Elvis Presley (1935 – 1977)
1956年にはカントリーミュージック界にロカビリー旋風が巻き起こり、Johnny Horton(ジョニー・ホートン)のようなカントリー歌手たちがこぞってロカビリーを歌いだした年ですが、1954年にThat’s All Rightのシングル盤でサンレコードからデビューしたElvis Presley(エルビス・プレスリー)にとって1956年は特別な年です。 それまではローカル・ヒットでしたが、Heartbreak Hotel(ハートブレイク・ホテル)をヒットさせたこの年には大手レコード会社のRCAでデビューしました。 そして、米国民の半分が観たというSteve Allen Show(スティーヴ・アレン ショー)に出演しました。 これがその後のEd Sullivan Show(エド・サリバン・ショー)出演に繋がります。(エド・サリヴァン・ショーは1930年代から始まった有名な音楽番組) すごかったですね、キャーキャー言わない約束なんてどこいっちゃった?ってカンジで大騒ぎ! 歌が聞こえない位でした。 当時のエルヴィスは聞きなれない風変わりな名前で黒人だと思った人もあったとか、ベリーダンスかストリッパーのグラインドみたいな前代未聞の腰振りにPTAから抗議の嵐だったとか、何かと逸話が絶えません。 Elvis, The Pelvis!
私はずっとThat’s All Rightはエルヴィスがママに捧げて書いた歌だとばかり思っていたのですがとんだ間違いで、Sonny Boy Williamson II(サニー・ボーイ・ウィリアムソン)やElmore James(エルモア・ジェームス)などと巡業していたミシシッピ出身のデルタブルース歌手のArthur “Big Boy” Crudup(アーサー・ビッグ・ボーイ・クルーダップ)のカバーだったのです。 1949年にRCAビクターが開発した色分けEPドーナツ盤の最初の黒人R & B歌手がプロデューサーのLester Melrose(アーサー・メルローズ)に発掘されたアーサー・クルーダップのThat’s All Rightだったのですが売れなかったので1954年にRCAビクターは解約したそうです。 エルヴィスはサンレコードからアーサー・クルーダップのThat’s All Rightを録音しRCAビクターに移籍してからはクルーダップの他の2曲も吹き込んでいます。 不運なクルーダップはエルヴィスを含む著作権問題が度々あり印税なしでずっと貧乏だったそうです。 これは当時の田舎の黒人ミュージシャンの殆どが著作権なしでレコーディングの度にタバコ銭ほどの賃金を与えられていた事実からきているそうです。
Elvis’ first hit Heartbreak Hotel 1956 – YouTube
Elvis Presley – That’s All Right Mama 1954 – YouTube
☆Arthur Crudup Original Version of That’s All Right Mama 1954 – YouTube
ELVIS’56 In The Beginning (1987)
「エルヴィス’56」はザ・バンドのLevon Helm(レヴォン・ヘルム)が南部なまりでナレーションを入れたドキュメンタリー長編賞受賞監督のAlan and Susan Raymond(アラン&スーザン・レイモンド夫妻)が制作した、1956年に誕生した伝説的スーパースターのエルビスプレスリーのドキュメンタリー(記録映像)です。
Elvis sings Hound Dog on ELVIS ’56
1956年にエルビスプレスリーが歌って大ヒットしたHound DogはRCA Victorレコード会社から百万枚売れた記念のゴールドレコードを贈られました。 これはゴールドディスク賞としては第2番目で、初回は1941年にChattanooga Choo ChooがヒットしたGlenn Miller(グラン・ミラー)楽団でした。(詳細は同じくゴールドレコードを手にしたエディ・コクラン)
1987年のドキュメンタリービデオの「ELVIS ’56」のトレーラーはELVIS ’56 Trailer – Videodetective
☆エルビスが50年代の女性ブルースシンガーであるBig Mama Thornton(ビッグ・ママ・ソーントン)のヒット曲だったHound Dog(ハウンド・ドッグ)」を歌います。
☆2002年のディズニーのアニメ”Disney’s Lilo & Stitch”のサウンドトラックでも使用されたプレスリーのHound Dog(ハウンドドック)の歌詞はHound Dog lyrics – Genius.com
オリジナル録音が1956年のアルバム「Elvis 56」にはHound DogやHeartbreak Hoteはもちろん、Too MuchやDon’t Be Cruel、1956年にEd Sullivan Showで歌った時にはキャーキャー言わしたLove Meなども収録しています。(キャーキャー言わしたStuck on You(本命はお前だ)は1960年だからなし)
Elvis 56 CD
国内盤は「エルヴィス’56」(ASIN: B0000844G4)
「エルヴィス56」の試聴はデジタルミュージックのElvis Studio Sessions ’56 (The Complete Recordings)
♪ Elvis Presley – Don’t Be Cruel – YouTube
ドキュメンタリー「エルヴィス ’56」のDVD (日本語字幕版)は現在入荷予定がなくなりましたがリージョン1の輸入版(ASIN: 1568963696)があります。
エルヴィス ’56
プレスリーの海外版VHSビデオ「Elvis ’56 (VHS) – In the Beginning」(ASIN: 6303380999)もあり。
If I Can Dream and Hurt
“Suspicious Minds”という曲はソングライターのMark James(マーク・ジェイムズ)が1968年に最初に吹き込みましたがエルヴィス・プレスリーが1969年に録音して有名になり、1970年のドキュメンタリー「Elvis: That’s the Way It Is(エルビス・オン・ステージ)」で歌われました。 ですが私が鳥肌が立つほど好きな曲はというと1968年のシングルでリリースされた”If I Can Dream(明日への願い)”です。 聞いてる側も涙が溢れるほどで、こんなに感情を込めてエルヴィスが歌った曲を聞いたことがありませんでした。 他には1976年にRCA Victorからシングルでリリースした”Hurt”です。 この曲は”Ebb Tide”や”Unchained Melody”で知られる低音のR&B歌手のRoy Hamilton(ロイ・ハミルトン)が1954年に歌ってヒットしましたが、エルビスのカバー・バージョンがまた違った魅力を持っています。(セリフのMuch More….が痺れる)
エルビスのことならなんでもの英語サイトはOfficial Web Site – Elvis Presley.com(注!すぐ音)
☆監獄ロックといえば今や大先生になった”まーちゃん”こと平尾昌章(平尾 昌晃)が、「粋な看守の計らいでぇ~、監獄でパーティーがあったとさ~」と前髪をフリフリ、プレスリーの監獄ロックでデビューしました。
エルヴィスの歌の日本語の翻訳歌詞が載ってる日本のサイトはElvis Presley Japanese Lyrics – genkipolitan.com(左のメニューから全楽曲データをクリック)
エルヴィス・プレスリーの気になるアルバム
Artist of the Century
1954年から1976年までの初期から絶頂期までのエルヴィスの録音を集めた3枚組みCD(ASIN: B00000JILB)にはロカビリーからバラードまで全75曲が収録されています。 ディスク1には主に50年代の曲、ディスク2には60年代、ディスク3はそれ以降のヒット曲で、バッキングとしてギターではBarney Kessel(バーニー・ケッセル)やChet Atkins(チェット・アトキンス)、テナーサックスにはBoots Randolph(ブーツ・ランドルフ)、ピアノにはFloyd Cramer(フロイド・クレイマー)が参加しているそうです。
♪ Elvis Presley – Trying to Get to You (1974) – YouTube
Memories: The ’68 Comeback Special
“Don’t Be Cruel”も収録した68年のライヴ(TV番組)「エルヴィス・カムバック」のリマスター輸入盤は雰囲気のあるライヴです。(オリジナル録音の曲ではない)
Memories: The ’68 Comeback Special
国内盤2枚組CDの「メモリーズ~’68 カムバック・スペシャル」(ASIN: B00005EHOB)もあり。
派手派手で有名なエルヴィスのステージスーツは、最初のスーツも生前最後のスーツも憧れだったメンフィスのビール・ストリートにあったBernard Lansky(ランスキー・ブラザーズ)でした。 1977年にエルヴィスが棺に入れられた時に経帷子ならぬ白いスーツも仕立てたランスキー氏ですが、デューク・エリントン、ビリー・エクスタイン、カウント・ベイシーやライオネル・ハンプトンなどの贔屓客の他にもオーティス・レディング、ジェリー・リー・ルイス、B.B.キングなども常連客だといいます。
テネシー州の黒人が多くブルースの発祥の地とされる、メンフィスはエルヴィス・プレスリーの出身地です。 その端にテーマパークのようなエルヴィスの豪邸”Graceland(グレースランド)”があり世界中から沢山のエルヴィス・ファンが訪れます。
人種的には曾祖母はチェロキーインディアンでイギリス系やヨーロッパ系やユダヤなどの混血といわれている複雑なエルヴィス・プレスリーの魅力はそんなところから醸し出されるのかも。 数あるツアーの中で、1977年6月26日のインディアナポリスのマーケット・スクエア・アリーナで開催された最後のコンサートでは古代アステカ文明の太陽の文様(メキシカン・サンダイヤル / 日時計)を刺繍した白いジャンプスーツを着用しましたがこの公演がラストコンサートとなります。(ライヴ盤「エルヴィス・イン・コンサート’77」のCDカバー画像ASIN: B00000731Mで見られる) エルヴィスはデビューの頃でもアステカ風のペンダントを身に付けていました。 死してなお年収が50億円だと言われるエルヴィスです。 その死因は処方された睡眠薬のせいかは不明ですが1977年8月16日が命日のエルヴィスプレスリー没後30年は2007年で色々なイベントが催されるそうです。(当時プレスリーの訃報をラジオで聞いて唖然とした私でしたが、あれから30年以上も経過しているなんて…)
Elvis Presley Died Of Chronic Constipation?
エルヴィスプレスリーが薬物の誤用だとか不整脈だとか心臓発作で亡くなったと云われた時、FENがドキュメンタリー特集番組を組みましたが、私はそれをテープに録音したので日本では流行らなかった曲を知るところとなった次第です。(30年以上も経った今、睡眠薬(麻薬?)の誤用から起きた心臓発作と云われていたエルヴィスの死因は慢性の便秘だったのではと噂されています。 南部のおふくろの味ともいわれるピーナッツバター&ジェリーのバター焼きサンドウィッチが好物だったとか)
Burning Love
Digitally remastered Burning Love includes odd version of Hound Dog,
♪ Elvis Presley – Burning Love (Aloha From Hawaii) – YouTube.com
今まで聴いたことのない未発表のバージョンが収録されている1999年リリースのデジタル・リマスター盤です。CDのタイトルになっている”Burning Love”というのは1973年のホノルルで開催されたスペシャル・コンサート「Aloha from Hawaii(エルヴィス:アロハ・フロム・ハワイ・ヴィア・サテライト)」で(日本にも映像が送られたそうです)の中でも歌われた曲ですが「アロハ・フロム・ハワイ-デラックス・エディション」のDVDのみに収録されていたとか。 72年のツアー後にリリースされてエルヴス最後のシングル・トップテンヒットとなったその”Burning Love”は試聴の1番で、今まで私が聴いたことがないライヴバージョンの”Hound Dog”は11番です。 レアな”I’m Leavin”は4番です。
♪ 試聴はBurning Love – Diskunion.net
☆ ハワイといえばブルーハワイ! エルヴィス・プレスリーの有名なBlue Hawaii(ブルーハワイ)やRock-A-Hula Baby(ロカ・フラ・ベイビー)を収録したアルバムは「Blue Hawaii」又は「ブルー・ハワイ」です。
Early Elvis
ページトップのCD画像はオリジナルが1999年というエルヴィス・プレスリーの初期のSunとRCAの録音を集めた2枚組アルバムの2007年盤ですが日本のAmazon.co.jpにある商品のタイトルが「Early Elivs」となっています。(エルヴィスじゃなくてエリヴス?) そして”HK”とは? どうやら2007年リリースの2枚組イタリア盤CDらしいです。 ”Love me”は入ってるけど。 ”One Night”入ってないし。 ”Merry Christmas Baby”ないし…
♪ 試聴は – Ibs.it
収録曲目はBlue Suede Shoes、Tutti Frutti 、Dont Be Cruel、Hound Dog、Anyway You Want Me、I Want You, I Need You, I Love You、My Baby Left Me、Heartbreak Hotel、I Was The One、Trying To Get To You、Lawdy, Miss Clawdy 、Shake, Rattle & Roll、Love Me Tender 、One Sided Love Affair 、Money Honey、Love Me、Rip It Up、Paralyzed、So Glad Youre Mine、Teddy Bear、Loving You 、King Creole、As Long As I Have You、Jailhouse Rock 、Treat Me Nice、以上有名な25曲を収録しています。
エルヴィスがRCAで”Heartbreak Hotel”の次に吹き込んだシングルの”I Want You, I Need You, I Love You”は1956年の2番目のビルボードでのシングルヒットとなりました。
Elvis Presley – I Want You, I Need You, I Love You – YouTube
Easy Come, Easy Go/Speedway
マニアの間で話題なのは1995年に発売になったレアなサントラを収録した輸入盤「ゴー・ゴー・ゴー&スピードウェイ」は1967年の海底の財宝発見アドベンチャー映画「Easy Come, Easy Go(GO! GO! GO! /ゴー・ゴー・ゴー)」(ASIN: B0017VG6KO)と、ナンシー・シナトラと共演した1968年の「Speedway(スピードウェイ)」のサウンドトラックを一緒にしたCDだそうです。 安い盤はなんだか音が悪いとか。
Thangyouverymuch!
“Love Me Tenderがヒットした”1956年にその曲をタイトルにした西部劇風の「Love Me Tender(やさしく愛して)」にエルヴィスは初映画出演していますがちょっと肩すかしでした。 1957年にはエルヴィス2本目の主演映画で「Loving You(さまよう青春)」に出演してタイトル曲の他、Teddy Bear、Lonesome Cowboy、Mean Woman Bluesなどを歌いました。
エルヴィス3本目の主演映画「Jailhouse Rock(監獄ロック)」ではタイトル曲の他、Don’t Leave Me NowやTreat Me Niceを歌っています。
「監獄ロック」のトレーラーはJAILHOUSE ROCK Trailer – IMDb
エルヴィスプレスリーが兵役に着く直前の1958年にWalter Matthau(ウォルター・マッソー)と共演した映画「King Creole(闇に響く声)」がエルヴィス最後の”不良青年役”でした。 「さまよう青春」でも共演したDolores Hart(ドロレス・ハート)が出演しています。 美人で品行方正な優等生女優のドロレス・ハートは大人気だったのですが、1960年のConnie Francis(コニー・フランシス)やYvette Mimieux(イヴェット・ミミュー)と共演した「Where the Boys Are(ボーイハント)」などに出演後、カトリックの尼僧になってしまいました。(Mother Dolores at the Convent of Regina Laudis in Bethlehem Connecticut)
エルヴィスは1956年のLove Me Tender(やさしく愛して)から除隊後の1960年のGI Blues(GIブルース)で私のお熱は冷めました。 不良少年のイメージだったエルヴィスは兵役を経てカムバックした後は好青年を演じていましたから、もう若者だけでなく万人向けのアイドルとなってしまったのです。 私も大人になりました、さようなら、エルヴィス。
エルヴィスプレスリーは「GIブルース」の後も、わんさか可愛い子ちゃんが登場するたくさんの青春映画に主演しましたが私が覚えているのは1964年の「Girl Happy(フロリダ万才)」あたりまでで、エルヴィスが歌うカウボーイを演じた1965年の「Tickle Me(いかすぜ!この恋)」は見ていません。(”It Feels So Right(いかすぜ,この恋)”をはじめ二番煎じ的な曲が多し) そんな「フロリダ万才」には、Johnny Angel(ジョニーエンジェル)が大ヒットした人気アイドルのShelley Fabares(シェリー・フェブレー)がエルヴィスのお相手役で出演していたように、エルヴィス映画にはJuliet Prowse(ジュリエット・プラウズ)やBarbara Eden(バーバラ・イーデン又はバーバラ・エデン)など毎回アイドル女優の可愛い子ちゃんが登場しました。 このアイドル女優たちも”Elvis’s Girls“と呼びますが、エルヴィス最後の長編映画で1969年の「Charro!(殺し屋の烙印)」ではIna Balin(アイナ・バリン)でした。 エルヴィス最初の映画が西部劇風でしたが最後も無精ヒゲを生やしたClint Eastwood(クリント・イーストウッド)のマカロニウエスタン風の西部劇でした。 アイナ・バリンは1956年にAnthony Quinn(アンソニー・クイン)が主演した「The Black Orchid(黒い蘭)」に出演しています。 ちなみに日本未公開のエルヴィス・プレスリー最後の映画にはテーマ曲の”Rubberneckin”が流行った1969年の「Change of Habit」があります。
エルヴィス・プレスリーの歌が聴けるサイトのご紹介
Elvis Presley – Don Edrington’s Big Band & Swing Era Songs
映画「闇に響く声」の中ではタイトル曲のKing Creole他、Trouble、Crawfish、Lover Doll、New Orleansなど私の好きな曲をたくさん歌っていて、LPの「King Creole」は当時購入したエルビスのアルバムの1枚です。
Elvis Presley – Trouble (1958) – DailyMotion.com
腰をくねらせて踊り歌う不良青年としてデビューしたエルヴィス・プレスリーですが、魂はゴスペルに根付いていました。 ゴスペル・シンガーとしてのエルヴィス・プレスリーの1956年から1977年までのゴスペル・ミュージック集大成「平和編」3枚組アルバムは「Peace in the Valley: The Complete Gospel Recordings」や、RCA時代のAmazing GraceやCrying In The Chapelなど1957年から1971年までのシングル25曲を収録した「Elvis Ultimate Gospel」(ASIN: B0001FBT9K)などがあります。
1956年のエルヴィスには想像し難い曲としてはナポリ民謡の”‘O sole mio(オー・ソレ・ミオ)”をアレンジした”It’s Now or Never(イッツ・ナウ・オア・ネヴァー)”が1960年に2千万枚という大ヒットを記録しました。 原曲は1901年にEduardo di Capua(ジョヴァンニ・カプッロ)が作曲したカンツォーネとして有名な”‘O Sole Mio(我が太陽)”で、かって有名なテノール歌手のMario Lanza(マリオ・ランツァ)などがイタリア語で吹き込んだものです。 除隊後のエルヴィスが吹き込んだオーソレミオのロックバージョンの”It’s Now or Never”はコアなエルヴィス・ファンだけでなく一般の音楽ファンや眉を吊り上げていたパパママ、誹謗中傷していたマスコミにも絶賛されたのです。 なんとそれまではロックンロールを毛嫌いしていたフランク・シナトラとさえ共演したのでした。
♪ Elvis Presley It’s Now or Never (1960) – YouTube
It’s now or never, come hold me tight Kiss me my darling, be mine tonight…と歌われる”イッツ・ナオ・オア・ネヴァー”の歌詞はElvis Presley – t’s Now or Never – LYRICS FREAK
Elvis Presley – My Boy
エルヴィス・プレスリーが父親が息子を想って歌ったソフトロック(ロッカバラード)の”My Boy(マイ・ボーイ)”はClaude François(クロード・フランソワ)が1971年に歌ったシャンソン”Parce que je t’aime, mon enfant(愛しているから、わが子よ)”を英語でカバーして1973年に吹き込み、1975年にアルバム「Good Times」やシングル盤でリリースされました、CDの「King: Elvis Presley」や「The All Time Greatest Hits – Elvis Presley」、そしてオリジナルが1968年にリリースされた全23曲DVDの「’68 Comeback Special」に収録されています。 エルヴィスファンを自称し「私の好きなエルヴィス」というエルヴィスとのトゥーショット写真をカバーにしたチャリティ・アルバムをリリースした元首相の小泉純一郎は25曲のなかにこの”マイ・ボーイ”も選曲しています。
Elvis Presley – My Boy – YouTube
エルヴィス退役後の1963年のViva Las Vegas(ラスベガス万才)のトレーラーはViva Las Vegas Trailer – Mubi.com
エルヴィスのヒット曲である”Falling In Love With You(愛さずにはいられない)」はマシュー・ペリーの1997年の映画「Fools Rush In(愛さずにはいられない)」のテーマ曲となっています。
R&Bが始まった頃、これらのリズム&ブルースを聴いて育ったエルビスのヒット曲となった”ハウンド・ドッグ”は1950年代にThe Coasters(コースターズ)をプロデュースして多くのヒット曲を書いたLeiber-Stoller(リーバーとストーラー)コンビが1953年にビッグ・ママ・ソーントンに書いた歌です。 このエルヴィス・プレスリーを聴いて育ったのがJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)で、ジミヘンのレアなバーションのハウンド・ドッグが聴けるAudio-Visual Trivia内の「Big Mama Thornton」
☆Audio-Visual Trivia内でエルヴィスのブルー・クリスマスが聴ける「クリスマス・ソング特集」
El Vez
60年代にはロックンロールの王者として世界中に知られたので各国でエルヴィス流という歌手が登場しました。 例えばJohnny Hallyday(ジョニー・アリディ)はフランスのエルビスで、Bobby Solo(ボビー・ソロ)はイタリアのエルヴィス・プレスリーと呼ばれたことがありますが、メキシコのエルヴィス・プレスリーといえば、メキシコ系アメリカ人でその名もエル・ヴェズはRobert Lopezという奇抜なステージ衣裳が有名なロックンローラーでエルヴィス・プレスリーの曲をカバー、いや、パロディにしたそうです。(アルバム・カバーなどもエルヴィスのとそっくりでリリース)
Elvis (1979)
Adutts, they’re all nuts!
エルヴィスが出演した1963年の「It Happened at the World’s Fair(ヤング・ヤング・パレード)」でエルヴィスに頼まれて向こう脛を蹴る男の子役で映画デビューを果たした当時11歳のKurt Russell(カート・ラッセル)が1979年にエルヴィス・プレスリーを演じたテレビドラマの「ザ・シンガー」ではエルヴィスのママを名女優のShelley Winters(シェリー・ウィンタース)が、そしてエルヴィスのパパをカート・ラッセルの実の父親が演じました。 John Carpenter(ジョン・カーペンター)監督のTVの伝記映画「Elvis(ザ・シンガー、またはエルヴィス・ザ・シンガー)」でカート・ラッセルが顔はもちろん声やしゃべり方までそっくりに演じていますが、シーンによってはそのまんまラッセルだったりQuentin Tarantino(タランティーノ監督)だったり。 ちなみに歌の吹き替えをしたのが若い時代のエルヴィスの声のそっくりさんである”Ronnie McDowell(ロニー・マクドウェル)”でした。 エルヴィスの”Mystery Train”で始まる「ザ・シンガー」ではラスヴェガスのホテルで苦悶するエルビスのシーンから、mama’s boy(お母さん子、マザコン)といじめられたミシシッピでの幼少期に戻って、髪型がユニークで髪をとかして女みたいとからかわれるメンフィスの学生時代(この50年代後期には櫛で有名になった77 Sunset Strip(サンセット77)のクーキーがいましたが)から、貧しい生活ゆえに涙する母親を”That’s Alright Mama”と慰めて舞台に立ったところが大盛況で歌手になる決心してサンレコードでの吹き込み、”That’s Alright Mama”はラジオから流れてエルヴィス・ママの聞くところとなる。 R&Bの黒人ミュージシャンを世に広めたい意向のサム・フィリップスの元でエルヴィスはカントリー歌手や黒人のブルース歌手のレパートリーをカバーしていましたがこの後、独特のルックスと歌唱方と振り付けでスター街道まっしぐら。 週2000ドルも稼ぐようになったエルヴィスはママにピンク・キャデラックをプレゼント。 RCAレコードに移籍して空前の大ヒット曲となった”Heartbreak Hotel”を吹き込んでロックンロールの王者となりました。 初の映画出演、エド・サリバン・ショー、グレイスランド、トレードマークの長髪をGI刈りにして入隊、2年間の徴兵期間にママが肝炎から心不全となり46歳で死亡。 空手、プリシラとの出会い(最後はエルヴィスが1976年のElvis in Concertライブでも歌ったUnchained Melodyはこのシーンの他劇中では二度ピアノの弾き語りで歌われます)
エルヴィスが最愛のママを失ったことがきっかけとなったか、全てを手に入れたように見えても何かが欠けていたかは不明ですが、ドイツで出会った14歳のプリシラと結婚し娘(リサ・マリー)も授かったものの妻を遠ざけて数々の女性と浮き名を流しました。 当時プリシラがエルヴィスの花嫁と知った私は随分と濃い顔立ちの女性だと思いましたがどこかママに通ずる点でもあったのでしょうか。
エルヴィスのそっくりさんといえば、”De Nieuwe Elvis (The New Elvis)”と呼ばれた1968年生まれのベルギーのテナー歌手のHelmut Lotti(ヘルムート・ロッティ)がいます。 子供時代にエルヴィス・プレスリーに感銘を受けたというヘルムート・ロッティはマイク片手に腰を振りタキシードを脱ぎ捨ててエルヴィスそっくりの声と振り付けでオーケストラをバックに英語で歌いましたが、クラシック、ジャズ、ロック、世界の民謡と幅広く音楽活動をしているそうです。
エルビスが好きな女優は「めまい」などに出演したKim Novak(キム・ノヴァク)だったそうですが、エルビスを好きなのはエルビスと誕生日が同じでエルビス・ファンクラブのメンバーにもなっている元小泉首相! と思ったら、なんとブッシュ大統領も同じくエルヴィス・ファンだとかで2006年6月にGraceland Mansion(グレースランド邸宅)を一緒に訪問したそうです。 グレースランドとはエルヴィスが亡くなるまで住んでいたテネシー州メンフィスにある豪邸です。
※ エボニックス(黒人英語)の二重否定
☆ハウンド・ドッグの歌詞にある‘ain’t nothing but’は二重否定形で、「お前はまったくの女たらしだ。」という意味だそうです。 つまり、積極的肯定を表す二重否定なんだそうだ。(満足なんてできねえ!という強い否定文じゃないのか?)
私には理解不能の二重否定についてはヘレン・ケインの記事にもあります。