Sonny Boy Williamson II aka Alex ‘Rice’ Miller
ミシシッピ・デルタ出身の”サニー・ボーイ・ウィリアムソン”又は”サニー・ボーイ・ウィリアムスンII”は別名Alex ‘Rice’ Miller(アレックス・ライス・ミラー)といい、シカゴブルース(ブルーズ)界では最も独特でアコースティックな(エレキ化されなかった)Blues Harp(ハーモニカ)奏者です。 サニー・ボーイが30歳代の前半には伝説のブルースマンと呼ばれるRobert Johnson(ロバート・ジョンソン)と演奏したことでも知られています。
Rice Miller(ライス・ミラー)が主張するSonny Boy後継者の由来が分からないように、出生年も記事により1894年、1899年、1897年、1905年、1908年、1909年、1910年又は1912年とまちまちです。 が、死亡年は一様に1965年で一致しています。 死後はライス・ミラーがもうしゃべらないから。
根っから放浪のブルースマン
ライス・ミラーはLittle Boy Blueという名前で小さい頃からミシシッピやアーカンソー、デルタ地帯のプランテーション辺りの街角やジューク・ジョイント(南部の黒人版ホンキートンク酒場)で歌っていた流れ者のブルースマン(チャイルド)でした。 ギターがつくこともありましたが、時には指パッチン以外には何の伴奏も無い時もあったそうです。 ライス・ミラーは彼の声に合った荒っぽいながらも繊細なハーモニカの奏法を生み出しました。 ライス・ミラーの歌とハーモニカがまるで一つの楽器のように聞こえます。
1941年にHelena(アーカンソー州のヘレナ)で開局したデルタ放送のKFFAラジオにスタジオ・ライブの職を得てそれまでの放浪の旅を終えます。 ラジオで最初のブルース音楽番組として、スポンサーになった地元のKing Biscuit Flour(キング・ビスケット製粉会社)の名を付けて15分放送「King Biscuit Time」を毎日昼飯時に流しました。 当時はブルースがラジオで放送されることは多くなかったので、ライス・ミラーの歌とハーモニカのブルースはデルタで人気番組となりました。 なんたってライス・ミラーのイメージをプリントしたパッケージの「Sonny Boy Corn Meal」(http://georgerothert.com/sonny-boy-corn-meal/)が販売されたくらいですから。
1973年に始まった毎週一回アメリカでいくつかのラジオ局で放送されたロックンロール番組である”King Biscuit Flower Hour”は「King Biscuit Time」がプロデュースしていて、その番組名はブルース・ラジオの「King Biscuit Time」に由来します。
子供の頃にラジオ番組「King Biscuit Time」でライス・ミラーのハーモニカ演奏を聴いていたのが、後に世界でも有名なハーモニカ奏者の一人となったJames Cotton(ジェームス・コットン)だそうです。 ジェームス・コットンはラジオから流れてくるライス・ミラーの曲を聴くそばからコピーしていったそうです。 9歳で既に街角でのハーモニカを演奏していたジェームス・コットンは、ライス・ミラーの元へ叔父に連れられて行き、その天分を認められライス・ミラーに師事、その後ジェームス・コットンは15歳でメンフィスのクラブなどで演奏していましたが、1953年にはMuddy Waters(マッディ・ウォーターズ)のバンドに参加します。 そして1987年にはグラミー賞を獲得するほどになりました。
キングビスケット時代のレコードにはRice Miller(ライス・ミラー)としてクレジットされています。 ところが、この時期のある時ライス・ミラーは、よほどSonny Boy Williamson(サニー・ボーイ・ウィリアムソン)という名が気に入ったのか、ハーモニカの先輩ともいえるオリジナルであるJohn Lee “Sonny Boy” Williamsonの後継者をかたったのです。 手っ取り早く言えば、John Lee Williamsonの名前を勝手に頂戴してしまったらしいのです。 とはいうものの本家の名を騙ったサニー・ボーイ・ウィリアムソンのほうが元祖Sonny Boy Williamsonよりもはるかに知名度があります。 紛らわしい名前についてはこういった経緯がありました。
デルタでのバンド「Sonny Boy Williamson and his King Biscuit Entertainers」の人気にもかかわらず、ライス・ミラーがレコーディング出来たのはオリジナル・サニー・ボーイ・ウィリアムソンの死後の1948年(又は1951年説)になってからだそうです。 もしくは最初の吹き込みは1947年だったという説もあるそうです。 ミシシッピのTrumpet Records(トランペット・レコード)でサニー・ボーイの最初のヒットとなった”Eyesight To the Blind”をリリースしました。 その他I Cross My HeartやPontiac Bluesなどを続いてリリースしましたのが評判になりました。 1951年(又は1955年)にはシカゴのChess Recordsに移り、Don’t Start Me to Talkin’をリリースしてR & B界に売り出し、マッディ・ウォーターズやハウリン・ウルフに並ぶブルース歌手となります。 ラジオ番組時代にパートナーだったギタリストのRobert Jr. Lockwood(ロバート・ロックウッド・ジュニア)と再び組んで”Help Me”、”Keep It To Yourself”、”Your Funeral and My Trial”、”Bring It On Home”(唯一サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの作ではないという説あり)などのヒットを生み出します。
Howling Wolf(ハウリン・ウルフ)の”Crying at Daybreak”が聴けるwfmuラジオのGive The Drummer Some(Howling Wolfで検索、Listen: RealAudioをクリック)
Junior Parkerの”Tax Man”が聴けるwfmuラジオの$mall Change(Listen to this show!をクリック)
その頃のにヨーロッパでのブルース熱に乗って、1963年サニー・ボーイ・ウィリアムソンII もマッディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ, Lightnin’ Hopkins(ライトニン・ホプキンス)等と共にThe American Negro Blues Festival(アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル)のメンバーとして欧州ツアーに出かけて当地で大ブレークしました。 1965年の最後といえるイギリス・ツアーのキャンパス公演ではバックアップ・バンドのメンバーとして若き日のEric Claptonとそのイギリス・バンドThe Yardbirdsがいて、The YardbirdsとThe Animalsとはレコーディングもしたそうです。 これからっていう時だったのにね。 ちなみにこの60年代にはドイツなど主に欧州で活動していたカリブ(マルティニーク)出身のジャズ・ピアニストのMichel Sardaby(ミッシェル・サダビー、もしくはミシェル・サルダビー)と共演しているそうです。
ウイスキーをガブ飲みして放浪の旅を続けたという伝説のロバート・ジョンソンと似通ったところのあるサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIです。 しかし、ロバート・ジョンソンが行く先々で女と関わり、挙句の果てには或る女の夫から恨みをかって毒殺されたという恐ろしい話とは違って、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII にはそんな女の影は見えません。 なぜなら、1940年代に最初の妻だったハウリン・ウルフの妹と別れてMattie Gordonと結婚して以来死ぬまで生涯を共にしたそうですから。 この結婚生活が放浪のブルースマンとしては音係以外での唯一長い関係といえるそうです。 サニー・ボーイ・ウィリアムソンII は毒殺こそはされませんでしたが、血ヘドを吐くまでハーモニカを吹き、歌い続けて、とうとう心臓麻痺(又は老衰)で亡くなりました。 死因として酒の飲みすぎは大いに疑われます。 1948年にサニー・ボーイ・ウィリアムソンII のブルース番組「King Biscuit Time」にゲストで出演した品行方正なBBキングは89歳までも元気で大活躍していました。
そのサニー・ボーイ・ウィリアムソンII ゆかりの地ヘレナで今も放送されている歴史的な番組「The King Biscuit Time」のラジオ局「King Biscuit Flower Hour」(KZMT-FM)のサイトにはサニー・ボーイ・ウィリアムソンII 他ブルース・ハープ奏者達の情報が満載で、音声クリップも聴けます。
ヘレナではブルース博物館があり、毎秋ラジオ「King Biscuit Blues Festival(キング・ビスケット・ブルース・フェスティバル)」が開催され40年代当時のブルースを再現します。
Chris Thomas King(クリス・トーマス・キング)が出演し、他のオールドカントリーR&Bブルースの歌も使用されたCoen(コーエン)兄弟の2000年の映画「O Brother, Where Art Thou?(オー・ブラザー!)」で鎖をつけたまま逃亡した囚人たちが隠れた農家のラジオから流れてきたのは”ビスケット・アワー”だったかも。
せくすぃー・ブルースマン!
本当に彼の曲は全部イイですねぇ♪ 彼の人生そのものを歌ったユーモラスで、かつ皮肉たっぷりな・・・ある意味でダーティなブルースの数々、情熱的だがシンプルなハーモニカ演奏、これらの素晴らしい曲作りの完璧さ、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII は私の好きなブルースマンの一人です。 女性黒人歌手のアーサー・キット同様、ビブラートの効いたサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の独特な声は大変セクシーです。 写真やビデオでサニー・ボーイ・ウィリアムソンII の顔を観た後でも、ウン、やっぱり、セクシーです。
多くのヒット曲のなかでも”Help Me”は評価が高く、10年も経った1962年のBooker T. Jones(ブッカー・T・ジョーンズ)のヒット曲”Green Onions”のベースに影響を与えていますね。 ともかく!彼のハーモニカを吹き、間髪を入れずヴォーカルに入り又吹くことを繰り返す曲芸のような奏法には感嘆するばかりです。 リズムを取るため、又はビートを強調するための独創的な息づかい、雌鳥がコッコッと鳴くようなChugging奏法が実にユニークです。
☆「俺は一人じゃ何にも出来ないから手伝っておくれ、じゃないと他の女を探さなきゃなんないって分かるよね。」と都合のいいことを歌っているSonny Boy Williamson [2]のHelp Me(ヘルプ・ミー)などの歌詞はLyrics – genius.com ☆このサイトに”Suger Mama”などを歌った”元祖Sonny Boy Williamson I(John Lee Williamson)の歌詞もあります。(https://genius.com/artists/Sonny-boy-williamson)
ハーモニカと歌を交互に操るサニー・ボーイ・ウィリアムソンII を観るともう感激で泣けそう!
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のビデオが観られるデンマークの個人サイトは「Sonny Boy Williamson – The JazzPage」(http://www.thejazzpage.de/index1.html Single Videosをクリック、10番目のSonny Boy Williamson 1963をクリックすると”Goin’ Back Home”のビデオが観られます。 ヨーロッパツアー・デンマーク訪問の時のスタジオ・コンサートだそうです) 画面は小さいですが、どう?観られました? セクシーでしょう? セクシーとちゃう? 下記のリンクではちっちゃなハモニカをまるでビッグバンドなみに演奏するサニー・ボーイ・ウィリアムソンに合わせてマディ・ウォーターズが曰く付きの” Got My Mojo Working”を歌っていますがベースはサニー・ボーイ・ウィリアムソンの”Bring It On Home”やマディ・ウォーターズの”Hoochie Coochie Man”などを書いたマルチタレントのブルースマンとして名高いWillie Dixon(ウィリー・ディクソン)です。
☆ページトップのCD画像はサニー・ボーイ・ウィリアムソンのアルバム「Keep It to Ourselves」2001年盤です。
より人気のある1990年盤はKeep It to Ourselvesですが試聴がないので2011年盤の方で聴いて下さい。(ASIN: B000027W32)
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のアルバム
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII のベスト3!Essential Sonny Boy Williamson
“One Way Out”他、有名な”Nine Below Zero”、”Help Me”、”Bye Bye Bird、”Bring It On Home”など全47曲を収録、サニー・ボーイが歌う” Santa Claus”なんて聞いたことあります?
最初に録音したのはElmore James(エルモア・ジェームス)と云われて事実があいまいですが、1960年代中頃にサニー・ボーイ・ウィリアムソンが発表したとも云われる”One Way Out”はモノラル音源のアルバム「ワン・ウェイ・アウト」(ASIN: B00F64TTDE)で試聴できます。
♪ Santa Claus – Sonny Boy Williamson – YouTube
サニー・ボーイ・ウィリアムソンII やBBキングが聴けたブルースラジオ「MIDNIGHT FLYER」の詳細はHot’n Cool内のブルースのラジオ Midnight Flyer
オリジナルは初期のトランペット・レコード時代1951年録音の人気アルバムです。 若いですね。King Biscuit Time
試聴は5番のEyesight to the Blindが初ヒット曲、次が7番のI Cross My Heart、14番のMr. Downchildと15番のPontiac Blues、17番はブルース・ラジオでのライブ録音、最期の18番のロバート・ジョンソンの曲Dust My Broomだけは1965年の録音でElmore Jamesと演奏。
“Bye Bye Bird”、”Help Me”、”Bring It On Home”など有名なチェス・レコード時代の1950年代初期~最期の1965年録音までを収録していて、Muddy Watersもフィーチャー・バンドとして参加しています。His Best
Down & Out Blues
オリジナルのリリースがサニー・ボーイ・ウィリアムソンが60歳の1959年という12曲入りのファースト・アルバムにはギターがMuddy WatersとRobert Jr. Lockwood、ピアノにOtis Spannが参加しています。 1955~58年の録音を集めたアルバムなのでRice MillerとSonny Boy Williamson [II] の名で吹き込んでいるDown and Out Bluesは全曲試聴出来ます。 試聴が出来る国内盤は「ダウン・アンド・アウト・ブルース+7」(ASIN: B00005MMKB)
なんとサニー・ボーイ・ウィリアムソンが1963年にThe Animals(アニマルス)と共演したLPレコード「Animals & Sonny Boy Williamson」の”Newcastle On Tyne, December 1963″がリリースされていたそうです。 現在ヴィンテージ価格となり入手困難になったCDはThe Animals with Sonny Boy Williamson
Jimmy Witherspoon( ジミー・ウィザースプーン)も歌っているSonny Boy Williamsonの”Help Me”をリトル・ウォルターと並ぶ後のハーモニカ奏者Junior Wells(ジュニア・ウェルズ)がオルガンのJohnny “Fingers” Iguana(ジョニー・イグアナ)との1997年ライブ演奏もエネルギッシュで迫力があります。 Buddy Guy’s Legendはシカゴを代表するブルースマン「バディ・ガイ」がオーナーのブルース・クラブだそうです。(Buddy Guy Legend’sで検索)
1962~1966年にドイツで行われたブルース・フェスティバルのモノクロ映像でリージョン・フ!リーのDVDです。American Folk Blues Festival 1962-1966 Vol.1
オーティス・ラッシュが”I Can’t Quit You Baby”を演奏、サニー・ボーイ・ウィリアムソンが”Nine Below Zero”をブルースハープで演奏する他マディ・ウォーターズのGot My Mojo Workingにも参加、ボーナストラックには珍しいアール・フッカーの1969年のライヴ映像「Walking the Floor Over You/Off the Hook」が収録されている他ブルースマンやBig Mama Thornton(ビッグ・ママ・ソーントン)などの女性ブルース歌手も多数出演しています。
Vol.2とVol.3もあります。
Sonny Boy Williamson – Nine Below Zero 1951-1962
※ブルースの曲名の他にバンド名でも使用されている”Nine Below Zero”とは気温のことでサニーボーイが住んでいたのはミシシッピだから華氏、氷点下9度はなんて冷たい!彼女なんだという意味。(”Nine Below Zero”は女の子に入れあげスッカラカンでポイされる男の嘆きを歌ったようなので歌詞から見ると気温のことでなくて財産、つまり彼が一文無しになるって事でしょうか。ですがなんせサニーはホラ吹きだったそうなのでただ愛想尽かしされただけかも) 聞いて下さい、兎にも角にも素晴らしい曲です。Oh, yeah!
英文ですがサニー・ボーイ・ウィリアムソンとブルースハープについてはAleck Ford “Rice” Miller (1899-1965) – bluesharp.ca
ハモニカを吹こう!
ハーモニカ奏法について知りたくなった方はハーモニカの吹き方 – yamaha.com
私も昔、宮田のハーモニカを買いました。 サニー・ボーイ・ウィリアムソンじゃなくて、南部の人種差別をテーマにした「墓にツバをかけろ」という1959年の映画のテーマ曲に影響されたのです。
私はこの教本を持っていないけれど、もしブルースハープを始めたくなったらCD付き はじめよう! ブルースハープ 定番フレーズでマスターするブルースハープ入門講座、又は「ルーツ! ブルース・ハープ <cd付> (ゼロから始める)」(ISBN-10: 4285140322)でも買ってみるか。(でも、本当に吹けるようになるのかな)
こりゃまたシブいところを突いてきましたね。。。
最近(っても去年かな?)発売されたDVDでも彼の映像が見れますよね。
この人の動く映像を始めて見たときゃぁ感動しましたよ・・。
で、でもセクシー??(笑)
僕んとこでリンク貼らせてもらってるバビロンさんとこでも、ちょうどサニーさんの記事を書いてました。
http://blog.kansai.com/babisan/262
面白いです。
あ、TBさせていただきました・・・。
Highway 61
いよいよ、ミシシッピィ・デルタへの出発だぁ! 向かうは「聖地」クラークスデイ
ken-sann、いらっしゃい! ブルースを書くと来て下さいますね。 セクシーと思うのは私だけ? あはは
それにしてもken-sannが「ブルースの旅」をしたなんて! うらやましいです。
私はつい数年前にブルースと出会ったばかりのブルース初心者です。 それも色々な音楽を流してくれるLaunchCastのおかげです。
教えて頂いたバビロンさんのブログに行って来ました。 私のブルース初心者記事とは違ってブルースを良く知っている玄人向けの内容ですね。 大変勉強になります。
以前、月の裏~を書いていた真美子です。
ブログが移動しました・・・そしてリンクもまた
させていただいております!
ところで、いっつもここを読むたびに
新しい分野の?音楽やら、映画にも
チャレンジして、聴いてみよーって思ってます。参考にさせていただいております。
しかし本当幅広く詳しいですねー!
真美子さん、私も出会った音楽や映画をメモしているので、「へ~!、ほ~!」と言いながら書いています。 エキサイトなら私のもう一つのブログHot’n Coolもそうですよ。宜しくお願いしますね。「リンク集」の方も真美子さんのURLを直しておきました。
james cottonがsonny boyの師?
逆ですよね。sonnyboyにつきまとってハープを習ってたのがjames cottonです。
年代としても、cottonはまだ生きてますよね、確か。
「某」さま、重大なる誤りの訂正をコメントして頂きまして有難う御座います。 とんだ間違いでして確かにおっしゃる通りです。 今読み直して訂正致します。 これに懲りずにまた来て下さい。 ご指導宜しくお願い致します!