February 2009 Archives



Rosemary Clooney (1928 - 2002)
ラテンナンバーの"Cara Miaとか"Oh Mein Papa"のようにイタリア語やスペイン語など世界の言語のタイトルがついた曲を聞いた私はローズマリー・クルーニーはてっきりラテン系だろうと思ってしまいましたが、両親はアイルランド系でケンタッキー出身だそうですからコテコテの白人でした。 ローズマリー・クルーニーのアルバムでは良きアレンジャーでもあったNelson Riddle(ネルソン・リドル)やPeez Prado(ペレス・プラード)との共演盤やBing Crosby(ビング・クロスビー)とのデュエット盤が有名です。 映画界の姐御がJane Russell(ジェーン・ラッセル)ならポップス界の姐御はローズマリー・クルーニーでしょうか。 ともに威風堂々たるエンターテイナー魂を持つ女性アーティストです。 ローズマリー・クルーニーは50年代にDean Martin & Jerry Lewis(ディーン・マーチンとジェリー・ルイス)が組んだ"Martin and Lewis(底抜けコンビ"のテレビショー"Colgate Comedy Hour"にゲスト出演して切々と"Half as Much"を歌ったり、お茶目に"Botch-A-Me"などを歌いました。(ディノがラトパックに参加する前のこと) そして、ローズマリー・クルーニーはGeorge Clooney(ジョージ・クルーニー)の叔母さんです。(父親の妹) そのジョージ・クルーニーとは2000年のO Brother, Where Art Thou?(オー・ブラザー!)やOcean's Twelve(オーシャンズ12)シリーズなど多数の映画に出演した俳優のことです。(ジョージ・クルーニーもラテン系だと思った。)
☆ローズマリー・クルーニーの写真や歌詞が見られる素晴らしいオフィシャルサイト (ファン・サイトかも。 Enjyoy Rosie's Photos)
The Rosemary Clooney Palladium (click Lyrics on the menu)
Rosemary Clooney sings Half as Much & Botch-A-Me on Martin and Lewis Show - YouTube
Rosemary Clooney & Dean Martin (Parody song medley) - YouTube

Come on-a my house-a!
ローズマリー・クルーニーは1951年に陽気に歌ったCome On-A My House(家においでよ)で一躍有名になりました。 ビルボードで連続8週トップをキープしたそうです。 ローズマリー・クルーニーの歌で浮上したこの斬新な曲はアメリカ民謡をもとにして1939年にアメリカの戯曲作家であるWilliam Saroyan(ウイリアム・サローヤン)と彼の従兄弟のRoss Bagdasarian(Sr. ロス・バグダサリアン)とによって作られたそうです。 ロス・バグダサリアンとは後にTVアニメシリーズとなった1958年の人形劇のAlvin and the Chipmunks(アルビンとチップマンクス)のキャラクターを生み出した人物なのです。 "Come On-A My House"はそのメロディーもさることながら、なんといってもその歌詞がすごいのです。 「あたしのおうちにいらっしゃい、あなたになんでもかんでもあげましょう」という歌詞、これがイミシンだとして発表当時は放送禁止を食らったという話もあります。 しかし私のように英語の分らない日本人にはどうってことはなく、そのジャカジャカジャカジャカという伴奏が賑やかで楽しい曲だと人気がありました。 "Come On A My House"の本来の歌では親戚、友人、ご近所さんを呼んで大盤振る舞いをするというアメリカの生活習慣を描いた歌詞だそうです。 つまり"何でもあげる"という言葉のダブル・ミーニングが功をなしたということでしょう。 大ヒットになった曲なのにローズマリー・クルーニーはこの曲が嫌いだったそうですが、録音当時にこの曲を吹き込むかクビかのどちらかを選べと通告されて仕方なく歌ったそうです。 だから私がずいぶんと威勢の良い歌声だなと思ったのは間違いで怒り心頭に達した歌声だったのかもしれません。 もっとも森山加代子が1961年に歌わされた"じんじろげ"や"パイノパイノパイ"に比べれば上等です。(Botch-A-Meはちょっとねエ。) この"家においでよ"はパロディ化されたりして何人かの歌手がカバーしたり、1961年にはロス・バグダサリアン(David Seville)自身の「The Alvin Show」でも使用されましたが、日本では1952年にEri Chiemi(江利チエミ)が"カモナ・マイ・ハウス"と歌ってヒットさせ、近年では俗曲師のUmekichi(檜山うめ吉)が歌っています。
Rosemary Clooney - Come On A My House - YouTube

Hey Mambo! Mambo Italiano! Go-go-go!
1954年にヒットしたのはジャンプブルースのBob Merrill(ボブ・メリル)がイタリアのフォークソングをマンボにアレンジして書いたMambo Italiano(マンボ・イタリアーノ)でした。 アメリカのチャートでトップになっただけでなくイギリスでもチャートインしたヒット曲となりましたが、この曲も例の"Come On A My House"と同様に1950年代から1960年代にかけてアメリカのポップス界で絶大なる影響力を持っていた"Sing Along with Mitch(ミッチと歌おう)"のヒゲの指揮者のMitch Miller(ミッチ・ミラー)のプロデュースだったそうです。 1950年からコロンビアのレコーディング・プロデューサーだったこのミッチ・ミラーがローズマリー・クルーニーに1954年の"This Ole House"を含めて軽いポップスを歌わせたことは音楽業界の犯罪だ!とまで云われたそうですが、こういった大衆受けする選曲によりともかく名声を得たのですからミッチー爺は強ち責められるべきでもないのかもしれません。 "Mambo Italiano"がヒットしたその当時、1950年代初め頃はアメリカでPerez Prado(ペレス・プラード)が持ち込んだ新しいリズムのマンボが大流行で猫も杓子もマンボを取り入れたのです。
☆ページトップで聴けるのはローズマリー・クルーニーがペレス・プラードと吹き込んだLPアルバム「Latin for Lovers」や「A Touch of Tabasco」、2002年のCD「The Girl Singer」などに収録されている"Sway(Quien Sera)"です。

世界を駆け巡ったローズマリー・クルーニーのヒット曲"Mambo Italiano"は2003年の映画のMambo Italiano(マンボ・イタリアーノ)で使用された他、1988年のMarried to the Mob(愛されちゃって、マフィア)、1990年のMermaids(恋する人魚たち)、1994年のA Man of No Importance(マン・オブ・ノー・インポータンス)、1996年のBig Night(シェフとギャルソン、リストランテの夜)、1999年のMickey Blue Eyes(恋するための3つのルール)などで使用されています。
Rosemary Clooney - Mambo Italiano - YouTube
"Mambo Italiano"はアメリカではイタリア系のDean Martin(ディーン・マーティン)が60年代に吹き込みましたが、ローズマリー・クルーニーが歌った"Sway"などと共にどちらがオリジナル(先)か不明説があるようです。 "Mambo Italiano"はヨーロッパでも人気となり、フランス語でDario Moreno(ダリオ・モレノ)、イタリア女優のSophia Loren(ソフィア・ローレン)が英語で、イギリスのポップス歌手のAlma Cogan(アルマ・コーガン)はもちろん英語でが歌いました。 ローズマリー・クルーニーがオリジナルの"Mambo Italiano"も"Come On A My House"と同様に他者の追従を許さぬものがあります。
"Mambo Italiano"を作詞作曲したボブ・メリルはGeorgia Gibbs(ジョージア・ギブス)が歌った"If I Knew You Were Comin' I'd've Baked a Cake"、"Honeycomb"、Patti Page(パティ・ペイジ)が歌った"How Much Is That Doggie In The Window?"などの,ヒット曲や、Yvette Mimieux(イヴェット・ミミュー)が出演した「不思議な世界の物語」の音楽はLeigh Harline(リー・ハーライン)ですが"Dancing Princess"などをたくさんの曲を作ったそうです。
1986年の37°2 le matin(ベティ・ブルー)や1994年のLa Cité de la peur(カンヌ映画祭殺人事件)に出演したアルジェリア系フランス人の歌手で踊れる俳優でもあるGérard Darmon(ジェラール・ダルモン)がGooglie Mooglie Muppetsショーで"Mambo Italiano"をセクシーに歌ったそうです。(シングルは"Mambo Italiano"、アルバムは"Dancing")
Gerard Darmon - Mambo Italiano - YouTube

Rosie's Life
およそため息や囁きとは無縁の、スキャットやアドリブとも無縁の、ですが声量たっぷりな歌唱方で世界中のポップスファンをを魅了したローズマリー・クルーニーでしたが、1950年代後期からのロックンロールの台頭を機に家庭に専念するようになりました。 そのローズマリー・クルーニーのプライベート生活はどうかというと、1953年にプエルト・リコ出身の俳優であるJosé Ferrer(ホセ・ファーラー)と結婚して5人も子供がいたそうですが、1953年から1961年と1964年から1967年の2回結婚しています。 政治的に親交の深かったRobert F. Kennedy(故ケネディ大統領)の1963年の暗殺以降から1970年代には依存性が高い鎮静剤を常用するようになり、薬物依存で入院生活を送ったそうです。 このことは後に俳優のジョージ・クルーニーが腰痛で鎮痛剤を処方されても使用しなかったことにつながりました。 ボロボロになっていく伯母さんを見ていたわけですからその薬物の恐ろしさを身をもって体験していたわけです。 ハスキーヴォイスのローズマリー・クルーニーは愛煙家だったこともあり肺ガンに侵されて手術後の2002年に74歳にして亡くなりました。

Rosemary Clooney's Albums
The Essential Rosemary Clooney
ページトップの画像はシングル・バージョンのCome On-A My House(家においでよ)といった初期のコミカルなポップスに加えて、しっとりとしかも情熱的に歌い上げる究極のバラード曲のHey There(ヘイ・ゼア)やTenderly(テンダリー)をはじめ、78回転バージョンのMambo Italiano(マンボ・イタリアーノ) などローズマリー・クルーニーの代表的な16曲を集めた人気のCDのエッセンシャル・ローズマリー・クルーニー」でローズマリー・クルーニー音楽の推移を聴くことができます。 輸入盤の「The Essential Rosemary Clooney」もリリースされています。
※「家においでよ」に続いてリリースした可愛い子ぶりっ子の面白いけどちょっといやらしいおねだり小唄の"Ba-Ba Baciami Piccina"とはイタリア語で「チュッ、チュッ、キスして!可愛い人」 といった意味らしいですが"Botch-A-Me "も同じ?
ちなみに日本では馴染みがないですがHey There(ヘイ・ゼア)とはHiya! のようにくだけた挨拶で「こんにちは」とか「やあ」という意味だそうです。
Mangos
ローズマリー・クルーニーが"Come On-A My House"のように"マンゴ、パパイア、飲んで食べて!"と美味しそうなものを羅列した1950年代中頃のヒット曲"Mangos"は「Best of Rosemary Clooney」などのベスト盤にも収録されています。
Rosemary Clooney - Mangos - YouTube

The Rosemary Clooney Show: Songs from the Classic Television Show
The Rosemary Clooney Show: Songs from the Classic Television Show
The Rosemary Clooney Showローズマリー・クルーニーの1954年のヒット曲である"Mambo Italiano(マンボイタリアーノ)"の他、代表曲の"Come On-A My House(家においでよ)"、"Tenderly"、"Hey There"、"Blues in the Night"など26曲が収録されている2004年リリースのベスト盤です。 "The Essential Rosemary Clooney"には収録されていない曲にはMoonlight in Vermont、My Blue Heaven 、There Will Never Be Another You 、Foggy Day 、Dream、Taking a Chance on Love 、Blues in the Night 、Lazy River 、 I'll Be Seeing Youなどがあります。
全曲試聴はRosemary Clooney Show: Songs From The Classic Television Show - Amazon.com
※"Blues in the night"を収録しているアルバムには輸入ベスト盤の「Best of Rosemary Clooney」や「Jazz Singer」もあります。

Blue Rose
Blue Rose
Blue Rose1961年の映画Paris Blues(パリの旅愁)のテーマ曲として使用された"Mood Indigo"を1956年にデューク・エリントン楽団とLPアルバム「Blue Rose」に吹き込みました。
収録されている曲は他にアルバムタイトル曲のBlue Rose、Duke Ellington(デューク・エリントン)の代表曲の"Sophisticated Lady"、そしてエリントンバンドでは盲目のR&B男性ボーカリストのAl Hibbler(アル・ヒブラー)と共に専属歌手の一人だった女性ボーカリストのIvy Anderson(アイヴィー・アンダーソン)の代表曲の"It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing) "や"I Got It Bad (And That Ain't Good)"とBilly Strayhorn(ビリー・ストレイホーン)単独の作曲の"Passion Flower"や"I'm Checking Out (Goombye)"などを心を込めて歌った13曲を収録しています。
「Blue Rose」はデューク・エリントンのコラボレーターとして名高い編曲者でピアニストのビリー・ストレイホーンが編曲及び選曲など尽力を尽くして出来上がったアルバムだそうです。 このLPがCD化された1999年の盤です。 "家においでよ"とか"マンボ・イタリアーノ"など軽いポップスをヒットさせた当時のローズマリー・クルーニーのジャズ歌手としての力量を発揮した1枚といえるでしょう。 LPの収録曲に加えて"If You Were in My Place (What Would You Do?)"と"Just a Sittin' and a Rockin"がボーナストラックとして追加されたCDです。 演奏メンバーはアレンジとピアノがビリー・ストレイホーン、ピアノがデューク・エリントン、トランペットがClark Terry(クラーク・テリー)、テナーサックスがPaul Gonsalves(ポール・ゴンザルベス)など、ドラムがSam Woodyard(サム・ウッドヤード)、ベースがJimmy Woode(ジミー・ウッド)、アルトサックスはJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)、アルトサックスとクラリネットがRussell Procope(ラッセル・プロコープ)です。 確信はありませんが、このLP録音当時ローズマリー・クルーニーは妊娠中だったとかで演奏と別取りと聴いたことがあります。
Rosemary Clooney & Duke Ellington - Mood Indigo - YouTube

A Touch of Tabasco
セカンドヒットがマンボのリズムの"Mambo Italiano"だったローズマリー・クルーニーはマンボの王様ことペレス・プラードとのコラボでCorazón de Melon, de melon melon melon melon melon..corazón...と"Corazon de Melon(メロンの心)"をヒットさせました。 このメロンという言葉は網のかかったメロンを想像させますが、英語のタイトルは"Watermelon Heart"というようにどうやら南米の西瓜のことのようです。  ローズマリー・クルーニーとは相性ピッタリのPerez Prado and his Orchestra(ペレス・プラード楽団)とラテン曲も含めたLPアルバム「タバスコの香り」が1960年に日本でリリースされました。 オリジナルのLPはCD化されてリマスター盤が2007年にリリースされています。 "メロンの心"はローズマリー・クルーニーのアルバム「The Girl Singer」などにも収録されています。
A Touch of Tabascoタバスコの香り
収録曲は1. Corazon de Melon(メロンの心)
2. Like a Woman(ライク・ア・ウーマン)
3. I Only Have Eyes for You(瞳はあなたゆえに)
4. Magic Is the Moonlight(マジック・イズ・ザ・ムーンライト)
5. In a Little Spanish Town(小さなスペインの町で)
6. Sway(キエン・セラ )
7. Mack the Knife(マック・ザ・ナイフ)
8. Bali Ha'i (バリ・ハイ)
9. You Do Something to Me(ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミー)
10. Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Paloma(ク・ク・ル・ク・ク・パローマ)
11. I Got Plenty O' Nuttin'(くたびれもうけ)
12. Adios(アディオス)の全12曲です。
Rosemary Clooney with Perez Prado - Corazon de Melon - YouTube
Rosemary Clooney - Corazon de Melon & Sway - YouTube

Memories of You
ドイツのBear Familyレーベルから1998年にリリースされた輸入のベスト盤Box setは価格の桁を間違えたわけではなく再リリースされないからなのか驚くべきヴィンテージ価格です。 1946年から1968年のローズマリー・クルーニーの歴史的な集大成で7枚のディスクに全180曲を収録してあります。 第一巻はCome On-a My House、第二巻はMemories of Youの二巻からなり、未発表の曲や、76ページものハードカバー伝記本やら写真などが付いている豪華版だそうです。 熱狂的なローズマリー・クルーニーのファンには垂涎の的なんでしょう。
全164曲を収録した7枚ディスクには、アルバムのタイトルとなっているBenny Goodman(ベニー・グッドマン)楽団をバックに歌う"Memories of You"はディスク 1にとディスク 3に収録されています。 "Come On'a My House"はディスク 1とディスク 4とディスク 7に収録され、"Mambo Italiano"はディスク 1とディスク 4に収録され、"White Christmas"がディスク 6に収録されている他ヒット曲の全てが網羅されています。 有名スタンダード曲のカバーは少な目で多くはレアな曲か別テイクバージョンのようで、子供向けの童謡曲もたくさん収録してあります。 Delta Rhythm Boys(デルタ・リズム・ボーイズ)でおなじみのDry Bones(ドライ・ボーンズ)がディスク 7に収録されていますがローズマリー・クルーニーはTommy Dorsey Orchestra(トミー・ドーシー)楽団をバックに歌っています。 ベニー・グッドマンやトミー・ドーシーの他の共演楽団はデューク・エリントン楽団などで、歌手ではBing Crosby(ビング・クロスビー)はもちろんんこと、Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)や歌うカウボーイのGene Autry(ジーン・オートリー)などです。
Memories of YouMemories of You
♪ 試聴はRosemary Clooney Memories Of You - Amazon.com

You'll Never Know
上記のアルバムにない曲としては、ローズマリー・クルーニーはHarry James(ハリー・ジェームス)の大ヒット曲の"You'll Never Know(知らないでしょう)"を歌っているのですが滅多に収録されていません。 "You'll Never Know"は「16 Most Requested Songs」は1991年のベスト盤、もしくは「16 Biggest Hits」で聴くことができます。
短いですがセンチメンタルな"You'll Never Know"の♪ 試聴は16 Most Requested Songs - Amazon.com
♪ 試聴はRosemary Clooney 16 Biggest Hits - Amazon.com

Nelson Riddle
上記にアルバムがないローズマリー・クルーニーと共演した楽団といえばキャピタルレコードでNat King Cole(ナット・キング・コール)やFrank Sinatra(フランク・シナトラ)のアレンジャーとして有名なNelson Riddle(ネルソン・リドル)があげられます。 ネルソン・リドルは1950年代半ばにTV番組の"The Rosemary Clooney Show"で演奏及びアレンジを受け持っていました。 ローズマリー・クルーニーがスウィングする1961年の「Rosie Solves the Swingin' Riddle!」や1965年の「Love」などがあります。 これら素晴らしいコラボの国内盤は「ローズマリー・クルーニーとネルソン・リドル」とラヴ(紙ジャケット仕様)というCDが2008年にリリースされています。


Rosemary Clooney in the Films
White Christmas 1954年
ホワイト・クリスマス スペシャル・エディション
White Christmas DVDローズマリー・クルーニーが出演した映画といえばMichael Curtiz(マイケル・カーティス)が監督したクリスマス映画の定番となったミュージカル・コメディの「ホワイト・クリスマス」でしょう。 映画のなかでは主演のBing Crosby(ビング・クロスビー)とローズマリー・クルーニーがテーマ曲をデュエットしたり出演者たちと合唱したりとIrving Berlin(アービング・バーリン)の曲がふんだんに使用されています。
☆映画について詳しくはAudio-Visual Trivia内のホワイト・クリスマス White Christmas
クリスマスといえば1954年の映画「ワイト・クリスマス」では"I'm dreaming of a white Christmas..."と歌ったWhite Christmasの他にも、"Chestnuts Roasting on an Open Fire..."と歌ったChristmas Song(ザ・クリスマス・ソング)もクリスマス定番曲となっています。

Red Garters 1954年
Red Garters [VHS] [Import]
Red Garters VHS"Mambo Italiano"でセンセーショナルなヒットを飛ばしたローズマリー・クルーニーが「ホワイトクリスマス」と同じ年の1954年に出演した西部劇のGeorge Marshall(ジョージ・マーシャル)が監督したミュージカル映画ですが日本未公開でした。 ローズマリー・クルーニーは酒場の経営者で歌手のCalaveras Kate(カラベラス・ケイト)という役で、そのケイトが気がある町の有力者役には1958年にCat on a Hot Tin Roof(熱いトタン屋根の猫)に主人公の兄のCooper 'Gooper' Pollitt(グーパー)役で出演した性格俳優のJack Carson(ジャック・カーソン)で、二人の恋はなかなか実らずやけになったケイトは結婚するためにハンサムな牧童(ガイ・ミッチェル)を利用して有力者に嫉妬させようと企むストーリーなんだそうです。
牧童を演じたのは子役からポップス歌手になったクロアチア系のGuy Mitchell(ガイ・ミッチェル)です。 1956年に私も好きな"Singing the Blues"という大ヒットを放ったガイ・ミッチェルでしたが、なんと名前のミッチェルはローズマリー・クルーニーに"家においでよ"と"マンボ・イタリアーノ"を吹き込ませたコロンビア・レコードのミッチ・ミラーから付けられたそうです。(では、Guy は? それはナイスガイだからだそうです。)
日本未公開でDVDもなく1998年リリースの英語版の輸入VHSが見つかるだけです。 日本語字幕のDVDがあれば観たいですが。
Red Garters Soundtrack
Red Garters/Irving Berlin's White Christmas
Red Garters-White Christmasローズマリー・クルーニーとガイ・ミッチェルの歌を収録したサウンドトラックとホワイトクリスマスが一緒になった2001年の輸入ベスト盤アルバムがリリースされているそうです。
♪ 試聴はRed Garters/Irving Berlin's White Christmas - Amazon.com ※「Irving Bering's White Christmas」というLPレコードもColumbiaからリリースされたそうです。( CL6338)

In Concert Series (Full) [DVD] [Import] (2006)
In Concert Series (Full) [DVD] [Import]
In Concert Series DVD"Foggy Day"、"Imagination"、"Come Rain or Come Shine"などローズマリー・クルーニーの有名な11曲を収録した50分ライヴDVDらしいですが、2006年にリリースされたリージョン1の英語版なので一般のプレーヤーでは再生不可だそうです。 一説にはこのDVDはコンサート・ライヴではなくNelson Riddle(ネルソン・リドル)が出演した妊娠時期のローズマリー・クルーニーのTV番組の抜粋だとか。 選曲には一貫性がないそうですが昔の映像ならかえって歓迎!だが未見につき確証なし。 妊娠中といってもローズマリー・クルーニーは1955年から1960年にかけて子供が5人も生まれたのでどの時期かは特定できませんが、もし情報が正しければこの5年間の映像であることは間違いないでしょう。

Rosemary Clooney on Soundtracks
ローズマリー・クルーニー本人が映画に出演することは数が多くはなかったのですが、映画のサウンドトラックでローズマリー・クルーニーの曲が使用された例はたくさんあります。
上記以外のローズマリー・クルーニー自身が主演した映画では1953年のThe Stars Are Singing(楽しき我が家)では"Come On-A My House"をはじめ"Haven't Got a Worry"、"I Do! I Do! I Do!"、"Lovely Weather For Ducks"を歌っているそうです。 Stanley Donen(スタンリー・ドーネン)が監督してローズマリー・クルーニーと結婚したホセ・ファーラーと共演した1954年のDeep in My Heart(我が心に君深く)でMr. and Mrs."を歌い、そのホセ・ファーラーが監督した1961年のReturn to Peyton Place(青春の旅情)では音楽を手掛けたFranz Waxman(フランツ・ワックスマン)作曲のテーマ曲"The Wonderful Season of Love"を歌いました。
サントラで使用されたローズマリー・クルーニーの曲としては、鉄道マニア夫を描いた1987年のTrack 29(トラック29)ではChattanooga Choo Choo"、"Young at Heart"、"When the Red, Red, Robin Comes Bob, Bob, Bobbin' Alongが使用され、日本未公開ですが1994年のRadioland Murders(笑撃生放送!ラジオ殺人事件)では"That Old Feeling"が使用されています。 そしてClint Eastwood(クリント・イーストウッド)もローズマリー・クルーニーはお好みらしく1997年に監督したThe Garden Of Good And Evil(真夜中のサバナ)ではイーストウッド自身がプロデユースしたサウンドトラックにローズマリー・クルーニーが歌う"Fools Rush In"が収録されています。 この"Fools Rush In"は1999年にリリースされた「Songs from the Girl Singer: A Musical Autobiography」という2枚組アルバムにも収録されています。(B00002CF43) まだまだ、1999年のプロレス映画のBeyond the Mat(ビヨンド・ザ・マット)で"I'll Be Seeing You"、そして甥っ子のジョージ・クルーニーが監督した2002年のConfessions of a Dangerous Mind(コンフェッション)では"There's No Business Like Show Business"が使用されました。 最近でも2002年にNicolas Cage(ニコラス・ケイジ)が監督したSonny(ソニー)では"Half as Much"、2006年にKeanu Reeves(キアヌ・リーヴス)が主演したThe Lake House(イルマーレ)では"There Will Never Be Another You"と"I Wish You Love"が使用されたように今後もローズマリー・クルーニーの歌声はスクリーンで流れつづけることでしょう。


Missed Rosie's' Video Clips
以前はyouTubeで1961年にATVのJo Stafford Showの特番"County Fair"でJo Stafford(ジョー・スタッフォード)やMel Torme(メル・トーメ)や77 Sunset Strip(サンセット77)のEdd "Kookie" Byrnes(エド・バーンズ)まで出演した映像が観られたのです。(On a TV Jo Stafford Show of 1961, Jo is joined by Rosemary Clooney, Edd 'Kookie' Byrnes, Lionel Blair and composer of 'County Fair', Mel Torme. Jack Parnell's Orchestra and vocal group The Polka Dots complete the star-studded lineup for this spectacular performance)


Hey There (Essential Rosemary Clooney) - Rádio UOL
(Album includes Come On-A My House, In the Cool, Cool, Cool of the Evening, Hey There, Half as Much, Botch-A-Me (Ba-Ba Baciami Piccina), Lady Is a Tramp, You Started Something, You Make Me Feel So Young, Blue Rose, Love, You Didn't Do Right By Me, Blame It on My Youth, Mambo Italiano, This Ole House, Mangos, and From This Moment On)


Marie Laforêt Photo Gallery
Marie Laforet
(Do click for larger image.)
(Cliquez sur les photos pour en avoir un agrandissement.)

Marie Laforet Marie Laforet

Marie Laforet Marie Laforet

Plein soleil (1960)
Plein soleil

上記の写真はアルメニア出身のフランス女優であるマリー・ラフォレがマルジェ役でデビューした1960年の映画「Plein soleil(太陽がいっぱい)」の私が好きな写真です。(後方はマリー・ラフォレで手前はアラン・ドロン) このシーンでマリー・ラフォレが着ているのはセーラーカラーのベージュ色のプルオーバーと白いパンツですが、大胆な赤と白の横縞の袖付き水着も素敵でした。
「太陽がいっぱい」は、ジェラール・フィリップが1954年に主演した「Monsieur Ripois(しのび逢い)」で有名なRené Clément(ルネ・クレマン)監督がミステリー作家のPatricia Highsmith(パトリシア・ハイスミス)が1955年に書いた原作「The Talented Mr. Ripley(才人リプリー君)」を1960年に映画化した名作です。 主人公のTom Ripley(トム・リプリー)にAlain Delon(アラン・ドロン)、トムが羨んだ金持ち息子のPhilippe Greenleaf(フィリップ)には1957年にAscenseur pour L'echafaud(死刑台のエレベーター)に出演したMaurice Ronet(モーリス・ロネ)、そしてその恋人のMarge Duval(マルジェ)に大抜擢のマリー・ラフォレです。 フィリップが友人のフレディに出逢うシーンでFreddie(フレディ)の女友達として当時アラン・ドロンと婚約中だった「Monpti(モンプチ)」に出演したドイツ女優のRomy Schneider(ロミー・シュナイダー)がカメオ出演しています。(なんと1968年には別れた後のロミー・シュナイダーとアラン・ドロンがLa Piscine(太陽が知っている)でモーリス・ロネと共演。) そのフィリップの友人のフレディはトムをたかり屋とみなして嫌っていましたが、フィリップの殺害を疑ったのでトムに殺されてしまいます。

アメリカ本国の富豪からヨーロッパで遊びほうけているその息子(トムの友人のフィリップ)を連れ帰るよう大金を積まれて頼まれた貧しい青年トムはプレイボーイのフィリップの豪勢な生活ぶりを目の当たりにしてすっかり魅了されてしまうのです。 その生活だけでなくパリジェンヌのフィリップのフィアンセまでも。 父親は約束したフィリップからの手紙が届かないのに立腹してトムとの契約を解除すると迫ったこととヨットでのトムを弄んだフィリップの残酷な仕打ちにトムの復讐ともいえる犯行計画が頭をもたげた。 トムは完璧にフィリップになりきるよう努力し、知恵を振り絞った大細工小細工の結果、フィリップの恋人のマルジェまでも手に入れる。 万事うまくいったと至福の時を過ごすトムが唖然とするシーンは観客にとっても鳥肌ものです。 すっかりトムに感情移入していますから、まるで私の犯罪が露見したような気分にさせられました。
Plein Soleil - YouTube
Plein Soleil Trailer - Comme Au Cinéma

アラン・ドロンは1958年の青春コメディの「Faibles Femmes(お嬢さん、お手やわらかに!)」で若い女性のハートを掴み、1959年にはLe Chemin des écoliers(学生たちの道)、1960年にAnnie Girardot(アニー・ジラルド)が出演したRocco e i suoi fratelli(若者のすべて)で主役級になりましたが、なんといっても「太陽がいっぱい」で世界的に有名になり、この後はもう人気スター街道まっしぐらでした。

「太陽がいっぱい」では音楽を担当したNino Rota(ニーノ・ロータ)の叙情的かつ厭世的な物悲しいテーマ曲が一世を風靡し、日本でも当時はあちこちのヒットパレード番組で上位になり夏というとこの曲が思い出されます。 1952年に名作であるJeux interdits(禁じられた遊び)でNarciso Yepes(ナルシソ・イエペス又はナルシソ・イープス)のギター曲"Romance Anonimo"を使用したルネ・クレマン監督は、1964年に「太陽がいっぱい」で主演したアラン・ドロンを主役にしたLes Felins(危険がいっぱい)も監督していますが、この映画でもLalo Schifrin(ラロ・シフリン)が作曲した洒落た"Theme From Joy House"がテーマ曲として使用されています。
DP-1183
Plein soleil私が持っている「太陽がいっぱい」のEPレコードのテーマ曲はThe Film Symphonic Orchestra(フィルムシンフォニックオーケストラ)が演奏する「Der Stern von Afrika(アフリカの星のボレロ)」との抱き合わせ盤です。
現在はサントラも数多く手掛けたイタリアの音楽家のCarlo Savina(カルロ・サヴィーナ)とJacques Metehen(ジャック・メトアン)指揮のサウンドトラック「Plein Soleil [Bande Originale du Film]」がリリースされています。(16曲収録した2006年盤)
Nino Rota - Plein soleil - YouTube
パトリシア・ハイスミスの原作は1999年にアラン・ドロンが演じたトムの役をMatt Damon(マット・デイモン)が演じたThe Talented Mr. Ripley(リプリー)としてリメイクされています。

Saint-Tropez Blues / Tumbleweed EP/Fontana 1002
Saint-Tropez Blues写真は私が映画の公開当時1960年頃に購入したサントラ盤でSaint-Tropez Blues / Tumbleweedを収録しています。 1960年の「太陽がいっぱい」で世界的に有名になったマリー・ラフォレが次に出演したのが他愛のない青春ヴァカンス映画の「赤と青のブルース」です。 ストーリーは学生の夏休みを描いていますが、フランスの高級リゾート地のサントロペでのハイソな情景に羨望の眼差しを送ったものでした。 映画の中でマリー・ラフォレがギターの弾き語りで歌ったテーマ曲の"サントロペ・ブルース"も大ヒットしました。
「赤と青のブルース」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のマリー・ラフォレ Marie Laforet

La Fille aux yeux d'or Fontana FON-1014
La Fille aux yeux d'or写真は当時私が購入した「金色の眼の女」のBande originale du film(サウンドトラック)EP盤です。(1êre Partie et 2ême Partie) A面B面とも「禁じられた遊び」のRomance Anonimo(愛のテーマ)で有名なNarciso Yepes(ナルシソ・イエペス)が作曲したテーマ曲です。
1961年にマリー・ラフォレが主演した「金色の眼の女」のナルシソ・イエペスのギターが奏でるテーマ曲はヒロインの"金色の眼の女"をファンタジックに表現したクラシカルな美しい曲です。 映画はフランスの作家であるHonore de Balzac(オノレ・ド・バルザック)の1835年のHistoire des Treize(十三人組物語)の一話のLa Fille aux yeux d'or(同名小説)をもとにしてレズビアンの女たちと男が絡んで殺人事件に発展する内容です。 マリー・ラフォレにメロメロになったフランスのJean-Gabriel Albicocco(ジャン=ガブリエル・アルビコッコ)監督は1960年にマリー・ラフォレと結婚し、マリー・ラフォレを美しく幻想的に描写しています。 ガブリエル・アルビコッコ監督は日本未公開の1963年のLe Rat d'Amérique(アメリカのねずみ)でもマリー・ラフォレを起用していますが結婚は10年ほどで終わりました。

1959年のL'Eau à la bouche(唇(くち)によだれ)にJean-Paul役で、又J'irai cracher sur vos tombes(墓にツバをかけろ)ではStan Walker(スタン)役で出演していたPaul Guers(ポール・ゲール)が女たらしの写真家Henri Marsay(アンリ)を演じています。 その写真家は以前見た学生だという金色の眼の女(ラフォレエ)を再び仮装舞踏会で見かけて一人暮らしらしき女の部屋に強引に入り込みますが、意外な事実が判明。 写真家を愛してしまったのか金色の眼の女は「結婚して遠くに行きたい」と言っていたのですがどこを探しても見つかりません。 秘密の隠し扉の向こうはFrançoise Prévost(フランソワーズ・プレヴォー)が演じる写真家の十年来の女友達で婦人新聞社のオーナーのEléonore(エレオノール)の部屋に通じている。 なんと金色の眼の女はエレオノールと同性愛関係にあったのだった。 エレオノールが二人の関係を知って隠してしまったのだが、やっと隠れ家で金色の眼の女を見たと同時に嫉妬に狂った中年女は、あれぇー、なんてことを! Françoise Dorléac(フランソワーズ・ドルレアック)もKatia(カチア)役で出演しています。

「金色の眼の女」はDVDはおろかVHSでさえ見つかりません。 マリー・ラフォレが出演した映画のビデオとしては日本のAmazon.co.jpでは「太陽がいっぱい」と「赤と青のブルース」以外はジャン=ポール・ベルモンドの映画が2本と1985年の「Tangos, l'exil de Gardel(タンゴ ガルデルの亡命)」くらいです。 VHSでは"Purple Noon"というタイトルで「太陽がいっぱい」のVHSだけが見つかります。 本国フランスではどうかというと「Plein soleil(太陽がいっぱい)」他全30件のDVDがヒットします。
フランスで発売されているマリー・ラフォレの出演映画のDVDは「太陽がいっぱい」には978念のFlic ou voyou(警部)、1982年の日本未公開映画の「Que les gros salaires lèvent le doigt!」、1984年のJoyeuses Pâques(恋にくちづけ)や同年の未公開映画「Les Morfalous」と同年の日本未公開映画の「Les morfalous」、1985年の未公開の「Le Pactole」、1987年の未公開「 Il est génial Papy !」、1997年のTykho Moon(ティコ・ムーン)以下20件ほどが販売されていますが殆どがベルモンドのおかげのようです。

マリー・ラフォレは「金色の眼の女 」で主演した後は1962年にMylène Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)が出演したÀ cause, à cause d'une femme(女は夜の匂い)、Edouard Molinaro(エドゥアール・モリナロ)が監督してJean Paul Belmondo(ジャン=ポール・ベルモンド)以下豪華キャストの1964年のLa Chasse à l'homme(男を追って)と準主役が続きましたが、1964年に「赤と青のブルース」を監督したClaude Chabrol(クロード・シャブロル)のMarie-Chantal contre le Dr Kah(ジャガーの眼)では主役に返り咲きました。 私は未見ですがピンクパンサー風なミステリーのようです。 1965年にはEstate Violenta(激しい季節)を監督したValerio Zurlini(ヴァレリオ・ズルリーニ)のLe Soldatesse(国境は燃えている)に出演するなど1980年代まで15本ほどの映画に出演していますが、そのうちジャン=ポール・ベルモンドとの共演作品は合計6本もあります。


Tu fais semblant / Mary Ann (Blizzard) LL-535-F
Tu fais semblant 写真は私が購入したマリー・ラフォレのシングル盤です。(多分1964年頃) オリジナルは1963年リリースのA面がTu fais semblant(悲しみの旅路)でB面がMary Ann(いとしのマリー)ですが、相変わらず力まない自然体の歌唱法でしっとりと聴かせます。
Tu fais semblant Paroles
Tu fais semblant d'être content,
mais tu as mal, mal autant que moi,
Tu me disais que pas toujoures,
mais tu rêvais au grand amour.
Marie Laforet (1963) - Tu Fais Semblant


The Aim Of My Desire / Syay With Me
Bert Kaempfert's EP with Marie Laforet imageおまけのレコードジャケットはBert Kaempfert And His Orchestra(ベルト・ケンプフェルト楽団)が演奏するムード・ミュージックを収録したEP盤です。 ジャケットの写真は「太陽がいっぱい」のワンシーンのようですが、レコードの解説にはなぜマリー・ラフォレの写真をジャケットに使用したのかは書かれていませんでした。 発売当時はベルト・ケムプフェルトと呼ばれたハンブルグ出身のバンドリーダーは作曲や編曲も手掛けました。
収録されているレアものはA面がドイツのMoesser(メッサ)が作曲した"Das Ziel Meiner Wunscase(The Aim of My Desire / 欲望のブルース)"で、B面がベルト・ケムプフェルトが作曲したSyay With Me(行かないで)です。 Charles Tabor又はCharly Tabor(チャーリー・タボール)のトランペット・ソロが美しいラテン調の曲です。 このシングル盤がなぜマリー・ラフォレの記事内にあるかというと、ジャケットがマリー・ラフォレだから私が購入してしまったベルト・ケムプフェルトのレコードなのです。 ちなみにこの他に私が持っているベルト・ケンプフェルトのレコードにはチャーリー・タボールのトランペットをフィチャーしたバラード曲のWithout Your Love(夕ばえのブルース)とTenderly(テンダリー)があります。 ベルト・ケンプフェルト楽団はトランペットの名手と言われながらも情報皆無の"ビリー・モー"をフィーチャーした1958年のMitternacht Blues(真夜中のブルース)や1960年の"Wonderland by Night(星空のブルース)"などイージーリスニング(ポピュラー音楽)ジャンルでヒット曲を出したお馴染みのミュージシャンです。


Marie Laforêt
Marie Laforet

この記事で使用した写真は私が半世紀前に映画雑誌から切り抜いて保存しておいた写真と手持ちのジャケット画像です。
全ての著作権はその被写体と撮影者等に帰属します。


Yvette Mimieux in Wetsuit
Yvette Mimieux in Scuba Diving Wetsuit

Yvette Mimieux2  Yvette Mimieux1
(Do click for larger image.)

Yvette Mimieux
1942年にロスアンジェルスのハリウッドで生まれてフランス人の父とメキシコ人の母を持つイヴェット・ミミューはMGM映画からのデビュー当時に日本ではイベット・ミメオと呼ばれていました。 ミメオでもミミューでも可憐な印象を受ける名前だし、おとなしくてか弱そうで、ため息が出るほど可愛いイヴェット・ミミューだったので妖精のようにファンタジックな純情少女アイドル路線で行くと思ったのですが、予想に反して自身でも脚本を手掛けた1974年のテレビシリーズの"Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)"の刺客のように露出したボディを強調するセクシー路線に行ってしまいました。 恐らくタイプ・キャスト(型にはめられる)が嫌だったのでしょう。

「ヒット・レディ」でアサシン(刺客)のAngela de Vries(アンジェラ)を演じた赤いビキニ姿のイヴェット・ミミューの写真が見られるHit Lady Photos - CineMorgue.com
Yvette Mimieux in Hit Lady 1 - YouTube
Yvette Mimieux in Hit Lady 2 - YouTube
スタイル抜群で金髪、ヨーロッパ風の顔立ちのイヴェット・ミミューはミスコン出身でモデルとなり1959年にはMGM映画と契約しました。 何本かのヒット作品に出演した後、自分の出演する作品の脚本を手掛けただけでなく人類学の分野やビジネスでも成功したという賢い女優です。 1949年のOn the Town(踊る大紐育(ニューヨーク))や1952年のSingin' in the Rain(雨に唄えば)などたくさんの人気映画を監督したStanley Donen(スタンリー・ドーネン)と1972年に結婚して4人目の妻となり13年生活を共にしましたが、献身的に尽くしたイヴェット・ミミューはスタンリー・ドーネンが最も愛した女性だと云われています。
華奢に見えるイヴェット・ミミューですが公表サイズは身長163cm、体重48.5kg、バスト86cm、ウエスト54.4cm、ヒップ89cmだそうで、サーフィン以外にもAcrobic YOGA(ヨガ)でも鍛えたかなりマッチョな体形です。 有名ファッション誌のHarper's Bazar(ハーパーバザール)から1995年版の"Harper's Bazaar Yoga Workout With Yvette Mimieux"などヨガの本をいくつか出していますが、他の1冊が見られるAerobic Yoga - SuperiorMartialArts.com
「タイムマシン」からヨガのレオタード姿までイヴェット・ミミューの写真が見られるYvette Mimieux Photos - BittenandBound.com(Next Image »をクリック)


Yvette Mimieux Filmography
Yvette Mimieux4

H.G. Wells' The Time Machine 1960年
The Time Machine私が最初に観たイヴェット・ミミューの映画は1960年の「ボーイ・ハント」ですが、同年に制作された「タイム・マシン 80万年後の世界へ」が先に日本映画デビューだそうです。 「タイム・マシン」は英国作家のH.G. Wells(H・G・ウェルズ)が1895年に書いたSF小説のをSF特撮映画を手掛けたGeorge Pál(ジョージ・パル)監督が映画化しました。 時には「タイム・マシン」はRoger Vadim(ロジェ・ヴァディム)が監督した1967年のBarbarella(バーバレラ)と比較されることがあるそうです。(全く全く異なります) MGMスターのRod Taylor(ロッド・テイラー)がタイム・マシンの発明者のH. George Wells(ウェルズ)を演じて有名になった映画です。 人間の末裔であるEloi(イーロイ)と野蛮な食人種族のMorlocks(モーロックス)の辺りがちょっと1968年の「Planet of the Apes(猿の惑星)」みたいですが、映画「猿の惑星」の原作はフランスのPierre Boulle(ピエール・ブール)が書いた1963年の"La Planète des singes(猿の惑星)"だそうです。 キングコングと金髪美人の例に倣ってか、美女と野獣の取り合わせが観客の興味を引いたSF映画です。 可憐な美女が食人族のモーロックスの餌食になりそうでハラハラさせられます。 内容は理論的ではありませんが、今でも最後まで引きずり込まれるストーリーです。
「タイム・マシン」の写真が見られるL'uomo che visse nel futuro Photos - FILM.TV.IT
上記の画像は2009年リリースの日本語字幕版DVD「タイム・マシン 特別版」ですが現在入手困難となっています。 この他にはVHSとして日本語字幕版の「タイム・マシン」や「タイム・マシン―80万年後の世界へ」とか、輸入版のTime Machine (1960)などがあります。

The Time Machine Synopsis
大いにネタバレですからこれからDVDを観ようとする方はこのあらすじを読まない方がよけい楽しめます。
さて、1899年の大晦日、場所はロンドン、ロッド・テイラーが演じるジョージが友人の博士たちを晩餐会に招待したが主は現れず家中の時計が夜の8時を告げると召使はジョージは数日戻らないこともあるからと夕食を始めることを促した。 その時、突然ボロボロのジョージが現れた。 驚く友人たちと現在は3次元だが4次元(異次元)とは何かの議論を戦わす。 時空を超越する証明しようとジョージはテーブルの上に置かれた箱を開けて自身が発明したタイム・マシンを取り出す。 それはパラボナ付きのソリのような美しい細工ものだった。 しかし本物の大きなモデルは過去と未来を往復するタイムマシンであると、友人の葉巻を使って100年後に旅する実験して見せたのだ。 当然のことだが、友人たちには手品師のマジックだと思われてしまいデビッドだけが残ってくれたが、命の危険をもたらすからと本物のタイムマシーンを破壊するように勧めるのだった。 カレンダーの1月5日に晩餐会とメモをするとジョージは実物大のアンティーク調のタイムマシンに乗り込んだ。 ジョージはそのタイムマシンで1899年の12月31日のロンドンから時間を超越して1900年の1月へ、そして1917年に飛んだところで何かが起きたので止めた。 するとジョージの家は蜘蛛の巣とホコリだらけ、封鎖されている家を出ると何と馬車の変わりに自動車が走っている。 つまりジョージは浦島太郎になったわけです。 なんてこった!とジョージは再びタイムマシンに乗り込んで未来に向かってさらに先に進んでいったのでした。 するとジョージの家はぶっ飛び、世界大戦、空飛ぶ機械、高層ビル、そして1966年に着くと火山噴火状態となり町は溶岩に流されていく、慌ててタイムマシンに飛び乗って岩に閉ざされた暗黒の暗闇をさらに逆のぼること紀元80万年2701年へと飛んだ。

やっと開けた、戦争もなく周りは天国のごとく穏やかな風景、と思ってタイムマシンを止めるジョージ。  当然そこにはもはやロンドンの面影はないし、ジョージの家らしきものもない。 世にも珍しい花々や果実が一杯のこのパラダイスには不思議な建物があった。 鬱蒼とした森を彷徨い出ると楽しそうな人々の声が聞えたのだ。 女がいっぱい、これは男の天国じゃとにんまりしたジョージが仲間に入ろうとした時、激流に流され溺れかけている女の悲鳴が聞えた。 しかし不思議なことに誰も手を貸そうとしない。 ジョージが助けたのはWeena(ウィーナ)という美しい娘、これがイヴェット・ミミューです。 助かったのにウィーナは何の感情も表さずに去って行ったが、後でジョージの上着を返しにきた。 ウィーナは言葉は通じるが読み書きはできないようだ。 暗くなると先ほどの不思議な建物に入って飲み食いするらしい。 話を聞いてみるとここには政府も法律も無く、誰も働かないのに着物も食べ物もあるのだ。 本があるというので見せてもらったがページをめくるまでもなく塵となってしまった。 なんという未来なんだ! 怒ったジョージが森に戻るとタイムマシンが無い! そこはずっとずっと前にはジョージの家があった場所、どうやら鉄の扉の向こうに引っ張っていかれたようだ。 これは何だと見上げればなんとも奇妙な偶像が聳えている。 ん?後ろで何かが動いたぞと良く見ようとマッチをすったら消え失せてしまった。 そこにやってきたウィーナから扉を開けられるのはモーロックスだけだと聞かされる。 イロイに着物や食べ物をくれるそうだがモーロックスとはなにものだ? 子供のように夜が怖いウィーナを説き伏せて焚き火をするジョージ。 その時ウィーナが何者かに連れ去られそうになったのを辛うじて阻止した。 誰も学ぶことを知らないイロイは過去も未来もなく年も取りらない、ウィーナは火さえ知らない。

翌朝野原を行くと古井戸のような不思議な穴をいくつも見た。 中から機械のような異様な音が聞えてくる。 しゃべる輪が存在することをウィーナに教えられてまるでエジプトの墓のような場所に行くとテーブルの上に腕輪のような輪があった。 その輪をコマのように回すとそのしゃべる輪がこの恐怖の世界のなりゆきを話した。 リングはいわばカセットテープのような記憶装置らしく、冷戦後至急環境の悪化に伴い80万年後の人間のなれの果てで地上で生活するイロイは緑色の肌をした地下に住むモーロックスに隷属し、彼らに飼われた餌だということが判明した。 意を決したジョージは例の穴に一人入っていこうとしたが、サイレンが鳴り渡ると夢遊病者のように歩いていくウィーナの後を追った。 食べ物があったあの建物からもイロイが吸い寄せられるようにサイレンの方に向かっていく。 あの偶像の周りに槍のような柱がせりあがり、鉄の扉が開かれイロイを飲み込んでいく。 あの槍のような柱が引っ込むとウィーナが入ったところで鉄の扉が閉じてしまいジョージは締め出されてしまった。 この扉に入った者は誰も戻ってはこないとイロイは話す。 誰もこれを止めようとしないなら俺がやる!とジョージは広場のあの穴に降り立った。 手作りの松明を手に奥へと進む。 このシーンはIndiana Jones(インディ・ジョーンズ)みたい。 するとジョージはイロイの運命を目の当たりにする。 Cannibalism(人肉食)! その時激しく鞭打つ音が聞こえてモーロックスがイロイを追い立てている。 その列にウィーナを見つけたジョージは目を覚ませ!と救い出すが光る目玉の緑色だが雪男のようなモーロックスたちが迫ってくる。 マッチだ!ジョージは松明に火を点けると闘った。 多勢に無勢、旗色の悪いジョージ、しかし今まで考えることをしなかったイロイがジョージを助けるべく立ち上がったのだ。 洞窟に火を放つとイロイを連れて逃げるジョージ。 穴から這い出るイロイに他のイロイが手を差し伸べた。 皆で穴に枯れ木を投げ込むと噴火山のように次々と爆発してそこら一帯はう埋もれてしまった。

さて、ジョージの時代に戻ってしまえばウィーナのような可愛い子はいないがさりとてここに留まるわけにはいかない。 そこにイロイが駆けつけてアレをご覧と指さす彼方を見れば、なんとあの像が燃え上がって鉄の扉が開いているのだ。 そこにはジョージのタイムマシンが見えた。 嬉や!ウィーナも一緒にタイムトリップだと呼んだ時には無情にも鉄の扉は閉まってしまった。 奥から現れたモーロックスと闘いながらもジョージはタイムマシンのレバーを引く。 グィーン! みるみるモーロックスは白骨化していく。 おっとっと、先に行っちゃ駄目だ、引き戻して過去に戻らねば。 グィーン、1909年、もうすぐだ。 1900年だ。 出発してから年を越して数週間経っている。 ジョージの家はあった。 入っていくと元通り。 そしてそこに友人たちと酒をのんでいるボロボロのジョージがいた。 今までの体験談を話してその証拠にとウィーナがくれた花をデビッドにプレゼントする。 確かにその花はこの冬の時期には絶対に咲かないのだ。 他の友人たちを見送ってデビットががジョージの家に戻ると、裏庭ではジョージがタイムマシンを室内に引き摺り込んでいるところだった。 デビッドが部屋に突入した時は既に遅し、ジョージは再びタイムマシンの人となって消え去っていた。 庭に続くタイムマシンの後を見たデビットだけがジョージの話を理解したのだった。 イロイのところに何かを持って行ったに違いないと探してみると本棚の本が3冊失せていた。 いったい何の本だろう。
☆愉快だったのはジョージの家の前にあるショーウィンドーのマネキンの衣裳が時間の経過とともに変わるシーンでした。
The Time Machine Trailer - YouTube

「タイムマシン」はイヴェット・ミミューが出演したSF映画としてはトップクラスの人気ですが、同じくイヴェット・ミミューが1979年に出演したSF映画のThe Black Hole(ブラックホール)は監督はTVシリーズのGet Smart(それ行けスマート)のGary Nelson(ゲイリー・ネルソン)で音楽が007(James Bond)シリーズのJohn Barry(ジョン・バリー)なんですが最下位なんだそうです。(私は未見なのでなんとも言えません。) 「ブラックホール」にはThe Young Lions(若き獅子たち)のMaximilian Schell(マクシミリアン・シェル)とGreen Mansions(緑の館)のAnthony Perkins(アンソニー・パーキンス)も出演しています。 日本では未公開でしたが、ジョージ・パルが1962年に監督したその続編のような「The Light in the Piazza」にもイヴェット・ミミューが精神的に問題のある少女の役で出演しましたが、なぜか主役はイギリス女優のJoan Fontaine(ジョーン・フォンテイン)の姉のOlivia de Havilland(オリヴィア・デ・ハヴィランド)でした。

Where The Boys Are 1960年
Where The Boys Are私が最初に観たイヴェット・ミミューの出演映画はHenry Levin(ヘンリー・レヴィン)が監督した1960年のWhere The Boys Are(ボーイ・ハント)という青春映画で、Connie Francis(コニーフランシス)が日本語でも「私の大好きな やさしい面影 夢見るひとみよ 今頃あの人は 町から町へと さまよい歩くのか」と歌った主題歌は大ヒットしました。 当時人気ポップス歌手だったConnie Francis(コニーフランシス)を見に行ったら可愛いイヴェット・ミミューを見つけたという次第です。 キャラが全く違う4人の女学生が2週間の長期春休みにロマンスを求めてフロリダで過ごすという内容の映画です。 出演者はその後監督は違いますが「ボーイ・ハント」の続編的コニーフランシス映画の「ハートでキッス」にも出演したGeorge Hamilton(ジョージ・ハミルトン)とJim Hutton(ジム・ハットン)とPaula Prentiss(ポーラ・プレンティス)、そしてエルヴィス・ガールのDolores Hart(ドロレス・ハート)など若手俳優女優陣が出演した他愛の無い映画でしたが、セックスと愛をとっ違えた挙句、集団レイプ事件に巻き込まれそうになって一番同情を買ったMelanie(メラニー)を演じたイヴェット・ミミューは他のキャピキャピの女優と比べてその可憐さが特出していました。 のっぽで有名なポーラ・プレンティスは「ボーイ・ハント」がデビュー映画だそうです。 音楽はGeorge Stoll(ジョージ・ストール)ですが、Neil Sedakag(ニール・セダカ)が作曲してコニーフランシスが歌ったヒット曲の"Where the Boys Are"がテーマ曲となり、コニーフランシスの売り出し映画のようでもありました。 当時はまだまだ発展途上国的な日本から見るとなんとも豪華なアメリカを感じさせた映画でしたが、私はなぜかホットドッグにケチャップをふんだんにぶっ掛けるシーンを覚えています。(フィフティーズはハンバーガーではないのです。)
Where The Boys Are Trailer - YouTube
上記の画像は英語版輸入VHSですが輸入DVDの「Where The Boys Are」もあります。


4 Horsemen of the Apocalypse  1961年
Yvette Mimieux in four Horsemen of the Apocalypse「黙示録の四騎士」は1959年の「Home from the Hill (肉体の遺産)」を監督したVincente Minnelli(ヴィンセント・ミネリ)の大河ドラマですが、サイレント映画時代ので1921年にRudolph Valentino(ルドルフ・ヴァレンチノ)主演映画化されたVicente Blasco Ibanez(ヴィセンテ・ブラスコ・イバニェス)の原作を元にしたリメイクの戦争メロドラマです。 リメイク版の方では第二次世界大戦を挟んで義兄弟の契りをかわした親の息子たち、つまりいとこ同士が敵味方として闘うことになるという悲劇で、ドイツ人とフランス人両親を持ったそれぞれの家族の運命を描いています。 この映画ではカットされずにちゃんとイヴェット・ミミューが登場しています。 南米のアルゼンチンで移民の地主の二人の娘たちがそれぞれドイツ人のカールとCharles Boyer(シャルル・ボワイエ)が演じるフランス人のマルセロと結婚して夫たちが義兄弟となったことが残酷な結果を生むのです。 第二次世界大戦の勃発にともない祖国がドイツでヒットラーを支持するカールとフランスが祖国のマルセロ両家はしっくりいかなくなり、ドイツに帰ったカールは軍人にその息子はナチの高官となり、一方、マルセルはアルゼンチンの市民権を得たもののGlenn Ford(グレン・フォード)が演じる息子のフリオとイヴェット・ミミューが演じる娘のChichi(チチ)と共に祖国に帰ったのです。 ここで舞台はアルゼンチンからパリに移ります。 第二次世界大戦のパリにはドイツの占領軍指揮官としてカールが駐在していたのです。 フランス人のマルセロの息子で遊び人のフリオは、ナチスに対抗して捕らわれたEtienne Laurier(エティエンヌ)の若い美人妻(Ingrid Thulin(イングリッド・チューリン))と関係を持っていたのですが最後にはナチスと闘う決心をします。 一方、マルセロの娘のチチは人間の尊厳のためにと地下抵抗運動に参加してゲシュタボに拷問され非業の死を遂げます。
「黙示録の四騎士」の写真が見られるI quattro cavalieri dell'Apocalisse Photos - FILM.TV.IT

Revelation of John(新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録)のFour Horsemen of the Apocalypse(四騎士)を題材に人間の悪といわれるConquest(征服、獣)、War(戦、剣)、Famine(疫、飢饉)、Death(死)の四騎士を書いた原作者のスペインの作家であるヴィセンテ・ブラスコ・イバニェスは1922年と1941年に映画化されたRita Hayworth(リタ・ヘイワース)の「Blood and Sand(血と砂)」の作者として知られています。
Eileen Wilson(アイリーン・ウィルソン)が歌った"Mine For the Moment"などの音楽はAndre Previn(アンドレ・プレヴィン)の作曲です。 アンドレ・プレヴィンは1956年のThe Fastest Gun Alive(必殺の一弾)や1960年のThe Subterraneans(地下街の住人)など1950年代から1970年代まで映画音楽を手掛けているユダヤ系の音楽家で、音楽活動の初期にはビバップに傾倒したが本来はクラシックのピアニストです。
MGM Studio Orchestraが演奏るう33曲が収録されたアンドレ・プレヴィン音楽のサウンドトラックは「The 4 Horsemen of the Apocalypse [Original Motion Picture Soundtrack]がありますが、どこにも試聴が無いので"Mine For the Moment"がアイリーン・ウィルソンのボーカルバージョンが収録されているかどうかは不明です。
日本で発売されているイヴェット・ミミューの「黙示録の四騎士」のビデオは英語の輸入版のVHS「4 Horsemen of the Apocalypse」だけです。

The Wonderful World Of The Brothers Grimm 1962年
Wonderful World Of The Brothers Grimm妖精のように可愛いイヴェット・ミミューにピッタリのファンタジー映画といえば「ボーイハント」のヘンリー・レヴィンが監督し、「タイムマシン」のジョージ・パルがプロデュースした「不思議な世界の物語」でしょう。 この19世紀初頭に童話(民話)を編纂したThe Brothers Grimm(グリム兄弟)の伝記映画ではCG無き時代の特撮アニメで御伽の世界を描いています。 イヴェット・ミミューが登場するのはその4話のうちの弟のウィルヘルムが語るThe Dancing Princess(踊るお姫さま)のエピソードで前年に「ウエスト・サイド物語」で有名になったRuss Tamblyn(ラス・タンブリン)と共演しています。 ラス・タンブリンが演じた木こりはジプシーに貰った透明マントでプリンセスの秘密っを探ったのです。 他のエピソードの"The Cobbler and the Elves(くつ直しと小妖精)"など全編に弟のWilhelm Karl Grimm(ヴィルヘルム)役のLaurence Harvey(ローレンス・ハーヴェイ)が出演する他、Claire Bloom(クレア・ブルーム)やKarlheinz Böhm(カール・ベーム)が演じる兄のJakob Ludwig Grimm(ヤーコブ)と恋仲になるBarbara Eden(バーバラ・イーデン)などが出演しています。他のエピソードには宝石の竜退治の"The Singing Bone(歌う白骨)"のエピソードもあります。
Wonderful World Of The Brothers Grimm Trailer - YouTube
The Dancing Princess by Jacob and Wilhelm Grimm
1987年にRoboCop(ロボコップ)で有名になったPeter Weller(ピーター・ウェラー)が第一話で兵隊を演じた1982年のTVシリーズ「Faerie Tale Theatre - The Dancing Princesses(フェアリー・テール・シアター/おどるお姫さま)」を観ましたが、原作では、鍵の掛かった部屋で寝ているお姫様の靴が毎晩靴の底に穴が空くのを不思議に思った王様が国中に御触れを出した。 謎を解いた者には姫を嫁に取らせ王様亡き後は位を授けると。 しかし3日以内に成功しなければ首切りの刑を処するという過酷な条件でした。 何人もの王子様が失敗して命を失くしましたが、その後にやってきた年取った兵隊が森の老婆の忠告を聞いて姫が運んできた飲み物を飲まずに寝たふりをしたのでした。 そしてお姫さまが出て行くとあの老婆に貰った姿を隠すマントを身に着けるとその後をつけたのでした。
その先どうなったか知りたい方はDancing Princess in Grimms' Fairy Tales - The Twelve Dancing Princesses - LiteraturePage.com(英語のサイト、右下のNext: Chapter 9 (continued)を次々クリック)
「不思議な世界の物語」の音楽はLeigh Harline(リー・ハーライン)ですが"Dancing Princess"などの歌はBob Merrill(ボブ・メリル)の作詞作曲だそうです。 ボブ・メリルはRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)の大ヒット曲である"Mambo Italiano"を作ったとして有名です。 リー・ハーラインは「ボーイハント」の続編のようにジム・ハットンとポーラ・プレンティスののっぽコンビが出演した1961年の「The Honeymoon Machine(ガールハント)」の音楽も担当しました。 「ガールハント」にはコメディ映画への出演は少ないSteve McQueen(スティーヴ・マックィーン)が主演しています。 一方、ボブ・メリルはEileen Barton(アイリーン・バートン)の"If I Knew You Were Comin' I'd've Baked a Cake"、Jimmie Rodgers(ジミー・ロジャース)の"Honeycomb"、"Mambo Italiano"、"How Much Is That Doggie In The Window?"などの,ヒット曲で有名です。
「不思議な世界の物語」の写真が見られるAvventura nella fantasia Photos - FILM.TV.IT
「不思議な世界の物語」のDVDは輸入の英語版「The Wonderful World of the Brothers Grimm [DVD] [Import] (1962)」、VHSは「The Wonderful World of the Brothers Grimm [VHS] [Import] (1962)」しかありませんが、Laser Discだと日本語ワイド字幕版の「不思議な世界の物語」(ASIN: B00005L1RN)が見つかります。

Diamond Head 1963年
Diamond Head_1  Diamond Head_2
文芸名作映画が多かったGuy Green(ガイ・グリーン)監督がPeter Gilman(ピーター・ギルマン)の小説"Such Sweet Thunder"を映画化したハリウッド映画です。 Charlton Heston(チャールトン・ヘストン)という大物俳優が出演したこともあり「ダイアモンド・ヘッド」はかなりのメジャーヒットとなりました。 パイナップル農園主の妹スローンを演じたイヴェット・ミミューの他の出演者には、長いことバックダンサーだったが1961年のWest Side Story(ウエスト・サイド物語)で大ブレイクしたGeorge Chakiris(ジョージ・チャキリス)がスローンのボーイフレンドの兄で出演、1955年のSouth Pacific(南太平洋)で話題になったFrance Nuyen(フランス・ニュイエン)が中国系の愛人、そして青春映画のアイドルスターだったJames Darren(ジェームズ・ダーレン)がスローンの恋人ポール役などで出演しています。 ハワイの地名を有名にした映画「ダイアモンド・ヘッド」はプランテーションの農園主の人種偏見をテーマにしています。

エリートながらも中国人の愛人を囲い、身篭ると闇に葬ろうとする立身出世だけが願望の白人至上主義の男でしたが、頑固で反抗的だが可愛い自分の妹の恋人が意に反して原住民の使用人の息子と知って仲を裂こうと画策します。 高圧的な兄への当て付けもあり身近にいた青年を恋人だと宣言をしたスローンでしたが真実の愛を確信したのでした。 死に損のポールです。 しかし農園主も最後は全ては自分の思い通りにはならないことを悟るというストーリーです。 ちょっと遅かったかも。 金や権力では愛も幸せも得ることはできないのです。
音楽は映画音楽を手掛け始めたJohn Williams(ジョン・ウィリアムズ)で、この後は1966年のHow to Steal a Million(おしゃれ泥棒)をはじめ、Star Wars(スター・ウォーズ)リシーズやHarry Potter(ハリー・ポッター)シリーズから2006年のMemoirs of a Geisha(SAYURI)までと多岐に渡る作品の音楽を担当しています。
「ダイアモンド・ヘッド」の写真が見られるIl dominatore Photos - FILM.TV.IT
上記の画像は国内版ダイヤモンド・ヘッド [DVD]です。

Dr. Kildare - Tyger Tyger 1964年
Tyger Tyger私は1960年代当時流行った医者ものシリーズで"♂♀* †、そして ∞(永遠)"のオープニングがユニークだった「Ben Casey(ベン・ケーシー)」と共に「Dr. James Kildare(ドクター・キルディア)」も観ていました。 敏腕脳外科医である毛むくじゃらのベン・ケーシーとは違ってニューヨーク病院の初々しい見習い医師のジム・キルディア先生を歌手でもあるRichard Chamberlain(リチャード・チェンバレン)が演じていました。(ツルンとしたハンサムで男性にも好かれそう!) 22歳のイヴェット・ミミューが2エピソードでゲスト出演していますが、キルディア先生が思いを寄せる患者のPat Holmes(パット)役で出演したこの3シーズンの16話の"Tyger Tyger" が一番人気だそうです。 サーフィン中に意識不明となりサーフボードから転落して溺れかけ病院に搬送される脳腫瘍の末期症状の患者です。 てんかん発作を起す危険のあるパットは永遠にサーフィンを禁じられただけでなく運転も興奮することも危険なのです。 しかしサーフィン仲間から「タイガー!」と電話があり海に出てしまいます。 白目をむいて倒れる発作を何度も熱演したイヴェット・ミミューは前半と後半にタイガー(波?)模様のビキニ姿でサーフィンをするシーンがあります。(波乗りは多分スタントウーマン) タイトルになっているタイガーとはドラマの中でも言及しているように有名な詩から取られたと思うのですが、サーフィンに最適な大波のことなのかヒロインのニックネームなのかが分りません。 「A Streetcar Named Desire(欲望という名の電車)」や「I Want to Live!(私は死にたくない!)」のヒロインたちのように、一般には吠え立てる人をタイガーと呼ぶみたいです。
Yvette Mimieux and Richard Chamberlain Photos (Joy in the Morning - 1965) - YouTube
ライフの表紙に載ったイヴェット・ミミューのサーフィン姿が見られる雑誌の表紙画像はLife Magazine October 25, 1963 - Lordoftheflies.org(Mimieuxでページ検索、下の方)
この後、イヴェット・ミミューは同年1964年にコニー・フランシス とジム・ハットン が出演した「Looking for Love(ハートでキッス)」では大勢のゲストスターと共に本人役で出ていましたがこのあたりで可愛いイヴェット・ミミューは終わりです。

"Tyger Tyger Burning Bright" is from William Blake's famous poem.
英国の詩人であるウィリアム・ブレイク( 1757年 - 1827年)はビートニク詩人をはじめミュージシャンやアーティストたちに影響を与え、詩集のThe Songs of Innocence and of Experience(無垢と経験のうた)の一遍の"Tyger Tyger"はアメリカの作家のAlfred Bester(アルフレッド・ベスター)が1956年に発表したSF長編詩「Tiger! Tiger!(虎よ、虎よ!)のもととなったそうです。
The Tyger (The Songs of Innocence and of Experience) by William Blake

Jackson County Jail 1976年
Yvette Mimieux in Prison Movie Jackson County Jailイヴェット・ミミューがTuesday Weld(チューズディ・ウエルド)のように60年代のセックスシンボルと呼ばれていたとは知りませんでしたが、今や大物俳優のTommy Lee Jones(トミー・リー・ジョーンズ)が初期に囚人役で出演したB級映画の「ジャクソン・ジェイル」では不当に刑務所に入れられた広告代理店役員の女性"Dinah Hunter(ダイナ・ハンター)"を演じています。 イヴェット・ミミューが以前のようにレイプされても泣き寝入りなどせず闘う女となった映画です。 恋人に裏切られたダイナは新しい人生を始めようとニューヨークに向かう途中で拾ったヒッチハイカーに殴られて車も盗られ見知らぬ西部の町に残されてしまうのです。 そこで警察に救いを求めても身に覚えの無い罪で投獄されると異常な看守にさらに殴られて暴行される凄惨な状況となります。 警察に助けを求めたのに不当な暴行を受けた普通の女性がどうなるか。 同監督による1978年のリメイク映画のOutside Chance(犯されて...)ではトミー・リー・ジョーンズは出ていませんがイヴェット・ミミューは主演しており、「ジャクソン・ジェイル」はレイプとヌードの女囚もののカルト映画になったとか。 日本でいえばシチュエーションは違ってもKill Bill(キル・ビル)を監督する時にのQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)監督が参考にしたという梶芽衣子の女囚復讐劇のようなものでしょうか。
イヴェット・ミミューがバイオレンスに立ち向かう「ジャクソン・ジェイル」のトレーラー が観られるJackson County Jail Trailer - VideoDetective
上記の画像は現在でも大人気でヴィンテージ価格となってしまった1996年リリース英語版VHSビデオのJackson County Jail [VHS] [Import]です。 アメリカのAmazon.omではRegion 1ですがDVDのJackson County Jailが15ドルから20ドル位で見つかります。
※ちなみに「ジャクソン・ジェイル」は1997年にVictoria Muspratt(ヴィクトリア・マスプラット)監督が脚本も手掛けて「Macon County Jail」としてリメイクしました。 日本では全く情報はありませんが脚本は「ジャクソン・ジェイル」と同じ原作者のDonald Stewart(ドナルド・スチュワート)で、イヴェット・ミミューの役は「St. Elmo's Fire(セント・エルモス・ファイアー)」のAlly Sheedy(アリー・シーディ)が演じ、Tommy Lee Jones(トミー・リー・ジョーンズ)の役はKill Bill: Vol. 2(キルビル2)のDavid Carradine(デヴィッド・キャラダイン)が演じています。

Home from the Hill 1959年
「肉体の遺産」はWilliam Humphrey(ウィリアム・ハンフリー)が書いた同名の原作をVincente Minnelli(ヴィンセント・ミネリ)監督が映画化した南部ものメロドラマです。 テキサス一の大富豪で権力者で女たらしのWade Hunnicutt(ウエイド)をRobert Mitchum(ロバート・ミッチャム)が演じ、そんな夫に嫌悪感を抱く新妻にはEleanor Parker(エリノア・パーカー、昔はエレノア・パーカー)です。 この夫婦の息子を演じたのがGeorge Hamilton(ジョージ・ハミルトン)でママの言いなりだったのですが成人するとキャプテン・パパが支配するようになり、George Peppard(ジョージ・ペパード)が演じる敷地内に住むパパの忠実な部下、実は父の婚外の息子であるRafeの監視下に置かれます。 そんな息子もLuana Patten(ルアナ・パットン)が演じる地元の女の子Libbyと恋に落ちることによりそのことから両親の仮面夫婦の秘密を知ることになるのです。 なぜリビーの父親が賛成してくれないかも。 そして皮肉なことに父嫌う息子なのに父と同じ行動を取ってしまうのです。 血筋なのでしょうか。 しかし過去を知っているリビーの父親は勘違い復讐を遂行することになります。
イヴェット・ミミューの写真はありませんが「肉体の遺産」の写真が見られるA casa, dopo l'uragano Photos - FILM.TV.IT
Yvette Mimieux in Home from the Hill Trailer - Turner Classic Movies

1959年のMGM映画「肉体の遺産」にはその年に契約したイヴェット・ミミューが初めてお目見えする筈だったのですが公開された時点ではカットされたそうです。 その理由は不明でデータベースにも予告編にもイヴェット・ミミューの名前が見つからないのです。 キャスティングされていた証拠になるかどうか定かではありませんが、「肉体の遺産」に出演したルアナ・パットンとイヴェット・ミミューとジョージ・ハミルトンの写真が見られるGeorge Hamilton looks back in memoir - GoMemphis.com(左下) イヴェット・ミミュー同様にMGM映画と契約していた俳優のリチャード・チェンバレンは出演していませんが、ジョージ・ハミルトンとジョージ・ペパードが出演しています。
「肉体の遺産」の音楽を担当したのは当時MGMと契約していたBronislau Kaper(ブロニスラウ・ケイパー)で、1944年のGaslight(ガス燈)から1959年のGreen Mansions(緑の館)など1930年代から1960年代まで150もの映画音楽を手掛けたポーランド出身の音楽家です。 ブロニスラウ・ケイパーが音楽を手掛けたLana Turner(ラナ・ターナー)主演の1947年のGreen Dolphin Street(大地は怒る)」と1952年作曲のInvitation(インヴィテーション)のテーマ曲が有名だそうで両方ともジャズのスタンダードとなっています。(Invitationは1961年の「Bachelor in Paradise」でも使用)
Bronislau Kaper's On Green Dolphin St. - YouTube
Bronislau Kaper's Invitation - YouTube

 
Yvette Mimieux5

記事内のイヴェット・ミミューの画像は私が半世紀前に映画雑誌から切り抜いたものです。 よって全ての画像の著作権はそれぞれの被写体及び撮影者に帰属するものです。


Recent Comments

Powered by Movable Type 4.261