ジョセフィン・ベイカー 二つの愛 Josephine Baker sings J’ai Deux Amours

The Josephine Baker Story (Paperback)
Paperback The Josephine Baker Story
La star noire de La “Revue nègre” du théâtre des Champs-Elysées
Joséphine Baker (1906 – 1975)

Bronze Venus: La Baker
黒い真珠とも琥珀の歌姫とも呼ばれたジョセフィン・ベイカー(又はジョゼフィーヌ・バケール)はジャズの発祥地で有名な黒人の町、セントルイス出身で当時の多くの黒人と同じく貧しい生活を送りました。 ローティーンの頃から道端で踊って小銭を稼いでいたそうですが、まだ十代の中頃で2度も結婚しましたが苗字のベイカー(もしくはベーカー)は2度目の夫の姓だそうです。 生涯で4度結婚したジョセフィンでしたが実らぬ恋も幾つかあり、その一人が1955年に東京国立西洋美術館の設計したフランスの建築家デザイナーのLe Corbusier(ル・コルビジェ)だったといいます。 とはいえ1929年にコルビジェが南米に向かう航路でジョセフィンと出会いましたが翌年に生涯の妻となるモデル(Yvonne)と結婚しました。
ジョセフィン・ベイカーは黒人だけのレビュー団”Revue Negres(レヴュ・ネグル)”に参加して1925年頃にパリのはシャンゼリゼにあったミュージック・ホールに出演するようになります。 そこでハーレムでのDuke Ellington(デューク・エリントン)のジャングル・フィーヴァーのごとく裸同然の衣装でセンセーショナルな歌と踊りのショーを繰り広げ、パリの夜の女王となったジョセフィン・ベイカーは新し物好きなパリ人の間で大変な人気者となったそうです。 特に上半身はほぼ全裸で腰に作り物のバナナをグルリとぶる下げた衣裳にはさすがのパリッ子も度肝を抜いたそうですがダンスの初めがコミックダンスだったのでこのようなバナナダンスなんてお手の物だったのでしょう。(但しこれを文明人のジョセフィン・ベイカーは舞台で野蛮人の役をやらされると言ったそうです)
ちなみにジョセフィン・ベイカーが”Chiquita Madame de la Martinique Est d’un tempérament passablement volcanique…”と歌ったChiquita Madame(チキータ・ マダム)は、Danielle Darrieux(ダニエル・ダリュー)が「Retour à l’aube(暁に帰る)」で歌った”Dans Mon Coeur(我が心に)”と同じく Paul Misraki(ポール・ミスラキ)が1949年に作曲したそうです。
衣裳といえばキラキラ光るスパンコールやビーズ、孔雀の羽やオーストリッチの羽を付けたエレガントで豪華なサテンのドレスや意匠を凝らしたエキゾチックで奇抜なドレスも見逃せません。 その他にも話題性としてジョセフィン・ベイカーは舞台にダイアモンドの首輪をしたペットのChiquita(チキータ)というチーターを登場させ、時には逃げ出したチーターに観客は肝を冷やしたとか。 アメリカのロストジェネレーションの作家であるErnest Hemingway(アーネスト・ヘミングウェイ)が「かって出合ったf最もセンセーショナルな女」と称したそうですが、同じく1940年代にパリで大成功したEartha Kitt(アーサー・キット)にはOrson Wells(オーソン・ウエルズ)が「世界中で一番刺激的な女」と言っています。 戦前は先進的な作家や画家などの芸術家たちの女神となったジョセフィン・ベイカーは第二次世界大戦時にフランスを占領したナチスにまで人気だったそうです。 6度も結婚したジョセフィン・ベイカーは1937年にフランス人と結婚してフランス国籍を取得しました。

J’ai Deux Amours per Joséphine Baker
実在したパリのエンターテイナーである黒人歌手「ジョセフィン・ベーカー」が歌った「J’ai Deux Amours(二つの愛、もしくは二人の恋人」は、アメリカを祖国とし遠く離れてパリで生活するジョセフィン・ベイカーの心を二重の意味で表した素晴らしい曲です。 パリはシャンゼリゼのミュージック・ホール「Revue Negres(レヴュ・ネグル)」の女王だったアメリカ出身の黒人歌手のジョセフィン・ベイカーに、1931年にシャンソン作曲家のVincent Scott(ヴァンサン・スコット)が贈ったJ’ai Deux Amours(二つの愛)をジョセフィン・ベイカーが「私の愛するものは二つ、祖国とパリの街」と歌って大ヒットしました。
ちなみに黒澤明が監督し志村喬が癌になった役所の市民課課長を演じた1952年の映画「生きる」で人生を取り戻そうと散財し伊藤雄之助に遊興に連れ回されるバーのシーンでジョセフィン・ベーカーの”J’ai Deux Amours”が流れました。 映画では志村喬自身も数曲歌っていますが1939年のマキノ映画「鴛鴦歌合戦」などでも歌うほどの喉自慢でした。 素晴らしいゴンドラの唄…
☆ “J’ai Deux Amours”などジョセフィン・ベイカーの歌詞はParoles de J’ai Deux Amours – musikiwi.com

ジョセフィン・ベイカー以外の歌手が歌う”J’ai Deux Amours(二つの愛)”は2004年リリースのアルバム「Careless Love」のMadeleine Peyroux(マデリン・ペルー)以外は私は聴いたことがありませんでしたが、2004年にMcCoy Tyner(マッコイ・タイナー)のブルーノート公演のために来日したこともあるジャズ歌手のDee Dee Bridgewater(ディー・ディー・ブリッジウォーター)はフランスで長く活動していて、Charles Aaznavour(シャルル・アズナヴール)とTVドラマで共演したこともあるのだそうです。 そのディー・ディー・ブリッジウォーターが2005年にリリースしたジョセフィン・ベイカーへのトリビュート・アルバム「J’ai Deux Amours」では、最初の曲が”二つの愛”でフランス語で歌っているそうです。 このアルバムではCharles Trenet(シャルル・トレネ)のLa Mer(ラ・メール)や当時話題を振りまいた1946年の失恋のボサノヴァでPatricia Kaas(パトリシア・カース)も歌っている「Que reste-t-il de nos amours?(愛の名残り又は残されし恋には)」もカバーしています。 1963年にChris Connor(クリス・コナー)も歌ったという”Que reste-t-il de nos amours?”の英語版の”I Wish You Love”は2005年のロマコメ映画「Prime」のサントラでRachael Yamagata(レイチェル・ヤマガタ)も歌っていますが、1959年の映画「Un Témoin Dans La Ville(彼奴を殺せ/きやつをけせ)」のオリジナル・サウンドトラックでBarney Wilen(バルネ・ウィラン)がカバーしています。

Two Loves Have I by Nat King Cole
1940年代にアメリカのジャズシンガーのNat King Cole(ナット・キング・コール)がジョセフィン・ベイカーの「二つの愛」を「Two Loves Have I 」という英語バージョンで発表してヒットしたので米国ではナット・キング・コールの方が知られています。

Josephine Baker – J’ai deux amours (1930) – YouTube
Josephine Baker on TV (1950s) – J’ai deux amours – YouTube
Josephine Baker – Sous le Ciel d’Afrique (1935) – YouTube
Dancing Josephine Baker in Princess TamTam (1935) – YouTube
☆ 生前のジョセフィン・ベイカーの歌声と写真入りインタビューはJosephine Baker – one of the great performers of all time – a 1970 interview with Radio Prague’s Olga Szantova – Radio Prague(Listen: RealAudioをクリック、1970年のプラハのラジオ放送)
☆WFMUラジオ・ショーのプレイ・リストで下から6番目のジョセフィン・ベイカーの”Voulez-Vous de la Canne a Sucre”が聴けるPlaylist for Inner Ear Detour with David – September 11, 2003(Listen to this show (RealAudio)をクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を2:41:24に合わせる)

Josephine Baker
Josephine Baker herself

Black Thunder, Joséphine Baker Art Poster Print by Paul Colin
ジョセフィン・ベイカーはミュージックホールや映画のポスターを数多く製作した仏アールデコ時代の画家であるPaul Colin(ポール・コラン又はコリン)によってポスターに描かれたことでも知られています。 ポール・コランはポスターだけでなく、舞台美術や衣装のデザインも手掛けていました。
☆ “Black Thunder”などポール・コラン(1892年~1985年)の有名なポスターはPaul Colin Posters – Art.com
Paul Colin : Joséphine Baker et la revue nègre – Dailymotion

Zouzou et Siren of the Tropics
1934年にMarc Allegret(マルク・アレグレ)がジョセフィン・ベーカーが出演した映画「Zou Zou(裸の女王)」を監督しました。 マルク・アレグレは、琥珀の舞姫「ジョセフィン・ベイカー」主演の映画で幻のサイレント・フィルムといわれる「La Sirène des Tropiques(南海の女王)」も1927年に製作しているそうですが、次の1934年の「はだかの女王」と1935年の「Princesse Tam Tam」の3本はヨーロッパだけでヒットしたのだそうです。 これがパリ郊外の古文書館に埋蔵されているのだとか。
ジョセフィン・ベイカーが初めて出演したトーキー映画「はだかの女王」では回転木馬も設置されたお祭りの見せ物小屋で旅回りのサーカス団長から黒人少女のズーズーと白人少年のジャンが色違いの双子として紹介されるシーンから始まります。 ジャンはズーズーを妹として扱いますがズーズーは慕っています。 老団長に育てられた孤児の二人は成長してジャンは水兵となります。 やがて水兵たちがボートで港に到着すると知らされたズーズーは迎えに行きますが、乗っていませんでした。がっかりして戻ったズーズーの元に海を泳いでたどり着いたびしょ濡れのジャンが訪ねてきたのです。(左腕に女の刺青なんかして) 団長と孤児の二人はパリに行きズーズーは劇場出入りの洗濯屋で働き、水兵を止めたジャンは新聞広告で劇場の照明係として働く事に。 そのジャンに心ならずも同僚のクレアを紹介してしまったズーズーでした。 そうこうする内に二人の育て親のパパ(団長)が亡くなりました。 動転したズーズーは雨のなかジャンを探して歩くと銃撃殺人を目撃します。(犯人の顔も間近で見た) 現場にいたジャンは警官にしょっぴかれてしまいます。
踊り子の楽屋での悪戯から幕裏で踊っているところをプロデューサに見られレビューに抜擢されたズーズーは気が進まなかった華やかな舞台に出演して金の籠の中のブランコに揺られながらジャンに届けとばかりに”Haiti(ハイチ)”を歌うのでした。(レビューは幕開けのお洒落な絹の巨大ベッドから水が流れる滝階段ショーまで豪華絢爛) なぜなら殺人罪に問われたジャンを助ける弁護士費用をなんとかしようとしたのです。お金、お金。 しかし新聞のニュース蘭で銀行強盗としてあの殺人事件の犯人の顔を見てレビューを放って警察に駆け込んだのです。(4本指が決め手) ジャンは無罪放免となり、喜び勇んで刑務所に駆けつけたズーズーでしたが先に来ていたクレアとジャンの睦まじい様子を見てしまい、ジャンへの恋慕を断ち切って華麗なショーの世界で生きていくことにします。 ズーズーの歌う”Haiti” で終わる映画「はだかの女王」は泣ける悲恋物語でした。
ジョセフィン・ベイカーはリオデジャネイロの恋人の元に去った劇場の花形バルバラの代わりに主演したレビューで”Haiti”を歌った他に、劇中でズーズーが洗濯物を届けた劇場のスターであるバルバラが歌った”C’est Lui (Pour Moi Il n’y a q’un Homme a Paris)”もショーのラストシーンで歌います。
☆ ちなみにズーズーを演じたジョセフィン・ベイカーの独特な仕草(オーバージェスチャー)は後のフランス女優のDany Saval(ダニー・サヴァル)が初期の映画で受け継いでいるようです。
Joséphine Baker – Haiti in the film, “Zouzou” (1934) – YouTube
Dancing Joséphine Baker in La Sirène des Tropiques – YouTube
Joséphine Baker – Princess Tam Tam – YouTube

ジョセフィン・ベーカー本人が出演しているZou Zou(はだかの女王)の(フランス語版)VHSビデオ
Zou ZouZou Zou / Kino Video
アメリカのAmazon.comでは2005年にジャン・ギャバンとジョセフィン・ベイカーがDVDカバー画像になっている「Zou Zou (Zouzou) (1934)」のDVD(ASIN: B0009CTTYM)がリリースされています。
「Zou Zou」はまだ無名のJean Gabin(ジャン・ギャバン)と共演した1934年の貴重な白黒映画です。
俳優になる前はシャンソンを歌っていたジャン・ギャバンは、ミュージック・ホールなどでジョセフィン・ベイカーとは顔なじみだったそうで、映画「Zou Zou」の中でもズーズーがテーブルクロスにジャンの名前を書いて待っている間、ズーズーに紹介された女の子と踊りながら”Viens Vivine(Viens Fifine)”を歌います。(ビヤン・ヴィヴィンヌ)
Zouzouとはジョセフィン・ベイカーの呼び名ですが、フランスでは「仏植民地のアルジェリア歩兵への蔑称」でもあるとか。

Listenジャン・ギャバンというと「Pépé le Moko(望郷)」、Francoise Arnoul(フランソワーズ・アルヌール)と共演した「Des gens sans importance(ヘッドライト)」、「Touchez Pas Au Grisbi(現金に手を出すな)」などフィルム・ノワールの渋い演技が目に浮かびますが、ジャン・ギャバンがシャンソン歌手である証拠にギャバンが歌う”Maintenant Je Sais”を聴いてみて下さい。
☆ ちなみに「望郷」でぺぺが自害するきっかけとも言えるパリの香りを運んできた観光客の女性ギャビーを演じたMireille Balin(ミレーユ・バラン)は第二次世界大戦中にドイツ兵と恋に落ち投獄されて悲惨な生活を送ったそうです。

ジョセフィン・ベイカーの生誕100年記念にリリースされた1953年のジョセフィン・ベイカーの”J’ai Deux Amours”をはじめ”Pretty Little Baby”や”Dans Mon Village”など全27曲が収録されているベスト盤です。
Centenary Tribute Josephine BakerA Centenary Tribute: Songs from 1930-1953 Josephine Baker / Golden Stars
♪ 試聴はA Centenary Tribute – Cancioneros.com

2003年に発売されたジョセフィン・ベイカーの”J’ai Deux Amours”他定番曲の”Pretty Little Baby(かわいいベイビー)”や”Easy to Love(恋のときめき)”、”Besame Mucho(もっとキスして)”、”I’ve Got You Under My Skin(あなたはしっかり私のもの)”などスタンダード曲のカバーを15曲を収録したベスト盤です。
The Black Pearl Josephine BakerThe Black Pearl
Josephine Baker – Pretty Little Baby – YouTube

1996年に発売されたジョセフィン・ベイカーの12曲が収録されているCDです。
Golden Stars Josephine BakerJ’ai Deux Amours Josephine Baker / Golden Stars
♪ 現在は入手困難になっていますが試聴は類似したJ’ai Deux Amours – Cede.ch/de

サウンドトラックから”ハイチ”(はだかの女王)やジャン・ギャバンが歌う「我等の仲間」のテーマ曲である”水の畔を歩いていると”はアルバム「オリジナル盤による戦前欧羅巴映画主題歌集
♪ 試聴はオリジナル盤による戦前欧羅巴映画主題歌集

Chasing a Rainbow: The Life of Joséphine Baker (1986)
1927年の渡仏から68歳で亡くなるまでを追ったジョセフィン・ベイカーのドキュメンタリーがChristopher Ralling監督によって1986年に制作されていますがメディア(ビデオなど)は見つかりません。
1968年にパリのオリンピア劇場に出演した後、1975年にフランスの若者(ソフィア・ローレンは別としてアラン・ドロン、ミレーユ・ダルクなど)がレビューを再認識したというジョセフィン・ベイカーの芸能生活50周年を記念するBobino劇場での初演後に脳溢血に見舞われて亡くなりました。 色とりどりの花で飾られた葬列の車、沿道にはフランス人ではないセントルイス出身のジョセフィン・ベイカーの死を悼む弔問の列。車からジョセフィン・ベイカーの遺体を収めた棺が運ばれて行く。(この葬儀を取り仕切ったのは早くから手を差し伸べていたモナコ王妃のグレース・ケリーだったとか)
ここからはジョセフィン・ベイカーの生い立ちが描写される。子供の頃の写真を見てもいかにジョセフィン・ベイカーの目玉が大きかったかが分かる。故国での南部の人種主義者達が参加したKu Klux Klan aka KKK (クー・クラックス・クラン団)の恐怖、貧しいながらも音楽とダンスに興じる黒人たちの映像。(ジャイヴか後にハーレムで流行ったLindy HopやJitterbugの元) フィラデルフィアのMinstrel Show(ミンストレル・ショー)からジャズ・エイジのローリング・トゥエンティのチャールストン旋風が吹き荒れるニューヨークはハーレムのコットン・クラブやサヴォイでのジョセフィン・ベイカー、とびっきりの美人じゃないけど魅惑的な動物のようなコミカルなエンターテイナー。 男性ダンサーそののけのエネルギシュなダンスで聴衆を虜にします。 レビュー・ネグロ舞踏団に参加して活躍の場を花の都パリに移したジョセフィン・ベイカーは舞台衣装といえるかどうか、長い手脚にバナナの腰ミノ姿でジャングル・ムードの音楽に合わせて究極の腰振りダンス、すぐにパリのミュージック・ホール界でブームとなりますが、ここでも第二次世界大戦が勃発、ジョセフィン・ベイカーはレジスタンスに参加したとも伝えられています。(パリ、北アフリカ、カサブランカ…マタハリ?) ここら辺で例の代表曲となった”J’ai deux amoures(二つの愛)”が一世を風靡しました。 しかし1920年代当時にショーの世界で絶大なる人気を保持していたレヴューの女王(ミュージックホールの女王)と呼ばれた脚線美の持ち主だったMistinguett(ミスタンゲット)にとってはが既に人生の折り返し地点にいたこともあり、異国からの若い、しかも黒人によるセンセーションは大いなる脅威でジョセフィン・ベイカーに好意は持っていなかったようです。(ジャン・ギャバンと共演したこともある) このビデオの中盤には10年ほどミスタンゲットの恋人だった寄席芸人のMaurice Chevalier(モーリス・シュバリエ)のメッセージ映像もあります。(第一次世界大戦で捕虜となりドイツの捕虜収容所に収容された) フランスでの名声がありながら1936年に帰国して参加したブロドウエイ・ミュージカルの「Ziegfeld Follies(ジークフリート・フォーリーズ)」ではジョセフィン・ベイカーのダンスが入れられていたのですが公演では白人ストリッパーのGypsy Rose Lee(ジプシー・ローズ)と替えられてしまいました。 ビデオには1951年にジョセフィン・ベイカーが人種差別で入店拒否されたニューヨークのStork Club(ストーク・クラブ)事件についても言及しています。(居合わせたグレース・ケリーが助っ人に出たとか) 当時のナイトクラブには黒人が出演していますが客は白人限定でした。
Baker’s Rainbow Tribe
ドキュメンタリーのタイトルとなっている「Chasing a Rainbow」は虹を追いかけるという意味ですが、祖国アメリカでの人種差別を嫌ったジョセフィン・ベイカーが1950年代の公民権運動を支援した頃に人種の違う12人の孤児を養子として正に虹色家族を作り上げたことからきているのでしょう。 ドルドーニュの古城を借り受けて4人目の夫と12人の養子たちと住んでいましたが、夫の不祥事で城を追われグレース・ケリーに誘われてモナコに居を構えたとか。 孤児たちは温々と育てられたせいが自立が遅かったそうですが、後にある養子は当時を顧みて、「観光客がまるで動物園を観るように訪れるのは嫌だった」と語っています。 12人かと思ったら13人だったのか、日本人が書いた「孤児たちの城―ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人」という書籍があります。 ビデオは大盛況だったジョセフィン・ベイカーの最後の舞台映像に続いて葬列の映像で終わります。 エンディング・クレジットでは1931年にボクシング・リング内に座って”J’ai Deux Amours”を歌うイヴニングドレス姿のジョセフィン・ベイカーの映像がかぶります。

☆ 1991年にLynn Whitfield(リン・ウィットフィールド)がジョセフィン・ベイカーに扮した伝記映画はAudio-Visual Trivia内の「裸の女王 ジョセフィン・ベイカー・ストーリー

ジョセフィン・ベイカー 二つの愛 Josephine Baker sings J’ai Deux Amours」への2件のフィードバック

  1. コメント&トラバ相互どうも有難う御座いました。
    フランスでヒットしているFANIAバージョンを聞いて、懐かしくなってベイカー嬢のオリジナルの話にも触れたのですが、此方がとても詳しく書かれていて中途半端に紹介するより、是非皆さんに此方の記事を読んで欲しかったのでトラバ張らせて頂きました。
    だけどトラバは「張った側から此方に飛んで貰えない」のがネック・・・相互頂けてとても嬉しいです。
    是非他の記事も続けて読みたかったのでリンクしたかったのだけど・・・サイトが違うので簡単リンクが使えなかった為、トラバ記事から直接来られる状態になったのが非常に嬉しいです。

  2. koukinobaaba より:

    Lyrique☆さん、私もそういった経験がありますが、何しろ「勝手にトラバ」なので相互にならないケースもありますね。今後とも宜しくお願いします。

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