ジーン・ヴィンセント Gene Vincent

Rockabilly Bad Boy: Gene Vincent (1935 – 1971)
反逆のロカビリー魂

50’s のロックンロール&ロカビリーといえばジーン・ヴィンセント! 細身の黒革つなぎ(又はジャンパー)にコテコテ・リーゼントというスタイルでマイクに喰い付くように、時にはマイクを舐めるように近づけて歌った超セクシーなジーン・ヴィンセントは私生活でも問題ありでどこを探しても健全さがみられないほど闇の放蕩ロッカーですが私が最も早い時期に好きになったロカビリー歌手なのです。 そして最も早くお熱が冷めて1960年以降は全く聴かなかったアーティストでもあります。 というよりも好みの新曲が出なかったともいえますが、ステージに打ち込んだロック魂のジーン・ヴィンセントの70年代は嬌声をあげる女性ファンに代わって信奉的ロッカー野郎たちが観客となったとか。 自作の”Bad Boy”がヒットしたLarry Williams(ラリー・ウィリアムス)とは違い麻薬が絡んだ暴力沙汰などの犯罪性はないものの典型的なバッドボーイを演じたジーン・ヴィンセントに対する熱中度は一時期かなり高かったので50年代と60年代の私のお気に入りアーティストから外すわけにはいきません。
1955年のバイク事故による外科手術でヘビメタの左足だったジーン・ヴィンセントは足を引きずっているにも関わらず飛び回ったり足を高く上げたりするド派手なパフォーマンスで、無理しているのではないかと観客をハラハラさせました。 60年代には松葉杖で舞台に登場したこともありましたが松葉杖はパーフォマンスだったのか、その杖を投げ捨てるように床に置くと舞台ではワイルドに飛び跳ねて歌うのです。 もっとも実際には鎮痛剤を欠かせなかった生活だったとか。 ロック界のThe Beatles(ビートルズ)やThe Doors(ドアーズ)等のヒーローでもあったジーン・ヴィンセントはシャウトするロカビリーから囁くようなバラードまでレパートリーにして観客を飽きさせることはなかったといいます。(酩酊以外は)
Gene Vincent – Bird Doggin’/Hi-lili, Hi-lo
そんなジーン・ヴィンセントが1966年にリリースしたシングルがあります。

Jukebox
ジーン・ヴィンセントのシングル、45回転のEPレコードはその当時は赤いヴィニール・ドーナッツ盤でしたが、これは日本の東芝キャピトルだけの盤だったらしく海外でも高値が付けられているそうです。 売りません!
コインを投入して音楽を聴くジュークボックスはアメリカでは40年代からですが最初は78回転SPレコードを使用していてドーナッツになったのは1950年だそうでラジオでのチャート以外にジュークボックスのチャートも入っていたらしいです。 日本では50年代後期から60年代当時のレコードはLP意外は全部ドーナッツ盤で、その後4曲位収録した33回転が出ました。 音楽産業の一環をになっていたジュークの普及率は今でいうカラオケでしょうか、私が知っているジュークはイルミネーションがチカチカする虹の教会型ではなく四角い箱型で、当時は喫茶店やピンボール場のような場所には有線などのBGMはなかったので誰かがかけるジュークボックスから流れてくる曲を聴いたものです。 私はジュークボックスでレコードが選ばれて針がかかるまでの魔法のような一連の動作にも見とれていました。

Gene Vincent & The Blue Caps
1955年頃、バイク事故で入院中のジーン・ヴィンセントは”Race with the Devil”と”Be-Bop-A-Lula”の曲を書いたといわれています。 最初はカントリーソングを歌っていましたが、バッキング・バンドを結成してラジオ番組のオーディションに受かってからがジーン・ヴィンセントのロカビリー人生が始まります。 当初”Be-Bop-A-Lula”はCapitol Records(キャピタル・レコード)で、”Woman Love(ウーマン・ラヴ)”のカバーのB面としてリリースされたそうです。 私の手持ちのシングル盤のCapitol Records 7P – 14はアメリカでリリースされたオリジナル盤のF-3450(45-15230となっています。

Be Bop A Lula
その後しばらくしてバルチモアの某DJがB面の”Be-Bop-A-Lula”を放送したところ、ビルボードのポップス・チャートで20週連続上位に入るという空前の大ヒットとなり、ジーン・ヴィンセントは一躍ロックンロール界に躍り出ました。 続いて同年、”Race With The Devil”と”Bluejean Bop”をリリースしましたが、しゃくり上げるようなカントリーのヒカップ唱法にエコーを効かせた”Woman Love”はあまりのエロさゆえ、某州のツアーでは公然わいせつ罪を適用されて罰金の憂き目にあったとかいう噂が流れたそうです。(うっそ!) ”Be-Bop-A-Lula”の大ヒットにより1956年にキャピタルからジーン・ヴィンセントの初アルバム「Blue Jean Bop」がリリースされ、1957年にはLotta Lovin’とDance to the Bopをリリースし、Lotta Lovin’とBe-Bop-A-Lulaの売り上げによりゴールド・レコードを獲得したそうです。(この時代には日本でもヴィンテージ盤となった東京芝浦電気SP-14などとして63年まで製造されていた落とすと割れるSPレコード/78rpmでもリリース) この年にEddie Cochran(エディー・コクラン)とLittle Richard(リトル・リチャード)と一緒にオーストラリア公演を行いました。 残響効果とヒカップ唱法により私の耳にはジーン・ヴィンセントが歌う”Hey, hey”がヘック、ヘックと聞えていました。

Be-Bop-A-Lulaの曲の元はジーン・ヴィンセントが書いたことに間違いはないそうですが、その歌詞は誰が書いたかには諸説があるようです。
※メジャーになる前はカントリーを歌っていたジーン・ヴィンセントなので他のロカビリアン同様にHiccup(ヒカップ)を取り入れた曲が何曲かあったようです。 ロカビリーで使われるヒカップについて詳しくはロカビリー歌手のCharlie Feathers(チャーリー・フェザース)
1940年代中頃に駅の赤帽をイメージした”5 Red Caps(ファイヴ・レッドキャップス)”という黒人のジャイブグループがいたそうですが、ブルーキャップスは歌手になる前にジーン・ヴィンセントが所属していた海軍の青い水兵帽子をイメージしたらしいです。 日本でも日劇時代のロカビリー三人男の一人だった平尾昌晃が白いキャップをかぶっていたように記憶しています。 Gene Vincent & The Blue Capsはその後Gene Vincent & His Blue Caps(ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス)となりました。 オリジナルのバンドメンバーはギター奏者が2名とロカビリー・スラップベースとドラムの5人グループです。 特にステージでギターをブチ壊したことで有名なイギリスのロックギタリストのJeff Beck( ジェフ・ベック)も影響を受けたというリードギターのCliff Gallup(クリフ・ギャラップ)のギター(Gretsch)は有名でそのロカビリーギター奏法をギャロッピングと呼ぶそうですが、その肝心なクリフ・ギャラップは30曲以上録音した後の50年代のうちにバンドを離れてしまいました。 他にも何度かメンバーチェンジがあったそうで、1957年から1958年の録音にはピアノのCliff Simmonsとか、テナーサックスのPlas Johnson(プラス・ジョンソン)や、ジャンプブルース&ジャズのJackie Kelso(ジャッキー・ケルソ)などが参加しています。 1950年代中頃にキャピトル・レコードに籍をおいたバップ&ソウル・テナーのプラス・ジョンソンは1963年にHenry Mancini(ヘンリー・マンシーニ)が音楽を担当したテレビ漫画の「The Pink Panther(ピンクの豹)」のテーマ曲でテナーを演奏しています。 一夜にして夢のような大金持ちとなった旅好きのジーン・ヴィンセントは精力的に地方公演のスケジュールを組みましたが家族持ちのメンバーはついていけなかったようです。 当然ジーン・ヴィンセントの家族、つまり過去4人の妻たちもついていけず、浮気の噂も相俟って全員別れてしまったそうです。
※ちなみにジーン・ヴィンセントのヒット曲の”Woman Love”はオリジナルだと思っていたのですが、Lonely Soldier Boy(悲しき少年兵)が日本でも有名なソングライターのJack Rhodes(ジャック・ローズ)の作曲で”Country Preacher”が一番人気でシカゴブルース・ギタリストのJimmy Johnson(ジミー・ジョンソン)が最初に歌ったのだそうです。
ジーン・ヴィンセントとブルー・キャップスの映像や写真、1957年のオリジナルGene Vincent and his Blue Capsの画像も見られるジーン・ヴィンセントのオフィシャルサイトはGene Vincent Official Site – RockabBillyHall.com

Be-Bop-A-Lula, she’s my baby
Be-Bop-A-Lula左の画像は当時私が購入した「ビ・バップ・ア・ルーラ / ウーマン・ラヴ」の東芝赤盤のEPレコード(Capitor 7P – 14)です。 時には下品とも取れる悪ぶった激しいステージがもてはやされたジーン・ヴィンセントといえば、なんといっても1956年にブルーキャップスとCapital Record(キャピタル・レコード)で吹き込んだ「ビバップ・ア・ルーラ」につきます。 エコーを取り入れた唱法がその当時に”Heartbreak Hotel”がヒットしていたエルビス・プレスリーにそっくりだったので、初めて「Be Bop A Lula」を聴いた人々はエルビス・プレスリーだと思い込んだそうです。 そのエルビスも「Be-Bop-A-Lula」を吹き込んだそうですが私が聞いたことがあるのはJerry Lee Lewis(ジェリーリー・ルイス)との共演でした。

「ビバップ・ア・ルーラ」の曲のタイトルは、R&Bの女性歌手であるHelen Humes(ヘレン・ヒュームス)が1945年にヒットさせたBe-Baba-Leba(ビー・ババ・リーバ)やLionel Hampton(ライオネル・ハンプトン)楽団がヒットさせたHey! Ba-Ba-Re-Bop(ヘイ!バ・バ・リ・バップ)という曲をもじったのかもしれないですが、いずれにせよ1940年代から流行ったジャズのスタイルでちょっとビートニクなBebop(ビバップ)からヒントを得ているようです。 一説には私も昭和50年代にテレビで観ていたコミックの「Little Lulu(リトル・ルル)」からとったとも言われています。 どっちにしろルーラもルルもLouise(ルイーズ)の愛称らしいですから自由気ままなルーラちゃんとでもいう意味でしょうか。 ロックでいうバップ(ビバップ)とはロカビリーのことらしいですが、本当はもっと意味シンかもしれません。 「赤いGパンでバップ(ロカビリー)しているルーラちゃんは俺の彼女だ、間違いない!」と歌っているのでしょうか。 このようなエコーをタップリ効かせた風変わりで神秘的にも思えた「ビバップ・ア・ルーラ」は私にとってはロカビリーの代名詞でした。 ジーン・ヴィンセントの唾が飛んで来そうな「ビバップ・ア・ルーラ」からエコーを取ったらどうなるんだろう?という疑問も湧いたほど残響効果ガンガンの「ビバップ・ア・ルーラ」は”Say Mama(セイ・ママ)”同様にほとんど誰にもカバーされていないと思っていた曲なのです。 ところがThe Everly Brothers(エヴァリー・ブラザース)をはじめ、Carl Perkins(カール・パーキンス)、Elvis Presley(エルビス・プレスリー)、Jerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)、そして1962年のハンブルグ公演で急遽バックを務めたことがあるThe Beatles(ビートルズ)のメンバーだったPaul McCartney(ポール・マッカートニー)までもカバーしていたのです。 もっと驚くことに1966年の「青春ア・ゴーゴー」で歌手役で出演していたジュディ・オングが言語で”Say Mama”も歌いました。 しかし誰がカバーしようと「ビバップ・ア・ルーラ」はジーン・ヴィンセント!
Be bop a lula – Elvis Presley and Jerry Lee Lewis – YouTube

By the Light of the Silvery Moon
ジーン・ヴィンセントがカバーした曲のなかで私が持っているレコードにはオリジナルはボードヴィルのミュージシャンだったドイツ人のGus Edwards(ガス・エドワーズ)が作曲してミュージカルのEdward Madden(エドワード・マッデン)が作詞した”By the Light of the Silvery Moon(銀の月明かりの下で)”があります。 このスタンダード曲は1942年に巨漢の黒人ジャズ・ピアニストのFats Waller(ファッツ・ウォーラー)や、Minstrel show(黒人物真似コミックショー)を演じたロシア系ユダヤ人のAl Jolson(アル・ジョルソン)が歌っていましたが、Doris Day(ドリス・デイ)が1953年に同名のミュージカル映画で歌って有名になりました。 ロックとしてはリトルリチャードのバージョンが一番有名で、他には内田裕也ばり(逆だな)の金髪ロンゲがユニークなブルースギタリストのJohnny Winter(ジョニー・ウィンター)のインストやJackie Wilson(ジャッキー・ウィルソン)もロマンチックに歌っています。 ジーン・ヴィンセントの”By the Light of the Silvery Moon”が収録されているアルバムには「Blue Jean Bop!/Rocks & The Blue Caps Roll 」と「The Gene Vincent CD Box Set: Complete Capitol & Columbia Recordings 1956」6枚組や、懐かしいフィフティーズの曲が満載の「Memories And Moondreams (Spring)」(試聴はASIN: B005HB57GY)などがあります。

Gene Vincent and Eddie Cochran
ジーン・ヴィンセントは1960年頃、ロカビリー熱が下火になったアメリカを去ってフランスをはじめとしたヨーロッパ公演に出ましたが、中でも人気だったのはイギリスだったそうです。 そのイギリス公演中の自動車事故でジーン・ヴィンセントと同乗していたエディー・コクランだけが死亡したのでした。 足の骨髄炎がそうさせたとはいえ深酒と鎮痛剤常用していたジーン・ヴィンセントは60年代には容貌の激変とともに胃潰瘍まで患い、1969年にBe-Bop-A-Lula ’69やLotta lovin’69などを収録したスタジオレコーディングのラストアルバム「I’m Back and I’m Proud」をリリースするも若干36歳にして亡くなってしまいました。 しかし、イギリスでの事故当時のエディ・コクランが22歳だったことを思うとその分頑張ったという感があります。 1980年代に起こったロカビリー・リバイバルでは”Be Bop A Lula”や”Race With the Devil”をカバーしたStray Cats(ストレイ・キャッツ)など若い世代のロッカーがジーン・ヴィンセントの曲を蘇らせたといわれています。
☆エディ・コクランについて詳しくはAudio-Visual Trivia内の”Eddie Cochran
Eddie Cochran & Gene Vincent – White Lightning (live 1960) – YouTube
Gene Vincent & Eddie Cochran – YouTube

The Girl Can’t Help It
Little Richard(リトル・リチャード)が映画のタイトル曲の”The Girl Can’t Help It”と”She’s Got It”を歌った1956年のミュージカル・コメディ映画のThe Girl Can’t Help It(女はそれを我慢できない)はロックンロール歌手が出演した初の映画だったそうです。 ジーン・ヴィンセントは”Be Bop A Lulaを歌い、”Twenty Flight Rock(20フライトロック)”と”Somethin’ Else”を歌ったエディ・コクランと共演しました。 共演といっても別撮りのスタジオシーンで二人とも演技をしたわけではなく、ジーン・ヴィンセントを観たさにDVDを買った私はちょっとガッカリ。 しかし1958年にLew Landers(ルー・ランダース)が監督した映画の「Hot Rod Gang」ではジーン・ヴィンセントは演技もした上、”Dance in the Street”、”Baby Blue”、”Dance to the Bop”を歌った他、ジュークボックスでの”Lovely Loretta”も流れたそうです。(残念ながら日本未公開でした)
映画といえば、ジーン・ヴィンセントは出演していませんが、「Iron Man(アイアンマン)」のロバート・ダウニー・ジュニアが主演したフィフティズの音楽がいっぱいの探偵映画「The Singing Detective(歌う大捜査線)」でジーン・ヴィンセントの”Woman Love”、”Important Words”、”In My Dreams”が使用されました。
Gene Vincent – Say Mama (1958) – YouTube
Sexy! Gene Vincent – Women Love (1958)
Gene Vincent – By The Light Of The Silvery Moon – YouTube

Gene Vincent Rocks! And The Blue Caps Roll/Record Date
ページトップの画像は、”Say Mama”はないものの、代表曲の”Be-Bop-A-Lula”の他に私の好きな”By The Light Of The Silvery Moon”など全26曲を収録したオリジナルは1956年のアルバムです。
全曲試聴はGene Vincent Rocks! And The Blue Caps Roll/A Record Date With Gene Vincent – CD Universe
本当は”Say Mama”と”Be-Bop-A-Lula”と”By The Light Of The Silvery Moon”が収録されているアルバムを見つけたいのです。
この他に類似したアルバムには”Who Slapped John? “、”Jumps, Giggles and Shouts”、”Catman”、”Pretty Pretty Baby”など全24曲を収録した”「Bluejean Bop!/Gene Vincent and the Blue Caps」や、Bluejean Bop 、Be Bop A Lula、Woman Love、Crazy Legs他全18曲を収録した日本では見つからないアルバム「Bluejean Bop!」があります。
※ちなみに「Gene Vincent Rocks! 」のCDカバーの画像はオリジナルのLPレコードでは左上の画像のみが使用されたレコードですが、このCDは2枚の写真を使用しています。 オリジナルと同じの左上画像は私が持っているシングルEP盤の「ビ・バップ・ア・ルーラとウーマン・ラヴ」のジャケット画像に使用されたものでもあり、ジーンがマイクに向かってレシーバーを耳に付けている右下の写真は「セイ・ママ/銀色のお月さま(Say Mm / By the Light of the Silvery Moon)」のEPレコードジャケットと同じです。
※ジーン・ヴィンセントのオリジナルLPレコードは3枚リリースされたそうで前述のBLUE JEAN BOP!、1957年のGene Vincent and the Blue Caps、1958年のGENE VINCENT ROCKS! AND THE BLUE CAPS ROLLだそうです。

「Capitol Collectors Series」 は私の好きな”By The Light Of The Silvery Moon”が入ってないのが残念ですが、代表曲のBe Bop A Lulaはもちろん、I Got A BabyやSay MamaやWoman Loveの他にBluejean BopやCrazy Legs、B-I-Bickey-Bi, Bo-Bo-Goなど全21曲を収録した1990年リマスター盤で全曲試聴できます。
“By The Light Of The Silvery Moon”以外のヒット曲を網羅したドイツEMI輸入盤2枚組みアルバムには2005年リリースの「Very Best of Gene Vincent」があります。(CD画像はジーン・ヴィンセントとブルーキャップス)
試聴はVery Best of Gene Vincent – CD Universe

Gene Vincent Biographies
いづれが真実かはジーン・ヴィンセント本人以外には分かりませんが、何冊かのジーン・ヴィンセント伝記が出版されています。
2004年出版のハードカバ本の「Gene Vincent and Eddie Cochran: Rock ‘N’ Roll Revolutionaries」
2000年に出版されたハードカバー本の「Race with the Devil: Gene Vincent’s Life in the Fast Lane」
1983年に出版されたBritt Hagarty(著)の英語版ペーパーバックの「The Day the World Turned Blue」

♪ Gene Vincent – Say Mama (Rebel Heart 1956-1971, Juke Box Jive) (Album includes 1956 – Hound Dog, Be-Bop-A-Lula
1965 – Bluejean Bop, Last Word in Lonesome Is Me, Pretty Girls Everywhere, Dance to the Bop, Be-Bop-A-Lula
1966 – Lonely Street, Lonely Street(Alternate)
1967 – Spoken Message
1968 – Rainyday Sunshine, Green Grass, Mister Love, Roll Over Beethoven
1969 – Rocky Road Blues, Say Mama, Pistol Packin’ Mama, Be-Bop-A-Lula
1971 – Sunshine, Lonesome Whistle, Maybellene, Whole Lotta Shakin’ Going On, Woman Love, Be-Bop-A-Lula, Bring It on Home, Rose of Love, Hey Hey Hey Hey, and Party Doll)

ジーン・ヴィンセント Gene Vincent」への2件のフィードバック

  1. ケイジ より:

    資料がこんなにあってとても嬉しかったです!今では中々音源も手に入らなくなりました!

  2. koukinobaaba より:

    ケイジさん、せっかくのコメントがスパム扱いになってしまい対応が遅れて申し訳ありませんでした。
    この記事を書くのでレコードを探してみたら私の好きなヴィンセントの「銀色のお月さま」のEP盤が行方不明になっていたのでガッカリしています。
    ケイジさんの音楽活動の繁栄を願って。

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