ダリオ・モレノ Dario Moreno

Oh! Qué Dario
Oh Que Dario by Dario Moreno
Darío Moreno (1921 – 1968)

Darío Moreno
ダリオ・モレノを一言で表せば、”ウーっ”と言っているように突き出した口が特徴でコミカル! 太ッチョで陽気なイタリア人といった風体ですが実はユダヤ系トルコ人で、トルコ語、スペイン語、フランス語、イタリア語など7ヶ国語に堪能なマルチリンガルなアーティストでした。 父がトルコ人で母がメキシコ人のダリオ・モレノはトルコで生まれてメキシコで育ちました。 ダリオ・モレノの子供時代には父親が騒動に巻き込まれて銃弾に倒れてから孤児院に入れられたり、裸足で水を売って稼いだりと苦労したそうですが、20歳代初期からギター片手に結婚式などで歌い始めて地元のユダヤコミュニティでは知られるようになったそうです。 第二次世界大戦時の兵役時代にはあちこちのトルコ軍の将校クラブなどで歌って実績と人脈を作り、退役後に故郷のIzmir(イズミル)に戻ってプロ歌手として活動したそうです。 もちろんこれで終わりではなく、ダリオ・モレノはアンカラやイスタンブールに滞在した後の1948年にフランスに渡りました。 初のレコーディングは”Quizas, quizas, quizas(キサス、キサス、キサス)”だったそうです。 ”Quizas, quizas, quizas”は1947年にキューバのOsvaldo Farres(オスパルド・ファレス)が作曲したボレロ曲でTrio Los Panchos(トリオ・ロス・パンチョス)の代表曲となっています。 その後もメキシコの血も受け継いたダリオ・モレノはボレロ、サンバ、チャチャチャ、マンボからカリプソまで数々の南米のリズムの曲を歌い1950年代から1960年代にかけてフランスで大活躍しました。 ちなみにインターネット上での情報では何の間違いがダリオ・モレノの名前が”Mario Moreno”とか”David Moreno”などと表示されていることがありました。

ダリオ・モレノの初期のヒット曲には、”Jezabel”、”Adieu Lisbon”、”Cucurrucucu(Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Paloma)”などがあげられますが、歌うかたわら作詞や作曲も手掛け、それらに加えて45本もの映画に出演して名脇役として活躍した俳優だったのです。 ダリオ・モレノの幼少期の不幸はリッチな中年期に高級車やパリのアパルトマンを購入したり、ブラジルの農園を所有したことで帳消しになったと思いきや、はしゃぎすぎのキャラが災いしたのか47歳という若さで惜しくも急逝してしまいました。 イスタンブールのヒルトン・ホテルから空港に向かうタクシーの中で心臓麻痺を起こしたそうです。 これによって1968年にダリオ・モレノが真に適役のSancho Panza(サンチョ・パンサ)を演じ、Jacques Brel(ジャック・ブレル)がDon Quichotte(ドン・キホーテ)を演じたL’Homme de la Mancha(ラ・マンチャの男)のOlympia劇場パリ公演は、1955年にJules Dassin(ジュールス・ダッシン)監督のDu Rififi chez les Hommes(男の争い)などに出演したフランス人俳優のRobert Manuel(ロベール・マニュエル)が急遽サンチョ・パンサ役を換わったそうです。 もちろんその後にリリースされたジャック・ブレルのレコード「L Homme De La Mancha」にもダリオ・モレノは収録されていません。 ※”Jezabel”はアルバム「Best of Gold: Dario Moreno」や「Viens: Dario Moreno」に収録されています。

Istanbul
ダリオ・モレノはシャンソやラテンまで幅広くカバーしていましたが当然故郷のトルコの歌もヒットさせました。 それは”Istanbul (Not Constantinople)(イスタンブール)”で1953年にフランス語で歌ってイスタンブールをフランスに広めました。
Istanbul – Dario Moreno – YouTube
Istanbul – Dario Moreno Paroles – Musikiwi.com
“Istanbul “は”Poinciana”の作曲で知られるミューヨーク出身のNat Simon(ナット・サイモン)が作曲し、”Red Sails in the Sunset”や”South of the Border”など2000曲もの歌詞を書いたアイルランド出身の作詞家のJimmy Kennedy(ジミー・ケネディ)が作ったとされるエキゾチックな曲です。 この”Istanbul”のオリジナルは1929年にIrving Berlin(アーヴィング・バーリン)が書いた”Puttin’ on the Ritz”だそうですが、1930年の同名のミュージカル「Puttin’ on the Ritz(目醒めよ感激)」でHarry Richman(ハリー・リッチマン)が歌ったそうです。
♪ アルバム「Oh! Qué Dario」からダリオ・モレノが歌う”Istanbul”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはTranspacific Sound Paradise Saturday, April 15, 2006(Istanbulでページ検索し、1:01:01 Realをクリック)
“Istanbul (Not Constantinople)”は トルコの都の呼び名の変化を歌った歌ですが、オスマン朝がトルコの町”コンスタンティノープル”を征服した1453年から”イスタンブル”と呼ばれることになったそうです。 アメリカではIstanbul (Not Constantinople) は「Tiny Toon Adventures」で使用された1999年のThey Might Be Giantsのバージョンが有名ですが1953年にThe Four Lads(フォア・ラッズ)が歌っている他、「テキーラ!」で有名なThe Champsチャンプスも演奏しています。 私が以前に聴いた”Istanbul “は合いの手に”Manma Mia, Manma Mia”と入る超コミカルなバージョンですが誰の曲か知りたいのでご存知の方はお知らせ下さい。 ちなみにトルコの古い曲では”Nina Nai Nai“もフランス語で歌っています。

Ya Mustapha
Ya Mustafa, Ya Mustafa, …Chérie je t’aime, chéri je t’adore – como la salsa del pomodoro…と1950年代後期にダリオ・モレノが歌った”Mustafa(ムスタファ)”は”トマトソースのように愛している”というギリシャもしくはエジプト風なメロディのラヴソングですが作曲者は不明です。 おまけに”Mustapha”が収録されているダリオ・モレノのアルバムが見つかりません。
Écouter Dario Moreno Mustapha 1960 – YouTube
Sergio Mendes & Brasil ’66(セルジオ・メンデス&ブラジル’66)の大ヒットだった”Mais Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)”のカバーで有名なエジプト出身のレバノン人歌手のBob Azzam(ボブ・アザム)が1961年のエジプト映画でも”Ya Mustafa”を歌ったそうですが、日本ではダニー飯田とパラダイスキングをバックに坂本九ちゃんが1960年に”ムスターファ(悲しき60歳)”をヒットさせました。

Hava Nagila
ダリオ・モレノは結婚式でも定番の伝統的なユダヤ音楽の”ハバ・ナギラ”も歌っていますが上記の”Mustapha”同様にどのアルバムに収録されえているのかが不明です。(Dansons Mon Amour “Hava Naguila”という45回転シングルはリリースされたようです)
☆ハバ・ナギラについて詳しくはAudio-Visual Trivia 内のハバ・ナギラ Hava Nagila

Itsi Bitsi Petit Bikini
“Si tu vas à Rio”のように面白い歌なら何でもチャレンジしたダリオ・モレノはアメリカのティーン・ポップスの”Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka Dot Bikini(ビキニスタイルのお嬢さん)”まで歌っています。  “Itsy Bitsy…”はPaul Vance(ポール・ヴァンス)とLee Pockriss(リー・ポックス)が書いた曲でオリジナルは1960年に16歳のティーンアイドルのBrian Hyland(ブライアン・ハイランド)が歌いビルボードでナンバーワンに輝きました。(私は1962年にThough we’ve got to say good-bye For the summerと歌われた”Sealed with a Kiss(涙のくちづけ)”の方を購入) この他1960年にFrankie Avalon(フランキー・アヴァロン)のWhy (because I love you) を”Bras dessus, bras dessous”というタイトルで歌っています。
1961年にBilly Wilder(ビリー・ワイルダー)が監督した東西独逸問題をパロディ化したコメディ映画の「One, Two, Three(ワン、ツー、スリー/ラブハント作戦)」で拷問場面に”Itsy Bitsy…”が使用されました。(音楽はAndre Previn(アンドレ・プレヴィン)) イタリアでは往年の歌手のDalida(ダリダ)が1960年に録音しましたがフランスではダリオ・モレノが録音したそうです。 ダリダとモレノは1960年にそれぞれ映画「Never On Sunday(日曜日はダメよ)」の主題歌である”Les enfants du Pirée“をMichel Legrand(ミシェル・ルグラン)楽団と吹き込みました。
※ フランス語の歌詞も見られるItsi Bitsi Petit Bikini – LyricsPlayground.com

Brigitte Bardot! par Darío Moreno
Brigitte Bardot Bardot!
Brigitte be´jo be´jo
De toutes les belles pinguinettes
C’est bien toi la plus chouette
ダリオ・モレノは1959年の「Voulez-vous danser avec moi ?(気分を出してもう一度)」など映画で何本も共演したBrigitte Bardot(ブリジット・バルドー)を褒め称える歌を歌っています。
私が初めてダリオ・モレノを知ったのが陽気に”ブリジット・バルドー!バルドー!”とブリジット・バルドーを連呼したBéBé(ベベ)賛歌の”Brigitte Bardot”と1961年に歌ったコミカル曲でした。 この”Brigitte Bardot”という曲はサンバやカーニバルのマーチやCMソングなどを作曲したブラジルのMiguel Gustavo(ミゲル・グスターヴォ)が1961年に作曲でLuiz Vanderleyが吹き込んだと言われていますが”Ne Me Quitte Pas(行かないで)”や”Amsterdam(アムステルダム)”同様にジャック・ブレルの作品とも言われています。 ミゲル・グスターヴォは1970年のワールド・カップのブラジル応援歌である”Pra Frente, Brasil(進め!ブラジル!)”が有名ですが軍事独裁のプロパガンダとしても使用されたとか。
“Brigitte Bardot”はソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでダリオ・モレノのレパートリーのなかで”Istanbul “に次ぐ人気です。
♪ダリオ・モレノがフランス語で歌ったラテンのTout l’amour que j’ai pour toi(情熱の花)、1959年にJean Broussolle(ジャン・ブルーソル)作詞してJean-Piere Calvet(ジャン・ピエール・カルベ)作曲したLe Marchand de bonheur(幸せを売る男)、Istanbul(イスタンブール)なども聴けるDario Moreno – Last.fm
“Brigitte Bardot”はアルバム「Brigitte Bardot」や「Si tu vas à Rio」にも収録されています。
“Brigitte Bardot”の歌詞はBrigitte Bardot – Dario Moreno Paroles – Musikiwi.com

Dario Moreno avec Brigitte Bardot
“ブリジット・バルドー”応援歌を歌ったダリオ・モレノは1959年にJulien Duvivier(ジュリアン・デュヴィヴィエ)が監督したバルドー主演の「La femme et le pantin(私の体に悪魔がいる)」ではスペインはセビリアのフラメンコ師匠役で登場し、「Voulez-vous danser avec moi?(気分を出してもう一度)」でもダンス教室のフローレスを演じ、どちらもダンスに託けてベベにちょっかいを出しビンタされるような役でした。 「Les Menteurs (激しい夜)」のDawn Addams(ドーン・アダムス)が殺されるダンス教師でダリオ・モレノはその義父で出演しています。 ブリジット・バルドーはハンサムなプレイボーイの歯医者の新妻で、ちょっとした諍いから夫はバーでセクシーなダンス教師にひっかかってしまいます。 そのセクシーなダンス教師殺人事件の犯人とされてしまったので新妻はインストラクターとしてダンス教室に乗り込んで夫の無罪を証明しようと独自に捜査するストーリーです。
Dario Moreno et BB dans Voulez-vous danser avec moi?

Dario Moreno’s Albums
Oh! Que Dario
1960年代に亡くなっているにも関わらず今日でもダリオ・モレノのアルバムは人気があります。 ページトップの画像はオリジナルは1998年にリリースされたベスト盤で25曲を収録した「Oh! Que Dario」です。 ”Mustafa”は収録されていませんがアルバムタイトル曲の”Oh Que Mambo”をはじめ、”Istanbul”、”Papa Loves Mambo”、”Mambo Italiano”、”Coucouroucoucou(ククルクク・パロマ)”、”Brigitte Bardot”、”Quizas Quizas Quizas”など代表的な24曲を収録してあります。 アルバム「Oh Que Dario」は2006年リリースの「ASIN: B000A1CS6I 」もあり。
試聴はOh! Que Dario – Fr.fnac.be

Me Que… Me Que by Darío Moreno
Me Que Me Que by Dario MorenoGilbert Bécaud(ジルベール・ベコー)が1953年に作曲し、Charles Aznavour(シャルル・アズナブール)が作詞したMe-Que Me-Que(メケ・メケ)もヒットしました。 ダリオ・モレノの”メケメケは”アルバムの「Si Tu Vas a Rio」にも収録されています。
シャンソンのMé qué mé quéはもちろん、アメリカン・ポップスのJezebel 、キューバやメキシコ・ラテンのQuizas quizas quizasやGranada、カンツォーネのLuna Rossa、オリジナルはギリシャのトルコ移民からと云われていますが1927年にギリシャの楽団が演奏したMisirlouなどなどまるで万国旗のようなアルバムです。
ダリオ・モレノのアルバム「Me Que Me Que」(ASIN: B0002CPEHK)
♪ 試聴はMé qué mé qué – at.7digital.com
☆「メケメケ」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のメケ・メケ Me Que Me Que
♩ Dario Moreno – Me Que Me Que (1956)

Tropical Dario: Dario Moreno
Tropical Dario
Tropical Dario本格的なダリオ・モレノのラテン曲全12曲を収録したオリジナルが1998年のアルバムです。 収録曲はManisero(The Peanut Vendor)、Perfidia、Siboney、Caminito 、Adios Muchachos、Granada、Malaguena、Quizas, Quizas, Quizas、Amor, Amor, Amorなど。
♪ 試聴はTropical Dario – CDandLP.jp
Dario Moreno – Malaguena – YouTube

Dario Moreno & Mambo
ダリオ・モレノは1950年代にPerez Prado(ペレス・プラード)が世界中に流行らせたマンボを取り上げて、いちはやくマンボの曲をフランス語で歌いましたが、1959年には「Oh ! Qué Mambo !(オー・ケ・マンボ)」というコメディ・ミュージカル映画に出演しました。 クラブではステージのマガリ・ノエルに誘われてダリオ・モレノが”Oh ! Qué Mambo !”を歌い、、客の中にシャルル・アズナヴールの顔が見える映画でした。
マンボといえばダリオ・モレノはRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)が1954年にヒットさせた”Mambo Italiano”を1955年にいち早くフランス語で歌ってヨーロッパ圏に広めたのだそうです。 マンボといえば、1954年にソングライターのBickley “Bix” Reichnerの着想を1950年の”If I Knew You Were Comin I’d’ve Baked A Cake”の作者であるAl Hoffman(アル・ホフマン)とDick Manning(ディック・マンニング)とのコラボで出来上がった”Papa Loves Mambo”をPerry Como(ペリー・コモ)が録音しましたがダリオ・モレノも歌っています。 ”もしあなたが来ることを知ってたら、私はケーキを焼いておいたのに”と仮定法過去(?)で歌ったEileen Barton(アイリーン・バートン)の超大ヒット曲の”If I Knew You Were Comin I’d’ve Baked A Cake”をGeorgia Gibbs(ジョージア・ギブス)もカバーしました。

Dario Moreno’s Movies
歌で人気の出たトルコ人のダリオ・モレノはその風体を生かしてフランス人やイタリア人はもとより、メキシコ人やアラブ人など色々な国の濃いキャラクターを演じています。 映画デビューは1951年にMaurice Labro(モーリス・ラブロ)が監督してGregoire Aslan(グレゴワール・アスラン)が出演した「Pas de vacances pour Monsieur le Maire」(”市長さんは休暇なし”の意味)のマハラジャ役だったそうです。 その翌年の1952年には世界的に有名なHenri-Georges Clouzot(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)が監督した「Le salaire de la peur(恐怖の報酬)」で中米の石油採掘地で働くHernandez役を演じYves Montand(イヴ・モンタン)等と共演しました。 さらに1953年はBernard Borderie(ベルナール・ボルドリー)監督のLa Môme vert-de-gris(悪党を射ち殺せ)」、そして1957年になってPeter Van Eyck(ペーター・ヴァン・アイク)やAnouk Aimée(アヌーク・エメ)が出演したHenri Decoin(アンリ・ドコアン)監督の「Tous peuvent me tuer」や「Le Feu aux poudres(火薬に火)」に出演しました。
さて、上記の映画では「Le salaire de la peur(恐怖の報酬)」と1957年の「Oeil Pour Oeil(眼には眼を)」は観ました。 この映画でダリオ・モレノはCurd Jürgens(クルト・ユルゲンス)が主演したアラブ人の復讐劇で茶屋の店主役を演じています。
☆「眼には眼を」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のパスカル・オードレ Pascale Audret
ダリオ・モレノが出演した映画は日本国内のDVDは「恐怖の報酬」(ASIN: B00005G0LC)とVHSビデオでは「眼には眼を」(ASIN: B00005HBGE)以外は入手困難です。(どちらもチョイ役) アメリカでも「Wages of Fear(恐怖の報酬)」や「Come Dance With Me(Voulez-vous danser avec moi?)邦題は「気分を出してもう一度」は見つかります。 バリアフリー字幕のフランス語版では「 Oh ! que mambo」(ASIN: B079F9HWRJ)やフランス語版の「Le Feu aux poudres(火薬に火)」(ASIN: B000GAL3DW)のDVDが見つかります。

Oh! Qué mambo 1959年
1950年代と1960年代はダリオ・モレノの最盛期で、1957年には3本、1969年には4本、1963年には4本の映画に出演した売れっ子でした。 それらの中でもアメリカのJohn Berry(ジョン・ベリー)が監督した1959年のコメディ・ミュージカル映画「Oh! Qué mambo」はダリオ・モレノが主演したダリオ・モレノのための映画のようで、「Du Rififi chez les Hommes(男の争い)」にも出演しているセクシーなイタリア女優のMagali Noël(マガリ・ノエル)と夫婦役で共演していますが、カジノ・クラブのシーンでは「火薬に火」にブリジット役で出演したLila Rocco(リリア・ロッコ)や客としてシャルル・アズナブールがカメオ出演しています。 映画音楽は1962年の「Le Diable et les dix commandements(フランス式十戒)」のGuy Magenta(ギイ・マジャンタ)でフランスのジャズ・ピアニストのClaude Bolling(クロード・ボラン)の演奏です。 映画で使用された”Miguelito”、”Oh que mambo!”、”Mon cœur est prisonnier”や”Ca suffit comme ça”などはギイ・マジャンタ作曲で”Luna Rossa”や”Petite Fleur”で有名なFernand Bonifay(フェルナン・ボニファイ)の作詞です。 ダリオ・モレノはシャンソン歌手でもあったマガリ・ノエルとデュエット・アルバムもリリースしています。
※ニューヨーク生まれのポーランド系ユダヤ人であるジョン・ベリーはJules Dassin(ジュールス・ダッシン)のようにハリウッドの赤狩りに合って1950年代にフランスに亡命した映画監督ですが、1951年に同じく赤狩りで短いキャリアとなったJohn Garfield(ジョン・ガーフィールド)を主役に据えた「He Ran All the Way(その男を逃すな)」を監督しています。
☆「Des Femmes Disparaissent(殺られる)」にも出演したMagali Noël(マガリ・ノエル)についてはAudio-Visual Trivia 内のエドゥアール・モリナロ Edouard Molinaro