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      <title>Audio-Visual Trivia</title>
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      <description>聴く！観る！　ホットでクールな映画と音楽のトリビア　　☆アトラクションがいっぱいのブログ版テーマパーク☆</description>
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         <title><![CDATA[夢のチョコレート工場　Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory (1971)]]></title>
         <description><![CDATA[Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory (Widescreen Special Edition)♪Oompa Loompa - IMEEM.com

Gene Wilder's Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory　1971年1964年に書かれたRoald Dahl（ロアルド・ダール）の"Charlie and the Chocolate Factory（チョコレート工場の秘密）"を多少原作者が脚色してテレビ界のMel Stuart（メル・スチュアート）監督が映画化した作品で、クリスマスの定番映画の一つになっている映画です。　ビデオは販売されていますが、残念ながら日本では未公開でした。　主演はGene Wilder（ジーン・ワイルダー）となっていますがチョコレート工場の経営者であるWilly Wonka（ウィリー・ウォンカ又はウィリー・ワンカ）は後半にならないと登場しません。　他の出演者は1947年のMiracle on 34th Street（三十四丁目の奇蹟）で映画デビューしたJack Albertson（ジャック・アルバートソン）が少年の祖父である"ジョー爺"を演じた以外はRoy Kinnear（ロイ・キニア）くらいしか知られた俳優はいません。　なぜか「夢のチョコレート工場」の撮影はドイツのミュンヘンで行われたそうですが、CGは使用されていないのに色彩も美しく素晴らしい映像です。　チョコレートやキャンデー好きの方々にはまさしく垂涎の映画です。

Let's Go to The the Chocolate Factory!チョコレートをかき回す美味しいオープニング。　カカオ豆が麻袋から流れ、カカオパウダーとなり、とろとろのチョコレートとなってやっとチョコレート菓子の誕生。　チョコレートのリボンが次々と折りたたまれ、キッス・チョコもプッチュン、プッチュンと大量に生産される映像にウンモゥー、たまらん！　お口のなかがキューンとしてくるチョコレート製造の描写でこの後への期待がいっぱいです。　オープニングだけでも何度でも観たい！　Wonka's Bar（ウォンカ・チョコバー）を食べたい！さて、本編は鐘が鳴ると学校から子供たちがかけ出してきます。　あっちからも、こっちからも。　飛び込んだ場所はというと"Wonka's Candy Shop(ウォンカのキャンデー屋)"です。
さっそく店主のビルが"The Candy Man Can（キャンデーマン）"を歌います。　色取り取りの美味しそうなキャンデーを振りまきながら。　ソーダ・フォンテンや特大のロリポップ、キャンデー、あめ、飴、思わず「こっちにもちょっとまいてぇ、お願い！」と言いたくなります。　後にこの"The Candy Man Can"という曲はキャンデー屋のビルを演じたかったSammy Davis Jr.（サミー・デイヴィス・ジュニア）が1972年に"Candy Man"としてカバーして大ヒットし、その後はサミーの定番曲とまでなりました。Aubrey Woods - The Candy Man Can - YouTubeこの後、ビルがカウンターの撥ね戸を開けると子供たちは一斉に中に入っていきます。　キャデーの取り放題！キャンデーの食い放題！　その時、店の窓の外に男の子が一人中を覗いています。　この少年が主人公でPeter Ostrum（ピーター・オストラム）が演じるCharlie Bucket（チャーリー）です。　チャーリー少年はなぜか店の中に入らずに帰ってしまいます。　なぜかというとチャーリーは放課後に新聞配達をして家計を助けていたのです。　そして今日はお給金を貰う日です。　チャーリーの住む町には世界で一番美味しいチョコレートを作っているウィリー・ウォンカが経営する工場があるのです。　夕方にチャーリーが門が閉ざされたウォンカの工場を覗いていると奇妙な刃物屋が近づいてきて「工場の中には誰も中には入れないよ。」と言うのです。　チャーリーは粗末な家に帰ります。　その家には父方と母方の二組の寝たきり老人（爺と婆）と、未亡人なので洗濯屋をして働いているママが住んでいます。　「キャベツスープだけの夕食なんて。」とチャーリーは買ってきたパンを差し出すと、ママに小銭、そして爺と婆にもお小遣いをあげます。　4人のうちの一人で母方の祖父であるGrandpa Joe（ジョー爺）はチャーリーにチョコレート工場の事業主であるウィリー・ウォンカ氏の話を聞かせます。　スパイにレシピを盗まれたウィリー・ウォンカ氏は工場が閉鎖された後、忽然と消えてしまったが、その3年後に新しいレシピで以前にも増して美味しいキャンデーを作って評判になったとか。　ところがいったい誰がその工場で働いているかは謎だとか。

The Willy Wonka GOLDEN ticket invitation再開したウォンカのチョコレート工場の新製品である"Wonka Bar（ウォンカのチョコレート・バー）"のニュースで町はもう大騒ぎ。　秘密主義のウィリー・ウォンカ氏が販売促進のためでしょうか工場見学のご招待券をウォンカチョコに入れたそうなんです。　何十億ものチョコレートにたった5枚ですが金色の切符が入っているので、この切符を見つけた子供たちには保護者付きという条件でチョコレート工場へご招待するのです。　おまけに一生チョコが無料！なんと早くも最初の当選者が出ました。　ラッキーな子供はモリモリ食べるドイツのふとっちょ君です。　チャーリーだって金の切符探しに参加したいけれど、チョコをいっぱい買うお金がないから絶対無理です。　そんなチャーリーに誕生日がやってきました。　ママから赤くて長いマフラーとジョー爺よりウォンカ・チョコを1枚プレゼントされました。　金色の切符を期待してチョコを開けてみたけれど、残念。そうこうするうちに2番目の当選者が現れました。　次に金色の切符を見つけた幸運な子供は甘やかされたイギリスの金持ち娘です。　ラッキーというよりもどうやらパパの財力の賜物らしく、当たるまではと可愛い娘のために金にあかせてチョコを買い占めたパパだって「手品師じゃなんだから。」とぼやいていました。ゴールデン・チケットを求めてウォンカチョコは世界中で売り切れ続出。 日本でも売り切れ！　1970年代なのになぜか旧漢字で「賣り切れ」と書かれた張り紙の隣に菓子の値段表が見えます。　まんじゅう20円、どらやき25円と書いてありますが、ウォンカチョコはいくらだったのでしょう。　今はなき江戸一のピーセンが見えます。（ご存じ？）出ました！3人目の当たりはいつもガムをクチャクチャ噛んでいるアメリカはモンタナの少女です。　このラッキーガールのニュースをチャーリーは街頭テレビで観て羨ましそうです。　ところで、ここで気が付いたことはいつも切符が当たった子供の傍らに寄り添うようにして小声で囁いている変な眼がね男がいるのです。　いったい誰なのかは最後の最後まで明かされません。ウォンカチョコの金切符を手に入れたいと悶々としているチャーリーを見送るママ。　ここでDiana Sowle（ダイアナ・ソウル）が演じるMrs. Bucket（ママ）が歌うのが"Cheer Up, Charlie"です。Cheer Up, Charlie - YouTubeそしてラッキーナンバー４！四人目の当たりはアリゾナに住むテレビ中毒のマイク君です。　ほら、又あの男が傍らで何かささやいている。　とうとう残された切符はあと1枚になりました。チャーリーの家では、「煙草を買ってね。」と優しいチャーリーが渡した金でジョー爺がウォンカチョコを買ったのだ。　「さあ、開けてごらん。金の切符は後1枚残っているのだから。」　どっちが開けるが二人で押し問答した末にジョー爺が開けた。　ない！　なんと最後の切符はパラグアイの百万長者のアルベルトだって！　ああ、これでもうチャーリーにはチャンスはないことがはっきりした。さて、場面変わって5枚全部の当選者が出て黄金切符熱も失せた翌日のこと、チャーリーは学校の帰り道に下水溝に落ちていたコインをゲット。　すぐにウォンカ・キャンデーショップに入っていった。　あぶく銭で欲しかった特大チョコを買うとむさぼるように食らい付く。　そしてジョー爺のために普通のウォンカ・チョコをお土産に買った。　チャーリーが店の外に出るとなんだか大騒ぎ。　なんと新聞では例の5番目の当たりは偽造だったと書きたてている。　なに？するとチャンスはまだあるってこと。　何だって？これ、このチョコ、ジョー爺のために買ったこのチョコ。。。と、チャーリーは先ほどのレギュラー・チョコを取り出す。　開けてみる。　すると、あったー！WONKA'S GOLDEN TICKET  Greetings to you, the luchy finder of the Golden Ticket. From Mr.Willy Wonka!
チャーリーは走った！走った。　家に向かって走っていると、4人の当選者たちにこそこそ話しをしていた例の変な眼がね男に道を塞がれた。　「おめでとうボクちゃん、よくやったね　。5番目の金色切符を当てたんだね。」　その男はウォンカのライバル会社のArthur Slugworth（アーサー）だと自己紹介する。　札束をチラつかせてウォンカの新製品と交換にお金持ちにしてあげるよと言うのだ。　その新製品とはThe Everlasting Gobstopper (溶けることなくいつまでも舐めていられる飴玉)なんだって。　他の4人の子供たちのようにチャーリーもメディアで取り上げられたのかどうか、そのシーンはありません。　金切符を手にしたチャーリーの家では寝たきりのはずのジョー爺がベッドから起き上がってきて、チャーリーとデュエットするほどのフィーバーぶり。　明日がその日だ、急いで支度しなくっちゃ。 (I've Got a) Golden Ticket by Jack Albertson and Peter Ostrum - YouTube

Surprising Show Up of Willy Wonkaチャーリーが金の招待状を手にしたその翌日のこと、5人の当選者が揃ったウォンカ工場の門の前にはメディアが大集合してまるでお祭りのような騒ぎ、おや、あの変な眼がね男の姿も見えます。　塔の時計が10時を告げると、さあ、伝説的魔術師と呼ばれるウィリー・ウォンカが工場見学に当選した5人の子供たちと保護者をお出迎えするはずです。　扉が開くと、シルクハットにスミレ色のタキシードを着たウォンカ氏が登場！　しかしウォンカ氏は足が悪いのか杖をついてヨロッ、ヨロッ、ヨタッ、ヨタッと緋毛氈（レッドカーペット）の上をよろけながら歩いてやってきます。　大勢の人々が息を呑んで見守っていましたが、なんと到着するやいなやでんぐり返しでご挨拶。　サプライズ！　なーんだ！とほっとした五組の親子に笑顔が戻り、さっそうとステッキを振って歩くウォンカ氏に続いて工場に行進します。　みんなは外套を壁のコートかけにかけようとすると手の形のコートかけがコートを掴んだのです。（ジャン・コクトーの美女と野獣に出てくるような）　キャー！サプライズ！　ウォンカ氏が示した壁の誓約書には「どんな事故が起きようとももいかなる責任は負うものではありません。　それがたとえ命でも。」とある。　見学前に誓約書に署名するように要請されて子供たちは羽ペンでサインします。　ウォンカ氏が工場への扉の鍵を開けます。　まるで金庫のような文字合わせ。　扉が開くとそこはサイケデリックなオプティカルアートの狭い狭い廊下だった。　そこを通り抜けてやっと工場へ。　えっ、なに？天井がどんどん低くなる？それともウォンカ氏がどんどん大きくなる？　まるでビックリ・ハウスみたいな通路の行き止まりにある小さな扉、まるで不思議の国のアリスに出てくる扉みたいにその向こうこにはウォンカしの夢が全部つまっているのです。　　その扉には仕掛けがあってキーボードが現れる音楽鍵なのです。　やっと入れた工場内はなんともいえぬ不思議の国、夢の国、御伽の国、独創的な発明品やあらゆる種類のお菓子、シュガーケインなんて当たり前、色とりどりの大きなきのこやチョコレートが流れ落ちる滝が川になって、それにもっとすごいことにそこにあるもの全てが食べられるのです。　食べられる珈琲カップや大きなロリポップがお花になった花壇、何もかにもが全部お菓子でできているのですからそりゃもう全員唖然とします。　そりゃもう食いつきます。　ここでウォンカ氏が歌いますが、夢がかなう歌なのにウォンカ氏はなんだか悲しそう。Pure Imagination - YouTubeウォンカ氏の歌なんて誰も聴いちゃいません。　食って食って食いまくっているのです。　チョコレートの滝は最近話題のチョコレートファウンテンを思い浮かべます。　感嘆の声を上げる一同の目の前に現れたのは、人間です。　それもちいちゃい人間、ウォンカ工場で働いているアフリカのLoompa-land（ルンパランド）から来たというOompa Loompa（ウンパ・ルンパ）たちだとウォンカ氏が説明します。　あの金持ちの我がまま娘は今すぐ一人欲しい！とパパに駄々をこねます。　さて工場見学も進んできたところでチャーリー以外の4人の子供たちはお行儀が悪くてウォンカ氏との約束を守らなかったから大変なことになります。　まずはドイツから来た太っちょ君がチョコの小川を手ですくって飲み始めました。　びっくりしたウォンカ氏が叫びます。　「チョコレートの川に手を触れるな！」　しかしそれが災いしたか少年は川に落っこちてしまいます。　「なんてこった！私の素敵なチョコに！」と少年よりチョコを案じて喚くウォンカ氏。　少年の母親は「うちの子をなんとかしてよっ！」とウォンカ氏詰め寄るが、ウォンカ氏は「もうどうすることもできない。」と暢気にチョコを食べている。　するとチョコの川から抽出パイプに入ってしまった少年は勢いよくに送られてしまったのです。　プシュー！Fudge Room（ファッジのお部屋）に。　少年の母親はウンパ・ルンパの一人に連れられてファッジ・ルームに行かねばなりません。（私はファッジが大好きですが）　Auf Wiedersehen...
ここでウンパ・ルンパが"Oompa-Loompa-Doompa-De-Do Doompa-De-Do!"と歌います。　ファッジの部屋に行った男の子のことなんて気にせず、突然ウォンカ氏が気取ってフランス語、「よろしければボートでご案内しましょう。」と勧めるので残りの4組の親子が豪華だけどちっちゃなボートに乗り込んで川下りを楽しむことになります。あっ、川じゃなくてチョコ下り。　舵取りと動力はウンパ・ルンパ。　ボートは暗いトンネルに入っていくが降りたくても降りられないサイケデリックな船旅。　真っ暗、超スピード！うー、気持ちが悪くなってきた。　と思ったら一瞬あのアーサー氏がフラッシュ。　チャーリーはびびる。　怪獣も出てくる！　もう、駄目！と思った時ボートは止まった。Gene Wilder - The Wondrous Boat Ride - YouTubeボートを降りて陸に上がると張り紙あり。　倉庫、ホイップクリーム、バニラクリームは分るが"デイリークリーム"って何？（まさか化粧品の）　ウォンカ氏はこんどはドイツ語をしゃべりながら立ち入り禁止の秘密のドアを開ける。　「何ものにも触るべからず、何ものをも食べるべからず、誰にも話すべからず。」　そこはまさにガリバー物語の小人の国のような光景。　自転車操業（意味違い）でクリームを撹拌して見せるウォンカ氏。　そこには一番危険なマシーンがあった。　ウォンカ氏がスイッチを入れるとベルトコンベアに乗って出てきたのが新製品のEverlasting Gobstopper(溶けることなくいつまでも舐めていられる飴玉)でした。　あの得たいの知れないアーサー氏が欲しがっていたキャンデーなのです。　いっくら舐めてもちっちゃくならないアメをウォンカ氏は子供たち全員に一つづつくれました。　そう、へらないいんだからたった一つでたくさんなのです。　さてさて、お次も風変わりな発明品、ボタンを押すとFinito!　出てきたのはディナーが楽しめるセンセーショナルなチューインガム。　ガム好きの女の子がそれを食べて色々なお食事やデザートが楽しめたようす。　しかしその女の子（バイオレットちゃん）の顔がみるみるブルーに変色。　体がどんどん膨らみまるでブルーベリーのようになってしまった。　ウォンカ氏が又もやウンパ・ルンパを呼ぶとまんまるくなってしまった女の子をビア樽のようにコロコロ転がしてジュース・ルーム（？）に連れていかせた。　「これで悪い子ちゃんは二人もいなくなった。　いい子だけが残るのだよ。」とウォンカ氏は言う。　この後チャーリーを含む残った3組の親子たちが連れていかれたのは綺麗な壁紙の部屋でした。　この壁紙は見て美しいだけじゃなく、舐められるんだって。　絵のオレンジを舐めればオレンジの味、パイナップルを舐めればパインの味だからちょっと舐めてみてごらん！とウォンカ氏が勧める。Fizzy-Lifting Drinks次に皆がやってきたのはバブル（泡）の部屋。　炭酸ガスでシャボン玉がプクプクと湧き出ます。　さあ、こっちへとウォンカ氏が部屋から出ていくと、ジョー爺が「誰も見てなから味見。」とビンのドリンクを飲のでしまう。　「ふむ、何にも起こらんじゃないか。」と爺が言ったとたんに珍事が発生。　二人の身体は宙に浮いて、ロケットのようにシューッと上に上がってみたり鳥のように又飛行機のように飛んでみたりと宇宙遊泳を楽しむ二人でしたが、どんどん上に上がって大きな扇風機（ファン）が回っているてっぺんに届きそうになります。　このままじゃ空に飛んでいってしまいそう。　するとゲップ！が出ました。　ん？ゲップすると下に降りられるんだ。　ゲーップ、ゲーップとゲップをしてやっと下に降りました。　急いでウォンカ氏の後を追う二人ですが、おかしなことにウォンカ氏はチャーリーのバブルの件を知っているのか知らないのか、知らん顔で金の卵を産むガチョウの説明しています。　そこで何でも欲しがる我がまま娘が「この金の卵をを欲しい！」と言い出したので娘に甘い金持ちパパがふところから財布を取り出すのですがウォンカ氏は「ノー。」　そこでが少女が"I Want It Now!"歌っていかに今すぐ欲しいかをアピールするのですが、歌いながら乱暴狼藉を働き、最後にはタマゴの品質を計る台に乗っかってしまったのです。　当然不良品とみなされて下にドッスンとダストシュートに落っこちてゴミ箱行き。　BAD　I Want It Noooooooow......　富豪パパもあわてて娘を追って飛び込んだ。　ここで穴を覗いてウンパ・ルンパたちが歌う。　"Oompa-Loompa-Doompa-De-Do"　蝙蝠ですって？猫ですって？じゃ、これって不思議の国のアリスが落ちた穴？Julie Dawn Cole as Veruca Salt sings "I want it now!" - YouTubeこれで残りの子供は二人となった。　チャーリーとテレビ狂君。　さてお次はみんな車に乗って！　ビールだかソーダだか泡のでる飲み物をジャカスカ入れた釜は煙突から煙を吐くかわりに泡クリームが溢れでるので皆は頭から泡だらけ。　だけどカーワーッシャーを通ると綺麗になった。　「車が止まったら工場見学はもうすぐ終わりだよ。」と白い作業衣を着せられて真っ白な部屋に入る。（危険だって）　皆と同じように真っ白な作業衣のウンパ・ルンパたちがウォンカ・チョコを運んでくる。　子供たちがゴーグルをかけるとテレビカメラのような機械からヒカリが発車されて微塵になったチョコが浮遊している。　モニターを見ると、そこには先ほどのチョコ、まさに正真正銘、本物のチョコが空中移動か。　そこでマイク君が聞きました。　「そりゃTVディナーだ！　他のものでも出来る？例えば人間とか。」　そしてカメラの前の台に乗ったのです。　しかしモニターから出てきた少年はなんと小人になってしまいました。　やっとTVスターになったと得意になっている少年をママバッグに入れると戻してくれるようにウォンカ氏に頼んだのです。　どうなっちゃうの？と気絶したママとバッグに入れられたちっちゃくなった少年はウンパ・ルンパに連れ去られました。　お別れとは悲しいものだ。　Adieu, adieu!　ここでウンパ・ルンパたちが歌う。Oompa-Loompa-Doompa-De-Do

とうとう残っているのはチャーリーとジョー爺だけです。　つまり当然チャーリーが勝者となるはずです。　それなのに白い作業衣を脱いだウォンカ氏はお別れを言うと「出口はあっちだよ。」とそっけなく言ってオフィスに入ってしまったのです。　「何だろう？僕たち何か悪いことしたの？」とチャーリーがウォンカ氏が入っていったオフィスの扉を開けると、そこは半分の部屋、時計も洗面台もみんな半分なのです。　ウォンカ氏は半分じゃありませんでした。　机に向かっているウォンカ氏に「生涯無料のチョコのご褒美は？」と催促すると、ウォンカ氏は突然激しく怒り出し、二人が飲んじゃったあのバブルのドリンクのことを指摘して規則を破ったチャーリーに資格喪失者の烙印を押したのです。　すっかり忘れてましたね。　「チャーリーに期待を持たせて夢を破壊するなんて！」とジョー爺はウォンカ氏を詐欺師だとののしり、「この仕返しにあの新製品のGobstopper飴玉をライバルのアーサー氏にくれてやる！　さあ、もうここを出よう！」とチャーリーを促します。　しかしチャーリーはオフィスに戻るとウォンカ氏に貰ったあの新製品の飴玉を返したのです。　本当はこれをあのアーサー氏に渡せば大金持ちになれるのですが。　するとウォンカ氏の目がキラリっと輝き、いきなりチャーリーを抱きしめて言ったのです。　「ごめんね、君は勝者だよ」とチャーリーの罰を取り消すとドアの向こうに声をかけました。　ドアが開いて入ってきたのは！驚いちゃいけません。　驚きます。　なんとウォンカ工場の従業員のWilkinson（ウィルキンソン）つまりライバルだといっていたアーサー氏だったのです。そしてこっちへとウォンカ氏は二人をガラス製の飛行船のようなWonkavator（ウォンカベーター）に乗せると、チャーリーにボタンを押すように言います。　すると乗り物は超スピードで工場の屋根を突き破り空へと飛び出したのです。　チョコレート工場も学校も全部眼下に広がって、そう、空飛ぶ金色の観覧車のようです。 ウォンカベーターはエレベータのような乗り物ですが上下左右どこにでもボタン一つで行けるのです。　そこでウォンカ氏はチャーリーに聞きます。　「チョコレート工場の感想は？」　チャーリーは答えます。　「そりゃもう素晴らしかった。」　するとウォンカ氏は言ったのです。　「君にあげるよ。私の変わりにウンパ・ルンパの面倒もみてね。ずっと正直者の子供を捜していたのだよ。家族全員でおいで。」　チャーリーがもらえるのはチョコだけではなかったのです。そう、ウォンカ氏のチョコレート工場そのものだったのです。　そもそも金切符探しはウォンカ氏が考えたチョコレート工場の後継者としてふさわしい正直者探しでもあったのでした。「don't forget what happened to the man who suddenly got everything he always wanted...he lived happily ever after.」Wonkavator - End Title (Pure Imagination)- IMEEM.com

「夢のチョコレート工場」のオフィシャルサイトはWarner Bros.にはもうありませんが、トレーラーはWilly Wonka &amp; the Chocolate Factory Trailer - YouTube

Oompa Loompaウィリー・ウォンカのチョコレート工場で働く小さなウンパ・ルンパは、工場が閉鎖になって新たなレシピを求めてウォンカ氏がルンパランド（アフリカ）を旅した時出会ったのですが、獣のいるウンパランドで食べ物にも困っていたウンパ・ルンパ族全員にカカオ豆と労働力を交換してウォンカの工場で働いてもらうことになったそうです。　チョコレート工場からイメージしたのか工場で働くウンパ・ルンパは原作の挿絵では「アフリカのピグミー族」のようだったそうですが、黒人を白人の工場で働かせるとは奴隷のようだと非難されないように、オレンジ色の顔に白い眉毛、緑の髪のという有り得ないキャラクターになったそうです。　演じたのは本物の小さい人々で主にドイツで探したらしいです。　おまけに原作のタイトルのチャーリーとは黒人の間では白人の雇い主をあらわすそうなので「Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory」に変更されたとか。　挿入歌の"The Candy Man Can"もcandy manがsomeone who deals in illicit substances.というスラングがあるとか。　「夢のチョコレート工場」は人種差別が撤廃されたばかりの1970年代の作品なので色々と苦労があるようですが、チビクロ・サンボなども人種差別でヤリダマに上げられる昨今ですからルンパランドに住む白人の小人に変更されたんだとか。　そうはいってもこのアフリカのピグミーは古くはゲーテのファウストにもピグメーエとして登場しています。ちなみにリメイクで映画でJohnny Depp（ジョニー・デップ）がウィリー・ウォンカを演じた2005年のTim Burton（ティム・バートン）監督の「Charlie and the Chocolate Factory（チャーリーとチョコレート工場）」ではタイトルも原作通りに"チャーリー"に戻され、このウンパ・ルンパ族165人全員は小さくCG加工してDeep Roy（ディープ・ロイ）が演じたそうですウンパ・ルンパは子供たちが退場させられる時にいつも同じ"Oompa Loompa"の歌を歌いますが歌詞はそれぞれの子供に言及した教訓になっています。Oompa Loompa - YouTubeOompa Loompa with LYrics - YouTubeThe Oompa Loompas（ウンパ・ルンパーズ）が歌うそれぞれの歌詞はOfficial Oompa-Loompa Songbook

Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory DVD夢のチョコレート工場 [DVD]ページトップの画像は2005年にアメリカでリリースされたDVD Region 1ですが、リンクは2008年リリースの日本語字幕版DVDです。　何度も観たくなるほど色彩が美しくお菓子が美味しそうで夢がいっぱいの映画で、こどもはもちろんのこと60年代の文化を知る上で大人も充分に楽しめます。

Willy Wonka &amp; The Chocolate Factory: Music From The Original Soundtrack

Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory Soundtrack1971年にリリースされて以来未だに人気がある「夢のチョコレート工場」のサウンドトラックは、００７シリーズで1964年に「Goldfinger（ゴールドフィンガー）」のテーマ曲や1970年のA Christmas Carol（クリスマス・キャロル）などの音楽を手掛けたLeslie Bricusse（レスリー・ブリッカス）とAnthony Newley (アンソニー・ニューリー)などによる音楽です。　全く映画の通りで、お子様が喜ぶ"The Candy Man Can"や"Oompa Loompa"など14曲を収録しています。試聴はWilly Wonka &amp; the Chocolate Factory Soundtrack - CD Universe

Charlie and the ChocolateFactory BOOKCharlie and the ChocolateFactory映画「チョコレート工場」の原作者であるRoald Dahl（ロアルド・ダール）が1964年に書いた"Charlie and the Chocolate Factory（チョコレート工場の秘密）"は児童文学書として今もって人気があるそうです。　和書としてハードカバーや単行本が発行されています。　画像は2005年に発売されたQuentin Blake（クウェンティン ブレイク）の挿絵付きの英語版ペーパーバックです。チョコレート工場の秘密 (ロアルド・ダールコレクション 2) (単行本)（クウェンティン ブレイクの挿絵付き2005年発売の日本語版）☆あなたもトライしてみませんか？　「夢のチョコレート工場」のトリヴィア・クイズ（英語）Charlie and the ChocolateFactory Trivia Quiz - RoaldDahlFans.com


A Long Time Wanna Be Willy Wonka: Dustin Hoffman plays Mr. Magoriumダスティン・ホフマンが34歳の時「夢のチョコレート工場」のウィリー・ウォンカ役のオーディションを受けていたそうですがジーン・ワイルダーが選ばれました。　やはり大ヒットした1967年のThe Graduate（卒業）や1969年のMidnight Cowboy（真夜中のカーボーイ ）のイメージが強過ぎたのでしょう。　しかし、2005年にティム・バートン監督がリメイクした「チャーリーとチョコレート工場」でもジョニー・デップと競ったのですがやはり採用されませんでした。　2度目は68歳でウィリー・ウォンカのイメージより年寄りになってしまうからでしょうか。　ウィリー・ウォンカになりたかったダスティン・ホフマンは2007年にやっと夢を果たしたようです。　ウィリー・ウォンカではなく243歳のマゴリアムおじさんです。　チョコレート工場のオーナーではなくておもちゃ屋ですが子供が目を輝かせる不思議な魔法の世界で、工場の経営をバトンタッチするところもそっくりです。　サプラーイズ！マゴリアムおじさんについて詳しくはAudio-Visual Trivia 内のMr. Magorium's Wonder Emporium　マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋]]></description>
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         <pubDate>Tue, 30 Jun 2009 00:22:48 +0900</pubDate>
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         <title>カーメン･マクレエ　Carmen McRae</title>
         <description><![CDATA[Sings Great American Songwriters♪I Concentrate on You - IMEEM.com

Carmen McRae (1920 – 1994)黒人の女性ジャズボーカリストといえばBillie Holiday（ビリー・ホリデイ）を筆頭にElla Fitzgerald（エラ・フィッツジェラルド）やSarah Vaughan（サラ・ヴォーン）がいますが洗練された歌唱のカーメン･マクレエを忘れちゃいけません。　ボーカリストの声にはベルベットボイスだとか甘くセクシーな声だとか色々な形容がありますがカーメン･マクレエはハスキーやスモーキーとかソフトで優しい声ともいわれる一方、高音が綺麗なことからかメタリック・ボイス、つまり金属的なシャープな声だと云われています。　初期にはバラードを歌ってはピカイチというカーメン･マクレエの歌は後期には男性ボーカリストの声に聞えるほど野太いこともあり、のりのりの歌というよりはじっくり耳を傾けずにはおれないような歌唱方です。　よって私のようにたいていの素人には受けません。　ジャマイカ人の両親のもとにニューヨーク（ハーレム）で生まれたカーメン･マクレエはビリー・ホリデイのピアノ伴奏をしていたTeddy Wilson（テディ・ウィルソン）に注目されたこともあり初期の歌唱方はビリー・ホリデイに影響を受けたそうです。　一説によればカーメン･マクレエはビリー・ホリデイが髪に白いクチナシの花を飾るきっかけを作ったとも言われていますが、ステージでは交流のあったビリー・ホリデイ（Lady Day）に関連した曲を必ず歌ったといわれ、1983年には「For Lady Day」というアルバムも吹き込んでいます。　煙草好きのカーメン･マクレエは肺気腫にも関わらず禁煙しなかったので1991年には引退を余儀なくさせられましたが、惜しいことにその4年後に呼吸器疾患により74歳で亡くなりました。

1950年代からはボーカリストとして有名なカーメン･マクレエですが、初期にはピアノ演奏で活躍しており、後には弾き語りや作曲も手掛けたそうで50年以上にも及ぶ活動期間に60枚以上のアルバムを録音しています。　ピアニストとしては1944年にThe Benny Carter's big band（ベニー・カーター楽団）やCount Basie（カウント・ベイシー）とも演奏したことがあったそうです。☆Carmen McRae webisiteカーメン･マクレエのサイトでメニューのBIOGRAPHYから See and hear Carmenを選ぶとカーメン･マクレエのビリー・ホリディについてのトーク（音声）が聴けるリンクがあります。　ビデオはYouTubeで”Carmen McRae”で探せと書いてあるのですがいかんせん数が少ないのです。　メニューのCOMPLETE  LIST OF ORIGINAL ALBUMSではカーメン･マクレエのオリジナルレコードのリストですが、アルバム画像がないのでがっかりです。

Carmen McRae sings "Coffee Time" in The Subterraneans私がカーメン･マクレエを知ったのは1960年のビートニク映画のThe Subterraneans（地下街の住人）でした。　「地下街の住人」では映画音楽をAndre Previn（アンドレ・プレヴィン）が音楽を手掛けてGerry Mulligan（ジェリー・マリガン）をはじめ50年代の有名ジャズのミュージシャンが大勢出演していました。　学生時代に予備知識なしで「地下街の住人」を劇場で観た時点ではカーメン･マクレエを全く認識していませんでしたが、映画のなかでアンドレ・プレヴィン・トリオをバックにカーメン･マクレエが”Coffee Time”を歌いました。　カーメン･マクレエの代表曲は何？と言う方にはこの”Coffee Time”をお薦めします。♪「The Subterraneans」のサウンドトラックからカーメン・マックレエのCoffee Timeが聴けるSCORE, BABY! ARCHIVE - S

"Coffee Time" in Yolanda And The Thief
”Coffee Time”は日本未公開でしたがVincente Minnelli（ヴィンセント・ミネリ）が監督してFred Astaire（フレッド・アスティア）が主演した1945年のミュージカル映画"Yolanda And The Thief"（ヨランダと泥棒）でフレッド・アスティアのダンスに合わせてオーケストラとコーラスで演奏されました。　映画音楽の制作（プロデュース）はArthur Freed（アーサー・フリード）でしたが”Coffee Time”の作詞も手掛け、作曲は映画音楽の先駆者といえるイタリア系のHarry Warren（ハリー・ウォーレン）だったそうです。 ”Coffee Time”の歌詞はCoffee Time Lyrics - International Lyrics Playground（要！ポップアップブロック ）

カーメン･マクレエの”Coffee Time”はアルバム「Masters Of Jazz &amp; Swing」や「Bachelor In Paradise: Cocktail Classics From M-G-M Films（' Yolanda And The Thief', 1945）」で試聴できます。

Coffee Time on Coffeetime”Coffee Time”はインターネットラジオのWMBRのジャズ番組でその名も”Coffeetime”のテーマ曲として使用されています。”Coffeetime”について詳しくはHot'n Cool内のCoffeetime with Miss Angelynn Grant♪カーメン･マクレエの”Coffee Time”がテーマ曲のCoffee Time Archives（私は2005年から聴いていますが、2006年からはPodcastをiTunesに登録してあるので更新されると常に新しいプレイリストを聴くことができます。）

Carmen McRae in Filmsカーメン･マクレエが登場した映画には「地下街の住人」以外にも、Joseph Gershenson（ジョセフ・ガーシェンソン）が音楽を手掛けた1955年のThe Square Jungle（四角いジャングル）に歌手として出演したそうです。※ジョセフ・ガーシェンソンは1953年のThe Glenn Miller Story（グレン・ミラー物語）、1955年のThe Benny Goodman Story（ベニイ・グッドマン物語）、1959年にはDoris Day（ドリス・デイ）が出演したPillow Talk（夜をたのしく）やImitation of Life（悲しみは空の彼方に）などたくさんの映画音楽を手掛けた音楽家です。Catherine Spaak（カトリーヌ・スパーク）やBaby Doll（ベビイドール）のKarl Malden（カール・マルデン）が出演してRichard Quine（リチャード・クワイン）が監督した1967年の「Hotel（ホテル）」ではリチャード・クワインと音楽を担当したJohnny Keating（ジョニー・キーティング）が作ったテーマ曲の”This Hotel ”をカーメン･マクレエがピアノの弾き語りで歌いました。　”This Hotel”の歌詞はThis Hotel  Lyrics - Artanis Japan (TARO)

If You Never Fall In Love With Me - YouTubeI'm Going To Lock My Heart &amp; Throw Away The Key- YouTube Trouble Is A Man - YouTubeI Wish I Were In Love Again (1970) - YouTubeCarmen McRae  - As Time Goes By - YouTube

Carmen McRae's AlbumsCarmen McRae Sings Great American Songwriterページトップの画像はカーメン･マクレエがアメリカの有名なソングライターたちの曲を歌った1955年から1959年のデッカ・レコード時代の録音を集めて1993年にリリースされたアルバム「Sings Great American Songwriter」でマクレエ独自のバージョンのBlue Moon、Every Time We Say Goodbye、My Funny Valentine、Nice Work If You Can Get It 、How Long Has This Been Going On?、My Romanceなどバラード全20曲を収録しています。　1957年のデッカで録音したアルバム「After Glo」など1956年から1957年までマクレエのバックをつとめたピアニストとして有名なRay Bryant（レイ・ブライアント）、トランペットにはPete Candoli（ピート・カンドリ）、ベースにRed Mitchell（レッド・ミッチェル）、ドラムにKenny Clarke（ケニー・クラーク）、フルートにHerbie Mann（ハービー・マン）など蒼々たるジャズメンが参加しています。試聴はSings Great American Songwriters - Amazon.com♪「Sings Great American Songwriter」ではなく「Voices of Jazz」に収録されている”When I Fall In Love”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for I'm Sorry I Had To Kill That Guy with Laure - February 18, 2006（右端のApprox. start timeの2番目0:02:47 (Real) をクリック）

Boy Meets Girl: Sammy Davis, Jr. &amp; Carmen Mcrae On DeccaBoy Meets Girl: Sammy Davis, Jr. &amp; Carmen McRae1957年のLPアルバム「Boy Meets Girl」でSammy Davis, Jr.（サミー・デイヴィス・ジュニア）とデュエットしました。　CD化されたアルバムでは1959年のLPアルバム「Porgy And Bess」が一緒になっていて、Tea for Two、Cheek to Cheek、Baby, It's Cold Outside、Two Sleepy People、Summertimeなど全23曲を収録しています。試聴はBoy Meets Girl - Amazon.com

The Flamingo Jazz ClubLive at the Flamingoカーメン･マクレエ初の海外公演であるロンドンのフラミンゴ・クラブでの1961年のライヴ録音です。　アメリカン・ソングブックともいえる”Body And Soul”、”Round About Midnight”、”Foggy Day, A (In London Town)”、”Loverman”などジャズのスタンダードのファンには垂涎の11曲を収録しています。試聴はLive At The Flamingo Jazz Club - Amazon.com
Carmen McRae's Finest HourCarmen McRae's Finest Hourオリジナルは1955年と1959年の録音を集めてヴァーヴレコードの”Finest Hour”シリーズの一巻としてリリースされた2000年のアルバムでカーメン･マクレエのピアノの弾き語りの他にサミー・デイヴィスJRのボーカルも収録していて、演奏者はピアノにBilly Strayhorn（ビリー・ストレイホーン）やRay Bryant（レイ・ブライアント）、アルトサックスにBuddy Collette（バディ・コレット）やPhil Woods（フィル・ウッズ）、テナーサックスにBen Webster（ベン・ウェブスター）やAl Cohn（アル・コーン）、トランペットにCharlie Shavers（チャーリー・シヴァース）やArt Farmer（アート・ファーマー）、ドラムがJimmy Cobb（ジミー・コブ）、ベースが Ike Isaacs（アイク・アイザックス）,など、そしてギターがSarah Vaughan（サラ・ヴォーン）の1955年のアルバム「After Hours」でギターを演奏したMundell Lowe（マンデル・ロウ）などです。　Whatever Lola Wants、Something to Live For、Midnight Sun、Georgia Roseなど19曲を収録しています。試聴はFinest Hour - CD Universe
Carmen McRae &amp; Dave Brubeckカーメン･マクレエは1961年にデイヴ・ブルーベックのアルバム「The Real Ambassadors 」や「Take Five Live」に参加しています。
The Ultimate Carmen McRaeオリジナルは1964年というアルバムには上記のアルバム収録曲とは違った選曲で、Alfie、Limehouse Blues、Sweet Georgia Brownなど16曲を収録していますが現在は入手困難です。（同じタイトルのアルバムで8曲収録という盤もあり。）Alfieカーメン･マクレエのレパートリーとなっている”Alfie”は1966年にLewis Gilbert（ルイス・ギルバート）が監督した華麗なる色事師の物語「Alfie（アルフィー）」でSonny Rollins（ソニー・ロリンズ）が音楽を手掛けました。　主題歌の”Alfie”はDionne Warwick（ディオンヌ・ワーウィック）を想定してBurt Bacharach（バート・バカラック）が書いた曲で作詞がHal David（ハル・デヴィッド）だそうですが何人もの女性ボーカリストが歌っていて、カーメン･マクレエも”Alfie”を吹き込んだそうです。1965年（1966年リリース？）に「Carmen McRae- Alfie」というラテン風味のアルバムも吹き込みましたが現在入手できるCDではAlfieが収録されている「Haven't We Met」ともう1枚のLP「Second To None」を一緒にCD化した「1964 Orchestra Recordings」ともうひとつのCDは「Song Time」です。LP盤「Carmen McRae- Alfie」の”Alfie”が試聴できる中古レコード販売のCarmen McRae- Alfie - Face Recordsカーメン･マクレエのアルバム「The Ultimate Carmen McRae」から”It Shouldn't Happen to a Dream”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for I'm Sorry I Had To Kill That Guy with Laure - November 26, 2005（Listen to this show: RealAudioをクリックしてクリップポジションを1:17:35に移動）同じく「The Ultimate Carmen McRae」から”Life Is Just A Bowl Of Cherries”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Inflatable Squirrel Carcass with Rich Hazelton - January 25, 2003（Listen to this show: RealAudioをクリックしてクリップポジションを2:14:35に移動）
The Sound of Silence/Portrait of Carmenこちらの画像はオリジナルはAtlanticで1967年に録音された「The Sound of Silence」（ぶれたような画像がオリジナルLP）と「Portrait of Carmen」の2枚のLPレコードをCD化してあり、録音当時の映画「The Graduate（卒業）」のテーマ曲としてヒットしていたSimon &amp; Garfunkel（サイモンとガーファンクル）の”The Sounds of Silence”をカーメン･マクレエがカバーしているのをはじめ、エリントン・ナンバーのI Got It Bad and That Ain't GoodやPoor Butterfly、そしてDay by Dayといった23曲を収録したアルバムです。2 in 1 アルバムの「The Sound of Silence/Portrait of Carmen」の試聴はThe Sound of Silence/Portrait of Carmen - CD Universe”The Sound of Silence”を収録していない「Portrait of Carmen」だけだと11曲収録です。（又は16曲）「Portrait of Carmen」の試聴は国内盤のポートレイト・オブ・カーメン(紙ジャケット仕様)♪アルバム「Portrait of Carmen」から”My Very Own Person”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for 12 December 2005 | When listening, just listen（Carmen McRaeのMy Very Own Personの欄の最後のApprox. start timeで2:33:48 (Real)をクリックするとすぐ聴けますが頭がちょっと前の曲とかぶっているので少々お待ちください。）
Carmen McRae sings Billie HolidaySings Lover Man and Other Billie Holiday Classicsオリジナルは1961年のアルバムでボーナストラック2曲を追加して全14曲を収録してあり、Strange Fruitをはじめ、What a Little Moonlight Can DoやGod Bless the Childなどレディ・デイのレパートリーをカバーしています。試聴はCarmen McRae Sings Lover Man And Other Billie Holiday Classics - Amazon.comFor Lady Dayもう1枚のビリー・ホリディのソングブック・アルバムは1983年にリリースされたライヴ録音の「For Lady Day」で、Miss Brown to YouやDon't Explainなど13曲を収録しています。試聴はFor Lady Day - TowerRecords♪For Lady Day - Them There Eyes, I Cried for You &amp;  What a Little Moonlight Can Do - IMEEM.comThe Very Thought of Youビリー・ホリデイも歌った”The Very Thought of You”のカーメン･マクレエのカバーバージョンはあまり見かけませんが、コンピレーション・アルバムの「Jazz Club: Vocal」に収録されています。　※2007年リリースの「VA - Ram Café Lounge &amp; Chillout 2」というアルバムに収録されているらしいのですが日本では見当たりません。Carmen McRae - The Very Thought of You- YouTube
Tributes to Thelonious MonkCarmen Sings MonkMonkery's the Blues (Blue Monk) やMan, That Was a Dream (Monk's Dream) や'Round Midnightなどオリジナルの15曲にボーナストラック3曲を追加した全18曲を収録した1990年のアルバム。試聴はCarmen Sings Monk - Amazon.com


☆カーメン･マクレエのアルバム画像がずらっと見られるARTIST direct.com♪I'm Afraid the Masquerade Is Over - IMEEM.com

♪Carmen Mcrae-Betty Carter Duets: Live At The Great American Music Hall, San Francisco (1987)(What's New?, Stolen Moments (You Belong to Her), But Beautiful, Am I Blue?, Glad To Be Unhappy / Where Or When, Sometimes I'm Happy, Isn't It Romantic?, Sophisticated Lady, It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing), I Hear Music, Love Dance, That Old Devil Moon)♪The Collected Carmen McRae (released in1998)(Dear Ruby (Ruby, My Dear), Still We Dream (Ugly Beauty) , It's Magic, Dedicated to You, Poor Butterfly, Misty, Tenderly, Don't Explain, Lover Man, I'm Pulling Through, My Old Flame, If You Were Mine/It's Like Reaching for the Moon)]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Sat, 20 Jun 2009 09:08:01 +0900</pubDate>
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         <title>ロベール・オッセン　Robert Hossein</title>
         <description><![CDATA[Les Scélérats DVD

Robert Hosseinロベール・オッセンはパリで1927年に生まれ今現在は80歳を越したところですが近年はテレビ・シリーズのドラマに出演しているようです。　ロベール・オッセンは1950年代と1960年代には主に悪役として活躍したフランスのフィルム・ノワール映画には欠くことのできない俳優ですが、脚本家でもあり監督でもありました。　英語のタイトルが”The Wicked Go to Hell”という1955年の「Les salauds vont en enfer（悪者は地獄へ行け）」で監督脚本出演デビューしたロベール・オッセンでしたが、日本で公開されたロベール・オッセンの監督脚本出演の映画には1960年の「Les Scélérats（危険な階段）」や、英語のタイトルは”Cemetery Without Crosses”という1963年の「La Mort d'un tueur（殺人者に墓はない）」などがあります。　ロベール・オッセンは1940年代後期から2009年までの約60年間に100本を越える映画出演があり、1950年代に始まった監督業は1986年までの30余年間に15本あったそうです。
撮影当時には妻だったMarina Vlady（マリナ・ブラディ）が出演した1956年の「Pardonnez nos offenses（不良の掟 ）には監督だけで出演していませんが、父のAndré Hossein（アンドレ・オッセン）が音楽を担当しています。

ロベール・オッセンの出演映画Roger Vadim（ロジャー・ヴァデム）が監督してFrancoise Arnoul（フランソワ・アルヌール）とChristian Marquand（クリスチャン・マルカン）が出演した1956年の「Sait-on jamais...（大運河）」では悪党のSforzi（スフォルツィ）役、1959年の「Des Femmes Disparaissent（殺られる）」では秘密売春組織から女たちを救うPierre（ピエール）役、1957年にJames Hadley Chase（ジェームズ・ハドリー・チェイス）の原作を映画化した「Méfiez-vous, fillettes!（目撃者）」では密告した奴らに復讐する機関車好きのRaven（ラヴァン）役を演じましたがヤクザ者の妻としてAntonella Lualdi（アントネッラ・ルアルディ）が出演しました。　1959年の「Les canailles（悪党ども）」では新聞社の社員を演じ、キャバレーの経営者のビッキー役を演じたNadja Tiller（ナージャ・テイラー）と共演した1959年の「Du rififi chez les femme（札束（ゼニ）がすべて）」ではビッキーが恋をする偽札作りのマルセル、1961年にはイタリアの大女優であるSophia Loren（ソフィア・ローレン）が洗濯屋を演じた「Madame Sans-gene（戦場を駈ける女）」で珍しくコミカルなルフェーブル軍曹、1962年にはAnnie Girardot（アニー・ジラルド）とCatherine Deneuve（カトリーヌ・ドヌーヴ）が性格が正反対の姉妹を演じたロジャー・ヴァデム監督の「Le Vice et la Vertu（悪徳の栄え）」では冷酷なナチス親衛隊のシェーンドルフ将校、1962年にはBrigitte Bardot（ブリジット・バルドー）が主演した「Repos du guerrier（戦士の休息）」でベベを虜にするルノー（1973年のバルドー最後の映画「Don Juan ou Si Don Juan était une femme... （ドンファン）」でもLouis Prévost役で共演しJane Birkin（ジェーン・バーキン）と愛欲の日々）、1963年には「L'Eau Vive（河は呼んでる）」のJean Giono（ジャン・ジオノ）の原作をクリスチャン・マルカンが初監督した「Les Grands Chemins（太陽は傷だらけ）」で博打好きが高じて殺人犯となるサミュエルを演じて未亡人役のAnouk Aimée（アヌーク・エーメ）と共演しました。　その後は1964年から始まったMichèle Mercier（ミシェール・メルシェ）主演の「Angélique（アンジェリク／はだしの女侯爵）」シリーズに出演して顔は醜いが心は優しいジョフレ・ド・ペラック侯爵を演じました。　1966年から始まった「Un homme et une femme（男と女）」シリーズのClaude Lelouch（クロード・ルルーシュ）が監督した1981年の「Les uns et les autres（愛と哀しみのボレロ）」でガス室送りとなったユダヤ人ピアニスト役とその子供のダビッド役で主演し、同監督の1986年の「Un homme et une femme, 20 ans déjà（男と女 II ）」にも自身の役で出演しています。　1999年にはLe Fabuleux destin d'Amelie Poulain（アメリ）で大ブレイクする前のAudrey Tautou（オドレイ・トトゥ）も出演した「Vénus beauté (institut)（エステサロン／ヴィーナス・ビューティ）」にオドレイ・トトゥが演じる美容師見習いのマリーの顧客のL'aviateur（パイロット）役で若いマリーを誘惑したそうです。

André Hosseinロベール・オッセンの映画に欠くことのできないものは音楽、その音楽はロベール・オッセンの父親である音楽家でオーケストラの指揮者で作曲家のアンドレ・オッセンが担当しています。　初期にはAndré Gosselain名義で音楽を手掛けた映画には1956年のLes salauds vont en enfer（悪者は地獄へ行け）やPardonnez nos offenses（不良の掟）、1958年のToi... le veninや1959年のLa nuit des espionsがあります。　この後の「危険な階段」からはアンドレ・オッセン名義で数多くの映画音楽に携わっていますが、「危険な階段」は父子にとって代表作品となっています。　1969年のUne corde, un Colt（傷だらけの用心棒）やJohnny Hallyday（ジョニー・アリディ）も出演した1970年の「Point de chute」あたりまでロベール・オッセンと一緒に毎年、又は年に数本の割合で映画に関わってきました。　ロベール・オッセンも出演してJulius Dassin（ジュールス・ダッシン）が監督した1955年の「男の争い（Rififi）」でギャングの親分を演じたJean Servais（ジャン・セルヴェ）が出演したLes Menteurs（激しい夜）でもアンドレ・オッセンが音楽を担当しました。　ロベール・オッセンはパリ生まれですがは父親のアンドレ・オッセンはアフガニスタンやカザフスタンの近くのウズベキスタンの出身だそうです。Marina Vladyロベール・オッセンの私生活では1955年にFrédéric Dard（フレデリック・ダール）の原作をオッセンが監督脚本及び出演した「Les Salauds vont en enfer（悪者は地獄へ行け）」に出演した17歳のMarina Vlady（マリナ・ブラディ）とその年から4年間結婚して子供を二人設けました。　離婚後に二度再婚してそれぞれ一人づつ子供がいるそうですが、マリナ・ブラディも4度結婚しているそうです。　ロシア系のマリナ・ブラディは50年代にはブリジット・バルドーと比べられるほどの金髪グラマーでしたが1963年の「L'ape regina（女王蜂）」ではそれまでのイメージを全てをかなぐり捨てた体当たり演技でカンヌ映画祭のベスト女優賞に輝きました。

Des Femmes Disparaissent　1959年Des Femmes Disparaissent (DVD)Édouard Molinaro（エドゥアール・モリナロ）監督がAlbert Simonin（アルベール・シモナン）の原作を映画化したフィルムノワールで「悪党ども」に続いてロベール・オッセンが主演し、Philippe Clay（フィリップ・クレー）やMagali Noël（マガリ・ノエル）も出演しています。。音楽にはArt Blakey &amp; The Jazz Messengers（アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャース）が起用されてサウンドントラックのジャズが大流行した当時のフランス映画でセンセーションを巻き起こしました。☆「殺られる」について詳しくはサントラ情報もあるAudio-Visual Trivia内のエドゥアール・モリナロ　Edouard MolinaroLes Scélérats　1960年Michèle Morgan, Robert Hossein &amp; Perrette Pradier「危険な階段」はFrédéric Dard（フレデリック・ダール）の小説「Les Scélérats（悪い野郎）」をロベール・オッセンが脚本も手掛け主演して映画化した監督デビュー作品だそうです。　映画では交通事故で愛児を失ったアメリカ人のRooland（ルーラン）夫妻として、ロベール・オッセンが夫のジェスでミシェル・モルガンが妻のテルマを演じています。　悲しみの後の異常な愛と死がテーマとなっており、精神的破綻のどん底に喘ぐ夫婦の愛の模索を描いた心理劇です。　パリ郊外の薄汚れた通りに立てられたガラス張りの超モダンな邸宅を舞台に物語りは展開します。　その辺りでは珍しい裕福な外国人夫婦に興味を持って覗いていたのが向かいの家に住む貧しい一家で、Olivier Hussenot（オリヴィエ・ユスノー）が演じた三文画家のアーサとその母親とPerrette Pradier（ペレット・プラディエ）が演じた娘でした。　好奇心旺盛な娘がこの夫婦を覗き見して想像しているだけでは収まらず、もっと知りたいと女中としてルーラン家に住み込むことに成功。　超リッチな生活に驚嘆した娘でしたが直にこの家に隠された悲劇の種を見出します。　この家の夫婦は楽しく語らうことはなく常に重苦しい空気が漂っていたのです。　それというのもアメリカで子供を亡くした夫婦がそのことを忘れれるためにパリにやって来たのでした。　全てにやる気の失せた夫と酒で紛らわす妻、どんどん奈落の底に落ち込んでいく夫婦でした。　大勢の客を呼んだ5年目の結婚記念日もさんざんで、ぐでんぐでんの夫は記念のケーキで煙草の火をつけるわ、妻は招待客の男に誘惑されて抱かれているのを夫に見られるわで、ますます夫婦の亀裂は深まるばかり。　そんなある晩のこと、夫が妻をドライブに連れ出します。　ところがこの車が列車に衝突、電話で急を聞いて駆けつけた女中の腕の中で妻は事故の真相を告白して息絶えました。　祖国アメリカに帰る妻の遺体を乗せた飛行機を平然と見送った夫は以前と何も変わることはなく生活を始め、女中には家に戻るように申し渡します。　今では女中はこの男に恋を「してしまっていたので帰りませんでしたが、男の心には妻しかないことを知った女中は思いつめて嘘をつくことにします。　それは妻が女中に告白したのとは全く逆の話を夫にしたのでした。　そうすれば男は自分の方を向くと思って。　それを聴いた男は車を飛ばして出て行ってしまいました。　その後に女中は再びあの日のように電話のベルを聴いたのです。※フランス語のサイトですが「危険な階段」の映画ポスターが見られるLes Scélérats - Cinema-francais.frPerrette Pradier女中を演じたペレット・プラディエは1961年に「Le jeu de la vérité」にもロベール・オッセンと共演していますが、1962年にDany Saval（ダニー・サヴァル）などたくさんのフランス女優が出演したオムニバス映画「Les sept péchés capitaux（新７つの大罪）」の第一話のSylvain Dhomme（シルヴァン・ドム）監督のLa Colère（怒りの罪）に出演しています。Michèle Morganクール・ビューティのミシェル・モルガンは1938年にJean Gabin（ジャン・ギャバン）と共演したMarcel Carné（マルセル・カルネ）監督の「Le quai des brumes（霧の波止場）」で一躍有名になったパリ出身のフランス女優でしたがGreta Garbo（グレタ・ガルボ）のように「霧の波止場」での帽子、特にLe Béret（ベレー帽）のモルガン・ファッションがとても洒落ていました。　1946年の「La symphonie pastorale（田園交響楽）」で第1回カンヌ国際映画祭 女優賞を受賞しています。　日本未公開作品ではCatherine Spaak（カトリーヌ・スパーク）やScilla Gabel（シーラ・ガベル）が出演した1961年の「Le puits aux trois vérités」で主演していますが60年代以降はあまり映画に出演していません。　特筆すべきはミシェル・モルガンの結婚で、第2次世界大戦時のナチス・ドイツ占領下を逃れてハリウッドに渡った時の1942年に結婚したのが最初の夫のWilliam Marshall（ウィリアム・マーシャル）で子供を儲けたものの6年で離婚しています。　ハンサムでインテリのアメリカ人のウィリアム・マーシャルは黒人シェークスピア俳優として有名で、1972年に「Blacula（吸血鬼ブラキュラ）をはじめブラキュラ・シリーズで主演しました。　終戦後にパリに戻ったモルガンが1949年の「Fabiola（ファビオラ）」で共演し1950年に結婚した二番目の夫は1952年の「七つの大罪」をはじめミレーヌ・ドモンジョやブリジット・バルドーなどの相手役として活躍したフランス俳優のHenri Vidal（アンリ・ヴィダル）でしたがミシェル・モルガンが出演した「危険な階段」の撮影中に急死したそうです。ミシェル・モルガンは1946年のフィルム・ノワール「The Chase」でMichelangelo Antonioni（ミケランジェロ・アントニオーニ）監督のIl grido（さすらい）で主演したSteve Cochran（Steve Cochran（スティーヴ・コクラン）と共演しています。FULL MOVIE: The Chase (1946) - Archive.orgMichèle Morgan Photos - YouTubeFrederic Dard
小説だけでも288作品も書いたというフレデリック・ダールは映画監督にも人気の作家です。　ダールの小説を映画化した作品やダールが脚本を手掛けた映画にはLes Scélérats（悪い野郎）が「危険な階段」として映画化された以外にも1956年にロベール・オッセンが監督したLes Salauds vont en enfer（悪者は地獄へ行け）、エドゥアール・モリナロ監督のDélivrez-nous du mal1が1958年のLe Dos au mur（絶体絶命）、C'est toi le venin...が1958年にロベール・オッセンが監督した「Toi... le venin」や1959年の「La nuit des espions」、ダールの脚本で1959年のLe fauve est lâché（野獣は放たれた）や1960年のLes Menteurs（激しい夜）、1960年の小説”Toi qui vivais”が「Préméditation」、Les Mariollesがロベール・オッセンが主演した1961年の「La menace」、1961年の同名小説がDanielle Darrieuxが主演した「Les bras de la nuit」、1962年のThe Man on the Avenueが「Le crime ne paie pas（悪い女）」、ロベール・オッセンが主演した1962年のLe monte-Charge（夜のエレベーター）、1963年の同名小説がマガリ・ノエルが出演した「L'accident」、San Antonioが1981年の「San-Antonio ne pense qu'à ça」、そしてダール自身が監督した「Une gueule comme la mienne」などがあるそうです。

Les Scélérats DVD危険な階段 [DVD]ページトップの画像はEUR 12,99（約 1784円）でフランスのAmazon.frにある2009年リリースのDVDですが、PAL仕様でRégion 2だそうです。　画像は上が妻を演じたミシェル・モルガン、左下が夫を演じたロベール・オッセン、その右が好奇心から夫婦宅に住み込み夫に横恋慕する女中役のペレット・プラディエです。　DVDのカバー画像はカラーですが「危険な階段」は白黒映画です。こちらの画像（クリックで拡大可）は日本で入手できる2003年リリースの日本語字幕版DVDです。　2000年リリースの字幕版DVD（ASIN: B00005HNHH）もあります。

Les Scélérats Soundtrack (7inch EP Philips FL-1004)私が持っている[「危険な階段」のEP盤のサウンドトラックでは、A面が”Blues De La Seduction（愛と死のブルース）”でB面が”Generique（危険な階段のテーマ）”を収録してあります。　テナーサックスをフィーチャーした”愛と死のブルース”は結婚記念日に妻が他の男に誘惑される時の以外にも映画の随所に流れます。”危険な階段のテーマ”は映画の冒頭で使用されたメイン・テーマ曲ですが、Golden Gate Quartet （ゴールデン・ゲイト・カルテット）のハミング・コーラスをフィーチャーしたムードのある曲です。Golden Gate Quartet1930年代から活動しているゴールデン・ゲイト・カルテットは1949年のJoshua fit The Battle Of Jericho（ジェリコの戦い）で知られる黒人のゴスペル・グループです。　メンバーチェンジもあり、戦後は低迷していたゴールデン・ゲイト・カルテットでしたが1955年に再結成したヨーロッパツア－が好評を博し、1959年にはパリに拠点を移しました。　丁度その時期、子供の頃からゴールデン・ゲイト・カルテットのファンだったElvis Presley（エルビス・プレスリー）兵役でドイツに駐留しており、パリの有名なクラブ”Le Lido（リド）”に出演中のゴールデン・ゲイト・カルテットを訪問したのだそうです。

Les canailles　1959年「悪党ども」はJames Hadley Chase（ジェームズ・ハドリー・チェイス）の原作をMaurice Labro（モーリス・ラブロ）監督が映画化した白黒のサスペンス作品ですが、ビデオはオークションで出品される他は販売されていないようです。　出演者はイタリア特派員のEdward Dawson（ドーソン）役でロベール・オッセン、秘書のGinaはIL Mulino Delle Donne Di Pietra（生血を吸う女）のScilla Gabel（シーラ・ガベル）、ギャング団のボスのカルロ役にPhilippe Clay（フィリップ・クレー）、そしてHélène Chalmers（社長令嬢エレーヌ）役でMarina Vlady（マリナ・ヴラディ）も出演しました。　アメリカの新聞社のローマ特派員を主人公にしたサスペンス・ドラマです。　ドーソンはローマにやってきたアメリカ本社の社長令嬢をエスコートするお役目を授かった。　エレーヌの父である社長からエレーヌの所在を突き止めるように頼まれたドーソンは令嬢は父親が思っているような純真な女性ではないことを知る。　父からも身を隠すそのセクシーなエレーヌに呼ばれてナポリに行き、偽名で崖っぷちのホテルに夫婦として宿泊し夜を共に過ごしたものの令嬢は忽然と消えてしまう。　そのエレーヌが崖から墜落死した事件が起こり警察に容疑者とされた特派員は身の潔白を証明すべくエレーヌが所持していたという謎のフィルムを巡ってその事件の背景にあるギャングと対決を迫られることになります。　しめたことには警察は偽名の男を容疑者として追っている。　エレーヌが持っていたフィルムには何が写っていたのか。　エレーヌ殺しの犯人を捜査するようにとローマにやって来たのはエレーヌの父とその4人目の後妻。　その女とギャングの関係はいかに？　エレーヌを強請る男も、フィルムを持っていたエレーヌも、フィルムを預かった探偵も死んだ。　次はドーソンの番だ。「悪党ども」の写真が見られるLe canaglie - FILM.TV.IT※「悪党ども」同様にジェームズ・ハドリー・チェイスの原作をJulien Duvivier（ジュリアン・デュヴィヴィエ）監督が映画化した1963年の「Chair de poule（めんどりの肉）」でもロベール・オッセンが主演しています。（音楽はGeorges Delerue（ジョルジュ・ドルリュー））

Les canailles Soundtrack (7inch EP Angel HIM-1100)この画像は私が持っている「悪党ども」のサントラのEP盤で、写真はマリナ・ヴラディとロベール・オッセンで銃を構えているのがフィリップ・クレーです。　「悪党ども」の映画音楽は女流音楽家のMarguerite Monnot（マルグリット・モノー）と指揮者のGeorges Alloo（ジョルジュ・アロー）とが手掛けています。　ジョルジュ・アロー・オーケストラの演奏でA面はGénérique de fin（悪党ども）とPourssuite（追跡）、B面はダンスパーティのシーンで流れたLes canailles（レ・カナイユ） とPrends moi comme je suis（悪党どもの唄）ですが、B面の”悪党どもの唄”はサンドロ（Sandro）とかいう当時新人の歌手の歌で映画のエンディングに流れますが、全編にBGMとしても流れるマルグリット・モノーとジョルジュ・アローの作品である”悪党ども”に1951年の映画「Sous le ciel de Paris（巴里の空の下セーヌは流れる）」でAndré Claveau（アンドレ・クラボー）が歌ったJean Wiener（ジャン・ウィエネル）作曲の”Coeur de Paris”の作詞者として有名なRené Rouzaud（ルネ・ルゾー）が歌詞を付けた曲です。（歌手のサンドロの情報は見つかりません。）ロベール・オッセンの顔写真が使用されたフランス盤のレコードジャケットが見られるLes canailles Soundtraxk - CDandLP.com

Bande originale de film d'Andre Hossein: Les Scélérats  et plusLe Cinema d'Andre Hossein「危険な階段」ではロベール・オッセン監督の父である有名な作曲家のアンドレ・オッセンが音楽を担当して当時フランスで大流行のモダンジャズ風な曲を書いています。 画像は2004年リリースの輸入ベスト盤でアンドレ・オッセンの映画音楽集です。　「危険な階段」や「激しい夜」の他に日本未公開作品も含む24曲を収録のサウンドトラック盤ですが収録曲の殆どが現在は情報もなくDVDも販売されていません。収録されているサントラのなかには、日本未公開ですが1958年の「Toi... le venin」（”あんたは、悪魔”という意味）はFrédéric Dard（フレデリック・ダール）の原作をロベール・オッセン監督が映画化し脚本及び主演した作品でマリナ・ヴラディも出演しています。　そして珍しくフレデリック・ダールが自分の原作を脚本を手掛けて監督したという1960年の「Une gueule comme la mienne」ですが共にIMDb以外にはフランスにもあまり情報はありません。　同じくダールの原作をGérard Oury（ジェラール・ウーリー）監督が映画化してロベール・オッセンがMarie-José Nat（マリー＝ジョゼ・ナット）と共演した1961年の「La Menace」（情報なし）や、1959年のLa dolce vita（甘い生活）で床に寝転がってミンクコートのストリップを演じたNadia Gray（ナディア・グレイ）や「激しい夜」のジャン・セルヴェも出演しロベール・オッセンが監督及び主演した1961年の「Le jeu de la vérité」（Amazon.frにDVD画像あり） 、1962年にMicheline Presle（ミシュリーヌ・プレール）が出演したCharles Gérard（シャルル・ジェラール）監督の「La Loi des Hommes」（Amazon.frにボックスセットDVDあり）、ロベール・オッセンが「危険な階段」の次に監督及び脚本及び主演した1961年の「Le goût de la violence」は全く情報なしですが、同じくロベール・オッセンが監督脚本主演した1965年のスリラー映画「Le vampire de Düsseldorf（デュッセルドルフの殺人者）」には美女のMarie-France Pisier（マリー＝フランス・ピジェ）が出演してMarlene Dietrich（マレーネ・ディートリッヒ）？ばりに”La Belle De Nuit”を歌いました。　こちらも日本未公開ですがCharles Gérard（シャルル・ジェラール）が監督してロヴェール・オッセンが主演した1966年の「L'homme qui trahit la mafia（マフィアを裏切った男）」（Amazon.frにDVD画像あり、サントラ画像はeBeyのrare french ep andré hossein philips fleur de pavotで検索）、同じく日本未公開ですが1968年にマカロニ&amp;フレンチウエスタンをロベール・オッセンが監督及び脚本を手掛け、一人で4人を相手にする左利きの早撃ちガンマンで主演した異色ウエスタンの「Une Corde, Un Colt（傷だらけの用心棒）」がありました。　「激しい夜」のミシェール・メルシェもガンマンに家族を殺された生き残りの娘役で出演し最後にその殺し屋を撃ち殺し仇を討ちます。　テーマ曲の”Cimitero senza croce”を歌ったのは当時イギリスでビートルズを凌ぐほど人気を得たThe Walker Brothers（ウォーカー・ブラザース）のバラード歌手のScott Walker（スコット・ウォーカー）だそうです。　以上殆どがロベール・オッセンの監督又は出演映画です。♪アンドレ・オッセンのサントラ集が試聴できるToi le venin / Le Vampire de Düsseldorf - Amazon.fr]]></description>
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Wed, 10 Jun 2009 00:25:01 +0900</pubDate>
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         <title>ホレス・シルヴァー　Horace Silver</title>
         <description><![CDATA[Live From the Umbria Jazz Festival 1976 [DVD] [Import - Region 1]

Bebop pianistsファンキーなモダンジャズが流行っているからと私もジャズ喫茶なんぞに行った1960年代中頃から後期にかけてのジャズピアニストは誰といっても数え切れません。　ここでいうところのジャズ喫茶とは大きなスピーカーでジャズのレコードをかけている珈琲ハウスのことです。　それ以前の1950年代後期にはロカビリーの生演奏を聴かせるスポットもジャズ喫茶と呼んでいました。　Thelonious Monk（セロニアス・モンク）、Duke Jordan（デューク・ジョーダン）やAl Haig（アル・ヘイグ）、Hank Jones（ハンク・ジョーンズ）、Ray Bryant（レイ・ブライアント）やWynton Kelly（ウィントン・ケリー）だって、そうそうOscar Peterson（オスカー・ピーターソン）も忘れちゃいけない、Nat King Cole（ナット・キング・コール）はどうでしょうか。　Duke Ellington（デューク・エリントン）だってビバップをやったのです。　そのなかでもモダンジャズの創始者の一人と云われるホレス・シルヴァーや、ホレスが影響を受けたというBud Powell（バド・パウエル）も当然ジャズ喫茶で頻繁にレコードがかけられていました。　バド・パウエルだとたいていは1947年に作曲したCleopatra's Dream（クレオパトラの夢）でした。　ファンキー・ジャズとかハードバップとかブルース色の強いソウル・ジャズとか呼び名は色々で線引きもややこしいですが、その頃はハードバップだろうとポストバップだろうとビバップなら何でも、フリー・ジャズもひっくるめてモダンジャズと呼んでいたようです。（少なくとも私は。）　戦前戦後とラテンやシャンソンもひっくるめてジャズと称していたような時代もあったのですからちょっとはましだったでしょうか。

Horace Silverコネチカットで1928年に生まれたホレス・シルヴァーは80歳を越した今現在もニューヨークなどで演奏しているファンキーなジャズピアニストです。　恐るべしホレス・シルヴァー！　地元のクラブでサックスを吹いていたところを1950年に白人テナーマンのStan Getz（スタン・ゲッツ）に見出されて1951年にニューヨークのBirdlandでStan Getz Quintetsとして録音したのがホレス・シルヴァーの初吹き込みだったそうです。（Penny、Split Kick、Potter's Luck？）　その後ホレス・シルヴァーは自己のトリオやクインテットなどの楽団を結成してブルースにラテン風味を加えた独特の演奏でソウルジャズの先駆けとなりました。　1952年からドラマーのArt Blakey（アート・ブレイキー）を招いてバンドを組み、トランペッターのClifford Brown（クリフォード・ブラウン）が参加したカルテットでバードランドで”Split Kick”などを吹き込んだ1954年の「A Night at Birdland」は有名です。（この盤についてはアート・ブレイキーの記事参照）　1956年にLee Morgan（リー・モーガン）名義のデビュー盤「Lee Morgan Indeed!」に参加したホレス・シルヴァーでしたが、バードランドの夜から4年後には楽団名の”ジャズメッセンジャーズ”をブレイキーに譲ってDonald Byrd（ドナルド・バード）、Hank Mobley（ハンク・モブレー）、Doug Watkins（ダグ・ワトキンス）などのバンドメンバーとともに去って自己のクインテットを結成しました。　1940年代後期にイスラム教に改宗していたアート・ブレイキーとホレス・シルヴァーはソリが合わなかったそうです。ホレス・シルヴァーが傑出したジャズ・ミュージシャンであるのは、ブルーノートで1964年録音の「Song For My Father」などの多くの名盤を残したピアニストというだけでなく、1950年代や1960年代には数え切れないほどたくさんの魅惑的な異色作品を作曲して作曲家としても名高いということです。　ホレス・シルヴァーの作品にはVocalise（ヴォーカリーズ）の先達と云われるEddie Jefferson（エディ・ジェファーソン）のボーカル・バージョンでも有名なPsychedelic Sally、The Jody Grind、Juicy Lucy、Opus de Funk、Nica's Dream、Peace、Natives Are Restless Tonight、Calcutta Cutie、Que Pasa?、Lonely Woman、The Preacher（ザ・プリーチャー）などたくさんありますが、やはり超ファンキーでポピュラーな”Senor Blues（セニョール・ブルース）”や”Sister Sadie（シスター・セイディー）”や”Song for My Father（ソング・フォー・マイ・ファーザー）”、そして”Doodlin'（ドゥードリン）”などが私が一番良く聴いた曲です。　”Doodlin'”はまさに考え事をしている時、無意識にペンを走らせているように身体もユラユラと揺れ動いてしまうほど心地よい曲です。　Last.fmのチャートでみてもやはりSong For My Fatherがダントツ1位となっています。　ホレス・シルヴァーのスタイルはバド・パウエルのように窒息しそうな緊張感で鬼気に迫る演奏というよりもビバップしていますが何かユーモアを感じさせるノリの良い演奏だと思いますが、後期には実験劇場みたいに自己啓発音楽だの哲学及び宗教的な音楽に傾倒したようです。　バッブ・ミュージシャンはほとばしる感情を表現するパワフルな即興（アドリブ）が命ですが、バド・パウエルとCharles Parker（チャーリー・パーカー）を同時に聴いたらてきっと窒息します。ホレス・シルヴァーが一緒に仕事をしたミュージシャンも数多くいますが、アート・ブレイキーの他にはエキサイティングなトランペットのDonald Byrd（ドナルド・バード）、テナーサックスのHank Mobley（ハンク・モブリー）、Woody Shaw（ウッディ・ショウ）、Art Farmer（アート・ファーマー）、1964年から1966年のJoe Henderson（ジョー・ヘンダーソン）などが有名だそうです。♪Horace Silver &amp; The Jazz Messengers - "The Preacher" and "Doodlin'" - (1955 &amp; 1954 Blue Note 45rpm) - YouTube

Song for My FatherSong for My Father  CDアルバム画像はホレス・シルヴァー自身ではなくアルバムのタイトルにあるようにホレスのパパであるJohn Tavares Silver（ジョン・シルヴァー）です。ホレス・シルヴァーが作曲したボサノヴァ調の”Song for My Father”はホレスが父親に捧げた曲だそうです。　その曲を収録したHorace Silver Quintet（クシンテット）のブルーノートのアルバムはオリジナル録音が1964年だそうです。　このCDはホレス・シルヴァーが作曲した代表曲の”Song for My Father”や”Sanctimonious Sam”など、Kicker以外はオリジナルの全6曲に4曲のボーナストラックが追加されたアルバムで、五重奏団のメンバーはピアノのホレス・シルヴァー、テナーサックスに”Ｔｈｅ　Ｋｉｃｋｅｒ”の作曲者であるジョー・ヘンダーソンが参加しています。　ドラムはRoger Humphries（ロジャー・ハンフリーズ）、トランペットがCarmell Jones（キャメル・ジョーンズ）、そしてベースがTeddy Smith（テディ・スミス）です。　ボーナストラックの3番と6番と10番ではトランペットのBlue Mitchell 、テナーにJunior Cook、ベースにEugene Taylor、ドラムにRoy Brooksだそうです。試聴はSong for My Father - Amazon.com♪Horace Silver Quintet - Sanctimonious Sam - YouTube

Sister SadieRetrospective CD4枚組みアルバム　ホレス・シルヴァーのファンキーなピアノ演奏の”The Process Of Creation Suite”や”Nutville”などの他、ホレス・シルヴァーの代表曲といえる1956年の”Senor Blues”や1959年の”Sister Sadie”、そして”Nica's Dream”や”Song For My Father”、”Doodlin'”、”Safari"、”Ecaroh”などレアな曲も含む全36曲を収録した4枚組アルバムで、Blue Noteの1952年ごろの録音らいしが4枚目は1960代後期から1970s年代初期の演奏だそうです。ヴォーカルはホレス・シルヴァーと長い付き合いのAndy Bey（アンディ・ベイ）やBill Henderson（ビル・ヘンダーソン）で、トランペットはKenny Dorham（ケニー・ドーハム）、Donald Byrd（ドナルド・バード）、Art Farmer（アート・ファーマー）、Blue Mitchell（ブルー・ミッチェル）、Woody Shaw（ウディ・ショウ）、ベースがBob Cranshaw（ボブ・クランショー）、Curley Russell（カーリー・ラッセル）、Percy Heath（パーシー・ヒース）、Doug Watkins（ダグ・ワトキンス）やRon Carter（ロン・カーター）など、ドラムがArt Blakey（アート・ブレイキー）やホレス・シルヴァーが発掘した新人のLouis Hayes（ルイ・ヘイズ）などだそうです。試聴はRetrospective - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）※”Sister Sadie”は1959年のアルバム「Blowin' the Blues Away」（ASIN: B00000I41H）にも収録されています。♪アルバム「Blowin' The Blues Away」からホレス・シルヴァーの”Sister Sadie”が聴けるPlaylist for Evan Muse - November 26, 2006（ページ中ほどのSister Sadieの欄で最後の1:28:18 (Real)をクリック）Horace Silver - Sister Sadie - YouTube

Señor BluesSenor Blues: 1955-1959 CD1998年にリリースされたホレス・シルヴァーのベスト盤で、Señor Bluesをはじめ、Finger Poppin'やThe Preacherなど12曲を収録していますが現在は入手困難です。　他にSenor Bluesを収録しているアルバムはDoodlin'やSong for My Fatherなど8曲を収録した輸入ベスト盤の「The Very Best」（ASIN: B00094AT08）や「Live At Newport '58」そして上記の「Retrospective」などです。　Bill Henderson（ビル・ヘンダーソン）が歌うSenor Bluesのボーカル・バージョンは「Blue Note Trip: Lookin' Back / Movin' On」や下記に紹介している「Six Pieces Of Silver」などに収録されています。”Senor Blues”はホレス・シルヴァー楽団以外にもカバーしているミュージシャンが多くGeorge Shearing (&amp; Dakota Staton)、David Sanborn (&amp; Phil Woods)、Herbie Mann（ハービー・マン）、そしてIke Turner（アイク・ターナー）やTaj Mahalまで、又ボーカルではRay Charles（レイ・チャールズ）、Anita O'Day（アニタ・オデイ）やChris Connor（クリス・コナー）などがいます。Horace Silver - Senor Blues - YouTubeHorace Silver - Senor Blues (Newport 1959) - YouTube

Six Pieces Of Silver6・ピーシズ・オブ・シルヴァー+3 CDJazz Messengers（ジャズ・メッセンジャーズ）をArt Blakey（ブレイキー）の手にゆだねた後の1956年の録音でホレス・シルヴァーのソリストとしての地盤固めとなったアルバムだそうで、1956年と1958年の録音を集めたHorace Silver Quintet（クィンテット）のBlue Noteアルバムです。　Bill Henderson（ビル・ヘンダーソン）のボーカル・バージョンを含め”Senor Blues”３バージョンの他、シルヴァーの作曲であるCool EyesやFor Heaven's Sakeなど全10曲を収録しています。　メンバーはDonald Byrd,（ドナルド・バード）、Hank Mobley（ハンク・モブレイ）、Doug Watkins（ダグ・ワトキンス）、ドラムがLouis Hayes（ロイ・ヘインズ）です。 試聴はSix Pieces Of Silver - Amazon.comHorace Silver with Blue Mitchell, Junior Cook, Gene Tailor and Louis Hayes - Cool Eyes 1958- YouTube

Quicksilver ←左の画像は日本のAmazon.co.jpでみつけた「Quicksilver」というアルバムですが、ジャズの巨人のイラスト・シリーズでタイトル曲を収録した「Jazz Characters （Scoops - Jazz characters volume 39）」のものらしいです。☆本物はその左の画像のアルバム「Quicksilver CD」でタイトル曲の”Quicksilver（クイック・シルヴァー）”の他に”Horoscope”や、アドリブにIt Don't Mean A Thingのフレーズが聞える”Safari”など全14曲を収録しています。試聴はQuicksilver - Fnac.comこの他に”Quicksilver”が収録されているアルバムは1952年の「Horace Silver Trio」などで、演奏メンバーはベースにGene Ramey（ジーン・ラミー）、Percy Heath（パーシー・ヒース）、Curly Russell（カーリー・ラッセル）でドラムがArt Blakey（アート・ブレイキー）です。　アルバム「Horace Silver Trio」や1952年の「Horace Silver Trio And Art Blakey-Sabu」にも収録されています。※”Sabu（サブ）”とはラテン・パーカッション演奏者のSabu Martinez（サブー・マルティネス）のこと。（国内盤ではホレス・シルヴァー・トリオ&amp;アート・ブレイキー、サブー+4）”Quicksilver（クイックシルヴァー）”の試聴はHorace Silver Trio - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

Doodlin'A Proper Introduction to Horace Silver: Doodlin' CDHorace Silver And Art Blakey（ホレス・シルヴァー&amp;アート・ブレイキー）の演奏で知られるホレス・シルヴァーが作曲した”Doodlin'”は私が好きなだけでなく、当時のミュージシャンにも人気のある曲でした。　ピアニストのRay Bryant（レイ・ブライアント）、トランペット奏者ではDizzy Gillespie（ディジー・ガレスピー）や白人バッパーのCandoli Brothers（カンドリ兄弟）やQuincy Jones（クインシー・ジョーンズ）、ギタリストのBarney Kessel（バーニー・ケッセル）が演奏した他、ボーカルではSarah Vaughan（サラ・ヴォーン）やRay Charles（レイ・チャールズ）やPeggy Lee（ペギー・リー）などのバージョンがあります。私が持っている”Doodlin'”はホレス・シルヴァーが作品を集めたSongbook（ソングブック）で、Riverside SR-3022（オリジナルLPは多分Riverside 12"LP: RS 93509） 「The Compositions of Horace Silver」という33 1/3回転のLPのコンピレーション・アルバムで1960年前後のリリースだと思います。（eBay.comにあり、中古で6000円位）　A面にSister Sadie（Nat Adderley演奏）とHome Cookin'（Bobby Timmons演奏）、B面にはDoodlin'（”Stolen Moments”の作詞者のMark Murphyのヴォーカル）とFilthy McNasty（Junior Mance演奏）というレアな演奏を収録しています。　※ナット・アダレイが演奏するホレス・シルヴァーの”Sister Sadie”はAudio-Visual Trivia 内の記事「ナット・アダレイ　Work Song - Nat Adderley」で聴けます。（ページの最後）”Doodlin'”を収録しているアルバムにはオリジナル録音が1954年というホレス・シルヴァーがビバップしているアルバム「Horace Silver and the Jazz Messengers」（ASIN: B0007M23AQ）があり、Creepin' InやPreacherなど8曲を収録してあります。試聴はHorace Silver &amp; The Jazz Messengers - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）♪Horace Silver - Doodlin' - YouTube

Nutvilleザ・ケープ・ヴァーディーン・ブルース CDオリジナルは1965年のブルーノート録音のアルバム「The Cape Verdean Blues」ではホレス・シルヴァーの幼少期に父の故郷であるアフリカ西方沖合いにある”Cape Verdean（ベルデ岬諸島）”で出合った美しい旋律をブルースに取り込んでいるそうです。　ホレス・シルヴァーが作曲したラテン調の”Nutville”やカーニヴァルのサンバようにのりのりのタイトル曲”The Cape Verdean Blues”をはじめ、ルンバ曲の”Bonita”などオリジナル全6曲を収録したラテン風味のアルバムです。　”Nutville”は上記の4枚組みアルバム「Retrospective」のディスク：3の4番目にも収録されています。　この”Nutville（ナットビル）”はジャズメッセンジャーズに在籍していたリー・モーガンも演奏していますがドラマーのBuddy Rich(バディー・リッチ)の代表的な演奏ともなっているそうです。　演奏メンバーはトロンボーンのJ.J. Johnson（JJジョンソン）、トランペットがWoody Shaw（ウディ・ショウ）、テナーがJoe Henderson（ジョー・ヘンダーソン）、ベースがBob Cranshaw（ボブ・クランショー）、ドラムがRoger Humphries（ロジャー・ハンフリーズ）です。　「The Cape Verdean Blues」（ASIN: B0001CLZP6）もあり。試聴はCape Verdean Blues - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）※ちなみに”Nutville”はオリジナルが1978年というコンピレーションのVol. 18, Horace Silver: Eight Jazz Classics, For You To Play (Book &amp; CD Set)にも収録されているそうです。（Nutville、Song for My Father、Preacher、Sister Sadieなど全9曲収録）

Horace Silver and Andy Bey: Total ResponceThe United States of Mind CD1960年代にはSam Cooke（サム・クック）のお気に入りだったファンキーなボーカリストのアンディ・ベイは1970年代にはホレス・シルヴァー楽団の専属歌手としてツアーに参加しており、シルヴァーとアンディのコンビは90年代まで続いたそうです。　1970年にアンディ・ベイの姉であるSalome Bey（サロメ・ベイ）も一緒にホレス・シルヴァー楽団とレコーディングしました。　アンディ・ベイのボーカルをフィチャーしたHorace Silver Quintet（クィンテット）のグルービーなアルバムは1970年にブルーノートで録音したLPレコード「Horace Silver - Total Response」です。　ホレス・シルヴァーがエレクトリック・ピアノを演奏しRichie Resnicoff（リッチー・レスニコフ）のワウワウ・ギターも導入したアルバムで、アンディ・ベイは”Won't You Open Up Your Senses”や”I've Had A Little Talk”など素晴らしい喉をきかせています。オリジナルLPからAcid, Pot or Pills、Won't You Open Up Your Senses、I've Had A Little Talk、Total Responseが試聴できるTotal Responce - アナログレコード再廃盤カタログ上記のレコードは中古かオークションにしかないのですが、1970年から1972年のブルーノート録音をCD化した全28曲収録の2枚組みの「United States of Mind」というアルバムがリリースされています。　ホレス・シルヴァーが教祖さまにでもなったようなCD画像ですが、まさにその通りで聴く者に癒しを与えるスピリチュアルなアルバムです。　しかしイエスならぬホレス教祖の信者はさほど増えなかったようでこの後、ファンキー信徒のもとに戻りました。　フィーチャーされているボーカリストはアンディ・ベイと男性も顔負けするほどダイナミックで野太い声のサロメ・ベイ、そして「That Healin' Feelin'」のボーカルはWoody Shaw（ウッディ・ショウ）ともレコーディングした1970年代のブルーノート女性ボーカリストのGail Nelson（ゲイリー・ネルソン）のようです。（”Lady Day at Emerson's Bar &amp; Grill”などのブロードウエイの舞台に出ていたらし。）　サロメ・ベイはAcid, Pot or Pills、Permit Me To Introduce You To Yourself、Wipe Away The Evil 、There's Much To Be Doneなどを歌っています。　オリジナルLPの収録曲はAcid, Pot or Pills、What Kind of Animal Am I?、Won't You Open Up Your Senses、I've Had A Little Talk、Soul Searchin'、Big Business、I'm Aware Of The Animals Within Me、Old Mother Nature Calls、Total Responseの全9曲だそうです。　オリジナルのブルーノートLPは”人心連合シリーズの三部作”とか呼ばれる1970年の「That Healin' Feelin」、1971年の「Total Responce」、そして1972年の「All」という3枚です。試聴はUnited States of Mind - Amazon.com※ホレス・シルヴァーが作曲した”Sister Sadie”、”Opus de Funk”、”Melancholy Mood”、”The Preacher”などをスウィングバンドのWoody Herman（ウッディ・ハーマン）が1957年や1960年に吹き込んだそうですがアンディ・ベイが歌っているのかは不明。　ウッディ・ハーマンが1957年にVerveで録音した「Woody Herman '58 Featuring The Preacher」がCD化された「Featuring Preacher（1958 (Featuring The Preacher)又は”58'”）」の最初のトラックに”The Preacher”が収録されています。Horace Silver Quintet &amp; Andy Bey - Nica's Dream - Lugano 1988 - YouTube上記のアルバムはテーマが難解だからかさほど受けませんでしたが、1993年にテナーサックスのBranford Marsalis（ブランフォード・マルサリス）とEddie Harris（エディ・ハリス）が参加してHorace Silver &amp; The Silver Brass Ensemble（ホレス・シルヴァー・ブラス・アンサンブル）がリリースしたアンディ・ベイのボーカルをフィーチャーしたハードバップ・アルバムの「It's Got to Be Funky」の方が人気だったとか。（Basically Blueのイントロはどうなんじゃろ。）　このアルバムのライナーノーツにはホレス・シルバー自身に加えてジャズマニアのClint Eastwood（クリント・イーストウッド）も一筆書いているそうです。♪Horace Silver &amp; Andy Bey - It's Got to Be Funky - IMEEM.comAndy Bey with Horace Silver - I Had a Little Talk☆アンディ・ベイについて詳しくはAudio-Visual Trivia内のアンディ・ベイ　Andy Bey
The Tokyo Bluesホレス・シルヴァーがアンディ・ベイを伴って1962年に来日した時、もてもてだったホレス・シルヴァーは日本が気に入ったらしく帰国してからラテン風な曲なのに日本風タイトルと着物の女性画像を載せた「The Tokyo Blues（ザ・トーキョー・ブルース）」というアルバムを作ったそうです。　ついつい飲みすぎちゃったのか”Too Much Sake”だとか”Sayonara Blues（さよならブルース）”とか”Ah! So（あぁ、そう！）”なんていう日本語を取り入れたタイトルの曲も収録されています。試聴はHorace Silver - Tokyo Blues - Amazon.com
Willow Weep For Meものはついでに、ホレス・シルヴァーが参加した1955年のCannonball Adderley（キャノンボール・アダレイ）デビューのSavoy（サヴォイ）のアルバム「Bohemia After Dark」に収録されたキャノンボールのソロが輝いている”Willow Weep For Me”が好きです。　”Willow Weep For Me”という曲は作詞l作曲ともに1932年にAnn Ronell（アン・ロネル）が作曲家のGeorge Gershwin（ジョージ・ガーシュイン）に捧げた失恋の歌だそうです。　ホレス・シルヴァーが輝いてるのは”Chasm”や”Hear Me Talkin' to Ya”同様キャノンボ－ルのオリジナルという”With Apologies to Oscar”でしょうか。　このアルバムにはピアノのホレス・シルヴァーの他、コルネットのNat Adderley（ナット・アダレイ）とアルトサックスのJulian "Cannonball" Adderley（キャノンボール・アダレイ）の兄弟、トランペットのDonald Byrd（ドナルド・バード）、ベースのPaul Chambers、リーダー各のドラムのKenny Clarke（ケニー・クラーク）が参加しています。（ケニー・クラーク名義のアルバムもあり。）　”Willow Weep For Me”は他のキャノンボールのアルバム「CABU Jazz Masters - Une Anthologie 1955 - 1957」にも収録されています。試聴はBohemia After Dark - Willow Weep For Me - Amazon.com♪Horace Silver &amp; Cannonball Adderley - Bohemia After Dark - IMEEM.com
Horoscopeホレス・シルヴァーの最新国内盤は2009年にリリースされた「ホレス・スコープ [Limited Edition]」でストローリン、ホエア・ユー・アット?、ウィズアウト・ユー、ホレス・スコープ、ヤー! 、ニカの夢の全7曲が試聴可演奏はブルー・ミッチェル、ジュニア・クック、ジーン・テイラー、ロイ・ブルックスなどです。

♪Horace Silver - Silver's Blue (1956) - Rádio UOL（Silver's Blue、To Beat Or Not To Beat、How Long Has This Been Going On?、I'll Know、Shoutin' Out、Hank's Tune、The Night Has A Thousand Eyes）
※Please remove the player for "Silver's Blue" before click on the link below.♪Horace Silver - A Prescription For the Blues (1997) - Rádio UOL（Prescription for the Blues、Whenever Lester Plays the Blues、You Gotta Shake That Thing、Yodel Lady Blues、Brother John and Brother Gene、Free at Last、Walk On、Sunrise in Malibu、Doctor Jazz）
♪The Horace Silver Songbook - Night Lights Classic Jazz - WFIU Public Radio(Blowin' The Blues Away - Chick Corea, Nica's Dream - Art Farmer, Opus de Funk - Art Pepper, Sister Sadie - Woody Herman, Melancholy Mood(7-7-7-bar pattern), Split Kick - Art Blakey, Psychedelic Sally - Eddie Jefferson, Senor Blues - Mark Murphy, Song for My Father - Ran Blake, Peace - Chet Baker)]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Sat, 30 May 2009 00:03:04 +0900</pubDate>
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         <title>ベビイドール　Baby Doll (1956)</title>
         <description><![CDATA[Baby Doll (Original Soundtrack)Carroll Baker as Baby Doll Meighan

Baby Doll　1956年”べびいどおる”　このような映画の題名だとなんともエロティックな内容の映画かと思ってしまうでしょうが、この映画はドラマやコメディのカテゴリに分類されることはあってもけしてロリコンやエロティックの分野には入れられることはありません。　それでも「ベビイドール」の公開当時にはその突飛で風変わりな題材がアメリカの宗教的映倫機関であるLegion of Decency（カトリック系表現規制団体）からクレームがつき物議をかもし出したそうです。　このセンセーショナルな「ベビイドール」は私の好きな南部文学として知られるアメリカの劇作家のTennessee Williams（テネシー・ウィリアムズ）が原作及び脚本を手掛け、Elia Kazan（エリア・カザン）が監督した伝統的な南部の大農場の崩壊と復讐と正義を描いた映画です。　1962年の映画のLolita（ロリータ）のように少女を愛してしまうロリコン映画でもありません。　しかしこう聞いてもがっかりすることはありません。　なぜならそれほどセクシーとはいえませんが、たしかに足まるだしのブルマー式パジャマのベビイドールは冒頭に登場します。　19歳で指しゃぶりだなんてセクシーどころか、まさにおバカです。　この甘やかされて頭が空っぽの若い女性が修羅場をくぐった終盤にはちゃんと大人の女性に成長したというめでたしめでたしの映画です。

テネシー・ウィリアムズの原作をエリア・カザン監督が映画化した「ベビイドール」は主な登場人物は少なく、幼な妻のBaby Doll Meighan（ベビイドール）に25歳のCarroll Baker（キャロル・ベイカー）、ベビイドールの夫である南部男のArchie Lee Meighan（アーチー）にセルビア出身の俳優で44歳のKarl Malden（カール・マルデン）、アーチーのライバルのSilva Vacarro（シルヴァ・ヴァケロ）に41歳のEli Wallach（イーライ・ウォラック）です。　30代で芝居を初めこの時まだ55歳のMildred Dunnock（ミルドレッド・ダンノック）が演じるアーチーの伯母さんでボケた年寄りのローズも登場します。　ミルドレッド・ダンノックはこの役でGolden Globe助演女優賞にノミネートされたそうです。映画の冒頭はアメリカ南部、ミシシッピのデルタ地帯、古い一軒家の絵画をバックにKenyon Hopkins（ケニヨン・ホプキンス）作曲のスパイ映画のようにジャージーな音楽が気だるく流れるオープニングクレジットです。このFox Tail（フォックス・テイル）と呼ばれる一軒家は南北戦争前から建っているように古く雨漏りする屋根を修理しています。　なぜフォックス・テイルと呼ばれるのかは不明です。　Foxtail Palm（キツネノオ椰子）が庭に植わっているのか、繁殖力の強い乾燥地帯に生えるエノコロ草のような雑草が生えているのか。　この屋根だけではなくてあちこちがボロボロらしいその屋敷には家業が経営不振で悪いこと続きの中年男とまだ二十歳前の妻と、料理するのにガスを付けるのを忘れるほどボケたローズ伯母さんの3人、南部の底辺に生きる人々が住んでいるのです。　そしていつも敷地の庭には何人かの黒人労働者たちがたむろしています。　当主である禿げかかった中年男の家業は黒人を使用しての摘み取りが盛んだった南部で綿花を精製する伝統的な綿繰り工場の経営だそうです。　綿繰り（種抜）とは綿糸を紡ぐ前の作業をするらしく、その昔は手動でローラーを通して綿のなかの種を取り出していた木製の道具があったとか。

Baby Doll  Plot殺風景な母屋の2階に上がっていくこの家の主は2年前に未成年の妻を娶った偏屈者のArchie Lee（アーチー）です。　アーチーはベビイドールと結婚はしたものの、婚約した時は死ぬ間際の花嫁の父とある約束をしたのでした。　「娘の二十歳の誕生日まで、花嫁が心身ともに準備ができたと言うまで触れてはならぬ。」　この試練に耐えねばならぬ夫は欲求不満に陥り、しどけない姿で寝ている花嫁を隣の部屋の壁穴から覗き見るしか楽しみはないのでした。　足まる出しのパジャマを着て親指をしゃぶっている妻のベビイドール。　夫のアーチーは出歯亀よろしく妻の寝室の隣の部屋の壁穴から覗き見するのを常としていました。　今日もそこには揺り篭のようなベビイベッドにしどけなく寝そべった少女が横たわっている。　まるで赤ちゃんのように指をおしゃぶりしたまま。　覗きに気が付いたベビイドールは足が露出した短いブルーマのパジャマ姿のまま夫のアーチーが覗いている隣室に行く。　アーチーとの結婚生活に大不満のベビイドールがなじると夫のアーチーは言い返した。　「俺は法的にお前の夫だ。　あと2日経てばお前の二十歳の誕生日だ。　そうすれば。。。」　まるで関知しない若い妻は「あっそ、じゃあたしのバースデー・プレゼントは？　ともかく自分の部屋に行きなさいよ！」憤懣やるかたない様子のアーチーは戸棚に隠してあったウイスキーの小瓶を取り出してグイッとあおる。　その時、ベビイドールが入ってきたのでガーラガラペッ！とそのままうがいを装う夫です。　この後も家のあちこち、外のあちこちに隠してある酒をぐびっと呷るシーンがあります。　そう、ストレスがいっぱいのアーチーはアルコール依存症のようです。

BayBee DOLLLLL!, BaBeee DOLLLLL! 邸内に車を出してきた夫が家に向かって叫ぶ。　降りてこーい！　ベビードール！ベビードール！　それでも妻が出てこないから角笛を吹く夫。　「お待たせ」と戸口に現れたベビイドールはよそ行きのお洋服でお澄まし。　しゃなりしゃなりと夫の車に近寄るとピタッ止まる。　「なにやってんだっ、さっさと乗れっ！」　「降りてきてドアをあけなさいよ！」こんな二人のやり取りを聞いていた黒人使用人たちはまるでエンタの神様を観ているように笑い転げるのです。　このシーン以外にも労働者としてかなりの黒人たちが登場しますが、殆どセリフはなくて何の効果も無い様にみえます。　ところがこれらの黒人たちはこの茶番劇を鑑賞している観客として重要な役割りを担っているようです。二人は町に到着、アーチーが妻との悩みの種を医師に相談している間に、まん前の歯医者の若造と戯れているベビイドール。　ベビイドールはアーチーから離れてモテルにでも泊まって仕事を見つけようとも考えたのだった。　用事を済ますと夫は車に乗っているベビイドールにアイスクリームを買ってくる。　そこにトラックが通った。　Pay-as-You-Go　「あたしの家具がー！」とトラックを追って走るベビイドール。　その後を車で追うアーチー。　イーライ・ウォラックが演じるのはこの土地の新参者でイタリア移民のシルヴァ・バケロです。　ちょび髭のシルヴァとその友人のロックが始めた新しい紡績機械を使用した事業により老朽化した綿繰り機を使用しているアーチーは利益が上がらず苦渋をなめていましたが、とうとう支払えない家具まで持っていかれる始末です。ある晩のこと、絶望と挫折感に駆られたアーチーはぐいっとやった後に車で家を出た。　酒場の仲間たちはアーチーのライバルであるシルヴァ・ヴァケロの大判振る舞いで新しい工場の収穫を祝うパーティの真っ最中。　陽気に騒ぐ人々の姿をいまいまく思ったアーチー。　その直後にシルヴァ・ヴァケロの倉庫が燃え上がった。　小爆発まで起こり瞬く間に工場は火の海、焼け落ちる工場。　ガゾリン缶を見つけたシルヴァ・ヴァケロは放火の犠牲となった焼け跡で号泣する。　よそ者には保安官だって親身になってくれはしない。　そこでシシリアンのシルヴァ・ヴァケロはシシリア流の復讐を誓った。　そう、シシリアの復讐はエロかったのです。

Silva Vacarro's Red Hot Revenge a la Sicily放火事件の翌朝のこと、アーチーの邸内にピックアップトラックが到着、降り立ったのは焼けた工場の持ち主のシルヴァ・ヴァケロと共同経営者のロックです。　シルヴァが言うには、種抜機の倉庫が焼けたのでできなくなった27回分の棉の仕上げをアーチイに頼みたい、それもとびっきり良い値段で。　それを聞いてご飛んで火に入る儲け話しだと機嫌になったアーチーは妻のベビイドールに「善隣外交（good-neighbor policy）だ、珈琲でも勧めてお持て成ししてろ！」と申し渡すといそいそと仕事に取り掛かりに家を出ていく。　ベビイドールは歓迎の一発、大あくび。　「夕べは一人ぼっちで怖くて眠れなかったの。」　これを聞き逃さなかったシルヴァ。　さっそく兼ねてから予定の復讐を開始。　このシルヴァがたいした御仁でベビードールが腕につけたお守りのブレスレットにかこつけて足で通せん坊をすると、まったくもってさわり魔のようにベビイドールに触れる手を休めることはない。　「どうぞ奥様。」と丁重に扱われて花まで貰っちゃ悪い気はしないベビイドール。　復讐に燃えるシルヴァはこのアホな子供のような妻を誑かしてなんとかアーチーのアリバイを崩してやろうという魂胆です。Silva: The Groper - YouTubeGood Neighbor Policyおさわりにくすぐりと、シルヴァのあらゆる手管に戸惑いを見せながらもベビイドールに性に対する感情が芽生えた様子。　心の動揺を隠すようにしゃべり続けるベビイドールがふと洩らした「夕べ夫が夕食後に自宅から出て行った。」ことを詳しく聞こうと詰め寄るシルヴァ。　夫のアリバイが崩れるかと俄然用心分深くなるベビイドール。　証言させたいシルヴァ。　不安になるベビイドール。　触られまくって大分興奮状態のベビイドール。　「頭の中が酔っぱらったみたい、ブンブンいってるわ。」と息を弾ませて家に走るベビイドールに畳み掛けるようにシルヴァは正義について説得する。　「貴方は夫を疑ってるわ。　夫は何もしていないわ。」と家に入ろうとするベビイドールに「あの爆発火事は事故ではないと分っている。　君だってそう思ってるだろう？」

Funny Tag and Hide-and-Seek追い詰められたベビイドールは助けを求めてアーチーのいる工場に行ったところ逆に「黒ん坊が働いてるところなんかに来るんじゃない！」と叩かれてしまう。　シルヴァもやって来てアーチーのお粗末な機械に腹を立てる。　頬に手の跡がついて泣いているベビイドールにチャンスとばかりに再びアタックをかけるシルヴァ。　豚の囲いの側で涙を拭くハンカチをやったり、甘いもの好きのローズがチョコレートキャディを食べたいがために病院に行ってしまうので嘆いているベビイドールの話も辛抱強く聞いてやるシルヴァ。　ふむふむ、なるほどと庭に落ちているクルミなんぞを食いながらベビイドールとアーチーの結婚のいきさつも聞く。　「今までお預けったってそれは明日までだろう。　その用意はあるのか？」　どうやらこの辺から少女、いや処女のベビイドールに対するシルヴァの気持ちに変化が起きたようだ。「レモネードでも作るわ」と気を取り直したベビイドールはシルヴァを玄関に待たせるが、レモンの代わりに自分の指を切る。　突然、ここから早回しのコメディのようなシルヴァの悪戯が始まる。　勝手に家に入り込み幽霊の真似をして散々脅かしたシルヴァはベビイドールの代わりにレモンをぶった切ってダイナミックにレモネードを作り、出来上がったレモネードを手にズカズカとベビイドールの寝室がある2階に上がって行く。　そこでシルヴァは揺り篭のようなベビイベッドを見つけた。　その傍らにはオモチャの木馬まである。　そこでシルヴァは木馬にまたがると蓄音機の針を落とす。　レコードはSmiley Lewis（スマイリー・ルイス）が歌う”Shame, Shame, Shame”。　なんてことすんだ！恥を知れ！Smiley Lewis - Shame, Shame, Shame - YouTubeSmiley Lewis1957年にImperialレコードからリリースした”Shame, Shame, Shame”が映画「ベビイドール」で使用されたスマイリー・ルイス（1913 – 1966）はニューオーリンズのR&amp;Bの歌手で前歯が欠けているのでスマイリーというニックネームを頂戴したそうです。 戦後に初アルバム「Here Comes Smiley」をリリースし、　1950年の”Tee Nah Nah”をはじめ、1952年の”The Bells Are Ringing”と1955年の”Hear You Knocking”が全国ネットでヒットしたそうです。
さて、ここからが「ベビイドール」がコメディと呼ばれる山場のシーンです。　The Pink Panther（ピンクパンサー）のクルーゾ警部顔負けのドタバタ喜劇開始。　物音に気付いたベビイドールとそれをからかうシルヴァの鬼ごっこと隠れん坊が延々と続く。　パドルを武器に追い掛け回すベビイドールと、電球を打ち壊したり喇叭を吹き鳴らしたりして驚かせた挙句に逆にとっ捕まえて倒れたベビイドールの腹を足で踏んでくすぐるシルヴァ、それに負けじと足に噛み付くベビイドール、陳腐に繰り広げられるエピソードを全体の雰囲気を壊す無用なシーンであるとする向きもあるが私はむしろこの茶番劇を盛り上げる真骨頂とみている。　最後は屋根裏に逃げ込んだベビイドールが雪隠詰めとなる。　なぜならベビイドールが倒れこんだ部分が朽ち果てていて落下寸前だったのだ。　身動きできないベビードールに「助けてやるからこれに署名しろ」とアーチーのアリバイを崩すために用意してきた口述書を棒切れの先に突き刺してよこすシルヴァ。　汚い奴。　泣きながら仕方なく署名するベビイドール。　署名の後は紳士らしく涙を拭くハンカチも棒の先に載せて差し出してやった。　ベビイドール陥落す。Playing Hide and Seek - YouTube

Matured Baby Doll &amp; Mad Archie「君は隠れん坊をあんなに楽しんだ子供なんだよな。」と言うシルヴァをベビイドールは私のベッドでお昼寝をどうぞと寝室へ誘う。　「お父さんはきっと墓場で跳び上がるわ。」と呟きながら。　とんだお持て成しに預かったシルヴァはベビイドールのベビイベッドで寝てみせる。　寝たふりをしているシルヴァの世話をやくベビイドールの母親のような姿。場面変わってハモニカを吹きながら”Baby Please Don't Go”を歌っている黒人使用人の向こうを家に入ってくるアーチーが見える。　シルヴァが要請した部品をやっとのことで金の時計で支払ってきたのに、既にシルヴァの相棒が調達していたのだった。　2階を見上げて「誰もいないのか！」と叫ぶアーチーの声がシルヴァを寝かしつけていたベビイドールに聞えた。　「行かないでね。」とシルヴァに囁くとベビイドールはスリップ姿のまま下に降りていった。　ベビイドールがなぜスリップかというと冷蔵庫から洩れた水で服を濡らしてしまったから。　なぜスリップのままかというとシルヴァと鬼ごっこが始まったから。　「なんて格好だ、きちんとしろ！」となじるアーチーは逆に放火魔としてベビイドールに非難される始末。　そこに2階からシルヴァが降りてきた。　「これは善隣外交だよ。」　一瞬狐につままれたようなアーチーだったが怪しんで「いつからここにいるんだ？」とシルヴァに尋ねる。　「厚遇を受けて午後からずっとさ。」とうそぶくシルヴァと3人で夕食を取ることに。　シルヴァが言うには新しい工場を建設するのは止めにしてアーチーに仕事を頼むことに決めた。　その間はアーチーの妻の接待を受けることになるのだと。　夕食の服に着替えるため上に上がったベビイドールを待つアーチとシルヴァの二人。　階段にしゃがみこむアーチーとその隣に座るシルヴァ。　微妙な雰囲気、二人とも頭を抱え込む。　これが可笑しい。　アーチーが電話をしている間に着替えたベビイドールが食堂に現れた。　「急に成長したな。」と言うシルヴァは電気を消して大胆にもベビイドールに熱烈なキスをする。　夕食を運んできたローズが気を利かせてか邪魔をしてか電気を付けた。　さて、夕食、所定の椅子にはベビイドールとシルヴァがまるで夫婦のように向かい合って座り、席がなくなったのでアーチーは傍らのスツールを持ってきて座る。　これも可笑しい。　二人の仲を怪しんだばかりになんだかんだとローズの料理にも難癖をつけるアーチーだが、そのケチのついてグリーン・スープで愉快に食事を始めた二人にマジキレしてアーチーがやおらThe Blue Angel（嘆きの天使）のイマニュエル教授のようにコッケコッコー！とやったもんから、私はこれはとうとう精神に異常をきたしたのだと思った。　「俺はただアリバイの口述書のためだけに来たのだ。　お前は火事の犯人だ！　ここに証人であるお前の妻の署名もある！」と逆に脅すシルヴァ。　これは本当。　これに逆上したアーチーは猟銃を取りに奥へ走る。　シルヴァを逃したベビイドールは電話に飛びつき、保安官にアーチーの放火のことを通報した。　外に飛び出して逃げたシルヴァを追うアーチー。　庭の大木によじ登ってクルミを食うシルヴァ。　床下まで探す狂乱のアーチー、銃声に驚いて受話器を投げて外に飛び出すベビイドール、一切合財を背負って出ていこうとするローズ、半鐘をならす黒人使用人、とアーチー邸内はそりゃもう大騒ぎ！　外に出てアーチーではなくシルヴァを探すベビイドールに木の上から手が伸びた。　「ベビードールゥー！、ヴァッキャロー、どこにいるー？」と叫ぶアーチー。　探し疲れたアーチーが泣きながら「ベビードール、ベビードール！」と呼ぶシーンはテネシー・ウイリアムズ戯曲の「欲望という名の電車」でMarlon Brando（マーロン・ブランド）が「ステラ！　ステラ！」と泣きながら妻を呼ぶシーンに似ています。
こともあろうに二人が隠れている大木の下に座り込んだ疲れ果てたアーチー。　頭を木や地面に打ち付けて泣くアーチー。　そこに車が入ってくる。　木の上から降りてきたシルヴァが証人の署名を示す。　保安官らに抱えられて車に乗せられたアーチー。

Wait for Tomorrowこうするしかないと保安官がアーチーに耳打ちした後、時は真夜中の12時を告げていた。　感慨深そうにアーチーがつぶやく。　「今日はベビイドールの誕生日だ。」　アーチーは家に入っていく妻のベビイドールを見た。　保安官に出発を促されたアーチーのうなだれたハゲ頭が痛ましい。　「この次はもっと綿を持ってくるから」と言い残してシルヴァも去った。　外にいた伯母のローズに家に戻ろうと促すベビイドール。　「何にもすることはないけどきっと明日にはあるわ。」　夫を保安官に売ったベビイドールだったが生まれ変わったようにすがすがしい。　そうでした、悪夢の一夜が明けて今日はベビイドールの二十歳の誕生日なのです。「やれ、やれ。」と荷物を引っさげて再び中に入るローズのショットで幕。　このシーンは意図的に舞台の様式をとっているようです。　ベビイドールは成長した。　ライバルのシルヴァは復讐を果たした。　一人で貧乏クジをひいたのは夫のアーチーで、工場の経営不振と妻に触れることができないという欲求不満でまさにダブルパンチを食らった有様でしたが、アルチュウーはともかく放火の罪は重く、日本では江戸時代に火付けの罪に問われた16歳の八百屋お七は市中引廻しのうえ鈴ヶ森で火あぶりの刑だったそうです。Baby Doll (Wait for tomorrow) - YouTube

Baby Doll (1956) Trailer - VideoDetectiveBaby Doll - Original Trailer (1956) - YouTube☆「ベビイドール」の写真が見られるBaby Doll - La bambola viva - FILM.TV.IT ☆「ベビイドール」の映画ポスターが見られるBaby Doll Posters - MovieGoods.comBaby Doll Posters - MoviePoster.com

Eli Wallach「ベビイドール」には大抜擢の新人女優のキャロル・ベイカーやカール・マルデンというベテランの性格俳優などが出演していますが、忘れちゃならないのがアーチーのライバルであるシルヴァ・ヴァカロを演じたちょっとRichard Boone（リチャード・ブーン）似のイーライ・ウォラックです。（エリ・ウォラックという表記もあり）　こりゃもうこたえられない名演技で、映画祭の賞を何か差し上げたいくらに実に魅力的です。　実際にシルヴァ役でゴールデングローブ賞にはノミネートでしたがBAFTA Award（英国アカデミー賞）では最優秀新人賞を受賞しているそうです。　舞台出身のイーライ・ウォラックはなんとエリア・カザンやリー・ストラスバーグと共にアクターズ・スタジオの創設メンバーだったとか。　ただし映画デビューはエリア・カザン監督の「ベビイドール」で、その前はテレビドラマに出演し、「ベビイドール」の後もテレビドラマや映画では悪役などで活躍し、2008年まで映画出演しているそうです。
Karl Maldenベビイドールの夫のアーチーを演じたカール・マルデンはセルビア系のベテラン性格俳優です。　1947年にエリア・カザンが監督した「Boomerang（影なき殺人）」にクレジットなしの刑事役で出演して注目され、エリア・カザンの映画では1951年の「欲望という名の電車」のミッチ役や1954年の「On the Waterfront（波止場）」のBarry牧師役などにも出演している性格俳優です。　カザン映画の他にはRichard Widmark（リチャード・ウィドマーク）が殺し屋で衝撃的デビューした1947年の"Kiss of Death（死の接吻）でウィリアム軍曹を演じましたが、ウィドマークが演じた殺し屋が密告者にされてしまったリゾの母親を車椅子ごと階段からつき落として殺すシーンでリゾ夫人を演じたのは「ベビイドール」でアーチーの伯母のローズを演じたミルドレッド・ダンノックだったそうです。　マーロン・ブランドが監督及び主演した1960年の「One-Eyed Jacks（片目のジャック）」では保安官、
Troy Donahue（トロイ・ドナヒュー）が主演した1961年の「Parrish（二十歳の火遊び）」では煙草大農園主のJudd Raike（ジャッド・レイク）、Natalie Wood（ナタリー・ウッド）が主演した1962年の「Gypsy（ジプシー）」ではローズに恋する俳優のHerbie Sommers（ハービー）役などと1980年代まで多岐に渡る役柄で映画出演していました。
Baby Doll [DVD]

Baby Doll DVDBaby Doll [DVD] [Import]上記の画像はアメリカのAmazon.comで販売されている2006年リリースの「Baby Doll」のDVDです。　こちらは国内で販売されているDVDですが、フォーマットはリージョン１の輸入版（英語）で、これ以外にはDVDは見つかりません。（1998年リリースのVHSもあるようです。）※アメリカでは2006年にリリースされた「Tennessee Williams Film Collection」があり、7枚ディスクにA Streetcar Named Desire、Cat on a Hot Tin Roof、Sweet Bird of Youth、The Night of the Iguana、Baby Doll、The Roman Spring of Mrs. Stoneが収録されています。垂涎のテネシー・ウィリアムス映画集ですが、惜しむらくはフォーマットがリージョン１。
Baby Doll Soundtrackページトップの画像は「ベビイドール」のサウンドトラックです。　映画「ベビイドール」で一番エロティックなのはキャロル・ベイカーではなくKenyon Hopkins（ケニヨン・ホプキンス）が手掛けた音楽でしょうか。　オリジナルのLPはオークションでしか見つかりませんが、CD化されたサントラが2003年に再リリースされています。　挿入歌として使用されたR&amp;B曲の”Shame, Shame, Shame!”の他に”Baby Doll and Empty House”やマンドリンが入った”Lemonade”など映画のストーリーを追った12曲を収録してあります。　音楽はケニヨン・ホプキンスが作曲してRay Heindorf（レイ・ハインドーフ）指揮によるThe Warner Bros. Studio Orchestra (ワーナーブラザース・スタジオ・オーケストラ) の演奏で大変洒落たジャージーなアルバムです。「ベビイドール」の後にケニヨン・ホプキンスが音楽を担当した映画には1957年の12 Angry Men（十二人の怒れる男）、1960年のThe Fugitive Kind（蛇皮の服を着た男)､1961年のThe Hustler（ハスラー）、1965年のThis Property is Condemned（雨のニューオリンズ）などがあります。　無声映画のピアノ伴奏から映画音楽を手掛けるようになったレイ・ハインドーフもDoris Day（ドリス・デイ）が主演した1949年のYoung Man with a Horn（情熱の狂想曲）や1950年のTea for Two（二人でお茶を）など1930年代から1960年代までたくさんの映画音楽を担当しています。♪「ベビイドール」サントラの試聴はBaby Doll Soundtrack - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

Baby Doll BOOKBaby Doll and Other Plays: WITH "Something Unspoken" AND "Suddenly Last Summer" (Penguin Modern Classics)この表紙画像は意味不明ですが、国内で入手できる2001年販売のテネシー・ウィリアムズの戯曲集です。（英語）　1956年の”Baby Doll（ベビイドール）”の他に1958年の”Something Unspoken（語られないこと）と”Suddenly Last Summer（去年の夏、突然に）が収録されています。　この他にも英語のペーパーバック版の「Baby Doll (French's Acting Edition)」があります。
2 Piece Babydoll Pajama「ベビイドール」が公開された後、女性用パジャマとして長ズボンではなくてショーティ（短いブルマー）のベビードールが登場しました。　足が見えるから男性が喜ぶセクシーな観賞用ネグリジェというだけではなく若い女性の間で可愛いお寝巻きとして人気がでました。　なかには透けるナイロン製もありましたがたいていは木綿製でフリルやギャザーがあしらってあり、提灯袖とブルーマの裾にはゴムが入っていますが、袖もパンツも短いですからセントラル・ヒーティングでも設置されていなければ冬には向きません。　このパジャマは半世紀前の代物だから現在ではフィフティズとかクラシックもしくはヴィンテージのベビードールと呼ばれています。　現在ではパジャマというよりも若い女性のセクシー・ランジェリーとなっているようです。こんな　Babydoll Pajamaこちらも　Babydoll Pajama

Carroll BakerHarlow (1965) [VHS] [Import]1931年生まれでポーランド系のキャロル・ベイカーはアクターズ･スタジオ入りした後にブロードウエイの舞台に出演してエリア・カザンの目に留まり「ベビイドール」のヒロイン役に抜擢されました。　キャロル・ベイカーは「ベビイドール」公開の2ヶ月前に「Giant（ジャイアンツ）」にもマイナーな役で登場していましたが「ベビイドール」への出演により一夜にして有名になりブロンドのセックスシンボルとしての名声を不動のものとしました。　Warner Brothers（ワーナー映画）の「Marilyn Monroe（マリリン・モンロー）として売り込まれたプラチナ・ブロンド（金髪）と間延びしたしゃべり方が特徴のキャロル・ベイカーはその後1958年にThe Big Country（大いなる西部）で有力者の娘のパトリシア役を演じた後、ミルドレッド・ダンノックも出演していたサイコ映画でレイプがトラウマとなった女性を演じた1961年のSomething Wild（傷だらけの愛）があります。「傷だらけの愛」はキャロル・ベイカーの夫だったJack Garfein（ジャック・ガーフェインが）監督した映画で、Saul Bass（ソウル・バス）が手掛けたタイトル・デザインとAaron Copland（アーロン・コプランド）の音楽が話題になりました。　異色なのは1968年のイタリアン・サスペンス映画でフランスの二枚目スターのJean Sorel（ジャン・ソレル）と共演した「Il Dolce Corpo Di Deborah（デボラの甘い肉体）」でしょうか。　その後の1977年にAndy Warho（アンディ・ウォーホル）制作のとてもユーモアとは思えないブラック・ユーモア映画「Bad（ＢＡＤ）」では美容サロン経営を兼ねた狂気の女性殺し屋派遣業者を演じ、嫌な女だから差別発言の連発により殺害されます。　この犯人を演じた俳優の身を案じてしまった私ですがブラックだからダイジョウブだったのでしょうか。　赤ん坊を窓から投げ落とすなどあらゆる残虐で衝撃的な恐ろしいシーンがあるのでよほどのスプラッシュ&amp;ホラー好きでないとちょっと観ておれないひどい映画です。　1988年のChet Baker（チェット・ベイカー）を追ったドキュメンタリー映画「Let's Get Lost（レッツ・ゲット・ロスト）」にキャロル・ベイカーの名があって驚いたところ、なんとチェット・ベイカーの3番目の妻が同じ名前だそうです。　こちらは本物のキャロル・ベイカーが1997年に出演したゲーム（The Game）ですが家政婦役では見ていても全く気がつきませんでした。☆キャロル・ベイカーで特筆すべきはその風貌が、”ベイビー”と呼ばれた1930年代のセックス・シンボルのJean Harlow（ジーン・ハーロー）に似ていることです。　1964年に「The Carpetbaggers（大いなる野望）」でもジーン・ハーローをモデルとした役を演じましたが、続いて1965年にはジーン・ハーロー伝記映画の「Harlow（ハーロー）」で主演しています。　この映画は1947年に”West Side Story（ウェスト・サイド物語）”を書いたIrving Shulman（アーヴィング・シュルマン）が1960年に執筆したジーン・ハーローの暴露本”Jean Harlow（ハーロー　その異常な愛と性）”をもとにしたGordon Douglas（ゴードン・ダグラス）が監督したハーロー伝記映画です。　ゴードン・ダグラス監督の映画には「ハーロー」に続いて1965年に女流詩人の伝記映画の「Sylvia（シルビア）」でもキャロル・ベイカーがヒロインを演じています。映画「ハーロー」の写真が見られるJean Harlow, la donna che non sapeva amare - FILM.TV.IT ☆Carroll Baker Sexy Photos - YouTube☆Carroll Baker More Sexy Photos - YouTube

Elia Kazan (1909 - 2003)アメリカに移住したギリシャ人ののエリア・カザンは第二次世界大戦後の冷戦時代の産物である現代の魔女狩りにも等しいハリウッドの赤狩り事件後では告発行為が同胞への裏切り行為だと糾弾されました。　体制の良き協力者は時代が変わって卑怯者になったのです。　それから45年後のこと、1998年のアカデミーの名誉賞授賞式では非難を浴びて会場が騒然となったこともありました。　迫害されて国外での映画作りを監督や仕事がなくなり不遇の人生を送った俳優たちの中には私の好きな人物がたくさんいました。　しかし、エリア・カザンは監督として素晴らしい作品をたくさん手掛けているので私には好きな監督の一人となっています。　ユダヤ人問題をハリウッドで浮き彫りにした最初の映画である「Gentleman's Agreement（紳士協定）」を監督したエリア・カザンが「East of Eden（エデンの東）」に次いで監督したのが「ベビイドール」です。　その後も1957年の「A Face in the Crowd（群衆の中の一つの顔）」や1961年にNatalie Wood（ナタリー・ウッド）が主演した「Splendour in the Grass（草原の輝き）」や1963年の「America, America（アメリカ　アメリカ）」などがあります。　アクターズ・スタジオの創設やメソッド演技法の教授を例にとっとも分るように演劇から入ったエリア・カザンは監督業の前には俳優として1930年代中頃から映画に出演しています。　出演映画にはAnatole Litvak（アナトール・リトヴァク）監督の1940年の「City for Conquest（栄光の都）」や1941年の「Blues in the Night（夜のブルース）などがあります。

Tennessee Williams1938年、アメリカの戯曲作家であるテネシー・ウィリアムズが27歳の時、刑務所での実話をもとにした”Not About Nightingales（C監房棟の男たち）”で注目された作品は残念ながら未読ですが、それ以外の作品は殆ど読んだ筈と思い込んでいる私です。　後期の作品はホモセクシュアル色があまりにも濃過ぎてそれらがテネシー・ウィリアムズの一部であっても辟易しました。　テネシー・ウィリアムズは”テネシー”というペンネームが示すように南部のミシシッピの出身ですから南部を舞台にした自伝的な作品が多いのです。　テネシー・ウィリアムズの作品の映画化は1945年のThe Glass Menagerie（ガラスの動物園）の後に1947年のA Streetcar Named Desire（欲望という名の電車）、1955年に「The Rose Tattoo（バラの刺青）」、そしてこの「ベビイドール」、Cat On a Hot Tin Roof（熱いトタン屋根の、そして1959年のSuddenly, Last Summer（去年の夏突然に）、本は読んでも映画は全く存在することすら知らなかった1961年のThe Night of the Iguana（イグアナの夜）、ギターを抱いた渡り鳥、マッチョな流れ者のValentine 'Snakeskin' Xavier（ヴァル）を演じたブランドが1960年の「（蛇皮の服を着た男）」やPaul Newman（ポール・ニューマン）が主演した1962年の「Sweet Bird of Youth（乾いた太陽）」、そして私好みのThe Roman Spring of Mrs. Stone（ローマの哀愁）や1965年の「This Property is Condemned（雨のニューオリンズ）」などとタイトルを並べてみるだけでも残酷なまでの愛の渇望と渦巻く欲望と悲しみ、その異常ともいえる濃いドロドロ加減にワクワクするのです。
Elia Kazan - Baby Doll (1956)- Google VideoBaby Doll (1956)- Internet Archive.org]]></description>
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Wed, 20 May 2009 00:05:13 +0900</pubDate>
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         <title>ロイヤル・クラウン・レビュー　Royal Crown Revue</title>
         <description><![CDATA[Mugzy's Move

RCR: Royal Crown Revue - The King of Neo Swing本物のロカビリーを享受してきた世代の私はネオ・ロカビリーが音楽的に素晴らしいと分っていてもノスタルジーが先行し、ノイズ入りの古レコードをかけたりして昔の音を懐かしんでしまうのです。　ですがロイヤル・クラウン・レビューのスウィングには驚きました。　粋にスウィングするロイヤル・クラウン・レビューはネオスイングの王様といわれているバンドです。　アングラから始まったレトロ・スタイルを本物の文化現象とし、そっくりバージョンを含めクラシック・スイング曲のカバーをたくさん手がけている大変ユニークな南カルフォルニア・スイングバンドです。　そのロイヤル・クラウン・レビューは”Hey Pachuco!”といい勝負の”Zoot Suit Riot”がウルトラヒットしたCherry Poppin' Daddies（チェリー・ポッピン・ダディーズ）や、Betty Boop（ベティ・ブープ）漫画のCab Calloway（キャブ・キャロウェイ）パロディみたいな”Ghost of Stephen Foster”のSquirrel Nut Zippers（スクイーレル・ナット・ジッパーズ）などと共にネオ・スウィング・リヴァイヴァルのパイオニアといわれているそうです。　1990年代に話題となったネオ・スウィングとは1950年代以前のスウィング・ジャズを基盤として、スウィングジャズ、ブルースやジャイヴ、ロカビリーやロック、ラテンやポップスなど色々とミックスしてジャンルを超越した音楽です。　”ネオ”というだけあってアレンジがオリジナルを凌ぐのではないかと思われるほど素晴らしい編曲もあります。　R&amp;B風ホンキング・テナーやミュートを効かせたトランペット、スウィンギーなドラムなどと演奏も熱が入ってますが、魅力的なボーカルのエディ・ニコルズもステージを縦横無尽に飛び回りエネルギッシュなステージを繰り広げます。　ツアーやステージが多いとはいえ、20年に及ぶ活動期間にアルバムのリリースが10枚に満たないというのはなんとも不思議です。　ネオ・スウィングは廃っても選曲に長けたロイヤル・クラウン・レビューの演奏により現代の若者に昔の音楽を啓蒙する意味では大いに貢献したと言えるでしょう。Zoot Suit Riot - YouTube
Ghost of Stephen Foster - YouTube

King of Gangster Bop: Royal Crown Revue1993年に歌手のEddie Nicholsとテナーサックス奏者でアレンジャーで作曲も手掛けるMando Dorameが組んでハリウッドのクラブで演奏したのがロイヤル・クラウン・レビューの始まりだそうです。　昔懐かしい音楽を新しい編曲で聴かせるレトロな演奏スタイルがロサンゼルスで人気を呼び、1994年の映画「The Mask（マスク）」の監督のChuck Russell（チャック・ラッセル）がロイヤル・クラウン・レビューステージを観て映画出演の運びとなり、1995年にWarner Bros.（ワーナーブラザーズ）との契約に至ったそうです。　The Derbyでのステージは1996年の映画「Swingers（スウィンガーズ）」の制作にあたりJon Favreau（ジョン・ファヴロー）に脚本を執筆するインスピレーションを与えたそうです。　ボーカルは言うに及ばず演奏もとびっきり素晴らしいロイヤル・クラウン・レビューのメンバー構成はボーカルのEddie Nichols（エディ・ニコルズ）とBig Jay McNeely （ビッグ・ジェイ・マクニーリー）ばりのテナーサックスを吹くMando Dorame、トランペトがScott Steen（スコット・スティーン）とパーカッションとドラムがDaniel Glass（ダニエル・グラス）は代わりませんが、現在はギターがMark Cally、バリトンとアルトサックスがJim Jedeikin、ベースがDavid Earl Miller（デヴィッド・アール・ミラー）だそうですが、過去にはベースにVeikko Lepisto、バリトンにBill Ungerman、ギターにJames Achor（ジェームス・アコール）などが参加しました。　1994年に映画「マスク」のナイトクラブ・シーンに出演したロイヤル・クラウン・レビューはクレジットなしにもかかわらず”Hey Pachuco!”をもって世界的に一躍有名となり連日のツアーでヨーロッパツアーまでも行ったとか。（来日はまだ。）※ヒット曲のタイトルとなっている”Pachuco（パンチュコ）”とは諸説ありますが、エル・パソを起源として1930年代から1940年代にかけてネイティブやアジアやヒスパニックなど人種のるつぼだったアメリカの南西部（ロスアンジェルスやニューメキシコ辺りの乾燥地帯）でコテコテのポマード頭や服装ならズートスーツように主にメキシコ系の若者たちが確立したギャングとも関連したサブカルチャー（若者文化）だとか、厄介者とか低級とか破廉恥などという意味もあるそうです。　パンチュコ文化は1960年代にはChicano（チカーノ）に代わり、1970年以降は経済難からギャングのダンディズム（伊達好み）はほぼ消滅しました。（フランスではボルサリーノ）　ズートスーツは廃ったとはいえ現在ではメキシコ系の一部の社会では正装となっているそうです。　ギャングがかっこういいと歌うのは現代のラッパーも同様です。ちなみにロイヤル・クラウン・レビューが録音する時に使用しているオリジナルのリボン・マイクの画像はRibbon Microphone 44 - SATURN SOUND  Recording Services ☆Last.fmでチャートを見るとなんといってもロイヤル・クラウン・レビューの一番人気はオリジナルである1991年の”Hey Pachuco!”で、続いて”Zip Gun Bop”、そして”Stormy Weather”です。Zip Gun Bop - YouTubeStormy Weather - YouTubeRoyal Crown Revue Official Web SiteRoyal Crown Revue - Official Site画像の下のFaster Speedのボタンが高速用ですがフラッシュ画面が表示されるまでかなり時間がかかります。　中央のメニューからMusicを選ぶとアルバムが表示され以前は気前良く聞けたのですが現在は曲目だけで試聴できません。　その下のVIDEOSをクリックしますと現在は６ビデオのサムネールが表示され、Billboard Music AwardsでのBette Midler（ベット・ミドラー）との共演ビデオや珍しいベルギー・ライヴ映像もフルで観られます。（注！念のため、私のPCではメニューのSTOREをクリックしたら閲覧しないようにという警告が出ました。）※1994年からロイヤル・クラウン・レビューでドラムを担当してきたダニエル・グラスはロックンロール・ドラムについての教本の著作もありあますが、2007年にドラムの教本的なDVDである「Principles of Swingtime」をリリースしました。☆ネオ・スウィングというとよく出てくる言葉に1930年代に流行ったZoot Suit（ズート・スーツ）がありますが、それはCab Calloway（キャブ・キャロウェイ）が着ていたあのダボダボのスーツです。　そのスーツの名が付けられた”Zoot Suit Riot（ズートスーツ・ライオット）”は1943年のロスアンジェルスで起こった暴動事件のことです。詳しくはAudio-Visual Trivia 内のブラック・ダリア　The Black Dahlia (2006)♪Come Fly With Me、Beyond the Sea、Live The Life I Love、El Toro、Sick And Tiredがフルで聴けるRoyal Crown Revue - MySpace.com

Swingers　1996年Iron Man（アイアンマン）を監督したジョン・ファヴローが脚本を手掛けて主演した「スウィンガーズ」はDoug Liman（ダグ・リーマン）が監督した作品で、スウィング・リヴァイバル時代のカルフォルニアの売れないコメディアンを主人公にした愉快な映画ではロイヤル・クラウン・レビュー・サウンドの音楽がいっぱいです。　Fred Claus（ブラザーサンタ）やFour ChristmasesのVince Vaughn（ヴィンス・ヴォーン）が俳優希望のTrent役で出演しました。　Rat Pack（ラット・パック）をイメージしたような映画になるはずだったそうで、ロイヤル・クラウン・レビューが作り上げたネオ・スウィング・シーンがモデルだったそうです。　ロイヤル・クラウン・レビューはワーナーとの契約があったために惜しくも出演を逃しましたが、サウンドトラックには”Datin' With No Dough”が使用されました。　ロイヤル・クラウン・レビューに代わるバンドとして1989年に結成されて昔のスウィングを演奏する南カルフォルニアのBig Bad Voodoo Daddyが出演して”Go Daddy-O”などを聞かせます。

Mugzy's Moveページトップのハードボイルドな画像はオリジナルが1996年にWarner Bros.（ワーナー・レコード）からリリースされた北ハリウッドのGround Controlでのライヴ・アルバムです。　ノスタルジックなアルバムのカバー画像が50年代のB級ギャング映画のようですが事実ギャングやハリウッド近辺のショッキングな出来事などを取り入れています。　ズートスーツの洒落男に色っぽい女、いかした車にジルバ、指パッチン（スナップ）入りでそんなレトロな漫画チックともいえる題材を謳ったジャンプ・ブルース風のスウィング・ロックやポップスの全14曲をを収録しています。　アルバム・タイトル曲のMugzy's Moveの他、Hey Pachuco!やZip-Gun Bopや I Love the Life I Live, I Live the Life I LoveやDatin' With No Doughなど全14曲を収録しています。　その中の”Honey Child”は元ボクサーのブルース・ミュージシャンであるWillie Dixon（ウィリー・ディクソン）の曲だそうです。　1998年に再リリースされたアルバムには"ボーナストラックの”Barflies on the Beach”が追加されていますが、この曲はKing of the Swingersの異名を取ったLouis Prima（ルイ・プリマ）が1936年に作曲した”Sing Sing Sing”のアレンジですがドラムのイントロが Benny Goodman Orchestra（ベニー・グッドマン楽団）のGene Krupa（ジーン・クルーパー）にそっくり！　Bobby Darin（ボビー・ダーリン）が1959年に歌った”Beyond the Sea”をそっくりにカバーしてエディ・ニコルズのボーカルの力量を示していますが、楽器演奏でもどれもこれもが郷愁を感じさせる選曲となっています。※全く関係ありませんが、1980年のRaging Bull（レイジング・ブル）でデビューしてギャング映画などに出演したJoe Pesci（ジョー・ペシ）が歌うビデオでテナーを演奏しているのがMuzzyなんだそうです。（そう、関係ないです。タフなイメージがあるMugzyはブルなどワンちゃんの名前によく使用されています。）Bottle of Whiskey - IMEEM.comI Love the Life I Live - IMEEM.com試聴はMugzy's Move - cdUniverse

Kings of Gangster BopKings of Gangster Bopオリジナルのリリースが1991年のモダンロックと称されるアルバムでHey PachucoやZip Gun Bopの他、私の好きなDaydreamin'など全11曲が収録されています。　Daydreamin'のオリジナルは60年代のLovin' Spoonful（ラヴィン・スプーンフル）のブルース・ロック（GS）が歌った1966年のDaydream（デイ・ドリーム）でしょうか。試聴はKings of Gangster Bop - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

Caught In The Act（All Recorded Live!）Caught In The Actオリジナルのリリースが1997年というこのライヴ・アルバムはDuke Ellington（デューク・エリントン）の”The Mooch”や”Who Dat?”をカバーするなどユーモアを交えた編曲で歌い演奏しています。　”Who Dat?”はWoody Herman（ウッディ・ハーマン）が1943年に録音したコミカルな曲でオリジナルは”Who Dat Up Dere?”ですがエディ・ニコルズがあまりにウッディ・ハーマンにそっくり！試聴はKings of Gangster Bop - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

The ContenderThe Contender1998年にリリースされたロイヤル・クラウン・レビューの4番目（ワーナーからは2番目）のアルバムはオリジナル曲であるアルバム・タイトル曲の”Contender”や”Port-au-Prince”や”Walking Like Brando”、そしてかっこいい”Zip Gun Bop”の他に12曲が収録されています。　ロイヤル・クラウン・レビューが演奏するSalt PeanutsはDizzy Gillespie（ディジー・ガレスピー）の愉快な演奏で知られているクラシックなラテン曲です。試聴はThe Contender - Barnes &amp; Noble.comSalt Peanuts - YouTubeWalking Like Brando - YouTube

Greetings from HollywoodGreetings from Hollywood1994年から2004年の録音を集めた2004年がオリジナルという7番目のアルバムです。　Georgia Gibbs（ジョージア・ギブス）の”Something's Gotta Give”、Fats Domino（ファッツ・ドミノ）が1958年に歌ったSick And Tired、Frank Sinatra（フランク・シナトラ）の”Come Fly With Me”やLover, Come Back To Me、You Go To My Head、そしてSunnyside of the Streetといったスタンダード曲のカバーを収録しています。試聴はGreetings from Hollywood - cdUniverseSomething's Gotta Give - YouTube

El Toroアルバム・タイトル曲の”Toro”の他全6曲を収録している2007年リリースのサンバ調のミニアルバムで、Neil Diamond（ニール・ダイアモンド）の初ヒット曲である”Solitary Man”の洒落たカバーや”Brazil”などが収録されています。　”Brazil”は映画音楽作曲家のMichael Kamen（マイケル・ケイメン）の代表作である1985年の映画「Brazil（未来世紀ブラジル）」のサウンドトラックで使われた有名なサンバ曲です。試聴はToro - Barnes &amp; Noble.comちなみにR&amp;B曲の”Watts Local”が収録されている全くのオリジナル・アルバムは1999年リリースの「Walk on Fire」ですが入手困難です。試聴はWalk on Fire - Shopping Yahoo!♪Watts Local (Walk on Fire) - YouTube

Royal Crown Revue on SoundtracksThe Mask (1994)ロイヤル・クラウン・レビューは日本未公開でしたが、1993年にMatt Dillon（マット・ディロン）が主演したGolden Gate（ゴールデン・ゲート）で自作のMellow SoulfulやParks PlaceとJumpin' With The Crownがサウンドトラックに使用され、1999年のThe Other Sister（カーラの結婚宣言）ではWalkin' Bluesが使用されています。　この他、ロイヤル・クラウン・レビューの代表曲である”Hey Pachuco!”は、日本未公開ですがKevin Spacey（ケヴィン・スペイシー）が主演した1999年のThe Big Kahuna（ビッグ・チャンス）やBilly Bob Thornton（ビリー・ボブ・ソーントン）も出演した2002年のWaking Up in Reno、そしてボストン北部でのアイリッシュとイタリアンのギャング抗争を描いた2007年のBeantownでも使用されたそうです。　まったくのところ、多いとはいえません。The Maskロイヤル・クラウン・レビューが映画に出演したのは1994年にジムキャリーが主演した「マスク」です。　「マスク」の音楽はSurviving Christmas（恋のクリスマス大作戦）の音楽を担当したRandy Edelman（ランディ・エデルマン）ですが、キャバレー・シーンにはRoyal Crown Revue（ロイヤル・クラウン・リビュー）が出演して、自作の”「Hey Pachuco!（ヘイ・パンチュコ）などを歌いましたが、ドラムのイントロがかっこよくて、これが実にノリノリの演奏でした。☆ロイヤル・クラウン・リビューが出演したジムキャリーの「マスク」についてはAudio-Visual Trivia 内のマスク　The Mask (1994)]]></description>
         <link>http://www.audio-visual-trivia.com/2009/05/royal_crown_revue.html</link>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Sun, 10 May 2009 00:03:51 +0900</pubDate>
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         <title>緑の館 　Green Mansions (1959)</title>
         <description><![CDATA[Green Mansions [VHS] [Import]Anthony Perkins and Audrey Hepburn in Green Mansions

Green Mansions　1959年「緑の館」は南米のヴェネズエラ辺りの奥地（ギアナ）、オリノコ河上流の原住民（インディオ）が住んでいたアマゾンの密林を舞台にしてベネズェラの革命戦争から幻想的なロマンスに発展するファンタジー映画ですが、DVDはリリースされていないしVHSも入手困難です。　この幻の「緑の館」を観るチャンスはなかなか訪れないと思いますが、2006年にNHK-BS2で放映されたそうですから、再びどこかの名画座で放映されるかもしれません。　私は英語が苦手ですが、その私が疑問に思うことは、題名の”Green Mansions”が複数形だということです。　”Green Mansions”は植物が生い茂り鳥獣たちが放し飼いになっている緑苑という意味なのでしょう。「緑の館」の時代は原作では1840年だそうです。　映画の冒頭はなにやら不穏な空気が漂う闇夜、月明かりの下、必死で逃げる男の姿を追う憲兵たちと犬の鳴き声で始まります。　河に潜って通りかかった船に潜んだその男はベネズェラ（Venezuela）の革命戦争を逃がれたアベルという23歳の裕福な家庭に育った青年です。　Anthony Perkins（アンソニー・パーキンス）が演じるアベルの父は革命で殺されたそうで、その報復蜂起の資金調達のため無謀にも地図にも載っていないギアナのジャングルに埋もれているという噂の金鉱を探しに来たのだそうです。　豹や大蛇も棲む危険がいっぱいのオリノコ河南岸の密林地帯に入って行こうとしますが、調達したボートの漕ぎ手である現地人（土人）は恐怖のために逃げ去ったためアベルは一人で漕がねばなりませんでした。　急流に飲まれて転覆したボートからうまいこと鰐には食われずに泳いで岸にたどり着いたアベルでしたが赤フンの現地人（インディオ）に拉致され仕留められた豹と共に部落へ連行されます。　酋長（早川雪舟）の命令で炎天下に延々と自己紹介をさせられ、もう駄目かと思ったところに言葉の通じるKua-Ko（クアコ）という酋長の甥が現れてようやく命拾いします。　このクアコを演じているのがOcean's Eleven（オーシャンと十一人の仲間）でギャングの手下のロジャー・コーニルやJohnny Cool（ひとりぼっちのギャング）で冷酷な殺し屋を演じたHenry Silva（ヘンリー・シルヴァ）なのです。

インディオの部落でブラブラと時を過ごしていたアベルでしたが、森を守る邪悪なThe Daughter of the Didi（ディディの娘）がいるからと酋長が行くことを禁じる美しい森に興味を持ちます。　アベルは警告を無視して部落の向こうにある禁断の森に入っていったのです。　その森では今まで見たこともないようなエキゾティックな動植物に驚き夢心地のアベルでした。　そんなアベルをを見ていたのが小鳥の鳴き声を出せる森の妖精です。　アベルは得も言われぬほど美しい鳴き声を辿っていき、ふと湧き水を覗くとその中に少女の姿が見えたような気がしました。　しかしそれ以上は何も見つけられず、森から出てきたところをクアコに見られてしまいます。　酋長のお気に入りだったクアコの兄のピアケーがある日獲物を取りに森に入ったところ森を守るために狩りを邪魔する魔女に殺されたのだとか。　それでアベルは試練としてディディの娘と呼ばれるその白人の少女を殺すように命じられるのです。　Didi（ディディ）とはベネズエラやギアナの森の戦いの神とも云われる伝説の猿人だとか。（ヒマラヤなら雪男のたぐいでしょうか。）　なぜリーマが魔女扱いかというとリーマが森の動物を守ってインディオの狩りの獲物にならないようにしていることと、偶然インディオの射った矢が間違って仲間を殺してしまったことがあったからです。

腰まで届く長い黒髪、細身の身体にまとった蜘蛛の糸で織ったアースカラーのチュニックを着た少女、自然環境保護の精神を宿したベジタリアンの少女、鳥や動物を友として会話でき小鳥のように囀ることができる少女、木の上を裸足で超スピードで駆け抜けることができる、そんな少女をやっと見つけたアベルでしたが、毒蛇にかまれて気絶してしまいます。2日後にアベルが気が付いた所はAudrey Hepburn（オードリー・ヘプバーン）が演じるRima（リーマ）という17歳の少女とNuflo（ヌーフロ）というお爺さんが住む小屋でした。　足の傷も癒えたアベルはリーマと森を散策して岩場に咲く造花にも見える梔子のような美しい白い花（Hata flower）を見つけます。　この世でたった一輪しか咲かないという白い見事な花の言い伝えを話すリーマ。　この花を森で見つけた者は全ての敵を征服し全ての願望を達成し誰よりも長生きするであろうというインディオ伝説があるそうです。　不透明でぶ厚いのにまるで水晶のような輝きを持つ花びらのこの大輪の花は今咲いたばかりのように新鮮で時が経っても萎れることもありません。　アベルは次第にリーマを愛するようになるのですが、リーマは恋とは何かを知らない環境に育ちました。　それでもアベルに対する奇妙な感情の芽生えに戸惑いをみせます。　アベルはリーマの出生の秘密を知りたいと思うのですがヌーフロ爺は口を閉ざします。この後のシーンで小屋の外で夜にアベルがギターの弾き語りで”They say that the love is a fragile thing ...（恋ははかないものと云われるけれど）”と歌ったのがBronislau Kaper（ブロニスロー・ケイパー）が作曲した”Song of Green Mansions（緑の館のテーマ曲）”でした。Rima &amp; Abel in Green Mansions - YouTubeAnthony Perkins - Song of Green Mansions - YouTube

夜にアベルが小屋の外で歌っている時、傍らにやって来たリーマが手にしていた糸巻きにアベルの目は吸い寄せられました。　ヌーフロ爺がリーマにくれたというその糸巻きは黄金製だったのです。　金だっ！とピンときたアベルはお宝の山を知っているらしい老人の後を追跡したのでした。森から帰ったアベルに酋長は訊ねます。　ディディの娘（リーマ）を殺したか？　アベルは毒蛇に噛まれた件を話してできなかったことを話します。　するとクラコはミツバチの我慢比べで誰が魔女を殺しに行くか決着をつけるのだと言出だしたのです。　それを聞いたアベルはこの男が兄のピアケーを殺したのだと悟ったのでした（聖書のカインとアベルの物語）　このことを酋長に伝えたいが言葉が通じない。　敵対する部族の回し者かはたまた悪魔の仲間かと疑われて捕虜として縛らわれてしまうのです。　アマゾンのインディオの儀式は大変興味深い。　が、酋長が早川雪舟だから儀式も本物かどうか不明。縛られた縄をようやく解いたアベルはリーマを殺しに行ったクアコの後を追い、クアコよりも先にリーマの小屋にたどり着いた。　アベルがインディオが殺しに来ると伝えたので、可愛がっていた小鹿を気にしながらも犬だけを連れたリーマとヌーフロ、そしてアベルの3人はカヌーでリーマの母が亡くなったという“Riolama（リオラマ）"の地へと向かいます。　リオラマはリーマの本当の名前でもあったのです。　3人がカヌーを岸に着けて上陸した所は骸骨や干し首が見える別の部族（首狩り族？）の土地だったらしい。　犬がリーマの手から離れてアルマジロ（tatouay）に向かって吠え立てたのでインディオに見つかってしまいました。　追ってくるインディオから逃れて吊り橋を渡った3人はインディオが渡れないように橋を落として防げたのですが、この地でもリーマの母の手がかりはなかったのです。　洞窟でヌーフロ爺さんは偽善的な過去の出来事を告白をします。　ヌーフロは十数年前に原住民を虐殺して黄金を奪った盗賊の首領だったが、一味は追われて山の洞窟に隠れた。　そこにいたのが小鳥のように話す女で、その女をヌーフロは魂を救ってくれる聖人だと思ったそうだ。　盗賊を抜けたヌーフロはリマを出産するその女を山から白人のコミュニティに連れていったそうだ。（リーマの父親が誰かは不明）　武器を持たない菜食主義の優しい人々は疫病やインディオに襲撃で全滅したそうだ。　その生き残りがリーマだというわけ。　リーマは7歳までは母親と一緒だったとか、母の死後はヌーロフは己の罪を償うためにリーマを育ててきたのだとか。　ようやくリオラマにたどり着いたが、リーマが覚えていた母と遊んだ教会や住居は廃墟となりその跡地でリーマは失望のあまり気絶してしまいした。目を覚ましたリーマはアベルへの愛にも目覚めたのです。　リーマはこうなったからにはアベルとの生活を始めようとその準備のために気が急いて二人より早く去って行ったのでした。（なぜ独りでなければいけないかは多分リーマの属していた人種の掟だったのかも。）　帰る途中でアベルは又インディオに捕らわれてしまったので、一人で森の小屋に戻ったヌーフロは埋めておいた例の砂金を掘り返します。　外では森に入り込んだクラコの一族が小屋に火を放っています。　アベルより先に小屋に戻ったリーマは燃え尽きた小屋と倒れている瀕死のヌーフロのを見つけたのです。　ヌーロフはリーマにさっき掘り出した金を渡すと息絶えたのでした。　そこにやって来たクラコの一族を見て危険を察知して大木の上に逃れるリーマ。　松明を手に追うインディオたち。　リーマが登った大木の根元に枯れ枝を積み重ねて火をつけるインディオたち。　大掛かりな魔女の火炙りさながらのシーンです。やっと戻ってきたアベルが最初に見つけたのはリーマが可愛がっていた小鹿の亡骸。　あちらこちらと探し回り以前リーマーを見た湧き水までたどり着いた。　今度水に映ったのはリーマならぬクラコの姿。　「もう魔女はいない。」　ここでクラコとアベルの一騎打ち。　普通なら部族の戦いで鍛えたインディオに勝てるはずのないアベルだがリーマを按ずるがゆえ戦い抜いた。　そしてやっと燻っている大木にたどり着いたアベル。　灰以外には何もない。　あまりの悲しみに泣き崩れるアベル、その耳にリーマの美しく囀るような声が聞えた。　あの伝説の花。　あの白い花を探すアベル。　あった！以前とは違う場所に。　すると向こうの方に微笑んで手を差し伸べているリーマの姿を見たのでした。※小説のラストとは違います。　”Sin Vos y sin dios y mi.”Abel collects Rima's ashes in a pot. Trekking homeward, despondent and hallucinating, Abel is helped by Indians and Christians until he reaches the sea, sane and healthy again. Now an old man, his only ambition is to be buried with Rima's ashes.鳥のように木から木へと飛び移れるリーマは本当に死んだのか。　本当にアベルはクラコに勝てたのか。　エンディングは曖昧なので色々と想像できます。Green Mansions Trailer - YouTube
Green Mansions VIDEOページトップの画像は日本で販売されている輸入版VHS（英語）ですが、「緑の館」として日本語字幕版のVHSやレーザーディスク（Laser Disc）もあります。　今後DVD化されるかどうかは疑問です。　なぜなら世界的に人気のあるオードリー・ヘプバーンとアンソニー・パーキンスが出演している異色作品ですが、不評を受けて映画ビジネス界から抹殺の憂き目をみているようなのです。　通常はオードリー・ヘプバーンが出演した映画なら数年ごとに新版のDVDがリリースされるはずなのですが。　原作とはちょっと違いますが観ても損はないはず。

Green Mansions SOUNDTRACKGreen Mansions  [Original Motion Picture Soundtrack]1930年代から映画音楽を手掛けているポーランド出身のBronislau Kaper（ブロニスラウ・ケイパー）が作曲した「緑の館」のオリジナル・スコアをCharles Wolcott（チャールズ・ウォルコット）の指揮で演奏されたサウンドトラックです。　オープニングの”Main Title/Chase/River Boat”から”Fire/Dead Fawn”までストーリーを追った全21曲を収録しているサントラは日本でも見つかるかもしれません。（ASIN: B0009UCEZK） 上記の画像は当時MGMからリリースされた国内盤のサントラですが、もうオークションでしか手に入りません。

Green Mansions BOOK緑の館―熱帯林のロマンス (1959年)映画「緑の館」はイギリスの博物学者として名高い、アルゼンチンで生まれたアメリカ人の作家で鳥類学者でもある(William Henry Hudson（ウィリアム・ヘンリー・ハドソン）の代表作品となった1904年の長篇小説”Green Mansions: A Romance of the Tropical Forest”を元にしています。本の画像は英語版のGreen Mansions: A Romance of the Tropical Forest (Dover Books on Literature and Drama) (ペーパーバック)のものです。　※日本語版では1959年に永井比奈子翻訳の「緑の館―熱帯林のロマンス」（ヴィンテージ価格）が出版されたそうですが、「緑の館―熱帯林のロマンス」がちくま文庫や岩波文庫でも見つかります。☆英語版ですがイラスト入りで”Green Mansions”がオンラインで読めるGreen Mansions - Ibiblio.orgアメリカでは著作権のない”Green Mansions”がオンラインでダウンロードできるらしいGreen Mansions BOOK - Project Gutenberg（注！未確認　私はダウンロードしていませんので分る方限定。）

「緑の館」は当時私が劇場で観たのですがなんとなく期待外れだった映画でした。　現在のようにインターネットで情報を得ることはできない時代だったので、ディズニー映画の御伽の国を想定してオードリー・ヘプバーンがネヴァーランドのティンカーベルにでもなっているのかと勝手に思い込んでしまったことが原因でした。　アンリ・ルソーの絵のような禁断の森の美しさに比べてヘプバーンがさほどファンタジー的な美しさには描かれてはいませんでした。　父の恨みを晴らすための資金調達に伝説まがいの不確実な金鉱を探しにアマゾンの奥地に踏み込むなんて無謀かと思われますから、革命を逃がれた夢想家で冒険好きな若者がアマゾンの奥地を彷徨って熱病に侵されて見た幻覚だと思えば納得できます。　珍しいことに舞台が密林だからか二人とも全編通して同じ服装です。　ちなみに1963年に「L'Ape regina（女王蜂）」に出演したMarina Vlady（マリナ・ヴラディ）の1956年の映画「La Sorcière（野性の誘惑）」に大変よく似た映像の設定なので、ひょっとするとメルファラー監督はこの映画にもヒントを得たのではないかと思いました。※マリナ・ヴラディについてはブログ内のカトリーヌ・スパーク　Catherine SpaakとRobert Hossein（ロベール・オッセン）　

 1959 Audrey Hepburn Anthony Perkins Movie Ad

Mel Ferrerヒロインの野性の少女を演じたオードリー・ヘップバーンと結婚したメル・ファーラーの監督3作目の、そして最後の監督作品です。　生涯で5度結婚したメル・ファーラーは1954年に舞台のOndine（オンディーヌ）で水の精を演じたオードリー・ヘップバーンと共演して4度目の結婚をしました。（この時、私は何で！と納得できませんでした。）　※ちなみに「オンディーヌ」とはJean Giraudoux（ジャン・ジロドゥ）が1939年に書いた戯曲で、日本では1958年に劇団四季が初演したそうですが私は1965年に日生劇場の公演を観ました。　オードリー・ヘップバーンが演じたオンディーヌは加賀まり子でメル・ファーラーが演じたハンスは北大路欣也でした。メル・ファーラーが妻のオードリー・ヘップバーンを主役に据えて監督した1960年の「緑の館」の後に息子が誕生しましたが、1967年にスリラー映画の「Wait Until Dark（暗くなるまで待って）」でプロデューサーとして共に仕事をしたのを最後に1968年に離婚しています。　オードリー・ヘップバーンは1993年に亡くなりましたがメル・ファーラーの方はは2008年に90歳で亡くなりました。Audrey Hepburn et Mel Ferrer parlent très bien français - YouTubeスペインとアイルランドの血をひくインテリでハイソなメル・ファーラーの芸暦は1930年代にブロードウエイのダンサーから始まりましたがそのジャンルは幅広く、天才との評判もありましたが特別に長けた分野がなく器用貧乏だったらしいです。　人種差別を歌ったBillie Holiday（ビリー・ホリデイ）の”Strange Fruit（奇妙な果実）”を下敷きにした女流作家のLillian Smith（リリアン・スミス）の1944年の同名小説をもとにしたブ1945年のロードウエイの舞台でメル・ファーラーは南部の町医者の息子役で出演しました。　当時はご法度の白人と黒人の恋愛をテーマにしている悲劇です。　その延長か1949年にはAlfred L. Werker（アルフレッド・Ｌ・ワーカー）監督が実話に基づいて映画化した白黒映画の「Lost Boundaries」で白人として20年間を生きた白い肌の黒人医者のScott Carter（スコット）を演じて注目されました。　自分では選べないのに肌の色が中途半端だと黒いよりもっと悲劇が起こります。Mel Ferrer on Strange Fruit - MelFerrer.comこの後の1953年には人種差別とは全く無関係のミュージカル映画の「Lili（リリー）」では足の悪い人形遣いを演じて「緑の館」と同じく「リリー」の音楽を担当したブロニスラウ・ケイパーが作った”Hi-Lili, Hi-Lo（ハイ・リリー・ハイ・ロー）を共演者であるAn American In Paris（巴里のアメリカ人）のLeslie Caron（レスリー・キャロン）と歌いました。（パペットとして）　このメルヘンチックで心優しい人形遣いにオードリー・ヘプバーンは惚れて結婚したのです。映画では長身でお洒落なメル・ファーラーがプレイボーイを演じた時にワン、トゥー、ワン、トゥーと踊るシーンが時々取り入れられています。（メルは私生活でもプレイボーイ）

Audrey Hepburn　（1929年-1993年）「緑の館」は1950年代には眩しいくらい輝いていたオードリー・ヘプバーンが1959年の「Unforgiven（許されざる者）」と「The Nun's Story（尼僧物語）」という話題作の間に出演したファンタジー映画です。　これらの前に私が観たオードリー・ヘプバーンの映画は1953年の「Roman Holiday（ローマの休日）」、1954年の「にSabrina（麗しのサブリナ）」、1956年の「War and Peace（戦争と平和）」、ロマンスグレーになったGary Cooper（ゲイリー・クーパー）と共演した1957年の「Love In The Afternoon（昼下りの情事）」、1957年のミュージカル映画「Funny Face（パリの恋人）」といったロマンス映画でした。　1960年以降も1961年のお洒落な「Breakfast at Tiffany's（ティファニーで朝食を）」や1963年の「Paris - When it Sizzles（パリで一緒に）」や「Charade（シャレード）」、1964年の「My Fair Lady（マイ・フェア・レディ）」、1966年の「How to Steal a Million（おしゃれ泥棒）」や1967年の「暗くなるまで待って」までの話題作は全部観ました。　1967年の作品ではファッショナブルな「シャレード」のStanley Donen（スタンリー・ドーネン）が監督した倦怠期夫婦のシリアスな愛の物語である「Two for the Road（いつも2人で）」があります。（Albert Finney（アルバート・フィニー）と共演）　話題となったHenry Mancini（ヘンリー・マンシーニ）の美しいテーマ曲をPat Metheny（パット・メセニー）とCharlie Haden（チャーリー・ヘイデン）のデュオが映画音楽をカバーした「Beyond the Missouri Sky (Short Stories)」というアルバムに収録しています。Two for the Road - YouTube☆私のお気に入りのオードリー・ヘプバーン映画はなんといってもロマンティックな「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」です。

Anthony Perkins　（1932年-1992年）愛称は”Tony Perkins（トニー）”と呼ばれたアンソニー・パーキンスはどことなく繊細で神経質そうなキャラクターをたくさん演じています。　ハンサムですがなぜか1960年の「Psycho（サイコ）」のようなホラー映画にはまりました。　1950年代に自分名義のレコードもリリースしたアンソニー・パーキンスは「緑の館」でも得意の喉を聞かせていますが、1957年のMoon-Light Swim（月影の渚）が空前の大ヒットでした。Tony Perkins - Moon-Light Swim - YouTubeアンソニー・パーキンスについてもうちょっと詳しくはHot'n Cool内のアンソニー・パーキンス　Anthony Perkins]]></description>
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Thu, 30 Apr 2009 00:22:19 +0900</pubDate>
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         <title>ハッシャバイ　Hush A Bye on The Jazz Singer (1952)</title>
         <description><![CDATA[Sing Songs from the Jazz SingerDanny Thomas &amp; Peggy Lee in The Jazz Singer (1952)

Hush A Bye, Hush-A-Bye, Hushabye私の好きなジャズのスタンダードの1曲である”Hush A Bye”は子供の頃によくラジオから流れてきました。♪ る、る、ら、るるー、はっしゃばい、おやすみ　よいこよ ♪と美しいメロディにのせた子守唄です。　日本では島田芳文が日本語の訳詞を付けて旗照夫やダーク･ダックスが歌いました。　テレビにもよく出演していたジャズ歌手の旗照夫は1954年の”ハッシャバイ（夢よやすらかに）”がデビュー曲だったそうですが、その旗照夫の実演を私は1956年頃に観たことがあります。　”Hush A Bye”のHushとは「シーッ、静かに」と赤ちゃんを寝かしつける時の間投詞だそうですから、日本の子守唄の「ねんねんよ、おころりよ」に当たるでしょうか。　そういえば1965年にBette Davis（ベティ・デイヴィス）が主演したRobert Aldrich（ロバート・アルドリッチ）監督の「Hush... Hush, Sweet Charlotte（ふるえて眠れ）」というサスペンス映画がありJoseph Cotten（ジョセフ・コットン）がピアノ伴奏で歌っていました。　Doris Day（ドリス・デイ）の1940年代の録音にHarry James（ハリー・ジェームス）楽団をバックに歌ったLullaby of Broadway（ブロードウエイの子守歌）にはHushという歌詞は見つかりませんが、Lull-a-byはHush-A-Byeと同じように子守唄のことだそうです。Lu lul-la lu lu. hush-a-bye, Dream of the angels way up high ...と歌われる歌詞はHush A Bye Lyrics - SONGBOOK♪Carol Sloane with Larry Elgart - "Hush A Bye" - IMEEM.com

Hush A Bye on Mother Gooseこの曲の元は1916年ごろに出版されたイギリスの伝承童謡集のMother Goose（マザー・グース）に収録されている子守唄だそうです。　「マザー・グース」のなかにはLondon Bridge（ロンドン橋）やHumpty Dumpty（ハンプティ・ダンプティ）やHush-A-Bye Baby（ハッシャバイ、おやすみ赤ちゃん木のこずえ ）など日本でも有名になっている詞がたくさんあります。　このHush A Bye（ハッシャバイ）の詩のなかに”Hush a bye baby, on the tree top. When the wind blows the cradle will rock;”という1節がありますが、1959年の”Running Bear（悲しきインディアン）”でお馴染みのカントリー・ポップス歌手のJohnny Preston（ジョニー・プレストン）が1960年にヒットさせた”Cradle Of Love（恋のゆりかご）”という曲にも引用されています。（Rock-a-bye baby, in the treetop, When the wind blows, the cradle will rock, When the bough breaks, the cradle will fall, And down will come baby, cradle and all.）※「マザー・グース」に載っているオリジナルの”Rock-a-bye, baby”は「Rock-a-bye, baby, thy cradle is green; Father's a nobleman, mother's a queen;」という詩だそうです。　1959年のミュージカルPorgy and Bess（ポギーとベス）で歌われた”Summertime（サマータイム）”がこのような内容の歌詞です。
The Jazz Singer　1952年Sammy Fain（サミー・フェイン）の作曲でJerry Seelen（ジェリー・シーレン）の作詞による私の好きな”Hush A Bye”は、日本未公開でしたが”「The Jazz Singer（ジャズ・シンガー）」というミュージカル映画で使用された曲なのです。　ハリウッドの赤狩り裁判後に制作された「ジャズ・シンガー」はMichael Curtiz（マイケル・カーティス）監督が1927年にミンストレル・ショー的な黒人に扮したAl Jolson（アル・ジョルソン）の初のトーキー（でもサイレント）名作の「The Jazz Singer（ジャズ・シンガー）」をリメイクして1953年のオスカー賞にノミネートされたそうです。　ハンガリー出身のマイケル・カーティス監督は1920年代から映画を撮りはじめ、1952年のCasablanca（カサブランカ）が特に有名ですが、Mildred Pierce（ミルドレッド・ピアース）やWhite Christmas（ホワイト・クリスマス）などの多くの作品で知られています。　この「ジャズ・シンガー」は、1940年The Shop Around The Corner（街角　桃色（ピンク）の店）」の脚本を手掛けたSamson Rafaelson（サムソン・ラファエルソン）が書いた原案の映画化です。　このリメイク「ジャズ・シンガー」にはユダヤ人ではないレバノン系のTVコメディアンであるDanny Thomas（ダニー・トーマス）がユダヤ人役で出演しています｡  映画でユダヤ人の青年と恋仲になる女性をPeggy Lee（ペギー・リー）が演じてその存在感と力量がが評価されています。　映画は未見ですが、ユダヤ人の青年とユダヤ人でない女性との異教徒間の結婚問題を交えて描いたアメリカのユダヤ人映画だそうです。　朝鮮戦争からアメリカ本土に戻った青年がユダヤ教会堂の礼拝主唱者である父が要望する跡継の誓いを破ってもショー・ビジネスへの情熱を成就しようとして父との確執劇を描いたメロドラマだそうです。　この「ジャズ・シンガー」がさらに1980年にRichard Fleischer（リチャード・フレイシャー）監督で主役をNeil Diamond（ニール・ダイアモンド）が演じてリメイクされています。　「ジャズ・シンガー」は日本では未公開でしたがダニー・トーマスが歌った”Hush A Bye（ハッシャバイ）”という曲が一人歩きして映画を観ていない人々にも人気がありました。偉大なるジャズシンガーのペギー・リーが歌う映像が観られる「ジャズ・シンガー」のビデオは1994年にリリースされた輸入VHS（英語）のJazz Singer (1953)が販売されています。☆1955年のディズニー映画「Lady and the Tramp（わんわん物語）」で”Hush A Bye”に似た”La La Lu”という子守唄を歌ったペギー・リーについてはAudio-Visual Trivia 内のペギー・リー　Peggy Lee

Sing Songs from the Jazz Singer Soundtrackページトップの画像はGordon Jenkins &amp; His Orchestra（ゴードン・ジェンキンス・オーケストラ）が演奏するミュージカル映画「The Jazz Singer」のサウンドトラックで全28曲を収録した2005年盤ですが、”Hush-A-Bye”が収録されていて、ボーナストラックにペギー・リーの”Ain'tcha Ever Comin' Back”と”Shame on You”も収録してあります。　”Shame on You”はカントリー歌手のSpade Cooley（スペード・クーリー）の曲として有名です。　サントラにはダニー・トーマスが歌う”Hush-A-Bye”と”(You May Not Be an Angel, but) I'll String Along with You”を、ペギー・リーはRodgers &amp; Hart（ロジャー・アンド・ハート）の”Lover”や”Just One of Those Things”、”I Wanna Go Where You Go, Then I'll Be Happy”、”Ay Ay Chug Chug”、”That Ol' Devil (Won't Get Me)”、”If You Turn Me Down”、”Boulevard Cafe”、”It Never Happen' to Me”などの他、二人でデュエットもを歌っているそうです。　”Rock - A - Bye Your Baby With A Dixie Melody”は収録されていても”Hush-A-Bye”が収録されていない「Jazz Singer Soundtrack」もあります。※サミー・フェインとジェリー・シーレンのコンビは”Hush-a-bye”をはじめ、”Living the Life I Love”、”What Are New Yorkers MadeOf?”、”Oh Moon”、”I Hear the Music Now”などを作っています。サントラの試聴はSing Songs from the Jazz Singer - Barnes &amp; Noble.com♪Peggy Lee - Lover - IMEEM.comPeggy Lee - Just One of Those Things - IMEEM.com
Hush A Bye, Hush-A-Bye, HushabyeBing Crosby sings Hush A Byeヴェリー・ベスト・オブ・ビング・クロスビー私の好きな”ハッシャバイ”はなんといってもボーカル・バージョンです。　TemptationやWhite Christmasなど数え切れないほどたくさんのヒット曲でお馴染みのBing Crosby（ビング・クロスビー）が1954年に”Hush-a-bye”として甘い歌声で録音しました。　おそらくジャズボーカルの曲として知られているハッシャバイは映画の中で歌ったダニー・トーマスではなくビング・クロスビーだと思います。　ビング・クロスビーが歌ったジャズのスタンダード曲全25曲を収録して国内でリリースされたお勧めの「The Very Best of Bing Crosby（ヴェリー・ベスト・オブ・ビング・クロスビー）」に”Hush-a-bye”が収録されています。　上記のリンク先で試聴できますからぜひ聞いて下さい。

Those Who Play "Hush-A-Bye"ロマンティックな子守唄の”ハッシャバイ”は多くのミュージシャンが好んで演奏されています。
Chris Barber1950年代後期に”Petite Fleur”の名演奏で知られるクリス・バーバーは1950年代にブルースマンのBig Bill Broonzy（ビッグ・ビル・ブルーンジー）などと組んでベルギーなどの欧州ツアーを行った英国トラッド・ジャズのトロンボーン奏者です。　そのクリス・バーバー・バンドの1956年から1958年にかけての録音を集めたお勧めの2枚組みアルバム「The Pye Jazz Anthology ( Chris Barber &amp; His Jazz Band )」に”Hushabye”として収録しています。（トランペットのKen Coyler（ケン・コリアー）やドラムのRon Bowden（ロン・ボウデン）が参加）本当に眠ってしまいそうなクリス・バーバー楽団が演奏する ”Hushabye”の試聴はThe Pye Jazz Anthology - TowerRecords

Kenny Drewジャズ・ピアニストのケニー・ドリューは”Hush-A-Bye”又は”Hushabye”として何枚かのアルバムに収録しています。　ケニー・ドリュー &amp; Niels-Henning（ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン）のデュオアルバムの「DUO」や、1978年のヨーロッパ公演の録音でベースのニールス・ペデルセンやドラムのEd Thigpen（エド・シグペン）との2000年リリースの国内リリースのアルバム「Hush-A-Bye（ハッシャ・バイ」）（ASIN: B00005FPG5）の”Hush A Bye”ではデンマーク出身のジャズヴァイオリニストであるSvend Asmussen（スベンド・アスムッセン）をフィーチャーしてユニークでロマンティックな編曲です。（試聴可）　この他にも”Hush a Bye”としてアルバムの「Nature Beauty」に、”Hushabye”として1992年リリースの「Kenny Drew Live」に収録されています。Kenny Drew - Hush A Bye - YouTube

Johnny Griffinファンキーなテナーサックス奏者のジョニー・グリフィンは1967年のコペンハーゲン・ライヴ盤「ハッシャ・バイ」というアルバムを録音しましたが、現在は1998年リリースの2枚組CD「ハッシャ・バイ : コンプリート・モンマルトル・セッションズ 」に収録されています。　演奏メンバーはテナーサックスがジョニーグリフィンの他、ピアノがケニー・ドリュー、ベースがニールス・ペデルセン、ドラムがアルバート・ヒースです。　ジョニー・グリフィンのファンキーな”ハッシャ・バイ”はアルバム「The Kerry Dancers（ザ・ケリー・ダンサーズ）」の他、「Woe Is Me」（ASIN: B0000248QZ）に”Hush-A-Bye”としてCDに収録されています。試聴はThe Kerry Dancers - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）☆ジョニー・グリフィンについてはHot'n Cool内のジョニー・グリフィン　Johnny GriffinJohnny Griffin - Hushabye - IMEEM.com

Those Who sing another Hushabyeまったく違う曲としては、1926年にJean Goldkette Orchestra（ジーン・ゴールドケット楽団）がボーカル入りで録音した”Hush-A-Bye”はRobert E. Spencer（ロバート・スペンサー）とFrank X. Galvin（フランク・ガルヴィン）が作ったそうです。一方、1959年に”Go, Jimmy, Go”で有名なDoc Pomus &amp; Mort Shuman（ドク・ポーマス&amp;モート・シューマン）のコンビがが作った”Hushabye”がドゥーワップのThe Mysticsの歌でヒットしました。　このバージョンはThe Beach Boys（ビーチ・ボーイズ）やThe Ventures（ベンチャーズ）などもカバーしています。※ちなみに類似した歌のタイトルとしては1958年のコメディ映画の「Rock-a-Bye Baby」でJerry Lewis（ジェリー・ルイス）が歌った同名のテーマ曲もあります。　これはHarry Warren（ハリー・ウォーレン）が作曲しSammy Cahn（サミー・カーン）が作詞したロックンロール曲です。]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Mon, 20 Apr 2009 00:04:31 +0900</pubDate>
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         <title>サミー・デイヴィス・ジュニア　Sammy Davis Jr.</title>
         <description><![CDATA[20th Century Masters: Millennium CollectionSammy Davis Jr.(1925 - 1990)

昔はサミー・デヴィスとも表記されていたサミー・デイヴィス・ジュニアはニューヨーク州のハーレム地区でユダヤ系のアフリカ系アメリカ人（黒人）とプエルトリコ系の母（ユダヤ教徒とアフリカ系アメリカ人の混血）との間に生まれ、父と叔父が芸人ボードヴィル・ショーの旅回りをしていたので3歳という幼い頃から舞台に立って以来タップや歌や形態模写など達者な芸を披露していました。　この頃のサミーのビデオを観ても大人を食ってしまうほど素晴らしい芸です。（顔が変わりません！）7 year old Sammy Davis - YouTube

サミー・デイヴィスJr.は世界第二次大戦の終りも間近の1944年に徴兵されアメリカ陸軍に入隊し一兵卒として参戦したそうです。　軍隊でのひどい人種差別さえもサミーの芸が緩和する役目を果たしてくれたそうで、芸は身を助くではないですがサミーの経歴から兵士向けのショーなどを行う慰問部隊に配属されたのだとか。　タップダンスは1984年の映画「The Cotton Club（コットン・クラブ）」に出演したGregory Hines（グレゴリー・ハインズ）が崇拝するほどの腕前、いや足捌きです。　イタリア系移民の子であることから自分も人種差別を受けたFrank Sinatra（フランク・シナトラ）が同じくイタリア系移民の子のDean Martin（ディーン・マーティン）やロンドン出身のPeter Lawford（ピーター・ローフォード）などと1950年代に結成したRat Pack（シナトラ一家）に黒人であるサミーを1959年に入れたことはかなりの波紋を呼んだそうです。（差別に反対といってもそこはやはり人間で実際は差別するシナトラだったと黒人ミュージシャンのQ.J.が自伝に記していたとか。人種はさておき多分サミーの芸に惚れたのでしょう。）Sammy Davis Jr. with Rat Pack - Lady is a Tramp - IMEEM.com
Sammy Davis Jr. in Rufus Jones for President (1933) - YouTubeSammy Davis Jr. - Boogie Woogie - YouTubeSammy Davis Jr. - Birth of the Blues - YouTubeSammy Davis Jr. - Because Of You (impersonation) - YouTubeSammy Davis Jr. - One for my Baby &amp; Me and My Shadow (impersonation) - YouTube

サミー・デイヴィスJr.は1949年のGot A Great Big Shovel、Yours Is My Heart Alone、I'm Sorry Dear、Inka Dinka DooなどをはじめにCapitolで録音、1954年のBecause Of You、The Red Grapes、Hey ThereなどをはじめにDeccaでレコードを吹き込みましたが1960年になってRepriseでレコーディングしたそうです。　ドラマーのSy Oliver（サイ・オリヴァー）のThe Sy Oliver Orchestra（楽団）をバックにデッカレコードで78回転の"Because Of You"を初リリースした1954年のこと、高速道路で交通事故に遭い九死に一生を得ましたが不幸にも左目を失明してしまったのです。　その時にユダヤ教に改宗しています。　後に義眼を入れましたがこの当時はアイパッチの片目で芸能活動をしていて、それも一時はトレードマークとなりました。その後の1960年にはシナトラ一家とOcean's Eleven（オーシャンと11人の仲間）に出演して世界的に知られるようになり超人気となったことから、1962年に人気のTVドラマの77 Sunset Strip（サンセット７７）でKid Pepper役や1963年にBen Casey（ベン・ケーシー）にAllie Burns役などでゲスト出演もしています。　この年1963年には人種差別撤廃を求めてワシントンDCからのCivil Rights（公民権）運動（ワシントン大行進）にHarry Belafonte（ハリー・ベラフォンテ）等と共に参加したとは聞きましたが特別に活動していたかは不明です。　人気者になっても白人の仲間とは全く違った扱いを受けた当時の黒人アーティストたちの屈辱は計り知れませんが、それでも表立って公民権運動などに参加するのは勇気の要ることだったでしょう。Sammy Davis Jr. Get White!サミー・デイヴィスJr.はMichael Jackson（マイケル・ジャクソン）程かどうかは不明ですが、サミーは白人願望が強く白人女性、特に美人女優と次々と交際し、フランク・シナトラやピーター・ローフォードとも関係のあったと云われるKim Novak（キム・ノヴァク）と1950年代中頃に交際があったそうです。　白人と黒人の交際だけでも大騒ぎなのに1960年にはスウェーデン出身の白人女優であるMay Britt（マイ・ブリット）と2度目の結婚しました。　当時アメリカの南部では多くの州で白人と黒人の結婚はおろか同席さえも禁じていたので物議をかもし出し脅迫状まで届いたそうです。　二人の間には娘が一人と養子の息子が二人あったそうですがサミーの浮気により結婚生活は長く続かず、1876年から1964年頃に布かれた奴隷制維持のJim Crow law（ジム・クロウ法）が1967年に廃止になった翌年に離婚してしまいますそんなサミーでしたが、「こんなこたぁ、あたしらの時代にはようやりませんねん。」とステージで踊りながら"ポーゥ！"と前を押さえるMichael Jackson（マイケル・ジャクソン）の物真似はしましたがマイケルのように顔を白くはしませんでした。（そのマイケル・ジャクソンは2009年6月に亡くなりました。）サミーの初来日は1963年で最後は1989年の64歳の時、無くなる1年前のことだったそうですが、一番有名なのはカンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリー・ウイスキーのTVコマーシャルへの出演で、ウィスキーグラスをでっかい指輪でチンチカ、チンチカと叩いて"Oh! Dynamaite!"と言うサントリー・ウヰスキー（その名もホワイト！）のお洒落な1分間テレビＣＭが1973年に放映されたことでお茶の間にもコンチキコンが人気となりました。　オリジナルはEPシングル盤のA面にチッキチッキでB面はThe Candy Manが収録されていたPOLYDORレコードと聞いたのですが、"Chi-ki Chi-ki Sammy"を収録した4曲入りEPシングル盤はMGMレコードからリリースされてサントリーがPR用に配布した非売品だそうです。そのレコード画像が見られるChi-ki Chi-ki Sammy - ロックンロール放送局このアルバムにはChi-ki Chi-ki Sammy、The Candy Manの他にGet WhiteとJohn Shaftですが、"John Shaft（ジョン・シャフト）"とは1970年の黒人版ジェームスボンド映画「Shaft」の主人公です。酒や麻薬、ギャブルに女と何でもはまり込むサミーでしたが、元々葉巻片手にステージに立つほどヘビースモーカーだったことから喉頭ガンを患い惜しいことに1990年に64歳で亡くなりました。Sammy Davis Jnr - Shell Oil Commercial in 1950's- YouTube

The Candy Manページトップのプレーヤーで聴けるのはサミー・デイヴィス・ジュニアが歌う"キャンデーマン"です。　Last.fmでのチャートによるとサミー・デイヴィス・ジュニアの人気トップ"５"は、Here Lies Love、Yours Is My Heart Alone、Please Don't Talk About Me When I'm Gone、The Way You Look Tonight、Dedicated To YouだそうですからThe Candy Man（キャンディマン）は入っていません。Sammy Davis Charts - Last.fmこのThe Candy Manという曲はイギリスの作詞作曲家であるLeslie Bricusse（レスリー・ブリカッセ）とAnthony Newley（アンソニー・ニューリー）のコンビによって作られたそうです。　1978年のテレビ版もあったミュージカルのStop the World - I Want to Get Off（世界を止めろ－俺は降りたい）でサミーが歌った"What Kind of Fool Am I?（愚かな私）"もこのコンビが書いたそうです。　日本未公開でしたが1971年のミュージカル映画の「Willy Wonka &amp; the Chocolate Factory（夢のチョコレート工場）」の中でキャンディー屋のビルを演じたAubrey Woods（オーブリー・ウッズ）が映画の冒頭で"The Candy Man Can"と歌いましたがサミー・デイヴィス・ジュニアのバージョンが1972年にヒットして有名になりました。（サミーは自分が貰った曲だと明言しています。）　「夢のチョコレート工場」では"何でも君の夢をかなえるよ"という歌でしたが、サミーが歌うとキャンディー売りの歌というよりもむしろ麻薬売買の歌かと思ってしまいます。　映画ではキャンディーマンは歌われなかったJohnny Depp（ジョニー・デップ）がウィリー・ウォンカを演じた2005年の「Charlie and the Chocolate Factory（チャーリーとチョコレート工場）」の方が知られています。☆ちなみにサミー・デイヴィス・ジュニアのThe Candy Manはサントラには収録されませんでしたが2005年のアニメ映画「Madagascar（マダガスカル）」で使用されています。　ちなみにTony Todd（トニー・トッド）がキャンディマンを演じた1992年のホラー映画「Candyman（キャンディマン）」シリーズとは何の関係もありません。（Candymanを５回繰り返して言っては駄目！）Sammy Davis Jr. - The Candy Man (1972) - YouTubeThe Candy Man &amp; What Kind of Fool Am I? with Japanese Lyrics (1989) - YouTube
Sammy's Albums20th Century Masters: Millennium Collectionサミー・デイヴィス・ジュニアはアメリカのショービジネス界の偉大なるエンターティナーですからじっくり聴くというよりはステージを観るのが一番ですがそれでもサミーのアルバムは今も人気です。　シナトラ一家集大成のRhinoボックスセット・アルバムではなく単品で手に入るCDもたくさんあります。ページトップの画像はサミー・デイヴィス・ジュニアのMGM時代のヒット曲集で2002年にリリースされた輸入ベスト盤、The Candy ManやMr. BojanglesやPorgy &amp; Bess Medleyなど11曲を収録してあります。♪試聴は20th Century Masters: The Millennium Collection: The Best Of Sammy Davis, Jr. - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）
The Definitive CollectionThe Definitive Collectionサミー・デイヴィス・ジュニアが歌うポップス調の曲やジャズのスタンダードを集めたリマスターアルバムで、2006年リリースのベスト盤にはToo Close For ComfortをはじめHey ThereやBirth of the Bluesからサミーの定番曲であるCandy ManやMr. Bojanglesなど主な20曲を収録してあります。試聴はDefinitive Collection - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

Capitol YearsThe Capitol Yearsサミー・デイヴィス・ジュニアのキャピトル・レコード時代、1940年代後期からR&amp;Bやジャズはもとよりポップスやバラードまで幅広く歌い、1959年にラトパックに参加する以前にも力量のあるところを聴かせます。 こちらは2008年リリースのベスト盤ですが2003年の同名アルバムは曲目が違います。試聴はCapitol Years Soundtrack - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）
Too Close For Comfort on Broadway Musical: Mr. Wonderfulサミー・デイヴィス・ジュニアが1946年のミュージカルのMr. Wonderful(ミスター・ワンダフル）で歌った"Too Close For Comfort"はIrving Berlin（アーヴィング・バーリン）が作曲しました。　この曲はの上記のアルバムの「The Definitive Collection」の他、ブロードウエイ・ミュージカル集の「Broadway Classics」にも収録されていますが、DVDでは輸入版の「Sammy Davis Jr Show」にも収録されています。下記のリンクではBroadway Classicsのスピーカ・アイコンをクリック、別窓のプレイリストの下から3番目のスピーカ・アイコンをクリック！♪Too Close For Comfort - Sammy Davis Jr. - Rádio UOL
Sammy Davis Jr. in the filmsサミー・デイヴィス・ジュニアの映画歴は長く約半世紀に渡りますが主役を演じたような大作はありません。　映画デビューは7歳の時、日本未公開ですが1933年にサミー・デイヴィスとしてルーファス・ジョーンズ少年を演じた「Rufus Jones for President」でした。　Ethel Waters（エセル・ウォーターズ）が母親を演じ、サミーが差別に嘆く黒人の少年を演じて"You Rascal You (I'll Be Glad When You're Dead)"などを歌ったこの映画では何時の日か黒人少年が大統領になる夢を描いていますが、まさに2009年に初の黒人大統領が誕生しました。　その後サミーは同じく日本未公開のArthur Lubin（アーサー・ルービン）が監督した1947年の「New Orleans（ニューオリンズ）」など何本かにちょっと出演しましたが、メジャーになったのが黄金の腕やで知られるOtto Preminger（オットー・プレミンジャー）が監督してSidney Poitier（シドニー・ポワチエ）とDorothy Dandridge（ドロシー・ダンドリッジ）が出演した1959年の黒人ミュージカルの「Porgy and Bess（ポギーとベス）」ではべスに恋するSportin' Life（スポーティン・ライフ）役でした。　映画ではGeorge Gershwin（ジョージ・ガーシュイン）作曲の"Summertime"は歌っていませんが有名なIt Ain't Necessarily Soの他、A Woman Is a Sometime Thing、There's A Boat Dat's Leavin' Soon For New Yorkを歌っていますが、出演者のなかでただ一人吹き替えなしで歌ったサミーでしたがレコード会社との契約問題でサウンドトラック盤には収録されませんでした。　「ポギーとベス」はミュージカル映画ですがサミー・デイヴィス・ジュニアはトニー賞にノミネートされた1964年から1966年のブロードウエイの舞台"Golden Boy"などのヒットがあります。Sammy Davis Jr. - It Ain't Necessarily So in Porgy and Bess - YouTubeSammy Davis Jr. - There's A Boat Dat's Leavin' Soon For New York - YouTube

Sammy Davis Jr. as Josh Howar in "Ocean's Eleven"オーシャンと11人の仲間 特別版DVDフランク・シナトラに引き抜かれてThe Rat Pack（シナトラ一家）の一員となったサミーは1960年に「オーシャンと11人の仲間」に大金を運ぶ清掃車のJosh Howard（ジョシュ）役で出演してそのテーマ曲ともいえる"Eee-O Eleven"が大ヒットしました。　監督は1946年にThe Strange Love of Martha Ivers（呪いの血）を監督したロシア出身のLewis Milestone（ルイス・マイルストン）で、音楽を1961年のLolita（ロリータ）も手掛けたNelson Riddle（ネルソン・リドル）が担当しました。Saul Bass（ソウル・バス）がタイトル・デザインを手掛けたお洒落なオープニングはラスヴェガスらしくネオンサインの数字により1から11までオーシャンと十一人の仲間のキャストがクレジットされ、シャンパングラスでラッキーセヴンのスロットマシーンやルーレットなどのアニメも素晴らしいです。　フランク・シナトラが演じる賭けに強い親分各のダニー・オーシャン元軍曹が戦時中に落下傘部隊でで仕込まれた技を使わない手はないとばかりに結成した泥棒軍団のカジノの金庫破りストーリーです。　ジョニー・クールのヘンリー・シルヴァは嫌われ者のアシーボス親分のの子分の一人でRoger Corneal（ロジャー・コーニル）を演じています。　余命いくばくもない電気技師のトニーを同窓会（犯罪）に参加するように説得する係りです。　ダニーの指図で次々と元の戦友を仲間に引き込むのですが長くなるのでサミーの部分を抜粋します。ゴミ収集車の仲間（Jerry Velasco）が吹くハモニカでサミー演じる片目のジョッシュが歌う曲が"Eee-O Eleven"なのです。　「♪今に運転手付きのリムジンを手に入れるさ。　11人で。♪」　この曲はゴミ運搬車を使っての輸送係りを受け持ったラストシーンにも警察の検問をみごとクリアしたジョッシュが車を運転しながら歌います。　ジョッシュは計画通りに札束入りのゴミ缶を次々と収集していい仕事したのにまさかのハプニングが起こってしまうのです。　EEE-O ElEVEN !!　ジョッシュのトラックに乗り込んだラトパックの3人が顔に靴墨を塗るシーンが笑えます。　ただし仲間のトニーの遺体が火葬されたことを知った後にはまた別のバージョンが流れます。　eee-o eleven...Sammy Davis Jr. - Eee-O 11 - YouTube
Ocean's Eleven - Eee-O Eleven画像は私が当時購入したEP盤"Verve VS-1"で"Eee-O Eleven（イー・オー・イレブン）"と"Ain't That a Kick in the Head（はっきりしろよ）"を収録しています。（クリックで画像拡大可）テーマ曲を歌っている肝心なサミーがジャケットに見えないじゃないか！って、サミーは遠慮深いからか黒いからかクリックで拡大しても分りづらいですが左から4人目、真ん中のディーン・マーチンの左隣がシナトラでサミーはシナトラの肩のあたりです。　ディーン・マーチンの右隣はピーター・ローフォードでその次がヘンリー・シルヴァです。
Ocean's Eleven SoundtrackEee-O-11: The Best of the Rat Pack2001年に発売されたラトパック集の輸入盤のサントラ画像ではサミーがちゃんと見えます。ネ！　「オーシャンと十一人の仲間」のサントラはもう存在していないようですが、このベスト盤CDには映画で演奏された(Love Is) The Tender Trap、サミーとゴミ収集仲間のハモニカ野郎とデュエットしたAin't That a Kick in the Head、そしてサミーのEee-O Elevenが収録されています。　Ain't That a Kick in the HeadとEee-O ElevenとThe Tender TrapはSammy Cahn（サミー・カーン）とJimmy Van Heusen（ジミー・ヴァン・ヒューゼン）が作った曲だそうです。☆シナトラ一家のラット・パックについてはAudio-Visual Trivia 内のThe Rat Pack

Johnny Cool　1963年画像は私が当時購入したBilly May（ビリー・メイ）楽団演奏の「ひとりぼっちのギャング」のサントラEP盤のLL - 591 - UAです。（クリックで拡大可）サミーがサイコロ博打の名人であるEducated（エジュケイテッド）役で出演した「ひとりぼっちのギャング」はWilliam Asher（ウイリアム・アッシャー）が監督して都会のジャングルに棲む孤独な一匹狼の凄惨と哀歓を描いた実にセンセーショナルなB級ギャング映画です。　シナトラ一家の映画としては「Ocean's Eleven（オーシャンと十一人の仲間）」に続いて1962年に「Sergeants 3（荒野の３軍曹）」に出演した後の映画ですが、「ひとりぼっちのギャング」の後には続いて1963年にRobin and the 7 Hoods（七人の愚連隊）で"Bang! Bang!"と見事なタップダンスと歌を披露していますが、シナトラ親分が私立探偵を演じた1968年の"Lady in Cement（セメントの女）には出演していません。（衝撃的映画ポスター@POSTERMAN）「ひとりぼっちのギャング」にはシナトラ一家の主だったメンバーは出演していませんが、出演場面は少しとはいえサミー・デイヴィス・ジュニアはサイコロ賭博師として出演しています。　主な出演者は残虐な悪役を演じては定評のある奥目ですきっ歯のHenry Silva（ヘンリー・シルヴァ）です。ニューヨークのブルックリン生まれでハーレムで育ったアメリカの俳優のヘンリー・シルヴァはSilvahaという名でも分るようにシシリア系です。（厳密に言えばはシシリアとスペインの混血）　ヘンリー・シルヴァもシナトラ一家の一員であり、「Green Mansions（緑の館）」のアマゾン奥地の部族（インディオ）や「オーシャンと十一人の仲間」のドジな手下などで知られていました。　殺し屋のなかの殺し屋と呼ばれる冷酷な主人公のジョニークール役として抜擢された映画が「ひとりぼっちのギャング」です。　この作品以降も闇の帝王と呼ばれる極悪非道のギャング役で活躍しました。　「ひとりぼっちのギャング」での他の出演者にはサミー・デイヴィス・ジュニアやヘンリー・シルヴァ同様にシナトラ一家の一員であるJoey Bishop（ジョイ・ビショップ）も早口の中古車ディーラーとしてゲスト出演しています。　もう一人、この映画の花は当時監督のウイリアム・アッシャーと結婚したElizabeth Montgomery（エリザベス・モンゴメリー）で、同年にヘンリー・シルヴァ同様にシナトラ一家の一員であるディーン・マーティンとラブコメの「Who's Been Sleeping in My Bed?（僕のベッドは花ざかり）」にも出演しています。　エリザベス・モンゴメリーはこの後1964年から放映された人気TVシリーズでウイリアム・アッシャーがプロデューサだったBewitched（奥様は魔女）にサマンサ役で出演してお茶の間の人気者になりました。　「ひとりぼっちのギャング」ではエリザベス・モンゴメリーが懐疑的ながらもジョニークールの片腕となったセクシーな美女を演じています。　1973年から放映されたTVシリーズの刑事コジャックで人気の丸坊主で有名なTelly Savalas（テリー・サヴァラス）がジョニー・コリーニの暗殺リストに載っているニューヨークのギャングの元締めのVincenzo 'Vince' Santangelo（サンタンジェロ）を演じています。　サンタンジェロがまさかの超高層ビルのてっぺんで外から窓掃除屋にマシンガンで撃たれるとはお釈迦様でもご存知あるめえ。（BGMはWindow Washer）通称ジョニークールと呼ばれる殺人マシーンがなぜ冷酷かというと、それは1943年のイタリアのシシリー（シシリア）から始まります。　Salvatore Giordano（ジョルダノ）が少年だった第二次大戦中のこと、一度は母親をドイツ兵の魔手から助けたものの目の前でドイツ兵に母親を射殺されたことからファシストに対抗する地下組織のキングと呼ばれるSalvatore Guiliano（サルバトーレ・ジュリアーノ）に助けられレジスタントの闘志として成長したのでした。　（イタリアで19世紀後期に拡大したマフィアの影響力はシチリア島にも及びさらに1920年代後半はイタリア・ファシスト政権によって抑圧されていたのが第二次世界大戦時には連合国によってようやく解放されたそうです。）　よって終戦後には闘う相手を失って無法者のリーダーとなったジョルダノにはお訊ね者として懸賞金までかけられるようになり、とうとうイタリア政府軍のヘリに追われて捕らえられ至近距離で銃殺されてしまいました。　と、思いきやそこにはイタリア軍の指揮官とシシリーに亡命してきた殺人王と呼ばれる元ギャングのボスのJohnny Colini（ジョニー・コリーニ）との金が絡んだ裏取引があり、「私は犯罪者ではない、人民のために闘ってきたのだ。」と反撃したジョルダノだったが「お前は死んだのだ。　俺の跡継ぎのなるのだ。」というコリーニの強要に屈して金のためもありヒゲを落としてジョニー・コリーニの跡目を継ぎジョニークールとして生まれ変わります。　コリーニを裏切った奴らに復讐するために刺客としてアメリカ合衆国に送り込まれたジョルダノが仕置人として訪れたニューヨークのナイトクラブで出会ったのがエリザベス・モンゴメリーが演じるDare Guiness（デア・ギネス）でジョニー・コリーニを名乗るクールなジョルダノに惹かれてジョニークールの女となります。　競馬で大当たりしたジョニークールはサミー・デイヴィスが演じるアイパッチ（片目）のセンセイのサイコロ賭博場に呼ばれますが、いかさまが露見した後、頭に銃をつきつけられてはセンセイもお手上げでジョニークールの言いなりにサイを振りまくります。　その間にギャング連中がジョニークールの本性を吐かそうと警察を装って部屋に入り込み、デアを暴行しますがこれに激怒したジョニークールは台所の包丁を失敬して電光石火の早業で報復したのです。（BGMはBorrow a Knife）　ニューヨークからロスアンジェルス、ラスヴェガスへと大都市を又にかけて、武器はカラテチョップ、包丁、ピストル、機関銃、ダイナマイト、そして仕事は敏腕、速攻で異常なほどに血も涙もない冷酷な暗殺者のジョニークールはコリーニのリストをもとに尋常でない闇の世界のボスたちを恐怖のどん底に突き落としていくのです。　クール！　最後には子供まで巻き添えにしたジョニークールの殺人に加担したことに衝撃を覚えたデアの通告から、デアとのデートだと思い込んだジョニークールが行きつけのレストランに現れシャンパンを注文し、部屋にはいるとそこにいたのは別の女。　罠だった。　生き残ったギャング仲間たちに襲われて拘束衣をつけられたジョニークールは車でギャングのアジトに運ばれる。　ジョニークールのハッタリは露見しているから、「一人だと思うなよ、俺には軍隊が後ろ盾として構えて いるんだぞ！」と必死に喚くジョニーの抵抗も空しく、真実を吐かせるために日々の飲食を絶ちながら殴打を加えるという特別拷問計画により惨めにも天井から吊られて生ける屍、つまり生きながらの植物人間とされてしまいます。　最後の断末魔のようなジョニークールの情けない悲鳴はいったい何なんだ？クールじゃない。（最後に流れる曲は侘しいサミーのBallad of Johnny Cool）Johnny Cool Trailer - YouTubeHenry Silva and Elizabeth Montgomery in Johnny Cool - YouTube

「ひとりぼっちのギャング」は1950年代の人気ミステリー小説家のペイパーバック・ライターであるJohn McPartland（ジョン・マックパートランド）が1959年に書いたベストセラー小説のThe Kingdom of Johnny Cool（ジョニー・クールの王国）の映画化です。　シナトラ一家のピーター・ローフォウフォードが設立した独立プロの第一作目の作品でしたが、残念なことに現在ではDVDはおろかVHSビデオさえ見つかりませんが、かろうじて見つけたビデオカバーの画像はエリザベス・モンゴメリーのファンサイトのElizabeth Victoria Montgomery - Bewitched（ポルトガル語）♪Sammy Davis Jr. - The Ballad of Johnny Cool - IMEEM.com  Sammy Davis Jr. - Bee-Bom - YouTube
Johnny Cool SoundtrackJohnny Cool: Billy May's Original Motion Picture Score - Original MGM Motion Picture Soundtrack [Enhanced CD]サミー・デイヴィス・ジュニアのボーカル曲入りの「ジョニー・クール」のサウンドトラックはオリジナルのリリースが1963年で、Billy May（ビリー・メイ）楽団のBud Brisbois（バド・ブリスボイス）やDon Fagerquist（ドン・ファガーキスト）が奏でるトランペットやテナーサックスのJustin Gordon（ジャスティン・ゴードン）等のジャージーな演奏が印象的で、演奏のJohnny Cool Theme、Morning in Balboa、サミー・デイヴィス・ジュニアのボーカルでBee-BomやThe Ballad Of Johnny Cool,など全12曲が収録されています。「ひとりぼっちのギャング」の音楽はフランク・シナトラとのコラボで知られるビリー・メイですがイギリスポップス界のLes Vandyke（後のJohn Worsleyのレス・ヴァンダイク）が作りAnthony Newley（アンソニー・ニューリー）でヒットした"Bee-Bom"を映画ではサミー・デイヴィスの歌が歌います。　ジョニークールがダイナマイトで子供もろとも石油王をプールごとぶっ飛ばした後、デアの女友達の豪華ヨットパーティでツイストを踊るシーンで流れます。Jimmy Van Heusen（ジミー・ヴァン・ヒューゼン）作曲しSammy Cahn （サミー・カーン）作詞したサミー・デイヴィス・ジュニアが歌うテーマ曲の"The Ballad of Johnny Cool"はオープニングとラストシーンでデアが「ジョニークールは死んだわ、私が殺したの。」と言って警察に連行されるシーンで哀切たっぷりに流れます。　私が持っているEP盤のVerve VS-1ではA面がサミーのJohnny Cool Theme（ひとりぼっちのギャング）でB面が演奏のMorning in Balboa（バルボアの朝）です。試聴はJohnny Cool - TowerRecords]]></description>
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         <pubDate>Fri, 10 Apr 2009 00:09:46 +0900</pubDate>
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         <title>ダリオ・モレノ　Dario Moreno</title>
         <description><![CDATA[Oh! Que DarioDarío Moreno (1921 – 1968)♪La Marmite - Dario Moreno

Darío Morenoダリオ・モレノを一言で表せばウーと言っているように突き出した口が特徴でコミカル！　太ッチョで陽気なイタリア人といった風体ですが実はユダヤ系トルコ人で、トルコ語、スペイン語、フランス語、イタリア語など7ヶ国語に堪能なマルチリンガルなアーティストでした。　父がトルコ人で母がメキシコ人のダリオ・モレノはトルコで生まれてメキシコで育ちました。　ダリオ・モレノの子供時代には父親が騒動に巻き込まれて銃弾に倒れてから孤児院に入れられたり、裸足で水を売って稼いだりと苦労したそうですが、20歳代初期からギター片手に結婚式などで歌い始めて地元のユダヤコミュニティでは知られるようになったそうです。　第二次世界大戦時の兵役時代にはあちこちのトルコ軍の将校クラブなどで歌って実績と人脈を作り、退役後に故郷のIzmir（イズミル）に戻ってプロ歌手として活動したそうです。　もちろんこれで終わりではなく、ダリオ・モレノはアンカラやイスタンブールに滞在した後の1948年にフランスに渡りました。　初のレコーディングは”Quizas, quizas, quizas（キサス、キサス、キサス）”だったそうです。　”Quizas, quizas, quizas”は1947年にキューバのOsvaldo Farres（オスパルド・ファレス）が作曲したボレロ曲でTrio Los Panchos（トリオ・ロス・パンチョス）の代表曲となっています。　その後もメキシコの血も受け継いたダリオ・モレノはボレロ、サンバ、チャチャチャ、マンボからカリプソまで数々の南米のリズムの曲を歌い1950年代から1960年代にかけてフランスで大活躍しました。ダリオ・モレノの初期のヒット曲には、”Jezabel”、”Adieu Lisbon”、”Cucurrucucu（Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Paloma）”などがあげられますが、歌うかたわら作詞や作曲も手掛け、それらに加えて45本もの映画に出演して名脇役として活躍した俳優だったのです。　ダリオ・モレノの幼少期の不幸はリッチな中年期に高級車やパリのアパルトマンを購入したり、ブラジルの農園を所有したことで帳消しになったと思いきや、はしゃぎすぎのキャラが災いしたのか47歳という若さで惜しくも急逝してしまいました。　イスタンブールのヒルトン・ホテルから空港に向かうタクシーの中で心臓麻痺を起こしたそうです。　これによって1968年にダリオ・モレノが真に適役のSancho Panza（サンチョ・パンサ）を演じ、Jacques Brel（ジャック・ブレル）がDon Quichotte（ドン・キホーテ）を演じたL'Homme de la Mancha（ラ・マンチャの男）のOlympia劇場パリ公演は、1955年にJules Dassin（ジュールス・ダッシン）監督のDu Rififi chez les Hommes（男の争い）などに出演したフランス人俳優のRobert Manuel（ロベール・マニュエル）が急遽サンチョ・パンサ役を換わったそうです。　もちろんその後にリリースされたジャック・ブレルのレコード「L Homme De La Mancha」にもダリオ・モレノは収録されていません。　※”Jezabel”はアルバム「Best of Gold: Dario Moreno」や「Viens: Dario Moreno」に収録されています。
Istanbulダリオ・モレノはシャンソやラテンまで幅広くカバーしていましたが当然故郷のトルコの歌もヒットさせました。　それは”Istanbul (Not Constantinople)（イスタンブール）”で1953年にフランス語で歌ってイスタンブールをフランスに広めました。Istanbul - Dario Moreno - YouTubeIstanbul - Dario Moreno Paroles - Musikiwi.com”Istanbul ”は”Poinciana”の作曲で知られるミューヨーク出身のNat Simon（ナット・サイモン）が作曲し、”Red Sails in the Sunset”や”South of the Border”など2000曲もの歌詞を書いたアイルランド出身の作詞家のJimmy Kennedy（ジミー・ケネディ）が作ったとされるエキゾチックな曲です。　この”Istanbul”のオリジナルは1929年にIrving Berlin（アーヴィング・バーリン）が書いたPuttin' on the Ritzで1930年の同名のミュージカル”Puttin' on the Ritz（目醒めよ感激）”でHarry Richman（ハリー・リッチマン）が歌ったそうです。♪アルバム「Oh! Que Dario」からダリオ・モレノが歌う”Istanbul”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはTranspacific Sound Paradise Saturday, April 15, 2006（Istanbulでページ検索し、1:01:01 Realをクリック）Dario Moreno - Istanbul - Youtube”Istanbul (Not Constantinople)”は トルコの都の呼び名の変化を歌った歌ですが、オスマン朝がトルコの町”コンスタンティノープル”を征服した1453年から”イスタンブル”と呼ばれることになったそうです。　アメリカではIstanbul (Not Constantinople) はTiny Toon Adventuresで使用された1999年のThey Might Be Giantsのバージョンが有名ですが1953年にThe Four Lads。　私が以前に聴いた”Istanbul ”は合いの手に”Manma Mia, Manma Mia”と入るコミカルなバージョンですが誰の曲か知りたいのでご存知の方はお知らせ下さい。　ちなみにトルコの古い曲では”Nina Nai Nai”もフランス語で歌っています。
Ya MustaphaYa Mustafa, Ya Mustafa, ...Chérie je t'aime, chéri je t'adore - como la salsa del pomodoro...と1950年代後期にダリオ・モレノが歌った”Mustafa（ムスタファ）”は”トマトソースのように愛している”というギリシャ風なメロディのラヴソングですが作曲者は不明です。　おまけに”Mustapha”が収録されているダリオ・モレノのアルバムが見つかりません。Dario Moreno Mustapha 1960 - YouTube”Mais Que Nada”のカバーで有名なエジプト出身のレバノン人歌手のBob Azzam（ボブ・アザム）が1961年のエジプト映画でも”Ya Mustafa”を歌ったそうですが、日本ではダニー飯田とパラダイスキングをバックに坂本九ちゃんが1960年にムスターファ（悲しき60歳）をヒットさせました。ボブ・アザムの歌詞はMustapha Paroles - Musikiwi.com

Hava Nagilaダリオ・モレノは結婚式でも定番の伝統的なユダヤ音楽の”ハバ・ナギラ”も歌っていますが上記の”Mustapha”同様にどのアルバムに収録されえているのか不明です。（Dansons Mon Amour "Hava Naguila"という45回転シングルはリリースされたようです。）Dario Moreno - Hava Nagila - Imeem.com☆ハバ・ナギラについて詳しくはAudio-Visual Trivia 内のハバ・ナギラ　Hava Nagila

Itsi Bitsi Petit Bikini”Si tu vas à Rio”のように面白い歌なら何でもチャレンジしたダリオ・モレノはアメリカのティーン・ポップスの”Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka Dot Bikini（ビキニスタイルのお嬢さん）”まで歌っています。　 ”Itsy Bitsy...”はPaul VanceとLee Pockrissが書いた曲でオリジナルは1960年に16歳のティーンアイドルのBrian Hyland（ブライアン・ハイランド）が歌いビルボードでナンバーワンに輝きました。（私は1962年にThough we've got to say good-bye For the summerと歌われたSealed with a Kiss（涙のくちづけ）を購入）　1961年にBilly Wilder（ビリー・ワイルダー）が監督した東西独逸問題をパロディ化したコメディ映画の「One, Two, Three（ワン、ツー、スリー／ラブハント作戦）」で拷問場面に”Itsy Bitsy...”が使用されました。（音楽はAndre Previn（アンドレ・プレヴィン））　イタリアでは往年の歌手のDalida（ダリダ）が1960年に録音しましたがフランスではダリオ・モレノが録音したそうです。Dario Moreno - Itsi Bitsi Petit Bikini - Imeem.comフランス語の歌詞も見られるItsi Bitsi Petit Bikini - LyricsPlayground.com（要ポップアップブロック）

Brigitte Bardot! par Darío MorenoBrigitte Bardot Bardot!
Brigitte be´jo be´jo
De toutes les belles pinguinettes
C'est bien toi la plus chouetteダリオ・モレノは1959年のVoulez-vous danser avec moi ?（気分を出してもう一度）など映画で何本も共演したBrigitte Bardot（ブリジット・バルドー）を褒め称える歌を歌っています。私が始めてダリオ・モレノを知ったのが陽気に”ブリジット・バルドー！バルドー！”とブリジット・バルドーを連呼したBB賛歌の”Brigitte Bardot”というコミカル曲で1961年に歌っていますが、この”Brigitte Bardot”という曲はサンバやカーニバルのマーチやCMソングなどを作曲したブラジルのMiguel Gustavo（ミゲル・グスターヴォ）が1961年に作曲でLuiz Vanderleyが吹き込んだそうです。　1970年のワールド・カップのブラジル応援歌である”Pra Frente, Brasil（進め！ブラジル！）”が有名ですが軍事独裁のプロパガンダとしても使用されたとか。”Brigitte Bardot”はソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでダリオ・モレノのレパートリーのなかで”Istanbul ”に次ぐ人気です。♪ダリオ・モレノがフランス語で歌ったラテンのTout l'amour que j'ai pour toi（情熱の花）、1959年にJean Broussolle（ジャン・ブルーソル）作詞してJean-Piere Calvet（ジャン・ピエール・カルベ）作曲したLe Marchand de bonheur（幸せを売る男）、Istanbul（イスタンブール）なども聴けるDario Moreno - Last.fm”Brigitte Bardot”はアルバム「Brigitte Bardot」や「Si tu vas à Rio」にも収録されています。試聴はBrigitte Bardot Dario Moreno - Fnac.com（アルバム画像左のÉCOUTESをクリック）”Brigitte Bardot”の歌詞はBrigitte Bardot - Dario Moreno Paroles - Musikiwi.comDarío Moreno - Brigitte Bardot - YouTube

Dario Moreno avec Brigitte Bardot”ブリジット・バルドー”応援歌を歌ったダリオ・モレノは1959年にJulien Duvivier（ジュリアン・デュヴィヴィエ）が監督したバルドー主演の「La femme et le pantin（私の体に悪魔がいる）」ではスペインはセビリアのフラメンコ師匠役で登場し、「Voulez-vous danser avec moi?（気分を出してもう一度）」でもダンス教室のフローレスを演じ、どちらもダンスに託けてベベにちょっかいを出しビンタされるような役でした。　Les Menteurs （激しい夜）のDawn Addams（ドーン・アダムス）が殺されるダンス教師でダリオ・モレノはその義父で出演しています。　ブリジット・バルドーはハンサムなプレイボーイの歯医者の新妻で、ちょっとした諍いから夫はバーでセクシーなダンス教師にひっかかってしまいます。　そのセクシーなダンス教師殺人事件の犯人とされてしまったので新妻はインストラクターとしてダンス教室に乗り込んで夫の無罪を証明しようと独自に捜査する話です。Dario Moreno et BB dans La Femme et le pantinDario Moreno et BB dans Voulez-vous danser avec moi?

Dario Moreno's AlbumsOh! Que Dario1960年代に亡くなっているにも関わらず今日でもダリオ・モレノのアルバムは人気があります。　ページトップの画像はオリジナルは1998年にリリースされたベスト盤で25曲を収録した「Oh! Que Dario」です。　”Mustafa”は収録されていませんがアルバムタイトル曲の”Oh Que Mambo”をはじめ、”Istanbul”、”Papa Loves Mambo”、”Mambo Italiano”、”Coucouroucoucou（ククルクク・パロマ）”、”Brigitte Bardot”、”Quizas Quizas Quizas”など代表的な24曲を収録してあります。　アルバム「Oh! Que Dario」は2006年リリースの「ASIN: B000A1CS6I 」もあり。試聴はOh! Que Dario - Fnac.com（アルバム画像左のÉCOUTESをクリック）

Me Que... Me Que　Darío MorenoMe Que Me QueGilbert Bécaud（ジルベール・ベコー）が1953年に作曲し、Charles Aznavour（シャルル・アズナブール）が作詞したMe-Que Me-Que（メケ・メケ）もヒットしました。　ダリオ・モレノの”メケメケは”アルバムの「Si Tu Vas a Rio」にも収録されています。シャンソンのMé qué mé quéはもちろん、アメリカン・ポップスのJezebel 、キューバやメキシコ・ラテンのQuizas quizas quizasやGranada、カンツォーネのLuna Rossa、オリジナルはギリシャのトルコ移民からと云われていますが1927年にギリシャの楽団が演奏したMisirlouなどなどまるで万国旗のようなアルバムです。ダリオ・モレノのアルバム「Me Que Me Que」試聴はMé qué mé qué - Fnac.com（アルバム画像左のÉCOUTESをクリック）同じく試聴はフランスのDario Morano - Si tu vas à Rio - Amazon.frDarío Moreno - Si tu vas à Rio - fr.truveo.com☆「メケメケ」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のメケ・メケ　Me Que Me QueDario Moreno - Me Que Me Que (1956)- YouTube

Tropical Dario: Dario MorenoTropical Dario本格的なダリオ・モレノのラテン曲全12曲を収録したオリジナルが1998年のアルバムです。　収録曲はManisero（The Peanut Vendor）、Perfidia、Siboney、Caminito 、Adios Muchachos、Granada、Malaguena、Quizas, Quizas, Quizas、Amor, Amor, Amorなど。試聴はTropical Dario  - Fnac.com（アルバム画像左のÉCOUTESをクリック）Dario Moreno - Un poncho e un sombrero (1963) - fr.truveo.comDario Moreno - Malaguena - YouTube

Dario Moreno &amp; Mamboダリオ・モレノは1950年代にPerez Prado（ペレス・プラード）が世界中に流行らせたマンボを取り上げて、いちはやくマンボの曲をフランス語で歌いましたが、1959年には「Oh ! Qué Mambo !（オー・ケ・マンボ）」というコメディ・ミュージカル映画に出演しました。　Rosemary Clooney（ローズマリー・クルーニー）が1954年にヒットさせた”Mambo Italiano”をいち早く1955年にフランス語で歌ってヨーロッパ圏に広めたのだそうです。　マンボでといえば、1954年にソングライターのBickley "Bix" Reichnerの着想を1950年の”If I Knew You Were Comin I'd've Baked A Cake”の作者であるAl Hoffman（アル・ホフマン）とDick Manning（ディック・マンニング）とのコラボで出来上がった”Papa Loves Mambo”をPerry Como（ペリー・コモ）が録音しましたがダリオ・モレノも歌っています。Dario Moreno - Mambo Italiano - Imeem.comDario Moreno - Papa Loves Mambo - Imeem.com

Dario Moreno's Movies歌で人気の出たトルコ人のダリオ・モレノはその風体を生かしてフランス人やイタリア人はもとより、メキシコ人やアラブ人など色々な国の濃いキャラクターを演じています。　映画デビューは1951年にMaurice Labro（モーリス・ラブロ）が監督してGregoire Aslan（グレゴワール・アスラン）が出演した「Pas de vacances pour Monsieur le Maire」（”市長さんは休暇なし”の意味）のマハラジャ役だったそうです。　その翌年の1952年には世界的に有名なHenri-Georges Clouzot（アンリ・ジョルジュ・クルーゾー）が監督した「Le salaire de la peur（恐怖の報酬）」で中米の石油採掘地で働くHernandez役を演じYves Montand（イヴ・モンタン）等と共演しました。　さらに1953年はBernard Borderie（ベルナール・ボルドリー）監督のLa Môme vert-de-gris（悪党を射ち殺せ）」、そして1957年になってPeter Van Eyck（ペーター・ヴァン・アイク）やAnouk Aimée（アヌーク・エメ）が出演したHenri Decoin（アンリ・ドコアン）監督の「Tous peuvent me tuer」や「Le Feu aux poudres（火薬に火）」に出演しました。さて、上記の映画では「Le salaire de la peur（恐怖の報酬）」以外は観たことがありませんが1957年の「Oeil Pour Oeil（眼には眼を）」は観ました。　この映画でダリオ・モレノはCurd Jürgens（クルト・ユルゲンス）が主演したアラブ人の復讐劇で茶屋の店主役を演じています。☆「眼には眼を」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のパスカル・オードレ　Pascale Audretダリオ・モレノが出演した映画は日本ではDVDは「恐怖の報酬」とVHSビデオでは「眼には眼を」以外は入手困難です。（どちらもチョイ役）　アメリカでも「Wages of Fear（恐怖の報酬）」や「Come Dance With Me（Voulez-vous danser avec moi?）邦題は”気分を出してもう一度”」は見つかり、フランスでは「 Oh ! que mambo」や「「Le Feu aux poudres（火薬に火）」のDVDが見つかります。

Oh! Qué mambo　1959年1950年代と1960年代はダリオ・モレノの最盛期で、1957年には3本、1969年には4本、1963年には4本の映画に出演した売れっ子でした。　それらの中でもアメリカのJohn Berry（ジョン・ベリー）が監督した1959年のコメディ･ミュージカル映画「Oh! Qué mambo」はダリオ・モレノが主演したダリオ・モレノのための映画のようで、Du Rififi chez les Hommes（男の争い）にも出演しているセクシーなイタリア女優のMagali Noël（マガリ・ノエル）と夫婦役で共演していますが、カジノ・クラブのシーンでは「火薬に火」にブリジット役で出演したLila Rocco（リリア・ロッコ）や客としてシャルル・アズナブールがカメオ出演しています。　映画音楽は1962年のLe Diable et les dix commandements（フランス式十戒）のGuy Magenta（ギイ・マジャンタ）でフランスのジャズ･ピアニストのClaude Bolling（クロード・ボラン）の演奏です。　映画で使用された”Miguelito”、”Oh que mambo!”、”Mon cœur est prisonnier”、”Ca suffit comme ça”などはギイ・マジャンタ作曲で”Luna Rossa”や”Petite Fleur”で有名なFernand Bonifay（フェルナン・ボニファイ）の作詞です。　ダリオ・モレノはシャンソン歌手でもあったマガリ・ノエルとデュエット・アルバムもリリースしています。※ニューヨーク生まれのポーランド系ユダヤ人であるジョン・ベリーはJules Dassin（ジュールス・ダッシン）のようにハリウッドの赤狩りに合って1950年代にフランスに亡命した映画監督ですが、1951年に同じく赤狩りで短いキャリアとなったJohn Garfield（ジョン・ガーフィールド）を主役に据えた「He Ran All the Way（その男を逃すな）」を監督しています。☆Des Femmes Disparaissent （殺られる）にも出演したMagali Noël（マガリ・ノエル）についてはAudio-Visual Trivia 内のエドゥアール・モリナロ　Edouard MolinaroDario Moreno sings "Oh Que Mambo" (1959) - YouTubeDario Moreno sings Miguelito in Oh Que Mambo with Magali Noel (1959) - YouTubeMagali Noel raconte Dario Moreno - YouTube

☆トルコ語ですがダリオ・モレノの写真も見られるバイオグラフィーはDario Moreno Biography - sodev.org.trダリオ・モレノのアルバム画像も見られるディスコグラフィーはDarío Moreno Discography at Discogs]]></description>
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         <category>Music</category>
         <pubDate>Mon, 30 Mar 2009 00:07:13 +0900</pubDate>
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         <title>ミケランジェロ・アントニオーニ　Michelangelo Antonioni</title>
         <description><![CDATA[Il grido DVD

Michelangelo Antonioni (1912 - 2007)イタリアの映画の巨匠の一人、ミケランジェロ・アントニオーニの作品というとなにやら難しくて、娯楽作品の好きな私には単純に楽しめる類の映画ではないという感があります。　それでも惹かれるアントニオーニ映画の魅力とは何か。ミケランジェロ・アントニオーニの日本でのメジャー監督デビューというと、日本未公開だった1950年の「Cronaca di un amore（愛と殺意）」に続く1955年のLe amiche（女ともだち）」が長編映画の第三作目となるそうです。　「女ともだち」には1959年に「Estate Violenta（激しい季節）」で大ブレイクした「Eleonora Rossi Drago（エレオノラ・ロッシ・ドラゴ）がローマからトリノにやって来たオートクーチュールのマネージャーを演じ、「情事」にも出演したGabriele Ferzetti（ガブリエル・フェルゼッティ）がトリノのホテルで自殺を計ろうとした若い娘の愛を受け入れられなかったロレンツォを演じていますが、「情事」の原作である小説”Tra donne sole”を書いたCesare Pavese（チェーザレ・パヴェーゼ）も1950年にトリノのホテルで睡眠薬自殺を計ったのだそうです。　映画のなかの娘も2度目の自殺では本当に死んでしまいます。アントニオーニ監督同様に、この作品で映画音楽を担当してメジャーデビューした作曲家のGiovanni Fusco（ジョヴァンニ・フスコ）は「愛と殺意」以降、1960年にDamiano Damiani（ダミアーノ・ダミアーニ）の監督のIl Rossetto（くち紅）をはさんで1964年の「赤い砂漠」までアントニオーニ映画に音楽を提供していました。（1961年の「夜」を除く）
Il grido　（1957年）ページトップの画像はアントニオーニ映画としては第6作目に当たる「さすらい」のDVDで、「Il Grido」としてイタリア語英語字幕版の輸入VHSもあります。「さすらい」と同じ時期の1957年にはヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれたフランス映画の「Ascenseur pour L'echafaud（死刑台のエレベーター）」が話題になりましたが、それほど派手には日本では取り上げられていませんでした。　それでも「さすらい」は観る者を惹きつける名作の魅力を秘めています。　映画のタイトルは英語では”叫び”とか”激しい抗議”という意味の「The Outcry」となっているそうです。　出演者としては、1949年の「The Third Man（第三の男）」が印象的だったAlida Valli（アリダ・ヴァリ）が一見身勝手ともみえるIruma（イルマ）を演じています。　Steve Cochran（スティーヴ・コクラン）がこの悲劇の主人公である精糖工場労働者のアルドを演じています。　舞台は北イタリア、白黒映画のせいもあるがなんて寂しいんだというほど荒涼としたPo Valley（ポー河）流域の貧しいが平和にみえる村の精糖工場の労働者として働くアルドが主人公です。　アルドは夫が外地に行ったきり消息不明の年上のイルマと知り合い、その後7年もの間同棲して6歳になる娘まで儲けていました。　そしてある日のこと、そのイルマの夫の死亡を知らせる通知が届いたのです。　いよいよ正式に結婚できると喜び勇むアルドにイルマは冷たく言った。　「私たちは話し合わなくちゃならないことがあるの。　私はこの数ヶ月で変わったわ。　今でも貴方を愛してはいるけれど、もう以前ほどではないの。　他の人のところへ行かせて。」　イルマはその数ヶ月前から関係のあった若い男の元へと去っていったのでした。　娘のRosina（ロジーナ）を置き去りにして。突然愛する女に捨てられて絶望したアルドは残された娘を連れて村を後にしポー河流域を”さすらい”、つまり放浪の旅に出たのです。　アルドには取り立てて娘への愛情は見られませんが、車に撥ねられそうになってビンタを食らった娘が父親から逃げるように駆け出して行ってしまい、老人の一団に出合って泣き出した時には「Non Piangere（もう泣かないで。）」と父親らしく優しく慰めたのでした。　イルマが去った絶望感を埋められるかもしれないと過去の女を尋ねてみたり、何人かの女たちと関係を持ったアルドでした。　Dorian Gray（ドリアン・グレイ）が演じるヴィルジニアに出会いガソリン・スタンドで働くこととなり娘は故郷に帰したのでした。　流れ者が街道の店で働くようになるプロットはちょっと1946年のThe Postman Always Rings Twice（郵便配達は二度ベルを鳴らす）のような展開でしたが、父親と一緒の女だったので犯罪は起きませんでした。　この地で落ち着くのかとおもいきや、間もなくアルドは再びやさすらいを続けてLynn Shaw（リン・ショウ）が演じる若くて胸を患っている娼婦のアンドリーナとも出会いと別れがあった。　どんな女と出会ってもイルマのことは忘れられない、どこへ行っても孤独感は満たされないとさらに絶望を味わったアルドは「もうちょっと話し合わなくちゃ！」と言うアンドリーナを後に、さすらいの一年後にもとの村に舞い戻ってきてしまうのだった。　すぐさまイルマの家に行って窓から覗いてみるとイルマにはアルドの留守中に誕生した男の子がいた。　そのイルマは窓の外にアルドの姿を見つけて急いで後を追った。あの静かだったアルドのいた村はたった1年後には工場用地の飛行場化阻止運動の真っ只中だった。　1960年頃の日本での成田の三里塚闘争を思わせるようなシーン。（あれほど過激ではないが。）　闘争中の村人をよそに既に閉鎖された工場の敷地に入る孤独なアルドは懐かしい工場を感慨深げに見渡してから何を思ったか精製塔を目指して行く。　この精製塔は安定した生活の象徴なのか、さすらいの間に出会った女にも塔のことを懐かしそうに話していたっけ。　もうどうすればいいのかさえも分からないアルドは吸い寄せられるかのように一人塔の螺旋階段を登っていく。　静寂の中、アルドの靴音だけが鉄板の階段で冷たく響く。　ようやく駆けつけたイルマはアルドを見つけたがフェンス越しに声をかけるのを躊躇った。（なぜ？）　敷地を走り抜けるたイルマはすでに塔の最上階に向かうアルドを見つけた。　イルマが下から叫ぶ、「アルドー！」　一瞬幻聴か？とアルドは思った。　いや、違う、はるか下にイルマを見つけたアルドはイルマに向かって弱々しく軽く手を振る。　これも幻影かもと思ったのか、アルドの体がグラッと揺れる。　イルマの悲鳴と共に塔のてっぺんからアルドは落下。　駆け寄って地面に打ち付けられたアルドの身体に触れようとした両手を引っ込めるイルマ。（なぜ？）　そして、そのまま、エンド。　なんてこったの悲劇的結末。　アルドの愛の不毛と疎外感、不条理とも呼ぶべき謎めいた行動をとったイルマという女はアルドが理解できないと同様に私も解せない人物でした。　端的に考えれば夫の留守中に男と同棲してしまった女がさらに別の男と関係を持ったのだが、夫の死亡が明らかになると同棲している男が結婚を迫ることは明白なのでそれを嫌ったために去ったということでしょうか。　そんな単純な動機じゃないのか、亡き夫の遺品すら要らないと言った女、わからない、わからない。Il Grido (1957) Trailer - YouTubeSteve Cochranカルフォルニア出身でワイオミングのカウボーイからブロードウエイの舞台に出演するようになったスティーヴ・コクランは1946年にThe Best Years of Our Lives（我等の生涯の最良の年）でVirginia Mayo（ヴァージニア・メイヨ）が演じた帰還兵フレッドの妻でナイトクラブで働くようになったマリーのボーイフレンドのCliff Scull（クリフ）の後に、フィルムノワールで1946年の「The Chase」で「Les Scélérats（危険な階段）」のMichèle Morgan（ミシェル・モルガン）と共演してギャングのEddie Roman（エディ）、1949年に「White Heat（白熱）」でJames Cagney（ジェームス・キャグニー）が演じるギャングの手下のBig Ed Somers（ソマーズ）、1950年のHighway 301（明日なき男）では女も殺す極悪非道の武装ギャング団のGeorge Legenza（ジョージ・レジェンザ）を演じました。　「さすらい」に出演した後の1959年にThe Beat Generation（悪いやつ）に巡査部長のDave Culloran（デイヴ）役で出演しています。　3度の結婚と離婚を繰り返した183cmという長身のスティーヴ・コクランは恐持ての顔に似合わず（失礼)、Wuthering Heights（嵐ケ丘）のMerle Oberon（マール・オベロン）から人気金髪グラマーのMamie Van Doren（マニー・ヴァン・ドーレン）やJayne Mansfield（ジェーン・マンスフィールド）、そして大物女優のJoan Crawford（ジョーン・クロフォード）などと多くの女優と浮名を流したプレイボーイだったそうです。（ギャング映画時代のコクランをイメージすればなるほど。）　しかし48歳の時、3人の女たちを乗せたヨット上で謎の死を遂げました。　ミケランジェロ・アントニオーニ監督は女を殴るわ、女を殺すわというギャングがはまり役だったスティーヴ・コクランを突然女に捨てられて苦悩する男の役に起用したのですが、ギャングだろうと労働者だろうと、人間が孤独と絶望を味わうことは変わりない。「さすらい」の音楽はミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画には欠かせないジョヴァンニ・フスコで、冒頭には美しいピアノ曲が使用されています。　「さすらい」の音楽は「太陽はひとりぼっち」ほどは話題にはなりませんでしたが、冒頭のミルク配達が訪れて諍いが中断されるシーンから始まる雨だれ弾きにも似たピアノの旋律が不穏な状況を煽るかのように、またアルドの心中を代弁するかのように美しく流れます。　しかしラストシーンでは木琴と手風琴のような楽器で演奏されたテーマ曲の”Commento al Fil ”が心に残ります。（Non Lo Saprai Mai =You'll never know Itの方はどれなのか覚えていません。） ”Commento al Fil ”が収録されているサウンドトラックCDには「I Film di Antonioni  ~ Giovanni Fusco」や「I Film Di Antonioni, Le Musiche Di Fusco」などがあるそうです。
L'Avventura　（1960年）L'Avventura DVD「さすらい」よりもっとわからない映画がモニカ・ヴィッティがデビューした「情事」です。　出演者は「情事」の前の1960年にJacqueline Sassard（ジャクリーヌ・ササール）が主演した「Nata di marzo（三月生れ）」でも中年の建築技師のSandro（サンドロ）役だったGabriele Ferzetti（ガブリエレ・フェルゼッティ）が消えた姿無きヒロインである”アンナ”の恋人のサンドロを演じます。　モニカ・ヴィッティが演じるクラウディアはヴァカンスも終ろうとする頃に仲良しのアンナに誘われてアンナの恋人の建築家とアンナ同様に優雅で退廃的な生活を送っている仲間たちと地中海の小島までヨット旅行をすることになった。　その途中に船から降りて無人島に寄ったのだが、恋人とうまくいってなかったアンナが突然姿を消してしまったのだ。　アンナはそれまでも一人で船からダイビングして泳ぐような気まぐれもみせていました。　仲間たち全員で無味乾燥な溶岩だらけの島を探しまわったがアンナの影も形もない。　ただ風が音を立てて吹くだけ。　捜索も打ち切られたがアンナの友人のクラウディアとアンナの恋人はかすかな希望を求めて近辺の島々を回った。　ところがクラウディアとサンドロはアンナの捜索の旅の筈が、アンナを気にかけながらの情事へと発展していく。　そしてローマに戻るとイタリアの町々でアンナ探しを続けたのだったが噂やガセネタばかりで依然としてアンナの消息はつかめない。（シシリアからローマへとちょっとイタリア観光案内）　クラウディアは「今は君に夢中だ。結婚しよう」と言うサンドロとのことで自己嫌悪に苛まれるが仲間たちは消えたアンナのことなどもう忘れてしまった様子。　サンドロが見当たらないともしかしてアンナが生き返って二人は会っているのではないかと気が狂ったようにだだっ広い友人宅を探し回った。　すると、なんと、冒頭で裂けたスカートで男どもの関心を買ったあの女とサンドロが一緒だった。（その代償に女は金をせびったが。）　木立を揺らして風が吹く。　心ここにあらずなクラウディアとサンドロのの情事は当然ながら確実なものではなかったが、いくら気まぐれのクラウディアでもそれは理解していたようだった。　これが重要な部分なんでしょうが、クラウディアとサンドロの何度にも渡る二人の関係についての長い会話を聞くのは私には辛抱が要ります。　この映画もミステリー映画のように消えたアンナはいったいどこ？と推理してみたり、二人は愛なき情事なのか？と通俗的な疑問など持ってはいけないアントニオーニの映画だから。「情事」でもモニカ・ヴィッティは水着からスリップまで素晴らしい衣裳を披露していますが、イタリアだけにドレスなどの肩紐はスパゲッティ・ストラップです。　私が一番気に入った服装は、「行方不明の若い女性を探すならユースホステルを探したら？」と宿のおかみに言われた時に着ていた上着のエリと袖口と裾だけが濃い色の柔らかそうなニットスーツです。上記の画像は2008年にリリースされた日本語字幕版のDVDです。　2000年にリリースされた「L'Avventura」 の輸入版VHS（イタリア語）もあり。Nico Fidenco's Trust Me「情事」の音楽は「さすらい」同様にジョヴァンニ・フスコ作曲で、主題歌の編曲及び指揮はEnnio Morricone（エンニオ・モリコーネ）です。　Nico Fidenco（ニコ・フィデンコ）が歌う”Trust Me（トラスト・ミー ）”が「情事」のテーマ曲として使用されました。　ニコ・フィデンコはClaudia Cardinale（クラウディア・カルディナーレ）が主演した1960年のDelfini（太陽の誘惑）のテーマ曲の”What a sky（Su nel cielo）”を歌って大ブレイクしたイタリアのポップス歌手です。”Trust me, Join me, You gotta a nest into my heart, Don't you see, Now you're a flame, Just like a slave wave in the air...”という歌詞に魅せられて”What a sky”と共に当時はEP盤を購入しました。Nico Fidenco - Trust Me - YouTubeL'Avventura Trailer with "Trust Me" - YouTube

La Notte　（1961年）夜 DVDいつも金髪のモニカ・ヴィッティは「情事」で戯れにかぶったカツラのような黒髪で金持ち娘のヴァレンティーナを演じます。　「夜」は私生活で長年連れ添った妻からの突然の別れを経験したミケランジェロ・アントニオーニ監督の「ナゼ？」という疑問が描かれているそうです。　作家としての限界を感じ初めて妻の不安に気付かない夫と、新しいドレスさえ気にも留めなくなった夫の心を自分に向けたい妻、共に疎外感を生じている夫婦の暗中模索物語。　作家のジョヴァンニをLa dolce vita（甘い生活）のMarcello Mastroianni（マルチェロ・マストロヤンニ）、その妻のLidia（リディア）をAscenseur pour L'echafaud（死刑台のエレベーター）のJeanne Moreau（ジャンヌ．モロー）が演じています。ちょっと意表を突かれますが、映画の冒頭は夫婦の親しい友人のトマゾが入院しているミラノの病室から始まります。　夫婦がその末期症状のトマゾを見舞いに来ますが、真の友人の苦しむ様子は見るに耐えない。　病院を出た二人はジョヴァンニの出版記念会に出席したがリディアは抜け出して目的もなく一人で町を彷徨って夫婦がかって住んでいた場所にいた。リディアから連絡があり迎えに行ったジョヴァンニは招待を受けた大富豪のゲラルディーニ氏のパーティに出かける予定があった。　しかし二人だけで過ごしたいと言うリディアに逆らわずクラブに行くことになる。　その時のリディアのおニューのドレスはキラキラ光る石がついたゴージャスなレースの上着付きで一番素敵です。　二人で訪れたナイトクラブでは代わり映えのしない似非ストリップショーを見たところでさしてムードが盛り上がるでもなく、リディアの気が変わって結局ゲラルディーニ氏のパーティに出向いた。　このパーティ会場でGiorgio Gaslini Quartet（ジョルジオ・ガスリーニのコンボ）演奏が始まります。　ジョヴァンニはそのゲラルディーニ氏邸で宝石をあしらったコンパクトを市松模様の床に滑らせて遊んでいた娘のヴァレンティーナに出会い虜になります。　倦怠感に蝕まれた夫婦にヴァレンティーナが絡んで一風変わった三角関係を展開しますが、長年連れ添った夫婦がそれぞれ夜を別々に過ごしても、既に冷え切った夫婦には何の感情の変化もなかった。　一緒に去っていく夫婦に向かって置いてけぼけを食ったヴァレンティーナ曰く、「貴方たち二人ともうんざりだわ。」　リディアは電話で確認したトマゾが亡くなったことを映画の最後にジョヴァンニに告げている。　「貴方には親友でも私にとってはもっと意味がある人だった。　トマゾは私、私、私のことだけを話したのに、貴方は自分のことだけね。　もう貴方を愛せない。」　「この問題に決着をつけよう。　愛してる。」というジョヴァンニにバッグから手紙を取り出したリディアは涙ながらに読んだ。"When I awake this morning, you were still asleep. As I awoke I heard you gentle breathing. I saw you closed eyes beneath wisps of stray hair and I was deeply moved. I wanted to cry out, to wake you, but you slept so deeply, so soundly. " "In the half light you skin gloved with life so warm and sweet. I wanted to kiss it, but I was afraid to wake you. I was afraid of you awake in my arms again. Instead, I wanted to something no one could take from me, mine alone...this eternal image of you. Beyond your face I saw a pure, beautiful vision showing us in the perspective of my whole life...all the year to come, even all the years past."「誰からの手紙？」と訊ねるジョヴァンニにリディアが答えた。　「あなたのよ」　これで愛が再燃した。　「もう貴方を愛していない。貴方もそうでしょう。愛していないと言って。」　これは倦怠期の夫婦のゲームなのか。　近代化の進んでいたイタリア北部がさらなる資本主義へと変革する高度成長期、物質文明や拝金主義に捕らわれた人々も何らかのトランスフォームをせざるを得ない。　しかし作家のジョヴァンニが生気を取り戻すのに果たして女が必要だったのか、ヴァレンティーナが。（冒頭の気の触れた女の件はどうなる。やはり誰でも良いのかも。）1961年にSåsom i en spegel（鏡の中にある如く）を監督した超辛口と定評のあるIngmar Bergman（イングマール・ベルイマン）が認めたアントニオーニの作品はこの「夜」と「欲望」だとか。1961年のLa Notte(夜)の写真が見られるLa Notte - FILM.TV.ITLa Notte Trailer - YouTubeLa Notte Opening Title - YouTubeLa Notte Last Scene - YouTube上記の画像は2009年にリリースされた「夜」の日本語字幕版DVDですが、「さすらい」と「夜」の2枚組DVDもあります。（DVDカバーは赤いが映画は白黒）☆映画「夜」で私がずっと気になっていた針金細工がやっと分かりました！　突然のどしゃ降りで停電にもなった時、文学少女のヴァレンティナがジョヴァンニに自作の詩を呼んで聞かせた後で弄んでいた自在変形オモチャはインドの毬　Flexi-Sphere☆ゲラルディーニ邸のパーティ会場に入る前にジョヴァンニが階段で見つけたヴァレンティーナの読みかけの本は「The Sleepwalkers（夢遊の人々）」、原題を”Die Schlafwandler”というオーストリアの作家のHermann Broch（ヘルマン・ブロッホ）が書いた三部作だそうです。（上巻は第一部と第二部で下巻は第三部）詳しくはヘルマン・ブロッホ（1886～1951）☆パーティで主催者のゲラルディーニ氏がロスト・ジェネレーションの米作家であるErnest Hemingway（ヘミングウェイ）に遭った話をしていますが、映画「夜」がイタリアで公開された1月頃までは生存していたのですが1961年の春に散弾銃で自殺を遂げたのでした。（亡くなったのはその数ヶ月後）　それにしてもゲラルディーニ氏の会話のオチでヘミングウェイに「キューバに伺いますよ。」と言ったら「君を撃ってやる。」と返したという言葉は逸話でしょうが実にヘミングウェイらしいです。

La Notte Soundtrack ANGEL records 45rpm HM-1149La Notte（夜）の音楽はこれまでのジョヴァンニ・フスコではなく、この映画の音楽で1962年のシルバーリボン賞最優秀作曲賞を受賞し、楽団として映画にも出演したジャズ・ピアニストのGiorgio Gaslini（ジョルジオ・ガスリーニ）が手掛けています。　オープニングの曲はジャズとはいえないビル工事をイメージした雑音のようなシンセな曲で、映画のなかで流れるBGMは一人町をさまよったリディアをジョヴァンニが迎えに行くシーンとパーティシーンと、明け方リディアとヴァレンティーナの蟠りを解すシーン（告白か吐露）では庭で演奏しているのが聞える以外は殆どありません。　広場で打ち上げているロケット花火は別としても、突然のヘリコプターのプロペラ音や飛行機の爆音、サイレン、豪雨、雷など不穏な時代を演出するような効果音が多いサウンドトラックです。　ピアニストのジョルジオ・ガスリーニのカルテット（4人コンボ）の演奏はジョヴァンニ夫婦がパーティ会場に到着してすぐ演奏されますが、ラスト・シーンのゲラルディーニ家のパーティの終盤、突然のどしゃ降りでお開きとなる頃に流れる曲は”Blues All'Alba（暁のブルース）”で、明け方のリディアとヴァレンティーナの会話シーンとラストの夫婦の会話シーンではBGMとして聞えてきます。　パーティの前にジョヴァンニとリディア夫婦が出かけたクラブでのセクシーショーの伴奏として演奏された曲が”Notturno Blues（夜のブルース）”です。　Giorgio Gaslini Quartet（ガスリーニ・カルテット）の演奏がみられるシーンは2度あります。　B面の曲はどことなくバリトン・テナーサックス奏者のGerry Mulligan（ジェリー・マリガン）が演奏した1958年のI Want to Live!（私は死にたくない！）のテーマ曲に似ています。　ガスリーニ・コンボの演奏メンバーはピアノがジョルジオ・ガスリーニ、テナーサックスがEraldo Volonte（エラルド・ヴォロンテ）、ベースがAlcco Guatelli（アルッコ・グアテッリ）、ドラムがEttore Ulivelli（エットレ・ウリヴェッリ）です。La Notte Strip Scene with Jeanne Moreau &amp; Marcello Mastroianni - YouTube私の所有する「夜」のサウンドトラックは赤いEPドーナッツ盤で、中古レコード価格は6500円だとか！　1996年に国内で11曲収録の「夜」のサウンドトラックが”Soundtrack Listeners Communications Inc.（サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ）”でCD化（Amazon ASIN: B0000565QA）されたそうです。（Lettura Della Lettera、Ballo Di Lidia、Voci Dal Fiume、Quartetto Sotto Le Stelle、Blues All' Alba、Valzer Lento、Notturno Blues、Finale、Jazz Interludio、Country Club、La Notte）ジョルジオ・ガスリーニの「La notte」のサントラ画像が見られるNew sound jazz #2: Giorgio Gaslini - La notte - ItalianSoundtrack.comジョルジオ・ガスリーニはMill of the Stone Women（生血を吸う女）のGiorgio Ferroni（ジョルジオ・フェローニ）が監督した1972年の「La Notte Dei Diavoli（悪魔の微笑み）」やDario Argento（ダリオ・アルジェント）が監督したの1975年の「Profondo rosso（サスペリアＰＡＲＴ２）」などイタリアンホラー映画のサウンドトラックも手掛けています。

L'Eclisse　（1962年）ミケランジェロ・アントニオーニが監督した一番知られている映画といえば1962年にカンヌ映画祭審査員特別賞受賞した「太陽はひとりぼっち」でしょう。　この作品は1960年のL'Avventura（情事）と、1961年のLa Notte(夜)に続く 「疎外感と欲望そして愛の不毛」を描くといわれる三部作の完結編でした。　そしてこの後に制作されたIl Deserto Rosso（Le Désert rouge / 赤い砂漠）（1964年）を加えると４部作となるそうです。　音楽は再びジョヴァンニ・フスコが担当します。「太陽はひとりぼっち」についてはAudio-Visual Trivia 内の太陽はひとりぼっち　L'Eclisse

Il Deserto Rosso （1962年） &amp; Blow-up （1966年）私がまだ観ていないミケランジェロ・アントニオーニの作品はたくさんありますが、少なくとも「赤い砂漠」と「欲望」だけは観たいと思っています。ミケランジェロ・アントニオーニの作品はこれまでは白黒映画でしたが、人間不信の対象が愛人からさらに広がった1964年の不毛映画「赤い砂漠」は初の赤いカラー作品だそうです。　フランス語のタイトルを”Le Désert rouge”、英語のタイトルを”The Red Desert”という「赤い砂漠」ではモニカ・ヴィッティが精神的に問題のある人妻を演じているこの作品については私は何の手がかりもないので、「赤い砂漠」の日本語字幕版DVDがリリースされているので観たいと思います。Vittorio Gelmetti (1926 – 1992)「赤い砂漠」では電子音楽のVittorio Gelmetti（ビットリオ・ジェルメッティ）が加わり、ジョヴァンニ・フスコが引き続き特異な映画音楽を提供しています。　イタリアで電子音楽のパイオニアとも呼ばれるビットリオ・ジェルメッティはミラノ出身の音楽家で特にエレクトロ・ミュージックに独学で取り組んでミステリアスでファンタジックな音楽を生み出したそうです。ジョヴァンニ・フスコの「赤い砂漠」の”Il Surf Della Luna”などの曲目リストとサントラ画像が見られるDeserto Rosso - ItalianSoundtracks.comIl Deserto Rosso  opening scene - YouTubeIl Deserto Rosso Trailer - YouTube
Blow-Up: Original Motion Picture Soundtrack ミケランジェロ・アントニオーニが1966年にイギリスで初めて監督した「欲望」もサスペンスかと思いきやこれまた不条理劇で、タイトルのBlowupとは写真の引き伸ばしを意味するそうです。　ロンドンの若い写真家を通して芸術と幻想を描いているらしいが観ても分るかどうか、とにかく観たいものだ。　激写される謎の女”ジェーン”をIsadora（イサドラ）のVanessa Redgrave（ヴァネッサ・レッドグレーヴ）が演じる他、Serge Gainsbourg（セルジュ・ゲンズブール）とのコラボが有名なJane Birkin（ジェーン・バーキン）などの美人女優が出演しているそうです。　ロンドン・ファッションと共にブリティッシュ・ロックが挿入されている映画「欲望」の音楽は”Watermelon Man”や”Maiden Voyage”でお馴染みのジャズピアニストのHerbie Hancock（ハービー・ハンコック）ですがサントラはバップではありません。　「欲望」ではThe Yardbirds（ヤードバーズ）のJeff Beck（ジェフ・ベック）が”Stroll On”を演奏中にいかれたアンプに腹を立ててギターをぶっ壊すシーンがあるそうです。（以前はこの過激な映像とパントマイム・テニスの映像が見られたのですがもう削除されました。）Blow-up Trailer - YouTube

Zabriskie Point &amp; Il Reporter上記の作品の後アントニオーニ監督は何と思ったか制作の場をアメリカに移して、ロッド・テイラーや ハリソン・フォード が出演した1970年の「Zabriskie Point（砂丘）」や、ジャック・ニコルソンが主演した「さすらい」の続編的な1974年の「Il Reporter（さすらいの二人）」を撮りました。　ピンク・フロイドの音楽が印象的な70年代ロックとサイケデリックな幻覚を描いた「砂丘」で大抜擢されたずぶの素人のMark Frechette （マーク・フレチェット）は出演料の一部をヒッピーのコミューンに献金し、この3年後に銀行強盗で刑務所送りとなり、その2年後に事故死したと云われています。ミケランジェロ・アントニオーニ監督とはソリが合わなかったと云われるピンク・フロイドの3曲が収録されている「砂丘」のサウンドトラック について詳しいコラム９：ピンク・フロイドの裏ヒストリー

I Film Di Antonioni, Le Musiche Di Fusco1999年に再リリースされたサウンドトラック・コンピレーションアルバムは、ミケランジェロ・アントニオーニ映画のために作曲したジョヴァンニ・フスコ作曲のオリジナル音楽で「Il grido（さすらい）」、「L'Avventura（情事）」、「L'Eclisse（太陽はひとりぼっち）」、「Il Deserto Rosso（赤い砂漠）」から29曲を収録しています。（アルバムの最後の曲だけはAldo Piga（アルド・ピガ）の音楽だとか。）試聴はI Film Di Antonioni &amp; Le Musiche Di Fusco - Cam Originalsoundtracks.com

Giovanni Fusco: Music for Michelangelo Antonini2006年にリリースされたジョヴァンニ・フスコのサウンドトラックには「情事」からTitoli、Tema Drammatico、Titoli: Atmosfera Tensiva、Tensione、Notturno II、Tema Grottesco、Bolero Avventura、「太陽は一人ぼっち」からEclisse Twist、Eclisse Slow 、Passeggiata、「赤い砂漠」からIl Surf Della Luna、Orgia、Neurosi、Astrale、Happy Surfなど21曲が収録されています。試聴はMusic For Michelangelo Antonioni - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

Scores: L'Avventura/Deserto Rosso/L'Eclisse「3 Italian Film Scores: L'Avventura/Deserto Rosso/L'Eclisse」（Ost: Giovanni Fusco Avventura/Deserto Rosso/L Eclisse）は「情事」と「太陽はひとりぼっち」、そして1964年の「赤い砂漠」のアントニオーニ3部作から全28曲を収録した輸入盤サウンドトラック・アルバムですが試聴が見つかりません。

Giovanni Fusco (1906 - 1968)イタリアのピアニストで作曲家で指揮者でもあるジョヴァンニ・フスコは1936年から映画音楽を手掛けていましたが、1948年から1964年には「夜」を除いて殆どのミケランジェロ・アントニオーニの作品で音楽を担当しています。　 1951年のCronaca di un amoreと1961年のL'avventura（情事）ではSilver Ribbonの最優秀映画音楽賞を受賞しています。　アントニオーニの作品以外ではAlain Resnais（アラン・レネ）が監督した1959年の（Hiroshima mon amour（二十四時間の情事））」でGeorges Delerue（ジョルジュ・ドルリュー）と共に音楽を担当し、クラウディア・カルディナーレやAntonella Lualdi（アントネラ・ルアルディ）が出演した1960年の「I Delfini（太陽の誘惑）」のサントラが知られています。　ジョヴァンニ・フスコが作曲した「太陽の誘惑」の主題歌である”What A Sky（Su nel cielo）”はFausto Papetti（ファウスト・パペッティ楽団）のアルト・サックス演奏やNico Fidenco（ニッコ・フィデンコ）の歌で大ヒットしました。日本語ページもあるイタリアの素晴らしいファウスト・パペッティのサイトはファウスト・パペッティ　Fausto PapettiAからZまでたくさん試聴できるFAUSTO PAPETTI SONGS（初めてアクセスすると小ウインドが表示され、イタリア語か英語で「リストに不足があれば運営者に知らせて」と「ページ最後の[ReadMe] を読んで」とメッセージが表示されます。）

Selections from Chronicleザ・ヴェリー・ベスト・オブ・エンニオ・モリコーネ2000年にリリースされた2枚組モリコーネの映画音楽集には全39曲が収録されています。  ディスクの1枚目にはニコ・フィデンコの情事のテーマ曲「トラスト・ミー」の他、Miranda Martino（ミランダ・マルティーノ）の「くち紅」のテーマの”Paura”や、「Diciottenni al sole（太陽の下の18才）」でJimmy Fontana（ジミー・フォンタナ）が歌うGo-Kart Twist（ゴーカート・ツイス）トなどで、2枚目はさすらいの口笛などマカロニ・ウエスタン集です。※ニコ・フィデンコの”trust Me”や”What A Sky”が収録されているお勧めのアルバムは国内ではベスト盤のI Grandi Successi Originaliがリリースされています。（私はシングルレコードを持っていますがiTunesで最近購入した時にオリジナルバージョンでなくて大はずれ）「Nico Fidenco」の試聴はNico Fidenco - Libero（trust Meは11番、What A Skyは8番）※エンニオ・モリコーネのについて詳しいモリコーネと映画音楽]]></description>
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Fri, 20 Mar 2009 00:07:10 +0900</pubDate>
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         <title>アイク・ケベック　Ike Quebec</title>
         <description><![CDATA[A Proper Introduction to Ike Quebec: Blue HarlemIke Quebec (1918 - 1963)♪She's funny That Way - The Art Of The Saxophone Ballad

Ike Quebecジャズのレーベルとして有名なブルーノートの録音所があったニュージャージー出身のアイク・ケベックは20歳ごろにピアニストからテナーサックス奏者に転向したそうです。　ジャズ界にあってとりわけ演奏が革新的とも重要な貢献をしたとかは云われていませんが、演奏されるブルース・テナーのその泥臭いようで洗練されたサウンドは小難しい理論なんて抜きにしてテナーサックス好きの私にとってはまるで真夜中にジャズバーにいるみたい！　ビロードのように艶やかで優しくかつ官能的なアイク・ケベックの演奏は絶対に聴き逃せません。　もちろんロマンティックなバラードだけでなく弾けたビバップやR&amp;Bの演奏もしかり！
アイク・ケベックの初録音はブルーノートでの1940年のことだそうで、Roy Eldridge（ロイ・エルドリッジ）やColeman Hawkins（コールマン・ホーキンス）などとの共演を経て1940年代後期にはCab Calloway（キャブ・キャロウェイ）の楽団に参加したそうです。　とりわけ譜面の初見に長けていたアイク・ケベックはブルーノートでのセッションでは即興的なアレンジも手掛け、レコード会社（音楽業界）のArtists and Repertoire部門のA&amp;R ManとしてThelonious Monk（セロニアス・モンク）やBud Powell（バド・パウエル）の推進者としても知られるなどマルチタレントぶりを発揮しました。　スウィングやバップなどのジャズ時代が去った1960年代になると麻薬のせいもあってあまりレコーディングをしていないとはいえ、初期のハードバップからボサノヴァやソウルなどジャズ界の変化の波には乗っていたようです。　1960年代初期に始まったブルーノートでのアイク・ケベックのカムバック・シリーズは肺ガンで亡くなったために惜しくも頓挫してしまったそうです。
♪Listen to Ike Quebec's Sophisticated Tenor Sound!!アイク・ケベックがブルーノート・レーベルで録音した1962年のアルバム「Soul Samba」に収録されている”Lloro Tu Despedida”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for John Allen alternating with (More Than a Few) Exciting Moments with Frank O'Toole - February 9, 2004（ike quebec lloro tu despedidaの欄の最後2:28:58 (Real) をクリック）SavoyレーベルのSP盤78回転レコード「Complete Blue Note and Savoy Masters 1944」に収録された”Jim Dawgs”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Marc Grobman - June 2, 2002（Listen to this show: RealAudioをクリック、クリップポジションを21:43に移動）「Bossa Nova/Soul Samba」から”Me 'n You”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Gaylord Fields - November 7, 2004（Listen to this show: RealAudioをクリック、クリップポジションを1:42:12に移動）
Ike Quebec - Favela (Soul Samba) - YouTubeIke Quebec - Blues for Charlie (Blue &amp; Sentimental) - YouTubeIke Quebec - Blue &amp; Sentimental (Blue &amp; Sentimental) - YouTubeIke Quebec - Count Every Star (Blue &amp; Sentimental) - YouTubeIke Quebec - Acquitted (Heavy Soul) - YouTube
Ike Quebec's AlbumsA Proper Introduction to Ike Quebec: Blue Harlemページトップのベスト盤は2004年のベスト盤でタイトル曲のBlue HarlemやI.Q. Bluesの他に1946年にMel Tormé（メル・トーメ）とRobert Wells（ロバート・ウエルズ）が作った私の好きな”Born To Be Blue”など22曲収録してあります。　演奏メンバーはテナーのアイク・ケベックの他、ピアノがRoger Ram Ramirez（ロジャー・ラミレス）、ギターがTiny Grimes（タイニー・グライムス）、ベースがMilt Hinton（ミルト・ヒントン）、ドラムがJ.C. Heard（JCハード）で1944年のシングルではTiny's ExerciseがB面だったようです。試聴はBlue Harlem - Libero

Complete Blue Note and Savoy Masters 1944上記で紹介したSavoyレーベルのSP盤78回転レコード「Complete Blue Note and Savoy Masters 1944」は1945年の録音でテナーサックスのアイク・ケベックがピアノのJohnny Guarnieri（ジョニー・ガルニエリ）、ギターのBill DeArango（ビル・デアランゴ）、ベースのMilt Hinton（ミルト・ヒントン）、ドラムのJ.C.Heard（J.C.ハード）などと演奏している”Jim Dawgs”と”I.Q. Blues”など22曲を収録したビバップ・アルバムで、SPレコードがCD化され2004年にベスト盤としてリリースされていますがそろそろ入手困難になっているのか情報が少ないです。上記以外の曲目は1944年の演奏でドラムとベースは変わらずにピアノがRoger Ramirez（ロジャー・ラミレス）でギターがTiny Grimes（タイニー・グライムス）のTiny's Exercise、She's Funny That Way、Indiana、Blue Harlem同じく1944年の録音でギターとピアノは変わらず　トランペットがJonah Jones（ジョナ・ジョーンズ）、トロンボーンがTyree Glenn（タイリー・グレン）、ベースがOscar Pettiford（オスカーペティフォード）、ドラムのJ.C.Heard（J.C.ハード）が演奏するHard Tack、If I Had You、Mad About You、Facin' the Face1945年の録音でピアノがDave Rivera（デイヴ・リヴェラ）、ギターがNapoleon Allen（ナポレオン・アレン）、ベースがミルト・ヒントンでドラムをJ.C.ハードが演奏するDolores、Sweethearts On Parade同じく1945年の録音でトランペットがBuck Clayton（バック クレイトン）、トロンボーンがKeg Johnson（ケッグ・ジョンソン）、ベースをGrachan Moncur III（グレシャン・モンカー3世）、ピアノをロジャー・ラミレスでギターがタイニー・グライムスでドラムをJ.C.ハードが演奏するI Found a New Baby、Surrender Dear、Topsy、Cup-Mute Clayton1956年の録音でトランペットのShad Collins（シャド・コリンズ）、ギターがJohn Collins（ジョン・コリンズ）、トロンボーンがケッグ・ジョンソン、ピアノをロジャー・ラミレス、ベースがミルト・ヒントンでドラムをJ.C.ハードが演奏するMasquerade Is Over、Basically Blue、Someone To Watch Over Me、Zig Billionです。♪全曲試聴はSwing Hi Swing Lo by Ike Quebec - MyStrands

Ike Quebec on Blue Noteアイク・ケベックがブルーノートで吹き込んだソウルジャズ・セッションのリーダーアルバムは1961年の「Heavy Soul」と「It May As Well Be Spring」、1962年には「Easy Living」、「Blue and Sentimental」、「Congo Lament」、「Soul Samba」がありますが、2005年に「Complete Blue Note 45 Sessions CDs」がリリースされたそうです。　その後はベスト盤が何枚もリリースされていますがその数はけして多いとはいえません。

Soul Samba &amp; Bossa Nova Soul Samba1962年にブルーノトで録音された「Soul Samba 」は1996年の「Soul Samba」と2007年の「Bossa Nova Soul Samba」としてリマスター盤がリリースされています。　ボサノバのはしりともいえる時期にアイク・ケベックがトライした抜けてないボサノバ・サウンドを聴くことができます。　上記で紹介した”Lloro Tu Despedida”や”Me 'N You”をはじめバップ・ギタリストのKenny Burrell（ケニー・バレル）が作曲した”Loie（ロイエ）”や”Blue Samba”など12曲を収録しているアルバムの演奏者はテナーサックスのアイク・ケベック、ギターのケニー・バレル、ベースがWendell Marshall（ウェンデル・マーシャル）、ドラムはWillie Bobo（ウィリー・ボボ)、チェケレはGarvin Masseaux（ガーヴィン・マッソー）です。　ちなみにチェケレ（chekereもしくはShekere）とは西アフリカのヨルバ族のオリジナル楽器が奴隷を介してキューバに伝わった瓢箪製の打楽器の一種です。試聴はBossa Nova Soul Samba - cdUniverse

Blue and Sentimental1961年から1962年にアイク・ケベックのカムバックアルバムとして録音した1962年のブルーノート録音のアルバムが2007年にCD化されリマスター盤「ブルー・アンド・センチメンタル+2」が2008年にも再リリースされています。　タイトル曲の”Blue and Sentimental”同様にスモーキーな”Don't Take Your Love From Me”に加え、ボーナストラックの”That Old Black Magic”など9曲を収録したアルバムのピアノレスのカルテット演奏メンバーはブルノートお馴染みのGrant Green（グラント・グリーン）のギターにPaul Chambers（ポール・チェンバース）のベース、Philly Joe Jones（フィリー・ジョー・ジョーンズ）のドラムなどでリラックッス･ムードに浸れる最高の演奏です。　ちょっとメランコリックでもあり、真夜中のナイトクラブにでもいるような雰囲気でもあります。　アイク・ケベックが叙情豊かなアレンジで演奏している　”Count Every Star（星をかぞえて）”は、1949年にBruno Coquatrix（ブルーノ・コカトリックス）とSam Gallop（サム・ギャロップ）が作ったという曲で　このアルバムに収録された頃の1962年にLinda Scott（リンダ・スコット）が歌ってヒットしたポップスです。　Lester Young（レスター・ヤング）が一足お先に亡くなる前に吹き込んでいますが、その後Sonny Stitt（ソニー・スティット）がこのアルバムと同時期に録音しています。

Heavy Soul1961年のブルーノートでのカムバック・アルバムの1枚でリマスター盤が1999年、2004年、2005年、2006年などと再リリースされている人気アルバムです。2008年の盤はヘヴィー・ソウル+1タイトル曲のHeavy Soulや名曲のAcquittedの他、I Want a Little GirlやNature BoyなどオリジナルLPから8曲を収録、ベースのMilt Hinton（ミルト・ヒントン）、ドラムのAl Harewood（アル・ヘアウッド）、ソウルには欠かせないオルガンのFreddie Roach（フレディ・ローチ）と共にえもいわれぬ美しい演奏を聴かせます。　とろけそう。　とろけた。。。

Jazz Sax Ever ! アイク・ケベックも仲間入りしているJAZZ EVERシリーズのコンピレーションアルバム「ジャズ・サックス・エヴァー! 」ではソニー・ロリン、ジョン・コルトレーン、Sonny Stitt（ソニー・スティット）、Johnny Griffin（ジョニー・グリフィン）などの超大物テナーマンに混じって、ディスク：1 には1962年のブルーノート・アルバム「Easy Living」に収録されている”I've Got a Crush On You”とディスク：2には1961年のブルーノートアルバム「It Might as Well Be Spring: Ike Quebec」に収録されている”Lover Man”が収録されています。]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Tue, 10 Mar 2009 00:03:25 +0900</pubDate>
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         <title>ローズマリー・クルーニー　Rosemary Clooney</title>
         <description><![CDATA[The Essential Rosemary ClooneyRosemary Clooney (1928 – 2002)

Rosemary Clooney私はラテンナンバーの”Cara Miaとか”Oh Mein Papa”のようにイタリア語やスペイン語など世界の言語のタイトルがついた曲を歌ったローズマリー・クルーニーはてっきりラテンの血が混じっていると思ってしまいましたが両親はアイルランド系でケンタッキー出身だそうですからコテコテの白人でした。　ローズマリー・クルーニーのアルバムでは良きアレンジャーでもあったNelson Riddle（ネルソン・リドル）やPeez Prado（ペレス・プラード）との共演盤やBing Crosby（ビング・クロスビー）とのデュエット盤が有名です。　映画界の姐御がJane Russell（ジェーン・ラッセル）ならポップス界の姐御はローズマリー・クルーニーでしょうか。　ともに威風堂々たるエンターテイナー魂を持つ女性アーティストです。　ローズマリー・クルーニーは50年代にDean Martin &amp; Jerry Lewis（ディーン・マーチンとジェリー・ルイス）が組んだ”Martin and Lewis（底抜けコンビ”のテレビショー”Colgate Comedy Hour”にゲスト出演して切々と”Half as Much”やお茶目に”Botch-A-Me”をを歌いました。（ディノがラトパックに参加する前のこと）　そして、ローズマリー・クルーニーはGeorge Clooney（ジョージ・クルーニー）の叔母さんです。（父親の妹）　そのジョージ・クルーニーとは2000年のO Brother, Where Art Thou?（オー・ブラザー！）やOcean's Twelve（オーシャンズ12）シリーズなど多数の映画に出演した俳優のことです。（ジョージ・クルーニーもラテン系だと思った。）☆ローズマリー・クルーニーの写真や歌詞が見られる素晴らしいオフィシャルサイト （ファン・サイト、Enjyoy Rosie's Photos)The Rosemary Clooney Palladium (click Lyrics on the menu)Rosemary Clooney sings Half as Much &amp; Botch-A-Me on Martin and Lewis Show - YouTubeRosemary Clooney &amp; Dean Martin (Parody song medley) - YouTube
Come on-a my house-a!ローズマリー・クルーニーは1951年に陽気に歌ったCome On-A My House（家においでよ）で一躍有名になりました。　ビルボードで連続8週トップをキープしたそうです。　ローズマリー・クルーニーの歌で浮上したこの斬新な曲はアメリカ民謡をもとにして1939年にアメリカの戯曲作家であるWilliam Saroyan（ウイリアム・サローヤン）と彼の従兄弟のRoss Bagdasarian（Sr. ロス・バグダサリアン）とによって作られたそうです。　ロス・バグダサリアンとは後にTVアニメシリーズとなった1958年の人形劇のAlvin and the Chipmunks（アルビンとチップマンクス）のキャラクターを生み出した人物なのです。　”Come On-A My House”はそのメロディーもさることながら、なんといってもその歌詞がすごいのです。　「あたしのおうちにいらっしゃい、あなたになんでもかんでもあげましょう」という歌詞、これがイミシンだとして発表当時は放送禁止を食らったという話もあります。　しかし私のように英語の分らない日本人にはどうってことはなく、そのジャカジャカジャカジャカという伴奏が賑やかで楽しい曲だと人気がありました。　”Come On A My House”の本来の歌では親戚、友人、ご近所さんを呼んで大盤振る舞いをするというアメリカの生活習慣を描いた歌詞だそうです。　つまり”何でもあげる”という言葉のダブル・ミーニングが功をなしたということでしょう。　大ヒットになった曲なのにローズマリー・クルーニーはこの曲が嫌いだったそうですが、録音当時にこの曲を吹き込むかクビかのどちらかを選べと通告されて仕方なく歌ったそうです。　だから私がずいぶんと威勢の良い歌声だなと思ったのは間違いで怒り心頭に達した歌声だったのかもしれません。　もっとも森山加代子が1961年に歌わされた”じんじろげ”や”パイノパイノパイ”に比べれば上等です。（Botch-A-Meはちょっとねエ。）　この”家においでよ”はパロディ化されたりして何人かの歌手がカバーしたり、1961年にはロス・バグダサリアン（David Seville）自身の「The Alvin Show」でも使用されましたが、日本では1952年にEri Chiemi（江利チエミ）が”カモナ・マイ・ハウス”と歌ってヒットさせ、近年では俗曲師のUmekichi（檜山うめ吉）が歌っています。Rosemary Clooney - Come On A My House - YouTube
Hey Mambo! Mambo Italiano! Go-go-go!1954年にヒットしたのはジャンプブルースのBob Merrill（ボブ・メリル）がイタリアのフォークソングをマンボにアレンジして書いたMambo Italiano（マンボ・イタリアーノ）でした。　アメリカのチャートでトップになっただけでなくイギリスでもチャートインしたヒット曲となりましたが、この曲も例の”Come On A My House”と同様に1950年代から1960年代にかけてアメリカのポップス界で絶大なる影響力を持っていた”Sing Along with Mitch（ミッチと歌おう）”のヒゲの指揮者のMitch Miller（ミッチ・ミラー）のプロデュースだったそうです。　1950年からコロンビアのレコーディング・プロデューサーだったこのミッチ・ミラーがローズマリー・クルーニーに1954年の”This Ole House”を含めて軽いポップスを歌わせたことは音楽業界の犯罪だ！とまで云われたそうですが、こういった大衆受けする選曲によりともかく名声を得たのですからミッチー爺は強ち責められるべきでもないのかもしれません。　”Mambo Italiano”がヒットしたその当時、1950年代初め頃はアメリカでPerez Prado（ペレス・プラード）が持ち込んだ新しいリズムのマンボが大流行で猫も杓子もマンボを取り入れたのです。☆ページトップで聴けるのはローズマリー・クルーニーがペレス・プラードと吹き込んだLPアルバム「Latin for Lovers」や「A Touch of Tabasco」、2002年のCD「The Girl Singer」などに収録されている”Sway（Quien Sera）”です。

世界を駆け巡ったローズマリー・クルーニーのヒット曲”Mambo Italiano”は2003年の映画のMambo Italiano（マンボ・イタリアーノ）で使用された他、1988年のMarried to the Mob（愛されちゃって、マフィア）、1990年のMermaids（恋する人魚たち）、1994年のA Man of No Importance（マン・オブ・ノー・インポータンス）、1996年のBig Night（シェフとギャルソン、リストランテの夜）、1999年のMickey Blue Eyes（恋するための３つのルール）などで使用されています。Rosemary Clooney - Mambo Italiano - YouTube”Mambo Italiano”はアメリカではイタリア系のDean Martin（ディーン・マーティン）が60年代に吹き込みましたが、ローズマリー・クルーニーが歌った”Sway”などと共にどちらがオリジナル（先）か不明説があるようです。　”Mambo Italiano”はヨーロッパでも人気となり、フランス語でDario Moreno（ダリオ・モレノ）、イタリア女優のSophia Loren（ソフィア・ローレン）が英語で、イギリスのポップス歌手のAlma Cogan（アルマ・コーガン）はもちろん英語でが歌いました。　ローズマリー・クルーニーがオリジナルの”Mambo Italiano”も”Come On A My House”と同様に他者の追従を許さぬものがあります。”Mambo Italiano”を作詞作曲したボブ・メリルはGeorgia Gibbs（ジョージア・ギブス）が歌った”If I Knew You Were Comin' I'd've Baked a Cake”、”Honeycomb”、Patti Page（パティ・ペイジ）が歌った”How Much Is That Doggie In The Window?”などの,ヒット曲や、Yvette Mimieux（イヴェット・ミミュー）が出演した「不思議な世界の物語」の音楽はLeigh Harline（リー・ハーライン）ですが”Dancing Princess”などをたくさんの曲を作ったそうです。1986年の37°2 le matin（ベティ・ブルー）や1994年のLa Cité de la peur（カンヌ映画祭殺人事件）に出演したアルジェリア系フランス人の歌手で踊れる俳優でもあるGérard Darmon（ジェラール・ダルモン）がGooglie Mooglie Muppetsショーで”Mambo Italiano”をセクシーに歌ったそうです。（シングルは”Mambo Italiano”、アルバムは”Dancing”）Gerard Darmon - Mambo Italiano - YouTube

Rosie's Lifeおよそため息や囁きとは無縁の、スキャットやアドリブとも無縁の、ですが声量たっぷりな歌唱方で世界中のポップスファンをを魅了したローズマリー・クルーニーでしたが、1950年代後期からのロックンロールの台頭を機に家庭に専念するようになりました。　そのローズマリー・クルーニーのプライベート生活はどうかというと、1953年にプエルト・リコ出身の俳優であるJosé Ferrer,（ホセ・ファーラー）と結婚して5人も子供がいたそうですが、1953年から1961年と1964年から1967年の2回結婚しています。　政治的に親交の深かったRobert F. Kennedy（故ケネディ大統領）の1963年の暗殺以降から1970年代には依存性が高い鎮静剤を常用するようになり、薬物依存で入院生活を送ったそうです。　このことは後に俳優のジョージ・クルーニーが腰痛で鎮痛剤を処方されても使用しなかったことにつながりました。　ボロボロになっていく伯母さんを見ていたわけですからその薬物の恐ろしさを身をもって体験していたわけです。　ハスキーヴォイスのローズマリー・クルーニーは愛煙家だったこともあり肺ガンに侵されて手術後の2002年に74歳にして亡くなりました。

Rosemary Clooney's AlbumsThe Essential Rosemary Clooneyページトップの画像はシングル・バージョンのCome On-A My House（家においでよ）といった初期のコミカルなポップスに加えて、しっとりとしかも情熱的に歌い上げる究極のバラード曲のHey There（ヘイ・ゼア）やTenderly（テンダリー）をはじめ、78回転バージョンのMambo Italiano（マンボ・イタリアーノ） などローズマリー・クルーニーの代表的な16曲を集めた人気のCDのエッセンシャル・ローズマリー・クルーニー」でローズマリー・クルーニー音楽の推移を聴くことができます。　輸入盤の「The Essential Rosemary Clooney」もリリースされています。※「家においでよ」に続いてリリースした可愛い子ぶりっ子の面白いけどちょっといやらしいおねだり小唄の”Ba-Ba Baciami Piccina”とはイタリア語で「チュッ、チュッ、キスして！可愛い人」 といった意味らしいですが”Botch-A-Me ”も同じ？ちなみに日本では馴染みがないですがHey There（ヘイ・ゼア）とはHiya! のようにくだけた挨拶で「こんにちは」とか「やあ」という意味だそうです。Mangosローズマリー・クルーニーが”Come On-A My House”のように”マンゴ、パパイア、飲んで食べて！”と美味しそうなものを羅列した1950年代中頃のヒット曲”Mangos”は「Best of Rosemary Clooney」などのベスト盤にも収録されています。Rosemary Clooney - Mangos - YouTube

The Rosemary Clooney Show: Songs from the Classic Television ShowThe Rosemary Clooney Show: Songs from the Classic Television Showローズマリー・クルーニーの1954年のヒット曲である”Mambo Italiano（マンボイタリアーノ）”の他、代表曲の”Come On-A My House（家においでよ）”、”Tenderly”、”Hey There”、”Blues in the Night”など26曲が収録されている2004年リリースのベスト盤です。　”The Essential Rosemary Clooney”には収録されていない曲にはMoonlight in Vermont、My Blue Heaven 、There Will Never Be Another You 、Foggy Day 、Dream、Taking a Chance on Love 、Blues in the Night 、Lazy River 、 I'll Be Seeing Youなどがあります。全曲試聴はThe Rosemary Clooney Show - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）※”Blues in the night”を収録しているアルバムには輸入ベスト盤の「Best of Rosemary Clooney」や「Jazz Singer」もあります。

Blue RoseBlue Rose1961年の映画Paris Blues（パリの旅愁）のテーマ曲として使用された”Mood Indigo”を1956年にデューク・エリントン楽団とLPアルバム「Blue Rose」に吹き込みました。収録されている曲は他にアルバムタイトル曲のBlue Rose、Duke Ellington（デューク・エリントン）の代表曲の”Sophisticated Lady”、そしてエリントンバンドでは盲目のR&amp;B男性ボーカリストのAl Hibbler（アル・ヒブラー）とともに専属歌手の一人だった女性ボーカリストのIvy Anderson（アイヴィー・アンダーソン）の代表曲の”It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing) ”や”I Got It Bad (And That Ain't Good)”とBilly Strayhorn（ビリー・ストレイホーン）単独の作曲の”Passion Flower”や”I'm Checking Out (Goombye)”などを心を込めて歌った13曲を収録しています。「Blue Rose」はデューク・エリントンのコラボレーターとして名高い編曲者でピアニストのビリー・ストレイホーンが編曲及び選曲など尽力を尽くして出来上がったアルバムだそうです。　このLPがCD化された1999年の盤です。　”家においでよ”とか”マンボ・イタリアーノ”など軽いポップスをヒットさせた当時のローズマリー・クルーニーのジャズ歌手としての力量を発揮した1枚といえるでしょう。　LPの収録曲に加えて”If You Were in My Place (What Would You Do?)”と”Just a Sittin' and a Rockin”がボーナストラックとして追加されたCDです。　演奏メンバーはアレンジとピアノがビリー・ストレイホーン、ピアノがデューク・エリントン、トランペットがClark Terry（クラーク・テリー）、テナーサックスがPaul Gonsalves（ポール・ゴンザルベス）など、ドラムがSam Woodyard（サム・ウッドヤード）、ベースがJimmy Woode（ジミー・ウッド）、アルトサックスはJohnny Hodges（ジョニー・ホッジス）、アルトサックスとクラリネットがRussell Procope（ラッセル・プロコープ）です。 確信はありませんが、このLP録音当時ローズマリー・クルーニーは妊娠中だったとかで演奏と別取りと聴いたことがあります。 全曲試聴はBlue Rose - LIBERO
Rosemary Clooney &amp; Duke Ellington - Mood Indigo - YouTube

A Touch of Tabascoセカンドヒットがマンボのリズムの”Mambo Italiano”だったローズマリー・クルーニーはマンボの王様ことペレス・プラードとのコラボでCorazón de Melon, de melon melon melon melon melon..corazón...と”Corazon de Melon（メロンの心）”をヒットさせました。　このメロンという言葉は網のかかったメロンを想像させますが、英語のタイトルは”Watermelon Heart”というようにどうやら南米の西瓜のことのようです。 　ローズマリー・クルーニーとは相性ピッタリのPerez Prado and his Orchestra（ペレス・プラード楽団）とラテン曲も含めたLPアルバム「タバスコの香り」が1960年に日本でリリースされました。　オリジナルのLPはCD化されてリマスター盤が2007年にリリースされています。　”メロンの心”はローズマリー・クルーニーのアルバム「The Girl Singer」などにも収録されています。タバスコの香り収録曲は1. Corazon de Melon（メロンの心）2. Like a Woman（ライク・ア・ウーマン）3. I Only Have Eyes for You（瞳はあなたゆえに）4. Magic Is the Moonlight（マジック・イズ・ザ・ムーンライト）5. In a Little Spanish Town（小さなスペインの町で）6. Sway（キエン・セラ ）7. Mack the Knife（マック・ザ・ナイフ）8. Bali Ha'i （バリ・ハイ）9. You Do Something to Me（ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミー）10. Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Paloma（ク・ク・ル・ク・ク・パローマ）11. I Got Plenty O' Nuttin'（くたびれもうけ）12. Adios（アディオス）の全12曲です。Rosemary Clooney with Perez Prado - Corazon de Melon - YouTubeRosemary Clooney - Corazon de Melon &amp; Sway - YouTube

Memories of YouドイツのBear Familyレーベルから1998年にリリースされた輸入のベスト盤Box setは価格の桁を間違えたわけではなく再リリースされないからなのか驚くべきヴィンテージ価格です。　1946年から1968年のローズマリー・クルーニーの歴史的な集大成で7枚のディスクに全180曲を収録してあります。　第一巻はCome On-a My House、第二巻はMemories of Youの二巻からなり、未発表の曲や、76ページものハードカバー伝記本やら写真などが付いている豪華版だそうです。　熱狂的なローズマリー・クルーニーのファンには垂涎の的なんでしょう。全164曲を収録した7枚ディスクには、アルバムのタイトルとなっているBenny Goodman（ベニー・グッドマン）楽団をバックに歌う”Memories of You”はディスク 1にとディスク 3に収録されています。　”Come On'a My House”はディスク 1とディスク 4とディスク 7に収録され、”Mambo Italiano”はディスク 1とディスク 4に収録され、”White Christmas”がディスク 6に収録されている他ヒット曲の全てが網羅されています。　有名スタンダード曲のカバーは少な目で多くはレアな曲か別テイクバージョンのようで、子供向けの童謡曲もたくさん収録してあります。　Delta Rhythm Boys（デルタ・リズム・ボーイズ）でおなじみのDry Bones（ドライ・ボーンズ）がディスク 7に収録されていますがローズマリー・クルーニーはTommy Dorsey Orchestra（トミー・ドーシー）楽団をバックに歌っています。　ベニー・グッドマンやトミー・ドーシーの他の共演楽団はデューク・エリントン楽団などで、歌手ではBing Crosby（ビング・クロスビー）はもちろんんこと、Louis Armstrong（ルイ・アームストロング）や歌うカウボーイのGene Autry（ジーン・オートリー）などです。Memories of You試聴はありませんが曲目リストや何曲かの歌詞が見られるRosemary Clooney Memories Of You Soundtrack with LYrics - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）

You'll Never Know上記のアルバムにない曲としては、ローズマリー・クルーニーはHarry James（ハリー・ジェームス）の大ヒット曲の”You'll Never Know（知らないでしょう）”を歌っているのですが滅多に収録されていません。　”You'll Never Know”は「16 Most Requested Songs」は1991年のベスト盤、もしくは「16 Biggest Hits」で聴くことができます。短いですがセンチメンタルな”You'll Never Know”の試聴は16 Most Requested Songs - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）16 Biggest Hits - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）Nelson Riddle上記にアルバムがないローズマリー・クルーニーと共演した楽団といえばキャピタルレコードでNat King Cole（ナット・キング・コール）やFrank Sinatra（フランク・シナトラ）のアレンジャーとして有名なNelson Riddle（ネルソン・リドル）があげられます。　ネルソン・リドルは1950年代半ばにTV番組の”The Rosemary Clooney Show”で演奏及びアレンジを受け持っていました。　ローズマリー・クルーニーがスウィングする1961年の「Rosie Solves the Swingin' Riddle!」や1965年の「Love」などがあります。　これら素晴らしいコラボの国内盤は「ローズマリー・クルーニーとネルソン・リドル」とラヴ(紙ジャケット仕様)というCDが2008年にリリースされています。 

Rosemary Clooney in the FilmsWhite Christmas　1954年ホワイト・クリスマス スペシャル・エディションローズマリー・クルーニーが出演した映画といえばMichael Curtiz（マイケル･カーティス）が監督したクリスマス映画の定番となったミュージカル・コメディの「ホワイト・クリスマス」でしょう。　映画のなかでは主演のBing Crosby（ビング・クロスビー）とローズマリー・クルーニーがテーマ曲をデュエットしたり出演者たちと合唱したりとIrving Berlin（アービング･バーリン）の曲がふんだんに使用されています。☆映画について詳しくはAudio-Visual Trivia内のホワイト・クリスマス　White Christmasクリスマスといえば1954年の映画「ワイト・クリスマス」では”I'm dreaming of a white Christmas...”と歌ったWhite Christmasの他にも、”Chestnuts Roasting on an Open Fire...”と歌ったChristmas Song（ザ・クリスマス・ソング）もクリスマス定番曲となっています。

Red Garters　1954年Red Garters [VHS] [Import]”Mambo Italiano”でセンセーショナルなヒットを飛ばしたローズマリー・クルーニーが「ホワイトクリスマス」と同じ年の1954年に出演した西部劇のGeorge Marshall（ジョージ・マーシャル）が監督したミュージカル映画ですが日本未公開でした。　ローズマリー・クルーニーは酒場の経営者で歌手のCalaveras Kate（カラベラス・ケイト）という役で、そのケイトが気がある町の有力者役には1958年にCat on a Hot Tin Roof（熱いトタン屋根の猫）に主人公の兄のCooper 'Gooper' Pollitt（グーパー）役で出演した性格俳優のJack Carson（ジャック・カーソン）で、二人の恋はなかなか実らずやけになったケイトは結婚するためにハンサムな牧童（ガイ・ミッチェル）を利用して有力者に嫉妬させようと企むストーリーなんだそうです。牧童を演じたのは子役からポップス歌手になったクロアチア系のGuy Mitchell（ガイ・ミッチェル）です。　1956年に私も好きな”Singing the Blues”（←リンク先は音が悪いですが私が聴いていたバージョン）という大ヒットを放ったガイ・ミッチェルでしたが、なんと名前のミッチェルはローズマリー・クルーニーに”家においでよ”と”マンボ・イタリアーノ”を吹き込ませたコロンビア・レコードのミッチ・ミラーから付けられたそうです。（では、Guy は？　ナイスガイだからだそうです。）日本未公開でDVDもなく1998年リリースの英語版の輸入VHSが見つかるだけです。　日本語字幕のDVDがあれば観たいですが。Red Garters SoundtrackRed Garters/Irving Berlin's White Christmasローズマリー・クルーニーとガイ・ミッチェルの歌を収録したサウンドトラックとホワイトクリスマスが一緒になった2001年の輸入ベスト盤アルバムがリリースされているそうです。試聴はRed Garters/Irving Berlin's White Christmas - cdUniverse（Track Listingのタブをクリック）　※ちなみに「Irving Bering's White Christmas」というLPレコードがColumbiaからリリースされたそうです。（ CL6338）
In Concert Series (Full) [DVD] [Import] (2006)In Concert Series (Full) [DVD] [Import]”Foggy Day”、”Imagination”、”Come Rain or Come Shine”などローズマリー・クルーニーの有名な11曲を収録した50分ライヴDVDらしいですが、2006年にリリースされたリージョン1の英語版なので一般のプレーヤーでは再生不可だそうです。　一説にはこのDVDはコンサート・ライヴではなくNelson Riddle（ネルソン・リドル）が出演した妊娠時期のローズマリー・クルーニーのTV番組の抜粋だとか。　選曲には一貫性がないそうですが昔の映像ならかえって歓迎！だが未見につき確証なし。　妊娠中といってもローズマリー・クルーニーは1955年から1960年にかけて子供が5人も生まれたのでどの時期かは特定できませんが、もし情報が正しければこの5年間の映像であることは間違いないでしょう。

Rosemary Clooney on Soundtracksローズマリー・クルーニー本人が映画に出演することは数が多くはなかったのですが、映画のサウンドトラックでローズマリー・クルーニーの曲が使用された例はたくさんあります。上記以外のローズマリー・クルーニー自身が主演した映画では1953年のThe Stars Are Singing（楽しき我が家）では”Come On-A My House”をはじめ”Haven't Got a Worry”、”I Do! I Do! I Do!”、”Lovely Weather For Ducks”を歌っているそうです。　Stanley Donen（スタンリー・ドーネン）が監督してローズマリー・クルーニーと結婚したホセ・ファーラーと共演した1954年のDeep in My Heart（我が心に君深く）でMr. and Mrs.”を歌い、そのホセ・ファーラーが監督した1961年のReturn to Peyton Place（青春の旅情）では音楽を手掛けたFranz Waxman（フランツ・ワックスマン）作曲のテーマ曲”The Wonderful Season of Love”を歌いました。サントラで使用されたローズマリー・クルーニーの曲としては、鉄道マニア夫を描いた1987年のTrack 29（トラック２９）ではChattanooga Choo Choo”、”Young at Heart”、”When the Red, Red, Robin Comes Bob, Bob, Bobbin' Alongが使用され、日本未公開ですが1994年のRadioland Murders（笑撃生放送！ラジオ殺人事件）では”That Old Feeling”が使用されています。　そしてClint Eastwood（クリント・イーストウッド）もローズマリー・クルーニーはお好みらしく1997年に監督したThe Garden Of Good And Evil（真夜中のサバナ）ではイーストウッド自身がプロデユースしたサウンドトラックにローズマリー・クルーニーが歌う”Fools Rush In”が収録されています。　この”Fools Rush In”は1999年にリリースされた「Songs from the Girl Singer: A Musical Autobiography」という2枚組アルバムにも収録されています。（B00002CF43）　まだまだ、1999年のプロレス映画のBeyond the Mat（ビヨンド・ザ・マット）で”I'll Be Seeing You”、そして甥っ子のジョージ・クルーニーが監督した2002年のConfessions of a Dangerous Mind（コンフェッション）では”There's No Business Like Show Business”が使用されました。　最近でも2002年にNicolas Cage（ニコラス・ケイジ）が監督したSonny（ソニー）では”Half as Much”、2006年にKeanu Reeves（キアヌ・リーヴス）が主演したThe Lake House（イルマーレ）では”There Will Never Be Another You”と”I Wish You Love”が使用されたように今後もローズマリー・クルーニーの歌声はスクリーンで流れつづけることでしょう。

Missed Rosie's' Video Clips惜しいのは以前はＹｏｕＴｕｂｅで1961年にATVのJo Stafford Showの特番”County Fair”でJo Stafford（ジョー・スタッフォード）やMel Torme（メル・トーメ）や77 Sunset Strip（サンセット７７）のEdd "Kookie" Byrnes（エド・バーンズ）まで出演した映像が観られたのです。（On a TV Jo Stafford Show of 1961, Jo is joined by Rosemary Clooney, Edd 'Kookie' Byrnes, Lionel Blair and composer of 'County Fair', Mel Torme. Jack Parnell's Orchestra and vocal group The Polka Dots complete the star-studded lineup for this spectacular performance）

♪Essential Rosemary Clooney - Rádio UOL(Come On-A My House, In the Cool, Cool, Cool of the Evening, Hey There, Half as Much, Botch-A-Me (Ba-Ba Baciami Piccina), Lady Is a Tramp, You Started Something, You Make Me Feel So Young, Blue Rose, Love, You Didn't Do Right By Me, Blame It on My Youth, Mambo Italiano, This Ole House, Mangos, and From This Moment On)]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Sat, 28 Feb 2009 00:09:34 +0900</pubDate>
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         <title>マリー・ラフォレの写真　Marie Laforet photos</title>
         <description>Marie Laforêt Photo Gallery(Please Click on the photos to Enlarge.)(Cliquez sur photos pour agrandir, s&apos;il vous plaît.)
　

　

Plein soleil (1960)
上記の写真はアルメニア出身のフランス女優であるマリー・ラフォレがマルジェ役でデビューした映画「太陽がいっぱい」の私が好きな写真です。（後方はマリー・ラフォレで手前はアラン・ドロン）「太陽がいっぱい」は、ジェラール・フィリップが1954年に主演した「Monsieur Ripois（しのび逢い）」で有名なRené Clément（ルネ・クレマン）監督がミステリー作家のPatricia Highsmith（パトリシア・ハイスミス）が1955年に書いた原作「The Talented Mr. Ripley（才人リプリー君）」を1960年に映画化した名作です。　主人公のTom Ripley（トム・リプリー）にAlain Delon（アラン・ドロン）、トムが羨んだ金持ち息子のPhilippe Greenleaf（フィリップ）には1957年にAscenseur pour L&apos;echafaud（死刑台のエレベーター）に出演したMaurice Ronet（モーリス・ロネ）、そしてその恋人のMarge Duval（マルジェ）に大抜擢のマリー・ラフォレです。　フィリップが友人のフレディに出逢うシーンでFreddie（フレディ）の女友達として当時アラン・ドロンと婚約中だったMonpti（モンプチ）のドイツ女優のRomy Schneider（ロミー・シュナイダー）がカメオ出演しています。　そのフィリップの友人のフレディはトムをたかり屋とみなして嫌っていましたが、フィリップの殺害を疑ったのでトムに殺されてしまいます。アメリカ本国の富豪からヨーロッパで遊びほうけているその息子（トムの友人のフィリップ）を連れ帰るよう大金を積まれて頼まれた貧しい青年トムはプレイボーイのフィリップの豪勢な生活ぶりを目の当たりにしてすっかり魅了されてしまうのです。　その生活だけでなくパリジェンヌのフィリップのフィアンセまでも。　父親は約束したフィリップからの手紙が届かないのに立腹してトムとの契約を解除すると迫ったこととヨットでのトムを弄んだフィリップの残酷な仕打ちにトムの復讐ともいえる犯行計画が頭をもたげた。　トムは完璧にフィリップになりきるよう努力し、知恵を振り絞った大細工小細工の結果、マルジェまでも手に入れる。　万事うまくいったと至福の時を過ごすトムが唖然とするシーンは観客にとっても鳥肌ものです。　すっかりトムに感情移入していますから、まるで私の犯罪が露見したような気分にさせられました。Plein Soleil - YouTubePlein Soleil Trailer - Comme au Cinema.comアラン・ドロンは1958年の青春コメディの「Faibles Femmes（お嬢さん、お手やわらかに！）」で若い女性のハートを掴み、1959年にはLe Chemin des écoliers（学生たちの道）、1960年にAnnie Girardot（アニー・ジラルド）が出演したRocco e i suoi fratelli（若者のすべて）で主役級になりましたが、なんといっても「太陽がいっぱい」で世界的に有名になり、この後はもう人気スター街道まっしぐらでした。「太陽がいっぱい」では音楽を担当したNino Rota（ニーノ・ロータ）の叙情的かつ厭世的な物悲しいテーマ曲が一世を風靡し、日本でも当時はあちこちのヒットパレード番組で上位になり夏というとこの曲が思い出されます。　1952年に名作であるJeux interdits（禁じられた遊び）でNarciso Yepes（ナルシソ・イエペス又はナルシソ・イープス）のギター曲”Romance Anonimo”を使用したルネ・クレマン監督は、1964年に「太陽がいっぱい」で主演したアラン・ドロンを主役にしたLes Felins（危険がいっぱい）も監督していますが、この映画でもLalo Schifrin（ラロ・シフリン）が作曲した洒落た”Theme From Joy House”がテーマ曲として使用されています。DP-1183私が持っている「太陽がいっぱい」のEPレコードのテーマ曲はThe Film Symphonic Orchestra（フィルムシンフォニックオーケストラ）が演奏する「Der Stern von Afrika（アフリカの星のボレロ）」との抱き合わせ盤です。現在はサントラも数多く手掛けたイタリアの音楽家のCarlo Savina（カルロ・サヴィーナ）とJacques Metehen（ジャック・メトアン）指揮のサウンドトラック「Plein Soleil [Bande Originale du Film]」がリリースされています。（16曲収録した2006年盤）Nino Rota - Plein soleil - YouTubeパトリシア・ハイスミスの原作は1999年にアラン・ドロンが演じたトムの役をMatt Damon（マット・デイモン）が演じたThe Talented Mr. Ripley（リプリー）としてリメイクされています。
Saint-Tropez Blues / Tumbleweed EP/Fontana 1002写真は私が映画の公開当時1960年頃に購入したサントラ盤でSaint-Tropez Blues / Tumbleweedを収録しています。　1960年の「太陽がいっぱい」で世界的に有名になったマリー・ラフォレが次に出演したのが他愛のない青春ヴァカンス映画の「赤と青のブルース」です。　ストーリーは学生の夏休みを描いていますが、フランスの高級リゾート地のサントロペでのハイソな情景に羨望の眼差しを送ったものでした。　映画の中でマリー・ラフォレがギターの弾き語りで歌ったテーマ曲の”サントロペ・ブルース”も大ヒットしました。「赤と青のブルース」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のマリー・ラフォレ　Marie Laforet

La Fille aux yeux d&apos;or Fontana FON-1014写真は当時私が購入した「金色の眼の女」のBande originale du film（サウンドトラック）EP盤です。（1êre Partie et 2ême Partie）　A面B面とも「禁じられた遊び」のRomance Anonimo（愛のテーマ）で有名なNarciso Yepes（ナルシソ・イエペス）が作曲したテーマ曲です。1961年にマリー・ラフォレが主演した「金色の眼の女」のナルシソ・イエペスのギターが奏でるテーマ曲はヒロインの”金色の眼の女”をファンタジックに表現したクラシカルな美しい曲です。　映画はフランスの作家であるHonore de Balzac（オノレ・ド・バルザック）の1835年のHistoire des Treize（十三人組物語）の一話のLa Fille aux yeux d&apos;or（同名小説）をもとにしてレズビアンの女たちと男が絡んで殺人事件に発展する内容です。　マリー・ラフォレにメロメロになったフランスのJean-Gabriel Albicocco（ジャン＝ガブリエル・アルビコッコ）監督は1960年にマリー・ラフォレと結婚し、マリー・ラフォレを美しく幻想的に描写しています。　ガブリエル・アルビコッコ監督は日本未公開の1963年のLe Rat d&apos;Amérique（アメリカのねずみ）でもマリー・ラフォレを起用していますが結婚は10年ほどで終わりました。1959年のL&apos;Eau à la bouche（唇（くち）によだれ）にJean-Paul役で、又J&apos;irai cracher sur vos tombes（墓にツバをかけろ）ではStan Walker（スタン）役で出演していたPaul Guers（ポール・ゲール）が女たらしの写真家Henri Marsay（アンリ）を演じています。　その写真家は以前見た学生だという金色の眼の女（ラフォレエ）を再び仮装舞踏会で見かけて一人暮らしらしき女の部屋に強引に入り込みますが、意外な事実が判明。　写真家を愛してしまったのか金色の眼の女は「結婚して遠くに行きたい」と言っていたのですがどこを探しても見つかりません。　秘密の隠し扉の向こうはFrançoise Prévost（フランソワーズ・プレヴォー）が演じる写真家の十年来の女友達で婦人新聞社のオーナーのEléonore（エレオノール）の部屋に通じている。　なんと金色の眼の女はエレオノールと同性愛関係にあったのだった。　エレオノールが二人の関係を知って隠してしまったのだが、やっと隠れ家で金色の眼の女を見たと同時に嫉妬に狂った中年女は、あれぇー、なんてことを！　Françoise Dorléac（フランソワーズ・ドルレアック）もKatia（カチア）役で出演しています。「金色の眼の女」はDVDはおろかVHSでさえ見つかりません。　マリー・ラフォレが出演した映画のビデオとしては日本のAmazon.co.jpでは「太陽がいっぱい」と「赤と青のブルース」以外はジャン=ポール・ベルモンドの映画が2本と1985年の「Tangos, l&apos;exil de Gardel（タンゴ ガルデルの亡命）」くらいです。VHSでは”Purple Noon”というタイトルで「太陽がいっぱい」のVHSだけが見つかります。　本国フランスではどうかというと「Plein soleil（太陽がいっぱい）」他全30件のDVDがヒットします。フランスで発売されているマリー・ラフォレの出演映画のDVDは「太陽がいっぱい」には978念のFlic ou voyou（警部）、1982年の日本未公開映画の「Que les gros salaires lèvent le doigt!」、1984年のJoyeuses Pâques（恋にくちづけ）や同年の未公開映画「Les Morfalous」と同年の日本未公開映画の「Les morfalous」、1985年の未公開の「Le Pactole」、1987年の未公開「 Il est génial Papy !」、1997年のTykho Moon（ティコ・ムーン）以下20件ほどが販売されていますが殆どがベルモンドのおかげのようです。
マリー・ラフォレは「金色の眼の女 」で主演した後は1962年にMylène Demongeot（ミレーヌ・ドモンジョ）が出演したÀ cause, à cause d&apos;une femme（女は夜の匂い）、Edouard Molinaro（エドゥアール・モリナロ）が監督してJean Paul Belmondo（ジャン＝ポール・ベルモンド）以下豪華キャストの1964年のLa Chasse à l&apos;homme（男を追って）と準主役が続きましたが、1964年に「赤と青のブルース」を監督したClaude Chabrol（クロード・シャブロル）のMarie-Chantal contre le Dr Kah（ジャガーの眼）では主役に返り咲きました。　私は未見ですがピンクパンサー風なミステリーのようです。　1965年にはEstate Violenta（激しい季節）を監督したValerio Zurlini（ヴァレリオ・ズルリーニ）のLe Soldatesse（国境は燃えている）に出演するなど1980年代まで15本ほどの映画に出演していますが、そのうちジャン＝ポール・ベルモンドとの共演作品は合計6本もあります。

Tu fais semblant / Mary Ann (Blizzard) LL-535-F写真は私が購入したマリー・ラフォレのシングル盤です。（多分1964年頃）　オリジナルは1963年リリースのA面がTu fais semblant（悲しみの旅路）でB面がMary Ann（いとしのマリー）ですが、相変わらず力まない自然体の歌唱法でしっとりと聴かせます。Tu fais semblant ParolesTu fais semblant d&apos;être content, mais tu as mal, mal autant que moi, Tu me disais que pas toujoures, mais tu rêvais au grand amour.Marie Laforet (1963) - Tu Fais Semblant

The Aim Of My Desire / Syay With MeおまけのレコードジャケットはBert Kaempfert And His Orchestra（ベルト・ケンプフェルト楽団）が演奏するムード・ミュージックを収録したEP盤です。　ジャケットの写真は「太陽がいっぱい」のワンシーンのようですが、レコードの解説にはなぜマリー・ラフォレの写真をジャケットに使用したのかは書かれていませんでした。　発売当時はベルト・ケムプフェルトと呼ばれたハンブルグ出身のバンドリーダーは作曲や編曲も手掛けました。収録されているレアものはA面がドイツのMoesser（メッサ）が作曲した”Das Ziel Meiner Wunscase（The Aim of My Desires / 欲望のブルース）”で、B面がベルト・ケムプフェルトが作曲したSyay With Me（行かないで）です。　Charles Tabor又はCharly Tabor（チャーリー・タボール）のトランペット・ソロが美しいラテン調の曲です。　このシングル盤がなぜマリー・ラフォレの記事内にあるかというと、ジャケットがマリー・ラフォレだから私が購入してしまったベルト・ケムプフェルトのレコードなのです。　ちなみにこの他に私が持っているベルト・ケンプフェルトのレコードにはチャーリー・タボールのトランペットをフィチャーしたバラード曲のWithout Your Love（夕ばえのブルース）とTenderly（テンダリー）があります。　ベルト・ケンプフェルト楽団はトランペットの名手と言われながらも情報皆無の”ビリー・モー”をフィーチャーした1958年のMitternacht Blues（真夜中のブルース）や1960年のWonderland by Night（星空のブルース）などイージーリスニング（ポピュラー音楽）ジャンルでヒット曲を出したお馴染みのミュージシャンです。Bert Kaempfert - Afrikaan Beat, Wunderland bei Nacht, A Swingin&apos; Safari, and Strangers in the Night (1967) - YouTube

Marie Laforêtこの記事で使用した写真は私が半世紀前に映画雑誌から切り抜いて保存しておいた写真と手持ちのジャケット画像です。全ての著作権はその被写体と撮影者等に帰属します。</description>
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Fri, 20 Feb 2009 10:32:40 +0900</pubDate>
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         <title>イヴェット・ミミュー　Yvette Mimieux</title>
         <description>Yvette Mimieux in Scuba Diving Wetsuit

　　(Please Click on the photos to Enlarge.)

1942年にロスアンジェルスのハリウッドで生まれてフランス人の父とメキシコ人の母を持つイヴェット・ミミューはMGM映画からのデビュー当時に日本ではイベット・ミメオと呼ばれていました。　ミメオでもミミューでも可憐な印象を受ける名前だし、おとなしくてか弱そうで、ため息が出るほど可愛いイヴェット・ミミューだったので妖精のようにファンタジックな純情少女アイドル路線で行くと思ったのですが、予想に反して自身でも脚本を手掛けた1974年のテレビシリーズの”Hit Lady（悪党列伝！ヒット・レディ／白い肌の殺人マシン）”の刺客のように露出したボディを強調するセクシー路線に行ってしまいました。　恐らくタイプ・キャスト（型にはめられる）が嫌だったのでしょう。「ヒット・レディ」でアサシン（刺客）のAngela de Vries（アンジェラ）を演じた赤いビキニ姿のイヴェット・ミミューの写真が見られるHit Lady - CineMorgue.comスタイルばつぐんで金髪、ヨーロッパ風の顔立ちのイヴェット・ミミューはミスコン出身でモデルとなり1959年にはMGM映画と契約しました。　何本かのヒット作品に出演した後、自分の出演する作品の脚本を手掛けただけでなく人類学の分野やビジネスでも成功したという賢い女優です。　1949年のOn the Town（踊る大紐育（ニューヨーク））や1952年のSingin&apos; in the Rain（雨に唄えば）などたくさんの人気映画を監督したStanley Donen（スタンリー・ドーネン）と1972年に結婚して4人目の妻となり13年生活を共にしましたが、献身的に尽くしたイヴェット・ミミューはスタンリー・ドーネンが最も愛した女性だと云われています。華奢に見えるイヴェット・ミミューですが公表サイズは身長163cm、体重48.5kg、バスト86cm、ウエスト54.4cm、ヒップ89cmだそうで、サーフィン以外にもAcrobic YOGA（ヨガ）でも鍛えたかなりマッチョな体形です。　有名ファッション誌のHarper&apos;s Bazar（ハーパーバザール）から1995年版の”Harper&apos;s Bazaar Yoga Workout With Yvette Mimieux”などヨガの本をいくつか出していますが、他の1冊が見られるAerobic Yoga - SuperiorMartialArts.com「タイムマシン」からヨガまでイヴェット・ミミューの写真が見られるYvette Mimieux Photos - BittenandBound.com（Next Image »をクリック）Yvette Mimieux Filmography
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Tue, 10 Feb 2009 14:40:21 +0900</pubDate>
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