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      <title>Audio-Visual Trivia</title>
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      <description>聴く！観る！　ホットでクールな映画と音楽のトリビア　　☆アトラクションがいっぱいのブログ版テーマパーク☆</description>
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         <title>パリの旅愁　Paris Blues 1961</title>
         <description><![CDATA[Paris Blues Soundtrack by Duke Ellington"10 inch LP" (1961) UA JET 4025 (UAT -4009)(Please Click on the photos to Enlarge.)

The Americans in Paris1951年にパリの街をオールセットで撮影したミュージカル映画の「An American In Paris（巴里のアメリカ人）」とは違って1961年の「パリの旅愁」は実際にパリで撮影されたそうです。　「巴里のアメリカ人」では画の勉強にアメリカからやって来た男が可愛いパリジェンヌと恋に落ちるストーリーでしたが、「パリの旅愁」ではパリに音楽にやってきたアメリカ人ジャズマンと観光にやって来たアメリカ女性との恋物語です。　アメリカ人同士の恋という点では1954年の「The Last Time I Saw Paris（雨の朝巴里に死す）」と似ています。　ともかく1950年代から1960年代には”パリでのアメリカ人”とか”ジャズ・ミュージシャン”がテーマとなった映画が人気でした。

Paris Blues (1961)当時は新人のMartin Ritt（マーティン・リット）が監督した白黒映画です。　「パリの旅愁」はアメリカからパリにやって来たアメリカのジャズメンたちを描いたストーリーで、原作はHarold Frenker（ハロルド・フレンダー）の同名小説です。　フランスの歴史ある美しい都、差別のない自由の町、芸術に大いなる理解を示すパリの人々、パリに住むようになったミュージシャンはPaul Newman（ポール・ニューマン）が演じるラム・ボーエンとSidney Poitier（シドニー・ポワチエ）が演じるエディ・クックの白黒コンビです。　エディの方は本国アメリカでの人種差別から逃れてパリに来たとされていますが、差別あるいは麻薬はテーマとされておらず、ジャズとロマンスを取り上げています。　デューク・エリントン楽団と共に映画にトランペッターのWild Man Moore（ワイルド・マン・ムーア）役で出演したLouis Armstrong（ルイ・アームストロング）は既に1954年のThe Glenn Miller Story（グレン・ミラー物語）や1956年のJazz on a Summer's Day（真夏の夜のジャズ）やHigh Society（上流社会）などで日本でも知られていました。　そのルイ・アームストロングは「パリの旅愁」では”Wild Man Blues”を演奏しながらラムとエディが演奏しているクラブに登場します。　映画の中ではラムが気にかけている麻薬中毒のギタリストとは1950年代年に亡くなった美貌のジプシーギタリストのDjango Reinhardt（ジャンゴ・ラインハルト）のようですが演じているのは、Michel Duvigne役を演じたSerge Reggiani（セルジュ・レジアニ）、もしくはRoger Blin（ロジャー・ブラン）のようです。　一方、ドラマーを演じているのは1957年の「Mademoiselle Strip Tease（パリのお嬢さん）」にも出演したMr. Moustache（ムスタシュ）だそうですが、1959年にL'eau A La Bouche（唇によだれ）やUn témoin dans la ville（彼奴を殺せ）に出演したフランスの人気俳優のFrançoise Brion（フランソワーズ・ブリオン）がカメオ出演しているそうです。（店やホテルの客の役が多い）

Music or Woman, that is the question.アメリカから音楽の勉強にパリにやって来たジャズ・トロンボーン奏者のラムとテナーサックス奏者のエディの二人は夜通し賑わっているセーヌ河沿いのジャズ・クラブで演奏して自由奔放な夜を満喫していました。　ラムの方は”Paris Blues（パリ・ブルース）”という協奏曲の作曲に取り組んできましたが、やっと完成した譜面をルイ・アームストロングが演じるアメリカから演奏にやって来た知り合いのトランペッターのワイルド・マン・ムーアからレコード会社のボスであるRene Bernard（ベルナール）に見て貰うように頼んだのでした。そんな折、休暇でパリ観光にやって来た若い女性、Joanne Woodward（ジョアン・ウッドワード）が演じるLillian Corning（リリアン・マーニング）と黒人娘のConnie Lampson（コニー・ランプソン）と知り合うことになり、ラムとリリアン、エディとマニーという白と黒のカップルが出来上がったのでした。　秋のパリで楽しい12日間を過ごしたリリアンでしたが、未来のないラムとの恋愛に終止符を打つことを選び帰国することにしたのです。（予定は2週間でしたが失意のため切り上げ）　ラムはベルナールに渡した譜面がボツになったことで失意のどん底にあり、麻薬を憎むあまりに麻薬中毒のギタリストアに暴行を加えるなど荒れていましたが、トランペッターのワイルドン・ムーアの誘いに応じて故国アメリカへ帰ろうかとも思案していた時でした。　そうすればリリアンとも結婚できるかもと。　しかし結局はパリに残るという選択をしたラムとエディはそれぞれの恋人をパリの駅に見送ったのだった。　ただし二人の心の内は別の思い、ラムは音楽を、エディは結婚を選んで。 Paris Blues Trailer (1961) - YouTubePaul Newman and Joanne Woodward in Paris Blues - YouTubeSidney Poitier and Connie Lampson in Paris Blues - YouTube

上のDVD画像はAmazon.comにあるスペインから輸入の英語版（スペイン語字幕）のParis BluesですがRegion 2のフォーマットだそうです。　日本では「Paris Blues」や「パリの旅愁」のVHSビデオがありますが現在は入手困難で、中古ビデオなら4000円代から7000円代で見つかります。Happily-married couple: Paul Newman &amp; Joanne Woodward  in New Kind of Love (1963)舞台で共演したことから1958年に結婚して以来、ジョアン・ウッドワードをステーキに喩えたポール・ニューマンが2008年に亡くなるまでの50年間をおしどり夫婦と呼ばれた二人でした。　ポール・ニューマンとジョアン・ウッドワードが揃って出演したマーティン・リット監督の作品としては1958年の「長く熱い夜」と「パリの旅愁」の他、1960年の「From the Terrace（孤独な関係）」、1963年の「A New Kind of Love（パリが恋するとき）」、1969年のWinning（レーサー）」などでも共演したり、ポール・ニューマンが監督した1968年のRachel, Rachel（レーチェル レーチェル）などでも一緒に仕事をしていましたが、二人が最後に共演した1990年のMr and Mrs Bridge（ミスター&amp;ミセス・ブリッジ）も夫婦役だったというから驚きです。Newman &amp; Woodward in New Kind of Love - YouTube

Martin Ritt「パリの旅愁」を監督したマーティン・リットは1957年にSidney Poitier（シドニー・ポワチエ）が出演したフィルムノワールの「Edge of the City（暴力波止場）」で監督デビューして以来、数々の名作映画を監督してきました。　1958年の南部映画のThe Long, Hot Summer（長く熱い夜）はウィリアム・フォークナー（William Faulkner）の1940年の小説「The Hamlet（村）」を映画化ではSammy Cahn（サミー・カーン）と映画音楽を担当したAlex North（アレックス・ノース）が作ったテーマ曲がカントリー歌手のJimmie Rodgers（ジミー・ロジャース）の歌でヒットしました。　Sophia Loren（ソフィア・ローレン）とAnthony Quinn（アンソニー・クイン）が出演したThe Black Orchid（黒い蘭）、1959年にはユル・ブリンナーが主演したThe Sound and the Fury（悶え）、1960年にJeanne Moreau（ジャンヌ・モロー）やSilvana Mangano（シルヴァーナ・マンガーノ）が出演したFive Branded Women（五人の札つき娘）、1965年の「The Spy Who Came in from the Cold（寒い国から帰ったスパイ）」などどれもこれも素晴らしい作品揃いですが、私が最後に見たのは1969年の「Stanley &amp; Iris（アイリスへの手紙）」でした。

Paris Blues Soundtrack (1961)ページトップの画像は私が持っているサウンドトラックのLPで当時1000円で購入したUnited Artistsの10 inch LP（25センチ）盤のユナイテッド映画「パリの旅愁」の”JET 4025”（日本ビクター株式会社発売）です。　12曲を収録したCDはカバー画像の上部にMGMのライオンマークが付いています。（クリックで画像拡大可）ロマンス映画というよりはジャズ映画としての方が評判だった「パリの旅愁」ですが、サウンドトラックについてはあまり情報が見つかりません。　ジャズの巨匠と呼ばれるDuke Ellington（デューク・エリントン）が映画音楽を担当し、こちらもジャズの巨匠と呼ばれたルイ・アームストロングをフィーチャーしてデューク・エリントン楽団が演奏したサウンドトラックです。　このサントラにはエリントンの片腕であるピアニストのBilly Strayhorn（ビリー・ストレイホーン）が映画のために書き下ろした1960年の「Paris Blues」のテーマや、1931年にエリントン楽団のバーニー・ビガードとエリントンととの共作といわれる”Mood Indigo”、デューク・エリントンが作曲した”Battle Royal”などが収録されています。（私の手持ちのレコードの当時の解説では「デューク・エリントンはサッチモほど日本では知られていませんがアメリカでは偉大なるジャズ界の大御所云々」と記述されています。）全8曲の収録曲目A面1. Take the A Train　A列車で行こう　（1941年にエリントン楽団のバンド・テーマ曲）
2. Battle Royal　バトル・ロイヤル　（サッチモのトランペットソロをフィーチャーした4分半にも及ぶエリントンの大作）
3. Birdie Jungle　バーディー・ジャングル　（ムードたっぷりのテナーサックスとパーカッションがエキゾチックなアフロ・キューバン風の曲）
4. Mood Indigo　ムード・インディゴ　（サックスやクラリネットなどの木管楽器の調べもさることながらギターとベースのイントロからトロンボーンのソロに加えテナーとピアノ演奏が素晴らしい名曲）
B面
1. Nite　夜　（サックスなどの木管楽器が効果的に夜の情景を描写した曲）
2. Wild Man Moore　ワイルド・マン・ムーア　（サッチモのトランペットをフィーチャーしたアップテンポな曲）
3. Guiter Amour　ギター・アムール　（エリントンが作曲したスローなギターソロのイントロから情熱的なスパニッシュ・ギターの調べへと変化する曲）
4. Paris Blues　パリ・ブルース　（ビリー・ストレイホーンが作曲した大都会の人間の孤独を表現したブルース曲）Paris Blues - - YouTubeSatchmo as Wild Man Moore in Paris Blues - Battle Royal - YouTube

Paris Blues: Original MGM Motion Picture Soundtrack [Enhanced CD]1998年にボーナストラックとしてWhat's Paris Blues?、Autumnal Suite、A Return Reservation、Paris Stairsを追加して12曲収録してCD化された輸入盤の「Paris Blues: Original MGM Motion Picture Soundtrack」が新品でも4000円代から7000円大で入手できますが、LP盤だとアメリカのAmazon.comで$15から $45くらいで見つかります。演奏者のルイ・アームストロング名義になっているCDもある「Paris Blues Original Soundtrack」ですが、ボーナストラックがさらにYou know something? とI wasn't shoppingを追加して全14曲収録となっていますが、Autumnal SuiteとParis Stairs以外の4曲は映画のシーンのセリフです。♪試聴はParis Blues - Tower.com♪「Paris Blues」のサウンドトラックから”Paris Blues”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはhtPlaylist for The Brother Lucy Show with Kurt Gottschalk - August 7, 2008（Listen to this show: RealAudioをクリックしてクリップポジションを31:30に移動）♪「Paris Blues」のサウンドトラックから”Guitar Amour”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはhtPlaylist for Moonshine Heather with Eva - February 1, 2004（Listen to this show: RealAudioをクリックしてクリップポジションを１:17:30に移動）

Mood Indigoムード・インディゴはデューク・エリントンが1931年に”Dreamy blues”として当時の団員でクラリネット奏者のBarney Bigard（バーニー・ビガード）とで共同で作曲したと伝われる曲です。　”Minnie The Moocher”や”Caravan”の作詞者として知られるIrving Mills（アーヴィング・ミルズ）が後に詞を付けた美しい曲”Mood Indigo”はCab Calloway（キャブ・キャロウェイ）やCharles Mingus（チャールス・ミンガス）が演奏していますが、元エリントン楽団メンバーのトランペッターであったTaft Jordan（タフト・ジョーダン）のTaft Jordan Quintet（クィンテット）がエリントンナンバーを収録したアルバム「Mood Indigo」をリリースしています。　ボーカルではLouis Armstrong（サッチモ）、”The Lonesome Road”などのヒットで有名な初代クルーナーのGene Austin（ジーン･オースティン）や、女性ボーカリストではElla Fitzgerald（エラ・フィッツジェラルド）、Dinah Washington（ダイナ・ワシントン）やNina Simone（ニーナ・シモン）の他にRosemary Clooney（ローズマリー・クルーニー）やDoris Day（ドリス・デイ）なども吹き込んでいます。　Nat King Cole（ナット・キング・コール）はアルバム「Big Band Cole」に収録しています。　なんとイタリアのカンツォーネ歌手のMina（ミーナ）までも歌っているのです。 「You ain't been blue no, no, no, You ain't been blue, till you've had that mood indigo ... 」と歌われる”ムード・インディゴ”歌詞は日本語の訳詩も見られるMood Indigo　大衆音楽徒然帖ニーナ・シモンの歌詞はMood Indigo Lyrics - Sing365.comDuke Ellington - Mood Indigo (1931 )- YouTube

☆アーヴィング・ミルズについてや、デューク・エリントンが初めて映画のサウンドトラックを担当した”Anatomy of a Murder”も試聴出来るAudio-Visual Trivia内の記事はデューク・エリントン　Duke Ellington]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Thu, 20 Nov 2008 05:54:39 +0900</pubDate>
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         <title>マルホランド・ドライブ　Mulholland Dr.</title>
         <description><![CDATA[Mulholland Drive [HD DVD]Naomi Watts as Betty &amp; Diane, and Laura Harring as Rita &amp; Camillaマルホランドドライブ （2001年）

Surrealist: David LynchDavid Lynch（デヴィッド・リンチ）が監督した難解といわれる「マルホランドドライブ」は妖しくも気味の悪いミステリー映画です。　デヴィッド・リンチ監督といえば1986年にも恐ろしく異常な映画「Blue Velvet（ブルーベルベット）がありましたが、遡ること1980年に「The Elephant Man（エレファント・マン）」を監督して一躍脚光を浴び、1992年に映画化されたTVシリーズの「Twin Peaks（ツイン・ピークス）」は1990年から1991年に放映されていました。　感想文の苦手な私はデヴィッド・リンチ監督の趣旨である「解説は不要、映画は感じること。」が甚く気に入っています。　Salvador Dalí（サルヴァドール・ダリ）の”The Persistence of Memory（記憶の固執）”を見た時だって、文字で表現できる物書きとは違い感じたことを言葉で表せない私には言葉出ません。　うっ！　時を超越した悪夢か妄想か、この映画に解説を求めてはいけません。　デヴィッド・リンチ監督の映画にしては分り易いという人あり、百回観ても分らない人あり。

1988年に「Dangerous Beauty（娼婦ベロニカ）」で上流社会のお嬢さまのジュリア・ デ・レッツェを演じたNaomi Watts（ナオミ・ワッツ）が、「マルホランド・ドライブ」では女優志願の純朴なベティ・エルムスと殺したいほどの愛憎を秘めたダイアン・セルウィンの二役を演じます。　ラテン系美人のLaura Harring（ローラ・ハリング）は記憶喪失の女優のリタとカミーラを演じています。　なんと音楽を担当したAngelo Badalamenti（アンジェロ・バダラメンティ）が映画の始めの方に映画界のドン的なLuigi Castigliani（ルイージ・カスティリアーニ）として出演した他、スタッフ数人もエキストラ出演しているそうです。

"Mulholland Dr." is twisty all the way down.オープニング・クレジットでは登場人物のみで配役は知らされません。　映画の冒頭はアンジェロ・バダラメンティの”Jitterbug”にあわせて若者たちの踊るジルバで始まります。　そして、闇夜の中を一台の車が行く。　ロサンゼルス北部の山を横断する実在の道”Mulholland Dr.（マルホランド・ドライブ）”、人生を表すかのように曲がりくねった道路のはるか下方にロスアンジェルスの華やかな灯りが見える。　車に乗っているのはローラ・エレナ・ハリングが演じる黒髪美女で、なぜか二人の男に殺されそうな雰囲気。　突然車が止まる、「ここじゃないでしょ。」という女。　「降りろ。」と銃で脅されて車から降ろされようとしている。　そこへパーティでハイになったのかスピードを楽しむ若者たちが乗った2台の車が激突。　しかし黒髪の女だけがほぼ無傷で車から出てきてヨロヨロと下の方に見える町の灯りに向かって道路を降りていく。　さて、ここから観客を迷路に誘うストーリーが始まります。　まるで瞬きするかのようにめまぐるしく代わるシーンの連続です。

それでは、実況中継スタート！　事故現場からサンセット通りまでヘトヘトになってたどり着いた黒髪美女は、とある家に入り込む。　後ほどこれが有名女優ルースの家と判明。
Winkie's場面代わって、殺し屋の手下の眉毛の濃い”ダン”がWinkie's（ウィンキーズ）というダイナーに現れて張り込み刑事らしき男にこの場所の夢を見たと話している。　その刑事を従えてダンが外に出て行き、こわごわと階段を降りてブロックの壁を曲がろうとした途端、突然異様な風体の男が顔を出す。　私も驚いたが、ダンの驚きは半端ではないらしく卒倒してしまう。　もしかして事切れたのか。　異様な男は果してただの浮浪者か？それとも魔術師か？それとも化け物か？
一瞬、デヴィッド・リンチ監督の映画「ブルーベルベット」に出てきたあの耳か？と思ったら老人のアップだった。　なにやら関係者らしきお偉方が映画の配役について伝達し合っている様子。　この映画はハリウッドの映画制作に関する裏話がテーマなのか。

Betty meets Rita場面変わってナオミ・ワッツが演じる爽やかな印象の金髪女性が嬉しそうにロスアンジェルスに降り立ちタクシーに荷物を積み、前途を祝福する親戚縁者のような老夫婦と別れて走り去る。（誰？）　前述の黒髪美女が見たと同じ、映画の都であるHOLLYWOOD（ハリウッド）の大看板が聳える丘が見える。　金髪娘はとある屋敷を訪ねるが、これが前述の黒髪美女が入り込んだ家。　アン・ミラーが演じるココが応対する。　後ほど分るが金髪娘の伯母であるルースが住むアパートの管理人であるココは映画監督のアダムの母親でもあるそうだ。　ルースはハリウッド女優で女優志願のルースにとっては強力なコネとなる人物、しかしなぜかベティの伯母のルースは全くといっていいほど姿を現さない。　ルースの姪である女優志願のベティは素敵な部屋に案内されて感激至極。　あちこち見て歩くベテイはバスルームに全裸の女がいるのを見つける。（シャワーを浴びているから全裸）　これがあの事故の黒髪美女。　事故のせいだろうか、記憶を失った黒髪美女は部屋にあった往年のセクシー女優のRita Hayworth（リタ・ヘイワース）が演じた「Gilda（ギルダ）」の映画ポスターを見て咄嗟に自分をリタと名乗る。☆ベティがずっと着ている人気ファッションブランドらしいピンクのスパングル付き五分袖カーデガン、これが素敵！

場面代わって映画制作関係らしきライアン・エンターティメントの会議室、そこには既に監督やマネージャーなど4人の男たちが議論している。　封筒から取り出したのは探していた主演女優の写真らしい（ベティの？）　この会議の内容は先ほどの耳のアップがあった大物らしき老人に届く。　ジャスティン・セローが演じる新進監督のアダム・ケシャーは映画界に影響を持つイタリアンマフィアらしきCastigliane（ルイジ・カスティリアーニ）兄弟に押し付けられた主演女優がカミーラという決定には反対し激怒して出ていく。　アンジェロ・バダラメンティが演じる映画界の大物、Luigi Castigliani（ルイジ・カスティリアーニ）は小指を立ててイタリアン珈琲（エスプレッソ）を飲む。　口に含んだコーヒーをナフキンに吐き出す。（サルトルの嘔吐？）　げぇーっ！

なぜか、まるで悪夢のようにことが進んでしまうアダムの八つ当たり、映画関係者の会話、Scott Coffey（スコット・コーフィー）が演じるドジな殺し屋のウィルキンスなどのエピソードを挟んで、ベティとリタの場面に移る。　「自分が誰かわからない」と泣いているリタのバッグを手がかりを求めて開けてみばなんと！ゴムバンドで止めた古紙幣がいく束と奇妙な形をした青い鍵だけ。　（古い紙幣はよく犯罪に使用される）　マルホランド・ドライブを思い出したリタの記憶を確認するため事故の有無を警察に電話してみるベティ。

先ほどの殺し屋ウィルキンスはウィンキーズの側のジェネクリンの清掃トラックにノーブラの売春婦と白髪の男と共に乗リ込む。

Diane at Winkie's reminds Rita of something about her name.ベテイとリタは外で警察に電話した後、サンセット通りの喫茶店で新聞を見てみるが手がかりなし。　なんとそのダイナーはウィンキーズ、ウエイトレスの名札にダイアンと書かれているのを見てリタは何かを思い出す。　自分の名前は”ダイアン・セルウィン”なのかも？　電話帳で調べるとあった！たった1件。　さっそく電話してみると留守電だったがリタはその声に聞き覚えがあると言う。　もしかしてリタのルームメイトかも。

場面代わって今度は監督のアダムがプール付きの豪邸に帰宅するが、庭にはなぜか殺し屋のウィルキンスが乗っていたジェネクリンの清掃トラックが停車している。　アダムは妻の浮気現場を目撃して逆上し、宝石箱にピンクのペンキを流し込むという暴挙に出る。　タイムラグ。バイオレンスのシーンにはブルースが使用されていて、ここで流れる曲がSonny Boy Williamson（サニー・ボーイ・ウィリアムソン）の”Bring It On Home”

なぜかマフィアに命を狙われて身を隠し自分が破産したことを知るアダムのシーンから一転、ベテイとリタがいる部屋に隣人の妙ちくりんなルイーズが現れて予言のような言葉を残していく。　「誰かがトラブルに巻き込まれている。」

場面変わって、妻の宝石箱に流し込んだピンクのペンキが付着したままの衣服でアダムが車で夜道を走って、Georgia O'Keeffe（ジョージア・オキーフ）の絵にあるみたいな角だか動物の骸骨が掛けられた牧場の入り口に到着。　そこへ連絡のあった無表情なカウボーイが登場。　映画のオーディションでは「これだ！」とカミーラに決定しろと脅したようだ。（マフィアの仲間なのか？）

Betty managed at her casting auditions,HOLLYWOOD（ハリウッド）の丘のショットに続き、オーディションの準備に余念のないベティ。　リタを相手にナイフを突きつけて「殺すわよ」と物騒なセリフが意味ありげ。　スタジオでのリハーサルでは熱演してまるで夢のような絶賛を浴びた後、Elizabeth Lackey（エリザベス・ラッケイ）が演じるキャロルがConnie Stevens（コニー・スティーヴンス）の”Sixteen Reasons（シックスティーン・リーズン）”を歌っているスタジオに連れていかれる。　そこにはアダムがいた。　一瞬見つめあう二人。（気があるのか？）　次のオーディションはMelissa George（メリッサ・ジョージ）が演じるカミーラ・ローズ（リタ）、Linda Scott（リンダ・スコット）のヒット曲の”I've Told Every Little Star”を歌う。　言われたとおりに、「これだ！」と決定するアダム。　このシーンでは二人の髪の色が逆になり全く訳がわからなくなる。Diane versus CamillaDiane - Sixteen Reasons - YouTubeCamilla - I've Told Every Little Star - YouTube

スタッフの誘いを断ってスタジオを後にしたベテイを待っていたのはタクシーに乗ったリタ。　二人で先ほどの電話で調べたダイアン・セルウィンの家を訪ねることになっていたのだ。　12号室に向かう。躊躇するリタを無視してベテイはドアを叩くと女が出てきてダイアンは17号室だと告げる。　なぜか部屋を取り替えたらしい。　ノックしても応答がないので窓から強引に侵入するダイアンをリタが手伝う。　とてつもなく臭い！　二人で奥の部屋に入るとベッドの上には部屋の主らしきダイアン・セルウィンらしき女の埃塊のような死体。

家に戻ってあまりのショックのため半狂乱になったリタは髪をバッサバッサと切り始める。　リタの心中を察したベテイが変身を手伝ってブロンドショートのリタが誕生。　このあとさらに愛が深まったベティとリタ。　これで二人とも同じブロンドになった。

Magic Theatre: the Club Silencioここからは「なぜか、なぜか」ばかり。　金髪になったリタの口から「Sil'encio」とスペイン語が発せられ、真夜中なのに「いますぐある所へ一緒に行って！」とベテイにせがむ。　タクシーを拾って町を走り、人っ子一人いないような侘しい裏通りにある古びた映画館のようなマジック劇場”Silencio（シレンシオ）”へ入っていく。　それを追うカメラはハンディなのか、なぜかひどい手ぶれ。　黄泉の国のように現実には有り得ない劇場ではなぜかスペイン語混じりで魔術師がイリュージョンを見せている。　「Silencio（静粛に）！」　雷！　トランペッターが出てくる。（Conte Candoliが演ずるConti Condoli）　ベテイが震えだす。　煙とともに男が消えた。　赤いタキシードを着た司会者らしき白ヒゲの男（アダムがマフィアから逃れて潜んでいたホテルの管理人みたい）が登場してスペイン語で何か言ってひっこむと、Rebekah Del Rio（レベッカ・デル・リオ）が演じる女性歌手が舞台に現れ、先に知らされたように伴奏もなく、マイクに向かい泣きながら”Llorando（Crying）”をスペイン語で歌う。　感激したベティもリタも涙にむせぶ。　歌い終わった歌手は気絶する。　ベテイが流れ出る涙を拭こうとバッグを開けると、マジック！なんと三角の鍵穴が付いた青い箱が入っている。　思い出した二人は家に持ち帰りリタのバッグをしまった帽子の箱を取り出す。　しかし、リタが鍵の入っているバッグを開けようとすると、あれっ！ベテイの姿が消えた。　リタ一人で鍵を三角の鍵穴に差し込んでみる。　こわごわ鍵を回して蓋をあけると、あっと驚く玉手箱！　リタは暗闇に吸い込まれたかのように消えてしまう。　残るはベッドの下に転がった青い箱。

これからが本番、ダイアン・セルウィンの死体があったアパートにカーボーイやってくるが「こんちは、お嬢さん、起きる時間だよ。」と何も変わったことがないように声をかけて帰る。　場面は変わるが同じシチュエーション。　ダイアンが起きたのか。　誰かがドアを叩く。　余りしつっこいので女（ダイアン）が出ていきドアを開けると、部屋を交代した女が荷物を取りに来たのだ。　まだ忘れ物がありはしないかと見渡す女。　テーブルの上にはリタのバッグに入っていたのと同じ青い鍵。

Love and Betrayal between Diane and Camilla場面代わって、ダイアンの死体のあったと同じ部屋。　窓から外を覗いていたダイアン・セルウィン（ベテイ）が振り返って「ああ、カミーラ、帰ってきたのね。」と嬉しそうに言うと、そこにはリタが、いやカミーラ・ローズか。　それが幻覚と分かりがっかりしてコーヒーを入れるダイアン。　コーヒーを持ってソファーに行くと、なんと！ダイアンが手にしていたコーヒーは酒に変わりそこに全裸のリタ（いや、カミーラ）が横たわっている。　ダイアンの求愛を邪険に拒絶するリタ。　空しくも自らを慰めるダイアン。

アダムとリタが車の中でキスしているのを涙ながらに見つめるダイアン・セルウィン（ベテイ）から、アパートからカミーラ・ローズを締め出すダイアン・セルウィンへ、そして電話をとるドレスアップしたダイアンへと場面は変わる。　マルホランド・ドライブへ向かうダイアン。　「マルホランド・ドライブ」の冒頭のシーンと同じ夜道を走る車。　だが、後部座席に乗っているのはリタではなくダイアン。　突然車が止まる、「ここじゃないでしょ」というダイアン。　そこにカミーラ・ローズが現れて、「ついていらっっしゃい」。　嬉しそうにカミーラに手を引かれてついていくダイアン。　映画の都、ハリウッドか、アダムが飲み物を手にやって来る。　アダムの母のココの姿も見える。　冒頭のシーンではジルバ大会で優勝したダイアンが、ここでは”ジルバコンテストに出たかったわ”とか言ってる。　カミーラとオーディションで””I've Told Every Little Star””を歌ったカミーラとのキスを見て嫉妬して涙するダイアン。（カミーラとカミーラ？）　不倫妻と別れたらしいアダムとカミーラの二人が「私たちは結婚します・・・」と言いかけた時、食器の割れるような音で場面展開。

ウインキーズで殺し屋ウィルキンスとみすぼらしいなりのダイアンが会っている。　男にカミーラの写真を見せて「これが彼女よ」　そしてバッグの札束を見せる。　男が青い鍵を見せる。　そこにいたのは冒頭で気絶した眉毛男のダン。　ウエイトレスの名札は”ベティ”　ダンが気絶した壁の向こうが写されるとそこには再び青い箱をいぶかしそうに手で弄んでいる浮浪者の姿が。　浮浪者は箱を袋にしまう。　幻想で老夫婦言い争っているシーン。

アパートでは精神に異常をきたしたようなダイアンが恐怖におののいたように青い鍵を凝視している。　そこへ突然ドアをノックする音、ノックが続くなか、ドアの下の隙間から小人のような幻想の老夫婦が入ってくる。　不気味な嬌声だか笑い声だかが入り混じって聞える。　老夫婦がダイアンに襲い掛かる。　悲鳴をあげるダイアン。　錯乱したダイアンは必死で引き出しから銃を取り出して夢中で自分を撃ったのか、青い煙が立ち込めて、ベテイとリタの幻影。

シレンシオ劇場のバルコニーでは夢見ているようでもある呆然とした顔付きの青い髪のお洒落狂女（Cori Glazer？）がただ独り。　「Silencio（静粛に）！」謎は解けるどころか深い深い闇の中へ。　一緒に行かれずに取り残された私。　青い箱と青い鍵の謎さえ解ければ。　いや、シレンシオ！四角い箱といえば解説書を見ながら夜っぴいてルービックキューブを完成させた思い出が蘇りました。　あの時はスッキリしたぜぃ。エンディングロール、ここでやっと配役が明らかにされる。　エンディングのクレジットで流れたようにこの映画は2001年に自動車事故で亡くなったJennifer Maria Syme（ジェニファー・サイム）の捧げられているそうです。☆「マルホランド・ドライブ」の写真が見られるMulholland Drive - FILM.TV.IT

Mulholland Drive - Trailer - YouTubeMulholland Drive - Final Scene (SPOILERS) - YouTube

Mulholland Dr. DVDマルホランド・ドライブ

Mulholland Drive ( Soundtrack )「マルホランド・ドライブ」の音楽はアンジェロ・バダラメンティですが、サウンドトラックには監督のDavid LynchとJohn Neffが書いて自らボーカルも担当した実験的なアルバム「Blue Bob」からMountains Falling、Go Get Some、Pretty 50'sが使用されています。☆「マルホランド・ドライブ」のサウンドトラックの試聴はMulholland Drive Soundtrack -CD Universe映画のオーディション場面で使用されたコニー・スティーヴンスの”Sixteen Reasons”は版権問題のせいかサウンドトラックには収録されませんでしたが、新人オーディション・シーンでのブロンド・ガールの吹き替えとして1960年代のポップス歌手のLinda Scott（リンダ・スコット）のミリオンセラーである”星に語れば（I've Told Every Little Star）”は、Sonny Boy Williamsonの”Bring It On Home”やRebekah Del Rio（レベッカ・デル・リオ）のRoy Orbison（ロイ・オービソン）とJoe Melson（ジョー・メルソン）が作った”Crying（クライング）”などは収録されています。

Sonny Boy Williamson ll - Bring It On Home - YouTubeThe Beast - Milt Buckner - YouTubeConnie Stevens - Sixteen Reasons - YouTubeLinda Scott - I've Told Every Little Star - YouTubeRebekah Del Rio - Llorando (Crying) - YouTube
♪ Angelo Badalamenti/City of Prague Philharmonic - Mulholland DriveDavid Lynch - Mulholland Drive - A Cidade dos Sonhos - Rádio UOL
Rabbits「マルホランド・ドライブ」の翌年、2002年にデビッド・リンチは9シーンに分割された50分の実験的ショート・フィルムを監督しています。　うさぎが登場する喜劇的ファンタジー映画の出演者は「マルホランド・ドライブ」の同窓会のように、殺し屋を演じたスコット・コーフィー、ナオミ・ワッツ、ローラ・ハリング、レベッカ・デル・リオの他、音楽はもちろんアンジェロ・バダラメンティです。Rabbits by David Lynch - YouTubeInland Empireそれから5年後、３人のウサギ人間たち（含むローラ・ハリング）が登場する2006年のミステリー映画「インランド・エンパイア」があり、 Jeremy Irons（ジェレミー・アイアンズ）や、「ブルーベルベット」や」「Wild at Heart（ワイルド・アット・ハート）」にも出演したLaura Dern（ローラ・ダーン）とが出演しました。　選曲には定評のあるデビッド・リンチのサウンドトラックは監督が歌う”Ghost Of Love”をはじめ今回も素晴らしく、ポーランドの作曲家であるKrzysztof Penderecki（クシシュトフ・ペンデレツキ）の”Als Jakob Erwachte”やDave Brubeck Quartetの”Three To Get Ready”の他、Etta James（エタ・ジェームス）の”At Last”やLittle Eva（リトル・エヴァ）の” The Loco-Motion”、Nina Simone（ニーナ・シモン）の”Sinner Man”などが使用されました。]]></description>
         <link>http://www.audio-visual-trivia.com/2008/11/mulholland_dr.html</link>
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         <category>Movie-since 2000s</category>
         <pubDate>Mon, 10 Nov 2008 00:30:11 +0900</pubDate>
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         <title>ブリジット・バルドー写真集 (白黒)　Brigitte Bardot Photos 2</title>
         <description><![CDATA[Brigitte Bardot Photo GalleryPlease Click on the photos to Enlarge.

　　 　 

　　　

　　　

　　　

　　　

　　　

　　　

　　　

　　　

　　　　　　

　　　　　　

　　　

　Brigitte Bardot danse avec deux hommes - YouTube(Please Click on the photos to Enlarge.)

上記の写真は全てクリックで拡大出来ます。「ブリジット・バルドー写真集」は、ブリジット・バルドーの1950年代と1960年代のモノクロ画像約50数枚ほどで、映画雑誌から切り抜いてスクラップブックに保存してあったのもので、殆どがザラ紙の切り抜きなので画像は粗悪ですが半世紀前の思い出となっています。　50年代や60年代のベベのヘアスタイルやファッションについて多少なりとも参考になるかと思います。※本来肖像権や著作権はそれぞれの被写体と撮影者に帰属するものですから、これらの画像は複製権の侵害にあたります。　よってブリジット・バルドーからクレームがついた時点で写真は即刻取り下げる所存にございます。BB's fashion show- YouTube
Brigitte Bardot  et Jacques Charrier a un fils, Nicolas-Jacques Charrier.夫だったRoger Vadim（ロジェ・ヴァディム）が監督した「Et Dieu Crea La Femme（素直な悪女）」のヒットにより名声を得たブリジット・バルドーでしたが、映画で共演したJean-Louis Trintignant（ジャン・ルイ・トランティニャンに恋をしてバディムとは1957年に離婚しました。　トランティニャンと別れて歌手とも交際しましたが、1959年に「Babette s'en va-t-en guerre（バベット戦争へ行く）」で共演したJacques Charrier（ジャック・シャリエ）と恋に落ちて結婚し一児を儲けます。　それが息子のNicolas-Jacques Charrier（ニコラ=ジャック・シャリエ）です。　シャリエがしきりになだめてもプイっとそっぽを向くブリジット・バルドーの写真が雑誌にスクープされました。　どちらが悪かったのか、その後この二人は1962年に離婚してしまいます。　ベベとシャリエの写真は3列目を参照。
Brigitte Bardot a remporté le Grand Prix Cinema Francais.多作を誇るブリジット・バルドーは無冠の映画スターでもありましたが、1961年にLouis Malle（ルイ・マル）が監督した「Vie privée（私生活）」でイタリア俳優のMarcello Mastroianni（マルチェロ・マストロヤンニ）と共演し、フランス・シネマ大賞の女優賞を受賞しています。（1965年にはViva Maria! （ビバ！マリア）も受賞しているそうです。）　上から8列目の最期の写真がその時ものもので、確か「受賞して嬉しそうなベベ」といった見出しが付いていたと記憶しています。　ブリジット・バルドーは恋多き女優として自由奔放な女のレッテルを貼られマスコミ攻勢の激しかった頃には実際に自殺を図っていますから、映画「私生活」はベベのドキュメントともいえる内容です。　至福の表情でヒロインが落ちていく映画のラストシーンと、ベベがギターの爪弾きで歌ったSidonie（シドニー）が印象的でした。

Shebam! Pow! Blop! Wizz... Prout!Brigitte Bardot ( CD)ブリジット・バルドーは歌う！
Brigitte Bardot CD Story上記のCD画像は人気のアルバム「Brigitte Bardot [ORIGINAL RECORDING REMASTERED] [IMPORT]で、1962年リリースのフレンチポップス”Je Danse Donc Je Suis”、Noir et blancやCe n'est pas vraiの他に可愛い”Tu Veux Ou Tu Veux Pas（欲しい、欲しくない）”、そしてSerge Gainsbourg（セルジュ・ゲンズブール）とデュエットのBonnie &amp; clyde、Bubble Gum、Harley Davidsonなど60年代の21曲が収録されています。ゲンズブールとのコラボを収録したアルバムの試聴はBrigitte Bardot - Fnac.com
Brigitte Bardot - Je Danse Donc Je Suis - YouTubeBB et Gainsbourg - Bonnie and Clyde - YouTubeBB et Gainsbourg - Comic Strip "Shebam! Pow! Blop! Wizz... Prout!"- YouTubeBB et Gainsbourg - Je t'aime moi non plus - YouTube
Je t'aime moi non plusドイツの富豪のGunter Sachs（ギュンター・ザックス）と婚姻中だったブリジット・バルドーの依頼でセルジュ・ゲンズブールはベベにに捧げた”Bonnie &amp; Clyde”と共に”Je t'aime moi non plus”を作曲しました。　「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は当時アツアツだった二人が吹き込んだもののバルドー側（夫）の要請で発表されずに幻のレコードとなっていました。　もっともセルジュ・ゲンズブールはその2年後にはベベと歌った同じ曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を妻となったJane Birkin（ジェーン・バーキン）ともっと熱く歌ってしまいます。ブリジット・バルドーのバージョンの「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は吹き込みから19年後に「売り上げは動物愛護団体に寄付する」という条件付きでバルドーの承認を得てリリースされました。このような事情でか1986年には他にも以前のバルドーの録音が解禁となっています。 この2曲以外にもブリジット・バルドーとゲーンズブールのセクシーな「Sea sex and sun（海、セックス、そして太陽）」や、ゴダール監督が1959年に「A Bout de Souffle（勝手にしやがれ）」でやったみたいにアメリカ文化へのオマージュのようなBonnie &amp; Clyde（ボニーとクライド）、Bubble Gum（バブルガム）、Harley Davidson（ハーレー・ダヴィドソン）などコミカルな歌をたくさん吹き込んでいます。Brigitte Bardot Show1967年に仏テレビのBrigitte Bardot Show（バルドー・ショー）でベベとゲンズブールのComic Strip（コミックストリップ）などが放映されたそうで、Harley DavidsonやContactなどを収録したLPアルバム「Brigitte Bardot Show 67」もリリースされています。CD化されたが試聴できるBrigitte Bardot Show [Bonus Tracks] - Barnes &amp; Noble.comBonie and Clyde1967年にFaye Dunaway（フェイ・ダナウエイ）がボニーを演じた「俺たちに明日はない」を演出したセルジュ・ゲンズブールとブリジット・バルドーのなりきり”ボニー&amp;クライド”ではフェイそっくりに扮装したBBが見ものです。Serge Gainsbourg et Brigitte Bardot - Bonie and Clyde - YouTubeVous avez lu l'histoire, De Jesse James...と歌われるフランス語の「ボニーとクライド」の歌詞はBonnie and Clyde Ltrics - Paroles.netBB: Ye-Ye Girlフランス人が歌う歌はシャンソンですが、特にゴーゴーが人気だった60年代にはアイドル的な可愛い子ちゃん歌手の歌うフレンチ・ポップスが流行りました。　1968年にセルジュ・ゲンスブール作の”Comment te dire adieu（さよならを教えて）”がヒットしたFrançoise Hardy（フランソワーズ・アルディ）は別格としても、女性ではSylvie Vartan（シルヴィ・バルタン）やFrance Gall（フランス・ギャル）などのイエイエ娘達が登場しました。　映画界からもジェーン・バーキン、Marie Laforet（マリー ・ラフォレ）、Mireille Darc（ミレーユ･ダルク）などに混じってブリジット・バルドーもロリータ系のVarie´te´ francaise（フレンチ・ポップス） &amp; Ye-Ye（イエイエ French Go-Go）の仲間入りをしています。　ベベはセルジュ・ゲンズブールがプロデュースした音楽ではセクシー路線もありますが、他の多くの歌はスタンダードなシャンソンのカバー曲や陽気なフレンチ・ポップスが殆どです。ベベの写真をずっと見ていくと50年代とポップでサイケな60年代とではメイクもファッションも変わっています。　50年代のアメリカ文化のポニーテイルから60年代にはフレンチポップスが大流行！　麦わらのように黄色く染めた髪はとてもインパクトを与えましたがその長い髪をかきあげたアップスタイルをChignon casque（ヘルメット型シニヨン）と呼ぶそうです。　日本でも加賀まりこが真似したので若い娘はみんなトップに逆毛をわんさか立てて綿アメみたいなヘアスタイルを真似しました。　アメリカではBeehive Hairstyle（ビーハイヴ/蜂の巣箱スタイル）と呼ぶらしいです。　ベベは60年代にはショートヘアにミニスカートやブーツ・スタイルも取り入れて、ミニスカートの申し子のようなTwiggy（ツイギー）みたいにアイラインで眼を強調したメイクでしたが、オーララ、現在もそのままです。　60年代メイクの特長は眼にポイントを置きます。　眉は細めですが眉のすぐ下にハイライトの白を入れて立体的に、アイシャドーは濃い青、眼の縁はグルリと太目のアイラインで目じりにも書き足し、二重もしくは三重の付け睫毛でビューラーでカール、下にも付け睫毛をするか、ペンシルで下に睫毛を書き足すなど眼をつむっていても眼が開いているようなタヌキ目でした。　まれにツイギーみたいに書きソバカスを付け加えたりします。
Les amis de la musique Bardot et Les Freres Jacques - YouTubeL'appareil a sous - Brigitte Bardot - YouTube

アルバム「Initiales BB」から1962年に「Vie privée（私生活）」でベベが歌ったSidonie（シドニー）が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for World of Echo with Dave Mandl - April 4, 2003（Listen to this show (RealAudio)をクリック、クリップ・ポジション（再生バー）を48:20に移動）※シドニーの歌詞はSidonie - Paroles.netBonnie and ClydeとHarley Davidsonが聴けるwfmuラジオのプレイリストHova's Hit Parade - September 28, 2004（Click! Hear! をクリックしてクリップ・ポジション（再生バー）を40:50に移動）アルバムInitiales BBからContactが聴けるwfmuラジオのプレイリストPlaylist for Brian Turner - August 2, 2005とSerge Gainsbourg &amp; Brigitte BardotのUn jour comme un autreが聴けるPlaylist for This Is the Modern World with Trouble - January 20, 2005（Listen to this show (RealAudio)をクリック、時間が0:06:27となっていますがクリップ・ポジション（再生バー）を4:14に移動）
アルバム「Pop a Paris 2」からPlaylist for Bill Zurat - November 14, 2004「両方共bardotで検索して右の時刻をクリック）

Brigitte Bardot Victor ss-1443”Brigitte Bardot”という曲は、陽気にブリジット・バルドー！バルドー！と”ブリジット・バルドー”を連呼してDario Moreno（ダリオ・モレノ）が1961年頃に歌ったコミカルなベベ賛歌ですが、私が購入したLuis Ferreira（ルイス・フェレイラ）楽団のEPレコードもサンバやCMソングを作曲したブラジルのMiguel Gustavo（ミゲル・グスターヴォ）が作曲したそうです。Brigitte Bardot Bardot par Darío MorenoBrigitte be´jo be´jo
De toutes les belles pinguinettes
C'est bien toi la plus chouette
Darío Moreno sings Brigitte Bardot - YouTube
1953年にIstanbul（イスタンブール）のフランス語バージョンやLe marchand de bonheur（幸福を売る男）を歌ったトルコ系ユダヤ人の歌手「ダリオ・モレノ」は1957年にCurd Jürgens（クルト・ユルゲンス）主演の「Oeil Pour Oeil（眼には眼を）」で茶店の店主役を演じ、1959年の「La Femme et le pantin（私の体に悪魔がいる）」や「Voulez-vous danser avec moi?（気分を出してもう一度）」でもベベにちょっかいを出してビンタされます。ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでもダリオ・モレノの一番人気の”Brigitte Bardot”はアルバム「Brigitte Bardot」にも収録されていますが、試聴できるのはDario Moreno - Fnac.com

♪ Écouter les chansons dans la radio!Brigitte Bardot - Nue Au Soleil - Paris City Coffee - Rádio UOL(14th on the track)French Pops Radio Ye-Ye!

Brigitte Bardot and the Lolita Syndromeサルトルとの契約結婚で有名なフランスの 思想家であるSimone de Beauvoir（シモーヌ・ド・ボーヴォワール）がベベの写真集に 文章添えた「Brigitte Bardot and the Lolita Syndrome」が出版されています。☆ブリジット・バルドーの写真集 （カラー）はBrigitte Bardot Photogallery_1☆ブリジット・バルドーについてはBrigitte Bardot]]></description>
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         <category>Movie-Classic</category>
         <pubDate>Fri, 31 Oct 2008 00:21:12 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>ナット・アダレイ　Work Song　Nat Adderley</title>
         <description><![CDATA[STEREO 1167 RIVERSIDE SR - 7012(Click on the photos to Enlarge)Work Song by Nat Adderley (LP)
Nat Adderley (1931 - 2000)
Work Song（ワークソング）をはじめJive Samba（ジャイヴ・サンバ）などの作曲者と知られるナット・アダレイはアルト・サックス奏者のJulian "Cannonball" Adderley（キャノンボール・アダレイ）を兄に持つコルネット奏者です。　やはりキャノンボール・アダレイが演奏しているOld Country（オールド・カントリー）はジャズスタンダードの作曲者であるCurtis Reginald Lewis（カーティス・R・ルイス）の作品ですがナット・アダレイがアレンジしたのでしょうか。　All You Need to Say (Never Say Yes)の方はナット・アダレイと作詞家のChris Caswell（クリス・キャスウェル）とのコラボのようです。ナット・アダレイは最初は歌手として音楽界に入り、それから楽器演奏でトランペット、そしてコルネットへと転向し、1800年代初期に考案されたフレンチ・ホーン（又はフレンチホルン）も演奏するそうです。　1951年にLionel Hampton（ライオネル･ハンプトン）楽団に参加した後、1956年に兄のキャノンボール・アダレイが結成したCannonball Adderley Quintet（クィンテット）のメンバーとなりましたが経営難もあり1957年に解散してしまい、キャノンボール・アダレイはマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンのバンドに参加しました。　しかしその後のハードバップ又はファンキー・ジャズ全盛期の1959年に兄弟でソウル・ブルース・スタイルの五重奏団を結成して大成功しています。　キャノンボール･クィンテットのCannonball Adderley Quintet in Chicago with John Coltraneではジョン・コルトレーンと共演しています。　Miles Davis（マイルス・デイヴィス）の1958年のアルバム「Something ELse」に収録されたキャノンボール･アダレイをフィーチャーした”Autumn Leaves”は素晴らしいですが、1967年代にはキャノンボール兄弟の”Mercy, Mercy, Mercy（マーシー・マーシー・マーシー）”が大ヒットしました。 The Cannonball Adderley Quintet with Nat Adderley - Mercy, mercy, mercy - YouTubeCannonball Adderley with Nat Adderley - Jive Samba 1963 - YouTube
Cornetコルネットという角笛型のクリーム入り菓子パンがありますが、楽器のコルネットは金管楽器（リード楽器）の一種でトランペットよりも柔らかな音が出るそうです。　コルネットを演奏したジャズミュージシャンはKing Oliver（キング・オリバー）やBix Beiderbecke（ビックス・バイダーベック）、Red Nichols（レッド・ニコルス）などが演奏し、トランペッターのLouis Armstrong（ルイ・アームストロング）も初期にはコルネットを吹いたようにジャズの初期に使用された楽器ですが第二次世界大戦後は廃ったそうです。　コルネットとトランペットとの相違点は管が2回巻きで伸ばした時の管の形が半分以上の2分3が円錐管であり、トランペットよりもちょっと小ぶりな楽器です。
Work Songナット・アダレイが1960年に作曲した”ワーク・ソング”はキャノンボール・アダレイの五重奏団の演奏で有名ですが、 Duke Ellington（デューク・エリントン）、Count Basie（カウント・ベイシー）、Charles Mingus（チャールス・ミンガス）、Oscar Peterson（オスカー・ピーターソン）、J.J. Johnson（JJジョンソン）、Gene Ammons（ジーン・アモンズ）、Wes Montgomery（ウェス・モンゴメリー）、Quincy Jones（クィンシー・ジョーンズ）なども演奏しており、ボーカル・バージョンではSammy Davis Jr.（サミー・ディヴィス・ジュニア）、Billy Eckstine（ビリー・エクスタイン）、Joe Williams（ジョー・ウィリアムス）、黒人公民権運動に積極的だったNina Simone（ニーナ・シモン）、白人ですがBobby Darin（ボビー・ダーリン）をはじめ作詞者のOscar Brown Jr.（オスカー・ブラウン・ジュニア）自身も歌っています。（やはりオスカーが最高！）　強制労働に従事させられた囚人の哀歌として1960年に”ワーク・ソング”に歌詞を付け自身の初アルバム「Sin &amp; Soul...And Then Some」に収録したオスカー・ブラウン・Jrは、シカゴ出身のジャズ歌手にして作詞者で公民権運動にも関与した人物だそうです。　惜しくも2005年に亡くなってしまったオスカー・ブラウン・ジュニアですが、他の何人かの黒人歌手がやったように差別を訴える曲を歌うのだけではなく、人権問題をアピールした詩を発表したり議員にもなって活動しようとしたそうです。”Breaking rocks out here on the chain gang ...”と歌われるワークソングの歌詞はWork Song Lyrics - Blues for Peace☆♪アルバム「Sin & Soul & Then Some」からオスカー・ブラウン・Jrのワークソングが聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Inner Ear Detour with David - April 17, 2003（Listen to this show: RealAudioをクリック、クリップポジションを53:46に移動）※ナット・アダレイといえばファンキーな”ワーク・ソング”が代表的な曲ですが、ワーク・ソングとはアメリカ版「ソーラン節」や「よいとまけ」労働歌で、南部の黒人奴隷が囚人たちが労働中にリーダー格のひと声にその他大勢が応答してくり返し応唱する形式の歌で、奴隷たちの故郷の西アフリカに先唱と応唱という歌の形があるそうです。
About Nat Adderley - Work Song - YouTubeNat Adderley - Work Song (1968) - YouTubeCannonball Adderley Sextet - Work Song - YouTubeSammy Davis Jr. with Count Basie - Work Song - YouTube
Bobby Darin - Work Song - YouTube
Nina Simone - Work Song - YouTube
Work Song STEREO 1167 RIVERSIDE SR - 7012ページトップの画像は
名曲”Work Song ”がタイトルとなっているパーシー・ヒースのチェロ演奏が珍しいナット・アダレイの1960年録音の「Work Song 」の国内盤です。（LPには右下にRiversideのマーク有り）　オリジナルはRiverside RLP 12-318でしょうか。　私が所有しているこの国内盤LPレコードは「モダン・ジャズ名盤蒐集会選定盤　37 - 12」となっていて、タイトルは「ワーク・ソング／ナット・アダレイ　Work Song: Nat Adderley」です。 ※名盤蒐集会とは1960年代初期にジャズ評論界の重鎮4人で構成され、毎月２枚のレコードを選定し推薦した由緒正しき国内盤LPレコードです。（お墨を付けたメンバーは油井正一、植草甚一、野口久光、藤井肇）当時は学生だった私が貯めたお小遣いでステレオを購入したのも昭和35年（1960年）頃でしたが、実演ジャズ喫茶が100円、葉書が5円、山手線の初乗りが10円、初任給は1万円弱の当時でLP1枚の1800円はかなりの出費でした。ナット・アダレイが1960年に作曲した”ワーク・ソング”は1962年にオスカー・ブラウンJr.が詞をつけたそうで多くのジャズメンが演奏しボーカリストが歌っています。　例えば1998年にニューヨークのブルーノート・クラブで録音されたRay Brown（レイ・ブラウン）とMilt Jackson（ミルト・ジャクソン）とのオスカー・ピーターソン・トリオが演奏するライヴアルバムで、ミルト・ジャクソン最後のセッション盤「The Very Tall Band: Live At The Blue Note」ではレイ・ブラウンのソロ・メドレーでナット・アダレイのWork Song（ワーク・ソング）のフレーズが聴けます。
演奏メンバーはコルネットがナット・アダレイ、ギターが録音当時37歳のWes Montgoery（ウェス・モンゴメリー）、ピアノが”モーニン”の作曲者でジャズ・メッセンジャーのメンバーだったBobby Timmons（ボビー・ティモンズ）、ベース（セロ）がSam Jones、セロ（ベース）Keter Betts（キーター・ベッツ）、ベースがMJQのメンバーのPercy Heath（パーシー・ヒース）、ドラムがホレス・シルバーが見出した新人Louis Hayes（ルイ・ヘイズ）です。　当時は新人トランペッターであったナット・アダレイのアドリブのきいたコルネットとギターと爪弾きのベースやセロのコンビネーションが絶妙の異色アルバムです。　ナット・アダレイのミュートを付けたエモーショナルなコルネットはまるでMiles Davis（マイルス・デイヴィス）のサウンドのようです。

Work Song [Hybrid SACD]ナット・アダレイの素晴らしいコルネットとセロとギターを前面に、リズムセクションは一流のピアニストやベーシストやドラマーが受け持った当時の演奏を蘇らせる再リリース盤です。この他に1991年リリースの輸入盤CDや2008年リリースのUniversal Japan盤「Work Song [Original recording remastered]」や「Riverside mono RLP 1167　リバーサイド、モノラル盤12-318」など別のCDがあります。♪試聴はWork Song - Barnes &amp; Noble.comこの2004年リリースのRiversideアルバムはSACDの互換機が必要だとかという情報を見ました。※SACDとはSuper Audio CD（スーパーオーディオCD）のことでSACDは対応プレーヤーのみ再生可能ですが、Hybrid SACDは通常のCDプレーヤーおよび、SACD対応プレーヤーの両方で再生可能だそうですが購入したことがないので不明。（DVD-AudioとSACDの互換機DV-AX10をパイオニアが発表したと聞きますが。）※リバーサイドからはナット・アダレイが参加している五重奏団で「キャノンボール・イン・サンフランシスコ」や、六重奏団では「キャノンボール・イン・ニューヨーク」などがリリースされています。
アルバム「Work Song 」の曲目紹介A面
1　Work Song（ワーク・ソング）
ナット・アダレイが自作自演するミュート・コルネットが魅力の定番曲。
2　Pretty Memory（プリティー・メモリー）ボビー・ティモンズの作曲
3　I've Got A Crush On You（アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー　あなたに夢中）
ガーシュイン兄弟が作ったジャズ・スタンダードの名曲　Adderley-Montgomery-Jones trio
4　Mean To Me（ミーン・トゥ・ミー）ジャズ・スタンダードをナット・アダレイのコルネットにウェス・モンゴメリーのギターがバック
5　Fallout（フォールアウト）ナット・アダレイがオープン・コルネットで演奏する自作のファンキーな曲B面
1　Sack Of Woe（サック・オブ・ウォウ）キャノンボールが作ったファンキーな曲。
2　My Heart Stood Still（マイ・ハート・ストゥッド・スティル）ロジャース＆ハートの名曲をナット・アダレイががスゥインギーに演奏
3　Violets For Your Furs（コートにすみれを）マット・デニス作曲のバラード　Adderley-Montgomery-Jones trio4　Scrambled Eggs（スクランブルド・エッグス）なたね卵とか菜の花卵と呼ばれる炒り卵のことでアップテンポのいそがしい曲、ナット・アダレイのオープン・コルネットのソロが聴けますがSam Jones（サム・ジョーンズ）の作曲だけあってベースが効いている。（スクランブルド・エッグスの試聴はScrambled Eggs - 楽天ダウンロード)

Naturally!この傑作バップアルバムは2003年にCD化されたFantasyのOriginal Jazz Classicsシリーズの1枚で、オリジナル録音はNat Adderly Quartets（カルテット）としての初アルバムとなる1961年のRiversideLPだそうです。　クインテットの演奏メンバーはナット・アダレイがコルネットを演奏していますが、キャノンボール・アダレイのグループからベースのSam Jones、ドラムのLouis Hayes、ピアノのJoe Zawinulが参加、又マイルスと演奏していたピアノのWynton Kelly、ベースのPaul Chambers、ドラムのPhilly Joe Jonesなどです。☆2000年リリースの「ナチュラリー! 」の他、2006年リリースの「ナチュラリー! (紙ジャケット仕様)  ~ ナット・アダレイ」もあり。♪タイトル曲の他にSonny Rollins（ソニー・ロリンズ）の”Oleo”や”Love letters”など8曲を収録しているアルバムの試聴はNaturally - CD Universe1945年にVictor Popular Young（ヴィクター・ヤング）が作曲した人気のジャズのスタンダード曲”Love letters”についてはブログ内のKetty Lester（ケティ・レスター）
Soul Of The BibleSoul Of The Bible2003年のBlue Note2枚組アルバムでキャノンボール・アダレイ名義になっているCDも見かけました。オリジナルは1972年録音だそうですが現在は入手しにくいようです。♪試聴はSoul Of The Bible - HMV.com

Branching Out by Nat Adderley QuintetBranching Out
オリジナルは1958年のナット・アダレイのRiversideでの初レコーディングです。　キャノンボール・アダレイ・クィンテットと再結成する1年前ほどの1958年にしていますが、「Branching Out」ではハードバップのジャズテナー奏者のJohnny Griffin（ジョニー・グリフィン）、ピアノのGene Harris（ジーン・ハリス）のThe Three Soundsとレコーディングしています。　ナット・アダレイのオリジナル2曲の他、ジャズスタンダードの”Don't Get Around Much Anymore”などを収録しています。　国内盤の「ブランチング・アウト」もあり。♪試聴はBranching Out - HMV.co.jp

Blues for Dracula1958年にナット・アダレイとジョニー・グリフィンはピアニストのTommy Flanagan（トミー・フラナガン）やトロンボーンの Julian Priester（ジュリアン・プリースター）が参加したドラマーのPhilly Joe Jones（フィリー・ジョー・ジョーンズ）名義のRiversideアルバム「Blues for Dracula」でも共演しています。　ジョニー・グリフィンの作曲したアルバムのタイトル曲”Blues for Dracula”のイントロではホラー映画好きのドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズがBela Lugosi（ベラ・ルゴシ）の物真似をしています。♪RiversideのLPバージョンの”Blues for Dracula”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Marty McSorley - October 29, 2008（Listen to this show: RealAudioをクリック、クリップポジションを1:07:14に移動）ハロウィーンにもピッタリのアルバム「ブルース・フォー・ドラキュラ」の試聴はBlues for Dracula  - Tower.com

A Little New York Midtown Musicナット・アダレイとジョニー・グリフィンとは1978年にもベースの「Ron Carter（ロン・カーター）が参加したNat Adderley Quintet（クィンテット）のアルバム「A Little New York Midtown Music」で共演しています。♪試聴はA Little New York Midtown Music - Tower.com

The Most Relaxing Jazz Standards in the Universe2003年からリリースされているジャズ・コンピレーション・アルバム「The Most Relaxing Jazz」シリーズがありますが、このジャズのスタンダード集の2004年にリリースされた「The Most Relaxing Jazz Standards in the Universe」にはナット・アダレイが演奏する”Can't Give You Anything But Love”がキャノンボール・アダレイの”Willow Weep for Me”とともに収録されています。（キャノンボール・アダレイといえば私は”Autumn Leaves”が好きですがこれはThe Best Blue Note Album In The Worldなどに収録されています。）The Most Relaxing Jazz Standards in the Universe]]></description>
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         <category>Music-Jazz</category>
         <pubDate>Mon, 20 Oct 2008 00:41:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ボーン・アイデンティティー　The Bourne Identity (2002)</title>
         <description>The Bourne Identity (Original Motion Picture Soundtrack)

The Bourne series by Robert Ludlum (1927 - 2001)2002年の映画「ボーン・アイデンティティー」の原作はアメリカのスリラー作家であるRobert Ludlum（ロバート・ラドラム）が1980年に発表したベストセラー小説”The Bourne Identity（暗殺者）”で、三部作の第一作目で、監督は監督はDoug Liman（ダグ・リーマン）です。ロバート・ラドラムの三部作の第二作目はThe Bourne Supremacy（殺戮のオデッセイ）、第三作目はThe Bourne Ultimatum（最後の暗殺者）で、それぞれ第二作目は2004年に「ボーン・スプレマシー」、第三作目は2007年に「ボーン・アルティメイタム」としてPaul Greengrass（ポール・グリーングラス）監督で映画化され、特に第三作の「ボーン・アルティメイタム」は音響賞や編集賞など三つの2007年のアカデミー賞を受賞してます。※ロバート・ラドラムの作品一覧は翻訳作品集成 - Robert Ludlum

「ボーン・アイデンティティー」は記憶をなくしたCIA工作員が理由も分からずに襲撃され続けながらもアイデンティティー（身元）を取り戻そうと苦闘するアクション・ミステリです。　ジェイソン・ボーンがなぜ抹殺されなければならないのかは終盤まで全くわかりません。　ジェイソン・ボーンなど登場人物が見せるアクションシーンは迫力がありますがCGは使用せず、武器類も映画用の特別誂えではなく市場に出ている商品だそうです。

「ボーン・アイデンティティー」の続編の「ボーン・スプレマシー」と「ボーン・アルティメイタム」同様に戦闘兵士として訓練された主人公のJason Bourne（ジェイソン・ボーン）にMatt Damon（マット・デイモン）、連れの女の”Marie Kreuz（マリー・クルーツ）にはドイツ女優のFranka Potente（フランカ・ポテンテ）です。　その他のキャストはThe Professor（教授）と呼ばれる異色な刺客にはClive Owen（クライヴ・オーウェン）、CIA幹部のAlexander Conklin（コンクリン）にはChris Cooper（クリス・クーパー）です。

記憶を失くした男：　ジェイソン・ボーン暴風雨の夜、マルセイユ沖で漁をしていたイタリア漁船の船員が荒波に漂う死体を発見し、全員で引き上げると、その男は手には武器を握りしめ、身に付けている救命具を剥いでみると背中に2発の銃弾の跡が、そして尻の皮膚にはチューリヒの銀行口座が照明で浮かび上がるレーザー機器が埋められていたのです。　乗組員がお前は誰なんだ？と訊ねても、その男は何も分からないと答えるのです。

一方、バージニアにあるCIA本部の幹部であるコンクリンのもとに「ミッションは失敗した」と報告が入ると、直ちに抹殺指令を下したのですが、そのコンクリンの手にはジェイソン・ボーンが乗った漁船の写真が握られているのです。

漁船では漁の手伝いをするジェイソン・ボーンですが、船乗りがやるようなこんなロープの結び方をどこで覚えたのか？　フランス語をしゃべる。　ドイツ語もしゃべる。　色んな国の言葉をしゃべれる俺（ジェイソン・ボーン）っていったい何者なんだと暗中模索。　不意の襲撃にも対応できる優れた戦闘能力をもつことも判明。　港に着いた漁船から降りるジェイソン・ボーンはアイデンティティーを求めてスイスに向かうも、公園のベンチで寝ていると警官がパスポートを見せろと強制すると反射的に凶暴とも思えるほどの闘争体制に入るのでした。　チューリヒ銀行での貸し金庫番号もタッチスクリーンの手形もパスし、アイデンティティーの手がかりを求めていざ、金庫を開けてみるとパスポートが入っている。　そうか、俺はアメリカ人のジェイソン・ボーンなんだな。　住所はパリか。　しかし、上のケースの下には他の国々の札束と拳銃。　別人名義のパスポートが5通も。　いったいどれが俺なんだ。　ジョン・マイケル・ケインか？　しかしそんなジェイソン・ボーンを見ている男あり。　銀行から出て通りでも付けられているようだ。　スイスのアメリカ大使館に逃げ込んで辛うじて無事かと思いきや、またしても銀行でのあの男の顔が見える。　領事館では金が無くてビザのトラブルとなり憤懣やるかたない様子の威勢のよい女を見かけた。　さて、ジェイソン・ボーンが銀行を出ようとすると当然、、「手を上げろ！」と警備員に囲まれる。　突発性の攻撃には迎え撃つ闘争体勢が整っている。　警備員を倒して逃げるジェイソン・ボーンは特別機動隊のようなスナイパー達にまで追われる。　やっとこさで逃げ延びて表に出ると先ほどの女が車に乗るところだった。　女が金が必要だと悟ったジェイソン・ボーンは取り引きをする。　車でパリまで乗せるたら2万ドルを渡す約束をして前金の1万ドルを支払う。　しかし何と恐ろしいことにこの車の所在もCIAに突き止められていたのだ。　CIAのコクリンはバルセロナの教授と呼ばれる刺客以下、世界中のエージェントにジェイソン・ボーンの抹殺指令を出す。　ボーンと知り合った女はマリーといいヨーロッパの国々を渡り歩いているヒッピーのようなドイツ人だったが、そのマリーの身元も調べ上げられていた。

車の二人、ジェイソン・ボーンとマリーはわけも分からず取り合えずは逃げる。　2週間前に何が起こったのかが思い出せないと悩むジェイソン・ボーン。　マリーとパリのアパートに行くが、そこにもスナイパーの手が。　突然、窓ガラスが割れて小銃を構えた男が乱入。　これは怖い！　その男を取り押さえ自分が何者かを聞きだそうとするも、大変よく訓練された刺客だったので口を割らずに窓から飛び降りてしまった。　その男は手にジェイソンとマリーの情報書類を持っていたのだ。　あまりのことに憔悴しきったマリーを抱えて急いでアパートを出るジェイソン・ボーン。

CIAからパリ市警に指名手配をされたジェイソン・ボーンはパトカーの警官を見つけて急発進で逃げる。　これに白バイも参加してのカーチェイスはすご過ぎ。　なんと階段を車で走り下り、何十衝突も起こしやっと逃げ延びた。　なんという運転能力なんだと感心するマリー。　車を捨てて、マリーは断髪して髪色も変える。　この時点で二人は恋人となったようです。

映画では冒頭のシーンで、「CIAに命を狙われた！内情を暴露してやる！」といきまいていたアフリカの独裁者で亡命したNykwana Wombosi（ウォンボシ）が再び登場。　CIAからのジェイソン・ボーンは死んだという報告を受けて自分を狙った奴の死を確認せんと死体置き場に行くが、「奴じゃない。」　さて、暗殺未遂なんてなかったことにしたいCIA、コンクリンはどうする！　こんどは教授と呼ばれる刺客に暗殺を命じ、ウォンボシを屋外から銃撃しジェイソン・ボーンが果たせなかった暗殺作戦の一大プロジェクｔトは完結。　次に教授は暗殺者養成作戦の敗者であるジェイソン・ボーンを狙う。

電話をかけまわってやっとジョン・マイケル・ケインの情報を掴んだものの、既に死体となっているということでその死体を確認にジェイソン・ボーンも死体安置所に行くが、なんとその死体はウォンボシが見た後には消え去っていた。

Treadstone Assassins逃げるジェイソン・ボーンとマリーはマリーの子供持ちの義弟の家に行くがそこにも追っ手が。　ウォンボシを仕留めたあの教授が家の外に来ている。　スナイパーから引き離すために自ら外に出るジェイソン・ボーン。　この攻防が深い。　背の高い草の生い茂る野原、ジェイソン・ボーンはわざとショットガンをぶっ放して鳥を飛ばす。　一斉に飛び立った鳥は人間の居ない方向へと飛び去った。　つまり逆側には教授が潜んでいるということになる。　教授を仕留めたジェイソン・ボーンは瀕死の教授からヒントを得て、コンクリンから全貌を明かされ、やっと自分のアイデンティティーを理解することができた次第です。　なぜ自分が追われていたのかも。　全ての刺客をかたずけたジェイソン・ボーンでしたが、お次はコンクリンの番、失敗など許されないトレッドストーン（CIAの暗殺者養成作戦）におけるコンクリンの失態を糾弾していたCIA副長官のWard Abbott（アボット）から使わされたであろう刺客（教受）に抹殺され、CIAセンターでは「終わった。。。」とPC機器の電源を切るのでした。　しかしトレッドストーンに組み込まれたCIA工作員のジェイソン・ボーンはなぜ記憶を消されたのか。　何故、暗殺者になったのか。　謎を解く続編に乞うご期待！　トレッドストーンがさらにアップグレードされる続々編に乞うご期待！　教訓：　暗殺者に人間らしき情は無用。　単に組織の戦闘兵士であるべし。　さらに人間ではなく消耗品の武器であるべし。

さて、ラストシーンはわけも分からないまま戦い続けたジェイソン・ボーンへのご褒美です。 活劇からメロドラマへ。　恋人同士が離れ離れになって男がラストシーンで開店準備をする彼女のところに現れる、こんなエンディングを古い映画で観たような。　どの映画だったか思い出せない。
「ボーン・アイデンティティー」のオフィシャルサイトはThe Bourne Identity  - Universal

Matt Damon1989年のSaving Private Ryan（プライベート・ライアン）ではTom Hanks（トム・ハンクス）ばかり気になっていて救出される二等兵のライアンには目がいきませんでしたが、マット・デイモンを始めて意識して観たのが1999年の「リプリー」なのですが、Julia Roberts（ジュリア・ロバーツ）が主演した1988年のMystic Pizza（ミスティック・ピザ）でチラリとデビューしています。　マット・デイモンが繊細な、しかし強かなゲイの役を好演したこの映画は1960年にAlain Delon（アラン・ドロン）が主演したPlein Soleil （太陽がいっぱい）のリメイクです。　マット・デイモンが劇中で歌ったChet Baker（チェット・ベーカー）の”My Funny Valentine”が忘れられません。The Talented Mr. Ripley - Audio-Visual Trivia

Franka Potente「ボーン・アイデンティティー」と「ボーン・スプレマシー」でマリーを演じたフランカ・ポテンテは1998年のRun Lola Run（ラン・ローラ・ラン）で初めて観ました。　フランカ・ポテンテが演じたマリー・クルーツが後ろを向いた時に見えた赤い髪のメッシュが走る、走る赤毛のローラの名残のようでした。　が、ラン・ローラ・ランほどはインパクトが無い！

Chris Cooperクリス・クーパーは1999年のAmerican Beauty（アメリカン・ビューティー）でゲイを隠した海兵隊のフィッツ大佐役で出演した後に「ボーン・アイデンティティー」でCIA幹部のコンクリンを演じましたが、「ボーン・スプレマシー」では回想場面の声だけの出演です。　2005年のCapote（カポーティ）では捜査官のAlvin Dewey（アルヴィン・デューイ）を演じ、Ryan Phillippe（ライアン・フィリップ）が主演した2007年のBreach（アメリカを売った男）ではＦＢＩ捜査官のRobert Hanssen（ロバート・ハンセン）を演じています。

Clive Owenヒットマンの教授を演じたクライヴ・オーウェンはこの後、2004年にCloser（クローサー）では若いストリッパーに夢中になる医師のラリー、2005年にSin City（シン・シティ）では整形手術で逃げ延びようとする殺人犯人のDwight（ドワイト）を演じた他、2006年のThe Pink Panther (2006)（ピンクパンサー）にもエージェントとしてカメオ出演しています。

The Bourne Identity DVDボーン・アイデンティティー  (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)DVDでは「ボーン・アイデンティティー スペシャル・エディション」もリリースされているそうです。

Bourne Identity Soundtrackページトップの画像は2002年に発売された輸入盤の「ボーン・アイデンティティー」のサウンドトラックです。　John Powell（ジョン・パウエル）作曲のストリーにそったサウンドトラックには、Shall We Dance?（シャル・ウィ・ダンス？）でも使用されたGotan Project（ゴタン・プロジェクト）のSanta Maria (del Buen Ayre)や、エンディング・クレジットで流れる歌はエレクトロニカ・ミュージックのアーティストであるMoby（モービー）のExtreme Waysですが共に収録されていません。　又、Un homme et une femme（男と女）のNicole Croisille（ニコール・クロアジール）が歌う”Qu&apos;est-ce Qui Passe Dans Mon Coeur”が使用されたという情報がありますがその曲は見つかりません。2005年に発売された国内盤のオリジナル・サウンドトラック「ボーン・アイデンティティー」では日本語の曲目が見られます。♪試聴はBourne Identity Soundtrack - CD UniverseMoby - Extreme Ways - YouTubeGotan Project - Santa Maria - YouTube

The Bourne Supremacy☆日本では2005年に公開されたジェイソン・ボーンがもっと優位に闘う続編「ボーン・スプレマシー」
The Bourne Supremacy - Audio-Visual Trivia </description>
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         <category>Movie-since 2000s</category>
         <pubDate>Tue, 07 Oct 2008 17:23:26 +0900</pubDate>
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         <title>ワンダ・ジャクソン　Wanda Jackson</title>
         <description><![CDATA[Right Or Wrong - LP (Capitol OLP 84 (JH-1011)(Click on the photos to Enlarge)Queen of Rockabilly: Wanda Jackson

Country Music &amp; Rockabillyロカビリーを歌う女性歌手といえば、ワンダ・ジャクソン！カントリー界で1950年代にロカビリーを歌った歌手たちといえば！Lonesome TrainのJohhny Burnette（ジョニー・バーネット）MaybellineのMarty Robbins（マーティ・ロビンス）The Woman I NeedのJohnny Horton（ジョニー・ホートン）Rockabilly BluesのJohnny Cash（ジョニー･キャッシュ）Jerry Lee Lewis（ジェリー･リー・ルイス）Charlie Feathers（チャーリー・フェザース）Elvis Presley （エルビス・プレスリー）Eddie Cochran（エディ・コクラン）Love MeのBuddy Holly（バディ・ホリー）MatchboxのCarl Perkins（カール・パーキンス）Ooby DoobyのRoy Orbison（ロイ・オービソン）Gene Vincent（ジーン・ヴィンセント）はワンダ・ジャクソンが一緒にレコーディングしたこともある。Mama's Little BabyのJunior Thompson（ジュニア・トンプソン）は私には馴染みがありませんが男性歌手はたくさんいて数え切れません。では、女性歌手はどうかというと、ワンダ・ジャクソン以外には日本では知られていません。　強いて名をあげるなら、私は知りませんがステージでエルヴィスのようなダンスをすることから”女エルヴィス（The Female Elvis: Complete Recordings 1956-60）”と呼ばれてJanis Martin（ジャニス・マーティン）や、ワンダ・ジャクソンのお子さまバージョンのようなBrenda Lee（ブレンダ・リー）などごく少数ですから、ロカビリーという音楽ジャンルはカントリー畑出身の白人男性歌手で占められていたようです。　なんといってもこの後に来るロックンロールのルーツといわれるカントリーミュージック、ヒルビリー、ロカビリー界には黒人アーティストは滅多にはいない、いや皆無といってよいでしょう。　次のロックンロール時代に白人と黒人の音楽がジャストミートしたといわれています。　白人青年たちの理由なき反抗のロカビリー音楽は実に短い期間で終わりになりました。　ロカビリーウーマンのワンダ・ジャクソンのファッションというとフリルのスカートなんかではなく、スパゲティ・ストラップ付きのシンプルなボデコンタイプの細身のドレスでカントリー特有のフリンジをふんだんに取り入れたステージ衣裳が多かったようでしたが、エルビス・プレスリーも革ジャン同様にフリフリのフリンジをよく着ていました。

Rare Female Rockabilly Singar: Wanda Jackson1937年にオクラホマで生まれたワンダ・ジャクソンはカントリーミュージック界出身の女性初のロックンローラーといわれていますが、特にパンチの効いた唱法で一時はロカビリー・ウーマンとして名を馳せ、独特のダイナミックな歌声でゴスペルからフォークソングやカントリー、そしてバラードまで幅広く歌いました。　細身の美人なのにハスキーというよりはぶっ潰れたガラガラ声がミスマッチでしたが、女にロックがやれるか？といった疑問に女だってやれることを見事証明してくれました。　1954年の初レコーディングはデッカレコードからHank Thompson（ハンク・トンプソン）カントリーバンドと一緒に吹き込んだそうです。　1956年には独立してキャピタルに移籍してカントリーソングの”I Gotta Know”をリリースした後にロックンロールに転向し、1958年にはエルビス・プレスリーの”Party”のカバーで”Let's Have a Party”をリリースしてナンバーワン・ヒットとなりました。　なんと、ワンダ・ジャクソンにロックンロール（ロカビリー）を勧めたのが当時交流のあったエルビス・プレスリーなんだそうで、エルヴィスの”Hard Heated Woman”など何曲かをカバーしています。　エルヴィス抜きにしてはロカビリー・ウーマンは誕生しなかったでしょう。　ワンダ・ジャクソンは日本で1959年に来日記念公演をしていますが、日劇のウエスタン・カーニバルに出演したかどうかは知りません。　ヨーロッパをはじめアジアまでエルビス・プレスリー、ジェリー･リー・ルイス、バディ・ホリーなどのロックンローラーと世界ツアーをしましたが、何人かのロカビリアン同様に本国アメリカでのワンダ・ジャクソンの人気は日本やイギリスほどではなかったともいわれています。ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmのチャートでは現在の第1位がLet's Have a Party full trackで、2位がFujiyama Mama、そして3位がFunnel Of Loveとなっています。　Last.fmではワンダ・ジャクソンのアルバム”Queen of Rockabilly”からKansas Cityが聴けます。ロカビリー旋風も静まった1961年頃からは再びカントリー&amp;ポップスに戻りバラードの”Right Or Wrong（恋のためらい）”や1962年の”In The Middle Of A Heartache”などカントリーチャート入りした曲がたくさんありますが、1970年代にはゴスペルのアルバムもリリースしたそうです。　たった一つ、幅広いジャンルで活躍したワンダ・ジャクソンですが残念なことに自分で作った曲はなく、オリジナルを提供されたこともなく、ただただカントリーやロックの曲をカバーしたことです。　しかしアレンジャーが誰なのかは不明ですが、どんな曲でもワンダ・ジャクソンが歌うとオリジナルを凌ぐインパクトのある曲になるのです。　「こちとら、女ロッカーだぜい！」といった風情や、ややもすると下品な歌詞でも美貌のワンダ・ジャクソンが歌うと引き込まれてしまうのです。

Watch The rockabilly woman !Wanda Jackson - I Gotta Know - YouTubeWanda Jackson - Cool Love - YouTubeWanda Jackson - Hard Heated Woman - YouTubeWanda Jackson - Rock Your Baby 1958- YouTubeWanda Jackson - Breathless - YouTubeWanda Jackson - Sparklin' Brown Eyes - YouTubeWanda Jackson - Let's Have a Party - YouTubeWanda Jackson - Mean, Mean Man &amp; Hot Dog - YouTube

Right Or Wrong - MONO 10" LP Capitol OLP 84 (JH-1011) 33 RPMページトップの画像はタイトル曲の”Right Or Wrong”のようにワンダ・ジャクソンのバラード曲が半分を占める私の手持ちのCapitol 25cmLP（画像はクリックで拡大可）です。　ワンダ・ジャクソンはフリンジ付きのウエスタン風なステージ衣裳が多いのですたこのアルバムではコルセット・ドレスでお澄ましです。　当時のWanda Jacksonはワンダ・ジャクスンと表記されていました。日本で発売された東芝の赤盤LP「Right or Wrong - Capitol OLP 84」の収録曲は、Stupid Cupid（間抜けなキューピッド）、1961年のRight or Wrong（恋のためらい）、”Sticks and Stones（なにがなんでも）”、Slippin' and Slidin'（スリッピン・アンド・スライディン）、Brown Eyed Handsome Man（イカシタあの子）、1961年のIn The Middle Of A Heartache（恋のハーフウェイ）、1961年のFunnel of Love（恋のとりこ）、Who Shot Sam（フー・ショット・サム）、エルビス・プレスリーのMy Baby Left Me（マイ・ベイビー・レフト・ミー）、Riot In Cell Block Number Nine（刑務所ロック）の全10曲です。Stupid Cupidワンダ・ジャクソンが1961年に歌った「間抜けなキューピッド」はNeil Sedaka（ニール・セダカ）が友人であるHoward Greenfield（ハワード・グリーンフィールド）との初の共同作品で1958年にConnie Francis（コニーフランシス）に提供した曲です。Riot In Cell Block Number NineJerry Leiber &amp; Mike Stoller（リーバー&amp;ストーラー）の作ったRiot In Cell Block No. 9(Cell Block #9)（第九監房の叛乱）を1958年にワンダ・ジャクソンがカバーしましたが、私の手持ちのLPでの当時の題名が「刑務所ロック」です。　この曲は1954年に”Riot in cell block # 9”としてドゥ・ワップ・グループのThe Coasters（コースターズ）、1962年にアウトローカントリーのジョニー･キャッシュが歌っています。Right Or Wrong - STEREO 12inch(30cm) LP Capitol ST-1596アメリカでは1961年にリリースされた同じアルバムカバー画像のオリジナル盤 Capitol ST-1596とは収録曲が違います。　中古で1万円くらいの値が付いているCapitol ST-1596 ステレオ12inch / 30cm LPレコードの収録曲はRight or Wrong (I'll Be With You)、Why I'm Walkin'、So Soon、Last Letter、Sticks And 、Stupid Cupid、Brown Eyed Handsome Man、Who Shot Sam、My Baby Left Meです。　さらに同じカバー画像の「Right Or Wrong」で1962年のヒット曲”A Little Bitty Tear”が収録されたアルバムもあるとか。収録曲が少々違いますが、2007年のCAPITOL NASHVILLE (NEW RELEASE)の「Right Or Wrong」があるようです。ちなみに赤盤LPというと1960年にCapitolからリリースされた12曲収録のRockin' With Wanda（Capitol T-1384）の国内盤もオークションなどでみつかるかもしれません。♪CAPITOL NASHVILLE (NEW RELEASE)の試聴はRight Or Wrong - 7digitalWanda Jackson - Right or Wrong (1961)- YouTubeWanda Jackson - In The Middle Of A Heartache - YouTubeWanda Jackson - Funnel of Love - YouTube

Fujiyama MamaCapitol 7P - 73私が持っているEPレコードはA面に「フジヤマ・ママ」でB面にNo Wedding Bells For Joe（哀れなジョー）を収録したEPレコードです。（東芝の赤盤だからか中古では5000円もするんだとか。）　「哀れなジョー」はカントリー（ナッシュビル）の女性シンガーソングライターであったMarijohn Wilkin（マリジョン・ウィルキン）が1956年に作曲したものです。アイリッシュ・カントリー系の大ヒット曲となったThe Long Black Veilはジョニー・キャッシュも歌いました。※B面が1956年にLittle Richard（リトル・リチャード）が発表したLong Tall Sally（のっぽのサリー）のカバーを収録しているEP盤はCR-1977だそうです。ワンダ・ジャクソンの代表曲のひとつである”Fujiyama Mama”は2005年のジョニー・キャッシュの伝記映画「Walk the Line（ウォーク・ザ・ライン 君につづ く道）」のサウンドトラックで使用されています。「フジヤマママ」は世界第二次大戦中にアメリカが日本の広島と長崎に落とした原子爆弾に言及した歌詞であるにも関わらず、被爆国の日本で大流行しました。「広島や長崎にやったようにアンタをぶっ飛ばせるよ、アタイが一度爆発したら誰にも止められないよ、酒をがぶ飲み、ダイナマイトが煙草がわり、アンタのド頭をニトロでぶっ飛ばすよ！」といった物騒な歌詞ですが、「富士山、広島、長崎、酒」なんていう日本語が聞けて親しみを感じたのでしょうか。「フジヤマママ」のオリジナルはジャンプ・ブルース歌手のAnnisteen Allen（アニスティーン・アレン）が1954年に録音しました。☆I've been to Nagasaki, Hiroshima too ...と歌われた「フジヤマママ」の歌詞はFujiyama Mama Lyrics - Sing365.comWanda Jackson - Fujiyama Mama - YouTube

Vintage Collections Seriesワンダ・ジャクソンの1956年から1961年のロカビリー時代から集められたデビュー曲のI Gotta Know、Riot in Cell Block #9、Fujiyama Mama、Let's Have a Party など全20曲を収録しています。　このアルバムのでギターを演奏しているのはJoe Maphis、Buck Owens、Vernon Sanduskyで、スチールはRalph Mooney、ピアノがMerrill MooreとBig Al Downingだそうです。※同じタイトルで国内盤もあります。ワンダ・ジャクソン初レコードとして1958年のCapitol録音がオリジナルの「Wanda Jackson」というタイトルのCD がありますが、知られている曲はLong Tall SallyとLet's Have A Party以外はPatti Page（パティ・ペイジ）のヒット曲のLet Me Go, Loverのカバー曲くらいしか収録されていません。ワンダ・ジャクソンはジェリー・リー・ルイスのBreathlessもカバーしていますが、LPレコードではWanda Jackson Rock n Roll Away Your Blues又はRock 'N' Roll Away Your Bluesに収録されていました。　カセットではStupid CupidやSweet Nothin'sなどと共にRock &amp; Roll Away Your Bluesに収録されていたそうです。（現在はどちらも入手不可）Ultimate CollectionWillie Nelson（ウィリー・ネルソン）が作曲した”Crazy”や”The Violet and a Rose”などカントリー収録2枚組みCDアルバムです。このアルバムの17番目に収録されている”Jackson”は1969年にジョニー･キャッシュと妻のJune Carter（ジューン・カーター）や、1967年にはNancy Sinatra（ナンシー・シナトラ）とLee Hazlewood（リー・ヘイゼルウッド）のバージョンが有名ですが、ワンダ・ジャクソンはカントリー・ポップス出身でTVの刑事ドラマのテーマ音楽の作曲者であるMike Post（マイク・ポスト）とデ”ュエットしています。（同一人物？）19番目の”Singing The Blues”は1956年にGuy Mitchell（ガイ・ミッチェル）でヒットした曲ですが、1060年にはBill Haley &amp; His Comets（ビル・ヘイリーとコメッツ）、1963年にはDean Martin（ディーン・マーチン）も歌っています。6番目の”The Violet and a Rose”はカントリー歌手でソングライターのMel Tillis（メル・ティリス）の曲でメル自身が歌ってトップチャート入りしていますが1958年にワンダ・ジャクソンがカバーしました。♪試聴はUltimate Collection by Wanda Jackson - Libero.music

Queen of Rockabilly2000年に発売されたワンダ・ジャクソンのベスト盤で、デビュー曲の”I Gotta Know”の他、知られている曲としてはMean Mean Man、Fujiyama Mama、Let's Have a Party、Money Honey、Long Tall Sally、Hot Dog! That Made Him Mad、Money Honey、Who Shot Sam?など全30曲を収録しています。 トラックリストの25番目にある”Fallin'”は「間抜けなキューピッド」に続くニール・セダカがコニー・フランシスに提供した曲です。　私が持っているワンダ・ジャクソンのLPに「間抜けなキューピッド」は収録されていたので、当時はニール・セダカのEPレコードを買いました。♪試聴はQueen of Rockabilly - CD Universe
Wanda Jackson - Crazy - Back To Country Roots - Rádio UOL(click on the 5th from the bottom)
Listen to Back to the Country! - BSR 88.1 FM
インターネットラジオでオールディズのカントリー音楽を流すプログラム「Back to the Country」の2004年11月放送プレイリストが聴けます。（本欄左のMP3又はRealPlayerを選択して下さい。）ワンダ・ジャクソンの他に、アウトローカントリーのウィリー・ネルソンの”Stay Away From Lonely Places”、Johnny Cash（ジョニー･キャッシュ）の”Get Rhythm”、Hank Snow（ハンク・スノウ）の”Between Fire and Water”、Ketty Lester（ケティ・レスター）の”Love Letters”などの歌が聴けます。※キャンパス・ネット・ラジオ　BSR : 88.1 FM について♪Back to The Country - BSR 88.1 FM（Listen to Wanda Jackson, Skeeter Davis、Al green、Brenda Lee、Bob Dylan, and more!）
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         <category>Music-Blues</category>
         <pubDate>Sat, 20 Sep 2008 00:03:34 +0900</pubDate>
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         <title>ブーリン家の姉妹　The Other Boleyn Girl</title>
         <description><![CDATA[The Other Boleyn Girl [Original Motion Picture Soundtrack]Scarlett Johansson, Eric Bana and Natalie PortmanThe Other Boleyn Girl (2008)

「ブーリン家の姉妹」の原作は英国の女流作家であるPhilippa Gregory（フィリッパ・グレゴリー）のベストセラー小説で、それをTV界のJustin Chadwick（ジャスティン・チャドウィック）監督が2008年に映画化した16世紀の歴史的ロマンス映画です。　英国で撮影されたそうですが、長丁場がないので退屈はしないかわりに場面の切り替わりが早過ぎて追いついていけません。　映画では頻繁に立場が逆転する姉妹が二人とも美女でどちらが姉でどちらが妹なのか、又は何歳なのかは分かりませんが歴史上でも確かではないのだそうです。　姉妹のうち、したたかな黒髪のアンを熱演するのはNatalie Portman（ナタリー・ポートマン）で、慎み深い金髪のメアリーは2003年に「Girl with a Pearl Earring（真珠の耳飾りの少女）」で17世紀の女性を演じたScarlett Johansson（スカーレット・ヨハンソン）です。　そしてハンサムで女好きとされる英国王「King Henry the VIII（ヘンリー八世）」をEric Bana（エリック・バナ）が演じます。　映画のタイトルの”The Other Boleyn Girl”とは、ブーリン家（又はブリン家）の姉妹のうちアンは王妃になりましたが、王の愛人となったブーリン家のメアリーを指すそうです。

「ブーリン家の姉妹」は英国の史実に基づいて脚色された娯楽作品で、盲目的な家の権力欲に踊らされたブーリン家の二人の姉妹がチューダー王朝二代目のHenry Tudor（ヘンリー八世）の寵愛をめぐる豪華絢爛たるロマンスの物語です。　レンブラントの絵画のような宮廷を背景に、恋と陰謀と背信とが繰り広げられます。.イギリスのBBCテレビと提携したジャスティン・チャドウィック監督の「ブーリン家の姉妹」の冒頭はイギリスの田舎道を戯れる幼い3人の子供たちと一緒に語りながら歩くブーリン夫婦の映像から始まり、ラストもこのシーンで締めくくられます。　但しラストではブーリン家の姉妹のうちメアリー夫妻の家族です。※注！この映画は歴史本と殆ど同じストーリーなので、本記事も大分ネタバレとなっています。

ヘンリー王の愛人探し宮廷ではヘンリー王の妃のキャサリンが前回の女児に続いて今回は待望の男の子を死産してしまい落胆するヘンリー8世です。　一方、成り上がり貴族のブーリン家では美人姉妹のうち、早々とメアリーとWilliam Carey（ウィリアム・キャリー）との結婚が決まります。　そんな時、ヘンリー王のご一行が王の愛人を求めてブーリン家にやって来ます。　翌日馬を駆って狩りに遠出する王の御供は独身のアン・ブーリンでしたがアンのせいで王は負傷してブーリン家に戻ってきました。※この時に髪を束ねたアンが付けていた金のネットと後半にメアリーが付けていたビーズつきのネットが素敵です。場面変わって、怪我をした王の手当てをするメアリーの指輪を見て「結婚しているのか？」と訊ねるヘンリー王でしたが、ブーリン家を立つ時に目をやったのは独身のアンではなく人妻のメアリーの方にでした。

王の白羽の矢がメアリーにヘンリー王が帰ったブーリン家では、父のトーマスが「妃の侍女になれ」という王の言葉をメアリーに伝えるが、「私は結婚しているので」とメアリーは躊躇します。　独身のアンにも気兼ねしたメアリーでしたが、夫のウィリアムにも好条件を与えられては四面楚歌となり、仕方無しに母とアンを伴ってキャサリン王妃のもとへ赴いたのでした。　メアリーとアンが宮廷での華やかな集いを楽しんでいたところ、ヘンリー王が広間に入って来ると、「今宵。」とメアリーに耳打ちしたのです。　やはり、王妃の侍女とは名目でメアリーは王の愛人だったのです。　この後、勝気なアンは内密に婚約者のいる貴族、ヘンリー・パーシー卿と結婚してしまったので父の怒りを買い、ノーフォーク卿（トーマス・ハワード伯父）の言う通りにブルゴーニュ公女マルグレーテ（フランス女王）もしくは王の妹メアリー王女の侍女になるべくフランスに送られることになります。

イニシャルはB時を経て王の世継ぎを懐妊か、メアリーの出産準備が始まります。　代わりにアンが呼ばれ、フランス帰りで洗練されたアンを見た目新しいもの好きなヘンリーは「ずいぶん変わったな、宮廷にようこそ。」と歓迎の意を表明します。　アンが宮廷で華やかな生活を送りますが、フランスから戻った頃から身に付けたのがブーリン家のイニシャルの「Ｂ」をデザインしたペンダント（チャーム）付き首輪（チョーカー）でした。　史実によるといくつかの肉体的な欠陥があったアンは欠点を見せないように服装にも工夫を凝らしていましたが、チョーカーは首の大きなホクロを隠すためだったそうです。

ヘンリーのプレゼント攻勢出産を控えたメアリーには興味がないヘンリー王は今度はアンにご執心となります。　アンのもとへ王から届けられた豪華な宝石の贈り物、その美しさに息を呑むアンでしたが、即座に送り返せと国王付きの使者のWilliam Stafford（ウィリアム）に指示します。　このような扱いを受けたことなど無い王は激怒するも、よけい気を惹かれたようです。　2度に渡るプレゼントの返却に激怒した王はアンのいるブーリン家までやって来て、アンの部屋を訪れるも例のごとくアンのつれない素振り。　ヘンリーを愛しているわけでもないアンにとっては一世一代の大きな賭けなのです。　ただの愛人なんて真っ平ご免、私は王妃になるのよ。

アンの勝利産みの苦しみに呻き声をあげるメアリーに頓着なく別室でアンを口説くヘンリー王、「妃を欺き、次はメアリー、どうして貴方を信じることができましょう。」とアンが焦らしているところに産婆が「男の子ですよ。」と告げに来る。　せっかく上手くいきそうだったのにと焦ったアンはとうとうヘンリーの申し出を承諾したのでした。　勝ち誇った顔でメアリーに目をやるアンに「ヘンリー王にはキャサリン妃がいるからアンとは結婚できないのよ。」と諭すメアリーを子供ともども田舎にやってしまおうするアンでした。

離婚のためにバチカンと決別”Queen or Nothing”と正式な結婚を迫るアンに「キャサリン妃はカトリックだからそれはできない。」というヘンリー王でしたが、宮廷では「なんとか妃と離婚する方法を考えろ！」と命じたのです。　とうとう離婚できないキャサリン妃に対し世継ぎを儲けなかったとして結婚が無効であることを問う裁判にかける日が来ました。　王妃はアンに向かって「お前こそが魔女裁判にかけられるべきだ。」と怒りをぶつけます。　女をものにするために法王と袂を分かつなんて無謀でございます、陛下。　アンの王妃になりたいという望みは英国と法王が分離しヘンリーがイギリス国教会を成立させるという一国を傾ける大事件となりました。（まさに傾城）　英国はヨーロッパ各国から孤立するであろうと案じたヘンリー王は怒りに燃え「お前のお陰でめちゃめちゃだ。」と野獣と化してアンを襲ったのです。　しかし、なにはともあれ、とうとう王妃の冠を頭上に載せたQueen Anne Boleyn（アン王妃）でした。


アンの処刑国王に仕えていたWilliam Stafford（ウィリアム）が宮廷を去る前に、元愛人でもヘンリー王を愛していたメアリーを訪ね、養うに充分な資産は残っているからと結婚を申し出たのです。　一方、アンは女児を出産しノーフォーク公女エリザベス・ハワード（母）の名を取ってエリザベスと名付けたのでした。　王は冷ややかに「次には男の子を産め。」と立ち去ったのです。　ちょっと分かり難いのですが次に男児を死産したらしいアンは必死で世継ぎを身篭ろうとしたのだろうか、兄のLord Rochford（ロチフォード卿）ジョージ・ブーリンに迫ります。　ジョージは必死に拒んだものの、これ聴いていたジョージの妻（侍女）が宮廷に報告したからスワ一大事！になるのです。　王はアンに向かって「お前は魔女だ。」と罵り、兄のジョージも捕らわれてしまうのです。　こうして結婚3年目にしてアンは不倫と近親相姦の罪で裁判にかけられることになります。　強気のアンが「私を裁いても、陛下、お忘れなきよう、貴方は神に裁かれますよ。」と脅してみても、何と言おうと判決は「有罪」、「有罪」、「有罪」、トーマス・ハワード伯父までも「有罪！」　ロンドン塔での反逆者としての処刑の日、兄のジョージは死刑執行人の手斧で断頭。　首にかけたイニシャルのBも外したアンの処刑には苦痛の少ないサーベルが使用されたのでした。メアリーの幸せ処刑場から立ち去ったメアリーはアンとの約束を果たすべく城内に入りアンの子供（エリザベス）を手にすると宮廷を立ち去りWilliam Stafford（ウィリアム）と結婚して幸せに暮らしました。　冒頭と同じくイギリスの田舎道を戯れる幼い3人の子供たちと一緒に語りながら歩くメアリー夫婦の映像で締めくくられます。（この場合は3人のうち一人はアンの子供、後のエリザベス1世）面目を失った哀れなブーリン家のトーマスはアンの処刑の2年後に死亡、Norfolk（ノーフォーク）の侯爵になったトーマス・ハワード伯父は投獄されたうえに三代に渡る子孫は反逆罪により処刑されたそうです。　バチカンとの断絶をするという王の決議は永遠に英国の立場を変えてしまいましたが、ヘンリーの英国を強力な後継者無しの状態にしておくことの懸念は根拠の無いものと判明しました。　なぜなら王は45年間もの間、英国を治めた立派な世継ぎを残したのです。　それは王があれほど望んでいた男児ではなく、アン・ブーリンが産んだ赤毛の女の子、その名はエリザベス。　名誉革命（The Glorious Revolution）後はでカトリックからプロテスタントに勢力が移ったため、カトリックだったチューダー王朝最後の女王、Elizabeth I（エリザベス一世）でした。

ブーリン家の姉妹の歴史的考察類似した映画にはRichard Burton（リチャード・バートン）がヘンリー８世でGeneviève Bujold（ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド）がアン・ブーリンを演じた1969年の「Anne of the Thousand Days（１０００日のアン）」やCate Blanchett（ケイト・ブランシェット）が主演した１９９８年の「Elizabeth（エリザベス）」にもヘンリー王とアン・ブーリンの関係が描かれています。
「ブーリン家の姉妹」ではヘンリー王は好色とは設定されていないどで、英国の王室を守るための世継ぎが目的だったのかもしれませんが、姉妹の母親もかっては愛人だったとかいわれていますが、ブーリン家の姉妹を両天秤にかけた悪趣味な王や、立身出世及び領地拡大のために政略結婚はおろか、娘や妻でさえ牛馬のごとく王に捧げる”家”の体質が、姉妹の確執を生ませ不幸な運命をもたらしたといえます。　アンが処刑された理由に不倫があげられますが、これとてお世継ぎを儲けようとしたためかもしれません。　歴史的にはチューダー王朝のヘンリー8世の愛人たちの中では後のエリザベス女王の母としてアン・ブーリンが有名です。　冴えない容姿のアン・ブーリンが美貌のメアリーに嫉妬する説がありますが、どちらが姉か妹かは断定できないそうです。　ブーリン家は名家というわけでもないせいか、曖昧な点が多く、メアリーは1520年に結婚していた説もあれば1528年死別説もあるのだそうです。　洗練された話上手のアンがすでにヘンリー8世の愛人となっていたのに、ヘンリー8世が人妻のメアリーに目を付けてヘンリー似の子供が産まれているのだとか。　もちろん正式ではないので認知はせず、これをもみ消すかのようにヘンリー8世はキャサリン王妃と離婚してもアンとの結婚を考えていたそうですが、このために強行したローマ法王との断絶は大いなる不幸をもたらしたのでした。　史実ではメアリーは平民と再婚して王や妃などから猛烈な反対を受けて宮廷から追い出されますが、恋人と別れて王妃となったものの反逆者として斬首処刑されたアンとは違って幸せな別の人生を歩むことが出来たのです。　ちなみにヘンリー8世は反逆罪とか不倫とか名目をつけてはたびたび妃を処刑したらしいです。　平均余命の短かった中世では政略結婚などは珍しくなく、12歳で嫁がせ14歳で子供を産むなんてことはざらにあった話だそうです。※チューダーについては英国歴史散歩　薔薇の王国

「ブーリン家の姉妹」のオフィシャルサイトはThe Other Boleyn Girl - Sony Picturesサイトの右上のClipsをクリックするとビデオが、Photo Galleryでは写真が見られます。アメリカでは2008年の2月に公開されていますが、日本では10月公開予定です。

The Other Boleyn Girl Soundtrackページトップの画像は「ブーリン家の姉妹」のサウンドトラックです。　音楽はPaul Cantelon（ポール・カンテロン）ですが、侍女として宮廷に赴いたメアリー・ブーリンがキャサリン王妃の要請で歌った”Westron Wynde”は収録されていません。　ポール・カンテロンは1965年生まれのカルフォルニア出身のクラシック系の作曲者でバイオリンやピアノを演奏するそうです。Westron Wynde by mary boleyn (scarlette johanson) - YouTube♪ Opening TitlesからFinaleまでのストーリーを追った全27曲の試聴はThe Other Boleyn Girl [Original Score] - Barnes &amp; Noble.com
The Other Boleyn Girl (Book)フィリッパ・グレゴリー著の英語版ペーパーバックは中身が覗けます。　この他に映画の公開に合わせた「The Other Boleyn Girl (Boleyn) (マスマーケット)」なども発売になりました。　原作者である1954年生まれのフィリッパ・グレゴリーは18世紀文学を専攻したケニヤ出身の女流英国歴史小説家で特に16世紀のTudor（チューダー）王朝と18世紀の史実に興味を持っていたそうです。　児童文学も手掛けるフィリッパ・グレゴリーの作品はたくさんドラマ化されていますが2002年に出版された”The Other Boleyn Girl”は2003年にイギリスのBBCテレビでドラマが放映されたそうです。

☆1994年にLeon（レオン）でデビューしたナタリー・ポートマンは2004年にCloser（クローサー）、2007年にMr. Magorium's Wonder Emporium（マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋）など多くの映画に出演し、ストリッパーからピアニストまで幅広く演じています。
☆スカーレット・ヨハンソンが出演した映画
2006年のThe Black Dahlia（ブラック・ダリア）2004年のA Love Song for Bobby Long（ママの遺したラヴソング）2004年のIn Good Company（イン・グッド・カンパニー）声優として2004年のアニメのThe SpongeBob SquarePants Movie（スポンジ・ボブ／スクエアパンツ）]]></description>
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         <pubDate>Wed, 10 Sep 2008 00:04:41 +0900</pubDate>
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         <title>リー・モーガン　Lee Morgan</title>
         <description><![CDATA[Here's Lee MorganLee Morgan (1938 - 1972)

Lee Morgan with Dizzy Gillespieリー・モーガンといえばハード・バップのトランペッター！若干18歳にして1956年にDizzy Gillespie（ディジー・ガレスピー）のビッグバンドに参加したそうですが、その年にはClifford Brown（クリフォード・ブラウン）が急死しています。　ハードバップのトランペッターには、Kenny Dorham（ケニー・ドーハム）やArt Farmer（アート・ファーマー）、Miles Davis（マイルス・デイヴィス）やFreddie Hubbard（フレディ・ハバード）、ウエストコーストですがConte Candoli（コンテ・カンドリ）やChet Baker（チェット・ベイカー）などたくさんいます。　炸裂するようなリー・モーガンのトランペットの音色はマイルス・デイヴィスとは全く異なりますが、先輩のディジー・ガレスピーに倣った奏法で、クリフォード・ブラウンの再来と言われたこともあることからクリフォードとはかなり近いのかもしれません。　1950年代中期から1960年代中期までバップがモダンジャズの代名詞だった頃、バップ好きだった私がよく耳にしたリー・モーガンのトランペット演奏は青春時代を思い起こさせるジャズメンの一人です。（当時のLee Morganの日本語表記はリー・モルガンでした。）　1956年のディジー・ガレスピーとのセッション盤でのメンバーはトランペットがリー・モーガンの他、同じく曲がったトランペットのディジー・ガレスピー、アルトサックスが若死にしたErnie Henry（アーニー・ヘンリー）、テナーサックスは”I remember Criford”を作曲したBenny Golson（ベニー・ゴルソン）、ピアノがディジー・ガレスピーの「Birk's Works」の吹き込みに参加していたWynton Kelly（ウィントン・ケリー）とトロンボーンのAl Grey（アル・グレイ）、ベースはBilly Eckstine（ビリー・エクスタイン）とも共演したPaul West（ポール・ウエスト）などです。ドラムがPhilly Joe Jones（フィリー・ジョー・ジョーンズ）でピアノがHorace Silver（ホレス・シルヴァー）というリー・モーガンのデビュー盤は1956年の「Lee Morgan Indeed!」だそうですが、残念ながら私は聴いたことがなかったのでLee Morgan Indeed! - CD Universeで試聴してみました。（なるほど、バラードのThe Lady以外は弾けています。）Lee Morgan with Dizzy Gillespie - Night in Tunisia (1957) - YouTube

Lee Morgan without Dizzy Gillespieリー・モーガンといえばガレスピーのムード！Dizzy Atmosphereリー・モーガンが初期に参加したバンドのディジー・ガレスピーは「Dizzy Atmosphere」というアルバムを1957年にリリースしていますがリー・モーガンも同名アルバムをリリースしました。　なんとこの時、リー・モーガンは18歳だったそうです。　ガレスピーのムードで演奏したこのアルバムは「ディジー・アトモスフェア」というタイトルになっていますが南米公演をしていたらしいガレスピーは参加していませんし、タイトルの曲「Dizzy Atmosphere」も収録していません。　演奏メンバーはトランペットのリー・モーガンと当時のガレスピーバンドのメンバーでピアノがウィントン・ケリー、トロンボーンはアル・グレイ、ベースはポール・ウエスト、ドラムはチャーリー・パーシップ、テナーサックスがBilly Mitchell（ビリー・ミッチェル）、バリトンサックスにはBilly Root（ビリー･ルート）、そしてベニー・ゴルソンがアレンジに加わっています。　このアルバムのオリジナルは1957年のSpecialtyレコードのモノラル録音だそうで、LPレコードのDizzy Atmosphere [12 inch Analog] もあります。♪リー・モーガンのDizzy Atmosphereの試聴はDizzy Atmosphere - Barnes &amp; Noble.com

Lee Morgan with Blakey and The Jazz Messengersリー・モーガンといえばジャズメッセンジャーズ！Au Club St Germain 1958 Vol.2私が始めて弾けるようなトランペットの音を聞いたのがアート・ブレイキー楽団でのリー・モーガンでした。　それがお小遣いをはたいて初めて買ったジャズのLPでした。リー・モーガンは1956年にアート・ブレイキーが地元のフィラデルフィアに公演に来た時に欠員の代役で参加していますが契約はせずにガレスピーのビッグバンドに参加したそうです。　その1956年に急逝したクリフォード・ブラウンに代わるようにリー・モーガンは1年ちょっとの間に自分名義のアルバムをブルーノートで何枚も録音しています。　1958年にガレスピー楽団を去ったリー・モーガンはArt Blakey &amp; The Jazz Messengers（アート・ブレイキー&amp;ザ・ジャズメッセンジャーズ）に参加して1958年の「Moanin'」やサン・ジェルマンのライブ盤「Moanin' With Hazel」などの録音に名を連ねています。　演奏メンバーはドラムがアート・ブレイキー、トランペットがリー・モーガン、テナーサックスがベニー・ゴルソン、ピアノがボビー・ティモンズ、ベースがJymie Merritt（ジミー・メリット）です。♪試聴はMoanin' With Hazel、 Whisper Not、A Night in Tunisia、Blues Marchが収録された類似した2枚組みアルバムのArt Blakey et les Jazz Messengers au Club Saint-Germain - Fnac.comアート・ブレイキーが1961年に初来日した時の日本記念盤のLPレコードの「Art Of The Jazz Messengers」（VICTOR HP 525）を買った私でしたが、アート・ブレイキーのナイアガラ瀑布はモチロン、イントロのボビー・ティモンズのピアノソロはもちろん、それに続くベニー・ゴルソンのテナーも素晴らしいですが、リー・モーガンのあの炸裂するトランペットソロで「モーニン」は成り立っていると思っています。　来日メンバーはテナーサックスがベニー・ゴルソンからWayne Shorter（ウェイン・ショーター）に代わった他は同じメンバーで、時にリー・モーガンは若干22歳だったそうです。　おそらく麻薬が原因でフレディ・ハバードと交代したのは来日後のことだったようでしたが、1964年から1965年まで再び参加しています。Lee Morgan with Art Blakey &amp; The Jazz Messengers - Moanin' (origenal)- YouTube

Lee Morgan plays The Sidewinderリー・モーガンといえばサイドワインダー！The Sidewinder1959年にリー・モーガンが作曲し1963年に録音されたハードバップというよりもソウル・ジャズのさきがけとなったThe Sidewinder（サイドワインダー）は予想だにしなかった空前の大ヒットとなりました。　1965年のワールドシリーズ（野球）の間、Chrysler（クライスラー）自動車のキャペーンCMに使用されたほどだったそうです。　アルバムの演奏メンバーはリー・モーガンの他、テナーサックスのJoe Henderson（ジョー・ヘンダーソン）、ピアノがBarry Harris（バリー・ハリス）、 ベースがBob Cranshaw（ボブ・クランショウ）です。　1964年録音のオリジナルのLPのリマスター盤「Sidewinder」にはリー・モーガンのトランペットのアドリブとジョー・ヘンダーソンのテナーソロが聴けるTotem Poleなど全てがリー・モーガンのオリジナル曲だそうです。　他にThe Sidewinder [12 inch Analog] （30cmLP）もあります。1963年の録音盤がBlue Noteレーベルから1964年にリリースされた時はロック（8ビート）に通ずるところもあったからか、ジャズには珍しくビルボードのチャート上位に入ったそうです。　過去にも”ボデイ・アンド・ソウルという曲がそうでした。　テナーサックス奏者のColeman Hawkins（コールマン・ホーキンス）がアドリブを取り入れた演奏のBody And Soul（身も心も）がチャート入りし、ロックやポップスが主流のジュークボックスでも良く聴かれたそうです。　ボブ・クランショウのベースのイントロが印象的なリー・モーガンの「サイドワインダー」はソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmのチャートでダントツ第一位です。Attention! Quincy Jones Fontana PAT - 18私が持っているレコードはクインシー・ジョーンズが初来日した1973年リリースのLP盤で”サイドワインダー”を演奏しています。　1961年には解散してしまったロード･バンド唯一の記録だそうです。