ・トリュフォーがジャンヌ・モローのために監督した「黒衣の花嫁」で「大人は判ってくれない」でもチラっと顔を見せたジャン・クロード・ブリアリと共演しています。 事件当初の取調べでジャンヌ・モローのおみ足に眼を這わせた刑事のBill Corey(コレイ)をジャン=クロード・ブリアリが演じます。 そのコレイ刑事が最後にミステリアスな殺人者が誰なのか、殺した男の葬儀に現れた黒ずくめの女のヴェールをひん剥いて見せます。 「黒衣の花嫁」の原作はコーネル・ウールリッチの1940年の"The Bride Wore Black"というミステリー小説です。 映画では小さな町で挙式を揚げて幸せ一杯に教会の戸口から出たとたん、ハンター仲間たちの悪ふざけからライフルが暴発して花婿が撃たれてしまい、あっという間に姥桜の未亡人となります。 こんな理不尽が許せるわけはありませんから、喪中の花嫁は犯人の5人の男たちに自分自身で復讐していく決心をするというフランス版山本周五郎著「五弁の椿」みたいな内容です。 色仕掛けで次々と殺害を実行し、最後は別件で投獄されてしまった犯人を殺る目的を果たすためにみずから刑務所に入れられるように仕向けるというサスペンスです。 ジャンヌ・モローが可愛いい踊り子を演じた1954年の「Touchez pas au grisbi(現金に手を出すな)」から10年間に渡りヌーヴェルバーグをはじめロマンス映画に出演してきましたが私の好きなモローもこの「黒衣の花嫁」で終わったと思いました。
花嫁は殺しの度にお色直しをしますが、何しろ喪中ですから黒と白です。 Pierre Cardin!
Vertigo(めまい)などのミステリ映画でお馴染みのAlfred Hitchcock(アルフレッド・ヒッチコック)大好き人間のフランソワ・トリュフォー監督は「黒衣の花嫁」では1966年の「Fahrenheit 451(華氏451)」と同じく"Bernard Herrmann(バーナード・ハーマン)"のうっとりするクラシック調のPrelude、Femme Fatale、The Accidなどの曲を使用しています。
「華氏451」のトレーラーはFahrenheit 451 Trailer - Comme Au Cinéma
どんな作品でもハーマンの音楽さえあれば命を吹き込めるとはいえ、せっかくのバーナード・ハーマンのオリジナルスコアをカットしまくり、終にVivaldi(ビバルディ)の"Concerto for Mandoline in C major(マンドリンのための協奏曲ハ長調)"に取り替えてしまったというスカーフが町の上空を飛ぶシーンもあったらしいです。 トリュフォーのお好きなビバルディのマンドリンは「野生の少年」でも使用されたとか。 この時期にはもうヌーヴェルヴァーグから逸れていたといわれたトリュフォー監督でした。 この「野生の少年」はスウェーデンの監督であるIngmar Bergman(イングマール・ベルイマン)がトリュフォー作品の中で「アメリカの夜」に次いで好きな映画だそうです。
Vivaldi C Major Mandolin Concerto - Ster Videotheek
The Bride Wore Black (1968) Theatrical Trailer - Youtube

The Bride Wore Black VHS - Francois TruffautThe Bride Wore Black VHS

※ジャンヌ・モローのヌーヴェルバーグ映画としては1957年のルイ・マル監督作品の「Ascenseur pour L'echafaud(死刑台のエレベーター)」と1961年のジャン=リュック・ゴダール作品「女は女である」があります。

F rancoise Dorleac et Catherine Deneuve
1963年にLa Peau Douce(柔らかい肌)に出演したFrancoise Dorleac(フランソワーズ・ドルレアック)は1962年にロジェ・ヴァディム監督の愛人として「Le Vice et la vertu(悪徳の栄え)」にAnnie Girardot(アニー・ジラルド)と共に出演したカトリーヌ・ドヌーヴとは実の姉妹で、1966年に「Les Demoiselles de Rochefort(ロシュフォールの恋人たち)」で共演した後すぐにたった25歳なのに急逝してしまいした。
La Peau douce - YouTube
英語のタイトルは"The Soft Skin"という「柔らかい肌」のDVDは国内でも見つかります。 美しい音楽はGeorges Delerue(ジョルジュ・ドリュー)です。
La Peau Douce par François TruffautThe Soft Skin (La Peau douce)
「柔らかい肌/二十歳の恋」の字幕版DVDもあります。
DVDカバー画像が見られるフランスのThe Soft Skin (La Peau douce) DVD ~ Françoise Dorléac - Amazon.fr

La Sirène du Mississippi
La Sirène du Mississippi DVDフランソワーズ・ドルレアックの妹のCatherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーヴ)はロジェ・ヴァディム監督と結婚してからますます磨きがかかってフランスで一番というほど魅惑的な女優となりました。 そのカトリーヌ・ドヌーヴが出演したフランソワ・トリュフォー監督の映画はフランスの大監督であるJean Renoir(ジャン・ルノアール)に捧げたというちょっとフィルムノワール的な1969年のLa Sirène du Mississippi(暗くなるまでこの恋を)です。
2006年に発売になったDVDは暗くなるまでこの恋を [スタジオ・クラシック・シリーズ]
「暗くなるまでこの恋を」の原作は1940年の「黒衣の花嫁」同様にアメリカのミステリー作家「Cornell Woolrich(コーネル・ウールリッチ)」の1947年の小説「Waltz into Darkness(暗闇へのワルツ)」です。 コーネル・ウールリッチが書いた1942年のIt Had to Be Murderはアルフレッド・ヒッチコック監督が1954年に「Rear Window(裏窓)」として映画化しています。
なぜフランス語の原題が"ミシシッピーの人魚"なのかというと文通で知り合ったフランスからの花嫁が"ミシシッピー"という名のフランス客船で仏領アフリカの小島に到着する予定だったからです。 しかしその花嫁は船上で行方不明となり花のように美しいカトリーヌ・ドヌーヴが現れたのです。 私の好きなジャン=ポール・ベルモンドと共演だったのでワクワクして観に行ったのですが、カットされていたシーンでもあったのか辻褄が合わず肩透かしを食った感があります。 ベルモンドは未だ見ぬ花嫁を待つ裕福な仏領アフリカの煙草農園主で、ドヌーヴはというと結婚詐欺を働いたリヴィエラのクラブ踊り子です。 ベルモンドがそんな嘘っぽいドヌーヴの身の上話に乗せられて、なぜに、なぜに命まで預けるの。 毒を盛る可愛いカトリーヌ・ドヌーヴが小憎らしく見えました。 でも最後の最後には真実の愛を信じたのです。 気になるのはラストシーン、毒でまいったベルモンドを支えてドヌーヴと二人で雪の中を小屋を後にしますが、心中行為だったのか? 先があったのかが思い出せない。 こんなに惨めなベルモンドを見ると胸がつまります。 シリアスなセリフの後に「うっそーだよん!」とでも言って欲しい。
Mississippi Mermaid - YouTube
1965年にゴダールのPierrot le fou(気狂いピエロ)や1967年のWeek End(ウイークエンド)で音楽を担当したAntoine Duhamel(アントワーヌ・デュアメル)でしたが、フランソワ・トリュフォー監督の映画では1968年の「夜霧の恋人たち」、1969年の男女ではなく親子的情愛を描いた実話でDr. Itard(イタール博士)をトリュフォー監督自身が演じた「L'Enfant sauvage(野生の少年)」、同じく1969年の「暗くなるまでこの恋を」や1970年の「家庭」の音楽も手掛けています。
DVDカバー画像が見られるフランスのLa Sirène du Mississippi DVD ~ Jean-Paul Belmondo - Amazon.fr
ロジェ・ヴァディム監督みたいに次々と美人女優を妻にして大女優に育ててはいませんが、フランソワ・トリュフォー監督は1981年にGerard Depardieu(ジェラール・ドパルデュー)主演の「La Femme d'acote(隣の女)」で一緒に仕事をしたフランス女優のFanny Ardant(ファニー・アルダン)と再婚したことがあります。
「隣の女」のトレーラーはLa Femme d'acote Trailer - Comme Au Cinéma
フランソワ・トリュフォーとロジェ・ヴァディムの写真が見られるRoger Vadim et François Truffaut Ptotos - Rapo.com


フランソワ・トリュフォーの映画音楽
Original Music from the Films of Francois Truffaut
Original Music from the Films of Francois TruffautOriginal Music from the Films of Francois Truffaut (Film Score Anthology)

「Francois Truffaut Vol.1」(Aventures D'Antoine Doinel)はThe 400 Blows(Les Quatre cents coups/大人は判ってくれない)シリーズでL'Amour A 20 Ans(二十歳の恋)、1968年のStolen Kisses(Baisers volés/夜霧の恋人たち)、1970年のBed And Board(Domicile conjugal/家庭)と1978年のLove On The Run(L'Amour en fuite/逃げ去る恋)を収録したサウンドトラックアルバムです。

「Francois Truffaut Vol.2(Passions Amoureuses)」はJules And Jim(Jules et Jim/突然炎のごとく)、The Soft Skin(La Peau Douce/柔らかい肌)、The Story Of Adele(L'Histoire d'Adele H./アデルの恋の物語)、The Woman Next Door(La Femme d'à côté/隣の女)など6作品のサントラから収録しています。


Books abut Francois Truffaut
☆フランソワ・トリュフォーは監督になる以前の50年代に鋭い映画評論を発表したことで有名ですが、ページトップの書籍のカバー画像はCarole Le Berre (著) のFrancois Truffaut at Work (Hardcover)ですが、内容の見本はありません。
300ページのレコードLP位のハードカバー本で、フランス語のLes Cahiers du cinéma(カイエ・デュ・シネマ)出版の英訳ですが、フランソワ・トリュフォー作品の写真とレビュー付き年表のようなものらしいです。

こちらはフランソワ・トリュフォーによる監督と作品の批評集の英語訳本だそうです。
The Films in My Life (Paperback) by Francois TruffautThe Films in My Life

Francois Truffaut and Hitchcock
裏表紙にアルフレッド・ヒッチコック監督との写真を使用したフランソワ・トリュフォー著のHitchcock (ペーパーバック)で、貴重な写真が載っています。
Hitchcock (Revised Edition) (Paperback)Hitchcock

☆写真もたくさん掲載されて1987年発行されたトリュフォー自身の執筆による「Truffaut by Truffaut」の英語版のハードカバー本は日本語に翻訳された「トリュフォーによるトリュフォー」で読むことができます。(オリジナルの本のカバーでは題名のTruffaut by Truffautの下のTruffautはさかさまになっています。)



Group Vocal Harmony
1940年代頃に主にニューヨークの若い黒人が黒人霊歌から始めたとされるストリート・ミュージックのR & BのGroup Vocal Harmony(ヴォーカルグループ)スタイルは後にDoo-Wop(ドゥー・ワップ)と呼ばれました。 低いバスやテノールと高音のファルセットの組み合わせで美しく調和のとれた3人から5人ほどの黒人グループ・コーラスは黄金期の1950年代には白人音楽界でも人気となり、I Wonder WhyのDion & The Belmonts(ディオン & ザ・ベルモンツ)を皮切りに、Sh-BoomのThe Crew-Cuts(クルー・カッツ)、At The HopのDanny and The Juniors(ダニー&ザ・ジュニアーズ)のようなThe white doo-wop groups(ホワイト・ドゥー・ワップ)が誕生し1960年代まで流行りました。
たくさんいたグループの中でもテナーのCarl Jones(カール・ジョーンズ)を加えたDelta Rhythm Boys(デルタ・リズム・ボーイズ)は特に洗練されて上品なハーモニーでゴスペルからスウィングやポップスまで幅広く活躍しました。

Famous Doo-Wop Groups
The Orioles (オリオールズはドゥー・ワップの先駆けともいわれるSonny Til(サニー・ティル)が率いたグループ)
Ink Spots (インク・スポッツは40年代迄と短命でしたが私が一番好きなロマンティックなサウンドのヴォーカルグループでThe Gypsyが大ヒット)
Mills Brothers (Paper Dollがヒットしたミルス・ブラザーズは他のドゥー・ワップ・グループのお手本となった)
Golden Gate Quartet (ミルス・ブラザーズの影響を受けて高校生の黒人霊歌合唱団から1934年に結成されJoshua Fit The Battle Of Jericho(ジェリコの戦い)がヒット)
Marcels (マーセルズはBlue Moonが大ヒット)
The Platters (プラターズはオリオールズに続いたジャージーなグループ)
The Coasters (コースターズはコミックバンド風なグループ)
The Cadillacs (分裂したけれどSpeedoやGloriaがヒットしたキャデラックス)
The Clovers (One Mint JulepとLovey Doveyが大ヒットのクローヴァーズ)
Five Keys (ファイヴ・キーズはオリオールズに影響を受けThe Glory of Loveがヒット)
The Flamingos (Golden Teardropsがヒットしたフラミンゴス)
The Drifters (Ben E. Kingが在籍していたドリフターズ)
The Isley Brothers (Shout!がヒットしたアイズレー・ブラザーズには初期にJimi Hendrixが参加したとか)
1955年に"In the Still of the Night"がヒットしたThe Five Satins
Listen☆必聴 The Orioles(オリオールズ)やThe Clovers(クローヴァーズ)などのドゥー・ワップ・アーティストたちの写真や歌入りインタビューが聴けるR & B Vocal Group Interviews(The Oriolesのインタビューでは1953年に大ヒットしたCrying In The Chapel(涙のチャペル)などが聴けます。)

Doo Wop
「ドゥー・ワップ」とは何かというと"Doo Wop, Doo Wah...Wah,Wah"というバックコーラスのことですが、当時のストリートミュージシャンの黒人の若者たちは貧しくて楽器が買えなかったので口で伴奏したと言われています。 一方ジャズにはアドリブでScat(スキャット)を入れることがあります。 Billy Eckstine(ビリー・エクスタイン)のYou Better Believe Itも素晴らしいですが、Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)に代表されるように"Shaba daba daba-Doo(シャバダバダ)"と歌詞なしで感情の盛り上がりを即興で表現する歌唱方があり、これも声を楽器の演奏のように使っていますがドゥー・ワップとスキャットの違いはソロかバックコーラスかでしょうか。 同じくジャズでは楽器の演奏のようにアドリブで歌うヴォーカリーズ手法がありますがこれには歌詞があるそうです。

The Birth of Delta Rhythm Boys
大学の音楽教授の指導の下に1934年にオクラホマの大学で"The Hampton Institute Quartet"として誕生し、1936年にデルタ地帯にあるじゃzの発祥地のニューオリンズに移り、バス、バリトン、テナー2名とアレンジャーでもあるピアニストの5人でメンバーを組んでその地名から名付けた"Delta Rhythm Boys"として音楽活動を始めたそうです。(ニュー・オーリンズの大学生のデュオから始まったという説もあり)
「デルタ・リズム・ボーイズ」はそれまでの黒タキシードの黒人グループとは違って初めて色物のユニフォームを着用したヴォーカルグループだそうで、つまり色んな意味でカラー・バリアを取っ払ったわけです。 「デルタ・リズム・ボーイズ」だけのオリジナル曲があるのかどうかは不明ですが、伝統的な黒人霊歌の他には主にジャズのスタンダード曲をアレンジしてレパートリーとしています。
「デルタ・リズム・ボーイズ」の最大のヒット盤は終戦前の1941年に吹き込んだトラディショナルの"Dry Bones(ドライボーンズ)"とデューク・エリントンの1941年のヒット曲に歌詞を付けた"Take The 'A' Train(テイク・ザ・Aトレイン)"が一番有名ですが、Mildred Bailey(ミルドレッド・ベイリー)やRuth Brown(ルース・ブラウン)、Jimmie Lunceford(ジミー・ランスフォード)やFred Astaire(フレッド・アステア)まで当時の人気歌手のバックコーラスとして多くの録音を残しています。 とりわけElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)とは1945年にDeccaレコードからリリースされた共演盤の他にも何枚もリリースされています。

Dry Bones
「枯れた骨たちよ、主の言葉を聞け! 主なる神はこう言われる、見よ! 私はお前たちの中に霊を吹き込む すると、お前たちは生き返るのだ!」
Delta Rhythm Boys(デルタ・リズム・ボーイズ)が1941年にヒットさせた「Dry Bones(ドライ・ボーンズ)」は歌詞に"Ezekiel cried"とあるように、紀元前500年代の預言者の一人であるエゼキルが神がイスラエル再興を約束されたという白骨の散乱する"Valley of Dry Bones(干からびた骨の谷)"を訪れて骸骨を持ち帰り、神の名を唱えて生き返らせたという記述から題材を取って歌い継がれてきた伝統的なNegro Spirituals(黒人霊歌)の一つで、現在では西洋のお盆のようなHalloween(ハロウィン)で歌われる定番曲の一つとなっているそうです。 足骨から踝骨、脚骨から膝骨、太腿骨から腰骨、背骨から肩骨、首骨から頭蓋骨へと次々に上に繋がり又下がってくる愉快な歌です。
Delta Rhythm Boys - Dem Dry Bones - Archive.org
「デルタ・リズム・ボーイズ」が"Ezekiel cried, "Dem dry bones!...The foot bone connected to the leg bone"と歌った"ドライボーンズ"の歌詞はDry Bones - KIDiddles Song LyricsDem Dry Bones Lyrics - Christian Gospeo Songs
歌詞に出てくるDemですが、Dem Bones又はDem Dry BonesはDry Bonesと同じ、つまりスケルトン(骸骨)のことです。 Dem Dry Bonesという黒人霊歌は子供たちに骸骨(人体構造)を教えるために作られたそうです。 歌詞は聖書のエゼキエル書から取られていますが作曲は教育者でもあり、1912年にThe Autobiography of an Ex-Colored Man(元黒人男性の自伝)を発表したJames Weldon Johnson(ジェームズ・ウエルドン・ジョンソン)です。

Delta Rhythm Boys(デルタ・リズム・ボーイズ)が歌ったDry Bones(ドライ・ボーンズ)は、Bob Crosby(ボブ・クロスビー)楽団のアルバムFrom Another Worldでのコーラスや、Tommy Dorsey Orchestra(トミー・ドーシー)楽団時代のRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)がアルバム「Memories of You」に収録していますが、Ray Anthony(レイ・アンソニー)楽団のJam Session at the Towerがあります。 なにしろDry Bones(ドライ・ボーンズ)のテーマが骸骨ですからアルバムも霊的なタイトルが付けられ、楽団演奏ではFats Waller And His Rhythm(ファッツ・ワーラー)のThe Haunted House: 20 Tracks to Make You Jump in the Nightとか、トミー・ドーシー楽団のHalloween Stompなどに収録されています。 Tommy Dorsey楽団のDry BonesはアルバムJazz Collector Edition, Vol. 2にもにも収録されていて試聴できますがスイングですからデルタ・リズム・ボーイズの"ドライ・ボーンズ"の面影はありません。
※変ったところでは歴史劇や聖書を土台にした映画によく出演したCharlton Heston(チャールトン・ヘストン)の朗読が収録されたアルバムのCharlton Heston Reads from the Life and Passion of Jesus Christがありますが、Life & Passion of Jesus Christ According to Gospelで1920年代には黒人で初めての世界的に有名なクラシックのテノール歌手であったRoland Hayes(ローランド・ヘイズ)が歌うトラディショナルなDry Bonesが試聴できます。
※多分保守的な共和党支持者で敬虔なるクリスチャンだと思われるチャールトン・ヘストンはNRA(全米ライフル協会)会長です。
「ドライボーンズ」は日本では黒人霊歌を得意とした4人グループのデューク・エイセスが昭和37年に歌ってヒットさせ、1962年のNHK紅白歌合戦に初登場しました。

Listen英語のサイトですがデルタ・リズム・ボーイズのアルバム「I Dreamt I Dwelt in Harlem」からLittle Lize (I Love You)、アルバム「Masters of Hip Harmony」からTrav'lin' Light, アルバム「Delta Rhythm Boys」からBewitched, Bothered And Bewilderedがフルで聴けるSINGERS.COM - Delta Rhythm Boys

Delta Rhythm Boys - Dry Bones - YouTube
Delta Rhythm Boys - I Dreamt I Dwelt In Harlem & Just A Sittin' And A Rockin' (1940s) - YouTube
Delta Rhythm Boys - Do Nothing 'Till You Hear From Me - YouTube
Delta Rhythm Boys - Paper Doll - YouTube
Delta Rhythm Boys - Undecided - YouTube


デルタ・リズム・ボーイズのアルバム
Masters of Hip Harmony
☆トップの画像はDry Bonesはもちろんのこと、Take the "A" Train、St. Louis Blues、Don't Get Around Much Anymoreなどのスタンダードジャズを収録したアルバムです。 Mildred Bailey(ミルドレッド・ベイリー)のバックコーラスも勤めたデルタ・リズム・ボーイズでしたから、アルバム内の数曲はMildred Bailey on the Rockin' Chair Rhythm showから編集されたものだそうです。
♪ 「Masters of Hip Harmony」の試聴はMasters of Hip Harmony - Amazon.com

Jump & Jive 'Til One O'Clock: Anthology
Dry Bonesはもちろん、St. Louis BluesやMy Blue Heavenなどのスタンダード曲をカバーした輸入盤
Jump & Jive 'Til One O'Clock: Anthology, Vol. 2Jump & Jive 'Til One O'Clock: Anthology, Vol. 2 (1947-1950)
「Jump And Jive 'Till One O'Clock: 1946-1947」の試聴は今のところ見つかりません。

Radio, Gimme Some Jive: Performances 1941-1945
デルタ・リズム・ボーイズの1930年代と1940年代の戦時中のラジオ放送や映画のサウンドトラックの録音を収録した輸入盤で、O'Clock Jump、Take the 'A' Train、I'm Beginning to See the Lightなどのスイング曲をカバーしています。
Radio, Gimme Some Jive: Performances 1941-1945Radio, Gimme Some Jive: Performances 1941-1945

Dry Bones
Dry Bones - Delta Rhythm BoysDry Bones

The Legendary, Vol. 5 - Ella Fitzgerald
1945年にDeccaレコードからリリースされたElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)とデルタ・リズム・ボーイズの共演盤です。
The Legendary, Vol. 5 - Ella Fitzgerald and Delta Rhythm BoysThe Legendary, Vol. 5
クラリネットのPeanuts Hucko 、ドラムのBuddy Rich、トランペットのCharlie Shaversなどが参加しています。
全曲試聴はThe Legendary, Vol. 5 - Barnes & Noble.com

The Rockin' Chair Lady (1931-1950)
デルタ・リズム・ボーイズがコーラスで参加したミルドレッド・ベイリーのVerve盤です。
The Rockin' Chair Lady (1931-1950) with Delta Rhythm BoysThe Rockin' Chair Lady (1931-1950)
アルトサックスがJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)、ピアノがTeddy Wilson(テディ・ウィルソン)、トランペットがBunny Berigan(バニー・ベリガン)という豪華メンバーです。

A Proper Introduction to Ruth Brown: Teardrops From My Eyes
デルタ・リズム・ボーイズの他に、テナーサックスがWillis "Gator" Jackson、クラリネットがPeanuts Hucko、ギターのEddie Condon、トランペットのBobby Hackett、ピアノのHank Jones、ドラムがConnie KayやRoy Haynesというメンバー構成です。
A Proper Introduction to Ruth Brown: Teardrops From My Eyes with Delta Rhythm BoysA Proper Introduction to Ruth Brown: Teardrops From My Eyes

カバー画像も試聴もないDelta Rhythm BoysのCD
Dry Bonesはもちろん、タイトル曲のI Dreamt I Dwelt in Harlemの他、Georgia on My MindやラテンのLa Cucarachaなどをカバーしているアルバムは「I Dreamt I Dwelt in Harlem
試聴はCDカバー画像も見られるI Dreamt I Dwelt in Harlem - Amazon.com

アルバム「Delta Rhythm Boys」の試聴はCDカバー画像も見られるDelta Rhythm Boys - Amazon.com


映画で使用されたデルタ・リズム・ボーイズのドライボーンズ
Rain Man (1988年)
Dustin Hoffman(ダスティン・ホフマン)とTom Cruise(トム・クルーズ)が共演した映画「Rain Man(レインマン)」のサウンドトラックは音楽はHans Zimmer(ハンス・ジマー)ですが、Etta James(エタ・ジェイムズ)の"At Last"や、ニューオリンズのネヴィル・ブラザーズのAaron Neville(アーロン・ネヴィル)が歌うStardust(スターダスト)と共にデルタ・リズム・ボーイズのドライボーンズが使用されています。
「レインマン」のサウンドトラックCDの試聴はRain Man Soundtrack - Amazon.com

The Singing Detective (2003年)
サウンドトラックには収録されませんでしたが、50年代を舞台にしたミュージカル仕立ての探偵映画「The Singing Detective(歌う大捜査線)」では劇中にドライボーンズを歌うシーンがあります。

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