ジーン・セバーグ Jean Seberg

Jean Seberg
Jean Seberg (1938 – 1979)

誰が言ったか、アメリカの女優に限れば、1940年代の女優のシンボルがミュージカル「オズの魔法使」のJudy Garland(ジュディー・ガーランド)で1950年代が「お熱いのがお好き」のお色気女優だったMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)なら、1960年代はヌーベルバーグのJean Seberg(ジーン・セバーグ)だという説があるのだそうです。 たぶん1958年の「Bonjour tristesse(悲しみよこんにちは)」に続き1959年にジャン=ポール・ベルモンドと共演したゴダールのヌーヴェル・ヴァーグ映画「À bout de souffle(勝手にしやがれ)」が印象に強いからでしょう。
10年を一人の女優で代表できるわけはないし、一人の女優が10年しか活躍しなかったわけではありませんが、1940年代の女優なら「カサブランカ」のIngrid Bergman(イングリッド・バーグマン)とか、ファム・ファタールのギルダ」のRita Hayworth(リタ・ヘイワース)や「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のラナ・ターナーもいいですね。 50年代なら「裏窓」に出演した美貌のグレイス・ケリー、「媚薬」のキム・ノヴァクなどまだまだたくさんいますが、美貌といえば「欲望という名の電車」のヴィヴィアン・リーや「陽のあたる場所」のエリザベス・テイラー、「緑の館」のオードリー・ヘップバーンなどはこの時期に話題作品が多いです。 さて1960年代というとテレビの普及で映画が斜陽化しグッと様変わり、ドリス・デイナタリー・ウッド、シャーリー・マクレーン、ジュリー・アンドリュース、そしてイヴェット・ミミューはどうでしょうか。

「Joan of Arc(ジャンヌ・ダーク)」というとVictor Fleming(ヴィクター・フレミング)が監督した1948年のIngrid Bergman(イングリッド・バーグマン)の映画を思い浮かべますが、1957年にはOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督した「Saint Joan(聖女ジャンヌ・ダーク)」でSt.Joan of Arc(ジャンヌ・ダルク)役でRichard Widmark(リチャード・ウィドマーク)と共演したのがデビューしたてのJean Seberg(ジーン・セバーグ)です。 ジーン・セバーグが注目を浴びた映画はフランスの女流作家Francoise Sagan(フランソワーズ・サガン)が18歳で書いた処女小説「Bonjour Tristesse(悲しみよこんにちは)」の映画化で、この1958年の「悲しみよこんにちは」で主人公セシルを演じてジーン・セバーグの日本での映画デビューとなりました。 この映画で私もセバーグを初めて見たのですが、髪型が当時の女優としては珍しいショートカットだったのがとても印象的でした。 1950年代中頃に「Roman Holiday(ローマの休日)」や「Sabrina(麗しのサブリナ)」でAudrey Hepburn(オードリー・ハップバーン)がショートヘアで映画に登場しましたが、これよりもっと短いヘアスタイルだったのです。
それで、1960年頃はボーイッシュなヘアスタイルの「セシールカット」が大流行しました。 日本でも金髪ではないけれどショートカットが大流行! ♪ 絶壁ムスメもセシ〜ル ♪ と言いたいところですがフロントも超短くて日本人には無理があったかも。

主な出演映画は10作品ほどと少ないですがジーン・セバーグのサイトはJean Seberg Photos – Saintjean.co.uk(左のメニューからGalleryをクリックすると写真がたくさん見られます)
A Tribute To Jean Seberg (Photos) – YouTube

ジーン・セバーグは1959年にヌーヴェル・ヴァーグ作品で名高いゴダールの「勝手にしやがれ」でアメリカ人の留学生のパトリシアを演じてフランスの人気俳優のJean-Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)と共演しました。 ジーン・セバーグは「悲しみよこんにちは」と「勝手にしやがれ」の2本の作品で大スターとなったとも言えるでしょう。 その後は1969年にClint Eastwood(クリント・イーストウッド)が監督した西部劇ミュージカル「Paint Your Wagon(ペンチャーワゴン)」に出演しクリント・イーストウッドとLee Marvin(リー・マービン)の二人を虜にする気丈な西武女のエリザベスを演じました。 この映画の中で殆どの出演者は歌いますが、ジーン・セバーグが歌った”A Million Miles Away Behind the Door”と”Exit Music Medley”はゴースト・シンガーとしてBuddy Clark(バディ・クラーク)のヒット曲”Linda”の声を担当したAnita Gordonが吹き替えたそうです。

Jean Seberg
Jean Seberg with Maurice Ronet in Les grandes personnes (1961)Jean Seberg and Maurice Ronet

上記の写真はジーン・セバーグがモーリス・ロネと共演した1961年の映画「Les grandes personnes(さよならパリ)」のシーンです。 この映画でセバーグは憧れの女性(ミシュリーヌ・プレール)を苦しめた恋人(モーリス・ロネ)に興味を持つも彼は彼女の元へ、アメリカ人医師の娘セバーグはアメリカへとほろ苦いロマンスを体験するストーリーです。 この映画は1957年にはルイ・マル監督と共に「Ascenseur pour l’échafaud(死刑台のエレベーター)」の脚本(台詞)も手掛けた当時新人作家だったRoger Nimier(ロジェ・ニミエ)が1955年に書いた小説の「 Histoire d’un amour(ある愛の歴史)」を元にJean Valère(ジャン・ヴァレール)が原作者と共に脚本も手掛けて監督した奇妙な三角関係をテーマにしたフランス映画です。(ジャン・ヴァレール監督の映画は日本で1960年代に3作公開されました) 「さよならパリ」には私の好きな「Une Fille pour L’ete(ひと夏の情事)」にも出演したMicheline Presle(ミシュリーヌ・プレール)がレーサー(モーリス・ロネ)の恋人役で出演しています。

Jean Seberg and The Black Power
1970年代まで活躍したジーン・セバーグでしたが、その後は次第に公民権運動(ブラックパワー)や反戦運動などの政治活動にのめり込んでいったようです。

ジーン・セバーグの謎の死とブラック・パンサー
ジーン・セバーグは、アメリカで1960年に公民権法(白黒平等)が成立した後の1967年にに結成された毛沢東主義者である黒人過激派(テロ集団)「The Black Panther Party(ブラック・パンサー党/黒豹党)」を支援(資金提供)して、当局FBIにマークされ続けたそうです。 FBIが政治的な脅威とみなし、セバーグの1979年の自殺の原因とも噂された人物であるHakim Jamal(ハキム・ジャマル)は一時的な恋人とされています。(事実関係は不明) セバーグがブラック・パンサー(ハキム)の子供を身篭っていたという噂を流したのも当時のJ. Edgar Hoover(エドガー・フーバー)FBI長官だったとか。(Clint Eastwoodが監督する2011年の伝記映画「J.Edgar(J・エドガー)」でその真実が語られるのでしょうか?事実セバーグは流産した子供の画像を提示してまで父親はアフリカ系でないと証明)マルコムXの従兄弟であり1968年にマルコムX財団を設立したハキム・ジャマルは常にショットガンを携帯した闘争精神旺盛な1960年代後半の黒人の活動家だったそうです。
☆ブラックパンサー党は、1965年に起きた黒人指導者マルコムX暗殺事件の翌年に、自衛の為に結成された黒人解放運動結社を指します。 1972年のGale Bensonという当時のハキムの27歳の白人の恋人(議員の娘)が活動家によって1972年に無残に殺害され、その後1973年にボストンでハキムが銃撃による壮絶な死を遂げた後は社会情勢も変わり黒豹党の意味も薄れていったとか。
☆ちなみに約半世紀の間、多少なりとも人々の注目を集めたブラック・パンサー党のドキュメンタリーがStanley Nelson Jr.(スタンリー・ネルソン・ジュニア)の監督で「The Black Panthers: Vanguard of the Revolution」(ASIN: B01648P6IM)として2015年に映像化されます。
予告編はThe Black Panthers: Vanguard of the Revolution (2015) Trailer – iTunes Movie Trailers Apple

FBIによる陰謀説は事実か? 自殺か? 他殺か?
冒頭でセバーグと比較したMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)同様に、ジーン・セバーグも突然の謎の死を迎えています。 両方ともに噂されていたのが、FBIによる監視のためか、私生活のスキャンダルのためか、はたまた女優としての行き詰まりか、ともかくジーン・セバーグは流産後に神経を病んでいたそうです。 セバーグの遺書らしき手紙の発見により一応自殺とされましたが、麻酔作用もある睡眠薬のバルビツールとアルコールのの大量服用によると推定された1979年の謎の死はモンロー同様に未だに解明されていないそうです。 不思議なことにセバーグの2度目の夫のRomain Gary(ロマン・ギャリー)ことユダヤ人のRoman Kacew(ロマン・カツェフ後にロマン・ガリー)がセバーグの死後に自殺しています。 マリリン・モンローやRiver Phoenix(リバー・フェニックス)なども謎の死を遂げた後に薬やアルコールそしてFBIが噂されたのでした。
上記のジーン・セバーグの画像は半世紀前に私が映画雑誌からスクラップしておいた写真です。(著作権は各被写体と撮影者等に帰属します)

ジーン・セバーグの二つのドキュメンタリー
Michael Rapaport(マイケル・ラパポート)監督のジーン・セバーグの生涯を追ったドキュメンタリー「From The Journals Of Jean Seberg(ジーン・セバーグの日記)」が1995年に公開され、同じ年にジーン・セバーグの生涯を追ったインタビュー形式のドキュメンタリー「JEAN SEBERG / AMERICAN ACTRESS(ジーン・セバーグ:アメリカン・アクトレス)」がリリースされています。
1999年版の輸入DVD「From The Journals Of Jean Seberg」(ASIN: B00000I21P)はリージョンフリーです。
ジーン・セバーグのDVDは殆どありませんが、VHSなら字幕版の「ジーン・セバーグの日記」(ASIN: B00005HNHM)などいくつか見つかります。

Jean Seberg, ma star assassinee (Collection “Documents”) (ISBN-10: 2863916777) – Amazon.com
Jean Seberg - Book

上記の画像は「Jean Seberg, ma star assassinée」という書籍で有名なのかどうかも分りませんが、自称ジーン・セバーグの友人だというフランス・ジプシーで詩人のGuy-Pierre Geneuilが書いたジーン・セバーグ謎の死についての暴露本だそうです。 本のタイトルが「ジーン・セバーグ: 暗殺された我がスター」となっています。 パリとニューヨークで生活していたジーン・セバーグと関連のあるAndre Malraux(アンドレ・マルロー)、Romain Gary(ロマン・ギャリー)、黒豹党やアルジェリアの麻薬組織などについて語っています。 ジプシーのごとく放浪の人と呼ばれたGuy-Pierre Geneuilはロマ(ジプシー/ジタン)の伝説などについていくつかの著書があるそうです。
アンドレ・マルローはゴダールの好きなフランスの作家で国外の政治や考古学に関心を持ち、作家というより冒険家のような人物です。
ジーン・セバーグは3度結婚していますが、ゴダールにセバーグを紹介したのは最初の夫Francois Moreuil(フランソワ・モレイユ)でセバーグ主演のゴダール風映画「La récréation(Love Play)」を1960年代には数本の監督作品があるFabien Collin(フェビアン・コリン)と共同監督しましたが、2度目の夫のロマン・ギャリーが1968年に「Les Oiseaux vont mourir au Pe´rou(Birds in Peru)」と1972年に「KILL(Police Magnum/殺し)」を監督しているそうです。 そして、1972年に結婚したセバーグより6歳年下の3番目の夫Dennis Berry(デニス・ベリー)は1975年に「ルシアンの青春」のピエール・ブレーズも出演した「Le grand délire (Die Grosse Ekstase, Grobe Ekstase)」(タイトルの意味は”偉大なる妄想”)を書いて監督しましたが1978年に離婚しています。 このように3人とも夫がセバーグの映画を監督しています。 そしてセバーグは1978年から俳優(レストラン・オ-ナー)のAhmed Hasmi(アハメド・ハスミ)とかいう男性と同棲していたのだそうです。
1982年にSamuel Fuller(サミュエル・フラー)が監督したアメリカのカルト映画といわれる「White Dog(ビデオ名はホワイト・ドッグ/魔犬)」は音楽がEnnio Morricone(モリコーネ)でもあり評価が高いそうですが、人種差別を描いたロマン・ギャリーの過激な原作「Dressé pour tuer(意味は”殺すための訓練”)」では妻のジーン・セバーグが実名(映画ではJulieだったか)で登場して、何やらジーン・セバーグと黒豹党との結び付きを連想させます。 原作はアメリカの雑誌「LIFE」に掲載された小説で、偏狭な白人によって黒人に襲い掛かるように訓練された犬の話です。
New Youk Times Movieの「ホワイト・ドッグ」の英語レビューは「Review/Film; A White Dog as a Metaphor for Racism – nytimes.com」(要ログインかも)
☆ エニオ・モリコーネ音楽の「ホワイト・ドッグ」サントラはなぜか?「So Fine(恋のジーンズ大作戦/巨人の女に手を出すな)」と抱き合わせの「White Dog & So Fine Soundtrack – Ennio Morricone」(ASIN: B0000AIT03)です。 ちなみに2009年に癌で亡くなったFarrah Fawcett(ファラ・フォーセット)と長年のパートナーだったRyan O’Neal(ライアン・オニール)が主演した1981年のコメディ映画「恋のジーンズ大作戦」でのセクシーなファッションの特徴は女性のGパンのお尻の部分が透明ビニールになっていることです。 So Fine Jeans!
試聴はEnnio Morricone: So Fine; White Dog – Songswave.com