我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives (1946)

元水兵ホーマーの叔父の店「Butch」での再会
The Best Years of Our Lives
左からホーマー、軍曹の娘、フレッド大尉、軍曹の妻、ブッチ、アル軍曹
我等の生涯の最良の年(1946年)

「The Best Years of Our Lives(我等の生涯の最良の年)」は第二次大戦直後の米・タイム誌に掲載された「元海軍兵達の実社会復帰への問題」の記事にヒントを得たプロデューサーのSamuel Goldwyn(サミュエル・ゴールドウィン)が企画立案し、William Wyler(ウィリアム・ワイラー)が監督した復員兵の社会復帰プロパガンダ映画だそうです。
第二次大戦が終わり軍用輸送機に乗り合わせた陸・空・海の三人の復員兵が同じ故郷に帰還し、それぞれが復員兵としての現実の社会復帰に苦悩する人生ドラマを描いています。
「我等の生涯の最良の年」は1946年のアカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、脚色賞、音楽賞、編集賞を受賞し、ゴールデングローブや英国アカデミー賞作品賞を受賞した作品です。

出演はなぜかオープニングとエンディングのクレジットで”Frederic March”と名前のスペリングが違っていたFredric March(フレドリック・マーチ)がアル軍曹を演じています。(1938年に「There Goes My Heart」で主演したフレドリック・マーチ) アル軍曹の妻にMyrna Loy(マーナ・ロイ)、 アル夫妻の娘のペギーにTeresa Wright(テレサ・ライト)、フレッド空軍大尉にDana Andrews(ダナ・アンドリュース)や、フレッド空軍大尉の妻のマリーにVirginia Mayo(ヴァージニア・メイヨ)、その恋人のCliff Scull(クリフ)にMichelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)のIl grido(さすらい)に出演したSteve Cochran(スティーヴ・コクラン)などで、元水兵で義手のホーマー役のHarold Russell(ハロルド・ラッセル)は本職の俳優ではなく、実際に軍隊の事故で両手を失った負傷兵です。 復員兵が家族とともに再会するのはホーマーの伯父のブッチのバーですが、そのブッチを演じているのがピアニストでいくつもの名曲を作曲したHoagy Carmichael(ホーギー・カーマイケル)なのです。 ブッチの店でホーマーがブッチに演奏を頼んだのはでホーギー・カーマイケルが1930年にNew Orleans Jazzのクラリネット奏者だったSidney Arodin(シドニー・アローディン)と一緒に作曲したジャズのスタンダードとして有名な”(Up a) Lazy River”でした。
Hoagy Carmichael – Lazy River – YouTube
ペギーを演じたテレサ・ライトは1941年にBette Davis(ベティ・デイヴィス)やDan Duryea(ダン・デュリエ)が出演した「The Little Foxes(偽りの花園)」や1942年にJoseph Cotten(ジョセフ・コットン)が主演した「Shadow of a Doubt(疑惑の影)」ではまだ可憐な乙女役でした。
1949年の「White Heat(白熱)」でJames Cagney(ジェームス・キャグニー)が演じたギャングの妻を演じ、1947年の「The Secret Life of Walter Mitty(虹を掴む男)」や1948年の「A Song Is Born(ヒット・パレード)」などのDanny Kaye(ダニー・ケイ)の映画でコーラスガール役が有名なヴァージニア・メイヨの脚線美が見られるSkylighters – Virginia Mayo
ダンサーからサイレント映画に出演するようになり1939年の「The Rains Came(雨ぞ降る)」など異国情緒たっぷりで妖艶なヴァンプ役などでMGM映画のスターとなった美しいマーナ・ロイの写真が見られるThe Queen Of Hollywood – Myrna Loy – Members.aol.com(Picture Galleryをクリック)
ちなみにマーナ・ロイは1974年の「Airport 1975(エアポート’75)」でバーボンのビール割りを注文したジェット旅客機の搭乗客のデヴァニー夫人役を演じ自家用セスナ機を操縦していてジェット機に接触しコックピットに穴を開け墜落した会社重役フリーマン役のダナ・アンドリュースと共演しています。
Danny Kaye and Virginia Mayo in A song is born – YouTube

Dana Andrews
ミシシッピの牧師の子として生まれたダナ・アンドリュースでしたが俳優となり1940年から「The OxBow Incident(牛泥棒)」などの西部劇や「The Battle of the Bulge(バルジ大作戦)」などの戦争映画に出演していました。 1944年にOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督した有名なフィルム・ノワールの「Laura(ローラ殺人事件)」はDavid Raksin(デイヴィッド・ラスキン)のテーマ曲”Laura Theme”となりましたが殺人課のマーク刑事を演じたダナ・アンドリュースが注目されました。(至近距離で顔を撃たれて死んだファムファタールのローラを恋してしまう刑事なんて…) さて、「我等の生涯の最良の年」でスターの座を揺るぎないものにしたダナは1940年にGary Cooper(ゲイリー・クーパー)主演の「The Westerner(西部の男)」と1941年に「Ball of Fire(教授と美女)」、1943年にHenry Fonda(ヘンリー・フォンダ)主演の西部劇「The Ox-Bow Incident(牛泥棒)」に出演して牛泥棒としてリンチを受ける放浪者を演じ、1949年には映画でクラブの歌手役のMartha Mears(マーシャ・ミアーズ)が歌ったヴィクター・ヤング作曲のテーマ曲が1949年のアカデミー賞歌曲賞を受賞したサリンジャー原作の「My Foolish Heart(愚かなり我が心)」にSusan Hayward(スーザン・ヘイワード)が演じるエロイズが戦時中に愛したウォルト・ドライザー役をダナが演じました。 「我等の生涯の最良の年」の後には再び西部劇でGreer Garson(グリア・ガーソン)と共演した1955年の「Strange Lady in Town(荒野の貴婦人)」の後、Fritz Lang(フリッツ・ラング)が監督した1956年のフィルム・ノワール映画「While the City Sleeps(口紅殺人事件)」で殺人犯人を追う記者を演じて「The Hitch-Hiker(ヒッチ・ハイカー)」を監督したIda Lupino(アイダ・ルピノ)と共演しています。 1966年にはJane Russell(ジェーン・ラッセル)と西部劇「Johnny Reno(必殺のジョニー)」で共演した後の1967年にHerbert J. Leder(ハーバート・J・レダー)監督のホラー映画「The Frozen Dead(怪奇!呪いの生体実験)」などに出演していましたが1960年代後期には引退してしまいました。 ダナ・アンドリュースは1940年代と1950年代に活躍した俳優としてばかりでなく映画俳優組合(Screen Actors Guild)の委員長として女優のヌードシーン反対声明を出したり、不振時代に自身も陥ったアルコール依存症の評議会の広報を担当するなど社会派の行動で知られています。

映画の製作にあたって、ウィリアム・ワイラー監督はリアル感を与えるため、俳優達には自前の衣裳を着せ、メーキャップも最小限にさせたほどだったので、サミュエル・ゴールドウィンが映画未経験のハロルド・ラッセルを演技指導へ行かせたことを知り、自然の演技が欲しかった監督は激怒したとか。 ちなみにウィリアム・ワイラー監督の映画で私がラストシーンで咽び泣きしたのはローレンス・オリヴィエ卿がヒースクリフを演じた1939年の「Wuthering Heights(嵐が丘)」でした。

videoホーギー・カーマイケルも見られる「我等の生涯の最良の年」のトレーラーはThe Best Years of Our Lives Trailer – YouTube
Al Stephenson’s Speech in The Best Years of Our Lives – YouTube
Dana Andrews at Aircraft Graveyard in The Best Years of Our Lives – YouTube

恋人を抱きしめることができないEdward Scissorhands(シザーハンズ)のようなホーマーと恋人との再会をはじめ、各人の再会シーンなど感動的な場面はいくつも有りますが、婚約者がホーマーのパジャマのボタンをかけるシーンは、普段はハードボイルドな私が「鬼の目にも涙」でした。

第二次大戦で日本軍と戦った戦争記念品を息子に見せながらのやりとりのなかで、「日本人は家族との絆を大切にするんだ」「あぁ、我々とは違って。。。」というクダリがあります。 それが50年代から60年代のTVホームドラマにみるようなアメリカの憧れの家庭像となっているのかもしれません。 しかし、戦後の我が国ではどうなったでしょう?

日本語字幕版「我等の生涯の最良の年」のDVD(白黒)です。
The Best Years of Our Lives DVD我等の生涯の最良の年 DVD
画像は2006年に発売された500円DVDですが、この他に2007年には吹き替え版(ASIN: B000RL1F6U)も出ました。

「我等の生涯の最良の年」の2000年英語版VHSビデオもまだあるようです。
Best Years of Our LivesBest Years of Our Lives (1946)
英語版のVHSには「Best Years of Our Lives (1946)」もあります。

Best Years of Our Lives Soundtrack (Hugo Friedhofer)
Best Years of Our Lives Soundtrackオリジナルのリリースは1988年のヒューゴ・フリードホーファー音楽のサウンドトラックで、”Main Title”から”End Title”まで全11曲を収録しています。(曲目リストはhttps://www.allmusic.com/album/best-years-of-our-lives-mw0000925869) 「我等の生涯の最良の年」で音楽を担当したのは1951年に「Ace In The Hole(地獄の英雄)」の音楽も手掛けたハリウッド映画音楽の巨匠ともいうべきHugo W. Friedhofer(ヒューゴ・フリードホーファー)です。