悲しみは空の彼方に Imitation of Life (1959)

Imitation of Life (Two Movie Collection) 1934/1959 (2DVD)
Imitation of Life

悲しみは空の彼方に(1959年)

「悲しみは空の彼方に」はヨーロッパとアメリカの映画界の偉大なる皮肉屋(Sarcastic Derector)の一人、またはメロドラマの巨匠といわれるハンブルグ出身の亡命者「Douglas Sirk(ダグラス・サーク)」がドイツに帰国する前に監督した最後のハリウッド映画だそうです。 ダグラス・サークはデンマーク系の両親を持ちドイツで活動していましたが、反ナチスの政治的傾向と夫人がユダヤ人だったために米国に渡りました。
まだまだ人種差別の激しかった時代の1947年のニューヨークのコニー・アイランドを舞台に、人種差別と物質主義のアメリカ社会を描く興味深い映画です。 年頃の娘を持った未亡人と白人夫に捨てられた黒人女性という母娘の共同生活を通して母娘の愛と人種問題を描いていますが、十代の娘がいる未亡人と若い独身の男との交際や多感な時期の若い娘の無謀な行動が母親を悲しませるというお涙頂戴の少々陳腐なメロドラマである一方、ダグラス・サーク監督の大胆な風諭でもあります。
もう一つのお楽しみはアメリカにおけるフィフティーズのファッションです。 女優として成功したラナ・ターナーが演じるヒロインのゴージャスな衣裳も見ものですが、娘たちの1950年代のガール・ファッションが存分に堪能できます。
オープニングの遠景で見えるのはニューヨーク市の半島にあるConey Island(コニー・アイランド)を象徴するThe Wonder Wheel(巨大な観覧車)です。 この映画の主人公たちが出会ったコニー・アイランドは娯楽を求めてショーやゲームを楽しむ人々が集まる一大アミューズメントセンターです。 浜辺で写真を撮っていた若者は逸れた娘を探している白人の女性に出合い、その女性は娘を保護していた黒人女性と出会います。
※1952年に「Has Anybody Seen My Gal?(僕の彼女はどこ?)」を監督したダグラス・サーク監督の作品はアメリカでも一段低くみられていたそうです。 というのも、日本未公開でしたがハイソな環境の未亡人と若い庭師の恋をテーマにした1955年の「All That Heaven Allows(天はすべて許し給う)」では美し風景に庭師が教えてくれたレイン・トゥリー(モンキーポッド)が印象的。 サーク監督作品の殆どが最後はお涙で終わる女性を中心とした家庭問題がテーマで、陳腐ともとれるかなり誇張された非現実的な印象を与えるからでした。 しかし70年代になってヨーロッパでの評価が高まり見直され、ハリウッド映画はダグラス・サーク監督の懐古の念と共に、いまやアイロニー(風刺)の巨匠として認められたのです。
「天はすべて許し給う」はJane Wyman(ジェーン・ワイマン)が演じる未亡人とRock Hudson(ロック・ハドソン)が演じるハンサムな庭師との恋の葛藤物語ですが、Bewitched(奥様は魔女)でエンドラを演じたAgnes Moorehead(アグネス・ムーアヘッド)がとっても綺麗でヒロインの親友役で出演しています。 大男のロック・ハドソンはそれまでは活劇中心でしたが「天はすべて許し給う」あたりからロマコメ路線に移行し、その後に軽いコメディに出演していました。

スプラッシュ映画「Kill Bill(キルビル)」のQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)監督さえもサーク監督を賞賛し映画のなかでダグラス・サーク流のアメリカ文化考を引用しているそうです。
ダグラス・サーク監督は「悲しみは空の彼方に」の前には1956年の「Written on the Wind(風と共に散る)」が有名です。(愛している女性を親友に紹介すると不幸に始まり)
Rock Hudson(ロック・ハドソン)とLauren Bacall(ローレン・バコール)が共演し、Dorothy Malone(ドロシー・マローン)がアカデミー助演女優賞を受賞した「Written on the Wind(風と共に散る)」のサントラは見つかりませんが、Victor Youngs(ヴィクター・ヤング)作曲でSammy Cahn(サミー・カーン)作詞のタイトル曲”Written on the Wind”は「慕情」の主題歌でもお馴染みのThe Four Aces(フォー・エイセス)が歌いました。 ”慕情”のヒットで知られるフォー・エイセスの”Written on the Wind”が収録されているアルバムの20 Greatest Hits- Allmusic.comで試聴できます。(ちなみにドロシー・マローンがダンスするシーンではがアーサー・フリードが歌詞をつけた”Temptation”が流れます)

1958年にサーク映画「The Tarnished Angels(翼に賭ける命)」に出演したTroy Donahue(トロイ・ドナヒュー)を今作でも起用しています。 いつもは健全な青年役が多いトロイ・ドナヒューが人種差別を描いたこの「悲しみは空の彼方に」ではサラ・ジェーンを殴るクズ野郎のような恋人を演じています。(サラジェーンが酒場の窓ガラスに映るこのシーンではロマンチックなBGMが突如反転し暴力を助長するようにアップテンポな曲に変わります) しかしながら、黒人と白人を隔てる社会的風潮として当時は黒人と白人が恋愛するなど以ての外で、白人に見える黒人が最も差別されていた社会情勢でしたのでこのようなことが起こったのでした。 しかし一番悲しいことは黒人の混血であるがためにサラ・ジェーン自身が黒人を差別している現実です。 白人との混血だと肌がミルク色や白い場合には黒人からも差別されるからでしょう。 純粋な黒人なら白人に何と言われようと黒人であることに大いなる誇りを持っていたでしょうから。 過去にも白人に見える黒人女性の悲劇は1949年にエリア・カザンが監督した「Pinky(ピンキー)」がありましたが1995年にDenzel Washington(デンゼル・ワシントン)が探偵を演じた「Devil In A Blue Dress(青いドレスの女)」にも描かれています。

「悲しみは空の彼方に」では女優になってから30着以上ものゴージャスな着せ替えを見せたプラチナ・ブロンドが美しいLana Turner(ラナ・ターナー)です。(地毛は鳶) ラナ・ターナーが演じる白人の未亡人で女優志望のLora Meredith(ローラ)は、Juanita Moore(ファニタ・ムーア)が演じる黒人のAnnie Johnson(アニー)に出会いアニーが仕事を探しているということで共同生活を始めます。 夫を失って自分で生計を立てねばならなかった二人が出会ってから時を経て、ローラは女優として成功しますが、アニーの地位は依然としてメイドのままでした。 出合った時からローラとアニーに十代の娘がいましたが、ローラが女優となった頃にはローラの娘のSusie(スージー)は16歳で、白人の夫との間にうまれたアニーの娘のSarah Jane(サラ・ジェーン)は18歳になっている設定です。 サラ・ジェーンは黒人と白人との混血なのですが黙っていれば白人で通りました。 とはいえ、常に黒人メイドの娘でありスージーの脇役に甘んじていました。

The Man on the Beach
以下のあらすじには結末も書かれているのでこれからビデオをご覧になる方は読まない方が楽しめます。
夏のコニーアイランドの浜辺でローラははぐれた娘のスージーの面倒を見てくれていた子連れの黒人女性と出会います。 女優を目指すローラは娘のスージーの世話をしてくれる人手が欲しいのですがまだ仕事がなくて給料を支払うことができません。 一方白人の夫に捨てられたアニーは今晩泊まるところがありません。 まさに神の助けか巡り合わせか、こんな事情から二組の母娘の共同生活が始まったのです。
家事の達人のアニーは甲斐甲斐しく働きますがローラの仕事は簡単には見つかりません。 そんな時、突然やって来たのが浜辺で出会った若いカメラマンのスティーヴ。 写真を貰った子供たちは大喜びで、夫人も歓迎します。 スティーヴが夫人の写真を最初に写したことからみるとスティーヴには気になる女性だったのでしょう。 スティーヴに誘われて昼食を取っていたレストランで、ローラは知り合いからTennessee Williams(テネシー・ウィリアムズ)の芝居のオーディションがあると聞いたのです。 有頂天になったローラは「今晩のディナーの約束は?」というスティーブを残して芸能プロダクションへ向かったのでした。 エージェントのAllen Loomis(ルーミス)を訪れた夫人は面会も一筋縄ではいかないと察知、ハッタリをかまして無理やりルーミスに会って夜の約束を取り付ける。 その夜ドレスアップしたローラがルーミスのオフィスを訪ねると芸能界の裏を聞かされ、世間知らずの夫人は激怒してルーミスが差し出した誘惑のミンクコートを投げつけると失意のうち帰宅してしまったのでした。 この時、ローラの家でアニーとスティーヴが何をしていたかというと、仕事のない夫人が受けた宛名書きのアルバイトを手分けしていたのです。
※海千山千のルーミスを演じたのは1945年に「Rhapsody in Blue(アメリカ交響楽)」でGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュウィン)を演じたRobert Alda(ロバート・アルダ)です。

Well I’m going up and up and up and nobody’s going to pull me down!
黒人アニーと別れた白人の夫との娘であるサラ・ジェーンは、自分が白人に見えるので白人として通そうと頑張ります。 それなのにある日のこと、サラジェーンの学校に母親が雨具を届けに来たことから黒人の子だということがバレてしまいます。  「学校で白人のふりをしていた」という母親にサラジェーンは言葉を返しての嘆き悲しむのでした。 「私はスージーと同じ白人なのよ、もう学校には行かない!」
一方、海で写したの子供たちの写真が採用されたスティーヴはローラに結婚を申し込んだのです。 愛を確かめるべく唇をかわさんというその時、電話のベルが鳴った。 それはエージェントのルーミス。 ロバート・ヘイズ氏なんていう架空のハリウッドの人物からの紹介だと嘘をついた夫人の大芝居を認めていたのでした。 ルーミスの話によるとローラのコマーシャル写真を見た劇作家(演ずるはダン・オハーリー)が役をくれるらしい。 高額のギャラに有頂天になったローラはスティーヴの制止を聞き入れず、ほんの今さっきは目の前にあった幸せを投げ捨てて、再び雪降る夜にルーミスの事務所に向かったのです。 女ごころと秋の空、というよりも、娘を抱えた夫人には若い男との今後の生活に一抹の不安があったのでしょう。 しかしオーディションでは大根役者丸出しで劇作家デヴィッドは駄目出し。 それに大してデヴィッドの脚本にケチをつけるほど負けん気の強い夫人は逆に見直されて採用となり、舞台は大好評。 デヴィッド宅での打ち上げで摩天楼の夜景が眺めて夢心地となったローラは愛の告白をしてデヴィッドと関係を結ぶ。 なんてこったの女心と秋の空、というよりもこの道でのし上がるにはこれしかないと悟ったのでしょうか。 ともかくその時点では幸福感に酔ったローラはデヴィッドを愛していると感じたのでした。 その後もデヴィッドとの芝居のコラボは続き、40年代後期から50年代通して舞台に立ち続けた夫人は舞台女優としてますます成功していくのです。 それなのに、なぜか心のうちは満たされていなかったのです。 何かを見失っている。 おまけに結婚を望むデヴィッドを愛していないことも分かっていた。

それから10年の歳月が経過、可愛い少女だった娘のスージーやサラジェーンは成長して、スージーは16歳でサラジェーンは18歳の年頃の娘となっています。 ここからはスージーとサラジェーンの配役が変わります。 ローラ邸のパーティに現れたスティーヴとアニーを含む一家はピクニックに出かけますがサラジェーンは仮病を使って行きません。 相も変らず白人願望のサラジェーンは当時のアメリカではご法度だった白人青年のフランキー(トロイ・ドナヒュー)と交際を始めたのでした。 それを聞いて興味津々のスージーが無邪気に質問したことは「そのボーイフレンドは黒人なの?」
映画のセリフでは黒人を指す時に特別に差別の意味を含んだ”ニガー”以外は”カラー”と言っていて”ブラック”という言葉は使用されません。 カラーとは見た目の肌の違いなんかではなく血筋の問題なのです。 植民地時代に始まったといわれるカラーとかカラードといった黒人を指す言葉は公民権運動後に人種差別のジム・クロウ法が1964年に廃止された辺りから廃ったようです。(ここでのカラードは現在の有色人種の意味ではない)
さて、このピクニックで夫人とスティーヴェは再び愛を確信したのですが運が良いのか悪いのか、エージェントのルーミスが言うにはイタリア映画の監督から映画出演の話があるとか。 純愛がいまだ燻り続けていたウティーヴの求愛にも以前と同じルーミスからの連絡で出向いていったローラ、純愛より名声。
この頃にはアニーは体調を崩していたのですが娘のサラジェーンはローラがスージーと自分を分け隔てなく可愛がっていることや母の愛も十分に承知していたにも関わらずなんとしても白人として生きていきたいと思い続けています。 白人に見えるから白人の男の子が口笛を吹いてくるのだと。 こっそり家を抜け出したサラジェーンは約束していたボーイフレンドのフランキーに会いに行きます。 ところが約束に遅れて来た不機嫌なフランキーに質問されます。 「一つだけ知りたい。 お前の母親は黒ん坊なのか?」 友達に恥をかかされたとフランキーはサラジェーンを必要以上に何度も何度も殴りつけたのでした。 実にひどい暴力シーンですが、当時のアメリカで白人と黒人のお付き合いなんてまずありえなかったので笑い者になってダメージを受けたフランキーの憤慨もハンパじゃなかったのです。 同年に十代の恋を描いた「避暑地の出来事」でサンドラディーと共演し、女の子のアイドルとして人気になる同じトロイ・ドナヒューが演じているのですがイメージダウンともなりかねないこの役をよくも引き受けたと関心しきりです。 トロイ・ドナヒューが1957年にメジャーデビューしたのがダグラス・サーク監督の「The Tarnished Angels(翼に賭ける命)」だったからでしょうか。

スージーの卒業式には予定していたイタリア行きを中止していたローラだったが結局念願のイタリアに行きを決行。 2週間の留守中はスティーヴがスージーの面倒をみることになった。
ところが厄介なことに、成長したスージーはスティーヴに恋心を抱き始めていたのでした。

Susan Kohner sings Empty Arms

Empty Arms
Sarah Jane at Harry’s Club
Susan Kohner(スーザン・コーナー)が演じたサラ・ジェーンが歌った”Empty Arms“は幻の曲です。 勿論ブルースのIvory Joe Hunter(アイヴォリー・ジョー・ハンター)の”Empty Arms”とは同名異曲です。
サラ・ジェーンは母親に内緒で踊り子のアルバイトをしていましたが娘を案じるサラ・ジェーンの母親(アニー)はクラブに訪ねて行きますが、サラ・ジェーンに険もほろろに追い返されます。 いかがわしいナイトクラブ「Harry’s Club」で好色な男達を誘う下品な歌”Empty Arms”を歌うシーンがあるのですが、卑猥な罵声と笑い声の中でセクシーな網タイツ姿とは裏腹に自暴自棄とも取れるサラ・ジェーンの悲鳴に聴こえます。 この曲がなぜ「幻」かというと、サラ・ジェーンが歌った”Empty Arms”はArnold Hughes(アーノルド・ヒューズ)とFrederick Herbert(フレディリック・ハーバート)が作ったそうですが「悲しみは空の彼方に」のサウンドトラックには収録されていないのです。
スーザン・コーナーが歌った”Empty Arms”は何人かの女優の歌を吹き替えていたジャズ歌手のJo Ann Greer(ジョー・アン・グリーア)の吹き替えだったそうですが、この曲は1952年の「Affair in Trinidad(醜聞殺人事件)」でリタ・ヘイワースが歌った”I’ve Been Kissed Before”にアレンジが似ています。

隠れた名ボーカリストとも呼ぶべきジョー・アン・グリーアは50年代から80年代の引退までLes Brown and his Band of Renown(レス・ブラウン楽団)の歌手で楽団のトランペッターとの結婚歴もありますが、レス・ブラウンの日本公演にも同行しています。 1953年の「Miss Sadie Thompson(雨に濡れた欲情)」、「Affair in Trinidad(醜聞殺人事件)」、「Pal Joey(夜の豹)」などで英語のアクセントに癖があるRita Hayworth(リタ・ヘイワース)の歌をたくさん吹き替えたそうです。
酔客の前で歌うシチュエーションなら1956年の「Bus Stop(バス停留所)」で酒場でMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)が歌った”That Old Black Magic”がありますがそれにはとうてい及びませんがダンスもぎこちないのがかえってリアル感があります。

Susan Kohner

Sarah Jane at Moulin Rouge
I am white!, white!, white!
Mama, if you really want to be kind, really a mother, don’t try to find me.

ボーイフレンドのフランキーにも黒人ということがバレたサラジェーンはなにかと受ける社会的抑制にいらついて反抗します。 暴言の限りを吐き、「全ては自分の母親が黒人だからいけない」 普段からレコードをかけてはステップを踏んでいたダンス好きのサラジェーンは母には図書館と偽ってマンハッタンのハリーズクラブでダンサーのアルバイトをします。 それを知ったアニーはそのクラブに出かけて行き妖しげなダンスをしているサラジェーンに驚愕し、黒人の自分がサラジェーンの母親だとクラブの人間に話してしまいます。
もうこのクラブにも居られないとサラジェーンは母を振り切りどこへともなく去ってしまったのです。

ローラの家を飛び出したサラジェーンは以前のように踊り子で職を得ましたが、体調を崩したアニーはこれが最後とばかりにまたしても必死の思いで飛行機に乗りラスベガスのキャバレーに訪ねて行きます。 このシーンでサラジェーンは楽屋の大鏡に映る自分を見て「私は白人よ!」と叫ぶのです。 前回同様に「なぜそっとしておいてくれないの」とアニーを攻めたサラジェーンですが母親の愛の強さをひしと感じ泣き崩れたのでした。 クラブの楽屋に入ってきた仲間の踊り子にアニーは「私はこのお嬢さんの世話をしていたのです」とメイドを装ったのでした。

ローラの家では床に伏せっているアニーにスティーヴへの愛を告白したスージーでしたが、偶然に窓の下で外出から戻ったローラとスティーヴの二人がお別れのキスをするのを見てしまったのです。 その上、動揺しているスージーの部屋に入って来たローラがスティーヴとの結婚話しをしたから大変なショックを受けます。 アニーからスージーがスティーブに恋していることを聞いたローラは恐ろしい剣幕で真意を問いただそうとしますが、スージーは遠く離れたデンバーの大学に行く決心をしていました。 スティーヴはあきらめると言うローラに「母親を演じるのはやめて!」とスージー。 そんなおり、アニーの容態は牧師を呼ぶまでに悪化、「サラジェーンを探して」とスティーヴに頼んで神の元へと旅立ちました。

天に召されたアニーの葬儀のシーンで、棺が教会から運び出された時、母への愛に目覚めたサラ・ジェーンがようやく駆け付けて人目もはばからず白い梔子(クチナシ)の花で飾られた母の棺にすがる姿がに観客の涙を絞りに絞り切ります。 「お母さん、ごめんなさい、本当に愛していたの」 白馬に曳かれた馬車の葬列が墓地に向かう。
Mahalia Jackson(マヘリア・ジャクソン)がアニーの棺が置かれた教会で歌ったゴスペルの”Trouble of the World”は作者不詳のニグロ・スピリチュアルだそうです。
Mahalia Jackson – Trouble of the World – Youtube
Mahalia Jackson – I Come To The Garden Alone – YouTube

Lana Turner
37歳のラナ・ターナーは超ハンサムで27歳という超若いJohn Gavin(ジョン・ギャヴィン)が演じる写真家の恋人「Steve(スティーヴ)」とツーショットでも負けず劣らずハリウッド女優ここにありというところです。(照明さんのスゴ腕?)
ラナ・ターナーはセックス・シンボルといわれた頃の1946年の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」から10年以上経っているにもかかわらず、まさに美しく光輝く月の女神か「ラナ・ターナー」!
ラナ・ターナーは今作では母との婚約のことを知らずにスティーヴを愛してしまう娘のスージーを演じたSandra Dee(サンドラ・ディー)と翌年の1960年にサスペンス映画「Portrait In Black(黒い肖像)」でも共演しています。
スキャンダルの多いハリウッド女優として有名だったラナ・ターナーは7人の夫を持ちました。 1940年代にバンドリーダーのArtie Shaw(アーティ・ショー)とはたった4ヶ月で離婚していますが、1942年に結婚したJoseph Stephen Craneとは1年で離婚したものの娘が産まれたので再婚し都合2年間でした。
その昔私がフランス俳優のJean Gabin(ジャン・ギャバン)と間違えたハンサムなJohn Gavin(ジョン・ギャビンもしくはジョン・ギャヴィン)の写真が見られるJohn Gavin at Brian’s Drive-In Theater(「悲しみは空の彼方に」における ラナターナーとジョン・ギャヴィンのツーショット写真はV & A

John Gavin
ローラへの純愛を貫き通したスティーヴを演じたメキシコ系アメリカ人の俳優であるジョン・ギャビンは1958年にダグラス・サーク監督の「A Time to Love and a Time to Die(愛する時と死する時)」でスイス出身のLiselotte Pulver(リゼロッテ・プルファー)と共演して映画デビューしました。 英国人じゃないからか007ジェームスボンドになりそこなったエリート俳優のジョン・ギャビンは「悲しみは空の彼方にみ」の後の1960年にはMichael Curtiz(マイケル・カーティス)監督の「A Breath of Scandal(バラ色の森)」でイタリア女優のSophia Loren(ソフィア・ローレン)と共演、同年「Midnight Lace(誰かが狙っている)」ではDoris Day(ドリス・デイ)と共演、同年Alfred Hitchcock(アルフレッド・ヒッチコック)監督の「Psycho(サイコ)」では惨殺されるマリオン・クレーンの婚約者のSam Loomis(サム)、1961年の「Back Street(裏街)」ではSusan Hayward(スーザン・ヘイワード)と共演するなど立て続けに大物女優と銀幕にお目見えしましたが、この辺までで80年代には政治に活躍の場を移しました。 両親が共に有力者でスペイン語に堪能なメキシコとアメリカの混血であるジョン・ギャビンはRonald Reagan(レーガン)時代の1981年にメキシコ大使を務めたほどのエリートです。
007のJames Bond(ジェームス・ボンド)は絶対英国人と原作者が明言しているのでジョン・ギャビンには有り得ない筈ですが、一時は2作のボンド映画に予定されたことがあったそうです。 実際にボンド映画に出演したのは1968年にドイツ俳優のCurd Jürgens(クルト・ユルゲンス)やフランス俳優のRobert Hossein(ロベール・オッセン)や、Brigitte Bardot(ブリジット・バルドー)主演の「En effeuillant la marguerite(裸で御免なさい)」に出演していたイタリア女優のLuciana Paluzzi(ルチアナ・パルッツィ)等と共演したイタリアバージョンの「Niente rose per OSS 117(殺人売ります)」だけでした。(英語のタイトルはOSS 117 – Double Agent) そんなジョン・ギャビンは2018年に白血病(急性肺炎)により86歳でなくなりました。

「悲しみは空の彼方に」では損な役回りだった可愛いサンドラ・ディーは撮影当時は実際にも16歳で、同年公開されたサンドラディーの代表作となった1960年公開の「A Summer Place(避暑地の出来事)」ではトロイ・ドナヒューと共演して話題になりましたが、1961年公開の「九月になれば」で共演したボビーダーリンとさっさと結婚してしまいました。(子供が生まれましたがさっさと離婚もしました)

☆「悲しみは空の彼方に」の写真が見られるLo specchio della vita – FILM.TV.IT

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「悲しみは空の彼方に」のトレーラーが観られるImitation of Life Trailer – Turner Classic Movies

Imitation of Life DVD
ページトップの画像はアメリカのAmazon.comにある1934年にジョン・M・スタールが監督した「模倣の人生」とダグラス・サークが監督した「悲しみは空の彼方に」の二枚組DVDですが原語版ですがRegion 1です。
下記は2007年に発売されたダグラス・サーク作品集の4枚組みDVDです。 ロック・ハドソンが主演する「自由の旗風」と「翼に賭ける命」、「愛する時と死する時」、そして「悲しみは空の彼方に」が収録されていますが何といっても高価! ですがオープニングのアール・グラントのテーマ曲やサントラに収録されていないサラ・ジェーンの”Empty Arms”、そして偉大なるマヘリア・ジャクソンのゴスペル”Trouble of the World”(サントラ試聴の12)のためだけでも観る価値のある「悲しみは空の彼方に」のDVDです。
ダグラス・サーク コレクション 2 (初回限定生産) [DVD]

「悲しみは空の彼方に」とジョン・ギャビンの「愛する時と死する時」の他、ロック・ハドソンの「自由の旗風」と「翼に賭ける命」

Imitation of Life_Douglas Sirk Collection DVD

Imitation of Life VHS
画像は字幕が”closed-captioned”となっていて特別なデコーダーのついたテレビでのみ表示できる「悲しみは空の彼方に」の1998年輸入版(英語)VHSビデオ(ASIN: B000005XPV)ですが現在はもう入手困難になっています。

Imitation of Life

Imitation of Life Soundtrack
Imitation of Life by Earl Grant (1933 – 1970)
Imitation of Life & Interlude (Music score by Frank Skinner)の試聴はMP3アルバム ジョセフ・ガーシェンソン – Amazon.co.jp
Imitation of Life (1959 Film Score) – Amazon.co.jp
★”Love is a Many-Splendored Thing(慕情)”と”The Shadow of Your Smile(いそしぎ)”やA Certain Smile(ある微笑)で有名なPaul Francis Webster(ポール・フランシス・ウェブスター)が作詞してSammy Fain(サミー・フェイン)が作曲したテーマ「Imitation of Life」をナット・キング・コールばりに歌うEarl Grant(アール・グラント)の歌声(試聴の1)でオープニング・クレジットが始まる「悲しみは空の彼方に」でのバックグラウンドは光り輝く透明な宝石が優雅に舞い降りて積み重なるエレガントな冒頭です。
「悲しみは空の彼方に」の音楽は「黒い肖像」も手掛けたFrank Skinner(フランク・スキナー)と、ドリス・ディの1959年の「Pillow Talk(夜を楽しく)」でお馴染みのJoseph Gershenson(ジョセフ・ガーシェンソン)です。
アール・グラントの”Imitation of Life”が流れる「悲しみは空の彼方に」のオープニングはEarl Grant – Imitation of Life Opening Scene – YouTube
※アール・グラントは50年代後期から60年代初期のミュージシャンで歌の他にピアノやオルガンも弾いたそうです。 1958年にナット・キング・コール風の”At The End Of A Rainbow(愛よ永遠に)”が大ヒットしましたが40歳を前にして車の事故で亡くなりました。 何度か来日していますから聴けばこのロマンティックな曲を思い出すでしょう。

日本では1976年にLPレコードでリリースされた「悲しみは空の彼方に」MCA Records VIM 7206 ですが、スーザン・コーナーの”Empty Arms”は収録されていません。 以下はサントラの曲目
1.Main Title: Imitation Of Life. (By Sammy Fain-Paul Francis Webster. Sung by Earl Grant.
2.Home From The Beach.
3.Disappointed.
4.Rejected.
5.Break-Up.
6.Success Montage.
7.Lovely.
8.Wishing Star.
9.Being Childish.
10.(A). The Truth. (B). Heartbreak.
11.Secrets.
12.Soon I Will Be Done With The Trouble Of The World. (Lillian Hayman-Not From The Soundtrack).
13.Going To Glory and End Title.
☆サントラの情報はSoundtrackCollector

Susan Kohner(スーザン・コーナー)
人種差別の不条理を扱った映画「悲しみは空の彼方に」では、ハリウッド女優のラナ・ターナーではなく、黒人と白人の混血娘のサラ・ジェーンを演じたスーザン・コーナーに注目です。 白人女優でありながら黒人の娘「サラ・ジェーン」役を演じたスーザン・コーナーは1959年のゴールデン・グローブの助演女優賞を受賞し、アカデミー助演女優賞にノミネートされました。 スーザン・コーナーはアメリカ人のプロデューサーとメキシコの女優との子供で、1955年に映画デビューしています。 演技派女優の有望株かとおもいきや、結婚して1962年にあっさりと女優業を引退してしまいました。 お相手はファッション・デザイナーのJohn Weitz(ジョン・ワイツ)ですが、今や スーザン・コーナーの息子のPaul Weitz(ポール・ワイツ)が映画監督になっていて、「In Good Company(イン・グッド・カンパニー)」や「American Dreamz(アメリカン・ドリームズ)」などのコメデイ映画を手掛けています。 さらにポールの弟のクリスも上記の映画で制作や脚本などに携わり「The Golden Compass(ライラの冒険 黄金の羅針盤)」を監督しています。 スーザンは女優として「悲しみは空の彼方に」の撮影中は母親を嫌う娘の役を演じていたので役づくりのため母親役のファニタ・ムーアを遠ざけていましたが、この後はずっと交際を続けているそうです。

スーザン・コーナーの出演作品
1961年 「By Love Possessed(愛するゆえに)」
スーザンがラナターナーと共演した映画はミステリ作家のJames Gould Cozzens(ジェームズ・G・カズンズ)の原作を「大脱走」で有名なJohn Sturges(ジョン・スタージェス)監督が映画化したロマンス映画です。 音楽が「黄金の腕」で名高いElmer Bernstein(エルマー・バーンスタイン)です。 ラナ・ターナーがジュリアス弁護士の妻で夫の友人のアーサー弁護士に思いを寄せる女性を演じ、スーザン・コーナーはGeorge Hamilton(ジョージ・ハミルトン)が演じるアーサー弁護士の息子に片思いした挙句にレイプされたと訴え出るアバズレ娘のHelen(ヘレン)役です。

1960年 All The Fine Young Cannibals(夜が泣いている)」
ロバート・ワグナーとナタリー・ウッド夫妻が初共演した映画で、スーザン・コーナーはトランペッターを演じたロバート・ワグナーの結婚相手役を演じました。 ワグナーと黒人歌手のPearl Baileyとの絡みシーンも撮ったのですが当時の諸事情を考慮して会社側がカットしたそうです。 詳細はAudio-Visual Trivia内の「Natalie Wood ナタリー・ウッド

1959年 The Big Fisherman(聖なる漁夫)
Frank Borzage(フランク・ボーゼージ)の監督で音楽は「悲しみは空の彼方に」と同じくJoseph Gershenson(ジョセフ・ガーシェンソン)の宗教的歴史スペクタクルで、ハンサムなイタリア系俳優のJohn Saxon(ジョン・サクソン)がアラブの王子様役で彼と結婚するFara(ファラ)をスーザン・コーナーが演じます。 2020年に83歳で逝去したサクソンは俳優初期にはデビー・レイノルズとロマコメ「年頃ですモノ」で共演しましたが1973年には「燃えよドラゴン」で武術家のローパーを演じてBruce Lee(ブルース・リー)と共演した後、徐々に活劇西部劇に移り1966年の「The Appaloosa(シェラマドレの決斗)」での残虐な強盗団の首領チュイという悪党役が好評でした。
フランク・ボーゼージ監督は1937年にCharles Boyer(シャルル・ボワイエ)が主演した豪華客船タイタニック号の1912年の遭難にもヒントを得た「History Is Made At Night(歴史は夜作られる)」を監督しましたが、そのラストシーンで乗客によって歌われたテーマ曲の賛美歌”Nearer My God To Thee(主よ、みもとに)”は1856年にアメリカの教会音楽の改革者にして教育者であるマサチューセッツ出身のLowell Mason(ローウエル・メーソン)が作曲したもので歌詞はSarah F. Adams(サラ・F・アダムス)だそうです。

1959年 The Gene Krupa Story(ジーン・クルーパ物語)
”Sing, Sing, Sing”で有名なBenny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)楽団で誉高きスイング時代の名ドラマーのジーン・クルーパーをシシリア出身のSal Mineo(サル・ミネオ)が演じた伝記映画です。 サル・ミネオといえば14歳の時、薄幸の少年を演じて観客の涙をそそってアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた1955年の「Rebel Without a Cause(理由なき反抗)」が印象的でした。
スーザン・コーナーはジーンの元妻Ethel Maguire(エセル)役で出演し、ジーン・クルーパー本人やShelley Manne(シェリー・マン)、Anita O’Day(アニタ・オデイ)やRed Nichols(レッド・ニコルス)などの本物のスウィングジャズのミュージシャンやアイドルスターのJames Darren(ジェームス・ダーレン)も出演しました。
「ジーン・クルーパ物語」の予告編が見られるThe Gene Krupa Story Trailer – Turner Classic Movies

1956年 The Last Wagon(襲われた幌馬車)
アパッチインディアンの襲撃を逃れる殺人犯人のトッドとしてRichard Widmark(リチャード・ウィドマーク)が主演したDelmer Daves(デルマー・デイヴィス)監督の人種問題を扱った西部劇です。 スーザン・コーナーはインディアンとの混血娘を演じました。 デルマー・デイヴィスはHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)が主演した1936年のThe Petrified Forest(化石の森)の脚本家として知られていますが、1946年のミステリー映画「The Red House(赤い家)」以降は活劇や西部劇の監督としても有名でした。 後期には1956年の「A Summer Place(避暑地の出来事)」以降サンドラ・ディーやトロイ・ドナヒューが主演したロマンティックな青春映画も監督しました。

1955年 To Hell and Back(地獄の戦線)
Audie Murphy(オーディ・マーフィ)の自伝を元にした自作自演の戦争映画でスーザン・コーナーがMaria(マリア)役で映画デビューしました。
スーザンがチラリと見られる「地獄の戦線」のトレーラーはTo Hell And Back Trailer (1955) – YouTube

模倣の人生 (1934年)
1959年の映画「悲しみは空の彼方に」は、30年代にベストセラーとなったアメリカの作家”Fannie Hurst(ファニー・ハースト)”の小説「mitation of Life」の映画化で、Claudette Colbert(クローデット・コルベール)が主演した1934年「Imitation of Life(模倣の人生)」のリメイクです。 そのオリジナルはJohn M. Stahl(ジョン・M・スタール)が監督し、Claudette Colbert(クローデット・コルベール)が主役の未亡人ビーを演じてアカデミーの作品賞などにノミネートされました。
このオリジナルでは白人の未亡人ビーは女優志望ではなく黒人メイドデリラのレシピによるパンケーキでビジネスに成功します。 ビー夫人はお金持ちになりましたが、二人の娘たちとの関係は悪化します。 デリラの娘は母親を否定し、白人として生きる道を選び家を出て行きます。 そしてビーの娘の愛は二人が同じ男性に恋をした時に試練を迎えます。
リメイクでのサラ・ジェーンはオリジナルでは”ぺオラ”で演じたのは欧州系黒人のFredi Washington(フレディ・ワシントン)でした。(家出してダンサーではなく店員として働いていました) 当然のことこの映画の終盤にマハリア・ジャクソンの黒人霊歌は聞けませんが、娘を案じながら天国に旅立つ黒人メイドのドアの外で黒人たちがハミングします。 葬列のバックにも聖歌隊の歌が…、そしてラストのネオンサイン「Aunt Delilah Pancake Flour」が印象的。 エンディングの母親としてのビーのセリフは”I want my quack-quack!”(映画の冒頭シーンでアヒルを浮かべたお風呂に入っていたビーの娘ジェシーの幼少期のセリフ)
登場人物の紹介的な「模倣の人生」の予告編はImitation of Life (1934) – Turner Classic Movies

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悲しみは空の彼方に Imitation of Life (1959)」への2件のフィードバック

  1. はじめまして!
    先日来おじゃまさせていただいています。
    凄いページといつも圧倒されてます。
    さて、この映画…
    全編に「イミテーション オブ ライ—フ」という甘ったるい男性ボーカルの主題歌が流れていましたでしょうか??
    むか—し、淀川さんの土曜洋画劇場かなにかで見て強烈な印象がある…のですが???

  2. koukinobaaba より:

    「う–でぶ 」さん、淀川氏はラナターナーのファンでいらしたからベタ誉めだったでしょう。
    テーマ曲のImitation of Lifeはアールグラントなのに、サラジェーンやマヘリアジャクソンのインパクトが強くて印象がありませんでしたがオープニングでは配役が表示される時にずっと流れていました。

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