雨の朝巴里に死す The Last Time I Saw Paris (1954)

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雨の朝巴里に死す  (1954年)

「雨の朝パリに死す」はアメリカの作家であるF. Scott Fitzgerald又はFrancis Scott Key Fitzgerald(F・スコット・フィッツジェラルド)が1925年に夢と挫折を描いた短編「Babylon Revisited(バビロン再訪又はバビロンに帰る)」をモチーフとしてRichard Brooks(リチャード・ブルックス)が監督した超ロマンス映画で、パリやモナコでロケが行われたそうです。 いかにもというロマンティックなメロドラマですが、他の典型的な50年代のハリウッド・スタイルのお涙頂戴的ロマンス映画というよりはかなり身近な問題なので身につまされます。
ちなみにフランス語では”La dernière fois que j’ai vu Paris”(最後に私がパリを見た時)というそうです。

私の好きなF. Scott Fitzgerald(フィッツジェラルド)の作品といえば1925年に出版された現代版「嵐が丘」のような”The Great Gatsby”(グレート・ギャツビー)ですが、こちらも1974年にRobert Redford(ロバート・レッドフォード)主演で「The Great Gatsby(華麗なるギャツビー)」というタイトルで映画化されました。 1959年の「Room at the Top(年上の女)」のJack Clayton(ジャック・クレイトン)が監督した「華麗なるギャツビー」がセリフにおいてはかなり原作に忠実だったので感激した覚えがありますが、「雨の朝パリに死す」の原作といわれる「バビロン再訪」については私は未読なので比較出来ません。 そしてフィッツジェラルドの短編「The Curious Case of Benjamin Baton(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)」を2008年にDavid Fincher(デヴィッド・フィンチャー)監督が映画化しています。 主人公を演じたのはBrad Pitt(ブラッド・ピット)でヒロインのデイジーはCate Blanchett(ケイト・ブランシェット)です。

☆集英社から1990年に出版されたフィッツジェラルド原作”Babylon Revisited”の文庫本はバビロン再訪―フィッツジェラルド短篇集

映画「雨の朝パリに死す」の美しいヒロインである自由奔放ゆえに哀しいHelen Ellswirth(ヘレン)を撮影当時22歳のゴージャスなElizabeth Taylor(エリザベス・テイラー)がまるで地でいくように演じています。 リズの演じる華麗な令嬢姿が存分に見られた1951年の「A Place In The Sun(陽のあたる場所)」から3年後にさらに華麗な人妻役のリズが見られる映画です。
当時は無名だった「James Bond 007(ジェームス・ボンド ダブルオーセブン)」シリーズのRoger Moore(ロジャー・ムーア)が若いテニスコーチのPaul Lane(ポール)、そして1949年の「Battlwground(戦場)」や1954年の「The Caine Mutiny(ケイン号の叛乱)」のVan Johnson(ヴァン・ジョンソン)がヘレンの夫になるCharles Wills(チャールス)役です。 「It’s A Wonderful Life(素晴らしき哉、人生!)」のDonna Reed(ドナ・リード)が堅物で生真面目ですがずっとチャールスを想うヘレンの姉の”Marion”(マリオン)役で出演、二人の父親としては「How Green Was My Valley(わが谷は緑なりき)」のWalter Pidgeon(ウォルター・ピジョン)が出演しているという豪華キャストの映画です。

「雨の朝パリに死す」の舞台は第二次大戦の勝記念日あたりのバカ陽気なパリです。 その連合軍の勝利のお祝いパーティでヘレンとチャールスは出会い、チャールスの除隊後にパリで結婚し可愛い女の子も授かりました。 パーティ好きで奔放なヘレンは噴水に飛び込んだ”パリのアメリカ人”として記事になり、Ritz Bar(カフェ)の壁画にそのモデルとしてに応じたりと相も変わらず気紛れな行動を続ける一方、さえないほど実直なチャールスは昼間は通信社の記者として安月給で働きながら夜は作家として奮闘するも作品は書いても書いても不採用となる苦悩の毎日でした。 そんな時、ヘレンの父親から結婚記念に贈られたテキサスの土地の油田から突如石油が吹き出たのです。(長期間枯れないなら遺産よりすごい)
※ テキサスというとこの時代のちょっと前はサボテンとカーボーイとウエスタンでしたが50年代にはオイル・ブームですから、まさに1956年の超大作「Giant(ジャイアンツ)」の前ぶれのような映画です。(Giantとは偉大な人という意味の他に州旗は大きな☆ひとつであることからテキサスのことも指すとか。リズが理想的な女性を演じた現代版「嵐が丘」)

一夜にして石油成金となり豪華な生活を楽しみ、生活の心配なく作家稼業に身を入れられる筈のチャーリーでしたが作品はボツの連続で自暴自棄となり酒に溺れどんどん嫌味な夫となっていきます。 とうとう作家への夢を失うと同時に次第に妻の愛情をも失い自滅の道へ突き進むことになります。 このきっかけともなる金持ち女ロレーヌ(ライレン・クォール)を演じたのがEva Gabor(エヴァ・ガボール)です。 私はZsa Zsa Gabor(ザ・ザ・ガボール)かと思ってしまったほどそっくりの姉妹でアメリカの叶姉妹という感じです。(こちらは実の3人姉妹) さて、そんな時、現れたのがヘレンの父の友人であるテニスプレーヤーで遊び人のポールです。 ポールのヘタクソなフランス語”Enchante”(はじめまして)がヘレンの気を引き、金持ち狙いのポールの思惑通りになりかける一方、共に享楽をむさぼる日々を過ごす夫のチャールスも離婚太りで超リッチなロレインと交際を再開して双方滅茶苦茶な夫婦生活が始ります。 お互いに当て付けのような不倫劇を演じていては本当に夫婦関係も壊れる一方だと案じたヘレンの希望はホームに帰ることでした。 ホームはアメリカ人として住んでいるパリの家のことではなくアメリカ人の本当のホームつまりアメリカ本国に戻るということです。 夢も虚しくお互い愛情の表現が不器用で素直になれなかった夫婦の悟るのが遅すぎた悲劇です。 金が無ければ四苦八苦、金が有り過ぎると不幸とは世の常、人の常?

video映画史上初のリアルなキスが見られるかもしれない「雨の朝パリに死す」のトレーラーはThe Last Time I Saw ParisTrailer – Turner Classic Movies
The Last Time I Saw ParisTrailer – YouTube
☆「The Last Time I Saw Paris(雨の朝パリに死す)」の写真が見られるL’ultima volta che vidi Parigi Photos – FILM.TV.IT

「雨の朝パリに死す」はまさに20世紀の偉大なる女優の一人である美しいエリザベス・テイラーを見るための映画です。
1950年代のLiz Taylor(リズ)は最高に綺麗です。 「雨の朝パリに死す」と同じくRichard Brooks(リチャード・ブルックス)監督の「Cat On A Hot Tin Roof(熱いトタン屋根の猫)」はリズの映画で私が一番好きな作品です。 ブルックス監督が1958年にTennessee Williams(テネシー・ウィリアムズ)の原作を映画化したものですが、この映画で25歳のリズは美しいだけではなく演技力を身に付けたといわれています。
2011年に79歳で亡くなりましたが、イギリス出身のエリザベス・テイラーは1944年にRobert Stevenson(ロバート・スティーヴンソン)が監督した「Jane Eyre(ジェーン・エア)」に子役で出演するなど映画界において子役時代から美しさでは他に類がないといわれるほどでした。 私が初めて観た菫色の目をしたリズは縦ロールの髪型で出演したマーヴィン・ルロイ監督の1949年の「Little Women(若草物語)」でした。 もっとも私は公開当時ではなく後のテレビ名画座で観たのです。 映画では金髪に髪を染めたリズのフランス人形のような美しさには目を見張るばかりでした。 真っ白な肌、真っ黒な髪、バイオレットの瞳、小さな口からこぼれる可愛らしい声、そして小さな鼻。 そして1969年に「寒い国から帰ったスパイ」でイギリス情報部員を演じたRichard Burton(リチャード・バートン)と共演した1966年の「Who’s Afraid of Virginia Woolf?(バージニア・ウルフなんかこわくない)」や、1967年の「The Taming of the Shrew(じゃじゃ馬ならし)」以降はエリザベス・テイラーの映画を全く観ていません。
※ Mervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)監督は1940年のWaterloo Bridge(哀愁)や1942年のRandom Harvest(心の旅路)など泣ける名作がたくさんありますが、1939年のThe Wizard of Oz(オズの魔法使)や1949年の「Little Women(若草物語)」など子供にも楽しめる映画もある一方、1962年にはNatalie Wood(ナタリー・ウッド)主演で「Gypsy(ジプシー)」も監督しています。
60年代以降は百万ドル女優の貫禄充分でスペクタクル映画などに出演しましたが私の好きなリズの映画はもうありません。 口髭がトレードマークのロナルド・コールマンとグリア・ガーソンが出演した「心の旅路」のラストシーンは何度観ても泣かずにはいられない鳥肌もの、特に運命の二人が新婚時代を送った家の情景は1949年の「Little Women(若草物語)」でも見られた御伽の国のようで大好きです。 ちなみにコールマンは役にのめり込む役者を演じてアカデミー賞主演男優賞を得た1947年の映画「A Double Life(二重生活)」が秀逸です。 そういえばマーヴィン・ルロイが1956年に監督した「The Bad Seed(悪い種子)」のオープニングも事件の遅増しさとは裏腹に事件現場の桟橋風景が美しかった。 が、そのエンディングが衝撃で「結末を他言しないで」と警告が流れます。

「雨の朝巴里に死す」と「熱いトタン屋根の猫 」以外に私が観たリチャード・ブルックス監督の作品では1948年に脚本を担当した「脱出」のHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)主演のKey Largo(キー・ラーゴ)、1955年に監督したBlackboard Jungle(暴力教室)、そして新しいところでは1977年のLooking for Mr. Goodbar(ミスター・グッドバーを探して)ですがいづれもスリリングな映画です。

Elizabeth Taylor (1932 – 2011)
私生活では1967年に「Doctor Faustus(ファウスト悪のたのしみ/博士の異常な愛)」でも共演した英国俳優のRichard Burton(リチャード・バートン)と1964年から結婚離婚を繰り返したエリザベス・テイラーでした。 2016年に亡くなりましたが可愛いかったDebbie Reynolds(デビー・レイノルズ)の夫君だった人気歌手のEddie Fisher(エディ・フィッシャー) と突然のように結婚した時はびっくりしました。 テイラーは1957年に結婚したプロデューサーのMike Todd(マイケル・トッド)が1958年に飛行機事故で急逝したショックから神経が脆くなったとか。(白馬に乗った王子様を失ったなんて信じられない、どうすれば…といった心境) この後にデビー・レイノルズからの略奪愛でエディ・フィッシャーと結婚するも4年で離婚、Richard Burton(リチャード・バートン)とは1964年から1976年にかけて二度の結婚離婚を繰り返しました。 酒や麻薬に溺れたあげく過食症で激太り、その治療で入院した病院で知り合った土木作業員と1991年に60歳で結婚したそうですがこちらも5年でお別れとなりました。 この最後の結婚式は2009年の葬儀にも駆けつけたMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)所有のネバーランド。  リズが70年代にストレスからくる過食により肥満となったことを記した書籍が「エリザベス・テイラーの挑戦―私が太った理由、痩せた方法」(ISBN-10: 4102259015)です。

リズは女優業の他にもフラグランスをプロデュースしているそうで、1987年にElizabeth Taylor’s Passion、1991年にWhite Diamonds Elizabeth Taylorと自分の名を冠した香水を持つゴージャスなリズです。 その一方かって仲良しだった人気俳優のロック・ハドソンがエイズで死亡したことからエイズ撲滅運動に参加して以来社会活動も盛んに行っています。
訃報
これまでも90年代後期に脳腫瘍や皮膚ガンや肺炎などを克服したリズでしたが、最近は心臓を病んでいて1ヶ月以上も入院している最中の2011年3月23日に鬱血性心不全により79歳で亡くなりました。 葬儀の後、親友だったマイケル・ジャクソンと同じForest Lawn Cemetery(フォレストローン墓地)に埋葬されるそうです。 グッバイ、バイオレット・アイズ…
☆ エリザベス・テイラーの写真がたくさん見られる訃報記事はAudio-Visual TriviaとHot’n Coolをリンクして頂いているにゃもさん運営のElizabeth Taylor Photos – Heart Attack (お爺様秘蔵の写真だそうです)

Roger Moore (1927 – 2017)
青い目のロジャー・ムーアはロンドン出身の英国俳優ですが50年代の初めに渡米し、何年もの無名時代を過ごしました。 「雨の朝パリに死す」がロジャー・ムーアがやっと大役を掴んでクレジットが出るようになった日本映画デビュー作品となります。 ヨーロッパ映画で1961年に「IL Ratto delle sabine(サビーヌの掠奪)」でMylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)と、そして1962年に戦争ドラマ「Un branco di vigliacchi」(意味は”卑怯者の群れ”)でPascale Petit(パスカル・プティ)と共演しました。 このイタリア映画ではグラマー女優のScilla Gabel(シラ・ガベル)や「サビーヌの掠奪」でも共演して3人目のムーア夫人となるLuisa Mattioli(ルイーザ・マッティオーリ、またはルイザ・マッティオリ)も出演しています。 そして、ロジャー・ムーアは翌年の1962年から6年間放映されたテレビシリーズの「The Saint”(セイント/天国野郎)」の主役”Simon Templar”(サイモン・テンプラー)で大ブレイク!、同じく人気探偵シリーズだった「77 Sunset Strip(サンセット77)」などにもゲスト出演しています。 ムーアのボンドは重厚さに欠るからと不評だったとはいえ、1974年に「The Man with the Golden Gun(007/黄金銃を持つ男)」では諜報部(ボンドガール)のグンナイを演じたPeter Sellers(ピーター・セラーズ)の元妻でスウエーデン女優のBritt Ekland(ブリット・エクランド)と共演しています。 重厚さに欠けるというならオーストラリア出身のGeorge Lazenby(ジョージ・レーゼンビー)が制作者等にスカウトされて1969年の「On Her Majesty’s Secret Service(女王陛下の007)」でジェームス・ボンドを演じたが華が無さすぎてこれっきり。(作品自体は傑作かも、除雪車が怖い!) さて、ドラキュラ伯爵で有名な193cmのChristopher Lee(クリストファー・リー)が乳首を一つ加えて演じた黄金銃を持つ男(カリブの殺し屋スカラマンガ)を探してマカオに飛ぶジェームス・ボンドはカジノで見かけた美女を追って香港へ。 エネルギー開発装置の出資者だったタイの富豪ハイ・ファットも太陽エネルギー研究者のギブソンもスカラマンガに消された。 ロジャー・ムーアは裏切ったとしてスカラマンガに射殺される愛人役のMaud Adams(モード・アダムス)とは1983年の「Octopussy(007/オクトパシー)」でも共演しています。 ムーアのボンドもそろそろ終わりかという1983年の「オクトバシー」と同時期に1960年代から1970年代にかけてジェームス・ボンドを演じて好評だったショーン・コネリーが何を思ったか「サンダーボール作戦」から18年後に「ネバーセイ・ネバーアゲイン」で戻ってきた!?と話題にはなりましたがなんたって老ボンドがムーアに勝ち目はなく「ナインハーフ」でブレイクする前の細身のKim Basinger(キム・ベイシンガー)の水中遊泳とお尻がチャーミングだったくらいしか…”Never Again”

さて、東洋(香港とタイ)を舞台にした 1974年の「007/黄金銃を持つ男」の監督は1964年の「ゴールドフィンガー」や1971年の「ダイヤモンドは永遠に」、1973年の「Live And Let Die(死ぬのは奴らだ)」の007シリーズのGuy Hamilton(ガイ・ハミルトン)で、1973年に公開されたブルース・リーの「燃えよドラゴン」に倣ったか動き出す力士像や「キルビル」のゴーゴー夕張のルーツか女学生も加勢する武闘大会、蝋人形や鏡の間などのビックリハウスでの銃撃戦などが話題です。 ちなみに映画の題名になっている黄金銃は黄金のコルトではなく金色のライターに部品を取り付けた愛用銃でイニシャル入りの弾は対標的1発のみ。「黄金銃…」ではロリータちゃんのエクランド意外に全裸で遊泳したチュー・ミーやトップレスでボトムアップするウエイトレスを演じたWei Wei Wongが目の保養ですが、特筆すべきはスカラマンガの相棒で執事であるニックナックを演じた身長117cmのHervé Villechaize(エルヴェ・ヴィルシェーズ、もしくはハーヴ・ヴィレシューズ)です。 チビマッチョだったエルヴェは美女と2度も結婚し他にも大勢の女優さんを追いかけたそうですが次第に自身の身体の不調が思わしくなくなり最後は痛みに耐えきれず50歳で拳銃自殺をしました。 ちなみに2003年に「エルフ ~サンタの国からやってきた~」に出演したPeter Dinklage(ピーター・ディンクレイジ)は135cmですからエルヴェは特別小さかったようです。
何故にこのような乳頭過多の殺し屋なんかをクリストファー・リーが演じたか?「黄金銃…」の原作者とは”The Man with the Golden Pen”と異名をとる作家のIan Fleming(イアン・フレミング)で叔父と義理の従兄弟の関係だったからでした。 そのリーは93歳の誕生日を終えた後に心不全で亡くなりました。
The Saint opening titles – YouTube

45歳になって貫禄のついたロジャー・ムーアは1973年からSean Connery(ショーン・コネリー)に代わってやっとJames Bond(ジェームス・ボンド)として採用され、鋼鉄の歯男を演じた2mを越す大男のRichard Kiel(リチャード・キール)やBarbara Bach(バーバラ・バック)がKGBの美人スパイを演じた1977年の「The Spy Who Loved Me(私を愛したスパイ)」をはさんで1979年までに7本の007シリーズに出演しました。 1979年の「Moonraker(007/ムーンレイカー)」には「O嬢の物語」のセクシー女優Corinne Cléry(コリンヌ・クレリー)が出演し、1981年には「ユア・アイズ・オンリー」に髭のボンドガールCarole Bouquet(キャロル・ブーケ)が登場しました。 「ユア・アイズ・オンリー」にはこの後1995年から4作でジェームス・ボンドを演じたピアース・ブロスナンと3度目の結婚をしたCassandra Harris(カサンドラ・ハリス)が出演しています。 ついでに暴露すると「Live And Let Die(007 死ぬのは奴らだ)」で居並ぶワニ(実際は3頭)の頭を因幡の白兎さながら飛び越えて行くシーンはワニ園園長のスタントでした。 007の原作者”Ian Fleming(イアン・フレミング)”のボンド役のご指名は本来ロジャー・ムーアだったのですが若く見えすぎるということでショーン・コネリーに決定した経緯があります。 ところが、実際にはロジャー・ムーアの方が年上だったんだそうです。 ロジャー・ムーアが演じたジェームス・ボンドは最もセックスアピールがないといわれていますが私はサイモンのファンだったのでロジャー版ボンドに加勢したいです。 John Barry(ジョン・バリー)作曲の映画のテーマ曲”A View to a Kill”をイギリスのロックバンド”Duran Duran”が作詞して歌い、ジャマイカ出身の高身長モデルGrace Jones(グレイス・ジョーンズ)が女殺し屋のメイデイ役を熱演した1985年の「A View to a Kill(007/美しき獲物たち)」(The Beautiful Prey)を最後にご老体ムーアはボンド役を引退しました。 一番怖かったボンド映画といえば靴先にナイフを仕込んだ元ソ連の対諜報員(ローザ・クレブ大佐)が登場するショーン・コーネリーの1963年「From Russia with Love(007/ロシアより愛をこめて)」でしょうか。
なにしろジェームス・ボンド役は英国人でなくてはならないそうですから最新の2006年版「Casino Royale(007/カジノ・ロワイヤル)」でのボンド役を演じるDaniel Craig(ダニエル・クレイグ)も英国人です。 「カジノ・ロワイヤル」に出演しているMads Mikkelsen(マッツ・ミケルセン)は2002年の「Elsker dig for evigt(しあわせな孤独)」でデンマーク版のジェレミー・アイアンみたいに若い女に狂う医師の役を演じました。

The Last Time I Saw Paris DVD
ページトップの「The Last Time I Saw Paris」のDVD画像は二つともAmazonにあるZone 1のDVDですが、左側のDVDカバー画像は私の記憶に無いと思ったら仮想パーティでピエロ姿のチャーリーを探して人違いしたシーンでチラリでした。
下記の画像は2002年発売の日本語字幕版DVDです。
The Last Time I Saw Paris雨の朝パリに死す
500円DVD(ASIN: B0006B2GKA)や吹き替え版のDVD(ASIN: B000RL39MS)などもAmazon.co.jpで見つかります。

The Last Time I Saw Paris Soundtrack
「雨の朝パリに死す」のサウンドトラックではJerome Kern(ジェローム・カーン)作曲Oscar Hammerstein II (オスカー・ハマーシュタイン二世)の歌詞のロマンティックな”The Last Time I Saw Paris(思い出のパリ)”がタイトル曲となっています。 この曲は1940年に吹き込んだVaughn Monroe(ヴォーン・モンロー)に続き1941年にNoël Coward(ノエル・カワード)が録音しました。 ヴォーン・モンローはアルバム「There! I’ve Sung It Again」に収録しています。
テーマ曲”The Last Time I Saw Paris”はヘレンが弾くピアノの雨だれ演奏を含めて映画「雨の朝パリに死す」の全編通して随所に流れます。
映画「雨の朝巴里に死す」の冒頭はアメリカに帰っていたチャールスの2年ぶりのパリというシーンから回想劇が始まりますが、ヘレンの壁画のあるカフェや中盤のチャールス夫妻のダンスシーンで流れるフランス語の歌詞も同じくオスカー・ハマーシュタイン二世なのかどうか不明ですが、女性歌手はフランス生まれのOdette Myrtil(オデット)で歌手として「雨の朝パリに死す」に出演しました。
「雨の朝巴里に死す」のサウンドトラックとしては国内では見つかりませんがJerome Kern(ジェローム・カーン)作曲のサウンドトラック集などに収録されています。
The Fred Stride Orchestra(フレッド・ストライド指揮)が演奏する”The Last Time I Saw Paris”はアルバム「Showboat and Other Jerome Kern Classics」に収録されています。
1940年に作曲された”The Last Time I Saw Paris”は1941年のミュージカル映画「Lady Be Good(レディ・ビー・グッド)」で使用され劇中ではAnn Sothern(アン・サザーン)が歌いました。 以来人気のジャズナンバーでEartha Kitt(アーサー・キット)がアルバム「The Collection」に収録した他にもDinah Shore(ダイナ・ショア)、Frank Sinatra(フランク・シナトラ)、Dean Martin(ディーン・マーティン)のバージョンが有名です。 演奏だけではJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)のスウィングしている演奏がアルバム「A Jazz Romance: A Night in With Verve」のディスク:4の5番で聴ける他、Dave Brubeck(デイヴ・ブルベック)やハードバップのピアニストのBud Powell(バド・パウエル)とその影響を受けた白人ピアニストのClaude Williamson(クロード・ウィリアムソン)がメロディックに演奏しているバージョンがあります。
日本でも人気のクロード・ウィリアムソンの”The Last Time I Saw Paris”はアルバム「Live! at… the Jazz Bakery」(ASIN: B0000253G5)に収録されています。
“The last time I saw Paris, her heart was warm and gay,…”と歌われるDinah Shore(ダイナ・ショア)やDean Martin(ディーン・マーティン)のバージョンの”The Last Time I Saw Parisの”英語歌詞はThe Last Time I Saw Paris Lyricks – Genius.com
Ann Sothern(アン・サザーン)が歌っている”The Last Time I Saw Paris”は1941年のミュージカル映画「Lady Be Good」のサントラは「Lady Be Good/Four Jills in a Jeep」(ASIN: B000007OU5)

雨の朝巴里に死す The Last Time I Saw Paris (1954)」への2件のフィードバック

  1. 随分昔にビデオか名画劇場で見たことがあるような気がしますが、はっきりした記憶がありません。やはりこの作品よりもGreat Gatsbyの方がなじみがありますね。koukinobaabaさんはこの時代の映画はDVDでご覧になってるんですか?

  2. koukinobaaba より:

    NOVAさん、私もGreat Gatsby(ギャツビー)は大好きです。なぜ男性のギャツビーに感情移入できるのかは不明ですが本当に哀しくなります。
     私が書く映画の記事は昨日今日観たというわけではありません。以前、映画館で、ビデオで、またはテレビ名画座で観たりした映画が多いです。最近は権利が消滅したような古い映画は格安で販売されているのでよく購入して母と一緒に観ています。

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