July 2009 Archives


Bitter Moon DVDEmmanuelle Seigner and Peter Coyote in Roman Polanski's Bitter Moon
Vangelis - Erotic Dance - Grooveshark.com

Bitter Moon 1992年
「赤い航路」は"The Temptation of Innocence - Living in the Age of Entitlement(無垢の誘惑)"で知られるPascal Bruckner(パスカル・ブルックナー)が1981年に書いた衝撃的なミステリー小説の"Lunes de Fiel(意味は苦い月)"を1962年に「Nóż w wodzie)(水の中のナイフ)」を監督した鬼才と呼ばれるRoman Polanski(ロマン・ポランスキー)がより刺激的に、且つよりロマンチックに映画化した作品です。 ロマン・ポランスキーは変態的な倒錯愛の世界を描き、女の献身的というより自虐的な愛とその結果に生じた愛すればこその復讐劇をもって究極の愛を追求しています。 ちょっと他人の性生活を覗いてみようという好奇心がとんでもない深淵を覗くことに。 そして、その先は地獄。 原作がLune de miel(ハネムーン/蜜月)を皮肉った""Lunes de Fiel(ビタームーン/苦い月)"で、良識的な普通のカップルが異常なカップルに翻弄されていきます。 フランス人の作家であるパスカル・ブルックナーは原作でフェティシズムの一種である文学的なScatology(糞便学)も微に入り細に渡り記述され性的倒錯(もしくはSM的性癖)とあいまって読んでいるとかなり辟易するらしいです。 一方、原作の結末は映画よりもっと残酷で皮肉でですが、映画でさえ鑑賞し終えるにはかなりのエネルギーを要します。 残念ながら"Bitter Moon"の原作はドイツ語版のみで、"Lunes de Fiel"だとフランス語版がありますが日本語訳や英語の翻訳版は見つかりません。 タイトルの"Bitter Moon"とは"悲惨な白昼夢"もしくは"1ヶ月の月の満ち欠け"とも意味はとれますが、新婚の甘いHoneymoonをもじったのでしょうか。 朔望月、映画では新月から満月まで夜空の月が映し出されます。

Mimi's a man-trap!: Bitter Moon Synopsis
「赤い航路」のあらすじ

以下のストーリーには驚くべき結末も書かれていますからこれからビデオをご覧になる方は読まない方が楽しめます。
主な登場人物は4人、品性と教養を備えた普通のイギリス人の夫婦と、親の財産で暮らすアメリカ人の作家志望とパリで知り合ったフランス人の元ウェートレスの風変わりな夫婦という二組のカップルです。 ラブコメで知られたなHugh Grant (ヒュー・グラント)が初期に出演した怪奇なラブストーリーでイギリス人夫婦の夫のNigel(ナイジェル)を演じますがユーモアなど皆無の真面目な若い男の役です。 その妻のFiona(フィオナ)にイギリス女優のKristin Scott Thomas(クリスティン・スコット・トーマス)、車椅子の作家のOscar(オスカー)にPeter Coyote(ピーター・コヨーテ)、その妻のMimi(ミミ)にEmmanuelle Seigner(エマニュエル・セニエ)たちが繰り広げる大海原を航行する船内という密室劇でもあります。
教師同士で結婚したイギリス人の若夫婦が結婚7年目の記念にと豪華客船で地中海を航海するクルージング旅行を楽しむこととなります。 そのカップルがイスタンブールに向かう豪華客船の船上で出会ったのは車椅子に乗った中年紳士とセクシーな若い妻のカップルでした。 奇妙な取り合わせに見えるその夫婦の車椅子の夫がなぜ自分が下半身不随になったのかを語り始め、アラビアン・ナイトのように少しずつ夫婦の過去のあからさまな倒錯の世界を暴露してゆくのです。 ナイジェルは結婚7年目の自分たちも倦怠ムードであることから、過激な男女関係の話に嫌悪を感じつつも次第に興味を覚えていきます。

"7年目の浮気"という映画がありましたが結婚も7年経つと新鮮味がなくなってきますから、イギリス人の夫婦がその打開策として豪勢な船旅を計画したのです。 甲板で海を眺めていた夫婦の映像の後、船酔いした妻のフィオナがトイレに行って一人残されたナイジェルに人の良さそうなインド人が会釈して通り過ぎます。 主な登場人物以外の重要な役割を担っているのがこのインド人と連れの女の子です。 フィオナが入ったトイレから奇奇怪怪な物語の始まりです。 夫婦が介抱したのはフィオナ同様に気分が悪くなった若い女性でした。 船上での晩餐でインド人と席を同じくした夫婦でしたが、船室に戻る途中でナイジェルがなにげに足を向けたクラブのステージで"Fever"をセクシーに踊っていたのがあの介抱した若い女性だったのです。 興味津々なナイジェルはカウンターで女に話しかける。 女が去った後、ナイジェルは一人甲板に出て暗い海に浮かぶ月を眺めていると近づいてきたのは車椅子の紳士でした。 ナイジェルがやり過ごそうとすると男は呼び止めて自分はあの女の夫であり彼女が自分にしたことを見てくれと足を見せるのです。 それだけじゃなく性的にあからさまな言葉を頻繁に使ってイギリス紳士を当惑させます。 しかし車椅子で船内に入るのを手伝ってくれと頼まれれば嫌とも言えずその男に同行します。 ここからが悪夢の始まりです。 ホラー映画のようなな怖さではなく限界を知らぬ愛欲の終結が恐怖です。 車椅子の男が回想します。 ミミという無賃乗車の女を助けたことから恋に落ちた作家のオスカー。 その女の全てが愛しいと男は思った。 そして同棲、女の献身的な愛、しかし気まぐれな男、女の嫉妬と激怒、自己を否定された女の復讐。 それでも愛する。 地獄の底まで。

車椅子のオスカーについて船室に入り勧められるままに酒を飲むナイジェル。 パリにさかのぼってミミとの出会いを話し出すオスカー。 それはMontparnasse(モンパルナス)とPorte des Lilas(リラの門)を往復するパスの中の出来事だった。 オスカーは車内の長い髪の美女が気になっていたが、その女が切符の検察に対応できないのを見て取ると自分の切符を渡してしまい車掌に促されてバスを強制下車させられた。 Francis Scott Key Fitzgerald(フィッツジェラルド)を目指してパリで執筆活動をするも芽が出なかったオスカーだったが、それでもバスであの女に会うまではパリはオスカーにとって天国だった。 あの女に合ってからは小説を書くどころか考えることは女のことばかり、執り付かれてしまって抜け殻と化したオスカーの取った行動とはあの女が乗っているのではとバスの運転手と顔馴染みになるほどバスを探したこと。 そんなオスカーが女連れでレストランに入った時のこと、なんと注文を取りにきたウエイトレスが捜し求めていたあの女だったのだ。 オスカーは切符のお返しにと明日の約束を取り付け、ダンス練習場で待ち合わせ、和食レストランでお食事と洒落こんだ。 そこではフランス語をしゃべる中国人の給仕長が登場。 ヘンテコな食事マナーを教えたり子供じみた遊びをしたりと楽しんだオスカーは無邪気なミミにぞっこんとなる。 おまけにオスカーが渡したバスの切符をミミが使わずにしまっておいたことを知り自宅へお持ち帰りになりました。

パチパチと火がはぜる暖炉の前でいとたやすくドレスを滑らせるラブシーン、ここではVangelis(ヴァンゲリス)の"Love Scene"が美しく静かに流れます。 激しいのはテーブルの上に置かれたショコラとコーヒーカップの揺ればかり。 禁断の木の実を味わってしまったアダムのように感じたオスカー、天国への門は開かれた。 「L'Empire des sens(愛のコリーダ)」の吉蔵(藤竜也)と定(松田暎子)のように何日も部屋に閉じこもって愛を堪能した後には遊園地で子供っぽく遊ぶという生活。 その中でもダンサー志望のミミが披露したダンスのエンディング・ポーズはヴァンゲリスのサウンドトラックやDVDのカバー画像となっている。 まるでオカルト映画のように床にたくさんの蝋燭を灯し、薄物の白いドレスで踊るミミはまるで妖しい妖精のよう。 このアラビックなダンスシーンで使用された曲名はヴァンゲリスの"Erotic Dance"です。 このミミのダンスの振り付けにちょっと似ていたのがQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)が監督した「Death Proof(デス・プルーフ in グラインドハウス)」での酒場シーンでバタフライことアーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)が殺人鬼のスタントマン・マイク(カート・ラッセル)の膝の上で踊ったラップダンスの出だしでした。
Bitter Moon - Mimi's dance - YouTube
変態もどきのプレイで至福の時を過ごす二人だったが徐々にエスカレートしてゆく。 新しい刺激はシェーバーを使用しないオスカーが西洋剃刀でヒゲを当たっている時にミミが遊び半分で私にもちょっとやらせてと剃刀で顔が切れてしまったことから始まった。 身も心もミミの虜になった出来事を詳細にオスカーが話すのには閉口しつつも何か惹かれるナイジェルでした。 暇を告げて自分の部屋に戻ればナイジェルの遅い帰りを読書で紛らわせていたらしいフィオナの寝顔、刺激はない。

翌日ナイジェルからオスカーの露骨な話を聴いたフィオナも憤慨気味。 二人が食事をしているとオスカー夫妻が入ってくる。 ミミが船長の席に呼ばれているからとオスカーはナイジェル夫妻と同席する。 その晩も抵抗できずにオスカーの話の続きを聴きに行く怖いものみたさのナイジェルだった。 話も次第にエスカレートし夢心地でミミの黄金の滝を浴びる自分を回想してみせるアブノーマルなスカトロ趣味のオスカーだった。 良識もない卑猥な話に嫌悪の情を示すと女性崇拝についてうんちくを傾けるオスカーだった。 そして過去の回想映像では二人でSM器具を買い求め、美女に辱められる危険なプレイの喜びを知ったオスカーだったが、剃刀でオスカーの服を切り刻んだ黒いビニールコートの下はガーターベルトとストッキングだけのミミ。 倒錯(SM)の世界にのめり込みありとあらゆる大人の玩具も試した。 そして当然のこと、倦怠が訪れる。 そこで二人の生活を切り替えることにしてクラブに出かける。 このクラブのシーンでミミが隣の女と仲良さげに話しているオスカーを挑発するように黒人のバジルという男と踊ったダンスはBGMがSam Brown(サム・ブラウン)の"Stop"でした。
Mimi and Basil Dance "Stop" - YouTube
これを見たオスカーはクラブのフロアで不貞を働いたとミミを置いて一人で帰ってしまう。 しおれたミミが戻ってきて懇願する。 You are my TIGER. しかしオスカーは破産宣告。 再び試してみたSMプレイ。 だが以前のように燃えない。 遂に魔法は消え去ったのだというオスカーの話も終ろうという時に突然ミミが入ってきた。 戸惑いながら部屋を出たナイジェルの耳に聞えたのはミミとオスカーの楽しそうな笑い声。 いったいぜんたい何なんだ?と自分の部屋に戻るとフィオナは当然のことにご機嫌ななめ。

ナイジェル夫妻が風の強く吹く甲板に出るとインド人と娘がいた。 ナイジェルがフィオナのコートを取りに船室に戻る途中、まるで待ち伏せしていたかのようにミミが現れた。 ミミが言うにはオスカーは病気だから話したことは信じないで欲しい、自分を悪く思わないでとナイジェルに迫ってくる。 ミミは説明したいから後で自分の船室に来て欲しいと言い残して去っていった。 ナイジェルとフィオナは乗客とブリッジに興じていたがミミとの約束の時間が迫ったのでナイジェルは中座する。 当然フィオナは納得していない。 ナイジェルはミミにおしえられた部屋のドアをノックする。 部屋は真っ暗で返事はないが「ドアを閉めて」というミミの囁き声がする。 船窓からの明かりでようやく見えたベッドに近づきシーツから出ている足先に唇をつけた途端! ナイジェルはなんとも恥ずかしい事態に陥った。 そこにはナイジェルの手を掴んでミミが欲しいのか?と問い詰めるオスカーがいた。 ナイジェルは呆れてオスカーに「貴方はポン引きなのか?」と問うと「冗談だよ。」と再び例の話を続けるオスカーだった。 情熱が冷めたらどうなるか。 欲望は失せ、刺激も感じない。 テレビ中毒だけが会話のなくなった二人の共通の娯楽と成り果てた。 そんなある日のこと、オスカーとミミは出版関係の会に出席することになったがその時のミミの衣裳というのがゴム製のようなぴったりした赤いドレス。 何か他には無いのかと言うオスカーにどこが悪いの?と訪ねるミミ。 もう愛していないのね。 エージェントとの会話に退屈したミミの失態で恥をかいたとオスカー。 もう完全にオスカーの心は冷え切っている。 出版社のBeverlyという女性エージェントは1978年のGrease(グリース)のBetty Rizzo(ベティ)を演じたStockard Channing(ストッカード・チャニング)のカメオ出演です。
町では人々が楽しそうに踊っているのにと双眼鏡で窓の外を覗くオスカー。 刺激に飢えたオスカーは新聞記事に載っていたデリヘルにアクセスする。 それは喫茶店でも目にしたの「36 15 ULLA」
食事マナーにイチャモンをつけたオスカーに口答えをして暴力を振るわれたミミ。 床に頭を打ち付けて昏睡状態に陥ったミミを案じるオスカー。 エッフェル塔が見える遊園地で二人はデート、ここで元の状態に戻りそうだった。 しかし夜の公園では会話ではもう戻らない、ミミの人生を捧げて貰っても困るというオスカー。 理解したというミミは荷物を手に去っていく。 ドアの外で帰りを待ち伏せて許しを請うミミに辱めを与えるオスカー。 何を思ったかミミは長かった髪を切る。 ミミが作った感謝祭のディナーにも手をつけずに出かけるオスカー。 しかし、ミミは妊娠、遠くに行こうと二人で出かけたマルチニック行きの飛行機旅行だった、がオスカーは仮病を使って機内にミミを置き去りにするというひどい仕打ち。 オスカーが再び自由を取り戻してやりたい放題に過ごした数年が過ぎた頃、連れの女を追いかけようとタクシーから飛び出したところを車に撥ねられた。 オスカーが入院した病院にかってオスカーが置き去りにしたあのミミが艶やかな姿で訪れる。 置き去りにされた飛行機が到着したマルチニックでウエイトレスとフロアダンサーをして働いていたそうだ。 別れの挨拶ついでにオスカーを力づくでベッドから落っことしたミミのせいでオスカーはさらに集中治療室行き。 目覚めたオスカーがミミから衝撃の知らせを受ける。 オスカーの下半身が麻痺したことは良い方の知らせ。 もっと悪い知らせは、オスカーに裏切られたミミが一生そのオスカーの世話をすることになったこと。 これでオスカーは完全にミミの物となる。
そして、これまでオスカーに虐待され続けてきたミミの逆襲が始まる。 しかしオスカーはひどい仕打ちにも関わらずなぜかミミがまだオスカーを愛していると確信する。 オスカーの誕生日に一晩中ほったらかしておいて粗相をしてしまった夫への妻からのプレゼントなんと銃弾を込めた拳銃。 愛が無情に変わる時ほど恐ろしいものはない。
以前フロアでセクシーなダンスのお相手をした黒人ダンサーを夕食に招待しその後にふたたびセクシーなダンスを披露、タイガーをイメージしたトラの吠え声入りの曲でしたが曲名は不明。 奇異なことにこの後、オスカーとミミは正式に結婚する。 復讐の応酬、激しい愛憎のぶつけ合いは愛するがゆえなのか。 新年を迎える大晦日の船上パーティーでLa Dolce Vita(甘い生活)のAnita Ekberg(アニタ・エクバーグ)のような黒いドレスで相変わらず刺激的に踊るミミから目が離れないナイジェル。 一晩中続くパーティではフィオナも着飾って登場。 ミミと楽しそうに踊りだすフィオナにあっけに取られるナイジェル。 オスカーの部屋を訪ねフィオナとミミの寝姿を見せられ逆上したナイジェルに銃が突きつけられた。 しかしオスカーの銃口は寝ているミミに向けられた後オスカーは自害したのでした。
Fiona and Mimi - YouTube
ありとあらゆるプレイを楽しんだオスカーとミミ夫妻の宴のお開きはなんとレズ! そしてこれを最後に二人の貪欲な愛の生活の幕が降りたのでした。 しかし、最後にミミを奪うのはナイジェルではなく妻のフィオナだったという皮肉。 ナイジェルは無事ではあったが身を挺したフィオナは傷つきました。 映画では船旅の終りの大晦日の夜のこと、オスカーは話の結末をつけるかのようにミミに向かって拳銃を放ち、自らも命を絶つのだったが、ナイジェルがヌレギヌを着せられて貪欲なオスカーとミミは生き残るラストの原作とは違ってこれでもポランスキー流のロマンチックな結末になっているそうです。
イギリス人夫妻が出会ったミミとオスカーのカップルは多くの夫婦が人生の中で出会う不道徳の悪夢を象徴し、インド人の父娘は道徳の現実を象徴しているのだとか。
A Happy New Year...
Roman Polanski "Bitter Moon" Trailer (1992) - YouTube

Bitter Moon Soundtrack
「Bitter Moon」はロマン・ポランスキーの映画として有名であるだけでなく、ヴァンゲリスが手掛けたサウンドトラックも人気があります。 「赤い航路」の音楽を手掛けたのは1994年にリリースしたアルバム「Blade Runner(ブレードランナー)」で知られるギリシャのシンセサイザー奏者のVangelis(ヴァンゲリス)です。 著作権の関係かサントラには収録されませんでしたが、Charles Trenet(シャルル・トレネ)作曲の"La Mer"やPeggy Lee(ペギー・リー)の"Fever"なども映画の初めの方で使用されました。 その後のクラブのダンスシーンでオスカーの妻のミミが夫を挑発するかのようにセクシーに踊ったシーンではブリティッシュ・ロッカーのJoe Brown(ジョー・ブラウン)の娘というSam Brown(サム・ブラウン)が1988年にリリースした代表曲の"Stop"が効果的に使用されています。
ヴァンゲリスが作曲した Main Titles、Bitter Moon、End Titles(Theme from, Ending title)などの他に和風なアレンジの"Japanese Restaurant"などを収録して1992年にリリースされた「Bitter Moon」のサウンドトラックは「Suite from the Motion Picture "Bitter Moon"」としてiTunesでも見つかります。 "Bitter Moon"は1995年にリリースされたヴァンゲリスのアルバム「1492 Conquest of Paradise: Music of Vangelis」(ASIN: B000005SQD)に、そして"Theme From Bitter Moon"は2000年にリリースされたヴァンゲリスのアルバム「REPRISE 1990-1999」に収録されているそうです。
♪ アルバム「REPRISE 1990-1999」からヴァンゲリス作曲の"Suite from the Motion Picture "Bitter Moon""が試聴できるVangelis ft. Dominik Hauser - Bitter Moon - Amazon.com
Vangelis - Bitter Moon - YouTube

「赤い航路」のキャスト
Hugh Grant
ナイジェルを演じた英国俳優のヒュー・グラントは1988年にAbraham "Bram" Stoker(ブラム・ストーカー)原作のファンタジックホラーの「The Lair of the White Worm(白蛇伝説)」の後に「赤い航路」に出演していますが、もっとも知られている映画はJulia Roberts(ジュリア・ロバーツ)と共演した1999年の「Notting Hill(ノッティングヒルの恋人)」でしょう。  1988年には日本未公開でしたが後にホラー映画に出演したセクシーなLysette Anthony(リゼット・アンソニー)が初々しいお姫様を演じたロマンチックな歴史もの映画「The Lady and the Highwayman(ヒュー・グラントの浪漫騎士)」に出演しています。 最たるはレニー・ゼルウィガーと共演した2001年の「Bridget Jones's Diary(ブリジット・ジョーンズの日記)」で女性のハートを掴み一大センセーションとなりました。 続いて2002年の「About a Boy(アバウト・ア・ボーイ)」や2003年の「Love Actually(ラブ・アクチュアリー)」と立て続けに出演し、最近では日本未公開でしたが2006年の「American Dreamz(アメリカン・ドリームズ)」や2007年の「Music and Lyrics(ラブソングができるまで)」などがあります。

Peter Coyote
「赤い航路」で高級ファッション・ブランドの"Cerruti 1881(セルッティ)"を着こなしていたピーター・コヨーテは初期は舞台公演が主でテレビドラマ出演や日本未公開作品への出演が多かったのですが、1982年のSF映画「E.T.: The Extra-Terrestrial (イーティー)」で鍵の束をジャラつかせているKeys(キーズ)役で知られるようになり、1985年の法廷劇「Jagged Edge(白と黒のナイフ)」でも政府側の地方検事のトーマスを演じています。 「赤い航路」の後は1998年のSphere(スフィア)や1999年のRandom Hearts(ランダム・ハーツ)などに出演しましたが、2009年には国境を越えた合作映画というThe Harimaya Bridge(はりまや橋)でAlbert Tunney(アルバート)役を演じています。 ピーター・コヨーテは舞台や映画の俳優だけでなく戯曲や監督も手掛けて活躍する傍ら著作活動もあるそうですが、ヒッピー全盛の1960年代にボランティアの無料劇団"The Diggers(ディガーズ)"で活躍したアナーキスト・グループの一員だったとかで、サイケデリックやサブカルチャーの発祥地であるサンフランシスコのHaight - Ashbury(ヘイト-アシュベリー)辺りで活動していました。 それでヒッピーの必須アイテムである麻薬にちなんでコヨーテという芸名が付けられたそうです。 語学にも堪能なピーター・コヨーテは舞台や映画の俳優だけでなく戯曲や監督も手掛けて活躍する傍ら回想録を含めて著作活動もあるそうです。

Emmanuelle Seigner
主人公のナイジェルがどうしてもお相手願いたいと思ったセクシーな人妻はフランス女優のエマニュエル・セニエ(エマニエル・セニュエ又はエマニュエル・セイナー)です。 1985年に「Detective(ゴダールの探偵)」で映画デビューしたエマニュエル・セニエがシャワー・シーンでヌードをご披露した1988年の「Frantic(フランティック)」ではHarrison Ford(ハリソン・フォード)に近づく謎の女を演じ"Libertango"をセクシーに踊りました。(ロマン・ポランスキーが監督) 翌年の1989年に結婚してポランスキー夫人となり今日に至っています。 ポランスキー監督は1969年に前妻のSharon Tate(シャロン・テイト)を亡くした後はエマニュエル・セニエと子供も儲けて現在に至っています。 エマニュエル・セニエはポランスキー監督の作品では1999年の「The Ninth Gate(ナインスゲート)」にも謎の女として出演しました。

Kristin Scott Thomas
新妻のフィオナを演じたイギリス女優のクリスティン・スコット・トーマスはヒュー・グラントが主演した1994年の「Four Weddings and a Funeral(フォー・ウェディング)でも主人公の女友達のフィオナを演じた他、1996年にThe English Patient(イングリッシュ・ペイシェント)で好演しています。 2008年には「The Other Boleyn Girl(ブーリン家の姉妹)」に出演し美人姉妹の母親であるエリザベス・ブーリンを演じました。

☆Adrien Brody(エイドリアン・ブロディ)がアカデミーの主演男優賞を受賞した2002年の「The Pianist(戦場のピアニスト)」では監督賞やパルム・ドールなどを受賞したポーランド系のフランス映画監督であるロマン・ポランスキーについてはロマン・ポランスキー Roman Polanski - Hot'n Cool
Audio-Visual Trivia 内のロマン・ポランスキー監督の映画はチャイナタウン Chinatown

Bitter Moon DVD
赤い航路 [DVD]
bitter_jp.jpg2004年にリリースされた日本語字幕版の「赤い航路」のDVDですが入手は困難になりつつあります。 1992年にリリースされたヴァンゲリスのサウンドトラックのカバー画像はこのDVD画像と同じダンスシーンが使用されてました。 このシーンは愛の巣を築いた初期に、将来はニューヨークに行きたいとダンス学校に通うミミがオスカーに踊りを披露したところです。 床に蝋燭を並べた異様な雰囲気のなかで薄物のドレスを着たミミが飛び切りセクシーに踊ります。 使用された曲はページトップで聴けるヴァンゲリス作曲の"Erotic Dance"です。

Bitter Moon DVD [Region 2]
bitter_dvd.jpgページトップの画像は2003年にリリースされたアメリカのAmazon.comにある英語版のBitter Moon DVD (Region 1)ですが左の画像はRegion 2です。

Bitter Moon VHS
Bitter Moon [VHS] [Import]
bitter.jpg日本で入手できる1997年リリースの原語版VHSビデオです。
情欲の虜となったオスカーとミミがありきたりの愛の行為には飽き足らなくなってサドマゾの世界に足を踏み入れたところです。


Lee Wiley (1908 -1975)
オクラホマ出身のリー・ワイリーはスウィング時代の1930年代からに活躍していた初期の白人女性ジャズシンガーの一人です。 エレガントで時には官能的で燃ゆる炎を内に秘めたようなリー・ワイリーの洗練された歌声は今聴いても色褪せることなく心地よく響き、聴く人々の胸を打ちます。 押さえた歌唱法と巧みなアドリブで当時のジャズ・ミュージシャンたちに愛されたジャズ歌手でした。 リー・ワイリーがまだティーンエイジャーの時から参加したLeo Reisman(レオ・ライスマン)の楽団で"Take It From Me"と"Time On My Hands"と自作の"Got The South In My Soul"の3曲を録音した他にも、Paul Whiteman(ポール・ホワイトマン)楽団やCasa Loma Orchestra(カサ・ロマ・オーケストラ)とも共演したそうです。 作曲家のVictor Young(ヴィクター・ヤング)とのコラボでは"Got The South In My Soul"や1950年代のヒットだった"Anytime, Anyday, Anywhere"があります。

Lee Wiley with Eddie Condon and Bobby Hackett
リー・ワイリーは初期のレコーディングでバンジョー演奏で有名なシカゴ・スタイルのホットジャズのバンドリーダーだったEddie Condon(エディ・コンドン)と共演しました。 この時期、エディ・コンドンは白人ピアニストのJoe Bushkin(ジョー・ブーシュキン)も参加していたBunny Berigan Boys(バニー・ベリガンの楽団)でギターを担当していたこともありましたが、1940年代中頃から1960年代には酒と女好きで情熱的なコルネット奏者の'Wild' Bill Davison(ワイルド ・ ビル ・デヴィソン)とも録音していました。
1930年代からエディ・コンドンとも共演していたトランペットやコルネットとギターを演奏したBobby Hackett(ボビー・ハケット)とリー・ワイリーは1950年に評判をとった10インチ(30cm)LPレコードの「Night in Manhattan」をレコーディングしていますが、1954年に開かれた最初のNewport Jazz Festival(ニューポート・ジャズ・フィスティバル)ではリー・ワイリーがボビー・ハケット・セクステットとエディ・コンドン楽団をバックで出演したそうです。
Lee Wiley with Eddie Condon's Orch. - The Man I Love (1944) - YouTube
Lee Wiley with Bobby Hackett - Suger - YouTube

Lee Wiley sings Manhattan
リー・ワイリーの曲ではメローな"The Man I Love"も良いですが、私が一番好きなのはやはり"Manhattan(マンハッタン)"です。 Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)のテナー・サックスを聴くと妖しいハーレムの夜を想像しますが、このリー・ワイリーが歌う"マンハッタン"も同様でマンハッタンの未だ見ぬ情景を想像してゴージャスな気分に浸っています。 "Manhattan"という曲は1920年以来コンビを組んでいるマンハッタン出身のLorenz Hart & Richard Rodgers(ロレンツ・ハートとリチャード・ロジャーズ)の初ヒット曲でした。 リー・ワイリーのステージは1972年のCarnegie Hall(カーネギー・ホール)が最後で、その3年後に67歳で亡くなりました。
Lee Wiley - Manhattan (1951) - MetaCafe
Lee Wiley - Manhattan (1951) - YouTube
Lee Wiley - Manhattan (LIVE 1951 and 1952) - YouTube

Songbooks by Lee Wiley
作曲や作詞も手掛けたというリー・ワイリーでしたが、画期的なアイデアといえるのは当時のアルバムでは珍しかったソングブック形式を取ったことです。 それぞれのアルバムが一人の作曲家の作品集になっていましたが、リー・ワイリーはポップス曲を収録するのは良しとしなかったそうです。 例として1939年に78回転レコードで8曲のGershwin(ジョージ・ガーシュウィン)ナンバーを録音し、1940年にはCole Porter(コール・ポーター)、Richard Rodgers & Lorenz Hart(ロジャース&ハート)のナンバーは1940年と1954年、1943年にはHarold Arlen(ハロルド・アーレン)、Vincent Youmans(ヴィンセント・ユーマンス)とIrving Berlin(アーヴィング・バーリン)は1951年にアルバム制作しています。 レコーディングの演奏メンバーにはBunny Berigan(バニー・ベリガン)、Bud Freeman(バド・フリーマン)、Fats Waller(ファッツ・ウォーラー)、Billy Butterfield(ビリー・バターフィールド)、Bobby Hackett(ボビー・ハケット)、Eddie Condon(エディ・コンドン)などいました。 なかでもスウィング時代に有名だったピアニストでバンドリーダーのJess Stacy(ジェス・ステイシー)とは数年間でしたが40年代の中頃に結婚したそうです。 永遠ともみえたカリスマ性を持ち備えていたリー・ワイリーでしたが、時代の波には逆らえず、1950年代後期のロックンロールの台頭に伴いスウィングジャズと共にリー・ワイリーも消えていきましたが、1957年のアルバム「A Touch of the Blues」を最後になったそうです。

Songbooks & Quiet Sensuality: 1933-1951
ページトップの画像はリー・ワイリーの懐かしい"Manhattan"をはじめ"More Than You Know"など過去の甘いラヴソング21曲を集めてリマスターした初のアルバムですが日本ではもう販売していません。 試聴はSongbooks & Quiet Sensuality: 1933-1951 - Amazon.com

Night in Manhattan
ナイト・イン・マンハッタン
Night in Manhattanオリジナル盤が1950年録音というリー・ワイリーの名を不動にしたten-inch albumの国内盤で演奏はBobby Hackett and Joe Bushkin(ボビー・ハケットとジョー・ブーシュキン)の演奏です。 リンク先ではManhattan(マンハッタン)をはじめStreet of Dreams(ストリート・オブ・ドリームス)やSugar(シュガー)など全12曲が試聴できます。

West of the Moon
ウエスト・オブ・ザ・ムーン
wiley3.jpgオリジナル録音が1956年のアルバムにはLimehouse Blues(ライムハウス・ブルース)やAs Time Goes By(時のたつまま)など全12曲が収録されています。 リンク先で試聴できます。 輸入盤では上記の14曲の他にStars Fell on AlabamaとDo You Know What It Means to Miss New Orleans?が追加されています。
Lee Wiley - Do You Know What It Means To Miss New Orleans? - YouTube

Night in Manhattan/Sings Vincent Youmans/Sings Irving Berlin by Lee Wiley
Night in Manhattan/Sings Vincent Youmans/Sings Irving Berlin (Audio CD - 2001)
wiley4.jpg
Columbia時代の10インチLP盤3枚を合わせてCD化したリマスター盤で、ManhattanからMore Than You KnowやStan Freeman(スタン・フリーマン)とのデュオのHow Deep Is the Ocean? など全24曲を収録しています。 3枚のLPとは1951年の「Night in Manhattan」と1952年の「Sings Vincent Youmans」、そして1952年の「Sings Irving Berlin」で、演奏メンバーはコルネットのBobby Hackett(ボビー・ハケット)、Joe Bushkin & His Swing Strings(ジョー・ブーシュキンとスウィング・ストリングス)、ピアノにCy Walter(サイ・ウォルター)などで、Rosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)の大ヒット曲"Come on-a My House"の録音でチェンバロ(harpsichord)を演奏したスタジオミュージシャンのStan Freeman(スタン・フリーマン)も参加しています。 リー・ワイリーのソングブックのタイトルとなっている二人の作曲家のうち、Irving Berlin(アーヴィング・バーリン)は1911年に作曲した"Alexander's Ragtime Band(アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド)"や1942年にBing Crosby(ビング・クロスビー)が主演した映画"White Christmas(ホワイト・クリスマス)"などで有名ですが、Vincent Youmans(ヴィンセント・ユーマンス)も1920年のミュージカルで歌われた"Tea for Two"の作曲者として知られています。"Tea for Two(二人でお茶を)"は1950年の同名映画で使用され、1958年にはTommy Dorsey(トミー・ドシー)のチャチャチャ・バージョンがチャートでトップテン入りしました。) 私が知っているなかでも"Carioca"、"Sometimes I'm Happy (Sometimes I'm Blue)"、"More Than You Know"など素晴らしい曲があります。
試聴はNight in Manhattan - Amazon.com

Listen to The Chronicle of the Great Jazz Singer: Lee Wiley
Lee Wiley - Body and Soul (1945) - YouTube
Lee Wiley - Baby Won't You Please Come Home (1951)- YouTube
Lee Wiley - My Melancholy Baby (1957) - YouTube

レトロなリー・ワイリーを聴こう!
リー・ワイリーが1931年にLeo Reisman & His Orchと録音した"Take It From Me "や1933年にVictor Young Orchと録音した"I Gotta Right To Sing The Blues、1934年にデッカで録音した"I'll Follow My Secret Heart"が聴けるLee Wiley - A JazzAnthology(検索窓にLee Wileyと入力してSubmitボタンをクリック)
アルバムの「Legendary Lee Wiley: Collector's Item 1931-55」や「What Is Love?」に収録されているリー・ワイリーの"Careless Love"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはDoug Schulkind's Give the Drummer Some July 6, 2001(Hear this showをクリック、ファイルを開く、クリップポジションを34:26に移動)



Tequila!
テキーラといえば酒! メキシコだからってサボテンから造るのではなく、テキーラ村からテキーラの製造が始まったそうで、トゲのないアロエに似ているが葉を切り落とすとパイナップル(Piña)のような竜舌蘭(tequila agave)から造られるメスカル(Mezcal)の一種だそうです。 アルコール度の高い蒸留酒なので喉が焼けるのを防ぐために塩を舐めてライムジュース(レモン)を口へ絞って飲むそうですが、テキーラを一気にクィッと飲んだ(飲まされた)後に頭を押さえて暴力的にシェイクされている観光客の映像をテレビで見たことがあります。 下記のビデオとは違ってレストランでグィっと飲ませられた後にどメキシコ衣裳のソンブレロ男性に頭を振られていました。
Tequila, tilt and beat - YouTube
そして「テキーラ!」といえばラテン調ロックンロール・バンドのチャンプスの永遠なるヒット曲です。 そして、そして、なんと2009年には日本の野球界で応援歌として、又日本ハム対楽天の試合でイニング間にて"テキーラ!"が使用され話題を提供するに至ったのです。 テキーラダンスでフレー、フレー、フレー!

The Champs (1958 - 1965)
チャンプスは西海岸で活躍したセッションバンドのメンバーで構成されたインスト・グループで、現在ではオールディズ、フィフティーズ、R&B、ロックンロール、ホワイト・ドゥー・ワップなどのジャンルに属します。 チャンプスはさておき、ロックンロール・ギタリストのDuane Eddy(デュアン・エディ)も別格として、1950年代後期から1960年代にかけては、Santo and Johnny(サント・アンド・ジョニー)や1959年のRed River RockがヒットしたJohnny and the Hurricanes(ジョニー・アンド・ハリケーンズ)のような小編成のロックンロール・バンドが雨後の竹の子のように現れました。
チャンプス結成の発起人となるDave Burgess(デイヴ・バーゲス)はロスアンジェルスでDJも務める傍らポップスやカントリーの曲も書いていたそうですが、1957年には歌うカウボーイのGene Autry(ジーン・オートリー)のChallenge Records(レコード会社)でセッション・ギタリストとしてDave Dupree名義でもレコーディングしたという面長のソロ・シンガーでもあります。 当時ジーン・オートリーのレコード会社と契約したテキサスのロカビリアンやカントリー歌手のなかに後に"Lovers of the World(マンダム~男の世界)"で有名になったJerry Wallace(ジェリー・ウォレス)もいたそうです。 1957年の終わりに、デイヴ・バーゲスが作曲した"Train To Nowhere"のB面をレコーディングするためにバンドを集めたところ、既に他社と契約していたTex-Mex(テックス・メックス)のテナーサックス奏者のChuck Rio(Daniel Flores)のトリオとしてドラマーのGene Alden(ジーン・オールデン)にギタリストのBuddy Blues(バディ・ブルース)、これにベースのCliff Hills(クリフ・ヒルズ)が加わったセッションメンバーだったそうです。

Tequila!
メキシコ系のChuck Rio(チャック・リオ)が即興的に作曲してレコーディングしたその曲とは、間奏にチャック(ダニー・フローレス)の合いの手が入るメキシコの酒をテーマにした"Tequila(テキーラ)"でした。 私には"テキーラ"のイントロと同時期にDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)が演奏したキューバン・バップの"Manteca"のイントロがダブリます。 キーボードも弾けばボーカルも担当し、少々下品なダーティ・サックスを吹くDanny Flores(ダニー・フローレス/チャック・リオ)はラテンロックのゴッドファーザーの異名を取りましたが、Tequilaを発表した時は他社のレコード会社と契約していたので別名のChuck Rioを名乗ったのだそうです。 そしてバンド名はチャンピオンを意味する"The Champs"と名付けられツアーメンバーにはチャック、バーゲス、オールデンとセッションメンバーにとって代わってギターにDale Norris(デイル・ノリス)とベースにはJoe Burnassが参加したそうです。 チャンプスの最初のヒット曲となった"Tequila"はチャート入りして19週連続トップをキープし、1958年の最優秀R&Bレコード部門でGrammyを受賞してしまいました。 しかし、殆ど練習なしのぶっつけ本番で実演(ツアー)をしていた当時のチャンプスはベテランのサックス奏者であるチャック・リオからみると余りにプロ要素を欠いているとしてして同年にバンドを去ってしまいました。 代わりにテキサス出身のJim Seals(ジム・シールズ)とDash Crofts(Darrell Crofts /ダレル・クロフツ)のデュオが参加しました。 短期間でチャンプスを去ったチャック・リオはアメリカ国内での著作権は放棄しましたが国外の著作権は一生保持することができたそうです。 しかしテナーサックス以外にもその後に次々とメンバー交代があったことがチャンプスのウィークポイントとなりました。 テキーラの後に続いて"El Rancho Rock"や"Chariot Rock"もヒットしましたが、1960初期にテキーラ!第二弾として"Too Much Tequila"をリリース、その数年後に"Limbo Rock"がヒットしたものの1965年にはバンドは解散しています。 しかし、チャンプスのテキーラは永遠です。
※面長のデイヴ・バーゲスがプロデュースに加わった別レーベルのコンピレーションアルバム「The Lost '60s Recordings」でボーカルとギターで参加した時には"Dave Burgess And The Chimes"名義だったそうです。(リードボーカルにRick Nelson(リッキー・ネルソン)やセッション・ギタリストのGlen Campbell(グレン・キャンベル)

The Champs Tequila (1958 78 rpm) - YouTube
The Champs plays Tequila! - YouTube
The Champs - Midnighter (1958) 45rpm- YouTube
The Champs - El Rancho Rock - 1958 45rpm
The Champs - Too Much Tequila - YouTube
The Champs - Limbo Rock - YouTube

Tequila by other musicians
テキーラはチャンプスの専売特許と思いきや、同世代のロックバンドのThe Ventures(ヴェンチャーズ)やデュアン・エディ、Bill Blacks Combo(ビルブラックスコンボ)をはじめ、マンボの王様のPerez Prado(ペレス・プラード)がアルバムの「Simply Latin」や「Greatest Hits」に収録、同じくキューバ出身でラテン音楽をアメリカに広めたのXavier Cugat(ザヴィア・クガート)も数枚のアルバムに収録した他、私の好きなジャズギタリストのWes Montgomery(ウェス・モンゴメリー)が1966年にアルバム「Tequila」や「Talkin' Verve: Roots Of Acid Jazz」をリリースしたり、フュージョン系アルトサックス奏者のDavid Sanborn(デイヴィッド・サンボーン)が2003年のアルバム「Time Again」に収録、Henry Mancini(ヘンリー・マンシーニ)はアルバムの「COMBO!」に収録するなどたくさんのミュージシャンがカバーしているのです。
Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)のバッキングでも有名なロカビリーバンドのアップライトベース奏者であるBill Blacks(ビル・ブラック)のバンドがAce Cannon(エイス・キャノン)のテナーをフィーチャーして1960年に"Hi"レーベルでTequilaを吹き込みました。(掛け声なしのTequilaとB面のRaunchyの試聴
Tequila / College man by Max and The Maxies DP 1076
Tequila by Max Greger私が持っているマイナーなレコードとしてはドイツのPolydorレコードからリリースされたMax Greger(マックス・グレーガー)がリーダーのMax and The Maxiesという楽団の演奏で「Tequila / College man」というEP盤があります。

Tequila in the films
チャンプスのテキーラは映画のサウンドトラックでもよく使用されています。 テキーラがヒットした1958年にPascale Petit(パスカル・プティ)が主演したフランス映画のLes tricheurs(危険な曲がり角)でRay Conniff(レイ・コニフ)と共演した"Just Boppin"とともにチャック・リオとチャンプスの"Tequila"が使用されたそうです。 この他に「ライジング・サン」のPhilip Kaufman(フィリップ・カウフマン)監督がイタリア系非行少年を描いた1979年の「The Wanderers(ワンダラーズ)」や、Francis Ford Coppola(フランシス・フォード・コッポラ)が監督した1986年の「Peggy Sue Got Married(ペギー・スーの結婚)」などがあり、Alan Silvestri(アラン・シルヴェストリ)が音楽を担当した映画では1987年のOverboard(潮風のいたずら)と2006年のNight at the Museum(ナイト ミュージアム)で使用されたそうです。 テキーラが使用された映画のなかでも愉快な作品は日本未公開でしたが1985年にコメディアンのPaul Reubens(ポール・ルーベンス)がPee-wee Herman(ピーウィー・ハーマン)として主演した「Pee-wee's Big Adventure(ピーウィーの大冒険)」です。
テキーラのA面だった"Train To Nowhere"は1988年の映画「Hairspray」でRicki Lake(リッキー・レイク)が演じたヒロインのトレイシーのお勧めです。

The Albums by The Champs
オリジナル曲が少ないチャンプスは1950年代と1960年代にヒットしたオールディズ、R&B、ロックンロール、ホワイト・ドゥー・ワップやラテンのナンバーを数多くカバーしています。
30 Great a & B Sides
ページトップの画像は1996年にリリースされたCDで、1958年から1961年までのチャンプスのEPシングル盤のA面とB面を集めた「30 Great a & B Sides」です。 "Tequila"や"Too Much Tequila"の他に、Night Train、ボーカル曲のAlley Cat、 ハーモニカがブルージーなRed Eye、バラードのSubwayやラグタイムのMoonlight Bay、レアなBeatnikまで主にメキシコをテーマにしたロックやロカビリーの30曲を収録しています。
"Night Train"のオリジナルは1952年のJimmy Forrest(ジミー・フォレスト)のテナーサックス演奏ですが、同じくテナー・サックス奏者のKing Curtis(キング・カーティス)の演奏や1960年代初期にJames Brown(ジェームス・ブラウン)の過激なダンス・パフォーマンスでも人気だった曲です。
Moonlight Bayはラグタイム音楽の作曲家であるPercy Wenrich(パーシー・ウェンリッチ)が1912年に書いてEdward Madden(エドワード・マッデン)が歌詞を付けたヒット曲ですがThe Beatles(ビートルズ)も歌いました。
"Alley Cat"は1940年代にJay McShann's bandのブルース・シンガーだったWalter Brown(ウォルター・ブラウン)が1958年に歌ったロカビリー曲です。(1962年にグラミーを受賞したデンマークのピアニストのBent Fabricus-Bjerreが作曲して(Frank Bjorn名義)Jack Harlanが歌詞を書いたロックンロールのピアノ曲とは別。)
当時はヒップだったビート族をテーマにしたジャージーな"Beatnik"は1960年代にビルボードにチャートインしたこともあるLarry Verne(ラリー・ヴァーン)がビート風に歌い(語り)ました。
♪ 「30 Great a & B Sides」の試聴はChamps - Early Singles - Fnac

Tequila: The Very Best of the Champs
Very Best of the Champs1998年にリリースされたチャンプスの人気のアルバムには定番のTequilaやToo Much Tequila の他にTelstar、Rebel Rouser、Percolator、The TwistやLimbo Rock、マリファナ(大麻)が切れて動けなくなったゴキブリを歌ったラテンの名曲のLa Cucaracha(ラ・クカラーチャ)、トルコの首都名がコンスタンチノープルからイスタンブールに変わったことを歌ったIstanbul (Not Constantinople)、1961年に白人ドゥー・ワップ・グループのThe Dovells(ダヴェルズ)が新しいリズムで踊る若者を歌ったBristol Stomp、映画主題歌のバイヨン曲のAnna(アンナ)や1961年にThe Mar-Keysでヒットしたインスト曲のLast Nightの他、Ray Anthony(レイ・アンソニー)でA面B面ヒットしたミキサー・ダンス曲のBunny HopとHokey Pokeyなど全24曲を収録しています。
"Telstar"はレコード・プロデューサーのJoe Meek(ミーク)が作ったエコーを聞かせたスペースサウンドの曲で60年代に人気があったがメンバーが抜けて数年で解散したイギリスのインストゥメンタル・ロックバンドのThe The Tornados(トルネイドーズ)が1962年にヒットさせました。
Rebel RouserはTwangy Guitar(トワンギーギター)の名手と呼ばれたDuane Eddy(デュアン・エディ)の1958年に放った大ヒット曲です。
PercolatorはBilly Joe(ビリージョー)のテレビ番組のスポンサーであるMaxwell Houseコーヒーのコマーシャルとして有名になった曲です。 イントロの木琴のサウンドがユニークなツイスト曲の"Percolator"はBilly Joe and the Checkmatesの演奏で1962年にヒットしました。 木琴のパートをギターで表現したThe Ventures(ヴェンチャーズ)のバージョンでも知られています。
The Twistのオリジナルは1959年にR&B歌手のHank Ballard and The Midnightersがリリースし、1960年にツイスト王のChubby Checker(チャビー・チェッカー)がカバーして大ヒットになりました。
"Limbo Rock"も1962年にチャビー・チェッカーがカバーしてチャビーにとっては最後のチャートのトップテン入りを果たしました。 Limbo(リンボ)はカリビーン(トリニダードやジャマイカ)のカリプソ風なリズムで徐々に下げていく低い横木を膝をすって背中を床に付けないように踊りながらくぐり抜けるダンスです。
"Istanbul (Not Constantinople)"はアメリカのNat Simon(ナット・サイモン)が作曲して1950年代に流行った曲で"Sleepwalk"で有名なSanto & Johnny(サント・アンド・ジョニー)の1962年の演奏やカナダの白人カルテットのThe Four Lads(フォア・ラッズ)が1953年のゴールデンディスクを獲得したエキゾチックな曲です。
"La Cucaracha"はゴキブリを歌ったメキシコの民謡ですが作者不詳のラテンの名曲で、ラテンのペレス・プラードをはじめ、ジャズのLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)やCharlie Parker(チャーリー・パーカー)が何枚ものラテンジャズ・アルバムに収録している他、1964年にボーカル・カルテットのMills Brothers(ミルス・ブラザース)や1955年に歌ったカントリーのHank Snow(ハンク・スノー)もアルバム「Singing Ranger Vol. 2」に収録しています。
"Bristol Stomp"は1961年にKal Mann(カル・マン)とDave Appell(デビッド・アペル)がハイスクールのボーカルグループであるThe Brooktones(後のThe Dovells)のために書いたダンス・ステップを歌った曲で1961年の初ヒットとなりました。
"Anna"は1951年の映画「Anna(アンナ)」で主演のSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)が吹き替えで歌い踊ったバイヨンのテーマ歌で"El Negro Zumbon"とも呼ばれ、日本でも1953年にヒットパレードに登場しました。
"Last Night"はスタックス・レコードのハウス・バンド(ホーン・セクション)だったMar-Keys(マーキーズ)が1961年に演奏したR&B(メンフィス・ソウル)曲です。
"Bunny Hop"と"The Hokey Pokey"は1950年代にRay Anthony(レイ・アンソニー)がリリースしたAB両面ダンス・インストラクト用のシングルに収録した曲ですが、レイ・アンソニー楽団のラテン・ダンス用コンピレーション・アルバムにはDream Dancing in the Latin Moodがあります。
「Tequila: The Very Best of the Champs」の国内盤は「ベリー・ベスト・オブ・ザ・チャンプス
♪「The Very Best of the Champs」の試聴はThe Very Best of the Champs - Amazon.com
※1994年にリリースされてチャンプスの定番曲の他"Go Champs Go "など全10曲を収録した輸入ベスト盤の「Tequila: The Champs Greatest Hits」もあります。
輸入盤の試聴はTequila: The Champs Greatest Hits - Amazon.com

The Champs - La Cucaracha (45rpm) - YouTube
The Champs - Bristol Stomp - YouTube

上記以外にもオリジナル盤のリリースが1987年というアルバムの「Tequila」や1994年のCDカバーがバイカー画像の「Tequila: The Champs Greatest Hits」や「Tequila: The Very Best of the Champs」など何枚もリリースされていますがチャンプスがレコーディングしたのは1958年から1965年の約7年ほどでした。