ハリー・ジェームス Harry James


Harry James (1916 – 1983)
Harry, You Made Me Love You!

ハリー・ジェームスはスイング(スウィング・ジャズ)音楽が全盛の時期には一世を風靡したトランペット奏者で、華麗なトランペット奏法は曲目によっては聴けばすぐに分かるほど独特の哀愁を帯びた音色を持っていました。
私が学生時代に誕生日祝いとして母からプレゼントされたレコードの一枚にハリー・ジェームスの赤いドーナッツ盤”Capitol 7P-26″がありました。 Ciribiribin(チリビリビン)、Trumpet Blues(トランペット・ブルース)、Sleepy Lagoon(スリーピー・ラグーン)が収録されていて、録音時期は不明ですが推定するとおそらく1950年頃から1952年以前と思われます。 なぜならレコードの説明書きには、この盤のハリー・ジェームス楽団にはWillie Smith(ウイリー・スミス)が迎えられ、Duke Ellington(デューク・エリントン)楽団の演奏で有名なCaravan(キャラバン)を作曲したトロンボーン奏者のJuan Tizol(ファン・ティゾール)などが参加しているとあるからです。 ハリー・ジェームス楽団を盛り上げたウイリー・スミスは1930年代の3大アルトサックス奏者の一人と呼ばれるほどだったのに冷遇されていたということですが、1940年代後期にLionel Hampton(ライオネルハンプトン)楽団で演奏したStardust(スターダスト)はまさしく水を得た魚のごとくアドリブも効いて秀逸です。(ハリー・ジェームス楽団での抑えた演奏のスターダストを視聴して比べてみる デジタル・アルバム「The Very Best Of – Harry James Orchestra」ASIN: B003HFTA88) スウィングが衰退し出した1950年代初期のデューク・エリントン楽団でJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)他主要演奏者3名が抜けた後にファン・ティゾールが戻り、ハリー・ジェームス楽団での仲間だったウイリー・スミスを引っ張ったそうです。

1939年にハリー・ジェームスのトランペットでフランク・シナトラが歌った「チリビリビン」はイタリアのAlberto Pestalozza(アルベルト・ペスタロッツァ)が1898年に作曲したワルツ曲だそうですが、1880年のFuniculì funiculà(フニクリ・フニクラ)同様、イタリアで登山電車の宣伝用に作られた曲だとも聞きました。 イタリアの陽気なワルツ曲で恋を歌った「チリビリビン」は1943年に大ヒットしてハリー・ジェームス楽団のテーマ曲ともなり、Benny Goodman(ベニー・グッドマン)のアルバムタイトルともなっています。 イタリア語の「Ciribiribin(チリビリビン)」とは何かというとそれ自体には特に意味はなさそうですが、” ciribiribin means love to me”と書かれている歌詞もあり、英語の歌のタイトルが”Love You So Much”となっているのもあります。 楽しくワルツを踊るように、ワンツースリー、タララララーってことでしょうか。 とはいえ、スウィングバンドの演奏では4分の四拍子だったようです。
「トランペット・ブルース」はデキシー・トランペッターのDonald Lindley(ドナルド・リンドレイ)の曲をハリー・ジェームスとバンドの編曲者だったJack Matthias(ジャック・マッティアス)による”Dodgers’ Fan Dance“コンビの共同編曲だそうです。 トランペット・ブルースというだけあってハリー・ジェームスを含め6人ものトランペットセクションが聴けます。 ”Sleepy Lagoon(スリーピー・ラグーン)”は英国のEric Coates(エリック・コーツ)が1930年に作曲し、作詞はJack Lawrence(ジャック・ローレンス)だそうです。 日本では”午後の入り江”としてヒットした曲でなんとなく南国のイメージがありますが事実はイギリスはウェスト・サセックス州のボグナー・レジスからの海辺の景観(サンゴ礁の中の小湖)を謡った”眠るように静かな入り江”という意味だとか。 英語では入り江というとgulf、bay、coveなどがありますがlagoonというとサンゴ環礁に囲まれた礁湖の事だそうです。
エリック・コーツが作ったスリーピー・ラグーンという曲はハリー・ジェームスやGlenn Miller(グレン・ミラー)のようなビッグバンド以外にもトランペットのAl Hirt(アル・ハート)、ピアノならErroll Garner(エロール・ガーナー)などジャズからイージーリスニングなど、ボーカルでもThe Platters(プラターズ)やDoris Day(ドリス・デイ)などジャズからポップスまでたくさんの歌手に歌われています。
“Sleepy Lagoon”の歌詞はSleepy Lagoon Lyrics – Genius.com
私の母からの誕生日プレゼントにせよ、Art Blakey(アート・ブレイキー)の来日で”Moanin’(モーニン)”を買ったばかりの私にはちと退屈な曲でしたが大人になってから好きになりました。
※このハリー・ジェームスのスリーピー・ラグーンが大ヒットしていた1942年にロスアンジェルスで起こったメキシコ系の若者たちが関係した殺人事件は殺害された人物が小川の近くの道路で倒れていたから「The Sleepy Lagoon Murder」と名づけられたそうです。(詳細はAudio-Visual Triviaのブラック・ダリア

Harry James and His Orchestra
ハリー・ジェームスの母親は曲馬団(サーカス)で花形ブランコ乗りだったそうですが、父親はトランペッターでサーカス楽団のバンドリーダーだったことからハリーは幼少から音楽に携わっていたそうです。 サーカスバンド出身といえば私の好きなトランペッターのRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)がいました。
ハリー・ジェームスが20歳の時、1936年末ですが、当時トップクラスの人気バンド”ベニー・グッドマン楽団”のリーダーのBenny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)に招かれてエネルギッシュにトランペットを吹きまくりました。 ベニー・グッドマンはハリー・ジェームスと同じくユダヤ人のクラリネット奏者で、人種を超えて多くの若きミュージシャンたちを後援していました。 そのベニー・グッドマンの助力を得てハリー・ジェームスは1939年に自分のバンド”Music Makers”を結成することになります。 ホテルのボールルーム(ダンスホール)などでスイングを演奏しましたが、これが大受けしてダンスホールの客だけでなく十代の若者たちも押しかけてくるほどの大人気となります。 黒人たちにはブルースやR & Bがありましたが白人ティーンズにとってはロックンロールが台頭するまではスイングバンドの歌手たちがアイドルでした。 そうです、The Golden Age of Radio(ラジオデイズ)です! テレビがまだ一般に普及していない1920年代後期から1950年代には人々は家庭で音楽やドラマのラジオ番組を聞いて楽しんでいたのです。 特にスイングなどのラジオショーはダンスホールに行かれない人々が楽しんでいたようです。
ハリー・ジェームス楽団は1930年代の後期には人気ナンバーワンのスイングバンドになりましたがバンドの運営困難に陥り、路線を変更することになります。 ストリングスを導入し1942年の”Cherry”や” One Night Stand”などのようにもっとメロディックで甘くて感傷的な音楽を演奏し始めたのです。

The Swinging Years
はりきりボーイのトランペッター「ハリー・ジェームス」は黄金のスイングジャズ時代にスイング王と呼ばれたBenny Goodman(ベニー・グッドマン)やCount Basie(カウント・ベイシー)をはじめ、Glenn Miller(グレン・ミラー)、Jimmy & Tommy Dorsey(ジミー&トミー・ドーシー)、Stan Kenton(スタン・ケントン)、Artie Shaw(アーティ・ショー)、Duke Ellington(デューク・エリントン)、Cab Calloway(キャブ・キャロウェイ)、Woody Herman(ウッディ・ハーマン又はウッディ・ハーマン)、Lucky Millinder(ラッキー・ミリンダー)、Larry Clinton(ラリー・クリントン)、1930年代後期のTeddy Wilson(テディ・ウィルソン)、そしてCharlie Barnet(チャーリー・バーネット)やRay Anthony(レイ・アンソニー)やBob Crosby(ボブ・クロスビー)といったビッグバンドの面々と肩を並べて1930年代後半から1970年代まで活躍しました。
ジャズトランペッターのConte Candoli(コンテ・カンドリ)は初期に影響を受けたトランペッターとしてトランペット王と呼ばれたRoy Eldridge(ロイ・エルドリッジ)やDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)などに加えハリー・ジェームスもあげています。

Harry James and His Music Makers – Concerto for Trumpet 1942 – YouTube
Flight of the Bumblebee 1943 – YouTube
Green Onions – Harry James with Buddy Rich 1965 – YouTube

“The Complete Harry James In Japan: 1964″は日米のAmazonにはありませんが日本で発売されたレーザーディスクからDVDに変換してアメリカでリリースされたという情報はJazz Legends Site – The Complete Harry James In Japan: 1964(Don’t Be That Way、Cherokee、Take the A Train、Two O’Clock Jumpなどを収録)

Helen Forrest and Dick Haymes
ハリー・ジェームスはスイングジャズの人気トランペッターというだけだなくバンドリーダーとしても新人の発掘にも力を発揮しました。 ハリー・ジェームス楽団の専属歌手というと初期1937から1938年にはHelen Humes(1913-1981/ヘレン・ヒュームズ)が、1945年にはKitty Kallen(1922-/キティ・カレン)が、そして1951年頃にはLes Brown and His Band Renown(レス・ブラウン楽団)の専属歌手だったDoris Day(ドリス・デイ)がハリー・ジェームス楽団と吹き込みしていますが、なんといっても1943年に”I’ve Heard That Song Before(1945年)”を歌ったHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)が大好きです。
♪ Kitty Kallen with Harry James & His Orchestra – I’m Beginning to See The Light

ハリー・ジェームスはレストランでウエイターをしながらラジオショーで歌っていたFrank Sinatra(フランク・シナトラ)をスカウトして専属歌に雇い入れたもののバンドの経営困難が災いしてシナトラはすぐにTommy Dorsey(トミー・ドーシー)に移籍してしまいました。 ハリー・ジェームスが1941年に”Music Makers”で初のトップテン入りした後の1942年にはフランク・シナトラの後釜として入団したDick Haymes(ディック・ヘイムズ)の歌う”Lament to Love(嘆き愛する)”で2度目のトップテン入りを果たしています。 ”Music Makers”のヒットの後、ハリー・ジェームス楽団は”Harry James and His Music Makers”とも呼ばれるようになったそうです。
私は甘い歌声のディック・ヘイムズの曲では同じく1941年の”I’ll Get By(As Long as I Have You)”も好きです。

You Made Me Love You
James V. Monacoが作曲した”You Made Me Love You(恋のとりこに)”はJoseph McCarthy(ジョセフ・マッカーシー)の歌詞で1913年にAl Jolson(アル・ジョルソン)が吹き込んだ曲ですが、1937年のRoy Del Ruth(ロイ・デル・ルース)監督のミュージカル映画”Broadway Melody of 1938(踊る不夜城)”でJudy Garland(ジュディー・ガーランド)が”Dear Mr. Gable: You Made Me Love You”として歌いました。 そのジュディー・ガーランドのセンチメンタルなねばっこい歌唱法が気に入ったハリー・ジェームスは1941年にArtie Shaw(アーティ・ショー)などで多くのビッグバンドのアレンジを手掛けたJeff Hest(ジェフ・ヘスト)の編曲でもっと甘くてねばっこい”You Made Me Love You”を演奏したところミリオンセラーとなり、今日でも永遠の名曲となっています。
You Made Me Love You by Al Jolson – YouTube
Judy Garland ‘You made me love you’1951 – YouTube
“You Made Me Love You” – Helen Forrest with Harry James – YouTube
黒人風に顔を黒くしたメイクで有名な白人エンターテイナーのアル・ジョルソンが歌った”You Made Me Love You”を感傷的に演奏してトップ5に輝いたのが1941年の秋のことで、これによりハリー・ジェームスはスターの座を不動のものにしたのでした。 アル・ジョルソンは1920年のミュージカルの”Sindbad(シンドバッド)”で歌った1919年のGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュウィン又はジョージ・ガーシュイン)作曲のSwanee(スワニー)がよく知られているブロードウェイの歌手です。
その後ヘレン・フォレストのヴォーカルで”I Don’t Want to Walk Without You”や”Manhattan Serenade”そしてTommy Dorsey(トミー・ドーシー)も演奏した”Sleepy Lagoon(1942年)”など立て続けにヒットを飛ばしました。
1945年には”I’m Beginning to See the Light”がナンバーワンとなった他、 “I Don’t Care Who Knows It”、 “If I Loved You”、”I’ll Buy That Dream”、”It’s Been a Long, Long Time(お久しぶりね)”、”Waitin’ for the Train to Come In.”、 “If I Loved You”がBuddy DiVito(バディ・デヴィート)やKitty Kallen(キティ・カレン)のボーカルでトップ入りしました。
ハリー・ジェームスは戦後のビッグバンドが衰退した時期にストリングスを引っ込めジャズ志向に路線を変更し、1947年の”September Song”のような曲を演奏してCount Basie(カウント・ベイシー)を目指しましたが、商業路線を取ったハリー・ジェームスには成就しなかったようです。(稀にカウント・ベイシーと聴き違えそうな演奏もあり)
ハリー・ジェームスは1964年に来日していますが、ハリー・ジェームスの楽団「Music Makers」は1963年頃にはDisneyland(ディズニーランド)の専属となっていたそうです。 ヘビースモーカーでヘビードリンカーでギャンブラーだったハリー・ジェームスはリンパ腺癌にかかり1983年の演奏を最後に67歳で亡くなりました。

ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでのハリー・ジェームスのチャートでは現在ダントツ1位が”It’s Been a Long, Long Time”、お次は”You Made Me Love You”! その次に”I’ve Heard That Song Before”、”Two O’Clock Jump” に、”I’m Beginning To See The Light”と続き、私が誕生日に母にプレゼントされた”Ciribiribin”や”Sleepy Lagoon”、そしてロシアのNikolai Rimsky-Korsakov(リムスキー・コルサコフ)作曲のクラシックをアレンジした”Flight of the Bumblebee”(くまん蜂の飛行又は熊蜂の飛行)も人気リストに入っています。 Urbie Green(アービー・グリーン)やJ.J. Johnson(J.J.ジョンソン)のトロンボーン演奏でも有名な「くまん蜂の飛行」というとKill Bill Vol.1(キルビル1)で使用されたAl Hirt(アル・ハート)のGreen Hornet(グリーン・ホーネットのテーマ)が有名になりました。

ハリー・ジェームスが出演した映画を観よう!
1942年にBetty Grable(ベティ・グレイブル)が主演したIrving Cummings(アーヴィング・カミングス)監督のミュージカル映画「Springtime in the Rockies(ロッキーの春風)」にハリー・ジェームスは自身の役でHarry James and His Music Makersと共に出演し、”A Poem Set to Music”という曲を演奏したり、1942年のヘレン・フォレストのバックで”I Had the Craziest Dream”のセンチな演奏を聴かせたそうです。
※ ”A Poem Set to Music”が収録されているアルバムは1942-1943 Broadcasts with Helen Forrest
この映画出演が縁かどうか分かりませんがハリー・ジェームスは翌年の1943年に当時大人気のピンナップ・ガール(グラビアモデル)でもあったベティ・グレイブルと再婚したのでした。 このカップルは当時のセンセーションだったそうです。 ハンサムなハリー・ジェームスは生涯に3度も結婚していて、最初の妻は1935年に結婚した歌手のLouise Tobin(ルイーズ・トービン)で子供が二人できました。 ハリーは離婚して女優のベティ・グレイブルと再婚し二人の間にも子供があり20年も婚姻関係が続いたそうですが、ルイーズの方も1967年にクラリネット奏者として有名なPeanuts Hucko(ピーナツ・ハッコー)と再婚してハッコーのバンドで歌っていました。
結婚したペティ・グレイブルが1953年の映画「How To Marry A Millionaire(百万長者と結婚する方法)」の中でハリー・ジェームスとの結婚を匂わせるセリフがありました。 ラジオから流れてきたハリー・ジェームスの「You’ll Never Know(知らないでしょう)」の曲名を見事に当てたのです。

1943年にTim Whelan(ティム・フェーラン)監督の「Swing Fever(スターフィーバー)」という豪華キャストのミュージカル映画があり、女性ヴォーカリストとしてMarilyn Maxwell(マリリン・マクスウェル)やLena Horne(リナ・ホーン又はレナ・ホーン)、ビッグバンドのKay Kyser(ケイ・カイザー)、Tommy Dorsey(トミー・ドーシー)、ハリー・ジェイムスなどに加えてクレジットなしでAva Gardner(エヴァ・ガードナー)が出演している他、1959年の映画”Imitation of Life(悲しみは空の彼方に)”のタイトル曲の作者であるSammy Fain(サミー・フェイン)が音楽に携わっているそうです。

白人ジャズトランペッターのBix Beiderbecke(ビックス・バイダーベック)の伝記をもとに、1950年にMichael Curtiz(マイケル・カーティス)が監督した「Young Man with a Horn(情熱の狂想曲)」という映画がありました。(一角男でなく管楽器を吹く男) 映画ではThe Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)でデビューしてTown Without Pity(非情の町)などに出演したKirk Douglas(カーク・ダグラス )がバイダーベック役でトランペッターを演奏しましたが実際はハリー・ジェームスの吹き替えだったそうです。 その映画にはダグラスが俳優養成所で一緒だったLauren Bacall(ローレン・バコール)や映画界に入ったばかりの歌手のドリス・デイも出演しています。 ドリス・デイはハリー・ジェームス楽団をバックに”The Very Thought Of You”や”I May Be Wrong”などを歌いました。
Doris Day with Harry James – I Only Have Eyes for You (Young Man With a Golden Horn) 1951 – YouTube
「Young Man with a Horn」のサウンドトラックが大ヒットしたので1951年にはハリー・ジェームス楽団とドリス・デイのコンビで”Would I Love You”を吹き込みチャート入りしています。
※ちなみに伝記の主人公であるビックス・バイダーベックは1920年代にえもいわれぬ美しい音色のトランペット演奏で人気でしたがアルコール依存症のためか若くして亡くなりました。 ビックス・バイダーベックの音楽は1924-1930: Young Man With a Golden Horn – AllMusic.comで試聴出来ます。
Singin The Blues – Bix Beiderbecke – YouTube
「情熱の狂想曲」のマイケル・カーティス監督はその前の1945年の「Mildred Pierce(ミルドレッド・ピアース)」、その後の1954年には「White Christmas(ホワイト・クリスマス)」など数え切れないほどの名作を監督しています。

ハリー・ジェームスは1955年の映画「The Benny Goodman Story(ベニイ・グッドマン物語)」にも自身の役で出演しました。
The Benny Goodman Story DVDベニイ・グッドマン物語 (DVD)
「Benny Goodman Story」のVHS(ASIN : 630018112X)もあり。

ハリー・ジェームスのアルバム
☆ページトップの「I’ve Heard That Song Before: The Hits of Harry James」CD画像はLast.fmで人気ナンバーワンのロマンティックな曲”You Made Me Love You”をはじめ、The MoleやFlight of the Bumblebee(くまん蜂の飛行)など、又ハリー・ジェームスのソロ演奏も含んだ2001年リリースのスイング・アルバムの”I’ve Heard That Song Before: The Hits of Harry James”ですが、アルバムタイトル曲となっている”I’ve Heard That Song Before”は”Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!“と同じくJule Styne(ジュール・スタイン)の作曲で作詞がSammy Cahn(サミー・カーン)です。
ハリー・ジェームスの1941年の”The Mole”という曲は私が長年ファンだったChuck Cecil(チャック・セシル)氏がDJを務めたラジオ番組でThe Swingin’ Yearsのテーマ曲として使用されていました。 10数年ほど前までは日本ではFEN(極東放送今はAFN)で聴けたのですが現在はインターネットラジオのKJAZZ(Podcast)で土曜と日曜に聴けます。 ”The Mole”の試聴はディスク:2の2番ですが、この曲を聴くと大好きなスイング音楽のラジオ番組が始まるのでわくわくしました。
Harry James Orchestra – The Mole – youTube.com

Complete Harry James in Hi-Fi – Harry James & his Orchestra
1955年と1956年のハイファイセッションを収録したLPアルバムはHelen Forrestのボーカルと共にデューク・エリントン楽団の名トロンボーン奏者である Juan Tizolとアルトサックス奏者のWillie Smithの演奏と歌をフィーチャーしていますが2枚組のCD「Complete Harry James in Hi-Fi」(ASIN: B004WJRJJA)が販売されています。
ディスク1にJalousie、Sleep Lagoon、You Made Me Love You、Trumpet Blues、I’ve Heard That Song Before、I’m Beginning to See the Light、It’s Been a Long, Long Time、I Cried for You、Ciribiribinなど20曲、ディスク2にはMelancholy Rhapsody、These Foolish Things、Crazy Rhythm、April in Paris、In a Sentimental Moodなど22曲を収録したCDアルバム「The Complete Harry James in Hi-Fi」の試聴はComplete Harry James In Hi-Fi CD Universe
「Harry James in Hi-Fi」でレアなTaboo(タブー)が収録されているLive Broadcasts in Hi-Fi1945 Live in Hi-Fi at Culver Cityがあります。
Live Broadcasts in Hi-Fiの試聴はLive Broadcasts in Hi-Fi – AllMusic.com

1950年代後半のハリー・ジェームスが演奏する甘くセンチメンタルなトランペットが魅力の”Cherry”や”Willow Weep For Me”、タイトル曲のTrumpet BluesやCiribiribinなどの他全部で16曲を収録した人気アルバムで、1950年代は高額出演料にも関わらずドラムは楽団に何度かスターとして呼ばれた花形ドラマーのBuddy Rich(バディ・リッチ)、アルトサックスはWillie Smith(ウイリー・スミス)でヘレン・フォレストのヴォーカルです。
Trumpet Blues: The Best Of Harry JamesTrumpet Blues: The Best of Harry James

映画「百万長者と結婚する方法」の記事でも紹介したオリジナルが1939年の録音というアルバムで、You Made Me Love Youはもちろん、I Had the Craziest Dream、Music Makers、Sleepy LagoonやHelen Forrest(ヘレン・フォレスト)やディック・ヘイムズのヴォーカル、そして奥様のベティ・グレーブルが歌う”I Can’t Begin To Tell You”まで収録しています。
Best of the Big BandsThe Best of the Big Bands


レアなハリー・ジェームスの”Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)”の他ロマンティックな曲を収録したアルバムです。
Big Band LegendsBig Band Legends
試聴はBig Band Legends – AllMusic.com

”I’ll Get By”が収録されているHarry JamesとBenny Goodman楽団時代のDick Haymesのアルバム
The Complete Columbia Recordings with Dick HaymesThe Complete Columbia Recordings
全曲試聴はComplete Columbia Recordings – Amazon.com (MP3 Download)

オリジナルは1954年のハリー・ジェームスとドリス・デイの人気アルバムであり、映画「Young Man with a Horn(情熱の狂想曲)」のサウンドトラックでもあります。
Young Man with a Horn - Harry James and Doris DayYoung Man with a Horn
Unforgettable
“Unforgettable”といえば Nat King Coleが1952年のアルバム「Unforgettable」のためにNelson Riddl(ネルソン・リドル)のアレンジで録音した曲の題名です。 1990年にハリー・ジェームスは同名アルバム「Unforgettable」(ASIN: B00000DGZD)をHarry James & His Orchestraの名義でリリースしています。 とはいえ、アルバム・タイトルとなっている”Unforgettable”という曲は収録されておらず、バンドのテーマソングのCiribiribin、It’s Been A Long, Long Time、I’ve Heard That Song Before、You Made Me Love You、Sleepy Lagoon、I Cried For Youなど23曲が入っています。 試聴はHarry James – Unforgettable Album – AllMusic.com

Back Beat Boogie
映画「The Aviator(アビエイター)」のサウンドトラックにも使用されたHarry James & His Orchestra(ハリー・ジェームス・オーケストラ)が演奏するオリジナルが1943年にリリースされた”Back Beat Boogie(バック・ビート・ブギ)”が収録されているアルバムはこのページトップの試聴が出来るアルバム「Hits of Harry James」やヘレン・フォレストをフィーチャーし”I’ve Heard That Song Before”や”Song of the Wanderer”など21曲を収録した輸入ベスト盤の「Razzle Dazzle」(ASIN: B000000X0C)などです。 1994年のアルバム「Razzle Dazzle」の試聴はhttps://www.allmusic.com/album/razzle-dazzle-mw0000120210)
試聴はBack Beat Boogie (The Aviator Soundtrack) – Amazon.com (MP3 Download)

人気の「ハリー・ジェームス伝記」 音楽ジャーナリストPeter J. Levinson(ピーター・レヴィンソン)著の英語ペーパーバック(ハードカバー版もあり)
Trumpet Blues: The Life of Harry James - BookTrumpet Blues: The Life of Harry James
(英文の中身が見られます)

ハリー・ジェームス Harry James」への4件のフィードバック

  1. なお より:

    はじめまして。なおといいます。
    父親から、ハリージェームスが、チゴイネルワイゼンを吹いた音源がある、と聞いたことがあります。
    当時のFENで聞いたそうですが・・・。
    それを一度聴きたいと思っていますが、お心当たりはございますか?

  2. koukinobaaba より:

    「なお」さんのご質問の”Zigeunerweisen(チゴイネルワイゼン)”はPablo de Sarasate(サラサーテ)が作曲したジプシーの曲で”Gypsy Aires”とも呼ばれます。主にヴァイオリンで演奏されますが、クラシック演奏を手掛けるメキシコのトランペッターのRafael Méndez(ラファエル・メンデス)のバージョンがあるそうです。残念ながらハリー・ジェームスは今のところ見つかりません。
    http://www.youtube.com/watch?v=ZD70Sp5rHCw

  3. ヒロヤス より:

    Harry James 楽団に在籍したことはないとないと思いますが、Martha Tilton という歌手をご存知でしょうか?彼女が歌う I Should Care や Stranger In Town 等の曲は本当に素晴しく、スイング時代の大スター歌手の一人です。
    最近になって、彼女のオフィシャルサイトがあると知り、それを見たら、彼女が何と2006年に91歳で亡くなったことを知りました。ヘレンフォレスト、ヘレンオコネル、ビーウェイン等などなど、スイング時代の歌姫ももう殆どいませんね。(失礼、ドリスデイは健在です。)

  4. koukinobaaba より:

    ヒロヤスさんのおっしゃる”マーサ・ティルトン”はもちろん存じております。ゲイリー・クーパーの記事でBarbara Stanwyck の”Drum Boogie”の吹き替えをしたことを書きました。
    ”I Should Care”もそうですが”Once In A While”や”These Foolish Things”また””I’m Beginning To See The Light”など1940年代のスタンダード歌は大好きです。残念ながら”Stranger In Town”は聴いたことがありませんが。
    女性歌手の単独の記事は今のところBea Wain、Mildred Bailey、Doris Dayなど少ししかありませんが増やしていきたいと思っています。

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