サミー・デイヴィス・ジュニア Sammy Davis Jr.

Cool! Sammy Davis Jr. (1925 – 1990)
一人漫談や物真似といえばJim Carrey(ジム・キャリー)やEddie Murphy(エディ・マーフィー)やカナダ人のNorm MacDonald(ノーム・マクドナルド)などコメディアンの分野ですが、その元祖ともいえるのがサミー・デイヴィス・ジュニアでしょう。(昔はサミー・デビス・ジュニアと呼ばれました) 歌えて、踊れて、一人漫談が出来て、物真似が出来て、楽器も演奏出来て、演技も出来るサミー・デイヴィス・ジュニアはニューヨーク州のハーレム地区でユダヤ系のアフリカ系アメリカ人(黒人)とプエルトリコ系の母(ユダヤ教徒とアフリカ系アメリカ人の混血)との間に生まれ、父と叔父が芸人ボードヴィル・ショーの旅回りをしていたので3歳という幼い頃から舞台に立って以来タップや歌や形態模写など達者な芸を披露していたそうです。 この頃のサミーのビデオを観ても大人を食ってしまうほど素晴らしい芸です。(顔が変わっていません!) 昔はサミー・デビス・ジュニアと表記されていたと思う。

サミー・デイヴィスJr.は世界第二次大戦の終りも間近の1944年に徴兵されアメリカ陸軍に入隊し一兵卒として参戦したそうです。 軍隊でのひどい人種差別さえもサミーの芸が緩和する役目を果たしてくれたそうで、芸は身を助くではないですがサミーの経歴から兵士向けのショーなどを行う慰問部隊に配属されたのだとか。 タップダンスは1984年の映画「The Cotton Club(コットン・クラブ)」に出演したGregory Hines(グレゴリー・ハインズ)が崇拝するほどの腕前、いや足捌きです。 イタリア系移民の子であることから自分も人種差別を受けたFrank Sinatra(フランク・シナトラ)が同じくイタリア系移民の子で生涯ボラチョン(Borrachon)のDean Martin(ディーン・マーティン)やロンドン出身のPeter Lawford(ピーター・ローフォード)などと1950年代に結成したRat Pack(シナトラ一家)に黒人であるサミーを1959年に入れたことはかなりの波紋を呼んだそうです。 差別に反対といってもそこはやはり人間で実際は差別するシナトラだったと黒人ミュージシャンのQ.J.が自伝に記していたとか。 人種はさておきおそらくサミーの人柄と芸に惚れたのでしょう。 当時サミーの芸達者ぶりは有名でマフィアをテーマにした1990年の映画「Goodfellas(グッドフェローズ)」で”物まね上手で白人女も惚れるほど”とメイ・ブリットとの結婚を意味する台詞がありました。

7 year old Sammy Davis – YouTube
Sammy Davis Jr. – Because Of You (impersonation) – YouTube
Sammy Davis Jr. – One for my Baby & Me and My Shadow (impersonation) – YouTube
Sammy Davis Jr. – Birth of the Blues – YouTube

サミー・デイヴィスJr.は1949年のGot A Great Big Shovel、Yours Is My Heart Alone、I’m Sorry Dear、Inka Dinka DooなどをはじめにCapitolで録音、1954年のBecause Of You、The Red Grapes、Hey ThereなどをはじめにDeccaでレコードを吹き込みましたが1960年になってRepriseでレコーディングしたそうです。 ドラマーのSy Oliver(サイ・オリヴァー)のThe Sy Oliver Orchestra(楽団)をバックにデッカレコードで78回転の”Because Of You”を初リリースした1954年のこと、高速道路で交通事故に遭い九死に一生を得ましたが不幸にも左目を失明してしまったのです。 その時にユダヤ教に改宗しています。 後にフランク・シナトラのすすめで義眼を入れましたがこの当時はアイパッチの片目で芸能活動をしていて、それも一時はトレードマークとなりました。 アイパッチのミュージシャンというとピアニストのJames Booker(ジェイムズ・ブッカー)がいましたが死後にトリビュート・アルバム「Patchwork: A Tribute to James Booker」がリリースされたそうです。
その後の1960年にはシナトラ一家とOcean’s Eleven(オーシャンと11人の仲間)に出演して世界的に知られるようになり超人気となったことから、1962年に人気のTVドラマの「77 Sunset Strip(サンセット77)」でKid Pepper役や1963年にBen Casey(ベン・ケーシー)にAllie Burns役などでゲスト出演もしています。 この年1963年には人種差別撤廃を求めてワシントンDCからのCivil Rights(公民権)運動(ワシントン大行進)にHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)等と共に参加したとは聞きましたが特別に活動していたかは不明です。 人気者になっても白人の仲間とは全く違った扱いを受けた当時の黒人アーティストたちの屈辱は計り知れませんが、それでも表立って公民権運動などに参加するのは勇気の要ることだったでしょう。 あれから半世紀が経過した現在、本当に黒人差別が無くなったとは思えない社会情勢です。

Sammy Davis Jr. Gets a White!
サミー・デイヴィスJr.はMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)程かどうかは不明ですが、サミーは白人願望が強く白人女性、特に美人女優と次々と交際し、フランク・シナトラやピーター・ローフォードとも関係のあったと云われるKim Novak(キム・ノヴァク)にお熱となり1950年代中頃に交際があったそうですがスキャンダルを恐れた会社側が止めたとか。 白人と黒人の交際だけでも大騒ぎなのに1960年にはスウェーデン出身の白人女優であるMay Britt(メイ・ブリット又はマイ・ブリット)と2度目の結婚しました。(一度目はノヴァクと離され脅されてサミーの意に反した黒人ダンサーとの金絡みの政略結婚) 当時アメリカの南部では多くの州で白人と黒人の結婚はおろか同席さえも禁じていたので物議をかもし出し脅迫状まで届いたそうです。 二人の間には娘が一人と養子の息子が二人あったそうですが遊び人サミーの浮気により結婚生活は長く続かず、1876年から1964年頃に布かれた奴隷制維持のJim Crow law(ジム・クロウ法)が1967年に廃止になった翌年に離婚してしまいますそんなサミーでしたが、「こんなこたぁ、あたしらの時代にはようやりませんねん。」とステージで踊りながら”ポーゥ!”と前を押さえるMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)の物真似はしましたがマイケルのように顔を白くはしませんでした。(そのマイケルは2009年に急死)
Sammy Davis Jr. performs Michael Jackson’s BAD – YouTube
サミーの初来日は1963年で最後は1989年の64歳の時、無くなる1年前のことだったそうですが、一番有名なのはカンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリー・ウイスキーのTVコマーシャルへの出演で、ウィスキーグラスをでっかい指輪でチンチカ、チンチカと叩いて”Oh! Dynamaite!”と言うサントリー・ウヰスキー(その名もホワイト!)のお洒落な1分間テレビCMが1973年に放映されたことでお茶の間にもコンチキコンが人気となりました。 オリジナルはEPシングル盤のA面にチッキチッキでB面はThe Candy Manが収録されていたPOLYDORレコードと聞いたのですが、”Chi-ki Chi-ki Sammy”を収録した4曲入りEPシングル盤はMGMレコードからリリースされてサントリーがPR用に配布した非売品だそうです。
☆そのレコード画像が見られ、試聴ができた商品「Chi-ki Chi-ki Sammy – SLAP LOVER RECORD」は現在消滅しました。
このアルバムにはChi-ki Chi-ki Sammy、The Candy Manの他にGet WhiteとJohn Shaftですが、”John Shaft(ジョン・シャフト)”とは1970年の黒人版ジェームスボンド映画「Shaft」の主人公です。
酒や麻薬、ギャブルに女と何でもはまり込むサミーでしたが、元々葉巻片手にステージに立つほどヘビースモーカーだったことから喉頭ガンを患い惜しいことに1990年に64歳で亡くなりました。 もともと細身のサミーでしたが、亡くなる前あたりのステージでは服の中に身体はあるのかと思う程痩せ細っていました。

The Candy Man
このThe Candy Man(陽気なキャンディ・マン)という曲はイギリスの作詞作曲家であるLeslie Bricusse(レスリー・ブリカッセ)とAnthony Newley(アンソニー・ニューリー)のコンビによって作られたそうです。 1978年のテレビ版もあったミュージカルのStop the World – I Want to Get Off(世界を止めろ-俺は降りたい)でサミーが歌った”What Kind of Fool Am I?(愚かな私)”もこのコンビが書いたそうです。 日本未公開でしたが1971年のミュージカル映画の「Willy Wonka & the Chocolate Factory(夢のチョコレート工場)」の中では、サミーが演じたかったというキャンディー屋のビル役のAubrey Woods(オーブリー・ウッズ)が映画の冒頭で”The Candy Man Can”と歌いました。 その後サミー・デイヴィス・ジュニアのバージョンが1972年にヒットしてこちらの方が有名になりました。(サミーは自分が書いて貰った曲だと明言しています) 「夢のチョコレート工場」では、「何でも君の夢をかなえるよ。」という歌でしたが、サミーが歌うと夢のキャンディー売りの歌というよりも麻薬入りキャンディーの歌かとうがった見方をしてしまいます。
☆サミー・デイヴィス・ジュニアの”The Candy Man”はサントラには収録されませんでしたが2005年のアニメ映画「Madagascar(マダガスカル)」でちらっと使用されています。 注!Tony Todd(トニー・トッド)がキャンディマンを演じた1992年のホラー映画「Candyman(キャンディマン)」シリーズとは何の関係もありません。(Candymanを5回繰り返して言っては駄目よ!)
Sammy Davis Jr. – The Candy Man (1972) – YouTube

Cool! Sammy’s Albums
20th Century Masters: Millennium Collection
サミー・デイヴィス・ジュニアはアメリカのショービジネス界の偉大なるエンターティナーなのでじっくり聴くというよりは楽しいステージを観るのが一番ですが、今となってはサミーのアルバムを聴くしかありません。 シナトラ一家集大成のRhinoボックスセット・アルバムではなく単品で手に入るCDもたくさんあります。
「Millennium Collection-20th Century Masters」
ページトップの画像はサミー・デイヴィス・ジュニアのMGM時代のヒット曲集で2002年にリリースされた輸入ベスト盤、The Candy ManやMr. BojanglesやPorgy & Bess Medleyなど11曲を収録してあります。
試聴は20th Century Masters: The Millennium Collection: The Best Of Sammy Davis, Jr. – AllMusic.com

The Definitive Collection
The Definitive Collection
Definitive Collection Sammy Davisサミー・デイヴィス・ジュニアが歌うポップス調の曲やジャズのスタンダードを集めたリマスターアルバムで、2006年リリースのベスト盤にはToo Close For ComfortをはじめHey ThereやBirth of the Bluesからサミーの定番曲であるCandy ManやMr. Bojanglesなど主な20曲を収録してあります。
試聴はSammy Davis, Jr Definitive Collection – Amazon.com

Capitol Years
The Capitol Years
Capitol Years Sammy Davisサミー・デイヴィス・ジュニアのキャピトル・レコード時代、1940年代後期からR&Bやジャズはもとよりポップスやバラードまで幅広く歌い、1959年にラトパックに参加する以前にも力量のあるところを聴かせます。 こちらは2008年リリースのベスト盤ですが2003年の同名アルバムは曲目が違います。
試聴はSammy Davis, Jr Capitol Years Soundtrack – CD Universe

Too Close For Comfort on Broadway Musical: Mr. Wonderful
サミー・デイヴィス・ジュニアが1946年のミュージカルのMr. Wonderful(ミスター・ワンダフル)で歌った”Too Close For Comfort”はIrving Berlin(アーヴィング・バーリン)が作曲しました。 この曲はの上記のアルバムの「The Definitive Collection」の他、ブロードウエイ・ミュージカル集の「Broadway Classics」にも収録されていますが、DVDでは輸入版の「Sammy Davis Jr Show」にも収録されています。

I’ve Gotta Be Me: The Best Of Sammy Davis Jr.
Marty Paichなどがアレンジした1966年リリースのLP「Sammy Davis, Jr. Sings and Laurindo Almeida Plays」がCD化されて、サミー・デイヴィス・ジュニアがブラジルのジャズギタリストのLaurindo Almeida(ローリンド・アルメイダ)と録音した美しいメロディの”Here’s That Rainy Day”や”I’m Always Chasing Rainbows”の他Marty Paich(マーティ・ペイチ)などがアレンジした全15曲を収録しています。
試聴はI’ve Gotta Be Me: The Best of Sammy Davis, Jr. on Reprise – AllMusic.com
「I’ve Gotta Be Me: The Best of Sammy Davis, Jr. on Reprise」の国内盤は「ベスト・オブ・サミー・デイヴィスJr.
Sammy Davis Jr. with Laurindo Almeida – I’m Always Chasing Rainbows – YouTube

Let There Be Love
マーティ・ペイチのアレンジといえば1970年にリリースされたLPレコードがあり、アルバムのタイトル曲の他、私の好きなI’m A Fool To Want Youなど全9曲を収録していますが現在はアトランティックのアナログ(ASIN: B007BC72OW)だとアメリカのAmazon.comで見つかります。
☆日本のアマゾンではデジタル・ミュージックのアルバム「The Wham Of Sam」(ASIN: B007KB8EXW)で全曲試聴可。(アルバムはオリジナルが1961年にRepriseよりリリースされたLP盤で2005年にCD化)

The Essential Sammy Davis Jr.
2005年に発売された全40曲収録した2枚組みCDの「Essential Sammy Davis Jr.」の他にも2009年発売で28曲を収録した2枚組みCDの「Essential」又は「The Essential」がありますが、2006年には12曲収録の「Essentials」というアルバムもリリースされています。

Cool! Sammy Davis Jr. DVD
The Best Of Live & The Sammy Davis Jr. Show

2007年に発売された「Best of Sammy Davis Jr. DVD」(ASIN: B000RPBGLA)には1985年にドイツでの公演をカラーで録画したものだそうでヒット曲の数々を収録してあるとか。
1959年にシナトラ一家のラトパックで人気を博したサミー・デイヴィス・ジュニアの1966年の週に1度のテレビ番組の最終回をモノクロ収録したという「Sammy Davis, Jr. Live」(ASIN: B0009PZOXY)は2005年に発売されています。

Cool! Sammy Davis Jr. in the films
サミー・デイヴィス・ジュニアの映画歴は長く約半世紀に渡りますが主役を演じたような大作はありません。 映画デビューは7歳の時、日本未公開ですが1933年にサミー・デイヴィスとしてルーファス・ジョーンズ少年を演じた「Rufus Jones for President」でした。 Ethel Waters(エセル・ウォーターズ)が母親を演じ、サミーが差別に嘆く黒人の少年を演じて”You Rascal You (I’ll Be Glad When You’re Dead)“などを歌ったこの映画では何時の日か黒人少年が大統領になる夢を描いていますが、まさにアメリカで2009年に初の黒人大統領が誕生しました。 その後サミーは同じく日本未公開でしたがArthur Lubin(アーサー・ルービン)が監督した1947年の「New Orleans(ニューオリンズ)」など何本かにちょっと出演しましたが、メジャーになったのが「黄金の腕」で知られるOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督してSidney Poitier(シドニー・ポワチエ)とDorothy Dandridge(ドロシー・ダンドリッジ)が出演した1959年の黒人ミュージカルの「Porgy and Bess(ポギーとベス)」で、べスに恋するSportin’ Life(スポーティン・ライフ)役でした。 この映画ではGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュウィン又はジョージ・ガーシュイン)作曲の”Summertime”は歌っていませんが有名な”It Ain’t Necessarily So”の他、”A Woman Is a Sometime Thing”、”There’s A Boat Dat’s Leavin’ Soon For New York”を歌っています。 出演者のなかでただ一人吹き替えなしで歌ったサミーでしたがレコード会社との契約問題でサウンドトラック盤には収録されませんでした。 「ポギーとベス」はミュージカル映画ですがサミー・デイヴィス・ジュニアはトニー賞にノミネートされた1964年から1966年のブロードウエイの舞台のミュージカル「Golden Boy」などのヒットがあります。(このあたりは若いからまだそんなにしゃがれ声ではない)
Sammy Davis Jr. – There’s A Boat Dat’s Leavin’ Soon For New York – YouTube

Sammy Davis Jr. as Josh Howar in “Ocean’s Eleven”
オーシャンと11人の仲間 特別版DVD
Ocean's Eleven DVDフランク・シナトラに引き抜かれてThe Rat Pack(シナトラ一家)の一員となったサミーは1960年に「オーシャンと11人の仲間」に大金を運ぶ清掃車のJosh Howard(ジョシュ)役で出演してそのテーマ曲ともいえる”Eee-O Eleven”が大ヒットしました。 監督は1946年に「The Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)」を監督したロシア出身のLewis Milestone(ルイス・マイルストン)で、音楽を1961年の「Lolita(ロリータ)」の音楽も手掛けたNelson Riddle(ネルソン・リドル)が担当しました。
Saul Bass(ソウル・バス)がタイトル・デザインを手掛けたお洒落なオープニングはラスヴェガスらしくネオンサインの数字により1から11までオーシャンと十一人の仲間のキャストがクレジットされ、シャンパングラスでラッキーセヴンのスロットマシーンやルーレットなどのアニメも素晴らしいです。 フランク・シナトラが演じる賭けに強い親分各のダニー・オーシャン元軍曹が戦時中に落下傘部隊でで仕込まれた技を使わない手はないとばかりに結成した泥棒軍団のカジノの金庫破りストーリーです。 ジョニー・クールのヘンリー・シルヴァは嫌われ者のアシーボス親分の子分の一人でRoger Corneal(ロジャー・コーニル)を演じ、余命いくばくもない電気技師のトニーを同窓会(犯罪)に参加するように説得する役割です。 ダニーの指図で次々と元の戦友を仲間に引き込むのですが長くなるのでサミーの部分を抜粋します。
ゴミ収集車の仲間(Jerry Velasco)が吹くハモニカでサミー演じる片目のジョッシュが歌う曲が”Eee-O Eleven”なのです。 「♪ 今に運転手付きのリムジンを手に入れるさ。 11人で。 ♪」 この曲はゴミ運搬車を使っての輸送係りを受け持ったラストシーンにも警察の検問をみごとクリアしたジョッシュが車を運転しながら歌います。 ジョッシュは計画通りに札束入りのゴミ缶を次々と収集していい仕事したのにまさかのハプニングが起こってしまうのです。 EEE-O ElEVEN !! ジョッシュのトラックに乗り込んだラトパックの3人がサミー・デイヴィス・ジュニアばりに顔に靴墨を塗るシーンが笑えます。 ただし仲間のトニーの遺体が火葬されたことを知った後にはまた別のバージョンの”EEE-O ElEVEN”が流れます。 eee-o eleven… Ocean’s Eleven
Sammy Davis Jr. – Eee-O 11 – YouTube

Eee-O Eleven / Ain’t That a Kick in the Head (Verve single)
Ocean's 11 Soundtrack - Eee-O Eleven画像は私が当時購入したEP盤”Verve VS-1″で”Eee-O Eleven(イー・オー・イレブン)”と”Ain’t That a Kick in the Head(はっきりしろよ)”を収録しています。(クリックで画像拡大可)
テーマ曲を歌っている肝心なサミーがジャケットに見えないじゃないか!って、一番最後に手を乗せたサミーは遠慮深いからか黒いからかクリックで拡大しても分りづらいですが左から4人目、真ん中のディーン・マーチンの左隣がシナトラでサミーはシナトラの肩のあたりです。(ディーン・マーチンの右隣はピーター・ローフォードでその次がヘンリー・シルヴァ)sammy

The Best of the Rat Pack: Ocean’s Eleven Soundtrack
Eee-O-11: The Best of the Rat Pack
Ocean's Eleven Soundtrack2001年に発売されたラトパック集の輸入盤のサントラ画像ではサミーがちゃんと見えます。ネ! 「オーシャンと十一人の仲間」のサントラはもう存在していないようですが、このベスト盤CDには映画で演奏された(Love Is) The Tender Trap、サミーとゴミ収集仲間のハモニカ野郎とデュエットしたAin’t That a Kick in the Head、そしてサミーのEee-O Elevenが収録されています。 Ain’t That a Kick in the HeadとEee-O ElevenとThe Tender TrapはSammy Cahn(サミー・カーン)とJimmy Van Heusen(ジミー・ヴァン・ヒューゼン)が作った曲だそうです。
試聴はEee-O-11: The Best Of The Rat Pack – CD Universe
☆シナトラ一家のラット・パックについてはAudio-Visual Trivia 内のThe Rat Pack

Johnny Cool 1963年
Johnny Cool Soundtrack画像は私が当時購入したBilly May(ビリー・メイ)楽団演奏の「ひとりぼっちのギャング」のサントラEP盤のLL – 591 – UAです。(クリックで拡大可)
サミーがサイコロ博打の名人であるEducated(エジュケイテッド)役で出演した「ひとりぼっちのギャング」はWilliam Asher(ウイリアム・アッシャー)が監督して都会のジャングルに棲む孤独な一匹狼の凄惨と哀歓を描いた実にセンセーショナルなB級ギャング映画です。 シナトラ一家の映画としては「Ocean’s Eleven(オーシャンと十一人の仲間)」に続いて1962年に「Sergeants 3(荒野の3軍曹)」に出演した後の映画ですが、「ひとりぼっちのギャング」の後には続いて1963年にRobin and the 7 Hoods(七人の愚連隊)で”Bang! Bang!“と見事なタップダンスと歌を披露していますが、シナトラ親分が私立探偵を演じた1968年の「Lady in Cement(セメントの女)」には出演していません。
「ひとりぼっちのギャング」にはシナトラ一家の主だったメンバーは出演していませんが、出演場面は少しとはいえサミー・デイヴィス・ジュニアはインパクトのあるサイコロ賭博師として出演しています。 主な出演者は残虐な悪役を演じては定評のある奥目ですきっ歯のHenry Silva(ヘンリー・シルヴァ)ですが、特派員を演じたのは佐藤純彌が監督した1978年の「野性の証明」に米陸軍特殊部隊長役で出演したRichard Anderson(リチャード・アンダーソン)でした。
ニューヨークのブルックリン生まれでハーレムで育ったアメリカの俳優のヘンリー・シルヴァはSilvahaという名でも分るようにシシリア系です。(厳密に言えばはシシリアとスペインの混血だとか) 犯罪ギャング映画の多いシルヴァは1974年に「Milano odia: la polizia non può sparare(ミラノ殺人捜査網)」では狂気の犯罪者を処刑するグランディ警部を演じたヘンリー・シルヴァもシナトラ一家の一員であり、「Green Mansions(緑の館)」のアマゾン奥地の部族(インディオ)や「オーシャンと十一人の仲間」のドジな手下などで知られていました。 殺し屋のなかの殺し屋と呼ばれる冷酷な主人公のジョニークール役として抜擢された映画が「ひとりぼっちのギャング」です。 この作品以降も闇の帝王と呼ばれる極悪非道のギャング役で活躍しました。 「ひとりぼっちのギャング」での他の出演者にはサミー・デイヴィス・ジュニアやヘンリー・シルヴァ同様にシナトラ一家の一員であるJoey Bishop(ジョイ・ビショップ)も早口の中古車ディーラーとしてゲスト出演しています。 もう一人、この映画の花は当時監督のウイリアム・アッシャーと結婚したElizabeth Montgomery(エリザベス・モンゴメリー)で、同年にヘンリー・シルヴァ同様にシナトラ一家の一員であるディーン・マーティンとラブコメの「Who’s Been Sleeping in My Bed?(僕のベッドは花ざかり)」にも出演しています。 エリザベス・モンゴメリーはこの後1964年から放映された人気TVシリーズでウイリアム・アッシャーがプロデューサーだった「Bewitched(奥様は魔女)」にサマンサ役で出演して一躍お茶の間の人気者になりました。 「ひとりぼっちのギャング」ではエリザベス・モンゴメリーが懐疑的ながらもジョニークールの片腕となったセクシーな美女を演じています。 1973年から放映されたTVシリーズの刑事コジャックで人気の丸坊主で有名なTelly Savalas(テリー・サヴァラス)がジョニー・コリーニの暗殺リストに載っているニューヨークのギャングの元締めのVincenzo ‘Vince’ Santangelo(サンタンジェロ)を演じています。 超高層ビルのてっぺんがアジトのサンタンジェロがまさか外から窓掃除人にマシンガンで撃たれるとはお釈迦様でもご存知あるめえ。(まさかのBGMはWindow Washer by Billy May)
通称ジョニークールと呼ばれる殺人マシーンがなぜ冷酷かというと、それは1943年のイタリアのシシリー(シシリア)から始まります。 Salvatore Giordano(ジョルダノ)が少年だった第二次大戦中のこと、一度は母親をドイツ兵の魔手から助けたものの目の前でドイツ兵に母親を射殺されたことからファシストに対抗する地下組織のキングと呼ばれるSalvatore Guiliano(サルバトーレ・ジュリアーノ)に助けられレジスタントの闘志として成長したのでした。 (イタリアで19世紀後期に拡大したマフィアの影響力はシチリア島にも及びさらに1920年代後半はイタリア・ファシスト政権によって抑圧されていたのが第二次世界大戦時には連合国によってようやく解放されたそうです) よって終戦後には闘う相手を失って無法者のリーダーとなったジョルダノにはお訊ね者として懸賞金までかけられるようになり、とうとうイタリア政府軍のヘリに追われて捕らえられ至近距離で銃殺されてしまいました。 と、思いきやそこにはイタリア軍の指揮官とシシリーに亡命してきた殺人王と呼ばれる元ギャングのボスのJohnny Colini(ジョニー・コリーニ)との金が絡んだ裏取引があり、「私は犯罪者ではない、人民のために闘ってきたのだ。」と反撃したジョルダノだったが「お前は死んだのだ。 俺の跡継ぎのなるのだ。」というコリーニの強要に屈して金のためもありヒゲを落としてジョニー・コリーニの跡目を継ぎジョニークールとして生まれ変わります。

コリーニを裏切った奴らに復讐するために刺客としてアメリカ合衆国に送り込まれたジョルダノが仕置人として訪れたニューヨークのナイトクラブで出会ったのがエリザベス・モンゴメリーが演じるDare Guiness(デア・ギネス)でジョニー・コリーニを名乗るクールなジョルダノに惹かれてジョニークールの女となります。 競馬で大当たりしたジョニークールはサミー・デイヴィスが演じるアイパッチ(片目)のセンセイのサイコロ賭博場に呼ばれますが、いかさまが露見した後、頭に銃をつきつけられてはセンセイもお手上げでジョニークールの言いなりにサイを振りまくります。 その間にギャング連中がジョニークールの本性を吐かそうと警察を装って部屋に入り込み、デアを暴行しますがこれに激怒したジョニークールは台所の包丁
を失敬して電光石火の早業で報復したのです。(BGMはBorrow a Knife) ニューヨークからロス・アンゼルス、ラスヴェガスへと大都市を又にかけて、武器はカラテチョップ、包丁、ピストル、機関銃、ダイナマイト、そして仕事は敏腕、速攻で異常なほどに血も涙もない冷酷な暗殺者のジョニークールはコリーニのリストをもとに尋常でない闇の世界のボスたちを恐怖のどん底に突き落としていくのです。 クール! 最後には子供まで巻き添えにしたジョニークールの殺人に加担したことに衝撃を覚えたデアの通告から、デアとのデートだと思い込んだジョニークールが行きつけのレストランに現れシャンパンを注文し、部屋にはいるとそこにいたのは別の女。 罠だった。 生き残ったギャング仲間たちに襲われて拘束衣をつけられたジョニークールは車でギャングのアジトに運ばれる。 ジョニークールのハッタリは露見しているから、「一人だと思うなよ、俺には軍隊が後ろ盾として構えて いるんだぞ!」と必死に喚くジョニーの抵抗も空しく、真実を吐かせるために日々の飲食を絶ちながら殴打を加えるという特別拷問計画により惨めにも天井から吊られて生ける屍、つまり生きながらの植物人間とされてしまいます。 最後の断末魔のようなジョニークールの情けない悲鳴はいったい何なんだ?クールじゃない。(最後に流れる曲は侘しいサミーの”Ballad of Johnny Cool”)
Johnny Cool Trailer – YouTube
Henry Silva and Elizabeth Montgomery in Johnny Cool – YouTube

フィルム・ノワールの映画「ひとりぼっちのギャング」は1950年代の人気ミステリー小説家のペイパーバック・ライターであるJohn McPartland(ジョン・マックパートランド)が1959年に書いたベストセラー小説の「The Kingdom of Johnny Cool(ジョニー・クールの王国)」の映画化です。 シナトラ一家のピーター・ローフォウフォードが設立した独立プロの第一作目の作品でしたが、残念なことに現在ではDVDはおろかVHSビデオさえ見つかりません。
♪ 「ひとりぼっちのギャング」のサントラからビリー・メイ楽団をバックに歌うサミー・デイヴィスの”The Ballad Of Johnny Cool” Sammy Davis Jr. – The Ballad Of Johnny Cool

Johnny Cool Soundtrack
Johnny Cool: Billy May’s Original Motion Picture Score – Original MGM Motion Picture Soundtrack [Enhanced CD]
Johnny Cool Billy May Soundtrackサミー・デイヴィス・ジュニアのボーカル曲入りの「ジョニー・クール」のサウンドトラックはオリジナルのリリースが1963年で、Billy May(ビリー・メイ)楽団のBud Brisbois(バド・ブリスボイス)やDon Fagerquist(ドン・ファガーキスト)が奏でるトランペットやテナーサックスのJustin Gordon(ジャスティン・ゴードン)等のジャージーな演奏が印象的で、演奏のJohnny Cool Theme、Morning in Balboa、サミー・デイヴィス・ジュニアのボーカルでBee-BomやThe Ballad Of Johnny Cool,など全12曲が収録されています。
「ひとりぼっちのギャング」の音楽はフランク・シナトラとのコラボで知られるビリー・メイですがイギリスポップス界のLes Vandyke(後のJohn Worsleyのレス・ヴァンダイク)が作りAnthony Newley(アンソニー・ニューリー)でヒットした”Bee-Bom”を映画ではサミー・デイヴィスの歌が歌います。 ジョニークールがダイナマイトで子供もろとも石油王をプールごとぶっ飛ばした後、デアの女友達の豪華ヨットパーティでツイストを踊るシーンで流れます。
Jimmy Van Heusen(ジミー・ヴァン・ヒューゼン)作曲しSammy Cahn (サミー・カーン)作詞したサミー・デイヴィス・ジュニアが歌うテーマ曲の”The Ballad of Johnny Cool”はオープニングとラストシーンでデアが「ジョニークールは死んだわ、私が殺したの。」と言って警察に連行されるシーンで哀切たっぷりに流れます。 私が持っているEP盤のVerve VS-1ではA面がサミーのJohnny Cool Theme(ひとりぼっちのギャング)でB面が演奏のMorning in Balboa(バルボアの朝)です。
試聴はJohnny Cool – CD Universe

Sammy Davis Jr. sings Baretta theme song
サミー・デイヴィス・ジュニアは1975年から1978年に放映されたロバート・ブレイク主演のテレビドラマ「Baretta(刑事バレッタ)」でDave Grusin(デイヴ・グルーシン)作曲のテーマソング”Keep Your Eye on the Sparrow”をノリノリで歌っています。