ジャクリーヌ・ササール Jacqueline Sassard

Jacqueline Sassard
Jacqueline Sassard è nata a nice in marzo 1940

私が初めてジャクリーヌ・ササールを映画で見た時、スラリとした長い手足、そして大きな目と黒にも見える栗色の長い髪の美貌は他のフランス女優にはないとても新鮮な印象を受けました。 髪、サラサラ! ジャクリーヌ・ササールは上品で清純なお嬢様の役柄が多いのですが、その中にもちょっと我がままで意地悪そうな目つきがこれまた魅力です。 顔に表情が乏しいジャクリーヌ・ササールは目で演技します!

Jacqueline Sassard (1940 – 2021)
ジャクリーヌ・ササールが出演した映画はイタリア映画が多かったせいか私はてっきりササールはイタリア女優だと思い込んでいましたが実は南仏のニース出身のフランス女優だそうです。 アフレコが多いせいかフランス女優のジャクリーヌ・ササールのセリフまわしや声はちょっと低めの声という以外は殆ど記憶にありません。
1957年にイタリア映画の「芽ばえ」でデビューした後、次々と映画出演した売れっ子女優でしたが70年を待たずして銀幕から消え去りました。 残ったのは白いササール・コート。 当時はこのウエストをベルトで絞り上げたトレンチ・コートが大流行で若い女性は髪が長くなくともそのようなレインコートを着用していました。 どうやらササールは大富豪と結婚したらしいですがその後何の関連情報も見つかりません。(噂によれば1955年に倒産したイタリアの有名自動車メーカー・ランチアの御曹司だった男性)
ファントム・シリーズなどで女優生活が長いMylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)は別として、ジャクリーヌ・ササールをはじめFrancoise Arnoul(フランソワーズ・アルヌール)やPascale Petit(パスカル・プティ)などの1950年代から1960年代以前に活躍したフランス女優たちは日本では私と同世代には人気ですが海外ではあまり話題にされていないようです。 ことにジャクリーヌ・ササールに関しては誕生生年月日と出身地以外には殆ど情報がなく、今や本国のフランスでさえもビデオがLes Biches(牝鹿又は女鹿)とAccident(できごと)だけという寂しい状況です。 丁度ジャクリーヌ・ササールの黄金期に映画を観た私としては1950年代と1960年代の懐かしい名作がDVDになるのが待ち遠しいです。と言った後、2011ね年にAmazon.co.jpでDVDを見つけました。 「できごと」(ASIN: B0054IJ5K4)で2014年版はもっとお手頃価格のASIN: B00KR6L5KQ

Valerio Zurlini
1957年のGuendalina(芽ばえ)の原案を書いたヴァレリオ・ズルリーニがジャクリーヌ・ササールを見出したのだそうですが、「芽ばえ」を監督したのはアルベルト・ラトゥアーダです。 1959年にEstate Violenta(激しい季節)で監督デビューしたヴァレリオ・ズルリーニは美青年のJacques Perrin(ジャック・ペラン)を起用して次作の「La ragazza con la valigia(鞄を持った女)や「Cronaca familiare(家族日誌)」を監督しています。
「激しい季節」と「鞄を持った女」、そしてアンナ・カリーナやMarie Laforet photos(マリー・ラフォレ)が出演した1965年の「Le Soldatesse(国境は燃えている)」の音楽は「刑事」のアモレミオでお馴染みのMario Nascimbene(マリオ・ナシンベーネ)の作曲です。 「国境は燃えている」のサントラはItaliano brava gente / Le soldatesse (Soundtracks)(La soldatesse – Italiani brava genteの試聴は見つかりません)

Jacqueline Sassard
ジャクリーヌ・ササールの出演映画

1957年 Guendalina(芽ばえ)
Alberto Lattuada(アルベルト・ラトゥアーダ)が監督した青春映画で、Sylva Koscina(シルヴァ・コシナ又はシルバ・コシナ)とRaf Vallone(ラフ・ヴァローネ)がグェンダリーナの裕福なれど不仲な両親役で出演しています。 ジャクリーヌ・ササールお嬢様は両親とバカンスで訪れた避暑地でRaf Mattioli(ラフ・マッティオーリ)が演じる地元の青年と恋仲になります。 両親と帰ることになったグェンダリーナと青年の別れのシーンが胸を打つ・・・っていうかこれで終わるの?
若者を演じたラフ・マッティオーリはValerio Zurlini(ヴァレリオ・ズルリーニ)監督の「Estate Violenta(激しい季節)」やジーナ・ロロブリジーダ主演の「掟」(1959)に出演していましたがピエール・ブリス主演の「バッカスの狂宴」 (1961)が最後で急逝しました。
シルヴァ・コシナは1956年にピエトロジェルミのネオリアリズモ映画「Il Ferroviere(鉄道員)」で鉄道機関士の身持ちの悪い娘”Giulia Marcocci(ジュリア)”を演じ日本でメジャー映画デビューしました。 シルヴァ・コシナはユーゴスラヴィア出身の女優ですが、音楽がKenyon Hopkins(ケニヨン・ホプキンス)でJackie Wilson(ジャッキー・ウィルソン)が歌う同名のテーマ曲がヒットした1968年の「A Lovely Way to Die(ボディガード)」や1972年の「Boccaccio(ボッカチオ)」など70年代までイタリア映画を中心に活躍したグラマー女優ですが、60年代後期からは鳴かず飛ばずで40歳を前にしてイタリア版のPlayboy誌で半裸をご披露し、Ennio Morricone(エニオ・モリコーネ)が音楽を手がけた1969年の「 L’assolute naturale(彼女と彼)」では全裸を見せましたが61歳にして癌で亡くなりました。
一方、ラフ・ヴァローネは新人として1948年に腋毛で驚かせたSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)と共演した「Riso Amaro(にがい米)」がデビューで、1950年にGina Lollobrigida(ジーナ・ロロブリジーダ)と「Cuori senza frontiere(白い國境線)」で共演していますが、一時はBrigitte Bardot(ブリジット・バルドー)と恋仲になるほどいい男でしたが10年後の「芽ばえ」ではもうパパ役を演じています。
「芽ばえ」の写真が見られるGuendalina Photos – FILM.TV.IT
「芽ばえ」の映画ポスターが見られるGuendalina – Polish Movie Poster

Piero Piccioni
「芽ばえ」の音楽は翌年の「三月生まれ」でも音楽を担当したイタリアの作曲家のPiero Piccioni(ピエロ・ピッチオーニ)です。 ピエロ・ピッチオーニは1959年のMylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)やElsa Martinelli(エルザ・マルティネリ)が出演した「La Notte brava(狂った夜)」や「Dolci Inganni(十七歳よさようなら)」などたくさんのイタリア映画の音楽を担当しました。

1957年 Nata di marzo(三月生れ)
イタリアではこの「三月生れ」と「芽生え」は同じ年の制作で「三月生れ」の方が先になっています。 実際に3月生まれのジャクリーヌ・ササールが演じるAntonio Pietrangeli(アントニオ・ピエトランジェリ)監督のイタリア映画です。 三月といえば不思議の国のアリスのセリフに出てくる「3月うさぎは”気違いうさぎ”」というのがありましたが、三月生まれは気まぐれといわれているそうです。 ちなみに日本では春先の心身が不安定なことを”木の芽時”といいます。
一人っ子で気まぐれ屋の大学生”フランチェスカ”を我がままを地でいったようなジャクリーヌ・ササールが演じています。 通学途中に知り合った一回り年上の男と電撃結婚しますが、相変わらずの奔放さで夫をてんてこ舞いさせるというラブコメです。 じゃじゃ馬ならしに手を焼いた夫におん出されて初めて気がつく寂しさと真実の愛。 人生に嘘はつきものですが決定的な嘘は身を滅ぼすもとです。 「三月生れ」で中年の建築技師のSandro(サンドロ)を演じたのはMichelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)監督の1960年の「L’Avventura(情事)」で建築家のサンドロを演じたGabriele Ferzetti(ガブリエレ・フェルゼッティ)です。 「三月生れ」のジャクリーヌ・ササールはSan Sebastián International Film Festival(サン・セバスチャン国際映画祭)でベスト・アクトレスに選ばれたそうです。
音楽は「芽ばえ」と同じくピエロ・ピッチオーニです。
「三月生れ(Nata Di Marzo)」の写真が見られるNata Di Marzo Photos – FILM.TV.IT

Dolci Inganni
「芽ばえ」を監督したアルベルト・ラトゥアーダはこの後、1960年に”第二のジャクリーヌ・ササール”と呼ばれたCatherine Spaak(カトリーヌ・スパーク)が映画デビューした「Dolci Inganni(十七歳よさようなら)」という青春映画も監督しています。

1958年 Tutti Innamorati(みんなが恋してる)
「芽ばえ」と「三月生まれ」の間に埋もれたジャクリーヌ・ササール主演したティーンエイジャーと子持ち男とのイタリア式ロマコメです。 Giuseppe Orlandini(ジュゼッペ・オルランディーニ)監督の長編映画デビュー作品で、フェデリコ・フェリーニ監督の「La Dolce vita(甘い生活)」で脚光を浴びる前の新進俳優時代のMarcello Mastroianni(マルチェロ・マストロヤンニ)と共演です。

1958年 Faibles Femmes(お嬢さん、お手やわらかに!)
イタリア語のタイトルは”Le Donne sono deboli”ですが、ジャクリーヌ・ササールはここでやっとMichel Boisrond(ミシェル・ボワロン)監督のフランス映画に”おフランス三人娘”として出演しました。 ジャクリーヌ・ササールはミレーヌ・ドモンジョやパスカル・プティと3人で調子の良いプレイボーイをやっつけるロマコメです。 売り出し中の新人のAlain Delon(アラン・ドロン)がコンニャロメというほどモテモテのプレイボーイを演じました。 この他にはアンリ・ヴィダルやジャン=ポール・ベルモンドが出演してフランスの若手総動員といった映画でした。
ミシェル・ボワロンのデビューは1967年に脚本も手掛けたブリジット・バルドー主演の「殿方ご免遊ばせ」ですが、翌年も同じくベベが主演した「この神聖なお転婆娘」を監督した後の作品がこの「お嬢さん、お手やわらかに!」です。 ミシェル・ボワロンは商業ベースに乗ったヒット娯楽作品の連作でヌーヴェルヴァーグなんてなんのそのという監督です。
「お嬢さん、お手やわらかに!」の音楽はPaul Misraki(ポール・ミスラキ)ですが、1959年に英語歌詞のテーマ曲”It’s Really Love”を歌ったのはアメリカのポップス歌手のPaul Anka(ポール・アンカ)でした。
Paul Anka – It’s Really Love (Faibles Femmes) – YouTube
お洒落で愉快な「お嬢さん、お手やわらかに!」の写真が見られるLe donne sono deboli Photos – FILM.TV.IT
Faibles Femmes PHOTOS I – YouTube
映画ポスターと情報はFaibles Femmes Poster – DvdToile
モテモテ男のアランドロンが嬉しい悲鳴をあげているポスターが見られるFaibles Femmes Poster – FAN de CINEMA

1959年 Estate violenta(激しい季節)
イタリア映画ですからイタリア語のタイトルですがフランス語では”Un Ete Violent”というValerio Zurlini(ヴァレリオ・ズルリーニ)が監督した私の大好きな映画で悲劇の夏の日の激しい恋を描いていて、イタリア映画史上でも稀にみる最も激しい恋物語の一つとされています。 ジャクリーヌ・ササールは子持ちの年増女に恋するカルロを慕う少女のロサーナを演じましたが「芽生え」で共演したラフ・マッティオーリもジュリオ役で出演しています。
ジャクリーヌ・ササールのデビュー作となった1957年の「芽ばえ」の原案を書いたヴァレリオ・ズルリーニ監督は1954年の「Les Jeunes filles de San Frediano(サンフレディアーノの娘たち)」でデビューし、1961年のLa ragazza con la valigia(鞄を持った女)もそのテーマ曲と共に代表作となっています。
ジャクリーヌ・ササールがとっくりと観られる「激しい季節」の予告編はUn Ete Violent Trailer – Cinésérie
☆禁断の恋に苦悶する映画「激しい季節」についてはAudio-Visual Trivia内の激しい季節 Estate Violenta

The Valerio Zurlini Box Set DVD
The Valerio Zurlini Box Set: The Early Masterpieces (1961)
アメリカでで2006年にリリースされたヴァレリオ・ズルリーニ監督の「激しい季節」と「鞄を持った女」とのボックスセットはイタリア語に英語字幕版のRegion 1でアメリカとカナダ向けDVDです。
日本のAmazon.co.jpで入手可能なヴァレリオ・ズルリーニの作品はVHSで「Girl With a Suitcase(鞄を持った女)」と、DVDでは1972年にアラン・ドロンが主演した”La prima notte di quiete(高校教師)”の日本語字幕版の「高校教師」しか見当たりません。 ※日本でも”Estate Violenta(激しい季節)”のDVDがリリースされることを切望します。

1959年 Il Magistrato(女は選ぶ権利がある)
1950年い「白い國境線」を監督したLuigi Zampa(ルイジ・ザンパ)のイタリア映画で、Claudia Cardinale(クラウディア・カルディナーレ)がデビュー作の「Un Maledetto Imbroglio(刑事)」に続いて出演しています。  この不条理劇的ホームドラマはイタリアの都会”ジェノヴァ”のとある家庭を舞台にジャクリーヌ・ササールが演じる十代の娘が妻子ある男のものとなったことを知った父親が自殺を図るという悲観的な家庭を描いています。 メロドラマか社会派ドラマか。
音楽はイタリア映画で多くの音楽を担当しているRenzo Rossellini(レンツォ・ロッセリーニ)です。

1961年 Mariti a congresso
1955年から70年代まで10本ほど監督したLuigi Filippo D’Amico(ルイジ・フィリッポ・ダミーコ)のイタリアンコメディですが情報がなく、ジャクリーヌ・ササールがどんな役なのかも不明です。 1957年に「Bonjour Tristesse(悲しみよこんにちは)」にミレーヌ・ドモンジョが演じたエルサを好きなPablo(パブロ)役で出演したWalter Chiari(ワルテル・キアーリ)が主演しています。
そのワルテル・キアーリとジャクリーヌ・ササールが共演したが誰も知らないであろう1961年のイタリア映画「Mariti a congresso」”のシーンが見られるMariti a congresso – youTube

1962年 Arrivano i Titani(Les Titans)(タイタンの逆襲)
Duccio Tessari(ドゥッチオ・テッサリ)が監督としてデビューした伊仏合作の歴史的アクション映画だそうで、イタリア語のタイトルはThe Titaniums arriveです。 ギリシャ神話から題材を取り、古代ギリシアを舞台にジュピターやタイタンなどが登場します。 ジャクリーヌ・ササールは暴君に幽閉されるAntiope(アンティオーペ姫)を演じ、Antonella Lualdi(アントネラ・ルアルディ)が嫉妬に狂い婚約者を殺害するHermione(ヘルミオネ)役で出演しました。 2013年に自動車事故で急逝してしまいましたが当時新人で後にマカロニウエスタンで名を馳せたGiuliano Gemma(ジュリアーノ・ジェンマ)が主演しています。 ジェンマは冥界のタイタン兄弟の末っ子クリオスで幽閉されたアンティオーペを助けて結ばれる役を演じている。 異色キャストとして褐色のマッチョのSerge Nubret(サージ・ヌブレット)がクリオスが命を助ける囚人役で出演しています。 サージ・ヌブレットはカリブ海のGuadeloupe(グアドループ)出身のボディビルダー・チャンピオンでこの「タイタンの逆襲」後に20本以上の映画に出演したそうです。
「タイタンの逆襲」の音楽はイタリア映画音楽の巨匠の一人のCarlo Rustichelli(カルロ・ルスティケリ)です。 カルロ・ルスティケリは「白い國境線」をはじめ、「鉄道員」や「刑事」のような哀愁たっぷりのサウンドトラックを約半世紀に渡り手掛けました。
1959年の「Cartagine In Fiamme(カルタゴ)」以降、何本かの歴史アクションの脚本を手がけたドゥッチオ・テッサリイタリアはこの「タイタンの逆襲」の後にはClint Eastwood(クリント・イーストウッド)が主演した1964年の「Per un pugno di dollari(荒野の用心棒)」の脚本を手掛けています。(黒澤明が監督した1961年の「用心棒」での冒頭シーンで野良犬が人間の手を咥えて通り過ぎる宿場町がそのまんま) ドゥッチオ・テッサリイタリアが監督し、ジュリアーノ・ジェンマが主演した「Il Ritorno di Ringo(続・荒野の1ドル銀貨)」も大ヒットでした。 この2作とも音楽はエンニオ・モリコーネです。(「Un dollaro bucato(荒野の1ドル銀貨)」の方はジャンニ・フェリオです)

1967年 Accident(できごと)
1972年に「The Assassination of Trotsky(暗殺者のメロディ)」の原作者で脚本も担当したNicholas Mosley(ニコラス・モスレー)の原作をイギリスの脚本家であるHarold Pinter(ハロルド・ピンター)の脚本によりJoseph Losey(ジョセフ・ロージー)監督が映画化したイギリス映画です。
さて、「できごと」のストーリーはDirk Bogarde(ダーク・ボガード)が演じるオクスフォード大学の教授がジャクリーヌ・ササールが演じる若い留学生に言い寄るという不謹慎な話です。 教授は念願の女学生との関係を持っったものの、妻子ある家庭は破壊できないと世間体を気にして交際をエスカレートさせられぬ苦悩を描いた作品です。 清純そうなジャクリーヌ・ササールは実はプレイガールだった!
※1955年にブリジット・バルドー主演の「Doctor at Sea(私のお医者さま)」や1957年にA Tale of Two Cities(二都物語)や1973年に衝撃的な「The Night Porter(愛の嵐)」に出演したロンドン紳士のダーク・ボガードが出演します。 ダーク・ボガードと言えば日本で有名な映画はなんといってもトーマス・マンの原作を元にした1971年の「Death in Venice(ベニスに死す)」でしょう。
イギリス俳優のMichael York(マイケルヨーク)はこの「できごと」でデビューした後、なんと1967年にシェイクスピア喜劇の映画化である「La Bisbetica Domata(The Taming of the Shrew/じゃじゃ馬ならし)」でElizabeth Taylor(エリザベス・テイラー)とRichard Burton(リチャード・バートン)と共演したのです。 そしてなんと「オースティン・パワーズ」シリーズにも英国情報局局長のBasil Exposition(バジル・エクスポジション)役で出演してしまいます。

「できごと」のDVDは当初の2000年版が入手困難となったのでリンクが2011年版になっています。
Accident with Jacqueline Sassardできごと
アメリカのAmazon.comでも「Accident」のDVDとVHSが入手可能です。

1968年 Les Biches(牝鹿)
ヌーヴェルヴァーグも終わりの頃のClaude Chabrol(クロード・シャブロル)監督の伊仏合作映画が「女鹿」です。 Stéphane Audran(ステファーヌ・オードラン)が両刀使いの資産家”Frédérique”を演じ、そのお相手になるのがパリの宿無しストリートアーティストのジャクリーヌ・ササールが演じるWhy(ワイ)です。 文無しなのに高慢ちきなササールと女主人の豪奢な生活、そしてサントロペの別荘でパーティに現れたのがハンサムなJean-Louis Trintignant(ジャン=ルイ・トランティニャン)はこのレズカップルに気に入られてしまいます。 クロード・シャブロル映画の常連であるHenri Attal(アンリ・アタル)が今回はギャングでなくフレデリックの友人のゲイコンビの片割れのRobèqueを演じています。 二者選択ならあなたはどっち? 金持ちか若い女か。 フレディリックに言い寄られ、金に目の眩んだトランティニャンはフレデリクと結婚してしまいます。 すると三角関係が崩れ、そこには嫉妬が生まれます。 金と色恋と権力と欲望がいっぱい! 純粋という名の残虐さを見せるジャクリーヌ・ササールがしたことは・・・! フレディリックのクローンとなること。 ちょっぴり”太陽がいっぱい”!

クロード・シャブロル監督はJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)が出演した1959年の「A Double Tour(二重の鍵)」を監督や「A Bout de Souffle(勝手にしやがれ)」を監修している他、「赤と青のブルース」の脚本を手掛けるなど半世紀近くも映画制作に携わっています。

ステファーヌ・オードランは1960年にMarie Laforet(マリー・ラフォレ)主演の「赤と青のブルース」や1986年のValerie Kaprisky(ヴァレリー・カプリスキー)主演の日本未公開映画「LA GITANE(彼女はジタン)」など出演本数は多いのですが日本では余り有名ではありません。 有名といえば1972年にOscarでBest Foreign Film賞を獲得したLuis Bunuel(ルイス・ブニュエル)監督でBulle Ogier(ビュル・オジエ)も出演した「Le Charme discret de la bourgeoisie(ブルジョワジーの秘かな愉しみ)」が挙げられます。 私が初めてルイス・ブニュエル監督の映画を劇場で観たのはCatherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーヴ)が主演した1967年の「Belle de Jour(昼顔)」でした。
ステファーヌ・オードランは外交官が晩餐に招かれた家の夫人のAlice役を演じています。
ステファーヌ・オードランはヌーヴェル・ヴァーグのEric Rohmer(エリック ロメール)が監督してカメオでジャン=リュック・ゴダールが登場した1959年の「Le signe du lion(獅子座)」に出演しています。 その後の1963年から1972年のエリック ロメールの一連の5作品の内、日本未公開の「La Boulangère de Monceau(モンソーのパン屋の女の子)」の次の1965年にロメールの他にジャン=リュック・ゴダールやクロード・シャブロルなぞ全6監督のオムニバス映画「Paris vu par…(パリところどころ)」にも出演しています。 この他の4作品には日本未公開でしたが1967年の「La collectionneuse(コレクションする女)」、ジャン・ルイ・トランティニャンが出演した1968年の「Ma nuit chez Maud(モード家の一夜)」、ジャン=クロード・ブリアリが出演した「Le Genou de Claire(クレールの膝)」、音楽をArie Dzierlatka(アリエ・ジェルラトカ)が手掛けてZouzou(ズーズー)が出演した1972年の「L’amour l’après-midi(愛の昼下がり)」があります。
モデルから60年代のイコンとなったZouzouはローリングストーンのBrian Jones(ブライアン・ジョーンズ)からJack Nicholson(ジャック・ニコルソン)までと恋多き女性でしたがRKrista Nico(ニコ)同様にヘロイン中毒になったとか。

「愛の昼下がり」の前年1971年にステファーヌ・オードランは、「女鹿 」を監督したClaude Chabrol(クロード・シャブロル)が Edward Atiyah(エドワード・アタイヤ)が1951年に書いた原作”The Thin Line(細い線)”をもとに監督及び脚本を手掛けた「Juste avant la nuit(Just Before Nightfall)」で親友の妻とのSMプレイの延長で殺人を犯した主人公の妻のHélène Masson(ヘレン)を演じました。 シャブロル監督は1963年にステファーヌ・オードランとデキちゃった再婚をし、監督が再々婚するまで17年間の結婚生活を共にしました。(シャブロル監督は2010年死去) ちなみにエドワード・アタイヤの原作「L’Étranger à l’intérieur d’une femme」は日本では1966年に邦題「女の中にいる他人」として成瀬巳喜男が映画化しています。

Babette’s Feast
ステファーヌ・オードランが一般的に知られているのは1987年のBabette’s Feast(バベットの晩餐会)でしょう。 私は劇場で見たのですが宝くじで当たった1万フランで支度したバベットの垂涎の豪華料理に夢中になりました。 ですが”美味しいのだ”と言われても鶉(うずら)の脳ミソはすすれません! それまで鳥篭でチーチー鳴いていたウズラの頭を噛んでチュッとすするんです。(グリルして) 供されたシェリー酒のなかにアモンティラドがありましたが、Edgar Allan Poe(エドガー・アラン・ポー)の小説「The Cask of Amontillado(アモンティラードの樽)」でお馴染みな白ワインの銘柄です。
もてる男の代表格ともいえるジャン=ルイ・トランティニャンは1959年の「激しい季節」や「Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)」に出演した後、 1966年の「Un homme et une femme(男と女)」で世界的に有名になり半世紀近くの間に50本以上の映画に出演しました。
1956年には「Et Dieu Crea La Femme(素直な悪女)」で共演したブリジット・バルドーと恋仲になるもすぐに別れ、「牝鹿」で共演したステファーヌ・オードランと結婚していますが、惚れやすいのかふられやすいのか、これまた離婚したそうです。

国内で入手出来る「Les Biches」のVHSビデオ
Les Biches with Jacqueline SassardLes Biches
ビデオカバー画像はステファーヌ・オードランとジャクリーヌ・ササールです。
Amazon.comにも「Les Biches」のDVDとVHSがあります。

☆今現在は、日本のウィキペディア (Wikipedia) に 「Audio-Visual Trivia」内のこの”ジャクリーヌ・ササール”の記事の何かが引用されたそうで有難くもリンクが貼られています。