チャーリー・パーカー Charlie Parker

Lover Man CD

Charlie “Bird” Parker (1920 – 1955)
ビ・バップ発祥の地と云われるニューヨークはハーレムのジャズクラブ「Minton’s Playhouse(ミントンズ・プレイハウス)」で1941年にDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)やKenny Clarke(ケニークラーク)などの前衛ジャズメンが即興演奏のジャズ、クールなビバップを誕生させました。 その中にチャーリー・パーカーもいたのです。 1943年頃にはまだ知られていなかったビバップは1949年には認められたのです。
一説にTiny “Mac” Grimes and the Rocking Highlandersとして40年代後期に”Loch Lomond“や”Ho ho ho“などのヒットを放ったことのあるギタリスト(4弦テナー)のTiny Grimes(タイニー・グライムス)とチャーリー・パーカーのセッションが初期のビバップだとか。
Tiny Grimes with Charlie Parker Quintet – Tiny’s Tempo – YouTube
その年の12月にニューヨークのブロードウェイ52丁目に花形のパーカーの名を冠したジャズ・クラブのBirdLand(バードランド)が誕生しました。
革新的なジャズの演奏スタイルのビバップは1940年代半ばから1950年代初めにかけてが全盛期だったようですが、日本でも1950年代から1960年代にかけてアメリカ同様にビバップとその後のハードバップ(モダンジャズ)が大流行し、音楽知識など全く無い私でしたが1961年にArt Blakey and Jazz Messengers(アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ)が来日したことでモダンジャズを身近に感じるようになりました。
ちなみにビバップを生み出したディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーのツーショット写真がカバー画像に使用されているモノラル・アルバムは二人のあだ名を冠した「Bird & Diz」(試聴可 バード・アンド・ディズ+3)
1953年にDebut Records(デビュー・レコード)からリリースしたアルバム「Jazz at Massey Hall The Quintet(ジャズ・アット・マッセイ・ホール)」で共演したジャズメンはチャーリー・パーカー(チャーリー・チャン名義)をはじめ、パーカーが”Birks(バークス)”と呼んだEarl Hines(アール・ハインズ)楽団時代の永遠のライバルであったディジー・ガレスピーやBud Powell(バド・パウエル)や、Max Roach(マックス・ローチ )やCharlie Mingus(チャーリー・ミンガス)のバップ5大プレーヤーだったそうです。 その後のパーカーの弟子ともいえるMiles Davis(マイルス・ディヴィス)やChet Baker(チェット・ベイカー)などにも代表されるいわゆる複雑で奇抜なジャズの演奏形態の一つであります。 不安定とも破壊的ともいえるほど危なげで、当時の言葉で言い表せばイカシタジャズがビバップのことでした。 それはいわばジャズ界のアウトロー。 ジャズに全く詳しくない私が一番好きな演奏スタイルは短期間で消え去ったこの破天荒なビバップです。 アルトサックスというとビバップならPhil Woods(フィル・ウッズ)もいますが、Benny Carter(ベニー・カーター)と共にスイング(スウィング)ジャズ時代の三大アルトサックス奏者と呼ばれたWillie Smith(ウィリー・スミス)やJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)のような情緒たっぷりでトロけるような演奏も良いです。 Lee Konitz(リー・コニッツ)やArt Pepper(アート・ ペッパー)と共にモダンジャズ(ハードバップ)の3大アルト・サックス奏者に入れられたチャーリー・パーカーはまた格別です。 音楽とは関係ないですが林芙美子の「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」なんて言葉が浮かんできます。 40年代後期から50年代にかけてのジャズはビッグバンドなどの編曲された楽譜通りの演奏から、この時期、小編成楽団で個々のプレーヤー独自のアドリブ(即興演奏)重視で自由裁量の演奏スタイルに変わったのです。 一定のリズムを刻むのでダンスに最適な心地良いスウィング音楽のファンにとってバップは耳障りともいえる奏法でしたが、ジャズ音楽のファンにとっては刺激的で素晴らしい大改革だったのです。 スウィングジャズのオーケストラ(楽団)に比べてパーカーやディジー・ガレスピーが1940年代に結成したビバップのコンボ(小編成楽団)ではピアノにサックスやトランペット、ベースやドラムのリズムセクションなどが多かったようですが、時にはギターやトロンボーンやバイオリンなどが追加されました。 私にとってスウィングは郷愁を、ビバップは青春を思い起こします。
ジャズの都と呼ばれたカンサス・シティ出身のCharles Parker, Jr.(チャーリー・パーカー)は1930年代の後期に音楽活動を始めた天才サキソフォン奏者でビバップの創始者といわれています。 とはいえチャーリー・パーカーが実際に評価を得たのは死後のことだったそうです。

Birdland
ニューヨークがシカゴから移動してきたジャズ・ミュージシャンで賑わった1940年代末に誕生したジャズクラブはレコード・レーベルのRoulette Records(ルーレット)やBirdland(バードランド)を含むたくさんのナイトクラブのオーナーだったMoishe Levy(モシェ・レヴィ)がバードのニックネームを付けたそうです。 その頃はパーカーの全盛期でもあり、他にもディジー・ガレスピー、Thelonious Monk(セロニアス・モンク)、マイルス・デイビス、John Coltrane(ジョン・コルトレーン)、バド・パウエル、Stan Getz(スタン・ゲッツ)、Lester Young(レスター・ヤング)、Erroll Garner(エロール・ガーナー)といった面々が毎夜演奏しており、顧客にはハリウッドの有名人だったGary Cooper(ゲーリー・クーパー)やMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)などが顔を出し、歌手ではFrank Sinatra(フランク・シナトラ)やSammy Davis Jr.(サミー・デービス・ジュニア)なども常連だったそうです。 ジョン・コルトレーンがアルバム「Live at Birdland」を録音したり、ラジオ放送が生放送されたりと毎晩ライヴ演奏が行われたバードランドの名を取った曲にはJoe Zawinul(ジョー・ザヴィヌル)が作曲した”Birdland”をはじめ、ラテンの”Mambo Birdland”、バードランドのビッグバンドだったBirdland Dream BandのトランペッターのMaynard Ferguson(メイナード・ファーガソン)の”Blue Birdland”などいくつか作られましたが、なかでも盲目のピアニストであるGeorge Shearing(ジョージ・シアリング)がバードランドのために1952年に作曲した”Lullaby of Birdland”という曲が有名です。
そのバードランドは閉店再開を重ねて今現在もマンハッタンで健在だそうです。
☆ジャズクラブ「バードランド」についてはチャーリー・パーカーとガレスピーやアート・ブレイキーやコルトレーンなどに加えクラブ専属の司会者だった小男のPee-Wee Marquette(ピー・ウィー・マーケット)についてはHot’n Coolのバードランドの名物司会者「ピー・ウィー・マーケット」

Charlie Chan
バド・パウエルのソロ・ピアノが素晴らしい”All The Things You Are”などを収録した953年のライヴ・アルバム「Jazz at Massey Hall The Quintet」でチャーリー・パーカーは契約上の問題によりアルト・サックス演奏者のCharlie Chan(チャーリー・チャン)と表記されジャケット写真も鮮明ではありませんでした。 なぜ中国名のチャーリー・チャンなのか。 オハイオ出身のアメリカ人の作家であるEarl Derr Biggers(アール・ディア・ビッガース)の小説に1920年代から1930年代の「チャーリー・チャン」シリーズがあり、ブレイクする前のRita Hayworth(リタ・ヘイワース)が出演した「Charlie Chan in Egypt(ピラミッドの殺人)」などの映画にもなりました。 その主人公の中国系アメリカ人の探偵がチャーリー・チャンだったそうです。 パーカーはこのモノグラム・ピクチャーズ映画のB級探偵映画を観たのでしょうか。 それとも内縁の妻のChan Parker(チャン・パーカー)の名前と合わせたのでしょうか。

Yardbird
チャーリー・パーカーは初期の頃にはYardbird(ヤードバード)、そして後にはBird(バード)と呼ばれていました。 一説によると”ヤードバード”という愛称は二十歳になったばかりのチャーリー・パーカーはT-Bone Walker(T・ボーン・ウォーカー)が在籍していたカンサス出身のジャンプ・ブルースのピアニストでありダンスホール専属バンドのJay McShann Orchestra(ジェイ・マクシャン)の楽団に1938年に参加しました。 その1940年から1941年頃のこと、ツアーの道中で偶然ニワトリ(Yardbird)を見つけた食欲旺盛なチャーリー・パーカーが捕らえてその今晩の夕食にしたんだとか。(ジェイ・マクシャン談) 実際にパーカーの食欲というのがすごかったらしいです。 これ以外にもバード”というニックネームの由来はパーカーがフライドチキン好きだとか、パーカーがニューヨークに出て来た当時皿洗いをしていたハーレムのJimmie’s Chicken Shack(レストラン)の裏庭で練習していたからだとかいう説がまことしとやかに伝えられています。 1940年にブルース歌手のJimmy Witherspoon(ジミー・ウィザースプーン)が楽団に参加したジェイ・マクシャン・バンドでは遅刻常習癖のため短期間でクビとなったチャーリー・パーカーでしたがその後のニューヨークでの活躍が認められバンドに復帰したそうです。(1938 -1942)
Charlie Parker with Jay McShann (1940) – Lady Be Good – YouTube

チャーリー・パーカーはジェイ・マクシャン楽団以外にも数々の楽団に所属しましたがBilly Eckstine(ビリー・エクスタイン)が1944年に結成したビバップ・ビッグバンドのBilly Eckstine & His Orchestra(ビリー・エクスタイン・オーケストラ)にも席をおいたことがあったそうです。 ビリー・エクスタインは1940年代初期にモダンジャズ・ピアノのEarl Hines(アール・ハインズ)の楽団でディジー・ガレスピーやサラ・ヴォーンと一緒だったそうで、ライブアルバムの「Bird in Time 1940 – 1947」で”Honeysuckle Rose”と”Body and Soul”などを演奏しています。 ちなみにガレスピーが1942年頃にピアニスト(Frank Paparelli)と共同で作った有名な”チュニジアの夜(A Night In Tunisia)”は多くのミュージシャンに演奏される他、Sarah Vaughan(サラ・ヴォーン)やElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)など何人もの歌手に歌われています。
Charlie Parker with Lester Young and Willie Smith et al. – Lady Be Good (1946) – YouTube

Charlie Parker: The Bebopper
テンポの速いBebop(ビ・バップ)もしくは短くしてBop(バップ)というジャズのスタイルは第二次世界大戦の初期頃にミュージシャンの隠語から出た言葉らしく、1940年代半ばから1950年代初めにかけてが全盛期でした。 ビーバップは1940年代に入った頃、白人中心のスウィングジャズには満足できなくなった黒人ジャズメンがアフターアワー(閉店後)に即興演奏を楽しんだ、もしくは演奏テクニックを競ったことから始まったのがモダン・ジャズの前身といえるそうで、そのオリジンはチャーリー・パーカーの出身地で発祥したカンサス・シティ・ジャズだそうです。 それまでのさして複雑ではない演奏に合わせて踊れるビッグバンドタイプとは全く異なり、曲のテーマ(メインとなるメロディー)を演奏した後は各プレイヤーが次々と独自のアドリブ演奏をする一種のスタンドプレーが特徴で音楽に合わせて踊れずに聴くだけの音楽となりました。 ビバップの始祖、元祖アドリブ演奏というと1939年にテナーサックス奏者のColeman Hawkins(コールマン・ホーキンス)がレコーディングして一躍有名になった”Body and Soul(見も心も)”でした。 コールマン・ホーキンスの革新的な演奏の他、ギタリストのCharlie Christian(チャーリー・クリスチャン)や、パーカーやディジー・ガレスピーが参加していたシカゴジャズのピアニストであるアール・ハインズやジェイ・マクシャンの他、ピアニストではArt Tatum(アート・テイタム)、トロンボーン奏者のJack Teagarden(ジャック・ティーガーデン)、テナーサックスではレスター・ヤング、トランペットではRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)といった先輩の演奏を後のジャズメンが倣うことになったのだそうです。 奇抜ともいえるビバップ奏法は後期に活躍したSonny Stitt(ソニー・スティット)やClifford Brown(クリフォード・ブラウン)などにより和らげたハードバップ・スタイルで受け継がれました。 麻薬代のために時には自分の楽器を質入れしてしまい借り物で演奏したこともあるチャーリー・パーカーが1940年からジェイ・マクシャン楽団時代に使用したアルト・サックスはFrank Holton(フランク・ホルトン社製)ではないかと云われているそうですが、アルバムのカバー画像では1949年から1947年までのアルトサックスは白いマウスピースのConn 6M(Naked Lady)だそうですが確証はありません。 ちなみに1949年から最後のステージまで使用したのはKing Super 20-b(キング スーパー20)なんだとか。(これも確証なし)
実際、コールマン・ホーキンスの”Body and Soul(ボディ・アンド・ソウル)”やチャーリー・パーカーの”Lover Man(ラヴァー・マン)”では聴いてるだけで息が止まりそうになり、とてもじゃないが踊れません。 パーカーが演奏したこのLover Manという曲はLover Man (Oh, Where Can You Be?)として1941年にJimmy Davis、Roger (“Ram”) Ramirez、James ShermanによってBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)のために書かれたポピュラーソングでした。 ビリー・ホリデイの後に黒人ジャズ歌手ではSarah Vaughan(サラ・ヴォーン)、Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)、Etta James(エタ・ジェームス)、Dinah Washington(ダイナ・ワシントン)、白人歌手でもHelen Merrill(ヘレン・メリル)、Chris Connor(クリス・コナー)、Blossom Dearie(ブロッサム・ディアリー)などが歌っています。
1940年から1948年の録音約150曲を集めたCD5枚組ボックスセットには「A Studio Chronicle 1940-1948」(ASIN: B0000AJ5SR)があります。
試聴はStudio Chronicle 1940-1948 – Imusic.am

私の好きな二人の息も止まるようなバトル! コールマン・ホーキンスとチャーリー・パーカーとの1950年のニューヨーク・セッションの貴重なビデオはColeman Hawkins with Charlie Parker – YouTube

チャーリー・パーカーの写真や演奏のサンプルが聴けるPBSのJAZZ A FILM By Ken Burns – Charlie Parker
チャーリー・パーカーのオフィシャルサイトがあるそうです。
The official Site of Charlie “Yardbird” Parker
パーカーフリークのためのオアシス Chasin’ the Bird

Parker’s Compositions
チャーリー・パーカーが作曲した作品にはHerbie Mann(ハービー・マン)も演奏した”Yardbird Suite”(Sax Soli)をはじめ、”Birdfeathers”、”Bluebird”、”Chasin’ the Bird”、”Bird Gets the Worm”、そして鳥類学を意味する”Ornithology”などタイトルに自分のニックネームの”BIRD”を冠した曲がありますが、この他にもパーカーが作曲した作品にはParker’s Mood、Blues For Alice、Ko-Ko、Cherokee、Billie’s Bounce、Confirmation、Now’s The Time、K.C. Blues、Quasimodo、My Little Suede Shoes、Carvin’ the Bird、Moose the Mooch、そしてCharlie Parker & Benny Harris(パーカーとベニー・ハリス共作)のOrnithologやLeap Frog、そしてそしてCharlie Parker & Dizzy Gillespie(パーカーとガレスピー共作)のAnthropologyなどたくさんnあります。 ”Ornithology”はMorgan Lewis(モーガン・ルイス)が1940年頃に作曲した代表曲の”How High the Moon”のコード進行をビバップ風に変更した曲で、Ko Ko(ココ)は1940年にDuke Ellington(デューク・エリントン)が作曲したジャングル・サウンドのko ko(KoKo)とは全く違い、ピアニストのRay Noble(レイ・ノーブル)が1938年に作曲した”Cherokee”のコードを元にビバップ風に作曲(カバー)したそうですがCharlie Barnet(チャーリー・バーネット)も録音し楽団のテーマ曲として使用しました。 パーカーはオリジナル曲だけでなくパーカーを擁護し良き理解者であったディジー・ガレスピーが作曲した”Dizzy Atmosphere”やイントロがユニークな”Summertime”から、ポスト・パーカーとなったアルトサックス奏者のPaul Desmond(ポール・デスモンド)のTake Fiveまでも多岐に渡りカバーしていてどれも素晴らしい演奏です。 ちなみに酒や煙草とは縁がなく、まして麻薬などとんでもないとジャズメンに説いていたディズは音楽活動に励んでパーカーの2倍も長生きしました。

Bebop and Drug Abuse
まだ十代だったパーカーは無謀にも地元カンサス・シティのReno Club(Queen of Kansas Clubs)で既に一流だったCount Basie(カウント・ベイシー)の楽団のジャムセッションに飛び入りしたものの、他の演奏者と腕が追いつかずドラムのJo Jones(ジョー・ジョーンズ)にシンバルを投げられ(途中で止められて助かったのかも)失笑を買い屈辱を味わいました。 泣きの涙で退散した若きパーカーはその後3年もの間、麻薬もフライドチキンも絶ってまるで囚人のように田舎のOzarks(オザーク)辺りのひと部屋に閉じこもって教本とも取り組みアドリブのテクニックをマスターし偉大なるプレーヤーを目指したそうです。 自己破壊的と云われたパーカーはチャレンジャーだったのです。 しかしパーカーは医者などにかかれない貧乏時代に潰瘍(胃か肝臓)を緩和するために酒や麻薬を始めたとも云われていますが、アルコール中毒だった父親譲りか15歳頃から既に麻薬(ヘロイン)中毒だったそうです。 そんな麻薬中毒のパーカーを支えたのは自らも麻薬に溺れて立ち直ったマイルス・デイヴィスでしたが、パーカーと1962年に共演したチェット・ベイカーなど他のジャズミュージシャンにもパーカーは多大なる影響を与えたのでした。 1947年に半年間のカリフォルニアの精神病院生活を送った後、ショック療法は免れたパーカーはニューヨークでマイルス・デイビス、Duke Jordan(デューク・ジョーダン)、Max Roach Quintet(マックス・ローチ・クインテットなどに参加しました。 1954年にも二度の自殺未遂でニューヨークのBellevue(ベルヴュー)精神病院に送られたこともあったパーカーが麻薬を使用したので素晴らしい演奏をしたと信じられジャズメンの間にに麻薬が広まりました。 パーカーのように麻薬で苦しんだジャズメンにはテナーサックスのジョン・コルトレーンやDexter Gordon(デクスター・ゴードン)、アルトサックスのArt Pepper(アート・ペッパー)、ピアニストのBud Powell(バド・パウエル)やBill Evans(ビル・エバンス)、トランペットのLee Morgan(リー・モーガン)などなど多くのジャズ・ミュージシャンが次々と中毒になっていったそうです。 このような理由以外に麻薬が黒人社会に浸透したのは元はもぐり酒場で売っていたギャングどもが資金源として黒人たちに売りつけたからだそうです。 今では子供の間にもその害が広がってしまいました。(中米のマフィアが取り仕切っていた麻薬がアメリカの麻薬根絶運動で資金源が困難となり昨今日本人がターゲットになってきているんでしょうか。覚せい剤や合成麻薬などは常習性が強いので騙されて飲んでしまうと命取りらしい)
チャーリー・パーカーの耽溺は音楽や麻薬やフライドチキン以外にも酒や芸術、そして女性もと多岐に渡っていました。 麻薬とアルコールで身を持ち崩したパーカーは1955年にまだ30代というのに心不全で亡く なりました。 死亡当時はモダンジャズ界で才能あるも不幸なジャズメンのパトロンとして有名だったユダヤ系の大富豪のCharles Rothschild(チャールス・ロスチャイルド)の令嬢だったBaroness Pannonica ” Nica” de Koenigswarter(ニカ男爵夫人)が宿泊していたStanhope Hotel(スタンホープ・ホテル)のスイートルームだったそうです。 妻のチャンと別離したパーカーを面倒みたニカ夫人には多大なる恩恵を被っていますが、1982年にニカ夫人のニュージャージーの家で亡くなったセロニアス・モンクは格別としても他の黒人ミュージュシャンたちも女神のように崇めたそうです。 ニカ(パノニカ)夫人の名前を冠した曲にはハードバップのピアニストでHorace Silver(ホレス・シルバー)の”Nica’s dream”、Sonny Clark(ソニー・クラーク)の”Nica、セロニアス・モンクの”Pannonica”、Kenny Drew(ケニー・ドリュー)の”Blues for Nica”、そしてトランペットではKenny Dorham(ケニー・ドーハム)の”Tonica”などがあります。 ☆Gary Moore(ゲイリー・ムーア)の代表作ともなっている”Parisienne Walkways(パリの散歩道)”の元となった”Blue Bossa”を作曲したケニー・ドーハムといえば1960年にXanaduからリリースされたTommy Flanagan(トミー・フラナガン)と共演したアルバム「The Kenny Dorham Memorial Album」の”Stage West “がクール!

Bird and the Beatnik
ビートニク文学の「The Subterraneans(地下街の人々)」の冒頭で作者のJack Kerouac(ジャック・ケルアック)が書いています。 『最初にぼくらが寝たのは、チャーリー・パーカーを聴いたシスコの暑い夜だった。』
ニューヨークの52番街あたりではあちこちのジャズクラブで既にビバップが盛んになっていた時期に物質文明を嫌って新しい自由な文化を作り出そうとしたクールなビートニク文化が幕開けしました。 「On the Road(路上)」のJack Kerouac(ジャック・ケルアック)や、「Howl(吠える)」のAllen Ginsberg(アレン・ギンズバーグ)といったビート詩人たちがニューヨークのジャズクラブにたむろして、チャーリー・パーカーのような反発的なビバップのミュージシャンを好むようになりました。 ついでにジャズメンやジャズ通の隠語(スラング)をクールだとばかりに真似たのです。 ジャズ喫茶の店名となったCat(ジャズ・プレーヤ)とかDig(分るとか好む)なんていうのもそうです。 ビートとは落ちぶれたとか食い詰めたというスラングなんだそうですがケルアック流に解釈するとジャズメンが溺れた麻薬のごとく至福という意味になるそうです。 もっとも麻薬にいくら溺れたところで誰でもがチャーリー・パーカーになれるわけじゃありませんが。 追従したビート族なる若者たちも一種のファッションとしてヒップなビバップをさらに盛り上げていったのです。 若くして燃え尽き、多くの作家や芸術家に影響を与えた19世紀のフランスの放浪の詩人であるArthur Rimbaud(アルチュール・ランボー)の流れを組むとはいえ、ヨーロッパの古い詩の伝統は追わなかったビートニク詩人たちと古いジャズの既成概念を捨て去ったビバップのミュージシャンたちとは切っても切れない関係だったのです。 ジャズのリズムや韻律、そして1966年に禅の精神(哲学)を取り入れて「Satori in Paris(パリの悟り)」などを書いたジャック・ケルアックが散文を書く時には”Bop Prosody(バップ・プロンディ)”といって、まるでパーカーの”Night in Tunisia(チュニジアの夜)”などを演奏しているようなバップの韻律を真似て一息にタイプライターで打ったのだそうです。 下記のリンクはパーカーの死後にジャック・ケルアックが発表したパーカーをBuddha(お釈迦様)に喩えた告別の辞です。(1954年から1961年に手帳に書かれた未発表のスケッチ的な詩を集めた”Book of Blues”が1995年にリリースされた)
☆ビート文学のジャック・ケルアックについてはAudio-Visual Trivia内の映画「The Subterraneans(地下街の住人)」でも書かれています。

The complete Dean Benedetti recordings of Charlie Parker
ディーン・ベネディッティはパーカー同様にアルト奏者でしたが演奏で有名ではなく、パーカーのアドリブ音源収集での功績が大なのです。 パーカーに心酔したディーン・ベネディッティは当時貴重な録音機を抱えるとパーカーを追っかけてパーカーのソロ・パート(アドリブ)を録音しまくったのです。 1947年のロスのジャズクラブ「Hi-De-Ho」や1948 年のニューヨーク52番街の「Three Deuces」や「Onyx Club」などパーカーの460以上ものアルトソロが隠し録音されたそうです。 正式のスタジオレコーディングでは聞けない水を得た魚のようなパーカーの演奏がかき集められました。 伝説化したパーカーの音源はディーン・ベネディッティの死後に兄弟によって1988年にジャズ専門レーベルのMosaic Records(モザイク・レコード)に売却されたそのテープ音源は「Complete Dean Benedetti Record」としてで1990年に10枚LPでレコード化されました。(CDは7枚組ですが現在はヴィンテージ価格の3万円代から4万円代で入手困難)

Jazz of the Beat Generation CD
ビート詩人のジャック・ケルアックの朗読が収録されている「Jazz of the Beat Generation」(ASIN ‏ : ‎ B0000664FH)というコンピレーション・アルバムがありますが、Roy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)やLionel Hampton(ライオネル・ハンプトン)からスタン・ゲッツやGerry Mulligan Quartet(ジェリー・マリガン)まで蒼々たる顔ぶれです。 その中にチャーリー・パーカーの”Scrapple from the Apple”も入っています。
♪ CDの試聴は”Scrapple from the Apple”の他何曲かが聴けるJazz of the Beat Generation – CDandLP.jp

Charlie Parker and Latin
1940年代後期には白人スウィング楽団からリズムセクションにマラカスやボンゴなどのラテン楽器を取り入れプログレッシヴな音楽を試みたStan Kenton(スタン・ケントン)の”Machito(マチート)”(ASIN : ‎B000002UZF)をはじめ、その後のディジー・ガレスピーの””Cubano Be, Cubano Bop”(Afro-Cuban Drum Suite)”など、ジャズメンがアフリカやキューバやブラジルの音楽であるラテンを取り入れました。 パーカーもラテンの名曲をパーカー流ラテン・ジャズとしてカバーし商業的に成功していますが、活動期間が短かったのでChico O’Farrill(チコ・オファリル)により編曲されたキューバンバップの”Manteca Suite”を演奏したガレスピーほどではなかったようです。
♪ 試聴はStan Kenton – Machito (Retrospective – The Capitol Years) – レコチョク

Fiesta

Latin Masters: Fiesta by Charlie Parker Machito And His Orchestra
Cole Porter (コール・ポーター)作曲の私の好きな”Begin the Beguine(ビギン・ザ・ビギン)”の他、アルバムタイトル曲となっているFiesta(フィエスタ)、Tico Tico(ティコ・ティコ)、Estrellita(エストレリータ)、La Cucaracha(ラ・クカラッチャ)、La Paloma(ラ・パロマ)などのラテン曲を収録したLPアルバムは1951年から1952年頃にVerve(ヴァーヴ)からリリースされた「Fiesta」で、1997年に発売された12曲収録されたリマスターの国内盤CDは「フィエスタ」(ASIN: B0000565XB)です。
このアルバムではラテンの王様と呼ばれたマラカス名人のマチートが率いるMachito and his orchestra(マチート楽団)がパーカッションを担当していますがドラムにRoy Haynes(ロイ・ヘインズ)とMax Roach(マックス・ローチ)が参加しています。 パーカーはマチートとガレスピーが共演したCubop(キュウバンとビバップ)のアルバム「The Original Mambo Kings: An Introduction to Afro-Cubop」でも”Okiedoke”や”Mango Mangue”などで共奏しています。 他の演奏者はトランペットがQuincy Jones(クインシー・ジョーンズ)、テナーがHank Mobley(ハンク・モブレー)など、ドラムがBuddy Rich(バディ・リッチ)、トロンボーンがJ.J. Johnson(ジェイ・ジェイ・ジョンソン)などです。(試聴は見つかりませんが曲目リストが見られるThe Original Mambo Kings: An Introduction to Afro-Cubop – AllMusic
Dizzy Gillespie y Machito – Oro, Incienso y Mirra (1975) – YouTube
上記に類似したアルバムでは”Un Poquito de Tu Amor”など14曲収録したヴァーヴの「Verve Latin Sides」や、ヴァーヴの「Charlie Parker – South of the Border: The Verve Latin-Jazz Sides」があります。
♪ 試聴はCharlie Parker – South of the Border – JPC.de
ラテン関連ではCDと本がセットになった「Vol. 69, Bird Goes Latin: Charlie Parker Originals」(ASIN ‏: ‎B000001O5P)もあります。

Loverman by Charlie Parker
15年に満たないパーカーの存命中の録音の情報はかなり曖昧だそうで、パーカーの死後にダイアル・レコードのロス・ラッセルが版権を売却したこともあり色々な組み合わせのアルバムが数えきれないほどたくさんリリースされました。 いかんせん3分間に無理やり縮めたSPレコードでの演奏では聴いている方が消化不良を起こします。
Lover Man CD
ページトップのCD画像はそのなかでも異質な2009年(最新はFeb 02, 2010)にリリースされた「Lover Man」ですが現在は入手困難だそうです。 写真のアルトサックスには白いマウスピースが付けられていますがこれが強烈な腹筋・肺活量を持つパーカーが使用した伝説的なマウスピースのBrilhart Streamline(ブリルハート)だとか。(イニシャルのCPとBirdの刻印があるかは確証なし) ゴムからプラスティックと変えたマウスピースは1949年頃には真鍮メッキのメタルを使用していたらしい。(参考までにジャズ用サックスの定番オットーリンクではサイズ5〜10で商品ASIN B0002DWKXKなどあるとか)
このCDは輸入盤で多分Blue Moonレーベル(Blue Moon Productions – Prestige)らしいので、当然パーカーが契約したダイアル・レコードでロス・ラッセルがパーカーの意志に反してリリースした1946年のオリジナルのシングルではありません。 収録曲目は1949年から1954年に録音されたI Can’ Get Started、Lover Man、 They Can’t Take That Away From Me(誰も奪えぬこの想い)、Laird Baird、Old Folks、I’m In the Mood Of Love、April In Paris、 I Get A Kick Out Of You、Au Privave、An Oscar For Treadwell、Ballade、Cosmic Raysの全12曲です。 CDカバー画像が違っても「Lover Man」というBlue Moonレーベルのチャーリー・パーカー名義のアルバムですがパーカーの演奏はLaird Baird、Au Privave、An Oscar for Treadwell、Cosmic Raysだけであり肝心なアルバムタイトルとなっている”Lover Man”はDavis-Ramirez-ShermanというJess Stacy(ジェス・ステイシー)のスウィングピアノ演奏です。 なんてこったのコンピレーションのCD(Prestige EliteレーベルのCDでも同じ)ということになり、お勧めではないのです。 アルバムの画像として使用されている愛くるしい笑顔のチャーリー・パーカーをご覧ください。
収録されているロマンチックなバラード曲はI Can’t Get Started、Lover Man (Davis, Ramirez, Sherman)、Laird Baird、I’m In The Mood For Love、April In Paris、I Get A Kick Out Of You、Au Privave、An Oscar For A Treadwell 、Ballade、Cosmic Rays(コズミック・レイズ)の12曲です。 同じレーベルからもう1枚カバー画像の違う「Lover Man」が2007年にリリースされています。 パーカーのカバーではなく曲の作者の名を取ったLover Man (Davis, Ramirez, Sherman)というタイトルではジェス・ステイシーの他にギタリストのJohnny Smithが1954年に、テナーサックス奏者のJohnny Griffin(ジョニー・グリフィン)が1956年に、Sonny Rollinsが1973年にレコーディングしています。
※ちなみに”Prestige Jazz Greats Series”で12曲を収録した「Lover Man」というタイトルのCDが1993年にリリースされているそうです。
1946年に酩酊状態で演奏したことからパーカーが恥じていたにも関わらずラッセルがリリースしたことにより今日私たち迫真の”Lover Man”の名演奏を聴ける次第です。 まともなプレーヤーの演奏より凄みがある1曲です。 私が初めてチャーリー・パーカーを意識したのがこの壮絶で甘く切ない1946年の”Lover Man(ラバー・マン)”ですが、楽典を度外視して(理解不能だから)感覚的にその予想もつかぬはど早いアドリブと表現方法の素晴らしさに感動しました。 パーカーの演奏は哀愁を帯びたサックスの音色の”Lover Man”をはじめ”Parker’s Mood”や”Billie’s Bounce”などといずれを聴いてもため息が出る代わりに息が止まりそうです。 パーカーはきっと鼻だけで呼吸しているに違いないと思い込んだ私でした。
猛烈に早い!危険なほど早い!まるで喧嘩を売っているような早吹きの名人! チャーリー・パーカー! アンビリーバボー!
“Lover Man”は1951年に”Back Home Blues”のB面としてシングル盤がリリースされたとか。 演奏メンバーは白人バップ・トランペッターでパーカーを追って麻薬に染まったRed Rodney(レッド・ロドニー)、ピアノが1948年の”Parker’s Mood”でもサイドメンをつとめたModern Jazz Quartet(MJQ)のJohn Lewis(ジョン・ルイス)、ベースがディジー・ガレスピー楽団でリズムセクションを担当したRay Brown(レイ・ブラウン)で同じくドラムがKenny Clarke(ケニー・クラーク)です。 パーカー全盛期のセッションを集めた人気の3枚組CDで、有名な1946年録音の”Lover Man”と1946年同日に録音された”The Gypsy”や”Parker’s Mood”も含む一番人気の「The Complete Savoy and Dial Master Takes (Savoy Jazz)」や10枚組CDの「Bird: The Complete Charlie Parker on Verve」に収録されています。 他には1940年代後期のダイアル録音のBongo Bopや1944年Savoy録音の”Tiny’s Tempo” や”Red Cross”、1946年に麻薬の売人をタイトルにした”Moose The Mooche “など収録。(タイニーとは共演したジャンプブルース・ギタリストーのTiny Grimes(タイニー・グライムズ)か)

Lover Man (Oh Where Can You Be?)
“Lover Man”は1941年にプエルトリコ出身のジャズピアニストのRoger Ram Ramirez(ロジャー・ラミレス)、ビリー・ホリディの録音でピアノを担当したJames Sherman(ジェームズ・シャーマン)、歌手のJimmy Davis(ジミー・デイビス)によってビリー・ホリディのために作られたという曲ですが、ビリーは1944年にデッカでレコーディングしていて1941年にSarah Vaughan(サラ・ヴォーン)がレコーディングしたそうです。 演奏バージョンでは、チャーリー・パーカー自身は恥じているそうですが最悪の麻薬中毒時代に酩酊状態で演奏した熱情的なアドリブが大変人気があります。 この”Lover Man”はSarah Vaughanが1954年のアルバム「Sarah Vaughan with Clifford Brown」、Julie Londonが1957年のアルバム「Make Love to Me」に収録している他、Ella Fitzgerald、Etta James、Blossom Dearie、Norah Jonesなどたくさんの歌手が歌っています。 サキソフォン演奏ではSonny Stittが1958年のアルバム「Burnin’」に, Johnny Griffinが56年の「Introducing Johnny Griffin」に収録する他、トランペットのLee Morgan(57年の「The Cooker」)やChet Baker(1955年の「Chet in Paris」、試聴はASIN: B00000478K)、ギターのWes Montgomery(59年の「Best of Wes Montgomery」)、オルガンのJimmy Smith(58年の「House Party」に収録)などなど。
“I don’t know why but I’m feeling so sad …Lover Man (Oh, Where Can You Be?) (1941) – Billie Holiday Lyrics

Westcoast Days 1

Charlie Parker Story on Dial vol.1 – Westcoast Days 1
ストーリー・オン・ダイアル Vol.1
1946年から1947年のダイアル・レコード時代の録音から意識が朦朧とする中で演奏された究極のLover Man(ラヴァー・マン)はもちろんのこと、マイルス・ディヴィスもフィーチャーされたMoose The Mooche(ムース・ザ・ムーチ)、Yardbird Suite(ヤードバード組曲)、Ornithology(オーニソロジー) 、A Night In Tunisia(チュニジアの夜)、そして”Lover Man”同様に悲壮で珍しいThe Gypsy(ジプシー )など19曲を収録したCDにはパウエルとの共演も入っています。 1970年代にイギリスのレーベルからリリースされた6枚のアルバムをリマスターしたCDにはDiggin’ Diz(ディギン・ディズ)でガレスピーと、Max Making WaxとBebopをHoward McGheeのクィンテットと共演しています。
1997年にリリースされた国内盤は私にピッタリですが、上級者向けにはデューク・ジョーダンやマイルス・デイヴィスやJ.J.ジョンソンが参加した1949年の”Dexterity”や”Bongo Bop”や”Out Of Nowhere(アウト・オブ・ノーホエア)”などが収録された「ストーリー・オン・ダイアル Vol.2」だとか。 こちらも試聴が出来る2010年発売の国内盤「チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol.1」(ASIN: B00000B6RB)
Charlie Parker’s famous “Lover Man” on Dial – YouTube

Diz ‘N Bird
チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの共演には1945年のTown Hallのコンサートがありますが、1947年にカーネギーホールで二人が再共演したライブ・アルバムに「Diz ‘N Bird At Carnegie Hall」があります。 演奏メンバーはアルトサックスがチャーリー・パーカー、トランペットとボーカルがディジー・ガレスピー、テナーサックスがJames Moody(ジェームス・ムーディ)、ピアノがJohn Lewis(ジョン・ルイス)、ヴィブラフォンがMilt Jackson(ミルト・ジャクソン)などで15曲を収録しています。 チャーリー・パーカーはゲストとしての出演なのでディジー・ガレスピーとの共演はKoko以外、Night in Tunisia、Dizzy Atmosphere、Groovin’ High、Confirmationで、残りはディジー・ガレスピー楽団の演奏となっています。 超いかした”Groovin’ High”は1945年にディジー・ガレスピーが作曲したて初めて録音された(サヴォイのShaw ‘Nuff)ビバップ曲だそうですが、演奏がノリノリから突然エンディングにいくような気がしてなりません。(アレンジ?録音時間の都合?) それにしても1920年にPaul Whiteman(ポール・ホワイトマン)が録音したJohn Schonberger(ジョン・ションバーガー)作曲の”Whispering”と同じコードには聴こえません。
Diz N Bird at Carnegie Hall – Amazon.co.jp (♪ 試聴はDiz N Bird at Carnegie Hall – Blue Sounds
☆ ちなみに日本で1983年にVee-JayレコードからリリースされたLPレコードの「Charlie Parker 1945-1952 At Carnegie Hall And Others(チャーリー・パーカー/1945-1952 アット・カーネギー・ホール・アンド・アザース)」にはA面にDizzy Atmosphereなど6曲とB面にNight In Tunisiaなど5曲が収録されています。

Billie’s Bounce
チャーリー・パーカーが数多く作曲した中に”Billie’s Bounce(又はBill’s Bounce)”があり1945年に Charlie Parker and His Re-Boppers(パーカー、ガレスピー、マイルス、マックス・ローチ、カーリー・ラッセル)がサボイで録音しました。 この曲は何枚ものアルバムに収録されていますが国内盤2枚組CD「名盤JAZZ 25選~Historical Albums of The 20th Century チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ~マスター・テイクス 限定版」(ASIN: B000BU6ORW)などに収録されています。 (収録曲はBillie’s Bounce、Now’s the Time、 Koko、 Parker’s Mood、Milestones他全30曲) このアルバムの英語のタイトルは「Byrd/Savoy Recordings」だとか。 1964年にリリースされたテナーサックス奏者のDexter Gordon(デクスター・ゴードン)カルテットのライヴ・アルバムに「Billie’s Bounce(ビリーズバウンス)」(ASIN: B000027T3I)があり、ガレスピー作曲の”A Night in Tunisia”がかなり端折ったショートバージョンなのに比べてパーカーの””は8分強というロングバージョンで収録されています。

Bird - The Original Recordings Of Charlie Parker

Bird: The Original Recordings of Charlie Parker
“Lover Man”はもちろん、”Now’s The Time”、”Laura”、”K.C. Blues”や”Lester Leaps In”など12曲を収録したパーカーの代表的なアルバム「バード ― オリジナル・レコーディング・オブ・チャーリー・パーカー」で、オリジナルは1988年だそうです。 そのタイトル”BIRD”は映画「バード」と同じでサウンドトラックとして使用されたそうです。
試聴はBird: The Original Recordings of Charlie Parker – Amazon.com (MP3 Download)

Now’s The Time (LP)
上記のリンクは1952年のNow’s The Timeを収録して日本で限定販売されたヴァーヴのLP盤「ナウズ・ザ・タイム」です。(未発表だった”Chi-Chi(チ・チ)”が試聴できる「Now’s The Time」(ASIN: B00H2PDM0G)) ピアノがハンク・ジョーンズ、ドラムがマックス・ローチ、ベースがTeddy Kotickというカルテットでのスタジオ録音だそうです。
チャーリー・パーカーはビバップの巨匠であり同世代のミュージシャンに多大なる影響を与えました。 マイルス・デイヴィス、ソニー・スティット、Ernie Henry(アーニー・ヘンリー)、Willis Gator Jackson(ウィリス・ジャクソン)、新しいところではピアニストですがカナダで活躍するJohn Stetch(ジョン・ステッチ)などたくさんいます。
1949年にPaul Williams(ポール・ウィリアムズ)が演奏してヒットした”Hucklebuck”という曲はチャーリー・パーカーがビバップの最盛期の1945年にサボイ・レーベルで”Koko”などと共に録音したビバップの代表的な1曲である”Now’s the time(ナウズ・ザ・タイム)”のフレーズを取ったそうです。 パーカーが作曲した”Now’s the time”はバップのサックス奏者でパーカー同様に麻薬で低迷したDexter Gordon(デクスター・ゴードン)が主演した1986年の「’Round Midnight(ラウンド・ミッドナイト)」、1988年の「Bird(バード)」、1995年の映画「Se7en(セブン)」などで使用されています。
Charlie Parker – Now’s the time 1945 – YouTube
☆ポール・ウィリアムズについてもっと詳しくはHot’n Cool内のPaul “Mr. Hucklebuck” Williams
※ チャーリー・パーカーに影響を受けたのはミュージシャンだけじゃありません、殺し屋にも影響を与えたのです。 1990年の映画「Catchfire / Backtrack(ハートに火をつけて / バックトラック)」では実生活で酒と麻薬中毒で入退院を繰り返したというDennis Hopper(デニス・ホッパー)が演じた殺し屋のミロはチャリーパーカーを尊敬し、サックスを演奏するロマンチストでした。

Charlie Parker - Studio Chronicle

Charlie Parker: A Studio Chronicle 1940-1948
サヴォイのアルバムといえば一番人気は「Complete Savoy and Dial Master Takes」ですが、こちらはオリジナルがイギリスのJSP Recordsからリリースされた音質の良い5枚組のベスト盤で2003年にリマスターされたCDです。 Jay McShann & His Orchestra(ジェイ・マクシャン)、Clyde Hart(クライド・ハート)、Charlie Parker’s Re-Boppers(チャーリー・パーカーズ・リバッパーズ)、Charlie Parker Quartet(チャーリー・パーカー・カルテット)時代からのダイアル・レコードやサヴォイで録音したチャーリー・パーカーのセッションから代表的な125曲を収録していて、1945年のガレスピーとの共演も入っていますが、ジェイ・マクシャン楽団時代にあった1942年から1944年までのレコーディング禁止を含む約3年間ほどはブランクになっています。
US Musicians Recording Ban
※アメリカの音楽家協会AFM(American Federation of Musicians)通称ユニオンが演奏の著作権を守ろうと1942年の8月から1944年の11月までレコーディングしないというストライキを起こしたのでミュージシャンたちは吹き込みをすることが出来ませんでしたがこれが後のマイナー・レーベルの誕生に拍車をかけたそうです。

Red Norvo’s Fabulous Jam Session (Red Norvo Allstars)
1945年チャーリー・パーカー25歳の最盛期にダイアル・レコードからリリースされたアルバムの1枚で、”Slam Slam Blues”や”Congo Blues”など4曲(別テイクで12曲)を収録したレッド・ノーヴォとのセッションLP盤「ファビュラス・ジャム・セッショ(オリジナルレコードは”Congo Blues / Get Happy”か)」が1998年に国内でリリースされました。
Red Norvo(レッド・ノーヴォ)はジャズ歌手のMildred Bailey(ミルドレッド・ベイリー)と結婚していたことがあった白人シロフォン奏者です。

Charlie Parker - Early Bird

Early Bird
チャーリー・パーカーのデビュー・アルバムは1940年でパーカーが20歳の時ですが、そのうちの「Early Bird」では”Jay McShann Orchestra Featuring Charlie Parker”となっていては当時のラジオ放送も収録されています。 ”Lover Man”はいうに及ばず、バップ誕生の”Cherokee”や”Koko”はもちろん、アルトソロが素晴らしい”Moten Swing”や”Oh, Lady Be Good!”、サイドメンとして参加した” I Found a New Baby”や”Body and Soul”といったスタンダードからガレスピーと共演したDizzy AtmosphereやSalt Peanutsまでの23曲を集めた1995年のベスト盤です。
Charlie Parker – I Found a New Baby (1946/Embassy Auditorium, Los Angeles) – Amazon.com (MP3 Download)

Birth of the Bebop

The Complete Dial Sessions
このアルバムをプロデュースしたのはダイアル・レコードのロス・ラッセルで」1946年から1947年に録音したアルバムですが、パーカーがカリフォルニア州立病院に半年間入院した期間は抜けています。 ”Lover Man”はもちろん、Yardbird SuiteやOrnithologyやA Night In Tunisiaなど最高のプレイを収録したアルバムのオリジナルは1991年の4枚組CDで、トランペットがディジー・ガレスピーや若きマイルス・ディヴィスやHoward McGhee(ハワード・マギー)やShorty Rogers(ショーティ・ロジャース)、トロンボーンがJ.J. Johnson(JJジョンソン)、ピアノがRuss Freeman(ラス・フリーマン)やErroll Garner(エロール・ガーナー)やDuke Jordan(デューク・ジョーダン)、ギターがBarney Kessel(バーニー・ケッセル)、ベースがRay Brown(レイ・ブラウン)、ドラムがMax Roach(マックス・ローチ)など蒼々たるメンバー構成です。
ちなみに収録曲の”Relaxin’ at Camarillo”のCamarillo(カマリロ)とは麻薬中毒のパーカーが収容されたカリフォルニアの精神病院の名前だそうです。 有名な”Lover Man”を演奏してホテルに戻ったパーカーが全裸でロビーに現れたりベッドに火を放ったりしたので病院送りになったとか。
4枚組CDの試聴はThe Complete Dial Sessions – AllMusic.com
パーカーが21歳の1945年にStashから「Birth Of The Bebop: Bird On Tenor 1943」というアルバムがリリースされたそうですが、パーカーが25歳の1949年にCapitolからリリースされた有名な「Birth Of The Cool」はマイルス・ディヴィスの名義でした。 なにやらパーカーが1941年に発表した「The Complete “Birth of the Bebop”」に対抗しているようなタイトルです。

Confirmation The Best of the Verve Years

Confirmation: The Best of the Verve Years
1947年から1953年のVerve時代に録音されたラテンジャズからストリングスまでのパーカーの音源を集めた2枚組CDで、”Cardboard”はこれぞパーカー・スタイルの演奏でメローな”I Didn’t Know What Time It Was”や”I Can’t Get Started”や”Funky Blues”なども聴き応えがありますが”ラヴァーマン”は気絶する恐れのないバージョンです。 このCDのオリジナルはClefやVerveなど5つのレコードレーベルの設立者であるNorman Granz(ノーマン・グランツ)がビバップに留まらないチャーリー・パーカーをプロデュースしたライヴLp盤「The Genius of Charlie Parker(ザ・ジニアス・オブ・チャーリー・パーカー ASIN: B00005EQJD)」(オリジナルはマイルス・デビスも参加した1945年から1948年の録音を収録しパーカー死亡直後の1955年にSavoyから / ASIN: B000001CQ5)、Machito And His Afro-Cuban Orchestra(マチート楽団)との「South of the Border」、「Charlie Parker with Strings」、アルトサックスのジョニー・ホッジスやロイ・エルドリッジ等と共演した「Jazz At The Philharmonic」です。 CD全体での主な演奏メンバーにはチャーリー・パーカーと同じくアルトサックス奏者のWillie Smith(ウィリー・スミス)、Benny Carter(ベニー・カーター)、ジョニー・ホッジス、テナーサックスはレスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、Ben Webster(ベン・ウェブスター)など、トランペットがマイルス・ディヴィス、ロイ・エルドリッジ、ディジー・ガレスピー、Kenny Dorham(ケニー・ドーハム)、そしてボーカルも素晴らしいCharlie Shavers(チャーリー・シェイバース)など、トロンボーンがTommy Turk(トミー・ターク)やLou McGarity(ルー・マガリティ)など 、ピアノがJohn Lewis(ジョン・ルイス)、Hank Jones(ハンク・ジョーンズ)、Walter Bishop(ウォルター・ビショップ)、Al Haig(アル・ヘイグ)、セロニアス・モンク、Oscar Peterson(オスカー・ピーターソン)など、ギターがFreddie Green(フレディ・グリーン)とBarney Kessel(バーニー・ケッセル)、ベースがRay Brown(レイ・ブラウン)、Percy Heath(パーシー・ヒース)、チャールズ・ミンガス、Curly Russell(カール・ラッセル)など、ドラムがBuddy Rich(バディ・リッチ)、Kenny Clarke(ケニー・クラーク)、Max Roach(マックス・ローチ)、Roy Haynes(ロイ・ヘインズ)、Shelly Manne(シェリー・マン)などなどで、ボーカルはElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)だそうです。

Charlie Parker with Strings: The Master Takes
パーカーが1947年から1952年に録音したJust Friends、April In Paris、Summertime、Laura、I’ll Remember April、What Is This Thing Called Love?、Temptation、Autumn In New Yorkなどのロマンティックなスタンダード曲や映画のテーマ曲を哀愁たっぷりに演奏しているアルバムで、アルバムのカバー画像はジャズレコードのジャケットで有名なDavid Stone Martin(デヴィッド・ストーン・マーチン)だそうで、この「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」の他にも「South of the Border」や「Bird and Diz」など50年代のLPレコードのジャケット・デザインを手掛けています。
1995年のCDの試聴はCharlie Parker with Strings: The Master Takes – Amazon.com
1949年にNorman Granz(ノーマン・グランツ)と仕事をしていたJimmy Carroll(ジミー・キャロル)の素晴らしい編曲指揮で交響楽団(ストリングス)とパーカーが共演したアルバムのオリジナルはClefレコードからリリースされたそうです。 ジャズとストリングスの共演は初めての試みらしいですが、パーカーのアルトサックスとヴァイオリンの共存が有り得ることが不思議で、まるでロマンス映画のテーマ曲のようです。 ちなみに映画といえば1977年にウィリアム・フリードキン監督がリメイクした「Sorcerer(恐怖の報酬)」のラストでパーカーの”I’ll Remember April(4月の想い出)”が流れて驚きました。 故人となった仲間とゆかりのある女性と主人公(ロイ・シャイダー)がダンスするシーンです。(必見)
※ おそらくRay Brown(レイ・ブラウン)であろうベースのイントロが斬新な”Smummertime”が心引かれます。 パーカーが演奏している”Laura(ローラ)”はDavid Raksin(デイヴィッド・ラクシン)が作曲した美しい曲でOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督し、1949年の「Whirlpool(疑惑の渦巻)」に出演した当時は最高の美貌の持ち主だったGene Tierney(ジーン・ティアニー)が主演した1944年のフィルムノワール映画「Laura(ローラ殺人事件)」のテーマ曲として使用されました。 ”April in Paris(パリの四月)”の方は”I Can’t Get Started With You(言い出しかねて)”で有名なロシア出身のピアニストのVernon Dukeがブロードウエイ・ミュージカルのために作曲し、パーカーをはじめ、ボーカルバージョンではDoris Day(ドリス・デイ)、演奏ではTommy Dorsey(トミー・ドーシー)やCount Basie(カウント・ベイシー楽団)など多くのミュージシャンに好まれたロマンティックな曲です。 そして私の好きな”Temptation”は1933年の映画「Going Hollywood(虹の都へ)」でBing Crosby(ビング・クロスビー)が歌った曲です。

You Came Along From Out Of Nowhere
同じくビング・クロスビーが1931年に吹き込んでジャズのスタンダード曲となった”(You Came Along from) Out of Nowhere(アウト・オブ・ノーホエア)”もチャーリー・パーカーは1947年に録音していますが、現在は上記のアルバムの「Charlie Parker With Strings」の他に「Yardbird Suite (disc 2)」や「Jazz ‘Round Midnight」などいくつものアルバムに収録されています。 この”Out Of Nowhere”という曲はBetty Boop(ベティちゃん)の漫画のテーマ曲やColeman Hawkins(コールマン・ホーキンス)のテナーサックス演奏で有名になった”Body and Soul”の作曲者であるピアニストでバンドリーダーのJohnny Green(ジョニー・グリーン)が作って自身の楽団で演奏していますが、最初の吹き込みがビング・クロスビーの1931年で、1937年にはコールマン・ホーキンスがジプシーギタリストのDjango Reinhardt(ジャンゴ・ラインハルト)などと吹き込んだそうです。 ”Laura”がGene Tierney(ジーン・ティアニー)が出演した1944年の映画「Laura(ローラ殺人事件)」のテーマ曲であるように”(You Came Along from) Out of Nowhere”もLizabeth Scott(リザベス・スコット)が出演した1945年の「You Came Along(大空に駈ける恋)」のテーマでした。
Charlie Parker – Out Of Nowhere (1947) – YouTube

parker and chet - Inglewood Jam

Inglewood Jam by Bird & Chet
21歳のチェット・ベイカーがチャーリー・パーカーに見いだされてジャズシーンに登場したのが1952年、カリフォルニアのイングルウッドにあるTrade Winds Clubでのライヴ「Inglewood Jam」です。 パーカーと同じくテネシー出身のアルトサックス奏者のSonny Criss(ソニー・クリス)の他、演奏者はピアノがAl Haig(アル・ヘイグ)、ベースがHarry Babasin(ハリー・ババシン)でドラムがLarance Marable(ラレンス・マーブル)です。
♪試聴が出来る国内盤は「イングルウッド・ジャム(紙ジャケット仕様)」で、Squirrel(ザ・スクイレル)、Irresistable You(イレジスティブル・ユー)、(Back Home Again In)、 Indiana / Donna Lee(インディアナ)、Liza (All the Clouds’ll Roll Away) (リザ)の4曲を収録していますが、”Irresistable You”の代わりに”They Didn’t Believe Me”を収録しているイングルウッド・ジャムのライヴCDは「Bird & Chet / Live at the Trade Winds」です。

Charlie Parker plays “White Christmas”
1954年のミュージカル映画「White Christmas(ホワイト・クリスマス)」のテーマ曲としてビング・クロスビーとRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)がデュエットしてクリスマスの定番曲となった”ホワイト・クリスマス”をビバップのチャーリー・パーカーもSavoy(サヴォイ)時代のLP盤「Mr. Santa’s Boogie」で演奏しています。 現在はコンピレーション・アルバムの「Savoy Jazz Christmas Blues」にGatemouth Moore(ゲイトマウス・ムーア)の”Christmas Blues”などと共に収録されています。(国内のCDタイトルは”Christmas Blues”)
Charlie Parker plays “White Christmas”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはPlaylist for Nickel and Dime Radio with $mall ¢hange – December 19, 2003
(曲目リスト上の”Listen to this show: RealAudio”をクリック、再生ポジョションを2:11:07に移動)

Charlie Parker Plays Cole Porter
パーカーのラスト・レコーディングは1954年でチャーリーパーカーが34歳の時、ラストアルバムの1枚はヴァーヴで録音した「Plays Cole Porter」がありました。 私の好きな”Begin the Beguine(ビギン・ザ・ビギン)”は入っていませんが、I Get A Kick Out Of You(君にこそ心ときめく)や、My Heart Belongs To Daddy(私の心はパパのもの)や、Love For Sale(ラヴ・フォー・セール)など9曲を収録しています。 国内盤はVerveのチャーリー・パーカー・プレイズ・コール・ポーター (紙ジャケット仕様)

“Bird: Charlie Parker Story” by Clint Eastwood (1988)
画像は2009年に発売になった「バード」のDVDですが現在2009年版が入手困難となったのでリンクは2001年発売です。
チャーリー・パーカーのラバー・マン”を聴いてすっかりビバップに魅せられた私はClint Eastwood(クリント・イーストウッド)が俳優として出演せずに監督だけに専念し、パーカーの内縁の妻であるチャン・パーカーの回想録「My Life in E-Flat」を参考にして制作された「バード」が劇場公開されるとすぐに観に行きました。 パーカーの伝記映画というよりは現在と過去と近未来を織り交ぜた回想録的な映画のタイトルの「BIRD」ですがパーカーの初期の通称は”Yardbird”でしたが後世は短く”Bird”と呼ばれていたからです。 1945年にパーカーの生ステージを聴いて以来のファンだというクリント・イーストウッドが制作したパーカー伝記映画の「バード」は悲劇的なチャーリー・パーカーの浮き沈みを描いた伝記映画であり愛情物語でもあります。
DVDのカバー画像に使用されているのは「Thelonious Monk: Straight, No Chaser」などクリント・イーストウッド映画のポスターを手掛けたことでも有名なデザイナーのBill Gold(ビル・ゴールド)の映画のポスター用の作品です。

以下は映画「バード」のあらすじですがほぼドキュメンタリーなので驚くべき結末はありません。
映画「バード」の冒頭はセピア・カラーの映像でカンサスの田舎、ラバの背で笛を吹く少年(Charles Parker Junior)から十代のチャーリー・パーカー・ジュニアのサックス練習風景、そしてディジー・ガレスピーと共にステージで演奏しているCharlie Parker(バード)の演奏シーンに移ります。 オープニング・クレジットで流れる曲は音源のベースがRay Brown(レイ・ブラウン)の”Lester Leaps In”、満員の客の前でアルトサックスを演奏しているのはForest Whitaker(フォレスト・ウィッテカー、もしくはフォレスト・ウィテカー)が演じるバードことチャーリー・パーカーです。 飛んだシンバルで場面展開。
よれよれで家に戻ったバードは行き詰まりのステージの不満と、解毒剤(麻薬)と称してコデイン(鎮咳去痰薬)を飲んでも効き目のない潰瘍の痛みを妻のチャンに訴えるがこれまでも耐えてきたチャンも限界。 この時にバードが口ずさんでいたのがアルバム「Charlie Parker with Strings」にも収録されている美しいメロディの”If I Should Lose You”
“I gave you my love, But I was living a dream. And Living would seem in vain, If I lost you.”
そして1954年9月1日明け方、過去にもカリフォルニアで療養経験があったほど神経がボロボロのバードは幼い娘の死後、もう先は長くはないと知り、(中和剤とか言ってヨードだかを飲んだ)自殺未遂により救急車で運ばれ神経病患者としてそのまま精神病院送りとなるのです。 パーカーが痛み止めとして常用していたコデインといえば2001年の「Sweet November(スウィート・ノベンバー)」で末期がん(リンパ腫)のヒロインが緩和剤として使用していましたが、麻薬性中枢性鎮咳薬として医療用に販売されており、咳で苦しんでいる人は楽になって高揚感を得られるのだとか。
フラッシュバック。 バード伝記の映画ではこの最初のシーンで、女ったらしのバードと自由気ままに暮らすダンサーのチャン・リチャードソンとの出会いを描いています。 チャンの歓心を買うためにサックスを質入れして白馬を手に入れたエピソードは微笑ましいですが、実際は麻薬を買うために楽器を手放したこともあったとか。
場面は1946年の冬、ディジー・ガレスピーと組んだアメリカ東部のニューヨークとアメリカ西部のカリフォルニア公演、ビバップの布教に出かけたようなこのシーンで流れる曲は”Ornithology(オーニソロジー)”
ディジー・ガレスピーとバードが乗り込んだ西部では若者を堕落させるビバップは締め出しを喰らった。 厳しい取締りのロサンジェルスでは麻薬が買えずにウィスキーをガブ飲みしながら録音した壮絶な”Lover Man”のシーン。 このあとアルコール中毒で入院。 酒と麻薬の常習者としてバードは仕事を追われる。 その後、人種差別を嫌った黒人ミュージシャンが多かった頃のこと、バードは渡仏することになる。 ”April in Paris”が流れるパリの情景を写したシーンが美しい。 続いて演奏は”All of Me”、このパリ公演は大盛況、ニューヨークではバードの名前をつけたジャズクラブも誕生することとなり世界で知られるジャズマンとなった。 デューク・エリントンやディジー・ガレスピーのようにまともなミュージシャンになるために麻薬を絶つと決心したバードだった。 バードがニューヨークに戻った時のシーンでこれまでは度々ジャズメンの会話の中に名前が出てきたトランペット奏者のHarry James(ハリー・ジェームス)が登場した。 いや、バードがそう呼んだだけで、バードに影響を受けてスウィングからバップに演奏スタイルを変更した白人(ユダヤ)のトランペッターのRed Rodney(レッド・ロドニー)だった。 Michael Zelniker(マイケル・ゼルニカー)が演じたロドニーは仲間のユダヤ人の結婚式の仕事を持ってきたのだがバードが参加した楽団がユダヤ教徒の白いキッパ(Kippah)を被って演奏する光景がなんとも不思議。 1949年にはバードのクインテットに参加したレッド・ロドニーですが、映画ではアメリカ南部でツアーをすることになったのだが、バードを見習ってか麻薬の虜となりそのために窃盗まで働くようになってしまったそうです。 とはいえ短命のバードとは違って音楽活動は亡くなる1990年代初期まで続けていました。
さて、当時は人種差別の激しかった南部に出かけたバード一行は白人のレッド・ロドニーを黒人として”Albino Red(白子のレッド)”の名でブルースを無理強いさせて行動を共にすることにしますが、レッドは麻薬のコデイン欲しさに病院で処方箋詐欺を働きます。 このシーンで最初の曲はPaul Williams(ポール・ウィリアムズ)の大ヒットの”Hucklebuck(ハックルバック)”の元となった”Now’s the time”
場面は代わって専属の名物小男のPee Wee Marquette(ピー・ウィー・マーケット)が司会をするニューヨークにあるジャズクラブのBird Land(バードランド)のシーンで演奏曲目は”Cool Blues(クール・ブルース)”
バードランドでバードが出会ったのがDiane Salinger(ダイアン・サリンジャー)が演じるニカ男爵婦人。 この時期バードは麻薬を絶とうと酒量が増えていた。 そしてレッド・ロドニーに麻薬は止せと忠告するが自分はもう長くは生きられないということを悟っていたようだ。 そんなロドニーが逮捕されてトランペット無しのクィンテットはあきらめたバードだった。 この時期にCharlie Parker with Strings(バードと管弦楽団)と銘打った真夜中のジャズコンサートがカーネギー・ホールで開催された。 映画での曲は”Laura(ローラ)”
この後、帰宅したオーバーな振りでバードが歌っていたのが有名なテノール歌手のMario Lanza(マリオ・ランツァ)の”Be My Love”です。 幼い娘の容態が芳しくないことから気落ちしたバードは再び麻薬に手を出してしまい逮捕されます。 映画では医者でも治せない潰瘍や肝臓や心臓がご法度の麻薬1発で良くなるパラドックスだとバードが釈明しています。 映画のなかで立派なバンドリーダーでいられる秘密をガレスピーがバードに話している時の言葉、「俺は改革者でお前は殉教者だ。 殉教者は尊敬されるから人々は永遠にバードを称えるだろう。 今よりもっと。」
バード復帰の曲は”This Time The Dream’s On Me”、だかその時娘は天国に召されたことを知る。 ショックから娘の父親としてチャンの夫としての義務も果たせず麻薬漬けとなってしまったバードだった。 ここで映像は冒頭の1954年の自殺未遂へと戻る。 バードが田舎で療養してニューヨークに戻ってみれば浦島太郎。 ジャズクラブは廃り代わりに通りは歓楽街と化し、劇場でやっているのがティーンズに人気の熱狂的なロックンロール。 なんじゃ、こりゃ。 とバードが唖然とするこのシーンはあっという間にバードの時代が去ったことを描いています。 単調なロックンロールの音階に堪らなくなったバードは「音はこう出すんだ!」とばかりにバスターのサックスを取り上げるとビバップを吹き出したのです。 このR&Bサックス奏者のバスターを演じているのはアニメの声優も担当することがあるKeith David(キース・デヴィッド)です。 失意のバードがチャンに電話した後に向かったのはニカ男爵夫人宅、そこで意識不明に。 肝硬変は悪化、潰瘍は心臓を圧迫という最低な病状。 内出血の危険も大。 心臓発作に襲われたバードは走馬灯のように変わる思い出、そしてシンバルが飛んだ。 チャーリー・パーカー、心臓麻痺 黒人男性、推定年齢64歳、いやニカ婦人が訂正、実年齢34歳。
ラストでバードの葬儀に流れたのは「Make a promise you’ll remember…」と歌われた”Parker’s Mood”で、ビバップ好きのKing Pleasure(キング・プレジャー)が歌詞をつけたヴォーカリス(bop vocalese)が流れますが、エンディングのクレジット部分ではもちろんバードのアルトサックスの”Parker’s Mood”ソロ演奏です。
King Pleasure – Parkers Mood – YouTube

クリント・イーストウッドの映画「バード」は1989年のゴールデン・グローブでクイーストウッドが最優秀監督賞を受賞し、抜き出したパーカーの演奏とパーカーと共演した撮影当時は存命していたバップ・トランペッターのレッド・ロドニーやベース奏者のRon Carter(ロン・カーター)といったプレイヤーを合わせた高度な編集技術によりアカデミーのサウンド部門で音響賞を獲得、そしてカンヌ映画祭では主演のフォレスト・ウィッテカーが最優秀男優賞を受賞しています。 映画ではチャーリー・パーカーのLester Leaps In、I Can’t Believe That You’re In Love With Me、Ornithology、Lover Man、April in Paris、All of Me”、Now’s The Time、Cool Blues、Laura、This Time The Dream’s On Me、Ko Ko、Parker’s Mood等が使用されているので映画のサウンドトラックも人気があります。
この映画「バード」は1988年のチェット・ベイカーのドキュメンタリー映画「Let’S Get Lost(レッツ・ゲット・ロスト)」とは違ってRay Charles(レイ・チャールズ)伝記映画のRAY(レイ)のように俳優がパーカーを演じました。 しかしそっくりに演じたJamie Foxx(ジェイミー・フォックス)とは違って、バードの役を演じた俳優のフォレスト・ウィッテカーを知らなかっただけでなく全くパーカーと似ていなかった。 ただ演奏の様子や下から写したりするとちょっとそんな感じもしましたが、悪いことに私には芸能人の笑福亭鶴瓶(つるべ)と重なってしまいました。(キャストに無名に近いウィッテカーなどを起用したのはパーカーの音楽を際立たせるイーストウッド監督の意図だったとか) 麻薬の禁断症状を紛らわすために安酒をしこたま飲みベロンベロンになったパーカーが”Lover Man”を演奏するシーンは特に印象的でした。 映画を観終わった時、私は(オーバーな表現ですが)劇場の椅子に座った状態で頭の中はのた打ち回りました。 既にビバップは廃りロックンロールの台頭を知ったパーカーの絶望感に感情移入した私は映画とはいえ実在したパーカーとダブって切なくなったのです。 「なにゆえビバップの天才とうたわれたチャーリー・パーカーが34歳で死んだのか。」 まだ30歳代だったパーカーが死亡時には既に見ためが60歳近い身体だったという事実をもって、映画「バード」は若者に麻薬の恐ろしさをも啓蒙する意図があったのかもしれません。
ちなみにフォレスト・ウィッテカーは日本未公開でしたが、サウンドトラックでRay Nobleの”Cherokee”などのジャズ曲が使用された1993年のジャズマンを描いたテレビドラマ「Lush Life(ラッシュ・ライフ)」では脳腫瘍に侵されたトランペット奏者のBuddy Chester役を演じてJeff Goldblum(ジェフ・ゴールドブラム)やDon Cheadle(ドン・チードル)と共演しています。 映画の音楽は「バード」や「Midnight in the Garden of Good and Evil(真夜中のサバナ)」などイーストウッド監督の何本かで音楽を担当しているLennie Niehaus(レニー・ニーハウス)です。

上記の「ラッシュ・ライフ」もそうですがミュージシャンを描いた映画や伝記映画ではよく演奏の吹き替えがあります。 しかし「バード」におけるパーカーの場合はこの方法では困難を極めるためにパーカー本人の音が使用されたそうです。(但し演奏時の指使いや身体はアルトサックス奏者のCharles McPherson(チャールス・マクファーソン)) よって映画でのパーカーが演奏した曲はまさしくパーカーのアルトサックスの音源そのものなのだそうです。
2002年の「バード」の国内盤のサントラはバード(オリジナル・サウンドトラック)
※麻薬や酒や女という悪癖にも関わらず生涯パーカーを支えた内縁の妻のチャン・パーカーはユダヤ系だったために白人と黒人との人種差別が激しかった当時のアメリカ社会においては共に行動することさえも困難を極めたそうです。 パーカーの死後は”New Bird”と呼ばれたパーカーと同時代のアルトサックス奏者のPhil Woods(フィル・ウッズ)と結婚してフランスに滞在していたチャン・パーカーでしたがパーカーとの壮絶な生活を記した自伝「My Life in E-Flat(英語のペーパーバック)」を執筆し1999年に出版されました。

Charlie Parker on the Films
上記のパーカーの伝記映画の「Bird(バード)」では当然たくさんの曲が使用されましたが、それ以外にもパーカーの曲がサントラで使用された映画は何本かあります。 有名な映画では1950年代のグリニッチ・ビレッジにたむろする若者たちを描いた1976年の「Next Stop, Greenwich Village(グリニッチ・ビレッジの青春)」で”Confirmation(コンファメイション)”が使用されたのをはじめ、”Now’s The Time”が使用された1986年の「’Round Midnight」、”KO-KO”が使用された1999年の「The Talented Mr. Ripley(リプリー)」、Thelonious Monk(セロニアス・モンク)の”Straight, No Chaser”と共にパーカーの”Now’s the Time”が使用された1995年の「Se7en(セヴン)」
1951年作曲の”My Little Suede Shoes”が使用された2005年の「Capote(カポーティ)」などがあります。
Bird in The Source
1999年にChuck Workman(チャック・ワークマン)が監督したテレビ用ドキュメンタリー映画のThe Source(ビートニク)ではジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどのビート詩人やチャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンなどのジャズメンの映像も観られる映画です。 50年代後期から流行したビート族とビート・ジェネレーションは兎にも角にも当時の若者文化に多大なる影響を与えました。
ちなみにOSTの情報は見つかりませんが、映画「Next Stop Greenwich Village(グリニッチ・ビレッジの青春)」のサウンドトラックではBill Conti(ビル・コンティ)の音楽で、チャーリー・パーカーの他に、アルト・サックス奏者のPaul Desmond(ポール・デスモンド)が参加しているDave Brubeck Quartet(ディヴ・ブルベック・カルテット)のThree To Get Ready、Blue Rondo A La Turk、For All We Know、Perdido、そしてJ.J. Johnson(JJジョンソン)のYesterdaysやGlenn Miller and His Orchestra(グレン・ミラー楽団)のLittle Brown Jugが使用されそうです。

Bird Lives by Ross Russell

Bird Lives!: The High Life And Hard Times Of Charlie by Ross Russell
ロスアンジェルスのビバップ専門レコード店の経営者だったジャズ・ファンのロス・ラッセルは麻薬で病院にぶち込まれたパーカーを引き取りパーカーを録音するために契約を結んで1946年にDial Records(ダイアル・レコード)を設立したそうです。 ロス・ラッセルはパーカーだけでなくディジー・ガレスピーやDexter Gordon(デクスター・ゴードン)やErroll Garner(エロール・ガーナー)などのジャズメンの演奏を録音した音源はジャズ愛好家の垂涎の的となりました。 音楽プロデューサーのロス・ラッセルが1973年に書いたチャーリー・パーカーの伝記小説といわれる「バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難」がありますが、パーカーをモデルにした1961年の小説「The Sound」やノンフィクションの「Jazz Style in Kansas City and the Southwest(カンザス・シティ・ジャズ ビバップの由来)」などの著書があります。
☆原文が見られるBird Lives

Charlie Parker-His Music and Life by Carl Woideck

Charlie Parker: His Music and Life by Carl Woideck
カール・ウォイデック著のチャーリー・パーカー―モダン・ジャズを創った男がありますが、残念ながら私はどちらも読んだことはありません。
パーカーのヴァーヴ時代のアルバム「Charlie Parker with Strings」など一連のユーモラスなカバー画像はDavid Stone Martin(デヴィッド・ストーン・マーチン)によるものでが、この書籍のカバーに使用されている写真はサヴォイ・レコードの「Charlie Parker, Vol. 1」や「 Charlie Parker, Vol. 2」、「The Charlie Parker Quintet Vol. 3」などと同じで、1950年代からLPカバーデザインで有名なイラストレーターのBurt Goldblatt(バート・ゴールドブラット)の作品です。
バート・ゴールドブラット Burt Goldblatt

Links about Charlie Parker’s Discography & Bio
私が後でよく読もうと思っている参考になるウエブサイトのリスト
http://www.chasinthebird.com/syoukai/syoukai37.html(日本語)
http://ja.jazzdisco.org/charlie-parker/catalog/album-index/(日本語)
http://www.soulwalking.co.uk/Charlie%20Parker.html(英語)
☆パーカーのラテンのディスコグラフィーについては http://ja.jazzdisco.org/verve-records/clef-records-catalog-78-45-rpm-11000-85000-series/single-index/
☆スラングについては http://www.fiftiesweb.com/fashion/slang.htm
☆ビートジェネレーションについては http://www.litkicks.com/Topics/Jazz.html
☆録音禁止については http://libcom.org/history/1942-1944-musicians-recording-ban