ジョーン・クロフォード Joan Crawford in Mildred Pierce (1945)

Joan Crawford (1905-1977)
ジョーン・クロフォードは映画の前はBroadway(ブロードウエイ)のコーラス・ライン、つまりレビューで踊り子をしていたことから、歌手兼ダンサーとして17歳で映画界に入り、サイレント映画に数多く出演しました。 トーキーになっても当時大流行のチャールストンが得意なフラッパー女優として1929年の白黒映画の「Hollywood Revue of 1929(ハリウッド・レヴィユー)」などで売り出されたそうです。 ジョーン・クロフォードの大々的なデビューはEdmund Goulding(エドマンド・グールディング)が監督したクラシックの名作で、1932年にGreta Garbo(グレタ・ガルボ)が落ち目でノイローゼ気味のロシア人バレエダンサーのグルジンスカヤ役で主演した「Grand Hotel(グランド・ホテル)」でのタイピストFlaemmchen(フレムヒェン)役でした。 コケティッシュなフレムヒェンは自分を”Flaemmchen(可愛い炎ちゃん)”と呼び、女優になってお金持ち男を捜したいという現実主義の速記タイピストでした。 「グランド・ホテル」はベルリンのグランド・ホテルを舞台に宿泊客の人生の悲喜こもごもを描いた映画です。(何と言っても鬱状態のガルボに希望を与えた無一文の男爵をクロフォードも恋していたのにあんな結果なんて…)
ちなみにジョーン・クロフォードが演じたフレムヒェンを1989年のブロードウエイで「Ally McBeal(アリー・myラブ)」やジュード・ロウの「Alfie(アルフィー)」に出演したJane Krakowski(ジェーン・クラコウスキー)が演じています。

ジョーン・クロフォードの代表作としては、1946年のThe Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)や1960年のOcean’s Eleven(オーシャンと十一人の仲間)を監督したロシアのLewis Milestone(ルイス・マイルストン)が英国作家のSomerset Maugham(サマセット・モーム)が1921年に出版した”Trembling of a Leaf(木の葉のそよぎ)”の中の”Miss Thompson”を映画化しオープニングにW.C. Handyの”St. Louis Blues”が流れた1932年の「Rain(雨)」でバンプ役のSadie Thompson(セイディ・トンプソン)を演じた他、1952年にDavid Miller(デヴィッド・ミラー)監督の「Sudden Fear(突然の恐怖)]」などもありますが、1954年にはDennis Hopper(デニス・ホッパー)がエキストラで映画デビューしたともいわれる「Johnny Guitar(大砂塵)」に男勝りな酒場の女主人役で主演しています。 この映画のテーマ曲であるJohnny Guitar(ジャニー・ギター)はPeggy Lee(ペギー・リー)が歌って大ヒットしました。

ジョーン・クロフォードがThe Iron Mask(鉄仮面)などの活劇で有名なダグラス・フェアバンクスの息子と離婚した頃からMGMでは良い作品に恵まれず、Warner Brother(ワーナー・ブラザーズ)に移籍して最初に出演した映画が1945年のMildred Pierce(ミルドレッド・ピアース)でした。 この映画「ミルドレッド・ピアース」は1930年代にジョーン・クロフォードがクラーク・ゲイブルと共演したM-G-Mのロマンス映画とは違います。 娘たちのために奮闘する母親を熱演して「ミルドレッド・ピアース」は大ヒットし、1946年のアカデミー身で主演女優賞を獲得しました。 実はオスカー授賞式の当夜ジョーン・クロフォードは仮病を使って出席していなかったそうです。 ところがラジオで受賞式の模様を聞いていたので、受賞が決定した時に報道陣を寝室に迎え入れてオスカーを手にしたと伝えられています。
Douglas Fairbanks Jr(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)との親の認めぬ結婚など何度か経験したジョーン・クロフォードですが、Clark Gable(クラーク・ゲイブル)との恋愛関係はゲーブルが運命の人だったCarole Lombard(キャロル・ロンバート)と1939年に3度目の結婚をするまで続いたそうです。 主役級のジョーン・クロフォードがクラーク・ゲイブルと共演したM-G-M映画の作品には、1931年の「Possessed(蜃気楼の女)」や「Dance, Fools, Dance(暗黒街に踊る)」、1933年の「Dancing Lady(ダンシング・レディ)」、1936年の「Love on the Run(空駆ける恋)」など1940年以前に合計8作品があるそうです。
Joan Crawford sings “Got A Feelin’ For You” in Hollywood Revue of 1929 – YouTube
Joan Crawford in Grand Hotel (1932) – YouTube

Mildred Pierce
「ミルドレッド・ピアース」は夫の失業による経済状態の悪化や娘への過剰な溺愛から夫に去られたごく普通の専業主婦が一念発起で働くことになり、ウエイトレスから事業家にまで上り詰めるストーリーです。 あれもこれもどれも全て愛する娘にバラ色の人生をもたらすためというけなげな母親をジョーン・クロフォードが見事に表現して1945年のオスカーを獲得しました。 ジョーン・クロフォードが再び脚光を浴びた映画「ミルドレッド・ピアース」は日本未公開でしたが、以前BSテレビで放映された時の邦題が「深夜の銃声(偽りの結婚)」だったそうです。(私は未見です) タイトルの”ミルドレッド・ピアース”は映画のヒロインが最初に結婚した時の名前”Mildred Pierce”で、二度目のBeragon(ベラゴン)氏との結婚で”Mildred Pierce Beragon”となります。
「ミルドレッド・ピアース」は1946年に映画化された「The Postman Always Rings Twice(郵便配達は二度ベルを鳴らす)」など過激なハードボイルド小説でお馴染みのJames Mallahan Cain(ジェームズ・M・ケイン)の小説をハンガリア出身のMichael Curtiz(マイケル・カーティス)監督が映画化しました。 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と同じく当時のプロダクション・コード(映倫)の逆鱗に触れないようにと、原作にある過激な性描写よりも驚愕すべき殺人事件に集中してフィルム・ノワール調に仕上げてあります。 マイケル・カーティス監督は1920年代のサイレント映画から1960年代まで歴史ドラマをはじめロマンス映画まで数多くの作品を手掛けましたが、その中でも1942年に脱出のHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)が出演した「Casablanca(カサブランカ)」、1942年の「Yankee Doodle(ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ)」、1957年のWhite Christmas(ホワイト・クリスマス)、1958年にElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)が出演した「King Creole(闇に響く声)」などは誰でもが知っていることでしょう。
「ミルドレッド・ピアース」の音楽は1920年代後期から1960年代までたくさんの映画音楽を作曲したMax Steiner(マックス・スタイナー)です。 トロイ・ドナヒューが出演した1959年の青春映画「避暑地の出来事」のテーマ曲”A Summer Place(夏の日の恋)”や、「Gone With The Wind(風と共に去りぬ)」とか「Casablanca(カサブランカ)」などは特に有名です。
ミルドレッドが海辺のレストランの持ち主で後に正式に結婚するプレイボーイのMonte Beragon(モンテ・ベラゴン)と暖炉のそばでロマンティックな夜を過ごす時や映画を通して流れる曲が”It Can’t Be Wrong”です。
1942年にBette Davis(ベティ・デイヴィス)の悲恋ドラマの「Now, Voyager(情熱の航路)」で使用されたマックス・スタイナーの”It Can’t Be Wrong”が収録されたアルバムとしてはLegendary Hollywood Golden Age Songs and Instrumentals: Music from,Films by Korngold」や「Classic Film Scores for Bette Davis」、「Flame & The Arrow (Soundtrack)」などがリリースされています。

Mildred Pierce Synopsis
「ミルドレッド・ピアース」のあらすじ

以下のストーリーには驚くべき結末も書かれていますから、これからビデオをご覧になる方は読まないほうが楽しめます。

マックス・スタイナーの音楽乗せて寄せては返す波に洗われるオープニングクレジットの後、冒頭のシーンはシーサイド、暗闇の遠方に建物が見えその前にヘッドライトの点いた車が止まっています。 その海辺のレストランから聞える何発もの銃声に続き、男(ミルドレッドの二度目の夫のモンテ)が撃たれて倒れるシーンですがその手から拳銃が転がり落ちます。 死に際に謎の言葉を残して、「Mildred…」 家のドアが閉まる音、薄暗くてよく見えないがそのレストランから車で走り去った女性の影はミルドレッド夫人か? 銃声は夫人が車に乗ってから聞こえたかも。

場面は一転して酒場や食堂のあるシーサイド。 このページトップにあるビデオカバー画像の通り、ミンクのコートにお揃いのミンクの帽子姿でジョーン・クロフォードが演じるベラゴン夫人(ミルドレッド)が橋の上で思い詰めたように立たずんで海を見つめています。 あわや!という時に警官が近づき思い留まるように説得します。 海辺の酒場通りを思い悩んだ様子で通り過ぎるベラゴン夫人を呼び止めたのは以前からミルドレッドに気のあるその店の持ち主(ウォーリー・フェイもしくはウォーリー)でした。 これまでにはあり得なかった「家に良いワインがあるわ」と誘うベラゴン夫人を家に送って行くこととなり、家に着くと珍しいことにベラゴン夫人が中に入るように促します。 「え、旦那は? いいの?」と喜んで入るウォーリー。 部屋の暗い部分に男の死体が横たわっているのに二人とも気が付きません。 つまり、このミルドレッドの家だと思ったのは先ほど殺人があったレストランだということが分かります。 男がいい雰囲気になったところでちょっと迫るとその手に持つグラスをわざと叩き払ってミルドレッドは言います。 「汚れてしまったたから着替えてくる」と部屋を出ます。 しかしいくら話しかけても返事が戻ってこないのでウォーリーは不審に思ってドアに行くとなぜか開きません。 ミルドレッドは見当たらない上に出口を探してもどこもかしこも閉まっています。 そうこうするうちに撃たれて死んだ男を発見し、びっくり仰天。 ベランダのガラス扉をぶち割ってやっとのことで脱出しますが、そこになぜかうまい具合に警察の車が到着するのです。 そもそも、何故にミルドレッドが死体の横たわる部屋にウォーリーを招き入れたかが不明です。 夫ベラゴンの死体がある家になぜと警視も不振に思っていたようです。 困った時には頼りにしてきたウォーリーなのに殺人犯の罪を着せようとしたのか。

そして再びベラゴン夫人(ミルドレッド)が家に戻ると、警察が来ていると言って長女のヴィーダが怯えて飛び出してきます。 警察はMildred Pierce Beragon(ミルドレッドの夫のモンテ)が殺されたことを知らせ、取調室でMildred Pierce Beragon(ミルドレッド)を含めて関係者一同が事情聴取を受けます。 先のシーンで殺人現場に閉じ込められた不動産屋のWally Fay(ウォーリー・フェイ)はミルドレッドに言い寄っていました。 そして元夫のAlbert (Bert) Pierce(バート・ピアース)、ミルドレッドの片腕となっているレストラン経営者のアイダ。 「おや、まるで同窓会ね」とはアイダのセリフ。 ウォーリーも連行されてきて深夜に及ぶ警視の取調べ。

警察は犯行に使用された拳銃の所有者である元夫のバートが自白したからこれ以上ミルドレッドを取り調べる必要はなくなったという。 証拠の拳銃は離婚した夫のバートの所有物だと決め付ける警察に、”前夫は優しい人で絶対殺人なんて出来ません!”と反論する。 ”じゃ、なぜ離婚したのか?”と問う捜査官にミルドレッドが答えました。 ”離婚したのは私が間違っていたからです…ずっと後になって気付きました。”

取調室でのミルドレッドの回想によると、夫のバートが浮気相手のビーダホフ夫人もとへと去った後、リッチな生活を渇望するヴィーダに不自由させないため、ウエイトレスから身を起こしたミルドレッドは不動産業だった夫の仕事仲間でありミルドレッドの幼馴染でもあるウォーリー・フェイに頼みこんで自分の店のための物件を探す手伝いを頼みます。 婦人に気があってバートとの別れを聞いたウォーリーはチャンスとばかりに執拗に言い寄っていたので二つ返事で助けます。 海辺のレストラン物件の持ち主で名家だが文無しのMonte Beragon(モンテ・ベラゴン)と話がついてレストラン”Mildred’s”のオープンに向けて準備を始めます。 不幸にも末娘のケイを肺炎で失ったミルドレッドでしたが頑張って成功し南カリフォルニア一帯にチェーン店を開店させるほどの成功を収めます。 アイダは今に痛い目を見ると言い放つし、ウォーリーは最悪の男だと異議を唱えますが成功するとベラゴンはミルドレッドから金を受け取るようになります。 満足しないヴィーダの金持ち願望を満たすためにミルドレッドはモンテとのビジネス結婚(共同経営者として利益の三分の一をベラゴンに)まで妥協させたのですが、恩が仇で返されるなどととはその時点では夢にも考えませんでした。 人間の飽くなき欲望の恐ろしいこと。

Ann Blyth
1956年にMervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)が監督した「The Bad Seed(悪い種子(たね))」という映画では遺伝子の怖さが描かれていましたが、この映画の中のミルドレッドの長女ヴィーダは遺伝子には関係なく母親(ミルドレッド)の愛情過多が多分に影響しているようです。 恐るべき子供は先天的か後天的か、どちらの映画でもこのような恐ろしい娘が自分の子供だとしたらどう対処してよいものか途方に暮れる内容です。
このずる賢く恩知らずな小娘を見事に演じたのはミュージカルにも出演していた歌手で当時17歳の”真面目”なAnn Blyth(アン・ブライス)で、アカデミーの助演女優賞にノミネートされましたが惜しくもベテラン女優のジョーン・クロフォードに敗れました。 妊娠したと嘘をつき和解金を騙し取ったことを知った母親(ミルドレッド)に家を追い出されたヴィーダがウォーリーの酒場で歌ったのがRoger Lewis(ロジャー・ルイス)作詞、Lucien Denni(リュシアン・デンニ)作曲の軽快な曲 “The Oceana Roll”で、ヴィーダがピアノに合わせて妹と合唱したのが”South American Way”だそうです。 ”South American Way”はWoody Allen(ウディ・アレン)の1987年の「Radio Days(ラジオ・デイズ)」でも使用されていますが、1940年のミュージカル映画「Down Argentine Way(遥かなるアルゼンチン)」に出演したCarmen Miranda(カルメン・ミランダ)が唄った主題歌です。
アン・ブライスは「ミルドレッド・ピアース」の後には身体の故障であまり出演作品はありませんが、Michael Curtiz(マイケル・カーティス)監督が1957年の「The Helen Morgan Story(追憶)」で主役に起用しています。 アルコール依存症で急逝した悲劇のトーチソング歌手であったヘレン・モーガンの伝記映画ではPaul Newman(ポール・ニューマン)が相手役でアン・ブライスは”Can’t Help Lovin’ Dat Man”などを歌いましたが吹き替えを1956年に”The Wayward Wind(風来坊の唄)”がヒットしたGogi Grant(ゴギ・グラント)が担当しました。
ちなみにミルドレッドに言い寄るウォーリーを演じたのはJack Carson(ジャック・カーソン)でした。 カーソンは1954年にローズマリー・クルーニーが主演した「Red Garters」でヒロインが恋をする町の有力者ジェイソン・カーベリーを演じ、1958年に「Cat on a Hot Tin Roof(熱いトタン屋根の猫」ではポール・ニューマンが演じる主人公の兄のCooper ‘Gooper’ Pollitt(グーパー)役で出演しています。

Joan Crawford in Autumn Leaves (1956)
ペギー・リーが歌ったテーマ曲の”Johnny Guitar(ジャニーギター)”が空前のヒットを生んだ1954年の「Johnny Guitar(大砂塵)」では気丈な酒場経営者を演じたジョーン・クロフォードはその後の1957年の「Rose Bernd(枯葉)」では中年まで恋愛無縁の孤独な人生を送っていてやっと魅力的な男性と結婚したのに悪い噂に悩むMillicent Wetherby(ミリー・ウェザビー)を演じています。
Joan Crawford with Vera Miles and Cliff Robertson in Autumn Leaves – YouTube

ページトップのビデオカバー画像は日本で入手出来る1945年の「Mildred Pierce」の原語版VHSで、DVDは発売されていませんがアメリカのAmazon.comでいくつか見つけることが出来ます。(映画は白黒です)
☆「ミルドレッド・ピアース」の日本語字幕のDVDが早くリリースされますように。

The Best of Everything (1959)
キャロライン役で金髪美人女優のHope Lange(ホープ・ラング)が主演したJean Negulesco(ジーン・ネグレスコ)監督の「大都会の女たち」にジョーン・クロフォードが男旱りのお局さまのようなキャロラインの上司(アマンダ)役で出演しました。 映画の原作は同年にRona Jaffe(ロナ・ジャッフェ)が書いた同名タイトルの小説で、失意のキャロラインと仲良くなる男性社員のStephen Boyd(スティーヴン・ボイド)の他にはルームメイトで同じ出版社に勤務する女性陣にはプラチナ・ブロンドのMartha Hyer(マーサ・ハイヤー)、1959年がデビューのDiane Baker(ダイアン・ベイカー)、モデル出身のSuzy Parker(スージー・パーカー)といった綺麗どころが競演しています。 ちなみにジーン・ネグレスコは1953年に3人の美人ルームメイトがお金持ちを探す「How To Marry A Millionaire(百万長者と結婚する方法)」も監督しています。
「The Best of Everything(大都会の女たち)」のテーマ曲は音楽を担当したAlfred Newman(アルフレッド・ニューマン)が作曲しSammy Cahn(サミー・カーン)が歌詞をつけ、Johnny Mathis(ジョニー・マチス)の歌でオープニングに使用され、映画の随所でも流れました。

What Ever Happened to Baby Jane? (1962)
ハリウッド女優のジョーン・クロフォードが1962年にRobert Aldrich(ロバート・アルドリッチ)監督の「何がジェーンに起こったか?」に出演した時は世間があっと驚きました。 ちなみにクロフォードは1956年にアルドリッチ監督の「枯葉」に出演しています。 かってはため息をつかせるほど美しいと一世を風靡した美しい女優がこのようなホラーまがいに映画に出るなんて!と思いますがジョーン・クロフォードは特に怪奇な役作りでもなかったため、人々の注目は怪奇な白塗りジェーン役を演じたベティ・デイヴィスの名演技に集まりました。 当時「何がジェーンに起こったか?」を観た人は、私のように1965年に再びベティ・デイヴィスを主役にロバート・アルドリッチが監督した次の作品「Hush… Hush, Sweet Charlotte(ふるえて眠れ)」も観たことでしょう。 「何がジェーンに起こったか?」はジョーン・クロフォードがこの後の1963年のホラー映画「Strait-Jacket(血だらけの惨劇)」や1967年の「Berserk!(姿なき殺人)に出演するきかっかけとなったようです。 「何がジェーンに起ったか?」のDVDは字幕つきの「何がジェーンに起ったか? (ワイド版)」、「The Joan Crawford Collection, Vol. 2」などがあり、VHSでは英語版の「What Ever Happened to Baby Jane」が見つかります。 ちなみに「何がジェーンに起ったか?」や「ふるえて眠れ」の音楽を担当したのはDoris Day(ドリス・デイ)の「恋人よ帰れ」や「夜を楽しく」などのラブコメも手掛けたFrank Devol(フランク・デ・ヴォール)です。
What Ever Happened to Baby Jane? Trailer (1962) – YouTube

Mommie Dearest: No…wire…hangers! (1981)
ジョーン・クロフォードの死後にクロフォードの養女が出版した痛烈な暴露本をもとにFrank Perry(フランク・ペリー)監督が映画化した伝記映画の「Mommie Dearest(愛と憎しみの伝説)」があります。 「針金ハンガーは駄目って言ったでしょう!」とChinatown(チャイナタウン)のFaye Dunaway(フェイ・ダナウエイ)がひたすら精神異常の性悪女を熱演したのにラジー賞を獲得してしまいました。 私が以前はジョーン・クロフォードとDon’t Bother to Knock(ノックは無用)に出演したAnne Bancroft(アン・バンクロフト)との顔が区別出来なかったのですが、やはり「Mommie Dearest」の原作者もジョーン・クロフォードの役を演じる女優にはアン・バンクロフトを希望したらしいです。
Mommie Dearest Trailer – YouTube

Joan Crawford: Always the Star (1996)
ジョーン・クロフォードのトリビュート・ビデオVHS(在庫待ち)
Joan Crawford: Always the Star