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Jules Dassin (1911 - 2008)
「Up Tight!」は赤狩りでアメリカを去ったジュールス・ダッシン(1911年-2008年)が再びハリウッドで監督したスリリングな社会派映画で監督自身が脚本も手掛けています。 人種の不平等と闘う公民権運動がテーマのこの映画は1968年に短期間劇場公開された後、サントラ以外は忽然と消え失せたという幻の作品だそうです。 DVDなど全くリリースされず、驚くべきことに噂では映画関係者だけでなく監督のジュールス・ダッシンでさえビデオを手にしていないそうです。 恐らく映画の撮影が終った時にキング牧師(Martin Luther King, Jr.)暗殺が起こったために制作及び配給元のParamount(パラマウント映画会社)もしくは映画が黒人国家主義者たちを扱っているために政府筋がこの作品を引っ込めたのでしょうか。(評論では絶賛されても興行的にも問題ありだったかも。) 実際にキング牧師暗殺の直後に警察側の鎮圧の効果もなくブラックパワーが爆発し武器倉庫から戦闘用武器が強奪されたのでしょう。
※新しいところでは2001年9月にニューヨークで同時多発テロが起こった直後にはビルの爆破シーンが問題ありとしてお蔵入りとなった2001年のSwordfish(ソードフィッシュ)といった例もありました。
※1965年に暗殺された過激な黒人解放指導者のMalcolm X(マルコムX)に続き、アフリカ系アメリカ人(黒人)で非暴力的で融和的な公民権運動の指導者であったMartin Luther King Jr.(マーチン・ルーサー・キング・ジュニア)が1968年に暗殺されてしまいました。 その事件の直後の雰囲気をこれほどリアルに伝えた映画はこの「Uptight」以外には他にはないと云われています。 ちなみに1978年にはゲイの権利活動家だった白人のHarvey Milk(ハーヴィー・ミルク)が暗殺されたことにより同性愛者たちのホワイト・ナイトの暴動へと発展しました。
※100年も前に奴隷廃止によりアメリカ合衆国の黒人は自由の身となった筈でした。 が、1876年から1964年頃に布かれた奴隷制維持のJim Crow law(ジム・クロウ法)が1967年にやっと廃止されるまで黒人差別はひどかったそうです。
上流階級出身で白人のジュールス・ダッシンですが、赤狩りによりハリウッドを追われても尚映画を撮り続けたた反骨の士なのです。 そのジュールス・ダッシン監督は1935年にVictor McLaglen(ヴィクター・マクラグレン)が出演したイギリスに対するアイルランドの反乱を強烈に描いたLiam O'Flaherty(ライアム・オフラハティ)の小説をJohn Ford(ジョン・フォード)監督が映画化した「The Informer(男の敵)」のリメイクとしてオール黒人キャスト(白人警官以外)で熱気溢れる黒人の闘争心を真正面から描きたかったようです。 ただし完全なるドキュメンタリーではなくジュールス・ダッシン流芸術的に殆どが夜のシーンとなっています。 実際にこの映画を見た白人の差別主義者たちは急速に育っていった黒人パワーに脅威を感じ黒人たちは同胞の活動に拍手喝采したでしょう。(映画で白人が殴られるたびに歓声を上げた黒人観客もあったとか。) 無限といえるほどありのままに都市部の貧民街における黒人社会を捉えたダッシン監督は1960年代当時のアメリカにおける白人と黒人の問題が熾烈なアイルランド革命とある種類似していると考えたのでしょう。(本質的には全く異なる) 当時のような劣悪な環境に置かれた黒人たちの政治情勢が過激になったのも道理だったかもしれません。 ダッシン監督のリメイクでは舞台はオリジナルのダブリンから工業地帯であった1960年代のCleveland(クリーヴランド)に移して黒人が直面するアメリカの現実を率直に描いている作品です。 自らも共産党員ということで祖国を追われた経験を持つジュールス・ダッシンですから躊躇することなくズバリと黒人問題を描き出して融和姿勢など微塵もなさそうです。 歴史的事実を知る上でも貴重な作品で真面目に受け取らざるを得ないほどシリアスな内容ですから全く娯楽性のある映画ではありません。
※映画のタイトルの"Up Tight!"とは憤慨する意味の他に"厳しく批判せよ!"といった意味合いがあるそうですが、黒人の間では"かっこいい!"というスラングでもあるとか。 そして"Uptight"だと"緊張した"とか"ひどく保守的な"という形容詞だそうです。
※1970年代にはBlaxploitation(ブラック・プロイテーション)と呼ばれた黒人の地位向上のために黒人を起用したブラック・ムービー・ムーブメントの映画が黒人の観客を対象に制作されていましたが、紋切り型の役をふったので黒人搾取映画ともいわれます。 大量に制作されたブラック・ムービーの多くはB級映画だったそうですが、ダッシン監督の「Uptight」はそれらよりもメッセージ色の濃い内容です。
「Uptight」を監督したジュールス・ダッシンの作品でクライム映画として1947年にBrute Force(真昼の暴動)や、1947年に実際起こった事件をヒントにしたらしいモデル殺害事件の犯人を追う刑事コンビの捜査をキュメンタリー風に描いた1948年のThe Naked City(裸の町)があります。(2006年のThe Black Dahlia(ブラックダリア)が類似) Richard Widmark(リチャード・ウィドマーク)やLaura(ローラ殺人事件)のGene Tierney(ジーン・ティアニー)が出演した1950'年のNight and the City(街の野獣)を最後に赤狩りのためにハリウッドを去ります。 日本ではダッシン監督がギリシャで撮った1960年のNever On Sunday(日曜はダメよ)が大変有名ですが、緊迫感のある銀行強盗シーンが問題となりフランスで一時上映禁止にまでなった1955年の映画で、Les Menteurs(激しい夜)のJean Servais(ジャン・セルヴェ)やRobert Hossein(ロベール・オッセン)が出演した軽いフィルムノワールの「Du rififi chez les hommes(男の争い)」もお勧めです。
Night and the City(街の野獣)などのフィルムノワール映画で有名になったジュールス・ダッシンですが、ギリシャ人の女優で後に政治家となったMelina Mercouri(メリナ・メルクーリ)と1966年に再婚しましたが1994年にメリナが亡くなった後もギリシャに住んでいました。 惜しくも2008年に96歳でアテネで亡くなりました。

日本では1964年のTopkapi(トプカピ)を最後にジュールス・ダッシンの映画は特に話題になることはなく、残念なことに「Up Tight!」も未公開の映画です。 ストリップ小屋から血液銀行までが通りに並ぶクリーヴランド(上出来のセット)を舞台にした「Uptight」は友人でもあった黒人活動家を小額の褒賞金のために警察に密告した男の物語で、この男の裏切りは許されること無く黒人活動家グループから報復されます。 但し、密告者を描いた映画とか犯人逮捕劇というよりもこれまでの差別に業を煮やした黒人たちのブラックパワーを描いているといえるでしょう。 人種間の緊張が高まるなか、1965年に白人警官による黒人逮捕に端を発した6日間のワッツ暴動が火元となりクリーブランドでも1966年にはHough(ヒュー、もしくはハフ)地区、他でも次々と暴動が起こったそうです。 映画では暴動ニュースの他にも人種暴動を恐れた白人たちの郊外への流出風景や多くの黒人が住んでいた下町やイーストサイドのスラム街の情景やなどの映像が歴史的にも貴重だそうです。 近年では人種間対立から暴動へ発展した1992年のロス暴動(ロドニー・キング事件)が起こりまだまだ人種間の緊張は尾を引いているようです。
「Uptight」に出演するのはまさにブラックパワーの内情を知るクリーヴランド出身で脚本も関与したというRuby Dee(ルビー・ディー)がLaurie(ローリー)役を演じています。 武器を使用しない革命など有り得ないと穏健派から過激派に転向した威厳のあるB. G.役は存在感のあるRaymond St. Jacques(レイモン・サン・ジャック)が演じ、"B. G.が殺されるのは見たくない"と革命を逸るグループを説得し融和を図ろうとするKyle(カイル)は白人に見えますがジャマイカ出身のFrank Silvera(フランク・シルヴェラ)が演じています。 私の好きなR&B歌手のKetty Lester(ケティ・レスター) がB/G.をリーダーとする黒人過激派グループのAlma(アルマ)役でちらっと出演しており、映画初出演ということもあり若いので「Blacula(吸血鬼ブラキュラ)」よりずっと綺麗です。 レイモン・サン・ジャックは1969年のChange Of Mind(黒の捜査線)でも主演していますが、1970年の黒人刑事映画の「Cotton Comes to Harlem(ロールスロイスに銀の銃)」での"Coffin Ed(棺桶エド)"役が最も知られているそうです。 一方ルビー・ディーは1958年にミュージカル映画の「St. Louis Blues(セントルイス・ブルース)」でNat King Cole(ナット・キング・コール)やEartha Kitt(アーサ・キット)やCab Calloway(キャブ・キャロウェイ)等と共演しています。


Up Tight! (1968) by Jules Dassin
Tank and LaurieJohnnyClarenceKetty Lester

写真は上からジュリアン・メイフィールドが演じるタンクとルビー・ディーが演じるローリー、次がマックス・ジュリアンが演じるジョニー、その下がロスコー・リー・ブラウンが演じるクラレンス、その次がケティ・レスターが演じるアルマです。

以下は「Up Tight!」のあらすじですが驚くような結末があるというものではありません。
アニメーションで始まる「Uptight」のオープニング・クレジットでは男たちの暴力、遊ぶ子供たち、集会とスラム街の情景が動画で描写されますが、その後に流れるキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)の葬列のニュース映像はリアルタイムのドキュメンタリーです。 1968年の撮影終了直後にキング牧師暗殺事件が起きたためにジュールス・ダッシンが事件現場のメンフィスまで行って撮影したそうです。 この事件により脚本の書き直しやシーンの撮り直しもされたとか。
その冒頭の映像ではキング牧師の遺体を納めた棺桶を2頭のラバが引く質素な荷車が進んで行くメンフィスの通りで行列を思い思いの表情で見つめる黒人たちが映し出されます。
本編ではキング牧師の暗殺ニュースをテレビで見ている黒人活動家たちも映し出されます。 この結末を目の当たりにしたMax Julien(マックス・ジュリアン)が演じるJohnny Wells(ジョニー・ウェルズ)の黒人活動家グループはキング牧師のように非暴力の運動なんかでは拉致があかないと確信し、革命を起こすための武器を確保しようと夜間にTank Williams(タンク)の住まいを訪れて嫌がるタンクから情報を聞き出すとと翌日武器庫に潜入しウィンチェスター銃の詰まった箱や爆薬を運び出します。 その時に警備員を殺害してしまったのです。 Julian Mayfieldが(ジュリアン・メイフィールド)が演じるジョニーの仲間であるタンクは無力の黒人の象徴のような男で、鉄工所を解雇され文無しになった飲ん兵衛ですからグループや元ガールフレンドの子持ちのローリーからも冷たくあしらわれています。 事件現場に残されたのは"J Wells"とネームが入ったジャケット。 それはグループのリーダーであるジョニー・ウェルズだということが歴然としています。 ちなみにMama Wells(ウェルズの母)を演じるのが1959年のImitation of Life(悲しみは空の彼方に))など数々の映画で黒人メイドを演じたJuanita Moore(ファニタ・ムーア)です。

Julian Mayfield as Tank Williams
tank恋人だったローリーに冷たくあしらわれて雨の中を自宅に戻る途中のタンクは、「すぐに行動を起こせ!」と掲げた黒人活動集会の聴衆の中にRoscoe Lee Browne(ロスコー・リー・ブラウン)が演じる警察へ情報提供をしている黒人のClarence(クラレンス)を見かける。 インテリ・ホモで垂れ込み屋のクラレンスはタンクの家について来て暴動の証拠写真に写っているのを見せて交換条件を持ちかける。 オカマのクラレンスがBGに示した次の写真が逃走中の1000ドルのお尋ね者となている友達のジョニー・ウェルズと知って途方に暮れるタンクでした。 しかし元カノや黒人活動グループから拒絶され、金のために悪事を働いたから信頼が置けないという意味で黒人のBGにさえNigga(ニガー)と呼ばれたタンクは「報酬が欲しい。」と警察に出向いてジョニーの犯行をバラしてしまいます。 これにより即刻アジトは警察に包囲され、仲間が警官隊に罵倒を浴びせ一斉に火炎ビンなどを投げつけても無駄な抵抗でジョニーは射殺されてしまいます。(ちょっとリアリティにかけるシーン) そして裏切り者のタンクは仲間に捕らえられ糾弾されます。 辛うじて仲間の手を逃れたタンクでしたが遂に執拗な追っ手の銃弾に倒れたのでした。 巨大な跳ね橋を越した工事現場のブルドーザーから落ちる大量の土砂がタンクの埋葬役を務めました。 映画のなかで最もリアリスティックなシーンでロスコー・リー・ブラウンが敢然と演じています。
※"Nigga"というスラングはヒップホップやギャングスタ・ラップの歌詞に頻繁に出てきますから黒人社会の専売特許のような言葉で、他人種が使用すると差別用語となります。
この辺りの情景はなにげに「Up Tight! 」の冒頭でアニメを担当したジョン・ハブリーとフェイス・ハブリー夫妻が1961年に監督した「穴」を連想させます。※この密告後の当惑と悲嘆を演じる難しい役どころのタンクを熱演したロスコー・リー・ブラウンはこの後1969年にThe Liberation of L.B. Jones(L・B・ジョーンズの解放)やJohn Wayne(ジョン・ウェイン)が死んだ1971年のThe Cowboys(11人のカウボーイ)以外にはとりわけて代表作品はないようです。
Watch Uptight Climax Scene!
UpTight! (1968) - YouTube

John Hubley and Faith Hubley
UpTight openingオープニングのアニメーションを手掛けたのは1962年に工事現場の穴の底で働く黒人と白人の二人の労働者を描いた短篇「The Hole(穴)」でアカデミー賞アニメーション短編賞を受賞したJohn Hubley and Faith Hubley(ジョンとフェイス・ハブリー夫妻)です。
短篇アニメの「穴」ではジャズ・トランペッターのDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)も声を担当して核の脅威について議論しているそうです。
The Hole (1962) - YouTube

Booker T. & The MG's
「Up Tight!」を盛り上げるのに一役買ったのが1962年に"Green Onions"が大ヒットしたブッカー・TとMG'sです。 ブッカー・T・ジョーンズが音楽を手掛けた威勢の良い曲の数々が映画を盛り上げています。
☆ブッカー・Tについて詳しくは2004年の記事「ブッカー・T Booker T. & the MG's

Up Tight Soundtrack
ページトップの画像はBooker T. & The MG's(ブッカー・T)が音楽を担当した「Up Tight!」のサウンドトラックで、オリジナルはStaxから1968年にリリースされましたがCDは2002年のリマスター盤です。 写真は映画の後半でジョニーを密告したタンクを仲間の黒人活動家たちが追い詰めるシーンです。 ボーカル曲の"Johnny, I Love You"や"Children, Don't Get Weary"や"Blues in the Gutter"からブッカー・Tのオルガンで"Time Is Tight"まで全10曲を収録しています。 サントラの1曲"Children, Don't Get Weary"での客演ボーカルは当時スタックス・レコードに在籍していたR&B歌手のJudy Clay(ジュディ・クレイ)です。 「Up Tight」が公開された頃、ジュディ・クレイはThe Resolutionsのメンバーだった白人男性シンガーのBilly Vera(ビリー・ヴェラ)と黒白デュオとしてアトランティック・レコードで"Storybook Children"をレコーディングしましたが時代が時代だけに物議をかもし出したそうです。
1. Johnny, I Love You
2. Cleveland Now
3. Children, Don't Get Weary
4. Tank's Lament
5. Blues in the Gutter
6. We've Got Johnny Wells
7. Down at Ralph's Joint
8. Deadwood Dick
9. Run Tank Run
10. Time Is Tight
♪ サントラの試聴はUptight - Amazon.com
♪ Listen!
Johnny, I Love You (Booker T. Jones) and Children, Don't Get Weary (Judy Clay) - Uptight Soundtrack - YouTube


実際にはどうかは不明ですが、私がよく利用する映画のデータベース・サイトのTurner Classic Moviesでこの映画のタイトルを入力すると将来的にビデオがリリースされる可能性があるそうです。(過去にリリースされていないどんな映画も同様に)
※その映画のビデオがあるかどうかをmost requested films not on DVD - Turner Classic Moviesをチェックしてみましょう。

※本記事はブッカー・Tが音楽を担当した「Up Tight!」のサウンドトラックについて2006年にHot'n Coolのブログで書いたものを修正しました。



Roman Polanski's Chinetown (1974)
「チャイナタウン」はRoman Polanski(ロマン・ポランスキー)が監督したフィルムノワールです。 フィルム・ノワールとはフランス語で"黒い映画"という意味ですが、1940年代後期から1950年代のハリウッド映画の中でも犯罪ものを指します。 1930年代のアメリカの恐慌時代に始まった道徳的には如何わしくてセクシーな刺激を強調したハードボイルド映画に端を発しているそうです。
アメリカでは種々の映画ランク付けでトップクラスに位置する作品でもあり、ポランスキー監督が最高の映画だと自負しているそうです。 「チャイナタウン」はハードボイルドな探偵映画なんですが、よくある宝石泥棒なんかじゃなくて、砂漠には不可欠な水の利権をめぐる犯罪的行為を描いていて、私立探偵の目を通した社会派映画ともいえるかもしれません。

Jack Nicholson as Gittes and Faye Dunaway as Evelyn
「チャイナタウン」の主役の探偵"Jake Gittes(ジェイク・ギテス)"を演じるのはまさに適役のJack Nicholson(ジャック・ニコルソン)で、謎を秘めたEvelyn Mulwray(エヴェリン・モゥレー)を演じたのは「Bonnie and Clyde(俺たちに明日はない)」から7年ぶりのFaye Dunaway(フェイ・ダナウエイ)です。 フェイ・ダナウエイは「ボニーとクライド」の印象が強烈だったので映画の最初にMrs. Evelyn Cross Mulwray(モゥレー夫人)として登場した時には目を疑いました。 「えっ、これがあのボニー?」 フェイ・ダナウエイのメイクはポランスキー監督の母親がしていたという第二次大戦前のファッションだったそうで、フェイ・ダナウエイは撮影中、細い三日月型の眉とくっきり山型の唇のメイクを保つために大変な労力を費やしたそうです。
そして驚くじゃありませんか、モゥレー夫人の父親には1941年の「The Maltese Falcon(マルタの鷹)」以降Humphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)の一連の作品を監督し脚本も手掛けたJohn Huston(ジョン・ヒューストン)なのです。 多くの女性と浮名を流したジャック・ニコルソンの一番長い交際相手は共演者のジョン・ヒューストンの娘で、The Addams Family(アダムス・ファミリー)のAnjelica Huston(アンジェリカ・ヒューストン)でした。
☆「チャイナタウン」のトレーラーはChinatown Original Trailer - VideoDetective

Chinatown Synopsis
「チャイナタウン」は砂漠の中の人工都市であるロスアンジェルスの開発に絡む腐敗を暴くロバート・タウンの三部作の第一部で、本作は1930年代を舞台に水道局の汚職を扱っています。
ロス市警に勤務していた元警官の"Jake Gittes(ジェイク・ギテス)"は現在は私立探偵です。 ハードボイルドなPhilip Marlowe(フィリップ・マーロー)みたいにロサンゼルス地方検察局に勤めていましたが、シガレットケースに入った煙草はキャメルではなく、さほどハンサムとも格好良いとも言えません。 フィリップ・マーローは口答えしてロス市警を首になりましたが、ジェイク・ギテスはチャイナタウンで捜査に首を突っ込み過ぎて失望することが多くうんざりしたので退職したのです。 しかし、私立探偵事務所に持ち込まれる事件は、しけた浮気調査がばかりだったのです。 ところが、ある日おかしなことが起こります。

ロス砂漠のダム建設に反対している水源電力局施設部長のHollis Mulwray(ホレス・モゥレー氏)の奥さんが探偵事務所を訪ねてモゥレー氏の浮気調査を依頼するのです。 仕事ですからジェイク・ギテスは引き受けてモゥレー氏を張り込むと、見つけました。 モゥレー氏がうら若い女性と会っている証拠写真を撮ったところ、それが新聞種になっているので仰天します。 ところがモゥレー氏を知る人々はモゥレー氏が家庭ひと筋の真面目人間だと証言します。 そこに現れたのがスキャンダルになったことに激怒しているモゥレー夫人、つまりエヴェリンさんです。 ところが浮気調査を依頼した夫人とは全くの別人だったのです。 そうこうするうちにモゥレー氏は貯水池調査中に落ちて死亡してしまうのです。 しかし奇妙にもモゥレー氏の肺からは真水ではなく海水が検出されたのです。

You're a very nosy fellow, kitty cat. Huh?
ニコルソンが調査のために立ち入り禁止区域に侵入しようとした時に呼び止めたのがロマン・ポランスキー監督がカメオ出演したヤクザ者ですが、これはジャック・ニコルソンが勧めたので監督は遊び心で出演したそうです。 「こん次は鼻をまるごと切って金魚の餌にしちまうぜ。」と、クンクン嗅ぎまわる探偵の鼻を切ったあのジャックナイフは本物ですが、手品のような仕掛けがしてあり一つ間違うと本当に危険なのでニコルソンの演技も緊迫感がありました。 このおかげで映画の殆どは鼻に傷のあるジェイク・ギテスです。
Ouch! Polanski cut Nicholson's nose up - YouTube

ホームレスの男や依頼されてモゥレー夫人に化けたという女など事件と関係のある何人かが何者カの手により死んでいきます。 何とかモゥレー夫人に取り入ったジェイク・ギテスはモゥレー宅で事情を聞くことになります。 情事にもおよびます。 色々調べていくうちになんと老人ホームの入居者全員が水源電力局水を供給する予定の谷の土地を購入していたのです。
モゥレー夫人宅で夫人の飲み物はTom Collins(トム・コリンズ)でした。 それはベースにイギリス産のオールド・トム・ジンを使う18世紀始め頃からあるカクテルだそうです。 一般的なレシピはオールド・トム・ジン(甘口ジン)にレモンジュースとシロップ(砂糖)を入れて"シェイク"したら(タンブラー)細長グラスに注いでクラブソーダ(プレーン炭酸)を加えてかき回すそうです。 お飾りは爪楊枝に刺したレモンスライスとマラスキーノ・チェリーなどですが、ストローを添えて出されることが多いので女性向きの甘くてお洒落な飲み物らしいです。 ジンには甘くないドライジンと甘いトムジンがあるそうですがドライジンやスロー ジンなどを使用したジンフィズも似たレシピです。
How to make Tom Collins - YouTube

モゥレー夫人宅で情事の余韻に浸っているところに無粋にも電話がかかってきて、夫人は慌てふためいて家を飛び出します。 ギテスが後を付けるとなんとモゥレー氏のあの若い愛人の家だったのです。 ギテスは事実を話せ!と夫人を何度もひっぱたきますがこれが迫真の演技ではなくて、フェイ・ダナウエイの要望で本気でぶったのだそうです。 すごく暴力的なシーンです。 夫人をぶん殴って真実を吐かせたギテス。 耳を疑う驚愕の一言! 南部もの映画のようでもありますが、ロスのチャイナタウンという町での普遍の正義の不在、この町で暮らす悲壮感、なんとおぞましい事実。 この後にさらなる惨劇が展開。 我らがヒーロー「ジェイク」はチャイナタウンでいったい何ができたのだろう、たださらなる無力感と絶望を確信したのです。
アメリカ映画では実父と娘の関係を取り入れている映画がまま存在しますが、Audio-Visual Trivia内には「Devil In A Blue Dress(青いドレスの女)」や「The Black Dahlia(ブラック・ダリア)」などがあります。

「誰かを守ろうとすると逆に傷つける結果となることが多い」と事件に首を突っ込みすぎていやになり退職したジェイク・ギテスだったのに。
怠け者の町、チャイナタウンでは怠慢が一番! 対中国マフィアに関しては理解するには言葉や人間関係が複雑だし、うっかりすると犯罪の防止が幇助になることも有り得るから、あまり首を突っ込まずに怠慢でいるのがベストなんだそうです。
" Forget it, Jake, it's Chinatown."

J.J. Gittes and L.A. Trilogy by Robert Towne
「チャイナタウン」の脚本を手掛けたRobert Towne(ロバート・タウン)は探偵役は俳優のジャック・ニコルソンを想定してをストーリーを書き上げたそうで、ポランスキー監督にはロバート・タウンとジャック・ニコルソンの方から「チャイナタウン」の映画化の話が持ち込まれたそうです。 ロバート・タウンは「チャイナタウン」では1974年のアカデミー賞ではノミネートでしたが、ゴールデン・グローブでは脚本賞を受賞しました。
チャイナタウンの脚本を手掛けたロバート・タウンの脚本デビュー映画はアメリカの作家のEdgar Allan Poe(エドガー・アラン・ポー)の小説をもとにした1964年のホラーでVincent Price(ヴィンセント・プライス)が主演した「The Tomb of Ligeia(黒猫の棲む館)」だそうです。 同じくポーの原作でヴィンセント・プライス主演の1960年の映画でHouse of Usher(アッシャー家の惨劇)、1962年のTales of Terror(黒猫の怨霊)、そして1964年のThe Masque of the Red Death(赤死病の仮面)などはジャック・ニコルソンを発掘したといわれるホラー映画のRoger Corman(ロジャー・コーマン)監督の作品です。
「黒猫の棲む館」で脚本デビューしたロバート・タウンが関与した次の脚本が一躍有名になった1967年の「Bonnie and Clyde(ボニーとクライド/俺たちに明日はない)でした。 「俺たちに明日はない」はArthur Penn(アーサー・ペン)が監督しハンサムなWarren Beatty(ウォーレン・ベイティ又はウォーレン・ビーティ)が主演していましたが、当時の女性たちはフェイ・ダナウェイが演じたボニー・パーカーの1930年代ファッションに憧れて劇場に観に行きました。 そして本格的なロバート・タウンの脚本が「チャイナタウン」ですが、フェイ・ダナウエイは主要な出演作品の2本とも銃撃されて死亡しています。 銃撃されていない作品としては1971年のRené Clément(ルネ・クレマン)監督のスパイ映画「La maison sous les arbres(The Deadly Trap/パリは霧にぬれて)」のジル役でした。(サウンドトラックをGilbert Bécaud(ジルベール・ベコー)が手掛けた映画のテーマ曲が日本ではClaude Ciari(クロード・チアリ)のバージョンでもヒット。) その後フェイ・ダナウエイはハリウッドの大女優であったJoan Crawford(ジョーン・クロフォード)の狂った私生活を暴いた1981年の「Mommie Dearest(愛と憎しみの伝説)」で往年の女優を怪演しています。 監督は1968年に不条理映画の「The Swimmer(泳ぐひと)」を監督したFrank Perry(フランク・ペリー)です。

「チャイナタウン」の続編で16年後の1990年の「The Two Jakes(黄昏のチャイナタウン)」も脚本を手掛けているロバート・タウンの映画としては「俺たちに明日はない」のウォーレン・ベイティが主演した1975年の「Shampoo(シャンプー)」までしか私には記憶にありませんが、ロバート・タウンが脚本を手掛けた1990年の「Days of Thunder(デイズ・オブ・サンダー)」や1993年の「The Firm(ザ・ファーム/法律事務所)」に主演したTom Cruise(トム・クルーズ)と知り合いになり、1996年の「Mission: Impossible(ミッション:インポッシブル)」などのMIシリーズも手掛けています。

The Two Jakes
ロバート・タウンの三部作の2番目としては、ジャック・ニコルソンが望んで監督及び主演した続編で1990年の「The Two Jakes(黄昏のチャイナタウン)」でもジャック・ニコルソンが一作目同様にジェイク・ギテスを演じています。 ロマン・ポランスキーたってのキャスティングで出演したのですが、本作で口論のあげくロマン・ポランスキー監督に髪の毛を引っこ抜かれたフェイ・ダナウエイは出演していません。 代わりの美女は「China Moon(チャイナ・ムーン)」で魔性の女を演じたセクシーなMadeleine Stowe(マデリーン・ストー)です。 続編はテーマが"水道"でなく1940年代に舞台を移して"ガス"です。 ロバート・タウンのLAシリーズ三部作"J.J. Gittes and L.A."の最後は1940年代後期を舞台にしたCloverleaf"と呼ばれる大都市の巨大な高速道路ジャンクションについてですが映画は制作されていません。
The Two Jakes (1990) Trailer - YouTube

China Moon
※ところで映画の舞台がロスアンジェルツのチャイナタウンとなっているので中国人も登場します。 冒頭のジェイク・ギテス探偵のジョークに中国式倦怠期回避方法というのあり、それにには月(ムーン)が絡んでいるのです。 夫婦生活(情事)の疲れには月を見上げてリフレッシュ(浮気))したら再び開始するというものです。 私が以前に書いた記事にマデリーン・ストーが出演したChina Moon(チャイナ・ムーン)という映画がありますが、"中国と月"がこの映画とも関連がありやなしや。

Chinatown in Los Angeles
映画の舞台となったロスアンジェルスのチャイナタウンですが、北カリフォルニア州の大都市であるロスアンジェルスにはアジア系のLittle Tokyo(リトル東京)という日本人街やコリアタウンの他にもメキシコ街などがあるそうです。 アメリカのチャイナタウンといえば一番大きいのは1920年代から中国系マフィアが牛耳って売春、麻薬、ギャンブルの悪の巣窟となった歴史がある南カルフォルニア・サンフランシスコの中華街や、ニューヨークのマンハッタン島やクイーンズが有名です。

Roman Polanski: Wanted and Desired
ユダヤ系ポーランド人でフランスの監督であるロマン・ポランスキーが主演もした1967年の「Dance of the Vampires(吸血鬼)」で共演した後に結婚したアメリカ女優のSharon Tate(シャロン・テート)の死後にアメリカを去ったポランスキーをアメリカに連れ戻したのがこの「チャイナタウン」です。 シャロン・テート事件当時(事件の数ヶ月前)にアメリカで公開されたポランスキー監督の1968年の悪魔祓いと赤ちゃんに関連したサイコホラー(オカルト)映画の「Rosemary's Baby(ローズマリーの赤ちゃん)」が何か関係しているのか。」と思ってしまったほど薄気味の悪いニュースでしたが、日本公開当時に若者はこぞって劇場に観に行ったほど話題性のある映画でした。 取り沙汰されたようにポランスキー監督が事件を予知したなんてことはないでしょうが、映画の冒頭に流れるMia Farrow(ミア・ファロー)の"Lullaby(ラララ・・・)"から不吉な雰囲気が漂っていました。 愛する夫は・・・? 生まれた赤ちゃんが・・・!
私が初めて観たロマン・ポランスキー監督の映画はCatherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーブ)が主演した「Repulsion(反発)」でした。 当時はポランスキー監督の映画だというよりも美しいフランス女優のカトリーヌ・ドヌーブを見に行ったのでした。
2002年にはユダヤ系のアメリカ俳優であるAdrien Brody(エイドリアン・ブロディ)がアカデミーの主演男優賞を受賞した「The Pianist(戦場のピアニスト)」で監督賞を受賞した鬼才のロマン・ポランスキー監督ですが、1977年にアメリカで起こした性犯罪事件では有罪判決のまま米国から逃亡したままなので、この「チャイナタウン」がアメリカでの最後のポランスキー作品となっています。(この件では1978年に逮捕状が出ましたが32年後の2009年にスイスにてとうとう身柄拘束されました。) 2008年の Sundance Film Festival(サンダンス映画祭)ではその事件を追ったドキュメンタリー映画Roman Polanski: Wanted and Desiredがプレミア上映されるそうです。
Roman Polanski Interview - YouTube

☆ロマン・ポランスキーが監督した「反発」などの映画についてもっと詳しくはHot'n Cool - Roman Polanski
☆1992年に監督した「赤い航路」についてはAudio-Visual Trivia内の赤い航路 Bitter Moon

Jack Nicholson
ジャック・ニコルソンはBlue Velvet(ブルー・ベルベット)のDennis Hopper(デニス・ホッパー)が主演及び監督した1969年の「Easy Rider(イージー・ライダー)」ではアカデミー助演男優賞に輝き、そして「チャイナタウン」では主演男優賞にノミネートされていますが、The Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)でデビューしてTown Without Pity(非情の町)に主演したKirk Douglas(カーク・ダグラス)の念願だった1976年の「One Flew Over The Cuckoo's Nest(カッコーの巣の上で)」の映画化ではアカデミー主演男優賞を受賞しています。 ニコルソンのインパクトのある顔立ちを含めて強烈な個性は1960年のデビュー当時のLittle Shop of Horrors(リトル・ショップ・オブ・ホラーズ)から変っていません。 型破りな演技派の俳優として評価が高いですが、私は殆どニコルソンの出演作品を観ていないのです。 1946年の「The Postman Always Rings Twice(郵便配達は二度ベルを鳴らす)」の1981年リメイク版と、ジャック・ニコルソンがゴールデングローブ主演男優賞を受賞した2002年の「About Schmidt(アバウト・シュミット)」、そして最近ではニコルソンが変なセラピストを演じた2003年の「Anger Management(N.Y.式ハッピー・セラピー)」くらいです。 ラブシーンではあまりの熱演に思わず目を逸らせた「郵便配達は二度ベルを鳴らす」も悲惨なラストシーンでニコルソンと共に泣けませんでしたし、キャシー・ベイツとの混浴シーンに度肝を抜かれた「アバウト・シュミット」はさほど感情移入出来なくてエンディングもぐっときませんでした。 ニコルソンの出演作品はこれまで「チャイナタウン」以外は気に入った映画はありませんでしたが、これから観ようと思うのはコメディで1987年にニコルソンが悪魔を演じ3人の熟女と共演した「The Witches of Eastwick(イーストウィックの魔女たち)」と2003年の「Something's Gotta Give(恋愛適齢期)」です。 1980年にこちらも鬼才のStanley Kubrick(スタンリー・キューブリック)が監督した原作とは違うバージョンの「The Shining(シャイニング)」ではありません。 そう、ホラーといえば2008年9月に日本でも公開のThe Dark Knightの口裂けジョーカーも怖い!


Chinatown DVD
画像は2007年にリリースされた"Chinatown"の輸入版(Region 1)のDVDです。
Chinatown DVDChinatown
国内版で入手出来るDVDにはチャイナタウン 製作25周年記念版などがあります。

Chinatown Book
Robert Towne(著)のシナリオは英語版ペーパーバックです。
Chinatown by Robert TowneChinatown (Faber Reel Classics)
書籍カバーに使用された画像はヤクザに扮したロマン・ポランスキー監督がジャック・ニコルソンが演じる私立探偵のジェイク・ギテスの鼻をナイフで切る場面です。 アウチッ!
※Chinatown and the Last Detail: Two Screenplays (Paperback)も出版されています。

Chinatown Soundtrack
ページトップのCD画像は音楽をJerry Goldsmith(ジェリー・ゴールドスミス)が手掛けた「チャイナタウン」のサウンドトラックです。 このサントラCD画像は色味は少々違いますが、有名な「チャイナタウン」の映画ポスターをアレンジして使用しています。
現在ではもう入手不可能なオリジナル映画ポスターの画像が見られるChinatown Movie Poster - Allposters.com(透かし入りですが拡大可)

Jerry Goldsmith
作曲家のジェリー・ゴールドスミスは1960年にニコルソンが出演した映画「Studs Lonigan(青春のさまよえる時)」で初めて音楽を担当して以来、1973年の「Papillon(パピヨン)」の"Free as the Wind"など1950年代から2000年代まで様々な映画のサウンドトラックに携わってきました。 ジェリー・ゴールドスミス音楽の代表的な映画には1963年の「Lilies of the Field(野のユリ)」、1979年の「Star Trek: The Motion Picture(スター・トレック)」、1992年の「Basic Instinct(氷の微笑)」、1993年にNicole Kidman(ニコール・キッドマン)が主演した「Malice(冷たい月を抱く女)」、そして1997年の「L.A.Confidential(L.A.コンフィデンシャル)」などがあり、SFや西部劇からミステリーまでと幅広いジャンルの音楽を手掛けています。

Uan Rasey
オープニングとエンディングのクレジットに流れる"Love Theme From Chinatown(愛のテーマ)"は美しい旋律ながら不安を煽るようでもあり、悲しみをも表現したやるせないメロディですが、その荘厳とも退廃的ともいえるテーマ曲で心に残るスリリングなトランペット演奏はハリウッドのスタジオ・ミュージシャンであったカナダ出身のUan Rasey(ユアン・レイシー)だそうです。 ユアン・レイシーはウェストコーストのジャンプブルースでも活躍したトランペッターですが、ハリウッドMGMの黄金時代にはGene Kelly(ジーン・ケリー)主演のミュージカル映画の"An American in Paris(巴里のアメリカ人)"や"'Singing in the Rain(雨に歌えば)"、Leslie Caron(レスリー・キャロン)主演の"'Gigi"、Natalie Wood(ナタリー・ウッド)主演の"West Side Story(ウエスト・サイド物語)"や"My Fair Lady(マイ・フェア・レディ)"などのサウンドトラックを手掛けているそうです。 
Goldsmith's "Love Theme"on Opening Credits of Chinatown" with Uan Rasey - YouTube

Easy Living
映画「チャイナタウン」で使用された"Easy Living"は1937年に50曲ものヒット映画音楽を放った作曲家のRalph Rainger(ラルフ・レインジャー)と作詞家のLeo Robin(レオ・ロビン)のコンビによって書かれたもので、1937年の映画「Easy Living(街は春風)」の主題歌です。 1947年のBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)の歌で有名ですが、1937年だとTeddy Wilson And His Orchestra(テディ・ウィルソン)の演奏があります。

Way You Look Tonight
ジェイク・ギテス探偵がモゥレーの事務所に探りを入れる時に吹いた口笛は"Way You Look Tonight(今宵の君は)"はJerome Kern(ジェローム・カーン)作曲Dorothy Fields(ドロシー・フィールズ)作詞の1936年のFred Astaire(フレッド・アステア)とGinger Rogers(ジンジャー・ロジャース)が出演したミュージカル映画「Swing Time(有頂天時代)」でフレッド・アステアが歌いオスカーを受賞した曲です。 ラジオ番組のThe Fred Astaire Hour(フレッド・アステア・アワー)に出演したり、フレッド・アステアのバックをつとめたミュージシャンのJohnny Green And His Orchesra(ジョニー・グリーン)が1936年に録音しています。 "Easy Living"と"Way You Look Tonight"は共にサウンドトラックでは歌ではなくジェリー・ゴールドスミスの音楽です。

I Can't Get Started by Bunny Berigan & His Orchestra
舞台を1930年代に設定した映画「チャイナタウン」で挿入歌として使用された"I Can't Get Started With You(言い出しかねて)"は1935年代に作曲はロシア出身のピアニストのVernon Duke(ヴァーノン・デューク)、作詞はIra Gershwin(アイラ・ガージュイン)のコンビで、ミュージカルの"Ziegfeld Follies of 1936"でコメディアンのBob Hope(ボブ・ホープ)とEve Arden(イヴ・アーデン)が歌った甘い恋の歌です。 ちなみにボブ・ホープの大ヒット曲である1938年の"Thanks for the Memory"は前述のRobin & Rainger(ロビンとレインジャー)コンビの作品です。 Lionel Hampton(ライオネル・ハンプトン)が1939年、Roy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)が1944年、Artie Shaw(アーティ・ショー)が1945年、Dizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)が1948年、Erroll Garner(エロール・ガーナー)が1951年、Coleman Hawkins(コールマン・ホーキンス)は1952年に吹き込みましたが、歌では1938年にBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)が録音しています。 たった数分ですが、映画で使用された"I Can't Get Started"はBunny Berigan And His Orchestra(バニー・ベリガン楽団)がRCAではなくて1937年にVICTORで吹き込んだバージョンでしょうか。 歌っているのはスウィング時代のジャズ・トランペッターのバニー・ベリガンですが、アルコールとの闘いで30歳代で亡くなったそうです。 バニー・ベリガンの歌とトランペット演奏の"I Can't Get Started"はTommy Dorsey(トミー・ドーシー楽団)時代のトランペットソロの"Marie"と並び代表曲となっています。 こんなハンサムなトランペッターにロマンティックな"I Can't Get Started"を歌われてはとろけてしまいそうです。
Bunny Berigan And His Orchestra
Bunny Berigan - I Can't Get Started - YouTube

追記: アンクルポップ氏の説明によると上記のバニー・ベリガンの"I Can't Get Started"は作曲がバーノン・デュークで作詞がアイラ・ガーシュウィンにより、昔は「立ち去りかねて」という邦題が付いていたのだそうです。

Jazz in Film
映画のサントラではなくジャズメンによる映画音楽集のアルバムがあります。 演奏はトランペットがTerence Blanchard、テナーサックスがJoe Henderson(ジョー・ヘンダーソン)、以下アルトサックスのDonald Harrison、トロンボーンのSteve Turre、ピアノがKenny Kirkland、ベースがReginald Veal、ドラムがCarl Allenなど。 ニューオリンズ出身の若手ジャズトランペット奏者であるTerence Blanchard(テレンス・ブランチャード)名義で1999年にリリースされたフィルム・ノワール特集ともいえる「ジャズ・イン・フィルム」(ASIN: B0000561Y7)には「チャイナタウンのテーマ」の他に1951年の「A Streetcar Named Desire(欲望という名の電車)」、1960年の「The Subterraneans(地下街の人々)」、1959年にDuke Ellington(デューク・エリントン)が音楽を担当した「Anatomy of a Murder(或る殺人)」、1955年の「The Man with the Golden Arm(黄金の腕)」などの映画音楽全9曲を収録しています。
Love Theme From Chinatown (Main Title) on Jazz in Film - Rádio UOL


The Greatest Gold Hits
The Greatest Gold Hits - Little Richard
The True King Of Rock 'n' Roll: Little Richard
Little Richard - Tutti Frutti - Rádio UOL

A wop bop a lu bop, a wop bam boom!
二刀流のリトル・リチャード: ロックンローラーか?聖職者か?
初期には教会でピアノを弾いていたリトル・リチャードはMahalia Jackson(マハリア・ジャクソン)などのゴルペルシンガーに感銘を受けて1951年に18歳でオーディションに合格してRCA Victorと契約しました。 1955年にロックンロールの父とも呼ばれたJohnny Otis Trio(ジョニー・オーティス・トリオ)のバックでシングルを吹き込んでいます。
※ドラマーだったジョニー・オーティスは50年代ウェストコーストで活躍したミュージシャンで1945年のHarlem Nocturne(ハーレムノクターン)のヒットで知られていますが、Big Mama Thornton(ビッグ・ママ・ソーントン)の"Hound Dog"(ハウンドドッグ)などのプロデュースもしていました。 それでリトル・リチャードもハウンドドッグを歌います。
イギリスのビートルズやローリング・ストーンズなどのロッカーに人気だったリトル・リチャードですが、アメリカ本国でもWooow!、なりきりリトル・リチャードのJames Brown(ジェームス・ブラウン)、同じく初期にはリチャードのバックを担当していたJimi Hendrix(ジミー・ヘンドリックス)やIke & Tina Turner(アイク&ティナ・ターナー)などの他にジョージア出身でゴスペルからロックンロールに変更したリトル・リチャードに大いなる影響を受けて音楽の道に入ったのが26歳で飛行機事故で亡くなってしまった同郷のOtis Redding(オーティス・レディング)でした。

リトル・リチャードがSpecialty Recordsからリリースしたワイルドな"Tutti Frutti"は大ヒットとなりその後も次々とロックンロールのヒットを飛ばしました。
※ちなみに歌のタイトル「Tutti Frutti(トゥッティフルッティ)」とは19世紀の終わり頃に初めてニューヨーク駅の自動販売機で売られたThomas Adams(トーマス・アダムス)社の果物の砂糖漬け味のチューインガムだそうですが、別に差別的な用法で"にやけた野郎"とか"○○野郎"などといった意味のスラングらしいです。(別の歌のタイトルのMiss Annもゲイを意味するらしい) オリジナルの歌詞が"Tutti Frutti, Loose Booty, ....a wop bop a lu bop, a good goddamn!"のように初期のロックンロールは黒人のR&Bの流れを汲んでいてかなり性的にあからさまなだったので白人にも受けるように"Tutti Frutti, aw Rudi(oh rutti)"に変えたそうです。(どう違うんでしょうねぇ。) ちなみにをカバーしたお上品なホワイト・ポップスのPat Boone(パット・ブーン)の歌詞は"A-Wop-bop-a-loo-lop a-lop-bam-boo Tutti Frutti, all over rootie,"だったそうです。(どう違うんですかね。) 冒頭にリトル・リチャードを"The True King Of Rock 'n' Roll"と書きましたが、実際にはキングはElvis Presley(エルビス・プレスリー)に譲って、リトル・リチャードはロックンロールの"Queen(クイーン)"を自称したそうです。 こっち(あっち)の方も二刀流のリトル・リチャードでした。
A wop bop a lu bop, a good Goddamn!

日本でもリトル・リチャードの"Long Tall Sally"(のっぽのサリー)、"Lucille"(ルシヤ)、"Jenny, Jenny"(ジェニジェニ)、"Keep A Knockin'"(キープ・ア・ノッキン)、"Good Golly Miss Molly"(グッド・ゴリー・ミス・モリー)、"Rip It Up"(リップ・イット・アップ)などが流行りました。 1950年代後期は鈴木やすしが口からツバを飛ばして"Jenny Jenny(ジェニ・ジェニ)"を熱唱し、平尾昌章が身をくねらせて"Rucille(ルシア)"を歌い、ミッキー・カーチスが英語っぽく"Long Tall Sally(のっぽのサリー)"を歌うなどと日本のロカビリー男たちがリトル・リチャードの曲をカバーしてヒットパレードなどで歌ったのでお茶の間にも広まり、ジャズはやらない"ジャズ喫茶"やロカビリー旋風が巻き起こった日劇ウエスタン・カーニバルでもずいぶんと歌われたことでしょう。
Last.fmのチャートで、今現在のリトル・リチャードの人気曲というとやはりトップは"Tutti Frutti"、次は"Long Tall Sally"で、"Good Golly Miss Molly"が3番目となっています。
Little Richard - Jenny Jenny - youTube

リトル・リチャードは1956年のThe Girl Can't Help It(女はそれを我慢できない)というロックンロール映画に出演してタイトル曲がオープニングで流れ、リトル・リチャードお得意のピアノの立ち弾きで"She's Got It"も歌った翌年、人気絶頂だというのに引退して牧師になってしまったのでした。(映画出演といってもクラブの演奏シーンだけです。) リトル・リチャードの代表曲の一つであるこの"The Girl Can't Help It"は「女はそれを我慢できない」の主演女優のJayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)が次に出演した1957年の日本未公開映画「Will Success Spoil Rock Hunter?」をはじめ、1970年代から2006年の映画までたくさん使用されています。
※リトル・リチャードがShe can't help it, the girl can't help it...と歌う"The Girl Can't Help It"や"Send Me Some "などのリトル・リチャードの歌詞はOldieLyrics.com(歌詞の上下にあるアイコンは試聴だはなく携帯の着信音)
The Girl Can't Help It by Little Richard - YouTube

1957年にEddie Cochran(エディ・コクラン)やGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)とのオーストラリアツアー最中に牧師になるために音楽を止めてしまったとはいえ、数年後に今度はゴルペルシンガーとして数年活動し、そして又その後、再びロックンロールに戻ってきました。 当時の噂では1959年頃に飛行機事故一歩手前に遭遇したリトル・リチャードが神の身元ならぬ神の学校に身を清めに行ったという説が流れました。 聖職者のリトル・リチャードは神父としてDemi Moore(デミ・ムーア)とBruce Willis(ブルース・ウィリス)が1987年に Las Vegas(ラスヴェガス)で結婚した時に司式を執り行ったそうです。(ですがカップルは2000年に離婚) 60年代初期にイギリスツアーもしたリトル・リチャードでしたが70年代の後期には又牧師に戻るなどと聖職と俗世の間を行ったり来たりしていましたが最後はとうとう伝道師となったという変り種のミュージシャンでした。 神の道を説く伝道師と無軌道な若者の音楽をやるロッケンローラー、相反するようですが教会へ通うティーンズが増えたかも。 リトル・リチャードは70歳代の現在もピアノの上にのっかたりして演奏しているそうです。 頑張れリッチー!
リトル・リチャードの写真が観られるROCKABILLY CENTRAL(リストからLittle Richardのページ、左のメニューのPhotosをクリック)

Little Richard - Tutti Frutti (1955) - YouTube
Little Richard - Long Tall Sally - YouTube
Little Richard - Lucille - YouTube
Little Richard - Hound Dog - YouTube

リトル・リチャードの映画出演といっても「女はそれを我慢できない」では俳優としてではなく歌っているクリップが使用されている程度ですが、1997年のMatt McColm(マット・マッコウム)が主演したTVシリーズの"NightMan"でもたった1話ですがJubilee Jonesとして"Whole Lotta Shakin' Goin' On"を歌ったそうです。 サウンドトラックとして使用されたのは数知れずですがAudio-Visual Trivia内の記事では1997年のKiss the Girls(コレクター)でGoodnight Ireneが使用され、1985年のPeter Bogdanovich's Mask(ピーター・ボグダノヴィッチのマスク)ではGood Golly Miss Molly、Tutti Frutti、Can't Believe You Wanna Leave、Slippin' 'N Slidin'など他にもたくさん使用されています。


リトル・リチャードのアルバム
The Girl Can't Help It
ページトップの画像はブルージーな"Going Home Tomorrow"や"Groovy Little Suzie"の他、日本で良く知られた"Baby Face"や映画のタイトルとなった"Girl Can't Help It"など全21曲を収録したリトル・リチャードの2004年盤アルバム「The Greatest Gold Hits」でリトル・リチャードの生声が聴ける"Interview"も収録されています。

The Georgia Peach
Tutti Fruttiをはじめ、LucilleやSlippin' and Slidin'などシャウトしている全25曲を収録したアルバムです。
The Georgia Peach - Little RichardThe Georgia Peach

Shag On Down By The Union Hall
"Kansas City"、"Heeby Jeebies"、"Miss Ann"、私の好きな"By the Light of the Silvery Moon"など24曲を収録したアルバムです。
Shag On Down By The Union Hall - Little RichardShag on Down by the Union Hall
※リトル・リチャードの"The Girl Can't Help It"はアルバム「20 Greatest Hits」にも収録されています。
試聴は20 Greatest HitsのCDカバー画像も見られる20 Greatest Hits - Amazzon.com


Million Sellers - Little Richard
1964年に日本で始めてリリースされたリトル・リチャードのLPアルバムは「ミリオン・セラーズ リトル・リチャード」だそうですが、私はお小遣いの関係でシングルのみ購入しました。 LPにはSpecialty Records時代の"Tutti Frutti"、Lucille、By the Light of the Silvery Moon、Shake A Hand、Send Me Some Lovin'、Directly From My Heart、Baby Face、Good Golly Miss Mollyの他15曲が収録されていたそうです。 今ならそのレコード画像が中古レコードのハイファイ堂で見られます。


Listen to Little Richard ... Shouting!
Listenリトル・リチャードのレアな曲もたくさん聴けるwfmuラジオのプレイリストの"LITTLE RICHARD BIRTHDAY SHOW!"はMusic to Spazz By with Dave the Spazz - December 6, 2001(Listen to this show! RealAudioをクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を13:00、1:04:10に移動)
(Rice, Red Beans and Turnip Greens、Baby、Directly from My Heart to You、 I'll Never Let You Go (Boo Hoo Hoo Hoo) 、Chicken Little Baby、The Most I Can Offer、The Girl Can't Help It、Heebie Jeebies、Good Morning Little Schoolgirl、The Thing (Long Tall Sally )、I'm Just A Lonely Guy、Hey, Hey, Hey, Hey、I Got It、She's My Star)

Send Me Some Lovin' by Little Richard
リトル・リチャードが絶叫するテンポの早いロカビリー曲はもちろん最高!ですが、若かりし頃、乙女心をいたく刺激した私の好きなバラード曲の"Send Me Some Lovin'"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMusic to Spazz By with Dave the Spazz On WFMU January 5, 2006(congawa!! RealAudioをクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を57:10に移動)
By the Light of the Silvery Moon by Little Richard
私が持っているのはGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)のバージョンですが、リトル・リチャード"By the Light of the Silvery Moon"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMusic to Spazz By with Dave the Spazz August 24, 2006 (shimmy shimmy kokomo! RealAudioをクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を1:49:00に移動)
Little Richard Boogie by Little Richard
1954年のChristine Kittrell(クリスティン・キットレル)の"Call His Name"はリトル・リチャードがバックで初録音とか)や"Little Richard Boogie"が聴けるwfmuラジオのプレイリストはBob Brainen's playlist October 23, 2005(Listen to this show! RealAudioをクリック、クリップ・ポジション(再生バー)56:31に移動)
※クリスティン・キットレルは50年代後期にはジョニー・オーティスとも活動したR&Bとゴスペルの女性歌手です。

☆リトル・リチャードの"Long Tall Sally"と"Rip It Up"が聴けるRockin' Mama Ultimate Fifties 1956
☆"Good Golly Miss Molly"が聴けるRockin' Mama Ultimate Fifties 1958

♪ リトル・リチャードのGood Golly Miss MollyとKeep a Knockin'が聴けるLittle Richard - LivinBlues(ページ一番下のMP3)
リトル・リチャードのI C'ant Believe You Wanna LeaveやBama Lama Bama Looなどが聴けるLittle Richard - MySpace.com

Little Richard - Keep a Knockin (Little Richard) - Rádio UOL
(Album includes Long Tall Sally, Rucille, Ready Teddy, She Got It, Rip It Up, Tutti Frutti, Slippin' And Slidin', Good Golly Miss Molly, Jenny, Jenny, Send Me Some Lovin', and Ooh! My Soul)



The Christmas Song: Chestnuts Roasting on an Open Fire
クリスマスシーズンにはモミの木の飾り付けから始まり、胸をときめかせて贈り物のリボンをほどくまでとても楽しい時節です。 キリスト教の伝統を重んじる国々では、日本の正月のように家族や友達と喜びを共有する大切で素晴らしい休日でもあり、現在でも慈しまれてきています。 そんな日々に欠かせないのがThe Christmas Song(ザ・クリスマス・ソング)で、1940年代以降、Irving Berlin(アーヴィング・ バーリン)作曲の"ホワイト・クリスマス"やSammy Cahn(サミー・カーン)作詞でJule Styne(ジュール・スタイン)作曲の"Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!"そして、Winter Wonderland(ウインター・ワンダーランド)やSanta Claus Is Coming to Town(サンタが街にやって来る)などと共にクリスマス・ソングのクラシックとなっていてクリスマス気分を雰囲気を盛り上げてきました。

Mel Torme & Robert Wells
"Chestnuts Roasting On An Open Fire..."と歌われるThe Christmas Song(ザ・クリスマス・ソング)は、1946年の"Born To Be Blue"など数えきれないほど(250以上)の曲を書いた天才ジャズシンガーのMel Torme(メル・トーメ)とピアニストのRobert Wells(Bob Wells/ボブ・ウェルズはスウェーデンのピアニストとは別人)のコンビが1946年に作った曲ですが、なんと"クリスマス・ソング"は暑い夏のある日に涼をとるため寒い冬の曲を作ったのだとか。 この時、メル・トーメは若干19歳でロバート・ウェルズは22歳だったといいますからその才能ぶりには驚きます。 音楽だけではなく、売れっ子金髪グラマーだったMamie Van Doren(マミー・ヴァン・ドーレン)が主演して歌い、映画のテーマ曲を劇中で歌ったポップス歌手のPaul Anka(ポール・アンカ)や60年代ファッションの代表的なモデルになったPeggy Moffitt(ペギー・モフィット)などが出演した1959年の「Girls Town(非情の青春)」など1950年代後期には数本の映画にも出演していたほど人気アーティストでしたが、後半その容貌の変化に驚きました。
Chestnuts Roasting on an Open Fire...と歌われるザ・クリスマス・ソング(チェスナッツ・ロースティング・オン・アン・オープン・ファイア)の歌詞はThe Christmas Song: Chestnuts Roasting on an Open Fire Lyrics - Christmas Carols
日本語の訳詞 08 The Christmas Song - The Manhattan Transfer

The Christmas Song Glossary
Yule-tide:「ザ・クリスマス・ソング」に歌われている"Yuletide(ユール・タイド)"とはドイツ語の古語でいう12月24日~1月6日のクリスマスの季節のことです。 フランス語ではNoël(ノエル)と呼ばれ、メリークリスマス!は"Joyeux Noël!(Merry Christmas!)"で、日本と同じく12月の24日と25日です。 ※ちなみにNoelとはクリスマスのことです。
Chestnut :"Nut"だけだと堅い木の実ですが、チェスナットは栗又はトチの実のことです。
Jack Frost :北欧神話のJokul(ヨクル)又はFinland(フィンランド)の王を意味するFornjót(フォルニョート)がオリジンといわれる雪と氷でできた英国の霜の精(霜男)です。 冬の到来と共に現れて笑い声をあげて寒気をふりまき嫌いな人物を雪女のように冷たい息を吐いて凍死させるともいわれ、姿は雪だるまのお化けだったり小人だったり、又は意地悪な氷男だったりしますが、いづれにせよ英国版コロンボのA Touch of Frost(フロスト警部)ではありません。 ズバリそのまま"ジャック・フロスト"というタイトルの泣き笑いのファンタジー「Jack Frost(パパは雪だるま)」、"ジャック・フロスト"が登場する2006年の「Santa Clause 3: The Escape Clause(サンタクローズ3 クリスマス大決戦!)」
Eskimo:"エスキモーの人々のように着飾って"と歌にありますが、クリスマスに教会のミサに出かける人々は毛皮で縁取りされた冬の外套(マント)を着ることがあるからでしょう。
Mistletoe :丸みを帯びた対の葉を持つ寄生植物のヤドリギのことで、オリジンは北欧やイギリスです。 クリスマスにはこのミスルトゥーの実の付いた小枝を束ねた飾りを天井から吊るします。 北欧の神話に倣って英米などのキリスト教圏ではクリスマスにこのヤドリギの下で出会った男女はキスをしても良いそうで、1943年のビング・クロスビーのヒット曲"I'll Be Home for Christmas"にも"Please have snow and mistletoe...Christmas Eve will find me Where the love light beams"歌われています。 末永く幸せになれますよ♪ 人気米TVシリーズ「Bones」でもSeason 3, Episode 10の「The Santa in the Slush」で出演者がキスしているシーンがあります。
Tiny Tot:Totは小さい子供のことですからTiny Totでうんとちっちゃな子供となります。
Reindeer:サンタクロースが子供たちのプレゼントを運んでくるソリをひくトナカイのことです。 サンタのおもちゃ工房は北極にあるので北極に棲んでいるCaribou(カリブー)がソリを運ぶ役目です。
☆北欧や露西亜のユールタイドのイラストが見られるYULETIDE AROUND THE WORLD(サイト内のリンクをクリックするとさらに世界のクリスマスの画像が見られます。(フィンランドの"Virtual.Finland.fi"リンクもお勧め) 某サイトには世界のクリスマスツリーについての記述があり、日本ではツリーに金の扇子、提灯、風鈴などを飾りつけるが特に人気の飾り物は平和祈願の折り紙の鶴であると書いてありました。 ありり!)


Mel Torme sings Chestnuts Roasting on an Open Fire
16 Most Requested Songs Christmas Songs
16 Most Requested Songs by Mel Tormé Christmas Songs by Mel Tormé

☆ページトップの画像は2007年にHarperCollins(ハーパーコリンズ)から出版された子供向けの英語版ハードカバー本でメル・トーメとボブ・ウェルズが書き、挿絵は細かい描写と鮮やかな色彩を用いてファンタジーを創造する児童書のイラストレーター「Doris Barrette(ドリス・バレット)です。
可愛いイラストや本の中身が見られるThe Christmas Song: Chestnuts Roasting on an Open Fire (※未見につき詳細は不明)

Nat King Cole sings Chestnuts Roasting on an Open Fire
メル・トーメ&ロバート・ウェルズのコンビが作った「クリスマス・ソング」は1946年に初めてNat King Cole(ナット・キング・コール)が吹き込んだバージョンが大ヒットして人気のスタンダード曲としてクリスマスの定番となりました。

ナット・キング・コールのアルバム「Merry Christmas」やナット・キング・コールとディーン・マーティンの「Christmas With Nat and Dean」の他に1954年の映画「White Christmas(ホワイト・クリスマス)」では出演者のRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)も歌っていて、アルバムも「Bing Crosby Sings Christmas Songs」やLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)の「What a Wonderful Christmas」、Doris Day(ドリス・デイ)の「Personal Christmas Collection」、Linda Ronstadtの「Merry Little Christmas」、Connie Francis(コニー・フランシス)の「Christmas in My Heart」やSammy Davis Jr.(サミー・デイヴィス・ジュニア)の「Christmas With The Rat Pack」やLos Lobos(ロス・ロボス)の「El Cancionero Mas Y Mas」などと有名な歌手が"The Christmas Song"をクリスマスアルバムに収録しています。

♪ Nat King Cole - The Christmas Song

The Christmas Song on Tenor Sax
☆ザ・クリスマス・ソングを歌っているのはご本家のメル・トーメやナット・キング・コールやルイ・アームストロング、Bing Crosby(ビング・クロスビー)以外にも、Sammy Davis Jr.(サミー・ディヴィス・ジュニア)、女性歌手のドリス・デイ、Patti Page(パティ・ペイジ)、Connie Francis(コニー・フランシス)、そしてTony Bennett(トニー・ベネット)やAndy Williams(アンディ・ウィリアムス)、ロック・ミュージシャンならJames Taylor(ジェームス・テイラー)やJames Brown(ジェームス・ブラウン)までと歌っていない歌手はいないのではないかというほどです。 演奏バージョンになると大分少なくなりますが映画音楽のHenry Mancini(ヘンリー・マンシーニ)や軽音楽のMantovani(マントヴァーニ)の他、ジャズ・ミュージシャンではテキサステナーのEddie "Lockjaw" Davis(エディ・ロックジョウ・デイビス)が1960年にPrestige(7 inch 45 rpm)で録音した「Eddie Lockjaw Davis / Prestige Profiles 10」の演奏(B面は"Santa Claus Is Coming To Town")が素晴らしいのです。 現在はオリジナルが1953年としてThe Christmas Collection (Original Jazz Classics)としてCDがリリースされています。
テナーサックス奏者のエディ・ロックジョウ・デイビスの2曲とDexter Gordon(デクスター・ゴードン)とGene Ammons(ジーン・アモンズ)のバージョンが収録されている素敵なコンピレーションアルバム「The Christmas Collection」の試聴はThe Prestige Christmas Collection: The Christmas Song - ArtistDirect.com
☆エディ・ロックジョウ・デイビスの"The Christmas Song"やペギー・リーの"Christmas Carousel"などクリスマス特集のプレイリストはCoffeetime Playlist - December 19, 2008


Peggy Lee sings The Christmas Song (Chestnuts Roasting On An Open Fire)
私が初めてこのThe Christmas Song(ザ・クリスマスソング)に魅せられたのはPeggy Lee(ペギー・リー)がしっとりと歌ったバージョンでした。 Chestnuts Roasting on an Open Fire(暖炉の火で栗を・・・)と歌う落ち着いた、心地良い、郷愁に富んだ歌声は心を和ませてくれます。 本当にくつろいで、暖炉でパチパチと火がはぜるのを見ているようで実に大人のクリスマスの雰囲気です。

Christmas Carousel
ペギー・リーのクリスマス・カルーセルは大変紛らわしく、歌のタイトルであると共にアルバムのタイトルでもあります。 それにアルバム「Christmas」に収録されているChristmas Songという歌はChestnuts Roasting on an Open FireとかMerry Christmas To Youなどと表示されます。 クリスマス・ソングのサイトSantaSearchに問い合わせても「クリスマス・カルーセルはアルバム名です」という答えでした。
ペギー・リーのアルバムに1960年の"Christmas Carousel(クリスマス・カルーセル)"というタイトルのCDは現在は試聴もなく、殆ど見つかりません。
ペギー・リーのアルバムで"Christmas Carousel(クリスマス・カルーセル)"は試聴で10番のChristmas SongがChestnuts Roasting on an Open Fireです。
※ペギー・リーのChristmas Carouselというタイトルの歌はアルバムの"Lifetime Intimate Portraits: Christmas Belles"か"Holiday Magic"に収録されています。

Fitzgerald、London、Clooney、Vaughan、Kittなど有名歌手のクリスマス・ソング集
Lifetime Intimate Portraits: Christmas BellesLifetime Intimate Portraits: Christmas Belles
(クリスマス・カルーセルは試聴の7番)

The Christmas Carousel
ペギー・リーの歌やアルバムのタイトルになっているCarousel (カルーセル)とは回転木馬(メリーゴーランド)のことで、西洋では感謝祭の後、広場に特別設置のクリスマスツリーに灯がともされると同時に動かされるそうです。

☆クリスマスにはプレゼントとして贈られることもあるというクリスマス・カルーセル(メリーゴーラウンド・オルゴール)はクラシック回転木馬の精巧なミニチュアで、直径30センチ弱(8-1/4)の強固プラスティック製で木馬の動きに合わせて15曲の定番クリスマスソングを奏でるオルゴールだそうです。
Mr. Christmas Holiday Carousel - YouTube
Christmas CarouselGold Label World's Fair Carousel
私は購入経験がありませんが、発売元のMr. Christmas(画像拡大可)で、$115.00 USだそうです。(約1万3000円位)


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Isadora Duncan: The Mother of Modern Dance (1877-1927)
「モダンダンスの母」と呼ばれた美貌の舞踏家のIsadora Duncan(イサドラ・ダンカン)は又、「裸足のイサドラ」とも呼ばれました。 サンフランシスコに生まれたイサドラ・ダンカンは、1920年代のRoaring Twenty(ローリング20s)よりも早くFlapper(フラッパー)感覚を持ち、イサドラ・ダンカンの斬新な舞踊芸術は世間を仰天させ、そして50歳になるのを待たずして首に巻いた長いスカーフが自動車に巻き込まれたために悲劇的な死を遂げたのです。 それはイサドラ・ダンカンが回想録を書くため滞在していたニースでの予期せぬ出来事でした。 ソビエト帰りのイサドラ・ダンカンのトレードマークが共産主義の象徴でもある赤いスカーフだったのが皮肉です。 事故によるイサドラの死と交換にイサドラの価値が広く一般にも認められ今日までBizarre(ビザール/風変わり)な人生とモダンダンスが語り継がれているのでしょうか。

踊りには全く見識のない私がイサドラ・ダンカンを知ったのがほんの20数年まえのことで、ラジオかテレビのクイズ番組の中に「裸足で踊った舞踏家は誰?」という質問があったからでした。 当時は現在のように便利なインターネットが存在しなかったのでGoogle検索もなく、寝耳に水の私が図書館に飛んでいったのは言うまでもありません。 イサドラ・ダンカンは時代も時代ですから裸足で踊り、さらに衣裳を脱ぎ捨ててのパーフォーマンスではさぞかし風当たりが強かったでしょう。 イサドラは私生活でも不倫や年齢の差が有り過ぎる若者との結婚など波乱万丈の人生だったようです
日本にも時代の先端をいった芸術家といえば1960年代に水玉のモチーフで有名な前衛アーティストのKusama Yayoi(草間彌生(又は弥生))や1989年のドキュメンタリー映画"Eat the Kimono(着物を食え)"のモデルである舞踊家のHanayagi Genshu(花柳幻舟)などがいました。

Isadora Danced in Greek tunic
古代ギリシャ文化に感銘を受けたイサドラ・ダンカンは古典的なバレエではなくギリシアの舞踊を理想として即興的なダンスを創作したのです。 それまでのクラシックバレーのトゥシューズとチュチュという衣裳とは全く違うギリシャ風の長いチュニック(トゥニカ)を身に纏い自由な創作舞踊を生み出しモダンダンスのパイオニアとなりました。 裸に近い衣裳を纏ったり、時にはイチジクの葉すら取り去ったりした革命的な踊りがアメリカで酷評を受けたこともありイサドラ・ダンカンは欧羅巴行きを決行しました。

Loie Fuller
渡仏当初は同じくアメリカから来たLoie Fuller(ロイ・フラー)と一緒に仕事をしていました。
Loie Fuller's Serpentine Dance by Lumière Brothers
このビデオは1899年にフランスのLumière Brothersによって撮られ後から一コマづつ色付けされたそうです。
ロイ・フラーはHenri de Toulouse-Lautrec(ロートレック)がポスターに描いたことでも知られていますが、こちらも初期モダンダンスのパイオニアと呼ばれたパロディやボードビルのダンサー(女芸人)でした。 紅白歌合戦の元祖"小林幸子"じゃありませんが、客寄せのために大きなスカートの中でカラー電気を光らせる電気ダンスや、1900年のパリ万博で披露した幾重にもなった絹の衣裳を閃かせるSerpentine Dance(蛇踊り)や、さらに下からライトを当てたガラスの上で踊るFire Dance(火踊り)などというアヴァンギャルドなダンスを考案しました。
※英語本ですがロイ・フラーの表紙絵も中身も覗ける「Electric Salome: Loie Fuller's Performance of Modernism」という書籍が販売されています。(ISBN-10: 0691141096)

そんな新し者好きな彼の地ではイサドラ・ダンカンは「裸足のダンサー」として好評を博し欧州各国で公演するようになり、大成功したイサドラ・ダンカンは26歳でダンス学校を設立するに至ったのでした。
ヨーロッパ、特にパリにはアメリカ本土を離れて大成功したアメリカ人のダンサーや歌手が何人もいます。 モンパルナス地区の黒人ダンスホールに始まった黒人文化(ジャズ)ですが、20世紀の初めに腰にバナナをぶら下げて半裸で踊り歌ったレビューの女王のJoséphine Baker(ジョセフィン・ベイカー)や終戦後にKatherine Dunham(キャサリン・ダンハム)舞踊団に参加したEartha Kitt(アーサー・キット)の他、40年代から60年代にかけてMiles Davis(マイルス・デイヴィス)はじめ多くの黒人ジャズメンがパリで成功しています。

Isadora Danced to Classic music
イサドラ・ダンカンの母親がピアノ教師をしていたせいか、幼少から音楽はクラシック(古典)を嗜み、シェイクスピアなどの古典文学を愛読して育ちました。そのような環境もありダンスにクラシックを使用しました。 Beethoven(ベートーヴェン)の「第七」、Johannes Brahms(ブラームス)の「第一」などの交響曲、Frederic Chopin(ショパン)の葬送行進曲、J. Strauss(ヨハン・シュトラウス)の美しき青きドナウ、アメリカの作曲家であるEthelbert Nevin(エセルバート・ネヴィン)のWater Scenes、Alexander Scriabin(アレクサンドル・スクリャービン)など。
イサドラ・ダンカンのオフィシャルサイトはThe Isadora Duncan Dance Foundation

Isadora Duncan Photos - YouTube
Isadora Duncan, dancing to the classic music - YouTube


Isadora Duncan - Photograph in a Long Robe
Isadora Duncan American Dancer in a Long Robe Photographic Print

Isadora Duncan: Movement From the Soul
上記はAmazon.comにあるイサドラ・ダンカンのポスター画像です。
ページトップの画像は1989年にDaniel Geller(ダニエル・ゲラー)とDayna Goldfine(デイナ・ゴールドファイン)の共同監督による1時間カラー・ドキュメンタリー「Isadora Duncan」のAmazon.comにあるDVD画像ですが国内で入手できる「Isadora Duncan」のVHSにリンクしています。

ページトップのDVDと同じく。
※"ダニエル・ゲラー&デイナ・ゴールドファイン"のコンビが監督した伝説のロシアのバレエ団「Ballets Russes(バレエ・リュス)」の歴史を描いた2005年の「Ballets Russes(バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び)」が日本では2008年の正月に公開です。
※ちなみにBallet Russe de Monte Carlo(バレエ・リュス)に1935年に入団し終戦後にアメリカ公演をしたGeorge Zoritch(ジョージ・ゾリッチ)が2009年に亡くなりました。 ジョージ・ゾリッチはアメリカでは1946年のCole Porter(コール・ポーター)の伝記映画「Day and Night(夜も昼も)」で映画「バレエ・リュス」でも映像が見られるアメリカのバレーダンサーで女優のMilada Mladova(ミラダ)と華麗なる"Begin The Beguine(ビギン・ザ・ビギン)"を踊りました。


映画「裸足のイサドラ」」の元となったイサドラ・ダンカンによる回想録"My Life(わが生涯)"のペーパーバック版
My Life by Isadora DuncanMy Life
日本語の翻訳本はわが生涯 (1975年)
クルツィア フェラーリ (著),小瀬村 幸子(翻訳)の単行本で「美の女神イサドラ・ダンカン」もあります。

古典バレーから解き放ったフリーな舞踊への貢献そのものよりも話題となったイサドラ・ダンカンの自由で奇異な私生活を記述した1993年出版のハードカバー本
The Search for Isadora: The Legend & Legacy of Isadora Duncan (Hardcover) by Lillian LoewenthalThe Search for Isadora: The Legend & Legacy of Isadora Duncan
※Amazon.comでは中身が覗けます。


Vanessa Redgrave as Isadora Duncan in 1968 "Isadora"
イサドラ・ダンカンの伝記映画
Isadora VHS
Isadora: the movie - by Vanessa Redgrave映画「裸足のイサドラ」はイサドラ・ダンカンの回想録であるMy Life(わが生涯)とSewell Stokes(シーエル・ストークス)が出版した"Isadora Duncan an Intimate Portrait(イサドラ/愛しき友の肖像)を原作として映画化されたイサドラ・ダンカンの伝記映画です。 チェコスロヴァキア出身のKarel Reisz(カレル・ライス)が監督したイギリス映画で、幼少からバレエを習っていたイギリス女優のVanessa Redgrave(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)がイサドラを演じてカンヌ国際映画祭女優賞を受賞しました。
公開当時日本で発売された「裸足のイサドラ」のオリジナル・サウンドトラックのEP盤はもうありません。
※フランスのピアニストでPaul Mauriat(ポール・モーリア)の国内盤CD"男と女~ポール・モーリア・スクリーン・ミュージック・ベスト・セレクション"に哀愁を帯びたテーマ曲"Isadora(裸足のイサドラ)"が収録されています。
この他、ポール・モーリアのLPアルバムに「裸足のイサドラ」というのがあったそうですが、に収録されていた曲は現在、1968年の大ヒット曲の恋はみずいろ、男と女、雨の訪問者、さよならなどを収録したCDのポール・モーリア大全集 ~1998ニュー・エディション [Box set]の一部となっています。

ヴァネッサ・レッドグレーヴは1966年にもカレル・ライス監督の日本未公開のMorgan: A Suitable Case for Treatment(モーガン)でも主演している他、1970年にRoy Battersby(ロイ・バタースビー)監督のドキュメンタリー映画「The Body」でもナレーターとしてFrank Finlay(フランク・フィンレイ)と共に出演しています。 この「The Body(肉体)」は1968年にAnthony Smith(アンソニー・スミス)によって誕生から死までの人体の驚異について書かれたベストセラー本の「The Human Body」をもとにロイ・バタースビー監督が映画化したものでプロデューサーのRoger Waters(ロジャー・ウォーター)が音楽を手掛けPink Floyd(ピンク・フロイド)も参加したサウンドトラックが評判となりました。 ヴァネッサ・レッドグレーヴが出演する最新映画は2007年にJoe Wright(ジョー・ライト)が監督した英国ロマンス映画の「Atonement(つぐない)」で主役の作家志望の"Briony(ブライオニー)"の晩年の姿を演じます。 想像力豊かな女流作家のタマゴが姉の恋人に横恋慕した挙句、偽証して無実の罪に陥れてしまった結果この3人の運命が変わり、ブライオニーは永遠に恋の成就と贖罪に悩むという贖罪物語だそうです。
「裸足のイサドラ」の音楽はMaurice Jarre(モーリス・ジャール)ですが、イサドラ・ダンカンの最期に流れるLudwig van Beethoven(ベートーヴェン)のSymphony No.7 in A(交響曲第7番)からアレンジした"Bye Bye Blackbird"を、Pyotr Ilyich Tchaikovsky(チャイコフスキー)のMarche Slave(スラヴ行進曲)からLa Belle Est en ce Jardin D'Amourを、Franz Schubert(シューベルト)のImpromptu in B-flat opus posth. 142(即興曲変ロ短調遺作142)などを使用しているそうです。
Vanessa Redgrave plays "Isadora Duncan" (1968) Karel Reisz - Youtube

映画「裸足のイサドラ」では、アメリカ生まれのイサドラ・ダンカンが英国に渡り見たものは大英博物館のギリシア彫刻でした。 ギリシャ彫刻に見られるチュニックと呼ばれる衣裳は自分のダンスにピッタリだと思ったのでした。 情熱的に舞台で踊る間に、26歳のイサドラは既婚者の舞台芸術家のゴードン・クレイグと恋仲となり子供を産むが破局する。 同じく富豪のParis Singer(パリス・シンガー)の子供を産んでも結婚は望まなかった。 大勢の子供たちにダンスを教える使命を持っていたほどのイサドラに、どうしたことか最愛の二人の子供たちがセーヌ川に転落死してしまう悲劇に見舞われる。 悲嘆に暮れているイサドラにロシアから舞踊の指導者としての招待が来る。 そこでイサドラ同様に波乱の人生を送り、酒乱といわれた当時26歳の革命の農民詩人と呼ばれた"Sergei Aleksandrovich Esenin(セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・エセーニン)"と43歳のイサドラとの狂気の愛が始まる。 ハンサムなエセーニンは5度目の結婚でしたが子持ちのイサドラは結婚としては初めてでした。 結婚したイサドラは二人でアメリカに帰国したものの、まだ保守的だったアメリカでの公演は赤い衣裳を脱ぎ捨てて踊った「解放の踊り」は失笑を買っただけでした。 結婚して数年後の1925年にイサドラに見限られたエセーニンは若干30歳にして自殺してしまいます。 詩人は死に際しても自ずの血をもって最後の詩をしたためたのでした。 そしてその後、イサドラも誰も予期せぬ非業の最期を遂げたのでした。 「チャオ!」と一言残してようやく本当の自由の天地へ飛び立ったようです。
イサドラとエセーニンのツーショット写真が見られるIsadora Duncan and Sergei Esenin Photograph

※「裸足のイサドラ」を監督したカレル・ライスのその他の作品にはAlbert Finney(アルバート・フィニー)が英国アカデミー賞の新人賞を受賞した1960年の「Saturday Night and Sunday Morning(土曜の夜と日曜の朝)」があります。
映画でイサドラ・ダンカンを演じたヴァネッサ・レッドグレーヴはイタリアの監督であるMichelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)の初のイギリス映画で、ブリティッシュ・ロックとロンドン・ファッションを盛り込んだ1966年の不条理劇「Blowup(欲望)」で注目されました。


Don't Drink and Do-It!
Knocked Up (2006) by Judd Apatow
Katherine Heigl and Leslie Mann in Knocked Up (2006)
ジャド・アパトウの笑えないコメディ第二弾! 「ノックトアップ」

Judd Apatow
ジャド・アパトウ(ジャド・アパトー)はJim Carrey(ジム・キャリー)関連の映画としては1996年にThe Cable Guy(ケーブル・ガイ)で制作側に名を連ね、2005年の「Fun with Dick and Jane(ディック&ジェーン 復讐は最高!)」の脚本に関わっています。 その後、日本未公開でしたが2004年にBewitched(奥さまは魔女)のWill Ferrell(ウィル・フェレル)やSteve Carell(スティーヴ・カレル)が出演したAnchorman: The Legend of Ron Burgundy(俺たちニュースキャスター)では制作、そしてスティーヴ・カレルが主演した2005年の「The 40-Year-Old Virgin(40歳の童貞男)」を監督しましがそれ以降はウィル・フェレルと組んで製作などに関わってきました。
そして今、再びジャド・アパトウが監督、脚本及びプロデュースする美人キャリアウーマンとプー太郎のありえないカップルを描いたR指定コメディ「Knocked Up(ノックトアップ)」が大ヒットしているそうです。 「できちゃった!」とはこれまたすごいタイトルですが、Gynecologic Jokes(産婦人科ネタ)を織り込んで現実的な問題を皮肉の基本姿勢で描いているそうです。 それにしてもいやらしい産婦人科の医師に「お姉さんと同じ。」と言われたアリソンも気の毒。 なんたってジャド・アパトウが監督ですからこの映画はただのコメディではなさそうですよ。 日本公開は大幅に遅れて2008年の12月です。
< 超一流コメディ!> 早く診たい!じゃなくて観たい!

Will It Turn From One Night Stand Tragedy To La Vie en rose?
酔っぱらった一夜の火遊びでデキチャッタ!新進ジャーナリストのAlison Scott(アリソン)役にはモデル出身でテレビシリーズの「Roswell(ロズウェル/星の恋人たち)」などに出演していたKatherine Heigl(キャサリン・ハイグル又はヘイグル)が演じます。
まさに、美女と野獣! テレビ番組の司会者になれて目下ノリノリ人生を楽しんでいる若い美女が酔った勢いで、何でこんな奴と"Let's Do It!"、そして2ヶ月後に身体に異変が Oh My God!
惨劇転じてハッピーエンドなるかはあの無精髭男の手中にありやなしや!
ヒロインのアリソンが『ああはなりたくない!』と思っている倦怠夫婦の見本である姉のDebbie(デビー)にはジャド・アパトウ夫人のLeslie Mann(レスリー・マン)が演じますが、同じくジャド・アパトウ映画の常連であるIris ApatowとMaude Apatow(ジャド・アパトウの娘)がアリソンのおしゃまな姪っ子姉妹を演じています。 デビーの夫のピートにはPaul Rudd(ポール・ラッド)です。 まるで縫いぐるみのクマちゃんみたいな風貌の、大人になり切れないBen Stone(ベン)を演じるのが2004年の「俺たちニュースキャスター」や「40歳の童貞男」にも出演したヴァンクーバー出身のSeth Rogen(セス・ローゲン)で目下人気上昇中です。 セス・ローゲンの"セス"という名前は1998年に「City of Angels(シティ・オブ・エンジェル)」でNicolas Cage(ニコラス・ケイジ)が演じた天使の名前ですが、Meg Ryan(メグ・ライアン)が言った「セスって、変わった名前ね。」というセリフを思い出しました。 映画の中では冴えない無責任男の役を演じたセス・ローゲンは若手のコメディ俳優ですが、プロデューサーやエミー賞やMTV Movie Awardsにノミネートされた脚本も手掛けるマルチタレントの映画人でもあり、「ノックトアップ」では出演と製作総指揮も担当しています。 テレビの"Friends(フレンズ)にも出演していたPaul Rudd(ポール・ラッド)が義兄のPete(ピート)役を演じるなどまさに「40歳の童貞男」の同窓会のようです。 セス・ローゲンの次回出演作品は日本未公開ですがジャド・アパトウがプロデュースするGreg Mottola(グレッグ・モットーラ)監督の2007年のコメディ映画の「Superbad(スーパーバッド 童貞ウォーズ)」で、セス・ローゲンは製作総指揮及び脚本も担当しています。(2007年8月にアメリカで公開) 2008年8月にアメリカで公開のDavid Gordon Green(デヴィッド・ゴードン・グリーン)監督の犯罪コメディ映画「Pineapple Express」で脚本を手掛けマリファナ中毒のDale Denton役で主演します。 麻薬を買うために売人と会いいかれたオマワリと麻薬王がつるんだ殺人現場を目撃してパニックに陥ったデイルがレアな麻薬を投げ捨てこちからで足が付くというストーリーなんだそうです。 タイトルのPineapple Expressとは新種の大麻だとか。 アニメでは2007年のKung Fu Panda(カンフー・パンダ)でカマキリの声を担当する他、2008年にはダレダーレの窮地を救う像のホートンの冒険を描いた「Horton Hears a Who!(ホートン ふしぎな世界のダレダーレ)」や妖精をテーマにした冒険ファンタジーの「The Spiderwick Chronicles(スパイダーウィックの謎)」でも声の出演をしています。

Knocked Up Synopsis
あらすじには結末も描かれているのでこれからビデオをご覧になる方は読まない方が楽しめます。
なぜこの曲なのかは全く分りませんがまさか"Hey, baby, I like it rawww..."じゃないでしょうが、Ol' Dirty Bastard(オール・ダーティ・バスタード)の"Shimmy Shimmy Ya"で始まる「ノックトアップ」の冒頭シーンはおバカな若者たちの戦いごっこからジェットコースタまで享楽の限りを尽くした日常を描き出します。 一方やレスリー・マンが演じる姉一家の屋敷内でプールサイドの離れに住んでいるのはテレビ局に勤務するアリソンです。  コンピュータに携わって怪しいウエブサイトの制作が仕事のベンとルームメイトの総勢5人のばっちい青年どもの一人であるジェイソンはJason Segel(ジェイソン・シーゲル)が演じています。 ジェイソン・シーゲルはポール・ラッドと共に2008年の「Forgetting Sarah Marshall(寝取られ男のラブ♂バカンス」で脚本及びピーター役で主演しているばかりでなく自作の"Dracula's Lament"まで歌っています。
Kickin' Fuckin' Ass
アリソンはめでたくTV局のインタビューの仕事に抜擢され姉のデビーと喜びを分かち合おうと町へ繰り出します。 クラブに入るとそこにあのベンのご一行さまが来ていたのです。 立て混んだカウンターに飲み物を取りにいったアリソンとベンが偶然隣り合わせとなりビールを融通したことから知り合いになります。
Katherine and Seth Dancing at the bar - YouTube
仲間の男に促されたベンはアリソンとデビー姉妹のテーブルにてのこのことやってきます。 ジェイソンはデビーが気に入ったようで「綺麗だね」褒めたところ、アリソンが余計なお世話で「姉は結婚してるのよ。子供が二人もいるの。」と暴露。 そこにまさに子供が水ぼうそうだと電話が入るのです。 「まだここにいるわ。」と言うアリソンを残して姉は家に帰ります。 なにしろ今夜は嬉しいからアリソンは飲む、飲む、飲む。 踊る、踊る、踊る。 相手は誰でもいい! ベンのもしゃもしゃ頭に触って「貴方のカーリーヘアが好きよ。」とまで言ってしまう。 ラッキーなのはベン 「でへへ。」 酔っ払って意気投合しちゃった二人はクラブを出るやいなやアリソンがベンに飛びついてキッス! 即ベッドへ直行! ベンはこんな場合に備えての用意があったが慣れていないから手間取って。。。早く!早く!と急かすアリソンの声でやむなく放棄! さて、翌朝、朝日に照らされた自分の部屋でアリソンはばっちいケツを見た。 なんてこった! 起こされたベンは「む、俺たち、やっちまったのか。」 朝ご飯をご所望のベンを連れて食堂へ。 ベンはアリソンの名詞をゲット。 まずは大成功。

さて、あの一晩の情事から8週間が経ちました。 タマゴの細胞分裂の映像。 テレビのお仕事中のアリソンに細胞分裂の結果生じる現象が。 おえっ、おえっ。 スタッフの質問は「何食ったの? 流感か?」
家に帰ったアリソンはデビーに相談。 覚えが無いけれど、まさか、あの、くまちゃんと。 慌てた二人は薬局に駆け込み手当たり次第に妊娠検査薬を買い込む。 トイレにこもって全部お試し。 どれもこれも陽性! その男の電話番号は?と聞くデビーにアリソンが答えられるのはベンのばかげたウエブサイトのことだけ。 Fressy of the Starsのサイトはなんと工事中! そこで姉はサイトに書かれたメンバーのメールアドレスからベンにメールを送信する。 "What is your number? I need to speak with you right away." これを受け取ったベンは仲間と大喜び! やったー!(本当にやった。) さっそく電話番号にスマイルマークも添えて即刻返信。 当然のこと、すぐにアリソンから電話で「明日の晩に食事にいかが?」とお誘い。 ベンも仲間も当然期待しているのはアレ。 レストランで会った二人、「なんであたなに電話したかというと、妊娠したからよ。 貴方が赤ちゃんの父親なの。」とアリソンから聞いたベンは言葉を失う。 結局二人は翌週に病院に行くことにする。 「9週です。おめでとう!」と医師からおめでたくないお言葉を頂きショックで泣き出すアリソン、戸惑うベン。 結局愛の結晶を受け入れることに決めたアリソン。 そう望むベンともっとお互いを知り合うことにする。 この時レストランで流れる曲はThe Little WilliesのNorah Jones(ノラ・ジョーンズ)が歌う"Love Me"です。 この曲は1956年にMike Stoller(マイク・ストーラー)とJerry Leiber(ジェリー・ライバー)のコンビがElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)に書いた曲です。 お手々つないですっかり若夫婦のように歩くアリソンとベンは赤ちゃん用品を見に行ったり、ベビードレスや妊娠ガイドブックを買ったりと親になる準備に余念がありません。 妊娠中の注意事項。 寿司食うな。 麻薬やるな。 トランポリンするな。
もう24週目、つまり6ヶ月が経過しました。 どんどんせり出してくるアリソンのお腹。 そんな折、Bob Marley & The Wailers(ボブ・マーレイとワイラーズ)の"Put It On"をBGMにベンがマリファナを吸ってハイになっていると突然すっごい地震! カルフォルニアだから地震も珍しくないようだが全員表に飛び出す。 警戒中のパトカーが通り過ぎる時、ベンはまだ手にしていたマリファナ用水ギセル(bong)に気付き慌てて割って捨てた。 それからアリソンとベン、そして姉夫婦間にもすったもんだがあり、意気投合したベンとデビーのポールの二人はラスヴェガスに繰り出し羽目を外すがそれも飽いて二人とも家に帰りたくなる。 娘のバースデイ・パーティにやって来たベンは「俺はもうそんな男じゃないんだ。」とアリソンに言う。 確かにベンの顔は映画の冒頭からみるとずっと大人っぽくなっている。 産み月まであと2ヶ月という大きなお腹をかかえてテレビのインタビューの仕事をこなすアリソン、そのスターたちの中にカメオ出演でスティーヴ・カレルやJessica Alba(ジェシカ・アルバ)の顔も見えます。 テレビ局でボスに呼ばれた妊娠8ヶ月のアリソンはクビかと思いきや計らずしてお腹の大きなインタビューアが人気があると判明した模様で、腹のでかさに比例して視聴率も上がったとか。 めでたし、めでたし。 アリソンはラマーズ法へ通ったり、赤ちゃん用品を揃えたり、ベンは部屋の模様替えをするなど着々と出産準備が整っていった。
そして、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!!!! キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!!!!!

車でベンが駆けつけるとアリソンはリラックスするために泡風呂の真っ最中。 やっと入院できて、さて分娩。 アリソン自身の大写しには度肝を抜かれるがトリックだからご安心。 無事に生まれた赤ちゃんを抱くアリソン。 女児誕生、おめでとう!
エンディング・クレジットはハワード医師として出演もしている歌手のLoudon Wainwright III(ラウドン・ウェインライト)の歌で"Daughter"と"Grey in L.A"

Don't Drink & Do-It, or Possibly Knocked Up
<飲んだら乗るな! 飲んだらやるな!>
結婚する気もなかったのに"デキチャッタ!"なんて若い女性には深刻な問題を取り上げ、その若者カップルの困惑や正しい行動をとろうとする道徳観念や、男と女がそれぞれ相手に期待する生来の矛盾など恋愛について率直に描いているそうです。 それほど露骨でもなさそうですが産婦人科関連のお下品な下ネタは映倫にひっかかりそう。
※ちなみにタイトルの"Knocked Up"は「妊娠させる」だそうです。
「ノックトアップ」のスチール写真と人物紹介が見られるKnocked Up Photos - moviefone.com(nextをクリックすると30枚見られます。)
それでは皆様、くれぐれも飲んだら  Don't Dooo IT!

video「Knocked Up(ノックトアップ)」のオフィシャルサイトではもう予告編が観られないのでKnocked Up Trailer - VideoDetective
Knocked Up International Trailer - YouTube
Judd Apatow Interview - YouTube

The dipstick presents high levels of HCG ... Woooow, Knocked Up!
今ならオフィシャルサイトでENTER THE SITEをクリックしてすぐにローディング画像として出てくるシロモノは、ページトップの画像で姉妹が見ているのと同じHome Pregnancy Test Kit(妊娠検査薬)のようです。 1回分が1000円ほどとちょっとお高い検査スティック(もしくはスリップ)は即結果を示してくれるので、基礎体温を計るGynecological Thermometer(婦人体温計)と合わせて良く使用されるそうです。 この尿検査スティックは赤い丸とかラインが出れば陽性(プラス)で妊娠の可能性大! 結果は嬉しかったり悲しかったり!
※今ならオフィシャルサイトのMUSICをクリックするとサウンドトラックが聴けます。
アメリカでは2007年の6月から公開されてBox Office(興行成績)でも上位(6月当初は第2位)にありました。 日本での公開は、2005年の「40歳の童貞男」が翌年2006年に公開されたより遅れて、2008年にジャド・アパトーが制作したコメディ映画「Forgetting Sarah Marshall(寝取られ男のラブ♂バカンス)」と同時に2008年12月に公開です。
「ノックトアップ」の後は2008年にキャサリン・ハイグルが主演する「27 Dresses(幸せになるための27のドレス)」に期待しましょう! この映画でもキャサリン・ハイグルは飲んでできちゃった!はないですがやっちゃった。
ちなみにイギリスの「Empire誌」恒例の2007年のSexiest Movie Starでは"Knocked Up"でのキャサリン・ヘイグルが第84位に選ばれているそうです。

Let's Do It, Let's Fall in Love
"Knocked Up"の予告編で流れている歌は さて何でしょう?
この曲はサウンドトラックには収録されていませんが、Eartha Kitt(アーサー・キット)が"When the little bluebird, Who has never said a word ...と歌う"Let's Do It (Let's Fall in Love)です。
1928年にCole Porter(コール・ポーター)が作った"Let's Do It"はLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)のユーモラスなヴォーカルが知られていますが、セクシーバージョンのアーサー・キットの他にも、The L Word(Lの世界)のサントラではElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)が歌っています。 この他にも"Let's Do It"はBillie Holiday(ビリー・ホリデー)、Dinah Washington(ダイナ・ワシントン)、Peggy Lee(ぺギー・リー)といった女性ジャズ歌手やFrank Sinatra(フランク・シナトラ)などの男性歌手も歌っています。 歌詞にはいくつかのバージョンがありますが、オリジナルの「Chinks do it, Japs do it,」といった差別的かつ不適切な歌詞はchimpanzeesやkangaroos に変えられたそうです。(チンクは中国人でジャップは日本人の蔑称)
思わせぶりな「Do It」とという言葉はMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)が朝鮮戦争時代の1954年に歌ったGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュイン)作曲の「Do It Again」にも使用されています。
モンローの「Do It Again」についてはApril Stevens(エイプリル・スティーヴンス)参照。
予告編で流れるLet's Do It, Let's Fall in Loveはアーサー・キットのアルバムPurr-Fect: Greatest Hitsに収録されています。

Knocked Up Soundtrack
「Knocked Up」の音楽はJoe Henry(ジョー・ヘンリー)ですが、映画で使用されている曲目にはボブ・マーリーの子供であるレゲエのDamian Marley(ダミアン・マーリィ)、キルビル2のサントラで"Black Mamba"を歌ったヒップホップ集団のWu-Tang Clan(ウータン・クラン)、ニューウェーブのB-52's(ビー・フィフティートゥーズ)、そしてイギリスで注目のLily Allen(リリー・アレン)などのアーティストたちの音楽が使用されているそうです。
※シンガーソングライターのジョー・ヘンリーは2002年に"King of Rock and Soul"と呼ばれたSolomon Burke(ソロモン・バーク)がグラミー賞を受賞したアルバム「Don't Give Up on Me」をプロデュースしたことでも知られています。(魅惑のテナー奏者と呼ばれたサム・テイラーが吹き込みに参加したこともあり) 2006年のThe Devil Wears Prada(プラダを着た悪魔)でMadonna(マドンナ)の曲作りにソロモン・バークも参加したそうですが"Jump"はサントラには収録されませんでした。
Damian Marley - All Night
Shimmy Shimmy Ya" By The Wu-Tang Clan
The B-52's Rock Lobster
Lily Allen - Smile

Loudon Wainwright III
2007年5月に発売された「Knocked Up」のサントラは普通とはちょっと違っています。 通常サウンドトラックCDは映画に関連した画像のCDカバーなのですが、エリートミュージシャンのLoudon Wainwright III(ラウドン・ウェインライト)の1998年のポップスとクラシックの融合音楽といわれるデビューアルバムがジャド・アパトウ監督ご指定の"Knocked Up"サントラなんだそうです。 これが通には意外と人気なのです。 へえ~! 映画で使用されたラウドン・ウェインライトの自作自演の"Daughter"、"Grey in LA"、"Feel So Good"、"So Much To Do"、"X or Y"や"Passion Play"などが収録されているアルバムです。
Strange Weirdos: Music from and Inspired by the Film Knocked Up
knockedCd.jpg

Knocked Up DVD
2008年に邦題が「無ケーカクの命中男/ノックトアップ」として2008年12月に映画か公開されるので、DVDが2009年2月6日に発売されますが日本のDVDカバーはSeth Rogen(セス・ローゲン)のようです。
無ケーカクの命中男/ノックトアップ
Knocked Up DVD
Seth Rogen as Ben Stone
日本では「Knocked Up」の輸入版のDVDがオークションなどで7000円から9000円で入手できることもありますが、無理に購入することはありません。 そのうちテレビの洋画劇場などで放映されるかもしれません。



Harry James, You Made Me Love You!
ハリー・ジェームスはスイング音楽が全盛の時期には一世を風靡したトランペット奏者で、華麗なトランペット奏法は曲目によっては聴けばすぐに分かるほど独特の哀愁を帯びた音色を持っていました。
私が学生時代に誕生日祝いとして母からプレゼントされたレコードの一枚にハリー・ジェームスの赤いドーナッツ盤"Capitol 7P-26"がありました。 Ciribiribin(チリビリビン)、Trumpet Blues(トランペット・ブルース)、Sleepy Lagoon(スリーピー・ラグーン)が収録されていて、録音時期は不明ですが推定するとおそらく1950年頃から1952年以前と思われます。 なぜならレコードの説明書きには、この盤のハリー・ジェームス楽団にはWillie Smith(ウイリー・スミス)が迎えられ、Duke Ellington(デューク・エリントン)楽団の演奏で有名なCaravan(キャラバン)を作曲したトロンボーン奏者のJuan Tizol(ファン・ティゾール)などが参加しているとあるからです。 ハリー・ジェームス楽団を盛り上げたウイリー・スミスは1930年代の3大アルトサックス奏者の一人と呼ばれるほどだったのに冷遇されていたということですが、1940年代後期にLionel Hampton(ライオネルハンプトン)楽団で演奏したStardust(スターダスト)は秀逸です。 スウィングが衰退し出した1950年代初期のデューク・エリントン楽団でJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)他主要演奏者3名が抜けた後にファン・ティゾールが戻り、ハリー・ジェームス楽団での仲間だったウイリー・スミスを引っ張ったそうです。
Duke Ellington Caravan with Juan Tizol on trombone 1952 - YouTube

1939年にハリー・ジェームスのトランペットでフランク・シナトラが歌った「チリビリビン」はイタリアのAlberto Pestalozza(アルベルト・ペスタロッツァ)が1898年に作曲したワルツ曲だそうですが、1880年のFuniculì funiculà(フニクリ・フニクラ)同様、イタリアで登山電車の宣伝用に作られた曲だとも聞きました。 恋を歌った「チリビリビン」は1943年に大ヒットしてハリー・ジェームスのテーマ曲ともなりました。 イタリア語の「Ciribiribin(チリビリビン)」とは何かというとそれ自体には特に意味はなさそうです。
「トランペット・ブルース」はデキシー・トランペッターのDonald Lindley(ドナルド・リンドレイ)の曲をハリー・ジェームスとバンドの編曲者だったJack Matthias(ジャック・マッティアス)による"Dodgers' Fan Dance"コンビの共同編曲だそうです。 トランペット・ブルースというだけあってハリー・ジェームスを含め6人ものトランペットセクションが聴けます。 "Sleepy Lagoon(スリーピー・ラグーン)"は英国のEric Coates(エリック・コーツ)が1930年に作曲し、作詞はJack Lawrence(ジャック・ローレンス)だそうです。 Sleepy Lagoonの歌詞はSleepy Lagoon Lyrics - Rhapsody Online
いづれにせよ、Art Blakey(アート・ブレイキー)の"Moanin'(モーニン)"を買ったばかりの当時の私にはちと退屈な曲でしたが大人になってから好きになりました。
※このハリー・ジェームスのスリーピー・ラグーンが大ヒットしていた1942年にロスアンジェルスで起こったメキシコ系の若者たちが関係した殺人事件はThe Sleepy Lagoon Murderと名づけられたそうです。(詳細はAudio-Visual Triviaのブラック・ダリア Black Dahlia

Harry James and His Orchestra
ハリー・ジェームスの母親は曲馬団(サーカス)で花形ブランコ乗りだったそうですが、父親はトランペッターでサーカス楽団のバンドリーダーだったことからハリーは幼少から音楽に携わっていたそうです。 サーカスバンド出身といえば私の好きなトランペッターのRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)がいました。
ハリー・ジェームスが20歳の時、1936年末ですが、当時トップクラスの人気バンド"ベニー・グッドマン楽団"のリーダーのBenny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)に招かれてエネルギッシュにトランペットを吹きまくりました。 ベニー・グッドマンはハリー・ジェームスと同じくユダヤ人のクラリネット奏者で、人種を超えて多くの若きミュージシャンたちを後援していました。 そのベニー・グッドマンの助力を得てハリー・ジェームスは1939年に自分のバンド"Music Makers"を結成することになります。 ホテルのボールルーム(ダンスホール)などでスイングを演奏しましたが、これが大受けしてダンスホールの客だけでなく十代の若者たちも押しかけてくるほどの大人気となります。 黒人たちにはブルースやR & Bがありましたが白人ティーンズにとってはロックンロールが台頭するまではスイングバンドの歌手たちがアイドルでした。 そうです、The Golden Age of Radio(ラジオデイズ)です! テレビがまだ一般に普及していない1920年代後期から1950年代には人々は家庭で音楽やドラマのラジオ番組を聞いて楽しんでいたのです。 特にスイングなどのラジオショーはダンスホールに行かれない人々が楽しんでいたようです。
ハリー・ジェームス楽団は1930年代の後期には人気ナンバーワンのスイングバンドになりましたがバンドの運営困難に陥り、路線を変更することになります。 ストリングスを導入し1942年の1942年の"Cherry"のようにもっとメロディックで甘くて感傷的な音楽を演奏し始めたのです。

The Swinging Years
はりきりボーイのトランペッター「ハリー・ジェームス」は黄金のスイングジャズ時代にスイング王と呼ばれたBenny Goodman(ベニー・グッドマン)やCount Basie(カウント・ベイシー)をはじめ、Glenn Miller(グレン・ミラー)、Jimmy & Tommy Dorsey(ジミー&トミー・ドーシー)、Stan Kenton(スタン・ケントン)、Artie Shaw(アーティ・ショー)、Duke Ellington(デューク・エリントン)、Cab Calloway(キャブ・キャロウェイ)、Woody Herman(ウッディ・ハーマン又はウッディ・ハーマン)、Lucky Millinder(ラッキー・ミリンダー)、Larry Clinton(ラリー・クリントン)、1930年代後期のTeddy Wilson(テディ・ウィルソン)、そしてCharlie Barnet(チャーリー・バーネット)やRay Anthony(レイ・アンソニー)やBob Crosby(ボブ・クロスビー)といったビッグバンドの面々と肩を並べて1930年代後半から1970年代まで活躍しました。
ジャズトランペッターのConte Candoli(コンテ・カンドリ)は初期に影響を受けたトランペッターとしてトランペット王と呼ばれたRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)やDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)などに加えハリー・ジェームスもあげています。
Big Band Music Leader Biographies & Links
※英語ですがハリー・ジェームスの写真が見られるHarry James and His Big Band

Harry James and His Music Makers - Concerto for Trumpet 1942 - YouTube
Flight of the Bumblebee 1943 - YouTube
Two O'Clock Jump in Best Foot Forward 1943 - YouTube
Green Onions - Harry James with Buddy Rich 1965 - YouTube
Cubana Chant by Harry James & his New Swingin' Band with Buddy Rich on drums in Japan 1964 - YouTube

"The Complete Harry James In Japan: 1964"は日米のAmazonにはありませんが日本で発売されたレーザーディスクからDVDに変換してアメリカでリリースされたという情報はJazz Legends Site - The Complete Harry James In Japan: 1964(Don't Be That Way、Cherokee、Take the A Train、Two O'Clock Jumpなどを収録)

Helen Forrest and Dick Haymes
ハリー・ジェームスはスイングジャズの人気トランペッターというだけだなくバンドリーダーとしても新人の発掘にも力を発揮しました。 ハリー・ジェームス楽団の専属歌手というと初期1937から1938年にはHelen Humes(1913-1981/ヘレン・ヒュームズ)が、1945年にはKitty Kallen(1922-/キティ・カレン)が、そして1951年頃にはLes Brown and His Band Renown(レス・ブラウン楽団)の専属歌手だったDoris Day(ドリス・デイ)がハリー・ジェームス楽団と吹き込みしていますが、なんといっても1943年に"I've Heard That Song Before(1945年)"を歌ったHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)は大好きです。
Kitty Kallen with Harry James & His Orchestra - I'm Beginning to See The Light - Rádio UOL

ハリー・ジェームスはレストランでウエイターをしながらラジオショーで歌っていたFrank Sinatra(フランク・シナトラ)をスカウトして専属歌に雇い入れたもののバンドの経営困難が災いしてシナトラはすぐにTommy Dorsey(トミー・ドーシー)に移籍してしまいました。 ハリー・ジェームスが1941年に"Music Makers"で初のトップテン入りした後の1942年にはフランク・シナトラの後釜として入団したDick Haymes(ディック・ヘイムズ)の歌う"Lament to Love"で2度目のトップテン入りを果たしています。 "Music Makers"のヒットの後、ハリー・ジェームス楽団は"Harry James and His Music Makers"とも呼ばれるようになったそうです。
私は甘い歌声のディック・ヘイムズの曲では同じく1941年の"I'll Get By(As Long as I Have You)"も好きです。

You Made Me Love You
James V. Monacoが作曲した"You Made Me Love You(恋のとりこに)"はJoseph McCarthy(ジョセフ・マッカーシー)の歌詞で1913年にAl Jolson(アル・ジョルソン)が吹き込んだ曲ですが、1937年のRoy Del Ruth監督のミュージカル映画"Broadway Melody of 1938"でJudy Garland(ジュディー・ガーランド)が"Dear Mr. Gable: You Made Me Love You"として歌いました。 そのジュディー・ガーランドのセンチメンタルなねばっこい歌唱法が気に入ったハリー・ジェームスは1941年にArtie Shaw(アーティ・ショー)などで多くのビッグバンドのアレンジを手掛けたJeff Hest(ジェフ・ヘスト)の編曲でもっと甘くてねばっこい"You Made Me Love You"を演奏したところミリオンセラーとなり、今日でも永遠の名曲となっています。
You Made Me Love You by Al Jolson - YouTube
Judy Garland 'You made me love you'1962 - YouTube
"You Made Me Love You" - Helen Forrest with Harry James - YouTube
☆"You Made Me Love You"の歌詞とmidiが聴けるAt Home with The Duchess - You Made Me Love You
黒人風に顔を黒くしたメイクで有名な白人エンターテイナーのアル・ジョルソンが歌った"You Made Me Love You"を感傷的に演奏してトップ5に輝いたのが1941年の秋のことで、これによりハリー・ジェームスはスターの座を不動のものにしたのでした。 アル・ジョルソンは1920年のミュージカルの"Sindbad(シンドバッド)"で歌った1919年のGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュイン)作曲のSwanee(スワニー)がよく知られているブロードウェイの歌手です。
その後ヘレン・フォレストのヴォーカルで"I Don't Want to Walk Without You"や"Manhattan Serenade"そしてTommy Dorsey(トミー・ドーシー)も演奏した"Sleepy Lagoon(1942年)"など立て続けにヒットを飛ばしました。
1945年には"I'm Beginning to See the Light"がナンバーワンとなった他、 "I Don't Care Who Knows It"、 "If I Loved You"、"I'll Buy That Dream"、"It's Been a Long, Long Time"、"Waitin' for the Train to Come In."、 "If I Loved You"がBuddy DiVito(バディ・デヴィート)やKitty Kallen(キティ・カレン)のボーカルでトップ入りしました。
ハリー・ジェームスは戦後のビッグバンドが衰退した時期にストリングスを引っ込めジャズ志向に路線を変更し、1947年のSeptember Songのような曲を演奏してCount Basie(カウント・ベイシー)を目指しましたが、商業路線を取ったハリー・ジェームスには成就しなかったようです。(稀にカウント・ベイシーと聴き違えそうな演奏もあり)
ハリー・ジェームスは1964年に来日していますが、ハリー・ジェームスの楽団「Music Makers」は1963年頃にはDisneyland(ディズニーランド)の専属となっていたそうです。 ハリー・ジェームス1983年の演奏を最後に亡くなりました。
The Harry James Orchestra - James Bond Theme - (60's Super Hits) - Rádio UOL

ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでのハリー・ジェームスの曲目ではもちろん一番人気は"You Made Me Love You"! その次に"Two O'Clock Jump" に、"I'm Beginning To See The Light"、"I've Heard That Song Before"と続き、私が誕生日に母にプレゼントされた"Ciribiribin"や"Sleepy Lagoon"、そしてNikolai Rimsky-Korsakov(リムスキー・コルサコフ)作曲のクラシックをアレンジした"Flight of the Bumblebee"(くまん蜂の飛行又は熊蜂の飛行)も人気リストに入っています。 Urbie Green(アービー・グリーン)やJ.J. Johnson(J.J.ジョンソン)のトロンボーン演奏でも有名な「くまん蜂の飛行」はKill Bill Vol.1(キルビル1)で使用されたAl Hirt(アル・ハート)のGreen Hornet(グリーン・ホーネットのテーマ)が有名になりました。

ハリー・ジェームスの試聴
Listen"You Made Me Love You"の他にも曲がたくさん試聴出来るHarry James - Allmusic.com(スピーカーアイコンをクリック)
ハリー・ジェームスの曲が色々聴けるHarry James - Jazz On Line.com(Harry Jamesと検索窓に入力してSubmitボタンをクリック、You Made Me Love Youと検索窓に入力すればハリージェームスやジュディガーランドなどが聴けます。曲名をクリック!)

ハリー・ジェームスが出演した映画
1942年にBetty Grable(ベティ・グレイブル)が主演したIrving Cummings(アーヴィング・カミングス)監督のミュージカル映画「Springtime in the Rockies」にハリー・ジェームスは自身の役でHarry James and His Music Makersと共に出演し、"A Poem Set to Music"という曲を演奏したり、1942年のヘレン・フォレストのバックで"I Had the Craziest Dream"のセンチな演奏を聴かせたそうです。
Harry James with Helen Forrest - I Had the Craziest Dream - YouTube
※A Poem Set to Musicが収録されているアルバムは1942-1943 Broadcasts with Helen Forrest(試聴は1942-1943 Broadcasts with Helen Forrest - Amazon.com
映画のレトロな手書きポスターが見られるCartel de: 1942 - Secretaria brasileña - Springtime in the Rockies
この映画出演が縁かどうか分かりませんがハリー・ジェームスは翌年の1943年に当時大人気のピンナップ・ガール(グラビアモデル)でもあったベティ・グレイブルと再婚したのでした。 このカップルは当時のセンセーションだったそうです。 ハンサムなハリー・ジェームスは生涯に3度も結婚していて、最初の妻は1935年に結婚した歌手のLouise Tobinで子供が二人できました。 ハリーは離婚して女優のベティ・グレイブルと再婚し二人の間にも子供があり20年も婚姻関係が続いたそうですが、ルイーズの方も1967年にクラリネット奏者として有名なPeanuts Hucko(ピーナツ・ハッコー)と再婚してハッコーのバンドで歌っていました。
結婚したペティ・グレイブルが1953年の映画"How To Marry A Millionaire(百万長者と結婚する方法)"の中でハリー・ジェームスとの結婚を匂わせるセリフがありました。 ラジオから流れてきたハリー・ジェームスの「You'll Never Know( 知らないでしょう)」の曲名を当てたのです。

1943年にTim Whelan(ティム・フェーラン)監督の"Swing Fever"という豪華キャストのミュージカル映画があり、女性ヴォーカリストとしてMarilyn Maxwell(マリリン・マクスウェル)やLena Horne(リナ・ホーン)、ビッグバンドのKay Kyser(ケイ・カイザー)、Tommy Dorsey(トミー・ドーシー)、Harry James(ハリー・ジェイムス)などに加えてクレジットなしでAva Gardner(エヴァ・ガードナー)が出演している他、1959年の映画"Imitation of Life(悲しみは空の彼方に)"のタイトル曲の作者であるSammy Fain(サミー・フェイン)が音楽に携わっているそうです

白人ジャズトランペッターのBix Beiderbecke(ビックス・バイダーベック)の伝記をもとに、1950年にMichael Curtiz(マイケル・カーティス)が監督したYoung Man with a Horn(情熱の狂想曲)という映画がありました。 映画ではThe Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)でデビューしてTown Without Pity(非情の町)などに出演したKirk Douglas(カーク・ダグラス )がバイダーベック役でトランペッターを演奏しましたが実際はハリー・ジェームスの吹き替えだったそうです。 その映画には俳優養成所で一緒だったLauren Bacall(ローレン・バコール)や映画界に入ったばかりのDoris Day(ドリス・デイ)も出演しています。 ドリス・デイはハリー・ジェームス楽団をバックに"The Very Thought Of You"などを歌いました。
Doris Day with Harry James - I Only Have Eyes for You (Young Man With a Golden Horn) 1951 - YouTube
「Young Man with a Horn」のサウンドトラックが大ヒットしたので1951年にはハリー・ジェームス楽団とドリス・デイのコンビで"Would I Love You"を吹き込みチャート入りしています。
※ちなみに伝記の主人公であるビックス・バイダーベックは1920年代にえもいわれぬ美しい音色のトランペット演奏で人気でしたがアルコール依存症のためか若くして亡くなりました。 ビックス・バイダーベックの音楽は1924-1930: Young Man With a Golden Hornで試聴出来ます。
Singin The Blues - Bix Beiderbecke - YouTube
「情熱の狂想曲」のマイケル・カーティス監督はその前の1945年のMildred Pierce(ミルドレッド・ピアース)、その後の1954年にはWhite Christmas(ホワイト・クリスマス)など数え切れないほどの名作を監督しています。

ハリー・ジェームスは1955年の映画「The Benny Goodman Story」にも自身の役で出演しました。
The Benny Goodman Story DVDベニイ・グッドマン物語 (DVD)
「Benny Goodman Story」のVHSもあり。

ハリー・ジェームスのアルバム
☆ページトップのCD画像はLast.fmで人気ナンバーワンのロマンティックな曲"You Made Me Love You"をはじめ、The MoleやFlight of the Bumblebee(くまん蜂の飛行)など、又ハリー・ジェームスのソロ演奏も含んだ2001年リリースのスイング・アルバムの"I've Heard That Song Before: The Hits of Harry James"ですが、アルバムタイトル曲となっている"I've Heard That Song Before"は"Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!"と同じくJule Styne(ジュール・スタイン)の作曲で作詞がSammy Cahn(サミー・カーン)です。
ハリー・ジェームスの1955年の"The Mole"という曲は私が長年ファンだったChuck Cecil(チャック・セシル)氏がDJを務めたラジオ番組でThe Swingin' Yearsのテーマ曲として使用されていました。 10数年ほど前までは日本ではFEN(極東放送今はAFN)で聴けたのですが現在はインターネットラジオのKJAZZ(Podcast)で土曜と日曜に聴けます。 "The Mole"の試聴はディスク:2の2番ですが、この曲を聴くと大好きなスイング音楽のラジオ番組が始まるのでわくわくしました。
Harry James Orchestra - The Mole - iLike.com

Harry James & his Orchestraの1955年のレコード"Harry James in Hi-Fi"はレアなTaboo(タブー)が収録されているLive Broadcasts in Hi-Fi1945 Live in Hi-Fi at Culver Cityがあります。
Live Broadcasts in Hi-Fiの試聴はLive Broadcasts in Hi-Fi - Amazon.com

1950年代後半のハリー・ジェームスが演奏する甘くセンチメンタルなトランペットが魅力の"Cherry"や"Willow Weep For Me"、タイトル曲のTrumpet BluesやCiribiribinなどの他全部で16曲を収録した人気アルバムで、ドラムはBuddy Rich(バディ・リッチ)、アルトサックスはWillie Smith(ウイリー・スミス)でHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)のヴォーカルです。
Trumpet Blues: The Best Of Harry JamesTrumpet Blues: The Best of Harry James

映画「百万長者と結婚する方法」の記事でも紹介したオリジナルが1939年の録音というアルバムで、You Made Me Love Youはもちろん、I Had the Craziest Dream、Music Makers、Sleepy LagoonやHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)やDick Haymes(ディック・ヘイムズ)のヴォーカル、そして奥様のベティ・グレーブルが歌う"I Can't Begin To Tell You"まで収録しています。
Best of the Big BandsThe Best of the Big Bands

レアなハリー・ジェームスの"Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)"の他ロマンティックな曲を収録したアルバムです。
Big Band LegendsBig Band Legends
試聴はBig Band Legends - Amazon.com

I'll Get Byが収録されているHarry JamesとBenny Goodman楽団時代のDick Haymesのアルバム
The Complete Columbia Recordings with Dick HaymesThe Complete Columbia Recordings
全曲試聴はComplete Columbia Recordings - Amazon.com

オリジナルは1954年のハリー・ジェームスとドリス・デイの人気アルバムであり、映画「Young Man with a Horn(情熱の狂想曲)」のサウンドトラックでもあります。
Young Man with a Horn - Harry James and Doris DayYoung Man with a Horn


人気の「ハリー・ジェームス伝記」 Peter J. Levinson著の英語ペーパーバック(ハードカバー版もあり)
Trumpet Blues: The Life of Harry James - BookTrumpet Blues: The Life of Harry James
(中身が見られます)

Back Beat Boogie
映画「The Aviator(アビエイター)」のサウンドトラックにも使用されたHarry James & His Orchestra(ハリー・ジェームス・オーケストラ)が演奏するレアな"バック・ビート・ブギ"が収録されているアルバムはヴィンテージ価格の「Back Beat Boogie」や"I've Heard That Song Before"など21曲を収録した輸入ベスト盤の「Razzle Dazzle」、そして「The Aviator」のサウンドトラックに収録されています。
試聴はBack Beat Boogie (The Aviator Soundtrack) - Amazon.com


Lo Esencial Perez Prado
Lo Esencial - Dámaso Pérez Prado
El Rey del Mambo: Dámaso Pérez Prado (1916 - 1989)

¿Quien inventó esa cosa loca?
マンボはキューバ生まれのマンボの王様「Dámaso Pérez Prado(ペレス・プラード)」の発明です?
キューバのインテリ家庭に育ったらしいペレス・プラードは幼少からクラシックのピアノを学んでいましたが1940年代にハヴァナのクラブのピアノ弾きになりました。(ピアニストだから作曲もOK)
Fireworks(花火)という曲ではドラミングが花火の打ち上げのように鳴り響くように、マンボはペレス・プラードが水や風や花火などの自然のサウンドを取り入れてルンバに似たアフリカ色の濃いマンボのリズムを創り出したのだとか。(この説には色々と異論があるようです。)
でも、この説には何の間違いもありません。 ペレス・プラードは世界中にマンボのリズムを広めました!

Dámaso Pérez Prado(ペレス・プラード)には同じく音楽活動をしていたPantaleon Perez Pradoという弟がいて1960年代頃はもっぱらヨーロッパで公演していたそうですが、1950年代には"マンボの王様"というタイトルの使用については裁判沙汰にもなったとか。
Pantaleón Pérez Prado Discography
※昔は""ペレス・プラド"と呼んでいた記憶があります。

Pérez Prado & Benny Moré
ペレス・プラードが生み出したマンボは当時のキューバでは流行りませんでしたが、メキシコへ渡って自分のバンドを結成して成功し、「Glenn Miller of Mexico(メキシコのグレン・ミラー)」と呼ばれてメキシコ映画にもたくさん出演しました。 後の大ヒットに繋がった1949年のメキシコでの初レコーディング当時、Qué Rico El Mambo(エル・マンボ又はマンボ・ジャンボ)やMambo No. 5(マンボ・ナンバー5)などをプラードの楽団で歌っていたのはペレスプラドがメキシコで出会ったのがBenny Moré(ベニー・モレ)だそうです。 El Barbaro Del Ritmo(リズムの野生児)という別名を付けられたベニー・モレはアメリカ市場を狙ったプラードと別れて本国のキューバに帰って、キューバの国民的歌手といわれるようになりました。
※キューバでは1990年代終わり頃からサルサの神様のようなベニー・モレの名を冠したFiesta de Benny More(ベニーモレ)音楽祭というのが開催されているそうです。
Benny Moré aka El Barbaro Del Ritmo - Ya Son Las Doce (Guaracha - mambo)- YouTube

Perez Prado & Stan Kenton a la mambo
1952年のこと、当時アメリカで人気のビッグバンドのバンドリーダーの一人「Stan Kenton(スタン・ケントン)」の大ファンだったペレス・プラードはマンボをアメリカのスウィングに近づけようと成功を目指して渡米し、スタン・ケントン楽団に曲を持ち込んだところ、スタン・ケントンの方がマンボ狂になってしまったそうでTaboo (Tabu)などマンボの曲をたくさん演奏しています。 ペレス・プラドもキャバレーTropicanaの専属バンドであるTropicana Orchestraのリーダー「Armando Romeu Gonzalez(アルマンド・ロメウ・ゴンザレス)」作曲によるというMambo a la Kenton(ケントン風マンボ)という曲を演奏しています。
Damaso Perez Prado - Mambo A La Kenton - YouTube
※アルマンド・ロメウは自ら点字を学んで数年前に亡くなったキューバン・ジャズの盲目のピアニストであるFrank Emilio Flynn(フランク・エミリオ・フリン)が楽譜を読めるように支援したミュージシャンだそうです。 プラードのマンボは最初アメリカではニューヨークのプエルトリコ人向けラジオで流されそれからロスアンジェルスの白人が聴くようになって1950年には大流行となったのです。 英語が全く話せないペレスプラードでしたがボデイランゲージを交え、スペイン語で書かれていても楽譜は世界共通語!と雇った白人ミュージシャン達にプラード手書きの楽譜で演奏することを強いたので読むには照明が暗かったこともあり笑えるようなな間違いもあったとか。
Perez Prado & Xavier Cugat
あちこちツアーして1954年には当時はラテンの王様だった憧れのXavier Cugat(ザヴィア・クガート)楽団のいるStarlight Roof of the Waldorf-Astoria Hotelに到達しました。 ミラーボールが煌く広間に真っ赤やロイヤルブルーの上着に金色のトリミング&ピンクのタイ! Rrrr--- ラッテン・グルーヴ!

Perez Prado - Mambo No. 5 - Rádio UOL
Damaso Perez Prado - Patricia - YouTube

Cereza Rosa
シャンソンのGuaglione(ガリオーネ)など何でもマンボにしてしまうペレス・プラードですが、渡米した1955年にアメリカでチャートインしたのは英語タイトルが"Cherry Pink And Apple Blossom White/Cerri Pink And Apple Blossom White"というCereza Rosa(セレサ・ローサ)でした。 シャンソンの作曲家であるLouiguy(ルイギ又はLouis Gugliemi/ルイ・ガリェーミ)とJacques Larue(ジャック・ラリュ)作詞の"Cerisier Rose et Pommier Blanc(バラ色の桜んぼと白いリンゴの花 )"はAndré Claveau(アンドレ・クラボー)の1950年のヒット曲ですがこの曲をちょっと扇情的なマンボにアレンジしています。 この曲は1955年のJane Russell(ジェーン・ラッセル)主演の映画「Underwater!(海底の黄金)」のテーマ曲として使用されました。
その後も1958年に「Patricia(パトリシア)」がチャートインしましたが60年代にはロックンロールの波に押されてペレス・プラードはキューバに帰ってしまいました。
ListenCherry Pink and Apple Blossom Whiteが聴けるpatchy's the Satin Smoothies Jukeboxesのjuke#1(左のジュークボックスをクリックして別窓の上から8番目)
Perez Prado - Jazz On Line.com(検索窓にCherry Pink And Apple Blossom White又はPerez Pradoと入力、タイトルをクリック)

どの曲を選ぼうと、ペレス・プラードの音楽は椅子に座って聴くなんてことは出来ません! 身体が独りでに動き出しマンボのステップを踏んでしまいます。

La Llorona Loca
ペレス・プラードが50年代にメキシコで出演した映画は10本以上ありますが、1951年の「Del Can-Can al Mambo(カンカンからマンボまで)」では、メキシコの名テノール歌手のPedro Vargas(ペドロ・ バルガス)と共に主役級で出演し、Que Rico Mambo、Mambo en SaxやMambo Baklanなど5~6曲を演奏しています。 その19世紀のカンカンと20世紀のマンボを類推しているコメディの中で、実際にはTony Camargoが歌っているコロンビアの歌「La Llorona Loca(ラ・ジョローナ・ロカ=狂った泣き女)」はペレス・プラードが口パクをしていたり、ピアノを弾いたりします。 日本では人気のあったTrio Los Panchos(トリオ・ロス・パンチョス)も出演しています。
Orquesta de Perez Prado, "La Llorona"- YouTube

Mambomania!
1950年代にはそれまでのルンバに代わってニューヨーク中の誰もがマンボを踊るようになり、ヒスパニックには容易なダンスも白人エリートにはリズムが取りにくく、当時有名なダンサーのKatherine Dunham(キャサリン・ダンハム、Katerine Duncanではない)のダンス学校に習いに行ったそうで、そこが一種の上流階級の社交場になったそうです。 キャサリン・ダンハムの舞踏団には若きアーサー・キットが参加して欧州ツアーに同行しています。

Mambo with Silvana Mangano
ペレス・プラードは出演していませんが、Robert Rossen(ロバート・ロッセン)が監督し、Carlo Ponti(カルロ・ポンティ)が制作に携わったセミ・ミュージカル映画の"Mambo(マンボ)"はイタリアグラマーのSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)が主演しました。 映画「Anna(アンナ)」の方でシルヴァーナ・マンガーノが歌った主題歌はマンボではなくてBaiao(バイヨン)でした。 1955年のミュージック・ライフ誌におけるSPレコード部門で3位だったのが1951年の「アンナ」の主題歌の"El Negro Zumbon"で前年には第1位で、作曲はイタリアのArmando Trovajoli(アルマンド・トロヴァヨーリ)が別名のRoman Vatro(ロマン・ヴァトロ)として作曲したそうで、ロマン・ヴァトロはGiordano Franco(フランコ・ジオルダーノ)と組んでソフィア・ローレンが歌った"Mambo Bacan"も作っています。 その時ペレス・プラード楽団のマンボNo.5が1位でセレソ・ローサが2位だったそうです。
※バイヨン(バイオーン)とはオリジンはポルトガルでブラジル北東部のサンバに近い軽快なダンスリズムです。
映画「マンボ」その当時の日本にしては早い公開で1955年に上映されていますがこの映画「マンボ」をリアルタイムでご覧になった方はおられるでしょうか。 ちなみに音楽は1954年に名作と呼ばれるFederico Fellini(フェデリコ・フェリーニ)監督の「La Strada(道)」でも音楽を担当したNino Rota(ニーノ・ロータ))も関わったそうです。

Mambo Et cetera
アメリカでは早々と廃ったかにみえたマンボでしたが、日本では昭和20年代後半からボチボチ聴かれ、昭和31年(1956年)に来日したペレスプラド楽団がきっかけとなり、この年に刊行された石原慎太郎の「太陽の季節」に触発されたアロハシャツ姿の太陽族の流行とも相まってパッチ風のマンボズボンを穿いてグラサン姿のマンボ族なる若者たちが出現しました。(当時1950年代には破廉恥と呼ばれました。)
天下の美空ひばりでさえ1952年(昭和27年)に"Omatsuri Mambo(お祭りマンボ)"を歌い、1953年にはトニー谷がソロバンを振りながら"アイブラユー!"と"さいざんすマンボ"を歌ったほどでその人気は60年代位まで続きました。
アメリカでもスイングバンドのStan Kenton(スタン・ケントン)やBilly Mays(ビリー・メイ)やビバップのDizzy Gillespie(ガレスピー)なども好んで演奏し、Sonny Stitt(ソニー・スティット)までも"Blue Manbo"と"Cool Mambo"を、そしてなんとMisty(ミスティ)のErroll Garner(エロール・ガーナー)が演奏した"Mambo Garner"なんていうのもありました。 演奏だけでなく、1954年に大ヒットしたヴォーン・モンローの"They Were Doin' Mambo"を始め、Rosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)の"Mambo Italiano"やPerry Como(ペリー・コモ)の"Papa Loves Mambo"などジャズやポップスの歌手たちもこぞってマンボを歌ったのでした。
☆1960年の東京国際劇場に於ける実況録音LP盤(日本VICTOR LIVING STEREO SHP-5069)とRCA Camden盤について書かれたブログ「忘却とは忘れ去ることなりき・・・」内のPrado in Japan, 1960
※私はこの浅草の国際劇場で1960年以前にSKD(松竹歌劇団)東京踊りは観に行きましたがプラードの公演を観ていないのが悔しいです。 下記のコメント欄にもプラードの国際劇場公演盤について書かれています。

The Original Mambo Kings
Armand Assante(アーマンド・アサンテ)とAntonio Banderas(アントニオ・バンデラス)が共演した1992年のアメリカ映画「The Mambo Kings(マンボ・キングス/わが心のマリア)」では、キューバからニューヨークに出て来たマンボ兄弟の葛藤を描いたミュージカルです。
※アーマンド・アサンテはデミ・ムーア主演の「素顔のままで」にも出演しています。
「マンボ・キングス」で使用されたプラードの曲を集めた1992年リリースのアルバム「The Original Mambo King」はプラードの曲を他の演奏者で収録したものです。
※映画ではBeny More(ベニー・モレ)の"Como Fue"や、"Mambo Diablo"がお得意のラテンの大御所Tito Puente(ティト・プエンテ)"も自身の役で出演し"Cuban Pete"などを演奏しましたが、 アントニオ・バンデラスも歌ったLOS Lobos(ロス・ロボス)の"Beautiful Maria Of My Soul"という曲が印象的でした。
The Crew Cuts(クルー・カッツ)のSh-Boom(シュブーン)は収録されていませんが、OST(サウンドトラック)「The Mambo Kings」にはアントニオ・バンデラスの"Beautiful Maria of My Soul (Bella Maria de Mi Alma)"をはじめ、Celia Cruz(セリア・クルース)が歌った"Melao De Cana"、ティト・プエンテの"Cuban Pet"や"Ran Kan Kan"など16曲が収録されています。

Perez Prado - Plays Mucho Mambo for Dancing
ペレス・プラードのLPデビューはヴィクターで1951年に録音したLP盤の「Mucho Mambo」で、アメリカでのシングル・ヒットになった"Que Rice El Mambo"から1年後のことだったそうです。 収録曲目はBabarabatiri、Pachito e Ché、Oh Caballo、プラードの定番曲となるMambo No. 8とMambo No. 5、そしてお決まりのトランペット・ソロが鳴り響くPianoloの全6曲です。(BabarabatiriとPachito e Ché以外は全てプラードの作曲だとか。)

Jazz a la Mambo!
1993年リリースのアルバムThe Original Mambo Kings: An Introduction to Afro-CubopはAfro-Cuban Suiteに代表されるCubop(キュウバンとビバップ)と呼ばれるラテンジャズが一時流行ましたがDizzy GillespieのためにChico O'Farrillにより編曲された有名なManteca Suite他、ラテンの王様でマラカスのMachito(マチート)の曲が収録されています。 トランペットがQuincy Jones(クインシー・ジョーンズ)、テナーがHank Mobley(ハンク・モブレー)など、ドラムがBuddy Rich(バディ・リッチ)、トロンボーンがJ.J. Johnson、アルトがCharlie Parker(チャーリー・パーカー)などなど豪華メンバーです。 パーカーと共演したMachito & his Orch(マチート楽団)のヴァーヴ録音にはMachito - Afro-Cuban JazzシリーズのLP「Afro-Cuban Jazz Suite: Mambo」のI(Pt. 1)やII(Pt. 2)などがあります。
マチート楽団やチャーリー・パーカーなどが演奏するラテンナンバーの試聴はOriginal Mambo Kings - Amazon.com

スタン・ケントンがマンボ好きでShorty Rogers(ショーティ・ロジャーズ)もご同様に自身が編曲したWuayacañanga SuiteをメインにDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)作曲のラテンジャズの名曲で、スペイン語ではLard(ラード)又はGrease(グリース)という意味の"Manteca"をテーマにアフロ・キューバン音楽のアルバム「Manteca」を1958年にリリースしています。ビッグバンドのリーダーとしてのショーティ・ロジャーズは主にflügelhorn(フリューゲルホーン)を演奏し、ドラムがShelly Manne(シェリー・マン)で、Carlos VidalやModesto Duranなどのラテン・パーカション奏者をフィーチャーしています。
Manteca: Afro-Cuban Influence(試聴はManteca Afro-Cuban Influence - Amazon.com

☆El Mambo(エル・マンボ)をはじめ人気の曲が満載のこのペレス・プラードのアルバムで貴方はマンボ通!
The Best of Pérez Prado: The Original Mambo No. 5The Best of Pérez Prado: The Original Mambo No. 5
Mambo a la KentonやMarilyn Monroe Mamboの他、ディズニーのトリビュートでHeigh-Ho(のThe Dwarfs' Marching Song白雪姫と七人のこびと)などが収録されています。
私の好きなFireworks(花火)という曲はなぜか滅多に見つかりませんが「Prez」や「The Greatest Hits」に収録されています。
☆試聴はPérez Prado - Prez - Amazon.com


Pérez Prado Plays Taboo...Don't Do!
ペレス・プラードのマンボの曲で私が好きなのは沢山ありますが、特にエキゾチックな演奏のタブー(タブウ)は格別です。

タブーの他にペレス・プラード定番のMambo No. 5(マンボ5番)やMambo No. 8(マンボ・ナンバー8)をはじめ、La Macarena(斗牛士のマンボ又は闘牛士のマンボ)、Cerezo Rosa(セレソローサ)、そしてBesame Mucho(ベサメ・ムーチョ)、Quizas, Quizas, Quizas(キサスキサス)、Quien Sera(キエンセラ)やHistoria de un Amor(ある恋の物語)などPerez Prado Orchestra(ペレス・プラード・オーケストラ)演奏のラテン・スタンダードが収録されています。
The Best of Mambo - Perez PradoThe Best of Mambo
試聴はThe Best of Mambo - Amazon.com
Mambo Jambo
「Mambo Jambo」は試聴なしですが、試聴できる国内盤「ベスト・オブ・ペレス・プラード」ではタブーの他、日本でもヒットしたお馴染みの曲が収録されたベスト・オブ・ペレス・プラード
Mambo Jambo! ちんぷんかんぷん!

Big Hits By Prado
1960年にRCAからリリースされたペレス・プラード人気LP盤はCD化されていないようです。
※2001年の2枚組み輸入盤「Lo Mejor de lo Mejor」には定番のマンボ曲の他にSkokiaanやAnna (El Negro Zumbon)など全40曲が収録されています。

Mambo Ni Hablar
2004年の映画"Shall We Dance?(シャル・ウィ・ダンス?)"で使用されたということですが、中々見つからないペレス・プラードの"Mambo Ni Hablar(マンボ 問答無用)"!
Perez Prado [Best of] - Mambo Ni HablarPerez Prado
"Ni Hablar"はQue Rico el Mambo、Patricia、Corazon de Melon、Mambo No. 5、Cerezo Rosaなども収録されているアルバムはHall Of Fame: Historia Musical
他にはヴィクターエンターテイメントの「PEREZ PRADO DELUXE 1. MAMBO SUCCESS(ペレス・プラード全集 (1) これぞマンボ!)」4枚組セットのタブーはあまりお勧めのバージョンではないのですが、このアルバムには他には何処にも見つからない珍しい"Huapango De Perez Prado(ペレス・プラードのウアパンゴ)"が収録されています。(ウアパンゴとはペレス・プラードが大成功を収めたメキシコの伝統民謡です。)

ページトップの画像は定番曲の他に"Caballo Negro(黒馬マンボ)"などを収録して2005年に発売されたアルバムの「Lo Esencial Perez Prado」ですが日本のAmazon.co.jpには試聴が無いにもかかわらず売れ筋らしいです。
Mambo No. 5、Mambo en Sax、Que Rico el Mambo、Mambo No. 8、Mambo a la Kentonなどの定番が収録されています。
☆全試聴はLo Esencial Perez Prado - Amazon.com

Our Man in Latin America - Perez Prado
1963年(もしくは1967年)にRCA Victorからリリースした"Our Man In "シリーズのLP盤レコード「The Best of...」ではキューバの代表的なソンや、哀愁を帯びたプエルトリコのボレロやメキシコやチリのカンシオンなどを当時流行のチャチャチャやツイストやボサノバなどにアレンジし、Bongosonという新しいリズムを紹介しています。 ボサノヴァにアレンジしたCanto Siboney、ルンバにアレンジしたEl Manisero(The Peanut Vendor)、BongosonにアレンジしたEstrellita Del SurやGuadalajaraなど12曲を収録しています。 このLPがCD化されたかどうかは不明です。

ペレス・プラード楽団 の映像が観られる世界で唯一のVHSビデオはペレス・プラード楽団/奇蹟の映像コレクション(1) マンボの王様~ペレス・プラード・ショウには聴いたこともない「工業学校生のマンボ」、「大学マンボ」、 「マンボ黒馬」の他にインタビューやペレス・プラードの葬儀の映像が収録されているそうです。


Audio-Visual Trivia内のペレス・プラードに関連した記事
Mambo a la Kentonのスタン・ケントンについてはジューン・クリスティ
ラリー・クリントンについてはラリー・クリントンとビー・ウェイン
ペレス・プラードのMambo Ni Hablarについてはシャル・ウィ・ダンス?

☆ペレス・プラードのTaboo(タブー)についてはAudio-Visual Trivia内のTaboo
☆チェ・ゲバラの葬儀で流れたペレス・プラードの組曲(Theme Of Two Worlds)についてはVoodoo Suite & Exotic Suite of the Americas


Perez Prado - Caballo Negro (Rumbas & Congas) - Perez Prado/Xavier Cugat/Lecuona - Rádio UOL



♪ Havah nagilah Havah nagilah Havah nagilah venismechah
ハバ ナギラ ハバ ナギラ ハバ ナギラ ヴェーニッスメハッ! という調子の良い歌は日本では昭和30年代初頭に"バナナ・ボート"で有名なHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)が歌ってヒットしました。

Traditional Jewish Melodies - Hava Nagila
ハリー・ベラフォンテのハバ・ナギラ(又はハヴァ・ナギラ)が発表された当初、私は"ハバナ ギラ"、つまりキューバのHavana(ハヴァナ)がギラギラしている歌かと思っていましたがあながち検討違いでもないようで、"Havana+gila"だとハヴァナと喜びということになるようです。
なんて! 本当のところは"ハバ ナギラ"といって、ナット・キング・コールで大ヒットした"Nature Boy"(ネイチャー・ボーイ)と同じくイディッシュ(イスラエル、ユダヤ又はヘブリュー)の古い民謡だったのです。

このお経のような宗教音楽が初めて録音されたのは1915年のことでエルサレムのSadigura Hasidim(又はChasidim、ユダヤ教のサディグラ派ハシディムの一団)によるものだったそうです。(ユダヤ教の宗派については皆目検討が付きません。)

歌のタイトルの意味はLet Us Rejoice(Let Us Be Joyful!=歓喜せよ!)といって100年(1世紀)も前の1918年、世界第一次大戦時に英国がパレスチナで勝利を収めたのを記念して作られたそうです。 敬虔派のユダヤ教徒である"Hasidic Jews(ハシディーム派)"の伝統的なメロディに当時学生だったMosheh Nathanson(モーセ・ナサンソン)が歌詞を付けたとなっていますが、ユダヤの語源学者で音楽家でもあるAbraham Zevi Idelsohn(アブラハム・ツヴィ・イーデルゾーン)ではないかという説もあるそうです。 1920年代からこの曲は瞬く間にやパレスチナはもちろん、アメリカや欧州に散らばっているZionist(シオニスト)などユダヤ社会に広まり、ユダヤの子供用歌唱集に収録され、ついにはユダヤ人以外のアーティストたちが取り上げるようになったのです。 私はユダヤといってもアンネ・フランク位しかすぐには思い浮かばないし、本物のユダヤ人なんて見たこともないですが、ユダヤの音楽の憂いを含んだ物悲しい旋律に興味が湧きます。

1940年代頃からは"ハバナギラ"はユダヤの結婚式での定番曲となり、全員が手拍子とともにハバ・ナギラをHora(ホラ)風に踊るようですが、Bar Mitzvah(ユダヤ教の成人式)などのお祭りや青年会、又ユダヤ人だけでなくジプシー達にもおめでたい席で良く歌われるそうです。 "Hora(ホラ)"とはイスラエルなど中近東や東欧の器楽音楽や円陣を組む踊りを指すそうですが、ユダヤの結婚式では椅子に座った花婿と花嫁を高く掲げて踊るらしいです。 近年では伝統的なハバ・ナギラよりハリーベラフォンテのレコードをかけることもあるようですが、さだめし日本の結婚式でなら全員が参加出来るKyu Sakamoto(坂本九ちゃん)の「Siawasenara tewo tatakou(幸せなら手をたたこう)」あたりでしょうか。 イディッシュ・ダンスの"ハバ・ナギラ"は日本ではフォークダンスの定番の曲ともなっています。

単調なメロディの"ハバ・ナギラ"の歌詞とその英訳はHava Nagila - Hebrew Songs
midiも聴ける"ハバ・ナギラ"の譜面はHava Nagila Score - The Jews of Cuba
ハバ・ナギラ以外にもハリー・ベラフォンテの歌詞が載っているHava Nagila - Seek Lyrics

Listen伝統音楽のハバ・ナギラの曲に合わせて手拍子を打ち、輪になって踊るユダヤの結婚式のビデオクリップが観られるHava Nagila at Wedding - YouTube
☆色々なハバ・ナギラが聴ける歌とダンスのデータベースHava Nagila - Israeli Dances.com
トラディショナルなハバ・ナギラがmidiで聴けるHava Nagila Music - Jewish Themes(Hava Nagila 1 などをクリック)

Harry Belafonte: King of Calypso
カリブ生まれの移民の子としてニューヨークのハーレムに生まれたハリー・ベラフォンテは子供時代に母とジャマイカに戻っています。 アメリカに戻ったベラフォンテは俳優の道に進みましたがカリプソ歌手として名を馳せ、戦後のアメリカで最も成功した黒人といえるでしょう。 後年はミュージシャンとしてよりも辛口の政治批判で知られる活動家として活躍しているハリー・ベラフォンテです。 バナナボートが流行った1960年頃に来日した時はダンサーだった二番目の夫人を同伴していましたが、多分白人と思われる奥様(Julie Robinson)がベラフォンテに合わせて肌を黒く焼き長い黒髪を三つ編みにしたアメリカ・インディアン風だったのがとても印象的でした。(Katherine Dunham Company(キャサリン・ダンハム黒人舞踊団)所属だったから黒人かも)
※Calypso(カリプソ)とは20世紀初頭に英仏領だったカリブ諸島、主にはTrinidad(トリニダード)の黒人音楽の一つですが、アフリカから連れて来られた黒人達の歌がルーツです。 黒人奴隷は仲間同士で話すのを禁じられていたのでアメリカ南部の綿花摘みなどの黒人と同様に歌で伝達したそうです。


ハリー・ベラフォンテ以外にハバ・ナギラを歌った歌手
The Barry Sisters - Their Greatest Yiddish Hits
ユダヤ人姉妹のThe Barry Sisters(バリー・シスターズ)がイディッシュ語で歌ったユダヤの伝統音楽"ハバ・ナギラ"の試聴はThe Barry Sisters - Their Greatest Yiddish Hits - Amazon.com
※"バリー・シスターズ"はこの後、同じくイーディッシュ語の歌をドイツ語でで歌った"Bei mir bist du schon(素敵なあなた)を吹き込みました。

Dansons Mon Amour "Hava Naguila"
フランスで活躍したトルコ人のエンターテイナーであるダリオ・モレノがユダヤや中東やラテンなど世界の国々の歌を歌いました。
詳しくはAudio-Visual Trivia内のダリオ・モレノ Dario Moreno

Connie Francis Sings Jewish Favorites
イタリア系ポップ歌手のコニー・フランシスはラテン曲も数多く発表していますが、独特のアレンジのハバ・ナギラがアルバムの"Sings Jewish Favorites"に収録されています。
1965年にJames Stewart(ジェームズ・スチュワート)が主演した映画「Take Her, She's Mine(恋愛留学生)」ではSandra Dee(サンドラ・ディー)がギターの弾き語りで"ハバ・ナギラ"を歌っています。

The Exciting ... Lena
1963年に政治に関心を持った黒人R & B歌手のLena Horne(リナ・ホーン)がブラックパワーとも呼ばれたAmerican Civil Rights Movement(黒人公民権運動)賛歌として吹き込んだ"Now!"はブロードウエイ舞台の作詞家のJule Styne(ジュール・スタイン)などがリナ・ホーンのためにハバ・ナギラをもとにして書いた曲だそうです。 その"Now!"が収録されているアルバムは「The Exciting ... Lena」といわれていますが情報はありません。

Story of Joe Brown
英国では1959年にABCテレビのポップス番組の「Boy Meets Girl」で人気が出て、"I'll See You In My Dreams"のヒットで知られ、Eddie Cochran(エディ・コクラン)やGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)とも共演したというロック・ギタリストで歌手のJoe Brown(ジョー・ブラウン)が歌ったハバ・ナギラは人気アルバム「Story of Joe Brown」のリマスター盤で「A Picture of You」に収録されています。
Hava Nagilaの試聴はもちろん、ジョー・ブラウンのビデオやオーディオがあるJoe Brown - Official Website

Celia Cruz sings "Hava Nagila" on La Cumbanchera
キューバのサルサ・クイーンと呼ばれたCelia Cruz(セリア・クルース)のハヴァナギラはアルバムの「La Cumbanchera」に収録されています。
セリア・クルースが歌うハバ・ナギラの試聴が出来るラテン音楽のサイトCelia Cruz - La Cumbanchera - Amazon.com

Talkin' Hava Negeilah Blues From "The Freewheelin' Bob Dylan"
1960年代に活躍したロック歌手のBob Dylan(ボブ・ディラン)はユダヤ社会に属するヨーロッパ移民の親を持つそうですが、レアな"Talkin' Hava Negeilah Blues"という曲はアルバムの"The Bootleg Series, Vols. 1-3 : Rare And Unreleased, 1961-1991"のディスク:1の9番に収録されています。
BobDylan.comでTalkin' Hava Negeilah Bluesを聴くにはTalkin' Hava Negeilah Blues - Bob Dylan.com(左上のLISTENをクリックして試聴)
ボブ・ディランのTalkin' Hava Negeilah Blues"がフルで聴けるwfmuラジオのプレイリストPlaylist for 18 November 2002 | A place to walk my dog (右端の2:18:06をクリック、ついでにBob DylanのDay of the Locustsは1:32:59をクリック)

ハバ・ナギラを演奏した楽団
The Exotic Sounds of Arthur Lyman
ラテンの名曲"Taboo(タブー)をエキゾチックサウンドで演奏したArthur Lyman(アーサー・ライマン)のハバ・ナギラの試聴はThe Exotic Sounds of Arthur Lyman - Amazon.com

King Of The Surf Guitar: The Best Of Dick Dale & his Del-Tones
50年代から活躍し続けているカルフォルニア出身のサーフィン音楽の創始者といわれるDick Dale(ディック・デイル)はBeach Boys(ビーチボーイズ)やVentures(ベンチャーズ)に影響を与えたギタリストなのですが日本で一般にはベンチャーズが一番人気がありました。 1963年にディック・デイルが演奏した迫力ある最高のハバ・ナギラはアルバムの「King Of The Surf Guitar: The Best Of Dick Dale & his Del-Tones」に、クエンティン・タランティーノ監督の「Pulp Fiction(パルプ・フィクション)」のサントラでは冒頭のテーマ曲としてPumpkin and Honey Bunny/Misirlou - Dick Dale & his Del-Tonesとして使用された"Misirlou(ミザルー)"とともに収録されています。(CMで何度か使用された人気曲の"ミザルー"は両親の故郷の中東やギリシャ音楽の影響を受けたメロディだそうです。)
ちなみに私の手持ちEP盤のミザルーはMervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)監督の1961年の日米親善映画「A Majority of One」で使用されたサントラバージョンのフィリプスM - 1022で演奏はRudy & Johnnyです。
♪ 必聴! Amazon.co.jpのCDでは試聴が無いディック・デイルのハバ・ナギラが聴けるwfuラジオのプレイリストはPlaylist for Steve Krinsky - August 14, 2006 (Listen to this show in RealAudioをクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)を24:01に移動)
Misirlou - (Pulp Fiction/The Tarantino Connection) Dick Dale & His Del-Tones

A Well Bird, Bird, Bird, B-b-b-bird, bird, bird...The Great Lost Trashmen Album!
1960年代のサイケデリックロックの大物"The Trashmen(トラッシュメン)"は1962年にメタル・バンドを始めたミネソタ出身のロックンロール・バンドでサーフロックやガレージロックを演奏していました。1963年にR & Bのヒット曲である"The Rivingtons"と"Papa-Oom-Mow-Mow"をベースにした"Surfin' Bird"の大ヒットで知られています。(ちなみにPapa Oom Mow Mowの続編は1962年のMama-Oom-Mow-Mow←Listen!)
"トラッシュメン"の"ハバ・ナギラ"の試聴はThe Great Lost Trashmen Album! - Amazon.com

Sputniks - karelia
"ハバ・ナギラ"というと、ディック・デイルより、ハリー・ベラフォンテよりなぜか日本の若者には人気だったのがグループサウンズ時代のThe Spotnicks(ザ・スプートニクス)で依然として人気のアルバム「Karelia"(霧のカレリア)」にハバ・ナギラが収録されています。 1959年結成のスウェーデンのエレキ・ギター・インストルメンタル・グループである"スプートニクス"の情報は今ではあまり見つかりませんがザ・スプートニクスの「ハバ・ナギラ」と「霧のカレリア」が試聴出来る「珈琲と音楽クレシェンド - オールディズのお部屋」(♪ をクリック、オールディズのファンには垂涎のサイト)

映画のなかのハバ・ナギラ
第二次大戦中にユダヤ人の国外脱出を助けたというナチス党員のドイツ人を描いたフィクション映画「Schindler's List」(シンドラーのリスト)ではイスラエル民謡の"ハバ・ナギラ"がパロディ化されていたそうですが記憶にないので「シンドラーのリスト」のサントラをチェックしたのですが音楽はJohn Williams(ジョン・ウィリアムズ)でハバ・ナギラは収録されていないようです。 「シンドラーのリスト」はユダヤ系のSteven Spielberg(スティーヴン・スピルバーグ)が1933年に監督した映画でアカデミー賞7部門で受賞した傑作でジョン・ウィリアムズは1973年のエリート大学生の青春を描いたThe Paper Chase(ペーパー・チェイス)他、Close Encounters Of The Third Kind(未知との遭遇)やIndiana Jones(インディ・ジョーンズ)などスティーヴン・スピルバーグ監督の映画で音楽を担当しています。

私は覚えていないのですが、ユダヤ人らしき宝石商人が登場するのBrad Pitt(ブラッド・ピット)が主演した2000年のイギリス映画"Snatch(スナッチ)"では英国の映画音楽家でエレクトロニック ・ ミュージック のJohn Murphy(ジョンマーフィー)による伝統的バージョンの"ハバ・ナギラ"が使用されました。
ListenJohn Murphy: Daniel L. Griffiths - Snatch: Stealin´ Stones and Breakin´ Bones
ジョンマーフィーの"ハバ・ナギラ"以外にはJames Brown(ジェームス・ブラウン)の曲でMaceo and the Macks(メイシオ&ザ・マックス)が演奏するCross the TracksやHot PantsがSnatch (2001 Film)(スナッチ)のサントラに収録されています。
"ハバ・ナギラ"はさておき、「スナッチ」ですごいのがジプシー役を演じたブラビの"ぶっ飛びシーン"です。 まるで「あしたのジョー」のようなスローモーションのシーンをビデオで何度も繰り返して観た私でした。
これ!Brad Pitt in SNATCH - Youtube
1998年の「Meet Joe Black(ジョー・ブラックをよろしく)」でピーナッツバターを舐めているブラビが可愛い♪と思っていた私はこれを見てぶっ飛びました。
またまた話はぶっ飛んで、私は観たことはありませんがTVアニメのThe Simpsons(ザ・シンプソンズ)でもジョークとしてハバ・ナギラの替え歌が使用されることがあったのだそうです。
"Have a nagila / Have two nagilas / Have three nagilas / They're pretty small."


ハバ・ナギラが収録されているCD
An Evening with Belafonte
ページトップの画像はハリー・ベラフォンテが1957年に吹き込んだアルバム"An Evening with Belafonte"の2006年盤です。
このCDにはDanny Boy、Cu Cu Ru Cu Cu Paloma(Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Paloma )、Jamaica Farewell、When the Saints Go Marching Inなどが収録されています。
試聴はAn Evening with Belafonte - Barnes & Noble.com
このアルバム「An Evening with Belafonte」のリリースの前年、1956年にLPアルバム「Calypso(カリプソ)」をプロデュースしたのがドイツ人の編曲指揮者であり、1959年までRCA-VictorのディレクターだったHenri Rene(アンリ・レネ)です。 スペース・エイジ・ポップのアレンジャーとして有名なアンリ・レネはEartha Kitt(アーサー・キット)のプロデュース兼バックバンドを勤めたり、April Stevens(エイプリル・スティーヴンス)をHenri Rene & his Orchestra(アンリ・レネ楽団)に迎え入れたこともあったそうです。 素晴らしいアンリ・レネのレコードの試聴が出来るノイズ・レコード
1956年には"Jamaica Farewell"や"Banana Boat (Day-O)"がヒットチャートでトップに輝き、一躍世界中で"カリプソ旋風"が巻き起こったのでした。

Belafonte at Carnegie Hall
1959年、Carnegie Hallでのハリー・ベラフォンテのコンサートライヴ盤です。 Banana Boat Song (Day-O) やJamaica Farewell、Danny Boy、Matildaなどの代表曲を収録しています。
Belafonte at Carnegie HallBelafonte at Carnegie Hall CD

Live in Concert at the Carnegie Hall
Harry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)のHava Nagila(ハバ・ナギラ)が収録されている1993年リリースのライヴ盤の再リリースですがオリジナル盤にはないMama Look a Boo Booが収録されています。
Live in Concert at the Carnegie Hall by Harry BelafonteLive in Concert at the Carnegie Hall
試聴はLive in Concert at the Carnegie Hall - Amazon.com

Hava Nagila & Other Jewish Memories
ハバ・ナギラが収録されているユダヤの伝統音楽集です。
Hava Nagila & Other Jewish MemoriesHava Nagila & Other Jewish Memories

2000年にリミックス・アルバムの「Burnin' (When The Music Goes On)」をリリースしているフランスのエレクトロニック(ハウス)ミュージックのRichard Arthur Dero
Hava Naguila by DJ Richard Arthur Dero
La Voile rouge - St Tropez Vol.1
同じくフランスのDJ Jacob - Hava Nagila (Très Cher Mix)
Club Prive: Excellent Night Life for Trendy People



GG: Georgia Gibbs (1919 - 2006)
ビッグバンド時代からロックンロール時代のポップ歌手としてスイング・ジャズからバラードまで幅広いジャンルで、1940年代と1950年代に渡って活躍してきたジョージア・ギブスは代表曲の"Kiss Of Fire(火の接吻)"を含めてオリジナル曲というものがなくスタンダードジャズやブルースのカバーがほとんどです。 後半は多くの黒人のR & B歌手の曲のカバーをヒットさせていますが、実際に著作権がらみの裁判沙汰もあったらしいです。 これを白人による黒人音楽の搾取と取るかはどうかは意見の分かれるところでしょう。 いずれにせよジョージア・ギブスは背丈が約150cmほどと小柄ですが白人女性歌手にしては威勢の良い独特の歌唱法が魅力です。


Her Nibs, Miss Georgia Gibbs on Your Hit Parade
ロシア系ユダヤ人の移民の子としてマサチューセッツに生まれたジョージア・ギブスは家庭の事情で7歳まで養護施設で過ごしましたが演芸会ではすでに天才ぶりを発揮していたそうです。 13歳にしてボストンのダンスホールで歌うようになりましたが真夜中まで働くビッグバンド生活は当然ながら大変過酷だったそうです。 1936年に初めてスウィング・バンドとレコーディングもしましたが、Buddy Clark(バディ・クラーク)、Tommy Dorsey(トミー・ドーシー)やArtie Shaw(アーティ・ショー)などの楽団と"Melody Puzzles"や"Your Hit Parade"といったラジオ放送の仕事をします。 1943年に現在のGeorgia Gibbs(ジョージア・ギブス)という芸名で人気ラジオショーに出演しますが、このときの司会者の一人でGarry Moore(ギャリー・ムーア)が"Her Nibs, Miss Georgia Gibbs!"と紹介したことから、ジョージア・ギブスに"Her Nibs"というニックネームが付いたのだそうです。
※"one's nibs"とは辞書によれば"雇用主、優れた人、偉ぶった人"などの意味がありますが、19世紀の英国の学生が使ったスラングに"his nibs"というのがあり、気取っている人や生意気な人を皮肉って言ったそうです。 よって、ちっちゃくて威勢の良いジョージア・ギブスを司会者がユーモアを込めて言ったものと思われます。

Miss Gibbs covers Eileen Barton's hit tune.
コメディアンとしても才能を見せたジョージア・ギブスは有名な喜劇俳優のDanny Kaye(ダニー・ケイ)の一座に加わり公演をして廻ったそうです。 1947年にはソロの吹き込みをするようになったジョージア・ギブスは、1949年にDeccaレコード会社と契約して、Eileen Barton(アイリーン・バートン)の"If I Knew You Were Comin' I'd've Baked A Cake"をカバーしてヒットパレードの5位にランクされたことから米国内で知られる歌手となりました。
※アイリーン・バートンは若干17歳にしてフランク・シナトラとのラジオ番組やナイトクラブやブロードウェイで活躍していた子役出身の1940年代の歌手ですが、ヒットした1950年のカントリーをアレンジした"If I Knew You Were Comin' I'd've Baked A Cake"は10週トップを続けて一躍センセーショナルとなったそうです。 当時この曲のあまりの人気にジョージア・ギブスのカバー以外にもいくつかのバージョンが出たのだそうです。

Georgia Gibbs With Glenn Osser and His Orchestra
1950年代後期にthe Owen Bradley Sextetをバックに"I Still Feel The Same About You"を吹き込んだ後にMercuryレコードに移籍します。 マーキュリーではFrank Sinatra(フランク・シナトラ)とも仕事をしたビッグバンド時代の有名な編曲指揮者でもあるGlen Osser(グレン・オッサー)が率いるスタジオバンドのGlen Osser orchestra(グレン・オッサー楽団)がバックにつきました。 ペギー・リーレス・ポールなどが取り入れたエコーや二重録音のような当時流行りの最新録音方法はジョージア・ギブスの性に合わないとして手を加えない生の歌唱法で勝負しました。

Miss Gibbs' greatest hit: Kiss Of Fire
1951年には50年代の泣き節バラード歌手のJohnny Ray(ジョニー・レイ)の1951年のデビュー曲で11週チャートでトップだった"Cry" をカバーして決定的なヒットを飛ばしました。 その後が当時のラテン旋風に乗って、1952年(昭和27年)に"El Choclo"に歌詞をつけて"Kiss Of Fire"として発表し、半年近くもヒットチャートに載るという快挙でした。 "トウモロコシ"という意味の題名の"El Choclo"はAngel Villoldo(アンヘル・ビジョルド)が1903年に作曲したアルゼンチンタンゴの名曲です。 "Kiss Of Fire"はCaterina Valente(カテリーナ・ヴァレンテ)の他に、"Beso de Fuego"としてサッチモことLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)やConnie Francis(コニー・フランシス)や低音の魅力のBilly Eckstine(ビリー・エクスタイン)なども歌いました。
ちなみにオペラのカルメンのThe Breeze and I(Andalucia)やラテンのMalagueñaなどイタリア語だけでなく色々な言語で歌ったカテリーナ・ヴァレンテは日本語で「情熱の花(Tout l'amour)」や「恋のバカンス(Vacance De L'Amour)」などを歌ってヒットさせています。

I touch your lips and all at once the sparks go flying...と歌われる"Kiss Of Fire"の歌詞はKiss Of Fire - OldieLyrics.com
※ジョージア・ギブスが歌った"Kiss Of Fire"の原曲である"El choclo"はアルゼンチンのタンゴの巨匠の一人"Juan D'Arienzo(フアン・ダリエンソ)"などが演奏していますが、ジョージア・ギブスと同時期の1952年にLouis Armstrong(サッチモ)も吹き込んでいます。
♪ Louis Armstrong - Kiss of Fire

ジョージア・ギブスが1960年に吹き込んだ"Something's Got To Give"はMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)が撮影中に亡くなったという映画"Something's Got To Give(女房は生きていた)"のタイトルでもありますが映画では出演者のDean Martin(ディーン・マーティン)が歌っています。

大ヒットの"火の接吻"の後に続けてリリースした"So Madly In Love"と"My Favorite Song"はさほど売れませんでしたが、1953年初期にはR & B調の"Seven Lonely Days"が再びヒットしています。 ♪ Seven lonely days make one lonely week...と調子の良い歌で覚え易かったのを記憶しています。 1954年には"The Copacabana Show Of 1954"からカリプソ調のSomebody Bad Stole De Wedding Bellをヒットさせました。
Georgia Gibbs - Seven Lonely Days - YouTube1954年にアーサー・キットが歌った"ウエディング・ベルが盗まれた"は日本でも江利チエミが歌いましたが、これまた「Who's got the ding dong who's got the bell」...と調子が良くて大流行しました。 この後もエルヴィスも好きな"Tweedle Dee"や後の"Jim Dandy"などのヒットで知られる黒人R & Bの女性ヴォーカリストであるLaVern Baker(ラヴァーン・ベイカー)やEtta James(エタ・ジェームス)の曲のカバーを吹き込むというR&R路線を貫きました。
"Work With Me"だの"Roll With Me"などは黒人音楽特有のあからさまな(explicit)R & Bの歌詞を含んでいますが、白人のジョージア・ギブスは白人社会に受けられるようオブラートに包んで表現しており、特別な意味を持つ"ROLL"がつく曲の"Roll With Me"などは"Dance With Me"にタイトルを変更したそうです。 他にはRawhide(ローハイド)で有名なFrankie Laine(フランキー・レイン)のPut Yourself in My Place Baby, Wrap Your Troubles in Dreamsもカバーしています。

ジョージア・ギブスはその後出現したロックンロール旋風に押されて泣かず飛ばずの状態となり、Rouletteレコードで1958年にRoulette Records(ルーレット)で吹き込んだCarl Maduri III (カール・マドゥライ)とDonna Kohler(ドナ・コーラー)の作った"The Hula Hoop Song(フラ・フープ・ソング)"(B面がThe Keep In Touch)が日本でも同年後期に大流行しましたがこの曲が最後のヒットとなりました。
ちなみに1952年にはTeresa Brewer(テレサ・ブリューワー)も同年フラフープ・ソングを歌っています。 当時は45回転シングルでRouletteから発売されたジョージア・ギブスのフラフープ・ソングがドリス・ディのケセラセラからボビー・ダーリンのドリーム・ラヴァーまで懐かしい曲がいっぱいのOpusCDs2枚組みCD"Memories Are Made Of This"に収録されていますが入手困難です。 他にはR&BのコンピレーションアルバムのThe Roulette StoryというR&Bコンピレーション3枚組みCDにも収録されています。
試聴はThe Roulette Story - Amazon.com
フラフープ・ソングはDisc: 1の15番、19番のThe Hucklebuckもジョージア・ギブスの歌です。(The HucklebuckについてはHot'n Cool内のポール・ウィリアムズ Paul "Mr. Hucklebuck" Williams) この他にはJimmie Rodgers(ジミー・ロジャース)のHoneycomb、Pier Angeli のTorero、Joey DeeのPeppermint TwistやThe Rock-A-Teensが歌うキルビルのサントラにもあったWoo Hooのオリジナルなどが収録されています。 ※収録曲の"If I Knew You Were Comin' I'd've Baked a Cake"や"Honeycomb"は"Mambo Italiano"や"How Much Is That Doggie In The Window?"などのヒット曲で有名なBob Merrill(ボブ・メリル)の作詞作曲ですが。ちなみに歌のタイトルはスラングで"超セクシーな女"とか"女性をひきつける男性のかっこいい髪型"とか"コカイン(麻薬)"などという意味があるとか。
昭和30年代に流行りましたね。 ♪フラフープ、フラフープ、みんなで回そう、フラフープ! 一時は腸捻転を起こすからと廃ったフラフープですが現在は再び幼稚園などで使用されているようです。
※ジョージア・ギブスは惜しくも白血病による合併症から2006年12月に87歳で亡くなりました。

Teresa Brewer
テレサ・ブリューワーは1950年代に独特の歌唱法で人気だったポップス歌手で、1949年に陽気なジュークボックスがテーマの曲"Music Music Music"がミリオンセラーとなりました。 黒人ブルースの女王である"Bessie Smith(ベッシー・スミス)"を歌い、ジャズのCount Basie(カウント・ベイシー)とも共演したテレサ・ブリューワーですが、私が一番好きな曲は1952年の"Till I Waltz Again with You(想ひ出のワルツ)"です。 テレサ・ブリューワーの紹介ページによく書かれているのが「ブリューワーのキンキン声」ですが私はハスキーがかっているとは思いますがキンキンとは聞こえません。
私の好きな"By The Light Of Silver Moon"は見つかりませんが、1953年の"Till I Waltz Again with You"や1950年の"Music Music Music"や1955年の"Let Me Go, Lover! "などが聴けるTeresa Brewer - Jazz-on-line.com(検索窓にTeresa Brewerと入力、開いたページで曲目をクリックするとRealPlayerで聴けます。)


Red Hot
ページトップの画像はジョージア・ギブスのアルバム"Red Hot"です。
試聴はRed Hot - Barnes & Noble.com
代表曲の「Kiss of Fire(火の接吻)」は収録されていませんが、ジョージア・ギブスがもっとも人気のあったMercuryレコード時代の78回転ヒット曲を集めてありビング・クロスビーの弟のBob Crosbyとのデュエットもあります。 アルバムタイトルの"RED HOT"とは19世紀後期にニューオリンズで誕生した黒人が演奏したラグタイムやマーチングバンドなどから始まった初期のジャズ"red hot jazz"のことでジョージア・ギブスはかなりあからさまな内容をちょっと落として威勢良く歌っています。 このCDに収録されているRED HOTな曲はRed Hot MamaとA-Razz-A-Ma-Tazzですが、Red Hot Mamaとはセクシーなブロンドのボデコン女のことだそうです。
SP78回転のシングル盤に収録されていのチャチャチャ風シャンソンのCherry Pink and Apple Blossom Whiteとブルース調のGot Him Off My Handsが入っています。
※オリジナルがシャンソンのCherry Pink and Apple Blossom White(バラ色の桜んぼと白いリンゴの花)はセレソローザとしてマンボ王のPerez Prado(ペレス・プラード)の演奏で有名です。
※"Red Hot"に使用されているジョージア・ギブスの写真は白人というよりスペインのジプシーのように見える写真があります。 事実このアルバムには収録されていませんがジョージア・ギブスのレパートリーには"Gypsy Love Song"という歌があります。 CD化されていませんが1950年代のRoyale盤の30cmLPでGeorgia Gibbs Ballin The Jack、又はGibbs, Georgia / Georgia Gibbs & OrchestraのB面に収録されています。

Her Nibs
Glenn Osser(グレン・オッサー)楽団をバックにジョージア・ギブスが歌うThe Kiss of Fireが収録されているアルバム
Her Nibs - Georgia GibbsHer Nibs
試聴はHer Nibs - Amazon.com
ジョージア・ギブスが歌った"The Wallflower"という曲は又の名を"Dance with Me Henry"とか"Roll with Me Henry"とも呼ばれるアンサーソングでHank Ballard(ハンク・バラード)と白人R&BのJohnny Otis(ジョニー・オーティス)が書いた曲ですが、 Etta Jamesが歌ってヒットしました。 元歌はハンク・バラードの1954年のミリオンセラーの"Work With Me Annie"で、「a-um, a-um...Ooo-wee!, So good, so good, so good, so good」とR&B特有のきわどい歌詞でしたので続編の"Annie Had a Baby"などを含めて連邦通信委員会は放送禁止にしたのだそうです。
Georgia Gibbs - Dance With Me Henry (The Wallflower) - YouTube

Greatest Hits
ジョージア・ギブスのタイトル曲である"Kiss Of Fire"が収録されている"Georgia Gibbs / Greatest Hits"には最盛期のトップヒット曲が網羅されています。
Greatest Hits by Georgia GibbsGreatest Hits
試聴はGreatest Hits Plus Bonus Tracks - @TOWER.JP

Sentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol. 3 (1950-1954)
1950年から1954年のヒット曲を集めたアルバム"Sentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol. 3"には試聴はもちろん、Glenn Osser & Orchestraをバックに歌うジョージア・ギブスの"火の接吻"が収録されています。 "Just Walking in the Rain(雨に歌えば)"で有名な"Cry"のご本家Johnnie Ray(ジョニー・レイ)や日本でも江利チエミのバージョンが人気だったRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)のCome On-A My House(家においでよ)やKay Starr(ケイ・スター)のWheel Of Fortune(幸せの輪)も収録されています。 ちなみに1956年にRock and Roll Waltz(ロックン・ロール・ワルツ)をリリースした特異な声のケイ・スターの歌では"What Is This Thing Called Love"が好きです。
日本では入手不可のようですが、上記のアルバムの試聴はSentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol. 3 - Amazon.com

ジョージア・ギブスは代表曲であるKiss Of Fireを1966年に"Kiss Of Fire 66"としてモノラル・レコードの"Georgia Gibbs / Great Balls Of Fire"に録音しています。
Great Balls Of Fire(火の玉ロック)というのはロックンロールのJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)が放った1957年の大ヒット曲です。

Like a Song
Jo Stafford(ジョー・スタッフォード)も歌っているIrving Berlin(アーヴィング・ バーリン)の名曲"You Keep Coming Back Like A Song"(このCDタイトル"Like A Song"はこの曲名から)やフランキー・レインのWrap Your Troubles In Dreamsのカバーなど終戦直後のレアものが収録されているアルバム
Georgia Gibbs-Like a SongLike a Song
試聴はLike a Song - Amazon.com


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I want to enjoy things, have fun, live every day like it's the last day.
雨の朝巴里に死す  (1954年)

「雨の朝パリに死す」はアメリカの作家であるF. Scott Fitzgerald又はFrancis Scott Key Fitzgerald(F・スコット・フィッツジェラルド)が1925年に夢と挫折を描いた短編「Babylon Revisited(バビロン再訪又はバビロンに帰る)」をモチーフとしてRichard Brooks(リチャード・ブルックス)が監督した超ロマンス映画で、パリやモナコでのロケが行われたそうです。 いかにもというロマンティックなメロドラマですが、他の典型的な50年代のハリウッドのお涙頂戴的ロマンス映画というよりは身近な問題なので身につまされます。
ちなみにフランス語では"La dernière fois que j'ai vu Paris"(私がパリを見た最後)というそうです。
原作の短編「Babylon Revisited(バビロン再訪)」について書かれた"Babylon Revisited": Contents and Introduction(英語のサイト)
F. Scott Fitzgerald(フィッツジェラルド)の短篇集から「雨の朝パリに死す」の冒頭が読めるデジタル書店グーテンベルク21の雨の朝パリに死す 立ち読みフロア

私の好きなフィッツジェラルドの作品といえば1925年に出版された現代版「嵐が丘」のような"The Great Gatsby"(グレート・ギャツビー)ですが、こちらも1974年にRobert Redford(ロバート・レッドフォード)主演で「The Great Gatsby(華麗なるギャツビー)」というタイトルで映画化されました。 Jack Clayton(ジャック・クレイトン)監督の「華麗なるギャツビー」がセリフにおいてはかなり原作に忠実だったので感激した覚えがありますが、「雨の朝パリに死す」の原作といわれる「バビロン再訪」については私は未読なので比較出来ません。

映画「雨の朝パリに死す」の美しいヒロインのHelen Ellswirth(ヘレン)を撮影当時22歳のElizabeth Taylor(エリザベス・テイラー)がゴージャスに演じています。 リズの演じる綺麗な令嬢姿が存分に見られた1951年のA Place In The Sun(陽のあたる場所)から3年後にさらに華麗な人妻役のリズが見られる映画です。
当時は無名だった"007"シリーズのRoger Moore(ロジャー・ムーア)が若いテニスコーチのPaul Lane(ポール)、Van Johnson(ヴァン・ジョンソン)がヘレンの夫になるCharles Wills(チャールス)役です。 堅物で生真面目ですが、ずっとチャールスを想うヘレンの姉の"Marion"(マリオン)として「It's A Wonderful Life(素晴らしき哉、人生!)」のDonna Reed(ドナ・リード)が、二人の父親として「How Green Was My Valley(わが谷は緑なりき)」のWalter Pidgeon(ウォルター・ピジョン)が出演しているという豪華キャストの映画です。

「雨の朝パリに死す」の舞台は第二次大戦の勝記念日あたりのバカ陽気なパリです。 その連合軍の勝利のお祝いパーティでヘレンとチャールスは出会い、チャールスの除隊後にパリで結婚し可愛い女の子も授かりました。 パーティ好きで奔放なヘレンは噴水に飛び込んだ"パリのアメリカ人"として記事になり、Ritz Bar(カフェ)の壁画にそのモデルとしてに応じたりと相も変わらず気紛れな行動を続ける一方、チャールスは昼間は通信者の記者として安月給で働きながら夜は作家として奮闘するも作品は書いても書いても不採用となる苦悩の毎日でした。 そんな時、ヘレンの父親から結婚記念に贈られたテキサスの土地の油田から突如石油が吹き出たのです。
※テキサスというとこの時代のちょっと前はサボテンとカーボーイとウエスタンでしたが50年代にはオイル・ブームですから、まさに1956年の「Giant(ジャイアンツ)」の前ぶれのような映画です。

一夜にして石油成金となり豪華な生活を楽しみ、生活の心配なく作家稼業に身を入れられる筈のチャーリーでしたが作品はボツの連続で自暴自棄となり酒に溺れどんどん嫌味な夫となっていきます。 とうとう作家への夢を失うと同時に次第に妻の愛情をも失い自滅の道へ突き進むことになります。 そこに現れたのがヘレンの父の友人であるテニスプレーヤーで遊び人のポールです。 ポールのヘタクソなフランス語"Enchante"(はじめまして)がヘレンの気を引き、金持ち狙いのポールの思惑通りになりかける一方、共に享楽をむさぼる日々を過ごす夫のチャールスも離婚ぶとりの超リッチな金髪グラマーと交際を再開して滅茶苦茶な夫婦生活が始ります。 お互いに当て付けのような不倫劇を演じていては本当に夫婦関係も壊れる一方だと案じたヘレンの希望はホームに帰ることでした。 ホームはアメリカ人として住んでいるパリの家のことではなくアメリカ人の本当のホームつまりアメリカ本国に戻るということです。 夢も虚しくお互い愛情の表現が不器用で素直になれなかった夫婦の悟るのが遅すぎた悲劇です。 金が無ければ四苦八苦、金が有り過ぎると不幸とは世の常、人の常?

video「雨の朝パリに死す」のトレーラーが観られるThe Last Time I Saw ParisTrailer - Turner Classic Movies(画像の右のmedia、その下のoriginal trailerをクリック、プレイヤーはwindowsを選択)

「雨の朝パリに死す」はまさに20世紀の偉大なる女優の一人である美しいエリザベス・テイラーを見るための映画です。
1950年代のLiz Taylor(リズ)は最高に綺麗です。 リズの映画で私が一番好きな作品は「雨の朝パリに死す」と同じくRichard Brooks(リチャード・ブルックス)監督の「Cat On A Hot Tin Roof(熱いトタン屋根の猫)」です。 ブルックス監督が1958年にTennessee Williams(テネシー・ウィリアムズ)の原作を映画化したものですが、この映画で25歳のリズは美しいだけではなく演技力を身に付けたといわれています。
エリザベス・テイラーは1944年にRobert Stevenson(ロバート・スティーヴンソン)が監督した「Jane Eyre(ジェーン・エア)」に子役で出演するなど映画界において子役時代から美しさでは他に類がないといわれるほどでしたが、私が始めて観たリズは金髪で出演したマーヴィン・ルロイ監督の1949年の「Little Women(若草物語)」でした。 もっとも私は公開当時ではなく後のテレビ名画座で観たのです。 映画では金髪に髪を染めたリズのフランス人形のような美しさには目を見張るばかりでした。 真っ白な肌、真っ黒な髪、バイオレットの瞳、小さな口からこぼれる可愛らしい声、そして小さな鼻。 そしてリチャード・バートンと共演した1966年の「Who's Afraid of Virginia Woolf?(バージニア・ウルフなんかこわくない)」や、1967年の「The Taming of the Shrew(じゃじゃ馬ならし)」以降はエリザベス・テイラーの映画を全く観ていません。
※Mervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)監督は1940年のWaterloo Bridge(哀愁)や1942年のRandom Harvest(心の旅路)など泣ける名作がたくさんありますが、1939年のThe Wizard of Oz(オズの魔法使)や1949年の「Little Women(若草物語)」など子供にも楽しめる映画もある一方、1962年にはNatalie Wood(ナタリー・ウッド)主演で「Gypsy(ジプシー)」も撮っています。
60年代以降は百万ドル女優の貫禄充分でスペクタクル映画などに出演しましたが私の好きなリズの映画はもうありません。

「雨の朝巴里に死す」と「熱いトタン屋根の猫 」以外に私が観たリチャード・ブルックス監督の作品では1948年に脚本を担当したHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)主演のKey Largo(キー・ラーゴ)、1955年に監督したBlackboard Jungle(暴力教室)、そして新しいところでは1977年のLooking for Mr. Goodbar(ミスター・グッドバーを探して)ですがいづれもスリリングな映画です。

私生活では1967年に「Doctor Faustus(ファウスト悪のたのしみ/博士の異常な愛)」でも共演した英国俳優のRichard Burton(リチャード・バートン)と1964年から結婚離婚を繰り返したエリザベス・テイラーでしたが、女優業の他にもフラグランスをプロデュースしているそうです。 1987年にElizabeth Taylor's Passion、1991年にWhite Diamonds Elizabeth Taylorと自分の名を冠した香水を持つゴージャスなリズですが、その一方かって仲良しだった人気俳優のロック・ハドソンがエイズで死亡したことからエイズ撲滅運動に参加して以来社会活動も盛んに行っています。

☆「The Last Time I Saw Paris(雨の朝パリに死す)」の写真が見られるL'ultima volta che vidi Parigi - FILM.TV.IT


Roger Moore
ロジャー・ムーアは英国出身ですが50年代の初めに渡米し、何年もの無名時代を過ごしました。 「雨の朝パリに死す」がロジャー・ムーアがやっと大役を掴んでクレジットが出るようになった日本映画デビュー作品となります。 ヨーロッパ映画で1961年に「IL Ratto delle sabine(サビーヌの掠奪)」でMylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)と、1962年に戦争映画の「Un branco di vigliacchi」でPascale Petit(パスカル・プティ)と共演するなどしたロジャー・ムーアは翌年の1962年から6年間放映されたテレビシリーズの"The Saint"(セイント)の主役"Simon Templar"(サイモン・テンプラー)で大ブレイクし、同じく人気探偵シリーズだった77 Sunset Strip(サンセット77)などにもゲスト出演しています。 1974年に「The Man with the Golden Gun(007/黄金銃を持つ男)」ではボンドガールを演じたPeter Sellers(ピーター・セラーズ)の元妻のスウエーデン女優であるBritt Ekland(ブリット・エクランド)と共演しています。
※ドイツのファンサイトですが頭の上に天使の輪がついたサイモン・テンプラーの写真が見られるThe Saint - Simon Templar(左のメニューでSaint Picturesをクリック)
英語ですがロジャー・ムーアの幼少時代の写真も見られるHappy 79th Birthday, Sir Roger!
The Saint opening titles - YouTube

45歳になって貫禄のついたロジャー・ムーアは1973年からSean Connery(ショーン・コネリー)に代わってやっとJames Bond(ジェームス・ボンド)として採用され、鉄歯男を演じた2mを越す大男のRichard Kiel(リチャード・キール)やBarbara Bach(バーバラ・バック)がKGBの美人スパイを演じた1977年の「The Spy Who Loved Me(私を愛したスパイ)」をはさんで1979年までに7本の007シリーズに出演しました。 007の原作者"Ian Fleming"(イアン・フレミング)のボンド役のご指名は本来ロジャー・ムーアだったのですが若く見えすぎるということでショーン・コネリーに決定した経緯があります。 ところが、実際にはロジャー・ムーアの方が年上だったんだそうです。 ロジャー・ムーアが演じたジェームス・ボンドは最もセックスアピールがないといわれていますが私はサイモンのファンだったのでロジャーは魅力的だと思います。
なにしろジェームス・ボンド役は英国人でなくてはならないそうですから最新の2006年版「Casino Royale(007/カジノ・ロワイヤル)」でのボンド役を演じるDaniel Craig(ダニエル・クレイグ)も英国人です。 「カジノ・ロワイヤル」に出演しているMads Mikkelsen(マッツ・ミケルセン)は2002年の「Elsker dig for evigt(しあわせな孤独)」でデンマーク版のジェレミー・アイアンみたいに若い女に狂う医師の役を演じました。


The Last Time I Saw Paris DVD
ページトップの「The Last Time I Saw Paris」のDVD画像は二つともAmazon.comにあるDVDですが、左側のDVDカバー画像は映画のシーンなんでしょうか、私の記憶にありません。
こちらの画像は2002年発売の日本語字幕版DVDですが入手困難なのでリンクは2008年発売の500円DVDの「雨の朝パリに死す」になっています。
The Last Time I Saw Paris雨の朝パリに死す
500円DVD(ASIN: B0006B2GKA)や吹き替え版のDVD(ASIN: B000RL39MS)などもAmazon.co.jpで見つかります。

The Last Time I Saw Paris Soundtrack
「雨の朝パリに死す」のサウンドトラックではJerome Kern(ジェローム・カーン)作曲のロマンティックなタイトル曲となっている"The Last Time I Saw Paris"が使用され、ヘレンが弾くピアノの雨だれ演奏を含めて映画「雨の朝パリに死す」の全編通して随所に流れますが、歌詞はOscar Hammerstein II (オスカー・ハマーシュタイン二世)です。
映画「雨の朝巴里に死す」の冒頭はアメリカに帰っていたチャールスの2年ぶりのパリというシーンから回想劇が始まりますが、ヘレンの壁画のあるカフェや中盤のチャールス夫妻のダンスシーンで流れるフランス語の歌詞も同じくオスカー・ハマーシュタイン二世なのかどうか、又女性歌手は誰なのかは不明です。
「雨の朝巴里に死す」のサウンドトラックとしては国内では見つかりませんがJerome Kern(ジェローム・カーン)作曲のサウンドトラック集で試聴出来ます。
The Fred Stride Orchestra(フレッド・ストライド指揮)が演奏する"The Last Time I Saw Paris"はShowboat and Other Jerome Kern Classics
アルバム"Showboat and Other Jerome Kern Classics"のCD画像が見られて試聴できるShowboat and Other Jerome Kern Classics - Amazon.com
1940年に作曲されたThe Last Time I Saw Parisは1941年のミュージカル映画"Lady Be Good"で使用され映画ではAnn Sothern(アン・サザーン)が歌いました。 以来人気のジャズナンバーでEartha Kitt(アーサー・キット)のアルバム「The Collection」やVaughn Monroe(ヴォーン・モンロー)のアルバム「There! I've Sung It Again」にスイング調の"The Last Time I Saw Paris"が収録されている他、Dinah Shore(ダイナ・ショア、Frank Sinatra(フランク・シナトラ)、Dean Martin(ディーン・マーティン)のバージョンが有名です。 演奏だけではJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)のスウィングしている演奏がアルバム「A Jazz Romance: A Night in With Verve」のディスク:4の5番で聴かれる他、Dave Brubeck(デイヴ・ブルベック)やハードバップのピアニストのBud Powell(バド・パウエル)とその影響を受けた白人ピアニストのClaude Williamson(クロード・ウィリアムソン)がメロディックに演奏しているバージョンがあります。
日本でも人気のクロード・ウィリアムソンの"The Last Time I Saw Paris"は試聴なしですがアルバムの「Live at the Jazz Bakery」に収録されています。
"The last time I saw Paris, her heart was warm and gay,..."と歌われるDinah Shore(ダイナ・ショア)やDean Martin(ディーン・マーティン)のバージョンの"The Last Time I Saw Parisの"英語歌詞はThe Last Time I Saw Paris Lyricks - sing365.com
Ann Sothern(アン・サザーン)が歌っている"The Last Time I Saw Paris"は1941年のミュージカル映画「Lady Be Good」のサントラ「Lady Be Good/Four Jills in a Jeep」で試聴出来ます。
The Last Time I Saw Paris by Joan Collins in Monte Carlo (1986)- YouTube

☆集英社から1990年に出版されたフィッツジェラルド原作"Babylon Revisited"の文庫本はバビロン再訪―フィッツジェラルド短篇集



ブラック・ダリア
事実は小説より奇なりとは申しますが、ホラー映画にはあっても現実にはあり得ない事件のお話です。
1996年のMission: Impossible(ミッション:インポッシブル)で有名なモダンホラーの巨匠"Brian De Palma(ブライアン・デ・パルマ)"監督が事実に基づいて書かれたJames Ellroy(ジェームズ・エルロイ)の小説を映画化しました。 小説の50年代のパルプフィクションの特長であるエログロでもなく、セピア色のハードボイルドでもフィルム・ノワールでもなく、映画の内容としては一人の若い刑事の生き様を描いているようです。(チェインスモーク以外は) いづれにせよ実在の未解決の謎の事件下敷きにしているそうですから終盤に尻窄みなのは否めません。(映画的には猟奇殺人の謎解きはされています。)
作家のジェームズ・エルロイは皆さんご存知の1997年の映画「L.A. Confidential(L.A.コンフィデンシャル)」の原作者ですが実生活で"このブラック・ダリア事件にも似た体験をしている"とは本人の弁です。 少数のメキシコ系の若者を多勢の警官が暴行した1951年のBloody Christmas(血のクリスマス)事件も取り入れ、腐敗したロスアンジェルス警察を描いた映画「L.A.コンフィデンシャル」も緊迫感の連続でしかも意表を突くラストでした。 ジェイムズ・エルロイの「暗黒のロス4部作」について詳しく書かれたジェイムズ・エルロイ - Book James Ellroy
私が始めてブライアン・デ・パルマ監督の映画を観たのは1976年のホラー映画の「Carrie(キャリー)」でした。 この映画でメジャーデビューしたジョン・トラヴォルタはこの翌年に「サタデー・ナイト・フィーバー」で大ブレイクしたのでした。
「キャリー」のトレーラーはCarrie Trailer - Comme Au Cinéma
ブライアン・デ・パルマは1981年にも女友達が実際に殺された時の断末魔の声を映画に使用するホラー映画の音響係りにジョン・トラヴォルタを起用したサスペンス映画の「BLOW OUT(ミッドナイトクロス)」や、1987年にKevin Costner(ケヴィン・コスナー)がエリオット・ネスを演じたThe Untouchables(アンタッチャブル)などを監督しています。
「ミッドナイトクロス」のトレーラーはBLOW OUT Trailer - Comme Au Cinéma
そしてTroy Donahue(トロイ・ドナヒュー)が主演した1962年の「恋愛専科」や1960年の「オーシャンと十一人の仲間」などに出演したAngie Dickinson(アンジー・ディキンソン)が惨殺される人妻役で出演した1980年のサスペンス映画のDressed to Kill(殺しのドレス)は多重人格を扱っています。 怖いですね、怖いですね。
Dressed to Kill - YouTube

映画「ブラック・ダリア」は戦後のハリウッドに大スターを目指してやってきた若き女優のタマゴが惨殺されたという"ブラックダリア事件"の捜査を巡るストーリーです。 担当となったロサンジェルス市警の2人の刑事は被害者であるエリザベス・ショートの過去を夢中で探っていくと次第に映画界の闇の世界へと入り込んでいくのです。 人材と機材と道具立ての揃ったハリウッドでの闇の産業とはいったい何?

Los Angeles. 1943. The Zoot Suit Riot.
「ブラック・ダリア」は1930年代のモノクロのニュース映画でライトヘヴィー級ボクシングの試合の映像で始まり、つづいて1940年代初めのロスアンジェルスでの暴動事件が映し出される。 映画はまるで小説を読んでいるかのようなバッキー・ブライカートのナレーションで進行するので聞き逃すと置いてけぼりを食う。 野球のバットを振り回すGI(アメリカ兵)たちとズートスーツを着たメキシコ人たち。 ここで警官が駆けつけてこの乱闘を治めるなんてことはない、ここは1990年代にはロス暴動が勃発したロスアンジェルスなのだ。
場面はメキシコ系や黒人たちと海兵隊やGIたちの騒乱。 そこにはロスアンジェルス警察の特捜課の刑事である元ヘヴィーウエイトのボクサーだったSgt. Leland "Lee" Blanchard(リー・ブランチャード)とライトヘヴィー級のOfcr. Dwight "Bucky" Bleichert(バッキー・ブライカート)もいた。 二人は軍隊で顔を見たことはあったが、互いに話したことはなかったが警察のキャンペーンでボクシングの試合に出たことからこの騒動の中で捕らえた指名手配の犯人の功績を譲る仲となったのだ。

ボクサー上がりという設定で、ロス市警の刑事のバッキー・ブライカート(ファイヤー)役にJosh Hartnett(ジョシュ・ハートネット)が、リー・ブランチャード(アイス)にはAaron Eckhart(アーロン・エッカート)が扮しています。 そして今話題の美女"Scarlett Johansson(スカーレット・ヨハンソン)が刑事ブランチャードと同棲中のKay Lake(ケイ・レイク)を演じ、この3人が事件の解決のために被害者の裏の顔を探査します。 「ブラックダリア」はますます綺麗になってきたスカーレット・ヨハンソンを愛でる映画です。 それにしてもリー・ブランチャード刑事はなぜそれほどまでにこの事件解明に夢中になったのか。
実際の事件の被害者は女優志望のElizabeth Short(エリザベス・ショート)という若い女性ですが、この役をエキゾティックなMia Kirshner(ミア・カーシュナー)が演じています。 とんでもない思い込みなのか、Hilary Swank(ヒラリー・スワンク)が殺されたエリザベス・ショートに似ている令嬢のMadeleine Linscott(マデリン・リンスコット)役で出演し、事件の鍵を握る好奇心の強い女を熱演しています。
※Ofcr.はOfficer(警察官または巡査)のことで、Sgt.はSergeant(巡査部長)のことですが、他にも警察の階級にはLieutenant(警部補)、Captain(警部)、Inspector(警視)などがあるそうです。 つまり映画ではバッキーは若い刑事でリーがその上司ということになります。

「ブラック・ダリア」相関図
以下はネタバレも含むのでご用心!
映画ディレクターなどと関係を持っても女優にはなれないエリザベス・ショートにEmmett Linscott(リンスコット氏)が紹介したパトロンというのが、「殺しのドレス」で性転換した女のボビーの電話の声を担当したWilliam Finley(ウィリアム・フィンレイ)が演じるリンスコット氏の仲間のGeorge Tilden(ジョージ)。
ジョージとは仕事仲間で古い付き合いがあり、サイレント時代のコメディ王と呼ばれたMack Sennett(マック・セネット)監督が廃棄した撮影所をビジネスにしているロスアンジェルスの大立者がリンスコット氏。
「Harry Potter(ハリー・ポッター)」シリーズの叔母さん役だったFiona Shaw(フィオナ・ショウ)が熱演するリンスコット氏の妻のRamona Linscott(ラモナ)は彼が自分の財産目当てに結婚したと思い込んでいる。
リンスコットとラモナ夫妻の長女はMadeleine Linscott(マデリン)。
マデリンの妹のMartha(マーサ)は実はジョージとの不倫により儲けた子供。
そのラモナとジョージの関係を知ったリンスコット氏はジョージの顔に火傷を負わす。
ラモナはジョージと被害者のエリザベスの関係を知り嫉妬に狂うと同時にマデリンにも嫉妬。 なぜかはアッと驚く終盤のシーンで。(まさか、とりかえばやじゃ?)
マデリンはレスビアンバーの自分そっくりなエリザベスと好奇心から関係を持つ。(これが不思議なことに全く似てなんかいないのだが。)
マデリンと刑事のバッキーがなぜか関係を持つ。 これらに銀行強盗の大金の奪い合いが絡む、などなど。

マデリンの豪邸を訪問したバッキーが最初に見たのは犬の剥製です。 マデリンがこともなげに説明するには、この犬はマデリンのパパであるリンスコット氏の偉業の記念として、リンスコット氏の記事が掲載された新聞を咥えているのだそうです。 ところがなんと驚くことには、このオブジェを製作するために飼い犬を撃ち殺し、仕事仲間のジョージが剥製に仕立てたのだとか。
「ブラック・ダリア」では剥製が惨殺事件の鍵を臭わせますが、1800年代後期のロンドンの下町でやはり実際に起こった猟奇連続殺人事件の「Jack the Ripper(切り裂きジャック)」では被害者の売春婦たちから内臓を切り取った手口から犯人疑惑が医師に向けられたとか。

映画「ブラック・ダリア」のオフィシャルサイトThe Black Dahlia movie.netでTRAILERをクリックすると予告編が観られますが、画面サイズを選んで下さい。
メインページのENTER THE SITEをクリックすれば登場人物の右後ろにある地図の各ロケーション8箇所をクリックして関連ビデオが観られます。
アメリカでは9月に公開され、日本では2006年10月14日に公開です。
☆日本語の「ブラック・ダリア」のオフィシャルサイトはBlack Dahlia Official Site - Black-Dahlia.jp

Hilary Swank(ヒラリー・スワンク)は1999年のBoys Don't Cry (ボーイズ・ドント・クライ)に続き2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した2004年のMillion Dollar Baby(ミリオンダラー・ベイビー)以来の映画出演です。 「ブラック・ダリア」の後は、アメリカで2007年1月公開の実話小説"The Freedom Writers Diary: How a Teacher and 150 Teens Used Writing to Change Themselves and the World Around Them"をRichard LaGravenese(リチャード・ラグラヴェネーズ)監督が映画化したFreedom Writers(フリーダム・ライターズ)で製作にも関わり、3年B組ちびっこギャングを担当して"女金八先生を演じます。 同じく教師にVera Drake(ヴェラ・ドレイク)のImelda Staunton(イメルダ・スタウントン)が出演していてなにやら受賞のニオイがします。(エリンとフリーダムライターズ (著), 田中 奈津子 (翻訳) のフリーダム・ライターズ (単行本) が出版された。) もう一作は一転してホラー映画ですが、めずらしく早々と日本で2007年4月公開のThe Reaping(リーピング)があります。 ヒラリー・スワンクが牧師転じて宗教上の奇跡的な謎を追求する科学的悪魔祓いを演じる怖い要素をいっぱい詰め込んだミステリーで、ヒッチコックの「鳥」ならぬイナゴの大群に襲われます。 Blood! Yuck!
「ブラック・ダリア」でリー・ブランチャードを演じたAaron Eckhart(アーロン・エッカート)は2007年に「No Reservations(幸せのレシピ)」でCatherine Zeta Jones(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)と共演します。

被害者を演じたミア・カーシュナーは1995年にMurder in the First(告発)でKevin Bacon(ケヴィン・ベーコン)が演じた囚人の娘"Rosetta"を演じたり、日本未公開でしたが"Ally McBeal 4(アリー・myラブ4シーズン)に出演したマッチョな弁護士のジャクソンを演じたTaye Diggs(テイ・ディグス)と共演した2002年のNew Best Friend(ベスト・フレンド)で主演しましたが、Jennifer Beals(ジェニファー・ビールス)主演で2004年から放映されている人気レズビアンTVシリーズのTHE L WORD(Lの世界)にも出演しています。 北欧系のスカーレット・ヨハンソンは日本人には分かり易い美しさですが、ミア・カーシュナーはあちらでは大変エキゾティックな魅力だそうです。 ミア・カーシュナーの父がドイツで母はブルガリアのイスラエル人であり、ホロコーストの生存者の孫にあたるそうです。 黒髪で妖艶?怪奇ムード漂う少々変わった女優で、今までの役どころもそんな感じでした。 ともかく映画「ブラック・ダリア」がイメージする"黒"と"レズ"にはピッタリです。
☆ミア・カーシュナーのオフィシャル・サイトはMia Kirshner.com(左のメニューでphotosをクリックすると写真)
Scarlett Johansson Josh Hartnett The Black Dahlia Interview - YouTube

Lucky Number Seven? or Lucky Number Eleven?
バッキー役のジョシュ・ハートネットは目下有望株の俳優です。 2005年のSin City(シン・シティ)ではザ・マンとして出演し、最新作はBruce Willis(ブルース・ウィリス)とMorgan Freeman(モーガン・フリーマン)が出演する2006年の11月に日本公開のモダン・フィルムノワールの「Lucky Number Slevin(ラッキーナンバー7)」で主演します。 タイトルはペテンに関連した新造語だそうで、ブルース・ウィリスが演じる殺し屋のMr. Goodkat(グッドキャット)がそのKansas City Shuffle(カンザスシティ・シャッフル)の鍵を握っています。
Lucky # Slevinのオフィシャルサイトは映像がいけてるフランス版をお勧め!slevin-lefilm.com(Slevin役のジョシュ・ハートネットのギャランドゥーもチラリ)
The Rumor Mill & Joshua Ralph
「ラッキーナンバー7」の予告編は左のVOIR LA BANDE AONNONCEをクリック、流れている曲は映画の終盤で使用されたJoshua Ralph(J. Ralph名義のジョシュア・ラルフ)作曲のファンキーな"Kansas City Shuffle(カンザス・シティ・シャッフル)"で歌っているのはブリティッシュ・ロックバンドのThe Rumor Mill(ルーマー・ミル)とかですが今のところ情報が見つからないと思ったらどうやら偽名でしょうか。(ペンネーム?) ともかく、Its a blindfold kick back type of a game...と歌われるこのKansas City Shuffleが鍵となっている映画だそうです。
Joshua Ralph(ジョシュア・ラルフ)のオフィシャルサイトでmusicをクリック、一番上のLucky Number Slevinのサントラ画像をクリック、19番目のKansas City Shuffleをクリックすると試聴出来ます。
※私はずっとKansasをカンサスと発音してきましたが、カンザスだったのですか。 ちなみに"Kansas City Shuffle(カンザスシティシャッフル CD)"はジャズ・ピアニストの"Bennie Moten(ベニー・モーテン)"が1926年に吹き込んだ曲がありますが、その2006年バージョン(?)をJ ラルフが書いたものだとかで映画のラストで流れ"グッドキャット"の手の内を暴露しています。 Kansas City Shuffle(カンザスシティシャッフル)とは何かというと、人の信頼につけ込む詐欺の高度な手口で、違う方向や口実を報復する相手に与えるフェイントのようなものだそうです。 どうりで大石内蔵助のようなスレヴンでした。 あっち向いてホイ!
ベニー・モーテンについてはCount Basieの記事でふれていますがベニー・モーテンの"Kansas City Shuffle"が聴けるRed Hot Jazz(似てます?)
ジョシュア・ラルフ音楽の「ラッキーナンバー7」サントラの試聴はLucky Number Slevin [Barnes & Noble Exclusive] - Barnes & Noble.com(19番を試聴、)
Lucky Number Slevin - Kansas City Shuffle - YouTube
Kansas City Shuffle with Lyrics - YouTube


Sexiest Woman Alive: Scarlett Johansson
The Black Dahlia -Scarlett JohanssonJennifer Lopez(ジェニファー・ロペス)に代わって今日では世界一セクシーな女ともいわれたことがあるScarlett Johansson(スカーレット・ヨハンソン)は2006年で25歳を迎えてさらに美しくセクシーになり、「ブラック・ダリア」で共演したジョシュ・ハートネットと目下交際中だとか。
2003年にLost In Translation(ロスト・イン・トランスレーション)で最優秀女優賞を受賞しているスカーレット・ヨハンソンは、2006年9月に開催されたヴェネチア国際映画祭でも人気の的だったそうです。
2007年にはEmma McLaughlin(エマ・マクローリン)とNicola Kraus( ニコラ・クラウス)原作の「The Nanny Diaries(ティファニーで子育てを)」(2002年)を映画化したスカーレット・ヨハンソン主演の軽いコメディThe Nanny Diariesが公開されます。 庶民のヨハンソンが子守に行った家はニューヨークの上流階級で支配欲のカタマリみたいな夫人をLaura Linney(ローラ・リニー)が演じていますがその夫がSideways(サイドウェイ)でNY批評家協会賞の男優賞を獲得したPaul Giamatti(ポール・ジアマッティ)です。
☆スカーレット・ヨハンソンのスライドショーが見られるYAHOO! NEWS - Esquire: Scarlett Johansson 'Sexiest'(左の画像下のSlideshow: Scarlett Johanssonをクリック)
Audio-Visual Trivia内でスカーレット・ヨハンソンの出演映画は日本未公開でしたが2004年のIn Good CompanyA Love Song for Bobby Long(ママの遺したラヴソング)、2008年のThe Other Boleyn Girl(ブーリン家の姉妹)です。


特典ディスク付き2007年発売の「ブラック・ダリア」2枚組みDVD
The Black Dahlia DVD「ブラックダリア」コレクターズ・エディション

文藝春秋社から1994年に発刊されたお手軽価格の人気の文庫本
ブラック・ダリア 著ジェイムズ・エルロイブラック・ダリア (文庫)


The Black Dahlia (Original Soundtrack)
ページトップの画像は2006年9月に発売された「ブラック・ダリア」のサウンドトラックです。 映画「ブラック・ダリア」の中で使用されたスイングジャズのスタンダードでJoe Garland(ジョー・ガーランド)作曲の"In the Mood"や"Love for Sale(売り物の恋)"はサントラには収録されていません。 サウンドトラックに収録されている"Zoot Suit Riots"はCherry Poppin' Daddies(チェリー・ポッピン・ダディーズ)のボーカル曲ではなく映画の音楽を担当してMark Isham(マーク・アイシャム)作曲です。
♪全曲試聴はBlack Dahlia Soundtrack - Amazon.com
※映画「ブラック・ダリア」のレズビアン・クラブのシーンで"K.D.Lang(Kathryn Dawn Lang /ケイ・ディー・ラング)がカメオ出演して"Love for Sale"を歌いました。 "Love for Sale(恋の売り物)"という曲はCole Porter (コール・ポーター)の作曲で、発表された当時の1930年には売春賛歌とみなされて放送禁止だったそうです。 過去にはジョー・スタッフォードアーサー・キットのバージョンが有名です。 歌唱力が評価されているKD ラングはカントリーからトーチソングまでレパートリーが広いカナダ出身の正真正銘の"男装の麗人"歌手で、日本でも何度かライブ公演を行っているので日本のファンもかなりいるようです。 KD ラングの"ラヴ・フォー・セール"は今までになく最高のカバー・バージョンでは?と噂されるほどですが、サントラには収録されていませんので今のところ「ブラック・ダリア」のDVDを観るしか聴けなさそうです。
※Audio-Visual Triviaの過去記事の1997年のクリント・イーストウッド監督の「The Garden Of Good And Evil(真夜中のサバナ)」のサントラにも映画の冒頭とエンディングで流れたKDラングの"Skylark"が収録されています。

作曲家のマーク・アイシャムは2004年の社会派映画Crash(クラッシュ)でもお馴染みですが、サスペンスを感じさせるなかにもロマンティックな曲を織り込んだサントラです。
☆オープニングはThe Black Dahlia - The Zoot Suit Riots!
※予告編で流れる曲はマーク・アイシャムではなく、イギリスのDeath In Vegas(デス・イン・ヴェガス)の2005年リリースのアルバムMilk It: The Best of Death in Vegasに収録されている"Dirge"です。
Dirge - Death In Vegas - iLike.com


実際にあったブラック・ダリア事件
The Dark Side Of HollywoodLand...Sex, Lies, and Drugs
あぁ、Hollywood(ハリウッド)、"映画の都"転じて"悪徳の都"
映画のもととなったのはカルフォルニアのロスアンゼルスで1947年に実際に起きた未だに未解決の猟奇殺人事件です。 終戦直後の1947年のこと、事件当時は22歳だったElizabeth Short(エリザベス・ショート)という女性が女優を志願するも漸う映画出演には結びつかず、軍人専門のクラブでホステスをし身を持ち崩していくのですが、或る日、恐ろしいほど残忍な方法で殺害され野原に投げ捨てられていたのです。
ブラックダリアとは?
このようなエリザベス・ショートの猟奇殺人事件をマスコミが見逃す筈はなく、最近のJonBenét(ジョンベネ)ちゃん殺害事件のように遺族の悲しみなど度外視して大々的に報じたのはいうまでもありません。 この時にマスコミがエリザベス・ショートに付けたあだ名というかミドルネームがブラック・ダリアだったのです。 なぜかというと切ないほど青い目の被害者のエリザベスが漆黒の髪にダリアの花を飾っていたことと、男を惹き付けるためのセクシーな黒いドレスを常に着ていたことからだそうです。 折りしも事件の前年1946年に米推理小説家のRaymond Chandler(レイモンド・チャンドラー)の脚本をGeorge Marshall(ジョージ・マーシャル)が監督したミステリー映画で、Veronica Lake(ヴェロニカ・レイク)がd出演した「The Blue Dahlia(青い戦慄)」が公開されていますからこの題名をもじったようです。
被害者エリザベスの身元は指紋照合により判明しましたが、エリザベス・ショートになぜ警察のプロファイルやマグショット(逮捕時の写真)が存在するかというと未成年飲酒で捕まった時のだそうです。
注!ネット上に数多く存在する事件簿の中には事実とはいえども見なけりゃ良かったと後悔するほどリアルな記事や画像がありますので気を付けてご覧下さい。
※英語ですが迷宮入りのブラック・ダリア事件レポートの一例としてエリザベス・ショートの写真を含む映画関連記事Black Dahlia - The Crime Library(ページの右がメニュー)

The Sleepy Lagoon Murder & The Zoot Suit Riots
映画「ブラック・ダリア」の冒頭でも描写されていますが、The Zoot Suit Riots(ズートスーツ暴動)というのは1943年のロスアンジェルスで起こった事件です。 1942年のスリーピーラグーン事件の主犯格のメキシコ系若者たちがSan Quentin Penitentiary(サン・クエンティン刑務所)で終身刑を言い渡されたすぐ後のことでした。 ロスアンジェルスの街で水兵や兵隊たちが電車や劇場やレストランからZoot Suit(ズートスーツ)を着たメキシコ系の若者を引きずり出し暴行を加えたのですが居合わせた何千人もの白人ロス市民が兵士たちに声援を送ったそうです。 こういった事件の発展はメキシコ系若者が自衛策として水兵たちへの報復を企むようになったのでした。 その結果ロス警察は市外でのズートスーツの着用を禁止したということです。
※ズートスーツというのはジャズ・ミュージシャンのCab Calloway(キャブ・キャロウェイ)も着用していた上着もズボンもダップリしたスーツのことです。 アメリカでは1930年代の服装ですが戦時中はファッション店は閉鎖されていたので若者たちは戦後も暫くは当時のスタイルを引きずっていましたが、特にメキシコ系のギャングなどが好んで着用したそうです。
この「ズートスーツ暴動事件」の前には「スリーピーラグーン事件」があるのです。 The Sleepy Lagoon Murder(スリーピーラグーン事件)というのがあります。 当時のメキシコ移民の若者たちが昼夜集う昔のLA郊外にHarry James(ハリー・ジェームス)の1942年のヒット曲の名を付けたスリーピーラグーン(静かな入り江)という貯水池がありました。 1942年のこと、ウエスト・サイド物語ではないですが親分各の若者が敵対するグループに襲撃されたのです。 スリーピーラグーンの近くで偶然開かれていた家族パーティを襲撃したやつらが居ると思い込んでの報復劇がで展開し、女子供を問わず残虐な暴行を受けたなか、運悪く入隊を目前に控えたJosé Díaz(ホセ・ディアス)が殺害されました。 これをきっかけにその後のロス警をメキシコ系チンピラの集団弾圧に導いた事件でした。 ちなみに終身刑のはずだったホセ・ディアス殺しの犯人たちは証拠不十分として放免されたそうです。 それではホセ・ディアスは誰が?
1990年代のネオ・スウィング時代にCherry Poppin' Daddies(チェリー・ポッピン・ダディーズ)が"Zoot Suit Riot"を歌って大ヒットしました。
Zoot Suit Riot - YouTube



The King of Swing: Count Basie (1904-1984)
"スイング王"と呼ばれたカウント・ベイシーは本名をWilliam Basie(ウィリアム・ベイシー)といい、ジャズにオルガンを導入したことで知られるピアニストでマルチ・エンターテイナーのFats Waller(ファッツ・ウォーラー)に師事、最初は南部を旅するボードビル一座に加わりピアノでブルースを弾いていたそうです。 黄金のスイングジャズ時代にはGlenn Miller(グレン・ミラー)、Benny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)、Tommy Dorsey(トミー・ドーシー)、Artie Shaw(アーティ・ショー)、Harry James(ハリー・ジェームス)、Duke Ellington(デューク・エリントン)、Cab Calloway(キャブ・キャロウェイ)などといったスイング王と呼ばれたミュージシャン達と活躍した代表的なジャズミュージシャンです。
一般的にはスイング王と呼ばれていたのはベニー・グッドマンでしたが、そのベニー・グッドマンがカウント・ベイシーをスイングの王だと称賛したのだとか。

アメリカで禁酒法がしかれた1920年代当時にはシカゴを越えるほどに超型破りな町であった「Kansas City(カンザス・シティ)」でウィリアム・ベイシーは音楽活動を始めました。 ベイシーはジャンプブルース・シンガーのJimmy Rushing(James Rushing /ジミー・ラッシング)に出会ってジミーが在籍していたWalter Page(ウォルター・ペイジ)が結成したスウィング・バンド「Blue Devils」に参加するも、1929年には二人共「Bennie Moten and His Kansas City Orchestra(ベニー・モーテン・カンザスシティ楽団)」に移りました。 当時カンサス・シテイで人気のスイングバンドだったベニー・モーテン楽団は後にCharlie Parker(チャーリー・パーカー)もお世話になっています。 1930年代末にはシカゴからニューヨークに移り伝統的なカンザス・シティ・ジャズ(ラグタイム)を受け継ぐビッグバンド「Count Basie's Orchestra(カウントベイシー楽団)」を結成しました。 カンサスシティ・ジャズとはジャズのルーツであるニューオリンズ・ジャズやハーレム(ニューヨーク)ジャズと並ぶ黒人3大ジャズの一つといわれますが一番定義し難い形式だそうです。 有名な元祖ビバップのアルトサックス奏者のチャーリー・パーカーの出身地がカンサスシティだそうで、Queen of Kansas Clubs(Club Reno)で演奏するカウント・ベイシー楽団のレスター・ヤングをそのチャーリー・パーカーが聴いていたそうです。
カウントベイシー楽団では名前もWilliam "Count" Basie(カウント・ベイシー)と変えていますが、お仲間のDuke Ellington(デューク・エリントン)が公爵だからカウント・ベイシーは伯爵というステージネームにしたのでしょうか。 同じスイングといっても優雅で洗練されたエリントン対するハードにスイングしまくるベイシーの二人は60年代初めに"Battle Royale"という曲を共同作曲しています。 Count Basie - Duke Ellington - Battle RoyalやTo Youは1961年のオリジナル録音の1991年盤にはリハーサル風景や未発表も含む「First Time: The Count Meets the Duke」に収録されています。("Battle Royal"はオリジナルが1961年のアルバム「First Time! The Count Meets the Duke」などにも収録。こちらも第三トランペットとして有名なsonny cohn /ソニーコーンが参加)

Walter Page
ミズリー州出身のウォルター・ペイジはカンサス大学で音楽を学んでいた頃にベニー・モーテンなどと演奏していたそうです。 1925年にはオクラホマでThe Blue Devilsを結成しましたが、ウォルター・ペイジのベース(バス)を始めそれまでの楽団ではリズムセクションとして使用していなかったドラムやギターを取り入れたモダンな編成であると共に全てが民主的に運営されていたそうです。 吹き込みはKansas City(カンザス・シティ)だけでした。 在籍していたジミー・ラッシングを追って参加したカウント・ベイシーがベニー・モーテン楽団に次々と引き抜かれた後、とうとうウォルター・ペイジも参加したそうです。

Atomic Mr. Basie!
無名時代のカウントベイシーは1936年頃にカンサスのラジオ局の深夜放送に出演していましたが、番組の最後にこのカウント・ベイシー作曲の"One O'Clock Jump(ワン・オクロック・ジャンプ)"をエンディング・テーマ曲として演奏していたそうです。 それで曲名が"ワン・オクロック・ジャンプ"となったそうです。 その後カウントベイシーが1937年に初吹き込みした"ワン・オクロック・ジャンプ"や"Jumpin' at the Woodside(ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド)"が人気を博して世界的に有名になります。 ベイシー楽団にはテナーサックスの天才といわれたLester Young(レスター・ヤング)、トランペットのBuck Clayton(バック・クレイトン)、スイングのノリノリの貢献者で生涯伴奏ギター(四つ弾き)のFreddy Green(フレディ・グリーン)、ドラムのJo Jones(ジョー・ジョーンズ)などの他に素晴らしいブルース歌手たちが在籍していたため、他のどの楽団も太刀打ちできないほど素晴らしかったそうです。 第二次大戦後はスイングの衰退にと伴い一時小編成のバンドになったものの、クインシー・ジョーンズなどの素晴らしいアレンジャーを得てブルースどっぷりのカンザスシティ・スイングからもっとダイナミックでモダンな"Count Basie's "New Testament" big band(ニュー・ベイシー・バンド)"となり再びビッグバンドを盛り返したのです。
1955年には、専属歌手のブルースシンガー「Joe Williams(ジョー・ウィリアムス)」で吹き込んだEveryday I Have the Blues」がR & Bのチャートでシングルヒットに輝きました。 また、.50年代にはTV私立探偵シリーズが大流行で、それらの殆どがお洒落にジャズスタイルを取り入れたテーマ曲が魅力でした。 1957年から放映された「M Squad(シカゴ特捜隊M)」シリーズの音楽はデキシースタイルのトランペット奏者のStanley Wilson(スタンレー・ウィルソン)楽団が全編通して担当していましたが、テーマ曲の"Theme From M Squad"は1958年にカウント・ベイシーが作曲したそうです。 Peter GunnMike Hammer77 Sunset Stripなどと共に代表的なクライム・ジャズとして人気でした。 スタンレー・ウィルソン等とM Squad(シカゴ特捜隊M)の共同作曲者だったBenny Carter(ベニー・カーター)のソプラノサックスが聴けるとか。
M-Squad (Theme) - Stanley Wilsonは「M Squad; Mickey Spillane's Mike」(試聴はマイク・ハマー Mike Hammer参照)
※カウント・ベイシーのシカゴ特捜隊M、リルダーリン、The Basie Twist、Jumpin' At The Woodsideなどが、50年代の懐かしい曲を集めた「The Roulette Story」という3枚組みCDにも収録されています。
※「シカゴ特捜隊M」は1957年から1960年にかけて放映されたテレビの警察シリーズでLt. Frank Ballinger(フランク・バリンジャー警部)役でLee Marvin(リー・マービン)が主演した硬派の犯罪ドラマでした。私立探偵物語に登場するような美女も恋も抜きですが、音楽もハードボイルドで50年代のジャズスタイルを取り入れています。

Count Basie Live in Japan '78
カウント・ベイシーは楽団を1952年に再編成してCount Basie And His Orchestra(カウント・ベイシー楽団)が1963年に初来日したそうですがその日本公演の記念盤はりリースされていないようです。  ギターの Freddie Greenが参加したカウント・ベイシーは楽団の5回目の来日の1978年の浜松ライヴはラジオ放送のために実況録音されたそうですが、1984年のカウント・ベイシー亡き後にNorman Granz(ノーマン・グランツ)がプロデュースしてポリドールLP盤アルバムの「Live in Japan」としてリリースされたそうです。 これが唯ひとつの日本公演の記念盤だそうですが、同時発売のCDにはボーナストラックとして2曲が追加されています。

なぜか私が若かった頃にはちょっととっつきが悪かったカウント・ベイシーでしたが楽団が演奏する何曲かはお気に入りになっています。 ベーシー作曲の「ワン・オクロック・ジャンプ」や「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」や「Blue and Sentimental」は別にしても、ベイシー楽団のテナーサックス奏者だったレスター・ヤングが作曲した名曲「Lester Leaps In」、60年代から70年代に映画音楽で活躍したベーシー楽団のアレンジャーだったNeal Hefti(ニール・ヘフティ)作曲のLil' Darlin'、100歳まで長生きのラグタイマーのEubie Blake(ユービー・ブレイク)作曲のMemories Of You、"I can't get started"や"Taking A Chance On Love"なども作曲したロシア出身のVernon Duke(バーノン・デューク)によるApril in Parisなどのカウント・ベイシー楽団の演奏が好きです。(※ヘフティ編曲の1958年のアルバム"Basie Plays Hefti"はCD化されていません。)
Lil' darling - Count Basie - YouTube

1935年から1948年にはカウント・ベイシー楽団には専属としてカンサスで一緒だった"Mr. Five by Five"こと"ジミー・ラッシング"が在籍していました。 オクラホマ出身のブルースマンであるジミー・ラッシングはカウント・ベイシーと共同でGoin' to Chicago Bluesを作曲し、1936年にBoogie Woogie、1939年にEvil Blues、I Can't Believe That You're in Love With Meなどを吹き込んでいます。
Kansas City Blues by Jimmy Rushing with Basie 1957- YouTube

ListenOne O'clock JumpやJumpin' At The Woodsideは勿論、Blue And Sentimental、Basie Boogie、Cherokee、How Long Bluesや愉快な"Open The Door, Richard"などカウント・ベイシー楽団の演奏がたくさん聴けるCountBasie - Jazz On Line.com(Count Basieで検索、曲目をクリック)
※カウント・ベイシーが1947年に録音した"Open The Door Richard"はボードヴィル・コメディアンのDusty Fletcher(ダスティ・フレッチャー)がオリジナルと主張していますが10人以上の歌手がレコーディングしていて、1946年にホンキング・テナーのJack McVea(ジャック・マクヴィ)も録音していました。
カウント・ベイシーのピアノが素晴らしいのは言うまでもありませんが、私はオルガンも大好きです。中でもニール・ヘフティ作曲の"Lil' Darlin'"はオルガンのJimmy Smith(ジミー・スミス)を始め、ギターのKenny Burrell(ケニー・バレル)やJoe Pass(ジョー・パス)、ヴァイブのMilt Jackson(ミルト・ジャクソン)、ピアノではTeddy Wilson(テディ・ウィルソン)やRed Garland(レッド・ガーランド)やRay Bryant(レイ・ブライアント)、トランペットのClark Terry(クラーク・テリー)やベースのRay Brown Trio(レイ・ブラウン・トリオ)まで多くのジャズメンのレパートリーに加えられています。

☆The Count Basie Orchestraのアルバム「The Count Basie Alumni」の情報はTuff City Record - BluesJazz(英語のサイト) 右下でテキサステナーのBuddy Tate(バディ・テイト)やトロンボーンのVic Dickenson(ヴィック・ディッケンソン)などフィーチャーしているアーティストのクリップが聴けます。
こちらは試聴が多いCount Basie - PBS - Jazz A Film By Ken Burns(英語のサイト)


カウント・ベイシー楽団のアルバム
America's #1 Band: The Columbia Years
ページトップの画像はスイングの全てが、そしてカウント・ベイシーの全てが聴けるといってもよい2003年にリリースされた4枚組CDです。
コロンビア時代はレーベルとの契約問題などで何かと議論の的になったカウント・ベイシーの歴史的コンピレーションです。
ディスク1とディスク2の半分は1936年から1957年のSmith-Jones quintetのセッションでレスターヤングやジミー・ラッシングとの録音です。Goin' to Chicago BluesやLive and Love Tonightではカウント・ベイシーのオルガンが聴けます。レスターヤングのLester Leaps InのイントロとなったベイシーのKansas City Sevenを含め、1939年のこのセッション版は1951年に発表されたそうです。
ディスク:1 には名演のLester Leaps In、How Long Blues、スタンダードとなっているSt. Louis Blues
ディスク:2 I'm Confessin' (That I Love You)、有名なOne O'Clock Jumpの他、私の好きな I Want a Little Girl(ちなみに私の購入した"I Want a Little Girl"はアルバムの「Count Basie and the Kansas City 7」でディスク:4 はライヴ盤でOne O'Clock JumpとJumpin' at the Woodsideなどを収録しています。
※St. Louis Bluesは1982年盤のアルバム"Farmer's Market Barbecue"にも収録されています。 他にもClark Terry & Oscar Peterson Trioのアルバム"Oscar Peterson Trio + One"(Oscar Peterson Trio Plus One)に収録されている"I Want a Little Girl"も購入しているのです。

1937年と1939年のデッカ時代の63曲を集めたThe Complete Decca RecordingsではLester Youngの優雅なテナーと対照的なブローしまくるHerschel Evansのテキサス・テナーの絶妙な演奏に加え、Buck Clayton(バック・クレイトン)のミュート・トランペットに、Freddie Green(フレディ・グリーン)のギターやJo Jones(ジョー・ジョーンズ)のドラム、そしてJimmy Rushing(ジミー・ラッシング)やHelen Humes(ヘレン・ヒュームズ)の歌が聴けます。
※ちなみにのリズムセクションのギタリストのフレディ・グリーンが唯一リリースしたマスター盤は「Mr.Rhythm」です。

Count Basie Featuring Anita O'Day
カウント・ベイシーが1944年にケントン・ガールだったウエスト・コーストのアニタ・オデイ(1919 - 2006)とベイシー楽団のアレンジャーをつとめていたバップ・ピアニストのタッド・ダメロンのトリオをフィーチャーしたアルバムには「Count Basie Featuring Anita O'Day & the Tadd Dameron Trio (1945-1948)」があります。  オリジナルのリリースは1945年で、ジャズ・スタンダードの"What Is This Thing Called Love? "や"September in the Rain"の他に"Malaguena"などのラテン・ナンバーも収録しています。

オリジナルは編曲がニール・ヘフティの1958年のニュー・ベイシー・バンドの演奏を集めたアルバムでも尚フレディ・グリーンは健闘! テキサステナーのEddie "Lockjaw" Davis(エディ・ロックジョウ・デイビス)のマッチョなホンク「Kid from Red Bank」!私の好きなLil' Darlin'!も収録されているアルバムは「The Complete Atomic Basie」です。
Lil' Darlin'はDVD Audioの「Basie Swings」にも収録されています。

One O'Clock Jump、Topsyなどの他、私の好きなLi'l Darlin'を収録したアルバム
Count Basie's Finest HourCount Basie's Finest Hour
リル・ダーリンを収録している一番人気のアルバムは国内盤の「生誕100周年、没後20周年特別企画 ベリー・ベスト・オブ・カウント・ベイシー・ビッグ・バンド・アンド・フレンズ」です。

レスター・ヤング在籍のカウント・ベイシー楽団初期1936年-1938年の永遠の名演奏Time Out、Shoe shine boy、Lady be good、Topsyなど25曲を集めた初めての年代記的人気アルバム
Count Basie 1936-19381936-1938
(Time Out は試聴の19番)

アルバム「The Very Best of Count Basie & Duke Ellington」の全曲試聴はThe Very Best of Count Basie & Duke Ellington - Amazon.com("Do Nothing Till You Hear from Me"はディスク:2の1番)

Count Basie - The Legend (1962) LP
カウント・ベイシーのファンには垂涎のRouletteからリリースされたという幻のLPアルバムがあるそうです。 アルトサックスのソロ演奏者としての1920年代から1990年代までジャズ界で活躍したバンドリーダーでもあり、Blues in My Heart、When Lights Are Low、Blue Star、Lonesome Nights、Doozy'、Symphony in Riffsなどの作曲及び編曲で知られるBenny Carter(ベニー・カーター)が作品を提供しました。 カウント・ベイシーのアルバムで1962年のステレオ盤「The Legend Count Basie: From The Pen Of Benny Carter」(1961年の秋のニューヨーク録音らしい)にベニー・カーター作曲のピアノ曲の"The Legend"はもちろんラテン調の"Amoroso"やスウィング曲の"The Trot"などを収録しています。(他はEasy Money、Going On、The Swizzle、Who's Blueでしょうか。) 演奏はピアノのカウント・ベイシーとアルトサックスのベニー・カーターの他、ギターのFreddie Green(フレディ・グリーン)、トランペットにThad Jones(サド・ジョーンズ)、トロンボーンのAl Grey(アル・グレイ)などが参加したビッグバンドです。 国内盤としてはルーレット原盤が日本コロンビアからステレオ盤「The Legend」としてリリースされたそうです。 このLPレコードがVogueでCD化されているらしいですが、試聴は見つかりません。 「Kansas City Suite/The Legend」もしくは、Roulette BirdlandレーベルからCD化された「LP plus CD backup of 1950s Kansas City Suite , the Music of Benny Carter by Count Basie and His Orchestra」などもあるらしいです。
LP盤の画像が見られるCount Basie And His Orchestra: From The Pen Of Benny Carter - Amazon.com


私が最近聴いたカウント・ベイシ
ベイシーのオルガンとOscar Peterson(オスカー・ピーターソン)のピアノで"S & J Blues" from 「Count Basie Encounters Oscar Peterson」 又は同じくベイシー&ピーターソンのアルバムには「Satch and Josh」があります。
Count Basie & Oscar Peterson共演の"S & J Blues"の試聴はSatch and Josh - Amazon.com(10番)
She's Funny That Way from 「Basie Jam: Montreux '77」(オリジナルは1975年ライブ盤でトランペッターのHarry "Sweets" Edison( ハリー・エディソン)、トロンボーン奏者のJ.J. Johnson(JJジョンソン)やテナーサックス奏者のZoot Sims(ズート・シムズ)などが参加)
ズート・シムズなら1976年のアルバム「Basie & Zoot」のCaptain Blighを試聴。 1976年にはカウント・ベイシーのジャムセッションでブルース曲の"Kansas City Line"を収録した「Basie Jam 2」がリリースされ、トロンボーンにAl Grey、アルトにBenny Carter、ギターがJoe PassでトランペットにClark Terryが参加しています。("Basie Jam 2"は最初の「Basie Jam」に続き4曲を収録したセカンドアルバム)
ノリノリのTrio Blues from 「Montreux '77」(Jumpin' at the Woodside、One O'Clock Jump、Li'l Darlin'なども収録のライヴ盤)とか、Hoagy Carmichael(ホーギーカーマイケル)に捧げたAl Cohn(アル・コーン)とのセッション盤は「Hoagy Carmichael Sessions and More」
70年代にカウント・ベイシー楽団に参加していたDennis Rowland(デニス・ローランド)のボーカルで"Work Song"が聴けるオリジナルは1979年だった輸入盤のOn the Road
最後にレイ・ブラウンとルイ・ベルソンが参加している2Count Basie Trio"のお勧めのアルバム「For the First Time」ではカウント・ベイシーのオルガン演奏が聴けます。
そして私の好きなアルバムの1枚はスイングとバップの融合を感じるThe Gifted Ones
カウント・ベーシーのピアノとDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)のトランペットにベースがRay Brown(レイ・ブラウン)でドラムがMickey Roker(ミッキー・ローカー)のカルテットのジョイントです。 特に素晴らしいのがSt. James Infirmary(聖ジェームズ病院)!

☆2006年リリースのCount Basie Orchestra(カウント・ベイシー・オーケストラ)で歌うRay Charles(レイ・チャールス)の1973年の録音盤はレイ・チャールスが歌い、カウント・ベイシーがスイングするアルバムRay Sings, Basie Swings
2006年リリースのカウント・ベイシー・ビッグバンドの1977年コンサートのLP盤のDVD化はCount Basie Big Band 77 (Rmst Dol Dts)
Al Grey(アル・グレイ)のトロンボーンで始まる映像にはJumpin' At The WoodsideやOne O'Clock Jump を始めLi'l Darlinも収録。


カウント・ベイシー楽団の女性ヴォーカリスト
カウント・ベイシーは1930年代中頃にバンド専属だったMildred Bailey(ミルドレッド・ベイリー)、1937年からのBillie Holiday(ビリー・ホリデー)、1957年頃のElla Fitzgerald(エラフィッツ・ジェラルド)のコラボ、 1957年のアルバムでSarah Vaughan(サラ・ボーン)、40年代に共演したCarmen McRae(カーメン・マクレエ)など数多くの女性歌手と組んでいます。 その中でも貫禄のあるブルース歌手というと十代にしてシンシナティのクラブで歌っているところをカウント・ベイシーに見出されたHelen Humes(ヘレン・ヒュームズ)」です。 当時専属歌手だったビリー・ホリディと交代したヘレン・ヒュームズはジミー・ラッシンの在籍していたベイシー・バンドで1938年から1941年まで専属歌手をつとめ40年代初めに作曲して吹き込んだ"Be-baba-leba"は大ヒットとなりました。 ヘレン・ヒュームズはブルース・フェスティバルのDVD「American Folk Blues Festival 1962-1969 Vol.3」にも収録されています。 ヘレンの母の死後はピアノもレコードも売り払い一度は音楽界から身を引いてしまったのですが、1973年に開催されたNewport Jazz Festivalにはカウント・ベイシー楽団と共演しました。
Helen Humes - American Folk Blues Festival 1962 - YouTube
Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)やEartha Kitt(アーサー・キット)のセクシーバージョンで有名な"My Heart Belongs To Daddy"は1938年にヘレン・ヒュームズが吹き込んだそうです。(CountBasie & Helen Humes - Jazz On Line.comでHelen Humes で検索、曲名をクリック、その他の1945年と1950年の曲はBe Baba LebaやPleasing Man Blues、1950年のブルージーなIf I Could Be With YouやSad Feelingが聴けます。)
この時代に1968年からWoody Herman Orchestra(ウッディ・ハーマン・オーケストラ)に在籍していたカナダ出身のトロンボーン奏者"Russ Little(ラス・リトル)"が短期間ですがカウント・ベイシー楽団に参加していたそうですが、その後は作曲及び編曲&指揮者としてカナダTVを活動の場としたそうです。

Eugene "Snooky" Young
1945年頃のヘレン・ヒュームズの録音には50年代から活躍していたプランジャー・ミュートの達人と呼ばれたジャズトランペッッターのEugene "Snooky" Young(ユージン・スヌーキー・ヤング)が参加していました。 "Little Darling"の名演奏でお馴染みのスヌーキー・ヤングはトランペッターのJonah Jones(ジョナ・ジョーンズ)も在籍していたことがあるJimmie Lunceford(ジミー・ランスフォード)楽団に1939年から1942年までに在籍していましたが、1942年頃からはカウント・ベイシー楽団(合計では10年)やLionel Hampton(ライオネル・ハンプトン)楽団に参加した後、1960年代にはRay Bryant Quintet(レイ・ブライアント・クインテット)の録音に参加し、その後ニューヨークのNBCスタジオのトランペッターとなってTonight Show Orchestraのメンバーとして70年代まで活躍しました。 ですが、自身名義のアルバムは1979年の「Horn of Plenty」など数枚だけだそうです。
クラーク・テリーの「Spanish Rice」という1966年のラテンアルバムでトランペットを吹いているスヌーキー・ヤングの試聴はSnooky Young - Fnac.com
スヌーキー・ヤングは70年代にはDuke Ellington(デューク・エリントン)、Clark Terry(クラーク・テリー)、Quincy Jones(クインシー・ジョーンズ)、ジャングル・トランペットのCootie Williams(クーティ・ウィリアムス)などと演奏しています。
Lil' Darlin - Count Basie Orchestra & Snooky Young on the plunger mute trumpet 1960 - Youtube

ヘレン・ヒュームズのカウント・ベイシー楽団時代の歌を集めた3枚組みCD
Helen Humes - Complete 1927-1950 Studio RecordingsComplete 1927-1950 Studio Recordings
試聴はComplete 1927-1950 Studio Recordings - Amazon.com

40年代中頃のアルバム「Count Basie / Kansas Jump」や「Complete 1941-1951 Columbia Recordings」、「Count Basie & his Great Vocalists」などではAnn Moore(アン・ムーア)もジミー・ラッシングと共にカウント・ベイシー楽団で活躍しました。
1945年にカウント・ベイシー楽団をバックにAnn Moore(アン・ムーア)が歌う「Jivin' Joe Jackson」が聴けるwfmuラジオのプレイリストPlaylist for Old Codger with Courtney T. Edison - January 16, 1991(Listen to this show (MP3 128K)をクリック)

一番人気のEvenin'やSent for You Yesterdayなどを収録した2006年リリースのジミー・ラッシングのアルバムは「Complete Goin' to Chicago and Listen to the Blues」
全曲試聴はComplete Goin' to Chicago and Listen to the Blues - Amazon.com


Kansas City(1996)
製作、脚本、監督ともに Robert Altman(ロバート・アルトマン)という1930年代のギャングとカンザスシティ・ジャズを描いた1996年の映画が有ります。 ノスタルジックなジャズ好きのアルトマン監督は日本では1957年にデニス・ホッパーも出演した「The James Dean Story(ジェイムス・ディーン物語)」で映画デビューしました。 Andie MacDowell(アンディ・マクダウェル)が主演した1994年の「Short Cuts(ショート・カッツ)」ではハードバップ・ピアニストのHorace Silver(ホレス・シルヴァー)が作った"Nothing Can Stop Me Now"や、エンディングで使用されたPeggy Lee(ペギー・リー)とDuke Ellington(デューク・エリントン)の合作という"I'm Gonna Go Fishin'"が"Prisoner Of Life"も歌ったイギリスのジャズ歌手であるAnnie Ross & the Low Note Quintet(アニー・ロスとロウ・ノート・クインテット)のジャズ曲を収録したサウンドトラックが話題だったそうです。 ロバート・アルトマン監督の故郷でもあるカンザスシティでのジャズを題材にした映画"Kansas City"では、カリプソ歌手のHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)がナレータとジャズ狂のマフィアのボス役を演じる他、Steve Buscemi(スティーヴ・ブシェミ)やDamage(ダメージ)のMiranda Richardson(ミランダ・リチャードソン)の名演が観られます。 本人のアーカイブ映像の他にカウント・ベイシーやレスター・ヤングそしてフレディ・グリーンやジミー・ラッシンはもとより、Coleman Hawkins(コールマン・ホーキンス)、Ben Webster(ベン・ウェブスター)、Walter Page(ウォルター・ペイジ)などは本人ではなく俳優やミュージシャン達が演じています。 その映画「カンザス・シティ」の再現された"Hey Hey Club"でのジャズ・シーンを集めた"Jazz '34(ロバート・アルトマンのジャズ)"は劇場未公開ですがDVDはあるようです。
☆貴方をカウント・ベイシーが体験した「カンザスシティ」へ誘う予告編はKansas City Trailer - VideoDetective.com
「カンザスシティ」のOSTサウンドトラックのKansas City: A Robert Altman Film - Original Motion Picture Soundtrackはジャズとギャンブルの巣窟ともいえる黒人経営の"Hey Hey Club"での夜通しのジャムセッションが再現されています。



The Tempos from Niagara Falls
「ニノ&エイプリル」はニューヨーク州ナイアガラに住むシシリー出身の家庭に生まれた姉弟デュオであるNino Tempo & April Stevensは、50年代から70年代にかけて何曲もチャート入りを果たしているのですが日本では余り知られていません。 兄のNino Tempo(ニノ・テンポ)と妹のApril Stevens(エイプリル・スティーヴンス)はデュオとして、そして個人としても才能豊かなミュージシャンでスイングやポップスのスタンダード曲をセンチメンタルにカバーしたり、カントリーやR & Bまで幅広いジャンルで活躍してきました。 特に1963年のAtcoレコードからリリースして全米1位に輝いた"Deep Purple"や"Whispering"のヒットで一躍脚光を浴びました。 Deep Purple(ディープ・パープル)は1930年代に活躍したニューヨークの音楽家のPeter de Rose(ピーター・デロース)が1933年にピアノ・ソロとして作曲したのですが、Paul Whiteman(ポール・ホワイトマン)が初めてオーケストラで演奏した曲ですが1939年にMitchell Parish(ミッチェル・パリッシュ)が歌詞を付けてから広く知られるようになり、専属歌手だったBing Crosby(ビング・クロスビー)やSarah Vaughan(サラ・ヴォーン)といったヴォーカリストが歌いました。 演奏ではGlenn Miller(グレン・ミラー)やArtie Shaw(アーティ・ショー)楽団の演奏から、ジャズピアノではArt Tatum(アート・テイタム)、そしてChet Baker(チェット・ベイカー)などのジャズ・ミュージシャンなどがとりあげている人気のスタンダード曲です。
ニノ・テンポ & エイプリル・スティーヴンスが1974年にA & M からリリースした"Wake Up And Love Me"も人気がありました。
Nino Tempo & April StevensのDeep Purpleが聴けるBrian's Oldies Fixxx

4歳でタレントスカウト番組で優勝したニノ・テンポは7歳にしてテレビでBenny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)楽団で歌ったそうです。 ニノ・テンポはグッドマンの影響で楽器は最初クラリネットを学びましたが13歳の時にはテナー・サックスに替えました。 歌手活動の他には、子役として映画に出演していましたが、1956年のロックンロール映画「The Girl Can't Help It(女はそれを我慢できない)」に自身の役で出演してLittle Richard(リトル・リチャード)などと共に自作の曲を歌っている他、1958年にテレビシリーズのPeter Gunn(ピーターガン)にも出演したことがあります。

一方、ニノ・テンポ(本名Antonino LoTempio)の妹のCarol LoTempio(カロル・ロテンピオ)は高校生の時にインディーズ(独立レーベル)のLaurel Recordsにスカウトされて、誕生月が四月だったことから本名のイタリア名からApril Stevens(エイプリル・スティーヴンス)というアメリカ風な芸名で"No No No Not That"をリリースしてヒットとなり、兄のニノ・テンポより一足お先に有名になりました。 その後メジャーな RCA Victor Recordsと契約し、1951年にコ-ル・ポーターのリバイバル曲の"I'm in Love Again"がトップテン入りを果たし、同じくリバイバルソングの"Gimme a Little Kiss, Will Ya Huh?"、その後の"And So to Sleep Again"でチャート入りは終りました。
50年代のセクシー路線曲"Gimme A Little KIss Will Ya,Huh?"と"And So To Sleep Again"を収録した収録したアルバム「Gimme a Little Kiss」の情報は画像も見られるApril Stevens - HMV(試聴なし)

Oh Do It Again I May Cry No No No No No But Do It Again... Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)が朝鮮戦争時代の1954年に歌ったGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュイン)作曲の思わせぶりな歌♪"Do It Again(一時Kiss Me Againに変更)"というのがありますが、それに類似した曲で、エイプリル・スティーヴンスが50年代にSocietyレコードからリリースした最初のシングル「Don't Do It」は放送禁止を喰らったそうです。 ところがこのセクシーな歌はドイツ出身の編曲指揮者であり、1959年までRCA-VictorのディレクターだったHenri Rene(アンリ・レネ)の耳に止まり彼の楽団「Henri Rene & his Orchestra」で歌うことになりました。 エイプリル・スティーヴンスの歌は朝鮮戦争時代(1950 - 1953)に兵士達の間で大いに流行ったそうです。
アンリ・レネ楽団は50年代にアルバム「Miss Kitt, To You by Eartha Kitt」などのプロデュースも兼ねて、C'est Si BonやSanta Babyなどのセクシーな歌でお馴染みのEartha Kitt(アーサー・キット)のバックをShorty Rogers(ショーティー・ロジャース)楽団などと共に勤めていましたが、一番有名なのは1956年のHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)のCalypso(カリプソ)のLPリリースです。

ニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンスのオフィシャルサイトはThe Official Nino Tempo and April Stevens Web Site(写真集はPhoto - NinoandApril.com


Deep Purple/Sing the Great Songs
ニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンスの大ヒット曲の"Deep Purple"が収録されているアルバム
Deep Purple/Sing the Great Songs by Nino Tempo and April StevensDeep Purple/Sing the Great Songs

Carousel Dreams
人気のエイプリル・スティーヴンス単独名義のアルバム
Carousel Dreams by April StevensCarousel Dreams
試聴はCarousel Dreams - Amazon.com

All Strung Out
☆White Whaleレーベルからリリースされたニノ・テンポとの1967年のヒットシングルの"All Strung Out"や"I Can't Go On Living"が収録された"Varese Sarabande"の再リリース・アルバムは「All Strung Out - Amazon.com」です。


April Stevens Sings Teach Me Tiger!
私がエイプリル・スティーヴンスを知ったのはあるミスのためです。
ドイツのサイトで見つけた日本製のモンローのアルバムだとされている「Kiss Me Tiger - Marilyn Monroe 1926-1962」にもあるような間違いです。 何人かのモンロー・ファンはモンローの歌う"Teach Me Tiger"が見つからない!と探しているようですが見つかるわけはありません。 そんなものは存在しないのであります。 ついでにお知らせするとマリリン・モンローの歌うSanta Baby(サンタ・ベビー)も存在しません。 それはMadonna(マドンナ)あるいはCynthia Basinet(シンシア・バシネット)の間違いです。(これについてはブログ内の記事"クリスマスソング集"を参照)

Teach me tiger how to kiss you.. wah wah wah wah wah...
エイプリル・スティーヴンスが歌ったセクシー路線の1959年のソロ・ヒットで"Teach Me Tiger!"という歌があります。 これはニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンスが初期のセクシーなヒット曲「Don't Do It」のノリで共作したものでBillboardの100位以内に入りましたが、又しても禁止された曰くつきの歌です。(この兄妹はかなりイタヅラ好きのようです)
※Tiger(タイガー)とは動物の虎のことですがマッチョマンや強靭な男を意味するらしくて、彼氏にタイガー!と呼びかけると喉をゴロゴロいわせて喜ぶようです。 Hugh Grant(ヒュー・グラント)が主演したRoman Polanski(ロマン・ポランスキー)が監督した1992年の「Bitter Moon(赤い航路)」でそんなシーンがありました。 女性ならCat(キャット)なんでしょうか。 ちなみに「赤い航路」で使用された曲は音楽を担当したギリシャのシンセな即興演奏が知られる音楽家のVangelis(ヴァンゲリス)が作曲した"Bitter Moon Suite(赤い航路のテーマ)以外にPeggy Lee(ペギー・リー)の"Fever"やCharles Trenet(シャルル・トレネ)の"La Mer"などでした。
☆マリリン・モンローの歌と間違えられるエイプリル・スティーヴンスの"Teach Me Tiger!"の歌詞はApril Stevens - Teach Me Tiger Lyrics - LyricsDownload.com

This is not that Marilyn Monroe, but it's April Stevens!
Listenエイプリル・スティーヴンスのTeach Me Tiger!は1983年にChallenger(チャレンジャー)の宇宙飛行士が目覚まし代わりにこの曲を所望したところNASAが許可したそうです。  ☆下記にに宇宙関連のwfmuラジオのプレイリストがあります。
Playlist for The Eternal Now with Andy Ortmann - April 10, 2006のRealaudioでアルバムUltra-LoungeからTeach Me Tiger!が聴けます。(クリップ・ポジション(再生バー)を1:27:05まで移動)
こちらのプレイリストはワンクリックで聴けるPlaylist for 18 September 2002 | Don't Turn Me In (右端の1:24:34(Real)をクリック)
Teach Me Tiger!はリンク切れですがエイプリル・スティーヴンスの水着セクシーフォトが見られるブログ Spiked Candy

 

Marilyn Monroe - Do It Again
マリリン・モンローのDo It Againは歌というより睦言のような曲ですが、歌の最後のクスクス笑いが聴きたいために購入してしまった私です。 そしてエイプリル・スティーヴンスの"Teach Me Tiger"もこんな笑い声が入っています。 そんなことから、私は"Teach Me Tiger!"を聴いてマリリン・モンローの歌だと思っていたのです。 海外でもそんなには知られていないこの曲についての間違いが指摘されているのを見つけました。 例えばMarilyn Monroe's 'Teach me tiger'といったようにソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでもかなりの数の人がこの歌をモンローだと思っているようです。
※ちなみに、この"Teach Me Tiger"は1996年にイギリスのキャットフード会社のWhiskasのTVコマーシャルで使用されたそうです。(現在のCMはGypsy Swing Of Parisの演奏)

Teach Me Tiger
エイプリル・スティーヴンスのアルバム
Teach Me Tiger by April StevensTeach Me Tiger
Do It Againも収録されているオリジナルのImperial LP 9118 盤は中古(ヴィンテージのダックスープ)で1万円位の価格ですが滅多に流出しません。
April Stevens: Teach Me Tiger - YouTube
Nino Tempo & April Stevens - Stasera No No No- YouTube

ページトップの画像は Nino Tempo & April Stevens(ニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンス)のアルバムSweet & Lovelyですがこれにもエイプリル・スティーヴンスのTeach Me Tiger!が収録されています。 大ヒット曲のDeep Purpleを始め、主に60年代初期の曲が収録されています。
キャンディボックスのような「50's Golden Jukebox: Lover's Lane」では、エイプリル・スティーヴンスのTeach Me Tiger他、Les Baxter楽団のタブー、ペギー・リーのフィーヴァー、ジュリー・ロンドンのGo Slowなどが収録されたムードのある選曲です。
試聴は50's Golden Jukebox: Lover's Lane - Amazon.com

☆ついでというにはもったいないんですが、Ultra Loungeシリーズの異色ともいえるお洒落なHenri Rene(アンリ・レネ)のお薦めアルバム「Ultra-Lounge, Vol. 10: A Bachelor in Paris」はI Love Paris、April In Paris、C'est Si Bonとパリにちなんだスウィングしている選曲ですが、レネ風アレンジの素晴らしい"Petite Fleur(プティット・フルール)"は聴き逃せません。
Henri René - Petite Fleur - YouTube


Audio-Visual Trivia内の関連記事
私がエイプリル・スティーヴンスの歌を取り違えたマリリン・モンローの"Do It Again"が試聴出来るAudio-Visual Trivia 内のMarilyn Monroe
ニノ・テンポが子供時代にテレビ・ショーで一緒に出演したベニー・グッドマンについてはテディ・ウィルソン
エイプリル・スティーヴンスやマリリン・モンローのDo It Againを作曲したジョージ・ガーシュインについては巴里のアメリカ人


Too Hot to Handle
Too Hot to Handle - Jayne Mansfield
Too Hot to Handle (Playgirl After Dark)
Too Hot to Handle - iLike.com

Jayne Mansfield (1933 - 1967)
ジェーン・マンスフィールドはMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)の比ではない44インチ(106センチ)という巨乳(巨大バスト)の持ち主です。 インターネットの世界でも有名な検索ワードとなっている男性向け雑誌のPlayboy Playmateのグラビア・モデルとして有名ですが、異例の「IQとバスト」が比例しているジェーン・マンスフィールドは50年代のもっとも観賞に値する悩殺グラマー女優でした。 恐らく現在も男性陣の憧れではないでしょうか。
ジェーンマンスフィールドのバストが如何に巨乳かが分かる写真はThe Official Site of Jayne Mansfield(メニューのAboutからPhotosを選ぶと何枚も見られます。)

ジェーン・マンスフィールドが大学生の時にと学生結婚したのがPaul Wendkos(ポール・ウェンドコス)で、ウェンドコスが監督デビューした1957年の「The Burglar」では妻のジェーン・マンスフィールドを使用しましたが離婚してしまいます。 ポール・ウェンドコスは1959年に当時のアイドルスターのSandra Dee(サンドラ・ディー)を主役にしてサーフィン映画のハシリといわれる「Gidget(ギジェット)」を監督しました。

ポール・ウェンドコス監督の映画に出る以前にジェーン・マンスフィールドは1955年のJane Russell(ジェーン・ラッセル)主演の映画「Underwater!(海底の黄金)」にエキストラとして出演しました。 そのプレミアで当時駆け出しのジェーン・マンスフィールドお得意の偶然を装った"おっぱいぽろり"で注目を集めたそうです。 それが話題となりワーナー映画と契約出来たのだとか。 もっともこの2年後にはFoxに鞍替えしています。
余談ですが「海底の黄金」でPerez Prado(ペレス・プラード)演奏する扇情的なマンボ"Cerisier Rose et Pommier Blanc(セレソ・ローサ)"がテーマ曲として使用されたそうです。 う~っ!マンボ!

ジェーン・マンスフィールドはフランク・タシュリン監督で1956年のThe Girl Can't Help It(女はそれを我慢できない)と1957年のWill Success Spoil Rock Hunter?などヒット作品がありますが、再婚した俳優のMickey Hargitay(ミッキー・ハギティ)も出演した1963年のセックス・コメディ「Promises! Promises!」でのSandy Brooks(サンディ)役が最もピッタリはまっているそうです。 特にアワ風呂の中で歌ったシーンはセクシー過ぎて公開当時は禁止を喰らったとか。
Will Success Spoil Rock Hunter? Jayne Mansfield Tony Randall (1957) - Opening- YouTube
Jayne Mansfield sings "Little Things Mean A Lot" with Photos - YouTube

Promises! Promises DVD
日本では見つからないAmazon.comの独占販売だというジェーン・マンスフィールドの"泡アワ"DVD画像。 ですが購入してもリージョン1ですから普通のプレヤーでは観られません。
Promises! Promises! - Jayne MansfieldPromises! Promises! (Amazon.com Exclusive) (1963)
日本では輸入版VHSが見つかるかも。

Will Success Spoil Rock Hunter VHS
タシュリン監督の2作目!VHS
Will Success Spoil Rock Hunter? - Jayne MansfieldWill Success Spoil Rock Hunter

The Girl Can't Help It DVD
こちらが高名なタシュリン監督の金髪グラマー「ジェーン・マンスフィールド」と50年代ロックンロールの融合映画で、貴重な当時の現役ロックンローラーの映像が満載の「女はそれを我慢できない」の輸入版VHSです。
The Girl Can't Help It - Jayne MansfieldThe Girl Can't Help It

やっと日本で2007年に「女はそれを我慢できない」の字幕付きDVDが発売!
The Girl Can't Help It with Japanese subtitles女はそれを我慢できない [スタジオ・クラシック・シリーズ]


☆トップの画像はジェーン・マンスフィールドが出演した映画「Too Hot to Handle (Playgirl After Dark 地獄の罠」のサウンドトラックです。 「地獄の罠」のサウンドトラックとはいうものの「地獄の罠」からは5番のToo Hot to Handleと6番のYou Were Made for Meだけです。
007シリーズでも名高いTerence Young(テレンス・ヤング)監督の1959年の映画「Too Hot to Handle(地獄の罠)」で、ジェーン・マンスフィールドは1955年のDanielle Darrieux(ダニエル・ダリュー)主演のL' ammant De Lady Chatterley(チャタレイ夫人の恋人)に出演していたLeo Genn(レオ・ゲン)と共演しています。
※超セクシーなジェーン・マンスフィールドの"Too Hot to Handle(地獄の罠)"の映画ポスターが見られるToo Hot to Handle Poster - Moviegoods.com
Jayne Mansfield with Photos - "Too Hot to Handle" (FULL) - YouTube

Listenジェーン・マンスフィールドの生声が聴ける!
①ジェーン・マンスフィールドのアルバムToo Hot to Handleでの試聴2番Too MarvelousはWFMUラジオのプレイリストの4番目(ブロンド・グラマー特集Connie Stevens 、Marilyn Monroe 、Diana Dors 、Elke Sommer 、他Goldie HawnやSarah Michelle Gellar、Melina Mercouri 、Sophia Loren、 Audrey Hepburn)
②試聴10番のThe Best Things in Lifeインタビューはwfmu.org(共にListen to this show (RealAudio)をクリック! インタビューはクリップ・ポジション(再生バー)を最後のほう2:50:に移動。 このプレイリストにはDinah Washington、Sarah Vaughn 、Chris Connor 、Peggy Lee、Julie London、Dinah Shoreの曲もあります)
③1954年にKitty Kallen(キティ・カレン)でヒットした曲、ジェーン・マンスフィールドが歌う"Little Things Mean a Lot"はアルバム「Sex and the '60s" target="_blank">Sex and the '60s」
試聴はSex and the '60s - Amazon.com(Little Things Mean a Lotは11番)
このセクシーなジャケットのアルバム"Sex and the '60s"がすごい! 60年代のTV番組のセクシー美女を集めたもので、Shirley Bassey(シャーリー・バッシー)の007 Goldfinger(ジュームス・ボンドのゴールド・フィンガー)に始り、ジェーン・フォンダのBarbarella(バーバレラ)、Ann Margaret(アン・マーグレット)のThe Swinger(スインガー)、Natalie Wood(ナタリー・ウッド)のSex and The Single Girl(求婚専科)、60年代のファッション・モデルTwiggy(ツイッギー又はツイギー)のデビューシングルOver and OverやBarbara Feldon(バーバラ・フェルドン)の99、車椅子のジャズ歌手Lisa Thorson(ライザ・ソーソン)、そしてNancy Sinatra(ナンシー・シナトラ)まで。

ジェーン・マンスフィールドは1960年にイタリア映画「Hercules and the Hydra(Gli Amori di Ercole)」で「Mickey Hargitay(ミッキー・ハージティ又はハギーティー)」との共演が縁で再婚していますが、1958年の二人の結婚式には「女はそれを我慢できない」の制作側がジェーンマンスフィールドの映画で使用した衣裳(ウエディングドレス)を貸し出したそうです。
☆二人が出演した映画「Hercules and the Hydra」について書かれたヘラクレスに関係する主な作品をご紹介(Hydraで検索)
この結婚式は1980年にArnold Schwarzenegger(アーノルド・シュワルツェネッガー)が出演した「The Jayne Mansfield Story(愛しのジェーン・マンスフィールド)」で再現されています。
シュワちゃんとLoni Anderson(ロニ・アンダーソン)が演じた金髪女優のマンスフィールドのウエディング写真はThe Jayne Mansfield Story(本物はjaynemansfield.com/photos
映画「愛しのジェーン・マンスフィールド」について書かれた今どきの伝言版

Mansfield Bar
1967年にジェーン・マンスフィールドはトレーラーに激突しての自動車事故で亡くなりましたが、このことを受けてその後、米高速道路安全管理局の要請により地面との間隔が高くて乗用車のボンネット部分までが下をくぐれるようなトレーラーに取り付けられるようになった"リアバンパー"をマンスフィールド・バーと呼ぶそうです。


☆Audio-Visual Trivia内のジェーン・マンスフィールド主演の映画は「女はそれを我慢できない


The Josephine Baker Story (Paperback)
Paperback The Josephine Baker Story
J'Ai Deux Amours - iLike.com
La star noire de La "Revue nègre" du théâtre des Champs-Elysées
Joséphine Baker (1906 - 1975)

Bronze Venus: La Baker
黒い真珠とも呼ばれた琥珀の歌姫と呼ばれたジョセフィン・ベイカーはジャズの発祥地で有名な黒人の町、セントルイス出身で当時の多くの黒人と同じく貧しい生活を送りました。 ローティーンの頃から道端で踊って小銭を稼いでいたそうですが、まだ十代の中頃で2度も結婚しましたが苗字のベイカーは2度目の夫の姓だそうです。 ジョセフィン・ベイカーは黒人だけのレビュー団に参加して1925年頃にパリのはシャンゼリゼにあったミュージック・ホールのRevue Negres(レヴュ・ネグル)に出演するようになります。 そこで裸同然の衣装でセンセーショナルな歌と踊りのショーを繰り広げ、パリの夜の女王となったジョセフィン・ベイカーは新し物好きなパリ人の間で大変な人気者となったそうです。 特に上半身はほぼ全裸で腰に作り物のバナナをグルリとぶる下げた衣裳にはさすがのパリッ子も度肝を抜いたそうですがダンスの初めがコミックダンスだったのでお手の物だったのでしょう。 衣裳といえばキラキラ光るスパンコールやビーズ、孔雀の羽やオーストリッチの羽を付けたエレガントで豪華なサテンのドレスや意匠を凝らしたエキゾチックで奇抜なドレスも見逃せません。 その他にも話題性としてジョセフィン・ベイカーは舞台にダイアモンドの首輪をしたペットのChiquita(チキータ)というチーターを登場させ、時には逃げ出したチーターに観客は肝を冷やしたとか。 アメリカのロスとジェネレーションの作家であるErnest Hemingway(アーネスト・ヘミングウェイ)が「かって出合った最もセンセーショナルな女」と称したそうですが、同じく1940年代にパリで大成功したEartha Kitt(アーサー・キット)にはOrson Wells(オーソン・ウエルズ)が「世界中で一番刺激的な女」と言っています。 戦前は先進的な作家や画家などの芸術家たちの女神となったジョセフィン・ベイカーは第二次世界大戦時にフランスを占領したナチスにまで人気だったそうです。 何度も結婚したジョセフィン・ベイカーは1937年にフランス人と結婚してフランス国籍を取得しました。

J'ai Deux Amours per Joséphine Baker
実在したパリのエンターテイナーである黒人歌手「ジョセフィン・ベーカー」が歌った「二つの愛」は、アメリカを祖国とし遠く離れてパリで生活するジョセフィン・ベイカーの心を二重の意味で表した素晴らしい曲です。 パリはシャンゼリゼのミュージック・ホール「Revue Negres(レヴュ・ネグル)」の女王だったアメリカ出身の黒人歌手のジョセフィン・ベイカーに、1931年にシャンソン作曲家のVincent Scott(ヴァンサン・スコット)が贈ったJ'ai Deux Amours(二つの愛)をジョセフィン・ベイカーが「私の愛するものは二つ、祖国とパリの街」と歌って大ヒットしました。
☆歌詞はparoles de J'ai Deux Amours - PopLyrics.net
ジョセフィン・ベイカー以外の歌手が歌う"J'ai Deux Amours(二つの愛)"を私は聴いたことがありませんでしたが、2004年にマッコイ・タイナーのブルーノート公演のために来日したこともあるジャズ歌手のDee Dee Bridgewater(ディー・ディー・ブリッジウォーター)はフランスで長く活動していて、Charles Aaznavour(シャルル・アズナヴール)とTVドラマで共演したこともあるのだそうです。 そのディー・ディー・ブリッジウォーターが2005年にリリースしたジョセフィン・ベイカーへのトリビュート・アルバム「J'ai Deux Amours」では、最初の曲が「二つの愛」でフランス語で歌っているそうです。 「ジョセフィン・ベイカー」を歌った最初の歌手といえるでしょうか。 このアルバムではCharles Trenet(シャルル・トレネ)のラ・メールや当時話題を振り撒いた1946年の失恋のボサノヴァでPatricia Kaas(パトリシア・カース)も歌っている「Que reste-t-il de nos amours?(愛の名残り又は残されし恋には)」もカバーしています。 1963年にChris Connor(クリス・コナー)も歌ったという"Que reste-t-il re nos amours?"の英語版の"I Wish You Loveは2005年の映画「Prime」のサントラでレイチェル・ヤマガタも歌っていますが、1959年の映画「Un Temoin Dans La Ville(彼奴を殺せ/きやつをけせ)」のオリジナル・サウンドトラック 」でBarney Wilen(バルネ・ウィラン)がカバーしています。

Two Loves Have I by Nat King Cole
1940年代にアメリカのジャズシンガーのNat King Cole(ナット・キング・コール)がジョセフィン・ベイカーの「二つの愛」を「Two Loves Have I 」という英語バージョンで発表してヒットしたので米国ではナット・キング・コールの方が知られています。

Listenジョセフィン・ベイカーの「二つの愛」と「LA SEINE 」が聴けるイタリアのラジオRadio Scrigno(ページ一番下のJ'AI DEUX AMOURSをクリック)
Josephine Baker - J'ai deux amours (1930) - YouTube
Josephine Baker on TV (1950) - J'ai deux amours - YouTube
Josephine Baker - Sous le Ciel d'Afrique - YouTube
Dancing Josephine Baker in Princess TamTam (1935) - YouTube
☆生前のジョセフィン・ベイカーの歌声と写真入りインタビューはradio.rai.it(イタリアのラジオ放送)と.radio.cz(1970年のプラハのラジオ放送)
☆ジョセフィン・ベイカーが聴けるWFMUラジオ・ショーのプレイ・リストで最後から6番目の曲Voulez-Vous de la Canne a SucrePlaylist for Inner Ear Detour with David - September 11, 2003(Listen to this show (RealAudio)をクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を2:41:24に合わせる)

Josephine Baker
Josephine Baker herself

ジョセフィン・ベイカーはミュージックホールや映画のポスターを数多く製作した仏アールデコ時代の画家Paul Colin(ポール・コラン又はコリン)によってポスターに描かれたことでも知られています。
☆ポール・コラン(1892年~1985年)の有名なポスターが見られるpostergallery.com(Black Thunderで検索)とart.com
ポール・コランはポスターだけでなく、舞台美術や衣装のデザインも手掛けていました。


1934年にMarc Allegret(マルク・アレグレ)がジョセフィン・ベーカーが出演した映画「Zou Zou(裸の女王)」を監督しました。 マルク・アレグレは、琥珀の舞姫「ジョセフィン・ベイカー」主演の映画で幻のサイレント・フィルムといわれるLa Sirene des tropiques(南海の女王)も1927年に製作しているそうですが、次の1934年の「Zou Zou(裸の女王)」と1935年の「Princesse Tam Tam」の3本はヨーロッパだけでヒットしたのだそうです。 これがパリ郊外の古文書館に埋蔵されているのだとか。

ジョセフィン・ベーカー本人が出演しているZou Zouの(フランス語版)VHSビデオ
Zou ZouZou Zou / Kino Video
「Zou Zou」はまだ無名のJean Gabin(ジャン・ギャバン)と共演した1934年の貴重な白黒映画です。
俳優になる前はシャンソンを歌っていたジャン・ギャバンは、ミュージック・ホールなどでジョセフィン・ベイカーとは顔なじみだったそうで、映画「Zou Zou」の中でも歌います。
☆ジャン・ギャバンとジョセフィン・ベイカーがDVDカバーになっている画像が見られるZou Zou (Zouzou) (1934)
Zouzouとはジョセフィン・ベイカーの呼び名ですが、フランスでは「仏植民地のアルジェリア歩兵への蔑称」でもあるそうです。

Listenジャン・ギャバンというと「Pepe le Moko(望郷)」、Francoise Arnoul(フランソワーズ・アルヌール)と共演した「Des gens sans importance(ヘッドライト)」、「Touchez Pas Au Grisbi(現金に手を出すな)」などフィルム・ノワールの渋い演技が目に浮かびますが、ジャン・ギャバンがシャンソン歌手である証拠にギャバンが歌う"Maintenant Je Sais"を聴いてみて下さい。
ohmychanson.com.ne.kr(Jean Gabinで検索してクリック、ファイルがダウンロードされます)
Touchez Pas Au Grisbi Trailer - Comme Au Cinéma
Jean Gabin - Pepe le Moko Trailer - Comme Au Cinéma

2006年にリリースされたジョセフィン・ベイカーの"J'ai Deux Amours"他27曲が収録されているベスト盤です。
Centenary Tribute Josephine BakerA Centenary Tribute: Songs from 1930-1953 Josephine Baker / Golden Stars
全曲試聴はA Centenary Tribute - Amazon.com

2003年に発売されたジョセフィン・ベイカーの"J'ai Deux Amours"他定番曲の"Pretty Little Baby"や"Easy to Love"、"Besame Mucho"、"I've Got You Under My Skin"などスタンダード曲のカバーを15曲を収録したベスト盤です。
The Black Pearl Josephine BakerThe Black Pearl
試聴はThe Black Pearl - Amazon.com

1996年に発売されたジョセフィン・ベイカーの12曲が収録されているCDです。
Golden Stars Josephine BakerJ'ai Deux Amours Josephine Baker / Golden Stars
現在は入手困難になっていますが試聴はJ'ai Deux Amours - Amazon.com

サウンドトラックから"ハイチ"(はだかの女王)やジャン・ギャバンの"水の畔を歩いていると"(我等の仲間)がオリジナル盤による戦前欧羅巴映画主題歌集で試聴できます。


1991年にリン・ウィットフィールドがジョセフィン・ベイカーに扮した伝記映画「裸の女王 ジョセフィン・ベイカー・ストーリー」が制作されています。(Audio-Visual Trivia内の記事)



Ketty Lester sings Love Letters
現在ではご当地のアメリカでさえ、『ケティ・レスターって誰?』と言われるほど、歌手としてのKetty Lester(ケティ・レスター)は忘れ去られた存在なのです。 どんな曲を歌ったかって? それがこのラブレターという名曲なのです。 幻の名曲「ラブレター」、そして伝説の"一発屋のソウル歌手のケティ・レスター"なんかで終わらせてしまえないその魅力をお伝えしましょう。

ケティ・レスターの1962年のヒット曲「Love Letters(ラブレター)」のオリジナルは、1945年にVictor Popular Young(ヴィクター・ヤング)作曲によりEdward Heyman(エドワード・へイマン)が作詞した映画のテーマ曲です。 ヴィクター・ヤングは1935年から1957年まで多くの映画音楽を手掛けていますがStella by Starlight(星影のステラ)やMy Foolish Heart(愚かなり我が心)などの名曲で知られます。 エドワード・へイマンはDoris Day(ドリス・デイ)のWhen I Fall in Love(恋に落ちた時)などのようにこのコンビによる名曲はいくつもあります

1945年にDick Haymes(ディック・ヘイムズ)が歌ったオリジナルのLove Letters(ラヴレター)は「Little White Lies」(ASIN: B00005ABNY)や「The Very Best of Dick Haymes, Vol. 1」(ASIN: B000003H7J)などに収録されています。
ディック・ヘイムズはHarry James(ハリー・ジェームス)楽団のケースと同じように1942年にFrank Sinatra(フランク・シナトラ)の後釜としてトミー・ドーシー楽団の専属歌手となりました。

アメリカではディープ・ソウルのジャンルに入っているケティ・レスターのEPシングルレコードは1962年に2枚リリースされています。
1963年にA面がI'm a Fool for YouでB面がLove Letters
Love Letters / Tell It Like It Is(すごいことにB面がオリジナルは1967年とされているR&BのAaron Neville's A&M(エアロン・ネヴィル、ネヴィル・ブラザーズの大ヒット曲)
Love Letters/ I'm A Fool To Want You(Eraレコード)
鳥肌の立つほど素晴らしいLove LettersとBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)でお馴染みのI'm A Fool To Want You(恋は愚かというけれど)が聴けるCOLOR RADIO AND R+B, DOO WOP, ROCK+ROLL(1962年リリース版)
Ketty Lester - I'm A Fool To Want You (1956) - YouTube

ページトップの画像はKetty Lesterのアルバム「Love Letters」ですがこの30曲収録の「love letters---30 tracks [SACD]」にはLove Lettersと共にI'm A Fool To Want Youが収録されています。(SACDディスクは普通のCDプレーヤーでは再生不可) 画像の下のリンクで11曲が聴けます。
スーパーオーディオCDとは

☆Ketty LesterのLove Lettersの歌詞はlLove Letters Lyrics - ynchnet.com

ListenKetty LesterのLove Lettersが試聴出来るOldies Museum(Kettyで検索)
当時私が購入したシングルEP盤のケティ・レスターのラブレターはピアノの間奏がとても印象的で素晴しいバージョンですが、ケティ・レスターの大きな目の顔写真を添えたピンクと黒の二色刷りのジャケットだったドーナツ盤レコードが見つからないので最近になってデジタルのラヴレターをiTunesで購入しました。 アルバムはNipper's Greatest Hits: The 60's, Vol. 1です。

All About Ketty Lester
アーカンソー州生まれのケティ・レスターは奨学金を受けてSan Francisco City Collegeに通い、その頃から学校や教会で歌うようになります。 その後は歌の道に進み、Cab Calloway(キャブ・キャロウェイ)楽団に同行したヨーロッパツアーで成功を収めました。 クラブ歌手としての評判はEra Records会社との契約にむすびつきました。 後に1998年にGee Baby Geeを発表したDel-Fiの曲を書いた当時のプロデューサーのEd Cobb(エド・コッブ)と名ピアニストのLincoln Mayorga(リンカーン・マヨルガ)との出会いがあり「ラヴレター」がプロデュースされました。 リンカーン・マヨルガはL.A.のクラシック畑のピアニストですが、アーヴィング・バーリンやガーシュインを特集するなどジャズやポップスの分野でも評価されています。
最初のシングル・レコードはI'm A Fool To Want YouとLove Letters(ラブレター)です。 2曲とも人気のあるスタンダード曲ですが、ケティ・レスターのクールでジャージーなバージョンのラブレターは1962年にR & Bチャートでは2位、アメリカとイギリスのポップスのヒットチャートでは5位にランクされ、ミリオンセラーとなりました。 続けて2枚目のシングルは George Gershwin(ガーシュイン)のミュージカルGirl CrazyからのBut Not for Meでしたが、これは同年のポップチャートで41位でした。 その後も何枚かのシングルとLPも出しています。 エド・コッブはレコードのプロデュ-スだけでなく曲も作りました。 ケティ・レスターにも1曲書いたのですがお気に召さなかったんだそうです。 経歴やアルバムなどケティ・レスターについて書かれたThis Old Soul Of Mine(英語) ☆This Old Soul Of Mine詳細

MojoのMust-Haveシングル・トップ100
ケティ・レスターの歌で有名なのはラブレター1曲なのですが、アメリカの音楽マガジンMojoの調査によるMust-Haveシングルレコード・トップ100ではこの曲が65位です。
Mojo's Ultimate Jukebox - あなたが所有しなければならない100枚のシングル
この必須レコード100のリストで、私が持っているのは65位のKetty LesterのLove Letters(1962)以外では、9位のBooker T and the MG'sのGreen Onions(1962)、19位のSam the Sham and the PharaohsのWooly Bully(1965)、31位のGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)のBe Bop a Lula(1956)、35位のRay CharlesのWhat'd I Say(Part 1)(1959)、66位のFlamingosのI Only Have Eyes for You(1959)、69位のErnie 'Tennessee' FordのSixteen Tons(1956) 、78位のSonny Boy WilliamsonのHelp Me(1963)、90位のBo DiddleyのWho Do You Love?(1957)、以上たった9曲でした。 貴方は?
Mojo Radio(Download Player 11 for Windows XP)

RCA Victor時代のケティ・レスター
ケティ・レスターは1964年にはRCA Victorと契約し「The Soul of Me」、1965年に2枚目「Where Is Love?」などをリリースしましたが、会社の思惑は外れヒットメーカーにはなりませんでした。 その後、ケティ・レスターは1960年代と1970年代にテレビなどのゲストとしてLittle House On The Prairie(大草原の小さな家)、Days Of Our Lives、Hill Street Bluesなどに出演しました。 NBCテレビの「大草原の小さな家」は日本でも人気でした。 Little House On The Prairie - YouTube

その後ケティ・レスターは1980年代までゴスペルをレコーディングしたりしていたそうです。
Where Is Love?
ケティ・レスターのRCA Victor時代の2枚目のアルバム「Where Is Love?」(1965年)が1999年に日本で再リリースされていたそうで、Lover Manやラブレターと同じくヴィクター・ヤングが作曲したMy Foolish Heartなどのスタンダード曲のカバー12曲を収録したこの盤は現在はヴィンテージ価格になっています。 このCDの試聴はみつかりません。 アルバムカバー画像がちょっとEartha Kitt(アーサー・キット)の1960年にイギリスのKappからリリースしたレコード"Revisited"に似ています。("Revisited"の収録曲はThe Ultimate Collectionと類似)
Where Is Love?

☆アナログは最近ではなかなか見つからないと言われますが、本当に「When A Woman Loves A Man」はありません。
※アルバムのタイトルとなっている"When A Woman Loves A Man"という曲は Bernard D. "Bernie" Hanighen(バーナード・ハニガン)とGordon Jenkins(ゴードン・ジェンキンズ)が共同作曲し、Johnny Mercer(ジョニー・マーサー)が作詞して"I'm A Fool To Want You"同様に1938年にBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)が歌ったのですが、Percy Sledge(パーシー・スレッジ)の1966年の大ヒット曲の"When a Man Loves a Woman"へのアンサーソングだったそうです。
Ketty Lester - When A Woman Loves A Man - YouTube

Ketty Lester's Love Letters in "Blue Velvet"
1986年のデニス・ホッパーが悪党役を怪演したDavid Lynch(デイヴィッド・リンチ)監督の狂気のサスペンス映画「Blue Velvet(ブルー・ベルベット)」ではなんと!ケティ・レスターのラヴレターが流れるのです。 それどころか、悪党デニス・ホッパーがヒロインのイザベラ・ロッセリーニを脅すセリフというのがケティ・レスターの「ラブレター」の一節「Love letters straight from your heart!」なのです。

ケティ・レスターの"ラブレター"が収録されている「ブルー・ベルベット」のサウンドトラック
Blue VelvetBlue Velvet: Original Motion Picture Soundtrack
試聴の13番
☆ケティ・レスターのラブレター他にもサントラの歌詞が載っているThe City Of AbsurdityのBlue Velvet(Soundtrackをクリック)
☆映画「ブルー・ベルベット」についてはAudio-Visual Trivia内のBlue Velvet

Ketty Lester in Little House On The Prairie
ケティ・レスターのラブレターを知らない方でも、この1974年に始まったTV シリーズの「大草原の小さな家」はご存知でしょう? 「大草原の小さな家」では1978年から1983年までケティ・レスターがHester-Sue Terhune(へスタースー・タヒューヌ )の役で出演しました。 日本では1975年からNHKで放映されました。 ☆NHKの参考
日本でも人気だった1959年~1973年のTVシリーズ「ボナンザ」に出演していたMichael Landon(マイケル・ランドン)が「父さん」役でしたが、ケティ・レスターはジョーの別れた妻と盲学校の先生「ヘスター・スー」を演じました。 ☆ケティ・レスターのヘスター・スーが観られるLittle House On The Prairie Picture Gallery(下から3番目)
☆「大草原の小さな家」のファンサイにはエピソードと写真がいっぱいの小さな家のページがあります。

エルヴィス・プレスリーのラブレター
ケティ・レスターのラヴレターの後、1966年にエルヴィス・プレスリーのラブレターがリリースされました。 当時ナッシュビル(カントリー)のスタジオ・ピアニストだったFloyd Cramer(フロイド・クレイマー)が収録に遅刻したことにより急遽穴埋めとして同じくスタジオ・プレーヤーの若手David Briggs(デヴィッド・ブリッグス)がピアノを務めました。(フロイド・クレイマーが到着しても遅れが気に障ったエルヴィスがそのまま続けてデヴィッド・ブリッグスに弾かせたようです。) これは大ヒットしてケティ・レスターを凌ぐと言われます。 私はエルヴィスのファンですが、やはりラブレターに関して言えばエルヴィスではなくこれはもうケティ・レスターが一番!だと思います。
ラブレターはエルヴィス以前にも、女性歌手ではPeggy Lee(ペギー・リー)、Julie London(ジュリー・ロンドン)、Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)、Etta James(エタ・ジェームス)など、男性歌手では1945年にDick Haymes(ディック・ヘイムズ)、1955年にTony Bennett(トニー・ベネット)、1957年にNat King Cole(ナット・キング・コール)、 1958年にPerry Como(ペリー・コモ)なども歌い、その後も歌い継がれて総勢16人もの歌手がカバーした名曲なのです。
☆これはお勧めというわけではありませんが参考までに、WFMUラジオのプレイリストのPlaylist for Downtown Soulville with Mr. Fine Wine - June 11, 2004でタワーレコード時代の1965年の"West Coast"が聴けます。(Listen to this show (RealAudio)をクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)が移動出来れば21:00(3分の1の辺り)が9番目のケティ・レスターです。)

King of the Harmonica: Sonny Boy Williamson aka Alex 'Rice' Miller
Keep It to Ourselves
Rice Miller as Sonny Boy Williamson
Sony Boy Williiamson - Help Me - Rádio UOL

ミシシッピ・デルタ出身の"サニー・ボーイ・ウィリアムソン"又は"サニー・ボーイ・ウィリアムスンII"は別名Alex 'Rice' Miller(アレックス・ライス・ミラー)といい、シカゴブルース界では最も独特でアコースティックな(エレキ化されなかった)Blues Harp(ハーモニカ)奏者です。 サニー・ボーイが30歳代の前半には伝説のブルースマンと呼ばれるRobert Johnson(ロバート・ジョンソン)と演奏したことでも知られています。
Rice Miller(ライス・ミラー)が主張するSonny Boy後継者の由来が分からないように、出生年も記事により1894年、1899年、1897年、1905年、1908年、1909年、1910年又は1912年とまちまちです。 が、死亡年は一様に1965年で一致しています。 死後はライス・ミラーがもうしゃべらないから。

根っから放浪のブルースマン
ライス・ミラーはLittle Boy Blueという名前で小さい頃からミシシッピやアーカンソー、デルタ地帯のプランテーション辺りの街角やジューク・ジョイント(南部の黒人版ホンキートンク酒場)で歌っていた流れ者のブルースマン(チャイルド)でした。 ギターがつくこともありましたが、時には指パッチン以外には何の伴奏も無い時もあったそうです。 ライス・ミラーは彼の声に合った荒っぽいながらも繊細なハーモニカの奏法を生み出しました。 ライス・ミラーの歌とハーモニカがまるで一つの楽器のように聞こえます。

1941年にHelena(アーカンソー州のヘレナ)で開局したデルタ放送のKFFAラジオにスタジオ・ライブの職を得てそれまでの放浪の旅を終えます。 ラジオで最初のブルース音楽番組として、スポンサーになった地元のKing Biscuit Flour(キング・ビスケット製粉会社)の名を付けて15分放送「King Biscuit Time」を毎日昼飯時に流しました。 当時はブルースがラジオで放送されることは多くなかったので、ライス・ミラーの歌とハーモニカのブルースはデルタで人気番組となりました。 なんたってライス・ミラーのイメージをプリントしたパッケージのSonny Boy Corn Meal(上から5番目)が販売されたくらいですから。
1973年に始まった毎週一回アメリカでいくつかのラジオ局で放送されたロックンロール番組である"King Biscuit Flower Hour"は「「King Biscuit Time」がプロデュースしていて、その番組名はブルース・ラジオの「「King Biscuit Time」に由来します。

子供の頃にラジオ番組「King Biscuit Time」でライス・ミラーのハーモニカ演奏を聴いていたのが、後に世界でも有名なハーモニカ奏者の一人となったJames Cotton(ジェームス・コットン)です。 ジェームス・コットンはラジオから流れてくるライス・ミラーの曲を聴くそばからコピーしていったそうです。 9歳で既に街角でのハーモニカを演奏していたジェームス・コットンは、ライス・ミラーの元へ叔父に連れられて行き、その天分を認められライス・ミラーに師事、その後ジェームス・コットンは15歳でメンフィスのクラブなどで演奏していましたが、1953年にはMuddy Waters(マッディ・ウォーターズ)のバンドに参加します。 そして1987年にはグラミー賞を獲得するほどになりました。

キングビスケット時代のレコードにはRice Miller(ライス・ミラー)としてクレジットされています。 ところが、この時期のある時ライス・ミラーは、よほどSonny Boy Williamson(サニー・ボーイ・ウィリアムソン)という名が気に入ったのか、ハーモニカの先輩ともいえるオリジナルであるJohn Lee "Sonny Boy" Williamsonの後継者をかたったのです。 手っ取り早く言えば、John Lee Williamsonの名前を勝手に頂戴してしまったらしいのです。 とはいうものの本家の名を騙ったサニー・ボーイ・ウィリアムソンのほうが元祖Sonny Boy Williamsonよりもはるかに知名度がありますね。 紛らわしい名前についてはこういった経緯がありました。

デルタでのバンド「Sonny Boy Williamson and his King Biscuit Entertainers」の人気にもかかわらず、ライス・ミラーがレコーディング出来たのはオリジナル・サニー・ボーイ・ウィリアムソンの死後の1948年(又は1951年説)になってからだそうです。 もしくは最初の吹き込みは1947年だったという説もあるそうです。 ミシシッピのTrumpet Records(トランペット・レコード)でサニー・ボーイの最初のヒットとなった"Eyesight To the Blind"をリリースしました。 その他I Cross My HeartやPontiac Bluesなどを続いてリリースしましたのが評判になりました。 1951年(又は1955年)にはシカゴのChess Recordsに移り、Don't Start Me to Talkin'をリリースしてR & B界に売り出し、マッディ・ウォーターズやハウリン・ウルフに並ぶブルース歌手となります。 ラジオ番組時代にパートナーだったギタリストのRobert Jr. Lockwoodと再び組んで「Help Me」、「Keep It To Yourself」、「Your Funeral and My Trial」、「Bring It On Home」(唯一サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの作ではないという説あり)などのヒットを生み出します。
Howling Wolf(ハウリン・ウルフ)の"Crying at Daybreak"が聴けるwfmuラジオのGive The Drummer Some(Howling Wolfで検索、Listen: RealAudioをクリック)
Junior Parkerの"Tax Man"が聴けるwfmuラジオの$mall Change

その頃のにヨーロッパでのブルース熱に乗って、1963年サニー・ボーイ・ウィリアムソンII もマッディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ, Lightnin' Hopkins(ライトニン・ホプキンス)等と共にThe American Negro Blues Festival(アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル)のメンバーとして欧州ツアーに出かけて当地で大ブレークしました。 1965年の最後といえるイギリス・ツアーのキャンパス公演ではバックアップ・バンドのメンバーとして若き日のEric Claptonとそのイギリス・バンドThe Yardbirdsがいて、The YardbirdsとThe Animalsとはレコーディングもしたそうです。 これからっていう時だったのにね。

ウイスキーをガブ飲みして放浪の旅を続けたという伝説のロバート・ジョンソンと似通ったところのあるサニー・ボーイ・ウィリアムソンII です。 しかし、ロバート・ジョンソンが行く先々で女と関わり、挙句の果てには或る女の夫から恨みをかって毒殺されたという恐ろしい話とは違って、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII にはそんな女の影は見えません。 なぜなら、1940年代に最初の妻だったハウリン・ウルフの妹と別れてMattie Gordonと結婚して以来死、生涯を共にしたそうですから。 この結婚生活が放浪のブルースマンとしては音係以外での唯一長い関係といえるそうです。 サニー・ボーイ・ウィリアムソンII は毒殺こそはされませんでしたが、血ヘドを吐くまでハーモニカを吹き、歌い続けて、とうとう心臓麻痺(又は老衰)で亡くなりました。 死因として酒の飲みすぎは大いに疑われます。 1948年にサニー・ボーイ・ウィリアムソンII のブルース番組King Biscuit Timeにゲストで出演した品行方正なBBキングは今現在でも元気で大活躍しているのに。


そのサニー・ボーイ・ウィリアムソンII ゆかりの地ヘレナで今も放送されている歴史的な番組The King Biscuit Timeのラジオ局King Biscuit Flower Hour(KZMT-FM)のサイトにはサニー・ボーイ・ウィリアムソンII 他ブルース・ハープ奏者達の情報が満載で、音声クリップも聴けます。
ヘレナではブルース博物館があり、毎秋ラジオKing Biscuit Blues Festival(キング・ビスケット・ブルース・フェスティバル)が開催され40年代当時のブルースを再現します。 キング・ビスケット・タイムの参考はKing Biscuit - Livinblues.com(英文)
Chris Thomas King(クリス・トーマス・キング)が出演し、他のオールドカントリー&ブルースの歌も使用されたCoen(コーエン)兄弟の2000年の映画「O Brother, Where Art Thou?(オー・ブラザー!)」で鎖をつけたまま逃亡した囚人たちが隠れた農家のラジオから流れてきたのは"ビスケット・アワー"だったかも。


せくすぃー・ブルースマン!
本当に彼の曲は全部イイですねぇ♪ 彼の人生そのものを歌ったユーモラスで、かつ皮肉たっぷりな・・・ある意味でダーティなブルースの数々、情熱的だがシンプルなハーモニカ演奏、これらの素晴らしい曲作りの完璧さ、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII は私の好きなブルースマンの一人です。 女性黒人歌手のアーサー・キット同様、ビブラートの効いたサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の独特な声は大変セクシーです。 写真やビデオでサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の顔を観た後でも、ウン、やっぱり、セクシーです。

多くのヒット曲のなかでも"Help Me"は評価が高く、10年も経った1962年のBooker T. Jones(ブッカー・T・ジョーンズ)のヒット曲"Green Onions"のベースに影響を与えていますね。 ともかく!彼のハーモニカを吹き、間髪を入れずヴォーカルに入り又吹くことを繰り返す曲芸のような奏法には感嘆するばかりです。 リズムを取るため、又はビートを強調するための独創的な息づかい、雌鳥がコッコッと鳴くようなChugging奏法が実にユニークです。
☆Sonny Boy Williamson [2]のHelp Meなどの歌詞はLyrics - harptab.com(このサイトに元祖Sonny Boy Williamson Iの歌詞もあり)

videoハーモニカと歌を交互に操るサニー・ボーイ・ウィリアムソンII を観るともう感激で泣けそう!
デンマークの個人サイトでサニー・ボーイ・ウィリアムソンII のビデオが観られます。Sonny Boy Williamson - The JazzPage(Single Videosをクリック、10番目のSonny Boy Williamson 1963をクリックすると"Goin' Back Home"のビデオが観られます。 ヨーロッパツアー・デンマーク訪問の時のスタジオ・コンサートだそうです。) 画面は小さいですが、どう?観られました? セクシーでしょう? セクシーとちゃう? 下記のリンクではちっちゃなハモニカをまるでビッグバンドなみに演奏するサニー・ボーイ・ウィリアムソンに合わせてマディ・ウォーターズが曰く付きの" Got My Mojo Working"を歌っていますがベースはサニー・ボーイ・ウィリアムソンの"Bring It On Home"やマディ・ウォーターズの"Hoochie Coochie Man"などを書いたマルチタレントのブルースマンとして名高いWillie Dixon(ウィリー・ディクソン)です。
Sonny Boy Williamson & Muddy Waters - Got My Mojo Working - YouTube
Sonny Boy Williamson II - YouTube

もっと大きな画面のReelin' In The Years Video Clips(上段の左から4番目がサニー・ボーイ・ウィリアムソンII のBye Bye Bird 、一番左がブルース・ギタリストBuddy Guyで、その下がMuddy Waters、Howlin' Wolfは4段目の一番左、そして最下段左がマッディ・ウォーターズとサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の掛け合いでMojo workin')


☆ページトップのCD画像はサニー・ボーイ・ウィリアムソンのアルバム「Keep It to Ourselves」2001年盤です。
より人気のある1990年盤はKeep It to Ourselvesですが試聴がないので2001年盤の方で聴いて下さい。

サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のアルバム
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のベスト3!
The Essential Sonny Boy WilliamsonEssential Sonny Boy Williamson

Listenサニー・ボーイ・ウィリアムソンII やBBキングが聴けるブルースラジオMIDNIGHT FLYER のプレイリストのMIDNIGHT FLYER Archive(一番下のSonny Boy Williamson II をクリックすると略歴と曲で構成したプログラムが聴けます。 又HISTORY OF THE HARMONICAではハーモニカの歴史です。
サニー・ボーイ 2はMIDNIGHT FLYER #219やMIDNIGHT FLYER #109など殆どのリストに入っています。
☆Midnight Flyerの詳細はHot'n Cool内のブルースのラジオ Midnight Flyer

オリジナルは初期のトランペット・レコード時代1951年録音の人気アルバムです。 若いですね。
King Biscuit TimeKing Biscuit Time
試聴は5番のEyesight to the Blindが初ヒット曲、次が7番のI Cross My Heart、14番のMr. Downchildと15番のPontiac Blues、17番はブルース・ラジオでのライブ録音、最期の18番のロバート・ジョンソンの曲Dust My Broomだけは1965年の録音でElmore Jamesと演奏。

"Bye Bye Bird"、"Help Me"、"Bring It On Home"など有名なチェス・レコード時代の1950年代初期~最期の1965年録音までを収録していて、Muddy Watersもフィーチャー・バンドとして参加しています。
His BestHis Best
Sonny Boy Williamson - Don't Start Me to Talkin' - Rádio UOL


The Chess Story
The Chess Storyシリーズはアーティスト色々でいくつもリリースされていますが英国輸入盤でセットなので高価です。
The Chess StoryThe Chess Story 1957(5枚組みCD)!
「The Chess Story 1965 (5枚組みCD)」や「The Chess Story 1947」もありますが、「The Chess Story: 1947-1975」の15枚組みに至っては3万円以上もします!

あまりアルバムに収録されていないサニー・ボーイ・ウィリアムソンのTrust Me Baby(トラスト・マイ・ベイビー)を探し回ったら灯台下暗しで日本のAmazon.co.jpの「Down & Out Blues」(ダウン・アンド・アウト・ブルース(紙ジャケット仕様)もあり)に収録されていました。
オリジナルのリリースがサニー・ボーイ・ウィリアムソンが60歳の1959年という12曲入りのファースト・アルバムにはギターがMuddy WatersとRobert Jr. Lockwood、ピアノにOtis Spannが参加しています。 1955~58年の録音を集めたアルバムなのでRice MillerとSonny Boy Williamson [II] の名で吹き込んでいるDown and Out Bluesは全曲試聴出来ます。
♪ Sonny Boy Williamson ft Hubert Sumlin on guitar (1964) - I'm Trying to Make London My Home

なんとサニー・ボーイ・ウィリアムソンが1963年にThe Animals(アニマルス)と共演したLPレコード「Animals & Sonny Boy Williamson」の"Newcastle On Tyne, December 1963"がリリースされていたそうです。 現在入手出来るCDはThe Animals with Sonny Boy Williamson

ListenJimmy Witherspoon( ジミー・ウィザースプーン)も歌っているSonny Boy Williamsonの"Help Me"をリトル・ウォルターと並ぶ後のハーモニカ奏者Junior Wells(ジュニア・ウェルズ)がオルガンのJohnny "Fingers" Iguana(ジョニー・イグアナ)との1997年ライブ演奏もエネルギッシュで迫力があります。 Buddy Guy's Legendはシカゴを代表するブルースマン「バディ・ガイ」がオーナーのブルース・クラブだそうです。(Buddy Guy Legend'sで検索)
ジュニア・ウェルズの写真が見られるBob Koester remembers Junior Wells

ブルースのサイトLivingBlues.comの現在のトップページの画像はSonny Boy Corn Mealのサニー・ボーイ・ウィリアムソンII なんですよ! そしてサニー・ボーイ・ウィリアムソンII について書かれているページ(サイトの一番下にあるMP3タイトルをクリック、ファイルは大きいのでダウンロードに時間がかかり、ブラウザがFirefoxでは聴けるがGoogle Chromeでは聴けない。)
☆LivingBlues.comについてはHot'n Cool内のブルースが聴けるジュークボックス LivingBlues.com


1962~1966年にドイツで行われたブルース・フェスティバルのモノクロ映像でリージョン・フ!リーのDVDです。
American Folk Blues FestivalAmerican Folk Blues Festival 1962-1966 Vol.1
オーティス・ラッシュが"I Can't Quit You Baby"を演奏、サニー・ボーイ・ウィリアムソンが"Nine Below Zero"をブルースハープで演奏する他マディ・ウォーターズのGot My Mojo Workingにも参加、ボーナストラックには珍しいアール・フッカーの1969年のライヴ映像「Walking the Floor Over You/Off the Hook」が収録されている他ブルースマンやBig Mama Thornton(ビッグ・ママ・ソーントン)などの女性ブルース歌手も多数出演しています。
Vol.2とVol.3もあります。
※ブルースの曲名の他にバンド名でも使用されている"Nine Below Zero"とは気温のことで氷点下9度を意味するようですが何か特別なスラングでもあるのでしょうか。


デルタからシカゴへ、ブルースの移り変わり

英文ですがサニー・ボーイ・ウィリアムソンとブルースハープについてはAleck Ford "Rice" Miller (1899-1965) - bluesharp.ca

ハーモニカ奏法について知りたくなった方はハーモニカ通り ハーモニカを吹いてみよう
私も昔、宮田のハーモニカを買いました。 サニー・ボーイ・ウィリアムソンじゃなくて、南部の人種差別をテーマにした「墓にツバをかけろ」という1959年の映画のテーマ曲に影響されたのです。
私はこの教本を持っていないけれど、もしブルースハープを始めたくなったらCD付き はじめよう! ブルースハープ 定番フレーズでマスターするブルースハープ入門講座でも買ってみるかも。(本当に吹けるようになるのか。。。)


Platinum & Gold Collection
Eartha Kitt
Eartha Kitt - C'est Si Bon - Rádio UOL
アーサー・キットはセ・シ・ボン! She's So Gooood!

Eartha Kitt (1927- 2008)
1927年にBlack Cherokee(北米の黒人チェロキーインディアン)の母と白人の農夫との間に生まれたエンターテイナーのEartha Kitt(アーサー・キット)は、子供の頃には他の黒人と比べて肌がミルク珈琲色だったことから苛めを受けて育ったそうです。 そして皮肉なことに、芸能生活では肌が黒いということで役を貰えず苦労したそうです。 そんなアーサー・キットは16歳でロシア系ユダヤ人ダンサーのKatherine Dunham(キャサリン・ダンハム又はダナム)が1940年代に創設したNegro Dance Troupe(黒人舞踊団)に参加してアメリカはもちろん南米やヨーロッパを廻った後、歌手として活動の場をパリのナイトクラブにおいて大成功したそうです。
※キャサリン・ダンハム(1909年 - 2006年)はアメリカの黒人舞踏家で、Lena Horne(リナ・ホーン)主演の黒人ミュージカル「Stormy Weather(ストーミー・ウェザー)」などに出演しました。
アメリカのあらゆる人種を舞踏団のメンバーにしたキャサリン・ダンハムについてはSpotlight on.....Katherine DunhamとAudio-Visual Trivia内のPerez Prado(ペレス・プラード)にも記述してあります。

ダンスから歌手に転向したアーサー・キットは歌手として名が知れてきた1950年代から映画や舞台にも出演するようになりました。 それと同時に数々のヒット曲を出すことになります。
The Tragedy of Othello: The Moor of Venice(オーソン・ウェルズのオセロ 1952年)公開の前、当時ヨーロッパ公園で実績をつんでいた有名な俳優であり、Rita Hayworth(リタ・ヘイワース)と離婚した映画監督のOrson Wells(オーソン・ウエルズ)がアーサー・キットを「世界中で一番刺激的な女」と称賛して映画に呼び寄せたそうです。 アーサー・キットの最初の映画出演はオーソン・ウエルズの「Time Runs」で、オーソン・ウエルズ監督がした珍しいシーンや歌やモノローグなどを集めたこの映画でヨーロッパ・ツアーをしたそうですが情報はありません。 1951年にアーサー・キットが出演した同じくヨーロッパ公演でのHelen of Troy(トロイのヘレン)もオーソン・ウエルズの作品だそうです。 ヘレンはホメロスの叙事詩「イリアッド」に書かれたパリス王子を虜にした金髪のスパルタ王妃ですが、その金髪のヒロイン役だったのでしょうか。
帰国したアーサー・キットは1952年に初めて故郷の合衆国で歌いました。 ブロードウエイのヒット集のような「New Faces of 1952」です。 同じく1954年にはその映画版のNew Faces of 1952に出演しました。 その後、1958年には、ブルースの父といわれるWilliam Christopher Handy(WCハンディ)の伝記映画「St. Louis Blues」に出演し、ナイトクラブ歌手のGogo Germaineを演じました。 作曲家W.C. HandyにはNat King Cole(ナット・キング・コール)です。 1962年代にはテレビのBatman(バットマン)で元祖Catwoman(キャト・ウーマン)」No.2役を演じるなどと「アーサー・キット」はアメリカン・ドリームを着実に成就していきました。 少なくともあの発言までは。

セクシー歌手「アーサー・キット」の政治的側面
1968年のこと、ホワイトハウスでの昼食会に招かれたアーサー・キットはLady Bird Johnson(ジョンソン大統領夫人)の面前でベトナム戦争反対の声明を出したのです。 その結果、なんとCIAまで絡んで、アメリカ国内では仕事をすることが出来なくなり、10年間をヨーロッパで過ごしました。
☆アーサー・キットは同じ人種差別を戦い抜いた歌手として常に黒人ブルース歌手のBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)を称えています。

ヨーロッパから帰国したアーサー・キットは、10年ぶりのロードウエイの舞台「Timbuktu!(トンブクトゥ)」(1978年)でミュージカルのアカデミー賞ともいうべきTony賞にノミネートされ、2年半のロングランとなりました。 これは1944年にMarlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)が出演したKismet(キスメット)や1955年にVincente Minnelli(ヴィンセント・ミネリ)監督のVic Damone(ヴィック・ダモン)出演で映画化もされた名作、アラビアンナイト風ブロードウエイ・ミュージカルの「Kismet(キスメット)」の黒人版です。
日本語でキスメットについて書かれたKismet/The Mastersounds

C'est si bon by Eartha Kitt
アーサー・キットのヒット曲は沢山ありますが、まず取り上げられるのは、1947年にAndré Hornez(アンドレ・オレネス)が作りシャンソン歌手のシャルル・トレネが歌ったC'est si bon(セ・シ・ボン)です。 1953年にアーサー・キットが歌い大ヒットしました。 日本では昭和28年のことなので、セクシー過ぎでNHKでは放送禁止になったとか。 セクシーといってもアルバムによっては大分趣きが違い2006年リリースのLive From The Cafe Carlyleのようなライヴ盤ではそれほどでもありません。
2002年のLaurel Canyon(しあわせの法則)とJack Nicholson(ジャック・ニコルソン)が主演した2003年のSomething's Gotta Give(恋愛適齢期)のサウンドトラックではアーサーキットのC'est si bon(セ・シ・ボン)が収録されています。
Listenアーサー・キットのセ・シ・ボンが聴ける!
C'est si bon - Don Edrington's Big Band & Swing Era Songs("BON"でページ内検索)Eartha Kitt - C'est si bon (1962) - YouTube
Eartha Kitt - C'est si bon! ~ It's so good! - YouTube
う~ん!とても素敵
そぞろ歩きは
腕を組みあい
歌をうたって
ん~ セ・シ・ボン!・・・とアーサー・キットが歌っています。

Eartha's Purr-fect Cat purring "Where Is My Man?"
セシボンもセクシーですが1984年に発表した"Where Is My Man?" やトップ3に入るI Wanna Be Evil!のもゾクゾクするほどセクシーな曲でクラブダンスの好きなディスコ世代まで魅了しています。 "I Wanna Be Evil!"はオリジナルは1965年のアルバム"Eartha Kitt In Person at the Plaza"の1999年又は2004年のリリース盤に収録されたバージョンがエキサイティングですから試聴してみて下さい。
Eartha Kitt - I Want To Be Evil (1962) - YouTube

Where Is My Man by Eartha Kitt - YouTube
Where Is My Manの歌詞はWhere Is My Man Lyrics - LyricsTime.com


Uska Dara (A Turkish Tale)
日本でも流行ったアーサー・キットのウシュカ・ダラ(ウスクダラ、又はウシュクダラ)の原曲はトルコ民謡らしいですが、1952年のブロードウェイミュージカルで発表した後、1953年に吹き込まれて世界的ヒットとなったものです。
☆ウスクダラに大変造詣の深い「ことばの散歩道」内のトルコはアラブと同族か?
アーサー・キットが"Üsküdar'a gideriken aldida bir yağmur..."と歌ったウシュクダラの歌詞はUska Dara Lyrics - FilesTube.com(注!すぐ音)
ウシュクダラ はるばる 訪ねてみたら・・・と日本では江利チエミさんが歌ってヒットしました。
Listenアーサーキットのウシュクダラが聴ける!
wfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Irwin - February 23, 2005(Listen to this show (RealAudio)をクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を2:04:55へ移動する)

50年代に日本で流行ったポップスのコンピレーション・アルバムの「ベスト・オブ・S盤アワー50s」にアーサー・キットの「ウシュカ・ダラ」が収録されています。


Santa Baby
アーサー・キットのクリスマスといえば私の好きなSanta Baby(サンタ・ベイビー)!
作曲家のPhilip Springer(フィリップ・スプリンガー)とJoan Ellen Javits(ジョアン・ジャビッツ)とが作った"Santa Baby"は1953年のヒットチャートで上位になった曲です。 クリスマスのスタンダードの一つに数えられるこの曲「サンタ・ベビー」を1989年の映画「Driving Miss Daisy(ドライビング Miss デイジー)」に歌手として出演して歌っています。(アーサー・キットのサンタベビーが収録されているサウンドトラックは"Driving Miss Daisy: Original Soundtrack" ASIN: B0000014RB)
2001年にはテレビ用クリスマス・スペシャル番組のその名も「Santa, Baby!」というアニメーションではGregory Hines(グレゴリー・ハインズ)と共に声を担当しましたが・・・評判はさほどよくないようでした。
♫ Boo doo bee doo ♫ Santa Baby ♫ Boo doo bee doo ♫
お願いサンタさん、ツリーの下に「黒テンの毛皮」を置いてってぇ
私はずっとおりこうさんだったから
今夜 早く煙突から入ってきてねぇ・・・とアーサー・キットが歌います。
アーサー・キットのサンタ・ベイビーが聴けるクリスマスソング集のSanta Baby - SantaSearch(Earthaで検索 歌詞もあり)
そういえば、サンタ・ベイビーは人気TVドラマのAlly McBeal(アリー my Love)でエレーヌ役のJane Krakowski(ジェイン・クラコウスキイ)がクリスマスのパーティ・シーンでカバーしていました。 アルバムの「Ally McBeal: A Very Ally Christmas Featuring Vonda Shepard」に収録されています。


アーサー・キットは色々な国の歌をその国の言葉で歌いましたが、通称「The Hungry Racoon」という日本の童謡「Sho-Jo-Ji(猩猩寺)」をなんともエキゾチックに歌ってくれました。
※日本での1955年から1958年のヒット曲のコンピレーション・アルバム続・僕たちの洋楽ヒットVol.1にはアーサー・キットのショー・ジョー・ジが収録されています。
☆アーサー・キットはC'est si bon(セシボン)をはじめ、Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)のバージョンが有名なMy Heart Belongs To Daddy(私の心はパパのもの)やJe Cherche un Homme (I want a man)など数多くのヒット曲を歌いました。
☆アーサー・キットの歌詞はEartha Kitt Lyrics - earthakittfanclub.com

ListenSomebody Bad Stole De Wedding Bell(ウエディングベルが盗まれた)が聴ける!
Eartha Kitt - Jazz On Line.com(Eartha Kittで検索、Somebody Bad Stole De Wedding Bellをクリック)
又はPlaylist for Old Codger with Courtney T. Edisonの1994年のプレイリスト(Listen to this show (MP3 128K)をクリックして開く・・・私のPCではiTunesが開いてクリップ・ポジション(再生バー)は操作不能(URLをWindows Mediaで開いてもクリップ・ポジション(再生バー)はReal Playerのように止まらない)ですが、全部良い曲だし、アーサー・キットがHuggin' SpreeとSomebody Bad Stole De Wedding Bellと続けて2曲かかるのでじっと聴くことにします
アーサー・キットのApril in Portugal(ポルトガルの4月)が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Irwin - April 2, 2003(Listen to this show (RealAudio)をクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)を2:42:10に移動)
Che vale per me by Eartha Kitt at SANREMO 1968 - YouTube

☆アーサー・キットのファンクラブはEartha Kitt Fan Club - earthakittfanclub.com(英語)


アーサー・キットのアルバム
アーサー・キットのアルバムはカバー画像の素晴らしさでも定評があります。 ページトップの画像は2003年発売のリマスター盤「Platinum & Gold Collection」で"Santa Baby"の他、レアな曲も含めた全12曲を収録しています。
全曲試聴はPlatinum & Gold Collection - Amazon.com

Purr-Fect: Greatest Hits
アーサー・キットの有名なヒット曲の他に"My Heart Belongs to Daddy"と同じくCole Porter (コール・ポーター)作曲の"Let's Do It, Let's Fall in Love"、Je Cherche un Homme、I Want To Be Evilなどが収録されているアルバム「Purr-Fect(パーフェクト)」
Purr-FectEartha Kitt - Purr-Fect: Greatest Hits
※このアルバムのタイトル「Purr-Fect: Greatest Hits」のPurr-Fectは本来なら「Perfect(完璧)」ですが、アーサー・キットの名前「Kitt」が「Kitten(子猫ちゃん)」、そしてキャット・ウーマンでヒットしたこともあり、Purr(猫が喉を鳴らすゴロゴロ)をかけています。

Eartha Quake
Sholem(ショーレム)やSho-Jo-Ji(The Hungry Raccoon/ショー・ジョー・ジ)、日本ではChris Connor(クリス・コナー)でお馴染みのLullaby of Birdland(バードランドの子守唄)、この他にもレアものが収録されている人気の5枚CDボックスセット
Eartha QuakeEartha Quake

Where is My Man by Eartha KittThe Best of Eartha Kitt: Where is My Man?

Eartha Kitt Revisited
1960年にイギリスでリリースされたモノラルLPレコードに「Revisited」がありましたが、収録曲目はCD化された「The_Ultimate_Collection」と類似しています。(このページ最後に試聴リンクあり)


I'm Still Here
アーサー・キットは執筆にもたけて、3冊の自伝を出版して好評なんだそうです。
I'm Still HereI'm Still Here: Confessions of a Sex Kitten
時代が時代だけに想像を絶する赤貧の幼少期を回想した英語版の"I'm Still Here"はAmazon.comで覗いてみられます。

Sex Kitten has Gone. ... I miss you so much.
アーサー・キット 訃報
生涯セクシーなジャズ歌手として音楽界に君臨してきたアーサー・キットが2008年12月25日、娘に看取られて病院で亡くなりました。(結腸癌) 81歳で死亡する1ヶ月半前までPBSテレビの特別番組の収録をしていたそうで、その映像は2月に放映される予定だそうです。 つい2年前に元気なクリスマス番組の映像を見たばかりだったのでショックです。 その時は79歳という高齢にも関わらず"Rrrrrr"と猫声で登場しスカートのスリットからご自慢の足を出してセクシーに"Santa Baby"を歌いましたが、歌い終わったら自分で可笑しくなったのでしょうか笑い出してしまったのです。
Eartha Kitt - Santa Baby (2006) - YouTube


アーサー・キットが差別を受けた1960年代当時のアメリカでは人種偏見が強く、黒人と白人の同席はもとより、黒人と白人の結婚などもってのほかだったそうです。 黒人というだけでなく、黒人と白人との混血はよりいっそう蔑まされたそうで、外見は白人に見えて実は黒人の血が混じっているなどもっての他だったとか。 このことは映画「Imitation of Life(悲しみは空の彼方に)」でスーザン・コーナーが演じたサラ・ジェーンの例でも分かります。 アーサー・キットは白人と黒人とアメリカインディアンの混血だそうですが、アーサー・キットの他にも数年若いDella Reese(デラ・リース)などセクシーなアーティストにチェロキーインディアンの血が流れているアーティストが沢山いるそうです。 Audio-Visual Trivia内ではElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)、James Brown(ジェームス・ブラウン)、Cher(シェール)などがそうらしいです。 他にもJohnny Depp(ジョニー・デップ)やJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)やTina Turner(ティナ・ターナー)もそういった情報がありますし、チェロキーではありませんがジャズテナー奏者のIllinois Jacquet(イリノイ・ジャケ)にはSioux(イリノイ州の先住民族であるスー族)の血が流れているそうです。
※黒人インディアンについて
16世紀から始まった奴隷の強制連行により、1502年に初めて西アフリカから黒人が奴隷としてカリブ諸島に連れてこられました。 アメリカではノースカロライナの奴隷たちのように奥地に逃亡してアメリカ・インディアンのチェロキーに匿われた人々がいたのだそうです。


Eartha Kitt - Beale Street Blues - Platinum & Gold Collection - Rádio UOL


Gwyneth Paltrow plays Peggy Lee in Infamous
Gwyneth Paltrow as Peggy Lee in Infamous
Infamous(2006年)

グウィネス・パルトロウがペギー・リー!
"悪名高き男"という意味の映画「Infamous(インファマス)」が撮影を開始した当時はGwyneth Paltrow(グウィネス・パルトロウ)がペギー・リーを演じるということで早く公開されないかなとメイキングから追っかけていた私でした、なかなか進展せずにその間に映画の題名が3度も変更になったほどです。(かなり話題になったパルトロウがペギーリーというのは今思うと前宣伝だったのかも。あるいは著作権の問題でもありか。) 2005年2月からずっと製作中という状態だった映画「Infamous(aka Have You Heard? / Every Word Is True)は俳優でもあるDouglas McGrath(ダグラス・マクグラス)監督のWarner Independent Pictures(ワーナー・インディ映画)です。 1961年にAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)が主演したBreakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)の原作者であるTruman Capote(トルーマン・カポーティ)の伝記映画ですが、撮影予定がどんどん延びてタイトルも何度も変わりました。 Bennett Miller(ベネット・ミラー)監督が同じテーマでオスカー受賞の噂も高い作品を早撮りしたことを聞いてダグラス・マクグラス監督は模倣作品とみなされないように手直しをしたのかもしれません。 先に公開された2005年のCapote(カポーティ)と比べるとどこがどう違うのか興味のあるところでしょう。 下記にPhilip Seymour Hoffman(フィリップ・シーモア・ホフマン)がカポーテを演じたベネット・ミラー監督の作品についても述べています。
製作中の仮タイトルは「Every Word Is Tru」→「Have You Heard」?→「Infamous」(悪名という意味)となりました。
「Infamous」の写真がたくさん見られるイタリアのInfamous - Una pessima reputazione Photos - FILM.TV.IT
「Infamous」はGeorge Plimpton(ジョージ・プリンプトン)が15年程前に書いた作家でセレブで道楽者だったカポーティの伝記物語「Truman Capote(トルーマン・カポーティ)」を元に映画化されています。

アメリカでは2006年の10月に公開の「Infamous」の予告編ではグウィネス・パルトロウが演じるペギー・リーじゃなくて歌手のKitty Dean(キティ)もチラリと見られます。
Infamous Trailer - YouTube
Infamousの登場人物の写真が見られるInfamous Photos - lecinema.ca

Daniel Craig
Toby Jones and Daniel Craig in Infamousカポーティ役は2004年にLadies in Lavender(ラヴェンダーの咲く庭で)に父親のFreddie Jones(フレディ・ジョーンズ)と共に出演しHedley(ヘドリー)役で日本で映画デビューをしたイギリス俳優のToby Jones( トビー・ジョーンズ)、カポーティの親友で作家のNelle Harper Lee(ハーパー・リー)役にSandra Bullock(サンドラ・ブロック)です。(この頃にハーパー・リーは"To Kill a Mockingbird(マネシツグミを殺すために)"を発表したばかりだったとか。)
そして「ブルーベルベット」でセクシーなヒロインを演じたイザベラ・ロッセリーニがGloria Guinness(グロリア)役で出演している他にもSigourney Weaver(シガーニー・ウィーヴァー)や監督でもあるPeter Bogdanovich(ピーター・ボグダノヴィッチ)等がカポーティの友人役で出演という豪華キャストです。 ダニエル・クレイグのファンとカポーティのゲイ生活と人としての愛を描いた映画「Infamous」の呼び物はなんと父親のフレディ・ジョーンズ同様に風変わりな役を演じるトビー・ジョーンズのカポーティとDaniel Craig(ダニエル・クレイグ)が演じる一家4人殺し犯のPerry Smith(ペリー・スミス)との男同士のキスシーンだそうです。  2001年にLara Croft: Tomb Raider(トゥームレイダー)に出演した英国俳優のダニエル・クレイグは2006年にSF白黒アニメのRenaissance(ルネッサンス)でBarthélémy Karas(バーテレミー・カラス)の声を担当した後、年末に公開されるCasino Royale(007/カジノ・ロワイヤル)でJames Bond(ジェームス・ボンド)を演じるそうです。 007の前に"チュー"? そうなんです。 ダニエル・クレイグとしてはジェームス・ボンドの予測不可能なキャラクターにゲイ風味も加味したい意向なんだそうです。

作家のトルーマン・カポーティは1959年にカンザス州で実際に起きた押し込み強盗転じてショットガン殺人となった猟奇な事件に興味を持ちそれを小説にしようと一家を惨殺した犯人のプロファイルを作成します。 犯人のディックと違っておいそれとは取材に応じなかったもう一人の犯人のペリー・スミスに同病相哀れんだのかある種の愛情を感じたカポーティでしたが、敏腕弁護士を雇ってペリーを無罪にしようとしたことは世間の反感を買いました。 犯人は絞首台で処刑され、カポーティが執筆していた本「In Cold Blood(冷血)」は完成します。 それによりカポーティは名声を手にしましたが愛を失いました。 それ以降カポーティは書く気力を失っていったそうです。
※カポーティが一家銃殺事件の取材中には死刑が確定した犯人のPerry SmithDick Hickock(ペリー)と奇妙な関係を持ったことを案じてペギー・リーが説得したとかいう逸話があります。 とはいうものの、ペギー・リーの自伝にはカポーティについての記述は全く無いそうですからペギー・リーのファンにはこの点に異論があるとか。 パルトローが演じた歌手の名前がペギー・リーではなくてキティになった所以なのかも。
☆カポーティーの謎に迫るNew Heroes in 20th century - トルーマン・カポーティ
一家惨殺犯人の実際のRichard HickockとPerry Smithの写真が見られるPerry Smith Photos - The book that changed a town (2005)- LJWorld.com(写真の下のSee slide show »(Gallery)をクリックすると別窓で家族の墓などの事件に関連した写真もある→左上のBack to galleryをクリックしてスクロールダウン)

話題だったGwyneth Paltrow(グウィネス・パルトロウ又はグイネス・パルトロー)がジャズ歌手のペギー・リー役というのは映画が公開されたらKitty Dean(キティ)という役名だったので「いったいどうなってるの?」という声も上がったようです。 グイネス・パルトローは伝説のジャズ歌手"ペギー・リー"役を熱望していたので最低額の出演料を申し出たそうですが、それでもなんと!噂では、映画の最初の方でペギー・リーの定番曲であったCole Porter(コール・ポーター)作曲の「This Thing Called Love(What Is This Thing Called Love?」を歌う1分ちょっとがおよそ4億円という高額ギャラだそうです。(もっとも昨今のハリウッドでは1本が30億とか40億という出演料を稼ぐ映画スターが多い) グイネス・パルトローはカメオ出演にしては破格ですね。 いや、公開された時点ではカメオではなくて役名がクレジットされています。 いや、歌の途中で情緒不安に陥るキティのシーンは映画のストーリーとしては何の脈絡も説明も無いからやはりカメオなのかも。 1959年と設定されたシーン、カポーティが出向いた洒落たクラブで歌うキティのこの苦悩の表情を"時には女性と間違えられるほど奇異な風貌のカポーティが直面するゲイ問題"の前振りであると見る向きもあるようです。
グウィネス・パルトロウは1995年にSe7en(セブン)でBrad Pitt(ブラッド・ピット)と共演して一躍脚光を浴びたLA出身のお嬢さま女優ですが、1998年にはShakespeare in Love(恋におちたシェイクスピア又は恋に落ちたシェークスピア)でアカデミー主演女優賞を受賞するようになります。
☆おまけ☆ 2001年に米ファッション雑誌「Harper's Bazzar」に載った問題のグウィネス・パルトロウのヌード写真は当初見ましたがすぐに削除されたのでかろうじて見られるかものGwyneth Paltrow Photos - Actor Profile
グウィネス・パルトロウの写真集はファンサイトのGwyneth Paltrow Photos - planethelium.com(2001年のザ・ロイヤル・テネンバウムズでの入浴シーンから赤ちゃんやパパラッチ・スクープ写真まで)と123celebs.net(グウィネス・パルトロウのヌードはありません)
☆「恋におちたシェイクスピア」のポスターはIMP Awards : 1998 Poster Gallery - Shakespeare in Love


アメリカで発売の「Infamous」DVD
Infamous DVDInfamous
日本では" リージョン1"の輸入版のDVDしか見つかりません。


Infamous Soundtrack
Infamous Soundtrack
2000年の「Chocolat (ショコラ)」の映画音楽でも有名なRachel Portman(レイチェル・ポートマン)が音楽を担当した「Infamous」のサウンドトラックには、呼び物だったグウィネス・パルトロウが歌う"What Is This Thing Called Love"をトップにSarah Vaughan(サラ・ヴォーン)のBroken Hearted Melody、Dusty Springfield(ダスティ・スプリングフィールド)のYesterday When I Was Youngの他、死刑囚のペリーを演じたDaniel Craig(ダニエル・クレイグ)がギターの弾き語りで聞かせた魅惑の"There's a Goldmine in the Sky"などが収録されています。
Gwyneth Paltrow in Infamous - YouTube

今や絶版! 入荷待ちの単行本
Truman Capote by Plimptonトルーマン・カポーティ

Capote(カポーティ)(2005)
奇妙なことに同じ題材の映画が制作されました。 アメリカでは高い評価を受けているベネット・ミラー監督の36日間早撮り映画、社会派サスペンスのCapote(カポーティ)(2005年)の方が「Have You Heard?」より早い2005年9月30日のカポーティの誕生日に一部限定で公開されるそうですが日本公開は2006年秋の予定。 こちら「カポーティ」ではペギー・リーはお呼びではありません。 カポーティ役がフィリップ・シーモア・ホフマンでハーパー・リー役はCatherine Keener(キャサリン・キーナー)です。
☆Capoteのトレーラーはsonyclassics.com
追記: 2006年1月9日に全米映画批評家協会賞の最優秀作品賞を受賞決定、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンはロサンゼルス映画批評家賞や全米映画俳優組合賞(SAG)の主演男優賞、全米映画批評家協会賞やナショナル・ボード・オブ・レビュー賞の最優秀男優賞確定!
☆アメリカでは2006年発売のDVDは「Capote (2005)」

イタリアの有名宝飾店「Damiani(ダミアーニ)」のイメージモデルはBrad Pitt(ブラッド・ピット)とJennifer Aniston(ジェニファー・アニストン)夫妻でしたが、2005年の春からグウィネス・パルトロウになります。 グウィネス・パルトロウは1995年の「Se7en(セブン)」でブラッド・ピットと共演した頃に交際していたとか。 ジェニファー・アニストンと別れたブラビはAngelina Jolie(アンジェリーナ・ジョリー)と結婚してBrangelina(ブラッジョリーナ)になります。
DAMIANI(DAMIANIをクリックしてenglishをクリックすると今ならグウィネス・パルトロウが見られますが、もし見られなればメニューからCommunication>History of the communication>2004/2006 - Gwyneth Paltrow>1から4)


Audio-Visual Trivia内のグウィネス・パルトロウの出演映画
2003年のシルヴィア
1999年のリプリー

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