ウィリアム・ホールデン クリスマス・ツリー L’arbre de Noel (1968)

Lisi, Brook and Holden in christmas_tree
Virna Lisi, Brook Fuller as Pascal, and Bill Holden

L’arbre de Noël (1968)

クリスマス・ツリー
‘Bataille est un des écrivains les plus importants de son siècle’ par Michel Foucault
このフランス映画の英語タイトルは”「Christmas Tree」でビデオのタイトルが「When Wolves Cry」というそうです。 フロイトやニーチェに思想的な影響を受けてフーコーなどに影響を与えたフランスの作家であるMichel Bataille(ミシェル・バタイユ)の原作をTerence Young(テレンス・ヤング)が脚本及び監督して映画化した美しくも悲しいホームドラマです。 テレンス・ヤングは1960年にJayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)主演の「Too Hot to Handle(地獄の罠)」、1963年の「From Russia with Love(007 ロシアより愛をこめて)」と1965年の「Thunderball(007/サンダーボール作戦)」というジェームス・ボンド映画、同じくショーン・コネリー主演で1971年に「Soleil Rouge(レッド・サン)」などたくさんの映画を監督している上海生まれの英国人です。
この時には50歳になっていたアメリカの俳優のWilliam Holden(ウィリアム・ホールデン)が珍しくホームドラマで父親役を演じていてフランス語をしゃべります。(吹き替えかも) 父親のガールフレンド役はイタリア女優のVirna Lisi(ヴィルナ・リージ)です。 主人公の悲運の少年パスカルにはBrook Fuller(ブルック・フラー)ですが主だった映画出演はこの「クリスマス・ツリー」だけのようです。 おまけは1971年の「Hellé(花のようなエレ)」の後の1972年に「Ultimo tango a Parigi(ラストタンゴ・イン・パリ)」でMarlon Brando(マーロン・ブランド)の相手役を務め、バター事件で話題となったMaria Schneider(マリア・シュナイダー)が純真な青年ファブリスを誘惑するニコル役でチラッと顔見世しています。 マリア・シュナイダーはフランス俳優のDaniel Gélin(ダニエル・ジェラン)とパートナーとの娘ですが乳がんで闘病後2011年2月に58歳で亡くなりました。

この「クリスマス・ツリー」は幻想的なファンタジーとしてクリスマスを題材にしてはいますが現実的な核実験をテーマに反核メッセージを含んでいるそうです。

放射能を浴びたことにより白血病(血液の癌)に犯された余命幾許もない少年の願いは、「オオカミが欲しい」と「クリスマスまで生きていたい」でした。 妻に先立たれた父親が今は最愛の息子を失おうとしています。 もう富も名声も無用のものとなり、息子が宣告された半年の命の最後の日まで子供の願いを全て叶えようと奔走します。 パリの動物園から盗み出した一組のオオカミ(アダムとイヴ)がクリスマス・イヴに天に召された不治の病の子供に寄り添っていたとはまさしく”ファンタジー”です。 狼の遠吠えに急いで部屋に入った父親ですが、少年は大きなクリスマスツリーの下に眠るように横たわって息絶えていました。 傍らには半開きのプレゼント、”Bonne Chance(GOOD LUCK)”の文字”幸せにね”を見てひとしお涙にくれる父親でした。 悲しみは別として、私が思い出すシーンは少年たちが川で獲ったザリガニの山、茹でて皮が真っ赤になったのを食べたらさぞかし美味しいのでしょう。 それにしても私の疑問は爆発時に水中にいた父親は放射能を浴びなかったと解釈するのはどうなんでしょう。 そして普通の人が動物園から動物を盗み出せるのでしょうか。

映画「クリスマス・ツリー」では毎年の恒例で避暑として訪れた地中海西部のコルシカ島(仏領コルス)の沖合いで核搭載軍用機が空中爆破したためボート上で被爆した少年という設定ですが、父親は海中にいたので無事だったとは実に”ファンタジー”です。(なぜなら、父親は少年が乗っているボートにすぐ泳ぎ着いていてパラシュートが付いた核弾頭が水面に落ちたのはその後のことだと思ったので)
日本では第二次世界大戦の広島と長崎の悲劇も覚めやらぬ1954年のこと、戦後にアメリカが占領したマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験が行われました。 当時危険水域外で操業していたにも関わらず米国側の水爆威力の計算ミスから日本のマグロ漁船「第五福竜丸」をはじめ多くの漁船が”死の灰”を浴びました。 第五福竜丸の乗組員全員が被爆し無線長の久保山愛吉さんが亡くなったのです。 当時テレビのニュースで搬送される痛ましい久保山さんを見た私にとって被爆を大変身近に感じた映像でした。 昭和29年3月16日のこと、この事件により築地市場に放射能を浴びた”原爆マグロ”は当時の話題となり、さらに反核運動が広がっていったのでした。 およそ2トンの原爆マグロ(他種も含む)は築地市場内のどこかに埋められ消息不明となったそうです。 この事実は1959年にAlain Resnais(アラン・レネ)が監督した「二十四時間の情事/ヒロシマモナムール(Hiroshima mon amour)」でも描写されています。(岡田英次とエマニュエル・リヴァが出演した「二十四時間の情事」のDVDは2009年に発売のASIN: B001O8OR7Y)
※ウィキペディアの「第五福竜丸」に当時の写真が載っています。

L’arbre de Noel DVD
クリスマス・ツリー DVD
2012年に発売された原語はフランス語で日本語字幕のDVDです。

The Christmas Tree (L’arbre de Noël) VHS  クリスマス・ツリー [VHS]
画像は共にVHSで左の画像が2001年販売の輸入版の「The Christmas Tree」というタイトルで、右が1995年販売の日本語版です。
映画「クリスマス・ツリー」はトレーラーはもとより、映画情報も現在は余り見つかりません。
アメリカのAmazon.comには「Christmas Tree (aka – When Wolves Cry)」というNTSCフォーマットのビデオがあるそうです。

「クリスマス・ツリー」のフランス語のタイトル”L’arbre de Noël”ですがその”Noel”とはクリスマスのことです。 ”Noel”といえば2005年に第一次世界大戦時のクリスマスイヴに起きた実話をもとにしたChristian Carion(クリスチャン・カリオン)監督の「Joyeux Noël(戦場のアリア)」というヨーロッパ映画がありましたが、2004年にはSusan Sarandon(スーザン・サランドン)やPenélope Cruz(ペネロペ・クルス)が出演したニューヨークを舞台にクリスマス・イヴの奇跡を描いた「Noel(ノエル)」が公開されたそうです。

L’arbre de Noel Soundtrack by Georges Auric
「クリスマス・ツリー」の音楽は1953年の「Roman Holiday(ローマの休日)」をはじめ、たくさんの映画音楽を手掛けてきたフランスのGeorges Auric(ジョルジュ・オーリック)が作曲した最後の作品ですが、ギタリストのNarciso Yepes(ナルシソ・イエペス)が演奏する”Romance des Jeux Interdits(禁じられた遊びのテーマ)”が使用されています。 この曲は1941年の「ギルダ」のRita Hayworth(リタ・ヘイワース)主演の映画「Blood and Sand(血と砂)」で闘牛士が愛する人の窓辺で楽団に歌わせた曲として使用されているVicente Gómez(ヴィンセンテ・ゴメス)が書いた”Serenade – Romance de amor”をナルシソ・イエペスがアレンジした曲らしいです。 可愛いBrigitte Fossey(ブリジット・フォッセー)とGeorges Poujouly(ジョルジュ・プージュリー)が主演したRene Clement(ルネ・クレマン)監督の1951年の「Jeux interdits(禁じられた遊び)」もやはり反戦のメッセージを静かに伝えた映画でした。
クラシックギターのナルシソ・イエペスが演奏する”Romance des Jeux Interdits(禁じられた遊びのテーマ)”は初心者用ギター教本には必ず入っているほど良く知られたスペイン民謡です。

ジョルジュ・オーリックが手掛けた映画音楽には1949年のJean Cocteau(ジャン・コクトー)の「Orphee(オルフェ)」(1949) 、Gina Lollobrigida(ジーナ・ロロブリジーダ)が出演した「夜ごとの美女」(1952)や「ノートルダムのせむし男」(1956) 、フランソワーズ・サガンの小説を映画化した「悲しみよこんにちは」(1958)、Brigitte Bardot(ブリジッド・バルドー)の「月夜の宝石」(1958)などたくさんあります。

L’Arbre De Noel Books
「L’Arbre De Noel」としてはMichel Bataille著、1986年ペーパーバッック本(フランス語版)「L’arbre de Noël」(ISBN-10: 2266017500)がアメリカのAmazon.comで見つかります。

Golden Boy (Hardcover)  Complete Films of William Holden

Golden Boy: The Untold Story of William Holden and Complete Films of William Holden
☆上記の画像は初版が1983年にBob Thomas(ボブ・トーマス)が著した英語のハードカバー本「Golden Boy: The Untold Story of William Holden」と1986年に出版されたLawrence J. Quirk(ローレンス・カーク)著の「Complete Films of William Holden」で1974年版は「The Films of William Holden」です。 ゴールデン・ボーイと呼ばれたウィリアム・ホールデンの銀幕でのスター像と、晩年はヘビースモーカーのため肺がんという病魔に侵され、1960年代の酒酔い運転の人身事故がよけいアルコールの依存に発破をかけた人生失格者の両面を描いた伝記的な出版物だそうです。


William Holden (1918 – 1981)
「クリスマス・ツリー」で主演したウィリアム・ホールデンは長い下積み生活の後、1950年にハリウッドの内情を描いたミステリー「Sunset Blvd.(サンセット大通り)」で”若いツバメ”生活を送る売れない脚本家を演じアカデミーの主演候補なりました。 「サンセット大通り」は元監督元夫で現執事を演じたErich von Stroheim(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)が1929年に監督したサイレント映画「Queen Kelly(クィーン・ケリー)」のパロディみたいでした。 ウィリアム・ホールデンは1952年に「I Love Lucy(アイ・ラブ・ルーシー!)」のシーズン2にも登場したようにコメディやロマンス映画から戦争映画まで多岐にわたるジャンルを天性の器用さで軽々と演じたハリウッド俳優でした。

この後も1953年の「Stalag 17(第十七捕虜収容所)」で主演賞を受賞した他、1954年には朝鮮戦争を舞台にした「The Bridges at Toko-Ri(トコリの橋)」と「Green Mansions(緑の館)」のAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)と共演した「Sabrina(麗しのサブリナ)」があります。 Victor Young(ヴィクター・ヤング)が音楽を手掛け、「Going Hollywood(虹の都へ)」のBing Crosby(ビング・クロスビー)がアカデミーの主演男優賞にノミネートされ、「The Bridges at Toko-ri(トコリの橋)」でも共演した後にモナコ王妃となったGrace Kelly(グレイス・ケリー)が主演女優賞を獲得した「The Country Girl(喝采)」では舞台脚本家を演じました。 1955年にはデヴィッド・リーン監督の「Love Is a Many-Splendored Thing(慕情)」や1957年の「The Bridge on the River Kwai(戦争にかける橋)」と好演が続き、キム・ノヴァクとの「Picnic(ピクニック)」など大物ハリウッドスターとして邁進しました。 ウィリアム・ホールデンは「第十七捕虜収容所」と同じ年の1953年に「Les Menteurs(激しい夜)」のDawn Addams(ドーン・アダムス)と「Bonjour Tristesse(悲しみよこんにちは)」のDavid Niven(デヴィッド・ニーヴン)が恋愛好きな親子の役で出演した「The Moon is Blue(月蒼くして)」があります。 「第十七捕虜収容所」と同じくOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督した軽いラブコメでウィリアム・ホールデンはセクシーな女と純真な女性との狭間で悩む建築家の役です。 ちなみにオーストリア出身のユダヤ人でナチスの手を逃れてハリウッドで活躍したオットー・プレミンジャーは監督の前には役者だったそうで、Billy Wilder(ビリー・ワイルダー)が監督した「第十七捕虜収容所」には同郷のよしみでかドイツ人の冷酷な収容所所長役で出演しています。
ホールデンは若い頃にはまどろむような魅力的な目と割れたアゴの端正なマスクとセクシーなマッチョ・ボディで人気がありましたが、後年は年相応にロマンスグレー役に転じ、渋い演技をみせて活躍していました。 共演したオードリー・ヘプバーンやグレイス・ケリーなどとも浮名を流したと報道されたホールデンでしたが1962年に「Lion(ライオン)」で共演した美人女優のCapucine(キャプシーヌ)との不倫により離婚に至ったそうです。 憧れのオードリー・ヘプバーンとの恋は成就しなかったウィリアム・ホールデンは1981年にBlake Edwards(ブレイク・エドワーズ)が監督したハリウッド風刺映画「S.O.B. 」を最後の映画出演とし、その後63歳で亡くなるまではずっとアフリカの野生保護活動を女優のStefanie Powers(ステファニー・パワーズ)と続けていたとか。 キャプシーヌはデヴィッド・ニーヴンも出演した「The Pink Panther(ピンクの豹)」でクルーゾー警部の妻を演じたり、「レッド・サン」では娼婦館のマダムを演じていました。 ナスタチウムの花という名前のキャプシーヌは長く交際のあった「欲望という名の電車」などのプロデューサーだったチャールズ・K・フェルドマンとはホールデンとの一件で終わりましたがフェルドマンは遺産を残したそうです。 62歳のキャプシーヌは28年間住んだスイスのアパートの8階から飛び降り自殺を遂げました。
ちなみに「戦争にかける橋」で連合軍に爆破された木製のクウェー川橋(クワイ川鉄橋)は戦後に修復されて鉄製になったとか。

私が好きなウィリアム・ホールデンの映画
1950年 Sunset Blvd.(サンセット大通り)
「サンセット大通り」は「Breakfast at Tiffany’s(ティファニーで朝食を)」でオードリー・ヘプバーンも手にしていたような長いシガレットホルダーを手にしたGloria Swanson(グロリア・スワンソン)とErich von Stroheim(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)の異色キャストが出演したBilly Wilder(ビリー・ワイルダー)の話題作です。 Montgomery Clift(モンゴメリー・クリフト)の代わりにウィリアム・ホールデンが作家役を演じて初のアカデミーの主演候補となり注目を浴びた作品でもあります。 最初のシーンは豪邸の女主人の愛人(ホールデン)がプールに浮かぶ溺死死体シーンで度肝を抜かされますが、その後のストーリーはその売れない脚本家を演じるウィリアム・ホールデンのナレーションで展開します。「アダムスファミリー」のモーレシアみたいなグロリア・スワンソンが演じる昔大女優のラストシーンは鬼気迫る演技でアカデミーの主演女優賞にノミネートされました。 ビリー・ワイルダー監督といえば私が初めて劇場で観た映画は1959年の「お熱いのがお好き」でした。

1954年 Sabrina(麗しのサブリナ)
この作品は「サンセット大通り」や「お熱いのがお好き」のビリー・ワイルダーが監督したロマコメですが、ウィリアム・ホールデンが演じたブルジョワのプレイボーイ役は「サンセット大通り」ほどはインパクトはありません。 オードリー・ヘプバーンや「脱出」のHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)と共演したウィリアム・ホールデンが演じるハンサムなお屋敷の坊ちゃんはお屋敷のお抱え運転手の娘(オードリー・ヘプバーン)の憧れの君だったのです。
共演したオードリー・ヘプバーンにお熱になったウィリアム・ホールデンはこの作品の後、1963年にもリチャード・クワイン監督の「Paris – When It Sizzles(パリで一緒に)」でオードリー・ヘプバーンと共演していますが、Mel Ferrer(メル・ファーラー)と婚姻中のオードリーは全くその気が無かったとか。

1954年 The Country Girl(喝采)
1947年に「三十四丁目の奇蹟」を監督したGeorge Seaton(ジョージ・シートン)の1947年のヒューマンドラマが「喝采」です。 1954年に「ホワイト・クリスマス」に出演したビング・クロスビーが自分の過ちから子供を亡くした俳優を演じ、ウィリアム・ホールデンは失意の彼をカムバックさせる演出家役で出演し、後にモナコ王妃になったGrace Kelly(グレイス・ケリー)が今までのお嬢様役から脱皮した演技でアカデミー主演女優賞を獲得した作品です。 私が観た映画の中では同年1954年のAlfred Hitchcock(ヒッチコック)監督の「Rear Window(裏窓)」や「To Catch a Thief(泥棒成金)」と1956年の「High Society(上流社会)」などはグレイス・ケリーが美しく輝いていた頂点のように思えました。
「喝采」の音楽は1945年のLove Letters(ラヴレター)の作曲や1952年のアカデミー受賞映画の「地上最大のショウ」など多くの映画音楽を手がけたVictor Young(ヴィクター・ヤング)です。 「喝采」では主役のビング・クロスビーがHarold Arlen & Ira Gershwin(ハロルド・アレンとアイラ・ガーシュイン)の曲を数曲歌ったとIMDbのデータベースに書いてありましたが私はどんな曲だったか覚えていません。

1955年 Love Is a Many-Splendored Thing(慕情)
終戦後、イギリス統治下の香港を舞台にした悲恋物語で、この映画でもマッチョなウィリアム・ホールデンはJennifer Jones(ジェニファー・ジョーンズ)と共演して映画史上忘れえぬラヴシーンを演じています。 「慕情」ではエキゾチックなチャイナドレス(支那服)姿で中国人の混血女医を演じ妻帯者の特派員(ホールデン)と恋をしたジェニファー・ジョーンズは1945年の”Love Letters(ラヴレター)”や1953年のStazione Termini(終着駅)」などのロマンス映画で名を馳せ、セレブご用達のHarry Winston(ハリー・ウィンストン)の宝飾品を最初に身に着けた女優とも言われました。(ジェニファー・ジョーンズは2009年に90歳で逝去)
「慕情」では映画音楽の巨匠と呼ばれるAlfred Newman(アルフレッド・ニューマン)が音楽を担当しましたが、1954年にDoris Dayドリス・デイが歌った”Secret Love”でオスカーを受賞したSammy Fain(サミー・フェイン)が作曲し、長年のコラボレーターであるPaul Francis Webster(ポール・フランシス・ウェブスター)が作詞したテーマ曲の”慕情(恋ははかなく、恋はすばらしきもの)”が大ヒットしてこちらもオスカーを受賞しました。
美しいラブソングの”慕情”はNat King Cole(ナット・キング・コール)やAndy Williams(アンディ・ウィリアムス)など多くの歌手が歌って人気の曲ですが極めつけはClifford Brown & Max Roach Quintet(クリフォード・ブラウンとマックス・ローチ)の演奏でしょうか。 トランペットのClifford Brown(クリフォード・ブラウン)の1956年の録音で”Love Is a Many Splendored Thing”が収録されているアルバムは「At Basin Street(アット・ベイズン・ストリート+8 (紙ジャケット仕様) )」があります。(試聴はTower Records) テナー・サックス奏者のSonny Rollins(ソニー・ロリンズ)のデビュー盤だそうです。

1955年 Picnic(ピクニック)
マッチョなウィリアム・ホールデンの最も魅力的なキャラクターは「めまい」のKim Novak(キム・ノヴァク)と共演した「ピクニック」での流れ者役です。 当時37歳とはいえムンムンするほどセックス・アピールがあり、二人で”Moonglow”の曲に合わせて踊るピクニックのシーンの特にダンスの動きが止まる瞬間のポーズ(静止)はこちらの胸も止まりそうにセクシーでした。 この気乗りのしないシーンのために高額な追加ギャラを要求していやいや承諾したホールデンのダンスとは思えません。 実際、ウィリアム・ホールデンの酔っぱらいダンスは「ボビー・ダーリン」と「9月になれば」で共演したロック・ハドソンのダンスよりいけてますね。 ちなみにヒロインをデートに誘うボンバー役は1959年のTVシリーズ「The Rebel(西部の反逆児)」のジョニー・ユマを演じたNick Adams(ニック・アダムス)でした。
Dancing William Holden and Kim Novak (from Picnic, 1955) – YouTube

キム・ノヴァクが演じたMadge(マッジ)はキムが「媚薬」で共演した「地下街の住人」のJanice Rule(ジャニス・ルール)主演の1953年ブロードウェイ喜劇「Picnick」でのMadge Owensがモデルだそうです。 常日頃「美しい!」と言われうんざりしていたマッジは野性的な流れ者の魅力に惹きつけられます。 「分かってるだろ、お前は俺を愛してるんだ!」と叫んで列車に飛び乗って去った流れ者を追うマッジでした。
当時は敬遠されていたからと胸毛を剃った上半身ムキムキのウィリアム・ホールデンが観られるピクニックのトレーラーはPicnic Trailer – VideoDetective
Picnic: Music From The Soundtrack Of The Columbia Picture(試聴可)
「ピクニック」の音楽はGeorge Duning(ジョージ・ダニング)ですが、Moonglow And Theme From “Picnic”(ムーングロー/ピクニックのテーマ)はMorris Stoloff(モリス・ストロフ)が演奏して1956年に大ヒットしています。 トーキー映画の到来によりクラシックを取り入れた映画音楽を提供したモリス・ストロフが「ピクニック」で音楽を手掛けた時期はコロンビア映画専属の音楽監督で、アカデミー賞では最多のノミネートを誇りましたがなんといっても”Moonglow with the love theme from the movie Picnic”が代表作です。

ホールデンのマッチョぶりを強調したカバーの特典付き2006年版ピクニック [DVD]あり。

どうです? Jayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)並にお腹をへっこましたウィリアム・ホールデンのマッチョぶりは。
Morris Stoloff – Moonglow (1956) – YouTube

1956年 The Proud and Profane(誇りと冒涜)
「喝采」のGeorge Seaton(ジョージ・シートン)監督がLucy Herndon Crockett(ルーシー・ハーンドン・クロケット)の世界大戦をテーマにした小説「The Magnificent Bastards」を映画化しVirgin Islands(ヴァージン諸島)で撮影されたという1943年の南太平洋を舞台にした白黒の戦争映画です。(ちなみに書籍とは無関係ですが小説のタイトルの”Magnificent Bastards”の意味にはスラングで生来慇懃無礼で無情、独善的な紳士気取りの態度をとる中流以上の男、又は自分が一番で女は劣ると思っている奴だとか) ウィリアム・ホールデンは「誇りと冒涜」ではノミネートだけで受賞できない最多記録保持者のスコットランド出身の女優Deborah Kerr(デボラ・カー)とThelma Ritter(セルマ・リッター)と共演しました。
上記の写真はコリン・ブラック大佐を演じたまるで別人のウィリアム・ホールデンです。
ホールデンが演じる海兵隊のコリン大佐は母親がモンタナのインディアンであるという設定なのでちょっと色黒で口髭を生やし苦虫を噛み潰したような顔、おまけにGI刈りなのでいつものウィリアム・ホールデンとは大いに違って見えますし、ストーリーでのキャラクターは往来で物乞いをしていた混血児だったというハンディを乗り越えて海兵隊でたたき上げて昇進してきた人物なので、赤十字をお涙頂戴ものとさげすみ、good Samaritan law(善きサマリア人の法)にも否定的な冷たいハードボイルドな性格となっています。 ウィリアム・ホールデンが演じる大佐は亡き夫の戦地”Guadalcanal(ガダルカナル)”に近いフランス領ニューカレドニアの米軍基地Noumea(ヌメア)に赤十字看護婦として赴任してきたデボラ・カーが演じる未亡人の水着姿に目が眩んだ大佐でした。 大佐は生前の婦人の夫を知っていると誘って近づきデートを重ねて果てには結婚することになりました。 心底では亡き夫を想っていた未亡人も異質な大佐の魅力に惹かれてしまい待てない事情もあっての結婚でしたが、なんと祖国に大佐のせいで酒に溺れた妻が存在していたのでした。 しかしそれを意図せぬ傷兵から聞き知った時には既に遅し、妊娠してしまった未亡人が絶望の挙句の崖から飛び降りるのを阻止しようとした大佐との小競り合いから頭を打ち流産もしてしまうという悲劇が起こります。
forGive me… forGive me…  愛とは奪うことではなく与えることなり。 I Can’t wait…
ロマンティックな音楽は「クリスマス・ツリー」同様にVictor Young(ヴィクター・ヤング)です。
「誇りと冒涜」の公開当時のアメリカではまだ人種差別が映画にも影響を及ぼしていたので、その名もコリン・ブラックという登場人物の肌の色が違う者の恋愛及び結婚と婚前交渉を扱っているためにホールデンの口髭問題どころではないモラル的な懸念が生まれてプロデューサーもすぐには見つからなかったという問題作でした。 「誇りと冒涜」はこれだけの大物俳優が出演しているのに内容が重かったからかDVDはおろかVHSも見つかりません。
まじまじと見てもやっぱりウィリアム・ホールデンには見えない「誇りと冒涜」に出演した軍服姿のウィリアム・ホールデンでした。
ガダルカナルとは1940年代初期の太平洋戦争で日本軍と連合軍が闘ったニュージーランドの東のソロモン諸島の島ですから、William Frederick Halsey, Jr.(ウィリアム・ハルゼー)のスローガンのように”Kill Jap!”とまでは言っていませんがウィリアム・ホールデンのセリフにもJap(日本)が登場します。(戦史上では数々の武勇伝を残した日本の1943年のガダルカナル撤退をもって第二次世界大戦の戦局悪化)

1960年 The World of Suzie Wong(スージー・ウォンの世界)
中国のタイトルで「蘇絲黃的世界」は「媚薬」や「女房の殺し方教えます」のRichard Quine(リチャード・クワイン)が監督したラヴストーリーです。 1958年に「Ice-Cold in Alex(恐怖の砂)」に出演した金髪の英国女優のSylvia Syms(シルヴィア・シムズ)もロバートに一目惚れした銀行家の娘のKay O’Neill役で出演しています。 香港出身のNancy Kwan(ナンシー・クワン)をヒロインに、「慕情」と同じく香港を舞台にしていますが少々趣の違う作品で、貫禄のある演技を見せたウィリアム・ホールデンが演じるのは画家ですが、映画館でこのウィリアム・ホールデンを観た時に「急に老けたな」と感じました。(もっとも相手役がとびっきり若いスージー・ウォンでしたが) ウィリアム・ホールデンが演じるロバートは設計の仕事に飽きて今度は画家に転向して新境地を開こうと香港に旅立ちます。 偶然宿泊した香港の売春宿で実業家の娘と思った中国美人のスージー・ウォンと再会しモデルとして雇うのですが当然お約束の恋に落ちます。 実はこのスージー・ウォンは売れっ子の売春婦でしたが、独占欲にかられた貧乏画家はこの売春婦の私生児を容認するも見受けは出来ずに悲劇が訪れます。 驚くことには、実際には客の粗暴な水兵に殴られた蘇西黄(スージー・ウォン)が唇をわざと噛んで血をもっと出し、それを恋人の画家のせいにして仲間に見せて自慢するシーンです。 実際に香港がそうなのかは不明ですが、”嫉妬した彼氏に殴られると愛されている証拠”だという風習だからだそうです。(DVじゃ無いの?) 公開当時に映画館で観た私にはあまりぐっとくるものはなかった映画でしたが、ナンシー・クワンの美貌と香港の街の描写がエキゾチックでした。 ナンシー・クワンは「スージー・ウォンの世界」の翌年、1961年にMiyoshi Umeki(ミヨシ梅木)も出演した「Flower Drum Song(フラワー・ドラム・ソング)」にも出演しました。
音楽は「ピクニック」のGeorge Duning(ジョージ・ダニング)でタイトル曲以外にヒロインをテーマにした”Suzie Wong Blues”や”Suzie Wong Mambo”などストーリーを追った楽曲です。
ジャズ調の”Suzie Wong Blues”など14曲を収録した「スージー・ウォンの世界」のサウンドトラックは「Ost: the World of Suzie Wong」(ASIN: B00CKTQ3VO)の他、「The World of Suzie Wong」 [Original Soundtrack](ASIN: B00004S6PV)
サントラの試聴は「THE WORLD OF SUZZIE WONG + THE EDDY DUCHIN STORY + PICNIC

Virna Lisi
「クリスマス・ツリー」で少年のパパの女友達を演じたヴィルナ・リージの写真や情報はネット上では少ないですが、唇端の艶ほくろが色っぽい金髪のイタリア女優です。 1962年に「死刑台のエレベーター」のJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)と共演した ジョセフ・ロージー監督の「EVA(エヴァの匂い)」や、アラン・ドロンと共演した1963年の「La tulipe noire(黒いチューリップ)」で日本でも知られるようになりました。
How to Murder Your Wife
2014年に78歳にして肺ガンで亡くなったヴィルナ・リージの代表作は「女房の殺し方教えます」! Richard Quine(リチャード・クワイン)監督の1965年のコメディ映画でJack Lemmon(ジャック・レモン)と共演したヴィルナ・リージは国際スターとなりましたが、このようなセクシーブロンド役しか与えなかったハリウッドに失望してイタリアに戻り、シリアスな映画に出演したそうです。 それにより予定されていたSF映画の「Barbarella(バーバレラ)」は最近では「Monster in law(ウエディング宣言)」でカムバック!と話題になったJane Fonda(ジェーン・フォンダ)が演じたのだとか。 30数年後の1994年、その仕返しとばかりにヴィルナ・リージは「La Reine Margot(王妃マルゴ)」では誰もがやりたくないような醜く淫乱の悪名高きCatherine of Medici(メディチ家のカトリーヌ王妃)を演じて カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞しています。 Queen Margot(王妃マルゴ)はアンリ四世と結婚したにも拘わらず実の兄弟を含み多くの浮名を流し、産まず女ゆえに王とは離婚しましたが最後には幽閉されたそうです。
How to Murder Your Wife (VHS) ASIN: 6301968824
ジャック・レモンが演じる完璧に楽しい生活を送っていた独身貴族の漫画家が友人のバチェラーバーティでヴィーナスの誕生もどきに出現したセクシーなパーティガールに一目ぼれします。 酔っ払ってしまった漫画家が朝目覚めると隣に寝ていたのがその英語オンチのイタリア女でした。 なんと結婚指輪をはめているではありませんか! 結婚してしまったものの元の気楽な生活をどうやって取り戻すか? そうです、殺す! 女房を殺すしかない! 連作漫画でその筋を描いているうちにそれを見た女房がビックリギョウテンして逃げ出してしまうのです。 姿を消した女房の行方はいずこ? 当然漫画家に嫌疑がかけられてしまいます。 裁判での証拠は、あの連載漫画です。
「お熱いのがお好き」や「アパートの鍵貸します」でジャック・レモンのファンになった私が当時劇場で観た映画ですがヴィルナ・リージのセクシーぶり以外は「なんじゃ、こりゃ!」の映画でした。
「女房の殺し方教えます」の音楽は60年代から70年代に映画音楽でも活躍したジャズ・トランペッターで編曲及び作曲者のNeal Hefti(ニール・ヘフティ)です。 TVシリーズで1967年のエピソード5の”Batman Theme(バットマン)”の作曲でも有名なニール・ヘフティは50年代にCount Basie’s New Testament(カウント・ベイシー楽団 1952-1984)のアレンジャーを務め、私の好きな曲”Lil’ Darlin'”の作曲者でもあります。 当時リリースされたNeal Hefti & Lil Mattisが演奏するLP盤サウンドトラック(United Artists UAS 5119)は現在は中古しかありません。
女性コーラスとニール・ヘフティが演奏するHow To Muder Your Wife Soundtrackの「女房の殺し方教えます」のテーマが聴けるのはwfmuラジオのハロウィーンなど怖い音楽を集めたPlaylist for Fatty Jubbo – October 5, 2006(Listen to this show Pop‑up player!をクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を37:48に移動)
DVDは「女房の殺し方教えます [スタジオ・クラシック・シリシーズ]

ヴィルナ・リージは1964年にMarcello Mastroianni(マルチェロ・マストロヤンニ)と共演した「Casanova ’70(カサノヴァ’70)」の後、1965年にジーナ・ロロブリジーダが出演したイタリア映画の「Bambole!(バンボーレ)」で主演級となりました。(フランス語では”Les Poupées”) 1970年には再びマルチェロ・マストロヤンニと「Giochi particolari(特別な遊び~揺れる女)」で共演した他、1970年の異色作「Un Beau Monstre(雨のエトランゼ)」では前妻を自殺に追いやった精神を病んでいる男の妻をヴィルナ・リージが主演し、過去にあった事件が新妻の身に起こらないようにと奮闘する刑事を演じたCharles Aznavour(シャルル・アズナヴール)や愛するが故の虐待という精神病のアラン役のHelmut Berger(ヘルムート・バーガー)と共演しています。 クラシック調のOST(サントラ)「Visconti’s “Ludwig”」のジャケットがクールな1972年の「Ludwig Beck(ルードウィヒ/神々の黄昏)」のヘルムート・バーガーが主演した異色作の「雨のエトランゼ」は英語タイトルが「Love Me Strangely」というそうで、それもそのはず、売春婦、ホモ、変態、バイセクシュアルもテーマにして当時ではショッキングな内容だったそうです。 ちなみに「ルードウィヒ/神々の黄昏」には「Deep End(早春)」のJohn Moulder-Brown(ジョン・モルダー=ブラウン)がルードウィヒの弟のオットー役で出演しています。
ヴィスコンティ監督の秘蔵っ子といわれたコスプレ癖のあるヘルムート・バーガーは1969年の「Lа Саdutа dеglі Dеί(地獄に堕ちた勇者ども)」(英語タイトルはThe Damned)では「The Blue Angel(嘆きの天使)」のMarlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)ばりに女装して歌い踊ったオーストリア出身の俳優ですが、「Caligula(カリギュラ)」のTinto Brass(ティント・ブラス)が「地獄に堕ちた勇者ども」を模した(いや、全く違った)ナチポルノ映画で1976年の「Salon Kitty(サロン・キティもしくはナチ女秘密警察/SEX親衛隊)」ではナチス親衛隊将校を演じて娼館(売春クラブ)のマダムを演じたIngrid Thulin(イングリッド・チューリン)と再び共演しました。(「サロン・キティ」ではマダムが男女の衣装で妖艶に踊ったシーンが圧巻)

ちなみにヴィルナ・リージはシャルル・アズナヴールとは1969年にも犯罪映画の「Le Temps des loups(aka Carbon Copy 狼の賭け)」でも共演しています。
「雨のエトランゼ」の音楽はシャルル・アズナヴールの義弟であるGeorges Garvarentz(ジョルジュ・ガルヴァランツ)でテーマ曲(主題歌)は1975年にB面が”Daydream”というシングルEP盤がリリースされたようです。
Charles Aznavour – Le temps des loups(italian) 1970 – YouTube
新情報! ”My Way Of Living You(雨のエトランゼ~愛の運命])”という曲がアルバム”トゥイスト・アゲイン・オ・シネ・プール・ル・ジャポン” Twist Again au Cine, Vol. 2(試聴なし)に収録されているそうです。日本語の曲名が見られる国内盤は「トゥイスト・アゲイン・オ・シネ(2)」(トゥイスト・アゲイン・オ・シネ(2))(ASIN: B00005F1F9)
脱線ついでに、フランスのLP盤でGeorges Garvarentz(ジョルジュ・ガルヴァランツ)演奏のエキゾチックな”Haschisch Party(ハッシシ・パーティ)”というサイケ・ファンクの曲は中古レコード屋で見つかるかもしれません。