April 2009 Archives


Green Mansions [VHS] [Import]
Green Mansions VHS
Anthony Perkins and Audrey Hepburn in Green Mansions

Green Mansions 1959年
「緑の館」は南米のヴェネズエラ辺りの奥地(ギアナ)、オリノコ河上流の原住民(インディオ)が住んでいたアマゾンの密林を舞台にしてベネズェラの革命戦争から幻想的なロマンスに発展するファンタジー映画ですが、DVDはリリースされていないしVHSも入手困難です。 この幻の「緑の館」を観るチャンスはなかなか訪れないと思いますが、2006年にNHK-BS2で放映されたそうですから、再びどこかの名画座で放映されるかもしれません。 私は英語が苦手ですが、その私が疑問に思うことは、題名の"Green Mansions"が複数形だということです。 "Green Mansions"は植物が生い茂り鳥獣たちが放し飼いになっている緑苑という意味なのでしょうか。

「緑の館」の時代は原作では1840年だそうです。 映画の冒頭はなにやら不穏な空気が漂う闇夜、月明かりの下、必死で逃げる男の姿を追う憲兵たちと犬の鳴き声で始まります。 河に潜って通りかかった船に潜んだその男はベネズェラ(Venezuela)の革命戦争を逃がれたAbel(アベル)という23歳の裕福な家庭に育った青年です。 Anthony Perkins(アンソニー・パーキンス)が演じるアベルの父は革命で殺されたそうで、その報復蜂起の資金調達のため無謀にも地図にも載っていないギアナのジャングルに埋もれているという噂の金鉱を探しに来たのだそうです。 豹や大蛇も棲む危険がいっぱいのオリノコ河南岸の密林地帯に入って行こうとしますが、調達したボートの漕ぎ手である現地人(土人)は恐怖のために逃げ去ったためアベルは一人で漕がねばなりませんでした。 急流に飲まれて転覆したボートからうまいこと鰐には食われずに泳いで岸にたどり着いたアベルでしたが赤フンの現地人(インディオ)に拉致され仕留められた豹と共に部落へ連行されます。 酋長(早川雪舟)の命令で炎天下に延々と自己紹介をさせられ、もう駄目かと思ったところに言葉の通じるKua-Ko(クアコ)という酋長の甥が現れてようやく命拾いします。 このクアコを演じているのがOcean's Eleven(オーシャンと十一人の仲間)でギャングの手下のロジャー・コーニルやJohnny Cool(ひとりぼっちのギャング)で冷酷な殺し屋を演じたHenry Silva(ヘンリー・シルヴァ)なのです。

インディオの部落でブラブラと時を過ごしていたアベルでしたが、森を守る邪悪なThe Daughter of the Didi(ディディの娘)がいるからと酋長が行くことを禁じる美しい森に興味を持ちます。 アベルは警告を無視して部落の向こうにある禁断の森に入っていったのです。 その森では今まで見たこともないようなエキゾティックな動植物に驚き夢心地のアベルでした。 そんなアベルをを見ていたのが小鳥の鳴き声を出せる森の妖精です。 アベルは得も言われぬほど美しい鳴き声を辿っていき、ふと湧き水を覗くとその中に少女の姿が見えたような気がしました。 しかしそれ以上は何も見つけられず、森から出てきたところをクアコに見られてしまいます。 酋長のお気に入りだったクアコの兄のピアケーがある日獲物を取りに森に入ったところ森を守るために狩りを邪魔する魔女に殺されたのだとか。 それでアベルは試練としてディディの娘と呼ばれるその白人の少女を殺すように命じられるのです。 Didi(ディディ)とはベネズエラやギアナの森の戦いの神とも云われる伝説の猿人だとか。(ヒマラヤなら雪男のたぐいでしょうか。) なぜリーマが魔女扱いかというとリーマが森の動物を守ってインディオの狩りの獲物にならないようにしていることと、偶然インディオの射った矢が間違って仲間を殺してしまったことがあったからです。

Hata-flower-like Gardenia左の画像は山梔子(くちなし)ですがハタはこのような白い花です。
腰まで届く長い黒髪、細身の身体にまとった蜘蛛の糸で織ったアースカラーのチュニックを着た少女、自然環境保護の精神を宿したベジタリアンの少女、鳥や動物を友として会話でき小鳥のように囀ることができる少女、木の上を裸足で超スピードで駆け抜けることができる、そんな少女をやっと見つけたアベルでしたが、毒蛇にかまれて気絶してしまいます。
2日後にアベルが気が付いた所はAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)が演じるRima(リーマ)という17歳の少女とNuflo(ヌーフロ)というお爺さんが住む小屋でした。 足の傷も癒えたアベルはリーマと森を散策して岩場に咲く造花にも見える梔子のような美しい白い花(Hata flower)を見つけます。 この世でたった一輪しか咲かないというクチナシに似た幻の花の言い伝えを話すリーマ。 この花を森で見つけた者は全ての敵を征服し全ての願望を達成し誰よりも長生きするであろうというインディオ伝説があるそうです。 不透明でぶ厚いのにまるで水晶のような輝きを持つ花びらのこの大輪の花は今咲いたばかりのように新鮮で時が経っても萎れることもありません。 アベルは次第にリーマを愛するようになるのですが、リーマは恋とは何かを知らない環境に育ちました。 それでもアベルに対する奇妙な感情の芽生えに戸惑いをみせます。 アベルはリーマの出生の秘密を知りたいと思うのですがヌーフロ爺は口を閉ざします。
この後のシーンで小屋の外で夜にアベルがギターの弾き語りで"They say that the love is a fragile thing ...(恋ははかないものと云われるけれど)"と歌ったのがBronislau Kaper(ブロニスロー・ケイパー)が作曲した"Song of Green Mansions(緑の館のテーマ曲)"でした。
Rima & Abel in Green Mansions - YouTube
Anthony Perkins - Song of Green Mansions - YouTube
Rima and Abel find a Hata Flowe (Green Mansions Trailer) - YouTube

夜にアベルが小屋の外で歌っている時、傍らにやって来たリーマが手にしていた糸巻きにアベルの目は吸い寄せられました。 ヌーフロ爺がリーマにくれたというその糸巻きは黄金製だったのです。 金だっ!とピンときたアベルはお宝の山を知っているらしい老人の後を追跡したのでした。
森から帰ったアベルに酋長は訊ねます。 ディディの娘(リーマ)を殺したか? アベルは毒蛇に噛まれた件を話して実行できなかったことを話します。 するとクラコはミツバチの我慢比べで誰が魔女(リーマ)を殺しに行くか決着をつけるのだと言い出だしたのです。 それを聞いたアベルはこの男が兄のピアケーを殺したのだと確信したのでした(聖書のカインとアベルの物語) このことを酋長に伝えたいが悔しいことに言葉が通じない。 敵対する部族の回し者かはたまた悪魔の仲間かと疑われてアベルは捕虜として縛らわれてしまうのです。 アマゾンのインディオの儀式は大変興味深い。 が、酋長が早川雪舟だから儀式も本物かどうか不明。

縛られた縄をようやく解いたアベルはリーマを殺しに行ったクアコの後を追い、クアコよりも先にリーマの小屋にたどり着いた。 アベルがインディオが殺しに来ると伝えたので、可愛がっていた小鹿を気にしながらも犬だけを連れたリーマとヌーフロ、そしてアベルの3人はカヌーでリーマの母が亡くなったという"Riolama(リオラマ)"の地へと向かいます。 このリオラマはリーマの本当の名前でもあったのです。 3人がカヌーを岸に着けて上陸した所は骸骨や干し首が見える別の部族(首狩り族?)の土地だったらしい。 犬がリーマの手から離れてアルマジロ(tatouay)に向かって吠え立てたのでインディオに見つかってしまいました。 追ってくるインディオから逃れて吊り橋を渡った3人はインディオが渡れないように橋を落として防げたのですが、この地でもリーマの母の手がかりはなかったのです。 洞窟でヌーフロ爺さんは偽善的な過去の出来事を告白をします。 ヌーフロは十数年前に原住民を虐殺して黄金を奪った盗賊の首領だったが、一味は追われて山の洞窟に隠れた。 そこにいたのが小鳥のように話す女で、その女をヌーフロは魂を救ってくれる聖人だと思ったそうだ。 盗賊を抜けたヌーフロはリマを出産するその女を山から白人のコミュニティに連れていったそうだ。(リーマの父親が誰かは不明、ヌーロフということはないだろうが。) 武器を持たない菜食主義の優しい人々は疫病やインディオの襲撃で全滅したそうだ。 その生き残りがリーマだというわけ。 リーマは7歳までは母親と一緒だったとか、母の死後はヌーロフは己の罪を償うためにリーマを育ててきたのだとか。 ようやくリオラマにたどり着いたが、リーマが覚えていた母と遊んだ教会や住居は廃墟となりその跡地でリーマは失望のあまり気絶してしまうのでした。

失神状態から目を覚ましたリーマはアベルへの愛にも目覚めたのです。 リーマはこうなったからにはアベルとの生活を始めようとその準備のために気が急いて二人より早く去って行ったのでした。(なぜ独りで準備せねばならないかは多分リーマの属していた人種の掟だったのかも。) 帰る途中でアベルは再びインディオに捕らわれてしまったので、一人で森の小屋に戻ったヌーフロは埋めておいた例の砂金を掘り返します。 外では森に入り込んだクラコの一族が小屋に火を放っています。 アベルより先に小屋に戻ったリーマは燃え尽きた小屋と倒れている瀕死のヌーフロのを見つけたのです。 ヌーロフはリーマにさっき掘り出した金を渡すと息絶えたのでした。 そこにやって来たクラコの一族を見て危険を察知して大木の上に逃れるリーマ。 松明を手に追うインディオたち。 リーマが登った大木の根元に枯れ枝を積み重ねて火をつけるインディオたち。 大掛かりな魔女の火炙りさながらのシーンです。
やっと戻ってきたアベルが最初に見つけたのはリーマが可愛がっていた小鹿の亡骸。 あちらこちらと探し回り以前リーマーを見た湧き水までたどり着いた。 今度水に映ったのはリーマならぬクラコの姿。 「もう魔女はいない。」 ここでクラコとアベルの一騎打ち。 普通なら部族の戦いで鍛えたインディオに勝てるはずのない白人のアベルだがリーマを按ずるがゆえ戦い抜いた。 そしてやっと燻っている大木にたどり着いたアベル。 灰以外には何もない。 あまりの悲しみに泣き崩れるアベル、その耳にリーマの美しく囀るような声が聞えた。 あの伝説の花。 ハタと呼ばれるあの白い花を探すアベル。 あった! 以前とは違う場所に。 するとその時、向こうの方に微笑んで手を差し伸べているリーマの姿を見たのでした。
映画のストーリーは小説のラストとは違います。 "Sin Vos y sin dios y mi."
Abel collects Rima's ashes in a pot. Trekking homeward, despondent and hallucinating, Abel is helped by Indians and Christians until he reaches the sea, sane and healthy again. Now an old man, his only ambition is to be buried with Rima's ashes.
鳥のように木から木へと飛び移れるリーマが本当に死んだのか。 本当にアベルはクラコに勝てたのか。 エンディングは曖昧なので色々と想像できます。

Green Mansions VIDEO
Green Mansions  VHSページトップの画像は日本で販売されている輸入版VHS(英語)ですが、「緑の館」として日本語字幕版のVHSやレーザーディスク(Laser Disc)もあります。 今後DVD化されるかどうかは疑問です。 なぜなら世界的に人気のあるオードリー・ヘプバーンとアンソニー・パーキンスが出演している異色作品ですが、不評を受けて映画ビジネス界から抹殺の憂き目をみているようなのです。 通常はオードリー・ヘプバーンが出演した映画なら数年ごとに新版のDVDがリリースされるはずなのですが。 映画「緑の館」は原作とはちょっと違いますが観ても損はないはず。

Green Mansions SOUNDTRACK
Green Mansions [Original Motion Picture Soundtrack]
Green Mansions  Soundtrack1930年代から映画音楽を手掛けているポーランド出身のBronislau Kaper(ブロニスラウ・ケイパー)が作曲した「緑の館」のオリジナル・スコアをCharles Wolcott(チャールズ・ウォルコット)の指揮で演奏されたサウンドトラックです。 オープニングの"Main Title/Chase/River Boat"から"Fire/Dead Fawn"までストーリーを追った全21曲を収録しているサントラは日本でも見つかるかもしれません。(ASIN: B0009UCEZK)
上記の画像は当時MGMからリリースされた国内盤のサントラですが、もうオークションでしか手に入りません。
♪ 試聴はGreen Mansions [Original Motion Picture Soundtrack] - Amazon.com

Green Mansions BOOK
緑の館―熱帯林のロマンス (1959年)
Green Mansions - A Romance of the Tropical Forest BOOK映画「緑の館」はイギリスの博物学者として名高い、アルゼンチンで生まれたアメリカ人の作家で鳥類学者でもあるWilliam Henry Hudson(ウィリアム・ヘンリー・ハドソン)の代表作品となった1904年の長篇小説"Green Mansions: A Romance of the Tropical Forest"を元にしています。
本の画像は英語版のGreen Mansions: A Romance of the Tropical Forest (Dover Books on Literature and Drama) (ペーパーバック)のものです。 ※日本語版では1959年に永井比奈子翻訳の「緑の館―熱帯林のロマンス」(ヴィンテージ価格)が出版されたそうですが、「緑の館―熱帯林のロマンス」がちくま文庫や岩波文庫でも見つかります。
☆英語版ですがイラスト入りで"Green Mansions"がオンラインで読めるGreen Mansions - Ibiblio.org
アメリカでは既に著作権が切れたという"Green Mansions"がオンラインでダウンロードできるらしいGreen Mansions BOOK - Project Gutenberg(注!未確認 私はダウンロードを試していなくて保存方法も分かりませんので分る方限定。ですがRead This Book Onlineもあり。)

「緑の館」は公開当時に私は劇場で観たのですがなんとなく期待外れだった映画でした。 現在のようにインターネットで情報を得ることはできない時代だったので、ディズニー映画の御伽の国を想定してオードリー・ヘプバーンがネヴァーランドのティンカーベルにでもなっているのかのように勝手に思い込んでしまったことが原因でした。 アンリ・ルソーの絵のような禁断の森の美しさに比べてヘプバーンがさほどファンタジーのように幻想的な美しさには描かれてはいませんでした。 父の恨みを晴らすための資金調達に伝説まがいの不確実な金鉱を探しにアマゾンの奥地に踏み込むなんて無謀かと思われますから、革命を逃がれた夢想家で冒険好きな若者がアマゾンの奥地を彷徨って熱病に侵されて見た幻覚だと思えば納得できます。 珍しいことに舞台が密林だからか二人とも全編通して同じ服装です。(濡れたり乾いたり) ちなみに1963年に「L'Ape regina(女王蜂)」に出演したMarina Vlady(マリナ・ヴラディ)の1956年の映画「La Sorcière(野性の誘惑)」に大変よく似た映像の設定なので、ひょっとするとメルファラー監督はこの映画にもヒントを得たのではないかと思いました。
※マリナ・ヴラディについてはブログ内のカトリーヌ・スパーク Catherine SpaakRobert Hossein(ロベール・オッセン)

 
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Mel Ferrer
ヒロインの野性の少女を演じたオードリー・ヘップバーンと結婚したメル・ファーラーの監督3作目の、そして最後の監督作品です。 生涯で5度結婚したメル・ファーラーは1954年に舞台のOndine(オンディーヌ)で水の精を演じたオードリー・ヘップバーンと共演して4度目の結婚をしました。(この時、私は何で!と納得できませんでした。) ※ちなみに「オンディーヌ」とはJean Giraudoux(ジャン・ジロドゥ)が1939年に書いた戯曲で、日本では1958年に劇団四季が初演したそうですが、私の記憶が正しければ日生劇場で1965年の公演を観ました。 オードリー・ヘップバーンが演じたオンディーヌは加賀まり子でメル・ファーラーが演じたハンスは北大路欣也でした。
メル・ファーラーが妻のオードリー・ヘップバーンを主役に据えて監督した1960年の「緑の館」の後に息子が誕生しましたが、1967年にスリラー映画の「Wait Until Dark(暗くなるまで待って)」でプロデューサーとして共に仕事をしたのを最後に1968年に離婚しています。 オードリー・ヘップバーンは1993年に亡くなりましたがメル・ファーラーの方は2008年に90歳で亡くなりました。
スペインとアイルランドの血をひくインテリでハイソなメル・ファーラーの芸暦は1930年代にブロードウエイのダンサーから始まりましたがそのジャンルは幅広く、天才との評判もありましたが特別に長けた分野がなく器用貧乏だったらしいです。 人種差別を歌ったBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)の"Strange Fruit(奇妙な果実)"を下敷きにした女流作家のLillian Smith(リリアン・スミス)の1944年の同名小説をもとにしたブ1945年のロードウエイの舞台でメル・ファーラーは南部の町医者の息子役で出演しました。 当時はご法度の白人と黒人の恋愛をテーマにしている悲劇です。 その延長か1949年にはAlfred L. Werker(アルフレッド・L・ワーカー)監督が実話に基づいて映画化した白黒映画の「Lost Boundaries」で白人として20年間を生きた白い肌の黒人医者のScott Carter(スコット)を演じて注目されました。 自分では選べないのに肌の色が中途半端だと黒いよりもっと悲劇が起こったそうです。
Mel Ferrer on Strange Fruit - MelFerrer.com
この後の1953年にはZsa Zsa Gabor(ザ・ザ・ガボール)も出演した人種差別とは全く無関係のミュージカル映画の「Lili(リリー)」で足の悪い人形遣いを演じていますが、「緑の館」と同じく「リリー」の音楽を担当したブロニスラウ・ケイパーが作った"Hi-Lili, Hi-Lo(ハイ・リリー・ハイ・ロー)"を共演者である「An American In Paris(巴里のアメリカ人)」のLeslie Caron(レスリー・キャロン)と歌いました。(パペットとして) このメルヘンチックで心優しい人形遣いにオードリー・ヘプバーンは惚れて結婚したのです。
映画では長身でお洒落なメル・ファーラーがプレイボーイを演じた時にワン、トゥー、ワン、トゥーと踊るシーンが時々取り入れられています。(メルは私生活でもプレイボーイ)

Audrey Hepburn (1929年-1993年)
「緑の館」は1950年代には眩しいくらい輝いていたオードリー・ヘプバーンが1959年の「Unforgiven(許されざる者)」と「The Nun's Story(尼僧物語)」という話題作の間に出演したファンタジー映画です。 これらの前に私が観たオードリー・ヘプバーンの映画は1953年の「Roman Holiday(ローマの休日)」、1954年の「にSabrina(麗しのサブリナ)」、1956年の「War and Peace(戦争と平和)」、ロマンスグレーになったGary Cooper(ゲイリー・クーパー)と共演した1957年の「Love In The Afternoon(昼下りの情事)」、1957年のミュージカル映画「Funny Face(パリの恋人)」といったロマンス映画でした。 1960年以降も1961年のお洒落な「Breakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)」や1963年の「Paris - When it Sizzles(パリで一緒に)」や「Charade(シャレード)」、1964年の「My Fair Lady(マイ・フェア・レディ)」、1966年の「How to Steal a Million(おしゃれ泥棒)」や1967年の「暗くなるまで待って」までの話題作は全部観ました。 1967年の作品ではファッショナブルな「シャレード」のStanley Donen(スタンリー・ドーネン)が監督してAlbert Finney(アルバート・フィニー)と共演した倦怠期夫婦のシリアスな愛の物語である「Two for the Road(いつも2人で)」があります。 話題となったHenry Mancini(ヘンリー・マンシーニ)の美しいテーマ曲はPat Metheny(パット・メセニー)とCharlie Haden(チャーリー・ヘイデン)のデュオが映画音楽をカバーした「Beyond the Missouri Sky (Short Stories)」というアルバムに収録しています。
☆私のお気に入りのオードリー・ヘプバーン映画はなんといってもロマンティックな「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」です。

Anthony Perkins (1932年-1992年)
愛称は"Tony Perkins(トニー)"と呼ばれたアンソニー・パーキンスはどことなく繊細で神経質そうなキャラクターをたくさん演じています。 ハンサムですがなぜか1960年の「Psycho(サイコ)」のようなホラー映画にはまりました。 歌手としては1950年代に自分名義のレコードもリリースしたアンソニー・パーキンスは「緑の館」でも得意の喉を聞かせていますが、1957年に吹き込んだMoon-Light Swim(月影の渚)が空前の大ヒットでした。
☆アンソニー・パーキンスについてもうちょっと詳しくはHot'n Cool内のアンソニー・パーキンス Anthony Perkins


Sing Songs from the Jazz Singer
Jazz Singer Soundtrack
Danny Thomas & Peggy Lee in The Jazz Singer (1952)

Hush A Bye, Hush-A-Bye, Hushabye
私の好きなジャズのスタンダードの1曲である"Hush A Bye"は子供の頃によくラジオから流れてきました。
♪ る、る、ら、るるー、はっしゃばい、おやすみ よいこよ ♪と美しいメロディにのせた子守唄です。 日本では島田芳文が日本語の訳詞を付けて旗照夫やダーク・ダックスやペギー葉山が歌いました。 テレビにもよく出演していたジャズ歌手の旗照夫は1954年の"ハッシャバイ(夢よやすらかに)"がデビュー曲だったそうですが、大人のアイドルだった旗照夫の実演を私は1956年頃に観たことがあります。(ロカビリーまがいのファンの嬌声にビックリ) "Hush A Bye"のHushとは「シーッ、静かに」と赤ちゃんを寝かしつける時の間投詞だそうですから、日本の子守唄の「ねんねんよ、おころりよ」に当たるでしょうか。 そういえば1965年にBette Davis(ベティ・デイヴィス)が主演したRobert Aldrich(ロバート・アルドリッチ)監督の「Hush... Hush, Sweet Charlotte(ふるえて眠れ)」というサスペンス映画があり悪徳医師を演じたJoseph Cotten(ジョセフ・コットン)がチェンバロで弾き語りしていましたが、Patti Page(パティ・ペイジ)が同年のLPアルバムの「Hush, Hush, Sweet Charlotte」に収録してヒットしました。 一方、Doris Day(ドリス・デイ)の1940年代の録音にHarry James(ハリー・ジェームス)楽団をバックに歌ったLullaby of Broadway(ブロードウエイの子守歌)にはHushという歌詞は見つかりませんが、Lull-a-byはHush-A-Byeと同じように子守唄のことだそうです。
Lu lul-la lu lu. hush-a-bye, Dream of the angels way up high ...と歌われる歌詞はHush A Bye Lyrics - SONGBOOK
日本語の訳詞はHUS A BYE (from the film "The Jazz Singer", 1952) - JAZZ SONG ジャズ・ソング

Hush A Bye on Mother Goose
この曲の元は1916年ごろに出版されたイギリスの伝承童謡集のMother Goose(マザー・グース)に収録されている子守唄だそうです。 「マザー・グース」のなかにはLondon Bridge(ロンドン橋)やHumpty Dumpty(ハンプティ・ダンプティ)やHush-A-Bye Baby(ハッシャバイ、おやすみ赤ちゃん木のこずえ )など日本でも有名になっている詞がたくさんあります。 このHush A Bye(ハッシャバイ)の詩のなかに"Hush a bye baby, on the tree top. When the wind blows the cradle will rock;"という1節がありますが、1959年の"Running Bear(悲しきインディアン)"でお馴染みのカントリー・ポップス歌手のJohnny Preston(ジョニー・プレストン)が1960年にヒットさせた"Cradle Of Love(恋のゆりかご)"という曲にも引用されています。(Rock-a-bye baby, in the treetop, When the wind blows, the cradle will rock, When the bough breaks, the cradle will fall, And down will come baby, cradle and all.)
※「マザー・グース」に載っているオリジナルの"Rock-a-bye, baby"は「Rock-a-bye, baby, thy cradle is green; Father's a nobleman, mother's a queen;」という詩だそうです。 1959年のミュージカル「Porgy and Bess(ポギーとベス)」で歌われた"Summertime(サマータイム)"がこのような内容の歌詞です。

The Jazz Singer 1952年
The Jazz Singer VHSSammy Fain(サミー・フェイン)の作曲でJerry Seelen(ジェリー・シーレン)の作詞による私の好きな"Hush A Bye"は、日本未公開でしたが"「The Jazz Singer(ジャズ・シンガー)」というミュージカル映画で使用された曲なのです。 ハリウッドの赤狩り裁判後に制作された「ジャズ・シンガー」はMichael Curtiz(マイケル・カーティス)監督が1927年にミンストレル・ショー的な黒人に扮したAl Jolson(アル・ジョルソン)の初のトーキー(でもサイレント)名作の「The Jazz Singer(ジャズ・シンガー)」をリメイクして1953年のオスカーにノミネートされたそうです。 ハンガリー出身のマイケル・カーティス監督は1920年代から映画を撮りはじめ、1952年のCasablanca(カサブランカ)が特に有名ですが、Mildred Pierce(ミルドレッド・ピアース)やWhite Christmas(ホワイト・クリスマス)などの多くの作品で知られています。 この映画「ジャズ・シンガー」は1940年The Shop Around The Corner(街角 桃色(ピンク)の店)」の脚本を手掛けたSamson Rafaelson(サムソン・ラファエルソン)が書いた原案の映画化です。 このリメイク「ジャズ・シンガー」にはユダヤ人ではないレバノン系のTVコメディアンであるDanny Thomas(ダニー・トーマス)がユダヤ人役で出演しています。 映画でユダヤ人の青年と恋仲になる女性をPeggy Lee(ペギー・リー)が演じてその存在感と力量がが評価されています。 映画は未見ですが、ユダヤ人の青年とユダヤ人でない女性との異教徒間の結婚問題を交えて描いたアメリカのユダヤ人映画だそうです。 朝鮮戦争からアメリカ本土に戻った青年がユダヤ教会堂の礼拝主唱者である父が要望する跡継の誓いを破ってもショー・ビジネスへの情熱を成就しようとして父との確執劇を描いたメロドラマだそうです。 この「ジャズ・シンガー」がさらに1980年にRichard Fleischer(リチャード・フレイシャー)監督で主役をNeil Diamond(ニール・ダイアモンド)が演じてリメイクされています。 「ジャズ・シンガー」は日本では未公開でしたがダニー・トーマスが歌った"Hush A Bye(ハッシャバイ)"という曲が一人歩きして映画を観ていない人々にも人気がありました。
映画「ジャズ・シンガー」で使用された"This Is a Very Special Day"という曲を書いた偉大なるジャズシンガーのペギー・リーが歌う映像が観られるビデオは1994年にリリースされた輸入VHS(英語)のJazz Singer (1953)が販売されています。
☆1955年のディズニー映画「Lady and the Tramp(わんわん物語)」で"Hush A Bye"に似た"La La Lu(ララルー)"という子守唄を歌ったペギー・リーについてはAudio-Visual Trivia 内のペギー・リー Peggy Lee

Sing Songs from the Jazz Singer Soundtrack
ページトップの画像はGordon Jenkins & His Orchestra(ゴードン・ジェンキンス・オーケストラ)が演奏するミュージカル映画「The Jazz Singer」のサウンドトラックで全28曲を収録した2005年盤ですが、"Hush-A-Bye"が収録されていて、ボーナストラックにペギー・リーの"Ain'tcha Ever Comin' Back"と"Shame on You"も収録してあります。 "Shame on You"はカントリー歌手のSpade Cooley(スペード・クーリー)の曲として有名です。 サントラにはダニー・トーマスが歌う"Hush-A-Bye"と"(You May Not Be an Angel, but) I'll String Along with You"を、ペギー・リーはRodgers & Hart(ロジャー・アンド・ハート)の"Lover"や"Just One of Those Things"、"I Wanna Go Where You Go, Then I'll Be Happy"、"Ay Ay Chug Chug"、"That Ol' Devil (Won't Get Me)"、"If You Turn Me Down"、"Boulevard Cafe"、"It Never Happen' to Me"などの他、二人でデュエットもを歌っているそうです。 "Rock - A - Bye Your Baby With A Dixie Melody"は収録されていても"Hush-A-Bye"が収録されていない「Jazz Singer Soundtrack」もあります。
※サミー・フェインとジェリー・シーレンのコンビは"Hush-a-bye"をはじめ、"Living the Life I Love"、"What Are New Yorkers MadeOf?"、"Oh Moon"、"I Hear the Music Now"などを作っています。
サントラの試聴はSing Songs from the Jazz Singer - Amazon.com
Peggy Lee - Lover (Best of Peggy Lee) - Amazon.com
Peggy Lee - Just One of Those Things (Best of Peggy Lee) - Amazon.com

Hush A Bye, Hush-A-Bye, Hushabye
Bing Crosby sings Hush A Bye
ヴェリー・ベスト・オブ・ビング・クロスビー
The Very Best of Bing Crosby私の好きな"ハッシャバイ"はなんといってもボーカル・バージョンです。 TemptationWhite Christmasなど数え切れないほどたくさんのヒット曲でお馴染みのBing Crosby(ビング・クロスビー)が1954年に"Hush-a-bye"として甘い歌声で録音しました。 おそらくジャズボーカルの曲として知られているハッシャバイは映画の中で歌ったダニー・トーマスではなくビング・クロスビーだと思います。 ビング・クロスビーが歌ったジャズのスタンダード曲全25曲を収録して国内でリリースされた「The Very Best of Bing Crosby(ヴェリー・ベスト・オブ・ビング・クロスビー)」に"Hush-a-bye"が収録されています。 上記のリンク先で試聴できますからぜひ聞いて下さい。

Carol Sloane sings Hush A Bye
ジャズ歌手にも色々で、Sarah Vaughan(サラ・ヴォーン)やCarmen McRae(カーメン・マクレー)などの黒人ボーカリストに対して白人ボーカリストのChris Connor(クリス・コナー)に歌唱法が似たCarol Sloane(キャロル・スローン)がいます。 近年には日本でも活動してファンを獲得したキャロル・スローンの幻のレコード「ハッシャバイ」が2008年にCD化されたそうです。 アルバムタイトル曲となっている"Hush A Bye"の他"Angel Eyes"や"Body and Soul"などのスタンダードを11曲収録しています。
Carol Sloan - Hush- A- Bye - YouTube


Those Who Play "Hush-A-Bye"
ロマンティックな子守唄の"ハッシャバイ"は多くのミュージシャンが好んで演奏しています。
Chris Barber
1950年代後期に"Petite Fleur(可愛い花)"の名演奏で知られるクリス・バーバーは1950年代にブルースマンのBig Bill Broonzy(ビッグ・ビル・ブルーンジー)などと組んでベルギーなどの欧州ツアーを行った英国トラッド・ジャズのトロンボーン奏者です。 1940年代のこと、50年代には英国で"King of Skiffle"と呼ばれ、The Beatles(ビートルズ)以前にイギリスで最も成功したアーティストとしてギネス・ブックにも載ったというLonnie Donegan(ロニー・ドネガン)がバンジョーを弾けると思い込んだクリス・バーバーは楽団に参加するように勧めたそうです。 そのクリス・バーバー・バンドの1956年から1958年にかけての録音を集めた2枚組みアルバム「The Pye Jazz Anthology ( Chris Barber & His Jazz Band )」に"Hushabye"として収録しています。(トランペットのKen Coyler(ケン・コリアー)やドラムのRon Bowden(ロン・ボウデン)が参加)
本当に眠ってしまいそうなクリス・バーバー楽団が演奏する "Hushabye"の試聴はThe Pye Jazz Anthology - Amazon.com

Kenny Drew
ジャズ・ピアニストのケニー・ドリューは"Hush-A-Bye"又は"Hushabye"として何枚かのアルバムに収録しています。 ケニー・ドリュー & Niels-Henning(ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン)のデュオアルバムの「DUO」や、1978年のヨーロッパ公演の録音でベースのニールス・ペデルセンやドラムのEd Thigpen(エド・シグペン)との2000年リリースの国内リリースのアルバム「Hush-A-Bye(ハッシャ・バイ」)(ASIN: B00005FPG5)の"Hush A Bye"ではデンマーク出身のジャズヴァイオリニストであるSvend Asmussen(スベンド・アスムッセン)をフィーチャーしてユニークでロマンティックな編曲です。(試聴可) この他にも"Hush a Bye"としてアルバムの「Nature Beauty」に、"Hushabye"として1992年リリースの「Kenny Drew Live」に収録されています。

Johnny Griffin
ファンキーなテナーサックス奏者のジョニー・グリフィンは1967年のコペンハーゲン・ライヴ盤「ハッシャ・バイ」というアルバムを録音しましたが、現在は1998年リリースの2枚組CD「ハッシャ・バイ : コンプリート・モンマルトル・セッションズ 」に収録されています。 演奏メンバーはテナーサックスがジョニーグリフィンの他、ピアノがケニー・ドリュー、ベースがニールス・ペデルセン、ドラムがアルバート・ヒースです。 ジョニー・グリフィンのファンキーな"ハッシャ・バイ"はアルバム「The Kerry Dancers(ザ・ケリー・ダンサーズ)」の他、「Woe Is Me」(ASIN: B0000248QZ)に"Hush-A-Bye"としてCDに収録されています。
試聴はThe Kerry Dancers and Other Swinging Folk - Amazon.com
☆ジョニー・グリフィンについてはHot'n Cool内のジョニー・グリフィン Johnny Griffin
Johnny Griffin - Hushabye (From Johnny Griffin With Love) - Amazon.com

Those Who sing another Hushabye
まったく違う曲としては、1926年にJean Goldkette Orchestra(ジーン・ゴールドケット楽団)がボーカル入りで録音した"Hush-A-Bye"はRobert E. Spencer(ロバート・スペンサー)作曲とFrank X. Galvin(フランク・ガルヴィン)作詞だそうです。
一方、1959年のヒット曲"Go, Jimmy, Go"で有名ですが小児麻痺のため車椅子だったというユダヤ系ミュージシャンのDoc Pomus(ドク・ポーマス)、とMort Shuman(モート・シューマン)のブルース好きコンビが作った"Hushabye"がドゥーワップのThe Mysticsの歌でヒットしました。 このバージョンはThe Beach Boys(ビーチ・ボーイズ)やThe Ventures(ベンチャーズ)などもカバーしています。
※ちなみに類似した歌のタイトルとしては1958年のコメディ映画の「Rock-a-Bye Baby(底抜け楽じゃないデス)」でJerry Lewis(ジェリー・ルイス)が歌った同名のテーマ曲もあります。 これはHarry Warren(ハリー・ウォーレン)が作曲しSammy Cahn(サミー・カーン)が作詞したロックンロール曲です。 ちなみに1963年にNeil Sedaka(ニール・セダカ)が歌った"The Dreamer(夢みる人)"という曲では軽快に"Hush hush a bye Hush hush a bye-bye"と歌われています。



Cool! Sammy Davis Jr. (1925 - 1990)
一人漫談や物真似といえばJim Carrey(ジム・キャリー)やEddie Murphy(エディ・マーフィー)やカナダ人のNorm MacDonald(ノーム・マクドナルド)などコメディアンの分野ですが、その元祖ともいえるのがサミー・デイヴィス・ジュニアでしょう。(昔はサミー・デビス・ジュニアと呼ばれました。) 歌えて、踊れて、一人漫談が出来て、物真似が出来て、楽器も演奏出来て、演技も出来るサミー・デイヴィス・ジュニアはニューヨーク州のハーレム地区でユダヤ系のアフリカ系アメリカ人(黒人)とプエルトリコ系の母(ユダヤ教徒とアフリカ系アメリカ人の混血)との間に生まれ、父と叔父が芸人ボードヴィル・ショーの旅回りをしていたので3歳という幼い頃から舞台に立って以来タップや歌や形態模写など達者な芸を披露していたそうです。 この頃のサミーのビデオを観ても大人を食ってしまうほど素晴らしい芸です。(顔が変わっていません!) 昔はサミー・デビスと表記されていた。
7 year old Sammy Davis - YouTube

サミー・デイヴィスJr.は世界第二次大戦の終りも間近の1944年に徴兵されアメリカ陸軍に入隊し一兵卒として参戦したそうです。 軍隊でのひどい人種差別さえもサミーの芸が緩和する役目を果たしてくれたそうで、芸は身を助くではないですがサミーの経歴から兵士向けのショーなどを行う慰問部隊に配属されたのだとか。 タップダンスは1984年の映画「The Cotton Club(コットン・クラブ)」に出演したGregory Hines(グレゴリー・ハインズ)が崇拝するほどの腕前、いや足捌きです。 イタリア系移民の子であることから自分も人種差別を受けたFrank Sinatra(フランク・シナトラ)が同じくイタリア系移民の子のDean Martin(ディーン・マーティン)やロンドン出身のPeter Lawford(ピーター・ローフォード)などと1950年代に結成したRat Pack(シナトラ一家)に黒人であるサミーを1959年に入れたことはかなりの波紋を呼んだそうです。(差別に反対といってもそこはやはり人間で実際は差別するシナトラだったと黒人ミュージシャンのQ.J.が自伝に記していたとか。人種はさておき多分サミーの芸に惚れたのでしょう。)
Sammy Davis Jr. with Rat Pack - Lady is a Tramp (A Night On The Town With Ratpack) - Amazon.com
Sammy Davis Jr. - Lady is a Tramp (Rat Pack LIve at Las Vegas) - Grooveshark.com

Sammy Davis Jr. in Rufus Jones for President (1933) - YouTube
Sammy Davis Jr. - Boogie Woogie - YouTube
Sammy Davis Jr. - Because Of You (impersonation) - YouTube
Sammy Davis Jr. - Birth of the Blues - YouTube
Sammy Davis Jr. - One for my Baby & Me and My Shadow (impersonation) - YouTube

サミー・デイヴィスJr.は1949年のGot A Great Big Shovel、Yours Is My Heart Alone、I'm Sorry Dear、Inka Dinka DooなどをはじめにCapitolで録音、1954年のBecause Of You、The Red Grapes、Hey ThereなどをはじめにDeccaでレコードを吹き込みましたが1960年になってRepriseでレコーディングしたそうです。 ドラマーのSy Oliver(サイ・オリヴァー)のThe Sy Oliver Orchestra(楽団)をバックにデッカレコードで78回転の"Because Of You"を初リリースした1954年のこと、高速道路で交通事故に遭い九死に一生を得ましたが不幸にも左目を失明してしまったのです。 その時にユダヤ教に改宗しています。 後にフランク・シナトラのすすめで義眼を入れましたがこの当時はアイパッチの片目で芸能活動をしていて、それも一時はトレードマークとなりました。 アイパッチのミュージシャンというとピアニストのJames Booker(ジェイムズ・ブッカー)がいましたが死後にトリビュート・アルバム「Patchwork: A Tribute to James Booker」がリリースされたそうです。
その後の1960年にはシナトラ一家とOcean's Eleven(オーシャンと11人の仲間)に出演して世界的に知られるようになり超人気となったことから、1962年に人気のTVドラマの77 Sunset Strip(サンセット77)でKid Pepper役や1963年にBen Casey(ベン・ケーシー)にAllie Burns役などでゲスト出演もしています。 この年1963年には人種差別撤廃を求めてワシントンDCからのCivil Rights(公民権)運動(ワシントン大行進)にHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)等と共に参加したとは聞きましたが特別に活動していたかは不明です。 人気者になっても白人の仲間とは全く違った扱いを受けた当時の黒人アーティストたちの屈辱は計り知れませんが、それでも表立って公民権運動などに参加するのは勇気の要ることだったでしょう。

Sammy Davis Jr. Get White!
サミー・デイヴィスJr.はMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)程かどうかは不明ですが、サミーは白人願望が強く白人女性、特に美人女優と次々と交際し、フランク・シナトラやピーター・ローフォードとも関係のあったと云われるKim Novak(キム・ノヴァク)と1950年代中頃に交際があったそうです。 白人と黒人の交際だけでも大騒ぎなのに1960年にはスウェーデン出身の白人女優であるMay Britt(マイ・ブリット)と2度目の結婚しました。 当時アメリカの南部では多くの州で白人と黒人の結婚はおろか同席さえも禁じていたので物議をかもし出し脅迫状まで届いたそうです。 二人の間には娘が一人と養子の息子が二人あったそうですがサミーの浮気により結婚生活は長く続かず、1876年から1964年頃に布かれた奴隷制維持のJim Crow law(ジム・クロウ法)が1967年に廃止になった翌年に離婚してしまいますそんなサミーでしたが、「こんなこたぁ、あたしらの時代にはようやりませんねん。」とステージで踊りながら"ポーゥ!"と前を押さえるMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)の物真似はしましたがマイケルのように顔を白くはしませんでした。(そのマイケル・ジャクソンは2009年6月に亡くなりました。)
Sammy Davis Jr. performs Michael Jackson's BAD - YouTube
サミーの初来日は1963年で最後は1989年の64歳の時、無くなる1年前のことだったそうですが、一番有名なのはカンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリー・ウイスキーのTVコマーシャルへの出演で、ウィスキーグラスをでっかい指輪でチンチカ、チンチカと叩いて"Oh! Dynamaite!"と言うサントリー・ウヰスキー(その名もホワイト!)のお洒落な1分間テレビCMが1973年に放映されたことでお茶の間にもコンチキコンが人気となりました。 オリジナルはEPシングル盤のA面にチッキチッキでB面はThe Candy Manが収録されていたPOLYDORレコードと聞いたのですが、"Chi-ki Chi-ki Sammy"を収録した4曲入りEPシングル盤はMGMレコードからリリースされてサントリーがPR用に配布した非売品だそうです。
そのレコード画像が見られるChi-ki Chi-ki Sammy - ロックンロール放送局
このアルバムにはChi-ki Chi-ki Sammy、The Candy Manの他にGet WhiteとJohn Shaftですが、"John Shaft(ジョン・シャフト)"とは1970年の黒人版ジェームスボンド映画「Shaft」の主人公です。
酒や麻薬、ギャブルに女と何でもはまり込むサミーでしたが、元々葉巻片手にステージに立つほどヘビースモーカーだったことから喉頭ガンを患い惜しいことに1990年に64歳で亡くなりました。 もともと細身のサミーでしたが、亡くなる前あたりのステージでは服の中に身体はあるのかと思う程痩せ細っていました。

The Candy Man
このThe Candy Man(陽気なキャンディ・マン)という曲はイギリスの作詞作曲家であるLeslie Bricusse(レスリー・ブリカッセ)とAnthony Newley(アンソニー・ニューリー)のコンビによって作られたそうです。 1978年のテレビ版もあったミュージカルのStop the World - I Want to Get Off(世界を止めろ-俺は降りたい)でサミーが歌った"What Kind of Fool Am I?(愚かな私)"もこのコンビが書いたそうです。 日本未公開でしたが1971年のミュージカル映画の「Willy Wonka & the Chocolate Factory(夢のチョコレート工場)」の中では、サミーが演じたかったというキャンディー屋のビル役のAubrey Woods(オーブリー・ウッズ)が映画の冒頭で"The Candy Man Can"と歌いました。 その後サミー・デイヴィス・ジュニアのバージョンが1972年にヒットしてこちらの方が有名になりました。(サミーは自分が書いて貰った曲だと明言しています。) 「夢のチョコレート工場」では、「何でも君の夢をかなえるよ。」という歌でしたが、サミーが歌うと夢のキャンディー売りの歌というよりも麻薬売りの歌かとうがった見方をしてしまいます。 ちなみに"Something's Gotta Give"が人気のLast.fmでのサミー・デイヴィス・ジュニアのチャートによるとトップ"5"にThe Candy Man(キャンディマン)が入ることないようです。
☆サミー・デイヴィス・ジュニアの"The Candy Man"はサントラには収録されませんでしたが2005年のアニメ映画「Madagascar(マダガスカル)」でちらっと使用されています。 Tony Todd(トニー・トッド)がキャンディマンを演じた1992年のホラー映画「Candyman(キャンディマン)」シリーズとは何の関係もありません。(Candymanを5回繰り返して言っては駄目よ!)
Sammy Davis Jr. - The Candy Man (1972) - YouTube


Cool! Sammy's Albums
20th Century Masters: Millennium Collection
サミー・デイヴィス・ジュニアはアメリカのショービジネス界の偉大なるエンターティナーですからじっくり聴くというよりはステージを観るのが一番ですがそれでもサミーのアルバムは今も人気です。 シナトラ一家集大成のRhinoボックスセット・アルバムではなく単品で手に入るCDもたくさんあります。
ページトップの画像はサミー・デイヴィス・ジュニアのMGM時代のヒット曲集で2002年にリリースされた輸入ベスト盤、The Candy ManやMr. BojanglesやPorgy & Bess Medleyなど11曲を収録してあります。
♪ 試聴は20th Century Masters: The Millennium Collection: The Best Of Sammy Davis, Jr. - Amazon.com

The Definitive Collection
The Definitive Collection
Definitive Collection Sammy Davisサミー・デイヴィス・ジュニアが歌うポップス調の曲やジャズのスタンダードを集めたリマスターアルバムで、2006年リリースのベスト盤にはToo Close For ComfortをはじめHey ThereやBirth of the Bluesからサミーの定番曲であるCandy ManやMr. Bojanglesなど主な20曲を収録してあります。
試聴はSammy Davis, Jr Definitive Collection - Amazon.com

Capitol Years
The Capitol Years
Capitol Years Sammy Davisサミー・デイヴィス・ジュニアのキャピトル・レコード時代、1940年代後期からR&Bやジャズはもとよりポップスやバラードまで幅広く歌い、1959年にラトパックに参加する以前にも力量のあるところを聴かせます。 こちらは2008年リリースのベスト盤ですが2003年の同名アルバムは曲目が違います。
♪ 試聴はSammy Davis, Jr Capitol Years Soundtrack - Amazon.com

Too Close For Comfort on Broadway Musical: Mr. Wonderful
サミー・デイヴィス・ジュニアが1946年のミュージカルのMr. Wonderful(ミスター・ワンダフル)で歌った"Too Close For Comfort"はIrving Berlin(アーヴィング・バーリン)が作曲しました。 この曲はの上記のアルバムの「The Definitive Collection」の他、ブロードウエイ・ミュージカル集の「Broadway Classics」にも収録されていますが、DVDでは輸入版の「Sammy Davis Jr Show」にも収録されています。
Sammy Davis Jr. - Too Close For Comfort (Broadway Classics) - Grooveshark.com

I've Gotta Be Me: The Best Of Sammy Davis Jr.
Marty Paichなどがアレンジした1966年リリースのLP「Sammy Davis, Jr. Sings and Laurindo Almeida Plays」がCD化されて、サミー・デイヴィス・ジュニアがブラジルのジャズギタリストのLaurindo Almeida(ローリンド・アルメイダ)と録音した"Here's That Rainy Day"や"I'm Always Chasing Rainbows"の他Marty Paich(マーティ・ペイチ)などがアレンジした全15曲を収録しています。
試聴はI've Gotta Be Me: The Best of Sammy Davis, Jr. on Reprise
国内盤はベスト・オブ・サミー・デイヴィスJr.
Sammy Davis Jr. with Laurindo Almeida - I'm Always Chasing Rainbows - YouTube

The Essential Sammy Davis Jr.
2005年に発売された全40曲収録した2枚組みCDの「Essential Sammy Davis Jr.」の他にも2009年発売で28曲を収録した2枚組みCDの「Essential」又は「The Essential」がありますが、2006年には12曲収録の「Essentials」というアルバムもリリースされています。


Cool! Sammy Davis Jr. DVD
The Best Of Live & The Sammy Davis Jr. Show

2007年に発売された「Best of Sammy Davis Jr. DVD」(ASIN: B000RPBGLA)には1985年にドイツでの公演をカラーで録画したものだそうでヒット曲の数々を収録してあるとか。
1959年にシナトラ一家のラトパックで人気を博したサミー・デイヴィス・ジュニアの1966年の週に1度のテレビ番組の最終回をモノクロ収録したという「Sammy Davis, Jr. Live」(ASIN: B0009PZOXY)は2005年に発売されています。


Cool! Sammy Davis Jr. in the films
サミー・デイヴィス・ジュニアの映画歴は長く約半世紀に渡りますが主役を演じたような大作はありません。 映画デビューは7歳の時、日本未公開ですが1933年にサミー・デイヴィスとしてルーファス・ジョーンズ少年を演じた「Rufus Jones for President」でした。 Ethel Waters(エセル・ウォーターズ)が母親を演じ、サミーが差別に嘆く黒人の少年を演じて"You Rascal You (I'll Be Glad When You're Dead)"などを歌ったこの映画では何時の日か黒人少年が大統領になる夢を描いていますが、まさにアメリカで2009年に初の黒人大統領が誕生しました。 その後サミーは同じく日本未公開でしたがArthur Lubin(アーサー・ルービン)が監督した1947年の「New Orleans(ニューオリンズ)」など何本かにちょっと出演しましたが、メジャーになったのが「黄金の腕」で知られるOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督してSidney Poitier(シドニー・ポワチエ)とDorothy Dandridge(ドロシー・ダンドリッジ)が出演した1959年の黒人ミュージカルの「Porgy and Bess(ポギーとベス)」で、べスに恋するSportin' Life(スポーティン・ライフ)役でした。 この映画ではGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュイン)作曲の"Summertime"は歌っていませんが有名な"It Ain't Necessarily So"の他、"A Woman Is a Sometime Thing"、"There's A Boat Dat's Leavin' Soon For New York"を歌っています。 出演者のなかでただ一人吹き替えなしで歌ったサミーでしたがレコード会社との契約問題でサウンドトラック盤には収録されませんでした。 「ポギーとベス」はミュージカル映画ですがサミー・デイヴィス・ジュニアはトニー賞にノミネートされた1964年から1966年のブロードウエイの舞台の「Golden Boy」などのヒットがあります。
Sammy Davis Jr. - There's A Boat Dat's Leavin' Soon For New York - YouTube

Sammy Davis Jr. as Josh Howar in "Ocean's Eleven"
オーシャンと11人の仲間 特別版DVD
Ocean's Eleven DVDフランク・シナトラに引き抜かれてThe Rat Pack(シナトラ一家)の一員となったサミーは1960年に「オーシャンと11人の仲間」に大金を運ぶ清掃車のJosh Howard(ジョシュ)役で出演してそのテーマ曲ともいえる"Eee-O Eleven"が大ヒットしました。 監督は1946年に「The Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)」を監督したロシア出身のLewis Milestone(ルイス・マイルストン)で、音楽を1961年の「Lolita(ロリータ)」の音楽も手掛けたNelson Riddle(ネルソン・リドル)が担当しました。
Saul Bass(ソウル・バス)がタイトル・デザインを手掛けたお洒落なオープニングはラスヴェガスらしくネオンサインの数字により1から11までオーシャンと十一人の仲間のキャストがクレジットされ、シャンパングラスでラッキーセヴンのスロットマシーンやルーレットなどのアニメも素晴らしいです。 フランク・シナトラが演じる賭けに強い親分各のダニー・オーシャン元軍曹が戦時中に落下傘部隊でで仕込まれた技を使わない手はないとばかりに結成した泥棒軍団のカジノの金庫破りストーリーです。 ジョニー・クールのヘンリー・シルヴァは嫌われ者のアシーボス親分の子分の一人でRoger Corneal(ロジャー・コーニル)を演じ、余命いくばくもない電気技師のトニーを同窓会(犯罪)に参加するように説得する役割です。 ダニーの指図で次々と元の戦友を仲間に引き込むのですが長くなるのでサミーの部分を抜粋します。
ゴミ収集車の仲間(Jerry Velasco)が吹くハモニカでサミー演じる片目のジョッシュが歌う曲が"Eee-O Eleven"なのです。 「♪ 今に運転手付きのリムジンを手に入れるさ。 11人で。 ♪」 この曲はゴミ運搬車を使っての輸送係りを受け持ったラストシーンにも警察の検問をみごとクリアしたジョッシュが車を運転しながら歌います。 ジョッシュは計画通りに札束入りのゴミ缶を次々と収集していい仕事したのにまさかのハプニングが起こってしまうのです。 EEE-O ElEVEN !! ジョッシュのトラックに乗り込んだラトパックの3人がサミー・デイヴィス・ジュニアばりに顔に靴墨を塗るシーンが笑えます。 ただし仲間のトニーの遺体が火葬されたことを知った後にはまた別のバージョンの"EEE-O ElEVEN"が流れます。 eee-o eleven...
Sammy Davis Jr. - Eee-O 11 - YouTube

Ocean's Eleven - Eee-O Eleven
Ocean's 11 Soundtrack - Eee-O Eleven画像は私が当時購入したEP盤"Verve VS-1"で"Eee-O Eleven(イー・オー・イレブン)"と"Ain't That a Kick in the Head(はっきりしろよ)"を収録しています。(クリックで画像拡大可)
テーマ曲を歌っている肝心なサミーがジャケットに見えないじゃないか!って、サミーは遠慮深いからか黒いからかクリックで拡大しても分りづらいですが左から4人目、真ん中のディーン・マーチンの左隣がシナトラでサミーはシナトラの肩のあたりです。 ディーン・マーチンの右隣はピーター・ローフォードでその次がヘンリー・シルヴァです。

Ocean's Eleven Soundtrack
Eee-O-11: The Best of the Rat Pack
Ocean's Eleven Soundtrack2001年に発売されたラトパック集の輸入盤のサントラ画像ではサミーがちゃんと見えます。ネ! 「オーシャンと十一人の仲間」のサントラはもう存在していないようですが、このベスト盤CDには映画で演奏された(Love Is) The Tender Trap、サミーとゴミ収集仲間のハモニカ野郎とデュエットしたAin't That a Kick in the Head、そしてサミーのEee-O Elevenが収録されています。 Ain't That a Kick in the HeadとEee-O ElevenとThe Tender TrapはSammy Cahn(サミー・カーン)とJimmy Van Heusen(ジミー・ヴァン・ヒューゼン)が作った曲だそうです。
☆シナトラ一家のラット・パックについてはAudio-Visual Trivia 内のThe Rat Pack

Johnny Cool 1963年
Johnny Cool Soundtrack画像は私が当時購入したBilly May(ビリー・メイ)楽団演奏の「ひとりぼっちのギャング」のサントラEP盤のLL - 591 - UAです。(クリックで拡大可)
サミーがサイコロ博打の名人であるEducated(エジュケイテッド)役で出演した「ひとりぼっちのギャング」はWilliam Asher(ウイリアム・アッシャー)が監督して都会のジャングルに棲む孤独な一匹狼の凄惨と哀歓を描いた実にセンセーショナルなB級ギャング映画です。 シナトラ一家の映画としては「Ocean's Eleven(オーシャンと十一人の仲間)」に続いて1962年に「Sergeants 3(荒野の3軍曹)」に出演した後の映画ですが、「ひとりぼっちのギャング」の後には続いて1963年にRobin and the 7 Hoods(七人の愚連隊)で"Bang! Bang!"と見事なタップダンスと歌を披露していますが、シナトラ親分が私立探偵を演じた1968年の「Lady in Cement(セメントの女)」には出演していません。(衝撃的「セメントの女」映画ポスター@POSTERMAN
「ひとりぼっちのギャング」にはシナトラ一家の主だったメンバーは出演していませんが、出演場面は少しとはいえサミー・デイヴィス・ジュニアはインパクトのあるサイコロ賭博師としてな出演しています。 主な出演者は残虐な悪役を演じては定評のある奥目ですきっ歯のHenry Silva(ヘンリー・シルヴァ)です。
ニューヨークのブルックリン生まれでハーレムで育ったアメリカの俳優のヘンリー・シルヴァはSilvahaという名でも分るようにシシリア系です。(厳密に言えばはシシリアとスペインの混血だとか) ヘンリー・シルヴァもシナトラ一家の一員であり、「Green Mansions(緑の館)」のアマゾン奥地の部族(インディオ)や「オーシャンと十一人の仲間」のドジな手下などで知られていました。 殺し屋のなかの殺し屋と呼ばれる冷酷な主人公のジョニークール役として抜擢された映画が「ひとりぼっちのギャング」です。 この作品以降も闇の帝王と呼ばれる極悪非道のギャング役で活躍しました。 「ひとりぼっちのギャング」での他の出演者にはサミー・デイヴィス・ジュニアやヘンリー・シルヴァ同様にシナトラ一家の一員であるJoey Bishop(ジョイ・ビショップ)も早口の中古車ディーラーとしてゲスト出演しています。 もう一人、この映画の花は当時監督のウイリアム・アッシャーと結婚したElizabeth Montgomery(エリザベス・モンゴメリー)で、同年にヘンリー・シルヴァ同様にシナトラ一家の一員であるディーン・マーティンとラブコメの「Who's Been Sleeping in My Bed?(僕のベッドは花ざかり)」にも出演しています。 エリザベス・モンゴメリーはこの後1964年から放映された人気TVシリーズでウイリアム・アッシャーがプロデューサーだったBewitched(奥様は魔女)にサマンサ役で出演して一躍お茶の間の人気者になりました。 「ひとりぼっちのギャング」ではエリザベス・モンゴメリーが懐疑的ながらもジョニークールの片腕となったセクシーな美女を演じています。 1973年から放映されたTVシリーズの刑事コジャックで人気の丸坊主で有名なTelly Savalas(テリー・サヴァラス)がジョニー・コリーニの暗殺リストに載っているニューヨークのギャングの元締めのVincenzo 'Vince' Santangelo(サンタンジェロ)を演じています。 サンタンジェロがまさかの超高層ビルのてっぺんで外から窓掃除屋にマシンガンで撃たれるとはお釈迦様でもご存知あるめえ。(BGMはWindow Washer)
通称ジョニークールと呼ばれる殺人マシーンがなぜ冷酷かというと、それは1943年のイタリアのシシリー(シシリア)から始まります。 Salvatore Giordano(ジョルダノ)が少年だった第二次大戦中のこと、一度は母親をドイツ兵の魔手から助けたものの目の前でドイツ兵に母親を射殺されたことからファシストに対抗する地下組織のキングと呼ばれるSalvatore Guiliano(サルバトーレ・ジュリアーノ)に助けられレジスタントの闘志として成長したのでした。 (イタリアで19世紀後期に拡大したマフィアの影響力はシチリア島にも及びさらに1920年代後半はイタリア・ファシスト政権によって抑圧されていたのが第二次世界大戦時には連合国によってようやく解放されたそうです。) よって終戦後には闘う相手を失って無法者のリーダーとなったジョルダノにはお訊ね者として懸賞金までかけられるようになり、とうとうイタリア政府軍のヘリに追われて捕らえられ至近距離で銃殺されてしまいました。 と、思いきやそこにはイタリア軍の指揮官とシシリーに亡命してきた殺人王と呼ばれる元ギャングのボスのJohnny Colini(ジョニー・コリーニ)との金が絡んだ裏取引があり、「私は犯罪者ではない、人民のために闘ってきたのだ。」と反撃したジョルダノだったが「お前は死んだのだ。 俺の跡継ぎのなるのだ。」というコリーニの強要に屈して金のためもありヒゲを落としてジョニー・コリーニの跡目を継ぎジョニークールとして生まれ変わります。 コリーニを裏切った奴らに復讐するために刺客としてアメリカ合衆国に送り込まれたジョルダノが仕置人として訪れたニューヨークのナイトクラブで出会ったのがエリザベス・モンゴメリーが演じるDare Guiness(デア・ギネス)でジョニー・コリーニを名乗るクールなジョルダノに惹かれてジョニークールの女となります。 競馬で大当たりしたジョニークールはサミー・デイヴィスが演じるアイパッチ(片目)のセンセイのサイコロ賭博場に呼ばれますが、いかさまが露見した後、頭に銃をつきつけられてはセンセイもお手上げでジョニークールの言いなりにサイを振りまくります。 その間にギャング連中がジョニークールの本性を吐かそうと警察を装って部屋に入り込み、デアを暴行しますがこれに激怒したジョニークールは台所の包丁を失敬して電光石火の早業で報復したのです。(BGMはBorrow a Knife) ニューヨークからロス・アンゼルス、ラスヴェガスへと大都市を又にかけて、武器はカラテチョップ、包丁、ピストル、機関銃、ダイナマイト、そして仕事は敏腕、速攻で異常なほどに血も涙もない冷酷な暗殺者のジョニークールはコリーニのリストをもとに尋常でない闇の世界のボスたちを恐怖のどん底に突き落としていくのです。 クール! 最後には子供まで巻き添えにしたジョニークールの殺人に加担したことに衝撃を覚えたデアの通告から、デアとのデートだと思い込んだジョニークールが行きつけのレストランに現れシャンパンを注文し、部屋にはいるとそこにいたのは別の女。 罠だった。 生き残ったギャング仲間たちに襲われて拘束衣をつけられたジョニークールは車でギャングのアジトに運ばれる。 ジョニークールのハッタリは露見しているから、「一人だと思うなよ、俺には軍隊が後ろ盾として構えて いるんだぞ!」と必死に喚くジョニーの抵抗も空しく、真実を吐かせるために日々の飲食を絶ちながら殴打を加えるという特別拷問計画により惨めにも天井から吊られて生ける屍、つまり生きながらの植物人間とされてしまいます。 最後の断末魔のようなジョニークールの情けない悲鳴はいったい何なんだ?クールじゃない。(最後に流れる曲は侘しいサミーの"Ballad of Johnny Cool")
Johnny Cool Trailer - YouTube
Henry Silva and Elizabeth Montgomery in Johnny Cool - YouTube

フィルム・ノワールの映画「ひとりぼっちのギャング」は1950年代の人気ミステリー小説家のペイパーバック・ライターであるJohn McPartland(ジョン・マックパートランド)が1959年に書いたベストセラー小説のThe Kingdom of Johnny Cool(ジョニー・クールの王国)の映画化です。 シナトラ一家のピーター・ローフォウフォードが設立した独立プロの第一作目の作品でしたが、残念なことに現在ではDVDはおろかVHSビデオさえ見つかりませんが、かろうじて見つけたビデオカバーの画像はエリザベス・モンゴメリーのファンサイトのElizabeth Victoria Montgomery - Bewitched(ポルトガル語)
♪ 「ひとりぼっちのギャング」のサントラからビリー・メイ楽団をバックに歌うサミー・デイヴィスの"The Ballad Of Johnny Cool"が聞けるwfmuラジオのプレイリストはSammy Davis Jr. - The Ballad Of Johnny Cool - wfmu(Listen to this show: RealAudioをクリック、クリップポジションを1:48:00に移動)

Johnny Cool Soundtrack
Johnny Cool: Billy May's Original Motion Picture Score - Original MGM Motion Picture Soundtrack [Enhanced CD]
Johnny Cool Billy May Soundtrackサミー・デイヴィス・ジュニアのボーカル曲入りの「ジョニー・クール」のサウンドトラックはオリジナルのリリースが1963年で、Billy May(ビリー・メイ)楽団のBud Brisbois(バド・ブリスボイス)やDon Fagerquist(ドン・ファガーキスト)が奏でるトランペットやテナーサックスのJustin Gordon(ジャスティン・ゴードン)等のジャージーな演奏が印象的で、演奏のJohnny Cool Theme、Morning in Balboa、サミー・デイヴィス・ジュニアのボーカルでBee-BomやThe Ballad Of Johnny Cool,など全12曲が収録されています。
「ひとりぼっちのギャング」の音楽はフランク・シナトラとのコラボで知られるビリー・メイですがイギリスポップス界のLes Vandyke(後のJohn Worsleyのレス・ヴァンダイク)が作りAnthony Newley(アンソニー・ニューリー)でヒットした"Bee-Bom"を映画ではサミー・デイヴィスの歌が歌います。 ジョニークールがダイナマイトで子供もろとも石油王をプールごとぶっ飛ばした後、デアの女友達の豪華ヨットパーティでツイストを踊るシーンで流れます。
Jimmy Van Heusen(ジミー・ヴァン・ヒューゼン)作曲しSammy Cahn (サミー・カーン)作詞したサミー・デイヴィス・ジュニアが歌うテーマ曲の"The Ballad of Johnny Cool"はオープニングとラストシーンでデアが「ジョニークールは死んだわ、私が殺したの。」と言って警察に連行されるシーンで哀切たっぷりに流れます。 私が持っているEP盤のVerve VS-1ではA面がサミーのJohnny Cool Theme(ひとりぼっちのギャング)でB面が演奏のMorning in Balboa(バルボアの朝)です。
試聴はJohnny Cool - Amazon.com

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