ひと夏の情事 Une Fille pour L’ete (1959)

Pascale Petit as Manette in Une fille pour l’été
Pascale Petit dans Une fille pour l'ete
ひと夏の情事 (1959年)

Edouard Molinaro
「ひと夏の情事」はEdouard Molinaro(エドゥアール・モリナロ)監督が南仏Cote d’Azur(コートダジュール)の別荘を舞台に少女の「ひと夏の恋」を描いた仏伊合作映画です。 殺られる」や「彼奴を殺せ」などのサスペンス映画で知られてはいるものの残念ながらフィルム・ノワール又はヌーヴェル・ヴァーグの巨匠とはいわれてはいないモリナロ監督ですが原作者のMaurice Clavel(モーリス・クラヴェル)と共に脚本も手掛けています。 音楽でいえばイージーリスニング的なモリナロ作品で、監督同様に出演者達も特に傑出してはいませんが、曖昧な中に何ともいえない一種の哀感が漂う映画です。 愛されていないことを知る甘酸っぱい少女の恋、退廃的でもある豪奢な金持ちのヴァカンス、生活に退屈している自分勝手な中年男の遊びと少女の死。
※Film noir(フィルム・ノワール)とはフランス語で”暗い映画”という意味ですが、1940年代後期から1950年代のハリウッド映画の中でも犯罪ものを指します。 1930年代のアメリカの恐慌時代に始まった道徳的にあいまいでセクシーな刺激を強調したハードボイルド映画に端を発しています。

Maurice Clavel
「ひと夏の情事」の原作及び脚本を書いたモーリス・クラヴェル(1920-1979)はパスカル・プティの出演映画では日本未公開でしたがCharles Spaak(シャルル・スパーク)と共に脚本を手掛けたRené Wheeler(ルネ・ウィラー)が監督した裕福な妻が無我の境地(教会)を訪れた後再び夫の元に戻るという1960年の白黒映画「Vers l’extase」でセリフを担当しています。(音楽はPaul Misraki) 1920年フランスのFrontignan(フロティニアン)生まれの小説や哲学書も書くジャーナリストです。モーリス・クラヴェルの履歴の中にはレジスタンス、ゴーリスト、FFI(第2次世界大戦中、ナチ占領下フランス内で、対独地下活動をしたフランス国内軍)、ド・ゴールとRPF(フランス人民連合)など政治的な言葉が並びます。 モーリス・クラヴェルは、非正規滞在外国人が滞在資格の正規化を求めた1960年代のThe Chapelle Saint Bernard (サンベルナール教会)でのハンガーストライキを文学者Michel Foucault(フーコー)、当時夫婦だったSimone Signoret(シモーヌ・シニョレ)とYves Montand(イヴ・モンタン)等と共に阻止する側に立たともいわれます。 モーリス・クラヴェルは、1960年のオムニバス映画「La Francaise et L’Amour(Love and the Frenchwoman/フランス女性と恋愛)」でMartine Carol(マルティーヌ・キャロル)やAnnie Girardot(アニー・ジラルド)と共に出演した女優のSylvia Montfort(シルヴィア・モンフォール)との結婚を契機に舞台に興味を持ったそうです。 1971年にはサルトルとリベラル系の新聞「Libération(リベラシオン)」を創刊しましたが、残念なことに1979年に59歳という若さで亡くなりました。
ジャン・ポール・ベルモンドも出演した「フランス女性と恋愛」ではジョルジュ・ドルリューも音楽に携わっています。

Une fille pour l’été
主演は長い黒髪の「ひと夏の女の子 Manette(マネット)」にPascale Petit(パスカル・プティ又はプチ)、マネットを本気にさせてしまった画家のオジサマ「Philippe(フィリップ)」にMichel Auclair(ミシェル・オークレール)、フィリップ友人である美貌の未亡人「Paule(ポール)」に「Le Diable au Corps(肉体の悪魔)」(1947年)のMicheline Presle(ミシュリーヌ・プレール)、その未亡人の息子で母のハイソな暮らしを嫌う考古学好きの少年には1952年の「Jeux Interdits(禁じられた遊び)でミシェル少年を演じたGeorges Poujouly(ジョルジュ・プージュリー)が出演します。 ジョルジュ・プージュリーはこの作品の前の1957年に「死刑台のエレベーター」と1972年のRoger Vadim(ロジェ・ヴァディム)監督のHelle(花のようなエレ)にもちょっと出演しました 。

Une fille pour l’été avec Pascale Petit
Une Fille pour L'ete
Pascale Petit, Michel Auclair et Micheline Presle

美しい未亡人が怪訝そうにに訊ねる、『 どうしたの? フィリップ 』
そして、泳ぎ疲れて沖からやっとたどり着いたばかりのびしょ濡れのオジサマの一言、『 彼女は行ってしまったよ。 』
この冒頭シーンから、フィリップの回想劇としての「ひと夏の恋物語」が始まります。 回想ですから、Flashbacks(フラッシュ・バック)あり、「ひと夏の情事」と同じ1959年にJean-Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)が監督した「À bout de souffle(勝手にしやがれ)」で使用されたJump cuts(ジャンプ・カット)ありとストーリーが飛んでしまうほど切れまくります。 なぜそうなるのかは気にしないことにしましょう。(ヌーヴェルヴァーグにチャレンジ?)

富豪の未亡人は画家のフィリップが連れてきたひと夏の女の子のマネットを息子のお友だちにしたい→息子はマネットが好き→でもマネットはオジサマが好き→なのにオジサマはマネットを好きでもない(ただのひと夏の女)、という相関図が悲劇を招くというわけです。 私の好きな美女のミシュリーヌ・プレールと可愛いパスカル・プティに加えて渋い魅力のミシェル・オークレールも観られるだけで「ひと夏の情事」は素敵な映画といえます。 ちなみにミシェル・オークレールを初めて観たのはジャン・コクトーが監督した1946年の「美女と野獣」でベルの不甲斐ない兄ルドヴィク役でした。 その次は1957年のミュージカル映画「パリの恋人」でオードリー・ヘプバーンが演じるヒロインが憧れる現代思想の哲学教授フロストルでした。(が、これがトンダ共感主義者)
さて、サスペンス映画の巨匠でもあるエドゥアール・モリナロ監督は時にはこの「ひと夏の情事」のようなロマンス映画も作りました。
「ひと夏の情事」のサントラを手掛けたのは1959年の「Hiroshima, mon amour(二十四時間の情事)」に続いて音楽を担当したGeorges Delerue(ジョルジュ・ドルリュー)でした。 ドルリューは1959年頃から1990年代初期まで沢山の映画音楽を手掛けていますが、私の好きな映画は上記の他にフランス映画ではJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)の「Classe tous Risques(墓場なき野郎ども)」、Charles Aznavour(シャルル・アズナブール)の「ピアニストを撃て」、Jeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)の「Jules et Jim(突然炎のごとく)」からアメリカTVドラマの「裸の女王/ジョセフィン・ベイカー・ストーリー 」などなど数えきれません。
Georges Delerue – Une fille pour l’été Soundtrack – YouTube
「ひと夏の情事」の写真が見られるUna ragazza per l’estate – FILM.TV.IT
「ひと夏の情事」の映画ポスターが見られるUne fille pour l’été – Le Cinéma Français
ミシュリーヌ・プレールの写真がちょっと見られるフィルモグラフィはMadame de PompadourのSPECTACLES MODERNES: FILM – Micheline Presle

「ひと夏の情事」では、超典型的なリッチで有閑階級的ヴァカンス(夏休み生活)が展開します。
南仏Riviera>(リビエラ)のプール付き豪邸、そこで催された豪華絢爛たる誕生パーティ、St. Tropez(サントロペ)での乱痴気パーティ、そして美しい地中海の景観がカラーで映しだされます。 カラフルな周りに比べて褪めたような紺色のスクール水着(?)で泳ぐマネットがなぜか際立っていました。
未亡人の館にはLotus-Eater(遊び好きな連中)がいつもたむろっています。 みんなで、球技に戯れ、かもめ撃ちに興じ、日焼けに精を出して・・・あぁ、こんな所でひと夏を過ごしてみたい!と思います。 そして、パリはSt. Germain de Près(サンジェルマン・デ・プレ)の画家であるこんな素敵なオジサマに、「あぁ、騙されてもみたい!」とも思いました。(死んだりしては身も蓋も無いですが)
男の元カノからは泥棒猫とののしられますが、父親のような男に本気で恋をしてしまった孤独な少女は夏が終わって別れることは辛ら過ぎました。(本来ならば若者同士で普通のカップルになれるはずのミシェルのことは頭にありません)

Michel Auclair
素敵なおじさまだったミシェル・オークレールは1946年にJean Cocteau(ジャン・コクトー)が監督した「La belle et la bête (美女と野獣)」で遊び人のベルの兄のリュドビック役でデビューし、1948年にはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「Manon(情婦マノン)」で娼婦マノンに翻弄されるレジスタンス活動家のロベール役で主演、1957年にはスタンリー・ドーネン監督のハリウッド映画「Funny Face(パリの恋人)」でエミール・フロストル教授を演じてAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)と共演しましたが、「ひと夏の情事」から20年後にAlain Delon(アラン・ドロン)が監督や脚本も手掛け主演した1981年の「Pour La Peau D’Un Flic(危険なささやき)」でユダヤ組織の老ボスのハイマンを演じてAnne Parillaud(アンヌ・パリロー)と共演しました。

日本では「ひと夏の情事」のVHSビデオはもう販売されていないようです。 フランスのUne fille pour l’été (VHS) – Amazon.fr (EUR 59,00)があるのですが現在は入手困難、おまけにフランスはビデオの仕様が世界標準のSECAMなので世界方式対応のビデオデッキがないと日本では観られません。
まことに残念! 私を含め、「ひと夏の情事」をもう一度観たい!と待ち望んでいる方もおられるようですから、早く日本でのDVD復刻版を期待したいところです。

「ひと夏の情事」の音楽は、1959年にAlain Resnais(アラン・レネ)が監督した「二十四時間の情事/ヒロシマモナムール(Hiroshima mon amour)」を手掛ける前のGeorges Delerue(ジョルジュ・ドルリュー)で、A面にジャージーな”La ponche”と”St Tropez Blues”でB面にクラシック調の”Suite Symphonique”を収録したEP盤のサントラがパスカル・プティのジャケットでフランスで発売されたようです。 ジョルジュ・ドルリューは「ひと夏の情事」の頃はまだ新人でしたが、その後数々の名作の音楽を担当した巨匠となり、フランソワ・トリュフォー監督の映画音楽もよく担当しています。 1981年に晩年のLino Ventura(リノ・ヴァンチュラ)とRomy Schneider(ロミー・シュナイダー)が共演した「Garde à vue(検察官)」でもサウンドトラックを手掛けた1980年代にはなんと40本以上の映画で音楽を担当しました。 ちなみにこの「検察官」の後の1982年にロミー・シュナイダーは薬物の過剰摂取で急逝しましたがリノ・ヴァンチュラはその5年後の1987年に心臓発作で亡くなりました。

男が単に倦怠感を紛らすだけのお遊びが一人の純真な女の子の恋心を踏みにじる様を、この華やかな喧騒に紛れていっそう哀れに切なく描いています。 「ひと夏の情事」に関して、あのエドゥアール・モリナロ監督がなぜこのような「安っぽいロマンス映画」を撮ったか?という点で批判もあるのだとか。 一般には一番受け入れられないというキャラクター(パスカル・プティの演じる”ひと夏の女”」)に、私は多分に感情移入できました。 愛されていないことを実感した女の子が海上のボートだというのにヤケッパチの行動を取るような状況は、どこかA Place in the Sun(陽のあたる場所)のボート転覆のシーンにも似ています。 愛されていないと分かっている女はいったいどうすればいいのでしょう。 本当に死ぬつもりだったのかは謎ですが、多分本人にも分からなかったかも。 映画ではなく、今現在も真実は闇の中というクルーザから転落死した実在のハリウッド女優ナタリー・ウッドの場合は果たしてどうだったのでしょうか。

☆キュートなフランス女優のパスカル・プティについて詳しくはAudio-Visual Trivia 内のPascale Petit

ひと夏の情事 Une Fille pour L’ete (1959)」への2件のフィードバック

  1. ken-sann より:

    おっ、色が変わりましたね。。。。イイ感じです。

  2. koukinobaaba より:

    宵っ張りのken-sannさん、この色いいですか。 カラーチェックで背景色のタグを確認してスタイルシートで一つづつ探して変えました。 こんなことでも私には大変な作業です。 それよりパスカル・プテイはどうなんですか?

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