三人の死刑囚  Sing Sing Nights (1934)

Sing Sing Nights [Paperback] (ISBN-10: 1605434965) – Amazon.com
singsing_top.jpgSing Sing Nights by Harry Stephen Keeler

シンシン夜一夜物語 1934年
アラビアンナイト風の刑務所ミステリー映画「Sing Sing Nights (aka Reprieved)」はアメリカにあるSing Sing Correctional Facility(シンシン刑務所)を舞台に殺人容疑で収監された男たちの告白話だそうです。 日本ではこの「三人の死刑囚」が映画監督デビューのLewis D. Collins(ルイス・D・コリンズ)がミステリ作家のHarry Stephen Keeler(ハリー・スティーヴン・キーラー)の小説をもとに映画化したものだそうです。
アラビアンナイト風と思ったのはアラビアンナイトの一話に最初に殺した男と死体と気づかずに自分が殺したと思い込んだ男たちの話の「The Little Hunchback(せむし男の物語)」にちょっと似ているからです。

「三人の死刑囚」又は「シンシン夜一夜物語」は殺人犯として逮捕された3人の男達が明朝電気椅子で処刑される前の晩のお話です。 3人のうち一人は無罪のハズなのに3人が3人とも自分が犯人だと自白したのです。 困惑した知事は部下に二枚の白紙特赦状を持たせ刑務所に送りこみ、嘘発見機も使用して、真犯人を探ろうというシュールなストーリーです。 そこで、恩赦をかけた3人の死刑囚それぞれの殺人の動機が語られるワケです。 作家協会の会長殺人事件の容疑者の3人とはイギリス人の思想家、ロシア人の舞台脚本家、アメリカ人の推理作家です。阿漕な会長が殺された当夜、銃を持った3人が現場にいたのですが、会長の死体に残された弾丸は2個・・・よって3人のうち一人は撃っていないことになります。 3人とも動機があり自分でも撃った弾が当たったかも分からない状態でしたから自白したのでした。そこで3人が三人三様の物語を作って看守に聞かせることになります。 ひとつの事件について三人がそれぞれ違った観点で語るのは黒澤監督の「羅生門」がありましたが、One Night at McCool’s (ジュエルに気をつけろ!)なんてのもそれに通ずるところありでしょうか。

「三人の死刑囚」のあらすじ
下記のあらすじには驚くべき結末が書かれていますからこれからビデオをご覧になる方は読まない方が楽しめます。
映画の冒頭は闇夜を記者が殺された事件現場に急行する警察の車シーン。 現場は新しい任務を祝っていた被害者宅の部屋。 新聞記者たちが事件をそれぞれの自分の新聞社に報告している。
殺されたのはConway Tearle(コンウェイ・タール)が演じるFloyd Cooper(フロイド・クーパー)という特派員。(ただし原作ではHoward Creynell(ハワード・クレイネル)というニューヨーク作家芸術家協会会長となっている)

某年6月11日の夜に著名な従軍記者であるクーパー氏の死体が見つかったが身体にはなんと3発の銃弾が発見された。(原作では2発) そして不思議なことに3発の銃弾はそれぞれ別の銃で発射されていたのだ。 容疑者となったのは国籍の違う3人の男たちだったが全員が黙して語らず。 逮捕されて自分が撃ったと主張して殺人罪で死刑判決を受けることになる。 疑問に思った知事の要請で犯罪学者が最初にクーパーを撃った人間、つまり実の殺人犯の解明に乗り出すことにする。 残る二人は死体に発砲したのであるからこの事件では死刑に値しないはず。

さてクーパー殺人事件の第一容疑者はクーパーを撃った拳銃を手に出頭したニューヨーク・プレスの記者だという若いHoward Trude(ハワード)。 原作では理想主義者でイギリス人作家のEastwood(イーストウッド)となっている。
第二容疑者はイギリス人で南アメリカの農園主でちょっと額が抜け上った口ヒゲのRobert McCaigh(ロバート・マッカイ)だが、原作では新聞が鉄の男(アイアンマン)とあだ名を付けたアメリカ人ミステリー作家のマッケイとなっている。
第三容疑者はでインテリ風で背が高く痩せて口ヒゲをはやしたSergei Krenwicz(セルゲイ・クレンウィック)。(原作ではロシア人戯曲作家のクレンヴィッツ)
3人全員が述べた殺人の動機は愛する女性をクーパーに取られた恨みが原因だと新聞の第一面を飾った事件だが、なぜか黙して語らぬ3人の男たちは有罪宣告を受けてしまう。 ところがこれら3人の死刑囚の処刑日を前に無駄に3人を処刑することはないと討議するニューヨーク州知事や司法長官や学者を含む4人のお偉方。 本当の犯人を見分けるために呼ばれたのが犯罪学者のバーニー教授。 年は60歳くらいの白髪まじりの小男で会議中に切り紙細工に勤しんでいるご仁。(原作では日本人の召使いを持つ蛾の研究家アロイシャス・シルヴェスター教授が登場する)

さて、ようやく場面はシンシン刑務所内。
白いシャツを着た品の良い3人の男が収監されている雑居房の前に一人の看守が座る。(原作では死刑囚は青いホームスパンの囚人服で、アイルランド南部のコーク州出身の赤毛のオールバックの看守は処刑前夜の死刑囚の監視と処刑の執行を観察するとある) 死刑が執行される明け方まで後9時間、処刑は今は絞首刑じゃなくてモダンな2200ボルトの電気椅子。
なんと看守が房に歩いて来るBGMはSaint Louis Blues(セントルイス・ブルース)、流れていた音楽はロバート・マッカイが蓄音機でレコードを聴いていたものだった。 なぜ”セントルイス・ブルース”かは下記のサウンドトラックで説明) このロバートは差し入れのスコッチウィスキーを飲みハワードにも勧める。 次にSergei Krenwicz(セルゲイ・クレンウィク又はクリンベット)にも勧め共に乾杯。 そのセルゲイはタバコの火を看守に借りる。 寛大なニューヨークの刑務所は死刑囚でも紳士として扱うことに感謝。 セルゲイが口を切る、「諸君、まさにその時に知事の介入があると期待するかね?」 看守は「皆さんは紳士だから私もそう願いたいがなにしろもうじき夜が明けるんだから儚い希望は抱かないで。」と言う。
そこに人の話し声がしてセルゲイが言ったように知事の補佐官と教授が訪ねてくる。(原作では知事自らお出ましになり3人のうち1人だけに恩赦を与えるので相談せよと言う) 死刑囚が処刑される前に赦免する権限を持つ知事は3人と個別に話したいと言う。 この人の中で誰が最初にクーパーを撃ったのかと教授は嘘発見期のような録音装置を持ち込んできて調査する。(原作では3人の話を看守が聴いて最もそれらしい人物を選ぶとなっている) それまではそれぞれが自分がクーパーを殺したと思い込んでいたがこれ如何で自由の身になれるか電気椅子送りかが決まると知った。 そこでそれぞれがクーパーと出会った経路や女を奪われて恨む動機を話すことに。

心が動揺すると針が動く嘘発見機。
先ずは陸軍時代は軍曹だったというイギリス人のヒゲのロバート・マッカイが告白する。 南米でアメリカ人の妻と珈琲プランテーションを経営していたというロバートの回想。
オウム(インコ?)のいるのどかな庭園、だが夫婦はお茶を飲みながら話しているうちに来年の予定が食い違ってきて諍いとなる。 そこに銃声が聞こえて、騎馬隊に追われたクーパーが塀を乗り越えて庭に入ってくる。 ロバートは特派員だというクーパーの左腕に傷を見つけて手当を施し何日か泊まるように勧める。 クーパーはロバートの妻のアンに色目を使い、来年はアメリカに帰りたいと言っていたアンは悪い気はしない素振り。(クーパーの女ったらし奴め!) クーパーから郵便局に行く用を頼まれたロバートはアンとクーパーを残して出かける。 「もしものことがあったら、その時は君を撃つよ。」と冗談を言って。
そのロバートが家に戻るとアンとクーパーが船で逃げたと召使いに告げられた。 だからニューヨークに追いかけて行き本気でクーパーを撃ったと告白。

次は背の高い口ヒゲのセルゲイ(原作ではロシア人)
クーパーとは上海で初めて会ったというセルゲイは軍隊時代に軍人が行き交う満州で中国人のLi Sung(リー又はシン)と恋に落ちた。(ローマの休日の上海バージョン) チャン(Qing 清朝皇帝?)皇帝の前に怪しい輩としてクーパーが連行されてきた時、クーパーはセルゲイを知っていると言い、リーもアメリカ留学時代にレクチャーを受けたので知っていると証言したのでクーパーは放免。 親切にもセルゲイはクーパーに手持ちの金まで差し出す。
美女のリーはクーパーに気がある様子。 クーパーが町のレストランの窓越しに中国人に合図したところに西洋風の身なりに着飾ったリーが声をかける。 クーパーはリーとお昼を一緒にする約束をしていたのでその中国人の店にリーを案内する。 クーパーの合図で中国人は小さな宝石箱を袖に忍ばせて屏風越しにクーパーに手渡す。 クーパーがそれをお土産にとリーに渡そうとしている最中に中国軍兵士が店に入ってきた。 高価な品だからと躊躇うリーのバッグにあわてて宝石箱を押し込むとクーパーは中国軍人の列の前を何食わぬ顔で通り過ぎてリーを力車に乗せる。 家に戻ったリーがクーパーは悪い噂があるからと交際をしないようにとセルゲイに強く戒められている所にチャン皇帝の予期せぬ訪問を受ける。 皇帝がリーのバッグを開けるとクーパーから貰った宝石箱を出して敵と通じていると激怒する。 「それはクーパーがくれたのよ。」と言ったリーは連行され銃殺刑に処される。 リーは中国のマタハリか。 セルゲイは愛するリーをこのような目に遭わせたクーパーを満州からニューヨークまで追いかけて行き射殺したと告白。
原作では日本の大屏風も登場するように、原作者キーナーの東洋趣味が垣間見られるドラの音入りの上海場面です。

最後は3人の中で一番若いアメリカ人のHoward Trude(ハワードは原作では英国人のイーストウッドとなっています) 新聞記者のハワードは有名な投資家であるKurt Nordon(ノードン)の秘書でフィアンセのEllen Croft(エレン)と婚約中。 二人で楽しいボート遊びを終えて岸に付くとエレンに欄の花の届け物があった。 そこに現れたのがクーパー、なにやらクーパーとエレンの間に何かあったらしい。 怪訝に思うハワードにエレンはなんでもないという素振りで花束を水面に投げやる。 ところが次のシーンでは同じ欄の花束を手にしたエレンとクーパーが話している。 クーパーがエレンを口説いていると投資家のノードン氏が現れる。 ゴルフをしながらクーパーはノードンと投資の話をまとめる。 この後でクーパーがエレンを口説いているところにハワードが帰ってくる。 誤解したか正解か怒るハワードの元を去ったエレンは「任務のため貴方のような秘書が必要なのだ。」というクーパーに付いていくことに。 その後の新聞にクーパーがバルカン和平委員だかに任命された記事が載った。 事件が起こったその祝賀会のパーティにハワードがやって来る。「エレンはどこだ?」とクーパーに詰め寄るハワード。騙されたと知ったハワードはベランダから忍び込み椅子に座っていたクーパーを撃った後その銃を手にして自首したと告白。
ちなみにバルカンとはヨーロッパ東南部のことで。第一次世界大戦勃発の原因は多民族国家の多いバルカン半島の民族紛争に始まったとされる。

さてさて、これで3人とも自分がクーパーを撃ったと告白した次第。 しかしクーパーを殺したのは最初の一発であり、後の二発は死体に撃っただけ。 つまり最初に撃った人物が犯人ということになる。 教授がもったいをつけるようにして結果を書類にしたためている間じゅう生唾を飲むがごとく不安な面持ちの3人。 教授は最後のハワード以外の二人に結果を手渡す。 すると、クーパーには上海で会ったというセルゲイが「名前が違うじゃないか!間違いだ。」と抗議する。 しかし教授は君は最初から最後まで嘘をついていると断言。 その証拠にと要所要所の録音を聴かせて説明する。「リーなんて中国女は存在しなかったのだ。(原作では彩色兼備の皇帝の娘が登場する) クーパーとの仕事の分け前を奪おうとした君(セルゲイ)がクーパーを撃って椅子に座らせた後にハワード?がベランダから入ってきた。 君(セルゲイ)はあたかもクーパーが生きているように椅子の後ろからクーパーの銃を持った手を持ち上げたのでハワードはクーパーを撃ったのだと教授。 そのハワードが出ていった後にロバート・マッカイが入ってきたのでセルゲイはハワードの時と同様にクーパーの腕を持ち上げるトリックを使ったのだった。
これで無罪放免となったハワードとロバートに教授は1枚の紙を折り畳んで作った切り紙細工の女性を切り分けてエレンとアンのつもりで一人づつプレゼントしたのでした。 めでたし、めでたし。

Conway Tearle (1878 – 1938)
殺された女たらしのフロイド・クーパーを演じたコンウェイ・タールは実生活でも銀幕の女優たちと浮き名を流すほどハンサムなサイレント映画時代の脇役スターでした。 Mary Pickford(メアリー・ピックフォード)が主演した1918年のサイレント映画「Stella Maris(闇に住む女)」で二人の美女から愛されるジョン役がメジャーデビューでした。 『三人の死刑囚』の後には1936年にMae West(メエ・ウェスト)が主演してRaoul Walsh(ラオール・ウォルシュ)が監督したコメディ「Klondike Annie(美しき野獣)」でヒロインに片思いするヴァンス・パーマーを演じていますが、この後60歳で亡くなりました。
Ferdinand Gottschalk (1858 – 1944)
教授を演じたのはイギリス俳優のフェルディナンド・ゴティスチョークで、1923年にGloria Swanson(グロリア・スワンソン)が主演したAllan Dwan(アラン・ドワン)監督のロマンス映画「Zaza(舞姫ザザ)」にブリサック公爵役で出演しました。
Edward Keane (1924 – 2010)
チャン皇帝を演じたのはエドワード・キーンで俳優というよりもテーマソングの作曲や子供番組「The Howdy Doody Show」などTV番組製作などを手掛けた初期テレビ界の大立て者らしい。 日本で唯一有名な映画は東千代之介夫人で女優の千之赫子が主演した1958年の「蟻の街のマリア」です。 五所平之助が監督した映画ではゼノ神父を演じましたが85歳で亡くなっていますがマリアを演じた清楚な千之赫子は持病のため51歳で亡くなってしまいました。
Lotus Long (1909 – 1990)
クーパーがでっち上げた中国美人のリーを演じたのはハリウッド映画でアジア人を演じていたハワイアンと日本人との間に生まれたロータス・ロングでした。 終戦直後Lew Landers(ルー・ランダース)が監督した1946年の「Tokyo Rose」では太平洋戦争で日本軍が連合国側向けたプロパガンダ放送の日系人女性アナウンサー(米軍がつけたニックネームが東京ローズ)を演じました。

Monogram Pictures Corporation
三人の死刑囚が語る”シンシン夜一夜物語”は映画モノグラム・ピクチャーズ製作のミステリー映画ですが、1961年にLittle Rascals; Our Gang(ちびっこギャング)を制作したモノグラム・ピクチャーズは1920~1930年代のSF映画やB級(添え物用)犯罪映画専門のアメリカの独立系映画会社です。 ヌーヴェル・ヴァーグのJean-Luc Godard(ジャン・リュック・ゴダール)監督が「勝手にしやがれ」においてオマージュを捧げたともいわれています。 Doris Day(ドリス・デイ)のLove Me or Leave Me(情欲の悪魔)で歌手と恋に落ちるミュージシャン役を演じたCameron Mitchell(キャメロン・ミッチェル)も出演する1951年のFlight to Mars(火星超特急)などがあります 。 ルイス・D・コリンズ監督はこの作品の他にはRod Cameron(ロッド・キャメロン)が主演した1944年のTrigger Trail(火を吐く拳銃)などの西部劇を何本か監督しています。
※モノグラム・ピクチャーズの作品リストはMonogram Pictures Corporation – IMDb

Sing Sing Nights DVD
Classic Film Mysteries, Vol. 4 (inc. Sing Sing Nights)
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上記のDVD画像はクラシック・ミステリー映画のAll Regions DVDで、「Sing Sing Nights(三人の死刑囚)」の他に1946年の「Dressed to Kill(シャーロック・ホームズの殺しのドレス)」、Boris Karloff(ボリス・カーロフ)が中国人探偵を演じた1940年の「The Fatal Hour」、Arthur Lubin(アーサー・ルービン)が監督した1935年の「Great God Gold」の4作品を収録しています。

SING SING NIGHTS (1935) DVD
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上記はAmazon.co.jpで販売されているAll Regions(リージョンフリー)の白黒DVD(上映時間は60分ほど)ですが現在は入手困難となっています。

Sing Sing Nights TPB (Paperback) by Harry Stephen Keeler
ページトップの画像はアメリカのAmazon.comで販売している原語版のハリー・スティーヴン・キーラー著「Sing Sing Nights」ですが、日本でもSing Sing Nights (英語) ペーパーバックが入手可能です。(トップのリンク先で中身が覗けます) TPBとは”trade paperback”の略でmass-market paperback(11×18cm)より大型(trade)のペーパーバック書籍で、紙質は良質ですがハードカバーよりは安価な本だそうです。
日本で入手可能な書籍では2012年販売Kindle版の「Sing Sing Nights (Prologue Crime) (English Edition)」(ASIN: B007ZT1JRM)や、中身が覗ける2017年発売のSing Sing Nights(ISBN-10: 1479425060)があります。

Sing Sing Nights Soundtrack by W. C. Handy
William Christopher Handy (1873 – 1958)
前述の”St. Louis Blues”ですが、映画の最初の方で刑務所に入れられた3人の死刑囚が収監されている房に看守が入って来るシーンで流れる曲は紛れもなく有名なW.C. Handy(W.C.ハンディ)が作曲したブルース曲です。 アメリカ南部アラバマ州出身のWCハンディは本来はクラシック畑の音楽家だったそうですがブルースに魅せられて、1912年に”Memphis Blues(メンフィス・ブルース)”ブルースの楽譜を出版して広めたことからブルースの父と呼ばれたそうです。 この後にSt. Louis Blues、Beale Street Blues、Yellow Dog Blues、Joe Turner Bluesなどを発表しました。 そのW.C.ハンディが「三人の死刑囚」の音楽をクレジットなしで担当し、1914年に発表したSt. Louis Bluesを使用したようです。 ちなみに1928年から1943年の戦争映画「Bataan」までの多くの映画ではクレジットなしでSt. Louis Bluesが使用されています。
ところで、WCハンディが感銘を受けたミシシッピ・デルタのブルースマン(カントリー・ブルース)で、ナイフでスライドさせてギターを弾いたブルースマンはいったい誰だったのでしょう。 もちろん違いますが、Blind Lemon Jefferson(ブラインド・レモン・ジェファーソン)はテキサス・スライドですがやはりカントリー・ブルースだそうですね。

St. Louis Bluesは1925年にBessie Smith(ベッシー・スミス)、1929年にLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)の歌で有名になりましたがそれに先駆けてなんと女性歌手が歌っていたのです。
Marion Harris (1896 – 1944)
1920年代に活動した白人女性歌手のマリオン・ハリスが歌っています。 ビクターがWCハンディ作曲のSt. Louis Bluesを吹き込むことを拒否したのでコロンビア・レコードで録音したそうです。
Marion Harris – St.Louis Blues (1920) – YouTube
Paul Robeson (1898 – 1976)
1936年の「Show Boat(ショウボート)」で”Ol’ Man River(オールマン・リヴァー)”を歌って有名になったポール・ロブスンは俳優でありバスバリトンのオペラ歌手だっただけでなく公民権活動家でもありました。
ロンドンで活動していた時期のポール・ロブスンが1934年に吹き込んだSt. Louis Bluesがアルバム「The Essential Paul Robeson」(ASIN: B00005B15R)に収録されています。
Paul Robeson – St. Louis Blues – YouTube

Sing Sing Nights by Harry Stephen Keeler
アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)風の「Sing Sing Nights」は原作がミステリー作家のHarry Stephen Keeler(ハリー・スティーヴン・キーラー)のもっとも有名な作品で、翻訳があまり出ていないからキーラー・マニアという言葉があるらしいです。 話がどんどん脇筋にそれていって物語が迷路にさまよいこみ、ワケがわからなくなるっていう特徴があるという小説それ自体がミステリーですね。
☆英語のサイトですがですがキーラー原作のSing Sing Nightsの第一章が読めるSing Sing Nights Book – Ramblehouse.com(英語のサイト)
原作本の表紙画像も見られるHarry Stephen Keeler Page – Sing Sing Nights (Chapter 1 – Gentlemen Three) – Ramblehouse.com

☆アメリカのAmazon.comで見つかるHarry Stephen Keeler原作のハードカバー版「Sing Sing Nights」(ASIN: B00085T6ES)は中身が覗けます。

キーラーはエキゾチック趣味があるらしく、The Box From Japan(1932)、とかThe Mysterious Ivory Ball Of Wong Shing(1957年)の中華風の話などがあります。 いづれもサイトで第1章が読めます。(英語)

Keeler Stickerキーラー・マニアのためのキーラーグッズのオンラインショップHarry Stephen Keeler Society Store – cafepress.com
ではキーラー・ステッカーやキーラーTシャツを売っています。 欲しい?
ハリー・スティーヴン・キーラーは40冊以上の本を出していますが、かなりの数が入手不可です。 それでは、「キーラー」サイトへLet’s Go!(英語)

20,000 Years in Sing Sing
「三人の死刑囚」の他にシンシン刑務所にちなんだ映画にはシンシン刑務所の看守の囚人更正記録を元に1932年に映画化された「20,000 Years in Sing Sing(春なき二万年)」というのがあります。 当時は滅多にないことでしたが、粋な看守の計らいで実際のシンシン刑務所内で本物の囚人の撮影も行われたそうです。 ハンガリア出身のMichael Curtiz(マイケル・カーティス)の監督により、若き日のSpencer Tracy(スペンサー・トレイシー)とBette Davis(ベティ・デイヴィス)が主演したメロドラマとなりました。 なんとも運の悪いことに、服役するもせっかく更生しかけていた男が看守との約束を守るため最後には自ら望んで電気椅子にかけられてしまうという「走れメロス」みたいな話です。 マイケル・カーティスといえば、1945年のMildred Pierce(ミルドレッド・ピアース)や、1954年にビング・クロスビーが出演したWhite Christmas(ホワイト・クリスマス)、1958年にElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)が出演したKing Creole(闇に響く声)の監督として知られています。
「春なき二万年」に出演したスペンサー・トレイシーはKatharine Hepburn(キャサリン・ヘプバーン)との恋が有名で、1941年のDr. Jekyll and Mr. Hyde(ジキル博士とハイド氏)と1958年のThe Old Man and the Sea(老人と海)が印象的でした。

Sing Sing Correctional Facility
Sing Sing(シン・シン)とは「Sent up the river(囚人を刑務所へ収監する)」という熟語があるように、ニューヨーク市北東のHudson川上流にあるSing Sing Correctional Facility(ニューヨーク州立シンシン刑務所)で1953年に米ソ冷戦時代に起きたスパイのローゼンバーグ事件でオールド・スパーキー(電気椅子)処刑されたことでも知られています。 実際にいた殺人鬼カップル(レイモンドとマーサ)の”ロンリー・ハーツ・キラー事件”を映画化した作品には1970年の「The Honeymoon Killers(ハネムーン・キラーズ)」や2006年の「Lonely Hearts(ロンリーハート)」などあります。 最近ではシンシン刑務所が1972年のラテン・ジャズバンド”Eddie Palmieri(エディー・パルミエリ”)の慰問ライヴで有名になっているそうです。

1979年にClint Eastwood(クリント・イーストウッド)が主演した「Escape from Alcatraz(アルカトラズ)からの脱出」や、1994年にKevin Bacon(ケビン・ベーコン)主演した「Murder In The First(告発)」で取り上げられたサンフランシスコ湾のAlcatraz(アルカトラズ連邦刑務所、別名ザ・ロック)は現在は閉鎖されていますが、このシンシン刑務所は今でもまだ2千人ほどが収監されていそうです。 私が知りえた情報では1968年のミュージカル・コメディ映画「Funny Girl(ファニー・ガール)」で描かれている喜劇女優Fanny Brice(ファニー・ブライス)の夫となったギャンブラーのニック(Nicky Arnstein)が実際にこのシンシン刑務所に詐欺罪で送られたことがあったそうですが、有名なのは1927年に不倫の果てに夫を保険金殺人で亡き者にして電気椅子処刑されたルース・スナイダーで、カメラマンの隠し撮りでその時の写真が発表されました。その他に知られているのは第二次世界大戦後の冷戦中の1950年には原爆製造などの機密情報をソ連に売った容疑で電気椅子処刑されたローゼンバーグ夫妻が有罪となりましたがサルトルやコクトーやピカソまでがその冤罪を訴えたことが有名です。
ちなみにシンシン刑務所に収監された犯罪者を扱った映画には刑務所時代にイタリアマフィアと接触して自身がコーザ・ノストラの幹部となるも組織を曝露して獄死した男(チャールズ・ブロンソン)を描いた映画には1972年の「Valachi: Cosa Nostra(バラキ)」があります。

☆「三人の死刑囚」をこじつけでアラビアンナイトなんて記述しましたが、本物の「千夜一夜物語」についてはAudio-Visual Trivia内の千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)