ジェーン・ラッセル Jane Russell

The Outlaw DVD
Jane Russell - The Outlaw DVD
The Hollywood Sex Symbol: Glamorous Jane Russell (1921 – 2011)

Jane Russell on the haystack
納屋の干し草(藁)といえばジェーン・ラッセル!
1921年にミネソタで生まれたジェーン・ラッセル(又はジーン・ラッセル)はハリウッドではちょっと異色の官能女優で、モデル出身で媚態をみせないという点ではHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)と名コンビを組んだ「脱出」のLauren Bacall(ローレン・バコール)と似ています。(ジェーン・ラッセルは殿方に媚びないで威圧する?) 似ていないのは、バコールは痩せているので眼差しで魅せて、肌は殆ど見せませんしコミカルな演技や歌や踊りもまず披露しません。
1949年にあの有名な赤いベルベットのMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)のヌード写真を撮ったことで有名な写真家のTom Kelley(トム・ケリー)が下積み時代のジェーン・ラッセルを撮った写真が1940年当時「The Outlaw(ならず者)」に出演する魅惑的な花(胸)を探していたHoward Hughes(ハワード・ヒューズ)の眼に留まり、デカパイ・フェチのハワード・ヒューズは38インチ(96.52 cm)というバストのこのセーター美人のジェーン・ラッセルをビリーザキッド物語(ならず者)の主役に抜擢したそうです。 その時ヒューズは自社の飛行機エンジニアに設計を依頼してジェーン・ラッセルの胸を持ち上げて強調する工学的特殊ブラまで開発したそうですよ。 当時は一般的でなかったワイヤー入りのシームレス・ブラは肉感的に魅せるには効果があると踏んだんでしょうが撮影が2年も遅れた上にジェーン・ラッセルはハイテク・ブラの着用を拒否したとか。 そんなブラ・エピソードがあったからかジェーン・ラッセルはその後にブラのCMに出演していたそうです。 そういえば50年代にアメリカの雑誌に掲載されていた固く尖った円錐形のBullet-bra(弾丸型ブラジャー)に目を見張ったものでした。

セクシー・ウエスタン映画(実際は全くセクシーではない)の「ならず者」は1940年に制作されたものの、今でいう映倫(Production Code)からクレームが付き裁判沙汰となったりして2度もお蔵入りした後、やっと1947年頃に全米公開された経緯があるそうです。 その当時、開発ブラは着用しなかったジェーン・ラッセルの胸の谷間やワラの中で転げまわるシーンやジェーン・ラッセルの濡れた唇の大写しなどが余りにも扇情的過ぎて下品とされ物議をかもし出しました。 おまけに劇場公開までの空白を埋めるためにスチール写真として宣伝用にばらまかれた写真やピンナップのようなジェーンの悩殺シーンは映画には登場しません。 アメリカでの公開年は色々書かれているのではっきりとは分かりませんが全米公開は1948年らしいです。 日本で1953年に公開されたのは露骨なシーンをカットした1943年版だったそうです。 このように「ならず者」はプロダクション・コードで大騒ぎでしたが公開禁止なんていうのは映画会社側の話題作りだったようです。 その後、ハワード・ヒューズは1954年に製作したThe French Line(フランス航路)をなんと許可を得ずに公開してしまい、今度はより厳しいThe Catholic Censorship(カトリックの映倫)からも糾弾されたそうです。 ベテランのLloyd Bacon(ロイド・ベーコン)が監督し、後にTVシリーズの私立探偵ドラマ「ピーターガン」で有名になるCraig Stevens(クレイグ・スティーブンス)や無名時代のKim Novak(キム・ノヴァク)がファッションモデル役でチラッと見られたたミュージカル映画「フランス航路」では、ジェーン・ラッセルは花婿探しの富豪の相続人を演じたのですが、もっとも非難されたのが”Well I’ll Be Switched”を歌いながら着替えたりバスローブの前をパーと刺激的な!泡風呂シーン!と、ファッションショーで”Looking for Trouble”を歌いながら露出度の高い衣裳でストリップ風にパーっと!踊るシーン!です。 1963年にJayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)が「Promises! Promises!」で泡風呂でのたうちまわった時は大騒ぎで公開禁止だったそうです。 Mercuryから1954年にリリースされた「フランス航路」のオリジナル・サウンドトラックLP盤では上記の曲以外にジェーン・ラッセルが歌う”What Is This That I Feel”と”Any Gal From Texas/and Mary McCarty”も収録されていたそうですが、今ではヴィンテージ・レコードのようですが、アメリカのAmazon.comでLPレコード「THE FRENCH LINE – 10″ LP MUSIC FROM THE ORIGINAL CAST」の豪快なカバー画像が見られます。
映画も制作した億万長者で飛行家で不動産王のハワード・ヒューズは2004年にMartin Scorsese(マーチン・スコセッシ)が監督した映画「The Aviator(アビエイター)」の主人公として描かれ、Leonardo DiCaprio(レオナルド・ディカプリオ)がハワード・ヒューズを演じていてジェーン・ラッセルの濡れた唇のアップも使用されます。
映画「ならず者」がお蔵入りしている間には、干し草の上でふてくされたように挑発しているジェーン・ラッセルの宣伝用スチール写真が出回り、Pinnup(ピンナップ)として戦時中は兵士たちの宝物となりました。 干し草は性的なイメージが出来上がり、干し草の上で浮気する女房を妄想した男がマリリン・モンローが演じた同じアパートに住む女との浮気に踏み切るという1955年の「The Seven Year Itch(七年目の浮気)」がありました。
そんな写真が見られるThe Most Famous Pinups of WW II(ページの一番下) ☆ジェーン・ラッセルの「ならず者」のポスターはChristies Auction(クリスティーズのオークション)で約1000万円で落札されたそうです。
☆ 庶民を描いて人気だった画家のNorman Rockwell(ノーマン・ロックウェル)が1954年に「Girl at the Mirror(鏡の少女)」という作品で、鏡に向かって雑誌のセクシーな女優と自分を見比べる少女像を描きました。なんとその雑誌の写真はジェーン・ラッセルだったのです。(「紳士は金髪がお好き」を観たのでしょうか) ちなみに私が一番好きなロックウェルの作品は「The Runaway(家出)」です。お巡りさんと家出したらしき少年がドラグストアのスツールに座っている後ろ姿を描いたホノボノ感溢れるイラストです。

Outlaw VHS

1943年 Outlaw(ならず者)
下記の画像は現在は入手困難となったVHSビデオのOutlaw (ASIN: 6303934463)
ニューメキシコのリンカーンを舞台に、歴史に残る無法者がジェーン・ラッセルが演じるセクシーな女に恋心を抱くという筋書きの「ビリー・ザ・キッド純愛物語」です。 Jack Buetel(ジャック・ビューテル)がBilly the Kid(ビリー・ザ・キッド)を、Thomas Mitchell(トーマス・ミッチェル)がPat Garrett(パット・ギャレット保安官)を演じています。 Doc Holliday(ドク・ホリデイ)を演じているのが「The Addams Family(アダムス・ファミリー)」でお馴染みのAnjelica Huston(アンジェリカ・ヒューストン)のお爺ちゃんであるWalter Huston(ウォルター・ヒューストン)です。 ビリー・ザ・キッドを題材にした西部劇は多いですが、「ならず者」はウイットの効いたコメデイ調あり、セクシー調ありの西部劇です。 ちなみにビリー・ザ・キッドを演じた1915年生まれのジャック・ビューテル(Beutelは綴り間違い)は引き手あまただったのですがハワード・ヒュー様のご意向でそれはならず、ようやく自由の身になった時には時遅し。 何があってそうなったかは二人とも黙して語らず。
上記の白黒画像は1997年にリリースされた輸入版VHS(英語)です。
ページトップの画像は1999年にリリースされた輸入版(英語)リージョンフリーのDVDで、Robert “Bob” M. Peak(ロバート・ピーク)のポスター画像が使用されています。
日本で入手出来る日本語字幕版DVDには「ならず者」がありますが、価格がちょっと高いので購入するには足踏みさせられますが、「ならず者 [500円DVD]」ならなんとか。 「ならず者」 500円DVDには2011年発売の「ASIN: B004OUEAVC」もあり)

せっかくハワード・ヒューズがセクシーなジェーン・ラッセルを売り出すために監督したような映画なのに、ジェーン・ラッセルの胸の谷間もカット、全裸になって瀕死のビリーを暖めてやるという衝撃的な看病場面はカット、ラヴシーンもカット、せっかく沼に飛び込ませてブラウスを濡らしたけれど、もしもクローズアップがあったなら多分それもカット! これではジェーン・ラッセルのばら撒かれた肩出しピンナップを握り締めて劇場にやって来た男性ファンはガッカリだったでしょう。

保安官のパット・ギャレットと早撃ちで酔っ払いで博打打ちのドク・ホリデイは昔馴染みでした。 ドク・ホリデイの愛馬を盗んだのがお尋ね者のビリー・ザ・キッドなのですが、ドクが息子のようなビリーを気に入ってしまったのです。 それがためにパット保安官との友情が壊れてしまいます。 ドク・ホリデイの愛人だったリオ(ラッセル)はビリー・ザ・キッドを殺された兄の仇と信じて仇討ちを試みたのですが、悲しき哉、”カ弱き女”ゆえ逆に組み伏せられてしまいます。 ところが、女心は分かりません。 保安官の不意撃ちで傷ついたビリーをリオが手当てするうちに愛するようになってしまいます。 「あんたは死んだりしないわ、あたしが暖めてあげる」 たしか何度も映画化された三島由紀夫の1954年の小説「潮騒」にもこんな場面がありましたが、三島がヒントを得たのはこの「ならず者」ではなく、古代ギリシアの散文(恋愛物語)でOrestis Laskosが監督した1931年の映画「Daphnis kai Chloe(ダフニスとクロエ)」だそうです。
Jane Russell’s Famous Kiss Scene in Outlaw Trailer – YouTube(TCM)
ビリー・ザ・キッドの出現により男の友情が壊れ男と女の愛情も奪われたことになります。 愛馬も愛人も盗られたドク・ホリデイですが、それでもビリー・ザ・キッドが憎めないのです。 男心は分かりません。
ドクが保安官に撃たれた後、ビリーを欺こうとした保安官を縛りつけてたビリーは、”待ってました!”とばかりに喜ぶリオを愛馬に乗せて去って行きます。 史実ではビリー21歳にして保安官に狙撃されて命を落とすことを思い浮かべると実際はハッピーエンドには思えません。
※現在でも報奨金5000ドルのお尋ね者のポスター(Wanted Dead or Alive, Reward $4,000 Poster for Billy the Kid)が人気で南部育ちの西部の無法者と呼ばれたビリー・ザ・キッドが実在したのは1859年から1881年ですから19世紀のアーリーアメリカンの女性のスカートは長いはずですがね。 一般の家庭婦人ではないという設定だからでしょうか、ジェーン・ラッセルのスカート丈が当時にしては短いですね。
Kissing Jane Russell in Short Skirts (Outlaw) – YouTube
それはともかく、大姐御のイメージのジェーン・ラッセルですがデビューしたては二十歳そこそこですからまだまだ可愛かったです。

Paleface DVD

1948年 The Paleface(腰抜け二挺拳銃)
The Paleface DVD (日本語字幕版の「腰抜け二挺拳銃」)
Norman Z. McLeod(ノーマン・Z・マクロード)が監督した”腰抜け”シリーズでジェーン・ラッセルが政府特使の女ガンマン”Calamity Jane(カラミティ・ジェーン)”を演じ、この後の1951年の「My Favorite Spy(腰抜けモロッコ騒動)」などで有名なイギリスのコメディアンのBob Hope(ボブ・ホープ)と共演しました。 「腰抜け二挺拳銃」の脚本には「The Girl Can’t Help It(女はそれを我慢できない)」の監督であるFrank Tashlin(フランク・タシュリン)も名を連ねています。 歴史上で西部開拓時代に実在した男装の女ガンマンを題材にした西部劇コメディ映画です。
ちょっとTVシリーズの「Nikita(ニキータ)」みたいですが、西部開拓時代に刑を逃れるために政府密使となった女拳銃使いのカラミティ・ジェーンがボブ・ホープが演じる臆病な医者と偽装結婚して幌馬車隊に加わり、悪者の一味を追跡する騒動を描いています。
「腰抜け二挺拳銃」の音楽は「ならず者」と同じVictor Young(ヴィクター・ヤング)ですが、Jay Livingston(ジェイ・リビングストン)とRay Evans(レイ・エバンズ)のコンビによる主題歌のButtons and Bows(ボタンとリボン)は幌馬車の中でボブ・ホープが手風琴に合わせて歌ってアカデミー歌曲賞を受賞しました。
ジェーン・ラッセルは1952年の「Macao(マカオ)」でセクシーなクラブシンガーとして出演し、Harold Arlen(ハロルド・アレン)とJohnny Mercer(ジョニー・マーサー)コンビが作った “One for My Baby”や”You Kill Me”などのジャズのスタンダード曲をご披露して歌手としての片鱗を見せましたが、1952年にフランク・タシュリンが監督したSon of Paleface(腰抜け二挺拳銃の息子)のサントラでは”Buttons and Bows(ボタンとリボン)”の他、”Wing-Ding Tonight”や”Am I in Love?”などをボブ・ホープと一緒に歌っています。
ジェイ・リビングストンとレイ・エバンズのコンビは1956年に「The Man Who Knew Too Much(知りすぎていた男)でDoris Day(ドリス・デイ)が歌った主題歌”Que Sera Sera (ケ・セラ・セラ)でも同賞を受賞しています。

Bob Hope
Thanks for the Memories CD
第二次世界大戦を挟んだ十数年間に大変な人気を保っていたボブ・ホープは100歳の誕生日を迎えて2ヵ月後に亡くなりました。 ボブ・ホープといえばShirley Ross(シャーリー・ロス)とデュエットしたThanks For The Memoriesと”Two Sleepy People”が私の大好きな曲です。
♪ 試聴はThanks For The Memories – レコチョク

Gentlemen Prefer Blondes DVD

1953年 Gentlemen Prefer Blondes(紳士は金髪がお好き)
Gentlemen Prefer Blondes DVD
紳士は金髪がお好き 日本語字幕版
「紳士は金髪がお好き」又は「紳士はブロンドがお好き」はフランス語では”Les Hommes préfèrent les blondes”というそうですが、ボギーの「The Big Sleep(三つ数えろ」や「脱出」で有名なHoward Hawks(ハワード・ホークス)が監督したミュージカル・コメディです。 原作者のAnita Loos(アニタ・ルース)とはカリフォルニア出身のハリウッド女優から戯曲作家に転向した芝居の世界では有名な人物だそうです。 アニタ・ルースが書いた喜劇小説の「Gentlemen Prefer Blondes」が好評を博し、1928年にMalcolm St. Clair(マルコム・セント・クレア)が監督した同名の映画があります。

よって、ジェーン・ラッセルが出演した「紳士は金髪がお好き」はリメイクになります。 アニタ・ルースは数多くのブロードウエイの戯曲を書きましたが、1932年の「The Whole Town’s Talking(俺は善人だ)」やColette(コレット)の小説をドラマ化した1951年の「Gigi(恋の手ほどき)」が有名でどちらも映画化されています。 ちなみに原作者のアニタ・ルースが十代からスクリプトを書いていたという伝説的な年齢詐称の謎はアメリカン・ニューシネマの監督の一人で、1973年の「Paper Moon(ペーパー・ムーン)」や1985年の「MASK(マスク)」で有名なPeter Bogdanovich(ピーター・ボグダノヴィッチ)が監督した1975年の映画「Nickelodeon(ニッケルオデオン)」で引用されています。 ちなみにニッケルオデオンとは1905年のアメリカに登場した当時の5セント(ニッケル硬貨)一枚で映画が観られる小規模な労働者(ブルーカラー)向けの常設映画館だそうです。

「紳士は金髪がお好き」では、お金持ちと結婚する夢を持って南部からやってきたショーガールのDorothy Shaw(ドロシー・ショー)役のジェーン・ラッセルが同じくショーガールのLorelei Lee(ローレライ・リー)役のマリリン・モンローと共演しています。(ブロードウェイではCarol Channingが演じていたのでモンローは一ヶ月もショーを見続けて学んだとか) ラッセルに比べれば当時はまだ新人の部類だったモンローは同年1953年の「ナイアガラ」と似たちょっと意地悪なキャラを演じています。 この後の映画界でのモンローの活躍は目覚ましいものがあります。
モンローが演じる外見よりお金が結婚の条件のローレライが眼を付けたお金持ちのパパちゃんはショーを観に来るガス・エズモンド氏で指輪を贈られフランス航路で結婚すると約束したのですが行けなくなります。 二人の乗る遠洋航海の欧州行き船舶には規約で夜9時にはお寝んねするオリンピックの体操選手チームが一緒でしたが、この他に金髪のローレライを見張る男は二人の結婚に反対のガスの父親が送り込んだ私立探偵のアーニー・マローンです。(ハンサム) お金より外見が大事で背の高い男に弱いドロシーは選手団を部屋に招いてパーティーを開催。 一方、貞淑な恋人を演じるローレライはガスに”Bye Bye Baby(さよなら、大切な人)”を歌ってアッピール。(このシーンでモンローが着ていたモスグリーンのワンピースが素敵!) 船内で人気の二人と一緒に食事するには50ドルという高額を給仕長に支払わねばならないと聞いた探偵マローンだがローレライはヘンリー・スポフォード三世と同席したいと強要する。 船内のクラブで知り合ったアフリカのダイアモンド金鉱の持ち主だというピギー氏(ビークマン卿)をドロシーの相手にと思ったか自分のためかローレライはお相手をするがその奥様が見せたブルーダイアのティアラ(冠)に眼を奪われる。 その後のディナー、従者達が付いているヘンリー様はお金持ちに違いないとローレライはふんだのだが、なんとヘンリーはお子ちゃまだった。 ローレライを偵察するためにドロシーに近づいたマローンだが密室でのピギーとローレライの証拠写真を撮っているところをドロシーが見つけたから写真を取り戻してとっちめてやると二人はいきまいてさあ大変! 写真を探そうとマローンの船室に忍び込んだローレライが雪隠詰めになり窓から脱出するのを助けたのがローレライの魅力がダイナマイト級だと言うヘンリー。(このシーンではコード刺繍入りモスグレーのアンサンブル・ドレスが素敵!) マローンのズボンを脱がせてやっと見つけたフィルムを現像してローレライを抱きすくめる写真をパイソンを演じたピギー氏に見せるとお礼をしたいと申し出る。 それなら奥様のティアラが欲しいと説得するローレライ。 そして憧れのパリ! ブランドの服を買いに有名デザイナーのブティックを買いあさり、ガスが予約したホテルにチェックイン。 すると保険会社のプリチャード氏を伴ったピギー氏の奥様が訴えると待っていた。 おまけにマローンの報告を受けたエズモンド氏によりホテルの支払も取り消され二人は窮地に。 カフェテラスでコーヒーを一杯注文して「恋がダメになると何もかも台なし」と歌う二人。(当初モンローの歌はMarni Nixonの吹き替えが予定されていたのですが最終的にほぼモンローの地声が使用されたそうです) パリでキャバレーのショーに出てているところにガス氏が訪ねて来るがつれないローレライは言う「男がこんなにしたのよ」(「ロジャーラビットの妻のジェシカは言った「あたしは悪くない、あんな風に描かれただけ」)

この「紳士は金髪がお好き」にはなんと1961年にNatalie Wood(ナタリー・ウッド)主演の「West Side Story(ウエスト・サイド物語)」でアカデミー助演賞を受賞したギリシャ系のGeorge Chakiris(ジョージ・チャキリス)がマリリン・モンローがピンクのドレスでテーマ曲を歌うシーンの大勢のバックダンサーの一人として映画デビューしているのですが、翌年の1954年には「White Christmas(ホワイト・クリスマス)」ではRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)が歌った時の4人のバックダンサーの一人としてもっとクローズアップされています。 ガスが見ていたキャバレーでのショーが豪華! 人間シャンデリアをあしらった舞台に華麗なピンクのドレスを着た女性ダンサーの乱舞。 ひときわ魅惑的なのが濃いめのピンクのタイトなイヴニングドレスを着たローレライが” 女が年をとれば 男は冷たくなる、しまいには女の魅力はなくなるわ、でもダイヤモンドは決して形が変わらない”と歌う「Diamonds Are A Girl’s Best Friend(ダイヤは女の最高の友)」(出だしのオペラ調のパート「No, no, nos!(やめて!もうたくさん!)」はマー二・ニクソンの吹き替え)
「紳士は金髪がお好き」の映画音楽は、1956年にジェーン・ラッセルが主演した「The Revolt of Mamie Stover(流転の女)」でも音楽を手掛けたLionel Newman(ライオネル・ニューマン)の作曲です。 テーマ曲の”紳士は金髪がお好き”は1954年の映画「Three Coins in the Fountain(愛の泉)」のテーマ曲を作曲したJule Styne(ジュール・スタイン)とLeo Robin(レオ・ロビン)のコンビが作りました。 そして、「紳士は金髪がお好き」のハイライトは残念ながらジェーン・ラッセルではなく、マリリン・モンローが美しいピンクづくめの衣裳で歌うテーマ曲の”Gentlemen Prefer Blondes(紳士は金髪がお好き)”です。 このシーンの振り付けはRita Hayworth(リタ・ヘイワース)が主演した「Gilda(ギルダ)」と同じ振り付け師だそうです。 そのせいかモンローもピンクの長手袋をつけていますね。
「紳士は金髪がお好き」のサントラに収録されているなかで、ジェーン・ラッセルはマリリン・モンローとデュエットしたオープニングの”Two Little Girls from Little Rock”、ローレライが結婚相手の金持ち息子とパリで挙式するために乗った豪華客船での体操選手団たちも交えたボンボヤージ・パーテイで婚約者と分かれる時の”Bye, Bye Baby”、体操選手団のトレーニング・シーンで”Ain’t There Anyone Here for Love?”、文無しになったパリのカフェで”When Love Goes Wrong, Nothing Goes Right”などを歌っています。

ガスがキャバレーに訪ねて来た頃、ローレライの逮捕状を手に警察がクラブにやってきます。 ピギー氏に貰ったのだけれどバスティーユ牢獄に入れられるくらいならダイアモンドのティアラを返すと言ったローレライだが盗まれたらしく見つからない。 「紳士は金髪がお好き」で私的に圧巻なのはダイアモンドの1万5千ドルもするダイアの髪飾り窃盗容疑で訴えられたローレライの替え玉として自らブロンドのカツラで出廷したパリの夜間裁判所でのジェーン・ラッセルの豪快な腰ふり!の”Diamonds Are a Girl’s Best Friend“ どう、笑えた?ゲイ達者ですね。
ダイナマイト”ジェーン”
ジェーン・ラッセルは身長こそ170センチですがなんといっても腰幅が広く頑丈そうなずうたいにダイナミックな動きですから、後にDrag Queen(女装とかおかま)のパロデイとなりました。 つまり姐御ジェーンは男性が理想としている女性像なのでありました。 いずれにせよ歌はともかくとして、なんでそんなに豪華なの?という程のブルーネットのジェーン・ラッセルとブロンドにマリリン・モンローの衣裳合戦が見ものの映画です。 結末はローレライとドロシー、ガスとマローンのダブル結婚式でした。
「紳士は金髪がお好き」ではモンローのブロンドが優勢だったのに対抗してか、2年後にジェーン・ラッセルはパロディかと思えるほど奇妙なミュージカルの「Gentlemen Marry Brunettes(紳士はブルーネット娘と結婚する)」に出演して”Ain’t Misbehavin'”や”I Wanna Be Loved by You”などを歌いましたが不発に終わったようです。 こちらもアニタ・ルースの原作”But Gentlemen Marry Brunettes”を1955年に映画化したものです。
Gentlemen Marry Brunettes – YouTube

Underwater VHS

1955年 Underwater!(海底の黄金)
下記の「Underwater」 VHS (ASIN: B0000650K9)は現在入手困難です。
原題を”The Big Rainbow(La Venus des mers chaudes)”ともいい、ハワードがプロデュースしてJohn Sturges(ジョン・スタージェス)が監督した海底アドヴェンチャー映画です。 カリブの海に沈没したスペイン軍艦に残された金銀財宝を手に入れようとするジョニーと相棒のドミニクにジョニーの妻のテレサや借りようとしていた大型ボートの持ち主の秘書も加わり、大昔にパナマの教会が所有していたという等身大のダイアモンドをちりばめた黄金の聖母マリア像に興味しんしんの教授まで総計5名が参加します。 偶然それを嗅ぎつけたシャークハンターとのお宝ををめぐる活劇ですが、マリア像を目にした信心深い悪党どもと打ち解けて最後はハッピーエンド!

音楽を担当したのはRoy Webb(ロイ・ウェッブ)ですが、オープニングにロマンチックな”Cherry Pink and Apple Blossom White(セレソローサ)”が流れます。 鮫の姿も見えるカリブの海底にお宝探しのダイバーが二人、少々うさん臭いドミニクとテレサの夫のジョニー・グレイは金塊を積んで沈んだ船を見つけたら百万長者だからとテレサに納得させドミニクのガールフレンドが権利書を持っている大型ヨットでキューバ沖をめざします。 小型ボートでカリブ海で17世紀に沈んだスペインの貿易帆船を探すトレジャーハンターたち、お宝をゲットしたらモナコやカサブランカに旅をしようと話し合うジョニーとテレサや船の持ち主のグロリア、そして考古学教授たちはスペイン船が沈んだ地点を探し当てますが錆びた船内の扉を開けるためにダイナマイトを使用した衝撃で船体は海底の棚で不安定になります。 金塊は見つけたらお宝の臭いを嗅ぎ付けたシャークハンターの邪魔が入りましたが、ジョニーとテレサは海底で作業を続けます。 ウインチで船体を引っ張った弾みにテレサは足を挟まれてしまいドミニクも予備のタンクを持って潜ります。 朽ち果てた船体は崩れ出し、鮫は数を増すばかり、テレサがようやく脱出できて船に戻るとシャークハンターたちが乗っ取っていましたが金塊を投げてやると友好的に去っていきました。
海底シーンで赤い水着のジェーン・ラッセル以外には余り目新しいことがなさそうです。 つまりハワード・ヒューズがグラマーなジェーン・ラッセルをプロモートしようとした映画なのでしょう。 初めて潜水がセクシーに撮られた映画だそうで、ジェーン・ラッセルの海底でのダイビングシーンは代役が演じたとはいえ、この映画によりスポーツとしてのダイビングが女性に人気になったとか。
この映画のせいかどうかは不明ですが日本でもやたらに万里昌代や筑波久子などの海女の日活映画が流行った時期がありました。(NHK連続ドラマの「あまちゃん」はセクシーが売りではありません)
アクアラングを背負って海底に潜る宝探しのジョニーとドミニクの他に濡れた真っ赤な水着が魅力的なジェーン・ラッセルがジョニーの妻のテレサ役で出演していますが、なんとブレイクする前のジェーン・マンスフィールドも出演していたそうですがどこに出てたか不明です。 IQの高いジェーン・マンスフィールドは注目を引くためか、記者団のレセプションで偶然を装った115cmの”おっぱいぽろり”で注目を集めたそうです。 1957年から1959年に放映されたTVシリーズの「How to Marry a Millionaire(億万長者と結婚する方法)」にBarbara Eden(バーバラ・イーデン又はバーバラ・エデン)と出演していたLori Nelson(ロリ・ネルソン)も秘書のグロリア役で出演しています。
「海底の黄金」の映画ポスターはmovie poster.com(このポスター画像では真っ赤なセパレーツですが実際はワンピースです)
「海底の黄金」の音楽は1958年に「Teacher’s Pet(先生のお気に入り)」で音楽を担当したRoy Webb(ロイ・ウェッブ)ですが、 映画で使用されたセレソローサはオープニングで流れる他、DVDのカバー画像にあるシーンではドミニクの口笛で、又他にもアップテンポなBGMとして随所で使用されています。 前半にドミニクと秘書のグロリアが踊っているシーンではペレス・プラードのコンボバンドでCherry Pink And Apple Blossom White(Cerezo Rosa)が演奏され、後からやってきたジョニーとテレサが合流します。 扇情的なトランペットの演奏はBilly Regis(ビリー・レジス)だそうで、Maria Elena(蒼きインカの調べ)も演奏したと聞きましたが気がつきませんでした。 この後のシーンでお宝探しの途中に小島を見つけて上陸しピクニックを楽しんだ時、ペレス・プラードの”セレサ・ローサ”でテレサたちは踊ります。
本人の役で出演したDámaso Pérez Prado(ペレス・プラード)がこの映画のためにチャチャのリズムにアレンジしたシャンソンの”Cherry Pink And Apple Blossom White(Cerri Pink And Apple Blossom White)”又はCereza Rosa(セレサ・ローサ)はRCAからシングルでリリースされて1955年にアメリカでチャートインして10週間もトップにあったそうです。
「海底の黄金」でのジェーン・ラッセルの写真も見られるJane Russell – Brian’s Drive-In(Underwater! (1955)で検索、画像拡大可)

Listen

歌うジェーン・ラッセル
人気女優に祭り上げてくれた大恩人のハワード・ヒューズでさえ手を出せなかったジェーン・ラッセル姐さんは敬虔なクリスチャンであります。 浮いた噂がさぞかしいっぱい!と思いきや、3度の結婚も離婚はアメフト選手だった最初の夫だけで後の二人は心臓病で亡くなるまで添い遂げたという堅物です。 クリスチャンということから若い時には教会のゴスペルでも歌っていたのでしょう、1950年代には実際にゴスペル・グループも結成したらしくとても素晴らしい声で歌います。 1954年に宗教的な「Make a Joyful Noise Unto the Lord」というLPアルバムや「Give Me That Old Time Religion」というシングルもリリースしたそうです。
ジェーン・ラッセルのアルバム「This Is Jane Russell (P.J. International)」から”A Hundred Years From Today”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMonica’s WFMU Playlist November 15, 2002(Hear the show! RealAudioをクリック、一番最初の曲)
アルバム「Let’s Put Out The Lights」から”A Hundred Years From Today”が聴けるPlaylist for Monica – March 25, 2005(Listen to this show: RealAudioをクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を2:47:40に移動)
“There Will Never Be Another You”が聴けるMonica’s WFMU Playlist November 22, 2002(Hear the show! RealAudioをクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を1:59:50に移動)

Let’s Put Out the Lights
このアルバム「Let’s Put Out the Lights」(ASIN: B0000DELWN)には上記の”Hundred Years from To-Day”の他、ジェーン・ラッセルが歌うBody and Soul、Do It Again 、Love for Saleなどムードたっぷりのスタンダードジャズナンバーを収録しているそうですが国内では入手困難です。
♪ 試聴はLet’s Put Out the Lights – 7digital.co

Jane Russell by Jane Russell CD

Pamper Me/The Outlaw
Jane Russell CDは安値のジェーン・ラッセルの”Jane Russell”というアルバムですが、現在は入手困難です。 1954年にLPでリリースされたゴスペルの”Make a Joyful Noise Unto the Lord”のパート1to2及び”Give Me That Old Time Religion”が収録されています。

Miss Jane Russell Sings

Miss Jane Russell Sings
Miss Jane Russell Sings
♪ 試聴はMiss Jane Russell Sings – Muziekweb.nl

Gentlemen Prefer Blondes
1953年にGentlemen Prefer Blondes MGM E-208のオリジナル・サウンドトラックのモノラルLP盤がリリースされましたが当然現在はありません。 上記のアルバム”Jane Russell”や”Pamper Me/The Outlaw”にはジェーンラッセルがマリリン・モンローと一緒に歌ったWhen Love Goes Wrongの他、「Son of Paleface(腰抜け二挺拳銃の息子)」でボブ・ホープと歌ったWing Ding TonightやAm I in Love?が収録されています。

Obituary
訃報
頑丈そうに見えるジェーン・ラッセルでしたが亡くなる数週間前から体調を崩し、2011年に呼吸不全により89歳で他界しました。 生前から家じゃなくて馬の鞍の上で死ぬと語っていたとか。